● 「至急、ロンドンに向かって下さい」 あの日、そう海色に瞳で言った『碧色の便り』海音寺 なぎさ(nBNE000244)の言葉と共に、ロンドンへと旅立ったリベリスタ達――。 けたたましい音と共にグース・グレーの防御扉が閉じられる。迫り出した障壁は外の喧騒と比例して硬く強固に成って行った。数人の人影が閉じられた防御壁をじっと見つめている。そこには『ロンドン警視庁 地下第一層』の文字が印字されていた。 すなわち――――『スコットランドヤード』の本拠地である。 「緊急! 本部地下第一層に敵が侵入してきた模様。繰り返す、本部地下第一層に敵が侵入」 未だ地上では戦闘の音が聞こえているというのに、本部地下へキマイラが襲撃してきた事を警告するサイレンがフロアに流れていた。 「どうなってんだ! 上の奴らはどうした!」 「依然、戦闘中。正規ルートでの突破では無いようです」 如何にもデカ物な堀の深い顔に眉を寄せて、上官であろう男が握りこぶしを作る。 「アークの野郎共、準備は良いか!!! こっから先は何が何でも死守しろ!!!」 「言われるまでもない!!!」 「上等だ! 行くぞ!!!」 ―――― ―― そもそも、事の発端はしばし前へ遡る。 秋口に入ってから出現した改造キマイラとの応酬。 六道紫杏を取り込み力を増幅させたモリアーティ率いる『倫敦の蜘蛛の巣』と呼ばれるフィクサード組織。 それと相対する『スコットランド・ヤード』との戦いも霧に紛れて水面下で激しさを増していた。 表向きはキマイラ事件の関与を否定している倫敦派だが、それを信用しているものはこの街に存在しないだろう。先達てアークへの協力要請を飛ばしていたヤードは、その受諾を元にこれまでは甚大な被害を齎すであろうことから避けてきた倫敦派との全面対決を決意する。 抗争を重ねてきたヤードでさえも彼等の全容を掴んでいない。蜘蛛たちは堅牢な家にさえ何処からとも無く侵入してその糸を張り巡らせるからだ。 今まではヤードが被る被害と損失を避けようとタイトロープの綱渡りが行われてきたが、六道紫杏、アーク両者の介入によってその綱は断ち切られた。宿敵二者の危険な駆け引きは終わりを告げたと言う事だ。 本拠も含めて倫敦派の状況は完全につかめてはいない。 ヤードはアークと協力する事で『キマイラの運用』の影に隠れる倫敦派のしっぽを掴む可能性を見出したのだ。『世界で最もバロックナイツとの交戦経験を持ち、彼等を撃破せしめた唯一の存在』として強大な力をもつアークに援軍を要請し、短期的な戦力増強を図ったという訳だ。 しかし、先手を打ったのは――――『蜘蛛』達であった。 彼等は倫敦市内、地下を縦横無尽に加速するチューブで派手に暴れ回り、その隙をついてヤードの本拠地である『ロンドン警視庁地下』の制圧を目論んでいる。 ヤードも拠点を取られる事は理解している、しかし彼等には護るものが多すぎるのだ。 ―― ―――― 防御壁が崩されて敵が現れるのを今かと待ち構えていたリベリスタ達は、戦慄を禁じ得ない事態に遭遇する羽目になった。 フィクサードとキマイラが突如眼前に出現したのである。防御壁には傷一つ付けられていない。 彼等の周りにはスモーキィ・パープルの煙が漂っていた。 「袋の鼠にでもしたつもりですか?」 アークのリベリスタにも聞こえていただろう。フィクサードの言葉は流暢な日本語であった。 リッド・ブルーの瞳をした男が防御壁の前に佇んでいる。 「それは、先輩のですぅ! 返すです!!!」 フィクサードの持つ煙草型のアーティファクトを指さして甲高い声がフロアに響いた。 パキラート・グリーンの大きな瞳は黒縁のメガネで囲われて、ボロボロの白衣の袖は手が見えない程長い。 東洋人だ。いや、間違いなく日本人だろう。 「うるさいですね。少し黙ってて貰えませんか?」 フィクサードの声に反応して、キマイラがヤードの職員を吹き飛ばした。アガットの赤を口から吐きながら側壁に叩きつけられた小さな身体。 そして相対するフィクサードも、また東洋人である。 「おい! ユラ! 大丈夫か!」 「不愉快ですぅ」 ふらつきながらも立ち上がったヤード職員は折れた右腕を抑えながら口を開く。 「アーク、気をつけるです。あれは私が作ってたキマイラよりも何倍も強い」 「私が『作っていた』――?」 かつて、ユラは六道紫杏の元でキマイラを作るフィクサードだった。三ツ池公園大迎撃の最中、援軍として現れた『蜘蛛の巣』のフィクサードに相方と一緒に殺されかけたのだ。 その相方は自身を守って死に絶え、復讐の機会を辿りこの倫敦までやってきていた。 「裏切り者は消えて下さい」 本来であれば、紫杏の元へと馳せ参じてフィクサードとしてリベリスタと相対するべきなのだ。けれど、彼女が傾倒していたのは六道の姫ではなく相方。 生命反応はあるのに、此方に付き従おうとしないユラの『キマイラ制御装置』はリンクが切られて久しい。 「うるさいのはお前なのです!」 敵と味方へ分かれた元六道の構成員達は、イギリスで再び数奇な邂逅を遂げたのだ。 ユラの絶叫が防御壁に木霊する。 「それを返すです――海音寺政人!!!」 激突が始まった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:もみじ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年12月20日(金)22:56 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● ――償いとは何だったのだろう。 今はもうその声を聞くことすら出来ないから、それを確認する事なんて出来ないけれど。 ただ貴方の残した証を取り返したいと思ったの。壊れゆくこの身体の限界が来る前に。 「木漏れ日浴びて育つ清らかな新緑――魔法少女マジカル☆ふたば参上!」 ブラック・ブラッドの血楔が、東洋人の線の細い女性を取り囲む。外見的な特徴は“人間”と遜色ない程の完成度を誇っているキマイラに『魔法少女マジカル☆ふたば』羽柴 双葉(BNE003837)の攻撃が降り注ぐ。 シオド・ブラッドの肩口で切りそろえられた髪は艶やかな黒髪、ベージュのコートの上にケープを羽織り、表情は微笑みを浮かべた良妻賢母のそれだろう。戦場という非日常の中において『普通』の状態である彼女が異質なのは誰の目からも明らかだった。 相対する双葉の衣装もレッド・ローズのフリルとペール・ホワイトの三段スカート、セーラ襟とリボンは必須だろう。マジカルな感じで少しだけ異質かもしれないが、それは致し方ないところである。 彼女の姉に対する反面教師的な部分を鑑みれば涙ぐましい。……ともかく。収束していく双葉の魔法陣はブルー・マジックからブリック・レッドへと色彩を落としていった。 ……本部攻めって他人事じゃないよね。楽団の時とかかなり焦ったもん。なんとしてでも食い止めなきゃね。 『ホリゾン・ブルーの光』綿谷 光介(BNE003658)は側に居たヤード職員に声を掛ける。 彼の恋人である『雨上がりの紫苑』シエル・ハルモニア・若月(BNE000650)以外の後衛陣と現在、体力の減っているであろうユラを庇う様に進言したのだ。 「ジャップに従えってか?」 協力要請をヤード上層部が持ちかけたとはいえ末端職員の心象までは制御出来ないのはアークもヤードも同じなのだろう。自分より年下に見える光介の進言に無精髭を生やした男ブライアンは怪訝そうな表情で一瞥する。 「この場を死守するために。どうかお願いします」 少年の瞳はホリゾン・ブルーの力強い眼差し。彼がこの場所に立つ意志はもしかしたら本拠地を乗っ取られそうなブライアンよりも強固なのかもしれない。職員にはそう見て取れた。 「ちっ、仕方ねぇな」 「そちらの言い分は分かった。マシュー、パトリックはその2人に付け。ウィリアムはそっちのメルヒェンなお嬢ちゃんだ。ブライアンは悪態ついてないでその少年を援護しろ」 「イエッサー!」 彼等を率いる警部ジョニー・キッシーは的確に部下へと指示を与えていく。 ジョニーは光介の瞳をじっと見つめて頷いた。光介の意図は過不足無く伝わったようだ。 少しだけ息を吐いて青い瞳をすっと『そちら』へ向ける。 ――貴方が倫敦にいると知ってから。数度この街を駆け、地理とヤードの作法を頭に叩き込んだ。 緑色の虹彩を持つそれや蜘蛛の様なそれ。そして、光介の首に「刻まれた」傷跡が小さく疼く。 すべてはこの邂逅のため。壊れゆく青と青との交錯のため。 「命題を……交わしましょう?」 光介のホリゾン・ブルーの瞳と海音寺政人のリッド・ブルーの瞳がゆっくりと絡み合った。 「キマイラってのとは初めてお目にかかるんだよな。ノーフェイスをベースにE・ビーストやなんやらをごてごてと付け足した感じ……って訳じゃなさそうだな」 かつて、三ツ池公園での大迎撃の時であればそういうタイプのキマイラも多かったであろう。 しかし、鷲峰 クロト(BNE004319)の目の前に存在するシオド・ブラッドは完全に人のかたちを取っていた。 このキマイラが外で歩いていても一見するだけではそれと分からない。『普通』の女性に見えるからだ。 これをこしらえてるフィクサードの頭ん中がどうなってるかなんてどうでもいいが、ボコボコにして無駄な努力だって事を教えてやるよ。加えて……蜘蛛の巣野郎どももだ クロトは手にした二振りのフェザーナイフを身体の前に構えて、タイル張りの床を靴の底で蹴って速力を付けた。 彼と同じように二刀で風を切りながら向かってくるのは『双風』。水色に染めた髪は風を纏ってクロトに絡みつく。明らかな速度の上昇。一番、フィクサードに近かったクロトは確信する。 目の前の男は自分と同じ『ソードミラージュ』だと。 クロトの身体が二つに割れる。否、三つ四つと幻影が連なっていく。 「シっ――!」 小さく漏れた声と共に八つの羽根剣が双風を切り刻んだ。しかし、それは揺れるように身体を反らせた敵には当たらず中空に霧散する。 光介の身体に秘められた魔素の循環が開始された。薄くペール・ブルーの光を帯びたマナが光介の肌表面に浮き上がり浸透していく。比較的まだ皮膚の薄い首筋の傷跡は少しだけ濃い青がとどまっていた。 同じように『角鹿』の周りにも青い光が漂っている。『ホーリーメイガス』なのだろう。 ――チリッと視覚野の端で光が動く。 「ぁ……」 視界の揺らぎは霧状のミスト・ブルーが光介の目の前で爆散した衝撃。 シオド・ブラッドの放った遠距離範囲攻撃は庇いに入ろうとしていたヤード職員をミンチ肉にする。 身体からはみ出たオクサイドレッドの人体を構成する物質は、ヤード本部の防御壁に囲まれたこの訓練室の壁に撒き散らされていた。 「パトリック! マシュー! あああ、畜生。蜘蛛め!」 ジョニーが拳を握りこみながらフィクサードを睨みつける。 彼等はマグメイガスとホーリーメイガスで体力はアタッカーの半分以下だったのだろう。それでも、それなりに戦闘技術は高いはずであった。 爆撃を受けたのは彼等だけではない。光介と双葉も相当深いダメージと氷像を負っているのだ。 あと、一撃受ければ命が付きてしまうであろう体力残量。 リベリスタの背筋に、より一層の緊張感が走る。 ふふふ、会いたかった人達に会えました。今日はとても良い日になりそうですね。 三日月の唇を讃えて『グラファイトの黒』山田・珍粘(BNE002078)那由他がユラの元に近づく。 「あは、ユラさん。今日は一緒にたっくさん殺しましょうね。それで作戦なんですけど……」 ユラの目的である海音寺への攻撃ではなく。キマイラの動きを止めることを主とした内容。 ここで協力体制を取らなければ、全滅する恐れもあるだろう。実際に仲間である2人を目の前で殺されたのだからそこに是非も無い。答えはOKのみだ。パキラート・グリーンの大きな瞳が那由他を見つめ返す。 「まだ懲りないんですね。さっさと諦めて下さい」 海音寺の言葉が那由他とユラの間に割って入った。 ユラはこのロンドンに来てから一度だけ海音寺との交戦経験があるのだ。 「ウルサイですぅ! お前なんか、けちょんけちょんにしてやるです!」 結果は惨敗。命が助かっただけマシなのだろう。代償としてアーティファクトを破壊され、自身に大きな爆弾を抱え込むことになった。海音寺によって送り込まれたシステムバグはユラの体内で増殖し続けている。 固有のシステム回路を組み込んだメタルフレームの彼女にとって、それは病魔に侵されているのと同じ様なものだ。 蔑みの目で見つめながら、海音寺は自身のポケットからカプセルを取り出して嚥下する。 研ぎ澄まされた演算能力が更に引き上げられた。 那由他はユラを後ろに下がらせ、キマイラの前に立つ。 ゆらりと那由他の足元から混沌と深淵の黒い霧が吹き上がった。 グラファイトの黒たる所以。その禍々しい混沌振りは自身の得物でさえ闇色のフラーレンへと変えてしまう。 フラーレンはグラファイト、そしてディアマンテと同義だ。たとえ、外装が変わろうともその本質は変わらない。 ――お父様、お母様。どうかわたし達を護って。 父と母に祈りを捧げ『約束のスノウ・ライラック』浅雛・淑子(BNE004204)はフィエスタ・ローズの瞳をゆっくりと上げる。彼女を見守っているのは両親だけではない。きっと『ココ』と『リスティ』『マルコ』だって彼女の無事を祈っているはずだ。 「さあ、はじめましょう?」 駈け出した淑子は黒髪の襟足を長く伸ばし一纏めにしている『毒針』の前に立ちはだかる。 「ふはっ、俺の相手は綺麗な女の子だ。ラッキー♪」 彼の行動を阻害しながら放つのはソードミラージュである双風へのソードエアリアル。 ロータス・ピンクの軌跡を描いて飛翔する大戦斧と淑子の身体。 天井にクローブ・ブラウンのブーツを着けて加速した威力をそのままに双風の肩口を切り裂いた。 「やだっ! 何なの、私狙いなの? 私ってモテる?」 「ぶっ、キメェ!!!」 淑子は斬りつけた勢いをそのままに再び毒針の前へと立ち戻る。 シエルはアイシクル・ブルーの氷に手足を覆われた光介と双葉をラセット・ブラウンの瞳で見つめた。 「大丈夫です。今、解除致します……」 ――右に叡智を左に尊厳を、合わさる言之葉を辿り、其の全司の恩恵を顕現詣まし。 「大いなる癒しを……此処に。神々ノ指先(デウス・エクス・マキナ)――!」 青白かった光介の唇が元の少年らしい色彩を取り戻していく。 恋人が幾度かロンドンの地に足を運んでいたのをシエルは知っていた。首に重傷の傷跡を負い帰ってきた時も、ただただ温かな腕の中に彼を包み込む事しかできなかったのだ。 今ならば海音寺政人の痕跡を追っていたのだろうと確信できる。 首の傷を治療する最中。夜半に彼が悪夢に苛まれ漏らした言葉もそれを照明するものだからだ。 口には出さずとも、彼を信じているからこそ。シエルはその背を見守るのだ。 『癒やし尽くす』事で少しでも光介の中の曇天が晴れるように。雨上がりには光の結晶である虹が掛かるようにと祈るのだ。 ● 濃藍に染められた柄糸に添えられる指先は血色の良い肌色とメタリックシルヴァの二色。 振りかぶられた『アーク刺客人”悪名狩り”』柳生・麗香(BNE004588)の剣先は狙われた双風とそのブロックに当っていた仲間のクロト、それに彼女が抑えていた『穴熊』をも巻き込んで爆裂した。 風圧に揺れる艶やかな長い黒髪は蘇芳の縛りで留められている。 しかし、その太刀を受けたのは同じ『デュランダル』である『穴熊』だけであった。 麗香の目の前の赤髪短髪の敵は彼女をじっと睨めつけている。 「っち、女かよ」 「何だ、私が相手では不服か? 案外腰抜けなんだな」 「んだと!?」 言葉が通じなくとも戦場という極限状態において身体、視線、呼吸から発せられる蔑みのシグナルは往々にして良く伝わるものである。 漸く出逢えましたね漣よ。袖にされた身で懲りないと仰られますか? ですが、幾度でも申し上げます。 一足踏み込めば灰蛇が地を這う、二足踏み込めば黒の蛇が顎門を擡げる。『原罪の蛇』イスカリオテ・ディ・カリオストロ(BNE001224)は薄い色の唇で言之葉を紡ぐ。 「少なくとも、私であればもう少し楽しませてみせますが」 「くすくす。私、尽くすタイプだからちょっぴり頼りないぐらいがいいのよ。でも、大切にしてくれる人じゃないと嫌。あと、強いって事は大前提ね。見せてくれる? どれだけ強くなったのか」 神秘的な要素を介してではない。肉声がイスカリオテの誘いに返答する。 それはシオド・ブラッドの口から発せられたものだ。漣の指輪がキマイラの喉を使って音を出しているのだろう。 「では、お言葉に甘えまして」 黒一色の装丁がされた名も無き魔術書を手に白い手袋が眼前に掲げられた。 技を使う為の術式は『黒』と『白』の二重螺旋。何方にもなりたくて成れなかった無念と憎悪と渇望のファンタム・グレイの弾丸を導く為のモノクローム。追い求めるからこそ、その『灰』は加速していくのだ。 ――――さあ、神秘探求を始めよう。 穿たれるシオド・ブラッドの身体。慣性に従って訓練室の床を転がっていく。起き上がった彼女の唇がニタリと笑みを作った。 「くすくす。良いわ。強くなったのね。でも、まだよ。まだ、足りないわ」 立ち上がったキマイラの外装に目立った傷跡は無い。戦闘開始直後に双葉が付けた傷もとうに消えてしまっている。フォルコメングラオの致命が入っていないのが見て取れた。 「BS耐性ですか……」 キマイラにはかなりの命中力で攻撃を当てなければバッドステータスは入らないということだ。 しかし、可能性がゼロでは無いということでもある。 海音寺政人や漣の性格から推測すれば、完全な無効性能はありえない。なぜなら、彼等は探求者。 極めるものには尊敬の意を持ちあわせているからだ。難点はきまぐれであることだろう。 イスカリオテのフォルコメングラオに巻き込まれるように攻撃を受けた穴熊が闘志を剥き出しにして自身の力を高めていく。毒針も続いてダーク・ヴァイオレットの瘴気を開放していった。 このヒリヒリするような混乱と緊張感。つい最近三高平でも味わったばかりよ。 科学の力か神秘の力か知らないけどキマイラってなんか中途半端でかわいそうね。 『蜜月』日野原 M 祥子(BNE003389)はハニー・ゴールドの瞳を前に向けて両手の勾玉型の盾を掲げる。 かつて月の満ち欠けを神格とした人々がいたように、其の揺るべをこの満月の盾に宿すのだ。 神々の声を聞き、敵を殲滅させ得る程の加護を解き放つ。 「――ラグナロク!」 リベリスタを包み込むアルテミスの仄かな輝きは、手の中に活力を宿していくのだ。 「あざーっす」 味方のクロトから感謝の声が上がる。 「こんにちは、お姉さん。僕とダンスを踊りませんか?」 海音寺目掛けて走る祥子の前に出てきたのは『角鹿』だった。鹿の様なフードを被った小柄な少年。 朗らかな笑顔とキャラメル・ブラウンの明るいくりくりした髪の毛。 「海音寺政人……!」 『境界のイミテーション』コーディ・N・アンドヴァラモフ(BNE004107)ジョーンシトロンの瞳は強い意志でリッド・ブルーの色をした男を睨みつける。 「おや、貴女は――そういえば、あの公園で私に負けた人達が4人も居ますね」 バトルシップ・グレイの鎧と同じ色をした巨大な杖をコーディが掲げるとダーク・グリーンの魔法陣が彼女の周りに展開した。 空気の裂ける轟音と共に魔法陣から飛び出した紫電の咆哮はフィクサードとキマイラを撃ち付ける。 感電を帯びたのは穴熊と角鹿。双風は回避、他は多少のダメージを負わせる事になった。 続くユラはシオド・ブラッドに無数の式符鳥を下ろしたのだ。 ● 「防御壁ってすぐ解除できるの?」 双葉が光介を守るブライアンに問いかける。 「ああ、通信で指示を飛ばせばな」 ありがとうと礼を言って、双葉はアザレアの瞳を狙うべきキマイラへと向けた。 手に持ったクレストフェザーワンドを掲げて呪文を唱える。 「紅き血の織り成す黒鎖の響き、其が奏でし葬送曲。我が血よ、黒き流れとなり疾く走れ――。 ――――いけっ、戒めの鎖(ブラッド・カース)!!!」 黒の楔はキマイラとその横に居た穴熊へと吸い込まれていく。しかし、穿たれる筈の状態異常は高耐性のキマイラには届かず、ジャガーノートの能力で穴熊にも入らなかった。 双風は自身に攻撃を仕掛けてきた麗香目掛けて剣の舞いで切り刻む。彼女にとってそれは惹きつけられるものがあったのだろうか。ダメージと魅了のバッドステータスを受けて、ゆらりと仲間に剣を構える麗香。 クロトは目の前のソードミラージュと隣のデュランダルに多重残幻剣を叩きつけた。 手応えがあったのは穴熊の方だけ。双風の回避能力は高い部類なのであろう。 双葉より前に出る事は稀かもしれないが速度はクロトより高いと推測された。 シオド・ブラッドの手が振り上げられる。何時も気怠そうな那由他のエメラルドの瞳が少し見開かれた。 キマイラの華奢な体躯からは想像も出来ない――那由他の体力が30%を切る――程の極大ダメージ。 ユラを吹き飛ばしたあれは威力の少ない攻撃だったのだろう。 口から血を吐きながら真後ろに居たジョニーと共にタイルの床を転がる那由他。 「あは、痛いじゃないですか。でも、これ……誰に似せて作ったんですか? このキマイラも、政人さんの未練ですか?」 肋骨が折れて肺に突き刺さる程度にはダメージを負っているの筈なのだが那由他は口を閉じない。 「ところで、『みさき』さんをキマイラにした時はどんな気分でした。――最高?」 海音寺政人にはみさきという妻と、まさやという息子と、なぎさという娘が居た。 しかし、彼の家族は全員死んでいる。否、それは塗り替えられた記憶でもあった。 かのウィルモフ・ペリーシュの創りだした『漣の指輪』は彼の人生を破滅へと導いていったのだ。 指輪を手にし、最愛の妻を手にかけて。最愛であったからこそ自分自身で切り裂いたのかもしれない。 妻をキマイラにした時点で彼はもう元には戻らない運命へと分岐した。漣が望むままの逸脱へと。 海音寺のルーラータイムが瀕死の那由他を襲う、その瞬間に那由他はフラーレンの盾で防御態勢に入る。 一瞬の攻防。 甲高い金属摩擦の音が防御壁に跳ね返って鼓膜を揺らした。 速かったのは那由他。海音寺の攻撃を体力値で表すと二桁のレッドゾーンで辛うじて持ちこたえたのだ。 そしてグラファイトの黒はどの様なバッドステータスをも受け付けない絶対者。 三日月の唇が引き上げられる。 シエルと光介は同時に詠唱を始めた。 命がけの戦場、本に囲まれた喫茶店で過ごす日常――木漏れ日の中で光介が淹れてくれるお茶はシエルにとってかけがえの無い大切なもの。 息を合わせるのは二人にとって造作も無いことなのだろう。 「始めは曇天の灰」「弾む雨は透明の詩」 シエルと光介の周りにエルヴの光輝が寄り集まっていく。 「分つ空は境界線の青」「地に咲くは雫を湛えた紫」 光に導かれてゆっくりと広がって行く傷寒論-写本-は、シエルを一周する様に展開していた。 そこには光介の組み上げた術式が重なりターコイズとアイリスの陣がぴったりと一致する。 「「遍く響け癒しの歌よ――――白銀と紫苑の誓約」」 ヤード本部地下第一層の訓練施設は白紫の奔流に包まれた。 それは、麗香の魅了も那由他の体力も全てを回復しえるだけの膨大な神の意志であったのだ。 息の合った二人だからこそ成し得ることが出来たのであろう。 ● 戦闘は熾烈を極めた。 前衛のソードミラージュから落とそうと奮闘したリベリスタは思わぬ事態に直面する。 俊敏に動きまわる水色の髪を捉える事が難しかったからだ。手数がそれだけ消費されることになる。 「きゃぁ――ッ!」 その双風に執拗に狙われたのは双葉だった。彼女の身体がゆっくりとタイルの床にくずれて行く。 「お嬢さんを倒せば、私より速く動ける人居なくなるしねっ! 大体何でマグメイガスのくせにそんなに速いのよっ、バッカじゃないの」 「……さい」 「ん? 何よぅ?」 「うるさい!!! 何なの!? 男のくせにそのしゃべり方気持ち悪いのよ!!!」 双葉のアザレアの運命の色が燃えていた。怒りに満ち溢れている。 クレストフェザーワンドを高く掲げて力を高めて行く双葉。 呪文を唱える事で集中状態の意識が研ぎ澄まされていく。煩い口をとざすために。 「魔を以って法と成し。法を以って陣と成す。――則ち黒鎖の螺旋を顕現させる赤の血脈」 魔法を使うに応って必要な血は切り裂かれた傷口から大量に出ている。 左手で其の血を掬って陣の贄とするのだ。 「――――戒めの鎖!!!」 双葉の血を受けたそれはアザレアの光を帯びながら黒光りした楔へと変幻し双風を床へと縫い付ける事に成功したのだ。 追撃をするクロトのストア・ブラックの瞳に映ったのは自身の横をすり抜けて行く青い光。 それは視界の端に映しだされた瞬間にクロトの後方で爆発した。 シオド・ブラッドが放ったミスト・ブルーの衝撃派は彼のイーグル・ブラウンの髪を揺らす。 「あらん、あの子死んじゃったかしら?」 クロトの剣を受けながらニヤニヤと笑った双風の視線は双葉に向けられたものだろう。 「双葉さん!」 「ブライアン! 返事をしろ! ブライアン! くそ!!! ウィリアムは……嘘だろ、おい。ウィリアム! ウィリアム!」 光介がアガットの赤に沈んだ双葉に駆け寄り、心音を確認する。 「まだ、大丈夫です。シエルさんお願いします」 「承知致しました」 一瞬にして双葉はシエルの後方へと運ばれた。戦場の最中に置けば確実に死んでしまうだろう。 しかし、ヤード職員はその身でブラッディ・レッドの血霧を演出している。二人共もう居ない。 つまりは、光介とコーディの盾も居なくなったということだ。 「くそが! もう、我慢ならねぇ!」 怒りに震えるジョニーは愛銃を取り出して敵陣へと突入していく。 「角鹿、援護してください」 静かに命令した海音寺は向かってくるジョニーを迎撃するつもりなのだろう。 「はーい、ダディ。いっくよー!」 レド・ホワイトの閃光に目を晦まされたジョニーは正面から海音寺の攻撃を受けることとなった。 否、これは攻撃ではない。 「あ、が……っ!」 身体が変容していくのが自分でも分かった。 「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――――――ッ!!!」 グチュ、ブチュ、グチャ。 愛銃とジョニー・キッシーが形を変えて転げ回る。 「何……?」 祥子がその異様な光景を理解出来ないと首をかしげた。何が起こっているというのだ。 誰もが今立っている場所から動くことが出来ない。 ジョニーが声を上げなくなった。しかし、それはもうジョニーではなかった。 「なるほど、キマイラ作成ですか」 イスカリオテがクリムゾンの瞳で感嘆の声を上げる。彼以外、今目の前で何が起こったのか理解出来たものは居なかったであろう。流石は神秘探求同盟を束ねる者である。 「あまり精度は良くないですが」 「はは、また出来損ないを作るんですか」 イスカリオテの直感が正しければ、この醜悪なキマイラの能力はそれほど高くないだろう。 フェーズにすれば1程度のもの。さりとて、キマイラである事に変わりはない。 神秘探求同盟第零位・愚者の座は高らかに嗤う。そうではくては面白く無いのだ。 ● 麗香は攻撃の当たりづらい双風を相手取るより、目の前のデュランダルを落としたほうが効率が良いと判断した。コーディの放った攻撃はいい具合に穴熊の体力を減少させていたのだから。 敵も無能ではないのだろう。麗香が自分を狙ってくる事が分かると向き直り大剣を構えた。 「強い威力を持ったデュランダル同士、真っ向勝負と行こうじゃないか!」 「望む所だ!!!」 濃藍の柄巻き、その先に伸びる日本刀は柳生の血を引く者としての誇りの証なのだろう。 美しい蘇芳で染められた着物も、紅葉が描かれた茜の帯も。麗香の強さを引き立たせる要因だろう。 上段からの振り下ろしと中段からの切り上げが交錯する。 ギリギリと甲高い金属音が響いて、肉を切り裂く音がした。骨を断つ音がした。 「ぐおおおおおお!!!」 爆音と雄叫びが戦場に響き渡り、静寂が訪れた後、両者は床に崩れ落ちる。 「かはっ、ごほっ、はぁ、はぁ……、――――私の勝ちだ!!!」 愛刀を支えに再度立ち上がったのは柳生・麗香だ。これで悪名狩りの白星をまた一つ増やすこととなった。 「麗香さん危ない!!!」 淑子の放つ声は毒針が麗香目掛けて攻撃を放ったから。 「油断禁物だよ。お姉さん♪」 背中から突き刺さった悪意は2回。麗香の身体が沈んで行く。 「ひろさん……」 祥子は胸の中に恋人の事を思い描いた。クリスマスには一緒に過ごす予定があるのだ。 こんなところでのんびり等していられない。 彼女は遠距離攻撃を持っておらず、生憎と近距離攻撃範囲内には小柄な可愛らしい少年しか存在していなかった。彼女は子供が好きだったのだろう。 月読の盾で攻撃をする際も少しばかり心が傷んだ。しかし、彼等はフィクサードである。 「ねぇ、お姉さん。ひろさんって誰? 恋人?」 ニコニコと無垢な笑顔で祥子に話しかける角鹿。この死体の転がった凄惨な戦場で笑っていられるのだからやはり彼も何処か壊れているのだろう。 祥子は少年に盾を叩きつけた。 「痛い!」 自身と仲間の回復を施して、それでも祥子の前に立ち続ける小柄な子供。 あちらではリベリスタが爆音を響かせながら攻撃を繰り返している。 祥子は再度少年に盾を打ち付けた。 「うぅ、いじめないで……」 「貴方達が悪いからよ!」 祥子の戦いは精神的なものだった。子供を傷つける自分を奮い立たせて、ただ月読を頭蓋に落とす。 小さな頭から流れ出る血はポピーレッドの色をしていた。 「そういえば、君は何だかアンバランスなのよねぇ。危ういと思ったらそうでもなくて……みたいな」 双風は彼をブロックし続けているクロトに向かって言葉を発する。 クロトにはどんなフィクサードの言葉も耳に等入らないというのに、あーでもないこーでもないと双風はしゃべっている。 「ねぇ、無視するのん?」 「てめーらの言い分なんて聞く気はねぇよ、ゴチャゴチャ言ってる奴から捻ってやるから…『とっとと掛かってこいっっっ!!!』」 激高したクロトの表情を舐めるように双風は金色の瞳で見つめている。 「ふふふ、良いわよ。いっぱい楽しみましょうね」 「うっせぇ!!!」 キィン――。 二刀同士の剣が弾かれ、引き寄せられを繰り返していた。決定打はまだない。 しかし、双風が先にクロトへとシルヴァの右剣を突き入れる。 それを柄で受け止めたクロトは左手の剣で双風の首もとを狙った。 引き裂かれる首筋。だが、致命傷足り得ない。 「もっと、遊びましょう?」 双風の左手の剣がクロトの右腕を縦に斬りつける。右手がだらりと垂れ下がった。 だが、クロトの攻撃はまだ終わっていない。使えなくなった右腕は捨て置き、口に加えた剣で嘴の様に双風の眼を狙った攻撃。 至近距離からの刺突は威力を得ず、フィクサードに簡単に避けられてしまう。 否、それは囮である。 回転して軸のずれた双風の身体に大きく旋回させ加速した左手の剣を叩きつけたのだ。 ● 淑子はハイテレパスで海音寺の心に呼びかけ続けていた。 『生前の奥様や息子さん、それにこうなる前の貴方も。きっと家族の幸福を願っていたのでしょう?』 『ザザザ……ザザザ……』 『それを壊してまでそんな風に、ひとりで、『作品』に囲まれて狂っていくのが、あなたの幸福だというの?』 『ザザザ……ザザ……ザ……、私は、この様な無残な……ザザ……すまな……』 雑音(ノイズ)で良く聞き取れないが、淑子はその声を聞こうと強く思念を送る。 『ちょっと、余計な事しないでよ。もう少しなんだから』 淑子の心に反発して返ってきた声は漣のものだ。 『もう少しってどういう事なの?』 『あら、貴女に教える義理は無いわ。でも、貴女、面白そう。その純粋な心はとっても良いわね』 『何を……』 『くすくす。ねぇ、力が欲しい? 完璧が欲しいんでしょう?』 ねっとりと絡みつく声は淑子の心の隙間に入り込もうと言葉を紡ぐ。 此処でこのまま漣と会話し続ければ、海音寺を説き伏せるきっかけが生まれるかもしれない。 しかし、淑子の心が大きな警告を鳴らしていた。これ以上は危ないと。 『……ふふふ、迷っているのかしら? でも、今日は時間切れ。またねピュアピュアちゃん』 一方的に閉じられた心は、もう何を言っても小さなノイズしか返してこなかった。 淑子は思惟する。漣が介入する前に聞いた声は海音寺本来の心根の優しい人格だったのではないか。否、それすらも漣の演技なのかもしれない。 しかし、本来の心根の優しい人格を押し込めているのが漣の能力だとしたら。 淑子には分からなかった。海音寺と漣が何を考えているのか等。 覗きこめば其処には深淵があるだろう。きっと、これ以上進んでしまえばノイズにまみれてしまう。 淑子の気高く美しい精神性が崩壊してしまう。なぜなら、心を犯す事が漣の能力なのだから。 光介はシオド・ブラッドをホリゾン・ブルーの瞳で見つめる。 ベージュのコートに肩を覆うようにして着せられた『ケープ』。海音寺が出来損ないのキマイラに付けた名前と同じもの。――結局、そうして家族の面影を歪め、囚われるのか。 (囚われてしまった『ボクら』は……) もう本当の家族には届かないんじゃないのか。 光介の家族は不慮の事故で失われてしまっている。その事故で光介はフェイトを得て生きながらえ、その身に『後悔』という名の呪いを受けた。 光介という名が表すように、彼が発する明るい光はシエルの曇天に光を差し込む程優しいもの。 だからこそ。彼の持つ闇の部分は一層暗く、抜け出せない迷宮なのだろう。 対極じゃない。すでに同じ迷宮の中。だとしたら、刺し違えてでも終わらせる。 家族を失い、彷徨い、求め歩くその様は。光介の光と闇のそれと同じではないか。 海音寺に初めて出会ったその時に強すぎた闇に触れ、対極だと錯覚したのも無理は無い。 けれど、ふと自分を見つめ返した時、手段は違えど彼と自分との間に差異等見当たらなかった。 否、その手段こそが決定的な違いではあるのだ。だから、終わらせる。この身を潰してでも。 ――――必ず。いまが無理でも必ず。 「いい加減にその指輪から解放されたらどうだ……!!!」 コーディは海音寺の左手薬指に嵌められている漣の指輪を狙って四重奏を叩きつけた。 しかし、その綺麗な装飾が欠ける事は無く、ワダツミを湛えた海色の輝きは健在。 ジョーンシトロンの瞳は何時になく感情的である。 「『娘』は生きている! お前が愛するべきはそのキマイラではないだろう!!!」 この戦場で響いたどんな言葉よりも、その一言。 コーディの発したその一言は海音寺政人を大いに惹きつける結果となった。 次の瞬間には盾の居なくなったコーディの前にリッド・ブルーの男は立っている。 「その様な嘘を誰が信じるのですか?」 フィクサードは躊躇無くコーディのバトルシップ・グレイの鎧に拳を叩き込んだ。 血反吐を吐きながら自身を睨みつけるコーディの胸倉を海音寺は掴み上げる。 「嘘などではない! お前の娘である海音寺なぎさは――生きている!!!」 リッド・ブルーとジョーン・シトロンの瞳が交錯する。その奥に見える色は漣かそれとも。 一瞬の時間がコーディには何分もそうしていたかの様な錯覚に感じられた。 「……そう、ですか」 ぽつりと声を漏らし、コーディを突き飛ばした海音寺の表情は――――笑みだ。 安堵や安心感などではない。楽しい事を見つけた時の顔。子供が悪戯を思いついた時のそれ。 もう、目の前のコーディには目もくれず、ブツブツと小さな声で何かを考え始めた男。 海音寺はポケットの中から取り出した煙草に火を着けた。辺りに紫煙が立ち込める。 「お前!!! それを返すです!!!」 ユラの声が男に向けられるが、意に介さず全く心が此処に無いのだ。 イスカリオテはこのチャンスを逃さず、その煙草をピンポイントで狙い撃ちした。 煙草型のアーティファクトは海音寺の手から弾き飛ばされ、血だまりの中に落ちて火が消える。 「作品、“また”壊れてしまいますね」 魅了でも混乱でも結構。甘んじて受け血に沈もう。だがそんな程度で終わらない。 私の餓えは満たされない。 イスカリオテの求めるものは遥か高み。神秘の探求その一点のみ。 正直な所海音寺政人という存在などイスカリオテにとってみれば『家族』を追い求めているだけの矮小な男にすぎない。 綿谷・光介という少年が彼の目に止まったのも息子を思い出したからであり。 イスカリオテ・ディ・カリオストロの持つ“灰狼”が求めた黒を貶めたのも。 那由他・エカテリーナの『みさき』という言葉に反応したのも『家族』に固執しているからだ。 家族が死んでしまっている。それをきちんと理解しているから/理解したくないから。追い求める。 シーカー・ブレインはたった一処の理だ。――――家族を取り戻す。 その為に漣の指輪を共に携えて、生きているのだ。 純粋なる心で、犠牲者を増やす、その精神性に漣は憑いた。大いに喜んでいるのだろう。 ならば――。 「殺れ」 海音寺の声に反応して、シオド・ブラッドが極大ダメージの攻撃をイスカリオテに落とす。 神秘探求同盟第六位・恋人の座が瀕死になる程の威力を神秘探求同盟第零位・愚者の座が耐えれる筈もなく、ファンタム・シルヴァの髪をアガットの赤で染めながら床に倒れていく。 「……自分を見失わなければ信じて頂けるんでしたね」 ならば――――。 ――――命をチップに、己が狂気と血祭をこの身で贖おう。 クリムゾンの運命の炎がイスカリオテを包み込んでいた。ゆらゆらと燃えて海音寺に覆いすがる。 『くすくす。分かったわ、その異質な信念を信じるわ。でも、貴方は私を楽しませる事が出来るのかしら?』 イスカリオテの頭の中に直接響く声は漣の指輪だろう。 『私は人がある一点に向って堕ちて行くのが好きなの。私を飼うのはそういう事よ?』 その為のシーカーブレイン、その為のシングルライフ。 どうすれば漣にとって効率の良い残虐的な作品が作れるか。 『見せてくれるのよね? 貴方が私の代わりに人を貶めて、犯して、殺して、『精神を壊し続けて』くれるのよね? このお気に入りを手放すのだから相応の対価は必要よ』 ウィルモフ・ペリーシュの作品は須らくカース・アイテムである。この漣の指輪もそうだ。 イスカリオテは思惟する。残虐さを帯びるのならば海音寺政人以外に候補は沢山居たはずだ。 求道の六道において自分すらも顧みずその力を研究に捧げる者が。 何故、漣はこの男を選んだのだろう。 「なるほど、そういう事ですか。貴女の能力の真相はそれですか」 表層に出ているのは漣を楽しませるだけの道具(じんかく)でしかないのだろう。 本物の海音寺政人はきっとレンズ越しに自身が行う所業を見てきたのだ。 それは、予知夢を見る娘の状態と同じ。干渉できず、ただ、ただ観測することしかできない。 優しく純粋で真っ直ぐだからこそ。 故に、『精神を壊し続けて』漣を喜ばせているのだ。 それが漣が海音寺政人に居付く理由なのだとしたら――――荒唐でしかない。 ● 「やっぱり滑稽ですね政人さん。その矛盾に満ちた生き方、とても素敵ですよ」 光介が光で海音寺と相対するのならば、那由他は深淵で闇を包み込むのだろう。 シオド・ブラッドの攻撃を受けてもなお、その身体は折れず。 レッドゾーンまで食い込む体力はすぐさま光介とシエルによって回復されていく。 那由他が居なければ、前線は崩れキマイラが猛威を振るったに違いない。 ジョニーを素体とした即席キマイラはイスカリオテと同時に床へと崩れ、双風はクロトのソニックエッジで戦闘不能に陥っていた。コーディは毒針の遠距離攻撃にて意識を手放した。 「そうそう漣さん。私と友達になりません? 別に力を貸してくれとかではなくて。好みが似た者同士、話し相手になってくれるだけでも嬉しいんですよ」 『そうね、貴女は私に似ているかもしれないわね。でも、貴女が私を飼うと方舟には居られないわよ? もう、歯止めなんて効かないのだから。それはそれで楽しいかもしれないけれど』 くすくす。くすくす。 ウィスタリアの髪が靡く。那由他のフラーレンの槍はシオド・ブラッドの胸を穿とうと高速の突きを見せた。しかし、キマイラの腕がそれを弾き、返す手で那由他の顔面を狙う。 エメラルドの瞳はその軌道をギリギリで避け、反動を利用して回転軸に乗せた。 那由他の槍は一層の混沌と深淵を呪いと化して帯びる。 そして、シオド・ブラッドの胸を深々と穿った。 「ッ―――――――!」 声にならない声がキマイラの喉から発せられる。 ベージュのコートもケープも既に床へと滑り落ちて久しい。 BS耐性のあるキマイラに那由他は此の世の呪いを込めて数々の状態異常を叩き込んだのだ。 ドロリと美しい肌が崩れていく。 『あなた、もう良いんじゃない? これでその煙草の性能が分かったでしょう? それに、新たな目標も見つけたみたいじゃない? 帰りましょう。子供達も届いてるでしょうし』 「ああ、そうだな」 海音寺は懐から『新しい』煙草を抜き出して火を着けた。辺りに一際濃いスモーキィ・パープルの煙が漂い出す。 「お前! 何でそれをいっぱい持ってるですか!」 「知らなかったんですか? これは箱入りなんですよ。本数制限はありますが。もしかして……はは、貴女は本当に馬鹿ですね。私が此処に来れた理由も分からないですか?」 「……?」 「教えてあげましょう。これは『残り香』がある場所に転移できるアーティファクトなんですよ。普段は拠点への帰還にしか使いませんが……貴女には何年分もの『残り香』がついていますよね?」 「嘘だ……」 「門司大輔(せんぱい)と共に時間を過ごした分だけです。ありがとうございます。貴女のお陰で容易にヤード本部へと侵入できました。良かったですね、今度も先輩方の最期を看取れて……」 「黙れ!!!」 煙に巻かれないように下がったリベリスタの中からクロトが風を切って羽根剣を海音寺へと突き立てる。 「ごちゃごちゃ、うぜぇ!!!」 煙に巻かれれば海音寺と一緒に何処かへと飛ばされる危険性があるのにもかかわらず、彼は前にでた。何故だろう、許せなかった。 フェザーナイフを両手にスモーキィ・パープルの煙を切り裂き、敵に食らいつく。 熱感知で煙の中の人影を追う淑子は、繊細な装飾が施された大きな斧を振り回し、体重を乗せて叩きつけた。祥子は何とか逃亡を阻止しようとするが、煙がフィクサードを覆い隠す方が速い。 「くそっ!」 紫煙が晴れたヤード本部地下第一層の訓練室には彼等の姿はもう無く。 仲間だった肉片を抱えたユラの小さくすすり泣く声だけがブロンズ・グレイの床に響いていた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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