●全てを失った日のこと。 息が苦しい。もうずっと走りっぱなしだった。 父上も母上も皆、僕の眼が可笑しくなってから変わってしまった。 殺される。このままじゃ、殺される。 <そうだ、殺されるぞ、どうする> 「どうするって……父上はとても強い。僕じゃ敵わないっ」 <そんなことあるものか、吾輩が居るのだぞ、敗北などせぬ> ぎょろぎょろと動くその眼球が、異常な色彩に染められている事を、少年は自覚しているだろうか? 何処からか聞こえてくる声と対話しながら、付近に人の気配を感じた。まだ幼いその少年は、敏感にそれを察知し、そして、その変質してしまった両眼は、木陰に隠れたつもりの門弟を明確に認識していた。 <さあ、殺そう!> 「あ……あああ!」 嫌だ、殺したくない、彼の顔を知っている、見たことがある、家で見たことがある、だけど。 ぐしゃりと少年は顔を手のひらで覆った。怖い。その感情が怖い。 「ああ……殺してやりたい……!」 そう思った次の瞬間、身を乗り出した彼は、少年の視線に射殺された。 悲鳴をあげて倒れるその瞬間は、非道く滑稽で。 「ぅ……あ、あああ、……殺したい、殺したい」 <そうだ、ノってきたな少年! あいつらは敵だ、全てを殺そう! そう、吾輩が力を貸してやる> 彼は次から次へと殺していった。その内に、森を抜けた。そこは中規模の家々が密集した住宅街。中央線の無い道路を超えて、ああ、歩いているそれも殺した。 嫌だ、嫌だ、嫌だ。 もっと、殺してやりたい――。 暗転。 着ていた着物がずぶ濡れで重い。視線の先には、少年が好きだった長く艶やかな銀色の髪がある。 「だからお前は死人になるべきだった。そのまま隔離すべきだった――」 父上。そう呟いて伸ばした少年の手を、誰も取らない。 誰も、彼を認めない。 「――許せ」 真っ赤な夜に見たのは、父上の振りかぶる美しい刀身。 直後、それは少年の眼球を貫いた。 ●厭な夢。 ぱちり、と男の瞼が開いた。アンバー色の虹彩が暗闇に逃げて行った悪夢の続きを追い掛けるが、徒労に終わった。 かち、かち、かちと時を刻む音が残響する。はらり、と何かが男の頬を滑った。左頬で純黒の枕を潰す彼の髪は細く、柔らかい。凡そ肩にまで伸びた、男性の平均的な長さよりも長いその髪が、彼の頬を滑っていった。 厭な夢を見た、と男は思った。風貌の割には幼げに見える中性的な顔が、じわりと汗ばんでいる。 十五年前の出来事だ。 日本を大災厄が襲う一か月前の出来事だ。 両眼を失い、家族を失い、家を失い――あの時までは心の奥底に眠っていた『何か』を喪った日の事だ。 「――ああ、そうか。僕も、あの時はまだ」 そこまで零し掛けて、男は口を噤んだ。左耳をべちゃりと枕に押し付けている彼の丁度真反対、寝室の入り口に、彼女が居る事に気が付いたからだ。 途端に、男の表情が曇った。一層深くその真黒い布団を被り直すと、彼は振り返りもせずに声を上げた。 「で、何時まで居る心算? 僕、寝てるんだけど」 は、と小さく返答したのは女の方だ。詰まりは図々しく寝室にまで這入りこんでおきながら、発言の許しを待っていたのだろう。男は拗ねた様な口調で続ける。 「だから、何なの」 は、と女が短く返した。男には、膝を付き、目を下げたままの女の姿が容易く想像できた。 「『京極』の方に動きがあった様で――」 「『京極』? それで?」 「曰く、『アーク』が『過去の日本』らしきものに繋がるリンクチャンネルを発見したと。 あの日の日本、一九九九年、七月の日本に――」 「……はあ?」 男は思わず口を開けた。女からすれば、『主』の其の様な声を聴くのは初めての事であった。 それほど、男は驚いた。寝耳に水とは、正に此のことではないか。 そして、くつくつと笑い始めた。男は、嗤っていた。遂に抑えきれず、声に出して笑った。 「出来過ぎじゃないか! 夢占いでも始めようかな……。 で、その胡散臭い『ゲート』は何処にあるのさ」 「それが……」 珍しく口ごもった女は、「三高平市です」と続けた。 「まーた『アーク』か。面白そうなものはいっつも『アーク』だ。強欲も程ほどにして欲しいな!」 女に背を向けて横たわったまま、男は頬を膨らませた。が、次の瞬間には眼光に鋭さが戻っていた。 「――で、『京極』は使えそうなの」 「『六刀家』の件で、目を付けられております。三高平市へ足を踏み入れる事はおろか、『京極』家の敷地からも動きにくいご様子で――」 「相も変わらず使えない『家』だなあ。まあ、≪あそこ≫(三高平市)じゃあ仕方がないか。 それこそ≪ゲスト級≫(バロックナイツ)じゃないと侵入することすら叶うまいよ」 「しかし、何故その様なものがあそこに……」 「分からない」 男の目は、完全に醒めていた。その眼は、暗く昏く、虚空を睨んでいた。 「分からないが……。 ―――ああ、君達リベリスタは、『あの日』に行くことが出来るのか」 ≪最上級≫(出来損ない)の義眼、アンバー色の特殊義眼が、泣いた様に。 「下がっていいよ」 主の顔は、女には見えない。彼が背けているからだ。だが仮にそうでなかったとしても、女はその表情を見る事が出来なかったであろう。その点、よく弁えた女だった。彼女は終ぞ視線を水平より上げることなく、只々床を見つめ、そのまま下がった。 「は。ご無礼をお許しください――雨水様」 ●ブリーフィング。 「さて、現在の三高平の状況は、既にある程度が知られているものだと思うけど」 頷いた顔も傾げた顔もある。『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は辺りを見渡して、こほんと一つ咳をした。 「三高平市に発生した特殊なリンクチャンネルは、現在、『現在の世界の過去である可能性』を秘めた平行世界であると認識されている。詰まり、一九九九年の七月に接続された『この穴』の先の世界には、当時の世相が広がっている。一九九九年と云えば、心中穏やかでは無い人も居ると思う」 イヴの言葉は最もであろう。此処日本では一九九九年とナイトメア・ダウンは直線で結ばれている。謂わば禁忌として、十五年経った今でも心的外傷として刻み込まれている者も居るに違いなかった。 「但し、重要な問題は、『一九九九年の日本』が正しくこのボトムチャンネルの過去なのかどうかは定かでは無い、ということ。『アーク』が当面このリンクチャンネルを維持する事に決定したのも、『穴』の向こうの世界が果たして『この現在』に繋がる世界なのかどうかを調査する必要があるから。 そして、ナイトメアダウンを目前に控えているかも知れない『その世界』でリベリスタ達の消耗を抑え、総力を静岡県東部に結集させる事は、決して無駄な事じゃないと考えているから」 ――例え其れが本物『過去』ではなくとも。もしかしたら再び訪れてしまうかもしれないあの『災厄』が、瓜二つの『日本』を襲おうとしているのならば。決して見過ごすことは出来ない。 「早速だけど、此処に集まってもらったのは、後者の点で協力してもらう為よ。詰まり、『過去』かもしれない日本で神秘事件を解決してきて欲しい。……まあ、『過去』らしくない、と云えば『過去』らしくない依頼なのだけれど」 「『過去』らしくない?」 「ええ。現在、『アーク』は作戦活動の一環で、『御神刀』と呼ばれるアーティファクト群の回収を行っている。 これは、『六刀家』と呼ばれる革醒者組織が保持しているものなのだけれど、その危険性と日本を取り巻く状況を鑑みて回収要請を出し、時には武力でそれを解決している。詳細は資料を配布するわ」 「……で、それが『過去』と何の関係が?」 「丁度、と言って良いのかな。 実は、最近、良くない噂を聞く『六刀家』の『京極』という組織において、一九九九年の七月に、大きな事件が起きていたことが分かった。当時の当主京極の子息が乱心して、多数の死傷者を出してしまった様ね」 「乱心、乱心ね。しかし、ナトメアダウン前の事案になる筈だ。そうなると、『京極』とやらも全盛期なわけだから、そんな小僧一人に手こずるかね? ……まあ、何か『ある』というなら別だが」 「察しが良いね。そう、その子息は、革醒者であったことに加えて――アザーバイドが居たの」 リベリスタは首を傾げた。 ……『居た』? 「そう、彼の『両眼』にね。ある日、突然に。そのアザーバイドは、彼の両眼に住み着いた。京極はその対処に苦慮した。共に長い寿命を持つとは云え、可愛い息子となれば簡単なことではないでしょう。そして、望まれた子であったその子息は、京極の手により、最終的には両眼を潰され、それでもなお活動を続けたアザーバイドの根を断ち切る為に、彼を瀕死にまで追いやった。 その時の子息の抵抗が余りに凄まじく、逃走した彼を負った『京極』の者、そして一般市民をも巻き込んで大きな被害を出した……というのが事のあらまし」 「成る程、見えてきた。つまりはこうだ、『現在』ではきな臭い『京極』も、基本的にはリベリスタ。 凡そひと月後に訪れるであろう『R-type』の襲来にも、『京極』は動いたのだろう。 本当にその因果関係が議論できるかはさておき――その事件を収め、『京極』の手数を温存させることができれば、『あちら』のナイトメアダウンに回せる戦力が増加する。例えそれが微々たるものであったとしても、『歴史の改竄』にならない程度で『過去』を救えるかもしれない、その可能性を引き上げることが出来る」 「そういうこと。 それに、未だ謎が多い『京極』について探りを入れる機会にもなる。 ……とは云っても、貴方たちが『あちら』で死んでしまったら元も子もないわ。その子息、もっと言えばアザーバイドを身に宿した革醒者は、全盛期の『京極』相手に引けを取らなかった強敵。十分注意して」 そう言って、イヴはブリーフィングを切り上げた。彼女は、敢えてその場ではその『子息』とやらの名前を公表しなかった。結果として、それが――未来の大量殺人者を救うことになる、という事実が、リベリスタ達の刃を曇らせないか、心配だったから。 ●『六刀家』資料。 『アーク』と共闘関係にある六つの革醒者組織、総称して『六刀家』。 『霊宝指定』として封印および管理の歴史を紡いできた、刀成らざる刀、『御神刀』の守護を至上課題とする。思想信条としてはリベリスタである。『不可侵神域』や『神域限界』と呼ばれる特殊な対エリューション障壁が存在し、それらによってフィクサード・フェイトを有さないアザーバイド等の能力は制限されている。 ■『安蘇』 ―義の家。神降しの代償に崩界を進める第二の『御神刀』、神刀『七刀』(しちとう)を有していたが、内部反乱により壊滅、後に『アーク』リベリスタにより鎮圧され、解体、『七刀』は回収された。 ■『一色』 ―力の家。『法定』(ほうじょう)と呼ばれる一色家剣術法と融合し、使用の度に寿命を縮める第五の『御神刀』、神刀『小鴉丸』(こがらすまる)を有していたが、『アーク』リベリスタとの命を賭した『力比べ』に倒れ、当主一色は『アーク』隔離処置、『小烏丸』は回収された。 ■『斯波』 ―愛の家。第三の『御神刀』、神刀『九字兼定』(くじかねさだ)はその継承に『母子喰い』と呼ばれる代償の儀式を要する忌避の刀。『アーク』との『試合』の末に当主斯波は倒れ、『アーク』隔離処置、『九字兼定』は回収されたが、その神刀移送中に『ペリーシュ・ナイト』として覚醒し、『アーク』リベリスタにより破壊された。 ■『六角』 ―正の家。当主六角はフィクサード集団の襲撃を受け壊滅、『アーク』リベリスタがその救助を行った。第四の『御神刀』、神刀『泰阿』(たいあ)は契約未履行時に『咎堕ち』と呼ばれるノーフェイス化の危険性があり、一度はフィクサードの手に渡るものの奪還、奇跡的に六角のノーフェイス化を防ぎつつ、『泰阿』は回収された。 ■『月夜寺』 ―創の家。当主月夜寺。『六刀家』内で唯一源流を彼方天竺に求める、仏僧の家らしい。第六の『御神刀』を有しているが、『アーク』要請に基づいて逸早く神刀移管を快諾したが、現在『アーク』には届いていない。 ■『京極』 ―深の家。当主京極。『六刀家』創設の中心。『六角』を襲ったフィクサードなどが『京極』関係者であることが判明しており、友好組織である『アーク』も監視体制を敷いている。第一の『御神刀』を有しており、神刀移管には反対を表明している。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:いかるが | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 4人 |
■シナリオ終了日時 2014年08月12日(火)23:55 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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■サポート参加者 4人■ | |||||
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● 未来は、過去以上に非存在に思える。 過去は既に無いが、少なくともその存在を証拠立てる物がある。未来には其の様な物が無い。 過去には記憶があるのに、未来には無い。だから一層に非存在に感じる。 我々の有する未来についての知識は貧弱だ。演繹して導き出される解は、ディテイルについて曖昧。 今日を元に明日の事柄を予測するのは、近似的に可能。だが、明後日になった瞬間、指数関数的に情報性が減少する。明後日の事柄を演繹するには、明日の確定的情報が必要だからだ。 だが、確定した未来から逆演繹するとしたら? 時計の振り子は、逆再生しても同じ運動を繰り返す。 答えは論理的に構築され、一足飛びに得られるものでは無いと知っていた。 『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877) はそう信じていた。 その筈だった。 北京で蝶が羽ばたけば、その微風が嵐を齎す因果関係を内包する。 もし、この世界が本当に正しく『過去』であるのなら、バタフライエフェクトは、『未来』を変えるだけの『質量』を有するだろう。 だが彩歌の脳裏には、どうも楽観的なイメージが表象化してこない。 ――かつてその羽ばたきを創り出したフィクションの中の登場人物達に、ハッピーエンドが齎された例は極めて限定的であることを、彼女は知っていたからである。 ● 満月だが、深く生い茂る森の中は墨を零したかの様に暗い。そんな中で、蒼く輝く風が吹き抜けて行った。 ――癒し、守り、支えましょう。 『ANZUD』来栖・小夜香(BNE000038)がクロスを振り翳せば、其処に奇跡が起きる。 彼女を同心円として、『京極』も『アーク』も息を吹き返す。 「出し惜しみ無しで行くわよ」 既に小夜香の顔は汚れている。血飛沫の残り香が躍っている。だから、小夜香は此処に来た。 癒し、癒し尽くしていく。そんな表現が正しい。この夜の悪夢に、そうやって真っ向から相対する。 リベリスタ達は、戦場に森を選んだ。暴れ狂う雨水と云う少年革醒者に、打って出る形であった。 ……当初、突然の革醒者らの乱入に、『京極』も動揺した。 「――『京極』の皆様。 私共のフォーチュナが見た犠牲を減らす為に、加勢させて頂きたく参りました」 『騎士の末裔』ユーディス・エーレンフェルト(BNE003247)の佇まいは尋常ならない。『京極』門弟も一見に其れを認める。だが、この混乱の状況に態々手を出してくる理由としては聊か弱い。 「助勢の心意気は感謝する。しかし、我が一門の問題なれば、手出し無用でお願いしたい」 言葉だけ見れば穏やかだが、視線は険しい。 ……正直に告げられないのは心苦しい所だ。そう思いユーディスが次の句を探すと、 「此処は少数精鋭であたるのが望ましいさね。奴さんと相性が悪いと云うのは自覚があるんだろう? 我々はご当主の息子さん、そして――『六刀家』の未来の為、助力に来た訳だ」 まあ、このナリで怪しむな、というのも無理からぬことではあるがね、と『足らずの』晦 烏(BNE002858)が続けた。雨水の名を敢えて出さなかったのは、その名が偽の物である可能性を考慮しての判断である。烏らしい合理的な配慮だった。 ……こうしている間にも、各地で声が上がる。雨水と『京極』達との死闘の結果である。 門弟たちも一瞬躊躇する。時間が惜しい。この者らが真実味方に成り得るなら、喉から手が出る程欲しい。烏の言う通り、自分達が『御子息』の戦闘形態と相性の悪い事は、明白であったからだ。 「――しかし、其れにしては殺気が無さ過ぎるな」 虚空より響くその声に、門弟達は勢い良く振り返った。『Matka Boska』リリ・シュヴァイヤー(BNE000742)の眼には、さらさらと流れる長く美しい白銀色の髪の『青年』が映っていた。 当主、京極。 袴までも漆黒に染め上げた黒羽二重に身を包んだ彼は、柔らかい表情でリリを見た。既に戦闘は始まっている。『狂乱姫』紅涙・真珠郎(BNE004921)や『戦姫』戦場ヶ原・ブリュンヒルデ・舞姫(BNE000932)、『遺志を継ぐ双子の姉』丸田 富江(BNE004309)は逸早く雨水の元へと駆けていた。時間も限られている。リリは、恭しく一礼し、言葉を紡いだ。 「初めまして、京極様。お噂を伺って参りました。 我々も彼の魔眼――バロールを追う者です」 玲瓏な声に、京極はただ黙っていた。 続けろ、という事なのだろう。 「『奴』だけを殺せば良いのですよね? 小さな的の狙い撃ちは射手たる私の得手。私以外にも優れた射手が居ます。 お父様の手で傷つけられるより、見ず知らずの我々がそうした方が良いでしょう。 私を恨めば、それで良くなりますから」 京極は柄に掛けていた掌を顎に当てた。興味深そうなアンバー色の隻眼が薄く煌めいた。 「……どうやら、貴君には全ての糸が視えているらしい。 左様。私の太刀先は未だに揺れている。これで『京極』が当主とは、呆れて物が言えぬ。 だが、事情が事情。貴君らに返す物は、何も無い。頭を下げて、乞う事しか出来ぬ。 それでも良いのかね?」 京極の問い掛けに、リリのみならずユーディスと烏が頷き、門弟達が驚きの表情を作った。 「助太刀致します。救いましょう。 ―――親子同士で殺し合いなど、悲し過ぎますから」 その言葉を受けて、京極は確かに頭を下げた。無駄の排除された礼であった。其れを切り上げるかの様に烏が一つ提案をする。 「話は纏まったか。 という訳で『京極』の方々にはお願いがあるんだが……」 ● 其の視線が、全てを殺していく。 震える焦点が木々を抜け、肉を断つ。それは右眼の齎す開眼の災厄。 嘗ての神の名を冠するアザーバイドの魔眼。直撃で受けたのは真珠郎。 『さぽーたーみならい』テテロ ミミミルノ(BNE004222)が授けた浄化の鎧はその傷を浅くした。 真珠郎は一手目から踏み込んだ。其れは、転移と表現される紛うことなき斬撃であった。 凡そ眼には追えぬ。疾る切先はそのまま雨水の眼球を狙った。 火花が散って、瞬間的に互いの顔が照らされる。深紅の姫君と、漆黒の子息。 ―――そそられるわ。何にせよ、『此れ』が小僧の原点かえ。 刹那の邂逅は視界を喪って次手に。無音のまま真珠郎が弾かれたと同時に、鋭い痛みが彼女の身体を襲った。右眼の軌跡が、その座標を通過していた。 周囲で声が上がる。烏らが『京極』に話を付けた頃合いである。門弟達をこの中心から離れさすには、まだもう暫くの時間が必要であった。 暗闇でも、刃を交えずとも、互いの表情が互いに理解できている。片目を瞑った雨水の、苦しげな表情が、喜々とした視線が見て取れる。 だが、その視線は紛い物だ。 「止めて……止めてよ、僕の前に立たないで」 記憶に識っているあの声と酷似しながら、しかし幾らか高い雨水の声を、真珠郎は聞いた。 「殺したくない……殺したくないけど」 <この女もお前の眼を狙っているぞ! さあどうする!> 「――殺してやりたい」 その雨水の、或いはバロールの言葉に呼応するかのごとく振動し始めた第三の眼を、舞姫が鮮やかに斬りつけていく。剣聖が如き凄絶且つ絶佳なる斬り込みは、異形を引き付けて葬り去る。 「ふん。まぁ良い。何にせよ――」 不遜に口の端を歪める。渇いた様に瞳が鼓動する。 神代の魔王じゃろうが『獣』の獲物に手を出せばどうなるか。 身を以て味あわせてやる。 「ヌシの力、ヌシの命。余さず喰いつくし我が物としてやろう」 ● 「――さあ、『お祈り』を始めましょう」 両腕に聖別済みの銃。 放つは精彩にして精密な一発の銃弾。 雨水の左目を避ける様に、対して右側。リリは振り向きざまにトリガーを引く。 作動すれば瞬刻。何をも逃さず、その軌道は雨水の左眼球を求めて飛来する。 ……ぎん、と弾かれる音。交錯する様に、次の視線。 雨水が左目を細めれば、リベリスタ達はそれだけで脳裏を揺さぶられる。 頭蓋を粉砕されたかの様な否応無く耐え難い苦痛。 されど、膝を付く者は居なかった。魔弾を外し、続けざま魔眼に捉われたリリではあるが、後ろには離宮院 三郎太(BNE003381)もミミミルノも備えている。プロアデプト特性を生かした処理能力に、無尽蔵とも云えるリソース産出、加えて如何なる魅了をも跳ね返す強靭な精神性。そのリソースサイクルを活用した、小夜香と巧妙に連動したミミミルノの療術。 なれば、リリがすべきなのは神殺しだけ。他のリベリスタらも、間髪入れず雨水に相対する。 「……ま、コレだけの事があれば歪むのは無理も無い、か」 小夜香も躊躇なく大神秘を召現させていく。そして、『未来』の雨水を知っていても、小夜香は目の前の少年を救わんとしていた。 なんとかしてやりたい。が、手を抜ける程の余裕は、無い。 「ひとまずは止めるわよ」 小夜香のそんな決意と療術に押される様に彩歌と烏が援護射撃を張り、ユーディスら前衛陣が雨水を止めに掛かる。 「活かして倒す、中々に難しい注文をつけてくれる」 彩歌も極細の気糸を放つが、後衛陣の遠距離攻撃を阻害するのはやはり視界であろう。 その点、真珠郎や舞姫、そしてユーディスの行動は明快。表裏一体に、リスクフル。 (……この事件が、『京極』とその関係者の運命を捻じ曲げた契機なのですね) 斬、と雨水の刀がユーディスの肩を抉るが、負けじと黄金色の巨槍を突きつける。 幾らかの同情はしよう。小夜香の言う通り、人間性が押し潰されても無理はない。 しかしそれは、歪んでも良い免罪符などでは決してない。 目の前で家族を殺されてフィクサードになる者が居るのなら、 襤褸雑巾の様な扱いを受けた果てにリベリスタになる者も居る。 不幸は悪事の理由足らない。だからユーディスは、一歩も引く気は無い。 「申し訳ありませんが、貴方を此処から先へ通す訳には行きません」 風を切り裂く轟音がした。ユーディスの暴虐なる一槍。 「<気にくわぬな>」 雨水の口から漏れ出たのはバロールの魔眼の声。深淵を覗き見るリリには、それが間違いなくバロールの意識だと理解できた。 ――その言葉尻に、彩歌は困惑が感じられた。そしてそれは、恐らく、否、確実に、 「ブリューナク、か」 ぽつり呟いた彩歌の言に烏が頷く。 「バロールはブリューナクだかで魔眼を射抜かれ死んだって逸話があるがね」 『本物』ではないにしろ、ブリューナクの名を冠した武器や発射される弾もある。 奴さんにしても計算外に違いない。 「―――偶然とは言え世の中っておっかねぇな」 ● 此度の戦闘では、後衛陣も基本的に敵の射程内に位置することになる。 舞姫ら前衛陣は直撃の危険性と隣り合わせだが、其れ故に耐久性の面で秀でている。会敵当初よりミミミルノがその防御面を更に底上げし、 「アタシの後ろに隠れてなっ。大丈夫、何も心配は要らないさ」 富江が小夜香の前に立ちはだかる。堅牢性の点で後衛陣はやや苦境に立たされていた。 挟撃に依る制圧。二面からの回復支援。 だがリリが見るに、バロールに飲み込まれつつある雨水は歩みを止めず、視線を止めない。 <あの女の、槍だけは直撃させるでないぞ!> 雨水の頭に声が反響する。その内にどれが自分自身なのか分からなくなってくる。 分からなくなって、ただ殺意だけが湧き上がってくる。 「――どうして誰も、『僕』を見てくれないんだ」 皆が目を背ける。皆が自身を見ようとはしない。 齢十程度の少年は――自らの罪を直視するにはまだ幼く。 ただ、粉雪の様に繊細な心だけが、削ぎ落とされていく。 「ぁ――う」 雨水の中で何かが拮抗した瞬間、間隙が生じた。其処に、リリと烏の魔弾が直撃した。 弾かれる雨水の頭蓋。辺りに飛散した血飛沫。 ――心まで救えたなら、『未来』は変わるでしょうか。 「私は貴方を、お助けします」 この祈りが神をも殺す魔弾であったとしても。 言葉は宙に舞い、思いは地に落ちる。思いの籠らぬ祈りは、天には届かない。 シェイクスピアが謳った一説をリリは具現化する。 だが雨水には穿たれた感触だけが残った。仕方ない、と割り切るには、雨水には経験が無さ過ぎた。 ただ――痛かった。 <いいぞ――。もっと憎め。此処には敵しか居ない。 さあ、注意深く『視よ』!> 溢れ出る血は致命傷にまでは達していない。驚異の再生能もバロール由来である。 ゆらり揺れた雨水の体躯を、けれど追い込むように刃が滑る。 「小僧。ヌシが負けて良いのは我だけじゃ。そのような目玉に屈するなど我が許さぬ」 殺させはしない、誰一人として。舞姫が邪魔立てする第三の眼を切り刻めば、活路は開かれる。 真珠郎は往く。間合いはあってないようなもの。 互いの息が掛かるそんな距離で、刃を交えて、真珠郎は雨水を叱咤する。 「何にせよ。ヌシは生かす。魔眼は殺す。なに。容易い事じゃ。我にとってはの。 ――命を惜しむな。刃が曇る」 そうして雨水は。 久方ぶりに、誰かと目を逢せた。 「……おかあさん?」 その瞬間、ぽかんと血塗ろの両眼をぱちくりとさせ吐き出した言葉が何だったのか、雨水自身に理解出来なかった。 追想は永遠の様に一瞬だった。気づけば真珠郎はその眼に突き飛ばされている。 <何をしている少年。何を――考えている> 最早、雨水の意識無しに魔眼は人を襲っていた。そうしてバロールは、この地に再度『実体』を得ようとしていた。なのに、バロールは異変を感じていた。 ――『歴史』は、しかし、何れにせよバロールの思惑を消し去る。最後には実父に凄惨に抉られて。 だからこそ、母を求めた雨水の姿に最も傷を受けていたのは、 『アーク』に現場を任せながらも我が子を見ていた京極であっただろう。 「いいのですね?」 小夜香はその京極に問うた。無論と彼は答える。ユーディスが、構えた。 幼き『未来』の終末論者を前に、彩歌は全ての合点がいった。 彼に必要なのは、意味のある終わりなんかじゃなかった。 何故、こんな事態になるまで彼が『生かされていた』のか。 答えは、こんなにも単純だった。 ――彼に尋ねよう。 「雨水を『死人』として扱ったのは、護る為ではないのかしら」 彩歌の言葉に、京極は酷く傷ついた顔で、頷かない。 ――彼に伝えよう。 「不器用だけど命懸けで、君が生きる事を望む人が居るのよ」 何かと戦う様に、両掌で強く瞼を押し当てている雨水少年に。 ―――引きずり降ろせ、彼の悪神を。 リリにはバロールの消耗が見て取れた。あと必要なのは祈る事だけだった。 「どうか、心に光を。 私は貴方を――、お助けします」 静かに呟かれた祈りは、声を上げながら体を抑え込む雨水の左目を穿った。 「<――が>」 雨水の口から漏れたのはバロールの苦痛。そして、続けざまに右眼を穿ったのは烏の一弾。 腕を貫通したのはどうしようもない。両眼から血液を噴出させた雨水の手は、流石に離れる。 それでいい。最後の一撃には『適役』が居る。 「少年、しっかりしなさい。貴方自身の意志を言葉にしてみなさい。 ――蝕むモノに負けてはいけません」 「<止めよ!>」 雨水の口から叫ばれる不愉快な魔眼の懇願。 だがその願いも虚しく、 「退場しなさい、バロール――!」 「<が――ぁ―――……あぁああ!!>」 雨水の眼に宿る、バロールの存在が。 貫かれ、焼き尽くされた。 ● 全てが終わって、小夜香は雨水を抱きしめた。 えぐえぐと涙する彼が、絶望に染まらぬ様に、優しく。 「これから貴方は暗い道を往くのでしょうね。でも忘れないで。 私の様に貴方を助けたいと思う人間も必ず居る。だからどうか希望ってモノを少しでも信じて欲しい」 暖かい、と思った。雨水も。小夜香も。これが人の温かさか。 最早雨水に視界は殆ど無く、その暖かさと、小夜香の肩越しに立つ『紅くぼやけた影』だけが分かった。 その二つが彼に思い出させる。確かにそれは、母の全てだった。 「親兄妹、友人を大事にな」 朦朧とし始めた彼に烏がそう言うと、 「おかあさん……」 血涙を流しながらも、嘘の様に穏やかな意識の中で、彼は夢を見た。 「彼が『京極』は継げなかった場合は、どうしていたのかしら?」 「娘が居る。彼女が継ぐであろう」 「もし、娘さんに何かあったら?」 彩歌の問いに京極は怪訝そうな表情を作る。 「『京極』は血の家系。なれば、子を成さねばならぬな」 世界を一つのマクロな系と見れば、自分達は観測者に違いない。 そう――と彩歌が返すと、真珠郎が口を開いた。 「時に当主。『家』が大事だと言うなら。何も言わんがの」 京極の整った顔が真珠郎を見た。何処か雨水に似ていた。 「小僧が大切だと言うなら。言葉で示してやれ。態度で示してやれ。 子とは親が思う以上に脆いモノじゃ。信じておっても不安になる」 京極は、蜜柑の皮を食べた猫の様な顔をして、 「――心に留めておこう」 と返した。 「何故、神刀を使いバロールだけ狙えなかったのかね」 「ほう。神刀の事もご存知かね」 烏の問いに京極は驚いた口振りを見せた。 「あれは第一の御神刀。即ち六刀家に於いて最凶の代物。 子細は言えぬが、この太刀すら振れぬ私には、子には使えぬ。 それに――」 「それに?」 「――いや、貴君らに悪意はあるまい。 『正確』に言えば……今現在、『京極』に『神刀は無いのだ』」 ――無い? 烏も流石に首を捻るが、京極はそれ以上語ることは無かった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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