● 日本において“主流七派”と呼ばれるフィクサード組織の一つ、『六道』を統べる男について。 かつて、『逆凪』の首領は『アーク』を招いた夕食会の席でこのように語ったことがあった。 「六道羅刹は己がルールのみで動く分かり易い逸脱者。 彼の中には善悪の概念がきちんと存在している。それでいて、必要に際すれば間違いなく踏み越える厄介さを持っている。 分かるかね。彼は善を理解するから捨て犬の面倒を見る事も、体の悪い老人を労わり、その荷物を持ってやる事もする。しかして、『己の道の為ならば』感謝する老人を動かぬ肉の塊に変える事も躊躇わない」 ● 「――悪い報せがある。主流七派『六道』の首領、『六道羅刹』が動き出した」 招集を受けたリベリスタ達を前にして、『どうしようもない男』奥地 数史 (nBNE000224)は挨拶もそこそこに本題に入った。 ブリーフィングルームに緊張が走ると同時に、正面モニターに一人の男の姿が映る。 年齢は、四十代半ばを過ぎているだろうか。厳しい顔立ちに、僅かに紫がかった角刈りの黒髪。藍の道着に包まれた肉体は筋骨逞しく、紫紺の眼光はどこまでも鋭い。 六道羅刹(りくどう・らせつ)、国内フィクサード主流七派の一角たる『六道』の長である。 厳密には、主流七派という言い方は正しくないかもしれない。かつて、その一つを構成していた『裏野部』は、今や組織としての体をなしていないからだ。だが、長年親しんだ単語を簡単に変えられぬのも事実。多少の違和感をおぼえながらも、“主流七派”と言い表すしかないのが実情である。 「羅刹は以前にもアークと戦っているが――その時は北海道の大雪山系で儀式を行い、人為的にディメンションホールを開こうとしていた。 でもって、今回も村一つを巻き込んで同じことをやろうとしている。儀式の方法は異なるがな」 雪深い地方にある小さな山村。それが、今回の儀式の舞台だ。 異界に繋がる穴をその村に開いて、羅刹が何をなそうとしているのかは分からない。 だが、はっきりしているのは、このまま見過ごせば村に住む人々が犠牲になるということだ。 人里の真ん中に巨大なディメンションホールが生じる事態になれば、そこから危険なアザーバイドが次々に溢れ出す。戦う力を持たない一般人など、ひとたまりもない。 「儀式の核になっているのは、『ゲートスフィア』と呼ばれるアーティファクトだ。 起動すると小さなディメンションホールを生み出し、それと融合して力を高めていく性質がある。 連中はこいつを村の南北に一つずつ配置して、両側からエネルギーを送り込むことで村の中心に大穴を開けようとしてる訳だ」 儀式を止めるには離れた場所にある二つの『ゲートスフィア』を両方とも破壊せねばならないが、与えられた時間は驚くほど少ない。リベリスタが現場に到着してから、せいぜい二分といったところだろう。 「一つずつ壊してたんじゃ、到底間に合わない。 だから、今回は二手に分かれて同時にこれを叩いてもらう」 『ゲートスフィア』はそれ自体が戦闘力を有しており、加えて『六道』所属のフィクサードが数人ずつ守りについている。指揮を担当するのは、北側が羅刹の腹心とされる『三毒知前(みどく・ちさき)』、南側が『アニエス・デュポン』という名の女フィクサードだ。 黙って話を聞いていたリベリスタの一人が、ふと首を傾げる。 敵の戦力は分かったが、では羅刹本人はどこに居るのか。そう問われて、数史は難しい表情を作った。 「……村の中だ。儀式が完成したらヤバい位置だが、まあ、そんなことは大した問題じゃない。 どうも、羅刹はこの村に住む“修行時代の恩人”に会っているらしい。 事情を話すでもなく、もっぱら以前に世話になったことの礼に終始しているようだが」 つまり。羅刹はかつての恩人に礼を尽くす傍ら、一方ではその者が住む村を滅ぼさんとしているのか。 「そいつが、六道羅刹という男の“逸脱”ってやつなんだろうな。 受けた恩義も、心に抱いた敬意もそのままに、“己の道”のため、躊躇わずそれを犠牲にする。 さっぱり理解出来ん話だが――でも、この状況はある意味こっちにとってラッキーだ」 七派の首領ともなれば、その力はバロックナイツにも匹敵する。戦力を二分せざるを得ない状況でぶつかれば、まず勝ち目は無い。 ただ、この段階で羅刹が村の中に居るなら、儀式の間に部下のもとに戻るのは不可能である。 二つの『ゲートスフィア』を破壊した後、速やかに撤収を済ませれば、羅刹と戦うリスクを冒すことなく任務を完遂出来る筈だ。 「今回は儀式の阻止を最優先に考え、事が済んだ後はなるべく早く現場から離れた方がいい。 何かと慌しいこの時期に、首領とやり合って戦力をすり減らすのは得策じゃないからな」 そう告げて、数史はその場の一人一人を見る。 「どうか、誰も欠けることなく戻ってきてくれ。……俺が言いたいことは、それだけだ」 ● 六道紫杏がロンドンで死亡したことを報告した時、主は黙したまま何も語らなかった。 親子ほども歳が離れた腹違いの兄妹。二人は、特に仲が良かった訳ではない。むしろ、『六道の兇姫』の異名で神秘界隈を騒がせた彼女が『六道』という組織に与えた影響は、トータルで考えれば決してプラスとは言えないのが実情である。少なくとも、彼――三毒知前はそう考えていた。 それでも、主は妹の死を彼なりに悼んでいるのだろうと思う。 ある意味で誰より純粋だった紫杏は、やはり『六道』の人間だった。良きにつけ悪しきにつけ、自らの道を進んだ末に人生の幕を閉じたのなら、主がその生き様を否定する筈がない。 そして、主が沈黙を保ち続けたのは今や主流七派を離脱した『裏野部』についても同様である。 『賊軍』を名乗り、勢力を四国に集結させつつあるという話は聞き及んでいるが、主の“道”には今のところ関わりがないことだ。無論、必要とあらば動くだろうが。 先程、主は「儀式は任せる」と知前に命じて村に入っていった。 修行時代の恩人に対して礼は欠けぬと挨拶に赴いたのだが、これから主が引き起こそうとしていることを考えれば矛盾も甚だしい。少なくとも、常識に照らし合わせて考えるならば。 しかし、それは不思議でも何でもないのだ。主にとって、“己の道”は全てに優先するのだから。 あらかた準備を整えた後、知前は南側を担当する部下に連絡を入れる。 通信機から、艶っぽい女の声が聞こえてきた。 『こちらはいつでも動けますわ。 今日の実験でまた一つ真理に近付けるかと思うと、興奮してしまいますわね。……ふ、ふふふふふ』 思わず苦笑しつつ、通信を切る。 困った性格の女性だが、研究に対する熱意と戦いの腕は確かだ。 悪い癖が出ないことを祈りつつ、こちらはこちらの仕事をするとしようか。 懐から黒い球体状のアーティファクトを取り出し、それを発動させる。 「――さて、“箱舟(アーク)”の方々はお越しになるでしょうかね」 寒風が、知前の頬を撫でた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:宮橋輝 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年03月04日(火)22:36 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 「長らくご無沙汰いたしております」 かつての恩人を前に、六道羅刹は深く頭を下げた。 作法にのっとった、完璧なお辞儀。挨拶を終えて手土産を渡すまで、動きに淀みはない。 久方振りに訪れた村は、殆ど変わるところが無かった。ただ、人々だけが緩やかに老いている。 あと半刻もすれば、この地は惨劇の舞台となるだろう。裏で糸を引いているのは、他ならぬ羅刹だ。 昔と寸分違わぬ風景を懐かしみ、恩人に礼を尽くすこと。 その双方を、跡形も無く消し去ろうとしていること。 どちらも、羅刹にとってはごく当たり前の行動なのだ。 善悪という概念、あらゆる理屈を越えても、彼には優先すべきものがあるのだから。 「己の道の為ならば、ね――」 地に降り積もった雪よりも白い六枚の翼を羽ばたかせて、『運命狂』宵咲 氷璃(BNE002401)は低空を滑る。傍らを危なげなく駆けていく『戦奏者』ミリィ・トムソン(BNE003772)が、小さく頷きを返した。 「なるほど、だからこその逸脱」 村に至る道を急ぐのは、十人のリベリスタ。六道羅刹の命で実行されようとしているディメンションホール構築儀式を止めるべく派遣された、いずれ劣らぬ精鋭たちである。 「“そういう道”では、決して珍しい話でもないでしょうけれど……」 主流七派の一つ『六道』を統べる男の特異なパーソナリティはさておき、『別次元に繋がる巨大な穴を作ること』が彼の最終目標とは考え難い。問題は、かの“逸脱者”が“道”の先に何を見据えているか、だ。思案顔を見せる『現の月』風宮 悠月(BNE001450)の視線の先で、『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)は表情を引き締める。 羅刹が、たゆまぬ鍛錬で己の力を高め続けていることは確かだ。 果たしてそれは、彼にとって“目的”なのか、あるいは“手段”の一つに過ぎぬのか。 (……どちらにしても、僕とは相容れないだろうけど) 胸中で独りごちる悠里の隣で、『家族想いの破壊者』鬼蔭 虎鐵(BNE000034)が溜息を漏らす。 「全く、六道は剣林とは違って分かりにくいでござるな」 七派きっての武闘派と評される『剣林』に籍を置いていた経歴を持つ彼からすると、回りくどいとすら思える六道のやり口は理解を超える。 一点の曇りも、一片の迷いも存在しない『折れぬ剣』楠神 風斗(BNE001434)の声が、そこに重なった。 「六道羅刹がどんな人間だろうが知ったことじゃない。 イカレた儀式を止めて村の人たちを護る、やりたいことはそれだけだ!」 その通りだ――と、『赤き雷光』カルラ・シュトロゼック(BNE003655)が首肯する。 以前、北海道の大雪山系で行われた儀式を思い出して、彼は眉間に皺を寄せた。 「懲りもせず、また同じような事しやがって……」 「状況に差こそ有れ、事情は前回に似通っているか」 答える『生還者』酒呑 雷慈慟(BNE002371)と、『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)の二人も、カルラと同じく先の事件に関わったメンバーであり、羅刹本人と直に顔を合わせた経験を持つ。共通点の多い今回の儀式について思うところはあるが、とりあえず考えるのは後だ。 最優先すべきは、儀式の阻止。ひとたび穴が開いてしまえば、村に住まう人々は異界の怪物に追われ、殆どが命を落とすことになる。 「歩む道の先に何があるのか興味はあるけれど、見逃す訳には行かないわ」 氷璃がそう言って氷青色の目を細めた時、雷慈慟の手から一羽の白梟が飛び立った。五感を共有するファミリアーを先行させ、偵察に役立てようというのである。 “幻想纏い”の通信回線を開いたうさぎが、全員に声をかけた。 「では、行きましょうか」 儀式の核となるものは、村の南北に一つずつ配置されている。これから、リベリスタは二班に分かれ、その二つを同時に破壊せねばならない。 「それじゃ、また後で!」 白い歯を見せて笑うと、『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)は北に進路を転じた。 ● 白梟の視覚越しに、雷慈慟が目標の姿を確認する。 空中に浮かぶ、直径三メートル程の黒い球体――『ゲートスフィア』。同名のアーティファクトが小規模なディメンションホールと融合したそれが、今回の儀式における鍵だ。 敵となる六道派のフィクサードは四人。『ゲートスフィア』のやや手前に二人、側面に二人という配置である。側面に立つ男のうち片方に、雷慈慟は見覚えがあった。 三毒知前。六道羅刹の腹心であり、実務面で『六道』を支える幹部の一人。 ファミリアーを上空に飛ばし、距離を詰めにかかる。リベリスタの接近を察した知前が、大きな鼻に不釣合いな小さな目を僅かに細めた。 「これはこれは、皆様――」 「ご機嫌麗しゅう、アークだよ。随分と楽しそうだね」 恭しく一礼する知前に、素っ気無く答える夏栖斗。その後ろでは、氷璃が興味深げに彼を見詰めていた。探究者たる『六道』の中核を担う男の実力は、果たして如何ほどか。 「さて……斬り込んでいくでござるよ!」 雪深い地面を蹴り付け、虎鐵が愛刀の柄に手をかける。点在する木すらも足場として利用するカルラが、ゴーグル越しに敵を睨んだ。儀式完成までのタイムリミットはたった二分、ぐずぐすしている暇は無い。 「まずは、全力で、止める!」 この時点で、彼我の距離は約20メートル。知前が『ゲートスフィア』に向かって何事かを囁いた直後、球体の中心から蒼い炎が迸った。召喚されし異界の火が激しく渦を巻き、リベリスタだけを選んで灼き焦がしてゆく。立ち並ぶ木やフィクサードを傷つけぬばかりか、地に積もった雪を一片たりとも溶かさないのが不思議と言えば不思議ではあった。 愛用の黒い日傘――“箱庭を騙る檻”をくるり回した氷璃が、短く詠唱する。彼女の血を媒介に生み出された鎖が雪に覆われた林を駆け抜け、黒い球体と六道派フィクサード達を次々に絡め取った。 カルラと夏栖斗が、一斉に飛び出す。瞬く間に距離を詰めた彼らが正面に陣取る敵の前衛を一人ずつ抑えた時、『ゲートスフィア』が黒い霧を生じさせた。 「各自、回避行動を」 神算鬼謀を武器に全体の指揮を執る雷慈慟の警告が奏功したか、虎鐵は辛うじて直撃を避ける。 彼は中間地点まで歩を進めると、“斬魔・獅子護兼久”を抜刀して真空の居合いを放った。 斬り裂かれた『ゲートスフィア』の表面から、どろりとした瘴気が滲む。木を盾にして氷璃の鎖をやり過ごしたらしい知前が神の光で部下の呪縛を解くと、雷慈慟がそこに肉迫した。 「世界の観察者が、こうも積極的に、世界状況へ介入すると言うのは――」 知前をブロックし、猪の因子が色濃く出た彼の顔を緑の双眸に映す。 「観察者として些か御粗末ではないか。……積極的加担者、三毒知前」 鋭い眼光を真っ向から受け止め、知前は微笑みにも似た表情を浮かべた。 「以前にも申し上げましたが、観察や観測といった行為は時にそれ自体が対象に影響を及ぼすもの。 この世界に関わるのは、『観察者』たる私の“業”であり“道”とご理解頂ければと」 悪びれもせずに語り、フィクサード達に指示を与える。傍らにいたフライエンジェが羽ばたいて後退するのと時を同じくして、六道派の背に小さな光の翼が現れた。 夏栖斗の前に立つ一人が破壊の化身(ジャガーノート)の戦気を纏い、カルラが足止めするもう一人が“不可触のルール”で運命を引き寄せる。 「前の二人がデュランダルとクリミナルスタア。下がったフライエンジェがホーリーメイガスね」 日傘を翳して襲い来る炎の一部を遮った氷璃が、フィクサードのジョブを断定しつつ黒き葬送曲を奏でた。濁流の勢いで奔る鎖が敵を貫き、彼方へと通り過ぎて消える。 『ゲートスフィア』本体、付与スキルにより状態異常を無効化しているデュランダルとクリミナルスタアを呪縛することは叶わないが、火力のみでも充分に貢献出来る筈だ。 毒の霧で一帯を覆い尽くした『ゲートスフィア』が、黒雲でリベリスタを薙ぎ払う。 ウイング型の可動スラスターを備える“メガ・スピードスター”をフルに活用して拘束を免れたカルラの両手に、赤い光が宿った。 手甲型アーティファクト“テスタロッサ”の内部で炸裂した魔力を乗せて、真っ直ぐ拳を繰り出す。間合いを超越した打撃の嵐が、赤き雷光となって敵陣を穿った。 他の技と比較して命中精度は落ちるものの、これなら『ゲートスフィア』とフィクサードを纏めて叩ける。時間が区切られている以上は、一手たりとも無駄には出来ない。 「――虎鐵、よろしく!」 玄武岩の漆黒と桜花の紅に塗られた色違いの旋棍(トンファー)を振るい、夏栖斗が養父の名を呼ぶ。 飛翔する武技が眼前のデュランダルを貫通して黒い球を捉えた刹那、虎鐵が前に躍り出た。 虎の咆哮の如き裂帛の気合が、彼の喉を震わせる。愛しき“獅子”を護り、あらゆる物を破壊する――それだけのために特化された刀が唸りを上げ、『ゲートスフィア』に凄絶なる一撃を見舞った。 「これは手厳しい」 六道派のホーリーメイガスが聖神の息吹を呼び起こす中、知前が嘆息する。 煌くオーラの糸を手繰ってリベリスタの急所を狙い撃つ彼に、雷慈慟が重々しい口調で告げた。 「我々の道は交わらない。常に捻じれに位置している」 崩界の阻止。それこそが、己の歩むべき道。ここに在るのは、進退脅かす“障害”に過ぎぬ。 「障害を粉砕する」 雷慈慟の指先から伸びた極細の糸が、ホーリーメイガスを過たずに射抜いた。 ● 村の北側に向かった班が交戦を開始したのと同時に、南側を担当するメンバーも現場に到着した。 強風が吹き荒れる雪原の上、大きな黒い球体が微動だにせず浮いている。 『ゲートスフィア』と呼ばれるそれの手前には、フィクサードが三人。残る一人はやや離れ、奥の方に控えていた。重火器を手にしているところを見ると、スターサジタリーかもしれない。 六道派フィクサードの紅一点――アニエス・デュポンが、リベリスタの姿を認めて笑う。 「あら、噂に名高い箱舟さん達のお出ましかしら?」 僅かにウェーブがかかったブルネットを風に靡かせ、『lune du soir』と名付けられたバルディッシュを構える彼女に、ミリィが挨拶を投げかけた。 「御機嫌よう、フィクサード。申し訳ありませんが貴女の真理探究を妨げさせて頂きます」 各所に魔術回路を張り巡らせた風斗の白いロングコートに、赤き光のラインが走る。 “折れぬ剣(デュランダル)”を握り締める彼の隣で、うさぎがいつも通りの無表情で口を開いた。 「さあて、蹴躓いて貰いましょうか」 軽やかな足取りで駆けるうさぎの瞳に、『ゲートスフィア』から噴出する異界の蒼炎が映る。 押し寄せる劫火にも怯むことなく、ミリィは凛と声を響かせた。 「――任務開始。さぁ、戦場を奏でましょう」 彼我の中間まで前進し、神秘の手榴弾を投擲する。 刹那、敵陣の上空で炸裂する閃光魔術(シャイニングウィザード)。 網膜を灼かれた六道派フィクサードの動きが鈍った隙に、悠里は間合いを詰めにかかった。二十メートルの距離を走り抜け、アニエスの懐に入る。 すぐさま縮地の歩法を発動させた悠里を見やって、アニエスは唇の端を吊り上げた。 「何て素敵な殿方。でも、わたくしには真理の探究という使命がありますの。 世界が綻んでいく過程を解き明かす愉しみを放り出して、デートのお誘いには乗れませんわね」 うっとりと目を細めて夕月の刃を閃かせる女に、悠月が声をかける。 「……観測点たる己と世界が消失すれば探究どころではないと思いますが」 「Voir, c'est croire――百聞は一見にしかずと言うではありませんか。 滅びを知るには、その瞬間を目の当たりにするのが早道ですわ」 あるいは、こういった彼女の思考こそ、ある種の神秘を内包しているのかもしれない。 これ以上の問答を諦め、悠月は小さく溜息を吐く。 「時間が許せば緩りと言葉を交わしてみたくもありますが――仕方ありませんね」 ケルト十字の意匠をあしらった杖を手に詠唱を始める彼女の前方で、風斗が叫んだ。 「うさぎ、そっちは任せたぞ!」 「任されました。御褒美は期待しておりますね」 しれっと見返りを要求するうさぎが前列に立つフィクサードの一人をブロックした時、彼は勢いよく地を蹴った。 「ああ、ああ、うまくいったら何でも好きにさせてやるよ!」 敵の間隙を縫うようにして、『ゲートスフィア』に迫る。その中心から湧き上がる混沌の霧がリベリスタを取り巻いていく中、もう一人の前衛が悠里の抑えに回った。神聖なる光で状態異常を消し去ったことから、彼がクロスイージスであると知れる。 風斗に接近したアニエスが不滅を象徴する紫の紋を己の身に宿した直後、スターサジタリーと思しき男が銃声を轟かせた。リベリスタの頭上に、燃え盛る火矢が降り注ぐ。うさぎが足止めするフィクサードの指先から幾本もの気糸が伸び、相対する者たちの急所を次々に捉えた。とすると、彼はプロアデプトか。 『ゲートスフィア』が召喚する炎を掻い潜り、ミリィがクロスイージスをブロックする。彼女は素早く視線を走らせると、スターサジタリーを目掛けて小型の閃光手榴弾(フラッシュバン)を投擲した。叶うなら回復役を狙いたかったが、乱戦気味のこの状況では味方を巻き込んでしまうのでやむを得ない。 眼前のアニエスを無視して、風斗が自らの肉体を膨張させる。立ち込める蒸気の向こうで、“デュランダル”の刀身に刻まれた赤いラインが鮮烈な輝きを放った。 「おおおおおおおおおおおおッ!!」 人の限界を超えた一撃が、真正面から『ゲートスフィア』に叩き込まれる。痛打を浴びたそれがお返しとばかりに黒い雷を落とすと、アニエスが横合いからバルディッシュを繰り出した。 「――ごめんあそばせ」 この世の全ての呪いを帯びた奈落の刃が風斗の脇腹を抉り、彼を十重の苦痛で縛る。 半円のヘッドレスタンブリンに似た“11人の鬼”を操るうさぎが、空中から『ゲートスフィア』を奇襲しつつアニエスに語りかけた。 「真理が知りたきゃ先ずホールの中にでも入ってみては如何です?」 何なら手伝いましょーか、と告げるうさぎに、六道の女フィクサードは「それも悪くないかもしれませんわね」と冗談めかして答える。 ミリィのフォローでクロスイージスから解放された悠里が、アニエスと風斗の間に割って入った。 「悪いけど君達の好きにはさせないよ!」 白銀の篭手に凍てつく冷気を纏わせ、零距離からアニエスを打つ。術を発動するタイミングを計っていた悠月が、ここで杖を天に掲げた。 卓越したマグメイガスのみが行使出来る最大魔術、『マレウス・ステルラ』。 数多の星たちが、空より落ちる鉄槌と化して全ての敵を穿った。 ● 荒れ狂う異界の炎が、雪に覆われた林を舐めていく。 不撓不屈の意志をもって黒雲の呪縛を振り解いた虎鐵が、愛刀を構え直して『ゲートスフィア』を睨めつけた。ただ一つ開かれた橙色の右目に、刃の如き眼光が宿る。 「……儀式が完成したらやばそうでござるな」 呼び水に過ぎぬ筈のディメンションホールから漏れ出る火ですら、この有様だ。完全な形で儀式が発動した時の被害を想像すると、背筋に氷を当てられたような感覚をおぼえる。 兎に角、あれの破壊が最優先だ。術を行使する反動に身を蝕まれながらも、氷璃は詠唱を響かせる。 五芒星の盾(マギウス・ペンタグラム)に守られたホーリーメイガスに黒き血の鎖が巻きつき、その身を雁字搦めに縛り上げた。ダメージは通らずとも、状態異常回復に知前の手を割かせることが出来るならそれはそれで構わない。 「相変わらず苛烈な方々だ。まったく手心を加えて下さらない」 「道に障害があれば排除するだけだ、君達と同じだろ」 肩を竦めて嘆く知前に、夏栖斗が面白くもなさそうに答えた。 『ゲートスフィア』の霧をすんでの所でかわし、空中に身を躍らせる。目にも留まらぬ速さで“玄武岩”と“紅桜花”が閃くと、相対するデュランダルの肩口に鮮血の花が咲いた。 「自分の仕事は補佐だ、君達の能力に期待している」 前線で知前を抑えつつ指揮を執る雷慈慟が、全員を激励する。味方を巻き込まぬよう、気糸で“点”の攻撃を加える彼に続いて、破壊神もかくやと思われる虎鐵の強烈な一撃が炸裂した。 かつての鬼は影を潜め、漆黒の刃は彼の闘志を受けて輝く。懐にある混沌の欠片(カオスシード)も、その魂を狂気に染めることは叶わない。 巻き起こった風が虎鐵の髪を逆立て、深化で得た白虎の耳をなぶる。雪深い中でもバランスを失わぬ肉体は、仁王の激しさを湛えてそこに在った。 次元の彼方より召喚されし蒼炎に包まれた氷璃が、微かに柳眉を顰める。他者を癒す手段を有する仲間は、この場には存在しない。体力の回復が見込めぬことを鑑みると、そろそろ攻撃手段を切り替えるべきか。 『氷原狼(ツンドラウルフ)』と呼ばれる革醒者がかつて用いていた呪氷の矢を射て、黒い球体を凍てつかせる。その一方で、彼女は知前を注意深く観察していた。今のところ、彼が操るのは既知のスキルばかりだが、仮に“奥の手”を隠しているようなら見逃す訳にはいかない。全身全霊をもって、写し取るまで。 (これも、私の歩む道――) 本来のリーチに関係なく標的を捉える赤き拳で敵陣に打撃を与えるカルラの視界に、『ゲートスフィア』や六道派フィクサードの向こう側に広がる景色が映る。 そういえば、連中がこの場所を選んだことに意味はあるのだろうか。 以前に儀式が行われた大雪山系の地形などを思い出し、共通点を探ろうとする。理由が判明すれば、“次”は先手を打てるかもしれない。 「……っつーても、俺にその辺の探査込みで戦えってのは無茶なんだが」 口の中で呟き、目の前に意識を戻す。考え事をしていて勝てる程、この敵は甘くはない。 相手の戦力を測ろうとしていたのは、リベリスタだけではなかった。『観察者』と称する知前もまた、アークの陣容を見定めていたのである。 ここまでの攻防から、専任の癒し手が居ないことはほぼ確実。その分、全体の速度と突破力はかなり厄介だ。強引に『ゲートスフィア』を庇わせたとしても、おそらくは無駄に終わるだろう。 「やはり、そこから切り崩すしかありませんね」 自らの支配下にある黒き球体と部下たちの双方に、無言で合図を送る。 直後、二条の稲妻が天から落ち、虎鐵の全身を刺し貫いた。 「ぐ………ッ!」 凄まじい威力を孕んだ雷が彼の体内を暴れ回り、容赦なく焼き焦がしてゆく。 チーム随一のアタッカーに狙いを集中して速やかに倒す――それが、知前の頭脳が導き出した最適解。 火花が散り、煙が立ち込める中、虎鐵の長身が初めて揺らぐ。 力尽きたかと思われた刹那、彼の口元に不敵な笑みが浮かんだ。 「おっと……これで終わりと侮ってもらっては困るでござる」 一度は光を失いかけた双眸に、輝きが戻る。運命が燃える音を聞きながら、虎鐵は“斬魔・獅子護兼久”を握る両手に力を込めた。 「まだまだ、拙者は負けてないでござる!」 破壊の闘気が爆ぜ、黒き光が一閃する。生死をも分かつ渾身の斬撃が『ゲートスフィア』を深々と抉った時、カルラが強かに追撃を見舞った。 「立ち続けるためには……先に倒すしかない!」 ホーリーメイガスさえ落とせば、回復役不在という条件は同じになる。神秘攻撃によるダメージを遮断する盾を持つ相手を積極的に狙えるのは、自分だけだ。 「酒ちゃん!」 己の役割に徹して『ゲートスフィア』に攻撃を重ねていく夏栖斗が、仲間を呼ぶ。 既に行動を起こしていた雷慈慟はすぐさま虎鐵のもとに駆けつけると、合計二十二枚の金属板で構成される“ARM-バインダー”を展開して守りを固めた。 それを見た六道派のデュランダルが、武器に全ての力を集約する。 「! 気をつけて!」 夏栖斗が警告を放った瞬間、巨大なエネルギー弾が雷慈慟の側面に叩き付けられた。 リアクティブシールドとバリアシステムを駆使する彼の防御は完璧に近い。並みの相手ならば、そうそう直撃など許さなかっただろうが――今日の敵は、首領に同行することを許された選りすぐりの精鋭だった。 着弾の衝撃を殺し切れず、雷慈慟の体が宙を舞う。盾が吹き飛ばされた隙を逃すことなく、クリミナルスタアの銃撃と知前の気糸が虎鐵を穿った。 「貴方の火力は脅威の一言に尽きますのでね。どうか悪く思わないで頂きたい」 刀をしっかりと握ったまま倒れた敵手への敬意を込めて、知前が囁く。 『ゲートスフィア』から噴き上がる炎を運命の恩寵で凌ぎ切った氷璃が、日傘を己の前方に差し出した。 他者の技を手中にする以上に、彼女が己の道として重んずるのは崩界を食い止めること。 その先に見えるのは、乱れたコードが正されて安定した世界の姿――。 「其処に辿り着く為ならば、手段は問わないわ」 傘を持たぬ方の手が、矢を引き絞るかのように動く。 たとえ、運命を捻じ曲げることが叶わなくても。 道を歩むうち、この両手が罪無き人々の血で染まったとしても。 「私達は――この“道”を譲る訳にはいかないのよ!」 決意と呪いを帯びた氷の一矢が、『ゲートスフィア』の中心を射抜く。 タイムリミットを迎えるのが先か、球体が砕かれるのが先か。戦いは、未だ予断を許さない。 ● 「ご好意に甘え、つい長居をしたようです。そろそろお暇いたします」 対話を終えた後、羅刹は恩人の家を辞去した。 思惑通りに事が運べば今生の別れとなる筈だったが、巌の如き面差しは小揺るぎもせず、他者に不審を抱かせることもない。 すれ違う村人に軽く会釈をし、ゆっくりと通りを歩む。 ――間もなく、儀式が完成する時間か。 羅刹の眼光が、不意に鋭さを増した。 ● 村の南側においても、『ゲートスフィア』をめぐる戦いは加熱の一途を辿っていた。 麻痺から回復を果たした射撃手が、魔力を固めた長射程の魔弾で悠月を砲撃せんとする。 そうはさせじと、ミリィが持ち手にスターサファイアを埋め込んだ象牙の指揮棒(タクト)を振った。 「ひとつ、踊って頂きましょう」 音楽的にも聞こえる神秘の言葉を響かせ、敵の精神を揺さぶる。 彼らの注意が自分に向いたのを確認してから、少女は『ゲートスフィア』に視線を移した。 加護を砕く雲の使用頻度が思ったより高いため、クェーサーが誇る勝利のドクトリンを用いるのは躊躇うが、解析を進めるうちに確信したことがある。 あれが内包するディメンションホールは、儀式に要するエネルギーを生み出すという性質を除けば、蒼炎を呼び込むための小規模なものに過ぎない。核となるアーティファクトを砕いてしまえば、融合した穴も同時に消滅するだろう。 「――遅いんだよっ!」 『ゲートスフィア』が攻撃に移る直前に、風斗が仕掛ける。 激しく湯気を噴き上げる己の肉体が限界を超えた負荷によりみしみしと軋む音を聞きながら、彼は全力の一撃を叩き込んだ。 この状況において、最も避けたいのは先のように状態異常で動きを封じられることである。 幸い、敏捷性を引き上げる方向で装備を調整したのが功を奏して、『ゲートスフィア』以外の敵に対しては高確率で先手を取れているが――。 「ま、それでも喰らった時は気合で押し退けるしかありませんけどね」 事も無げに言い放ったうさぎが、トンボを切って黒雲の連射を避ける。 首に巻いた緑色の長布が風にはためいた時、うさぎは体の向きを変えてさらに跳躍した。 “11人の鬼”が、『ゲートスフィア』に振り下ろされる。少しずつ角度をずらして配置された十一枚の刃が球体を表面を抉り、ズタズタに引き裂いていった。 異界の炎が渦を巻く中、悠里は単身でアニエスの抑えに徹する。武器のリーチ差を埋めるべく、ぴたりと張り付いて自らの間合いを死守する彼の戦術に、さしものアニエスも本来の実力を発揮しきれないでいるようだった。 「皆が信じて任せてくれたんだ! 絶対に勝つ!」 疾風の武舞を展開し、迅雷の拳で胴を打つ。暗黒の死霊術が齎す無限の再生能力をもって傷を塞ぎつつ、アニエスは眉を寄せた。 「情熱的な方は嫌いではありませんけれど……困ってしまいますわね」 クロスイージスに状態異常の解除を命じようにも、彼もミリィの策で行動を封じられがちなため、どうしても『ゲートスフィア』の回復を優先せざるを得ない。 僅かに焦りを滲ませるアニエスをよそに、悠月は四度目になる『マレウス・ステルラ』の詠唱を終えた。 この場に居ない『六道』の首領に向かって、心の中で問いかける。 (六道羅刹……この“儀式”の先に、一体何を望むのです?) 彼に会うことが叶えば、何らかの手掛かりを掴めるだろうか。 悠月が敵陣に流星の鉄槌を降らせるのを認めて、ミリィは攻勢に転じた。 ここまで来たら、火力で目標を砕いてしまう方が早い。冷徹な殺意で『ゲートスフィア』を射抜き、ダメージを重ねる。 刹那、球体から迸った黒き雲が前に並び立つリベリスタ達を薙ぎ払った。 直撃を受けたミリィと風斗が、相次いで運命を削る。遠のきかけた意識を強引に引き戻し、少女は果て無き夢(リソウ)に手を伸ばす。 たとえ報われることがなくても、平和に暮らす人々の命が守れるのなら。何も知らぬまま、彼らが笑顔で居られるのなら。私はまだ、戦える――。 辛くも呪縛を逃れたうさぎが、宙に身を躍らせて武器を閃かせる。 どうせ、羅刹にとっては自分など路傍の石に過ぎぬのだ。ならば、石は石らしく、とことん邪魔な所に転がってみせようではないか。 「石ころの根性を見せて差し上げましょう」 友が『ゲートスフィア』に穿った疵(きず)を睨んで、風斗が“デュランダル”を真っ直ぐ構える。 「“己の道”をひたむきに、って言えばよさげに聞こえるが……!」 唇から滴り落ちる鮮血を一顧だにせず、彼は腹の底から吼えた。 「通り道の人間をひき潰していくんじゃないっ! いい迷惑なんだよ!!」 無垢なる白銀の刀身に赤き誓いを輝かせ、己の全てを賭した斬撃を繰り出す。 ごうと唸る烈風が戦場を駆け抜けた瞬間――中心から二つに断ち割られた『ゲートスフィア』が塵となって消えた。 ● 僅かに前後して、北側の戦いも大詰めを迎えていた。 赤雷の拳撃でついにホーリーメイガスを沈めたカルラが、短く息を吐いて敵陣に視線を走らせる。 その時、『ゲートスフィア』から溢れ出した毒の霧が氷璃を押し包み、体力を残らず吸い尽くした。 純白の羽を散らして雪の中に倒れ伏す彼女を視界の隅に映して、雷慈慟が歯噛みする。 庇いに行こうにも、知前のブロックに阻まれて駆けつけることすら出来なかった。辿り着きさえすれば、先程のように不覚を取ることはなかったものを。 間髪をいれず、黒い剣の如き稲妻が夏栖斗を貫く。 全身をばらばらに引き裂かれるような衝撃。養父に膝を折らせた雷の威力に耐えながら、彼は両の足で地をしっかりと踏み締めた。 「……僕もさ、譲れないんだよね」 実母が遺した言葉を、裏切らぬために。 曖昧な“正義”を体現するのではなく、真の“正義の味方(ヒーロー)”になるために。 夏栖斗の気迫を察して、知前と、残る二人のフィクサードが彼を阻止せんと動く。 しかし、それよりも数段速く、漆黒と紅の旋棍が舞った。 あらゆる障害を突き抜けて飛翔する不可視の一撃を受けて、『ゲートスフィア』が爆ぜる。 瘴気が四散する様は、あたかも黒い花が大輪を咲かせたかのように見えた。 間を置かず、別班の悠里から“幻想纏い”を通じて連絡が入る。 どうやら、あちらも『ゲートスフィア』の破壊に成功したようだ。六道派の儀式は、これで完全に効力を失ったことになる。 あとは、“もう一つの目的”を果たすため、羅刹に挑むだけだ。 とはいえ、敵と味方の数が同じである以上は、おいそれとこの場を離れる訳にもいかないが。 「行きたいのは山々なんだけど、ちょっと無理そうかな。抑えとくから、そっちは任せたよ」 悔しげに言って、夏栖斗は三人のフィクサードを眺めやる。二十二枚の金属板を巧みに操作して知前を足止めする雷慈慟が、「深追いはするな」と悠里に念を押した。 「お見事……と申し上げたいところですが、どうやらまだ終わりではなさそうですね」 アークの狙いを把握した知前も、気糸を奔らせて戦闘を続行する構えを見せる。 相対するクリミナルスタアを間に挟んで射線を遮ったカルラが、“テスタロッサ”に魔力の弾丸を装填し直して再び拳を握った。 チームとしての目標は、既に殆どが達成されたと言って良い。だが、彼個人が目指すのは、残存する敵を全て倒し、自分の足で帰ること。 以前に戦った際は、最後まで立っていられなかった。同じ結果は繰り返したくない。 「俺はフィクサード狩り。狩りは、生きる糧を得るために行うものだ」 決意を込めて呟き、カルラは己の身を赤き雷光と化す。 フィクサードへの憎悪のみに突き動かされていた彼は、もうどこにも居ない。 そこに在るのは、獲物を駆逐し、奇禍に遭う被害者を減らし、自分が生き抜く糧とする――紛れも無い狩人の姿。 「男子三日会わざれば刮目して見よ……とは、よく言ったものです」 青年の目覚しい成長を認めて、知前が感嘆の表情を覗かせた。 悠里が離脱した南側のエリアでは、その場に留まった四人が死力を尽くして戦っていた。 「また真理が遠のいてしまいましたわ」 落胆を隠せぬ様子で漆黒のオーラをばら撒くアニエスのもとに、風斗が突撃する。 「どこまでできるのか、考えるのは後回しだ!」 「本当にブレない人ですねえ。いつもの事ですけど」 呆れたように言って、うさぎがは片足を軸にくるりとステップを踏んだ。神速の連撃でフィクサード達を切り刻み、うちの一人を血の海に沈める。閃光手榴弾でスターサジタリーを封じつつクロスイージスを抑えるミリィが、後方を振り返って悠月を見た。 「行って下さい。ここは私達が」 彼女に頷きを返し、悠月は悠里の後を追って走り始める。その背を見送り、うさぎは残るフィクサードに向き直った。 羅刹に、自分を見て貰う必要など無い。 いずれ躓かせてやる時に備えて、懐に呑んだ刃を研ぎ続けるだけ。 ――どうぞ、己の道だけを見つめていなさいませ。石ころの事など認識もせず。 密やかに囁かれた声は、雪原を吹く風に吸い込まれて消えた。 ● 無謀に過ぎる挑戦であるとは、初めから理解している。 対峙する相手の力量を測れぬ程、愚かではないつもりだ。 退く選択肢は、最初から存在しなかった。 この期に及んで怖気づくくらいなら、そもそも足を運んだりしない。 儀式を止めるという目的のみを考えれば、“戦う必要は無い”相手なのだから。 村の方角から歩いてきた羅刹は、行く手に立ち塞がる悠里を見ても何も言わなかった。 定められた時間にに穴が開かなかった段階で、大体の事情は察していたのだろう。 歩みを止めた羅刹の双眸に、抜き身の日本刀にも似た眼光が宿る。 その瞳を真っ直ぐに見る悠里の心は、不思議と落ち着いていた。 悠里にとって、己の道とは“守る”こと。だから、危険を承知でここに来た。 未だ明かされぬ羅刹の力を、一つでも多く解明するために。 彼との対決を経て、自らを高みに引き上げるために。 不動の構えを見せる羅刹を前に、己が両足に“気”を集める。 「六道羅刹! お前を僕の道の礎にする!」 「示してみせよ。主が道」 重厚な声が悠里の鼓膜を震わせた時、彼は紫電を纏って羅刹に挑みかかった。 左手には“勇気(Brave)”、右手には“境界線(Borderline)”――魂を刻んだ白銀の篭手が、一点の曇りもなく輝く。 疾風の連続攻撃を捌くのは、武器を持たぬ羅刹の腕。 閃いた足刀が、胴を両断する勢いで悠里の側面に繰り出された。 ガードの上からごそりと脇腹を抉られ、激痛が走る。何度か手を合わせるうち、悠里は確信した。 間違いない。この男は覇界闘士だ――。 追いついた悠月が、戦う二人に目を凝らす。 元より、手出しをするつもりは無い。羅刹の技、そして彼が持つとされるアーティファクト『六道輪廻図』を見極めることのみを考え、神秘の深淵に手を伸ばす。 それらしきアーティファクトは外側から見えないものの、何らかの力が作用していることは確実。 輝ける足刀が悠里の首筋を切り裂くと同時に、彼女もまた一つの結論に至った。 『六道輪廻図』の効果は、所有者の能力向上と、アーティファクトに由来するパッシブスキル。 羅刹が攻撃する度に見られる光。おそらく、あれは彼に心身の回復を齎している。 まだ他にも秘密が隠されているような、どうにも底が知れない感覚は付き纏うが――少なくとも、その一端は掴むことが出来た筈。 さらに観察を続けようとする悠月の視線の先で、羅刹が口を開いた。 「道を譲らぬ者同士なら、いずれかが絶えるのは必定」 厳かに告げる男の眼前で、悠里は己の運命を燃やして流れる血を止めた。 「命を捨てる気はない……誰の命も奪わせない為に、僕はここに来たんだ……!」 白い制服を紅に染め上げ、“境界最終防衛機構”の一員たる青年は拳を握る。 欲するのは、未来へ希望を繋げる力。 阻むものすら糧として、この道を貫いてみせる。 「――僕が、境界線だ!」 全身全霊を捧げた迅雷の拳が、羅刹の鳩尾を捉える。 「見事なり」 足刀が悠里の意識を今度こそ刈り取った瞬間、悠月は彼のもとに駆け寄っていた。 物理ダメージを遮断する魔力の盾(ルーンシールド)を自らの周囲に展開し、仲間を庇う。 月光の加護を受けた蒼いローブの裾が、ふわりと風に揺れた。 「………」 暫し睨み合った後、羅刹は黙ったまま踵を返す。 こちらを顧みることなく、求道の魔人は何処かへと去っていった。 羅刹が姿を消した後、悠月は仲間に連絡を取る。 『了解した。これより撤収する』 雷慈慟の声が、“幻想纏い”越しに答えた。 ● 合流を果たしたリベリスタ達は、ほぼ全員が消耗しきっていた。 南側の班はミリィが倒れ、うさぎも自らの運命を削っている。もっとも、相手側も生きて戦場を後にしたのはアニエス一人であったので、痛み分けというよりは勝利に近いだろう。 一方、北側の班には新たな戦闘不能者は出ていない。カルラと雷慈慟が運命を燃やしはしたものの、彼らは今も自分の足で立っている。知前の他にもう一人を討ち漏らしてしまったが、ひとまず上々の結果とすべきか。 深手を負った虎鐵を肩に担いだ夏栖斗が、今回戦うことが叶わなかった羅刹について思いを馳せる。 逸脱もまた、“道”の一つなのか。まるで脱線事故だ――と、口の中で呟く。 もし次の機会が得られるならば、養父はきっと手合わせを望むだろう。強き武人との闘争は、彼の好むところだから。 「……『六道輪廻図』ね」 目を覚ました氷璃が、悠月から伝え聞いた情報を吟味して思案に暮れる。 「私には、あの男の“道”を示す道標にも思えるけれど」 羅刹が進む道の先を見通すかのように、彼女は氷青色の瞳を虚空へと向けた。 ● 「申し訳ございません。またしても“箱舟”にしてやられました」 合流を果たした後、知前は神妙な面持ちで主に詫びた。 個人の“道”を何より重んじる『六道』は、組織の力をもって部下の行動を縛ることを好まない。 それは、一度に動かせる人員の数に限りがあることを意味していた。 いかに秘密裏に事を進めようと、七派の首領が自ら動くとなれば万華鏡に察知される。 別のリスクは伴うが、今後は少々強引な手段を取らざるを得なくなるだろう。 腹心の進言に、羅刹は「是非もなし」と頷きを返す。 不機嫌そうな表情を隠そうともしないアニエスもまた、ブルネットをかき上げて口を開いた。 「ええ、探究に冒険はつきものですものね」 笑みを消した彼女の面を見やって、知前は厚みのある肩を竦める。 「これから忙しくなりそうです」 敵はアークばかりではない。主流七派を離脱した元『裏野部』の面々も、四国で不穏な動きを見せている。ボトム・チャンネルの勢力図に関心が無い主は“個人として”不干渉を貫くだろうが、組織としての『六道』はそうもいかない。むざむざ四国の拠点を失う訳にはいかないし、そこは実務面を取り仕切る自分の役割であると心得ている。 ――まあ、退屈だけはせずに済みそうですか。 心中で独りごち、猪面の『観察者』は口の端を微かに歪めた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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