●首里城 本州では、既に秋を感じさせる涼やかな風が吹いているという。 もっとも、ここ沖縄では秋の気配などどこ吹く風、といったところだろう。南国の太陽は、常夏という言葉の意味を存分に知らしめてくれる。 だが、その沖縄でも一際強い熱気に包まれている場所があった。 「あ、あっ、くう……っ」 首里城。 那覇の街を見下ろす丘にある、琉球王国の政治と文化の中心地だった場所。古き大戦で炎上の憂き目に会ったこの城も、随分前に復元が行われ、壮麗なる朱色の姿を取り戻している。 その場所が、今は男女の快楽と苦痛と陶酔の声に満ち満ちていた。 「あ、あ、あ……」 「もっと、もっと……!」 首里城公園のあちこちで交い絡み付く人々の姿。薄く紫に靄の懸かったこの場所で、彼ら彼女らは社会を律する良識と理性とをかなぐり捨てている。 そんな狂気の宴の中に、時折『人でないもの』の姿があった。白き翼を広げ、ふわりと宙を舞う者達。 フライエンジェか? いや、違う。リベリスタやフィクサードがその姿を見たならば、アレはそんなに生易しい存在ではないと肌で感じたに違いない。アレはもっと、そう、おぞましくも美しいもの。 ――堕天使。 「よろしいのですか? ここまであの人間のために働いてやる必要もないかと存じますが」 「いいのよ、ネビロス。キースちゃんのお願いだもん。ちょっとくらい本腰入れてもいいじゃない?」 脇に控えた部下の問いをあっさりといなし、その女は腰掛けていた正殿の階段からゆっくりと立ち上がった。 長身だ。白い衣の背からは、他の者達と同じ白い翼。異形の竪琴を抱えた腕には、ぬめりとした大蛇が巻きつき、その頭をもたげている。 だが、彼女の外見印象を決定付けているのはそれらではない。百人のうち百人までがその視線を釘付けにするであろう、凄みのある美貌。紅玉の瞳と血に濡れたような唇が、彼女に向けられた眼を捉えて離さないのだ。 「キースちゃんの言う通り、無駄に人間を殺さない。それでいいじゃない? アタシはあの『ゲーティア』に逆らってはいないわよ。だからそれ以上は、アタシの気分次第」 鈴の鳴るような声を、ふふ、と美女は鳴らしてみせる。無論、事態は彼女が言うほど気楽なものではない。この事態を齎した淫靡なる靄は、首里城一体はおろか、いまや那覇の市街地にまで流れ出ようとしているのだから。 「万一来ないなら、まとめて殺して本気にさせてやれってキースちゃんも言ってたけど……でも、これだけやれば、まあそこそこは来るんじゃないかしら。その子達と遊んであげるだけ。簡単な仕事でしょう?」 「それはそうですが……アスタロト卿、なぜ貴女はあの人間にそこまで肩入れするのです。『ゲーティア』の契約があるとはいえ、あの程度の若造に全てを握られる貴女ではないでしょう」 そう問うネビロスに、女――アスタロトは艶やかな笑みを向けた。恋に突き動かされた少女のように、あるいは冷笑を肌の下に秘めた酌婦のように。 「そんなもの、キースちゃんがとってもいい男だからに決まってるじゃない?」 序列二十九位の大公爵は、いっそ堂々と言ってのけるのだ。 ●万華鏡 九月十日。 かの『魔人王』キース・ソロモンが宣言したその日。アークのフォーチュナ達が『万華鏡』の向こうに見たのは、全国各地に現われた、キース本人と異界の魔神達の姿であった。 正面衝突ではなくまずは様子見が目的であろう事は不幸中の幸いだったが、とはいえ無視して放置するわけにもいかないのだ。 「奴らが現われたのは、全国十数か所の城や古戦場。そのうち、一チームでは無理そうな場所が二つある。ビフロンスと、それから俺達が向かう沖縄のアスタロトだ」 ブリーフィングの進行役に駆り出された『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)が、モニタに映った蟲惑的な姿態にちらりと視線を飛ばした。怠惰と奔放、そして淫蕩とを司るというだけあって、リベリスタの中にも、その姿に感嘆の溜息を漏らしたものすら居るほどである。 「整理しておこう。キースの持つ魔道書ゲーティアは、どうやら魔神そのものではなく、その写し身を顕現させているらしい。その能力は召喚主たるキースの実力に拠るから……勝ち目がないとはいえない、というところか」 沖縄・首里城に現われたのは、ソロモンの悪魔、その序列第二十九位、大公爵アスタロト。オリエント神話のイシュタル、ギリシア神話のアフロディーテとも同一視される彼女は、高位の天使から堕天した存在だと言われている。 もちろん、序列二十九位とはいえ、地獄の七王の一人にも、三支配者の一人にも数えられるビッグネームだ。 「現地の様子はモニタに映っている通りだ。アスタロテは首里城に陣取って、人々を色欲に突き落とす紫の靄を振りまいている」 今のところ、アスタロトは人々に対してそれ以上の危害を加えようとはしていない。だが、そのままにしていれば、いずれ靄は市街地を覆いつくすことになるだろう。 「幸い、アスタロテはがっちりと守りを固めてはいない。むしろ、人間を侮っている節すらある。付け入るとすれば、その点か――」 フォーチュナから回ってきた解析結果を手に、しばらく考え込む霧也。やがて、これくらいか、と呟いて。 「少数精鋭で勝てる相手じゃない。だが、あまり大勢で押しかけて『本気』になられたら、相手が写し身といっても危ないだろう。だから、人数を絞り込む」 六十人程度。集まった敵の数と状況を踏まえ、それが彼の出した目算である。 「もちろん多少は前後しても構わないが、あまりに多すぎれば不利になる可能性もある。人数が必要そうなビフロンス戦に回ることも考えて、行き先を選択してくれ」 異界の魔神を前にして、どれ一つとして敗北の許されない戦い。 今こそアークの真価を見せ付けるときだ、と霧也は柄にもなく檄を飛ばしたのだった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:HARD | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年09月27日(金)22:49 |
||
|
||||
|
●奇術師サルガタナス/1 ねとり、と。 首里城の敷地に足を踏み入れたリベリスタ達を、纏わりつくような、湿り気を帯びた空気が出迎えた。 燦々と降り注ぐ太陽の光。未だ盛夏を思わせる熱気。 だが、那覇市街から程近いこの地を包む紫の靄は、明るい陽光すら遮って淫靡なる空間を作り出している。 「何だこの事態は……。意味が分からんぞ、まったく」 豊かな胸を恥ずかしげもなく剥き出しにして睦みあう若い女。その姿に殺意すら篭った視線を走らせて、なずなは腕輪に指を這わせる。 「だめだよ、八つ当たりしちゃ」 「……っ! 判っている! さっさと突破するぞ!」 あひるの声に、慌てて注意を前方へと戻すなずな。赤い壁――広福門はその扉こそ閉ざされてはいなかったが、リベリスタ達を排除すべく翼を広げた堕天使達が、木製の扉の何十倍も厚い障壁としてその姿を顕していた。 「腑抜けた一般人の救出は他の奴らに任せる……さあ、炎を吹き上げて無様に転げ回るが良い!」 薄い胸を一杯に張って腕を一振りすれば、彼らの只中で炎の華が咲く。その爆炎を斬り裂くかのように、眩い光が閃いた。 それは聖なる光。悪に負けない気高い光。 「多くの命を守るために……ここで食い止めるよ!」 くわ、と鳴かんばかりにあひるが叫ぶ。かつて天使であった者達を見据えるその目は、静かな怒りと悲しみとに満ちていた。 「痛みを知りなさい。優しかった頃の貴方達、思い出させてあげる」 リベリスタの先陣を切って進むのは、十名ほどの比較的大規模なチームである。天をも衝かんばかりに猛る彼女らの狙いは、未だ姿を見せぬ悪魔サルガタナス、そして大侯爵アスタロトへの道を開くため、広福門へと突き刺さること。 「折角の観光地だってのに……いやまあ、強い奴と戦えるのはいいんだけど」 背負うは漆黒の六枚羽。暗黒のオーラを身に纏いしフランシスカの手にした戦鬼の大剣が、敵を斬らせろと唸りを上げる。だが、彼女はまだ早いとばかりに、その得物へと闘気を集中させた。 「ま、さっさとぶっ飛ばして終わりにしてしまうか。さあ、道を空けろ! 黒き風車のお通りだ!」 ぶん、と一閃。紫の靄を塗りつぶすように、闇の波動が広がって堕天使を呑み込んだ。リベリスタの速攻に、空間が目まぐるしく色を変えていく。 だが、もちろん敵も黙ってはいない。お返しとばかりに炎の矢が降り注いだのを嚆矢に、剣を抜いた一群がリベリスタへと襲い掛かる。 「この先には行かせないよ!」 深く斬り込んできた敵にも慌てず。レースの裾をふわりと膨らませて迫るシャルロッテが右手を掲げた。たちまち掌に纏うのは、あらゆる苦痛を内包する呪詛の霧。 「狂いもがいて、倒れてしまえばいいんだよ」 目前の一体に狙いを定めて霧を放ち、苦痛の牢獄に閉じ込める。その程近くでは、後衛陣を狙って上空から急降下した堕天使を、フラウが迎え討つ。 「バーさんが色気出した結果がコレとか、マジ笑えないっすね」 至近で派手に激突しているにも関わらず淫らな振る舞いを止めようとしない人々にため息をつきながら、猫の瞳の少女がこの場に居なくてよかったと思わざるを得ないフラウ。正直辟易しているのだが、とはいえそれで剣が鈍る彼女ではない。 「うちらはうちらの仕事を果たすっすよ!」 最高速のギアに達した身体から繰り出される、目にも留まらぬ無数の刺突。光の筋にしか見えぬほどの剣撃が堕天使に吸い込まれ、人と変わらぬ赤い血を流せと強いる。 「悪魔や堕天使がどんなモノか思ってたっすけど、案外普通っすね」 「まったくだ。ゴキブリみたいにしぶといけどよ」 そう応じた瀬恋は、黒い鉄甲ひとつを供に敵陣へと殴り込む。地上に降りた敵の只中ならば、手当たり次第に殴り飛ばして問題ない――そう言わんばかりの暴風が、今度こそ沈めと堕天使達を襲うのだ。 「どけや鳥公! ラッパを吹くにはまだ早いぜ?」 立ちはだかる堕天使が構えた盾に、あえて拳を合わせてみせる。衝撃。ずん、と響いた圧力の前に姿勢を崩した敵、素通しの顎をぶん殴り、彼女は牙を剥いて吠えるのだ。 「ババァが年甲斐もなく発情してるんじゃねえよ!」 その挑発に激したか、振り回す拳の勢いが止まるのと同時に、何体かの堕天使が瀬恋へと殺到した。放置すれば血祭り間違いない殺気。だが、彼女は余裕を隠さない。 なぜならば。 「こんなエエ事しとんのに、わっしを呼ばんとはどういう了見じゃい」 「ちょっと、涎が垂れてるよ!?」 熱い視線を注ぐ先は若い男。格好いいシーンを一発で台無しにした仁太が、馬鹿でかい巨銃から弾丸の雨を垂れ流す。敵の密度ではなく、弾の密度をもって『撃てば当たる』と豪語するその弾幕が、肉と翼とを抉るのだ。 一方ドン引きの陽菜も、やるべきことは忘れない。淡く輝く剣の切っ先をす、と前方に向ければ、次々と撃ち出された光弾が頭上の敵へと食らいついていく。 「悪魔だからって効かないとは言わせないよ。露払いの役目、果たしてみせる!」 突入口を作り、そして退路を死守するという要の役割。味方の代わりに消耗を引き受けるというそれを正確に理解している彼女は、瀬恋だけでなく後方に続く突入隊を狙う敵をも牽制する。 「せやな。ここで止めんともっと酷い事になりそうやけん、止めさせてもらうで」 赤熱する砲身に構わず、仁太も射撃の手を止めることはない。無論、同じ結論に至ったのは彼らだけではない。例えば、恋人と肩を並べて弾幕を形成する木蓮がそうである。 「俺様達は尖兵であり殿だ。その役割、全うさせてもらうぜ」 スコープを覗く必要はない。狙いをつける必要すらない。彼女の直観ひとつで無造作に吐き出された弾幕が、敵の戦列を舐める。 「こんなものじゃない。悪いが更に堕ちてもらうぜ!」 蔦が這い葉が芽吹いた鹿の角が、さらなる鋭敏さを彼女に与えたか。眼鏡越しに見止めた敵を撃ち抜く木蓮の腕は、天性のものと言っていい。 「おっと、これ以上堕ちたらモノホンの悪魔になっちまうかな。手柄首というか、厄介というか」 「戦功に別段興味はない。そんなものは欲しい者に任せるとしよう」 若い連れ合いの冗句にむっつりと返した龍治が、古式ゆかしい火縄銃を構える。もっとも、アンティークなのは外装だけで、内部は神秘回路が埋め込まれた一流のアーティファクトではあるのだが。 「まずは、この作戦を成功させることだ」 狙いを定めて引鉄を引けば、火鋏に差し込まれた燻る火縄が火皿へと叩きつけられ、轟音を発した。だが、銃弾が射抜いたのは堕天使ではなく、陽光降り注ぐ天頂である。 「あの羽根はよく燃えそうだな、木蓮」 そして、空が燃える。 降り注ぐは神話の火矢。煉獄もかくやと思わせる業火が、堕ちてなお白き翼を持つ者どもを次々と貫いた。 「この戦いは青少年の皆さんにも推奨の健全な決戦よぉん。R指定は滅びよー」 ステイシーが棒読みでメタな台詞を口走っているが、あまり気にしてはいけない。 テイクツー。 「鉄屑混じりの情熱も、今はお休みねぇん。貴方たちに任せるわぁん」 今回は相棒と一緒ではないステイシーは、一般人の保護に意識を傾けていた。人数を絞った奇襲故、保護ばかりに手を割いていては味方の被害が大きくなる――だが、理屈では理解できても、それに納得できる者がどれだけ居るだろう? だからというばかりでもないだろうが、彼女達は明らかに守られていた。いざとなれば自分の身を囮にする覚悟だったステイシーには拍子抜けの感もあるのだが、それならそれで都合がいい。 「はいはーい、現実にウェルカムバァックよぉん」 代わりに放ったのはあらゆる呪詛と災厄とを振り払う浄化の光。だが、紫の靄に狂わされた一般人は、動物めいた交わりを止めようとはしない。 人を狂わせるこの靄は、おそらくはアスタロトが用いる領域結界の一種か。リベリスタには然程の効果は持たないとはいえ、この広大な敷地で膨大な人数に影響を与える力は、流石とソロモンの魔神と言うより他にない。 「まったくお盛んだね! 頭まで茹だってるかもしんねえけど、やるなら首里城の外だよ!」 そうと気付いた明奈が、力づくでの移動を開始する。怪我しないように配慮しつつちぎっては投げちぎっては投げ、とにかく戦闘に巻き込まれないよう広福門から離すことが彼女のミッションだ。 「そこのいいケツしてるねーちゃん、構わねえから乗せていけよ!」 同じく半裸の一般人を抱えた着流し姿の青年が、そんな彼女に呼びかける。伝法めいた口調のその男、甚之助が向かう先は、流れ弾が当たらぬように戦場から離して停めたトラック。荷台にぽいと放り込み、また危険地帯へと舞い戻るのだ。 「ありがと! 怖い感じだけど優しいね、お兄さん!」 「カタギの連中をきっちり守るのが、任侠ってもんよ」 命の張り方も色々ある。散弾銃を片手に血腥い戦いを繰り広げるのが常の彼であったが、いまはこれが必要だと肚に決めていた。 「白石部員、僕も手伝……うよ……!?」 前衛の治療に当たっていた美月が、明奈のもとに駆け寄った瞬間、真っ赤になってその動きを止める。ぷしゅー、と湯気すら出そうな様子。その原因は、治癒に専念しているときには目に入っていなかった、男女のあられもない姿である。 「あわわ、何だろうこの状況……。めめ、目に毒即死猛毒だよ!?」 甲高い声で慌てふためく彼女だが、そこは部長の威厳、頑張らないと、と思い直す。白石部員も、さっきからちらちら僕のことを見てるみたいだし――。 (守られて、心配までかけて。こんなんじゃ駄目だ) 目をぎゅっとつぶって人々を運ぶ彼女は、うへへ真っ赤になってる部長もいいなあムラムラするなあセクハラしたいなあ、などと煩悩渦巻いている明奈の本心など何一つ気付いていないのは言うまでもない。 戦場の片隅ではそんな光景も見られていたが、もちろん戦いは激しさを保ったまま推移している。姿を見せぬ敵将サルガタナス。だが、その配下の堕天使ですら、リベリスタの猛攻を受けて討たれた数は未だ片手で数える程度に過ぎないのだ。 「キースさんは~、律義なのかせっかちなのか判りませんね~」 間延びしたスローな口調と、タイトなスーツに押し込めた肢体。そしてその二つに見合わぬ光の速さを存分に活かし、ユーフォリアは戦場を駆ける。 「いきなり魔神フル解放は~、対処が大変ですよ~」 あまり大変そうに聞こえないのはさて置いて。高速機動から放たれた二枚のチャクラムが弧を描き、足を止めて詠唱する堕天使の死角からざくりと切り刻む。 「ふう、よくあんなに働けますね」 一方正真正銘スローモーなのは小路である。スピードが遅いというよりは何もかもが面倒くさい、そう全身で主張する彼女は味方に頑張ってもらうべく、あちらこちらと指示を出す。 「何が悲しくてわざわざ喧嘩売られないといけねーんですかね。あたしはゆっくりしたいのです。働きたくないのです。ああめんどくさい」 その指揮が的確なのがまた謎ではあるのだが、ともあれ小路の周囲のリベリスタの動きが見る間に良くなっていることを思えば、神でも悪魔でもあたしを働かせるのは許さないなどと考えていることも許されよう。 「ちょっと子供には刺激が強すぎる場所だよね、ここは」 背丈ほどもある大鎌を縦横に振り回しながら、沙羅は年齢に見合わない苦笑を浮かべてみせる。睦み合う一般人は男だけではない。彼の苦手な女性も多々いるのだが――今この瞬間は、戦いの高揚が照れを上回っていた。 「行ってよ、ヒーロー達。此処はボク等に任しておけばいいさー」 力任せに一閃、盾越しに相手を弾き飛ばすほどの衝撃を与えながら、少年は呼びかける。彼らの目的は、堕天使を殲滅することではなく、この場に突破口を開け、退路を維持すること。その目的に沿って、戦力を集中すればいいのだ。 「さ、楽しく戦争しよっか? その羽根もいでやるから覚悟しなよー」 「準備時間もあったんだ。今回も俺達アークが勝つ! テメーらをぶっ潰してな!」 俺のターン! と叫んだラヴィアンが剣を手の甲に滑らせ、血の流れる刃を高く掲げれば、燃え盛る魔剣の炎と同時に黒い血鎖が迸り、低い位置にいた敵を呑み込んだ。 「これが俺の魔法だぜ!ブラックチェイン・ストリーム!」 赤いプリーツを翻し、決め台詞は『天誅!』。勝気に胸を張る少女は、この瞬間、アニメの主人公にも負けないヒロインである。 「……左翼、敵の抵抗が薄い。押し込めるよ」 一方、同じ赤の衣装でも、恵梨香は淡々と感情を抑え込んでいる。冷静沈着であろうと努力するその様は、年齢に似合わぬ陰を、痛ましさを感じさせるのだが――とはいえ、そんな感傷を押し流すのが戦場というものなのだ。 「けれど、突出したらやられる。気を付けて」 「ありがとうございます。……それにしても、嗚呼、『世界』は本当に広いのですね」 堕天使。魔神。そして、魔神を従わせる者。 その存在の大きさにファウナは身震いを止められない。かつてラ・ル・カーナに在った頃の彼女は、バイデンほどに恐ろしい存在はいないと思っていた。だが、今ならばそれが、狭い世界の中でしかなかったと判る。 「けれど、守らなければなりません。皆さんが、ラ・ル・カーナを救ってくださったように」 弓弦を大きく引き絞り、天に向かって解き放つ。戦いと怒りとを知った彼女が放つのは、全てを叩きのめさんと降り注ぐ火炎弾。 「此の世界に居てはならないモノ達よ――去りなさい!」 おそろしくタフな堕天使達も、彼女らの勢いに押され、じりじりと下がっていく。比較的薄かった左翼に掛けられた圧力はじわじわと敵陣を蝕み、そして。 「堕天使を落とす……何か小気味が良いな。そうは思わないか?」 「ま、要はバケモンだろ? 慣れてるさ」 喜平が墓標じみた得物を珍しく本来の用途で構え、未だ妨害せんと飛び回る敵へとエネルギー弾を打ち込んだ。そして、派手に炸裂する『とっておきの一撃』を隠れ蓑にして、不可視の気の糸が縦横に乱れ飛ぶ。 「いいタイミングだ、流石は俺のフェザー」 傍らの恋人の賛辞を聞きながら、プレインフェザーは溜息をつく。腕力には自信のあるこの男は、それ故に前線に躍り出ては怪我をして帰ってくるのだ。そう、血の滲む包帯を巻きつけた、今この時のように。 「今回もあたしが守ってやる。一緒に生きて帰るぜ」 「やれることをやっているだけなんだがなぁ……」 彼らが開けた風穴が、敵の防衛線の破断線。左翼から広福門へと真っ直ぐに開いた道に気づき、誰かが今だと叫んだ。一杯に引き絞られた弓が快心の一矢を撃ち出すように、今か今かと勇躍していた突入部隊――あえて交戦せず消耗を抑えた――が駆け抜ける。 あとはこの場を守り抜くだけだ。誰もが安堵した、その時。 「ま、このくらいは通しておかねぇとなぁ」 喜平達の『後ろ』から、その声は聞こえた。 振り返れば、赤毛に人懐っこい笑みの、パンキッシュな衣装を纏った青年。 だが、その背に広げられた蝙蝠の翼を見るまでもなく、『こいつはヤバイ』。直感的にそう感じ取ったプレインフェザーが、恋人を守るように立ちはだかる。 「誰だよ、あんた」 「俺っちかい? 俺っちはサルガタナス。アスタロトの姉御の手下さぁ」 屈託なく名乗られた名前に、緊張が走る。悪魔サルガタナス。大公爵アスタロトの有力な配下にして、この門を守る堕天使を率いていると目される存在。通してやったと言わんばかりの物言いは、激烈な抵抗を知る身としてははったりに過ぎないと見当もつくが――。 「そろそろ真面目にやらなきゃ、姉御にお仕置きされちまう」 屈託なく言い放つと同時に、リベリスタに叩きつけられる強大なプレッシャー。突き出した掌をゆっくりと開く。 悪魔の名に相応しい恐るべき魔力が、敵対者へと向けられようとしていた。 ●大公爵アスタロト/1 広福門をくぐり、正殿へと至った突入部隊の面々。 彼らを待ち受けていたのは、『万華鏡』の情報通り、十数体の堕天使達。そして。 「サルガタナスもだらしないわねぇ。このくらい、自分だけであしらえなかったのかしら」 僅かな部位を隠すだけのあられもない衣装に、穢れのない白い翼。紅玉のように妖しく輝く瞳は、敵対者の目すら引きつけて離さない。 アスタロト。 ソロモン七十二柱、その序列第二十九位。地獄の大公爵にして、王の一人。 「まあ、キースちゃんは派手に騒げっていうし、丁度良いのかしらね」 「判ってんじゃないか! これは喧嘩だ、派手に行くぜっ!」 かろうじて巫女衣装かと見分けられる程度の布地を身に纏った御龍が、銜え煙草はそのままに飛び出した。肉厚の剣を振りかぶり、血気盛んに突っ込んだ彼女。狙うはもちろん、アスタロトの首一つ。 「攻撃力なら誰にも負けない! 前進あるのみ!」 「――控えよ下郎!」 だが、御龍の刃はアスタロトには届かない。代わりにそれを受け止めたのは、傍らに控えた長身の男、その鋭い爪である。 「こちらにおわすは地獄の君主が一人、大公爵アスタロト卿なるぞ! 貴様などが粗相をして良いお方ではない!」 その男こそアスタロトの配下として名高い悪魔ネビロス。開いた眼でカッと御龍を見据えれば、たちまち彼女の全身に想像を絶する苦痛が走る。 「ぐあああっ!」 だが、外道龍は倒れない。退かない。血反吐を吐きながら、二色の瞳は力を失ってはいない。 「龍は倒れぬ! 獲物を倒すまでは、絶対にだ!」 「ああ、そうだよな……!」 少年とも青年ともつかぬ年頃。幼さが残るかんばせを紅潮させて、レンは魔導書に自らの魔力を流し込んだ。呪文というよりは集中のためのキーワードを一言囁けば、彼の頭上の陽を翳らせる真昼の月が現われる。 ――俺が今、一番やりたいこと。俺が今、精一杯出来ること。 赤い球体が齎す不運の波動が、ネビロスや周囲の堕天使達を赤く染めていく。アスタロトを狙う人のために道を作る、そのために。 「……ここで好き勝手暴れられると思うな」 俺達アークがいる限り、お前たちの好きにはさせない! そう力強く告げた少年に呼応するように、わっと喊声が上がる。 「ふふ、まさか同郷との戦いとはな。血が燃えるぜ!」 魔王を称する山羊頭。アスタロトへと真っ直ぐ向かうノアノアに、『格上』への怖れはない。 「この私、最弱の魔王を舐めんじゃねえぜ!」 「ハッ、気でも狂ったか偽者め!」 頭上から嘲笑を浴びせる護衛を一瞥し、しかしノアノアはにやりと笑って見せる。偽者。紛い物。ああそうさ――それがどうした。 「本物の上に胡坐をかいて座ってる奴よりも、本物になろうと足掻く偽者の方が、案外強くなったりするんだよ!」 全身を振り絞った力任せの一撃。振るわれた先はアスタロトではなく道を遮った堕天使だ。だが構うものか。渾身の打撃が完全武装の敵を捉え、鎧の上から強かに衝撃を加えた。 「本当はソロモン君との戦いが目当てだったのだがな。いや、今更詮なきことか」 「小生としては、好みに合うか気になる処ではあるが。貴族様の狩りと戦いは違うよな」 ノアノアの後を、他隊の支援を受けたいりすと朔が続く。狙いは一気呵成の電撃戦。乱戦になる前、アスタロトがその力を解放する前にさっさと仕留めてしまおうという心算である。 「『閃刃斬魔』、推して参る」 使い手の血を啜るのにも構わず、彼女は妖刀を掲げて疾った。上段からの一閃。余りにも高速の斬撃は煌く光と化してアスタロトへと振り下ろされる。 だが。 「――っ」 「いい腕だけれど、キースちゃんとやりあうにはちょっと早いんじゃないかしら?」 びしり、と堅いものに叩きつける音と共に、朔の刃は虚空で止められていた。おそらくはマグメイガスの魔力の盾に近いもの。だが、今鳴り響いた音は、ひびの入る音ではなかったか。 「どうせ時間稼ぎは必要さ。『本気』になるというなら、それはそれで面白いけどね」 大小二本を構え、いりすが続く。無論、その攻撃はどれ程高速であったとしてもアスタロトの肌には届かないのだが。 「遊びに付き合うほど、飢えちゃいないが――本気になるなら、それはそれで面白い。さ、ヤろうぜ」 「お待たせ! 敵捕捉、射角補正完了、いけるよ!」 舌なめずりするいりす、だが戦いの妙味を独り占めできるほどの余裕はなく、追い立てるようにしのぎがコールするのだ。 「ココロ掴まれているのなら、力になりたい気持ちは判るけれど」 全国各地に現われた魔神の中で、ビフロンスとアスタロトの二柱だけは他の魔神よりも積極的に力を振るおうとしている。もしかしたら、アスタロトはキースが好きなのかもしれない――伝え聞く言動から、しのぎはそう解釈していた。 「でも負けられないよ。遊びじゃないから!」 「あら。アタシはいつだっていい男の味方よ。ただ、アタシはキースちゃん以上のいい男を知らない。ただそれだけのこと」 苛烈なる砲撃。またびしり、とひび割れの音。だがアスタロトは余裕の風情である。 血を塗ったかのように鮮やかなルージュ。にぃ、と描いた三日月は、まさにこの戦いが彼女にとって酔狂以外の何物でもないと告げるのだ。 「姉ちゃんはいい男の味方だってか。そうまで言われちゃ来ねェ訳にゃ行かねェな」 高速機動を旨とする剣士達が続く。雷帝の異名を持つこの男、アッシュもその一人。眼帯で隠されてはいない左目を爛と輝かせ、二振りの刃を手に疾駆する。 「だったらその身体に焼き付けやがれ――」 猪突猛進が身上のこの男が、じっとチャンスを待っていた。集中して、集中して、集中して――そうして見つけた針の穴ほどの隙を、雷迅の剣は逃さない。 「――真実最速にいい男の、一撃って奴をなァ!」 ぱりん、と。 何かが割れる音がした。それが意味することを察するのは容易である。つまりは、アスタロトを守る魔力の障壁が、オーバーダメージに耐えかねて消滅したということだ。 「力で言えば最上位に近い悪魔……こんな機会は滅多にあらへん」 殺到するリベリスタ達。その先頭を走るのは、オカ研として興味を隠せない組長こと椿だ。普段よりもクリアな思考は銜え煙草が齎したもの。あるいは自己暗示かもしれないが、それで動きがよくなるのならば文句はない。 「悪魔とはどんなんか、しっかり確認させてもらおか!」 懐のチャカには頼るまい。今この場で相応しいのは、真っ直ぐ行ってぶっ飛ばす心意気だと彼女は信じていた。 「させるか!」 「ちぃ、邪魔しなさんなドサンピンが!」 だが椿を止めるべく堕天使達が襲い掛かる。もとより数の少ないアスタロト直衛、しかもリベリスタが確実にブロックしている中で彼らにできる事は限られていたが、その牽制は階段に座っていたアスタロトを空中で逃がすには十分な時間を稼いでいた。 「グレさん!」 「十三代目!」 口々に呼びかける仲間達に、アホな呼び方すんな! と切れることが出来るあたり、まだ彼女の傷は浅い。 「ならば代わりに私が行くとしようか」 す、と爪を滑らせて血の雫を流すシルフィア。早口に詠唱すれば、薄い傷口がぞわりと波打ち、黒き縛鎖を迸らせた。 「写身とは言えソロモンの一柱。力を試す相手としては贅沢過ぎる相手だ」 普段とはかけ離れた人格を表に出し、眼を吊り上げてほくそ笑む。戦闘時のシルフィアにとって強い相手とは悦びでしかなかったから、反撃とばかりに放たれた火矢もまた一興。 「それにしても、あの男……ケイオスとは違い粋なことをしてくれる」 「い、粋ですか? うわぁ、あ、あんまり見ないようにしないと……」 状況を楽しむ余裕があるシルフィアと違い、真面目なセラフィーナは周囲の惨状に顔を真っ赤にしていた。目を背けてばかりじゃいけない、と覚悟を決めて振り向くものの、その両目はほとんど閉じられたままである。 「いけない、集中しないと……人々の気持ちを惑わす魔神め、覚悟しなさい!」 それでも愛刀を構えれば、雑念は消えて凛とした剣士の魂が残るのだ。二枚の翼でふわりと身体を浮かせ羽ばたき一つ、凄まじいほどの加速で打ち出された大業物が、堕天使の一角にざくりと斬撃を叩き込む。 「ああいう行為は、愛し合う人同士でないとダメなんです!」 「青春だねぃ、そういう青さは嫌いじゃないよぅ」 そう言い切ったセラフィーナに好意交じりの含み笑いを向け、それからアナスタシアは戦場全体をぐるりと見回した。遮蔽物のない広場に展開する、比較して少数の敵。後方から俯瞰すれば、敵将アスタロトは盾を失った丸裸の本陣だ。 「はふ、それじゃあたしも行ってみるとしようかねぃ」 堕天使達が皆リベリスタのブロックに入った瞬間を見極め、駆け抜ける。握り締める有刺鉄線のフレイルは、肉を削ぎ落とす殺人凶器。アスタロトにも引けをとらぬ肢体を弾ませて、褐色の肌の吸血鬼は白き魔神へと得物を振り下ろす。 「――嫌ねぇ、そんなものを女の子にぶつけようとするなんて」 だが、紙一重でその凶器を避けたアスタロトは、赤い宝石の禍々しく輝く竪琴を、血の色に塗られたネイルで爪弾いた。 「どうせ戦うなら、もっと優雅にやらなくちゃ。アナタも、そのキレイな顔を傷だらけにしたいわけではないでしょう?」 からかうように告げて、もう一音。美しいメロディを奏でる指が弾いたのは、異質な不協和音だった。びぃん、と耳障りな音が響き渡り――同時に、音の振動が空気を疾るインパクトとなって、アナスタシアを中心にしたリベリスタを襲う。 「ほら、アナタ達も。ネビロス、もうちょっとこの子達を上手く使いなさいな」 「――は、申し訳ございません、アスタロト卿」 律儀に返したネビロスが片手を振り上げ、身体の内側から食い破られるような苦痛を突如リベリスタ達に齎した。それを良いタイミングとして、一対一の交換状態に陥っていた堕天使達が一旦の交替を果たす。 「まいひめさんっ! うーにゃんさんっ! かいふくはまかせてくださいですっ!」 たいへんなやくめですががんばりましょうっ、と元気良く叫ぶミミミルノ。正殿に至ったリベリスタの中では珍しい回復支援役として、大きく編んだツインテールを振り振り、戦場に涼やかなる癒しの風を齎している。 「あーい、ミミミルノちゃんありがとー」 片手を上げて礼を言ってみせたウーニャ。その少し前では、金髪の少女剣士――舞姫が血路を開かんと黒き脇差を振るい続けていた。 「魔神やら堕天使とは、この程度ですか! ならば、おとなしく巣に帰ってちんけな契約でも結んでいなさい!」 大音声で呼ばわるは、いっそ明らかなほどの挑発の言葉。流石にほとんどの堕天使はそれに乗ってこないものの、舞姫の程近くに浮かんでいた一人のみが手にしたメイスで彼女に殴りかかる。 「……くっ、流石に一撃が重い……!」 黒曜の短刀で力任せに受け止めるも、殴りつける攻撃に特化したメイスが相手では分が悪い。だがその時、凜として宣言する声があった。 「偽りの天使よ――紅蓮の月光で地に堕ちろ」 視界が赤く変わる。天に輝くは血の赤に塗れた魔力の球。暫しの間だけ不吉の光を降り注がせる仮初の月。呪詛の月光は、挑発に狂った堕天使に滾る苦痛を味合わせるのだ。 「だってうーにゃんオトメだもん。いいオトコって放っとけないけど、こういうエロい遊びをおそとでやる趣味はないの」 また軽やかに言ってのける害獣ウーニャ。絶好のタイミングで仲間の支援に入った彼女は、舞姫ちゃんにどこまでもついていく、その覚悟を固めていた。 「ミミミルノたちのたたかいはたえしのぶたたかいなのですっ。まいひめさんっ、うーにゃさん、がんばってくださいっ!」 「ええ、頑張りましょう。ミミミルノさんも、ついて来て下さいね」 ネビロスの指揮により、アスタロトの周りを固めようとする堕天使達。だが、舞姫達露払いを買って出た者達の苛烈なる攻撃の前に、強い力を持つ彼らも押されるばかりだったのだ。 大公爵アスタロトが力の一端を示す、その時までは。 ●奇術師サルガタナス/2 「さあさ、これが戦争でゴザイマス。大胆不敵に痛快素敵、一心不乱の戦争デス!」 いまだ盛りの夏の熱気。だが半ば機械の身体には温度調整など不要とでもいうのか、ロングコートを着込んだ魁偉なる軍人アンドレイは、今日も処刑の大斧を振るう。 「軍人タルモノが早々に倒れるナド許されマセヌ。徹底して矛でアレ、そして我等に勝利を!」 翼を広げ戦場を闊歩する堕天使達。だがアンドレイの刃を、彼らは『判っていて避けられない』。無造作で躊躇のない軌跡は、それだけで敵対者の意表を突き度肝を抜くのだ。 「そんな特攻みたいな事はやめておくれよ。痛いのは怖いし死ぬのも怖い!」 一方背中を合わせる伊藤は、そんな勇ましい僚友ほどにはノリきれず涙目である。突入直後こそ、紫の靄に狂う男女に嫌悪の視線を送る余裕もあったものの、乱戦となった今では周囲五メートルに迫る敵を裁くことしか出来ていない。 「燃えろ燃えろ! 火は全てを浄化するって偉い人が言ってた!」 三白眼を死の恐怖に歪ませて、彼は鋼鉄の拳を天に突き上げる。駆動音と共に現われるのは無骨なる五連砲。天に向かって乱射された火箭は、重力に抗うことあたわず、雨霰と降り注ぐ。 「同志伊藤君、恐れず倒れず超衝撃的に戦い抜くのでゴザイマス――サァかかって来い! 遍く殲滅し尽くしてくれる!」 「挑発するなっ、怖いのは怖い! けど超頑張る、頑張るんだからなーっ!」 片腕の裾をはためかせてアンドレイが啖呵を切り、伊藤がまた目じりを滲ませる。騒々しく騒ぐ凸凹コンビに限らず、この場に残ったリベリスタ達は未だアスタロト配下との衝突を繰り返していた。ただ味方を送り届けるのみならず、退路を確保することこそ彼らの役目だからである。 (――天使に愛嬌は不要だ。必要なのは、使命を全うする力と意志) 「まあ確かに。可愛げのない天使といえど、こちらの方が随分ましですからね」 何気に愛嬌もありますし、やわらかく微笑む諭と、テレパスで会話し仮面の下に表情を伺わせないヘル。伊藤とアンドレイとは違った意味で、こちらも異質のペアである。 「しかし、ここまで来るとシュールですね。どんなに可愛い子でも、こうなれば近づく気が起きない――ああ、あなたのことじゃありませんよ」 諭が率いるは式神の一群。あえて直接は戦闘から離脱して準備に時間を掛けたのは、火力の集中という大原則を愚直に実行するためである。 「さあ、集中砲火を始めましょうか」 戦艦に詰まれていたという巨砲。そのレプリカを抱えた影人が、戦列を組んだ兵士のように砲火を放つのだ。 無論、堕天使達も『増援』を見逃さない。上空より飛来した火球が、諭ごと式神のいくつかを飲み込み、灰に還す。 (崩界を促す者は討ち滅ぼさなければならない。悪魔だろうが、天使だろうが――) その爆発の中から飛び上がった人影。翼を広げ、諭を抱えて宙に舞うヘルが何事かをつぶやけば、焼け焦げて爛れた彼の肌が瞬く間に健康な肌色を取り戻す。 (――如何なる犠牲を払おうとも、だ) 堕天使も、そしてリベリスタも、少なくない人数が既に脱落している。一般人の退避に手を割いていた者達も、戦況に押されるようにして参戦していた。ある者は唇を噛んで、またある者は割り切って。 「悪魔よ退きなさい。ここはゲヘナではありません」 清冽なる声が喝破する。神に仕えし聖女カルナにとって、堕天した存在は決して認めるわけにはいかない『悪』であった。故に、その瞳に慈愛の色はなく、その声に導きの柔らかさもない。 「貴方達の顕在してよい場所ではないのですから――!」 聖別の風が、満ちた紫の靄すら払うように吹き抜け、戦士達の気力を支える。決して潤沢に回復役を要しているわけではないリベリスタ達にとって、降り注ぐ彼女の癒しは貴重なサポートだった。 「サルガタナスだけを狙いたかったけど、どうもそれどころじゃなさそうだね」 トリッキーに空中を飛び回る敵将の翼は、自分と同じ黒い羽根。だが悔しげに睨んだのは一瞬、ウェスティアは黒い表紙の魔道書に手を当てた。 「いいよ、グラングリモアに記された悪魔達。私の黒本に記録してあげる!」 ぞわり、と魔力が渦を巻く。中心に立つウェスティアと、四方に流れる血の黒鎖。渦は高く天を衝き、空中の堕天使達を縛める。 「もらったよ!」 「ハッ、強気なお嬢ちゃんも嫌いじゃねぇけどよ」 真っ直ぐに迫る黒鎖を、サルガタナスは造作もなく叩き落す。整った顔ににぃ、と浮かぶ、悪戯めいた笑み。そして。 「俺っちは、姐さんみてぇなボン・キュッ・ボンが好みでな。もうちょっと成長してきなよ――明日ってやつがあればなぁ」 その右手に纏わせた黒きオーラをぶん、と振るえば、薄い帳となって遍く戦場を覆う。リベリスタ達の視界を、十重二十重の闇が覆う。 闇の世界? いや、そんな可愛いものではない。 「そんじゃ、大悪魔サルガタナス様のスーパートリック、味わってみな!」 ふわり、と身体を包む浮遊感。次の瞬間、視界を塞ぐ闇色の幕が溶ける。 「――! きゃあっ!」 リベリスタ達は一人の例外もなく悟った。サルガタナスの『能力』、伝承に残る『人をあらゆる場所に移動させる力』が、自分達をはるか空中へと『移動させた』のだと。 いかな超人とて、高々度から地表に叩きつけられたならば、ミンチとなる運命からは逃れられない。もとより翼を持つ者など、部隊の中でも極僅か。 万事休すか――。 「ハッハァ、俺っちはこの遊びが好きなのさ! さ、水風船になりな!」 (――ふざけるんじゃないわよ) だが。 次の瞬間、リベリスタ達が一斉に背の『翼』を広げた。そう、『一人の例外もなく』、遍く全てのリベリスタ達が。 (私の一族が守護する地で……やってくれたわね) 激しい怒りの意志が、サルガタナスのみならず周囲のリベリスタ達の脳内にびんびんと響いた。彼らが一斉に目を向ける中、残響の中心で大悪魔を見据える沙希の瞳には、普段の全てを包み込む諦念からは信じられないほどの強い力が宿っている。 (例え悪魔とて、ここで好き勝手をするなんて。……ええ、そういう人は好きよ。だけど) 翼の加護。 沙希とあひる、そしてファウナが仕込んでいたセーフティネット。カルナが危惧したように、サルガタナスが伝承通り平面方向の移動を強いることが出来るならば、どうして上下方向に出来ないと決め付けられるだろうか。 だから、沙希達は仮初の翼を消さぬよう注意し、しかも目に留まらぬように徹底して隠したのだ。アンドレイのコートで。ぐるぐのショールで。あるいは、ありとあらゆる衣装の下で。 (……不遜の極みね) 「――やるじゃねぇかよ」 眼下にはサルガタナスと堕天使達。確実に殺せる高さから落とそうと小細工を弄した大悪魔は、いまや有利な頭上から一斉攻撃を受ける立場へと転落していたのだ。 「気に入りませんね、キースも悪魔も」 黒一色の服装に流れる銀が映えていた。剣の鋭い切っ先と、赤い瞳の鋭い視線と。二つながらに突きつける要は、怒りにその身を震わせていた。 「戦いをさも遊びのように――命をさも玩具のように!」 助けられなかった記憶がある。悲しみにくれた記憶がある。過去の事件で喜の感情を奪われた彼女だからこそ、『遊び』で新たな悲しみが生み出されるのは我慢ならないのだ。 「もう無為に、命を散らさせたりはしません!」 それは聖戦の号令。弱き者を守るために戦うリベリスタ達を後押しする戦いの凱歌。彼女の宣言はいくつもの呼応で報われ、何人もの戦士達に今一度戦う意味を与えるのだ。 「行こうか霧也。七十二柱のそのまた手下、大安売りのバーゲン品に大きい顔をさせるわけにはいくまい」 「大口を叩くのは感心しないが――同感だな」 空中を舞うには短すぎるパンキッシュな衣服を翻し、碧衣が足下を指し示す。蒼い瞳に映る七色の虹彩は、論理演算の証か。霧也の返答に鼻を鳴らすと同時に全身から放たれた不可視の糸が、堕天使達の翼を貫く。 「いやーいいねえ、下の乱痴気騒ぎも気になるけれど、ちょっと今の光景もこのまま眺めたいっていうか」 リベリスタ達の比較的『下』で頭上を見上げていた和人が、心中をただ漏れにして呟いた。だが、女性陣(主にスカート着用)の殺気に命の危険を感じたか、慌てて手を振り打ち消して見せる。 「いや嘘ですよもちろん! さ、さて、真面目に仕事しますかね」 緩い物腰はそのままに、仮初の翼を羽ばたかせて加速する和人。盾を持たぬ右の拳に宿る鮮烈なる輝きは、悪を許さぬ断罪の光。周囲から浴びせられる反撃を避けることすらなく堅さを恃みに切り抜けて、彼はサルガタナスへとその拳を届かせる。 その目に秘めた苛烈なる鋭さを、他の誰にも悟らせぬままに。 「配下とは言え名のある悪魔なのだろう。妾の魔力を試すには丁度いい相手じゃ」 不遜なる物言いのシェリーは、しかし自分があの悪魔には到底届かぬと知っている。それでも不敵に笑ってみせるのは、届かぬと知っていて自分の魔道を試さんがため、そしてもう一つ。 「あれもまた写し身でしょう。でも、それだけでこれほどですか……」 退くわけにはいかないのですね、と不安げに呟いた辜月が、シェリーの手をぎゅっと握っているからだ。シェリーさん、頼りにしてます――そう少年が、見下ろすように金の瞳を向けるなら、少しは安心させてやらねば嘘だろう。 「期待するがいい。強大な敵を倒すために妾は魔道を研磨し続けてきたのだ」 「無事終われるように頑張りましょう。とりあえずは、攻撃を止めないこと、ですよね」 サルガタナスの奇手を逆手にとって得た優位。だが、もともと戦力は拮抗していたのだ。敵将が『やる気』になった分、この勢いを逃せば今度はこちらが追われる番だろう。 「……っ、いけない、攻撃が止まってしまう」 「ならば辜月! 妾の一撃で流れを呼び込むぞ」 シェリーの周囲を取り囲む積層立体魔方陣。巻き起こる魔力の流れに思わず手を離した辜月に意外なほど柔らかな微笑をくれて、彼女は銀光の弾丸を解き放つ。 「さあ、畳み掛けてしまいましょう!」 少年の呼び声に反応したリベリスタ達が、先を争うようにサルガタナスへと殺到する。指揮官を倒せば勝つ――その原則は、悪魔相手とて変わるまい。邪魔をしようとする堕天使達は、舞姫やウーニャ達がしっかりと止めていた。 その先鋒となるのは、虚空に蒼銀の軌跡を描くリセリアである。 (この戦いの前に、ラ・ル・カーナに行けてよかった) あの『戦士』を思えば、無様な戦いをするわけにはいかないのだ。あれが敵。あれこそが『私達の敵』。 (私達は、勝ってみせる。見ていられるのなら――見ていてください) 加速する。蒼く帯を描いていた残影は、光の粒へと形を変えていた。 「在るべき世界へ帰りなさい。この世界は、貴方達の居るべき場所ではない!」 無数の斬撃。そのまま斬り抜けたリセリアの後に、猫の尾を生やした(外見上は)勝気な少女と、それよりは歳を経た大柄な女が続く。 「まさか御伽噺で聞かされた悪魔と対面する事になるとはのう、恐ろしい魔道書が実在したものじゃ」 舞うように双の扇子を閃かせれば、周囲を彩るカレイドスコープの幻影。翼のない種族とは思えぬほどに仮初の翼を使いこなし、澱みない連撃を叩き込む。 「知っとるかえ? お主の名前、日本だと結構間抜けじゃぞ?」 「ハッ、知るかっての!」 サルガタナスが黒い翼を大きく振るわせれば、範囲を絞った闇の波動がレイラインを包むように放たれた。だがそれも長くは続かない。視覚から身体を滑らせた七が、二振りの爪で大悪魔の背を強かに引き裂いたからだ。 「堕天使に悪魔かぁ、まるで物語の中みたいな光景だね……」 どこかずれた台詞を吐きながら、彼女は更なる一撃を見舞う。だが、彼女の爪をひらりとかわした金髪の青年は、にやけた笑いを貼り付けたままだ。 「残念でした……っと!」 「……っ! 消えた……?」 七の前で忽然と姿を消したサルガタナス。伝承によれば、彼には人を透明にする能力があるという。他人を透明に出来るのであれば、自分に対しても可能だということは自明だろう。 「何処にいる……?」 近くに気配は残っていないと直感し、耳を澄ます七。それに倣って何人ものリベリスタが神経を張り詰め、その存在を探る。だが、その甲斐もなく、周囲でぎゃっ、という悲鳴が起こった。 「なりませぬ。サルガタナス様を放っておけば、被害が……!」 悲鳴のように叫ぶシエルの懸念を実証するかのように、次々とリベリスタ達、それも堕天使のブロックに気を取られている者達が傷を負っていった。 「対症療法ですがやむを得ません。沙希様、光介様……!」 「はい、ここに!」 信頼すべき仲間の名を呼ぶシエルの下へ、仮初の翼を付与し直していた沙希と、そして羊の角を生やした少年――光介が集う。 「正直、興味があります。召喚とはどういう魔術なのか。悪魔はどんな力を使うのか。もっと見ていたい」 そう懺悔するように告げる光介は、無論彼我の力の差を知っている。知っていてなお、怖れの中に熱意を隠せないのだ。人を癒すことだけを望んだシエルとも、知らず力を身に付けてしまった沙希とも違う、魔術探求の系譜に繋がる故に。 「けれど、それ以上に、ボクは――」 誰かの役に立ちたい。皆さんの役に立ちたい。 そう告げる少年にシエルは優しく微笑みかけ、鈴の様な声で詠唱を紡ぐのだ。 「遍く響け――」 「癒しの歌よ――」 後を追いかける沙希の連唱。そして、光介にも最早迷いはない。 「聖なる律よ――」 シエルの護符が、沙希の万年筆が、光介の眼鏡が淡く輝いた。光芒三陣の誓約――異なる出自を持つ三人の癒し手による聖唱が、姿を消したサルガタナスの攻撃によって崩れそうになっていたリベリスタ達を完全に立ち直らせて。 「……そこ。あそこに、いる……!」 チェーンソーを唸らせる羽音が、虚空の一点に向けて飛び掛った。小柄な少女にはおよそ似つかわしくない凶器であったが、E能力者の外見と能力が一致しないことなど珍しくもない。 「変なことは、させないっ」 雷のオーラを纏った得物を確信をこめて振るえば、『何もない』はずの空間に血の華が咲いた。やがて、ゆっくりと姿を実体化させるサルガタナス。 「チッ、やるねぇお嬢ちゃん。流石の俺っちも驚いた」 「なら、早くこの国から出ていって!」 もつれ合う二人。離脱しようとするサルガタナス。だが、その背後をカソック姿の神父が襲う。 「戦う方に集中しなよ。僕が来た以上、好き勝手はさせない」 闇の残影を後に残し、吸血鬼の真祖と化した不良神父が飛び掛って牙を突き立てた。そのまま抉るように噛み千切れば、無残な噛み傷からだらだらと流れる赤い血。 「ちょっと面白い図だよね、不良神父と元天使の殺し合いだなんて。さ、言い残す事は? お祈りでもしてみる?」 「ナマ言ってんじゃねェよ人間。こんな『端末』ごとき相手でいきがるな」 舌打ち一つ、更に高く飛び上がるサルガタナス。この場に在るのは完全な実体ではないとはいえ、不利を悟った以上、さしもの彼も玉砕まで付き合うことはない。 「大体、ネビロスと違って俺っちは、戦いじゃなく地上の人間共に快楽を与えるほうが専門でなァ!」 「それは要らぬおせっかいよ。あんな人としての理性を失った様が幸せだなんて、到底思えないわ」 マスケット銃を構えたミュゼーヌの傍には、彼女と仲間とを癒し続けた三千。経験に似合わず気弱で怖がりの彼は、しかし危地に飛び込む彼女の傍を決して離れることはない。 「そうですね、自分たちで幸せになろうって思うから、幸せなんですものね」 押し付けられた幸せじゃ、ほんとうじゃありません――そう言い募る同い年の愛しい少年に頷いて、鋼の脚の令嬢はふわりと翼に身を委ねた。 「ええ、行きましょう、三千さん。悪魔の誘惑など跳ね除けに!」 ばさりと大きく羽ばたけば、気流の流れに翼の推進力を銜えて加速する。ついて来れなかった三千を引き離してしまったと、ミュゼーヌは気配で感じていたが――止まらない。恐れない。 「心はいつも傍にあるの。だから、何も怖くないわ!」 機械の身体からもエネルギーを流し込んだ長銃身のマスケット。その銃口をぴたりとサルガタナスの額に押し付けて――零距離から引鉄を引いた。過負荷を掛けられ限界まで段側を増した銃撃が、大悪魔の頭の右半分を消し飛ばす。 「跪きなさい。まだ足りないなら、胸も足も撃ち抜いてあげるわ」 「へ、へへ……流石に十分だナァ」 頭部の半分を失って、しかし未だ命を手放さないサルガタナス。写し身であることに間違いはないだろう。ならばこそ、写し身ですらこの強さという事は、彼らの心根を寒からしめるのだが。 「まあ、あの人間への義理は果たしたさ。姐さんもそろそろ気が済んだかね」 そう呟いて。 次の瞬間、黒翼の悪魔とその配下は、忽然と姿を消した。 「消えた……逃げたというのですか……? いや、まさか!」 顔色を変える三千。次に彼が語った予測は、敵を撃退し安堵するリベリスタ達に驚愕と焦燥を与えたのだ。 ●大公爵アスタロト/2 一般人は見捨てると決めていた。気に掛けるほどの余裕がある戦場ではないと覚悟していた。それでも杏がそうと口に出してしまうのは、一抹の後ろめたさがあったからではなかったか。 「ここは自分に任せて、任務を果たせ」 だからウラジミールのその声は、或いは福音ではなかったか。専門でやろうって人たちに任せるわ。そう言い捨てて、彼女は『電気』の翼を広げる。 「っていうか、露出と楽器と翼って、アタシとかぶってんのよね!」 激しい羽ばたきは魔力の渦を呼び、凍てつく風は堕天使達を、そして迎撃を指揮するネビロスを巻き込んで翻弄する。 「大将首を取るのは、若い奴らの役目だろうさ」 「ふむ、違いない」 俺の役目はそれをサポートしてやることさ、と男臭く笑んだソウルに、ウラジミールは流れ矢をハンドグローブで叩き落しながら頷いた。 「それに俺達は、アイツの相手もしてやらにゃきゃならんしな」 長大なパイルバンカーでソウルが指すのは、肌も露な女悪魔。どのような状況でも惑わされはすまいよ、と応じた壮年の軍人に、彼は決め台詞を言ってのけた。 「男が溺れるのは、てめえの理想ってやつになのさ」 「いずれにせよ、相手にとって不足はない」 そう言って、欲に呑まれた一般人を二人は放り投げていく。一方、その若い連中は、果敢にネビロスへの突撃を仕掛けていた。 「ボトムを好き放題にさせてたまるものか。ヒトを侮るな、慢心が身を苛むと知れ」 極端に癒し手の少ない対アスタロト部隊で、雷音は貴重な回復役。それでも、今は敢えて攻めに転じるのが機知と思い切り、彼女は幾枚もの符を契機良く宙に撒く。 「三千世界の烏よ集え! 星よ凶事を占え!」 空を埋め尽くす無数の鴉が、濁流の如くネビロスを飲み込んだ。本でしか見たことのない悪魔。だが雷音は躊躇しない。そして、決して油断することはない。 「――もう二度と」 近しい人達を失いはしない、と決めていたから。 「汝ら悪魔、在るべき場所に還るべし! 道を忘れたならば、案内して差し上げましょう」 闇色の鴉の中を突っ切っていく生佐目。その手に握る長剣が、彼女の手の中でぐん、と伸びた。それは魔術的な液体金属。生佐目が臨むままに姿を変える黙示の魔剣は、質量を誇る大剣へとその姿を変える。 「今一つ土産が思いつきませんが、腕の一本でも持って帰れば、自慢になるでしょうかね」 「『栄光の手』かね。それも不遜だ。人間などに扱えるものとでも思ってか」 狙うはネビロスただ一人。気付いた敵手もまた、翼を広げ指先に赤い光を灯して迎え討つ。交錯。すれ違い様に振るう得物は、速度と質量の方程式にありとあらゆる呪詛を加えた必殺の剣。 「……如何ですか、人の悪意というものは。意志を以て叩き付けられる悪意というものは」 貴方たち悪魔より、悪魔的だとは思いませんか。強かな一撃を加えた彼女は、人間の強さを認めない大悪魔を嘲笑う。 「あーっ、独り占めは駄目だよ! ネビロス、灯璃はキミと戦いに来たんだもん!」 鎖に繋がれた双剣の銘は、赤伯爵(ベリアル)と黒男爵(ネビロス)。執事然としてアスタロトの護衛を取り仕切る悪魔へと、灯璃は勇躍、同じ銘を持つ得物を投げつける。 「此処で逢ったのも何かの縁――黒男爵に喰われて灯璃に使役されな!」 「大口を叩く!」 軽口を利きながらも、その実彼女は、投擲一つに神経を極限まで張り巡らせていた。風を切って飛ぶ刃は、なんらぶれることなく真っ直ぐ飛んで、ネビロスの翼をざくりと裂いて。 「あんな色欲より、もっと灯璃と闘争に溺れてみない?」 「残念だが、そうゆっくりもしていられないな」 畳み掛けるようにフィリスが仕掛ける。多重展開された魔方陣が、美しいドレスと燃えるような髪よりもなお紅く輝いた。詠唱する呪文は、災厄を齎す紅蓮の姫、その異称に相応しい炎の御技。 「覚悟と意地でベテランに負けている気はないぞ?」 轟音と共に火球が爆ぜる。ネビロスは未だ落ちる様子を見せないが、畳み掛けて一気に決めるしかないと彼女は察していた。 伝承通りであれば、多彩な能力をまだ隠しているはず。その対策は、発動される前に片をつけるという電撃戦しかない。 「俺ぁ止まらねぇぞ! ここでぶち殺してやるぁあああ!」 堕天使を殴り飛ばしていた隆明も、その理解に至っていた。何をされるか判らない以上、先手必勝が有効なのは、喧嘩でも戦争でも同じである。 「うるぉおああああああ! 此処で潰す、絶対にだ!」 「……やれやれ、騒がしいことです」 隆明の作戦は唯一つ、小細工はせずひたすらに最短を走って、ネビロスに手痛い一撃を加えること。暗器じみた拳銃は見せる必要すらない。悪童そのままのメンタリティを拳に乗せて、彼は雄叫びと共に迫るのだ。 「叫べばこの身に攻撃が通るとでも? 小賢しい!」 「腐れ悪魔よぉ、てめぇの身体が動かなくなるまでぶん殴ってやるぜ!」 その言葉には一辺の嘘もない。隆明は文字通り真っ直ぐに、大悪魔の予測すら超えて加速した鉄拳を叩き込んだ。 「──日常を壊すと言うのなら、お前達は明確に俺の敵だ」 そして、更なる速さで迫るもう一人の影。斬首の剣を軽々と振り上げて、劫が一息に距離を詰める。 ――頼むぜ、世界の守護者。アンタの経験を、俺にくれ! 未だ手の内を明かしてはいない未知数の相手。油断など出来る訳がない。だが、怖がっているだけでは決して勝利をつかむことなど出来ないとも、経験ではなく直感で彼は知っていた。 「その首……置いていって貰おうか!」 ぶん、と振り下ろした中華包丁の様な大剣。劫の放った高速の一閃が捉えたのは、首ではなく右の翼。既に灯璃に傷つけられていた黒翼は、羽を散らしながら無残にももげ落ちる。 「……貴様っ……!」 「何をやってるのかしらねぇ、ネビロスも」 意外な苦戦に呆れた様子のアスタロトである。もとより三十を切る程度の人間、力が大幅に制限された写し身とはいえ、自分とネビロスの二人だけでも捌ける程度のはずだ。 「やっぱり、キースちゃんが拘るだけの事はあるのかしら」 「何をごちゃごちゃ言ってやがる!」 首をかしげるアスタロトに迫るのは、堕天使を突破した火車。その両手には鬼と爆の二文字、火の二枚羽を従えて、少年期を終えた男は突き進む。 「悪魔ってやつも大した事ねぇんだろ? でなきゃ年増のドスケベがわざわざ人間相手しに来ねぇもんなぁ!」 「ふふっ、アタシは元気な子も、生意気な子もキライじゃないわよ」 爆炎を纏う拳で薙ぎ払わんとする火車。だが、その灼ける手甲はアスタロトの手によって止められていた。燃え盛る炎を一顧だにせず、地獄の大公爵は蕩けるような瞳で青年を覗き込む。 「さぁ、アタシのものになりなさい」 紫の靄。 人間の理性を狂わせるそれは、E能力者にとっては単に抵抗力を下げる程度の効果しかない。だが、アスタロトが火車の抵抗を突き崩し、魅了の魔力を発揮した最後の決め手は、その紫の靄に知らず冒されていたからなのだ。 勝気な青年の瞳が、とろん、と落ちる。その様子を目にしたノアノアとソウルがすぐさま浄化の光を放ったが――彼の様子は変わらない。 「解けない魅了だと? 反則かよ」 苛立つノアノア。普通の暗示や呪いなら、まず間違いなく解けているはずなのだ。だが、ほら行きなさいと促されてリベリスタ達に向き直る火車は、疑いなくアスタロトの支配下にある。 「しっかりして下さいよ、宮部乃宮さん!」 止めに入ったウラジミールを躊躇いなく殴り飛ばした火車の前に、黎子が立ちふさがった。だが違和感がある。 一瞬の後、彼は気づくだろう。眼鏡。ああ、それはいつか見た――。 「ねぇ、宮部乃宮さんが好きなのはこの顔でしょう?」 「……う……あああっ!」 悶える青年。その時、ミミミルノが喚んだ清らかな風が戦場を駆け抜け、火車を包んだ。一瞬の後、憑き物が落ちたかのように、彼はがくりと倒れこむ。 「悪魔程度に良いようにされてる場合じゃあ、ねぇよなぁ」 「……私は賭け事に勝ったことはありませんが、イカサマが大の得意なんですよ」 馴れぬ眼鏡に指を掛け、駆け寄った黎子は泣き笑いの表情を見せるのだ。 「そこだっ!」 「何処へ行くつもりかしら?」 そんな二人へと襲い掛かる堕天使の生き残り。だが、アスタロトへの道を確保すべく目を光らせていたさざみが、その接近を許さない。 「それとも、人の情事の覗き見がお望み? 何が面白いのか判らないけれど」 だん、と地を蹴って飛び掛る。手甲に輝く魔力の光は、四色に明滅するマグメイガスの力。迸る破壊の力を凝縮して拳に纏わせ、魔拳士は強かに敵を打ち据える。 「どっちにしても通さない。こっちで遊んでましょうよ」 ネビロスが傷つき、堕天使の数が減った今こそがチャンスだった。傷ついた身体に喝を入れて、多くのリベリスタが堕天使を、悪魔を押さえ込む。そして、その合間を縫うように、余力のある戦士達がアスタロトへと迫るのだ。 「私が賭けるチップは命と運命。アスタロト、あなたは何を差し出すのかしらね」 けたたましく笑いながら暴れるのが常のエーデルワイスが、昏く、静かに、そして冷静に視線を向けていた。ぞわり、と黒いオーラが彼女を包み、いくつものうねりを作り出す。 「アタシとやりあうにはまだ不足よ、可愛い子。どうせなら魂まで捧げなさいな」 アスタロトの適当な、挑発に乗らぬ返答に肩を竦め――エーデルワイスの目に鋭さが増す。赤黒二種のカードを手で弄び、そして。 「今日の獲物は誉れ高き魔神共。さあ、憎悪の大蛇よ、奴の全てを穿ち喰らい奪い尽くせ!」 指で何枚ものカードを弾いたと同時に、八叉のオーラがアスタロトを襲った。首をもたげ牙を見せ付ける大蛇達が、憎悪に猛るままに蹂躙しようと試みる。 「駄目よぅ、アタシはこの蛇一匹で間に合っているわ」 だが、オーラは次々とアスタロトに『衝突』して掻き消えた。無論、ダメージが通っていないわけではない。写し身とはすなわち魔力の固まり。魔力同士の衝突は写し身の存在自体を危うくし、いずれ立ち行かなくなれば、影も形もなくなってしまうのだから。 「良い女なら本物の魅力で私達の心を掴んで欲しかったね」 人質や魔力で釣らないと気を惹けないってなら興醒めだよ、と吐き捨てて、姓は肩に背負った卒塔婆を大剣のように構えてみせる。 「堕天使の皆さんも。――その名の通り、地に堕ちて貰うよ」 卒塔婆を媒体にして、四方に放たれた不可視の糸。その多くが、アスタロトや駆け寄ろうとする堕天使達の翼を穿ち、その動きを鈍らせた。 「……鬱陶しいわねぇ。仮にも魔神相手なのよ」 「魔神であろうが、阻むものは全て貫き倒すまで」 愚痴めいた嘆息に律儀な返答で応じたノエルが、シンプルな騎士槍の穂先を向ける。写し身である以上、今この場で滅することにさしたる意味合いはない。それでも、無辜の人々を守るために、彼女は自らの『正義』を行使する必要があった。 「わたくしは『正義』を貫くだけです」 迷いなく告げて、ノエルはアスタロトの懐へと踏み込んだ。飛び上がろうとするよりも早く突き入れられた、退路を考えない捨て身の一撃。 それが、地獄の大公爵の胴を貫いて。 「これで、お仕舞いです……!」 「痛ぁい、勘弁して欲しいわね、もう」 だが、アスタロトは顔を顰めただけで、ずるりとノエルの槍を引き抜いた。途端、吹き出した血、腹の大穴が急速に塞がっていく。 「でも、意外にやるわねぇ、アナタ達」 にまり、と彼女が笑みを浮かべた、その時。 「姐さん、俺っち手酷くやられちゃってさぁ」 「あらサルガタナス、いいオトコが形無しね」 正殿前に突如現われたのは、頭部の半分を失った黒翼の悪魔サルガタナス。そして、数を減らしたとはいえ未だ数十は居る堕天使達だ。 「広福門の部隊は全滅したのか!?」 「いや、もしかして……」 ざわめくリベリスタ達。いまや、彼我の戦力差は数の上でも逆転していた。 アクセス・ファンタズムは壊滅の報を伝えては居なかったから、おそらくはサルガタナスの能力だろうが――。 「姐さん、もうじき奴さん達の増援が来るぜ。全部来りゃ今の倍以上。俺っちが相手してた連中さぁ」 「……なるほど、アタシの方が少なかったのねぇ。納得したわ」 緩く首を振ったアスタロトに、もうよろしいでしょう、とネビロスが進言する。 「あの人間への約束は果たしております。アスタロト卿がこれ以上戦う意味はごさいませぬ」 「そうねぇ。サルガタナスから先に倒しに来たのなんて、いい所突いているし。これ以上やって、この身体を壊しちゃったら面倒よね」 そんな呟きと共に、アスタロトは周囲を取り囲むリベリスタへと艶やかな笑みを向けて。 「痛い思いをするのは本意ではないのよ。――またね、坊や達」 ウィンク一つ。 それだけを残し、大公爵とその一党は首里城から忽然と姿を消す。 いつしか、天から降り注いだ陽光は、地平線に半ば姿を隠そうとしていた。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|