● お伽噺にしてはやけに独善的だった事を覚えている。 『お姫様を護るために竜を殺した王子様』 竜と王子様は対話で来たのだろうか。悪いと決めつけて殺すなんて。 『敵を殺してお姫様と幸せになった王子様』 そもそも、殺して居る時点で十分悪党では無かったか。 「如何にも」 問いに応える様に『英雄』は頷いた。剣を握りしめた王子様は今やその面影を残さない。 矢崎 篝は子供のころから変わっていた。 ロマンチックな物語にも冷めた目で見てしまうし、何よりも、独善的な行いを許せなかったのだから。 矢崎 篝にとっては人殺しは所詮は人殺しだった。 目の前に居る王子様が『英雄』だったとしても。 「お前は――人殺しだろ?」 「――如何にも」 ● 「『人間』を殺してきてほしい」 はっきりと告げた『恋色エストント』月鍵・世恋(nBNE000234)の目は真摯な物だ。 14歳のかんばせに乗せた25歳の感情。資料を指先で弄りながら世恋は言う。 「我々は正義という大義名分のもとで人を殺してる。 誰かからすれば私達は正義なんかじゃないのかもしれないわね。 大の虫を生かして小の虫を殺す――詰まる所私達は世界を護るために、何かを切り捨ててるの」 言わずとも分かっていると誰かが一人、頷いた。 人を殺してきてほしいと望む事は任務として決して少なくなかったが多いとも言い切れない。 「人殺し、かあ」と困った様に告げる世恋は「お願いしたい事があるの」とリベリスタを見回す。 資料に乗せられた青年。矢崎 篝という青年が今回のターゲットなのだと言う。 「矢崎 篝の中にはアザーバイドの種子が埋め付けられているわ。 『ビア・ラークテア』――これがある限り矢崎は一般人とは言い切れない。勿論、革醒者ではないから――何でしょう……異形、かしらね」 酷い言葉だ、と誰かが嘯いた。 異形となった矢崎は体に埋め付けられたアーティファクトが壊れない限りは『死ねない』。勿論アザーバイドが死ねば彼も死ぬのだが。 「矢崎に埋め付けられたアーティファクトは矢崎を人ならざる物にするわ。 先ずはノーフェイス。フェーズ1、フェーズ2……進行するごとに彼は亡くなってバケモノに化すでしょう。 最善なのは彼が革醒する前に殺す事。最悪なのは彼がフェーズ3に進行することよ」 「その一般人を、一般人のうちに殺せば、」 「無論、その通り。けれど彼の近くにはアザーバイドが居るわ。 ビア・ラークテアを埋め付けたアザーバイド『サルヴァドール』……salvador、英雄ね。 彼は矢崎がフェーズ3になるまでは護り、慈しむでしょう。彼が異形になり果てるまで」 「何故、」 「さあ、感傷かしら」 アザーバイドの考える事なんて分からないと世恋は首を振る。 サルヴァドールの能力は面倒だ。分身体を作り攻撃に転じる。それが時間稼ぎとなって矢崎がノーフェイスとなり、フェーズ進行を促す可能性は否めない。 「アザーバイドを殺し、矢崎を殺し、アーティファクトへの対処をお願いするわね」 ● ひとごろし、ひとごろしと青年は罵った。 『英雄』にとっては抉る言葉でしかなかったのだが、そんな物を彼が知る由もない。 誰かを殺した事がそれ程に悪いことか。 誰かを護る事で誰かが死ぬことがそれ程悪いことか。 ならば、『英雄』などはいない。 殺さなければ、救えない事を身を持って思い知ればいい。 異形となり果てて、自分が救われる為に人を殺すその痛みを、知ればいい。 だから、あの日。 そう、あの日にサルヴァドールは何処かに消えた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:椿しいな | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年03月13日(木)22:29 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 何時だって英雄譚は独善的だった。 そう告げた青年は確かに『正義』だったのだろう。正義とは貫くものだ。正義は誰ぞに言われて曲がるものではない。 他者の正義など唾棄すべき邪悪に過ぎず、それを認める事は己の正義を曲げることとなる。 顧みることなく、躊躇することなく、「人殺し」だと罵り上げ、他者の正義を邪悪と告げ叩き潰す。 ――成程、確かにこの青年は正義なのだろう。 ● 『夢追いの刃』御陵 柚架(BNE004857)曰く、人間はエゴイズムに支配されている。 握りしめた桜恋空咲。血に濡れたソレを見た時に柚架の指先は震えていた。目の前に居るのは『人間』だったからだ。 「人殺し――!」 吐き出された罵倒。振り払う様に一気に振り翳された斬魔・獅子護兼久。燈と空の対極の瞳に家族には見せない無慈悲な感情を乗せて『元・剣林』鬼蔭 虎鐵(BNE000034)は人間を切り刻む。 掌に感じる衝動は紛れもなく人の肉を断った感触であり、幾度となく感じてきた命を奪う瞬間だった。 肉や皮が蠢き、再生する青年の体を見た時に浮かんだのは嘲笑にも似た、ナニか。 「人殺し? ああ、一般人を殺す事には別になんも抵抗はねぇ。俺は人斬りで人殺しだ。 それは己の本能でやってきた、『俺の世界』だ。テメェが俺を否定する――?」 もう一度振り翳された刃を見詰め、『Type:Fafnir』紅涙・いりす(BNE004136)は首を傾げて牙を見せる。 唇から零れたソレは飢えた獣の様にギラリと光って、矢崎篝という男を見詰めていた。 「矢崎、テメェの存在が、テメェの言葉が俺の世界を壊すってんなら、俺がお前を壊すのみだ」 人間とは正義を盾に人を殺すそうだ。正義と言うのは人によって違うのか。 吐き出した息と共に振り翳された刃が、青年の体をもう一度、深く切り裂いた。 ● 静まり返った廃墟に足を踏み入れた『陰陽狂』宵咲 瑠琵(BNE000129)の瞳に浮かんでいたのは嘲笑か。 長きを過ごした少女にとってこの廃墟に茫と佇んでいた十二体の存在と一人の青年は何とも可笑しな登場人物たちだった。 「『英雄』かえ? ――英雄など最初から何処にも居らぬ」 吐き捨てる様に告げたのは挨拶にしては程遠い。瑠琵の言葉に肩を揺らしたアザーバイドは一斉に彼女を振り仰ぐ。 背の低い和服の少女は帯をひらり、と揺らして轟天・七星公主を構える。彼女の隣でたん、と地面を踏んだいりすは誰が打ったかすら知れぬ太刀と呪われたナイフを手に瑠琵の前へと滑りこむ。 茫、と揺れる竜血珠の光りが足を踏み入れたばかりの瑠琵の長い紫の髪を照らすと同時、放たれた黒き瘴気は挨拶がわりと言う様にアザーバイドに向けて伸びて行く。 「お前らも、人殺しかよ……ッ」 吐き出す様に告げる青年の声に、胸に栓をされた気がして『戦奏者』ミリィ・トムソン(BNE003772)は何処か息苦しさを感じていた。手にした理想論、不安に塗れる金色を隠す様に、力強く彼女はタクトを振り下ろす。 「任務開始。さぁ、戦場を奏でましょう。 貴方は嘗ては英雄であったのかもしれません。今や人を異形に変える存在と成り果てた。 最早貴方は英雄では無い、唯の異形であり――我々の撃滅対象です」 吐き捨てる様に告げたミリィの言葉に、合図だと言う様に引き金を引く。銃口に擦れる音一つ、離れた位置に突如として現れた光弾。空間を転移した魔力の弾に押し黙る様にアザーバイド、嘗ての英雄『サルヴァドール』は体を揺らした。 一体が其の侭、全力で前へと走り出る。刃を受け止めて、唇を噛んだ虎鐡をODS type.D越しで確認した『祈鴉』宇賀神・遥紀(BNE003750)は掌でミスティコアを弄り、仲間達へと翼を授ける。感じていた足場の不安を取り払われた虎鐡は戦神の気を見に纏い、手に良く馴染む大振りの刃で英雄の体を押し返した。 ぞわりと背筋に走ったのは突如始まった闘いの余波か。滲みでた汗でナイフが滑り落ちないように柚架は速度を身に纏う。 体内のギアが切り替わり、戦闘の速度に順応できる様にと彼女が整えた準備、は、と息を吐くと同時、少女の防御用マントが翻り、前進する英雄の刃の衝撃に体を捻り上げる。亀裂の走った脚から溢れる血に視線求めず、柚架は不安を押し払う様にふるりと首を振った。 「人殺しでも、壊してしまったセカイから恨まれても、憎まれても……悔しいけど、ホントは辛い、けど……ホントならそんなヒト達すら全部全部護りたいけど……ッ」 英雄は、目の前で苦しんでいる。柚架には良く分かる。『セカイ』のトップでも英雄でも持たない力を自分が持っている訳がない。 口に出した言葉に『合縁奇縁』結城 竜一(BNE000210)は柚架の肩をぽん、と叩き宝刀露草を手に、前線へと飛び出した。何者にも阻まれぬ勢いを持った竜一は何時もの人好きする笑みとは違った表情を浮かべている。それは彼の信念が浮かび上がった物なのか。 「人それぞれだ。だから、何を考えても良いし、言っても良い。ただ、その全ての言動には結果が伴う。それだけの事だろう」 「まあ、そうさね。人が人である以上、命を奪うという行為からは免れる事は出来ないもんだ。 生きる上で家畜を食うこと、これだって十分な殺しじゃないか。故に懊悩煩悶する姿は正しいものだとはおじさん思うね」 『足らずの』晦 烏(BNE002858)がもみ消した安物煙草の火。揺れる紫煙は静かに宙を漂って消えていく。人の命など、所詮はこの煙の様な物だ。 二五式・真改からばら撒かれた弾丸が後方に存在する矢崎青年や英雄諸共打ち抜いていく。痛みに眉を顰めた青年の顔を見て烏は悪びれず肩を竦めた。 「人間観察が趣味でね、しかし、まあ……お前さんは人間観察の対象としても不適じゃあないかね。 人殺しと罵る青臭い書生である内はまだ良かったがね。世の中奥が深いもんだなあ。感動したわ。 これじゃあ、まるで――正真正銘の『人でなし』だ」 ● 混乱をきたした英雄達が己らに刃を向けながらも幾人もがリベリスタに向けて走り寄る。混乱で矢崎を切りつける英雄がいるたびに青年は噎び泣く様に恐怖を口にしていた。 その様子を目にしてミリィの指先に力が籠められる。広めた閃光は瑠琵の焔に混ざり、廃墟の中を明るく照らし出す様だった。 ――アザーバイドは崩界因子で、この世界を護るためには殺さなくてはならない。 ――彼は体内にアーティファクトを植え付けられている。殺さなくてはアーティファクトを壊せない。 「……分かっています。どれだけ、綺麗事を並べた所で私達の、私の行っている事が人殺しでしかない事なんて、分かっています」 年端もいかぬ少女には似合わぬ言葉を吐きだして、タクトを握りしめたミリィの頬を一寸の衝撃が過ぎ去った。切れた肌から流れる血にも意識を向けず、寂れた廃屋の床を踏みしめたミリィは前線を抜けんとするサルヴァドールを受けとめて震える膝に力を込める。 「分かっていても、止めない。立ち止まらない。――それがすべき事、必要な事なのです!」 「大切なものを護りたかった者が居た。のぅ、篝よ。王子は大切な者を護りたかっただけで、『英雄』と呼ばれたかった訳ではない」 王子(リベリスタ)は姫(セカイ)を護りたいだけだった。その為にこの場に立っている者も居るのだろう。 ある者は彼等を英雄と讃え、ある者は彼等を邪悪だと罵るだろう。 瑠琵の長い髪が揺れる。彼女の放つ火炎がサルヴァドールの体を押し返し、その合間を縫う様に虎鐡は前進し、刃を振るうサルヴァドールの体を押し返す。衝撃の侭に後退するサルヴァドールに竜一は待ってましたと言わんばかりに両の手で刃を握りしめ、旋回させる。 瑠琵の焔とミリィの炎の中、烈風は何処か燃え上がる様にも見える。爛れる肌など気に止めず攻勢に転じるサルヴァドールはあくまで無口な侭だ。言葉を発する事もなく、狂気に飲まれた異邦人はリベリスタへ向けて刃を投じる。 「よぉ、退けよ英雄。その一般人かぶれを殺さなきゃいけねぇんだからよッ!」 「何故、」 殺すのか、と問う英雄の声に応えたのは竜一だった。唇に浮かんだ笑みは何時だって明るい彼のものだった。 「言動の結果がこれだった。だから結果として俺は、」 脳裏に過ぎったのは今まで救えた人達では無い。救えなかった、何時かの誰か。 幾ら戦歴を積んでも、幾らフィクサードに名を轟かせようと、『結城竜一』でしかない。変わりないのだから。 「俺は、俺として、二人をぶち殺す!」 竜一の言葉にサルヴァドールが彼を狙わんと動きだす。前線の中央に飛び込んでいた竜一が頭を下げる。振り翳されたサルヴァドールの剣にブチあたったのは烏がばら撒いた弾丸。 「そこの青年、有り得ないといった表情をしているがおじさんはこれが『現実』だと思うよ」 クツクツと咽喉を鳴らす烏の言葉に音にすらならない声で抗議する篝を烏の銃口は見定める。 「『英雄』とは他人が語り祀り上げ、消費して使い捨てる方便みたいなもんだわな。 だがね、おじさんは例え独善的であろうとも人殺しであろうとも。 あんたの生き様は間違ってなかったと思うぜ? 『プリンス・サルヴァドール』」 「嗚呼……」 じ、と見据えたアザーバイドの言葉に烏は隠した表情を歪める。異郷の地なれど、己の事を分かる人間が居るのかと狂った英雄は両の手を見詰める。 穏やかに眠ってくれればいい、英雄は間違っていないと、烏はそう考えていたのだろう。 増える個体を撃ち抜いた烏が接近するサルヴァドールから逃れんと体を捻る。 乱戦状況になっている前線を懸命に癒す様にと遥紀が高度な術式を手にしたコアに刻みこむ。 「サルヴァドール、君は、本当は命を奪わずとも守る事を願ったのだろう、違うか『英雄』」 問い掛ける様に、血を流さず、人を救うと言う『奇跡』があって欲しいと願う遥気の言葉にサルヴァドールは刃を向ける。彼が与えた強力な回復。その隙を狙う様に遥紀を狙わんと異邦人の刃が襲う。 「……ッ!」 「宇賀神さん!」 滑り込んだミリィの腕を掠めた刃。咄嗟に遥紀が目を凝らせば虎鐡の刃から体を回復せんとする篝の姿。 「――左胸……心臓か、いや……その直ぐ下辺りだ!」 頷いたのは誰か。直ぐ様に体の砲口を変えた虎鐡に襲い来るサルヴァドールの刃。続けざまに前線に飛び込んだ柚架が頬から流れる血を拭い、逆手に持ったナイフを英雄へと付き刺す。 (足りない力の中で、手が伸ばせる世界で、笑顔を護りたい……その力がちょっとだけ強くて、優しくて) 「全部を護ろうとしたリソーは重たくて、バンニンが幸せになんてなれなくてっ! こうして生きてる柚架にだって重たい十字架が圧し掛かってるんです……ッ」 あの日目の前で死んだ人がいた。柚架と呼んでくれた愛しい家族。ちっぽけな人間だと無力感で一杯になった。 柚架にとっては篝だって救出対象だった。護れない事が、無力で仕方がない。矢崎を殺せば、誰かが笑う未来が其処に在るかもしれない。 青年の体に起きた変化に気付き、遥紀が咄嗟に翼を揺らす。魔力の渦に重ねる様にして瑠琵の焔が混ざっていく。 「偽善者よ! 王子一人に闘わせて、自分は戦わず、都合のいい時だけ『英雄』だと囃すのは善か? 脅威となる敵も知らず、王子の葛藤も知らず、己が物差しのみ測り、糾弾する行いは善か?」 「違う……」 掠れた声で、回復する己の体に恐怖を抱き、『まとも』であるかすらわからない精神状況の中で首を振り続ける篝に瑠琵は魔的な指先を揺らす。 篝に埋め込まれたアーティファクトの位置。掴んだ其れを放さないように、回復を行う篝に目を遣りながら瑠琵は『英雄』の本体を探し続けている。 「お前もお前だ、英雄等と言われ、求められ続け、英雄であろうとでもしたか? お前は、お前にしかなれず、お前であればよかったろうに!」 「英雄であれ――」 「俺は結城竜一だ。英雄でもなけりゃ、神様でも無い! お前は何だ?」 応える事もなく、傷だらけの英雄は竜一へと刃を突き立てる。溢れる血を拭い、足に力を込めた竜一の咆哮の後ろ、幾度も篝の体を切り刻む虎鐡は何度も何度も彼を『殺し』続ける。 「テメェも偽善偽悪とウゼェんだよ。世の中にはそんな綺麗な奴なんざいねぇんだよ! 人は何かしらの命を奪って生き伸びてるんだからよ――!」 「人は家畜とは、」 違うと言わんとする篝の横面を叩いたのは柚架の掌。「エゴばかり」と吐き出した柚架の表情は今にも涙が溢れんとしている。 誰が英雄で誰が英雄でないか。そんな物関係なかった。人間として闘い続けるだけなのだから。 ミリィは首を振りタクトを振り翳す。知っていた、人の命を奪う事の悪辣さを。 「私の事を罵っても憎んでも構いません。其れだけの事を行っていると、分かって居ます。 ――私は、貴方を殺します。きっと貴方の言っている事は正しいのでしょう……」 浮かんだ瑠琵の足先が軋む床板を叩く。くるりと体を揺らしうち出した術式は異邦人が齎した神秘と化して周辺へとバラ撒かれて行く。 「結局、一番独善的なのは、その他大勢の『人間』なのじゃよ」 「正義は『人間』が最も抱く大義名分なのだと小生は思うよ。英雄が倒すべき悪は何だろう?」 お伽噺に現れるのは何時だって、『 』だった。 瞬いた篝の目の前で、幾度も体を刻まれた青年の目の前で、『竜』は唇を吊り上げて笑っていた。 「容赦なく、躊躇なく、慈悲もなく、小生は『英雄』を踏み躙ろうと思う」 運命の焔が揺らぐ。何時かの記憶が訴えかけている気がした。命とは灯だ。蝋を溶かす火は揺らぎに揺らぎ一気に燃え上がる。 英雄(そんざい)を踏み躙る。人間(えいゆう)を喰い殺す。 それが『紅涙いりす』という『竜』の仕事なのだから―― ● 英雄とは放たれた矢の様なモノだ。止まる事は叶わず、戻る事は許されない。 一度飛びだしたら其の侭に、英雄として祭り上げられ、両手を血に濡らしながら進み続けねばならない。 彼らが止まるなら、それは死ぬ時だけだ。 ならば運命はどうか。気まぐれな運命は、人間は、放たれた矢の様な物だ。 いりすの中で加速していく運命は、止まる事は叶わず、戻る事は許されない。一度飛びだしたら其の侭に、竜は牙を剥いて英雄に襲い掛かるだけだ。 幾度も血を吸った刃がこの時ばかりは重く感じる。フラッシュバックするのは儚く散った桜の華と、ぽこりと鳴った水泡。 うそつき、だと言われてしまうだろうか。共に生きようと告げたのに、と困った顔で云われるだろうか。 それでも、自分は英雄を、正義を、越えねばならなかったのだ。 「悪は死なねばならぬ。悪は越えるべき壁であり、頂だからだ」 実に簡単な話だと言う様に、いりすはナイフを握りしめる。この場の正義は誰か、この場の悪は誰か。 矢崎篝にとっての悪はリベリスタとサルヴァドールであって、サルヴァドールからの悪は矢崎篝であって、リベリスタからはこの二人こそが悪だった。 死なねばならぬ。死なねば、悪として生き続けるしかないのだから。 光りの飛沫を上げたナイフがサルヴァドールに突き刺さる。 いりすの体内の歯車が軋み合う。英雄の目が追い付かんと視線を送る。英雄の刃が振るわれた先に竜の姿はブレて、消えた。 「竜か――」 「如何にも、小生が竜だ」 何時の日か、姫を助けるべく殺した竜の姿は其処にはない。竜は何時だって強大な敵として、その場に存在して居るのだから。 「英雄にとっての最大の敵は小生だ。だからこそ小生は殺すだけ」 己が正義だと言うならば、悪である敵を踏み躙るまで。 己が悪だと言うならば、正義である英雄を竜は蹂躙し、殺すだけだ。 翻弄されるサルヴァドール、その本体の胸へ深く付き刺さったのは誰が名も刻まれぬ太刀。 刃の切っ先に赤い雫が伝い出し、いりすは牙を出してへらりと笑った。 悪は死なねばならぬ。死なねば、悪として生き続けるしかならないのだから、 「ならば小生もそうしよう、その時まで――人間を、正義を喰い殺そう」 濁り切った瞳が見据えた先は解らない。 牙を剥く、尖った牙が突き刺さる。食い千切る様に青年の肩口を切り裂いた。 胸を抉る様に刺し入れた刃。先がアーティファクトに当たる。黒き瘴気を溢れさせ、体内から抜き出したそれはころりと転がり出て青年の体と分離する。 「―――」 誰の記憶か、己の記憶か、溢れ出た『意志』が誰のものか分からないと首を振る。 「命を惜しむなよ、刃が曇る。小生は強い奴が好きなんだ」 好きになったら、皆死んでしまう。誰よりも知った恋の辛さ切なさ。失う怖さは誰よりも知っていた。 好きになったら、自分が食べてしまいたい。それは英雄だって悪だって同じだった。 人間は皆、美味しそうな程に狂気を抱き、感情を発露させ続けている。嗚呼、だから、噛み砕いてしまいたい。 「小生は、欲張りだからな」 瞬きに合わせて、「いりす」と呼ぶ声が聞こえた。茫と見据えた暗い部屋の中。 僅かに輝く光の中で、何時振りだろうか、満たされることのなかった飢餓は今は無い。 感じた満腹感に咽喉を鳴らしていりすは牙を見せる。 屋根の向こう、薄らと差し込んだ月の光りが、白い瞼には眩しい。 霞んでいく視界の中で、誰かの呼び声にまた逢えたと返す事もなく眠る様に意識は解けていく。 英雄は竜に負けた。それは、何処かの誰かが残したたった一つの英雄譚だった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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