●獣の吐息 その日は新島隆志にとって最悪の日になった。 はぁ、はぁ、はぁ―― ――は、は、は…… ――はぁ、はぁ、はぁ、は―― LEDの白色光の見下ろすフローリングのリビングに獣の吐息が弾んでいた。 鼻の奥をツンと突く強い鉄分の香りは彼にとって決して嗅ぎ慣れたものでは無かった。びろうどの絨毯のように広がる赤の領域は今夜、このマンションで『起きてしまった偶発的悲劇』の結末をまさに結論付けている。 「お、俺は悪くない……お前が、お前が……」 誰に聞かせる心算も無いその言葉はカラカラに乾いた喉の奥から絞り出された心からの吐露だった。どれ程醜悪であろうとも、彼は心からそれをそう信じるしかなかった。殺す心算なんて無かったのに、ぐるぐると頭の中を回転する重過ぎる事実が彼の脳髄の芯をハンマーで殴ったかのように痺れさせていた。 「俺は、俺は……」 瘧にその全身を震わせ、熱に浮かされたように呟く彼はふと家族の事を考えた。これが発覚すれば自分は会社を首になる、いや首になる所では無い。確実に刑務所に収監され、そうしたら妻はどうなる。高校受験を控えた娘は、時村物産に内定を決めた息子の将来は! いや、それ以前にまだ小さなあの子はどうなってしまうのだ!? 混乱し、汗ばんだ頭を掻き毟る彼の頭の中につけっぱなしのテレビの中から響くバラエティのひな壇芸人の軽薄な笑い声が滑り込んで来た。 どうすれば、どうすれば。 どうすればどうすればどうすればどうすれば!? 玄関の鍵が回る硬質な音が発狂しそうになる彼を現実に引き戻した。 「ただいまー」 響いた少女の声は――彼女が『部活を終えて帰ってきたタイミング』は。 まさに彼にとっても――彼女にとっても不幸を極めていたとしか言いようが無い。 (……もう、覚悟を決めるしかない……) 隆志は決して悪辣なだけの人間では無い。 しかし彼には『守るべきもの』があった。 他の何を犠牲にしても――いや、おためごかしは要らない。唯、自分はまだ『幸福でいたかった』。『いなければならないと思ったのだ』。 「おかあさん――?」 返答の無い母親を訝しむようにリビングのドアが開いた。 ショート・カットの少女が肩にかけるバッグにはテニスラケットが入っている。 隆志は朝の星座占いの結果が十二位だった事を思い出した。 それから自分の娘が中体連の県大会で準優勝した事も。 ●ブリーフィング 「……とあるマンションで起きた母子家庭の殺人事件。自宅のマンションで母親とそれから娘が殺害されました。別に神秘が絡む訳でも何でもない唯の事件は――現在警察により捜査が進められている所です。『幸か不幸か』目撃者は無く、その場を逃れる事に成功した犯人は心の底で事件の露呈を恐れながらも日常の中に回帰した……という訳です」 『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア(nBNE001000)の皮肉な口調にリベリスタは苦笑いを浮かべた。この世界で毎日、毎時間、毎分、毎秒のように起きる『事件』の全てにアークが関わる訳ではない。神秘ならぬ人の世の営みで起きたそれ等に首を突っ込む事は容易いが、時村がそれを認める事は無いだろう。それはアークの救える掌の大きさを大きく超えている――本来果たすべき役目を損ねかねないと言わざるを得ないからだ。 「ま、皆さんのお顔を見れば分かる通りです。 『本来ならばこの事件にアークの出る幕は無かった』。日本の優秀な警察が勝るか、彼の悪運が逃げ切るのか――この追いかけっこにリベリスタの出る幕は無いんですよ。でも、ですね」 アシュレイの言葉と共に――モニターに嫌な顔が大映しになった。 日本国内を統べる七つのフィクサード集団、国内主流七派が一角『黄泉ヶ辻』――狂気の集団を率いる最悪の男こそ、この黄泉ヶ辻京介である。 「――この方が関わってきたら、皆さんは放っておきたくはないですよねぇ? はい。残念ながらこの事件はこれで終わりません。これから第二幕が始まる……という訳でして」 「第二幕? 京介がどう絡む?」 リベリスタの問いにアシュレイは嘆息した。 「母子家庭とは言いましたが、被害者家族は二人では無かったんですね」 「は……?」 「ボーイスカウトの旅行に参加していた中学一年生の息子がもう一人。『彼は幸運な事に家に居なかったから事件との遭遇を免れた』。そして『彼は不運な事に黄泉ヶ辻京介と出会ってしまった』」 「一体ヤツは何を……」 京介には常に死と不吉ばかりが絡みついている。リベリスタの知るフィクサードの中でも最悪の一人である。『ゲイム』と称して『遊ぶ』彼とアークとの因縁は決して浅いものではないのだ。 「今回の彼のテーマは『善行ゲイム』。彼は少年に――三田龍次君に何処からか仕入れた『事件の真相』を告げました。母親が姉が――不倫相手に殺された事を、その相手は今でも平和な家庭生活を営んでいる事を。仮に司法に任せたとしても『死刑判決』が簡単には下らないという事を。或いは『逮捕すら無くその前の段階で逃げ延びてしまうであろう』という事を。 彼は提案したんですね。分かりますよね、内容は」 「復讐――」 「はい。ご名答です。自分が力を貸してやるから、男を殺そうと。妻も娘も息子も小さな娘も家族全てを全部殺そうと。人の世が裁けない悪を少年の為に裁くから『善行ゲイム』。ま、少年が『その後』どうなるかは京介様の次なるプラン次第なんでしょうけれど」 概ね合点のいったリベリスタは一応の確認をアシュレイに向ける。 「依頼はその『新島家』を守る――三田龍次に殺人事件を起こさせない事か」 「やり方は色々あると思いますけど、時間はあんまりありませんよ。 警察官を下手な形で巻き込めば相手は京介様ですし。京介様自身はそう戦う心算は無いでしょうが、仕掛けられれば話は別です。強行もそれ以外のアイデアも自由に駆使して状況を食い止めて下さい。 表の社会の事件がどうなるかはアークの関知の外ですけど」 或いは『彼』は自業自得なのかも知れない。 しかし、復讐のターゲットが全てを向くならばそれは…… 何が正しく、何が正しくないのか。リベリスタの任務に呪いを吐きかけるばかりの京介はだからきっと今回も――このゲームを楽しむのだろう。 「誰が、楽しませてやるもんかよ――」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年10月18日(金)23:35 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●ゲイム・スタート 夜に沈み、光の差し込まない街に暗い情念の影が蠢いている。 日常の裏側、非日常の入り口――多くの幸福な人間が『知る事は無く、知る必要も無い瀬戸際』に少年――三田龍次は立っていた。 「何だよ――アンタ達……」 絞り出したようなその声は心なしか枯れていた。 恐らく彼の口の中はこれから行おうとしている行為、即ち『正義と悪徳』にカラカラに乾いていた事だろう。剣呑な目で自身の目の前を塞ぐように立つ十人のリベリスタに視線をやった龍次は己の遂行せんとする行為の意味を重々承知の上でここにある。中学生の少年でもその位の分別はある。虚勢混じりに相手を『責めるような口調』になったのは彼が唯の人間であるという何よりの証明になっているとも言えるだろうか。 「京介ゲイムってのは実際問題よくできてるよ」 少年に応えるかのように、逆に独白でもしているかのように――十人の『妨害者』の一人、『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)が小さく漏らした。 「関わるもの皆が不幸になる悪意のサイクル。 お前が何を考えてそんな事をするかって考えるだけで――僕までおかしな人間にされそうだ」 かのフリードリヒ・ニーチェは『深淵を覗く者は深淵に囚われぬように気をつけろ』と忠告の言葉を残している。龍次に告げるようでいて、その後ろに居る『黒幕』を名指した夏栖斗の『恨み節』は決して他人事の風情では無い。彼の人生に刻み込まれた呪いと傷は『彼』によるものも少なくないからだ。 「死なせない! まだ――今回は手が届く!」 鋭い言葉を放った『折れぬ剣』楠神 風斗(BNE001434)に悲しいかな、龍次は僅かに身構えた。亡霊と呪いのように龍次の周囲をたゆたう『彼』の影は風斗にとっては最悪の辛酸の具現化そのもの。 (良く見ていろ――黄泉ヶ辻、黄泉ヶ辻京介ッ!) 国内主流七派『黄泉ヶ辻』を率いる首領は無軌道蒙昧なるトリックスターである。 彼の行動の判断基準はその大半が『面白いか否か』に左右される。組織としての『黄泉ヶ辻』と比すれば――例えば他首領、大規模な破壊を望む『裏野部』の一二三や己が権勢で日本を呑もうとさえする『逆凪』の黒覇等と比すれば京介の活動は『関わる人間の少ない小さなものに過ぎない』かも知れない。されどそれは見過ごして良い類の性質を伴っているとはイコールしないのが厄介だ。 「まるで子供みたいだよね。『遊び方の知らない子供』」 『ココロモトメテ』御経塚 しのぎ(BNE004600)の下した評価は恐らく正鵠を射抜いているだろう。 何の気無しに蛙の舌を画鋲で打ち抜く様に。 トンボの羽を毟ってしまうように。蟻の巣に水を流し込んだらどうなるのだろう? 規模の大小はあれどそこに在るのは純然たる好奇心、無邪気なる邪気。 「歪んだピーターパンみたいだね」 成る程、その言葉が何としっくり来る事か―― 『事件規模としてはリスクの割が合わない割に一般的リベリスタの心情的には何としてもどうにかしたくなる事件』を引き起こしてはリベリスタを引っ張り出す行為を京介とアークの双方は『ゲイム』と呼び、認知していた。京介に纏わる過去の不幸な幾つかの事件を経た今だからこそ。 そして、今夜もその『ゲイム』は始まっているのだ。痴情のもつれで家族を殺された三田龍次の復讐を手伝い、彼に『相手の家族を皆殺しにさせる』という、題してズバリ『善行ゲイム』なる理不尽が―― (感傷は無用。恨まれようと任務遂行。 京介はアタシ達が苦悩する姿を見たいのかもしれないが、そんな姿は見せてやるものか――) 揺らめく炎の瞳で前を見据え、薄い唇を噛み締める――努めて表情を変えない『ネメシスの熾火』高原 恵梨香(BNE000234)は確かに京介の意図を見抜いていたと言えるのだが、自身の暗い過去からフィクサードに並々ならぬ憎悪を燃やし、神秘の秩序を何よりも重んじる少女のその『緊張し過ぎたピアノ線のような空気』こそが彼を『楽しませるものになる』のを察しろというのは酷に酷が過ぎるだろう。 その赤い双眸で『敵』を補足した少女は触れなば斬れん程の覚悟をその全身に漲らせていた。 十月の夜気にフゥと紫煙がたなびいた。 「……仇討ちってのも判らなくも無いがな」 「神秘が絡むならば捨て置く事は出来ぬのぅ」 自身に比すれば若年の仲間達が放つ些か感傷的な空気に極々幽かな苦笑いを浮かべた『足らずの』晦 烏(BNE002858)、相槌を打って彼の言葉を補完した『陰陽狂』宵咲 瑠琵(BNE000129)――年長の二人は熱を帯びる場を一先ず落ち着けるような調子で言葉を投げる。 「悪は悪、復讐もまた復讐じゃ。此度の話に不要な演者は狂介ばかりとは思うがの。 のぅ? 力を借りれば邪魔が入る事は承知の上だったかぇ?」 「だから『仕事』だからねぇ、まぁ――生きるってのは難儀なもんだ」 目を細める瑠琵のその視線は童女のものには余りに不似合いだ。 嘆息した烏の言葉は恐らくはリベリスタ陣営と龍次と――ひょっとしたらば少年を介してリベリスタ達を見て、リベリスタ達の言葉を聞いている京介にも向けられたものかも知れなかった。 夜闇の向こう側から黒いセーラー服の少女が闇から切り取られたかのように現れた。 美しい少女である。しかし、肌の上を縦横に這うツギハギ痕は隠せない。濁った瞳は何も見てはいない。 『いい事言った。生きるのって大変じゃん。人生には幸福の二倍不幸がある。善意の二倍、悪意がある!』 『あるね、あるYO、あるってば、あるあるアッ、アッ、アッ、Yeah!』 血の気の失せた唇からは本来の鈴鳴る少女の声の代わりに軽薄な二種の声を届けていた。 「この――ッ!」 血気で顔を紅潮させた風斗が辛うじてここは踏み止まる。 一方で『少女』にある意味では最も縁近く、ある意味では最も縁遠い『閃刃斬魔』蜂須賀 朔(BNE004313)はややうんざりしたように大袈裟な溜息を吐いて心底からの言葉を吐き出した。 「動くだけの木偶を斬った所で興が沸く筈も無い。そろそろ君と直接戦いたいのだが?」 「なあに? おねえちゃんが俺様ちゃんと遊んでくれるの? 家族人形劇?」 「私はその良く喋る舌を胴体から切り離してやると言っているのだが」 妹――『冴』の死体を操作するのは京介のアーティファクト『狂気劇場(きぐるいマリオネット)』である。超遠隔射程を持ち京介の声を届け、視覚聴覚を通達し、精密操作で戦闘までをこなすウィルモフ・ペリーシュの傑作(しっぱいさく)は脅威そのもの。『蜂須賀に生きる』朔の場合『妹の死体を取り戻す』というウェットな感情等ある訳もなく、専らの興味はその京介自身に注がれているという訳だ。 「因縁つけにきました! よろしくね☆」 『はい、元気がいいね! 風の子だね!』 「二十五女子に風の子か!」 ヘラヘラと笑う『京介』と『うっちゃり系の女』柳生・麗香(BNE004588)が応酬を見せる。 「京ちゃんは空位のバロックナイツとか狙わないの? W・Pとお友達にならんのか~?」 『ツーか興味無いんだよねぇ。誰かの手下とか。黄泉ヶ辻は俺様ちゃんが王様じゃん? 飛行機乗るのとかなんか怖いし! 船はめんどくさいしさー』 『でも美人のスッチーでワオ! 何だZE!』 『今はキャビンアテンダントって言わないと怒られちゃうよ!』 げらげらげらげら。 「……京介さん、コイツ等が京介さんの言ってた……?」 状況の変化に戸惑いを隠せなかった龍次がここで漸く言葉を挟んだ。 『冴』は本来の彼女が凡そ取りそうもない『京介めいたポーズ』で彼に言う。 『あー、ごめんね。俺様ちゃん達ばっかりオトモダチトークしちゃってさ! そうそう、まぁ。これまでのあらすじ! ってこんな感じ。俺様ちゃん、確かに悪人だけどね。この子達はこの子達でぜんっぜん融通利かないワケよ。だから今夜も龍次ちゃんのお邪魔虫』 京介の台詞を遮るように『blanche』浅雛・淑子(BNE004204)が言葉を発した。 「彼にとってこれは只のゲイム。貴方を止める止めない以前の問題で、それは事実よ」 龍次の顔が引き攣った。 恐らくは京介はある程度彼に『ある程度きちんと神秘界隈の状況を告げている』のだろう。まともな神経の人間が黄泉ヶ辻京介と付き合える筈も無い。状況は少年がどれ程追い込まれてこの場にあるかを言葉以上に雄弁に物語っていると言える。 (微妙な『勝負』ね) 淑子は龍次の狙う新島家を背に魔眼で遠くまでを見通し、結界で『気休め』の一時を作り出す。 小さく頷いた彼女を確認したパーティはいよいよ煮詰まってきた状況をより一層引き締めた。 (黄泉ヶ辻の狂気は理解に苦しみますが…… 思い出すのは、あの日の糾未の言葉――彼女達と私に差は無い、と。 いえ、私は生まれながらに神の使徒(リベリスタ)。すべき事は常に、神秘に拠る悲劇の阻止。 ならば、分かっている。唯、粛々と遂行すべきが父の代行のみならば――) 『蒼き祈りの魔弾』リリ・シュヴァイヤーは詮無い思考を取り止めた。 目前の敵は畜生に劣る悪魔、そしてその悪魔に心かどわかされた哀れな子羊なれば。重い雨を落とす人の心を救うのが『使徒』が為すべき仕事なのは間違いないだろうから。 「さあ、『お祈り』を始めましょう――」 『――ゲイム・スタートじゃん!?』 かくて運命は回転する――声は全く同時に重なった。 ●ゲイム・プレイI 夜の住宅街に獣の気配が充満していた。 ツギハギの両手に妖気を帯びた得物を携え、弾かれたように飛び出した『冴』の斬撃を間合いの中で受け止めたのは――リベリスタ側がまずは抑え役に頼んだ風斗であった。 「まぁ――こうなるよな……ッ!」 歯を食いしばり、表情を歪めた風斗がその膂力を存分に振り絞る。 その双眸に強い意志を点す彼は、体ごと自身を押し込もうとする刃を辛うじて弾き退け気を吐いた。 「だが、三田は……お前の思う通りにはさせんぞ!」 一瞬の沈黙の間に風斗が思い描いたのは今夜の『最悪』である。 リベリスタ達が『善行ゲイム』の阻止に本部から下された指令は『黄泉ヶ辻京介を絡めた現況、三田龍次による新島家殺害を止める事』である。方法論が現場のリベリスタに一任されるのは通常と同じ。この状況を達成する為の手段は一に龍次自身に復讐を撤回させる事、二に龍次を『排除』する事。何れも事件の成立を未然に破壊する手段である。この状況下で当初目標としてリベリスタ達が選択した手段は当然の事ながらより彼等の思惑に沿う一つ目、つまり龍次の説得のプランだった。 (お喋りだけのゲイムにする心算は無いようだな――!) デュランダルを握り締める風斗の手に一層の力が篭る。 龍次と同時に『冴』が出現した時点で京介の思惑は知れていた。今夜の京介は『善行』をしている心算なのだから、それに水を差すリベリスタ側の動きに待ったをかけるのは当然の内か。 これを想定していたパーティはプランの中に説得の限界タイミングを設け、誰がどう動くかを決めていた。抑え役として『冴』との戦闘を不可避とするメンバーを除けば敢えて武装すら解除している。尤もコレは『最悪の事態を迎えた時』はアクセス・ファンタズムの機能を可とするアークのバックアップもあっての『やり方』ではあるのだが―― 「こちらで時間は稼ぐ! 頼んだぞ――!」 『わお、気合入ってるじゃん! 風斗クン!』 膨張した筋肉が軋みを上げる。壮絶な風斗と『冴』との打ち合いが鋼のビートを刻んでいた。 時間を稼ぐと言った彼が期待する未来は――敢えて言うまでも無いだろう。それからリベリスタの苦悩を、懊悩を嘲り笑うゲイムマスター――当の京介の方こそ『それ』を望んでいる事も。 「……」 唇を噛んだ恵梨香は敢えて言葉を発する事は無い。 彼我の思惑の糸がどう絡もうとも、リベリスタがしなければならない事は変わらない。 『善行ゲイム』のメインプレイヤーたる龍次は京介の操作で異能を得ている。とは言えパーティが本気で彼を殺す心算になればそれは十分に可能な程度の障壁にしかならないのだろうが。 「まず一つだけ確認させて貰いたいんだが――」 『冴』と抑えの一番手――風斗が激突する一方で、パーティに対抗する構えを取った龍次に烏が言葉を投げた。 「……邪魔をするのは一緒なんだろ!」 「そりゃまぁ、そういう分け方をするならおじさんはそっちの味方は出来ないけどねぇ」 噛み付くように言う龍次の勢いを受け流す調子の烏はマイペースを崩さない。 「必要な情報を揃えなきゃ、何が正しいかどうかも分からない。 おじさんは知りたいのよ。『何を理由にあんな胡散臭い男の言葉を信じたのか?』」 昼行灯を思わせるような調子で飄々と言う烏の眼光は鋭い。赤い覆面に隠されたそれは成る程――彼が踏んできた場数の質と多さを物語るには十分だ。彼のその『特別ないでたち』が京介の『胡散臭さ』に言及出来るものかどうかはさて置いて……ではあるが。 「……んだよ」 「……うん?」 「見たんだよ、この目で! フォーチュナって人を紹介されて……! 映像にはあの男に殺される母さんと、それから姉ちゃんの……クソッ……!」 『まぁ、状況を伝えるには一番手っ取り早い方法だよねぇ。外部出力はちょっと面倒だけど』 打ち合う『冴』が横合いから口を挟む。京介が事件に目をつけた経緯は分からないが、確かに多くの事件を探査する時、アークもブリーフィングで映像情報を取得する事はある。 「これは彼のゲイムなのよ。成立させる為なら、復讐心に水を差す情報を隠す位の事はするでしょうね」 「だって、でも――あの男が殺したのは本当なんだろッ!?」 「――――」 冷静に言葉を発した淑子も真実を知る故にそれに平然とNoを口にする事は出来なかった。 彼女の考え方は基本的に正しい。京介がゲイムを盛り上げる為に悲劇を恣意的に編集した可能性は誰にも否めない。怒りに打ち震える少年を煽る為に総ゆる手段を講じたのは恐らく事実である。 しかし、淑子に臍を噛ませる『厄介さ』は―― (基本的にこれは彼流の『善行』に過ぎない事、だわね) ――今夜の京介の仕掛けは『基本的に事実を基にしている』事である。 盗人にも三分の理とは言うが、普段の京介にそれは無い。しかし今夜に限れば『三分に釣りが出る程度には理屈がある』。 「正直、本懐は遂げさせたいなあ。新島対三田でランバージャックデスマッチすればいいのに」 半ば提案する気分でポツリと呟いた麗香の言葉ではないが…… リベリスタ自身とて『京介のゲイムそのもの』は兎も角、復讐の正当性に言及すれば論理と倫理の泥沼が待っている事を痛感している事態なのだから――多少の編集があったとしても、感情的にどうしようもない程に追い込まれている少年をその気にさせるのに『真実の映像(スナッフ・ビデオ)』程効果的なものは無いだろう。 「……成る程、な。都合のいい時だけ『組織』を使いやがる」 『だって俺様ちゃんシュリョーじゃん?』 『一番偉いYO!』 「まぁ、な」 苦笑い。 外部に確たる物証が存在するならばそれを根拠に法の裁きを薦めようと思った烏ではあったが、その『物証』そのものが黄泉ヶ辻に握られていると言うならばこれは些かの困難だろう。同様に彼は脳裏の片隅で沙織を説得してアークで物証を用意する方法も考えたが――アークは神秘の外には関わらないという原則論を捻じ曲げるのはこれはこれで骨が折れそうなのは確実だ。 「……ねぇ、三田君」 「退け」 「復讐に身を灼いて彼らの家族を殺したら結局君と同じような不幸が続くだけだよ」 「退けよ」 「僕も復讐をして誰かを殺したことがある。 結果はぽっかり穴があいただけだったよ。ただ手が血に塗れただけだった。 心の行きどころは何処にもなくなる。それは救いなんかじゃない!」 「退けって言ってるだろ!」 感情を爆発させた龍次の拳が夏栖斗の頬を強かに打ち抜いた。 堅牢なる革醒者の肉体を一般人の拳が傷付ける事は叶わないが、それは一般人が唯の一般人であった時の話である。京介の力が乗せられた強烈な打撃に夏栖斗の顎が上げられた。吹き飛びそうになる体を辛うじてその場に残し、アスファルトに血を吐いた彼はそれでもその道を開ける事は無かった。 (分かってるんだ。分かってるから……) 感情的にも見える夏栖斗の姿を静かに見守るのは恵梨香、そんな彼に小さな嘆息を見せたのはしのぎである。 「正直、しのぎさんには三田くんを説得しようがないんだよ」 夏栖斗をじっと見つめてから視線を切って――龍次をじっと見つめたしのぎの翡翠が揺れていた。 「誰だって自分の日常を壊されればその相手を憎むよ。それが大切なモノなら尚更ね。 私たちが言っている『復讐なんてバカな真似は止めろ』だなんて言えるのは所詮、第三者だから。 それを良く分かっている人だって、私達の中にも居るでしょう?」 しのぎの言葉をまともに受け止めるのは、まるで茨を抱くような行為にも等しい。 確かに彼女の言は手厳しい現実それそのものである。京介が手を叩いて愉悦する『リベリスタの美しい自己献身』はその実『自分自身の為』でもあるのは一側面の事実になろう。リベリスタがリベリスタとして生きてきた――生きていくからこそ架せられた十字架は彼等自身を蝕む呪いだ。確かに今夜のリベリスタ達は事件を止めるか、或いは龍次を救う為にやってきたけれど『救いを求める対象に自分自身さえ含む事を完全に否めるものばかりではない』。 しのぎはある意味で誰よりもそのエゴを知っていた。 自身の近くにあり、誰よりも痛恨と後悔を抱える人間を知っているからだ。 故に彼女の言葉は『説得』ではなく、自身の抱える重石を彼に伝えるばかりなのである。 「君のしている事は後に何も残らないんだよ。 君がこの一家を殺してしまえば、ただ命が三つ消えるだけ。 死ぬ事より辛い事があるって、今の君なら分かっているんじゃないかな。感じているんじゃないかな」 だから、そう―― 「本当に君の家族の仇を討ちたいって思っているのなら、殺しちゃダメだよ。 『今現在の三田龍次が抱える心の闇を、痛みを彼等にも共有させてやるべきなんだ』」 しのぎの言はある意味で復讐の仕方を教えてやるもののようにもなった。 彼女は復讐それそのものを止めてはいない。心の底から復讐したいと思うならば『唯、殺して楽にしてやるなんてナンセンスだ』と言っている。最後の手段を使うのは簡単で、それからでも十分だとまで言っている。 「……っ……!」 『結構頑張るじゃん、それとも大分甘さも抜けてきたって感じ?』 「――余所見はしないで貰いたいね!」 妖刀の切っ先に風斗が血色の華を咲かせれば、ここが好機と即座に踏み込んだのは『因縁をつけに来た』とまで嘯いた麗香である。 「斬っても堪えない相手じゃ面白くない―― アークもこれからいそがしくなるしー? 次のゲイムはお互いの命を駒にしたデッドオアアライブでよろしくって言いたいけどね――」 挑発と共に振り下ろされた魔力剣が破壊的な闘気の余波でアスファルトをバラバラと巻き上げる。獣のように跳躍した『冴』が電柱を蹴り、今度は麗香を強襲する。 「おっと――!」 言葉通りの心持ちか麗香はこれを『上等』とばかりに受けに出る。 その異能の大半を破壊力を高める事につぎ込んだ彼女にとって敏捷な敵は得意な相手とは言えなかったが、命賭けめいた猛烈な削り合いさえ彼女からすれば『本懐』なのであろう。 そして『本懐ならずとも』と言えば疾風怒涛の動きでこれに加勢する朔の名を挙げぬ訳にはゆくまい。 「全く――七面倒臭い事だ。これで沸き立てと言われても難題、酷が過ぎる」 吐き捨てるように言い、『葬刀魔喰』(いもうとのかたみ)を振るう姉は一切の加減がない。 元より加減が必要な相手でも、加減が出来る相手でも無いのだが――応酬の最中、合間を縫い長い黒髪を夜にばらまいて龍次にちらりと視線を投げた彼女が伝えた言葉は全く彼女を良く表していた。 「君に新島家の人間を皆殺しにする権利があるなら、私にも君を殺す権利がある」 「は……?」 「私の妹は京介君に殺され、今も見た通り彼に利用されている。その彼の協力を得て新島家を殺すなら、私は君を殺す」 「そんな理屈が――」 「――あるんだよ。君が唱える暴論はそういう類のものだ」 それだけ告げて目の前の敵に正対した朔はその実そんな心算は無かった。 彼女が優しい性質をしているからという意味ではない。正しく言うならば彼女はそのどちらにも興味が無かった。 「時に京介君。新島君が三田君の母親を殺した理由は何だね?」 『なあに? ははん、そこから疑ってるの?』 鍔迫り合いを続ける蜂須賀の姉妹。京介は朔の言葉を鼻で笑う。 『この世の中に不出来で不合理で不愉快な出来事が多いってのは知ってるでしょ? 俺様ちゃんが何もしなくたって誰かは誰かを殺すし、悪い事する奴は辞めないさ。そーゆーもん』 「ああ、知ってるよ。何せ君がピンピンしているんだ。 勧善懲悪の世の中なんて幻想だって事はね――実際問題、分からない程間抜けでないよ」 龍次を前に武ならぬ心で事態を解決せんとするリベリスタと、それを邪魔する京介――『冴』を死力で食い止めんとするリベリスタ。何より手早く為すべき正義(みたりゅうじのさつがい)を前に『一先ずは仲間を信じてその心を押し殺す』恵梨香も含め、形を違えた戦いは確かにこの夜に『ゲイムらしい』コントラストを描いている。 (……復讐の是非、教えに記されていない善悪は……私には分かりません。 もし私の両親が殺されたら、彼と同じ気持ちを抱くのでしょうか。 復讐は何も生まないのかも、分かりません…… 私もやはり、あの黄泉ヶ辻の少女達。普通になれず、普通に憧れる仇野達と同じ――狂っているのでしょうか?) ローテーションで敵の猛威を凌ぐのはパーティ側の作戦だ。 今、まさに問題の『冴』を抑えるリリは自身にそんな詮無い想いを問い掛けた。 愛する主は今夜もだんまり。答えは『リリの水面』には浮かず、しかし。 「――ああ、そうか」 しかし、彼女は今夜ばかりは自分の中に興った強い感情の正体をこの上ない程に『自覚』出来た。 「貴女とは、もっと話してみたかった。貴女を確かにもっと――知りたかったのです」 独白めいた呼びかけは『冴』に向けられたものだ。『冴』が彼女のなりで京介の言葉を吐き出す程に強くなる『感情』は間違っても震源地を疑わせるような類のものではない。 「この、胸の奥が煮え立つような感覚――これが怒りというものだとしたら。 黄泉ヶ辻京介、『私は』貴方が赦せない!」 凛とした宣告がゲイム・ボードを微かに揺らす。 『冴』の顔面筋で彼女が浮かべなかった表情を作り出した京介は「そうこなくちゃ」と意に介してすらいなかった。 ●ゲイム・プレイII 「確かに死者は何も思わず、何も語らない。 だが、お前を育てた母と姉の存在は、間違いなくお前という人間の中に息づいている。 お前の言動は、そのままお前と共にあった母と、姉との生活の中で培われたものだからだ!」 声を張る風斗は流れ落ちる血にも構わずに唯、三田龍次という一人の人間の身を案じていた。 「お前の母は、姉は、お前に『人殺しになってほしい』と願ったことが一度でもあったのか? 『お前自身を犠牲にしてでも仇を討て』と、そう教えるような人たちだったのか!?」 肩を震わせる龍次は叫ぶような風斗には答えない。 代わりに彼に答えたのは『冴』ならぬ『マンホールの蓋』であった。 「ったく、化け物が……!」 『冴』の目元は烏の加えた銃撃により潰されている。 これは京介の視界を塞ぐ為の実験であったが――京介は無機物を介しても状況を把握出来るのだから人間のパーツは単なる死体の一部に過ぎまい。リベリスタ側への対抗としてマンホールの蓋が浮いたのはある種のデモンストレーションのようなものに違いなかったのだろうが…… 兎も角、『冴』にリーディングを仕掛けた時、流れ込んできたものが無かった事を確認した烏はそれが『物体扱い』に過ぎない事を改めて確認する事となった。 (……どうする? 限界は近いか。しかし、まだ目はあるか) 京介は勿論、烏の悪態にも思案にも構わずに軽薄な演説を展開するばかり。 『出た出た。アーク名物、良くあるキレーな一般論。 前にも言ったけどさぁ、風斗ちゃん。大丈夫なの? ローカルアイドルちゃんとか、三白眼のキメラちゃんとか、孤児院の女の子達とか、気難しい委員長とか、そこでしつこく睨んでくる可愛いシスターちゃんとか……って相変わらず多いな。まぁいいや。そーゆー子がそーゆー目に遭ってもさ? 復讐なんて馬鹿馬鹿しいからしない訳? しないっていうなら取り敢えず俺様ちゃんがシスターちゃんで実験してあげようか?』 「煩い!」 京介を一喝した風斗は怒りを隠さずに更に言葉を投げかける。 「俺には言い切れるんだ。死んだ二人は、お前が手を汚すことを望んでいないと。 己以外に大切なものの無い――この京介には、理解できないだろうがな!」 『いいや、間違いだZE☆』 口の減らない京介は風斗の懸命の声をせせら笑う。 『俺様ちゃんは、俺様ちゃんも含めて大事じゃないのよ』 「お前は救うべき相手だ。何があっても――討伐対象なんかじゃないんだ!」 ――『戦い』は佳境を迎えていた。 (龍次が望んだ結果、狂介が操っているのなら己が意思で動く事を望めば解放されるじゃろう。 いや、先程の夏栖斗への一撃を見れば操作は『強化方面』程度に限ると見る方が妥当な位じゃろうな) 瑠琵は今夜の京介の仕掛け『善行ゲイム』の本質を慧眼で見抜き、確信していた。 つまり京介はそれが誰が見ても『善行足り得ない』という状況をルール違反と置いている。 三田龍次が心に不安定を抱え、リベリスタの説得を即座に振り切る事が出来なかったのは彼の精神が彼のままであるという事実を確実な状況にしていた。 一度は覚悟を決めたと言っても彼は唯の中学生の男子に他ならない。自身の拳、『冴』の猛攻を受けても身を挺して説得を続け、傷付きながらも実力行使を選ぶ事はないリベリスタに心を動かされた部分が無かったとはとても言えなかっただろう。リベリスタの言葉は生と死を間近に生きる者特有の重みを持ち、京介が隠さない『邪悪』は『善行』を語る彼がその実その対極にある存在である事を少年にも良く教えていた。 奇妙に誠実な京介は芝居の一つも打ちはしない。 篤実で誠実なリベリスタ達は必要以上に自らの想いを偽らなかった。 それは或いは夏栖斗や風斗程は感情的にはなっていない――瑠琵も同じであった。 「わらわが龍次に伝える事は一つだけじゃよ。 わらわ達は狂介が力を貸しているから介入出来るのじゃ。 お主が誰の力も借りずに復讐を為すのなら邪魔は出来ぬ。 リベリスタの弱みじゃが、敢えてハッキリ伝えた上で問おうではないか。 何故、犯人を死刑にする事や逮捕する事を諦めたのじゃ? 簡単ではない、困難だから、そう狂介に言われたからかぇ? 学生だから、力がないから、そんなものは言い訳じゃ! 真に復讐を望むのならその生涯を賭けてでも為せば良い。 何年掛かろうと犯人を追い詰め、罪を償わせれば良かろう。 それとも今日中に復讐を済ませてのうのうと生きたいかぇ? 今、あの男がそうしているように!」 研ぎ澄ませたナイフのような言葉は無遠慮で、しかし状況の本質を射抜いていた。 それが出来る、出来ないではない。三田龍次の復讐は彼自身のものだ。盤面のミス・キャスト――黄泉ヶ辻京介が退場したならばリベリスタにもまた出る幕はないのだから。 「私も同感だわ」 そして瑠琵の言葉は淑子が思うそれでもあった。 「もし、貴方が真に復讐を求め、真に復讐を諦めないというのならば――それは貴方自身の手で成し遂げなさい。 黄泉ヶ辻京介の――いいえ、誰の手も借りる事は無く。 三田龍次という人間の決断にどんな混じり気も生じさせる事はなく―― もし、借り物の神秘で人を殺めようとするならば――それは新島さんが犯した罪よりずっと重いわ。 どうしてもするというなら、ただの人として為しなさい。 何処にも、誰にも逃げ場を求める事も出来ない、唯一人の三田龍次として」 淑子は龍次の中にある迷いを彼の弱さにも取っていた。 もし彼がこの復讐を遂げたとしても――その罪業の半ばは黄泉ヶ辻京介が背負う事になる。真実は知れぬがそれをも含めて京介がこの行為を『善行』と呼んだ可能性はあるが、神秘界隈に生き、命のやり取りを行う者の立場から見れば『覚悟も無くそれを行う事が如何に歪であるか』は指摘せずにはいられない事だ。 聖鎧闘衣を纏い、敢然とゲイムの逆風に立ち向かう淑子は凛とした言葉以上に美しい。 「……っ……俺は……」 リベリスタ達の死力に息を呑んだ龍次は揺れていた。 それでも復讐の怒りは燃え盛り、されど吹き荒れる風にその炎は揺れていた。 されど、今夜という『ゲイム』がこの局面で大きく動かざるを得なかったのは―― 京介が言った『この世の不幸』故だったのだろうか? 「……っ、あ……ッ!?」 『冴』の猛攻に猛烈にやりあっていた麗香が崩された。ルビーの瞳が血の線を引いて倒れる彼女を映した時、心の撃鉄を上げたのは誰でもない――『ここまでは仲間の戦いを見守っていた』恵梨香であった。 「これまでだわ」 待てるだけは待った。さりとて、彼は決断に到る事は無かった。 「ちょ――待って――」 負傷した夏栖斗の声が虚しく運命の後を追いかける。 説得に揺れたとしても後どれ位で心の氷が溶けるかの保証は無い。仲間が、リベリスタが死亡しないとは限らない。つまり、恵梨香がハイ・グリモアールより銀色の弾丸を放ったのは――責められるべき判断であったとは言えなかった。 闇を引き裂く銀色の宣告は今夜の凪を些かも損ねる事は無く――龍次の心臓を撃ち抜いた。 誰かの慟哭は声も無く。 慟哭する事はなく運命を見守った者にも声はない。 「……恨んでくれて構わんさ、おじさん達はそう言う仕事さな」 静けさの中、烏の噛んだ安煙草の味が苦い。 『あーあ』 そして、軽々しく言葉を紡ぐのは煤けた空飛ぶマンホール。 京介は龍次の肉体を守る意味を持っていなかった。 『あーあ、自機がなくなっちゃった。もうちょっと楽しめるかと思ったのに』 『リベリスタちゃんの覚悟炸裂! カッコEネ! 焼き鳥で残念会? ねー、京ちゃん! ビールある? プレミアム!』 京介の操作する『人形』はその程度では全く問題ない。 されど、彼の操作ははじめから『生きている人間』であろうと『死体』であろうと区別はない。 『冴』であろうと『マンホールの蓋』であろうと大差は無かったのだから。 『取り戻しにむきになるかと思えばそれも無いし。飽きられたお人形じゃ次の主役は無いよねぇ。 まぁ、かくて黄泉ヶ辻きょーちゃんの悪行はリベリスタによって防がれましたって感じ? あー、そういやゼンコーだったっけ、どっちでもいいけどさ!』 退屈そうに京介が呟けば龍次と『冴』の体はごろんとアスファルトに転がった。 「黄泉ヶ辻京介、貴方という人は――!」 『お説教は懺悔室で聞きたいなぁ』 「……っ……!」 吐き気さえ催す狂人に神の使徒(リリ・シュヴァイヤー)は神ならぬ人が裁かねばならぬ存在を知った。 リベリスタ達が想いの丈をぶつけるよりも早く、『次』なんかに期待しないで。 京介は飽きた玩具を無価値なもののように――『冴』をリベリスタ達の前に放り出したのだ。 何処も見ない眼球が宙を彷徨っている。微かに鼻を突く腐臭は防腐処置の限界なのだろうか? 「……何て人なの」 押し殺した淑子の銀色の髪が汗で肌に張り付いていた。 ――これを屈辱と呼ぶ以外に何がある!? 空虚なる世界に拳を握り、脱力した夏栖斗は声にならない声で言った。 ――敢えて言うよ、黄泉ヶ辻京介。お前が僕にとっての『悪』そのものだ―― 何度でも言いたかった。この『悪』を壊せるなら、運命だってくれてやるのに。 朔の太刀がこの瞬間、お喋りなマンホールを絶ち斬った。 「弔い、手向け、仇。言葉は何でも構わん。 こと君に関しては闘争の欲求よりも首を取る事に注力する。 死者は何も望まぬが、生者は死者に花を送る。人間とはそういうものだ。 君が命がけの逢瀬に誘ってくれる日を一日千秋で待っているよ」 ――ゲイム・オーバー。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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