●相変わらずボトムの奴らは……。 無数の配管は血管の様に張り巡り、各区域を接続している。 そのパイプ群が血管だとするなら、その集積からからなる巨大なプラントはまるで内臓だ。 巨大な鉄の生物だ。 穏やかな波の音、カモメの鳴き声、刹那色の夕焼けは、ただ只管に優しくその場所を包んでいた。 ―――姫路第二発電所。 全国でも有数の発電量を誇る此処に、一人、不満げに眉を顰める男が立っている。 「ふん。フィンランドでは『顔見せ』しておいてやったと云うのに、やはり貴様らは学習しないかね。 ……≪あの男≫(キース・ソロモン)の詰まらぬ命に従って遥々極東にまで顕現させられた俺の、苛立ちが理解できないのか?」 ≪あの男≫の匂いが充満してやがる、と彼は不満げに漏らした。 絹糸の様に柔らかく、腰にまで達する深青色の髪を靡かせて、立っている。 「『礼儀』というのを知らぬな。ああ、『前の奴ら』もそうだった。 それでも、もう少しは気を遣えたぞ?」 黄金色のマントを舞わせて、立っている。 「解せんな―――全く、解せぬ。何故俺の神経を障る? 何故俺を憤慨させる? 何故俺の逆鱗に触れてしまう?」 その異形の『二つ目』を有する刀身にリベリスタを突き刺して、立っている。 「……さあ、俺に『礼』を取って見せろ、人間。もう一度だけ、機会をやろう。 だがもしも、俺を迎える『礼儀』も知らねえってんなら教えてやる」 美しい激怒が、彼の見目麗しい相貌を染め上げて、立っている。 「≪狂乱王≫(ベレス)の名の下に!」 ●はん。俺はおこだぜ。 キースは、≪箱舟≫(アーク)との再戦を望んでいる。 命を賭けた喧嘩を、望んでいる。 『去年』の続きを望んでいる。 今回は、より『強力な束縛』をソロモンの魔神達に課して、切望している。 ベレスは、キースに忠節を誓いながら、それでも激怒する。 激怒しながら、彼も待っている。 何故なら、其処には余りにも苦く。 余りにも苦痛過ぎる敗北を、経験させられていたからだ。 しかし、その戦いは同時に、嘗て≪強敵≫(ヴァチカン)と戦ったあの時を、思い出させた。 来い。≪箱舟≫。 その為に態々『カレドヴルフ』を目覚めさせてやったのだ。 ボトムでは陽炎の様なこの身なれど。 もう少しは『真っ当な決着』をつけようではないか―――。 「俺は、心の底から『おこ』だぞ……!」 碌でもない趣味の魔神も居る。そういうのを否定する心算は彼には無い。 好きにしたら良い。 だが彼はそんなことに興味は無い。『蟻』を甚振って虐めて楽しいのは、幼子だけだからだ。 だからベレスはキースを好意的に見る。ベレスのメンタリティは、キースと大差ない。 やっぱり刹那色に包まれた≪発電所≫(内臓)の中、心底楽しげなオーケストラが響く。 こんな程度のリベリスタでは怒りすら失せると、笑いながら。 ●ブリーフィング資料。 丁度一年の時間を置き、バロックナイツ第五位『魔神王』キース・ソロモンが再び姿を現した。 無論、場所は、此処『日本』。 キースは一年前のアークとの戦いにおける『彼の定義で云う敗戦』を糧に、それからというもの、日本を除く世界各地での修行に励んでいた。 此度の襲来に併せ、しかし、紳士的にも『アーク』を待つと宣言した彼は、『アーク』が彼の要請に応える限りは、一般市民への被害を出さない事を約束した。『強力な束縛』というのは、文字通り、去年の様な魔神個々の判断によるそのような被害を押さえる事を、示している。 ……ベレスは、丁度、二か月前にフィンランドに出現したソロモン72柱の序列13位。 彼の口振りはキースを強く非難するが、心底では彼に篤い忠義を燃やしている。 そのキースは、一年間の修行で確実に強力になっている。其れに従い、魔神の力も強化されている。 即ち――≪魔導書≫(ゲーティア)無しで顕現した前回と今回のベレスでは、比較にもならない。 昨年、『主』が敗退したこの日本で。 深紅の夕焼けの中で。 ベレスは、お決まりの様に眉を顰めながら『アーク』を待っている。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:いかるが | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年09月28日(日)22:58 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 夕日に照らされた線の細い相貌が、不満げに鼻を鳴らした。 「待ちわびたぞ、人間」 姫路第二発電所。 プラント群を縫う空白地帯。 人質としても舞踏の舞台としても、≪狂乱王≫(ベレス)が用意するにはほぼ理想的なシチュエーション。 急遽として対策へと乗り出した現地リベリスタを、文字通り容易く蹴散らす突出した戦力――その全ては怒りを根源として、けれど待ち焦がれていた。 やってきた。 『アーク』がやってきた。 十名のリベリスタがやってきた。 その場へと歩み来る『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)の顔を目敏く見つけて、ベレスは眉を顰めた。再度、鼻を鳴らした。この間、見た顔だった。他にも、知った顔がちらほらしている。 けれど、ベレスは本意気で臨んでいたのだ。 ベレスは求めていた。其の戦いを。 大地に両足を付けるそのベレスの雄姿が顕現するのは、実に数十年振り。 何故ならそれが意味するのは、『カレドヴルフ』が本来の姿を戻したということ、そして、ベレスが本気になったという事なのだから。 キースの要請に≪渋々≫(喜々)と馳せ参じた上で、ベレスを本気にさせたという事なのだから。 凛然とした『騎士の末裔』ユーディス・エーレンフェルト(BNE003247)の姿に、ベレスは思わず内心で笑ってしまう。――ああ、『あれ』は俺の槍だったな? 軽口を叩いて投げ捨てるようにやった槍だったが、まあ、嬉しい。 気に入らない。『停滞者』桜庭 劫(BNE004636)の軽骨そうな視線も、『剛刃断魔』蜂須賀 臣(BNE005030)の幼げなのに燃えるような敵意の視線も、気に入らない。 そう、お前らはこの俺にそんな視線をする。無礼極まりない視線を向ける。それがお前らだったな? だが『アカシック・セクレタリー』サマエル・サーペンタリウス(BNE002537)と『本気なんか出すもんじゃない』春津見・小梢(BNE000805)の顔つきは、少し妙だ。あまり、見たことが無い。永遠とも思えるような刻限を彷徨うベレスにも、良く分からない。 そう、お前らは、良く分からない。 分からないなりに『Matka Boska』リリ・シュヴァイヤー(BNE000742)や『足らずの』晦 烏(BNE002858)からは一種の仁義を感じる。そんなこと絶対言ってやらないが、お前らとなら分かり合えていたかもしれない、と思う。此処まで堕ちていなければ、友にすらなれていたかもしれない。 『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)からは全て見透かされそうな鋭利さを感じる。 『狂乱姫』紅涙・真珠郎(BNE004921)からは――なんだか気恥ずかしい悪寒を感じる。 面白い。ああ、やはり、面白い。 「『礼』を取る準備は出来たかね、人間?」 お前らはきっと、礼なんぞ取らぬのだろうな―――。 ● 「姓は晦、名は烏。稼業、昨今の役戯れ者で御座いってな。 向後万端引き立って、一つ宜しく頼もうか≪狂乱王≫」 初顔合わせの最上限の≪挨拶≫(礼儀)。首に掛ける白布は恰も手拭いかの様に、掌を空へ向けた烏の見事な仁義切りだった。 見る者が見れば其処で一席打つだろう。そして、今のこの時、ベレスは首を傾げた。 「ヤクザレ……? キョウコウバンタン……? どういう意味だね?」 伝わらねえか。まあ、仕様が無い。烏は差し出していた腕を戻した。 「なに。こちらなりの『礼儀』ってもんでね。そちらさんを貴人と見込んでの礼さ」 「ふん。お前らは中々に独特な言語を使うな。解りづらくて仕方ない」 ベレスは滑らかな深青色の長髪を掻き上げて言った。そして、リベリスタ達には聞こえない程度に「ヤクザレ、キョウコウバンタン」と小さく口の中で繰り返した。 相変わらず、不機嫌そうな顔つきの≪美青年≫(魔神ベレス)である。線が細く、顔立つは中性的だから、その高い背以外は、余り魔神らしさを感じさせない。 だが、黄金色のマント、背まで伸びた深青色の髪、そして大地に突き刺す様に支える第三聖典カレドヴルフは彼に相応に纏わり、そして、その重圧を振り撒いていた。 「はじめまして。<神命を爪弾くもの>サマエルだよ」 そんな圧倒感を無視するのかの様に、数歩ベレスの方へとサマエルが歩み寄った。 名乗って、彼の目を見て、頭を下げた。「こんにちは」。 「……ふむ」 直ぐに踵を返して『これで終わり』と背で語るサマエルの姿に、ベレスは目を細めた。 「それが、礼の心算か?」 「うん」 サマエルは短く答えた。 「僕は、ママから教わった。 僕は、貴方の満足なんて知らない。 僕は、描いただけ」 ベレスの顔が憮然に彩られていくのが、初めての会敵となる劫にも良く分かった。 「膝をつく事は出来ませんが、私なりの最大限の礼は取らせて頂きます」 次に、そう言ったリリへと、ベレスは視線を変えた。 この女に、ベレスは覚えがあった。 「『その指環』、前にも嵌めておったな。 しかし、お前らにとって、俺に膝をつくのは、そんなに難しい事か?」 はい、とリリは返した。 「それよりも……互いに出し惜しみ無く。その『試練』に対し全力でぶつかる事こそ、強者たる貴方への礼となる――私はそう考えます。如何ですか? 『狂乱王』」 リリが言い切ると、涼しい風が舞った。リベリスタを、ベレスを、猫達をその冷ややかな風が撫ぜた。 「生意気な。お前らが俺を充足させるとでも?」 穏やかに怒気を孕む風。秋が近づき肌寒くなってきたその大気に、心地よい殺意が充満し始めていた。 「此処が次なる『戦場』。早いものですね、『王』よ」 美しい声だ。ベレスは、その黄金色の槍を見て、次いでユーディスを見た。 「俺の意志じゃない。俺はただ、呼ばれただけだ」 ベレスは無意識に左手で鼻を触った。ユーディスはそれが、彼が『嘘を吐いている時の癖』なのだろう、と唐突に思った。確証は無いが、嫌に人間らしい動作だった。 だが。ユーディスはリリと同様に、膝をつき、彼を崇める心算は更々無かった。 「……まあ、『そういう事』にしておきましょうか。 しかし、『狂乱王』。 ―――『次こそ』は、と仰せになられたのは、他ならぬ御身自身でありましょう?」 「……ふん」 ユーディスの追及に、ベレスは居心地悪そうに頭を掻いた。 ああ。勿体ない。 と、ベレスは思う。 たった一人でも自分に膝をついていれば、それで許してやったものの。 勿体ない。実に……『惜しい』。 「正直さ、僕は戦うのとか、そんな好きじゃないんだ。……でもさ、君と戦うことは嫌いじゃない」 殺す事を厭わぬ、と宣う癖に―――その実、魔神ベレスの観測史上、飽くまでデータ上は、瀕死の者はあれど、『たったの一人も殺害した事の無い』ベレスとの戦いを……、嫌いじゃない、と夏栖斗は言い切った。 「だから、誠心誠意で、君が最高の力で戦えるように、『礼は取らない』」 だがそれは、一般性の証明では無い。帰納的推論はあくまで揺れた結論。 ベレスは空を仰いだ。 彩歌が追い打ちをかけるようにして、その言葉を紡ぐ。 「あの≪鳥頭≫(アンドラス)より理性的なのは認めるけどね。あなたが満足する礼を此方が取らない、というのは、そういうこと。 ―――あなたが怒る位は、許容出来るリスクだって事よ」 空を仰ぎながら、左手で顔を覆っていたベレスは、聞いて、肩を震わせた。 「来いよ! べレス! 僕もサイコーに『おこ』だぜ!」 肩を震わせ、ベレスは――くつくつと笑っていた。 惜しい。 惜しい。 人間にして捨て置くには、実に惜しい――! 弦楽器の美しい音色が響き始める。それは≪臣下≫(猫の楽団員)が主の激情に呼応した結果。 抑えるような笑いが、次第に大きな声になっていく。 「か 「かかか 「く……はは!! 」 もう、我慢出来ない。前と同じ。 だけれど不愉快じゃない? いいや、そんなことはない。 だから踊ろう。この舞台で。 狂乱の王に相応しい舞踏を。 「命を捧げる準備は出来たか、人間?」 突如、ベレスは笑うのを止めた。 端正な顔を憤怒に染めて、カレドヴルフをリベリスタへと向けた。 「俺は―――『激おこ』だぜ……!」 ああ、惜しい。 今回ばかりは、手加減できないかもしれない。 ● ベレスと会敵経験のあるリベリスタ達は、その負荷が前回とはまるで異っていることを認識し、 初めて彼と対峙したリベリスタは、それが違え様も無く強敵であることを、直ぐに理解した。 猫の楽団員は八体。ベレスを取り巻く様に位置する彼らを、更に半円状に囲うように、十名のリベリスタ達は散開する。 敵の強大さは事前通達済み。今更其れに尻ごみする『アーク』ではない。 猫の楽団員の厄介さは彩歌の指摘する所が全く正論だ。あれらも厄介である。リベリスタらはそこで、陣形を取った上で、猫の楽団員の抑え、そしてベレス本体の抑えと別れた。 小梢が気怠そうな瞳で臣の傍に付いた。火力に特化したが故に被弾に脆い臣と小梢との組み合わせは悪くない。臣の基本的な火力がこの『アーク』最上位のパーティの中でしかも飛び抜けているのなら、小梢の耐久性も完全に突出している。 小梢にしてみれば、そちらの方が『面倒でない』のも魅力的だった。 「いやはやカレーは美味しいよね」 聊か場違いな発言に見えて、実に彼女らしい。表情は胡乱だが、動き自体は上位リベリスタのそれそのもの。サマエルら猫の対処に回るリベリスタと協奏し、その見た目だけは愛くるしい敵性へと斬りつける。 「『剛刃断魔』、参る」 齢十一。リベリスタ家系に生まれた蜂須賀の少年。見目麗しい臣の、けれど似つかわしくなく燃え立つ眼が、正義の名の下に散れと叫ぶ。 魔神ベレス。貴様はこの世界に於いて侵略者に他ならない。 斬、と二尺六寸五分の刀が猫を切り結ぶ。巨大な猫は、不愉快そうに眼を細め、にーにーと鳴いた。 「ならば、斬り伏せるのみ!」 鋭利な切先が生じさせた穴を、劫が駆ける。 「俺も礼は取らねえ、生憎と性に合わないんでね」 飄々とした表情を崩さず、その両手剣を向けた。会敵開始早々やってきた好機。 役者は揃った、だったら早く始めよう! 彩歌や烏が後方から支援射撃を浴びせる。幸運にも開いた穴を進み、劫は早速ベレスへと対峙した。 「礼儀がどうのこうの、そんな物はお前の好みの話だろう。戦いに礼儀なんて知ったこっちゃ無い」 騎士道精神も武士道もそんな物俺にはありゃしない。此処にあるのは戦いで、命の削り合いだ。 先手必勝―――。 片手で巨剣を構えるベレスを、劫はその剣戟の射程へと収めた。 「その首、置いていって貰う! 俺と――踊れ……!」 瞬間的な加速。その太刀筋だけはただただ影だけを残し、靄然とその不遜の王を断罪する。 間は最適。劫の踏込は確かに消滅した。そして、 「―――失望させてくれるなよ、人間」 視界外から一閃された劫の剣筋は――何故か、何時の間にか、カレドヴルフに抑えられていて、 (コイツは……) ソードミラージュが故の秒速。最速世界の果てで交錯する劫とベレスの視線は張りつめ、 「ちょっとばかりやばいか――」 即座に、「耐えろ!」と劫が声を上げた。後ろではリリも同様に声を上げていた。彼女も気づいたのだろう。 誰に? 『仲間全員』に。 深く暗い青。 海の青でも、空の青でも無い。むしろそれは、孤独な宇宙の様な色。 その瞳に、劫はベレスの心底を見た。ああ、こいつは本気だ……! 劫が防御態勢を取る。 だが、他の全員が最適動作を取れたかというと、微妙な所。 「最初から本意気で俺を殺せと、言った筈だ」 サマエルは音を聞いた。何かが弾ける音。 夏栖斗は煙を見た。ベレスの口から、蒸気が溢れている。 髪も瞳も蒼い彼から漏れだす激怒は、炎と成って具現化する。 ……ああ。ヌシは、本当に『良い男』じゃの。 真珠朗がそう感じた。感じる時間しか、無かった。 考えるには――余りに瞬間過ぎた。 ―――始めるとするかね、≪第三聖典≫(カレドヴルフ)。 ベレスが、カレドヴルフを空へと突き上げた。 其処までは分かった。 皆が分かった。 そして、彼が踏み込んだ所からは、真珠朗にも既に『捉えられてすら』いなかった。 轟音と云うには、それは既に音ですらなかった。 音が分子の振動伝播による物なら、其れは既に衝撃の域に達していた。 ベレスは本気だった。 本気すぎる程に、本気だった。 だから……最初の最初から、出し惜しみなど頭になかった。 だから……。 オ―――――――――――――――ン。 『何か』の遠吠えが聴こえた。 そして、ユーディスに見えたのは、何故か夕焼けに照らされた紅い空だった。 「まさか……っ」 一度瞬いて、現状を理解する。 否……理解できなかった。 空が見えていたのは、倒れていたから。 体からは胎動して出血。 顔を動かせば、近くにリリの姿がある。リリもまた、横たわっていた。 「……やられた?」 だから、あろうことか―――、ベレスは『初手』から第三聖典を解放した。 息吐く間もなく、彼の出せる最大火力をリベリスタに捧げた。 咄嗟にユーディスが立ち上がる。杖代わりにブリューナクを使うとは贅沢な話だが、そんなことを考える余裕は、彼女の中に既に無い。理解しているか、否かなど問題では無い。 ここで立たねば、死ぬ。 戦場で生きてきた彼女だからこそ最適解を見出した。ユーディスは、出血で赤く染まった視界で、辺りを確認する。 「うーん、なんだこりゃ。姫路がやばいじゃないのよ」 ぎりぎり膝を付く程度で済んでいたのは、小梢だけだった。 物理的な攻撃には堅牢性を有する筈の夏栖斗でさえ、苦痛に顔を歪ませながら立ち上がった。 咄嗟にユーディスはサマエルに療術を施す。ユーディスが唯一の回復手でありながら、その英霊の癒しは、敵の強大さの前で果敢無げであった。 「立て」 声が響いた。不機嫌そうな声は、リベリスタに死ぬことすら許さない。 「武器を取れ」 比較的距離を取っていた筈の烏と彩歌までも等しく斬られているというのは、そういうことなのだろう。リリの危惧は的中していたことになる。それが本当に虹であったかどうかはさて置き、『其の』攻撃は超長射程の斬撃だった。出鱈目なまでに。 次々とリベリスタ達が立ち上がる。まだ運命は彼らに生きろと言う。燃やすにはまだ早い。 そしてベレスは、戦え、という。 「それが礼儀だと言ったのはお前らだ、ならば示して見せよ。 死ぬことなど簡単だ。容易く死ぬなど、俺が許さん。 お前らが≪礼儀を見せる≫(俺を殺す)しか、この『喧嘩』の決着は着かせぬぞ!」 ―――ああ、彼は、自分が満面の笑みを浮かべている事に、気づいて居るのだろうか? ● 初手からのベレスの出し惜しみの無い大立ち回りは、開始早々リベリスタ達に決して小さくない傷を植え付けた。 ユーディスが使役できる療術は一度に一人しか癒せず、効果的な回復手は零に等しい。彼らが運命を燃やして立ち上がれるのは一度きり。後は、ドラマティックな復活を信じるしか術はないのだとすれば、或いは運命すら捻じ曲げる心算でなければならぬというなら、リベリスタ達を囲む状況は、既に危機的状況だった。 「―――ふん。≪生意気な目をしおって≫(それでいい)」 そして、『アーク』はこんな危機的状況に、常に晒されてきた。 ならば『たった一度、一撃でパーティの九割が倒れたぐらいの程度』の事で、動じるリベリスタでは無かった。 既に傷だらけの身体を押し込めて立ち上がる。夏栖斗は立ち上がる。 「あんなけ啖呵切ったんだ、そう簡単に倒れてたらカッコつかないっつの!」 ―――此れが『喧嘩』だってんなら、諦めた方が負けだから。 次々と不屈に立ち上がるリベリスタらを眺めながら、不意に、ベレスがカレドヴルフを振るった。軽く振っただけだが、爆砕音。実際に、カレドヴルフが大きく爆炎を上げて爆ぜた。 ベレスが見遣れば、烏の散弾銃の重心からは煙。 彼の動きは、烏の攻撃を防ぐ為の物であった。 「手心を加えるなど、主の顔に泥を塗るようなしょっぱい真似はしてくれるなよ≪狂乱王≫――などと思っていたがね、いや、こちらの思い違いも甚だしかった。 形だけの仁義切りじゃあ意味ねぇな」 続いて、爆発音。ベレスが再度カレドヴルフを振るい、小さく舌打ちした。だが何処か楽しそうなのは、もう烏にも良く分かっている。相反しているのだ。彼の感情は。 「気づくのが遅いぞ。焦らすな」 何処か拗ねた様に言うベレスを見て、焦らしてる心算は無かったんだがな――と烏が紫煙を燻らす。燻らそうとして、煙草に火が点いていないことに気が付く。血で濡れていた。これじゃあ折角の煙草が台無しだ、と諦める。 「命を賭けた喧嘩をキースが望んだ訳で。 ―――全力を持って互いがあたる。それこそが礼を尽くす神髄だったな」 ……ベレスの凄絶な一撃は、リベリスタを壊滅的状況に追い込んだが、本人にデメリットも齎した。 リリが見た。猫は二体しか居ない。 (味方ごと斬った……という事ですか) リリの青い法衣が痛々しいが、その痛々しさは無残に倒れた猫の楽団員達にも等しく与えられていた。 ならば、第二ラウンド。仕切り直しだ。今度こそ、リベリスタ達は、 「―――さあ、『お祈り』を始めましょう」 その銃口を捧げ――喧嘩を始める。 烏が虎の子の一弾を惜しみなくベレスへ――以前与えられていたと云う古傷目掛けて――撃ちこみ始めると同時に、リリが二丁拳銃を猫へと向ける。 「跪きなさい」 この≪弾幕≫(いのり)の聖域内では、可愛らしい猫さんと云えど勝手は許されない。 引き金を引く。引き金を引く。引き金を引く。引き金を引く。引き金を引く―――…… ―――――無数の魔弾よ、ただ敵を滅せ。 圧倒的質量。無窮なる青い≪弾丸≫(いのり)が二体の猫を怯ませる。なーなーと鳴くその姿を、彩歌の精緻射撃が貫通する。 「なー……にゃ……」 純白の気糸が猫を沈めた。残り一体。其処まで至り、彩歌もベレスの姿を眺める余力が生まれる。 「古傷が効果的か、或いはカレドヴルフの『二つ目』か……」 残るは一体。混乱異常は、リベリスタが精鋭だから故に逆説的に恐ろしい。油断は出来ない、が。 「相変わらずの激萌え魔神が。我を萌え殺すつもりか」 紅い影が抜けた。ベレスへと接敵するその姿は、『狂乱姫』のしなやかな体躯。 きぃんと弾けた。下段から真珠郎の抜刀と、カレドヴルフの振り下し。真珠朗の太刀が圧され、再度甲高く刃と刃の交わる音が響く。真珠朗の左手のナイフが、二刀でカレドヴルフを受け止めた。 「もえころす? もえとはなんだね?」 「まあ、良い。取り敢えず、我の非礼を詫びよう、狂乱王」 真珠朗が押し切られた。半身になってカレドヴルフを躱し、真珠朗はベレスを凛と直視した。 咆哮して、逆側から臣が朱を滴らせながら横一閃にベレスへと斬り込み、下から振り上げたカレドヴルフに弾かれそのまま体勢を崩す。そのまま、ベレスは真珠朗を訝しげに見遣った。 「詫びる? お前が?」 「うむ。先の戦い、ヌシと馬は正に神馬一体。忠義を見た。高が知れる、等と言って悪かった。 ヌシは、良い王で。それ以上に――『良い男』じゃ」 「―――」 サマエルが残り一体の猫に止めを刺すべくそのしやなかな足を繰り出すが、ベレスは、ぼうと口から炎を吐き出して睨み付けた。それは視線をそのままに炎の射線とする攻撃。猫へ致命打を与えようとしたサマエルをその貫通炎撃が襲うが、面倒くさそうに小梢がそれを捌いた。 再度真珠郎を振り返ったベレスは、苦虫を潰したというのが正確な極めて複雑な表情をしていた。 「何を、言っている?」 「『殺す』心算で来い、と言ったな」 小梢が捌いた攻撃の間隙を縫って夏栖斗が走り抜ける。飛翔。宙に舞う桜の紅色は軌跡を描いてベレスに打撃した。次いで次いで繰り出される手数に、ベレスは初めて『一歩』後ずさったが、 「んっ、と!」 その夏栖斗の闘撃をカレドヴルフで受けてからの蹴り。トンファーで受けた夏栖斗は、その足すれすれで避けきって下がり、体勢を戻した。夏栖斗がそうやって体勢を戻し、ベレスは何時もの不満げな満足顔に戻した。そういう話なら、分かり易い。 「言ったぞ。ふん、元より赤い『狂乱姫』のお前が汚く血染めになっておるのもその為だ」 「そうじゃ。我の非じゃ。 じゃが、そういった土俵での勝負ならば。我の真骨頂よ」 彩歌の気糸がベレスの右脇腹を狙い穿つ。――ぎん、とカレドヴルフで弾き返しながら、ベレスの眉が動くのを、彩歌は見逃さなかった。 魔神は『端末』故、その肉体に連続性があるのかと考えると、疑問がある。あのベレスの表情の変化は、無関係かもしれない。だが、狙ってみる価値は、期待値的に無きにしも非ず、か。 猫を一体残しながら、最早一対十の様相を呈している。リベリスタからの攻撃は熾烈。ベレスにも先程の余裕は無いが、殆ど動かずに攻撃を受けきっている。 真珠朗が構えた。左目は閉じている。既に開かない。だが感覚は分かっている。何時だってこの刀で、この異能で、屠って来たのだから。 ――挟撃するかの様に、真珠朗を挟んで背後からユーディスが踏み込んでいた。 正しく騎士。黄金色の長髪を揺らす佳麗なる騎士は、黄金色の魔槍を――突きつける。 「討ち破らせていただきます――『狂乱王』」 左足を蹴って、一撃。総ゆる悪を穿つ神気の槍。 ベレスの顔が歪む。ユーディスの槍は見えている。強力だが防ぎきるに訳は無い。 問題は、前方から迫る真珠朗の瀟洒なる無数の刺突、そして、劫の加速―――。 「負ける心算はこれっぽっちも無いぜ――!」 「こ……の……!」 ベレスはカレドヴルフをそのまま背面へと回し、辛うじてユーディスの攻撃が致命打に成るのを防ぐ。形振り構わず、刃が肩を貫通するのを無視しして、柄を握っていない左腕を突きだした。 びしゃ、と鮮血。魔神にも、血が流れるのか。其処までも人間らしい。劫に穿たれた右肩、そして、真珠朗に斬り刻まれた左腕から、ベレスの体液が噴き出した。 ぎりと歯を噛み締めたベレスはそのまま声を上げてカレドヴルフを大きく横に一周、彼の周囲を囲むリベリスタ全てを斬り捨てた。彼の眼前に立っていた真珠朗は、特にその斬撃を真面に受けた。 その真珠郎の形の良い腹が一文字に浅く斬られていた。彼女の蟀谷に、艶めかしく汗が浮かんで、髪が貼り付いた。そのまま、力なく混凝土の大地へと膝を付いた。 「賭けをせんか、狂乱王」 そして再度立ち上がる。運命を炉にくべて立ち上がった。これで次は奇跡を信じるか運命を捻じ曲げるかしかなくなった。 「……賭け?」 「そうじゃ」 夕闇の中、血染めの赤き姫君は、その眼を煌めかした。 「我が勝ったら、ヌシは我のモノになれ。ヌシが勝ったら、我の魂をやろう」 「お前の、モノ……?」 ベレスは激怒を忘れて、心底分からぬ、という表情をする。実際、彼には、真珠朗の意図が正確に分りかねていた。 「お前を主としろ、という事か。≪あの男≫(キース・ソロモン)に代わり。ふん。強欲だな。 だがな、何度も言うが、俺には忌むべき契約が――」 「契約? そんな野暮なモンではない」 「契約では無い? なら、何だと言うのかね」 切り替えが早いのか、単純に戦闘馬鹿なのか。ベレスはつい今までの、そして今なお続く死闘の最中にいる事を忘却したかのように、小さく首を傾げ髪を揺らした。 真珠朗の、喉が鳴った。 「これは『愛の告白』じゃよ」 「―――」 あいの、こくはく? 思わず言葉を失ったベレスを意にも介さず、真珠朗は続ける。 「我ら紅涙。暴虐にして暴食の一族よ。欲しいモノは必ず手に入れる。そこに惜しむモノなど何もない」 命などくれてやる。魂など持って行け。だがヌシだけは我が物にしてみせようぞ。 ……それはどれだけ直球な告白なのだろう。男女の仲を取り持つという伝承を有するベレスがその類に鈍いというのは笑い話だが、そんなベレスにも全てが理解された。言っている事は理解されたが、その他全てが理解できなかった。 何故、そんな事を今言う? お前、正気か? そういった言葉が巡っては、ベレスは言うのを止めた。 少なくとも、その女の目は、『本気』だったからだ。 「その賭けとやらには、乗れぬな」 「何故じゃ」 「釣り合って居らぬ。お前らは十人で俺に楯突いた。だから、俺がお前ら十人のモノになり、そして、お前ら十人の魂を差し出すというのなら、釣り合う。 しかし、その、そもそも、だ。 ……だから、なんだ、俺を、どうこうしたいのなら、まずは≪あの男≫を倒してみよ」 ベレスの主はキースだ。キースとて『人間』には違いまい。詰まる所、ベレスが人間に傅く事自体は有り得ない事では無い。そして筋を通すのなら、まずはその主を通せ、という事であった。 「俺相手にこの様ではよもや不可能であろうが、≪あの男≫を破ってみせよ。 その上で、一体一で俺を破って見せよ。 そうしたら―――」 お前でも誰でも良い。この身の全て、捧げてやっても良い。 ベレスの言には一理ある。確かに真珠朗の出した条件は釣り合っていない。だから真珠朗は目を細め、鼻で笑った。一筋縄でいかないことは、最初から判りきっている。 「わかった。だがヌシの道徳観には興味なんぞない。言ったじゃろ。『欲しいモノは必ず手に入れる』。さぁ、ヤろうかの。狂乱王。ヌシが頭を縦にしか振れん様に、してやる。 簡単に喰われてくれるなよ? ――『恋』とは過程を楽しむモノであるからの」 ……がしがしとベレスは頭を掻く。狂乱姫と認めた筈のケモノに恋だとか愛だとか言われることの言いようの無い違和感がベレスを駆け廻って、 「か、勘違いするな!」 目をぐるぐるとさせた彼は、遂にやっぱり『彼らしく』激怒する。 「俺はボトムが≪大嫌い≫(大好き)だ、人間が≪大嫌い≫(大好き)だ。 それはお前らが弱いからだ。お前らが庇護してやらねば生きていけぬ小さな存在だからだ。お前らが力なき存在だから目をかけてやろうかと思っただけの事。勘違いされては困るぞ――!」 ● ベレスは動揺していた。それは事実だった。 最後の猫が、臣に斬り伏せられた。これで、ベレスを護るための盾は全て消えた。 猫の演奏はリベリスタらを錯乱させる。綱渡りの状況を続けているリベリスタらにとって、彩歌にとってそれは常々無視できぬ許容しきれぬリスクであった。実際、何度かリベリスタがその異常に陥った。そして、そのリスクは消え去った。 リリがトリガーを引いて、ベレスがカレドヴルフを薙いだ。サマエルがベレスへと肉薄する。 「僕は、貴方に期待してる」 混乱のリスクが消えるだけでない。猫の楽団員達の演奏はベレスを強化していた。そのアドバンテージは、この時点で失せた。しかし、常に二連、三蓮の攻撃を己の激怒、そして人間への尺度に起因して有するベレスの熾烈さは、決して色褪せない。 ベレスがカレドヴルフを薙ぐ。ぎんと凄まじい衝突音が響いてユーディス、劫が暴力的に殴られ、次いでカレドヴルフが暴れ狂い、夏栖斗と真珠朗を吹き飛ばした。 小梢とサマエル、臣が取り囲むようにベレスを抑える。 「俺は≪期待しておらぬ≫(大きく期待している)がな!」 轟とベレスの口から火の粉が漏れ出た。 サマエルは有り難く思う。言葉が通じる事に。話が通じる事に。 言葉を交わせるから、思いを空気の振動に変えられるから。 だから。挑むよ。僕の。全部で――。 「七十二柱、第十三序列、王、ベレス。きみの署名を省く」 コレは宣言。大仰な剣を愛でるあなたへの。 サマエルの脚撃がベレスを襲う。その一撃は現実を越える。ベレスの姿がこの世の蜃気楼だと云うのなら、サマエルのそれも悪夢めいた幻影。 その一撃はベレスを蝕むが、彼の顔は眉一つ動かない。 むしろ返す刀、臣へとカレドヴルフを突き刺す――― 「いやはや全くもってめんどくさい」 その臣へと向かった斬撃を庇うように往なしたのは、小梢。この期に及んで、彼女は変わっていない。最上位の耐久性を誇りながら、その気怠そうな瞳は、ただ其処にありもしない思考の中のスパイスを見ている。ベレスをあまり見ていない。 ベレスには、それがなんだか気に入らなかった。気に入らない事づくしの中で、それでも気に入らない。 再度突き出すように鋭い一振り。小梢の脇腹が掠り、赤く滲んだ。連続して一振り。次はその巨大な皿で受け流す。なめんなよ、これで二杯までいけるんだぜ! 「礼はとらんけどカレーをとるよ、私。美味しいよね、もぐもぐ。 ……私はゆったりしながら優雅にカレーとか食べていたのよ。だから」 「―――面妖な」 その戦闘形態をベレスは知らない。なんだその≪盾≫(皿)は、なんだその眼は、―――なんだかれーとは……! 「早く帰って頂戴、ていうか、負けろ」 姫路の発電所が壊れると困るんですよ、ほら周りの工場とか、。ベレなんとかよ。 強靭なガードの下に―――臣が躍り出る。 アーサー・ペンドラゴンの剣、カレドヴルフ。 竜の因子を持ち、人々の戦闘で戦った彼には、少しの親近感と多大な尊敬の念を持つ。 其れが真に彼の『英雄王の剣』と一致するかは定かでは無い。しかし、しかしだ。 その名を冠する、その剣を貴様が使うべきではない―――! 「それはこの世界に正義はあるのだと――、希望はあるのだと人々に示すものだ」 剣士の才には恵まれなかった。リベリスタの家系に生れ落ちた臣に、世界は試練を与えた。 体得した剣技はただ一つ。防御術に至っては駆け出しリベリスタと大差無い。 ベレスは迫りくるその臣の姿を視界に収めた。 「正義。随分と埃を被った言葉だ。『拠り所』が無ければ、剣が振れぬのかね?」 臣の一刀とベレスの一刀との鍔迫り合いは最早爆発に近い。余りの衝突エネルギー差が閃光を産み、赤く散る。臣の腕が震える。力と力の均衡は、長くは持たない。 「『拠り所』では無い。正義は蜂須賀の『全て』だ」 臣が顔を歪める。根負けしたのは彼の方だった。 ―――ブロックが外れ、ベレスが突然、飛んだ。 黄金色のマントが翻り、彼の跳躍は夕焼けに良く映えた。 「晦様!」 リリが声を上げる。彼女の眼は優れた直感で、そのベレスの姿を収めていた。烏は「ほいさ」と軽く頷いた。 空中で前転しながら、ベレスは後衛陣の所まで一足で飛び込んだ。滞空する彼を狙い定めた烏の魔弾は彼を掠ったが、ベレスは気に留めていない。 その着地は、羽が舞い降りるかのように静かで、そして、その瞬間に、 烏、リリ、彩歌が三方向からベレスを捉えた。 最適解、神殺しの魔弾、超精緻射撃、その全てが彼を……。 「―――はん」 分かっている。だから飛んだのだ。 三者が同時に撃ちつけるとほぼ同時にベレスは再度上へ飛ぶ。其のままの流れで、ベレスがカレドヴルフを振るうと、大気が振動した。振動して、共振して、攻撃が躱された事に気づいた三者を刻んだ。 「く……っ!」 運命を燃やす。立ち上がる。ベレスはその姿を認める。 だが、立ち上がった彩歌に見えたベレスの姿も、また、薄汚れていた。高貴さの欠片も無く。泥に塗れた狂乱王の姿だった。 「……ある意味、王の鑑かしら」 しかし、正義の定義と同様に、王の定義も見かけ以上に難しい。その呟きが聴こえた訳では無いが、ベレスはふと彩歌を認めた。 「女、お前は聡い顔をしているな」 「それは、褒められていると思って良いの?」 「無論。俺より聡いだろうことは、見れば判る。だが女、それがお前の本気なのは理解できるが、止めておけ」 「……何を?」 「俺の古傷だとかカレドヴルフの『二つ目』を狙う事だよ。断言する。其処は俺の弱点なんぞじゃねえ。三角帽の男、それに指環の女、お前らもだ。 俺の傷なんぞを狙うな。俺の剣なんぞを狙うな。『俺』を狙え。 其処を狙う為にお前らの動きが鈍くなっている。俺にはそれが我慢ならん」 「それは、本当は弱点だから、狙ってほしくない、とも取れる文脈ね」 「減らず口を。 逆に言えば、俺の総てが、俺の弱点だ。嘘では無い。其の必要が無い。 ―――『お前らに其れを教えてやる位は、許容出来るリスクだという事』だ」 その言葉に彩歌は内心苦笑した。そう、この魔神は、こういう性格か……。 ベレスは言い終わるや否や素早く背後へと振り向く。はためいたマントの風切り音の後に、刃と刃の交わる音が響いた。 「英雄王の剣だか何だか知らないが……」 劫の剣戟。早い、とベレスが感じる。この終盤に差し掛かった時点での、この速度。 弾けて再度刃が交わる。ベレス、劫が共に連撃を繰り出した結果の相殺だった。 「そんな物はオマケで、狙うはあんたの首だけだ!」 「む……」 劫の青い瞳がベレスの蒼い瞳を嗤う。 今まで一方的にリベリスタ押してきたベレスの剣だが、その時、確かに彼と劫は互いに等しく弾けた。 拮抗し始めている。夏栖斗はそう感じた。なら惜しむ力など無い。 劫と距離を取ったベレスへと夏栖斗とユーディスが間髪入れず攻めた。 「君、ホント良い性格してるよ!」 一切の手加減無しに紅いトンファーをベレスへと打ち込む。強気に楽しげな夏栖斗のその苛烈な数撃をカレドヴルフを巧みに操り受け切ったベレスは、 「―――」 迫りくるユーディスの、見慣れた槍先だけは、もう遣り過ごし様が、無かった。 「これで―――どうですか……っ!」 「ぬ、お……!」 丁度、夏栖斗とベレスの間。その僅かな空間を、極限まで低く腰を落とした出鱈目な体勢から、しかし、精確無比な一槍がベレスの胸をその射程へと捉えた。 ユーディスが踏み込む。ベレスが動いた。槍先は、有無を言わさずベレスの肉体へ―― ぐしゃり、と血肉が抉れる感覚。ユーディスのブリューナクが、 「まだ……だ!」 「まだじゃ!」 ベレスが叫ぶのと真珠朗が叫ぶのは同時だった。ユーディスの槍はベレスの胸部を捉え損ねた。ベレスが、その死に体の左腕を犠牲にしたからだ。ユーディスの振るうブリューナクは、その代わり、ベレスの左腕を二の腕から先すべて『持って』行った。 まだやれる。そう言ったベレスと。 今度は落とす。そう言った真珠郎。 ベレスの汚く千切れた左肩からは夥しい量の血液が噴出するが、彼は気にも留めない。 ここは死線。漸くリベリスタ達が本気を見せた死線。 油断など出来ぬ。視線は逸らさぬ。気を抜けば屠られる。だが、それがいい。 愛する者を愛するが故に斬ろうする境地。そしてそれが成立するが故の愛ならば。 真珠朗の太刀が混凝土の地面を撫ぜる。そのまま――下段から振り上げるようにベレスの頭を狙う。 「踊れ。踊れ。狂乱王」 欲しい、欲しい、ヌシが欲しいと欲情の太刀筋がベレスを襲う。ベレスも負けじと跳ね返す。 「永遠などはありはしない。余所見をしておる暇など無いぞ」 我だけを見よ。我だけの物でなければ――― 「逃してしまえば、我のような女はそうおらん!」 ベレスが咆哮した。直上から叩き潰すための超重量。カレドヴルフは呼応する様に嘶き、真上から真珠朗へと振り下され。 ―――意味が無い! 真珠朗の受けた達が跳ね腕が斬られた。だがそのまま殺人狂のナイフをベレスへと突き刺す。 「ぐ……あ……あああっ……!」 当たればまぐれ、当たられねば仕様が無い。一か八かの、捨て身の、純愛の一撃は前者を満たした。ベレスの右目を、そのナイフが抉っていた。 ● リリが走った。 ベレスは真実を話したであろう。魔神を信用するなど、リベリスタとしては言語道断だが、この場で虚偽を騙る程度の安い男では無いということは、フィンランドでの戦いから理解している。 彼は狙え、と言った。 他の何処でも無く。 この『俺』を狙え、と言った。 なればやるべき事は一つ。この弾丸は何時も祈りを体現し全てを貫いてきた。 法衣を揺らすリリの事を、ベレスは『指環の女』と言った。今回、多くのリベリスタがその『銀の指環』を嵌めている事を、ベレスは初見で気が付いていた。槍をくれてやったユーディス同様に、忌々しくも、礼の取り方を知った女。 だからベレスにとってリリは『指環の女』。 「調子が上がって来たなぁ……!」 左腕を喪い、右目を失ったベレスの表情は喜々として不機嫌。その振るうカレドヴルフの凶悪さはむしろ増す一方。お互い真面な回復手を持たぬ点では共通。倒れるか、立っているか。それが全て。 ベレスが肉薄していた夏栖斗を斬った。ユーディスを斬った。サマエルと臣が続けざま体に鞭を入れる。 そして、 「もう、おじさんも流石にリソース切れでな。いやはや、面目無い。 だがまあ……、目潰しするくらいの余力なら、あるってんでな」 烏が打ち上げた弾丸が炸裂する。ベレスは、生きている左目でそれを――直視してしまった。 ―――リリは、足を止めて、二丁拳銃を眼前に突き出した。 射線にはベレスただ一人。目潰しとて、彼は直ぐに復帰するであろう。 「この『神殺しの魔弾』、今の私が何処まで貴方に通ずるか、興味があるのです。 受け取って……頂けますね?」 だから、たった一秒で構わない。 目を閉じよ。影響ない。其れは、無数に繰り返してきた動作。ただ祈れ。さすれば与えられん。 「勝利の為、仲間の為、私の為―――、Amen」 トリガーが生温かった。指から出血していた。気が付いていなかった。 ただ無心で祈った。祈る事だけは、何時だって自分を裏切らないから――。 音が消えた。時が止まった。 ベレスには辛うじて見えた。リリの魔弾の一刺しが。 見えたが――反応できなかった。 サマエルの眼前で、ベレスの頭が爆ぜた。 「―――」 これは、痛いだろうな。他人事の様に感じながら、サマエルの顔をぴしゃとベレスの血液が赤く染めた。思わずサマエルは眉を顰める。 それが何処か他人事の様に感じた、というのは、多分…… 「――今のは、効いた」 それで彼が倒れるのだとは、思えなかったから……かもしれない。 サマエルの頬はべたりと紅いが、ベレスに至っては深青色の髪すらが血赤色に、そして、酸化されてくすんだ赤色へと染まりきっていた。顔も全て朱色に彩られ、その姿は、流石に異様だった。 「それ、王様のすることじゃないよ」 サマエルにはベレスが、≪剣≫(カレドヴルフ)にしがみ付く赤子の様に見えた。其れは王の剣、の筈。 「だったら、其れは貴方の所有物で。貴方が所有物じゃない」 糾弾する。かと言って、サマエルも、実際は立っているのがやっとだ。もう既に一度運命を燃やしている。次倒れれば、ドラマを期待するか、もしくはベレスとの別れか、どちらかになる。 だとしても。そうだとしても、サマエルには我慢出来ない。倒れてでも。其のボトム被れ思える根性を、叩き直す。 「ふ―――」 ベレスは深く息を吐いた。ちりちりと火の粉が漏れる。この戦いで初めて見せる、何処か穏やかな瞳は、サマエルを覗いた。 「俺に、どうして欲しいのだね?」 「僕は、王様は王様らしくいて欲しいんだ」 ―――書き留めるのも、記載者の役目だから。 「……ふん。お前と、あのかれー女は、良く分からん」 少し離れて「うん? わたしのこと?」と小梢が眠たそうに訊くとベレスはこくりと頷いた。 「あー。痛てぇ」 ベレスが左目を細める。沈み逝く陽の光が、目に染みた。軽く頬を掻いた。今日も、あの姿は変わらない。 ● 「ラスト一発だ」 とベレスが言った。臣が眉を顰める。 「俺はあと一度だけ、お前らを斬る。それで終わりだ」 「魔神如きが、逃げる心算か?」 「違う。死ぬ心算だよ」 尤も、此処で死んでも『俺』が消える訳じゃないがな、とベレスは付け足した。 「『おこ』の小僧、お前らは言ったな? 本意気で戦う事こそが俺への礼節。故に、礼は取らぬと」 「ああ、言ったよ、ベレス」 夏栖斗が頷く。 ――どうして、夕日は、何時も切ないのだろう。 「言ったな? 指環の女、それに三角帽の男――否、『晦』よ」 「はい。『狂乱王』」 「ああ。言ったよ」 リリと烏が頷く。 ――夕暮れは何時も、別れを連れてくる。 「俺を打ち破る事こそが礼儀だと。お前は、『約束』を覚えていたな、ブリューナクの女?」 「ええ。確かに」 ユーディスが頷く。 ――だが燃えるようなこの激怒の色は、嫌いじゃなかった。 「ならば。この因果、斬って見せよ、狂乱姫」 ベレスは高々と掲げた。カレドヴルフを。 「この一撃こそが全て。今までの総ては前座に過ぎぬ。 決めるぞ。どちらが正しかったか……」 オ―――――――――――――――ン。 遠吠えが聴こえる。 唸り声が聞こえる。 地響きが聴こえる。 ベレスの口から、カレドヴルフの刀身から、聴こえる。 「なあ、『アークのリベリスタ』!」 ベレスがカレドヴルフを薙いだ。 同時に、リベリスタ達が己の腕を振るった。 彩歌が気糸を放つ。精緻に精緻を重ね、ただ彼を貫くために。 烏が、リリがトリガーを引く。互いにリソース切れだから通常弾、しかし、それは想いを込めて。 サマエルが蹴り穿つ。ぼろぼろの身体に鞭打って、けれど、極めてしなやかに。 夏栖斗が飛翔する。鮮血の闘撃は、決意を込めて艶やかに。 真珠朗が抜刀する。愛せと。自分を愛せとただ求めて。 小梢が受ける。胡乱に。気怠げに。カレー皿を抱えて。 ユーディスが掲げる。ブリューナクを捧げて。貫き焼き尽くす為に。 皆の攻撃が、≪第三聖典≫(カレドヴルフ)を削ぐ。 二度同じ技は、喰らわぬ。 ―――永遠が無いのなら、この時を圧縮し、その刹那を駆け抜けよう。 確かにこの夕焼けは刹那色。たった瞬刻の色。一瞬の哀楽。だから保存せよ。 「日常よ、止まれ」 劫が疾る。何よりも早く。時間よりも早く。 「俺は誰よりも―――君を愛している!」 王様だろうが、バロックナイツだろうが お前達が俺の日常を壊すなら断頭台に送ってやる……! 交錯した。英雄王の剣と処刑人の剣の剣が。 それだけ負傷して、まだそれだけ動けるか。 ベレスの手からカレドヴルフが弾け堕ちた。 最後、残るは最年少の、されど、最大火力の臣。 ――この一撃だけは……、相手が魔神であろうと上回ってみせる。 ベレスは既にカレドヴルフを失った。だがそれで無力に成る程落ちぶれてはいない。 残った右腕に火炎を纏わらせ。ベレスは――にぃ、と口の端を歪めた。 「目に焼き付けよ狂乱王! これが、僕の『正義』だ!!」 「小僧の分際がぁ!」 「ぐ、ガ、ァァァアアア!!!」 地面を踏みしめる。 全身の膂力を振り絞った。 「チェストォォオオオ!!!」 横一線の暴力的な剣筋。 それを受け切るには。 余りに――余りにベレスの右腕は、脆く。 斬、と。 ベレスの腕は、彼の腹部ごと叩き斬り落とされた。 ごとん、とベレスが膝をつく。 かは、と口から多量の血液が漏れた。 ぜ、は、と荒い呼吸の中、そのまま彼は地面へと無様に体を横たえ、 「見事な礼節だった」 と一言、嬉しそうに呟いた。 ● 夕焼けに照らされ、ベレスの傷だらけの身体は消えゆく。 ―――その姿を陽炎と言ったのは、彼自身だったか。 「本当に『あの剣』なら、それをカレドヴルフと呼ぶ事実……。 王は、何故その剣を、その名で呼ぶのか」 今広く知られる≪英雄王の剣名≫(エクスカリバー)は、王の名共々イングランドにおける名でしかない。 そして『カレドヴルフ』は王の出自たるウェールズでの名。 同様に持ち主たる王の名は『アルスル』と云う。 『狂乱王』が古より知られる魔神ベレスそのものならば……。 「随分と博識なものだな。だが深く考えずとも良い。お前にくれてやったブリューナクは、ブリューナクであってブリューナクでない。『第三聖典カレドヴルフ』は王の剣。ただそれだけ。『天使だった時』に色々と因果があっただけのこと。『聡い女』、お前も同じだ。邪推が顔に書いてあるぞ。 天使だった時の事を知りたそうな顔をしてるな? ふん、話すもんか。 そっちの『指環の女』も前に気にしていたが――恥ずかしゅうて堪らんからな」 上手くはぐらかされた様な気もするが、時間も長くない。ユーディス、彩歌、リリはそれ以上の追及を止めた。 「魔神如きに不相応な剣だ。剥ぎ取ってやるべきなのだろうが、 ……この身が世界に希望を与えるに足る存在になったならば、改めて貴様を打倒し、己の力を持ってして貰い受けよう」 どくどくと血を流す臣は不服そうにそう付け加えた。ベレスは「痴れ者が」と力なく笑った。 「また、やりあいたければおいでよ。但し。人は殺さないって約束でな。 そんで、今度はちゃんと≪僕ら≫(アーク)を直接指名してね!」 本当は指環の一つでも渡してやりたかったが、腕が無いのでは嫌味か。と夏栖斗は考え直す。ああ、そういや、猫の演奏もちゃんと聴けてなかったな――。 無垢に微笑んだ夏栖斗の顔は、≪嫌いだった≫(嫌いじゃなかった)。ベレスはもう満足に開かぬ左目をそれでも開けた。もう少しその顔を、見ておきたかった。 「殺さぬ保証など出来るモノか。俺は魔神だぞ。勘違いするなよ。 ≪猫の楽団員≫(あいつら)の曲は、まあ、俺が言うのもなんだが中々良い。小僧にしては、センスがいいな。また聴かせてやる。 ―――所で、おい、かれーの女」 「うん?」 あーつかれた。はやく帰ってカレー食べたい。と既にだらりと溶けている小梢が顔を上げた。 「なんだまだ絡まれるのか」 「俺は、かれーとやらが食べてみたい」 「だからなに?」 「次来るときは用意しておけ。お前に限り、それで最上の礼儀を取った事にしてやってよいぞ」 「めんどくさいからいや。ていうかもう来るな」 再びだらんと蕩けた小梢に、ベレスは「ふん」と鼻を鳴らした。可愛げの無い奴め。 ……夕暮れの風に乗って、ベレスの身体が薄れていく。存在も、怒気も。全てが消えゆく。 その変わり果てた姿に、烏は火の点かぬ煙草を咥えながら歩み寄る。 「臣下の礼は取れないがね、全力で殴りあった戦いが終われば即ちダチだろ」 「ん?」 「身分も『世界』も関係なくな。 縁があればまた会おうぜ、異界の友よ」 その言葉に、ベレスはかか、と笑った。 「会えるさ。何時かな。お前らが望まずとも。≪あの男≫が死のうとも。 人間は願ってしまう。欲望に塗れ。薄汚い幸福を求め。 俺は魔神ベレス。堕天した激怒の狂乱王。 次会う時は――その時こそ、殺してやる」 そして、俺をまた殺せ。ベレスは劫の方へ顔を向けた。目は既に開いていない。 俺は変わらぬ。王らしからぬ俺は何時だって王らしからぬ。書き留めておく必要は無い。この姿をそのまま刻印しろ。それで十分だ、とサマエルへと顔を向けた。既に胸から上しか残っていない。 ベレスは微笑みながら鼻を鳴らした。 弱々しく――何処までも人間臭い。 「逃げる心算かえ、≪狂乱王≫(卑怯者)」 もう視界が無い。だがベレスは雰囲気で分かった。 真珠朗は、ベレスを見下ろす様に腕を組んでいた。 もう声が出ない。ベレスは口元だけを緩めた。 「ヌシが如何にケチをつけようが、我が立ち、ヌシが倒れた。ヌシの負けじゃ。 じゃから、頂いてゆくぞ」 カレドヴルフは、既に失せた。ならば、何を――。 残るベレスの唇に、真珠朗のそれが重なる。 『もえ』か。それだけは、分からなかったな。それとも、これが『もえ』なのか? そして、消えた。麗しき魔神は消えた。全て、消えた。 刹那色に満たされたその場で、ただ、 ベレスの体温だけは、真珠朗に幽かに残っていた。 特殊結界も消え失せ、支援のリベリスタが姫路第二発電所へと、十名の戦士達へと駆け寄る。 傍迷惑な喧嘩は、ここに終焉を迎えた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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