●絡新婦の朝 朝、目覚めたら、隣に見知らぬ女性が居た。 古今東西、虚実を問わずよくよく語られるシチュエーションだが、この手の話に、ある種のロマンを抱いている者も、少なからずいるのではないだろうか。 たとえば、ここにいる青年男子も、本気ではないにしても、そんな事が起きないものかと、些かの期待を持って日々を過ごしていた。 とは言え、真っ当な人生を送っていれば、そんな事態に遭遇することなどまずあり得ない。 その時、彼は震えていた。 朝、目覚めたら、隣に見知らぬ女性が居たからである。 夢にまで見た……とは言いすぎだが、少なからず憧れたシチュエーションである。 しかし、彼は、青ざめた顔で、ガチガチと歯を鳴らしながら――怯えきっていた。 まず。そもそも、ここは彼の部屋ではなかった。 六畳間の彼の部屋よりはずっと広いだろう洞窟である。 地面に数個、LEDランタンが置いてあったため、光源には事足りた。 彼が眠っていたのは、愛用のベッドではなく、ハンモックのような、ネットである。 奇妙な言い方だが、そのハンモックに、不快感はない。 むしろ、寝心地は良かったようで、その上、毛布のようなものまで掛けてある。 この様な状態でなければ二度寝を決め込んでいただろう。 そして、隣にいる、見知らぬ女性。 紛れもなく美女であろう。 裸体である。 くびれた腰。手でつかめば少し余るだろう大きさの乳房。白磁のような肌。絹糸のような黒髪。ぷっくりとした、艶やかな唇。 しかし。 目が。 人間のそれと同じ部分に、ガーネットの宝石ような、大きく、丸く、赤い目が一対。 そして、こめかみ、頬骨、額を結ぶ三角形の頂点に、やや小ぶりな、丸く赤い目が各三対。 計、八つの目が――彼を見つめている。 いや、よくよく見れば、それだけではない。 女の体は、腰までしかなかった。 腰より先は、甲殻のようなもので覆われていた。 虫のようである。 その後ろに、巨大な風船のような、膨らんだ、腹のような部位。 そして、鋭くとがった、細長い脚。 ――蜘蛛だ。 蜘蛛の頭から、女が生えている。 にいっ。と。 『それ』が笑んだ。 そして。ふと。 『それ』が、彼に手を伸ばした。 「あ」 『それ』が唇を開く。 「あー。あ。あああーーーーー。あ。いぃ?」 初めて言葉を覚えた赤子のように。言葉とも、泣き声とも取れぬものを発しながら、その手は、ゆっくりと、彼のほほに近づき――。 ●絡新婦の檻 「では、今回の作戦について説明しますね」 手持ちの資料を開いたのは、『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024)である。 彼女曰く。 これより数日の後。とある男性が、エリューションに拉致されるという予知が観測された。 予知の範囲では、彼は拉致され、数日にわたり監禁される、と言う事しかわからない。 とは言え、予知の範囲外においても彼が無事であるという保証はなく、何より、エリューション化してしまった生物は、いかなる場合においても、速やかに討伐しなければならないのが、アークの不文律である。 「本作戦の討伐対象は、エリューションビースト。大型の個体が1体。それと、お供でしょうか? 小さめの個体が6体、確認されています」 和泉に手渡された資料には、討伐目標であるエリューションビーストの姿が描かれていた。 まず、体長、1m程の巨大なクモ。これが、お供、である。 そして、大型のクモ。体長、2m程。黄色と黒の体色、大きな腹部と鋭い足はまさしくクモのそれであったが、前体部から、人間の、女性の上半身のようなものが生えていた。 アラクネー。絡新婦。そう言った、半人半虫の怪物であろう。 「体色から、元々はジョロウグモだったのではないかと思います。この《ジョロウグモ》は現在、営巣を行っているようです。それが完了次第、予知通り、彼を拉致するのでしょう。今のうちに、《ジョロウグモ》を撃退してください。……その他詳しい事については、お渡しした資料に記載してありますので、ご確認をお願いいたします」 彼女は「それでは、よろしくお願いします」と一礼すると、ブリーフィングルームより退出しようと扉に手をかけ、 「それにしても……何故、この個体は監禁なんてしたんでしょう。ジョロウグモには食料の備蓄などの生態はないはずですが……」 和泉の疑問の呟きを、聞いたものは居たのか、居ないのか。 いずれにしても、彼女は呟きだけを残して、ブリーフィングルームを去っていた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:洗井 落雲 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年08月09日(土)22:54 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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●絡新婦の、 どこにでもある話をしよう。 ある女が、分不相応な恋をした。 その女は願った。 想い人を抱きしめる柔らかな腕を。 想い人と同じ柔らかな肌を。 想い人に愛をささやく唇を。 女を哀れに思った神様は、女の願いを叶えてやった。 でも神様と言う奴は、概ねの場合において、下界の事情なんて考えはしないし、下々の者の願いの、表層的な部分しか見なかったりするのだ。 そういう、どこにでも転がっている話である。 ●絡新婦の森 クモ。 我々の生活圏において、身近な昆虫の一つであろう。 例えば、毒を持つ蜘蛛は恐怖の対象であるし、建造物に蜘蛛の巣が張っていれば、それを衰退の象徴とみなす。 しかし、一方では、害虫や害獣を補食する益虫であるとされる。 「――もっとも。蜘蛛が不思議というよりは、人間が己の都合で考えているだけ、とも言えましょうが」 今回の作戦領域であるキャンプ場、その近辺の森の中に潜みながら、『』院南 佳陽(ID:BNE005036)が独り言ちた。 今回の討伐対象は、蜘蛛のエリューションである。 「いずれにせよ、傍迷惑な害虫に間違いあるまい」 『普通の少女』ユーヌ・プロメース(ID:BNE001086)が、ぼそり、とつぶやいた。 事実、現時点でも、営巣の材料として眼をつけられたキャンプ場には、器物損壊や備品の盗難等の実害が出ているし、フォーチュナの予知通りに事が運べば、一人の人間が連れ去られる。 人間の基準で言えば、紛れもなく、害虫だろう。 それに、フェイトを持たないエリューションを放置する事は、世界秩序の面からみても、推奨されることではあるまい。 「害虫は、駆除するだけだ」 淡々と、無感情に告げるユーヌに、佳陽は苦笑を浮かべながら、応える。 「蜘蛛のエリューションと共存したり、放置したり、は考えられませんね」 ――私も、人間に変わりはないのだから。 呟きは、胸の内にしまった。 それから数分の後、フォーチュナの宣言通り、キャンプ場に蜘蛛が現れた。 情報通り、小型の《ハエトリグモ》が6。大型の《ジョロウグモ》が1。 蜘蛛達は、テーブルやらバーベキュー用の網やら、あるものを見境なく集めている様子である。 「昔話なら命を救ってもらったか、恋をしたかってところなんだけど」 そんな蜘蛛達を見つめながら、『ファントムアップリカート』須賀 義衛郎(ID:BNE000465)がぼやいた。 異類婚姻譚、つまり人間と人外の恋の物語は、和洋問わず枚挙にいとまがない。しかし、その手の物語のほとんどが、何らかの形で破局を迎える。 「……まあ、めでたしめでたしで終わらないのが、此の神秘界隈なのさ」 そう呟いた彼の顔からは、感情を窺うことは出来ない。 「そろそろやっちゃう? テテロがしっかりサポート頑張るのだ!」 『くまびすはさぽけいっ!!』テテロ ミミルノ(BNE003881) が陽気なトーンで声をかける。 リベリスタ達が目配せをする。 異論はなかった。 「じゃあ、はっじめっるよー!」 テテロが声を上げると同時、リベリスタ達は一斉に標的に向かって進撃を開始した。 ●蜘蛛達の戦 リベリスタ達に、《ジョロウグモ》達は一瞬、面食らったようであったが、そこは流石に野性の本能故だろうか、瞬時にリベリスタ達を敵と認識、臨戦態勢をとった。 「道をひらくよ!」 叫んだのは『雪風と共に舞う花』ルア・ホワイト(ID:BNE001372)である。最速で戦場を駆け抜けた彼女は、《ジョロウグモ》の前に立ちはだかる《ハエトリグモ》を散らすようにナイフを振るう。 文字通りに目にもとまらぬ速度で振るわれたナイフは、氷の刃で形成された霧を生み出した。《ハエトリグモ》達を包む氷の霧は、決して脆くはない彼らの体表に傷をつけ、彼らの本能に危機感を刻み込むには十分以上の威力を持っていた。 浮足立った《ハエトリグモ》の隊列に隙間ができる! 「佳陽さん!」 ルアの声に、佳陽は《ジョロウグモ》目指して突っ込むことで答えた。 一部の《ハエトリグモ》がその進路を妨害しようと目論むも、 「ああ、お前達はこっちだ」 それを阻んだのはユーヌである。 ユーヌは《ハエトリグモ》達の足元を指した。 同時に、東洋魔術的な紋様のサークルが展開された。インヤンマスターの扱う結界である。 そして、地面から無数の手が現れ、それらは一斉に《ハエトリグモ》達に掴みかかった! 無論、実物ではなく、その結界の性質を表す幻視の類である。 その結界の性質は《鈍化》! 間もなく、《ハエトリグモ》達は自身の体が、常よりはるかに重くなっていることを自覚した! 「ハエトリ、と言う名前だったか? その鈍さでは、ハエに捕られてしまうだろうな」 ユーヌが嗜虐的な笑みを浮かべる一方、佳陽は《ジョロウグモ》に到達。立ち止まらず、駆け抜けた勢いのまま跳躍。《ジョロウグモ》へと斬りかかる。 《ジョロウグモ》の人間体部分、頭頂を狙った振り下ろしの一撃であったが、《ジョロウグモ》は前足の一本を振り上げ、その一撃を受け、はじき返した。 ――硬いか! 舌打ちひとつ着地。間髪入れず、《ジョロウグモ》はもう一本の前足を佳陽へと振り下ろした。刀で受け流し、どうにか回避に成功する。 「くまびすは、さぽけい! ミミルノさーーーんじょうっ!」 と、陽気に叫んではいるものの、ちゃっかり敵と目線を合わさないようにしているのはテテロである。 些か緊張感に欠ける言動のテテロであるが、今回の作戦において重要な役目を持つのは、紛れもなく彼女であった。 「いっくよー! むてきになれー!」 彼女の付与する世界樹エクスィスの加護は、すべての物理攻撃を無効化するというものである。 一人が囮として《ジョロウグモ》の攻撃を引き受け、残りのメンバーで《ハエトリグモ》を掃討する。 今回の作戦は、本来であれば囮に多大な負担を強いるものであったが、彼女の存在により、その負担は大きく軽減できる。 また、回復などのスキルを持ち合わせる彼女は、本作戦における文字通りの生命線であった。 作戦の第一段階は成った。 後は、速やかに《ハエトリグモ》の掃討を行い、佳陽へと合流する。 さて、リベリスタ達に先手の有利をとられた形になった《ハエトリグモ》達であったが、戦意を喪失することなく反撃の牙をむいた。 標的となったのは後衛の三人である。 当然、前衛に立つ義衛郎、ルアによる防衛はあったもの、6体もの蜘蛛を塞ぎきるには、流石に手数が足りなかったのである。 とりわけ《ハエトリグモ》の攻撃を受ける事になったのはテテロである。彼らも、彼女が本作戦における生命線である事を、本能的に察していた。 一匹の《ハエトリグモ》がテテロに飛びかかった。 体長1m程のサイズの蜘蛛である。その重量と、勢いにより、テテロは転倒、そのまま蜘蛛にのしかかられる形となった。 テテロの眼前に、蜘蛛のガラスのような眼が迫った。ガチガチを牙をならし、今にもその柔肌に食いつかんと狙っている。 「うっ、うわわっ! きもい! きもいのだっ!」 悲鳴を上げつつも、体は蜘蛛の脚により力強く拘束されている。フォーチュナの言っていた通り、成程、これでは行動する事もままなるまい。 しかし、相手が全力を以て拘束しているという事は、相手もまた容易に行動できぬ、という事である。 「大人しく蝿を食ってろ、蝿を」 義衛郎の剣が、テテロに張り付いていた蜘蛛を切り裂いた。蜘蛛最大の攻撃手段は、自身のもう一つの武器である俊敏さを完全に殺してしまうのである。 たまらず飛びずさった蜘蛛の着地点を狙うように、『ストレンジ』八文字・スケキヨ(ID:BNE001515)はボウガンを向けた。 「悪いね、それを狙ってたよ」 射出された矢は寸分の狂いもなく《ハエトリグモ》の眉間を捕えた。「ギッ」と言う小さな悲鳴を上げ、《ハエトリグモ》の内1体が動かなくなる。 「大丈夫か?」 《ハエトリグモ》の動きを警戒しつつ、義衛郎がテテロに声をかけた。 「だいじょうぶなのだ!」 応えて、テテロが立ち上がる。 些か危険ではあったが、この戦法は有効なようである。 また、ルアとユーヌの攻撃により、一部の蜘蛛達が同士討ちを始めていた。 「順調みたいだ。早く片付けて、ジョロウくんへと向かう事にしよう」 スケキヨの言葉に、全員が頷いた。 事実、多少の怪我は負いながらも、それからほどなくして《ハエトリグモ》の全滅に成功したのである。 ●絡新婦の結末 サポートがあったとは言え、《ジョロウグモ》を単独で抑え続けていた佳陽の疲労は、相応に蓄積していた。 そのタイミングで仲間が合流した事は、僥倖であったと言える。 「かよ、だいじょうぶ? いっかいやすむ?」 治療を行いつつ尋ねるテテロに、 「いえ、まだ行けます」 応え、佳陽もまた戦列に復帰した。 さて、《ジョロウグモ》ではあるが、リベリスタ達には数の利がある事、そして、本来は《ジョロウグモ》の護衛を行う《ハエトリグモ》がすでに全滅している事もあり、当然のように、形勢はリベリスタ達の有利であった。 《ジョロウグモ》の武器であり防具である4対の脚は、確かに強力なものではあったが、テテロによるサポートを受けたリベリスタ達には蟷螂之斧の如きであり、また、弱点である人間体を集中攻撃されたため、其方への防御にリソースを割かざるを得ず、その隙を突かれた腹部や脚部へのダメージは、着実に《ジョロウグモ》へと蓄積していった。 幾たびかの応酬の果て、やがて、リベリスタ達の攻撃が、ガードの隙間をぬって人間体へと届き始めたその時。 ぼとり。と。 何かが落ちた。 右腕である。 義衛郎の一閃が、《ジョロウグモ》のガードの隙間をついて、その人間を模した右腕を切り落としたのだ! 《ジョロウグモ》が、肘から先が無くなった自らの右腕を見やる。 切断面から体液が流れ落ちた。 灰色がかった半透明のそれは、人間を模した部位から流れ落ちながらも、人間の血液とは全く違うものである。 「あ――」 《ジョロウグモ》が口を開く。 「ああああ! ううぅ! あああああううう!!」 それは悲鳴であったか。怒りの声であったか。それとも、絶望の嘆きであろうか。 いずれにしても、それ以降、《ジョロウグモ》の動きが精彩を欠いた。 戦意を喪失したのか、致命傷による体力の低下か、或いはその両方か。 理由はどうあれ、リベリスタ達にとって、会心の一打を与えた事、有利な状況となった事は事実である。 《ジョロウグモ》がその体を地に横たえるまで、さしたる時間はかからなかった。 ●絡新婦の境 《ジョロウグモ》の死骸を眺めつつ、スケキヨとルアは、些かの複雑な思いを抱いていた。 スケキヨは蜘蛛のビーストハーフであるし、ルアもまた数奇な運命からフェイトを引き寄せた出自である。 もしも、運命のいたずらがあったとしたら。 ここに横たわっていたのは自分たちではなかったか。 この世は思っている以上に、危うい境界の上に成り立っているのかもしれない。 否。考えても、詮ない事だろう。 「どうだいルアくん、このまま森の中でデート……なんて」 暗い考えを振り払うように、スケキヨはおどけてそう言うのだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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