●屍ノ街 “憑鬼”と呼ばれるアザーバイドが居る。 異世界のウイルスとでも呼ぶべきそれは、人間の体内に寄生しその体を変異させる性質を持つ。 結果、憑鬼に寄生された人間は凡そ1週間程で人間を辞め、アザーバイドと化す。 それだけでも問題だが、しかしこのアザーバイドはそれ以上に厄介である。 憑鬼はその母体から他の人間へ接触感染を起こす。その感染率は非常に高い。 更に憑鬼によってアザーバイド化した人間は同族しか栄養に変換出来ないと言う性質を持つ。 即ち――憑鬼に感染した人間は必然的に、いずれは全て人喰いの鬼に変ずるのである。 更に寄生された人間は24時間が経過しアザーバイド化が発症するまで、 既に寄生されているのか、いないのか、少なくともアークには判別が付かない。 一端「憑鬼感染者」予備軍と認定された人間は、総じて殺処分する他無いのだ。 もしも“感染者”が1人でも社会に紛れ込んでしまったら、大事件に発展する事は間違い無い。 事実、今までアークはこれら憑鬼感染者を識別名『憑キ鬼』とし、アザーバイドとして殺して来た。 例え実際は感染などしておらず、ただの人間であったのだとしても。 万が一にもこれを見逃せば、非常の事態になる事が分かっていたからだ。 不特定多数。特定出来ない人数に“憑鬼感染者”の疑いが掛かってしまえば、 アークにはそれら全てを殺す以外の対処方法が無い。 もし万が一そんな物が都市部に流出したならば――一体、どれ程の災厄になるか想像を絶する。 起きてはいけない事態。 発生してはならない災害。 それが、発生した。事実だけを述べるなら、それが全てだ。 憑鬼感染者予備軍。完成してるいるか、いないか不明の人間が街に紛れ込んだ。 感染者の数は知れずとも、アークが総力を挙げて閉鎖した区画内の住人は100名を超える。 しかもその大半は、ただの人間だ。リベリスタらが護るべき、一般人だ。 だが、事が到ってしまったならば。神ならぬ人の身にはどうしようも無い。 ここにアークは一つの決断を下す。 地方都市1区画の住人100余名を、1人残らず殺す。より多くの人々の秩序と安寧の為に。 ただ、運が悪かったと言うだけの、罪無き人々を殺すのだ。 ●天ツ火は罪を滅ぼす とある地方都市、その一角。 『リンク・カレイド』真白 イヴ(nBNE000001)と繋がった幻想纏いを傍らに、 『敏腕マスコット』エフィカ・新藤 (nBNE000005) が所在無さげに佇む。 彼女は今回の作戦参加メンバーから外されていた。力不足、と判断された為だ。 敵の主格を討伐するには経験が、一般人を殺し尽くすには覚悟が。 エフィカには、そのどちらもが足りていない。 “集まった? うん。じゃあ変則的だけど始めるね” 何故、現場でのブリーフィング等を行う事になったかと言えば、 万が一にも失敗が許されない事態だから、と言う一言で片がついてしまう。 それ程に――つまり、時村の政治力、経済力でも揉み消し切れない所まで状況は悪化している。 その上、相手は既に幾度と無く交戦し、尚殺し切れないでいる強力なフィクサード。 そしてそれを更に上回るアザーバイドとのペアだ。細心に細心を重ねても尚心許無い。 “皆の役割は、『屍操剣』黒崎 骸。及びにアザーバイド、識別名『屍鬼童子』の討伐” 手段を問わず、ただ倒す事。与えられた任務は極めてシンプルだ。 ――が、勿論それだけで終わりではない。 “酷い混乱が想定される。『屍操剣』も『屍鬼童子』もこの混乱に乗じて逃げる心算……みたい” 逃走ルートは不明。どちらに逃げられても任務は失敗だ。 ここで、どちらも、殺す。それがリベリスタ達に与えられた至上命題である。 “必ず一緒に居るとは限らない。それと、地区内に黄泉ヶ辻のフィクサードが紛れ込んでる” それらの対応はもう片方のチームが行う予定だが、状況の推移は読み切れない。 例えば望むと望まざると、これらフィクサードの邪魔をリベリスタ達が行ったとしたら。 交戦に雪崩れ込む可能性は決して否定出来ない。 “このフィクサード達も黄泉ヶ辻の中堅以上。弱いとはまず言えない” つまり、出来る限り無視する事が求められる。それを、無視出来るのなら――だが。 “ここまで来てしまった以上、解決は可及的速やかに行わないと。 この上どこに問題が波及するか分からない” アークの敵は『黄泉ヶ辻』ばかりではない。何時までも追い続ける訳にはいかないのだから。 “決着をつけよう” 長きに渡る因縁に。人が鬼に変ずる事など無い様に。 死ななくても良かった筈の人々の、死が無意味で無かった事を証明する為に。 そして何よりも。 “私達は、運命だって支配してみせる” これ以上の理不尽な悲劇を、ここで喰い止める為に。 ●『屍』の王 「パパ、あれ食べちゃ駄目?」 「……もう少し我慢だ。すまんな」 ぽふぽふと頭を撫でる指に擽ったそうに瞳を細める少女。 もしもそこだけを切り取って見たならば、仲の良い父娘の様にも見えたろうか。 しかして、その周囲は血に塗れていた。黒く染まった銀行。その1階フロア。 全ての“果たすべき事”を果たし、『黄泉ヶ辻』の長、黄泉ヶ辻京介の興を十分に沸かせた。 この時点で、男――今となっては元『黄泉ヶ辻』の『屍操剣』黒崎 骸の事など、 彼の狂人の思考からはすっぽり抜け落ちている事だろう。 狂っていると言う無かれ、京介と言う男は稀に見る程の気分屋である。 多少長く付き合いの有る人間ならば大抵がそう理解しているし、理解出来なければ死んでいる。 故に、既に自分が京介の興味の外に出ただろう事を骸は確信していた。 恐らく、彼は次なるゲイムにでも没頭している頃だろう。 身を隠すなら。痕跡も残さず消えるなら、今を於いて他には無い。 「そう。後……もう少しだ」 自分が生み出した、哀れな"鬼子”。愛娘である綾芽と同じ姿をした人喰いの鬼。 アークからは『屍鬼童子』と呼ばれるそのアザーバイドを、一人で生きていける場所まで護り抜く。 それは、妄執に囚われ全てを賭して“黄泉返り"を追い求めた男の、最後のけじめだ。 人は、蘇らない。似て非なる少女の姿を見れば、嫌が応にも思い知る。 だがだからといって、今生きてる彼女の命を奪うのが善か。 己がエゴで生み出した命を。愛娘と同じ姿の少女をこの手で殺すのが正義か。 否だ。一度失った者を取り戻そうとした己が、もう一度、自らで壊す。 そんな暴挙は許されない。例え、その果てに誰に鬼畜と、悪と罵られるのだとしても。 「来るか……聖櫃」 獄下に伏し永劫苦しむ結末など、元より承知の上。黒い男が鬼の手を引き扉を開く。 己を掛けて誰かを護るとは、綺麗事ではない。愛するとは、唯一人を選ぶとは、 究極的には、それ以外の全てを選ばぬと言う事なのだから。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月 蒼 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年03月14日(金)21:48 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●死想権 “突入班、聞こえますか” 外部と内部。相互に連絡を取り合うと言う選択は、この戦いに於いては限り無く順当である。 建築物へ侵入しないと言う判断は、敵の技能を考慮すれば全く以って正解だと言えた。 積み重ねてきた時間は無駄ではない。戦い、敗れ、戦い、逃げられ、戦い、喪い。 その果てだ。考察した。推量した。相手の思考と優先順位を追想した。 一体どれだけそんな事を繰り返したか。『屍操剣』の手の内など、既に読み切っている。 「――よし、止まった」 『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)が虚空へ向けて拳を握る。 電脳世界に介入する神秘“電子の妖精”によって、地下鉄の動きが停止していた。 これは移動ルートが1つ潰れたと同時に、相手の脱出ルートが1つ潰れたとも言える。 事実“地下鉄の駅”と言うのは『童子』にとっても『屍操剣』にとっても、 余りに都合の良い施設だ。大勢で戦うには向かず、外部と繋がっており、無数の人間が居る。 それを真っ先に潰す判断は見事と言う他あるまい。何より、その事実を“2人は知らない” 加えて、同時期に突入したアークのメンバーの1人が見晴らしの良い高所を取ったのも、 奇しくも彼らにとっての追い風となった。 超人的な身体能力を誇る“憑キ鬼”にとって、垂直面など足場にしかならない。 高所に監視の眼さえ無ければ『童子』は間違いなく地下鉄への最短ルートを辿り、 そしてその入口は『屍操剣』によって封鎖された事だろう。 後は『童子』が500m逃げ切れば彼らの勝ちだ。例え――『屍操剣』が死のうとも。 だが、それらの策はその悉くが阻まれた。 アークは『黄泉ヶ辻』の介入などに拘泥せず、一般人の存在すら極力無視した。 移動ルートは塞がれ、足止めは成らず、そして人材の不足を互いに情報交換する事で補った。 “『童子』らしき人物が地下鉄入口へ向けて移動中。人混みに混ざる前に対処して下さい” 幻想纏いを通して入った連絡は、その布石が間違っていなかった証左。 加えて足回りを考慮し自動二輪まで持ち出したなら、これはもう逃げ切る等不可能だ。 「ここで――終わらせる」 『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)の視界は血と死で染まっていた。 雨が音を逃がす為に悲鳴こそ聞こえない物の、その瞳は物質を透過し万里を見通す。 死んでいた。中でも外でも無数の人々が殺され、首を奪われていた。 無惨と言う他無い惨状だ。だが、今はそれらを意識から切り離す。 伝えられた情報を元に、視線を巡らす。その進路に無駄が無い分他のペアより一際速い。 彼女の視界は確かに捉えていた。中学生位の少女。人喰いの鬼。 『屍鬼童子』と――それより大きく後方から同じルートを辿る『屍操剣』の姿を。 “あのさ” その連絡を受けたが為に、杏樹よりほんの僅か出遅れる形になったのは、 『無銘』 熾竜“Seraph”伊吹(BNE004197)である。 声の主は彼にとって息子の様な存在だった黒翼の射手。その、妹。 “今度逃がしたら殺すわよ” 冷え切った声音には情の欠片も見受けられない。が、その分苛立ちは良く伝わって来た。 不甲斐ないと言われれば、返す言葉も無いだろう。 失敗したのは油断故ではない。しかしこの状況を生んだ一端を伊吹もまた担っている。 ケジメを付けなければならない。いや、自分だけなら、間違いなくそうしただろう。 「ああ、分かっている」 そうと理解しながらそんな嘘を吐く、伊吹は汚い大人である自分を自覚する。 そんな事は分かっていた。ずっと前から。そう、記憶を託されるその前から。 生かしてはならない。けれど、どうしても見棄てられなかった。 感傷だと、これ以上無く理解している。それで泣いた人が居た事も、分かっている。 それでも、手を伸ばす事を止められなかったのだ――あの、愚息は。 「全て、終わらせる」 「不動峰さんが先行しています。先回りしましょう」 バイクの後方に座る『現の月』風宮 悠月(BNE001450)が進路を指示する。 その視界もまた千里を見通す神秘に支えられている物の、 追尾する杏樹とは異なり先回りとなると酷くルートが限られる。 内2つまでに『黄泉ヶ辻』のチームが配されていると知れば、 接触を避けたい悠月達の動きは『童子』よりも若干ないし遅れざるを得ない。 「『童子』が地下鉄入口に入りました。どうしますか」 伊吹の推定した『屍操剣』の動きは概ね間違っていない。 であれば、ここまでは想定内だ。然程遠く無い未来、逃げ場を塞がれるのだとしても。 「確り掴まれ、このまま突入するのだ!」 暗視を頼りに、バイクで階段を駆け下りる。 バランスを崩し放り出されそうになるも、幸いそこは地下鉄構内。 蛍光灯に照らされた人喰いの少女が、その轟音に思わず振り返る。 「一昨年の冬のショッピングモール」 その右目は煌々と赤く。その1点だけが彼女をただの人から逸脱させていた。 立ち塞がる黒尽くめ。その両手首には光輪を携えて。 けれど以前と違うことは、彼は今、決して一人ではないと言う事だ。 「『俺』はまだ死んではいない」 その背に、黒き翼を垣間見る。 「どう、追いつけそう?」 「追いつけそうじゃない、追いつく」 『断罪狂』宵咲 灯璃(BNE004317)が尋ねる傍ら声より速く風を切る。 悪路走破と加速に特化した『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)の駆る自動二輪。 『百段』は端的に言えばじゃじゃ馬である。革醒者でなければ100%事故死するだろうと言う、 その極めてピーキーな仕様は、白バイを模した杏樹のそれと比しても尚速い。 今回、一纏まりでの行動は各人の共通認識である。 先行しての地下鉄制圧と言う独自判断を行った伊吹と悠月のペアを別とすれば、 リベリスタらはほぼ同時に行動を開始した。 しかし、彼らは決してバイク走行のプロフェッショナルではなく、 千里眼と電子の妖精の所持者が両面からナビゲートしているかいないかは小さくない。 と言って本気で逃げ切られまいとするなら速度を合わせる猶予も無い。 先行する杏樹との時差は10秒少々と言った所か。それでも、悠里は2番手に付けている。 「――っ、こんな、ものがっ!」 その悠里の真後ろを、『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)が追尾する。 車輪が道を踏む度に滑り込んで来る視界の両端。 雨に邪魔されはっきりとは見えないが、路端に背を預けるその遺体達には首が無い。 それが『黄泉ヶ辻』の所業だと言う事は分かっている。それを止める力だって有る筈だ。 けれどそんな物に関わっている余裕は無い。一分一秒でも速くあの2人を討たなくてはいけない。 理性では、理解出来ている。それが夏栖斗の役割だ。それが課せられた役目だ。 でもそれの――一体何所が正義の味方(ヒーロー)だと言うんだろう。 「心を乱すだけ、相手の思う壺です」 千里眼を宿す水無瀬・佳恋(BNE003740)が、バイクの運転手である夏栖斗に声を掛ける。 ぎゅっと強く腰を抱いていれば、人の情動を気取る事が決して得意ではない佳恋にでも分かる。 早鐘を打つ心臓の鼓動。音を立てて流れる血脈。動揺、忌避、それに、恐怖。 未だ10代の少年が、幾ら死線を潜ったとて、修羅場を潜り抜けたとて、恐くない筈が無いのだ。 自らの失態で100人余りが死ぬ。そんな戦いが、重くない筈が、無い。 そんな事は齢20を数え漸くこの1年を切り抜けた、佳恋こそが一番良く分かっている。 「落ち着いて下さい。もう誰も、殺させ何てしません」 もう、誰も。それは彼女の決意の現れだ。感覚的には漠然と。 はっきりとした実感でなくとも分かる。もう一度無理をすれば、きっと戻れない。 それはかつて魔神の前に身を投げ出した時に感じた事だ。運命はそう何度も微笑まない。 けれど、それでも。もう、誰かが死ぬ所を見送りたく何て、無いから。 背に寄り添う体温に、その胸に抱く覚悟までも気取る事は出来ないままに夏栖斗がグリップを握り直す。 「分かってる。今度こそ――」 今度こそ。今度こそと、手を血に浸し続けて。それはまるで、呪いの様に。 ●骸交路 「本当に良いんだな」 “うん、行ってくれ” 幻想纏いを通し鷲峰 クロト(BNE004319)が問い、悠里が応える。 先行する2台のバイク。その道の先には豆粒程の黒いシルエット。 それを通り過ぎようとした杏樹のバイクが跳ね飛ばされたのは、つい数瞬前の事だ。 「通すと、思うか?」 ルート上、その地点を通らずとも地下鉄入口には辿り着ける。 しかし男の妨害を受けずに、地下鉄入口に辿り着けるかと問われればそれは非常に困難だ。 一纏まりでの行動を良しとしたが故に。 先行していた快、杏樹、悠里、灯璃、そして夏栖斗と佳恋。計6名までもがその男を擦り抜けられない。 ギリギリで捕まらず済んだのは、ネットで地形マップを検索したり仲間と連絡を取り合ったりと、 移動最優先で直行した面々より若干遅れて動き出した『純潔<バンクロール』鼎 ヒロム(BNE004824) そして彼が同乗していたバイクを運転するクロトだけである。 「流石に、いかせてはくれないか」 杏樹が奥歯を噛む。警戒は、していた心算だった。 リベリスタらの誤算はシンプルだ。彼らは結界に突っ込まない様にと細心の警戒していた。 だがアークが万華鏡を有する以上、技能と言うのはただ所有しているだけで牽制の意味がある。 態々敵に自身の所在を知らせる必要など無いのだから、事前に領域封鎖等する理由が無い。 追い付かれた瞬間に張り巡らせれば良いだけの話なのだから。6人は、その結界に見事に囚われた。 これは全員で一丸になって行動する以上は当然のリスクである。 しかしその分各個撃破される危険を回避したのだから、天秤は釣り合っていると言って良い。 であれば抜けはたった1つ。『屍操剣』を足止めをする人間を最優先で先行させなかった事。 相手の目的を考えれば、邪魔をして来ない筈が無いのだから。 「分かった。そっちは頼んだぜ」 クロトが連絡を絶ち、進路を地下鉄入口への迂回ルートへ切り替える。 そのやり取りを聞きながらヒロムが千里眼を通して地下鉄近郊を確かめれば、 なるほど。既に童子は地下鉄への階段を下り、それを先行した伊吹が追いかけている。 間もなく突入するだろう。そうすれば、先の銀行の二の舞だ。 間近で見ていたヒロムには沁みる程に分かり切っている事実。2人であの少女は止められない。 (……どうして) どうしてなんだろう、と思う。視界に捉えたのはほんの小さな黒い立ち姿。 黒い男。『黄泉ヶ辻』の幹部候補。人喰いの鬼を飼い、人を鬼に変える屍使い。 ――『屍操剣』黒崎骸。 それは討伐すべき相手であり、世界に仇為す凶悪なフィクサードの筈だった。 彼の所為で大勢が死に、今も沢山が犠牲になっている。それを知って彼は仕事を請けた。 なのにヒロムはどうしても、それを死んで当然の罪人だと切り捨てられない。 (出来る事なら、討伐の号令は暫く待ってほしかった) どうしてこうなってしまったのだろう。誰が悪かったのだろう。 答など出なくとも、感傷と分かっていても。それを考えずにはいられない。 死に別れた家族がほんの僅かな時間だけでも平穏な時間を過ごす事。 それは、確かに、罪人であり、殺人者であり、いずれ裁かれなければならないのだったとしても。 命を賭してまで願ったそれは、万人に責められ糾弾されなければいけない望みだろうか。 「ああ、くそ」 片手でキャスケットを目深に被り直す。雨が酷く目に沁みる。 何でこんな事を考えているのか、ヒロム自身にすら分からない。けれどただ、とても虚しい。 「あいつらと面識は無いんだけどよ」 バイクを走らせながら、そんな呟きを漏らしたのはクロトだ。 それが自分に向けられているのだと気付き、ヒロムが意識を前へと向ける。 「大体の事情は分かってる。同情を誘うとこはあるさ、ただ悪人だとは言い難い。 正直同じ立場だったら、俺だってどうするかわかんねえ」 自分の大切な人間が失われ、それを取り戻す手段が有ったとしたなら。 そこにどれだけの犠牲が付き纏うとしても、手を伸ばさずにいられるだろうか。 そんな物、即答出来る方がどうかしている。悩むだろう。迷うだろう。苦しむだろう。 「でも。童子は間違いなく野放しにしちゃならねえよ」 考える事は苦手だ。過去と言う依り所が無いクロトにとって現実は単純で有って欲しい。 なら、分かる事から判断していくしかない。人を喰う鬼。それを放置など出来ない。 “そこにどんな理由が有ろうと”だ。 「未練だよ」 ああ、全くだ。と、ヒロムもそこだけは同意せざるを得ない。 未練だ。討伐指令が出てしまった以上、アークはそれ以外の結末を許容するまい。 殺す仕事を請け負って、殺す事に理由を見つけられないでいる。それは、未練でしかない。 クールに、クレバーに、例えば数字を割る様に、ポーカーフェイスでこなせる。 例えばそんな役割であれば――良かったのに。 「甘くは、ないよな」 返答は無い。エンジンの回転数が上がった様に感じる。視界があっという間に流れていく。 風を切って雨が降る。絶え間なく髪を、瞳を、頬を、痛みで濡らす。 地下鉄の入口までは、もう後ほんの少し。 「――では、始めるか」 声と共に、向けられた黒い片手半剣。確かな技量に支えられたその構えには隙が無い。 その様を一体どれだけ見ただろう。アークのブリーフィング映像で。記憶で。夢で。 繰り返し、繰り返し――幾度後悔しただろう。あの時、止められていたならと。 「もう、止まれないんだね」 誰よりも先に進み出る。以前とは違う。圧倒的なまでの力量差を感じない。 いや、かつて病院で相対した時だろうと、その差は決して絶対ではなかった。 けれど今はそれよりもずっと近しく感じる。握り締めるは白銀の篭手。 勇気と境界とをその両手に携えて、生と死とを離すまいと握り締める。 悠里の構えに、問い掛けに、骸が表情も無く応じる。 「これが、俺が望んだ世界だ」 「なら――無理矢理にでも止める!」 黒い剛剣の振り下ろし、凍て付く氷を宿す魔拳の打ち上げは同時。 硬い手応え、体躯に突き刺さった刃、噴き出す血飛沫と激しい痛みを噛み締める。 「ぐ――っ」 届く。骸の動きが鈍る。どうせこの程度の神秘の枷、この男なら直ぐ弾き返すだろう。 だが、届く。決して打ち負けてない。何より、こんな位の痛みじゃ倒れない。 こんな程度じゃ退かない。これまで潜った死線は、こんな物じゃなかったんだから―― 「踏み越えさせない。ここが、僕が、境界線(ボーダーライン)だ!」 敷かれた一線。一歩たりとも進ませない。その決意と共に声を上げる。 「どうしようもない。何てさ、絶対言いたくないんだよ」 その右手から駆けるは拳を握った夏栖斗。 仇花咲かす蹴撃を、けれどこの時、この瞬間ばかりはその両手で叩き込む。 距離を取って戦うのは夏栖斗のスタイルだ。絶対に倒れない。 『覇界闘士<アンブレイカブル>』を誇りとする彼は防衛戦をこそ得意とする。 けれど、悠里が真正面で対峙するなら下がってばかり居られない。 何より、もう今この瞬間しかチャンスが無いなら、問わずに終われない言葉が有る。 「お前に残された赦しは、自分が死ぬことしかないのか!? 本当に、それしかないのかよ!!」 血を吐く様に突き出した、その武器の銘は紅桜花。 灼熱する炎の如く、赤く、紅く、放たれた一撃が血の華を咲かす。 討たなければならない。そんな事は分かっているのだ。けれど問わずにいられない。 その生き様は、まるでそっくりで。死ぬまで、終わりまで、心を殺して我武者羅に。 例え何所かで失敗したとしても、信じる者の為に駆け抜け、焼き切れるしかない――何て、そんな。 「舐めるなよ、リベリスタ」 けれど返り血を浴びて、凍り付いた体躯で。男の手がトンファーを握る。 ●逢魔刻 「パパの邪魔する奴……また、死にたいんだ」 刺す様な眼差しに宿るのは純粋なまでの殺意。 対する伊吹もまたこれ以上無く思い知っている。相手は見た目相応とは到底言い難い。 完成された『憑キ鬼』とは良く言った物だ。その戦闘能力までもが真実完成されている。 制止する役割の骸が居ない地下鉄構内だ。半端に手を出せば、まず間違いなく死ぬ。 だが、だとしても。 (運命ならば、共に行こう) 例え、その先が地獄で有ろうとも構わない。 受け継がれた意志は、その両手に、脳裏に、心に、灯火として静かに燃えている。 「だったら――殺してあげる!」 たん、と床を蹴った童子の姿が瞬きの4分の1程の速度で視界から消える。 両の手は何ら特殊な力を宿している様には見えないにも関わらず、 理屈などそっちのけの過剰な膂力で以って逃れようの無い死を押し付けて来る。 「せーのっ」 がつん、とまるで鋼に鋼を打ち付けた様な重苦しい音を上げ―― 「……え?」 その動きが、止まった。 伊吹と童子の間に立ち塞がるは、魔術の盾を組み立てた悠月。 「理解なさい。貴女にこの盾は破れない」 彼女の編み上げた反物障壁は『屍鬼童子』にとって始めて相対する物だ。 一瞬怪訝な表情を浮かべるも、追撃を危惧してか大きく飛び退く。足元に突き刺さる伊吹の光輪。 けれどそれよりも今の手応えの方が気になるのだろう。手元を確認し、視線を悠月に向け直す。 「……なに、それ」 普通、硬い物を殴れば手も傷付く。鋭い物であっても同様だ。 硬くて壊れないけれど手も傷付かない。魔術の加護を、彼女は未だ理解出来ない。 「見果てぬ夢は、終わりにしないといけないんです」 幾ら類稀なる身体能力を誇るとはいえ、動揺した状態で研ぎ澄まされた悠月の魔力の炸裂を、 避け切るのは不可能だ。浅く切り裂かれた童子の二の腕から飛沫が散る。 赤く、赤く、それだけ見たならば、人と変わり無いと言うのに。 「っ! そんな薄いの、直ぐに!」 何度も叩けば、壊れるとでも思っているのか。 叩き付けられた拳は悪夢と同義の威力を以って悠月に迫るも、その全てを無効化される。 そう、幾ら優れようと極めて尖った能力を持つ『屍鬼童子』には欠陥が存在する。 ただの少女である“黒崎綾芽”を素体として生み出された彼女には、一切の魔術的素養が無い。 これが革醒者であれば、流石にそんな弱点をそのままにはしておかなかったろう。 だが、生まれながらにして完成している童子は、“強過ぎるが故に伸び白が無い” 「――理解しろと、言いました」 即ちークでも数少ない近接距離をも支配する近代魔術師たる彼女。 風宮 悠月は紛れも無く――『屍鬼童子』に対する、究極無比の切り札として作用する。 「――――っ!!!」 がん、と。打ち付けられた拳。子供が駄々を捏ねる様な素直過ぎる拳が、 物理攻撃を無効化する障壁に打ち付けられ、止まる。 「…………なんで…………」 わけがわからない。勝ち続けて来た。捕食者であり続けて来た少女には分からない。 決して分からない。自らの力が通じない相手が居ると言う事実が。 直面した現実に瞳が揺れる。挫折を知らない分。その精神の幼さの分。 自信を喪失した少女は酷く脆い。唖然とする瞳を見返し、悠月が問う。 「貴女は、私には勝てませんよ」 ジャンケンの様な物だ。どれだけ強力なグーであろうと、それがグーである以上、 パーには勝てない。絶対に。相性と言う面で、両者の力関係は既に決定している。 「……! パパ……!」 頭を振って、『童子』が下がる。それはその名が示す通り、本当に幼い子供の様で。 だが彼女の絶対的庇護者である『屍操剣』は来ない。幾ら呼んでも、来られない。 「お父さんが、好きですか?」 ――何故、そんな事を聞いてしまったのだろう。 悠月の口から毀れた問いは、この場ではまるで不必要な物の筈だ。 けれど、聞かずにはいられなかった。 「当たり前だよ! パパは凄いんだからっ!!」 答えは直ぐに返る。まるで怒る様な声音に不意を突かれる。 何が気に障ったのだろう。いや、或いは――それが、“当たり前”なのか。 「そんな薄いのパパなら直ぐ何とかしてくれるもん! 大丈夫って、言ってくれるもん!」 無邪気なまでの言葉。それは、自分を生み出した者に対する絶対的な信頼感か。 子供とは違う。生まれながらに知性を持っていた“異邦人(アザーバイド)”である彼女。 だからこそ、そこに積み上げられ育まれた想いには余りにも夾雑物が無い。 必ず自分の味方で居てくれる。そう、欠片も疑わぬ瞳で真っ直ぐに見つめられたなら。 「――――。」 ああ――――そうか。確かに、これは拒めない。 誰かを愛した事の有る“人間”なら、その手を振り解く事何て、出来ない。 人は、誰しも、その手を繋ぐ相手を探しているのだから。 「そうか」 その声は、2人のどちらもが意識から外していた一瞬に滑り込む。 構えられた光輪。込められた神秘は敢えて自らを死角に置いておいた証左。 集中を重ね、記憶を辿り、例え、その鬼が“人以上に人らしい”事を解して尚。 彼の視線は揺るがず、ぶれず、ただ真っ直ぐに、その赤い瞳を映していた。 今なら、分かる。救えるならば、救いたかったのだろう。この親娘を。 例え、それをエゴと罵られようと。例え、それを自分勝手と蔑まされようとも。 だが、出来ない。これ以上、犠牲者を増やす訳にはいかない。 彼女に食われた人間に、死にたくなかった者が居なかった筈が無い。 仲の良い親子連れが居なかった筈が無い。信頼で結ばれた人々が含まれて居なかった筈が無い。 だから。だから――ここは、自分が引導を渡さなければならないのだ。 「ならば、先に地獄で待っているといい」 どうせ――自分も、あの黒い男も、遠からず後を追う。空の上に、居場所など無い。 文句ならば、その時幾らでも聞けるのだから。 「…………あ」 放たれた光状は、まるで滑り込む様に。いつかの冬の街を写す様に。 一切の狙いを違わず。『童子』の右目を――確かに射る。 ●屍戦交叉 まるで鉛の様な重さ。それは、或いは覚悟の重さか。重ねられた両の瞳は、揺るがない。 「死など、こんな物で良ければ、幾らもくれてやる。 他者の命を奪い、己の命を惜しむ者が、黄泉返りなど望む物か――!」 押し返され、踏鞴を踏む。そして同時に、これ以上も無く理解する。理解、出来てしまう。 信じる物の為に生きると言うのは、既に死んでいるのと何が違うと言うのか。 1つの為に全てを賭ける。その“全て”に自分が含まれて居ない筈が無い。 なら、冗談でも。命を賭して赦し等乞う訳があるか。その命は、既に願いの代価なのだ。 “決して赦されないから”こそ、“裁きを望む”なら――死すら、赦しになどなり得ない。 「そんな結末しか無いのかよ……ちくしょう」 拳を握る。その声に、即応する如く赤と黒。2つの刃が空から降る。 「邪魔、退いて! それで良い何て、灯璃は思わない。認めない」 戦いに来た。 それは灯璃にしてみれば酷く、本当に稀有なモチベーションだ。 相対し、言葉を交わし、憶えた感情は気持ちの悪いざわつきと共に残っている。 苛々する。気に入らない。灯璃にとって、相手が“人間”に見えるなど一体何時振りだろう。 仕事の対象は処理するだけの存在だった。フィクサードは凡て憎しみの対象だった。 それが半身を喪った彼女の存在意義。自己証明であり免罪符だった。 「ち――ィ――!」 黒剣と、双剣がぶつかり火花を散らす。膂力で勝る『屍操剣』を『断罪狂』が全力で押し込む。 その刃には呪いが込められている。禍々しい黒い光は相手を殺すと言う殺意の証明、だが。 「灯璃は、灯璃の為にキミを殺す。善も悪も赦しも救いもいらない。 でも無理矢理生かした人間が勝手に死ぬ何て灯璃は絶対に許さない。苦しいなら、生きろ!」 その狂気は、理不尽極まる。躊躇無く殺そうとしながら、奪おうとしながら。 けれど、安易に死ぬなんて許さないと宵咲の鬼子は突き付けるのだ。 でなければ、復讐に生きている自分は何なのか。 失くして、取り戻せなくて、痛くて苦しくて憎くて、それでも生きている灯璃は。 「ッ、世界を蝕む者は、殺すのではなかったか!」 「そんなの知るか! キミの生き方は気に入らない! 灯璃は殺すよ。でも、最後まで足掻けよ! 良く似てるのに、似てるから――許せないんだ、同属なら分かるでしょう!」 骸に、少女の内心など分かる筈も無い。彼女の言動はかつてない程支離滅裂だ。 しかし、吐き出せない感情は渦を巻き衝動として少女を突き動かす。 「『アレ』を“綾芽”何て、呼んだまま死ぬなクソ親父!!」 「――――!」 黒い剣に、皹が入る。 思えば、誰もそれを言葉にはした事が無かったか。 いいや、この瞬間。灯璃でなければ誰が言ったとて同じだったろう。 彼女には糾弾する権利が有った。彼女にだけは、それを責める理由が有った。 “似た者同士”だからこそ。犠牲でなく、善悪でなく、ただそれだけが許せなかった。 ならばその迸る様な感情に――一体どんな反論が出来るだろうか。 「二人一緒の墓に入れてやる」 杏樹が片手で黒兎の魔銃を構える。大概に永き因縁だ。戦い方も良く知っている。 下半身が凍り付き、灯璃との競り合いで身動きが止まった今なら目を瞑っていても当てられる。 「あの世で娘に詫びて怒られてこい」 銃撃、その反動でシリンダーが下がるや撃鉄が跳ね上がる。即時もう一発。更に一発。 回転式拳銃でありながら連射に耐え得るその機構を最大限に生かし、 張った弾幕には夜の支配者ならではの神秘。吸収と致命の呪いが上乗せされている。 「貴方を罰する権利など、私には無いのかもしれない」 その弾幕を合間を縫って、佳恋が駆け抜ける。 白剣には考えられない程の膂力が乗せられ、その一撃を受けた黒剣の皹を広げていく。 だが、佳恋の表情に変化は無い。ただ、痛みを耐える様な瞳のままで。 「大切な人を護ろうとしただけ。そうなのかもしれない。 もう、死んで欲しくなかっただけ。だとしたら、私がそっちに居たかもしれない」 死を見送るのは、辛い。残された側は、もう何も出来ないのだ。 良く知っている。分かっている。だからこそ。 「だからこそ、もう終わりにしましょう」 元より、6人を抑えられる程の力量は『屍操剣』には無い。 しかしそれを考慮しても尚、リベリスタらの動きは彼を圧倒している。 さにあらん。過去の苦戦は常に環境が動きを縛っていた。 だが、今周囲に惑う一般人など探してもまず見当たらない。有るのは首無し死体ばかりだ。 彼らの決断が、この戦況を作り出した。『黄泉ヶ辻』を見逃す事で相応のリターンを得た。 「命懸けで、ここまで来たんだろうな」 なら後は詰めるだけだ。そういう役割なら、誰よりも得手としている自負が有る。 「素直に凄いと思うよ。俺にはそれを、安易に悪だ何て否定出来ない」 それが例え、アークにとっての悪なのだとしても。 全てを護ると。誰も泣かないように足掻くと誓ったその願いを、嘘にはしたくないから。 「けれど貴方がそのユメで、誰かのユメを詰み続けると言うなら」 手に馴染んだナイフを振り抜いて、その刃には光が宿る。 放たれた十字の一撃は血に塗れた骸の体躯に確かな傷跡を残し、黒い男が遂に膝を着く。 「俺はそれを阻むよ」 続けられた快の言葉に、骸がほんの僅か口元を緩め眩しそうに瞳を細める。 宣言するまでも無い。彼らは断罪者であり、骸は罪人なのだから。 それでも告げなければ奪えないのは、彼らが人間だからか。 神にも、鬼にも、なり切れない。 愚かしいまでに――尊いまでに、人間だからか。 「馬鹿馬鹿しい」 ならばやはり、せめて最期は鬼でなければならない。 仏心など不要とばかりにそう口にする骸の刃が煮詰めた泥の様な漆黒の魔力を帯びる。 祝福が零れ落ちる。彼を人として成り立たせていた物が消えて行く。 それでも、忌々しい運命の加護は喪失してはくれない。 願わくば身も心も、鬼へと成り果てれば良かった。 そうすれば彼は“綾芽”と、本当の意味で家族になる事が――出来たろうか。 「理解出来ると思ったか。狂人の所業を。100を優に超える人間を殺め、 悉くを餌として子の為に捧げ、今尚その手を汚し続ける己の内を――馬鹿共め!」 振り抜いた黒剣を受け止めようと身を起こした悠里より前に、 護り刀に左手を添え、巨大と言って良いその刃を快が全力で喰いとめる。 「馬鹿だろうさ、分かってるよそんな事。どうせ理解しようとしたって、そんな事出来ない! きっと助けだって求めてない、余計なお節介だ! どれだけ手を伸ばしても貴方は救えない!」 「救いなど――」 「それでも!」 ああ、そうだ。それでも。そのユメを、『排斥』にだけはしたくないから。 「それでも、最期までひとりぼっちで居たい人間何て、居ないんだよっ!!」 強欲でなければ。誰も、救えない。 振り払った剣に肉を削がれ、注ぎ込まれた死の想念に快の全身から鮮血が溢れ出す。 けれど、止まる。『屍操剣』は快を殺し切れない。その、刹那の空白。 「『アレ』は綾芽ちゃんじゃなかった」 対峙し、向き合っていたからこそ。この時悠里だけが動く事が出来た。 「でも、『アレ』は君の娘だよ」 鬼は鬼に過ぎない。討つべき物で、殺さなくてはならない敵だ。 けれど余りに長く接し過ぎたのだろう。嫌が応にも、認めざるを得ない。 『屍鬼童子』は“黒崎綾芽”ではないけれど。 黒崎骸が願い、想いを注いだ結晶である事に、間違いは無いのだ。 その生を願い、その幸福を祈り、その未来を想い、その為に自分自身をすら注ぐのなら。 「綾芽ちゃんじゃなくてさ。良い加減、彼女の事を認めてあげてよ」 人はそれを――愛情と呼ぶのではないだろうか。 ●黄泉比良坂 人で有り続けることの尊さ。 そんな物に価値を見い出す事が有る等と、骸自身すら思いもしなかった。 だが、何時かの夕暮れ。彼の刃を受けた射手が言ったのだ。 彼は、救われたかったのだと。 かつて、医師としての骸は有能だった。幾つも救った。何人も生かした。 命を救う事は彼の職務であり、そして彼にはそれが出来た。出来過ぎる程に。 有能な外科医は貴重だ。労働時間は必然的に伸び、家族と交わる時間は減っていった。 いずれ、きっと、また、後から、そんな事を繰り返す内にその一瞬は永遠へと転ずる。 失くして、亡くして、その失墜の大きさに気付き、愕然とした頃にはもう手遅れだった。 当たり前に有った宝物は当たり前だったからこそ零れ落ちるまで手を伸ばせなかった。 だから、壊れてしまった。見失ってしまった。 小旅行の約束も棚上げしたまま、もう謝る事も出来ないのに。 それを取り戻す為なら、何だって出来ると思っていた。 心を黒く塗り潰して。生かした分の命を、それ以上の幸福を詰み、収奪し、捧げた。 もう一度。もう一度。世界に置き去りにされた時間を買い取る為に。 その願いは、妄執は、結末へと辿り着く。それで、終わりだと信じていた。 殺し過ぎた。奪い過ぎた。血に塗れ過ぎた。汚れ過ぎた。 それでも、娘に罪は無い筈だった。全ては、骸のエゴが生み出した軌跡。 例え鬼であっても良かった。悪であっても良かった。 それで、彼女らを顧みなかったその一欠片でも償えるなら。 命など惜しくは――無かったのに。 理解している。彼が生み出した者は愛娘などではない。 もっと違う、別の何かだ。異なる心を持ち、異なる意志を持つ命だ。 それでも良かった。彼は足掻き、足掻き続けて、その場所まで辿り着いた。 後悔は無い。それを以って、家族への愛情を証明しよう等と今更嘯きはしない。 ただ、納得したかった。それで十分だった。 そうして果てに辿り着いた男の亡骸と、生み出された命が残った。 けれど、その命は“綾芽”とそっくりの風貌で笑うのだ。 誰が教えるでもなく彼の事をパパと呼び、その小さな手で彼の手を引くのだ。 ならばどうすれば良かったろう。どう終わらせれば良かったのだろう。 馬鹿なことを、と。切り捨てられたなら良かったの。 器用に、小賢しく、そんな可能性から目を逸らせたなら、良かった。 けれど、突き付けられたそれを、黒崎は拒めない。 ああ、そうだ。罪深いと言うならこれ以上は無い。 裁かれるべきと言うなら、これを於いて他に有ろうか。 そんな物が残るなど、彼は想像すらしていなかったのだ。 生み出された命を前に、その無邪気なまでの好意を前にしてそれを振り解けるなら、 彼は家族を失おうと後悔などしなかったに違いない。 自らの全てを投じて誰かを救おうとする事。 人であろうとする事。 それがどれ程困難なことであるかを、骸はここに来て漸く思い知る。 自らの身を投げ打った彼の射手がどんなユメに手を伸ばしたのかを、思い知る。 骸には、出来なかった。 命を投じて、自らが生み出した命を終わらせる事など出来なかった。 ならば、人で在り続ける事が出来ないなら。人で在り続ける事で鬼を愛せぬなら。 この身は鬼で良い。悪鬼の如く罪を重ね、そして人に討たれよう。 贖罪にはまるで足りず、それは最後の最後まで自己満足以外の何物でもない。 だが、人にも鬼にもなり切れなかった半端者にも、意地等と言う高尚な物が残っていたらしい。 せめて、その最期まで。 今度こそは“彼女”を裏切らず居られる様に。 ●鬼対峙 「――あ、あ、ああああああああああああああああああああああ!!!」 クロトが階段を駆け下りた瞬間、目の当たりにした光景を一言で表現するならば。 それは、鬼が暴れる光景。それ以外の何物でも無かった。 ズ――――ッ、と振り回した手が壁に当たり、その側面が陥没した。 問わずとも分かる。そんな物が当たれば人間など血袋同然に破裂して何も残らない。 先行していた悠月が、伊吹が、呆気に取られた様に距離を取っている。 それはそうだ。あんな物に近付くなど自殺行為以外の何物でも無い。 「ど、うなってんだ!?」 「すまん、予測を見誤った」 クロトの問いに即答した伊吹の様子から、何かをした事は分かる。 長い髪を振り乱しながらも赤い涙を流す右目が、恐らくその原因だろう。 効果的と見越し、あの赤い瞳を撃ったのか。しかし、これは―― 「あれを喰い止めろって……本気かよ」 戦闘経験には決して優れないヒロムからして見ても、暴走した『童子』の力は異常の一言だ。 1手喰い止められれば上出来の域だろう。近付く事すら正気の沙汰とは思えない。 「ああああああああああああああああああああああああああ――――!!!!」 手当たり次第に、壁を、床を、破壊し続ける少女は明らかに判断力を失っている。 一体何が起きているかは分からずとも、凄まじい痛みだけは伝わって来る。 「だが、間違いなく効いてはいる」 そう、確かに効いている。元々決して頑丈ではない童子の、更に疑いも無いウィークポイントだ。 1撃で仕留めるには足りずとも、2撃……いや、多く見積って3撃入れる事が出来れば。 「……私が、抑えます」 悠月が進み出る。この4人の中で彼女だけが、 どう見てもリミッターの振り切れた様に見える童子に確実に近付く事が出来る。 元より、持久戦は覚悟の上だ。魔力の盾は、未だ当分保つ。 「やるしか、ねえか」 クロトが割り切った様に短剣を抜く。それを見て、ヒロムが手元のカードを確かめる。 一瞬見極めを誤れば、死ぬ。そんな事が今まで無かったとは言わない。 しかし、余りにも直接的過ぎる暴力は“鬼の王”や“異世界の蛮族”との戦いを、 経験していないヒロムにとって未知の世界だ。恐くないと言えば――嘘になる。 「……分かった、やろう」 だから、言葉と共に改めて覚悟を決める。泡立つ心を静める。リアリティを確かめる。 ギャンブルと同じだ。ふわふわした感覚に足を浸したまま勝負に出れば死神に刈り取られる。 冷静に、合理的に、何より――自分には未だ、彼女の父親に投げ付けてない言葉が有る。 こんな結末には納得出来ない。こんな終わり方は認められない。 あの親娘に、幸せな時間が許されないと言うなら――せめて、この我侭だけは押し通す。 「――行きます」 悠月が駆ける。叫び声と共に両腕を揮う童子の懐に滑り込む。 激しく振り回される拳が左右から悠月を挟み込む。魔力の盾がこれを逃がす、両の腕が止まる。 だが、まるで軋む様に両手が揺れている。まさか、盾が壊れる事などは有るまいが。 「狙いを外すなよ」 「言われなくても!」 伊吹、クロト、ヒロムの3人が意識を集中する。 戦況を鑑みれば持久戦が現実的とは思えない。部位狙いなどリスクしか無い。 けれど、今それが出来るのが自分達しか居ないのであれば。 「黒崎、綾芽。お前はさ、もう全部なくなっちまったのか? お前の父親がどんなに苦しんでるか。そんな事も分かんないくらいによ」 一番手は、クロト。悠月と組み合う童子の動きは止まっている。 けれど、近接距離にまで近付いたらそうは言っていられまい。痛撃の1発は覚悟すべきだ。 そんな事を想い描き、ばっさりと切り捨てる。それがどうした。ああ、そうだ。それがどうした。 喧嘩をするんだ。自分だけ痛い目見ないで済む何て都合の良い話は無い。 細かい事を考えるのは元々性に合わない。簡単な。到ってシンプルな話―― 「違うなら、そうじゃないなら! そんな鬼何かに負けてんじゃねえよ!」 踏み出す。悠月が抑えていた童子が視線を上げる。距離を詰める。 距離5歩。魔力の盾から手が離れる。距離3歩。悠月が身を屈め、童子が拳を振り被る。 距離2歩。短剣を構え踏み込む。距離1歩。拳が揮われる。短剣を打ち込む。 振り払われた片手の剣が“片腕ごと吹き飛ぶ” 「おおおおおおらあああああああああああああ―――っ!!!」 だが、届く。光の速さを超え突き出された切っ先が童子の眼孔へ吸い込まれる様に突き刺さる。 「あああああああああああああああ!!!」 クロトの声にも負けぬ割れる程の声で童子が叫ぶ。 その足元を滑り、血の噴き出す肩を抑え視線を背後へ向ける。 「次――!」 「了解した」 光を帯びた輪が回る。くるくると、くるくると。 童子の肩を抱く様に抑える悠月に、繰り返し揮われる拳。軋む音が繰り返す。 遠距離からでは狙い難いことこの上無い。だが、伊吹のリベリスタとしての経験は誰より勝る。 ここで当てられねば、義理の息子に合わせる顔が無い。 巧緻に、繊細に、精密に。一瞬の半分を更に10等分する程の間隙を狙う。 腕の動きを観測する。計測する。回転の速度と向きと反応を見切る。 (――――いけ) 意志は、遺志は――まるで予定調和の様に。 翼有るかの如く弧を描き呆気ない程に――――光の弾丸が3度、鬼の瞳を穿つ。 「…………あ」 がく、っと。童子の膝が折れる。振り回されていた両手は頭の左右に当てられて。 視線は地面へ向けられる。拘束を解かれた悠月が驚いた様に瞬く。 頭を抱えるその姿をまるで、胎児の様だ、と感じたのはどうしてか。 最後を託されたヒロムがその様を呆然と見る。 手元のカード。それを突き刺せば、終わる。決定的に、終わる。 だが、眼前のそれは。脅威であった筈の。絶対的暴力を振り撒いていたその鬼は。 弱弱しく蹲まり、動かない。 「……止めを」 悠月の声に、自分を取り戻す。一歩、二歩、三歩。距離はあっさりと縮まった。 血色のカードを構える。悠月が童子の肩を押す。視線が、上を向く。 赤い涙を流し、瞳に短剣を突き刺した少女と目線が合う。 その瞳は何も映していない様だった。その眼差しは、ヒロムの事を見てはいなかった。 「―――― 」 少女の口が、同じ音を2度繰り返す。 それを確かめて、ヒロムはその手を振り抜いた。 謝る権利など自分には無い。それを痛いほど理解していた。 ごとんと、倒れる“人喰いの鬼”。壊れきった地下鉄構内に、ただ嘆息が落ちる。 鬼は死に、人は生きる。それはただの、鬼退治。 けれどもどうも現実は、めでたしめでたしで終わっては、くれないらしい。 ●memento-mori 「今更だ」 血塗れだった。傷塗れだった。それでも、黒の男は止まらなかった。 凍り付かせ、動きを縛った。呪いを浴びせ、命を奪った。 祝福を削り、圧倒的不利を解しながらも足掻くその姿は、既に人の域を超えた別の何かだ。 「タフ過ぎるだろ……くそっ」 死想剣。傷付けば傷付くほど威力を増すその魔剣は、夏栖斗をして苦笑いを浮かばせる。 痛撃を受けた悠里を下がらせ、快と2人で喰い止めているも、 『屍操剣』は祝福を削るばかりか、“劇的(ドラマ)”な蘇生をまで為してみせた。 その執念。妄念は、ここまで来れば認めざるを得ない。 彼もまた、自分の正義の為に戦っているのだ。自分と同じ様に。鏡写しの様に。 「――今更、愛だの、夢だの、そんな言葉で己のエゴを修飾して何になる!!」 「何にも、なんないんだろうなっ!!」 血花咲かす蹴撃が黒い斬撃を蹴り上げる。ああ、そうだ。何にもならない。 正義も、正義の味方も、弱い者を救って何てくれない。世界はこんなにも無慈悲で残酷だ。 追い掛け続けた正義の味方(ヒーロー)何て居なかった。 夏栖斗に出来る事何てドブ掃除ばかり。既に壊れてしまった物を殺すしか出来ない。 確かに我欲(エゴ)だろう。出来るだけ大勢に幸せになって欲しいと足掻けば、 幸せにする為にそれ以外を殺せと言われるのだ。それが正しい筈が無い。 そんな取捨選択をする権利何て夏栖斗にも、誰にも、絶対に、有る訳無いと言うのに。 「何にもならない! 自分だって騙せない! 僕も、お前も、ただの殺人者だ! 自分の為に殺した! 沢山殺した! それでも――それでも何かが救えると思って!」 それは間違いじゃない。きっと、何処かの誰かがそれによって幸せになれたのだ。 彼の努力によって救われた人は彼が殺した以上に居る筈だ。なら、それで良いのか? 黒い剣が下段から振り上げられる。かわし損ね、血飛沫が上がる。 「そんな言葉は無意味だ」 「俺は、そうは思わない」 夏栖斗を押し退け、快が継ぐ。 こんな理想(ユメ)、人が抱くには不相応な事など自分が一番良く分かっている。 自分だけが地獄に堕ちる事など、もうとっくに諦めている。 それでも、足掻いた事が。足掻き続ける事が。 死んで、消えるまでその理想(ユメ)を馬鹿みたいに掲げ続ける事が、無意味だ何て思わない。 「だって、それでも僕/俺は」 過去の事にしてしまいたかった。諦めてしまいたかった。割り切ってしまいたかった。 けれど、それを捨ててしまったら、足掻いてきた自分が虚し過ぎるじゃないか。 「理想を貫く」「全てを護れる」 自分が救われた時抱いた想いを、無駄だ何て思わない。例えそれが後悔ばかりの道程でも。 理想の自分が歩もうとした道を、無価値だ何て思わない。例えそれが死に到る願いでも。 「「正義の味方(ヒーロー)を追い掛け続ける事を間違いだ何て思わない」」 もっと強ければ良かった。 もっと賢ければ良かった。 もっと多くに手が届けば良かった。 足りない物何て果てしなく、幾ら上げても切りが無いけれど。 「お前だって、そうじゃないのか」 傷口を凍て付かせ、悠里が問う。 「お前のした事は、最悪だ。殺し過ぎ、死に過ぎた。それは擁護出来ないけれど」 魔銃を構え、杏樹が呼気を吐く。不器用、では済まされまい。罪の重さに変わりは無い。 「もう、認めても良いんじゃないですか」 必要なら、佳恋は殺せる。想いも、願いも、切り捨てて。 これ以上喪わない為に、殺せる。それは多分、この黒い男も同じなのだろう。 「……灯璃は、キミなんか嫌いだよ。 何一つ正しい何て思わないし、どんな想いが有っても認めない」 でも、もしも。彼がただ欠け甲斐の無い者を取り戻す為にもがいていただけだったら。 それが、世界を壊す事に繋がらない方法だったとしたなら。 ほんの少し。本当に、本当にほんの少しだけなら、理解出来たかもしれないと、思う。 「――――今更、だ」 黒い剣を構え直す。使い続けた愛剣は、酷く罅割れ半ばから折れそうな程だ。 あと一合打ち合えるか。いいや、例え折れようと構わない。 「黒崎、お前は馬鹿だよ」 他に、道は無かったのか。そう、本当に今更なのだろう。 けれど家族を愛する気持ちを、杏樹が理解出来ない筈が無い。 ずっとずっと、その背を追って来たのだから。ずっとずっと、その道を辿って来たのだから。 けれど、だからこそ。それで間違ったなら、止めなければいけないのだ。 「地獄に行ったら、拳骨で一発殴らせろ!」 放たれた魔弾が骸の動きを塞き止める。伊達に研鑽を積んできた訳ではない。 かつては通じなかった杏樹の銃弾が、四肢に突き刺さり『屍操剣』が顔を顰める。 「言ったよ。この境界線は跨がせない!」 そこに悠里が滑り込む。握られた拳が下腹部にめり込む。氷結の呪詛がその刃を止める。 「ごめんなさい。私にも護りたい物が有るんです。もう誰にも死なせはしない――!」 地を踏みしめ、両手は大上段。白き剣が黒剣を持つ手へ振り下ろされる。 佳恋の剛剣が通り抜けると、澄んだ音を立てて――その剣が、半ばから折れる。 「それじゃあもう『屍操剣』何て呼べないね」 満身創痍。後一手。両手には赤と黒の刃。 灯璃が一歩進み出る。気に入らない。気に入らない。本当に、本当に、気に入らない。 「死にたく無いって言いなよ」 奪ってやるんだ。フィクサードに思い知らせてやる。 自分達が奪った物がどれだけ重かったのかを。後悔させてやる、絶対に。 そう思って、想い続けて、ここまでやって来たのに。 「偽者でも、代用品でも、でも、大事なんだったら、死にたく無いって言えよ!」 両手を下ろし、無言で佇むその黒い男は、まるで執行を待つ死刑囚の様で。 自分勝手とは思おうとも、灯璃にはそれが、とても、とても、気に入らないのだ。 「――――――――待ってくれ」 声が、挟まる。 灯璃の眼差しが殺意にも等しい色を浮かべたか、向いた視線の先には4人。 血と汗に塗れた彼らを見て、状況を気取る。“鬼退治”は、既に終わったのだと。 「黒崎さん、本当にそれで良いのか」 問う、ヒロムに骸が視線を向ける。一瞬瞳を見開いたか。事情を悟れぬ程、男は愚かではない。 「……童子は、逃げた。殺し損ねた」 目元をサングラスで隠し告げた伊吹に、返る言葉は無く。 ヒロムの問にも返る言葉は、やはり無い。 「本当に、もう引き返せないのか?」 言わずにはいられなかった。言わないままでは終われなかった。 その問いを、けれど。骸は何の言葉も返さず黙殺する。口を開けば、繰り言になる。 「あんたは……ただの悪党のままで終わっちゃダメなんじゃないのか」 奥歯を噛む。言葉で止められるなら、きっともっと前に止まっていた。 そんな事は、ヒロムにだって分かっていたのだ。きっと、行き着くまで、止まりはしない事は。 けれど、諦め切れなかった。まったく、ほんとうに――未練だとしか言い様が無い。 もう少し早く逢えたなら、止められたのだろうか。けれど過ぎ去った時間にIfは無いのだ。 「……もう、いいよね」 灯璃が双剣を振りかぶる。静止の声は無い。 ただ、黒い男は疲れ切った用に。唯の一言だけを吐息の様に漏らした。 奇しくも、それに気付けたのはヒロムだけだったろう。 (ああ――――これで、良いんだ) かくて、鬼になりきれなかった男は地へと伏す。 ごろりと転がった頭部を見下ろし、灯璃は彼が最期まで手放さなかった剣の柄を拾い上げる。 戦いは終わった。もう、誰も、何も、彼から奪える物は無い。 しとしとと、雨が降る。止まない雨が降り続ける。 もう誰も死なない街に、静かな夜がやってくる。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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