●指数関数的に、否、一段階増殖的に。 不可視の基幹を瑕疵と問うなら吝かではない。 ●二十年前 その蛍光黄色のストラップを見ると、当時のことを思い出す。 あれは小児病棟に入院しているとき。 右隣のベッドには過食症の少女。 左隣のベッドには子供らしくもなく胃に穴を空けたサッカー好きの少年。 僕はこの過食症の少女のことは正直好きじゃなかった。彼女が看護師の目を盗んでお菓子を食べているのを知っていた。絶食中の僕には病院食の匂いでさえも苦痛なのに、追い打ちも良いところだ。 ある日サッカー好きの方の彼が僕にそのストラップを渡してくれた。 高校生程度だったであろう彼から見て、僕の姿が余程哀れに映ったのであろう。 あれから二十年経った。僕は未だにこのストラップを手放せずにいる。 彼はその後すぐに深刻な合併症により死んだ。 薄汚れた黄色のストラップ。 既に両目が失われていた僕には、その微笑みを思い出すことは叶わないのだけれど。 ●彼の終末論 各々が抱く終末の形がある。僕はそのことについて良く考える。 「僕達は『蟻』になるべきだと思う。僕らは『蟻』を見て蔑むだろう? でも『蟻』の方こそ僕たち人間を嘲笑っているのかもしれないよ」 大半の相手は僕の意見を聞いて「そんな安易な終末論に付き合う気はない」と首を横に振る。 僕は『蟻』になりたいと思う。『蟻』になることが不幸せだなんて思わない。 それは柵から解放されるということだ。余計な事で悩まなくて良いということだ。 毎夜、眠りに入る前、僕を恐怖が襲う。 過去に対しては踏ん切りがついた。それは起きたことであり、それ以上でもそれ以下でもない。 しかし、未来となると別だった。僕は常に、『明日への恐怖』を捨てられずにいる。 大切な人が居る貴方は? 失いたくない景色がある貴方は? 心休められる場所がある貴方は? その『大切なモノ』が明日消え失せる確率を考えて身震いする。 「だから僕は考える。僕は求める」 呻き声が響いている。叫び声が響いている。 義眼を埋め込まれたその両目が答えを探す。 「雨水さん、どうやら四人やられたみたいです」 走ってきた男の報告に、義眼の人物は「そう」と静かに答えて、続ける。 「思ったより少ないね」 その声を聞いた部下のフィクサードの表情が、一瞬固まった。 「私たちはもう少し安全な作戦だと聞いていたんですが……」 「恐らく、アークは追加でリベリスタを投入してくるだろう」 部下は怪訝な顔をする。雨水はそれを気にもせず独り言のように続ける。 「それも事前に聞かされておりません」 「通例を鑑みて、八名程度。彼ら全員と交戦し、打倒し、最終的には、僕を除く残り十五人の内、八割の十二名が死ぬ予定だ」 君がどっちか知らないけど。 「それは……」 「不謹慎だって?」 雨水があはは、と笑った。 「僕にとっては君らの死も同じくらい重要なんだよ。さあ、何を思って死ぬのだろう?」 それに、羨ましいくらいだ。『明日への恐怖』から解放されるんだからね。 そう続けた雨水の言葉に、男は顔を歪めた。 男は、雨水の作戦に同行するのは今回が初めてであったが、彼が『終極の蒐集者』と呼ばれる所以をこの時その肌で確かに感じた。 「同行者もその対象だったとは」 男の目に少しばかり非難の色が浮かんだ。雨水は視線を合わせようとはしない。 「こんなにたくさん死ぬのを眺めるのは初めてだ。戸惑いながら討ち死にする『チーム』を眺めるのも初めてだ」 何より病院というのが良い。そう言うと、不意に雨水は呻いている女性看護師の口元にその耳を寄せた。 彼女が今際に紡ぐ世界は不連続で解読出来ない。しかし、雨水にはそれで満足だった。 「最後に何を語る」 ―――は 「最後に何を想う」 ―――はは 「最後に誰に願う」 ―――ははは 「貴方は『どうして』死んでいく」 ―――はははは! 看護師が必死に伸ばすその腕を、けれども雨水は冷たく見返した。義眼を通した光が、二度と肉眼で確認でき得ぬその光が。 彼がその腕を取ることは無い。 「また一つ死ぬ意味を学んだよ」 雨水が立ち上がる。眼前に広がる直線状の廊下は、あの時の清廉さを失って、逢魔が時に屋上から眺めた鮮やかな赤色に染まっていて、胸の奥が熱くなった。 「君たちはどんな『希望的観測』を見せてくれるのかな」 その顔に、既に感情は無い。 ●ブリーフィング 「悪い事は重なりやすい、って言うけれど、そんなこともないと思うわ」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)が映された現場状況の映像を流しながら言った。 「まあ、それが意図的な場合は除くけれどね」 先に起こったのは、ウイルス様アザーバイドによる爆発的な感染症状の方だった。 ある市内に存在する、大学病院程では無いとはいえ、そこそこの規模を有する総合病院。 一年前に建てられた清潔感溢れるその病院内で、神秘的な感染症状による一般市民への被害報告がアークへ上がってきたのが十時間前。また、ある程度その状況を予知していたフォーチュナ達の報告から、そのウイルス性アザーバイドを抑制する散布吸引型ワクチンを準備し、六名のリベリスタが現場へ向かったのが三時間前。 その六名のリベリスタ全員と通信が取れなくなったのが一時間前。フォーチュナが後手ながら手に入れた予知が次の内容だった。 ワクチンを携帯し駆けつけたリベリスタを襲うフィクサードの集団。 「このフィクサード達はワクチンを摂取し、アザーバイドによる影響を受けない。だけど、病院内に居た人々にはそのワクチンを投与していない。死に逝く人々を眺めるなんていう、悪趣味ぶりよ」 それは襲撃され現在瀕死の傷を負っている先行リベリスタ達も同様である。 「その上、間に合わせのこのワクチンは、当初の感染速度との兼ね合いで、リスク最小化のために合成量が少ないの。具体的に言えば、第二陣のリベリスタ達の感染確率を下げる程度の余剰量しかないわ。現地での一般市民に回す分のワクチンを用意するには時間が足りない」 ここまで状況を説明して、イヴはそれでも無表情であった。それはアザーバイドに対する、フィクサードに対する、何より、フォーチュナとして本部でぬくぬくと支援することしか出来ない自分の、その唯一の存在意義さえ踏み躙られた怒りを押し込めた無表情であった。 即ちそれは、命を賭けるリベリスタ達への懺悔でもある。 「現状、先行したリベリスタを救出できる可能性はほぼ無いと考えて良いわ」 だけど救って。少しでも多くの人々を。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:いかるが | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年11月22日(金)22:40 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 「どうして僕は外に行けないの」 「お前が動けば、不幸を齎す」 「どうして僕の目は見えないの?」 「お前の両目は、見え過ぎる」 「どうして僕は生きているの?」 「お前はこれより死人となる」 「……どうして僕は死んでいくの?」 「お前は死なぬ。終生を檻の中で暮らせ。正しく死人となってな」 生きる意味も死ぬ意味もお前には必要ない。 そう言った男が誰なのか、少年には皆目見当もつかなかった。 ● 『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)、『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)、『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)の三名が部屋の中央、二人固まって倒れているそのリベリスタを視認した時、僅かに安堵した。彼らにはまだ息がある。重傷だが、死んではいない。 快が急いでリベリスタに駆け寄った。良かった。彼らを見捨てずに。そう思った快の側に、ユーヌの召喚した影人が近づいてきて、しかし、妙にぎこちない動作を見せた。 不審に思いつつも雷音が二名のリベリスタに治癒を施した。直後、彼らの口元が、僅かに動いた。 そしてその声を聞き取るよりも先に、抱え上げられたリベリスタの下に置かれていたワイヤーが敏感にその動きに反応して、爆薬が大きく炸裂した。その爆風は、負傷していたリベリスタはもちろん、駆け付けた三名の体躯をも吹き飛ばした。 ● 「……なに、今の音」 『blanche』浅雛・淑子(BNE004204)が怪訝な顔で呟いた。彼女が両親への祈りを済ませた直後だった。 病院内は薄暗い。照明の多くは破壊され、残っている一部もちかちかと点滅している程度である。そして、廊下周辺には多くの死体が横たわり、一層リベリスタ達の胸の奥に気味悪さが充満した。 そんな中響いた巨大な爆発音に淑子、『ANZUD』来栖・小夜香(BNE000038)、『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)、『消せない炎』宮部乃宮 火車(BNE001845)、イリア・ハイウインド(BNE004653)の五名は一瞬足を止めた。彩歌がAF通信を試みるが、ノイズが激しく、別班との連絡は取れなかった。 次の瞬間には、リベリスタ達は身を翻した。別班がフィクサードとの交戦に入った可能性が高いと踏んでいた。 雷音の目にまず飛び込んできたのは、恐らくリベリスタであっただろう物の、残骸だった。運命に愛された者は、運命を使い果たせば、正しく死ぬ。それをまざまざと見せつけられた彼女に、怒り、悲しみ、憤り、そして動揺などを感じている余裕は無かった。即座にその気配を感じた。 粉塵収まらぬその空間から突如無数の符が飛び交った。良く知った技だった。そして、今回の作戦に置いて、この技を用いる味方は居ない。 雷音は屈んで体勢を低くする。周りが見えない。ユーヌの姿も快の姿も見えない。至近距離で受けた爆発で、耳鳴りが酷く、音が聞こえない。 体をその符が切り刻んでいく。敵はどこだ。 そうして雷音が後ろを振り向いた瞬間だった。自らに向かって振り下されている刃が視え、その次の瞬間には、尋常ならざる痛みが体を貫いた。 「――――」 声にならなかった。そしてそんな必要も無かった。自分が今すべきことはそんなことではない。 身を捩りながら、雷音の腕が振るわれた。一帯を濡らすその呪力に、フィクサードは後退して、粉塵の中へと姿を消した。 腹部に手を当てる。血が噴き出していた。けれどリベリスタにとって、これは致命傷でもない。瀕死になるまで甚振られ、爆弾を抱え込まされでもしない限り。 突然、音が聞こえた。耳鳴りが止むのは、一瞬の内だった。 聞こえてきたのは戦いの残響だった。 「雷音、大丈夫か」 近くまで来たユーヌが雷音の存在に気が付き、一瞬その体を見て言った。 「大丈夫なのだ」 ユーヌはそれだけ聞いてほんの少し口の端を歪めた。彼女もまた爆発に巻き込まれていた。その体は既に 傷だらけで、お互い様だった。 「今別班が合流した。反撃といこうか」 随分良い性格をした敵らしい。元より遠慮は要らないが、これでやりやすくなった。 粉塵が少しづつ薄まっていく。付近に三名のフィクサードの影を確認した。 「ああ、それは頂けない」 ユーヌの敵に対する駄目だしであった。 これは頂けない。 「お前等程度で、たった三人じゃ、すぐ死んでしまうぞ?」 不意に小夜香の祈りの声が響いた直後、衝撃音が轟いた。 「率先して十二体の死体の一体になろうってぇ愚図はオメェか……?」 その腕が燃えていた。 ● 小夜香にとっては心苦しいことこの上無かった。 一階の制圧には、リベリスタ達は思いのほか苦戦を強いられた。敵は統率がとれている。そして、ここは敵の城であった。特にリベリスタ救助に向かった者は大きく負傷した。探索を行っていたリベリスタ達が駆けつけて乱戦となった際にも、フィクサードはしぶとく抵抗を続け、彼らを疲弊させた。 情報に依れば、次の会敵は四階である。その四階に行くまでが、小夜香にとって悩ましかった。 院内。思っていたよりも綺麗で、フィクサード達による破壊活動などが行われた感じは余り無い。照明は暗いが、その日常的な風景の中に、叫び声が響き、備品のように人々が倒れていた。 小を制して大を成すには、皆を助けられる訳では無かった。そこに命の取捨選択が生じる。その傲慢さが小夜香には気に入らなかった。無論、それは他のリベリスタ達にとっても同様だっただろう。 病院内は感覚が狂うような不思議な造りだった。凡そ親切は言い難い。白を基調に、鮮やかな原色がポイントで使われていて、現代らしい様相を醸し出している。 ここでリベリスタ達は再度班を分かつことにした。今こうしている間にも、息絶えていく一般市民が居る以上、迅速に雨水の撃破まで行う必要がある。そして、頭を失った組織程脆いものも無い。 「四階は俺が残ろう」 新田が言った。それは一人で多くのフィクサードを相手取ることを意味する。 「大丈夫か、快」 雷音が聞いた。聞いた所で何も変わらず、彼はここに残るだろう。そうと分かった上で雷音は言って、そうと分かった上で快は頷いた。 「ここまでの様子を見ると、簡単にはそうさせてはくれないでしょうけれど」 「そうですね……」 淑子の言葉にイリアが頷いた。対角線上に設置されている二つの階段の内、近い方の一つは破壊されており、使えない。必然的に、最長距離を進んで五階へと進まなければならない。その内に敵が配置されていることは明白であった。 「どちらにしろ、進むしかない」 ユーヌが静かに言った。罠に嵌められようと、進むしかない。その為にここに来たのだから。 リベリスタ達は駆けた。視界の隅に、助けを請う人々を収めながら、駆けた。 「止まって!」 彩歌の声が響いた。リベリスタが足を止めると同時に、両隣に並んで先にある病室の扉が、吹き飛んだ。 そうして現れたのは、四名のフィクサード。 「雨水は十五人中十二人が死ぬと、そう言った。君がその死ぬ一人になりたくなければ投降してほしい、アークなら悪いようにはしない」 咄嗟に言った雷音の言葉に、フィクサードは足元で呻いていた男性の首元を掴み、リベリスタ達へ投げて答えた。 「交渉決裂だな!」 イリアが投げ飛ばされた男性を受け止めたのを確認して、火車が喜々として飛び出した。 「……死ぬのは貴様らの方だ!」 火車の拳を受けたフィクサードが笑みを浮かべながら言った。拳と刀とが弾けて、両者とも後退する。 「火車、先に行け。ここは俺に任せてくれ。それに、まだあと『三人』居る」 快が火車を制した。その眼を見て、火車も拳を下げた。 ● 「お前は祝福の中生まれた」 男が言った。 「お前は幸福の中に居た」 男が言った。 「お前は望まれた子だった」 男が言った。 ● 五階の構造は、一階から四階までの構造と根本的に異なっていた。 そこには殆ど病室が無く、特別室が数室あり、緩和ケアを行うホスピスなどが中心に配置され、ドクターヘリの離着陸を行う屋上への通路が用意されている。 死への恐怖と戦い、静かな最後を望む者が多く暮らしていたその階に、居座るフィクサード。 エレベーターが作動しないために、階段から五階へと上がってきたリベリスタ達は、その段階から、嫌な雰囲気を感じた。何故なら、そこから見える廊下も、壁も、そして天井も、本来の色を忘れてしまっていたからだ。 「……」 イリアの体が震えた。それが全て血であることを理解して、震えた。 (……理解できない) 頭を振った。理解する必要は無い。この行いは逸脱している。私利私欲でここまでするなんて、狂気に違いない。 リベリスタ達は今まで以上に注意深く歩き始めた。 ここには、下の階のように苦しげな声を上げる被害者達は居ない。とても静かだった。転がっている肉塊の量は今まで以上に多いのに、誰も声を上げていなかった。不思議な光景だった。 歩くたびに、靴が嫌な音を立てた。廊下は濡れている。 (死の観測者気取りに、吐き気がする) 雷音の顔が忌々しく歪んだ。 そうして、一つ目の角を曲がる時直前だった。彩歌とユーヌが声に出さず、手で他のリベリスタ達を制した。 何か、居る。 口元だけがそう囁いた。 互いに頷いて、彩歌が機敏に躍り出る。その動きと同時に気糸を張り巡らせた。 「う、がっ……」 彩歌がその妙齢の男性を認めるのと、その男が喘いだのはほぼ同時だった。 「や、やめてくれ、おれ、は……、投降する!」 彩歌の気糸が緩むことは無い。険しい表情はそのままに、他のリベリスタ達が続いて、幾らかの距離を保ったまま、そのフィクサードに近づいた。 「ここに居るという事は、雨水に近しいフィクサードの筈。どうして今更、投降を?」 小夜香の問いに男はすぐ答えた。 「アイツは俺達も殺す気だ! あ、あんたらなら知っているんだろ! 俺達が、元々、殺されるために、連れられてきたってこと……!」 ユーヌの鋭い視線が男を睨みつける。男が武器を所持している様子は無かった。 「私は殺すべきだと思う」 彼女のその言葉にフィクサードは短い悲鳴をあげた。 「や、やめてくれ……」 どの口が言う。彩歌の手に力が入った。 (人は終わりを畏れる生き物だけれど) それにしても、これは正気では無い。 「……投降するフィクサードを殺害したとあっては、アークとして、リベリスタとしては褒められた行いではないだろう。ここは抑えて、捕縛するべきだ」 そんな彩歌を見ながら雷音が言った。彼女とて、気持ちは一緒だろう。しかし、選択を違えれば、そこにリベリスタは存在しない。新しいフィクサードが姿を現すだけだ。 その言葉に、フィクサードは表情を和らげた。 「助かっ―――」 男の言葉が文末を迎える前に、リベリスタ達の頭上にある天井が突然瓦解した。 小夜香だけは、目が合った。崩れ落ちるコンクリートと共に、太刀を振り降りてくるその男の義眼と。 彼女には回避する時間も、反撃する手段も持ち合わせていなかった。ただ、その視線に負けることは無かった。彼女の凛とした真直ぐな瞳だけがその男を本能的に否定した。男は笑った。男は太刀を振るった。小夜香に向けて。 「―――」 斬られても小夜香は声をあげなかった。着地した男の顔が、近くにあった。柔らかな細い黒髪が肩先で揺れて、その美しい顔が、やはり笑っていた。その眼を見て、それが義眼だと知っていて、小夜香は思った。 ああ、この目は―――。 大きな叫び声が聞こえて、その思考は途切れた。火車の凄まじい形相が、男へと迫った。 「進行形で欲求満たしてんだろ!?」 だって、コイツが一番『満足している』。 テメェが雨水だ。 火車のその声に、男は小さく頷いた。 ● 火車の雄叫びそのままに、共鳴するかの如くその腕が焦げる。 「テメェみてぇな、無能がよぉ!」 炎を纏った腕が雨水を掠める。 「なんだ、君、感染してるの」 ぐい、と引かれたその太刀が跳ねた。火車もそれを受けて、残った左腕を真っ向から振るった。 「一つ質問だ 満足いく"死"ってなんだ?」 拳と刃を分かつ先、二人はその至近距離で視線を合せた。 「それを探すために殺すのさ!」 雨水の義眼が嗤った。 そのまま彼の太刀が火車の拳に押し勝った。流れるように繰り出された彼の次の斬撃は実際的には数千の斬撃となって、火車の体躯を斬り刻んだ。 「次は……」 君だ。間髪入れず、淑子の姿を、雨水は捉えた。 「させるか―――!」 ユーヌがその小さな拳銃の銃口を雨水へと向けた。そこから放たれるのは呪詛。敵を取り巻く、不吉の影。 左目の端でそれを認めた雨水はとん、と飛んだ。空中で前方に一回転。 ぎん、と金属音が振動して、淑子の戦斧と雨水の太刀が交わった。 それと同時に、先程捕縛されかけていたフィクサードがユーヌの背後を取った。 「さっきは気糸をどうも……」 低いその声と共に、男の全身から何重もの気糸が伸びる。 ユーヌが振り替えるよりも早く、その男を無数の鳥が襲った。堪らず、男は後退する。 「悪いな」 「どういたしまして、なのだ」 雷音が微笑むが、状況は芳しくない。 そのイリアのオッドアイが、階下から現れた敵フィクサードの姿を認めた。 斬撃を受けた小夜香を見つけたそのフィクサードは彼女の息の根を止めようと、その剣を構えるが、イリアと彩歌が彼女の前に立つ。 治癒の要を失うことは大きな痛手となる。交戦を余儀なくされている淑子を鑑みれば、リベリスタ達を襲う状態異常が重く彼らに伸し掛かってくる。 更にもう一人フィクサードが敵陣営に加勢した。最早、乱戦の様相を呈している。 そんな中でも、雨水は楽しそうに、けれど、笑みは浮かんでいなかった。 淑子の戦斧が光り輝く。振るわれた一閃は、雨水の剣戟と甲高く交わる。 「そこからどうする?」 雨水が太刀を引いた。ついてこれるかな? 一撃、二撃……。 淑子の顔が苦しげに、その戦斧を振るう。 雨水の剣戟は加速する。 それは光速を超えた瞬間に、目視できなくなる。 気づいた時には、彼女の体からは血が噴き出している。だからそれは、一瞬の事だった。 「次ぃ!」 その流れのまま、雨水は近くで交戦していた味方のフィクサードの首を刎ねた。 「貴方、何を……」 淑子の眼が見開かれた。 「戦闘中に味方に首を刎ねられる最後に、何を想うのだろう! これで僕はもっと『強く』なる!」 あはは! と高笑いした雨水の姿に、淑子は初めて恐怖を感じた。 ● 「……慈愛よ、あれ」 小夜香が振り絞るように言った。表情は歪んでいる。それは今なお闘っている証拠だった。 彼女の祈りは正しく雨水達フィクサードの負傷を癒した。光の飛沫が飛び散るそんな魅了下にあって、彼女は闘っていた。けれど、体の大部分は言う事を聞かない。 「……あー、危なかった」 どさ、と音がした。太刀が引き抜かれて、火車が倒れる音だった。それは同時に、部下のフィクサードを背後から貫く刃であったのだけれど。 雨水がぐるりと廻りを見回した。嫌な匂いが充満している。 階段から廊下、廊下から特別病室、特別病室からホスピス部まで、激戦を物語るかのように血飛沫が壁を彩っていた。リベリスタとフィクサード、両者の傷は生易しいものでは無かった。 だから、そこに立っているのは雨水だけだった。『大勢』も何も無い。リベリスタ達には息はあるが、戦う力が無い。フィクサード側は雨水と、重傷を負って座り込んでいる男の二人だけ。どちらも壊滅だ。 「雨水、さん……、そろそろ、時間が」 妙齢の男性フィクサードが、息も切れ切れに言った。小夜香の治癒を受けてなお、彼には立っていることもままならない。 「分かってるよ、まあ、そう焦らずにさ。……僕も大分疲れちゃったし」 雨水はそんな部下の言葉に頭を掻いて返した。雨水も深手を負っている事には違いなかった。彼の左の義眼は居場所を失って、涙のように血が滴り落ちていた。 「ねえ、君、今何を想っているの?」 立ち上がろうと懸命に力を込めた彩歌の体を、雨水がその太刀の峰で殴打した。 「……希望よ」 「希望?」 譫言の様な言葉だった。 「大切な事を、忘れぬように」 「ふーん。そういう最後もあるんだ。いいね」 雨水は彩歌の返答に満足したように、にっこりと微笑んだ。 ――――死ぬ時には希望が無くっちゃね。絶望では無く。 ● その眼は一己の餓鬼の眼だった。 愛情に飢えて、何時まで経っても大人に成りきれない哀れな子供の眼だった。 愛を求めて、愛に裏切られて、どうしようもなく傷ついてしまった独りの子供だった。 ● 不意に雨水の右目から涙が流れた。けれど、そんなはずは無かった。それは義眼なのだから。 雨水の表情が一転、苦しげに歪んだ。 「リベリスタっていうのも、思ったより頑丈だったね。僕達もさっさと逃げよう」 そう言って足早に窓に手を掛けた雨水の背に、雷音の声が追い縋った。 「……待て」 仲間に穿たれたその傷に倒れた少女が、その背を睨んだ。 「……こんな事件を起こして、アークから逃れられると思うな」 雨水は振り向かない。駆動音が響いた。 「次までにはもっと面白い答えを用意しといてね」 『答え』を見つけるまで、僕も死ねないからさ。――――今回は僕も反省だ。 雨水が初めて見せた忌々しげな表情が窓から消え、その駆動音は病院を離れて行った。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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