● ここまで来たら、アタランテになりたい。 もう、逃げられたくない。 今更、そんなのたいしたことないじゃない。 わたしが一番アタランテに相応しいでしょう? アタランテになりたいの。 だって、あの時、指差されたのは私だから。 おまえでもいいわ。いらっしゃい。 ● ゴスロリ服に、超ハイヒール。パラソルがトレードマークだった。 足の早い若い男が大好き。 全力疾走で走る男を歩いて追いかけ、死ぬ寸前まで走らせて、最後には傘に仕込んだレイピアで突き刺して殺してしまう。 りんごを渡すと、ちょっとだけ待ってくれる。 生ける都市伝説。 「人混みアタランテ」というフィクサードが、一昨年の夏に倒された。 そして、秋になった頃。 死んだ「人混みアタランテ」は皮一枚残して屍解仙という名のE・フォースとなり、現世に戻ってきた。 リベリスタ達は、それを十数キロの逃避行の末、倒した。 そして、冬。 空席になった神速の具現、最も早い女の称号「アタランテ」を賭けて、啓示や薫陶を受けた女フィクサード達が密かに動き始めていた。 「人混みアタランテ」の真似をして、若い男達を密かに殺し始めているのだ。 その行為を、あるものは速度を鍛えるために鍛錬と言い、あるものは、都市伝説となるための儀式と言う。 アークによって、ジョガー、トリオ、ジュリエッタ、泣きべそ、清姫が討伐された。 それは氷山の一角。 少しずつ力をつけた彼女たちが、『万華鏡』に映し出され始めていた。 そして、新たな噂。 未熟なアタランテを駆り立て、狩りたてる者たちがいる。 「アタランテ狩り」 都市伝説は、拡大する。 あなたが若い男性なら。 どんなに急いでいても、人混みを早足で通り抜けてはいけない。 アタランテ達に愛されるから。 そして、お前がアタランテなら。 どんなに恐ろしくても、後ろを振り返ってはいけない。 アタランテ狩りと目が合うから。 ● 「もう完璧、ビスハじゃないし」 「フライエンジェでもないから、飛ばない!」 「ついに来た完璧なアタランテ」 「じゃ、二つ名募集ってことで」 「とにかく、速度、戦闘能力、容姿、どれをとっても文句はない」 「……そうね、フルフラットだけど」 「アタランテは、名誉ある貧乳でしょう! JK!」 「アタランテは、折れそうな足で速いからアタランテなんだよ」 「その点、この子はいいね。ちょい邪悪ロリだ」 「ただ、この子さ。ウエストのくびれ具合が」 「うん?」 「ちょっと骨盤の具合から行くと、いや、実際裸見てないからわかんないんだよ?」 「どういうこと」 「ついてんじゃねえかな、余分なもんが」 ● 「歩行者天国にいる」 「足が速い若い男が大好きだって」 「10人追い越すと目をつけられる」 「後ろからずっとついて来る」 「脇目も振らずに追いかけてくる……ここまで、常識」 「最近のアタランテ、靴セーフあるじゃん」 「靴セーフイベントあるよー。このアタランテ」 「某駅伝選手逃げ切った。ただし、燃え尽きた。あははうふふになった」 「カウンセリングがんばれ」 「フラットアタランテ」 「見た目予想より声が半音低いから、フラット」 「走っても振り切れない」 「胸まったいらだから、フラットって聞いた」 「ニセモンじゃねーの?」 「そんでも、電車より速い」 「バスとかタクシーとかに乗っても歩道をずっとついて来る」 「降りたとたんにやられる。電車に乗ってもホームに先回りして待ってる」 「立ち止まっちゃいけない」 「振り返ってもいけない」 「うちまで自分の足で帰らなきゃいけない。どんなに遠くても」 「うちに帰るまでに追いつかれちゃいけない……ここまで基本」 「そうでないと、突かれて殺される」 「うちまで逃げ切ると、電話が来る。『ゆるしてあげる』って言われたら、セーフが基本」 「フラットアタランテは、りんご受け取るんだって!」 「それ、人混みと何が違うの?」 「本物?」 「アタランテ、ふっかーつ」 ● 「『アタランテ』を目指してる女の噂がまた立ってる。被害が出ている以上、それを排除するのがアーク」 神速を目指すためと称し、アタランテを目指すフィクサードはしばしば一般人を狩る。 その力が強くなればなるほど、万華鏡に捕捉されやすくなるのは、皮肉なことだ。 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は、てきぱきとモニターにとある繁華街の地図を映し出す。 「フィクサード、識別名『フラットアタランテ』 例によって、おとりが迎撃場所まで引きずってくる作戦を推奨」 モニターに映し出される少女。取り澄ました顔をしている。 「かなりの数の革醒者――リベリスタ、フィクサード問わず――通称「アタランテ狩り」を殺害している。というか、このレベルになったら返り討ちにしていなければ、とっくに討伐されている」 アタランテ候補生たちがひっそりとレースを始めてから二年弱。 昨年末には、アタランテ関連の案件は全国的に減り、『アタランテ狩り』のほうが事件を起こす事態にまでなった。 「今までのアタランテと一線を画すところは、限りなく『人混みアタランテ』に近いこと」 ブリーフィングルームの中の空気が止まった。 「強いて言えば、靴プレゼントエンドがあるくらい」 年頭、『エンジェルナイト』セラフィーナ・ハーシェル(BNE003738)と『雷帝』アッシュ・ザ・ライトニング(BNE001789)がネットに介入した結果、アタランテから逃げる方法が一つ増えた。非常に微々たる可能性ではあったが。 「成功例はないけどね。何しろ靴が特殊すぎる」 私の足に似合う靴を頂戴。 アタランテは、そう犠牲者にささやく。 もちろん、きりきりに細いピンヒール。 「アタランテ狩りに追いかけられると、歩いて、これをひきずリ、へばったところでめった突き。被害は増える一方」 イヴは、無表情だ。 目をつけられたら、待っているのは死あるのみ。 「ソードミラージュ。力も強いし耐久力もある。強敵。もちろん、逃げ足も速い」 イヴは無表情だ。 「そして、このアタランテは走らない」 「覚えててね! あたしは、人混みアタランテは」 炎で既に体の輪郭は崩れていた。 三日月につり上がった唇が炎の隙間から見え隠れしていた。 「一歩たりとも、走ったりしなかった!」 それこそが、『人混みアタランテ』の、真のアタランテの必要絶対条件。 「強敵」 イヴは言う。 「それでも狩るのが、アーク」 それだけの人員はそろってると、付け加えた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田奈アガサ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年10月16日(水)23:47 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 史上最速を目指す乙女達よ。 慕情を打ち捨てる術を身につけたか? 狩人を贄とするか。 ならば、より多くをほふるがいい。 狩人は、速く、強く、アタランテを愛している。 駆け抜けろ。 それが出来てこその至高の座。 身の証を立てよ。 できなければ? 冥府の泥に飲まれるだけだ。 ● アタランテは夢を見る。 そして、人は、アタランテに夢を見る。 誰も彼もが、完璧なアタランテを望んでいる。 もし、非の打ち所のない完璧なアタランテが現れたら、そのときあなたはどうするの? ● 作戦前夜。 「伝説は語られなければ消えてしまう」 『K2』小雪・綺沙羅(BNE003284)は、映像を解析してフラットアタランテの足のサイズと足型を計測している。 プレゼントエンドの準備だ。 アタランテは、似合いの靴を差し出されたら、獲物を見逃さなくてはならない。 「だから、アタランテの名を口にする者は皆、レースの出資者みたいなもんだよね」 アタランテ・レース。 最速の乙女の称号を賭け、女フィクサード達がその速さを競った。 一般人の男性を狩り、襲ってくるアタランテ狩りをかわして生き延び続けるというサドンデス・レース。 それは、噂という形でネットの海を泳ぎ、すでに掲示板にはアタランテがほぼ絞られたという話題ばかりが行き交う。 神秘のヴェールをかぶるアタランテ。 まるで、世界が次のアタランテを待っているかのようだ。 「キサ達も含めて」 『エンジェルナイト』セラフィーナ・ハーシェル(BNE003738)は、アタランテに憧憬の念を抱いている。 (自分の命よりも一つの誇りを貫くから) 気高さは美徳だ。 だが、アタランテは倒さなくてはならない敵だ。 一緒に他人の命も天秤にかけるから。 その速さは、人を殺して増すものから。 アークは、セラフィーナはアタランテを狩る。 ● 深夜の繁華街。 人の流れは止まらない。 歩いて追い越していく青い男。 泳ぐような動きは、ある種の都市伝説を呼び寄せる。 例えば遊歩道の街路樹の下のベンチで頬杖をついていた少女が、立ち上がってあとを追い始めても誰も気づかない。 それはきわめて当たり前のことだから。 「私、僕。うん、今日は僕って気分かな」 『神速』司馬 鷲祐(BNE000288)にとって、これは逢瀬だ。 繁華街で歩いて10人追い越した青い男を無視することはアタランテには許されていない。 十数えてから歩き出す。 一歩目から、他のアタランテとは違った。 さあ逃げろ。トカゲ。 アタランテが来るぞ。 ● 「これが、アタランテねェ。これか? こんなもんか? ……は、冗談。これの何所が最速だ」 鷲祐が『人混みアタランテ』に執着しているというのであれば、『雷帝』アッシュ・ザ・ライトニング(BNE001789)は、とうの昔に滅んだ『泣きべそアタランテ』に執着している。 あの日、自死した都市伝説の顔が、視界の隅から消えない。 設定されたルートの途中から、フラットアタランテに併走する。 こつこつと間断なくアスファルトを打つピンヒール。細いうなじで揺れる縦ロール。ふわりと翻るスカートとパニエ。 深夜というのに、パラソルを差し、背筋を伸ばし、あごをひいて歩いている。 驚くほどあどけない少女――少年かもしれない。 アタランテは走らない。 「――アイツはアタランテじゃなかったがよ」 アッシュは、フラットに話しかける。 泣きべそアタランテは、うえっうえっと嗚咽を漏らしながら、リベリスタを引きずりながら逃げようとしていた。 「アタランテより長く駆け続けた。アイツは本当に速かった。何一つルールは守れなかった。アタランテになり得なかった。けど、あれは最速の可能性だった」 『アタランテになれないアタランテは――死にます』 罵詈雑言にありがとうを混ぜながら、彼女は自分の心臓を抉り出した。 『心臓を捧げます。アタランテ』 その殉教者の顔。 「それを誰にも。アタランテ自身にすら否定させねェ」 アッシュの話をフラットはきちんと聞いていた。 「そう。そして、彼女は強かった。一生懸命で――したたかだった」 想像していたより少し低く、穏やかで、どこかうつろな声。 フラットアタランテは、頷く。 「だから、彼女は生かされた。君達に倒されるまで。芽を摘んだのは、君達」 僕ではないよ。と、微笑むフラットアタランテ。 「君自身は、それほど速くはないね」 ついっとフラットアタランテは前に出る。 聞くべき話は聞き終わったと。アッシュの歩調に合わせて歩いていたのだということが知れる。 「興味深かったから、ちょっと寄り道しちゃった。アタランテ失格かな。浮気はしないから、君を殺したりはしないよ」 追いすがることが出来ない。フラットアタランテは歩いている。その背がどんどん小さくなる。 「それから、僕も長距離は嫌いじゃないよ。走ったりはしないけれどね」 骨格筋肉の動き体つき。 アッシュの観察眼をもってしても、男女の判別はつかなかった。 「じゃ、僕は追いかけっこの途中だから。君はその気があるならゆっくり来るといい」 ● 鷲祐の背中に鋭い痛み。 「君、結構速いね」 気がつくと横を、走っている鷲祐の横をこつこつとヒールを鳴らしてそれは歩いているのだ。 フラットアタランテ。 手には細身のナイフ。 想像より柔らかな微笑。少しだけ低くて、語尾が消えていく淡い口調。 「でも、追いついちゃったよ。残念」 今までのアタランテとは明らかに違う点。 圧倒的に速いこと。 かの『清姫アタランテ』も髪を引きちぎリ、爪を立てるのが精一杯だった。 鷲祐が囮を担当するようになってからその背に傷を許したのは、「人混みアタランテ」以外にはない。 吹き出す血は、青い背を赤に変える。 『アタランテに追いつかれた男は靴を差し出さなくてはならない』 なぜなら、そう決められたから。 衆生はそれを受け入れたから。 しかし、鷲祐は靴など用意してはいない。そんなことはちらとも考えはしなかった。 「これ、切り落としたら、致命傷かな」 切っ先が容易に分厚いコモドオオトカゲの尻尾の角質を切り裂く。 全力で振り切ろうとしているのに、フラットアタランテにはそれは片手間なのだ。 ぴったりと横につきながらナイフを振り回す。 鷲祐が用意したのは、りんごだ。 真実、アタランテはりんごを受け取り、その動きをつかのま止める。 『人混みアタランテ』 は、そのメソッドに殉じ、滅んでいった。 (悲劇のように) 差し出される一個目のりんごを受け取るアタランテ。 受け取った。 今まで鷲祐が差し出したりんごを無視続け、それゆえアタランテ失格と断じられた、滅んでいったアタランテ。 そして、ここに笑顔でそれを受け取るアタランテがいる。 「――俺を愛せ」 シャリと音を立ててりんごをかじりながら、フラットアタランテは微笑む。 「悪いけど、アタランテは男を愛さない。清姫を忘れちゃった?」 獲物を愛しすぎて、逃がさなくてはならない獲物も焼き殺した清姫。 逸脱した彼女は殺された。 「アタランテは男を拒むんだ。ジュリエッタはかわいそうだったね」 断末魔に訪れた恋に殉じた幽霊・ロメオのせいで滅びたジュリエッタ。 第一。と、フラットは歩き出す。 「僕より遅い男なんて愛せないな」 切り刻まれる。 それでも前へ。 さもなければ、路上で死ぬだけだ。哀れな求婚者たちのように。 ● 迎撃場所。 「わたしに言われたくないだろうけど、いろいろな人がいるのね」 『ならず』曳馬野・涼子(BNE003471)は、アークの一人。という以外の自分を見出せないでいる。 「そんな、他人だかお話のなかのひとだかになりたいなんて、わたしには分からない」 携えたりんごのつるりとした皮を指先でたどる。 千里眼で見据えている。 「トラブル」 潤んだ瞳が見開かれる。まだ、遠い。誰の視界にも入らない。 迎撃場所で準備していた仲間に警告する。 「鷲祐、負傷。アタランテがりんごの芯を投げた」 追いつかれたら、殺される。 今まで、一度として迎撃場所まで追いつかれたことのない男が、切り刻まれていた。 「多分、ここまで来られない」 涼子の存在は幸いだった。 そうでなければ、後から追いついたアッシュが、青い男の断末魔を見ることになっただろう。 「マア、ココマデハゴーカクッテコトニシテオイテヤラナクモナイ」 地面を蹴った途端に、それは黒い光となる。 『黒耀瞬神光九尾』リュミエール・ノルティア・ユーティライネン(BNE000659) も婉曲表現も上手になった。発音はまだおぼつかないが。 「ダケド、ナンカチゲエエナア。アレカ。女ジャアナイノカ」 二年前とは違う。今、アークの最速はリュミエールだ。 アタランテは最速の『乙女』 でなくてはならない。 アタランテの鉄の掟を犯す者は、死ななくてはならない。 でも、まだ誰も『彼女』 がそうではないと確かめていない。 だから「彼女」は、「フラットアタランテ」 いまだ崩されていない。彼女はどこまでも乱れのない『フラット』だ。 ● 「それもくれるのかい? それが最後のりんごだよ?」 アタランテが受け取るりんごは三つまで。 鷲祐は三つのりんごを手にしていた。 渡さなければ、鷲祐は死ぬ。 この瞬間死ななくても、次の次には積む。 だから、渡すしかない。 誰も鷲祐を助けられない。 彼はあまりに優秀な囮だったので、リベリスタ達は彼を単独でフラットアタランテの前に差し出してしまった。 あるいは、獲物を独り占めしたがるコモドドラゴンの性が災いしたのかもしれない。 狩人たちよ、忘却の代償を受けよ。 アタランテこそが、最上の人狩人である。 「受け取ったよ、三つ目。さすがにもう、受け取れない」 フラットアタランテの足元を黒い光が通り過ぎる。 リュミエールは、まさしく神速だった。 「――足、狙ッタンダガナ」 リュミエールのフラットアタランテのピンヒールの底部をきれいに抉り取っていた。 「危なかったよ。転んじゃうかと思った」 それでもアタランテは靴を脱がない。ここで脱いだら、アタランテではない。 まるでそこにかかとがあるように、フラットアタランテの姿勢は微動だにしない。 「私ヨリ遅い奴ガ、速い女を語ルンジャネエヨ」 九本の尻尾ごと地面に伏せるようにして、次に飛び出す間合いを計るリュミエール。 「君に、アタランテの啓示はないみたいだね。もったいない。そんなに素晴らしく速いのに。君は何をためらっているの? 最速の女の称号は欲しくはないの?」 人を殺して生きるなら、今でも代わりはないだろうに。 「――私ガアタランテを屠るモノダ」 そのようには生きられないから、その最速の女を屠って証しとしよう。 リュミエールの刺突から振り撒かれる金色の飛沫が辺りを埋め尽くす。 (――時ヨ世界ヨ総テヨ加速シロ私ハ誰ヨリモ速イノダカラ) ソードミラージュのためにと速度偏重であつらえられた短剣が幻像の刃を世界に知らしめる。 刃はフラットアタランテのスカートの裾を切り飛ばし、髪を切り飛ばし、無数の傷をその身に刻み付けた。ざっくりと抉られたわき腹からどぶどぶと血が流れ出し、腰から足を真っ赤に汚す。 「覚悟は決まったの? じゃあ、僕は――」 負った傷から蒸気が吹き上がる。 傷が癒えていく。再生者。 空気がぴぃんと小さな音を立てた。 フラットアタランテ以外の世界の全てが置いてきぼりを食らい、静止する。 金色の飛沫と血の珠が宙で静止する。 「生き延びることで、最速の証とするね」 口からこぼれる血を吐き出して、真っ赤に歯を染め、フラットアタランテは笑う。 静止する世界の中、緩慢にも思える刃の動き。 氷がリュミエールの頬を覆った。 アタランテは浮気をしない。氷に覆われていく鷲祐。 生きているのかそうでないのかリュミエールには定かではない。 感覚がなくなっていく。 まだ、仲間の気配はしない。 リュミエールが、最速であるがゆえに。 孤高であるがゆえに。 ● 「役にたったな、4WD」 転がるように飛び乗った車を駆り、アタランテの元にたどり着く。 ソードミラージュやそれに準ずるほどの足を持つ涼子はいざ知らず、綺沙羅とモニカは文明の利器を用いなければ戦場にたどり着く前に全て終わってしまう。 (アタランテ、か) そこに立っていたのは、高さが段違いになった靴を履き、体中傷だらけで、髪の毛をざきざきに切り刻まれたほっそりとした女の子に、劫の目には見えた。 ごく普通の生活を送っていた『停滞者』桜庭 劫(BNE004636)にとって、アタランテは聞きなれた夏の怪談だ。それと、これから戦うという。 (所謂、呼び名……称号みたいな物、って事みたいだけど。走り屋達の伝説……みたいなもんなんだな) その称号ごときのために、何十人というアタランテとその倍はいたアタランテ狩りとその数十倍の一般人男子が直接の犠牲となり、道を踏み外したアタランテ狩りなどの少女狩りまで入れたらどれほどの犠牲が払われたかわかったものではない。 「あれが実物に一番近いアタランテですか」 『デストロイド・メイド』モニカ・アウステルハム・大御堂(BNE001150)はいつもどおりの落ち着き払いようだ。 「感慨深いというより実感が湧きません。なにせ私は『実物』を過去に一度も目にした事がありませんからね」 あの日『人混みアタランテ』を見た者の中には鬼籍に入った者もいる。 「まあ人間は過去ではなく現在を生きるもんですし、今この目に映る光景だけを真実だと捉えることにします」 モノクル越し。 戦車を撃ち抜く対物兵器をむけなくては倒しがたいもの。 「その真実がどこまで評価に値するのかはまだ分かりませんがね」 戦闘速度で突っ込んでくるリベリスタに、フラットアタランテは笑う。 「悪いけど、女の子は眼中にないんだ。もう三つもらっちゃったしね」 受け取れないよ。 りんごを握り締めた涼子にごめんねと小さく言う。 「さあ、ここからエンドレスだ」 「“写してるだけの偽者”が、偉そうに最速語ってンな!」 車で乗りつけたリベリスタの反対側から駆け込んできたアッシュが、いかなるヒールもそこを狙うのは最後から二番目の箇所に「泣きべそ」を本気で泣かせた巨大な刺を突き立てんとする。 ここまで全力で移動しなければ、追いつけなかった。集中している暇などない。 もしも、そこを狙わなければ少しは当たったかもしれない。 しかし、アッシュの大振りなモーションではフラットアタランテをとらえられない。 「面白いことを言うね。アタランテ的じゃない者を『お前なんかアタランテじゃない』って狩ってきた人達が。そう言って、トリオやジョガーをやっつけてしまったんじゃないの?」 フラットアタランテの動きは、最小限だ。 大きなモーションはない。どこまでもフラット。 いつの間にか、リベリスタの眼前にいる。 まるで彼女を取り囲む全てのリベリスタと同時に踊るようなステップ。 手の届くリベリスタの数だけ踊るフラットアタランテ。 一番最初に倒れた者の所から包囲を抜けようとしているようだ。 「君達は何を求めてるの? アタランテ? それとは別の何か?」 フラットアタランテは明確な答えは求めていない。 混乱を引き起こす斬撃がリベリスタ達を襲った。 斬撃を放ち終えたアタランテをモニカの死神の魔弾が襲う。 戦車に大穴を開ける大口径を、フラットアタランテは間一髪で当たり損ないにさせた。 直撃は免れたものの、衝撃波だけで骨に至る威力。 急速に上げられた代謝による水蒸気が足元を隠すほど。 「冗談じゃない……死んじゃいそうに痛いな……」 そして、まだ立っている。 へし折れたヒールと反対側。ざぶざぶと流れ落ちる血液を止めるべく、千切れたブラウスの袖で縛り上げるフラットアタランテ。 「でも、まだ止まらないよ。まだ、殺しきっていないからね」 モニカに撃たれて転ばないアタランテは、これが初めてだった。 綺沙羅は混乱の渦から退いている。 本来なら視界に入った時点で詠唱を始めるつもりだったが、後手に回ってしまった。 いや、今はそれを考える時間も惜しい。 恐るべき速度でつむがれる詠唱に通常より速く術は収束され、革醒者を閉じ込める魔術の檻を立ち上げようとする。 「これが終わったら、影人を作るわ」 「お世話になります」 息継ぎの継ぎ目に言葉少なに交わされる会話。 (囮の鷲祐様は……まあ大丈夫でしょう。彼が倒されたらそもそもお話になりませんし) 数分前まで、モニカはそう思っていた。 他のリベリスタ達は、ちらともその事態を想定していなかったのだろう。 誰もが考えるのを放棄していた。鷲祐本人すらも。 大丈夫でなかったらどうするのか。 いかに速度に関しては他の追随を許さない鷲祐とて、一介のリベリスタである。 ましてや、事前に強敵だと念を押され、たった一人に8人のリベリスタを投入された作戦で囮を孤立させたのは、リベリスタ達の失策だった。 信頼は過ぎれば、過信となる。 ● 混乱から覚めてみれば、体は傷だらけになっている。 癒やしてくれる人はいない。 暗闇のその先、千里を見通す目を駆使しても、アタランテの動きを見切れない。 ならば、つかんで止めてぶっ飛ばすしかない。 いい加減ナックル代わりにしすぎてゆがんだグリップを握り締める皮手袋がぎゅっと音を立てて鳴った。「どいてくれないかな?」 「無理」 涼子の拳が青い軌跡を引いた。 体に染み付いた戦闘経験がいつの間にか涼子の拳の精度を鍛え上げ、いつの間にか達人の域に達していた。 後は無法の気迫が教えてくれる。殴るべきはあの部分だと。後はそこ目掛けて拳を突き出すばかりだと。 アタランテの顔を抉るように殴打したのは、涼子が初めてだろう。 (わたしの攻撃を囮にして味方に死角を――) まともに当たった。 (誰かが狙ってくれている) 涼子は気づいているだろうか。 いつの間にか、誰にもよらずと言いながら、誰かと連携して戦えるようになっていることを。 劫の音速を超えた処刑人の剣がフラットアタランテの細身のナイフとしのぎを削る。 かろうじて急所をずらすフラットアタランテ。 「どうしてアタランテに拘る?」 人を殺して生きねばならぬ必然性を劫は感じない。 アタランテの物語に飲み込まれていない人間は貴重だ。 「その気になれば、アンタにはアタランテとはまた違った伝説を作る事だって出来たんじゃないのか」 と、劫は純粋な疑問を問う。 「君はなにを言ってるの?」 きょとんとした透明な瞳が劫を見る。そこにあるのは純粋な困惑。 「それは、僕がアタランテだからだよ」 それ以外の何になれって言うの? フラットアタランテは、それに対する答えを求めていない。 「アンタが何で人を殺したのか、ちょっと確認したかったんだ。……その方がきっと、遠慮なくその首を刈ってやれるだろうから。じゃあ、行くぜ!」 人を殺して生きていくというのなら、その前に処刑する。 そうやって生きることを、劫はこの剣を手にするときに決めたのだ。 「完璧なアタランテになって、それからどうすると言うんですか?」 セラフィーナの放つ虹色の飛沫に、フラットアタランテは少し目を見張った。 「きれいだね。君のアル・シャンパーニュは、とても」 それでも、フラットアタランテの心はセラフィーナには墜ちない。 「もちろん、アタランテがするべきことをするよ」 アタランテは、男の命を糧として、その速さの極限を極め続ける。 「アタランテならここで死ぬのが正しいんですよ。本物もアークに倒されたのですから!」 「ごめんね。それは聞けないよ」 アタランテは去っていく。 アタランテは浮気をしない。 鷲祐の息の根を止めるまで。 折れてしまったピンヒールと、砕けてしまいそうな足首で。 追った男の息の根を止めにいく。 ● リベリスタ達に時間はない。 少しでも隙を見せれば、開いた穴から、すぐそこに倒れている鷲祐にフラットアタランテは止めを刺すだろう。 瞬撃殺を使わないのは、アタランテの攻撃は通常攻撃であるべきだという美学からだ。 そして、リベリスタの体がもたなかった。 アタランテの多重幻像剣がリベリスタ達を傷つけ合わせる。 「アタランテは最も速い『女』の称号。どんなに速くたって男の娘なんてお呼びじゃない」 綺沙羅の鴉がけしかけられる。 アッシュの狙いは、周到に核心の部分だ。 「アタランテ狩りの人はみんなそう言って襲い掛かってきたよ。『男なんてお呼びじゃない。早くくたばれ』 多分、アタランテの中でもかなり襲撃されてるね、僕は」 一般人の男性を襲うアタランテに継続戦闘能力は必要ない。 再生を保持しているフラットアタランテは、アタランテ狩りとの戦いに特化している。 「でも、僕、男の娘じゃないし」 フラットアタランテの破れた服。 引きちぎれた袖。赤黒い傷口 恐ろしく平坦なボディライン。それでも男と言い切るには問題があった。 「遺伝子上も女だよ。ちゃんと調べられたもの」 フラットアタランテは、肩をすくめる。 「ちょっと発育に問題があるのは許して欲しいかな」 すでに恩寵を磨り潰していたアッシュがアスファルトに沈められた。 「でも、おかげで僕はとても強くなったよ」 アスファルトに大穴が開く。 モニカによる砲撃は止まらない。 フラットをブロックしている関係上、四人のリベリスタが交錯する中、フラットの足だけを狙っているモニカの技量は桁外れといわざるを得ない。 紙一重で避けているとはいえ、すでにフラットの足は肉が盛大にこそげている。 「仕方ないな……」 フラットが動いた。 綺沙羅はまだモニカを守る為の影人を作り出せていない。 事態はあまりにも早く運び、万全の状態を作るには綺沙羅の速度が足りていなかった。 「鉄砲の弾が届くって事は、僕も届くってことだ」 フラットのナイフを前に、モニカに出来ることと言えば、急所を守り抜くしかない。 「殺しはしないよ。女の子だし。ただ、指一本動けなくなっててもらわないと危なくて仕方がないね」 盛大に上がるモニカの血しぶき。 「落第ダ」 その向こうから、フラットアタランテの死角から黒い狐が飛び込んできた。 「思ったよりも早かった」 「北国生マレヲ、ナメルナヨ」 リュミエールの髪には、まだ氷の名残がある。 盛大にお互いを切り刻みあう。 かたや、黒曜石が放つ金色の飛沫。 かたや、悪夢を呼び込む幻惑の一撃。 どちらも、ソードミラージュの真骨頂。 最高の技がかみ合いあった。 「――二連発カヨ」 「怖いな。君が守りに入ると、まともに当たらなくなるんだね」 共に、人が一度動く間に二度動いた。 そのうちの一回をリュミエールは防御に回し、アタランテは攻撃に回した。 当たり損ないの一撃で、リュミエールの体力は底をついた。 「守りに入っても誰も助けてくれないんだよ」 たった一人で戦うアタランテは。 ● リベリスタは追いすがる。 しかし、時間が掛かればかかるほど、フラットの傷は治っていく。 涼子、劫、セラフィーナの三人では抑えきれない。 綺沙羅は、歯を食いしばって影人を召喚し続けた。 しかし、作っても作っても、フラットあるいは混乱した誰かに影人は一撃で紙に戻される。 綺沙羅の魔力は無限ではない。 セラフィーナの刺突に涼子の膝が崩れたところで、綺沙羅は意を決した。 「鷲祐! 生きているなら返事をしなさい! 鷲祐!」 12歳の少女が、意識朦朧とした青い男を呼び捨てた。 「キサ達はもう戦えないわ! アタランテを退かせなさい!」 AFから引きずり出され、投げつけられる紙袋から中身が転がり出す。 綺沙羅が用意したピンヒール。 フラットがちらりとそれを見た。 「ふぅん。僕は、それ悪くないと思うよ。はいてたの、壊されちゃったし」 面白がっている。 殺してもいいが、生かしていた方が面白そうだ。 しかし、アタランテたる者、獲物は殺さなくてはいけない。 その靴を受け取ることは、フラットアタランテにとっても悪い提案ではなかった。 「鷲祐! みんなを生かしたければ――」 死にたくなければとは言わなかった。 この誇り高い男は命乞いをするくらいなら、自分で死んでしまいそうな気さえした。 ぎりっと綺沙羅は僅かばかり言いよどむ。 「アタランテに靴を贈って!」 (殉ずるは速さ。有り様は、神速――) 人は極限状態の最中、安息を感じるという。 (彼女を追い続けたこと。彼女らに愛され続けたこと。それは違えようはない) 鷲祐は、彼女らに捧げ続けられた生贄。餌。滋養。 弄ばれ、最後には打ち捨てられる者。 つかの間愛でられ、忘れられる者。 (それが、今の自分を作ったのなら) 同時に、アタランテを審査する者。 黄金のりんごを手渡す者。 あなたが一番速くて危険で美しい。 図らずも、鷲祐は持っている全てのりんごをフラットに捧げてしまった。 審判を終えた審判者はもはや不要。 生贄たる者の勤めを果たせ。 その胸のりんごにも似た心臓を捧げよ。 さもなくば。 (『最高速の権化』 アタランテではない何かに届く。真っ向から対する何かに。青は進め、だから) 断末魔の交錯。 死にたくないなら、変質しろ。 しかし、屠る者の席にはすでに黒い狐が座った。 彼女はアタランテの冠を簒奪する。 (――もう追うのも、狩るのもやめだ) その愛を簒奪し、踏み躙る者に。 アタランテが追わずにはいられない者にならなくてはならない。 「俺を愛せ、アタランテ。俺は、お前を愛さない」 求愛しながら差し出す靴は、まるで別の話のようだ。 「そういう台詞は、僕より速くなってから言うといいんじゃないかな」 だからこの言葉を贈るね。と、フラットアタランテは言う。 「『今日は、これで許してあげる』 あはは。今日の僕はついてるね。かわいい靴をありがとう」 あははははははははっ! その日、初めて、フラットアタランテの靴エンドが観測された。 「いない」 涼子は目を凝らす。 「リベリスタやフィクサード、エリューションのたぐいも」 神秘に属する者は、千里を見通す眼をもってしても見つけることはできなかった。 ● 後日。アーク・情報室。 アタランテとの戦いは終わらない。 それは、ネットの海の中で恒常的に続いている。 『「君には今の靴が最高に似合っているよ」 と言うと、靴を持ってなくてもアタランテを退けられる』 セラフィーナと綺沙羅は、そんな噂を投下した。 「いや、ねーわ」 「それはない」 「ぬるい」 「アタランテなめんな」 「そんなんで退くのは、アタランテじゃないから」 「それじゃシンデレラだし」 「ギリシャ神話どこ行った」 「そもそも靴エンド自体ぬるい」 「別物」 「でも、フラットの靴エンド成功」 「公式」 あっという間に噂の論点がずれていく。 「――これは、集団?」 モニターを見つめる綺沙羅とセラフィーナ。 「違う。これは――」 多数の個。 「どこにいんだよ、黒幕はよ――」 アッシュは、もどかしげに入力する。 『アタランテの噂を面白半分で広めるとアタランテに狙われる』 入力直後から反応が返ってくる。 「女だったらどうなんの?」 「いや、アタランテはそんなに関わってられないから」 「そう言うのあったら、別の奴でしょ」 「シンパみたいな?」 「古いよ」 「親衛隊」 「昭和の香り」 「アタランテ製作委員会」 「平成になったかなー」 論点がどんどん移っていく。 『アタランテの噂を面白半分で広めると、「アタランテ製作委員会」 に狙われる』 それが、新たな挿話。 ● 「フラットアタランテ」 「ありがとう、半脱ぎ」 「今まであそこまで傷入れられた狩人いなかったからな。女子と確認取れてよかった」 「ついに来た、完璧なアタランテ」 「まさかの靴エンド」 「ニューエイジキタコレ」 「狩人、油断したな」 「今までうまくやってたから」 「さあ、狩人を退けましたよ」 「負けた狩人は」 「ただの獲物だな」 「それで、『製作委員会』 だって」 「なんだかな」 「放置、放置」 「そもそもアタランテには無干渉ですよ、我々は」 「最近、介入多いなぁ」 「レースも終盤だからね」 「さあ、見届けよう。最後まで」 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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