●逸脱者の善悪 “何つーかさぁ、骸ちゃん最近日和ってない? マイホームパパし過ぎてなーい?” 『クッキングダディ何て時代遅れだYO! ガラスハートの70年代恥ずかC-!』 “そうそう70年代とか知らないけどね。俺様ちゃん永遠の20代だし” 『ヒャァー、サバ読み過ぎだぜ京ちゃんマジエンターテイナーじゃん超カッケー』 そも。事は彼がその組織に属す目的らしき物を達成してしまった事に端を発する。 彼が組織へ貢献して来たのは、単にそれが最も効率良く研究が進められたからだ。 あくまで、目的有りき。それ以上ではなく、それ以下でもない。 生まれながら逸れてしまった人間が多い『黄泉ヶ辻』に在っては異色の動機だ。 しかしだからこそ、彼はこれまで彼の組織の中核に居続けられたと言って良い。 一切の余裕を持たず容赦を許さず、目的の為だけに邁進し続けてきたからこそ、 その男の壊れ方には一定の評価と声望が課せられた。 しかし、今となってはそれも過去の話。 即ち目的を果たした現在となっては、それらには概ね何の意味も無くなっている。 彼が未だその組織に居続ける理由の大半は、彼の娘の健康管理の為だ。 だが、彼らの王が。狂気の京介と呼ばれる男が、そんな惰性を許す筈も無かった。 “つまりさ、俺様ちゃん骸ちゃんにはもっとギラギラしてて欲しいワケよ。 前はもっと悪い奴だったじゃん。俺ら悪人じゃん。ほらほら悪い事しよーよ” 『Oh、京ちゃんSo COOL! 殺っちゃえよ悪い事しちゃえよGo To He――ll!』 “そうそう一丁逝っちゃう? いっそキメちゃう? 俺様ちゃん奮発しちゃうよー” げらげらげらげら。 名も知らぬフィクサードを介して放たれたメッセージは、 冗談めかしてこそ居るが最期通牒に等しい。要はやるべき事をやれという事だ。 誰であれ――自分であれ、究極的にはどうでも良いと称する黄泉ヶ辻首領をして、 敢えてメッセンジャーを送る辺り男の研究も程々評価されてはいるらしい。 が、それは同時に如何なる評価も、彼の狂人の興を満たせなければ塵芥にも満たない。 そんな事実をも突きつける。対する全身黒尽くめの巨漢。 ――『屍操剣』黒崎 骸はそれを解した上で仰々しく頭を垂れる。 「御意に」 元より、下準備は既に終えている。北方のリベリスタ組織『White Fang』と言ったか。 リベリスタが解決した事件の情報を収集するのは面倒だったが、 程々の規模があればどうしても玉石入り混じる。彼の方舟ですら、そうだ。 少し心の弱い人間に、お前の家族を人喰いにすると脅せば必要な情報は容易に揃った。 (潮時、か――) ならば。決断しなければなるまい。このまま狂気の世界に留まるか……或いは。 (――――貴方を、救いたかったです) そんな言葉を、どこかで聞いた。だが今更戻る事など出来はしない。 黄泉の辻に退路は無い。ならば――例え悪鬼と呼ばれようとも、ただ護るべき一人の為に。 ●方舟は揺るがない 「……」 『リンク・カレイド』真白 イヴ(nBNE000001)はただじっとブリーフィングルームに佇んでいた。 集まって来たリベリスタ達に声を掛ける事も無い。 悩む様に、言葉にする事を迷う様に、見透かす様な眼差しはモニターへ向いている。 「間違い無いの?」 「間違い無いよ」 対して、その横に並んで応えるのは見慣れぬ小さなシルエット。 小学校の低学年と言った所だろう。赤いジャンパーを羽織った如何にも優等生然とした少年だ。 「平日の銀行。利用者は10人。1階に7人、2階に3人。 それと、銀行員が更に8人。1階に5人。2階に3人――合計で、18人」 淡々と告げる言葉はイヴとはまた違った意味で情動に欠けている。書類を読む様な声にイヴが眉を寄せる。 「それが全員、『憑キ鬼』予備軍?」 「うん」 “憑鬼”と呼ばれるアザーバイドが居る。 異世界のウイルスとでも呼ぶべきそれは、人間の体内に寄生しその体を変異させる性質を持つ。 結果、憑鬼に寄生された人間は凡そ1週間程で人間を辞め、アザーバイドと化す。 それだけでも問題だが、しかしこのアザーバイドはそれ以上に厄介である。 憑鬼はその母体から他の人間へ接触感染を起こす。その感染率は非常に高い。 更に憑鬼によってアザーバイド化した人間は同族しか栄養に変換出来ないと言う性質を持つ。 即ち――憑鬼に感染した人間は必然的に、いずれは全て人喰いの鬼に変ずるのである。 更に寄生された人間は24時間が経過しアザーバイド化が発症するまで、 既に寄生されているのか、いないのか、少なくともアークには判別が付かない。 一端「憑鬼感染者」予備軍と認定された人間は、総じて殺処分する他無いのだ。 もしも“感染者”が1人でも社会に紛れ込んでしまったら、大事件に発展する事は間違い無い。 事実、今までアークはこれら憑鬼感染者を識別名『憑キ鬼』とし、アザーバイドとして殺して来た。 例え実際は感染などしておらず、ただの人間であったのだとしても。 「……良く、こんなに早く発見出来たね」 「偶然。テスト運用してた時に」 躊躇いがちにそう口にするイヴに、赤い少年――元フィクサードのフォーチュナ。 『預言者』赤峰 悠がこくりと頷く。イヴは不世出の天才的フォーチュナである。 万華鏡の姫の名は伊達ではなく、アーク内では突出して彼女が神秘事件を視るケースが多い。 しかしイヴが天才なら悠は異端である。良く見知っている相手の未来、と言う条件下に限り、 『預言者』の予知精度は年齢とは掛け離れた鋭さを、極々稀に発揮する。 「処理するしか、無い」 過去にも有った事例だ、こればかりはどうしようも無い。 イヴの言葉に、集められたリベリスタ達の表情が堅くなる。 「でも現場には、まだ黒崎さんが居る」 『黄泉ヶ辻』のフィクサードに敬称を付けるのは、悠が元黄泉ヶ辻だったからである以上に 『屍操剣』こそが彼の元パートナーであったからと言う事情が有る。 「処理して終わり、とは行かないと思う」 「……うん、だろうね」 元々、閉鎖主義の『黄泉ヶ辻』は周到だ。退路の1つ2つ確保して来るだろう。 しかし一方好機ではある。“憑鬼”は『屍操剣』が研究し、培養しているアザーバイドだ。 ここでこれを討つ事が叶えば、後の禍根を潰す事に直接繋がるのだから。 「最優先目標は、憑鬼予備軍の掃討。1匹も逃しちゃ駄目」 イヴとしては、そう言わざるを得ない。『屍操剣』、そして彼の連れるアザーバイド。 完成した『憑キ鬼』である少女姿の鬼。識別名『屍鬼童子』は極めて危険な個体だ。 これらとの交戦に気を取られ過ぎ、感染予備軍に逃げられれば。 アークにとって、現実的に致命傷なのはむしろ此方だ。優先順を置かずにはいられない。 「黒崎さんが何を仕掛けてくるかは知れない。気をつけて」 そう言った赤いジャンパーの少年は、けれど色濃い怪訝の色を瞳に載せる。 「……本当に、気をつけて」 預言書を失った『預言者』は、何かを訝しむ様に。 何所か遠くを見つめ、そう告げた。 ●天秤問答 “久しいな、リベリスタ” 対峙した瞬間、男はそう声を掛けていた。 “今日、こうしてお前達の前に姿を現したのは挨拶を兼ねてだ。 お前達の邪魔をする心算も、お前達を殺す心算も無い。今の所は、だがな” 背後には、冷たい眼差しでリベリスタを睨み付ける中学生程の少女。 その右目の色が血の様な赤色をしていなかったなら、一般人と見分けはつかなかったろう。 “単純な、至極単純な話だ。アーク、お前達に交渉を申し出る” それを抑える様に手を翳し、黒い巨漢――『屍操剣』は言葉を紡ぐ。 “俺と綾芽は『黄泉ヶ辻』を抜ける。アーク、お前達は俺達の所業を金輪際見逃すと誓え” 少女。『屍鬼童子』は憑鬼の感染者だ。人喰いの鬼だ。 童子の主食は人であり、人を喰わねば生き続ける事は出来ない。それを押して、尚。 “それを誓約出来るなら、二度と憑鬼は生み出さないと誓おう。 この場の憑鬼の掃除を手伝ってやっても良い。尚足りんと言うなら、俺の右眼をくれてやる” ――それはまるで、狂気の様な問だった。 “人喰いの鬼を放ってはおけんか? だが、綾芽の必要栄養は7日に1人。 1年に僅か50名やそこらだ。お前達は3ヶ月前に10人、そして今日18人を殺す” 数を述べ、合理を解き、大を救う為に小を殺せと突きつける。 “ここで俺と、綾芽の相手をしている猶予が有るか? もし1人でも逃がせば明日は何人殺さねばならなくなる。明後日は、明々後日はどうだ。 お前達とて見捨ててきた、見殺してきた、その手を血に汚して来たのだろう。 それは何の為だ。その犠牲は。選択は。決断は。結末は。何の為に奪って来た” 地獄の王は、その生前の善悪を、天秤で以って量るのだと言う。 ならば、秩序の正義とは善か。混沌の自由とは悪か。多数決の原則は――正当か。 “ああ、アークの上層部ではない。聞いているのは、お前達だリベリスタ。 選んで貰おう。多を救い少を殺すのか。少を救う為に多を危険に晒すのか。お前達の正義を” それは、『預言者』が見た未来。訪れるか否かは知れぬ揺らぎの問い掛け。 だが、答えを持たず対したなら、冥府の業火は運命すらも焼き尽くす事だろう。 “お前達が折れるなら、誰も俺達を殺す事など出来まいよ” 故に黄泉の交差路は突きつける。狂気の様な、選択を。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月 蒼 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年02月24日(月)00:13 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●崩壊の刻 例えば、今の生活を続けたとして。 そこに果ては有るのか――是だ。聖櫃の仔。その成長は目覚ましい。 かつて彼ら1チームをほぼ単独で喰い止めた事すらある『屍操剣』に在って、その実感は覆らない。 今ならばまだ半数は止められようか。しかし後1年を経たならどうだ。 未来を視る神秘など持たずとも既に終わりは見えている。 男とて研鑽を怠った訳ではない。そしてその剣才は天分の物。 元より単純戦力に欠ける『黄泉ヶ辻』に於いて「剣」を冠するのは伊達や酔狂ではない。 言うなれば、黒崎骸と言う男は英雄の雛の先を行く者だった。その伸び白は、既に聖櫃に劣っている。 そして在り方は英雄と言うには程遠い。不器用なまでの家族愛は悲劇と数奇を重ね狂業に到る。 だがそれ故にか、男は愚かではない。ただ決定的なまでに間違っているだけだ。 間違っている事をすら嚥下し己が道を貫くその逸脱は――確かに『黄泉ヶ辻』らしいと言えようか。 研ぎ澄まされた行動原理は、つまり如何にして娘を護るか。 その一点に尽きる。それ以外一切の価値を見出さない。己の五体、命すらも、意味が無い。 (やるべき事を、か……) 『裏野部』――いや、今となって『賊軍』か。 その顛末は伝え聞いている。彼の神降ろしが成るにせよ、阻まれるにせよ、 七派の秩序とやらには既に期待出来ない。現状を維持すればいずれ破綻は目に見えている。 彼らの長、黄泉ヶ辻京介からの発破を待つまでも無くそれは男に課せられた命題だった。 どうする。どうすれば、娘の安全を保つ事が出来る。 人喰いの世話を続けながら、問うた。問い続けた。この1年余り考え続けた。 どうすれば『聖櫃』と『黄泉ヶ辻』その双方の視界から外れる事が出来る。 「我らが長よ、では提案が一つ」 人を傀儡とする京介愛用の破界器“狂気劇場”の犠牲者へ、恭しくも黒い男が告げる。 ああ、そうだ。愛する娘が鬼ならば、己が鬼でない筈がない。人で無しとも構わない。 その発想は、文字通り愛に壊れた人間の極北と言えた。だが、それでいい。 悪に徹さなければこの狂人と渡り合う事など、到底叶わない。 「――――ゲイムを、しましょう」 答えは程無く出た。秩序の下に罪人が見逃される時とは如何なる時か。 “……へえ? 面白いじゃん” ――――決まっている。 善と悪、その双方が“それ所ではない”時だ。 ●耶摩の議場 非常階段を駆け上がる硬質な音が響く。影は2つ。先を行くのは黒装束の女だ。 「命あるもの、いずれは死ぬ」 『アヴァルナ』遠野 結唯(BNE003604)が抱いた感慨は、要約してしまえばそれが全てだ。 彼女は殺しを厭わない。彼女は無辜の死を悼まない。必要に感傷を抱いても仕方が無い。 例えば不慮の事故での死と、祝福無き革醒により死に一体何が違うと言うのか。 例えば突然の難病による死と、“憑鬼”感染による死に一体どれ程の差が有ると言うのか。 少なくとも結唯にとってそれらは同じだ。その死の執行者が自分で有ったとしても。 死は、死に過ぎず、死んだ時がその人間の寿命だ。 運命を運命と受け入れた人間特有の鋼の強さ。ストイックなまでの冷徹さ。 それは或いは、この戦場に何より求められた物だと言えた。 「……鼎様、見えますか?」 『蒼き祈りの魔弾』リリ・シュヴァイヤー(BNE000742)はその後を追う。 傍らに幻想纏いを起動し、声を掛けた相手は千里を見通す神秘の担い手、 『純潔<バンクロール』鼎 ヒロム(BNE004824)だ。 事前の予定では一階、正面玄関から入店している筈の彼から、 感染者予備軍の位置情報が送られて来ている筈だった。が――呼びかけに返答が無い。 「早々に、トラブル発生か」 結唯が2階非常口に貼り付くや問い、リリが困った様に小さく頷く。 突入の合図は、先行して表玄関から入店していた鼎が出す筈だった。 どうしましょう、と視線で返ずるリリへ、結唯が即断即決とばかりに扉を蹴破る。 待って有利になる事など無い。視線の先、廊下に佇む老人が目を丸くして2人を見ていた。 「――まず、1人」 高い銃声。結唯の指先から放たれた銃弾が老爺の頭部を吹き飛ばし、 潰れた柘榴の様な跡を廊下に遺す。 「ひ―――――ッ!」 空白、一間。 とある地方都市の銀行。その二階から、掠れる様な悲鳴が響く。 ――時は、幾らか巻き戻る。 今回の作戦に於いてヒロムの役割は非常に多岐に渡っていた。 先ず銀行内を電子的に掌握する。次に千里眼による戦場ナビゲート。 そしてチーム唯一の癒し手を護る事。どれ一つ取っても不要な物などはなかった。 しかし役割が多岐に渡ると言う事は、達成にその数だけ困難が付き纏うと言う事でもある。 彼の存在は他の誰より秘匿されて居なければならなかったし、 その行動が戦場の有利不利を直接左右する事が分かっている以上 例えどんな理由があろうとも、他の面々との連携は必要不可欠だった。 「パパ。来たよ」 表玄関を潜った瞬間、聞こえたのは見た目以上に子供っぽい少女の声。 すん、と“人間以外”の香りに気付いた『屍鬼童子』黒崎 綾芽がヒロムをじっと見つめていた。 「!」 少し間を開けて、黒いスーツを着込んだ男。『屍操剣』黒崎 骸が対岸の入口を一瞥する。 「……一人か。まるで何時かの写しの様だな」 銀行は骸による領域結界で遮断されている。 1階は、常人を凌駕する“人”喰いの鬼である綾芽の知覚下に在る。 一般客を装うとすれば個人行動を取らざるを得ない。集団では余りに目立ち過ぎる。 しかし普通に入店したなら即座に補足されるのは必然だ。幻想纏いを取り出す暇も無い。 ヒロムから動けば宣戦布告と見做されるだろう。致死の間合い、一対一では問答も何も無い。 革醒者は革醒者を。人喰いは“人”を区別出来る以上、ただ客を装うと言うのは無理が有る。 表玄関は2つしか無く、銀行である以上その2つはいずれも必ず窓口の外側。 網羅するのに視線は2つで十分なのだから。 「っと、待った! 待った! どーもご機嫌麗しゅうっ!」 だが間一髪。或いは紙一重、其処に割り込む声。 『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)の上げたそれに、 何事かと客達の視線が集まる。電子の妖精による戦場支配も一般人の位置確認も終わってはいない。 しかし足並みを乱さない為にはこれしか無かった。フォローの優先は英断だったと言えよう。 そしてそれを発端として状況は動く。動かざるを、得ない。 「私は正義の味方なんて存在ではないけれど」 「見過ごす訳にはいかぬ、か……知る筈も無い記憶が“有る”と言うのは、何とも慣れない物だな」 『大雪崩霧姫』 鈴宮・慧架(BNE000666)、そして『無銘』熾竜“Seraph”伊吹(BNE004197) 2人が後を追って玄関を潜るのを目の当たりにすれば、『屍操剣』にせよ『屍鬼童子』にせよ 流石にヒロムだけを注視してはいられない。 特に伊吹へ向けられた童子の眼差しはまるで冷え切ったそれ。或いは、何かを嗅ぎ取ったか。 「灯璃なら絶対に許さないけどなぁ……そんな紛い物」 他方巡る骸の視線は、対岸から滑り込む『断罪狂』宵咲 灯璃(BNE004317)の呟きを拾う。 彼女は其処から動かない。その小さな影は、けれど誰一人ここは通さないとの矜持と共に在る。 何故なら、それが“宵咲”だからだ。ただそれだけでありそれが全てだ。 古くより日本に巣食う幾つかのリベリスタの系譜に在って、 最も多く狂人を輩出している一族の名はその生き様に揺るがぬ信念を強制する。 望もうと望まざると、或いはそれが運命の悪戯だったとしても。 「「……」」 それに更に2人。黒猫と銀髪の小学生が伊吹の背後に滑り込む。両者は揃って声を発さない。 見守る様に、見捨てる様に、黙って状況の推移を測る。しかしてその内面は対極だ。 (この状況に、何の意図と意味があるのか) 『シャドーストライカー』レイチェル・ガーネット(BNE002439)は推し量る。 プロアデプト、その中でも精度計算に長じる精密射撃の担い手は、現環境の最適解を模索する。 交渉とは読み合いだ。対峙し、口火を切った時には既に結論が出ている。 これは詰め将棋に近しい。交わす言葉は結論へ納得出来る筋道を辿る為の手段に過ぎない。 その点事前に『預言者』の口添えが有ったアークと“交渉を持ち掛ける側”と言う優位性を持つ骸。 今回に限って言うならば、両者の立ち位置は概ね等しい。 もしも相手の意図を読み切れたなら言葉だけで仕事を達成する事すら叶ったろう。 (心を冷やせ、思考を研ぎ済ませろ。戦いは避けられない。油断をもぎ取れるかが焦点――) 彼女の戦い方同様に、その目的設定はリベリスタ達の中でも一際合理的だ。 だがだからこそか。彼女は辿り着けなかった。自分が考える事は相手も考えるのだと言う事に。 何時だってそうだった。間違いも無く、ブレも無く。『黄泉ヶ辻』から投げられる某かの問。 その問い掛けは――唯の一度として“手段”であった事など無かった。 二階から上がる、微かな悲鳴。それを背に黒い男は告げる。『預言』の通りに。 「久しいな、リベリスタ」 ――ゲイムの、開幕を。 ●軋む世界 「来ないな」 『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)が幾度目かになる呟きを漏らす。 彼女役割は裏口の封鎖だ。従業員などが出入りするそのルートは人通りも少なく閑散としている。 無要な段ボール箱などが詰まれ視界が通り難いのが難点だが、 熟達の射撃手である杏樹であれば、恐らく1人でも十分対応出来るだろう。 では、何に戸惑っているのか……そう、表玄関組からの連絡が無い事に、だ。 あらゆる行動は取捨選択であり、無限に等しい選択す全てを網羅する事は土台不可能である。 ある少女は、それを神様の領分と称す。しかし神の娘たる装束を纏う杏樹はそれにNoを突き付ける。 迷い、折れ、あがいて、それでも。それでもと、手を伸ばし続けた人が居た。 それを見て来たのだ。追って来たのだ。同じように、誰かを救える人になりたい――と。 「仕方無い……行くか」 出来ればタイミングを合わせられるに越した事は無かったが、 合図が無い以上仕方が無い。彼女は彼女の判断で、従業員口から銀行内部へ足を踏み入れる。 ――瞬間、鳴り響く警報装置。電子の妖精が作用していないらしい事を理解し改めて足を速める。 どうもトラブルが発生しているのは間違い無いらしい。 如何なる事態にも備えられる様白き盾を篭手の如く纏うや、 携えるは黒兎の描かれた回転式自動拳銃(オートマチックリボルバー)。 銀行、人質、黒の男。状況は長い付き合いになったその愛銃と出会った事件を想起させる。 (まるで、悪い夢でも見ている様だ) そう、悪い夢だ。かつて杏樹はそんな袋小路に囚われた少年を救う為に命を賭けた。 そして今度は、同様に囚われた人々を自らの手で殺すのだと言う。 救済者が、容易く加害者に転じる。世界とはそんな物だと分かっていても、割り切れる物では無い。 元より地獄に落ちる身。今更救われようとは思わない――けれど。 「――選んで貰おう。多を救い少を殺すのか。少を救う為に多を危険に晒すのか」 これも縁か。聞き慣れてしまったその声に、銃を握る手が汗で滲む。 「黒崎――ッ!!」 飛び出し銃を構える。鋭敏な五感は物陰に潜む物以外、立ち尽くす普通の人々の姿を正確に捕捉する。 その中には、想像の通り、想い描いた通り。杏樹にとっては因縁深き、黄泉ヶ辻の『屍操剣』 「ち、1階組は何をしてるんだ」 ジリリリリリリと、鳴り響いた警報装置は2階にも影響を及ぼしていた。 血飛沫に沈んだ老爺を見た、銀行員の対応が思ったよりも迅速だったと言う事か。 事実とは異なる認識だが事態を把握出来ていない結唯からすれば、その程度の類推が限界だ。 「先行します、結唯様は封鎖を」 「ああ分かった。ここは私が塞いでおく」 リリの声に頷くも、若干の胡乱さを感じないでも無い。 非常階段という窓口からは外れた地点から突入したのもこの場合は災いした。 逃走ルートを閉ざすと言う目的を考えれば、軽々しく非常階段から動く訳にはいかないからだ。 勿論、内部の人間を逃がさないと言う目的を満たそうとするならばこれは正しい。 正しいが、時間的浪費は免れない。 或いは突入するのがリリでなく千里眼を持つヒロムであったなら遥かに効率的だったろうが―― (……これは、私の選択) フロアに突入すると、視界に映った人影は3つ。 不意の方角から飛び出してきたリリに驚き振り返った老婆が1人、 突然の警報に身動きが取れないでいる女性が1人。その両名を正確に視野に納める。 心は酷く静謐だった。この手はとうに血に塗れている。そんな事は今更だ。 誰よりそれを、思い知っていた筈。誰よりそれを、理解していた筈。 だから迷わない。思考を止める。かつて友と認め合った相手を撃ち殺した時と、同じ事。 「『お祈り』を」 放たれる蒼い魔弾。銃声が2つ、遺体が2つ、血溜りが、2つ。 「赦しは、要りません」 足りない。後3つ。窓口の向こうにはしゃがみ込む男性が1人。棚の向こうに隠れる女性が1人。 卓越した直観を働かせそこまで数える。最初に結唯が撃ち殺した老人を含めてもこれで5人。 1人逃がしたか――と、考えるも先ずは数を減らす方が優先される。 カウンターを乗り越え、1射。頭部に穴を開けて男性が倒れる。 それを見た女性が棚の向こう側へ後退るも、腰が抜けたか。崩折れ、動けない。 「……神よ、子羊に祝福を」 呟きは無意識と共に。銃声、もう1つ。 「黒崎――ッ!」 声を上げ、飛び出してきた杏樹。それを一瞥し、銃口に身を晒して尚、 その黒い男はただ淡々と、言葉を続けていた。 「お前達が折れるなら、誰も俺達を殺す事など出来まいよ」 何の根拠が有るのかは分からない。 けれどそうと告げる男を見てヒロムが内に抱いた感情は、他の誰とも違っていた。 (確かに、一見無茶苦茶な申し出だ。信用に値するとは到底思えない……が) ギャンブルとは、運分天分のゲームではない。究極的には騙し合いだ。 それは交渉に酷く近しい。相手の札を読み切るにはIfと言う目線が必要不可欠だ。 そう、もしも。もしもこの男が告げている言葉が本当に言葉通りの物だとしたなら。 男の申し出は、果たしてそこまで間違っているだろうか。 黄泉の狂介の名は、アークでは新参に当たるヒロムでも耳に挟んだ事位は有る。 愉快犯、享楽主義者、狂人。悪評には事欠かない。 京介の示すゲイムは悪辣を極める。どちらを選んでも碌な結末は迎えない。 それは恐らくそうなのだろう。その風評までは疑えない。 けれどもしもそこで考えを止めていたら、ヒロムはここで息をしていない。 ヤバいギャンブルなど、世の中には数え切れない程存在しているのだから。 「意地悪問題のつもり? 決まってんだろ、答えはノーだ。 人食いは悪だ。悪を許容しろ? そんな取引リベリスタができるかよ!」 夏栖斗が誰よりも早く答を返す。 彼はやる気だ。ヒロムより幾つも年下なのにその瞳は死線をはっきりと捉え揺るがない。 けれど、それを受けてヒロムの中の違和感は加速する。 特に意味の無い意地悪問題? そんな事が有り得るのか? ギャンブルに於いて実効性の無い脅しほど意味の無い物は無い。 ブラフとはカードを開かないから成立する物。それは――交渉でも、同じではないか。 「取引は断る。黄泉の京介の入れ知恵……いや皮肉か。貴様もゲイムの駒と言うことか」 続く伊吹の答。そのどこかが引っ掛かる。答えには辿り付けない何か。 「多を救うため少を捨ててきたことは否定しない。だが最初から諦めて生贄を求めたことはない」 「ほう?」 伊吹の言葉に薄く、皮肉気に笑んだ『屍操剣』の表情。 それを目の当たりにして漸く、賭博師としての言葉にならない直感が警鐘を鳴らす。 相手は何と言った。“多を救い少を殺すのか。少を救う為に多を危険に晒すのか” よくよく考えてみれば――これは、おかしくないか? ●天秤問答 「そんな言葉、信じられると思っているのですか! 人質を取っておいて、ぬけぬけと!」 糾弾するのは黒猫、レイチェル。 激昂と共に放たれる舌鋒は鋭く骸の言葉の根幹を否定する。 交渉とは信用の上に成立する物。相手の言葉の履行が信じられない時点でまるで意味が無い。 それは、確かに一面的には正しい。が―― 「人質? ではお前達はあれらを盾にすれば手を止めるのか」 怪訝と共にあれ、と 受付を掌で示す骸の言葉に思わず言葉が止まる。 先に10人を殺した、と『屍操剣』は既に言葉にしている。 先日アークが行った「感染者予備軍」の処理は相手に知れているのだ。 この上で同様の存在が、アークにとって人質になり得ると考える者など先ず居ない。 そう、彼等は人質ではない。強いて言うなら、彼らは敵だ。 このゲイムを成立させる為の、アークの討伐対象と言う“環境(システム)”に過ぎない。 「……いいえ」 だが、それを認めたとしても彼女の答は変わらない。 例え人質を取っていようといるまいと、相手は黄泉ヶ辻のフィクサード。 目的の為に手段を選びなどするまい。そんな者を信用などやはり出来ない。 「私は自分の為に奪ってきました、正義の為ではありません……貴方達ごと、全員殺します」 剣呑を極めるその言葉に、『屍鬼童子』が睨む様な眼差しを向ける。 骸は、しかしまだ動かない。動かないからこそ、辛うじて止まっていられると言うべきか。 「私には、命を測るなんて選択権はない。 だけど感染した人が手にかけた人が大事な人だったら、私はきっと悔やみます」 続く慧架は整った柳眉を寄せ、考え込む様に言葉を紡ぐ。 もしここで感染予備軍を見逃し被害が出たならきっと悔やむ。 だからこそ、疑わしきは殺すしかない。慧架の論旨はこれに徹する。 そしてそれは骸に関しても同じだと言いたいのだろう。対する男からも異論は無い。 「多を救い小を殺したとしても……終わらせないといけないんです。こんな連鎖」 その答はアークの論理を代弁しているに等しい。骸もまた、少の側に含まれると言うだけだ。 「――その剣くれるなら良いよって言ったらキミは信じる?」 灯璃がその後を継ぐ。その興味は『屍操剣』の“剣”に向けられていたか。 とは言え神秘を映す異能でも持ち合わせない限り、“死想剣”を渡す事など出来はしない。 無理難題を押し付けると言う意味であれば、それは確かに的を射ていたが―― 「大体、誓約なんてさぁ、破ろうと思えば破れるじゃん」 「そうだな」 然り。その通りだ。しかして彼ら等は誰一人破る事を前提に交渉を纏めようとはしなかった。 言うなればそれが結論だと言えよう。 約定を破る事は、何時、どんな場合にせよ、決してノーリスクではない。 この一件に京介が噛んでいるならば、それは骸にしても“同じ事”だ。 「まあ、人喰いとか人数は問題じゃないね。“それ”が崩界要因だからNOなのさ」 それを良く理解していればこそ、灯璃もまた彼女なりの答えを示す。 崩界から世界を守るのがリベリスタ。である以上多も少も無い。 それが崩界を招くなら徹底的に討伐する。クェーサー的とも言えようか。 その視点に立つなら確かに、交渉の余地など有る筈も無い。しかし、同時に。 「なるほど、では崩界要因ではない一般人を殺す道理をその理屈でどうつける」 「それはそれだよ。灯璃はアークである前に“宵咲”だけど、でもアークだから」 柔軟、と言う事も出来るだろうか。ある種極めて危うい答えを灯璃は示す。 崩界要因を徹底的に殺し、アークの指示であればそれ以外も殺す。 「その上で灯璃は灯璃の目的を果たす。簡単でしょう」 殺すと言う行為に余りにも禁忌が無さ過ぎる少女は、それを簡単と笑ってのける。 それを指して、一体誰が秩序の善性等を信じるだろう。 己が存在意義と信じる物を、疑問の余地無く盲目的に果たすだけならば、 リベリスタとフィクサードに一体どれ程の違いが有ると言うのか。 「――多を救っても、0にできないなら私は救える限りを救うために動く」 一方で、杏樹の言葉は有る種灯璃の対逆を行く。 救える者は全て救いたい。それは、確かに理想的だ。 けれど理想は理想でしかない。現実はどう足掻いてもそう綺麗事ではいかない。 個人が“出来る限り”を尽くした所で、届かない事は決して少なく無い。 そして、何より。 「なるほど、つまり俺や綾芽は0以下と言う事か」 その救済の優先順序を彼女自身が付けるのであれば、 それは最初から犠牲を加味していると言わざるを得ない。人の手は、2本なのだから。 「……憑鬼の巣は、お前の体内と見てるがどうだ」 「憑鬼が革醒者に根付くのであれば、お前達は既に憑鬼の巣だろう」 世界に祝福された者に寄生出来る程の感染力を、憑鬼は持たない。 それは意図的にそうしようとしたのだとしても変わらない。 でなければ自分自身に巣食わせる等とする前に、アークに蔓延させている。 「とは言え、意見は出揃ったか」 呟く、その言葉。張り詰めた空気が限界を超えぴりぴりと肌を刺す。 結論など最初から出ている。交渉に対するリベリスタらの“多数決の見解”はNoだ。 アークはフィクサードを許容する事も有るが、祝福持たぬアザーバイドを許容する事は無い。 と。しかし其処に割り込む声。 「いや、俺は交渉に応じても良いと思う」 状況をずっと眺めていたヒロムだ。まだ何がおかしいのかは分からない。 けれど、ここで終わらせてはならないと感じる。リベリスタらの中で、彼だけが。 “信用ならない者だからこそ信じるに足る”可能性を考慮の内に入れていた。 これが『意地悪問題』なのだとすれば。答え難い問、ではまるで足りない。 答え難い問に答えさせておいて、その先が有るんじゃないか。 何か、もっと酷い、絶望的で致命的な、仕込みが有るんじゃないか。 それは、疑心暗鬼に過ぎると言えようか。疑えば切りが無いと。 いいや――それでも。諦めず真と偽を切り分け続けた人間にしか、答えは見えない。 「ある男がさ、あんたの凶行を止めたがってた」 それは、賭けだった。指先より放たれる気糸。不意を打てた感触は無い。 場合によっては、それでヒロムの人生は終わっていたかもしれない。 ――だが、間近を掠めたそれを斟酌する事無く、骸はヒロムの言葉の先を促す。 「けどそいつは心半ばで倒れあんたは目的を成し遂げた。その執念は、本物だ。 少なくとも、あんたは綾芽ちゃんが賭かっている状況で嘘は吐けない」 例え狂っていても、そこまで器用な男ではない。それが、ヒロムの見た骸と言う男だ。 「もしもその気があるなら、綾芽ちゃんへの獲物は出来るだけ極悪人に絞ってほしいね」 そう、言い切る博徒の姿に黒い男が瞳を細める。 大した物だ。何時か、対した黒翼の射手に感じた感傷を思い起こす。 ●壊れた秩序 言葉だけの救済ならば、誰にでも告げる事が出来る。 しかし自分自身がリスクを負ってそれを行動に移せる人間と言うのは、本当に一握りだ。 ヒロムのそれを、骸は賞賛と共に嚥下する。だが、一握りでは組織は動かない。 例え黒の男が告げた言葉に一欠片の偽りも無かったとしても。 それを信じられ無いと言う意見は100%正しいのだ。それが、誰かの狙い通りだったとしても。 「そうか」 だからそれは感傷に過ぎない。有ったかもしれない可能性に過ぎない。 「俺はある男に頼まれて貴様を救いに来た」 戦うしかない。その方向性を見定めた上で伊吹が足掻く。 「俺は貴様が心底憎いが、奴が俺の中で貴様を見捨てるなと言うのだ」 それが悪足掻きに過ぎないと理解した上で、尚。 「例えアークが見逃しても、俺はこいつと貴様を追い続ける。 死者は、生者に忘れられた時が本当の死なのだ」 響く警報装置の音に、突然意味の分からぬ対話を始めた男女。 戸惑い、困惑していた一般人――骸の背後の“予備軍”達が緊張感無く動き出す。 幸か不幸か、彼らは自分らの頭上。2階で何が起こっているか未だ理解していない。 受付を出て来た銀行員が、従業員用の裏口を踏破してきた杏樹を咎めようと声を掛ける。 「かもしれんな」 「――黒崎、今、娘のことをどれだけ思い出せる?」 それに応じる様に。或いは開戦の号砲を上げる様に。 杏樹が黒兎の魔銃を構える。瞬き、絶句する銀行員。剣を顕現し構える灯璃。そして―― 「俺は、俺の力不足で失くした“娘”の事を忘れた事など、無い」 黒服の影から滑り出る黒い片手半剣。目の当たりにした瞬間切れた視線の中ヒロムが駆ける。 今しかない。狂乱が発生する前の僅かな空白。それを付いて銀行内の電子網を掌握する。 ATMに張り付き幻想纏いを接続。電子の妖精を滑り込ませるや、 防火シャッターの制御システムを一息に乗っ取るとこれのOn/Offを切り替える。 表玄関に下りてくる影、そんなタイミングだ。誰が聞き逃してもおかしくは無かった。 だが、第二次性徴前のその声が余りに異質だったからか。 或いは、今度こそ。一般客も、銀行員も、そしてリベリスタも。 何を言っているのかまるで分からなかったからか。それは誰もの油断を付いて零れ落ちた。 「あの、取引をしませんか?」 愛用のトンファーを手に、踏み込もうとしていた夏栖斗が足を止める。 事前には聞いていない展開だ。この上、何を取引など出来ると言うのか。 伊吹、慧架は元よりレイチェルすらが割り込む言葉を持たない。 それは、まるで想定外の展開。そして恐らくこのゲイムに於ける、最大の落とし穴だった。 「……聞こう」 骸が携えた剣を降ろす。今にも動き出しそうな綾芽が驚いた様に瞳を見開く。 今更、何を話す事が有ると言うのか。その認識は敵味方共通の物だった。 「貴方方と戦うつもりはないので、私を無事ここから脱出させて欲しいのです」 ぽかんと。 杏樹に銃口を向けられている銀行員すらが唖然とした。 けれどそれは、『究極健全ロリ』キンバレイ・ハルゼー(BNE004455)にとっては、 予定調和にも等しい当たり前の結論だ。 アークは決して一枚岩ではない。突き付けられた状況が難しい程に、その矛先は、割れる。 (シャッターは降ろせてない。電子掌握も出来てない。職員の所在は不明。 2階で悲鳴が上がって……警報装置も鳴ってますね。あれ、これ無理ゲーでは?) キンバレイは状況推移を他人事の様に眺めていた。 彼女は考える。流れは良くない。相手2人は洒落にならないレベルの手錬れだ。 仲間を一瞥する。仕事が簡単に、効率的に終わるならそれはキンバレイにとって“有り”な提案だ。 仕事が終わって、後々禍根になりそうならその時点で約束を破れば良い。 まさかずるい等とは言わないだろう。それも考慮に入れての“交渉”の筈だ。 でなかったらリスクコントロールが出来てない相手が馬鹿だと言うだけの話。それだけの話だ。 借金の連帯保証人になって夜逃げされたら、誰だってそんなのなる方が馬鹿だと言うだろう。 (今回のお仕事の報酬は一般人18人を殺害する分の報酬でしかない。 その程度の報酬の為に命賭けて戦って痛い目見る何て……有り得ないですよね) 彼女の価値観に於いて、それは絶対だ。リスクとリターンがまるで釣り合わない。 万が一自分が死んだら、一体誰が責任をとっておとーさんのガチャ代を稼いでくれるのか。 誰も居ない。縋る縁が無い以上自分の身は自分で守らなければならない。 その為ならどんなずるい事もやる。卑怯な手も使う。約束も破る。 彼女にとって、リベリスタは同僚で味方だが断じて“仲間”ではなかった。 故に、彼女は敵である筈の骸の語る合理を解する。そちらの方が、『正しい』と、思う。 アークと言う組織には様々な過程を経て色々な人間が集まっている。 その多様性こそが組織としての利でもあるが、一方で思想的断絶が少なく無い事も意味する。 キンバレイには、矜持の為に戦うと言う思想が分からない。 自分の命を危険に晒して任務を達成する動機が無い。それらが正義被れの戦闘狂にしか見えない。 結唯であれば、損得勘定で行動を選ぶ事を否定するまい。 ヒロムであれば、数の論理でより犠牲が少ない方を選ぶ事を間違いとは言うまい。 だが彼女はその誰とも違った。だから誰も、キンバレイを理解してはいなかった。 「これから回復役がいなくなるというのは、そちらにとって悪い話ではないと思うのですが」 ――だから彼女はにっこりと瞳を細め、至極当たり前と言う様に己だけの命を乞う。 少でも多でもない。彼女にとっての有とは自分と父親であり、それ以外は限り無く無に等しい。 それもまた、一つの価値観だと言うしかあるまい。 「いいだろう。去れ」 この情景を、見ている狂介は恐らく爆笑しているのではないか。 そんな事を脳裏の片隅で描きながら骸はその“取引”を許容する。 例え癒し手がここに居た所で押し切れる自信は有るが、それで綾芽が危険に晒されるのは避けたい。 何より、その言葉を受けた他のリベリスタらの呆然とした表情が、 これがブラフではないと如実に告げている。自らの直感を骸は信じる。 縦しんばもしもこれが演技ならば――それはそれで、振り出しに戻るだけだ。 「出来れば、感染者が全滅するまでは見ていきたいんですが」 「それは許可出来ない。今直ぐ去るか、殺し合うかだ」 流石にそこまで悠長には行かないか。一瞬考え、男が指で示した従業員用の裏口へ向かう。 死なない事が第一義、任務達成は第二義だ。仕方が無い。仕事はまだ沢山有る。 「……本気、か?」 横を通り過ぎる際、杏樹が呟いた言葉にキンバレイは晴れやかに笑む。 「それでは、失礼」 小さな足音が、フローリングに響き遠ざかる。 ●囚人のジレンマ 杏樹が引き金を引き、予備軍の内実に6名までもを一気に殲滅するも 果たして。間近で吹き飛んだ銀行員の遺体に想う。彼はどんな気持ちで死んだろう。 自らの命を乞う少女の姿を直前に見て、命を乞う事すら許されない“被害者”達は――一体。 “遠野、遠野、聞こえるか。急いで陣地を作成してくれ!” “今更か、下はどうなっている” “説明の時間が惜しい!” 幻想纏いへ語り掛けるヒロムの言葉が、全てを如実に示していた。 展開される重ね合わされた別世界。これで骸が結界を解こうとも一般人は外へ逃げられない。 それが、真実一般人であれば、だが。 「では、始めるか」 まるでそれを待っていた様に、『屍操剣』が声を上げる。 間髪入れず、構えたのはレイチェル。杏樹に見えておらず、彼女に見えている一般人2人。 それかを射抜く為に手を振り上げた、その時だ。 「良いぞ綾芽」 「待ち草臥れたよ、パパ――!」 厚手のワンピースの様な服に身を包んだ少女の姿が掻き消える。 いや、掻き消えた様に、見えた。 「1つ、2つ」 その速度は、動きは、リベリスタらの中で最速であるレイチェルをしてその3倍は速い。 声と共に揮われた両の手。夏栖斗と伊吹が吹き飛ばされる光景はいっそ喜劇めいている。 「3ーっつ!」 その2人を掴み、レイチェルの眼前にまで迫った『屍鬼童子』が愉しげに笑う。 それを見て黒猫は唐突に全てを理解する。これまで、童子とのまともな交戦経験がアークには無い。 であるのに何故、耐久に劣ると言うこの個体がエース8人に相当する等と言われるのか。 例えばレイチェルの攻撃精度なら、相手の反応が如何に早くともまず外す事は無い。 攻め続けることが出来るなら完封する事すら叶うだろう。 それをさせないのは1点だ。たったの1点。理不尽極まるその異常な速度。 そこから放たれる無邪気なまでの―――― 「どぉーん!」 ――圧倒的暴力。 体躯を深く引き裂かれ宙を舞いながら、けれどレイチェルの思考は途切れない。 誤算は2つだ。1つに彼女を抑えるには数が必要と言う事。これは本当に単純な話だ。 遠距離を貫通し前衛を吹き飛ばす突破力、分散しては戦い難い室内戦闘。 これらを加味したならリベリスタらは最低4人“毎手番吹き飛ばされる”と覚悟した方が良い。 ブロックがまるで有効でない。数を揃え負荷を分散しなければ瞬く間に、文字通り蹂躙される。 元より『屍操剣』の行動原理の中心が『屍鬼童子』である以上、 1階と2階に戦力を分散するならば、例え骸を無視してでも童子との短期決戦を選ぶべきだった。 彼女にまともに攻撃を当てられる黒猫が居るのであれば、尚更だ。 「ごほっ」 地を2度撥ねて血を吐き出す。身体が痺れ動きが鈍い。 そこへ、赤い右目が向けられる。 「痛そう……早く終わらせてあげるね」 まだ終わっていない。これが、2つ目の誤算。 “二回行動を可能とする超人的運動能力”と、“神秘による連続行動”は異なると言う事。 つまり、確率にも依るが『屍鬼童子』は最大4回。4割強の確率で3回動く。 全戦力を1階に置いていたならともかくも、2、3人でこれを抑えるのは限り無く無茶だ。 「くそっ、ふざけんな……っ」 手を振り上げた童子に、夏栖斗が喰らい付く。血塗れになりながら抑え込む。 「殺すんだ、僕は、僕の意思で、感染したかもしれないってだけで理不尽に、 ただの人を、殺す。紛れもない殺人者だ! 言い訳のしようも無い! だからこそっ!!」 だからこそ、逃げる訳にはいかない。どんなに不利でも、勝ち目が見えなくても。 “一生懸命やったけれど駄目だった”そんな逃げを、夏栖斗はもう自分に許せない。 それだけは、駄目だ。それを1度許してしまったら、もうリベリスタを名乗れない。 「憑キ鬼は相いれることのないアザーバイドだ。やってくれ、レイ!」 「邪魔っ!」 童子の牙が体躯にめり込み、祝福が毀れていく。 それを横目に放たれる、黒猫の手繰る超高精度。逃げ場残さぬ気糸の掃射が一般人を葬っていく。 「これが――こんな物が、お前の娘かっ!」 伊吹が距離を詰め、光る双輪が骸の剣と打ち合う。 彼が魔弾の射手ではなく、無法の王であるからこそ対峙出来る接戦距離。 闇の残影が『屍操剣』の体躯を引き裂き、毀れた血を生命力として取り込むと、 返礼とばかりに振るわれた骸の胴薙ぎが吸収した分を数倍する威力で深い傷痕を残す。 「あれが“綾芽”だ。俺が黄泉返らせ、生み出した物だ」 感情の感じられない言葉。奥歯を噛み命を削って対する伊吹には、 けれど記憶の中に僅か残る黒き男の“熱”が感じられない。これでは、まるで―― 「そろそろ認めちゃえば?」 逃げようとした一般人を鱠斬りにしながら、灯璃がそこに割り込む。 何故だろうか、どうもこの男を見ていると酷くいらいらするのは。 根底を流れる意志は本来非凡な物の筈なのに、まるで何もかもを取り繕っている様だ。 子供を想う親の振り? いや、少し違うか。多分、きっと。 「……違うね。気付いてるのに、気付いてない振りをするしかないのか。 “別物”なのに、“同じ名前なんか付けてしまった”から」 唯の紛い物だと斬り捨てられない。亡くなった物の代用品何て、冒涜でしかないのに。 「――でも、それはやっぱり違うんだよ」 感傷だ。感傷でしかない。壊れた物は戻らない。死んだ者は黄泉返らない。 「……。それがどうした」 同属嫌悪かと、理解出来たからと言ってその気持ちが無くなる訳じゃない。 返答に波立つ感情を抑えつつも、剣呑な瞳で灯璃が叫ぶ。 「『ソイツ』は唯の、“憑キ鬼”だ!」 「分かった様な事を」 苛立った様な男の声を遮って、 「私もそう思います」 慧架の蹴りが刃風を纏い骸を切り刻む。 彼女は考えていた。ずっとずっと。自分が死んで鬼に転じたら、幸せだろうかと。 考え続け、実物としての『童子』を目の当たりにし、到った結論はシンプルだった。 誰かを犠牲にしないと生きられない何て、嫌だ。 誰かの屍の上に繋ぐ命は、余りにも無惨だ。 けれどそれ以上に。いいや、きっとそれらがどうでも良くなる程に。 「貴方は貴方の自己満足で、彼女の死すら奪ってしまったのではないのですか?」 自分でない者が自分の様な顔をして、自分の声で自分の親しかった人と過ごす。 それでもし親しい人が満足してしまったら――自分とは一体何なのか。 慧架の糾弾に、『屍操剣』が視線を落とす。 ●懲罰ゲイム “1人は、2階のエレベーターの中だ” “! そんな所に……!” ヒロムの千里眼が2階最後の予備軍の所在を暴く。 リリがその場へ急行すると、確かに。2、と点灯したまま開きも下がりもしない個室。 逃げ込んだは良いが身動きが取れなくなったか。 いや、度々銃声のする銀行等でまともに動ける方がきっとどうかしているのだろうけれど。 「主よ、どうか」 声無き祈りと共に、トリガーを引く。エレベーターが開くと、其処には赤い鮮血の花。 “漸く、終わったか” 「はい、随分と手間取ってしまいました」 結唯の声にリリが頷く。スタートからのすれ違いは大きな時間的ロスを生んでいる。 それでも2階の排除が無事完了したのは、2人という人数的優位。 そして後から加わったヒロムのアドバイスがあればこそだ。 しかしその分が、1階の負担として圧し掛かっている事は言うまでも無い。 “いや、来るな……出来れば、アークに連絡を” 「……え?」 予想だにしない言葉に、リリの反応が僅か遅れる。 いや、そもそも何故、一切1階の状況報告が2階へ流れて来ないのか。 「それは、どういう……」 ふつ、っと。幻想纏いからの連絡が途切れるのと、 気付いた結唯が非常階段から駆け出すのはほぼ同時。 何が起きているかは知れないが、尋常のそれではない事はリリにも理解出来る。 「えっと、1階へ」 「違う、先ずアークへ連絡だ。その後外から支援する。急げ!」 神秘は秘匿されるべし。現場で何かが起きたなら、先ず初動が最も重要だ。 結唯にとっての最優先は、外部に神秘事件を漏らさない事。それに尽きる。 であれば仲間の救助より現状報告だ。最悪の事態を最悪の事件にしてはならない。 結論から言えば、この判断は正解だった。だが、その望みが叶えられたかと言えば―― ――アーク本部。ブリーフィングルーム。 「……準備は良い?」 『リンク・カレイド』真白 イヴ(nBNE000001)の声に集められたリベリスタ達が頷く。 事はつい十分程前のこと。『預言者』赤峰 悠とイヴは揃って同じ未来を視た。 それは、人と人とが殺し合う光景だった。 フィクサードも、リベリスタも、一般人も無い。ただ人が殺し殺され殺し合う。 凄惨もこれに極まるという程の、現実味に欠けた殺戮の地獄。 血塗れだった。肉塗れだった。人が土塊同然に切り拓かれて踏みつけにされていた。 一瞬ナイトメアダウンを想起した程だ。それ程に酷い、以外に表現出来ない それが“予知”である事に気付いた瞬間、元々白いイヴの総身から血の気が引いた。 そして奇しくも同じ光景を見ていた『預言者』に依って、その原因は自然と特定された。 「神秘の帳が壊される前に、是が非でも……喰い止める」 悠が“予言”出来る未来は良く見知った者のそれに限られる。 現時点で悠が知り、そんな事件を起こし得る存在など多くはない。 カレイドシステムの演算が、揺らぐ未来を指し示す。 それは“憑鬼”が流出しアークがこれを狩らざるを得ないと言う、最悪の予定調和。 「こんな未来、認めない」 「うん。絶対にさせない」 白の姫と赤い少年が頷き合う。 方舟(アーク)は、何れ再び訪れるだろう悪夢の崩落を祓う為に生みだされたシステムだ。 ならばこれは過程でしかない。こんな所で躓いてなんかいられない。 「作戦名『天ッ火』。敵はアザーバイド、識別名『憑鬼感染者』、『屍鬼童子』。 及び黄泉ヶ辻フィクサード『屍操剣』。現場では黄泉ヶ辻京介の横槍が想定される。 現場のリベリスタを回収、再編の上速やかに執行する事」 「情報操作及び流出封鎖指揮に1チーム、敵首魁討伐に1チームを編成する。 他、アークのリベリスタ25名を投下、事態の進行をここで喰い止める」 方々に、指示が飛ぶ。状況は急を擁する。僅かなタイムロスが手遅れを招き兼ねない。 しかし、それでも。万華鏡の姫は信じていた。彼らの――アークの底力を。 「――――今更だ。今更、戻る道など有りはしない」 そうして、視線を上げた男の瞳に迷いを見出せなかった時点で、 趨勢は半ば以上決していたと、言える。 「お前が、その鬼が娘だと言うなら。私は彼女のためにもお前を止める」 目に映る範囲の一般人を殺害し終えた杏樹の銃口が裏口側からでも狙える骸を捉える。 しかし―― 「良いのか?」 物陰になり、杏樹からは見えない対岸の入口。 そこは赤く、赤く、只管に赤く、染まっていた。僅か2人の血によって。 「……ッ、」 夏栖斗が大地を引っ掻く。立ち上がれない。身体に力が入らない。 何が問題だったのか。何所を間違えたのか。そんな考えが巡り巡って纏まらない。 「……、うか」 そうか。やっと分かった。黒猫が血に伏しながら理解する。 何がおかしかったのか。ヒロムが違和感を感じ、レイチェルが見落としたのは何所か。 “多を救い少を殺すのか。少を救う為に多を危険に晒すのか” 多が「これから犠牲になる者」であり、少が「童子の餌になる50名」だとするなら、 「童子の餌になる50名」を救う為に「これから犠牲になる者」を危険に晒す。 これは、アークが必ず勝利する事を前提としている。 まるで、勝つ気など最初から無いかの様に。 まるで、救われる心算など初めから無かったかの様に。 「……な…は」 この男は、黒崎骸と言う男は、娘の為なら何でも切り捨てられる狂人だと。 そう思っていた。しかし、違うのだ。 誰より、結末を求めていたのは。断罪を求めていたのは。 耶摩の天秤で、測られていたのは――彼か。 「……た、か……」 貴方は、糾弾されたかったのか。その所業は悪だと。罪だと。許されざると。 そうまでして、自らの逃げ道を潰してしまいたかったのか。 馬鹿だとしか言い様が無い。不器用にも程が有る。 だがただの男が娘の為に一線を越える決意とは、そうまでしなければ出来ない事だったのだ。 決意だけでは、意志だけでは、鬼になる事は出来なかった。 「骸、貴様は――」 「哀れと思うか。ならば、手を引け。ここからは――本物の地獄だ」 伊吹の声に、骸が視線を向ける。鬼に縋り、鬼を護り、鬼と生きるのが彼の望みか。 違った筈だ。そうではなかった筈だと。そう想いながらも、言葉には出来ない。 「ねえパパ。コイツら、殺しちゃって良い?」 「駄目だ。殺してはゲイムにならん」 勝敗は、ここに決する。 ●天ッ火翳る暗天に 杏樹が銃口を降ろす。『屍操剣』に1撃を入れるのと、2人の死。 これでは余りに比較にならない。悔しさに奥歯を噛み、声無く俯く。 「それで、俺達はどうしたら良い」 ヒロムが問うも、黒の男は無言で裏口を指差す。 灯璃が2人、レイチェルが3人、杏樹が6人。計10名。 リリが5人、結唯が1人、計6名。少なくともあと2人、銀行内には一般人が潜んでいる。 だが、それを探し出す事は叶うまい。退路を示され追い出される様に裏口を潜る。 空は曇り空、一雨来そうなその空を見上げ、痛みと悔恨を圧し殺す。 生き残った感染者は、どうなるだろう。いや、問うまでも無い。 『黄泉ヶ辻』のやる事だ。決して碌な事にはなるまい。 “皆……生きてる?” アーク本部からそんな通信が入ったのは、その凡そ10分後の事。 そして―――――――嵐がやって来る。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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