●西の王 「嗚呼、どうして……」 それは、心の底から嘆いていた。既に忘れ去られた一つの軌跡を。 「どれだけ祈っても、願っても、届く事何て決して無いって分かってるのに」 伏せた瞳は地に据えられ動かない。落とした肩には悄然とした気配が色濃く残る。 「ボク達は、どうして……どうしてこんなに無力なんだろう」 ずれて落ちそうになった宝冠に指を添え、視線を隠す。 はらはらと、涙が毀れる。それは主へ、神へ、祈りを捧げ散った者達への鎮かな黙祷。 その、少女に見える魔神は心の底から嘆き、苦しんでいた。 人の愚かさに。人の無邪気さに。それを――救う事が出来ない自らの無力さに。 其処は長崎県南島原――原城跡。 日本史上最も大規模な一揆「島原の乱」の主戦場となった古城の跡地である。 首魁たる天草四郎時貞以下、37,000人と称される“救われなかった人々”が散った戦い。 それは同時に、この国の人間が“神”に縋った最後の聖戦でもあった。 “極東の空白地帯”に於いて、これほど血による聖別が為された地は他に無い。 閉じぬ穴の解放以降幾多の激戦を繰り広げた三ツ池公園ですら、37,000には遠く及ばない。 その地には戦いが在った。祈りが在った。神の裏切りが在った。 誰も、何も、救われはしなかった。その地は国家と言う境界の最西端に位置していた。 其処がそれにとって、最も力を発揮出来る儀場で有る事を、少女は“知っていた” 「何も知らない。分からない。答えに辿り付ける日なんか来ない。 それなのに足掻く君達はどうして、こんなに愛おしいんだろう」 目元を纏ったショールの袖で拭う。胸を衝く感情は紛れも無く本物だ。 異世界の住人。強力なアザーバイドである所の72柱の魔神。 その序列第9位。大いなる西の王と称されるそれは、けれど堕ちた天使であるともされる。 そう呼ばれるに足るだけの時間を、彼女――パイモンは人を見続ける為費やして来た。 今代のソロモン、キースとの契約が果たされるまでの間、 彼女は幾人かの人間と契約し、力を貸し、そして、失敗した主の魂を喰った。 その度に彼女は泣いた。大声を上げて泣いた。嗚呼、嗚呼、また駄目だった。 誰も救われなかった。誰も幸福にならなかった。分かっていたのに。分かっていたのに。 全知解析。パイモンの異能は全てを知る。全て、そう。知識として存在する物全てを、だ。 元の世界であれば自在に使いこなせた筈のその力は、この世界では一定の枷が掛かっている。 だから結末が出るまで“そうなるに決まっていた”事に気付けない。 分かっていた事に、何時も手遅れになってから気付く。だから彼女は泣くしかない。 彼女にとって、契約者とは友人の様な物だ。哀しく無い訳が無い。辛く無い訳が無い。 主の絶望を、その嘆きと苦しみを、彼女自身が喰い続けて来たのだとしても。 その魔神の性質と、彼女自身の性格と、そしてその身に内包する余りに過剰な能力とは、 まるで何の関連も無いのだから。 「だからどうか来ないで。方舟の人達。分かってる筈だ、神の眼を掠め取った君達なら。 其処に幸せな結末なんて無い。ボク達も、君達も、得られる物何て――何も無いんだよ」 いざ戦いとなってしまえば手加減など出来ない。 主に命じられればその範囲で従う他無い。そも魔神とはそういう存在なのだから。 “無駄な殺しをするな” その言葉に心底ほっとした一方で、続く言葉を思い出して目尻に涙が滲む。 “だが、アークが温けりゃその辺の人間殺して本気にさせろ” 泣き虫な王様は城の中。たった一柱……いや、三柱なのはせめてもの抵抗か。 37,000の命が沈殿した、西の果ての呪われた城の中。 廻る円陣に身を浸して泣く。有り余る、人から見れば神にすら等しい力を以って。 それでも何も出来ない自分に。それでも残酷で在り続ける世界に。 殺し切れない声を漏らして、擦り切れた様に、童女の如く泣く。 ●魔神王の挑戦 「皆さんお集まり頂きありがとうございます。これよりブリーフィングを開始します」 『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024)が明朗な声で宣言する。 アーク本部内、ブリーフィングルーム。 この日、この場所に集められたリベリスタは、既にある種の覚悟を決めていた。 9月10日。因縁の――約定の日。 彼の魔神王が宣告した“キース・ソロモンと一戦交えなければならない”その期限だ。 其処に取り上げられる仕事が、通り一辺等のそれである筈が無い。 そう、それはモニターに表示された映像を見ても、一目瞭然だった。 「今回の仕事では皆さんに長崎県、南島原原城跡に飛んで頂きます」 ヘリの手配は済んでいる。降下後どうするかは、勿論リベリスタ達次第だ。 だが、問題はそこではない。そこでは、無かったのだ。 「……跡?」 怪訝そうな声が、誰かから漏れた。 そう、画面に映し出されているのは跡ではない。“城”だ。 かつて、徳川政権下に於いて破却された筈の、既に存在しない――信仰者達の最期の地だ。 「信じ難い事ですが、これは魔神の力の一片の様です。 陣地作成――いえ……陣地創造、とでも言うべきでしょうか……」 次元が歪んでいる。あたかも先じての猟犬との戦いの最後。 渇望の書の生み出した球体世界ファントム・レギオンの様に。 物質的、科学的観点からは彼の地には今も間違いなく城砦跡しか無いのだと言う。 けれど神秘に携わった人間には見える。そこに確かに佇んでいるかつての原城が。 「万華鏡の解析の結果、この地にソロモン魔神の一柱が滞在している様なのです。 現時点では、何の行動も起こしてはいない様なのですが……」 が、と続く以上何らかの不都合があるのだろう。 続きを待つリベリスタ達に、和泉が小さく呼気を吐く。 「昨日から、日本中の宗教関係者の一部が西へ向かっている様です。 何でも、少女の泣く声が聞こえた。自分がそれを救わなくてはならないと思った、とか」 狂信者に有りがちな妄言、とは言えまい。日本中と言う規模となれば明らかに異常だ。 「理由は分からないとは言え、この様な行為を看過する事は絶対に認められません」 現時点何も起きていないからと言って、何かが起きてからでは遅い。 予兆を探知したなら、阻む事こそがアークの役割なのだから。 和泉の声が一際、厳しさを増す。 「人を操る能力、宗教関係者への呼び掛け、西端の城、以上から推測する限り、 現地に滞在している魔神は序列9位『西の王』パイモンであると思われます。 実力の程は不明ですが、尋常の相手でない事は間違い無いでしょう」 しかも、態々敵地に乗り込む形だ。 攻め手と守り手、この場合どちらが有利であるかは今更問うまでも無い。 「極めて厳しい戦いになると思われます。どうぞ、御武運を」 けれど。 けれど。和泉も、神の眼も、或いは万華鏡の申し子ですら気付く事は出来なかった。 それは次元の歪みが故か。其処に居るのは、一柱ではない。 其処に居るのは――唯一人の魔神ではない。 72柱もの数在る異界の王に在って、「王を従える者」が極々僅かに存在する。 それが偶々に、この仕事であったと言うだけの話だ。 待ち構える三柱の事を、けれど。 この時点でのアークは、まるで探知する事が出来ていなかった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月 蒼 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年09月27日(金)22:33 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●ある魔神のお話 悠久の時を生きるそれは、ただ漠然と“知っていた” 自分達の住むその――地獄の様な世界以外にも世界が存在する事を。 上にも、下にも、無数の世界が広がっている事を。 けれどそれはどちらにも興味を抱かなかった。全てを知るとはそう言う事だ。 どうでも良い。瞳に映る物は全て灰色だ。答の出ている詰め将棋の様な命。 それが永遠に等しく続くのであれば、何をする必要が有るだろう。 どうせ最後は全て壊れてしまうのに。怠惰というなら、それは極みと言うべきだ。 傍観者で在り続けたそれの世界はけれど。唯一つの声によって一変する。 招く声、伸ばされた手に手を返す。最初はただの気紛れだった様に思う。 偶さかに、稀有に――魔が射した。そんな所か。 とは言え異世界の命とは初対面だ。余り脅すのも良くないだろう。 そう、明るく朗らかに元気良く。偶には別の誰かと会話するのも良いかもしれない。 「お招き頂きありがとう。ボクはパイモン。君がボクを呼んだのかな?」 それは今から三千年程前。まだ、彼女が泣かずにいられた最後の時代のお話 ●世界は無理解に満ちている 「今の所……奇襲の気配は無いみたいですね」 「ああ、今の内に距離を稼ぐぞ」 水無瀬・佳恋(BNE003740)の呟きに、前を駆ける『神速』司馬 鷲祐(BNE000288)が頷く。 領域陣地『原城』その陣内は日本城砦の常識をまるで無視し、非常識に広い。 表面積1平方kmにも迫るその巨大結界は幾ら儀場として最適であったと言った所で、 魔神の力の凶悪さを証明する物であったろう。陣地作成とは文字通り、次元が違う。 (……ここを作った奴は、どっちだ) だからこそ、鷲祐にはそれが引っかかる。 形成された結界はアーク本部内で飛び交っていた他の魔神のそれと比べても、余りに広過ぎる。 内部の距離感が狂っているならまだ分かる。だが、表出しているだけでこれだけの規模。 狂った世界樹エクスィスにすら匹敵する様に見える“特大の結界”だ。 これに理由が無いとは思えない。魔神王とてバロックナイツ。一体、何を企んでいるのか―― 「これだけを見れば、一般人を積極的に巻き込む心算は無いと思うんですけどね」 奇襲を探知する異能を宿す佳恋もまた、敵影を探りながら一人ごちる。 そう、普通の人々には『原城』は見えない。 見えない以上は、魔神に惹かれた者を除けば普通の人々は陣の存在にすら気付かない。 人質、等と言う不粋な真似はキースの本意ではないのだろう。 其処まで考えが至り、だからこそ不意に引っかかる。 で、あるなら――魔神は何故人を集めているのだろうか、と。 「だとしても、巻き込まれている人達は居る。 目的のために周囲の犠牲をまったく気にしない、所詮は自分勝手なフィクサードか!」 アークを出発する時に耳に挟んだ、アンドラス、ビフロンス、アスタロトと言った面々の所業。 『楽団』や『猟犬』に比べれば被害の規模は落ちるとしてもそんな物些細な差でしかない。 『折れぬ剣』楠神 風斗(BNE001434)が強く自らの剣を握り締める。 それは或いは――気負い過ぎ、にも見えただろうか。 「焦っても何も良い事無いわよ、肩の力抜きなさい」 『箱舟まぐみら水着部隊!』ソラ・ヴァイスハイト(BNE000329)が嘆息混じりに声を掛ける。 悪魔。魔神。或いは異界の神。どれにしても同じ事だ。 ソラにとっては自分の日常を、怠惰を、貴重な時間を削りにやって来る障害に過ぎない。 何物で在るかは要点ではなく、それで気を張っても疲れるだけだ。 「いつも通り敵を討伐するだけ、そうでしょ」 最近詰みゲーとか増えて困ってるのに、と愚痴る何時も通りの“ソラ先生”の姿に、 風斗がなんとも形容の難しい微苦笑を浮かべる。 手にした柄から余計な力が抜けたか。少しだけ広がった視野で周囲を見回す。 奇妙な光景だった。石造りの壁、深い堀、戦国時代にタイムスリップした様なその情景。 見た事はまるで無い筈なのに其処に刻まれている時代を感じさせる圧倒的リアリティ。 これを西洋の悪魔が創り上げている。その事実は彼の理解を超えている。 「あの、もしかするとなんですが」 そこに、ふと落ちる声。走る速度を維持したままきょろきょろと、 四方八方を鷹の眼で以って見回す『もそもぞ』荒苦那・まお(BNE003202)が眉を寄せる。 「そろそろ本丸に着いてしまいそうだとまおは思います。でも、誰も見掛けませんでした」 周囲に一般人の姿が無い。それを警戒して来たリベリスタ達にとっては肩透かしの展開だ。 魔神とある以上、それは悪質な物である。先入観であろうと誰だってそう考える。 「普通の人は、未だここに着いていないのではないでしょうか」 まおもまた、その可能性を危惧していた。だからこそ注意しながら駆けて来たのだ。 だが出来れば、誰とも戦わないで済むに越した事は無いともまおは思う。 倒すべきはパイモンただ一柱。それさえ果たせたなら、この戦いは終わるのだから。 「いや――」 だが、其処に制止の声が掛かる。 『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)の五感は他の面々を一回り以上上回る。 肌を走る空気の変化すら感じ取る彼女の超五感とも言うべき異能は、 激しい程に違和感を伝える。静かだ。何の音もしない。いやそれどころか――静か過ぎる。 自分達以外の生物が居ない、のみならず風が吹く、空が動くといった当たり前の自然現象。 それらが一切起こる気配が無い。まるで世界の全てが制御されている様に。 停止した、停滞した、ただ人が生きられるだけの空間。 「気をつけるに越した事は無い、ここはもう敵の陣中だ」 信仰に纏わる惨劇の聖地、縁を感じ足を踏み入れた杏樹からすればそれは苦い実感だろう。 これは別物だ。土地の記憶を引き出して築いた魔神の城砦。過去の『原城』では決して無い。 何も起きない、これも逆だ。むしろ“何が起きてもおかしくない” 「そろそろ着く。必ず何か仕掛けて来る筈だ。警戒を――」 『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)が指示をとばす。 この期に及んで何も無いと考える程、快はお人好しではない。 アーク発足初期より現場に在り、幾度も死線を潜った彼は身に沁みて良く理解している。 油断をすれば、気を抜けば、僅かな懸念を見逃して凶手を引けば、人は死ぬのだ。 それは紛れも無い現実だ。目を逸らす事など許されない。彼自身がそれを許さない。 (戦いで得られるモノなど、俺には元より何もない) ならば何故戦うのかと問われたら、強欲故にと答えるしかあるまい。 例え何かを得られずとも、護りたい物があるから戦う。 そんな事を言えば切りが無い。果てが見えない。だから戦い続けるしかない。 だがそれでも、それでもと言い続けて、今快はここに居る。 視線の先には本丸。即ち城砦の中枢が見える。堀を越えればもう直ぐ其処だ。 「敵地に乗り込むのに用心しすぎる事はないと思うけど」 呟いたソラの直観と魔術の知識を紐解いてみても、特別な仕込みは見受けられない。 まるで冗談の様に何事も無く、到着する。到着して、しまう。 魔神の座するその居城。天守閣等まで上がれ等と言う事は無い。 それは彼らが踏み込んだ第一歩。1階の大広間と言うべき部屋に佇んでいた。 一見した所は蜂蜜色の髪の少女。アラブ風の衣装と王冠が実にそぐわない。 衣装に着られている感の漂うその様を指して、それが魔神であると誰が信じるだろう。 けれど伏せた瞳を上げ、それは確かに告げるのだ。 「……来てしまったんだね。方舟の人達。嗚呼、そうか……来ない訳にはいかなかったんだ」 何も言葉を交えずとも、全てを解してしまったかの様に。 嘆き、呟き、涙を溢し。 「はじめまして……ボクは、魔神パイモン。君達の――」 ――言葉を置き去りに。声より速く、音より速く、大気の振動よりも尚、速く。 「――――1」 アークの神速が駆け抜ける。 それは如何なる言葉よりも、この戦いの真実を証明していた。 ●偽りは灯火の下に在り どうしようもない。解っているから。だから割り切って諦める。 そう考えた事が有った。無い筈が無かった。弱い己を誰より嫌う彼ですら。 『墓掘』ランディ・益母(BNE001403)にとって、闘争とは必然だ。 どれもこれも護るなど出来ない以上、譲れない物は戦い勝利して勝ち取る他に無い。 それでも全ては不可能だ。無理な時は無理だ。駄目な時はどうしようも無く駄目なのだ。 それを可能と嘯く程に思い上がっていやしない。だからと言って割り切る事が出来るだろうか。 彼と、恐らく眼前の、少女のように見える魔神は恐らく同じ壁にぶつかった事のある者同士だ。 だからこそ、その光景を――彼は、当たり前の物として受け入れる。 (こんな形でなければ、普通に友人となり語り合う事もできただろうにな) その一瞬。『ディフェンシブハーフ』エルヴィン・ガーネット(BNE002792) の脳裏を巡ったのは、 そんな諦観とも、独白とも付かない矛盾した想いだった。 そう、生かしたがりのエルヴィンであればこそ、殺しで無いならば受け入れられてしまう。 力を削ぐだけだ。せめてこんな形でなければ。こんな出会いでなければ。 こんな運命でなければ。或いは――こんな答えを求める、世界でさえ無ければ。 それが言い訳だ何て甘えた事を言うには余りにも、彼は護る物を負い過ぎていて。 「――――っ」 だからそれが、出来なかったのは金色の少女だけだ。 『イージスの盾』ラインハルト・フォン・クリストフ(BNE001635)には割り切れない。 仕方ない物だと割り切れない。決まりきった結末だと切り離せない。 (その望みはきっと、私達のそれにも程近い筈なのに) 魔神の想いと彼女の理想、二つに大きな差異は無いと思うが故に。 (だったらきっと、力を合わせる事だって出来る筈なのに) 言葉も無く仕掛けると言う発想自体が彼女には無かった。 それを人は甘さだと呼ぶのだろう――だから彼女は、それを見守る事しか出来ない。 制止の暇などある筈が無い。速いとは、即ちそう言う事だ。 分割した刹那に潜む瞬竜が牙を?く。音を刃に魔神の影を切り刻む。 如何なる反応をも凌駕した唯速い、速過ぎるが故に辿り着いた極限の絶技。 ――神速斬断『竜鱗細工』 鮮血の花が咲く。けれど……直撃には、至らない。 魔神もまたその速度には追いつかずともその動きの荒さを見切っている。 僅か身体を退かせるや、その余波だけでも絶大を極める威力の一撃に体躯を揺らす。 「っ……酷いな。ボクらは名乗り合う事も許されないの?」 批難する様な声音に弱った感じは見受けられない。 だがむしろ、鷲祐からすればその手応えこそが“異様”だ。 出会い頭の奇襲の一撃。会心のとまでは行かずとも、精度としては相当上手く嵌まった筈だ。 それで尚、的中しない。明らかに尋常の反応力では無い。 仮にも魔神――仮にも、神か。 「本物の悪魔ね……いいじゃない、やってやるわ」 先の一撃は、パイモンに解析されたろうか。ソラの余り積極的に使いたがらない頭脳が回る。 記憶と攻撃を併せて行うのは容易くない、無闇な集中を強いられるのは好きではないのに。 「どうせ、放っておけるものじゃないんでしょ?」 魔力を手繰り放たれる雷光。その光芒が地に影を作る――その、僅かな瞬間だった。 魔術の雷をさらっと避ける魔神の動きを余所にソラの観察眼が違和感に気付く。 魔術の知識がそれを補う。危機感――身の、危険。最上級の警鐘が脳裏に鳴り響く。 「――ないない、ばぁっ」 影が形を描く。果たして伏兵に求められる資質とは何か。 簡単だ。奇襲の直前まで敵に気取られない隠密能力。先ず大前提それが無ければ始まらない。 その女は一瞬で其処に居た。まるで最初から居たかの様な顔でソラの放った雷の影。 つまり、僅か数mの距離に“突然出現”した。 これに反応出来たのは彼女に十分な備えが有ったからだ。その一言に尽きる。 「――冗、談っっっ!」 恐らく一撃で以って相手を死に到らしめる事すら有るだろう初見殺しの奇襲。 影から噴き出す黒い炎が白衣の上から体躯を包み、焼き、蝕む。 咄嗟に転がり距離を取るも、その火力は全身各所に火傷を残し一瞬でソラの体力を半分削る程。 不完全とは言えかわしてこれならば、もしも直撃していたらと考えると洒落にならない。 「な――誰だ!?」 その予兆すら感じ取れなかった風斗が誰何の声を上げる。 万華鏡に映し出されていない未来。予知から外れた敵影。 改めて見遣ればそれは女だ。メイド服姿の黒い翼の映えた女。影を浸蝕してきたそれ。 であれば問うまでもあるまい。一見すれば分かる。それがどちらの味方であるのかなど。 「あらら、上手く行かない物ですねーちっちゃい癖に生意気だこと」 肩を竦める仕草に言葉ほどの残念さは感じられない。 どころか、唯一慌てた様子が見える風斗に向かって手を振る余裕すらある始末だ。 「はいはーい、『裏界』の王様ラバルちゃんですー。御機嫌よぅ」 「ラバルちゃん、今戦闘中」 気の抜ける様な明るい声音に一瞬手が止まったか。 けれどパイモンの咎める様な呟きに、エルヴィンと佳恋が一歩早く動き出す。 「例え新手が居ようと、私がやる事は変わりません」 「絶対に護り抜く! 魔神だろうが悪魔だろうが何処からでもかかって来やがれ!!」 癒しが必要無いとはいえど、ラバルが出現したのは見事に円陣の内側だ。 これをエルヴィンが抑え、佳恋が突出している鷲祐を追う形で前に出る。 「私は戦う、この世界のために」 振るうは愛用の白い長剣。その切っ先に居るのは少女の様な悪魔だ。 それで刃が鈍ったりはしない。そんな人間らしい感性では戦ってはこれなかった。 風斗とはまた違った意味で、それも気負いか。 揮った剣戟に込められた膂力は極めて強烈だ。が――これを魔神は紙一重避けてのける。 「貴女は、何の為に戦う」 思わず毀れた問いは、間近でその表情を見てしまったからか。 愁い一色に染まった瞳には悲痛の色が滲む。 「キースちゃんの為だよ」 毀れた答えは、どうしようも無く。 「キースちゃんに死んで欲しく無い。絶望して欲しく無い。幸せで居て欲しい」 余りにもどうしようも無く、相容れぬ物で。 「だから――ボクはきっと、どうしようも無く君達の敵なんだ」 魔神が動く。その指に炎が灯る。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。 「――私達は、戦わないと駄目なのでありますか」 ラインハルトが呟いた。パイモンの瞳が迷う様に揺れる。 「……そうだよ」 仕方の無い事なんだ。声は、音になる事無く。 始原の灼熱、断罪の業火が円陣を組んだリベリスタ達を等しく纏めて包み込む。 ●業火は常に共感を阻む その威力は、指して絶望と称し偽りの無いそれ。 「……っ、そうか、しくじった」 快が苦虫を潰す様な声を上げる。彼がその炎をまともに被った時点で精度は推して知るべしだ。 だが、それ以上に戦い慣れした彼と、そしてエルヴィンは彼らの戦術の盲点に気付く。 「なるほど、そう言う事か……」 パイモンの動きが特別早いのではない。 運、不運はあれ鷲祐、ソラは言うに及ばず少なくとも、エルヴィン、佳恋。 そしてこの瞬間は見に徹していたランディであれば先手を取れる余地が十分ある。 問題はそれ以外だ。明らかな格上相手に普通程度の速度ではまず先じられると見て良い。 其処に来て直撃を被ったリベリスタ達は石になったかの様に身動きを止めている。 例外は絶対者の快、エルヴィン、そして―― 「お邪魔します。少しでも動きを止めさせて頂きたいとまおは思いました」 「あら、何だか面白い口の可愛らしいお嬢ちゃん。良いですよー、止められますかぁ?」 ――石化の呪いを無効化する、まおの3名のみ。 風斗虎の子の破壊神の加護すらも、始源の炎に掻き消され跡形も無い。 例えエルヴィンが待機した所でこればかりはどうにもならない。 そう、パイモンとの対峙時に“密集陣だけは組んではいけなかった”のだ。 これでは石化を避けない限り、或いはパイモンの視界が余所に向かない限り、 杏樹、風斗、ラインハルトの3名はまずまともに身動きが取れない。 敵が領域範囲を牙城とする場合、負荷分散は先ず警戒すべき事項であった筈。 例え散開する事が奇襲の誘発を招くとしても。 せめて、耐性を持たぬ攻撃手だけでも分散するべきだったろう。 「――ッ」 そして、戦闘中でも警戒を怠らなかった事が巧を奏してか。 或いはこの場合間が悪い事に、と言うべきか。 パイモンの放った原始の火。熱に包まれた快の視界が異様な加熱を感知する。 『裏の王』ラバルは“影を渡って”戦場に現れた。 であれば『表の王』は何を渡って戦場に出現すると言うのか。 偶然もここまで決まれば見事だろう。快の視界には人型を取るそれが確かに映っていた。 “火を渡る”それが熱を探知する視野を持たぬ者にとってはまるで忽然と現れ立ち塞がる。 「ふむ、思ったより楽しませてくれますねえ」 放たれた拳はこれもやはり、奇襲であれば必殺の一撃だったろう。 捻れた角の映えた初老の執事。無から現出したその拳は人一人を蒸発させるに足る威力。 だが、それを快は左腕一本で受け止める。伝播する青い炎により一瞬で腕が炭化するも、 彼の体躯に散らばった極小の機械は直ちにその患部の修復を開始する。受け止め、凌ぐ。 「お初に御目にかかります、私は『表界』の王アバリム。どうぞ末永く良しなに」 慇懃無礼な一礼、それが快を彼らの主へと近付けさせぬ方便である事に気付かぬ訳が無い。 「……まずいな」 唯一人、エルヴィンが健在である限り状態異常等と言う語句から、 まるで無縁の位置に在る鷲祐が溢す。問題は、詰まる所パイモンの全知解析だ。 快、まおが2柱の魔王を足止めしている。足止めされている、と言っても良い。 この上で3人の動きが石化で止められ続ければ残り前衛は僅か2人だ。 ソラとランディがこれに加わっても、4人。 或いはまお、エルヴィンの両名がパイモンへの戦意を持っていたなら未だ立て直せたろうか。 アバリム、ラバルの2柱の足止めも何時までも保つ訳では無い。 では、あの魔神が炎を外すか、エルヴィンより早く動く瞬間を期待するか。 受動的対応しか浮かばない、一か八かを賭けるには余りにも目が悪い。 そこまで――そこまで考え、思考が止まる。 何だこれは。まるで“答の出ている詰め将棋の様な”――戦場。 お互い未だ唯の一手しか動いていないにも関わらず、その時点で先に希望が見えない。 「――ッ、認められるか、そんな結末を!」 回り込む、それはパイモンの後方。死角に位置取り意識を研ぎ澄ます。 「厄介な能力ね……だけど私達はそれを越えて見せるわ」 まるで不吉な未来を強制されている様な実感に、ソラが魔神を睨み付ける。 紡ぎ上げた魔力の弾丸がその体躯に突き刺さり、確かな手応えを返す。 「こんな所で立ち止まってはいられない、例え私達が無力なのだとしても!」 全身の闘気を一撃に込め、佳恋の剣戟がこれに続く。 上手く吹き飛ばせたかと思いきや、当のパイモンは空中で身を翻し体勢を立て直す。 「じゃあ、どうするの」 体躯に傷は付けれども思う以上に身軽だ。反応が早く手応えが浅い。 魔神の瞳はじっと、リベリスタ達に答を強いる。否――どうするも、どうしようもない。 じわりと、熱くも無い筈なのに汗が滲む。まさか油断していた訳ではない。 だが、リベリスタ達の想定よりも尚。そう、尚遥かにこの魔神は厄介だったと言う事。 けれど運命は動き始める。 「アンタは俺よりずっと長い時間不条理な結末、“どうしようもない”結末を見て来た筈だ」 声を投げたのは赤い、赤い男。大斧を構え睨み付ける様にして猛る。 それなら。どうしようもないなら諦められるのか。 問い掛けられたなら、彼は百度に百度否と答えるだろう。 諦めの悪さには自信がある。幾度も幾度も失敗して、敗北の苦渋を味わった。 “勝たなくてはならない”そんな場面で膝を折った事も1度や2度ではない。 砂を食み血潮を毀し立ち上がって来たのだ。不条理何て有り触れ過ぎている。 「戯言と思うだろう。でもな、それを知ってるから。解ってるから結末に触れず我慢する。 ……なんて、出来ねえんだよっ!」 極威の魔砲。そのアーク随一と言って良い遣い手であるランディの一撃を、咆哮を、 何故かこの時魔神はかわし損ねる。小さな体躯が壁を破り隣の部屋まで吹き飛ばされる。 「誰かを救う気何ざねぇし出来ねぇよ、抵抗も方法も自分なりに探して来た! 結論がそんな運命を決める世界に抗う事だ! どうしようもないからそれがどうした!」 それは、文字通りの戯言だ。 如何なる言葉も、現実には適わない。如何なる理想も、事実の前には余りに無力だ。 機械仕掛けの兵器であれば、この時点でリベリスタの敗北は半ば決定的だった。 けれど、そうであるなら。それだけであるなら、彼女はこれ程泣き続けはしなかったろう。 「それでも――流されるまま殺し続けるよりは万倍も遣り甲斐がある!!」 だってその魔神は、そんな人の悪足掻きが、本当に好きだったのだから。 「うん……うん、そうだね」 痛く無い訳がない。受けたダメージは無視出来る程小さくない。 けれどその衝撃以上に、彼の言葉に魔神は苦く、苦く、仰向けのまま涙を浮かべて笑った。 「君達は、君達人間は、いつでも、いつだって、どんな時だって、そうだったよ」 足掻いて足掻いて足掻いて、そして駄目だった人々を見て来た。 偶さか救われた様に見えても、結局何も掴む事が出来なかった人々を見て来た。 護れなかった人々を、見て来た。 嗚呼、それでもだ。それでも、彼らが一生懸命に抗った事を無かった事に何て出来ない。 それを見て見ぬふりなんて出来ない。そう言う物だと切り捨てたり何て、出来ない。 吹き飛ばされた魔神の少女はその場を動かない。動けない。 いいやそれは嘘だ。動きたく無かった。その一瞬を、噛み締める。 「だったら、見せてよ。誰かが救われる結末を」 ゆらりと。起き上がるまでに掛かった時間は千金に値するだろう。 自由を取り戻した杏樹が、風斗が、ラインハルトが、其々に散開して動き始める。 「随分とやってくれたな……望みどおり、全力で行く!」 「王だろうが魔神だろうが関係ない。子羊を惑わすなら全て私の敵だっ!」 白銀に引かれた赤いラインが弧を描き、黒兎の魔銃が射線を引く。 放たれた剛腕の一閃、そしてコインをも撃ち抜く一射は、 やはり的中とは行かないまでも片側はどうにか掠めるに至る。 「聖戦の名の下に十字の加護を!」 ラインハルトのが放った光が根源的な状態異常に対する耐性を場の全員に与えると、 戦況は大きく前進を見せる。一歩間違えば封殺されていて然るべき事態。 これを覆すのが運命で無く、犠牲で無く、真意の咆哮で有ったのは如何なる皮肉か。 けれど知性を持つが故人が悩む様に。思考する生き物は道理で全ては片付かない。 この瞬間、傾ききった天秤は静かに、確かに動き出す。 ●罪を持て余した神々の遊戯 「済みません、御叱りは後で必ず!」 「良い、気にすんな」 癒しの唄を奏でるラインハルトの声に、ランディが鷹揚に応える。 戦いに大きく余裕が生まれた訳ではない、けれどその言葉は決して社交辞令ではない。 事実として3人の参戦で戦況は大きく変わっていた。 散開したが故に魔神の放つ真性の原始の火(ゲヘナ・オリジン)は、 その脅威を大きく落としている。人型を取る以上魔神の視界とて全ては見えない。 見えない物は、狙えない。単純な論理だ。そして―― 「やはり完全に回避されるとカウントされないみたいだ」 「でも、掠め当たりはストックに含まれるみたいね」 杏樹とソラが互いに確認を取り合うことで全知解析の仔細を詰め合う。 単純に攻め手が増えた事でパイモンの方も処理が間に合わなくなりつつある。 「一手――――掠め取るッ!」 「きゃっ」 気の抜ける様な声に、けれど鷲祐の『神速斬断』は苛烈である。 パイモンの極めて早い反射神経に意識を一点集中する事で動きを合わせて来る。 並の革醒者であれば即戦闘不能まで持ち込めそうな一撃を、 悲鳴一つで賄われる事に憮然とした想いが無いではないが、確実に余力は削っている。 「やれる、これなら……!」 「やれる、じゃねえ、そういう時はやるって言うんだ!」 放たれる白羽の剛剣、疾風を放つ墓堀人の戦斧が魔神の体躯に斬傷を刻む。 一撃の火力にに優れる佳恋、ランディと言った面々の攻撃は掠めるだけでも馬鹿には出来ない。 幾らパイモンの反応が優れているとは言っても本体はともかく影に過ぎぬ身。 その力が制限されている以上届かぬ程ではないのだ、決して。 「ったく、どいつもこいつも! ああもう、バトルマニアなんて大っ嫌いだ!」 「それに関しては同感ね、少しは休ませて欲しい物だわ」 当然、その分の負担は癒し手に諸に掛かって来る。 偶に攻撃にも動けるソラはともかくとして、状態異常に掛からない分も有ろう。 特にエルヴィンの癒しは終わる事の無い苦行に等しい。 ヒーラーとはそう言う物と分かっていはしても、 緩慢な自殺に等しい突貫を繰り返す前衛達に一言物申す所が無いではないのは当然だ。 (絶対に死ぬんじゃないぞ、俺が護って、癒して、生かす!) だからこそ、その想いには欠片の不純も無い。 勝利が戦う者の誇りなら、生還こそが癒す者の誇りなのだから。 「やれやれ、またパイモン様の病気ですか」 「あははっ、全く本当仕方ない方ですねー」 しかして語る2柱の魔王はと言えば。此方は既に余裕の色である。 眼前対する人間等歯牙にも掛けぬ、これが本来の魔性。魔の真性。 であるならば、やはり彼の魔神が風変わりなのだろう。好悪何れを示すかは別として。 「余所見している暇が、有るのか」 彼自身気付いているだろうか。輝く十字の斬撃はいつか見た理想の剣筋にも似て。 けれど逆十字を描いた筈の、それの真逆を行く正十字。光を灯すラストクルセイド。 快の放ったクロスイージス最高峰の火力をアバリムが右手一本で受け止める。 先じての快の行為を揶揄するかの様に、手応えは只管に硬い。とかく過剰な程に。 「なるほど、少々痺れますがそれが何だと言うのでしょうねえ」 薄ら笑いすら浮かべてみせる『表の王』を観察し、得られた結論は1つだ。 やはりこの3柱の中ではこの個体が一番攻略し易い。 デュランダルと言うクラスの持つ特性だ。高火力高耐久、しかし絡め手には弱いと見える。 「あら、アバリムー、余り油断は禁物よぉ?」 「皆様、まお達に余り寄らないで下さい」 淡々と声を上げるまおの言動に反し、一方の戦況はより深刻に悪化の一途を辿っていた。 まおと『裏の王』はアバリムと快に比べてはっきりと相性が悪い。 放たれる黒い光。炎を象ったそれは四方八方にばら撒かれ、まおの体躯の自由を奪う。 ショックで痺れるだけならいざ知らず周囲に放電の跡を残す雷陣の呪詛は、 まおの攻撃と回避の精度その物を無慈悲に縛る。 両者はパイモンを護ってはいない。ラバルにしても癒しの力を振るいすらしていない。 それはつまり、唯1人の相手など手を抜いて尚余りあると言う事だ。 遊ばれている。その実感が拭えない。 「ところでラバル、これは殺してしまっても良いのですかねえ」 「パイモン様から何も指示無いですしー、良いんじゃないですかぁ?」 軽口か、挑発か、風体を裏切る様に。或いはその王と言う名の通りに。 彼らは仕える者ではなく、統べる者の傲慢さで以って其処に在る。 「くそっ、ふざけるなよっ!」 その適当さから、圧倒的と言う言葉が瑣末に思える力量差を感じとれなければ、 恐らく彼はもっと早くに死んでいる。風斗はその程度には臆病であり、賢明だ。 言葉に比して、或いは勇猛を絵に描いた様な戦いぶりに比して、その瞳は堅実を辿る。 自分の役割を考えれば、そんな安い挑発に乗っている場合ではない。 けれど。後一歩で何も出来ない所だった。 何も出来ない、所だったのだ。 護りたいと思ったものを護る。その志に偽りは無かった。強い想いを抱いて来た。 油断していた心算など欠片も無かった。 それなのに――だ。 あと少しで、目の前で何もかもが壊れていくのを身動きも取れず眺めさせられる所だった。 それを、結果的に救われたからと言って切り分けられるか。 ――無理だ。 沢山の事を割り切って、その折れぬ剣は多くの命を奪って来た。 だが、一方で楠神風斗と言う、少年から青年になりつつ有る彼は未だ感情を殺し切れない。 不甲斐ない、悔しい、それ以上に……恐い。 喪う事の恐怖を人一倍解せばこそ、何も出来ない事は恐怖だ。故に、気が焦る。 「俺は、俺のやるべき事を……」 意識を集中し魔神の動きに合わせる。研ぎ澄まされたその刃はアーク内でも屈指の威力を誇る。 当てさえすれば、当たりさえすれば―― 「風斗! 突出し過ぎだ――ッ!」 リベリスタ優位に場が運んでいたなら停戦交渉を、と考えていた分気付くのが一歩早かった。 待機しつつ全体の余力把握に務めていたエルヴィンが叫ぶ。 その声に気付いて周囲を見遣れば、背後に回っている鷲祐。 ラインハルトの直近に付いているランディ、そして既に次の攻撃に備える佳恋。 風斗だけが、攻撃を避けたパイモンの眼前に一歩踏み込んでいた。 姿勢が崩れている。直ぐ様攻撃には移れない。間近で見る少女の魔神がそっと瞳を伏せた。 「……手加減は、しないよ」 手を掲げる。それは今まで見た事が無い攻撃手段。 刹那迸る様な熱と共に生み出される灼熱の槍。燐光が視界を赤く紅く朱く灼く。 ぞくりと――その攻撃の“濃密過ぎる死の気配”を嗅いだラインハルトが瞳を見開く。 炎の槍、火の魔神の持つシンプルに過ぎる単体攻撃。あれは、いけない。 「――ッ、避け……」 けれど、自分事であればともかく、そうではない。声を上げるも遅過ぎる。 巨大な炎の魔槍を前に、風斗もまた悟る。これは――避けられない。 「オオオォォォォォアアアアアァァァァァ――ッ!」 だから踏み込んだ。その銘は折れぬ剣(デュランダル)。 死の恐怖を前に竦む心に剣身を通す。全開を超える全余力を注ぎ込む。振り上げ、振り下―― それでも。運命は優しく何て無い。 振り下ろされた魔神の指先が、コンマ数秒早く青年の額に触れた。 “焼き尽くせ、プロメテウス” 紅蓮が視界の全てを覆う。 ●2日目 神は天を創った 燃えていた。 燃えていた。 燃えていた。 本丸の畳が漏れなく全て発火していた。体躯を直接焼く事は無い神秘の火。 余波の熱だけで地が燃える。瞳を開いたリベリスタ達に直接の被害は無い。 けれど、それの直撃を受けたとしたら。これはまるで話が別だ。 祝福だ、加護だ、回復だ。そういう問題ですら無い。 逆凪の覇王は革醒者一人を消滅させて見せたと言う。ならばこれはそれに匹敵するだろう。 「――」 剣を振り下ろしたままの姿勢で、風斗は止まっていた。 炎の魔槍は、無い。 いや、彼には傷一つ、無かった。 「――――」 何故か。問うまでも無い。 彼女は動けなかった筈だ。いや、誰も彼を護る事など出来なかった筈だ。 ならば、その“決まりきった”結末を覆したのは。 そんな物、人以外の何者に出来ると言うのか。 灼熱の槍に勝るとも劣らない、発火した運命を熱源として。天秤が片側に大きく傾く。 それは、歪曲する運命の黙示録。 「――――――――水、無瀬」 風斗の代わりに炎の槍を受け止める。 容易であろうか、いや、誰であれそんな事は不可能だろう。 例え耐久力に長ける快でさえ、その一撃の直撃を受けて立ち続ける事など出来はしない。 単純にして至高の極み。破壊という破壊を突き詰めた魔神の一撃を。 けれど、少女はその細身で受け止める。 身体にはぽっかりと、背面が見える程にはっきり焼け焦げた穴が開いていた。 「……私は」 それでも、彼女は立っていた。 元々風斗が居た場所だ。魔神のすぐ眼前だ。ここからなら、どんな攻撃だって届く。 「私は、無力だ」 瞬く。少女の姿の魔神は、何でも全てを知る筈のそれは。 聞いた言葉を理解出来ないかの様に、瞬く。 「私は、無力だ。貴方と比べるまでもなく。 世界の為、誰かの為、それが人の為になっていると思わないと戦えない」 手は震えない。その事に安心する。最初に剣を握った時はどうだったろう。 最初に仕事を受けた時はどうだったろう。最初に人を斬った時はどうだったろう。 憶えているか。憶えている。あの時は自分を『戦士』だ等と定義していた。 今はどうだろう。今、佳恋は戦士だろうか。いいや、違う。 「無力な私に、戦士の名など不要。それでも、私は」 ただの人間として。戦って来たのだ。ただの人間が、鬼や悪魔と対峙して来たのだ。 無力だ。無力に決まっている。彼らはただ強大な者として其処に在る。 けれど、人間はそうではない。そうじゃないからこそ―― 「それでも絶望はしない……涙を流し、悔いることはあっても――!」 振り下ろした白剣に赤い光が射した様に見えた。錯覚だろうか、いや。であろうと関係が無い。 剣は魔神の体躯に突き刺さり、120%の力で振り抜かれる。 「……嗚呼、君達は、本当に、強いなあ」 無力こそが、人の持つ爪牙だ。 力無きが故に、人はどんな強大な敵にも足掻き得る。 血塗れで、自らの返り血を浴びた佳恋を見てパイモンが涙を流し微笑む。 人間は強い。人間は弱い。人間は綺麗で、人間は醜い。嗚呼、嗚呼、だからこそ。 そんな君達を幸せに出来たら、良いのに。 ――すっと、溶ける様にその姿が薄れ行く。 「ラバル」 声を掛ける。恐らくそれはルール違反だ。魔神王に怒られてしまうかもしれない。 けれど、言わずにいられなかった。 けれど、せずにはいられなかった。 「この子の傷を癒してあげて。女の子だもの」 徐々に、徐々に、薄れて行く。討伐出来た訳ではない。 見れば分かる、少し力を削いだだけ。人は魔神に比べれば疑いも無く無力なのだから。 「はーい、仕方ないですねぇ」 黒い光が癒しの力を宿し、少女の身体の傷を癒して行く。 身体に空いた穴は、消える事は無かったけれど。 「私は、ただ……」 その意識は、既に蒙昧として。 「そう――――あろうと」 白羽の剣を取り落とす。 「……うん、ボクの負けだね」 その言葉を最後に、魔神の姿は霞の様に融けて消える。 展開は呼吸をする程の時間すら必要とはしなかった。 出現した時同様に忽然と居なくなっていた残り2柱を余所に、倒れた佳恋に風斗が駆け寄る。 「何で」 何故、彼女だったのか。何故、彼を護ろうとしたのか。 答えは無い。答えなど無い。彼であったのは偶然だ。 しかし、押し切る事が出来なかったが故に、動きを止める事を一切意識しなかったが故に。 相手に切り札を切るだけの時間を与えた。手加減など期待出来ない以上、これ必然。 奇跡を願った者の中で、唯一人。佳恋の願いだけが結末を捻じ曲げた。 “どうしようもなかった”筈の答の中から、例外を捥ぎ取った。 けれど、その代価は、大きい。 「……何で」 風斗が繰り返す。護る為の戦いだった。護ろうとして死力を尽くした。 そして、その戦いに勝利した筈だった。 なのに快哉は愚か実感すら起きない。動けない。 「……いや、待った」 けれど。そこで制止の声が上がる。 運命を燃やせば死に至る。過去、奇跡を乞うた者達の結末を知ればそれが普通だ。 例外は有れ、滅多に有る物ではない。その上先の炎の槍だ。 その威力は絶大を極めた。運命を燃やさずとも平常ならば死に至ったろう。 けれど。エルヴィンは声を上げる。 絶対に。そう、絶対に誰も殺させはしない。そう決めて来た。決意して来た。 ならば“その可能性”を無視出来るか。いいや、する筈が無い。 駆け寄り、脈を取る。体躯に空いた穴の壁面は余りの高温で焼けた為か出血すらしていない。 「生きて……いや、生かせる。まだ、間に合う」 魔神は、それを知っていたろうか。結果が出たなら“全てを知る”パイモンであれば或いは。 しかし、それ所ではない。身体に穴を開けて人がそう長く生きられる物か。 メタルフレームは他の革醒者以上に人間を辞めている場合が多いとは言え、死ぬ時は死ぬのだ。 「急げ、アークに連絡を!」 杏樹が声を上げ、快とまお、風斗が慌てた様に駆け出す。 結界は消えて居ない。恐らく、これを消せるだろう何者もこの場所には居ない。 「違ったのか? いや……」 その様を見て、本来ならば真っ先に駆け出す筈の鷲祐が視線を巡らせる。 37,000人を収穫出来る大結界。こんな物を残しておいて良い事が有る筈が無い。 だが、とても彼らの手に負えないのも事実だ。『原城』からはパイモンの気配は消えていない。 「司馬さん、どうかしたでありますか?」 ソラ、エルヴィンと共に癒しの神秘を以って佳恋の傷を塞いでいたラインハルトが視線を向ける。 唯一人、異なる動機を以って戦地を踏んだ鷲祐は、けれど考えを切り換える様に頭を振る。 「いや、何でもない。行こう」 其処に来て、ふと気付く。 (――――謀られた、か?) けれど、その問い掛けに答える者も、既に無く。 ●主よ人の嘆きと苦しみを 「……まあ、結構上手く行ったんじゃないですかぁ?」 小高い物見台の上。足をぶらぶらとさせて去り行くリベリスタを見守る『裏の王』 「パイモン様は余りに甘過ぎますからねえ、それを言えば魔神王陛下も如何にも手緩い」 その真下、瞳を細め肩を竦めるのは『表の王』。 この場にパイモンは居ない。敵を騙すには、先ず味方からだ。 「約一人、何かしら気取っていた様では有りますが?」 「瑣末な事ですよー、実際パイモン様は何も気付いて無いみたいですしぃ 人なんか所詮、ちょっと可愛げのある餌でしょぉ?」 「魔神王陛下は美食家で有らせられる。けれどその力も無限では無い、ですか」 何故、『裏の王』は佳恋の身体の穴だけを残して行ったのか。 何故、『西の王』はこうも容易く退いたのか。 何故、この世界には未だ誰一人一般人が入り込んで居ないのか。 理由は明快だ。彼らにとって、この世界の維持が第一義。 その為にであれば、敗戦を演じる事すら厭わない。 どちらも、これで終わり等とは思って居ないのだ。今は布石を置く時間。 そもそも日本中からとは言え“長崎近郊に宗教関係者が一切居ない筈が無い”のだから。 「いずれ来るその時の為に、今は雌伏の時を重ねると致しましょうかねえ」 「まだまだ、フルコースは始まったばかりですものねぇ」 くすくすと、響く笑い声は神の目線で人の子の足掻きを嘲笑う。 神には神の、魔には魔の、人には解せぬ理由が有るのだと言わんばかりに。 72の魔神とて、一枚岩ではないのだから。 「何時までも蝿の王なんかに筆頭を名乗らせて何ておきませんよぉ」 主よ、人の命の儚さよ。哀れむならば御身の祝福を。 願わくば人の嘆きと苦しみが、世に永久に続かん事を。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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