●その日、私は恐怖と出会った。 硬いモノがぶつかり合う音が部屋の中に細かく鳴り響いている。 ガチガチ、ガチガチと。私は今、少しの音を立てたくも無いのに。しつこい程、皮肉な程、脅える私を嘲り笑うかのように――生理的な体の反応は必死に命じる頭の懇願をまるで遂行しようとはしない。 ガチガチ、ガチガチガチ…… 何もしていないのに短く打ち付けられ続ける歯の根がしくしくと痛んだ。 三月の気候はまだ十分に暖かいものではないが、私がこんなにも震えているのは寒さ何かが理由では無い。この場所にリベリスタとして赴いて――私はリベリスタとして活動して来た人生を初めて後悔した。 『あんなものに出会ってしまうならば、何も知らずに生きてきた方がマシだった』。 ……己が『仕事』に誇りも、満足感も人並みに持ち合わせていた私が過去にこんな事を考えた事は無い。勿論、この稼業の全てに満足していた訳ではない。仕事柄、受け止めざるを得ない此の世の不条理は時に私に疑問を投げかける事もあったし、普通に生きていく事を望んだ事もある。しかし……それと今回は似て非なるものだ。これまでの歩みの全てを否定してまで、全てを投げ出したくなった事なんて断じて無い! (お願い、お願いだから……気付かないで。私を、私を家に帰して……) 自分が今ここで生きているのは唯の幸運に過ぎない。 私より幾ばくか早く『運命』を使い果たした『皆』が『アレ』に×××された時、私は偶然に最後尾に居たから。「ほほ」と軽妙に笑った『アレ』の気が僅かに他所に逸れたから――細かい事は覚えていないけれど、私はこうしてここに居る。飛び込んだ無人の家に隠れて――息を殺して悪夢が醒めるのを待っている。 (……大丈夫、気付かれなければ……『あいつら』が居なくなれば。 ううん。オルクス・パラストが――シトリィン様が来てくれたなら……) 欧州に名を馳せるリベリスタ界の重鎮、ドイツ最強と呼ばれる『オルクス・パラスト』は私達(フォーゲルショイヒェ)の貴重な同盟相手だ。 元々状況を訝しんでいた彼女が本部からこの情報を受け取ればきっと救援が―― (……はは、は……) ――そこまで考えて私は自分の余りの都合の良さに心の中で笑ってしまった。 あいつらが居なくなるなんて希望的観測だ。 シトリィン様が居たからどうなる? 『アレ』をどうにか出来る存在なんて果たして此の世に――濁流のように巡る私の思案が辛うじて形を保っていたのはこの時までだった。 鼓動が早鐘を打つ。もう喉はカラカラだった。 胸が潰されたように息が出来ない。だから呼吸が苦しい。 体中の発汗機能が壊れてしまったかのように汗が流れ落ちる。 埃っぽい室内の暗がりで目を見開いても現実以上の何が見えよう筈も無いのに! 「いや……」 意識しない内に声が零れた。 「嫌嗚呼ああああああああああああああああああああッ――!」 だって、だって! ああ、窓に! 窓に! ●その日、彼等は悪夢に招かれた。 「――探査状況は以上、よ」 ブリーフィングに集まったリベリスタに直接そんな言葉を投げたのは、普段お目にかかる事の少ない珍しい人物だった。溜息に似た調子でそう言って、やや憂鬱そうな様子を見せたのはシトリィン。シトリィン・フォン・ローエンヴァイス伯爵。つまり、アークの最大の同盟相手、ドイツの『オルクス・パラスト』の首魁その人であった。 「……以上と言われてもな。何がなんだか」 「今のは此方のフォーチュナが辛うじて探査した『結果』。 今回の欧州異変の調査に当たっていた私達の同盟相手――『フォーゲルショイヒェ』のメンバーの主観、なんでしょうね。 まぁ、それでも一定の情報は無い訳じゃないけど。 要約すれば『或る漁村に魚人が大量に出現した……と言うより、村人が化け物の類に変わってしまった。エリューションかアザーバイド、或いは悪辣アーティファクトの仕業では無いかと考えた彼等は部隊を編成して鎮圧、調査に当たっていた』。で、そうしたら連絡が取れなくなった」 シトリィンは難しい顔をしたまま続ける。 「……世界的に見ても貴方達の『万華鏡』の精度は異常の一言。 各国の組織はフォーチュナ能力の増強に努めているけれど、フォーチュナの才能の稀少性もあって上手くいっていない。これでも此方は最高の腕利きを複数運用して追加の事前調査に当たったんだけど、ね。恐らくは――引きずられてしまった。そこにある極めて強い感情がフォーチュナを引きずり込んでしまった。出来る限り客観的で正確な情報を用意したかったけど、それは断片的なものに留まった……」 シトリィンの口にした欧州異変とは、ここ暫く欧州を騒がせている幾つかの懸念事項を指す。最近の欧州は騒がしいようだ。勿論アークがモリアーティと『倫敦の蜘蛛の巣』を破ったというニュースもそうであるが、実はそこは良い方にも悪い方にもという事であるらしい。 『黒い太陽』ウィルモフ・ペリーシュの活動活発化、そして当面彼女の柳眉を顰めさせている今回の事件。中小のリベリスタ組織が任務先で壊滅を繰り返すという『異変』は遂に彼女にとっても捨て置けない段階に到ったとの事である。 「……おかしいのよね」 「その――壊滅がか?」 「ええ。まっとうなリベリスタ組織は身の程を理解するものだわ。 まぁ、これはフィクサードにも言える事だけど。貴方達だって、万華鏡の探査を利用して敵の性質や状況を調べて仕事に当たる筈だわ。 勿論、私達を含めた外部はアーク程の情報を持たないし、その精度も随分と落ちてくる事でしょう。でも、短期にこんな被害が出る事は珍しい。 と、言うよりも『被害の出方』がおかしいのよ。 ……さっき壊滅って言ったけどね。正しく言うならそれは『全滅』なの。 いいこと? 戦場で不測の事態に出会ってしまったとしても、人間は逃れようとするもの。 それなのに、結果は常に同じ。駆け出しばかりなら兎も角、それなりに腕利きの連中まで同じ轍を踏んだなら――これは異常よ」 「確かに」 「そういうのってどういう状況で起きると思う?」 「相手が、強すぎた時」 「流石、アークだわ。そんなのとばっかり戦っているだけの事はある」 シトリィンは「ご名答」と幾度目か知れない溜息を吐いた。 「要するに現状は『ちょっとした腕利き』の領域を超えているのよ。 この事件の解決には、いいえ。その前段階。『調査』レベルでさえ、『紛れない一流』が必要だわ。そこで今回は貴方達にも協力して欲しいと思った訳」 シトリィンの説明によればオルクス・パラストも状況の調査に部隊を展開しているらしい。彼女の夫である――此方も勇名高い『格上殺し』の異名を持つセアド・ローエンヴァイスまでも投入しているとの事であるから、その本気振りは伺える。 「……セアド様を動かすなんて、とんでもない事件ですわねぇ……」 元々オルクス・パラストからの出向である『黒天使』クラリス・ラ・ファイエット(nBNE000018)は本件について当然参加の見込みである。彼女はアークのリベリスタ以上にオルクス・パラストに詳しいから、シトリィンの言葉の持つ意味をより重く受け止めている。 「私の依頼は状況の調査に留まる。 もし、その場に『何か』が居たとしても――無理に交戦する必要は無い。 これはオルクス・パラストのメンバーにも伝えている事だわ。 尤も、夫にだけは『好きにしなさい』としか言ってないけれど」 「スパルタだな」 「愛しているだけよ」 シトリィンは一つ咳払いをして続けた。 「今回、貴方達の任務を助ける為にアーティファクトを用意したわ。 かなりの虎の子だけど、他所様の手を借りる以上は、ね。 オルクス・パラストとしてもこの件は放置出来ないの。 戦力的にも半端な人間を用意しても被害を増やすだけだから、それなりの人間しか求めてない。 悪いけど、本当に悪いんだけど……この話宜しく頼んだわ」 他ならぬオルクス・パラストの頼みを無碍に断るのは難しい。 彼等はアークが設立する以前から日本の為に尽力してきた。最も信頼出来る同盟相手にして、最も大切にしなければならない友人でもある。 しかし…… (何だ、この感覚は……) 依頼をしたシトリィンが抱いている直感を――依頼されたリベリスタも又、共有している事実がある。 一言で言えば『最高級の嫌な予感』がするのだ。 これ以上は無い程に、これまでのどんな戦いより。 その場に赴けば何かが起きてしまう、何かに出会ってしまうという。 そんな確信にも似た『本能の警告』が―― |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年04月06日(日)22:59 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●予感 一流と呼ばれるプロフェッショナルには予感がつきものである。 例えば練達の職人が醸すタイミングの妙技、例えばベテランの刑事が持つ独特の勘。 非科学的と笑えばそれまでだが、それ等の多くはその実、実力に裏打ちされた無形の根拠を有する経験値の産物だ。第六感のようなものを無根拠と断じる人間も少なくは無いだろうが、オカルトの世界に生きるリベリスタ達にとってはそれは今更だ。 日常的に命のやり取りを行う『鉄火場』を山と経験したリベリスタの予感は、時に激しい警鐘を鳴らすものだ。命賭けでない仕事は少ないが、その危険の多寡は等しくない。耳鳴りがする程に、こめかみが痛む程に『死の予感』が絡みつく局面は彼等をしても決して多いものでは無いのだ。 日本より遥か数千キロ。 ドイツの片田舎に今、十一人のリベリスタ達が居る。 彼等はこの国の戦士達では無い。現在は日本を活動の拠点にするアークのリベリスタ達だ。 「……どうやら、あの村落のようだね」 やや押し殺した声の調子に緊張が滲んでいる。 眼鏡のレンズの奥で理知的に光る瞳を手元の地図と遠い視界の双方に交互に向けた四条・理央(BNE000319)は胸に溜まった空気を一緒に吐き出すかのように呟いた。 「あの村で事件は起きて、『フォーゲルショイヒェ』は歴史の闇に消え失せた」 春先の欧州の昼はまだ然程長くは無い。夜に包まれた世界の先に更に暗い闇が蟠っているかのようだった。やや詩歌的に口にした理央に『Dr.Tricks』オーウェン・ロザイク(BNE000638)が言葉を添えた。 「胸騒ぎがするかね?」 「畏れているかどうかは別にして」と肩を竦めた彼女にオーウェンは言う。 「予感は……理と推論と、絶え間無き計算によってその正体を暴き、乗り越えるより他あるまい」 「ま、『試金石』というには、ちとしびあすぎる気もするが」 遠く牧歌的な田園風景に混ざるその村を見つめ、紅涙・真珠郎(BNE004921)は何処か温く呟いた。 「……ま、セコくヤらせてもらうのじゃ。相応にの」 アークでの初めての仕事に『これ』を選んだ真珠郎の性質は惚けた態度とは裏腹に『筋金入り』である。 そもそも彼等は何故この場に居るのか。 同盟組織『オルクス・パラスト』より齎された仕事とその情報はアークでもちょっとした騒ぎになった特別な仕事の一つであると言えた。かの首魁シトリィン・フォン・ローエンヴァイスより直々に請け負った今回のアーク欧州行はドイツの漁村で起きた怪異事件より連なるリベリスタ組織『フォーゲルショイヒェ』全滅の真相を探るというものである。 「アークの者としての大任、何としても果たさねば」 やや気負うように言った『天の魔女』銀咲 嶺(BNE002104)が自らの耳に光る銀の飾りに手をやった。 (……簡単な話にはならないでしょうが……) (……崩界を食い止めるのが第一。だからこその胸騒ぎなのか……) 今日という日が何事も無く、明日という日が滞り無く巡る事を確信する為に。 偏にその為に力を尽くしてきた『生還者』酒呑 ”L” 雷慈慟(BNE002371)にとっては今回とて『特別』であってはならないのだ。しかし、話を聞いた時からリベリスタ達が絶え間なく感じていたある種のプレッシャーは、その場所に近付くにつれて気のせいで誤魔化すには不可能なものになりつつあった。 (今回はかなり気合を入れていかないといけませんね……) 回復役である『局地戦支援用狐巫女型ドジっ娘』神谷 小夜(BNE001462)の仕事は場が危険な程重要になる。不測の事態が予測される今回だからこそ、その小さな肩にかかる責任は重い。 「頑張りましょう」 短い言葉に意思が篭る。 勿論、感じ方は人それぞれだ。怯えて仕事にならないような人間は最初からこの場所には居ないのだが。 歴戦と呼んでもいいリベリスタ達が一様にこれだけ硬い表情を並べる機会は決して多くは無い。生物としての本能が訴えかける忌避感覚は恐らくどれ程の修練を積んでも無視出来るものではないのだろう。 「……」 「……大丈夫ですよ、クラリス様」 「ええ、これがリベリスタの仕事ですものね」 「はい」 形の良い眉を顰め、難しい顔をした『黒天使』クラリス・ラ・ファイエット (nBNE000018)に『幸せの青い鳥』天風・亘(BNE001105)が微笑みかけた。彼が伝えなかった言外には「仲間を、そして誰より大切な貴方を奪わせない為に来ました」。クラリスも流石にその辺りは察さない程鈍くは無い。 ただ、平素は自信家で気の強い所がある彼女の双眸(サファイヤ)が何時になく不安そうに揺れるのを見れば、亘としては期するものを感じるのは事実なのである。 「四条さん、確認をお願いします」 「予定通り。距離を取って突入時刻――二十三時前を待つ。 但し、恵梨香君やクロト君の千里眼が『生存者』を捉えた場合はその限りじゃない」 「今の所は『異常しかないから異常無し』ね」 「正直、ぞっとする光景ってやつだぜ、これ」 亘に応えた理央の言葉に『ネメシスの熾火』高原 恵梨香(BNE000234)、鷲峰 クロト(BNE004319)が頷いた。二十三時は今回の作戦に貸与された脱出用アーティファクト発動の鍵である。この時間は必ず村内の調査に当てなければなるまい。 「普通の村人は残ってないみたいだ。この距離で生き残りを探すのは少し骨かも知れないな……」 「それに数の全貌はちょっと……分からないわね」 クロトの千里眼は暗い視界に対応し、恵梨香のそれは幻想を殺す性質を備えている。彼等が見る光景は等しく闇の中に蠢く無数の異形というおぞましいものではあったが。少なくともそこに存在する『魚人』は事前の情報の通りの存在であるらしかった。 「此方の調査も合わせれば効果的になるだろう。 そう言葉を挟んだのは鼠を使い魔に走らせた雷慈慟である。 千里眼は遮蔽物をかわせるが小回りという意味では微妙。一方で雷慈慟の使い魔は屋内等に侵入するのは難しい。 「……おかしいわ」 ぽつりと漏らした恵梨香の呟きは十分な場数を踏み、幻想を看破する彼女にしては不明瞭な響きを持っていた。望遠鏡よりもクリアな彼女の視界の中にあるそれ等はこれまで彼女が見てきたものと少し違う。それはエリューションとは少し違う。アザーバイドの雰囲気に近いが、自分達と同じ革醒者のそれにも近い。神秘の底を、深淵のそれを覗き込むような不快感は彼女の背筋に寒気に似た感覚を走らせていた。 「あれは……アザーバイドなのかね」 「さあな」 クロトに軽く応えたのは『スーパーマグメイガス』ラヴィアン・リファール(BNE002787)である。 生来からの彼女の調子はこの重い現場においてもある種の気楽さを有したままだった。 「でも、クトゥルフのアニメも毎週見てるし、そこからはまって本も読んでるんだ。予習は完璧だぜ!」 ラヴィアンの言は調子こそ軽いが、全く的外れという訳でもない。今回の事件はアメリカの怪奇作家ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの著した恐怖神話のイメージを思わせた。職業柄オカルト方面の知識に富むリベリスタ達はそこに何らかの関係性がある可能性を考えたのだ。伝説の殺人鬼やソロモンの魔神と御目にかかった彼等にとっては何が『本当』であったとしても驚きは無いというのが正直な所だ。 何れにせよ今回の仕事の主題はあくまで調査である。 下手をすれば欧州を――否、この世界の根幹を揺るがしかねない危険を秘めるやも知れぬこの予兆を見逃さない事こそあのシトリィンに精鋭と頼まれたアークの実力を示す方法であった。 早い段階でベースとなる地点に到着し、まんじりともせず村の様子を伺うリベリスタ達。 焦れる緊迫の時間がどれ位続いた頃の事だったろうか。 「……時間のようだ」 夜の帳に包まれた現場に『始まり』を告げるオーウェンの言葉が響く。 敵側の動向と位置関係はパーティの調査から理央の地図にメモとして書き込まれている。 侵入する側の万端さを見せる彼等は或る程度敵をかわして調査を進める事が出来るかも知れない。 しかし、そこに何かが居る、表に見えている以上の何かが在るのは明白だ。 「各々、くれぐれも油断は無いように」 雷慈慟の言葉に仲間達は頷いた。 「さて、藪を突いて何が出るかな……」 「出来れば『アレ』には接触したくありませんね……」 小さく零したクロト、苦笑い混じりの小夜の発言は全く笑えない現実である。 虎穴に入らずんば虎児を得ず。されど、虎穴に入るその時に嬉々とする人間は多くは無い。 ●侵入 かくて二十三時を回る前に動き出したリベリスタ達は怪異に包まれた村内に侵入する運びとなった。 「出来るだけ無駄な消耗は控えたい所じゃからな」 真珠郎の異能が足音を極限まで抑え、パーティの動きを夜の影へと紛らせる。 それぞれが暗視能力ないしは光量を補正するアイテムで闇への対応も余念が無い。 事前の調査で魚人の密度の低いエリアから村内に侵入したリベリスタ達は早速辺りの探索を開始していた。 十分な時間と準備を経て行動を開始した彼等の動きは迅速かつ的確であった。 彼等の目的はこの村で起きた事の調査、そしてこの村に存在するであろう『本当の問題』を見極める事である。リベリスタ集団『フォーゲルショイヒェ』が撤退すら叶わず完璧に消息を絶ったその結果は――恐らくだが魚人のみを理由にするものではないだろうという判断がそこにはあった。 (ディメンションホールの有無、魚人の能力、『アレ』が何なのか……頭が痛くなるぜ) 頭を軽く掻いたクロトは圧し掛かる陰鬱な気分を振り払うかのように頭を振った。 雷慈慟の先行させた使い魔がルートの安全性を評価し、本隊が続く。 無駄な交戦を避けるというパーティの意思は徹底されていた。 円陣を描くように陣形を組んだ面々は前衛に亘、ラヴィアン、真珠郎、雷慈慟を置き、後衛に理央、オーウェン、クロトを配置し、中央に恵梨香、小夜、嶺、そしてクラリスを囲う構えである。 (鍵は生存者か。生存者に接触出来れば一番効果的だ) 陰気な漁村を静やかに行く雷慈慟が唇を舐めた。危険だが家屋や建築物の内部調査も必須である。 (魚人と意思の疎通が出来れば話は早いのかも知れませんがね……) 苦笑混じりの嶺はアザーバイドと意思を疎通する為の術(タワー・オブ・バベル)を持っている。しかして彼女の内心には諦めの色が混ざっていた。村内に侵入して以降、やり過ごした魚人は幾人かに及ぶ。人を外見で区別するのはいい事では無いかも知れないが、いざ近くで目の当たりにしたのっぺりとしたカエルのような魚面は少なくとも積極的に友人になりたいような姿形には感じられなかった。夜を徘徊する彼等の纏う排他的な敵対空気は下手な接触をしたその先に待つトラブルを容易に確信させるものだったからだ。 村内には多くの魚人の影があった。 幸いに彼等の感覚器官は人並みから外れてはいないのか、細心の注意を払うパーティはこれまで露見していない。 しかし、この場所が敵地である事は間違いない。 敵の密度から考えて何時までも幸運が続かないのは当然でもあった。 「シ――!」 (……見つかった……いや……) 鋭い呼気のような声を発したのは路地の向こう側の二体の魚人達であった。 雷慈慟は彼等の様子から瞬時に状況を判断した。彼等は完全にパーティに気付いた訳では無い。 何らかの痕跡を察したばかりだ。詰まる所、彼にとってはここが腕の見せ所という事だ。 「行け」 短い命令が雷慈慟より与えられた。 鬼謀神算に奇手絶妙を備える指揮官は完璧なタイミングでそのタクトを振るう。 「クラリス様!」 「――遅れませんわよ!」 闇の中を駆け抜けた亘が敵を自身へと引き付けた。 冷たい刃を煌かせた彼とそんな彼に負けじと続くクラリスに続き、素早い反応で一帯の音を極限まで押さえ込んだ真珠郎の対応を受け、パーティが一気に攻勢を仕掛けていた。敵が少数ならば騒ぎを起こされる前に即座に殲滅する。それは彼等が事前に示し合わせていたプランの通りであった。 「行くぜ――」 真珠郎の力で抑え込まれた戦闘音は微かな気配程度にしか響かない。 先鞭の一撃を加えた二人に入れ替わるように飛び込んだクロトのフェザーナイフが闇に二閃を迸らせた。 ぬめる肌に氷を張り付かせた魚人の動きが凍り付く。 「止まれよ」 後方より伸びたラヴィアンの黒鎖が残る一体の魚人にも絡み付き、その自由を完全に奪い去っていた。 固まって動くパーティはその火力と手数を万全に発揮している。彼我の絶対的な数の差を考えれば正面衝突では勝ち目は無いだろうが、敵を絞れば局地的な優位はパーティの方に存在していた。 不意を打たれ死に体となった魚人の喉を土中より現れたオーウェンと嶺の光の糸が撃ち抜いた。 迅速極まりない『処理劇』。 パーティの動きはほぼ完璧だが、幾らでもいる雑魚がこの強靭さなのは笑えない。並の神秘では太刀打ち出来ない一線級のリベリスタの攻撃に連中は何度か耐えているのだからむしろそれは脅威である。 血の糸を引いて倒れた魚人に構う事は無く面々は周囲の様子を伺った。 一秒、二秒。 しんと静まり返った夜はそれ以上の騒乱をまだこの夜に求めない。 「……こりゃ、実際に見るとますます気持ち悪いぜ」 倒れ伏した魚人を眺め、ラヴィアンが少し嫌な顔をした。 彼女が予習に読み込んだ小説と今回の現場はいよいよ似ている気がしたのだ。 気のせいか辺りの空気までもが生臭い。漁村なのだから当たり前なのかも知れないが――先入観も加味して考えるならばそれはここに居る連中の所為にも思える所である。 探索を続ける面々。 途中でふと真珠郎が足を止めた。 「……どうしました?」 「これも『材料』じゃろ」 小夜に応えた真珠郎の赤い目は路傍に捨て置かれた人間のパーツにその視線を送っていた。 それは生々しく引き千切られた人間の腕である。 先程倒した魚人の死体は情報収集のタネにはならなかったが、元がリベリスタならば期待は出来るだろう。尤も交霊術を持つ彼女も人間の死体は兎も角、人間のパーツと言葉を交わした事は無かったが。まぁ、パーツの持ち主が今も存命であるならば効力の外だろうが、それはそれで幸いである。 「どれ、『尋いて』みるかの」 意識を集中した倒した真珠郎の周囲を仲間達が警戒する。 『推定』リベリスタの死体の一部であるそれは、この村で何が起きたのかを知る材料になるかに思えたが―― こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわ 「……チッ……」 頭の中を埋め尽くす断片的な単語の渦に思わず短く舌を打った真珠郎の表情は歪んでいた。 「駄目じゃ、駄目じゃ。話にならぬ」 「……その、死体は何と……?」 怪訝そうに尋ねた嶺の言葉はほぼ全員の代弁だった。 肩を竦めた真珠郎は溜息を一つ吐くように肩を竦めてそれに答えた。 「狂っておるのじゃ。怯えるばかりで『会話』の出来る状態では無い、といった所かの」 常人よりも遥かに強靭な精神を持つ一流のリベリスタがこれだけの恐慌に落ちる事は少ない。 顔を見合わせたリベリスタ達がついお互いの表情を確かめてしまったのは無理からぬ事だろう。 「どうやら、予想以上に面倒な事態が起きているようね」 腕を持ち上げて証拠として確保した恵梨香の表情が黒雲の隙間から注ぐ月光に照らされて青白い。 胸元でぎゅっと握ったキャンディの小瓶がひんやりとした感触をその手に伝えていた。 月を隠さんとする群雲のような不安感は加速的に小さな胸を締め付けている。 「『アレ』に心を折られても、生きる想いは失わない。私も、皆もそうある事を信じています」 恵梨香が、或いはクラリスが表情を僅かに曇らせたのを亘は見逃さなかった。 力強い言葉に恵梨香は「当然よ」と答えた。 その瞳に強い意思の炎を燃やした少女は「アタシは必ず生き残る」と宣誓のようにそう言った。 クラリスはと言えば、そんな亘の姿に小さく微笑を零して「言いますわね」と目を細めていた。 「調査を続けましょう」 少しだけ気恥ずかしそうにした亘が再びパーティを先導するかのように歩き出した。 この場所に長く留まる事の意味はとうの昔に知れていた。 しかし同時に何らかの結果を持ち帰らずには帰れない所だ。 蠢く魚人達は元は唯の人間だったという。平和で牧歌的な漁村に起きた『問題』は何に起因したのか。これまでのパーティの調査では切っ掛けに成り得るディメンションホールの存在は確認されていない。 リスクとリターンと限界点を天秤にかけながらの調査は続いていた。 極力魚人との交戦を避けながら、少しずつ探索範囲を広げていく作業は根気のいるものになった。 時間的リミットは脱出の為のアイテム『十一時の月影』の有効刻限を考えれば最大でも一時間ばかり。しかしてこの一時間は集中して気を張るリベリスタ達にとっては永遠にも思えるものになる。 「次はあっちね」 恵梨香の視線が大きな建物を捉えていた。 パーティは幾度かの散発的交戦を経て調査範囲を屋外から屋内へと広げていく。 魚人側も流石に複数の仲間が倒された事で『何事かが起きている』事を察したらしく、集団での警戒を始めていた。彼等が集団を形成した事で敵側の戦力は簡単に倒せないレベルに増強されたが、網のように広がる彼等の目は必然と荒くなった。その隙間をリベリスタ達は泳ぐように抜けていく。どう化け物に変異しようとも彼等は元々素人である。こういった仕事に一日の長があるリベリスタ達は実に『巧かった』。 「……いよいよ忙しくなって来ましたが……」 「ですが、ここまでは順調です」 「ええ、頑張りましょう」 それでも完全に衝突を避ける事は難しかったが、リベリスタ陣営は中長期戦の備えも十分にある。 パーティの生命線を握る小夜、その彼女を力強く支える嶺の活躍もあり、比較的消耗を小さいまま状況を進める事に成功していた。勿論、リベリスタそれぞれ、の戦闘力やそれら全てを統括する雷慈慟のタクトが大きくモノを言っているのは言うまでも無い。 「……何だか、やり切れないぜ」 溜息めいて漏らしたのは自身を『正義の味方』と呼ぶラヴィアンである。 自身の力は全てを救い取るに十分ではない事は分かり切っている。リベリスタの活動を始めたその時から、幾度と無く舐めた辛酸は此の世が勧善懲悪の物語程は都合よく作られていない事を示していた。 それでもいざ圧倒的な現実を目の前にすれば口惜しさを感じない訳ではなかった。 「出来れば、皆助けたかったんだけどな……」 村の家々には『こうなる前』の生活の跡が少なからず残されていた。マリー・セレスト号の怪異までとは言わないが、腐敗臭を放つ食べかけの夕食等を見れば今回の出来事がどれ位に唐突で、前触れの無い事件であったのかは十分に理解出来る所だった。 この場所の意味があるのか、それとも偶然だったのかはリベリスタには分からなかったが。 平和な村は或る時間を境に陰鬱とした異界に姿を変えたのだ。 ボトムの人類には全く意味の分からない奇奇怪怪なる儀式の跡等が魔術師たるラヴィアンにはやけに目がつく。深淵を覗き込む行為がどれ程の危険を秘めているのか自覚していない彼女では無かったが―― (何かが切っ掛けだった筈だぜ。それは多分『アレ』ってヤツなんだろうが――) クロトは内心で臍を噛んだ。 調査が核心に触れる為には『アレ』の存在を特定する必要がある。 しかし、それとの接触は極力避けるべきである事は明白だ。視認だけが可能ならば最良だが、状況が都合良く転ぶかどうかは――実に微妙なあやと言えるだろう。 「ここからは特に注意して動きましょう」 敵襲に気を配る小夜は細心の注意で周囲に油断無い視線を送っている。 一つのミスが決壊に到る道ならば、ここで認められるのは完璧以外の何者でもない。 村の中心的な建物を重点的に屋内の探査をどれ位進めた後の事だっただろうか。 焦れる探索はやがて新たな局面を迎える事になった。 「あ……っ」 「……貴方達は!」 目を大きく見開き、思わず声を上げた小夜が口を抑えて辺りを見回す。幾つかの民家を調べたパーティが小さな部屋のドアを開けたその先にはこれまでこの村では見つける事に出来なかった女の子が座り込んでいた。 ●発見 「私達はアーク。私はアークの銀咲嶺。 オルクス・パラストのシトリィン伯の命を受け、貴方を保護する為に来ました」 折り目正しく冷静に状況を伝えた嶺は「それだけではありませんが」と心の中だけで付け足して、目の前の少女の様子を伺った。 民家の中で保護した少女は怪我等をしていない様子だった。 疲労の影も薄く、衣服にも目立った汚れはなく、正気を保ったハッキリとした受け答えをしているのは恐らく『アレ等』と全く交戦を行わないで逃げ延びたからなのだろう。それは幸運で賢明と言う他は無い。 その辺りの事情は細かく聞けた訳ではないが、オルクス・パラストの得たイメージの経緯なのかも知れない。 「我々が来たからには安心して欲しい」 「貴方達が来てくれて本当に嬉しい! どうなる事かと思ったの!」 責任感の強い所を見せた雷慈慟の声に歓喜の色を湛えた大きな瞳がきらきらと輝いている。 「優しいのね、ナイト様。このままなら本当に最悪だったわ。外はあんな調子だし、魚臭いし!」 「……それは、後でゆっくりお風呂に入りたい所ですね」 何とも同意するしかない少女の言葉に嶺が曖昧に相槌を打つようにそう言った。 この民家の周囲には幸いに魚人が少なく、一時的にパーティが身を隠すに丁度良かった。 集結を始めた敵の囲みを突破するのは来た時程簡単ではないだろう。切り札の『十一時の月影』の発動も含めて態勢を立て直す事を考えたパーティは一時的にこの場をベースに定め、情報の収集と確認に努めていた。 「さて、ここからが勝負だな。今の所は大丈夫のようだが……」 リベリスタの面々が少女に問う一方で窓から半身を覗かせたオーウェンが外の様子を警戒している。 魚人達はまだこの辺りには集結していない様子だが、天気の悪さは気にかかる。 「……まずいですね」 「ああ」 亘がちらりと見上げた空には厚い黒雲が被っていた。先程までの状況を考えれば月が全く出ないという事は無かろうが、アーティファクトの発動出来るタイミングが限られてくるのは明白だ。 外をふらふらするよりはこの場で状況の回復を待つ方が良いだろう。 それに何より、保護した彼女には聞かなければいけない事がある。 「……それで、君は隠れていたという訳だね」 「うん、この村に来たら凄い事になっちゃって……もう兎に角驚いてここにこうして隠れていたの」 理央の言葉に頷く彼女は自身を「リベリスタのラトニャ」と名乗った。 早口でまくし立てる彼女はリベリスタ一人一人の顔をじっと見つめながら矢継ぎ早に言葉を並べる。 「窓の外にアレが見えた時には本当にびっくりしたわ。 私、元々はマサチューセッツに居たんだけど、ドイツに知り合いが居たから…… そうしたら一杯おかしなのが来て、兎に角大変だったのよ!」 興奮する彼女を宥めるように話を引き出すリベリスタ達。 「この村に他に生き残りはいるのか?」 「わかんない。村の人達は皆おかしくなっちゃったし……」 クロトの問い掛けにラトニャが首を振った。 さもありなん。その『おかしくなった連中』はここに来るまでに散々目の当たりにした事実である。 この村に『正常なもの』等何も無く、強いて言うならば自分達位なものである。ある意味で『こんな異常な環境に身を置きながら正常である事を確信する』のは主観の錯覚なのやも知れないが。 「一体、ここで何があったの? 奴等のリーダーは?」 「化け物が居たのよ。この世界の人達が化け物って呼ぶ、カミサマが」 恵梨香の言葉にラトニャは短く冷静な言葉を返した。 「神様?」 「人間には理解出来ない神性、関わってはいけないとされているもの。異世界のカミサマ」 「その神様が……何をしたの?」 「カミサマは笑ってたわ」 「笑ってて……何があったの!?」 当を得ないラトニャの答えに思わず身を乗り出した恵梨香が小さな咳払いをした。 疑問は果てない。神様という単語が導く意味は考えたくも無い事実だ。 もしリベリスタが額面通りにラトニャの言葉を受け取るのだとしたらば、そこに横たわる現実はこの場にある十一人の受け持てる範囲を余りにも大きく超えている。 「カミサマは退屈してたみたい。久し振りに起きて、暇潰しをするんだって言ってたわ。 古い知り合いはこの為に残していたんだって。丁度、用がある……何だっけ、そう『アーク』よ! つまり、貴方達も関わり合いがあるならそれが一番だって笑ってた」 オーウェンの灰色の頭脳が猛烈に回転する。 少女の今ひとつ要領を得ない『説明』から推測するなら事態はこうか。 一つ、この村にはミラーミス(と思われる)何らかが出現した。 一つ、ミラーミスは人間的な知性を持つ存在である。 一つ、ミラーミスはドイツの古い知人とアークの両方に興味を持っている。 一つ、全ての諸悪の根源はそのミラーミスらしきものである。 「……成る程、不可解だ」 曲がりにも神等と称される存在が何時この世界に出現したのかがまず知れない。 万華鏡程の精密さを持たないにせよ、欧州にもリベリスタ組織が存在し、フォーチュナが存在する以上は果たして最も警戒しなければならない存在の出現を見逃す事等があるのだろうか? かつて静岡県にR-typeが出現した時、リベリスタ達はその死力を尽くしてこれを食い止めた。 状況が同じなのだとしたらば、今回もその危険性はこの現場レベルの問題ではない。事件に対応する為にリベリスタ達が編成されたというのに、その出現を見逃したとするならば余りにお粗末が過ぎるではないか。 「何だかいよいよきな臭い雰囲気になって来た気がしますよ」 「結論を言えば、これは最悪だね。さっきまでより余程」 「そうかえ? もし神等に出会えるとするならば、これに勝る幸運は無いのじゃが」 「……まぁ、貴方はね」 「殺し甲斐があるならば」とまでのたまう真珠郎は兎も角、小夜と理央の言葉に残るリベリスタ達は頷いた。 事の真相がどうあれ、現状得ている情報から判断するにこの場に長く留まり続ける事は愚策以外の何者でもない。 「……皆さん!」 「待てよ! 何かおかしいぜ!」 小夜が息を飲み、ラヴィアンの声が緊迫を帯びた。 外の様子を伺っていた彼女は魚人共の動きに変化があった事を明敏に察していた。 彼等の真の恐ろしさは集団と化した時である。小説で出会った恐怖のシーンが再現されるならばこれからだ。 「いよいよ、面白くなってきたようじゃな」 獰猛な表情をその美貌に乗せて真珠郎(すきゅらのおんな)強かに笑った。 ざわざわ、ざわざわと危険な気配が満ち始める。 長居は無用と動き始めたリベリスタ達にラトニャが続いた。 全てはここから、帰るまでが調査任務だと言うならば――道は半ばにも届くまい。 気のせいか、嫌な女の嘲笑が鼓膜の奥にこびりついたような、そんな気がした。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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