●紫色の空は堪らなく寂しいので 疲れたあとの説教というやつは、存外に効くものだ。 過ぎたことにうだうだとダウナーになるほど欝じみた性格はしていないつもりだが、やはり胸中を渦巻くものは感じている。 自分は、説教の後に嫌味を言うような上司にはなるまい。そう誓うものの、果たして後輩から見た自分はそうあれているのだろうか。 残業を終えて、タイムカードを切って、一日の束縛から解放されたというのに、そんなことばかり考えている。いや、それが正しいのかもしれないが、不健康では有るなと思考を切り替えることにした。 都内であっても、ビル外から離れれば喧騒は止む。ここ何日かは、気温が落ち着いて過ごしやすい。まだクールビズの期間内ではあるものの、一応と持ってきていた上着に少しだけ助けられている。 嫌な風が、首筋を撫でた。気持ちの悪いものを感じながら、少しだけ帰路を急いだ。パンプスの踵とアスファルトの奏でるリズムが変調する。 と。 電灯の下に誰かがいた。最近野犬が出るだなんて話もあって、少し警戒はしたのだが。そのシルエットは人間のものだ。小柄。女性的。それだけで少し安心する。犬も暴漢も、自分にとっては大差ない。犬の方がマシだろうか。 近づくに連れて、人影の顔が顕になった。ここで化け物であったなら、ありがちなホラームービーのようだなんて感想を胸中でこぼす。安心感が増す。それに、なかなか見目が良い。現金なもので、分かっているのに美人は悪党ではないと心の何処かで思ってしまう。彼女の行動を見るまでは、であったが。 がつんと鈍い音がして。 痛いです、と彼女は言った。 それは、そうなのだろうと思う。だけれども、それを口にすることはできなかった。ひどく、憚られた。だって、そうだろう。 自分でたった今、壁にためらいもなく頭部を打ち付け、陥没するほどにひしゃげさせたこの女に、どうして何を言えようか。 痛いです。そう言うクセに、彼女は動きを止めない。鈍い音。潰れる音。その度に赤いものが飛ぶ。自分の顔にかかる。理解が出来ない。頭蓋とはあんなにもひしゃげるものなのだろうか。思考がそれている。君子危うきにと言うように、自分はここから逃げるべきなのだろうに。何度も。何度も。ああまでなって、脳は問題ないのだろうか。もしくはとうに潰れてしまって、だからこそこのような奇行にしか移れないのか。 わからない。わからない。脳が理解を拒否する中で、不意に彼女が振り向いた。思わず、口元を抑えてしまう。なまじ美しい顔立ちをしていたろうそれは、赤にまみれ、頭部を歪にひしゃげさせ、片方の眼球が糸を垂らしてぶら下がっている。 ソンビ映画を思い出してしまった。何時見たものだったか忘れたが、探索中の主人公が声をかけて、振り向いた時の動く死体がこんな顔だった気がする。 ゾンビパニックに自分が立たされたら。暇つぶしと現実逃避の余興に、そんな妄想をふけらせたことは数知れない。しかし、現実にそのような事態に陥れば、そのような予行演習など何の意味もないのだろう。まさに自分が今そうなのだから。 痛いですね、と彼女は言う。 どうして同意を求めるのか。首をひねろうとして、視界がぶれた。おかしい。おかしい。赤い。赤い。 何かが垂れ下がった気がして、思わず手を伸ばした。途端に走る激痛で思わず握った手を離す。見れば、嫌だ、見れない、見てはならない。痛い。痛い。自分の察しの良さに後悔する。こうなってでも思考力というものは衰えないのだなと、また関係のないことを心の何処かで考えていた。ひしゃげた頭で、眼球を糸引いて垂れ流しながら、そんなことを考えていた。 理解すれば、立ってなどいられない。高熱を認識してはじめて体調不良を訴える子供のように。今や彼女と同じ顔をしているだろう自分は、アスファルトに膝をついた。その勢いで眼窩から垂れた糸が切れる。その先についたものを残った片目で探していた。どこだろう。どこにいったのだろう。俺の。僕の。私の。 転がっていく先を視線で追う。それは彼女に拾い上げられた。先ほどまでの大怪我はなくなっている。嗚呼、自分は彼女と同じではなくなってしまった。 痛いですね。そう言って、彼女は私の目玉を口に含み、奥歯で噛み砕く。 そうですね。やはり場違いなことを思いながら、意識は暗闇に沈んでいく。 そこから先を語ることは出来ない。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:yakigote | ||||
■難易度:NORMAL | ■ リクエストシナリオ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年09月20日(土)22:27 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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●昼間に眺めた月の模様 痛みとともに生きてきました。産声も、第一声も、起源も、痛みで出来ていました。痛みによって生まれ出で、痛みによって与えられてきたのです。 時々、思い出したかのようにかすかな蒸し暑さを感じる、そんな夜。自然相手に手前勝手な話ではあるが、何も過ごしにくい方に戻らなくてもいいのではないかと思う。せっかく、今年の秋は早いものだと喜んでいたというのに。しかしまあ、そうだ。怪談を語るには、ちょうど良いのかもしれない。この残暑の中で。少し、涼しくなるとしよう。 興味をもつということを知識欲だと言い換えたならば、情がないと指差されるだろうか。ひとであることを保てなかった、人間の成れの果て。痛みを訴え続けている彼女。痛みを分け与えている彼女。好奇心は量子学の指摘を説くまでもないそうだが、『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)の場合は果たしてカウントされるのだろうか。 「貴女はどんな人ですか? どんな人間だったかは別に良いです。今の貴女を教えて下さいな」 「なんやまた、えらい不気味で面倒なんが現れとるな」 剣呑剣呑と、『十三代目紅椿』依代 椿(BNE000728)。市井では震え上がり、夜も眠れなくなりそうな怪奇も、熟練のリベリスタからすればこの程度のものなのだろう。恐ろしいという感情は、死を内包するものなのだから。 「良い感じの都市伝説とかになりそうなアレやけど……まぁ、放っとくわけにいかへんわ。被害者が増える前にさっさとお掃除してこよか」 「奇妙な生き物だな」 『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)は感想をこぼす。いやなに、いつだって奇妙不可思議でない生き物があったわけではないのだが。 「意志無く意味無く道理無く。いや、何かはあるのか? 有ってもなくても同じ事だが」 過程に意味はなく、思惑には価値がない。敵対するという概念上において、必要なのは結果である。単に、どちらかが失われるというだけの。全てを打ち砕いてしまうというだけの。 「そうですね、と言った所で止める訳じゃないでしょうに」 変わった手合だと、『星辰セレマ』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)。痛みを感じた上での発現なのか。それとも、そんなものは最初から感じていない出任せなのか。 「……ま、考えるだけ無駄かしら」 理解できない、ということを穴埋めしていくほどの余暇はない。心とは矛盾を孕み、唯一的なルールによって構成されているのだから。 「あまり他人を怖がらせるものじゃあないわ」 生ぬるい風が、汗ばんだ肌には心地いい。手元の電子地図に目を落とす。衛星探知により、盤上の自分の位置が光っている。視線を戻した。機械が言うにはあと少しとのことだが、肉眼では、永遠と続く闇にも思われた。 ●世界が橙色に輝く時間 母は私に痛みを与えました。母は私に痛みを与える度に、私のためであるのだと言いました。痛みとは愛情であるのだと、この時に覚えました。 ぼんやりと照らされた光の中に、女の影がひとつ見えた。 見た目は普通の人間と変わらない。なるほど、件の某が美人だと形容したのも頷ける。それほどには、整った顔立ちの女だった。 それ故に違和感を覚える。傷ひとつ無い姿で、特に何をするでもなく、そこに立っている。佇んでいる。 敵意は感じない。だが、それを無害だと決めつけられるほど愚かではない。 「痛いです」 多分それが、開戦の合図。 「痛いですね」 彼女は言う。しかし、それをさせないためにここに居るのだから。 ●遠く遠くあの光まで 愛情とは分け与え共有するものなのだと知りました。頭を壁に叩きつけ、骨を折り、爪を剥がしましょう。こんなにも、こんなにも愛情を注いでいる。ねえ、私いい子ですよ。 「……ま、そう都合よく行かないなあしょうがない」 うさぎはがんがんと響く頭を無表情のまま一度振ると、武器を構え狙いを定めた。 能動的な行動には出ないのではないか、と淡い期待を込めてはみたのだが。当然、そううまくはいかないらしい。 ノーフェイス。頭から血を流したノーフェイス。あの傷はこちらが付けたものではなく、アレ自身が自分で負ったものだ。開戦一番、まっさきに己の頭部を壁にたたきつけたのである。痛みが訪れたのはほぼ同時。どれほどの力で打ち付けたのか、この距離でも少し凹んでいるのがわかる。 自分もああなっているのだろう。見えないけれど。嫌だなあと胸中の声が小さく口から溢れていた。 仲間が攻撃したのを確認してから、自分もそちらへとシフトする。肉薄から斬撃まで、瞬きの暇も与えない。乗せる三重苦。自分に矛先が向けばいいと思う。とうに負傷の身でもあるのだから。 痛いですね。 「そうですねえ確かに痛いです。この脇腹の何て、浅いのが逆にジクジク来ません?」 なるほど、自分の攻撃はこんな痛みを伴うのか。新発見。 痛いですね。 「私ってば今リアルに人の痛みを知っちゃってますよ。何この超ダイレクト道徳授業。貴女教師とか向いてません?」 余裕を持って準備する時間などないとわかると、椿もまた攻撃を開始する。受けたダメージと同等のそれを、選んだ相手に押し付ける能力。成る程、厄介では有ると思うがそれ以上に見ていて気分の良いものではなかった。 与えられる攻撃を避ける素振りも見せずにその身で受け、また自身も自傷行為を繰り返している。こちらにも痛打を与えることはできようが、あれでは自分のほうが消耗するだろうに。 焼けつくような痛みを腹部に感じ、一瞬だけ硬直する。戦闘に支障をきたすようなものではなかったが、見れば開いた傷口の、奥がじくじくと痛む。 嗚呼、自分の怪我に自分の手を。想像するだけで痛い。それをこの身で受けているのだから余計にだ。差し入れ、ひねり、指でほじくり。ぐりぐり、ぐりぐりと。 奥歯が嫌な音を立てるほど噛み締めた。そうでもしなければ、叫びだしていただろう。懸命にこらえ、その手に向けて呪詛の弾丸を放つ。 傷口を広げるその腕がはじけ飛んだ。同時、フィードバックされた痛みにぎょっとして自身の腕を見るが、欠損まではコピーされないらしい。 「自傷癖のある迷惑女やけど、フェイト失う前からこんなんやったんやろか……やとしたら、業の深い話やわ」 敵が回数限定で無効化できる能力を保持していたらどうするか。 無論、アドバンテージをできるだけ失わない方法で対処するのである。 損失には変わりないが、支払うソースを考えれば結果には天地の差が生まれるのだ。 つまるところ、『てるてる坊主』焦燥院 "Buddha" フツ(BNE001054)の役目とはそれである。 自身の疲労とならず、また確実に相手の能力を削る。所謂『無駄撃ち』をさせるということ。任意タイミングではなく構えたスキルを相手にする場合、非常に有効な戦法と言えた。 呼び出された鴉が、女ノーフェイスの身体に当たる前に消失する。仲間のそれと合わせて二回。そして防御膜のなくなったところに仲間の大技を叩きこむのである。 いい加減、目障りと感じたか。仲間の放った一撃によるフィードバックがこちらに矛先を向けてきた。右親指から中指までの三指があらぬ方向へとひしゃげる。激痛を伴うが、それにかまけて戦闘不能になどなっている暇はない。左手で無理矢理に握りこみ、形を正す。 さて、自分も同じような能力を持っているため、ノーフェイスの様子を確認するが、反応がない。微細なダメージ故に相手の反射が働いていないのか、それとこのダメージでは自分の能力が起動していないのか。 見やれば、自分は無理に戻したというのに、女の指はいつの間にか綺麗な形になっている。回復、ではないだろう。恐らくは、体裁を整えただけだ。自分の行動を疑わない。続き、また式を詠む。 「ミミルノだってちょうやくにたつのだっ」 『くまびすはさぽけいっ!!』テテロ ミミルノ(BNE003881)は敵能力の考察を開始する。 反射、という能力について。 明確な攻撃としてダメージがコピーされる以上、なんらかの攻撃手段としてカテゴライズされるはずである。その種別を見分ける為に、ミミルノは自身へとスキルによる防護膜を展開する。 敵の攻撃をその身に受けねば、この防護の成否を確認できないのが怖いところだが。故に彼女は、敵の前にその幼い身を晒し、ごきゃりと。 大腿骨が折れ曲がり、顎骨が砕かれ、左の眼球が潰れた。 自分の身に何が起きたのか、それを瞬時には理解できない。自分がアスファルトに倒れ伏していることも、この身が今如何に歪に捻くれ曲がっているのかも、理解できない。ただ、この刹那後に襲い来るであろう激痛を予感した時には、自分の未来を消費する術を選び、その身に起こる最悪の不幸を払いのけていた。 転がり(それだって酷く痛い)距離を放して治癒術式を展開する。あれだけの負傷であったことが不幸中の幸いであったのか、敵にまで回復の効果は及ばなかったようだが。それでも、呪いじみた類を打ち払わせる助力にはなってしまったようだ。 今だ尾を引く痛みを押し込め、立ち上がる。支払った代償は大きい。しかし同時に考察は完了している。女ノーフェイスの反射。その本質。ミミルノは自己体験による結果を仲間へと口伝する。 なまじ、人と似ているから。 人間だと思うから、考えてしまう。予測してしまう。惑わされてしまう。これを人間だなどと思うから。 ユーヌは感覚を研ぎ澄ます。何も、不可解な相手というのが初めてなわけではない。そして、大概の意志ある某かはカテゴライズは可能でもパターン構築は不可能である。 心理的な読み合いも、完全な行動予測も。せめて、同じヒトでなければ叶わない。 「意外と大したことないな。まねが取り柄のようだが、唯一の取り柄もその程度か?」 目の前の女と同じように、肩の抉れた自分。その痛み、それを何でもないというように涼しく返す。受けてもいない一撃を結果だけ残される感覚。慣れはしないものだが、覚悟はできるのだろう。 「精彩を欠いた動きだな。直接的な痛み以外には存外に鈍いのか? うすのろならばそのまま勝手に崩れて消えろ」 呪詛めいた術式の数々。まとわりつき、停滞させ、足を引っ掛け、杭を打つ。 痛いですね。 あくまで、化け物は繰り返す。こんな風に話しかけておいて。きっと聞いてはいないのだろう。騙すつもりもないのだろうが。 「その様では不平も不服も解らないな。まぁ、理解する気は無いが。思われず理解もされずに塵も残さず消えていけ」 痛いですね。 「お嬢さん。初対面にはこんばんは、でしょう」 きっと無意味だろうと思いながらも、エレオノーラはノーフェイスに向かい軽口を叩いていた。 痛いですね。 ほらこれだ。いったい、なんの呪文のつもりだろう。 首の肉が一部、削ぎ落とされた。大きな脈でも引っ掻いたのか、出血が激しい。利き手で首を強く抑え、味方による回復を待った。 荒くなる呼吸を、冷たくなる肌を感じている。通常、首を来られれば人間は死ぬ。その常識的な恐怖がエレオノーラの胸中を焼く。だが、顔には出さない。恐れは伝染する。慄きは感染する。そんな醜態を晒すくらいであれば、自分は今すぐこの手を離すだろう。 体温の感覚が戻ってくる。嗚呼、痛かった。とは心の中だけでのため息だ。斬られて、殴られて、平気なわけがない。おくびにも、出してやるものかと思うけれど。 「でも……同意を求めるには演技力が足りないわね」 痛いですね。 何度も繰り返される。感情なんてこもっていない、音だけの言葉。 痛いですね。 繰り返し、繰り返される。そうすれば、許しもらえるのだという信仰のように。 痛いですね。 嘘だと叩きつけてやりたいほどに。 「ちっともまったく痛くないわね。本当に貴方も痛いと思ってないでしょ?」 ●一番星を見つけた もう嫌だ。 終りが近いことはわかっていた。 最後の方はもう、見目を取り繕うことすらできなくなっていたからだ。 あらゆるあらゆるが折れ曲がり、ひしゃげ、抉られ、穴が空き、欠損し、潰れ、血溜まりになっている。血溜まりに、なっている。 ぐしゃりと倒れ、動かない。息はあるのかもしれないが、もう回復も望めまい。このまま、失われていくのだろう。 痛いですね。 それでもまだ繰り返している。まるで祈りのように。懇願のように。 痛いですね。 「化けて出るならオレのところに出ろよ」 被害者らの供養を終えたのか、手を合わせていた聖職者が声をかける。 「痛かったり痛くさせるのがすきなら、オレがいくらでも相手してやるからサ」 そうして、もう振り返ることはない。あれだけ繰り返していたつぶやきも、もう聞こえない。聞こえはしないが、耳には残りそうだと思い、ややうんざりする。 「……暫く、夜中に一人で立ってる女性を見たら身構えちゃいそうね」 そんなことを夜間に想像し、何もない風に身をすくませるのも、恐怖物語の醍醐味なれば。 了。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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