● ――少し前、あるいはうんと昔に。遠い場所へと、旅立ってしまった命たち。 地上にあった頃、物言わぬ彼らはその瞳で、仕草で自らの気持ちを表し。 言葉は交わせずとも、そこには確かに“こころ”があった。 会いたい。もう一度、この手で触れたい。 決して叶わない願いだと、分かってはいるけれど。 ● 「一言で説明すると、『朝から晩までひたすら動物をもふり続ける仕事』……かな」 ブリーフィングルームに集まったリベリスタ達に、『どうしようもない男』奥地 数史(nBNE000224)は今回の任務についてそう言った。 この時点で一部のメンバーの目の色が変わった気もするが、とりあえず先を続ける。 「ある山の中に、E・フォースの群れが出たんだ。 動物園とか、ペット霊園とか、何かと動物関係の施設が多い地域でな。 その影響もあるかもしれないが――」 近隣の『人に看取られて生を終えた動物たち』と『死別した動物との再会を望む人間たち』の思念が寄り集まってエリューション化し、百体あまりの群れをなしてしまったという。 「E・フォースの識別名は『還り火』。 実体化した直後はぼんやりとした火の玉だが、人に接することで色々な動物の形を取る。 場合によっては、過去に亡くしたペットの姿になることもあるらしい」 彼らの性質はいたって穏やかで、緩やかに崩界を促すという点を除けば至って無害だ。 ただし、攻撃的な手段で排除するとなると話は簡単ではない。 「一体でも敵対すると群れ全体に警戒心が波及する上、連中は全体攻撃で一掃できるほど脆くもない。 下手に殲滅しようとすれば、かえって凶暴化して手がつけられなくなる可能性がある」 つまり、今回は平和的な解決が求められるというわけだ。 「こいつらは『人間とのふれあい』を強く求めているから、心ゆくまで一緒に過ごしてやればいい。 そうすれば、『還り火』たちは満足して自分から消滅する。 最低でも半日以上――早朝から夕方くらいまでかかるし、数が数だからなかなか楽じゃないけど」 要は、百体あまりのE・フォースを一体残らずもふり倒せということか。 動物好きにとっては天国だが、日中はかなり暑くなると予想される。途中で力尽きないための対策は何かしら必要かもしれない。 ここまで黙って話を聞いていた『Eile mit Weile』フェルテン・レーヴェレンツ (nBNE000264) が、ふと口を開いた。 「現場の人払いは必要ですか?」 問われて、数史が答える。 「あまり心配は要らないと思うけど、念のため結界でも張っておけば万全なんじゃないかな」 「では、そこは僕(やつがれ)が引き受けましょう」 そんなやり取りをフェルテンと交わした後、黒髪黒翼のフォーチュナは思い出したように付け加えた。 「……言い忘れてた。『還り火』たちは、充分に満足すると消える前にちょっとした“夢”を見せる。 内容は人それぞれだけど、大体は本人が望んでいることを映すことが多い。 おそらくは、付き合ってもらった礼のつもりなんだろうな」 特に悪い影響を及ぼすものではないから、突然にそうなっても驚かないでやって欲しい――と、数史は言う。 「正直、俺も行きたかったんだけどな。今回は、色々あってそういう訳にもいかなくてさ。 丸一日の仕事になるけど、皆にお願いしてもいいかな」 数史の言葉に頷きを返した後、フェルテンは控えめに呟いた。 「夜明けから日暮れまで、ですか」 最後には、どのような夢が待っているのでしょうね――。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:宮橋輝 | ||||
■難易度:EASY | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年08月29日(木)23:34 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 10人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
● 払暁の空を見上げて、緩やかな山道を進む。 日中はきっと暑くなるのだろうが、この時間はかなり過ごしやすい。 木々を渡る風が、清々しい涼気を運んできた。 「んー、いい気持ち」 麦わら帽子を被った『大食淑女』ニニギア・ドオレ(BNE001291)が、大きく伸びをする。 山の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む彼女の隣では、『微睡みの眠り姫』氷雨・那雪(BNE000463)が眠たげに瞼をこすっていた。普段であれば、まだまだお布団の住人になっている時間である。 「ねむねむさんだけれど……頑張る……」 睡魔と戦いつつ、肩からずり落ちかけた鞄のベルトを引っ張り上げる那雪。 今回は一日仕事になるため、食べ物や飲み物などは充分に用意しておかねばならない。かなりの大荷物だが、そこは力のあるメンバーが余分に引き受けてくれたりで自然と分担がなされていた。 「まだ虫が多いですねえ。山の中ですし、当たり前っちゃ当たり前ですが」 しつこく寄って来る虫を手で払い、『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)が持参の虫除けスプレーを手にする。出発時にもかけてきたのだが、そろそろかけ直した方が良さそうだ。 「うむ、感謝する!」 ジャージに身を包んだ『リング・ア・ベル』ベルカ・ヤーコヴレヴナ・パブロヴァ(BNE003829)が、うさぎに礼を言う。 まだ暗いうちからの強行軍は決して楽ではなかったが、リベリスタ達の表情は概ね穏やかだった。 最後尾を歩く『OME(おじさんマジ天使)』アーサー・レオンハート(BNE004077)が、武器の類が“幻想纏い”に収納されていることをもう一度確認する。 任務は大量発生したE・フォースの対処だが、決して戦いに来たのではない。平和的に解決できる手段があるというだけでも、かなり気が楽だ。 「毎度こんな仕事ばかりならな……」 ちょうど同じことを考えていたのか、『終極粉砕機構』富永・喜平(BNE000939)が呟きを漏らす。 世の中、そうそう甘い話ではないと痛いほど理解してはいても、つい零さずにはいられなかった。 一方、『無銘』熾竜 伊吹(BNE004197)は微妙に落ち着かない様子である。万全を期すべく、ほぼ全ての装備を置いてきたのだが、身軽すぎるのもなかなかに考え物かもしれない。 「頑張って沢山もふもふするで……!」 隣を歩く『かたなしうさぎ』柊暮・日鍼(BNE004000)の声が、不意に耳に届く。離れて暮らす娘より五歳ほど年上のこの青年を見て、伊吹は微かに目元を和ませた。 「……と、そろそろかな。フェルテン、結界頼めるか?」 東の空が大分明るくなってきたのを認めて、『やる気のない男』上沢 翔太(BNE000943)が肩越しに振り返る。『Eile mit Weile』フェルテン・レーヴェレンツ (nBNE000264) は黙って頷いた後、一帯に強力な人払いの結界を張り巡らせた。 間もなくして、地平線から太陽が姿を現す。紺碧の空が紫となり、そして橙色に染まりゆく自然のグラデーションは、えもいわれぬ程に美しかった。 「奥地様も、いらっしゃる事が出来れば良かったのですが――」 ここに居ない黒髪黒翼のフォーチュナを思い、『ファッジコラージュ』館伝・永遠(BNE003920)がごく小さな声で囁く。 「?」 振り向いたフェルテンに彼女が「いえ、何も」と微笑みを返した時、小さな火が宙に浮かび上がった。 ● 周囲を淡く照らす幾つもの火の玉が、たちまちリベリスタの視界を埋め尽くす。 ざっと百体あまりを数えるそれは、E・フォース『還り火』の群れだ。 人に看取られて生を終えた動物たちと、彼らとの再会を望む人たちの思念が寄り集まり、エリューションとして形をなしたモノ。 「人間との触れ合いを求めるE・フォースか……。 きっと、良き人と出会い、良き時間を過ごしたのだろうな」 生前の動物たちと人々が結んだ絆に思いを馳せながら、アーサーが僅かに目を細める。 『還り火』の性質が穏やかなのは、その関係が良好であったことの証明だろう。 「……正直、気持ちはすごくわかるんだよな」 E・フォースたちが生まれた経緯に想像を巡らせつつ、翔太がしみじみと呟いた。 彼らを看取った人たちのことを、少し羨ましく感じる。 長い時間を共に過ごしたとしても、その最期に立ち会えるとは限らない。家人の留守中に旅立ってしまったり、死期を悟って姿を消したり――そういったケースも含めれば、E・フォースの数は倍以上に膨れ上がっていたかもしれなかった。 揺らめく『還り火』たちが、リベリスタを認めて宙を踊る。 久方ぶりに見る人の姿に、喜んでいるのだろうか。 「のんびりと、撫でたいもので御座いますね」 うちの一体に、永遠がそっと手を伸ばす。 キョトンと目を見開いたいつもの無表情で、うさぎが足を踏み出した。 日頃、動物たちと触れ合う機会は多い。だが、それは街中で命を落とした野生動物であったり、飼い主不明のペットであったり――“既に冷たくなった”ものが殆どだ。 撫でても、洗っても、櫛を通しても。硬く強張った四肢は動かず、瞼は閉ざされたままで。 決して拒まれない代わりに、喜ばれもしない。 霊園で彼らの供養を一手に引き受けている以上、それは当たり前のことと理解している。 分かっていてなお、続けてきたのだ。今まで、ずっと。 でも――。 うさぎの指が、そろりと『還り火』に触れる。 伝わってきたのは、確かに“生き物”の――いのちの熱。 「……あたたかい」 ややあって、その姿が陽炎の如く揺らいだ。 リベリスタの思考や記憶とシンクロして様々な動物の形を取り始める『還り火』たちを見詰めて、ニニギアは心を和ませる。 動物は好きだ。言葉によらず、瞳や仕草で気持ちを表そうとする彼らはいじらしく、愛しい。 日鍼の眼前に現れたのは、過去に老衰や病気で亡くしたペットの兎たち。 「どの子も記憶通りの姿やなぁ……」 懐かしさと嬉しさの入り混じった表情を見せる青年に促されて、伊吹は彼らに歩み寄った。 牧場で働き始めてから大分慣れたとはいえ、“普通”の人や動物に対しては触れることすら躊躇してしまう。たとえ丸腰であっても、革醒で力を得たこの身は凶器と呼ぶに相応しい。 それは、外見よりも長い年月を生きてきた男の裡に燻り続ける――恐怖にも似た感情だった。 ふこふこと鼻を動かす兎たちの傍らに、静かに腰を下ろす。フォーチュナの話では、『還り火』はそこまで脆くもないということだった。素手で接する限り、傷つけてしまう心配はないだろう。 時を同じくして、那雪は銀の瞳を持つ黒猫を発見する。 月の色を思わせる双眸に、静謐な闇を湛えた毛皮、すらりと伸びた肢体。クールな物腰といい、どこか彼女の知る“夜の住人”を思い起こさせる猫だった。 脅かさないように、細心の注意を払って。水を注いだ皿を、ことりと地面に置く。 おいでおいでと手招きすると、黒猫は長い尻尾をそよがせて那雪の方を見た。 兎、猫とくれば、当然ながら犬も居る。 「ぐわーーーー」 懐こい犬たちにどっと群がられた喜平が、ごろごろ転がりながら悶えた。 我先にと乗っかってきたり、湿った鼻の先っぽを押しつけてきたり、頬を舐めてきたり。 何これ可愛いすぎて死にそう。というか死ぬ。 良き友であり、因子を共有する同胞でもある犬たちを前に、ベルカがボールを高々と掲げた。 「ボール遊びする者、よっといでー!!」 ● ベルカの声を聞いて、人も動物も彼女の周りに続々と集まってくる。 「俺も付き合う。フェルテンもやろうぜ」 動物たちを引き連れた翔太がフェルテンを誘うと、彼は「喜んで」と相好を崩した。 「――では行くぞ!」 それっとボールを投げたベルカが、犬たちと一緒になって駆け出す。 煩わしいリードなど要らない。ここに居るのはリベリスタと『還り火』だけ、誰に憚ることがあろうか。 「思う存分追いかけろ、転がれ、においを嗅げ!」 ボールを取り合う犬たちとじゃれつつ、全力で走る。 その様子を目にした喜平は、地に落ちていた木の枝を拾い上げて見得を切った。 「ククク、これは何かな。何だと思う?」 彼に気付いたベルカと犬たちの耳が、ピンと立つ。 さあ投げるぞと勿体をつける喜平の前で、揃ってそわそわ。尻尾ぶんぶん。 満を持して枝を投擲してやると、犬たち(ベルカ含む)は喜び勇んでそれを追った。 「そうだ取ってこい、野性に身を任せるのだ……ふぅーふふふ……」 走っていく彼女らの背を見送った後、その場に座して戻ってくるのを待つ。犬は良い。実に良い。 さて、一口に犬と言っても色々なタイプが存在する。 中には、忙しく駆け回る仲間を横目にどっしり腰を落ち着けてしまうようなのも居るわけで。 翔太はその中の一頭――ゴールデン・レトリバー似の犬をゆっくりと撫でる。 「大人しいなあ、こいつ」 気持ち良さそうに目を細める犬からは、警戒心の欠片も感じられない。 傍らでは、フェルテンがボクサー風の犬と綱引き遊びに興じていた。 「Bleib(待て)」だの「Genau(その通り)」だの声をかけていく様子を見て、ニニギアが目を丸くする。 渋い雰囲気を漂わせる彼が動物たちとの接し方に悩むようなら、励まそうかと考えていたのだが。 「フェルテンさん、慣れてるのね」 「故郷(くに)では、犬と暮らしていた事もありますから」 フェルテンが少し照れたように答えた時、木の枝を咥えた柴犬が喜平のもとに戻ってきた。 「よーしよし、良い子だ」 ご褒美のもふもふを受けて、柴犬は千切れんばかりに尻尾を振る。凛々しいドヤ顔がまた宜しい。 続いて、ボールを勝ち取った別の一匹が堂々と帰還した。 「まだまだ行けるよな。時間まで沢山遊ぼうぜ」 受け取った翔太がそれを再び放ってやると、犬たちはまたもや大フィーバー。 あぶれて寂しい思いをしている子は居ないかと辺りを見渡すニニギアの足元に、まだ小さな仔犬が擦り寄ってきた。 黒い瞳でじっと自分を見詰める仔犬を優しく抱き上げ、よしよしと背を撫でる。 「うぅ、かわいい」 無邪気であどけない子供の愛らしさは、人も動物も変わらない。 何度目かの『取って来い』ならぬ『取りに行くぞ』遊びから戻ったベルカが、今度はフェルテンにボールを手渡す。 「同志フェルテンも遠慮なさらずに。……さあ、投げるのです!」 目を輝かせ、力の限り尻尾を振るベルカを見て、フェルテンは大きく振り被った。 その様子を眺めていたアーサーは、ほっと胸を撫で下ろす。 生真面目さが災いして人払いのみに専念してしまうのではと密かに危惧していたのだが、どうやら無用な心配であったらしい。まあ、動物好きであるなら、もふもふを前にして黙っていられないのは自明の理かもしれないが。 そんなアーサーの周囲を固めるのは、美しい毛並みの狼やライオン、虎といった猛獣の群れ。 普段、なかなか触れ合う機会が得られない動物であるだけに、否応無しにテンションが上がる。 ふかふかとした毛皮を丹念に撫でた後、一頭ずつハグ。猫科らしくゴロゴロと喉を鳴らすライオンには、ついつい頬擦りまでしてしまう。 幸せそうな動物たちの姿を見て、もふもふが加速しない道理があろうか。いや、無い。 「……本当に良かった」 力の限り動物と戯れるアーサーの口から、偽らざる本音が漏れる。 想像するのも恐ろしいことだが――もし仮に、彼らと戦っていたら。武器をもって、倒さねばならなかったとしたら。 「俺の心は、折れていたかもしれん……」 それはもう、ばっきりと。 那雪の手には、色とりどりの紐と小さな鈴がついた猫じゃらし。 こちらに興味を示しはしても、なかなか自分から距離を詰めようとしない黒猫の気を惹こうと、彼女はそろり玩具を振った。 銀色の目が、すぅと細められる。 僅かに身を屈めた後、“彼”は優雅に洗練された動作で鈴に飛びついた。 今すぐにでも撫でたい気持ちをぐっと堪え、まずは空いた左手を差し出す。 白く細い指先に、黒猫がそっと鼻先を近付けた。軽く匂いを嗅いでから、背筋を伸ばして姿勢良く座る。 “彼”が気を許した頃合を見計らって、那雪は艶やかな背に触れた。 「お膝、乗ってきてくれないかしら……?」 焦ることなく、少しずつ仲良くなっていこう。時間はまだ、沢山あるのだから。 日鍼が飼っていた子だと言うから、てっきり二、三羽かと思っていたのだが。 伊吹の前にずらり並んだのは、実に十数羽に及ぶ兎たち。 「そんなにいたのか……」 一羽ずつ紹介してもらいながら、抱き上げて挨拶を交わす。 牧場で兎の世話をするうち個体差を判別できるようになったが、そうでなければ真っ白なのは全部同じ顔に見えていただろう。危ないところだった。 「えっとな、この子は蒲公英っていうんよ」 「――蒲公英か。良い名だな」 「タンポポの葉っぱが好きな子やってん」 続く一言に、伊吹の動きが一瞬止まる。それはもしや、共食いと言うのではなかろうか……。 「伊吹君も、もふもふする? ほーら蒲公英、ママとパパやで~」 手渡された蒲公英を柔らかく受け止め、その瞳を覗き込む。 小首を傾げるような仕草は、あたかも『ぱぱ? ぱぱなの?』とでも問いかけてくるようで。 「……うん、まあ今日はそれで良いか」 兎の喜ぶツボを日鍼に尋ね、おでこに指で触れる。 ふと視線を感じて俯くと、三羽の兎がこちらを見上げていた。 「そっちの子は蒲公英の子供で、つくし、オミ、ばーくん! ……見るんは久々やわ」 感極まって涙ぐむ日鍼を、空いた手で撫でる。この素直な青年を、伊吹は息子のように思っていた。 年齢の割に純情すぎる傾向があるのが、些か心配ではあるが――。 よしよしと日鍼を撫でているうち、不意に鳥の羽音が聞こえた。 思わずハッとして、天を仰ぐ。 伊吹の目に映ったのは、雄々しく羽ばたく一羽の鷲。 ワタリガラスの黒翼を背に生やした、かつての同僚ではなかった。 「あいつがここにいるはずがないか」 自嘲気味に独りごち、意識を兎たちと日鍼の側に戻す。 それこそ息子も同然の存在だった男の訃報を聞いてから、もう半年以上が過ぎていた。 彼の遺した“記憶”は、運命の皮肉を告げるかのように今も自分と共にある。 何かを察したのか、今度は日鍼が伊吹を撫でた。 「伊吹君も、色々苦労してきたんやね……」 優しげな日鍼の言葉に、伊吹はやや曖昧に答えを返し。 足元に寄ってきた一羽の兎を見て、僅かに表情を綻ばせた。 「このロップイヤー、日鍼に似てるな」 日鍼の兎耳をつまみつつ、もしかしたら兄弟かもしれない――と嘯く。 「……いや、前世か?」 そう付け加えると、日鍼も笑った。 本当は、垂れた耳は少しばかり不満だったりするのだけれど。今は、まあ良い。 『還り火』は、近くにいる人間の思考を反映して色々な動物の形をとる。 しかし、永遠の膝で丸くなる数体は、本来の姿――ぼんやりと淡く光る、火の玉のまま。 初めて出会った時、彼女は『還り火』たちにこう告げたのだった。 ――その光のままでいらっしゃって下さいね。僕は、其の侭の皆様と遊びたいですから。 見た目は炎そのものなのに、直に触れる『還り火』はほんのりと温かく、そして柔らかい。 彼らを順番に撫でながら、のんびりとお喋りを楽しむ。 正直なところ、走り回るのは得意な方ではないから。これが、自分なりの遊び方。 定番の犬猫、兎は勿論のこと。狐に狸、馬や牛といった大型の獣、果ては熊まで。 うさぎの周りには、ありとあらゆる動物たちの姿があった。 元より、選り好みをするつもりもない。遊び道具も持たずに、素手で彼らの輪に飛び込んでいく。 自分より小さな相手とは、じゃれつかれてはじゃれ返し。 尻尾の付け根を解してやったり、頭から首から背から撫でくり回したり。 自分より大きな相手とは、がっぷり四つとばかりに組み合い、両腕で抱き締め。 圧し掛かられては圧し掛かり返し、一緒にごろんごろんと転がっていったり。 五感も五体も、余さず活用する勢いで、力の限り遊ぶ。 表情こそ変化はないが、うさぎが大はしゃぎしていることは一目瞭然だった。 嗚呼。動物たちの温もりをこうやって肌で感じられるのは、何と幸福なことだろうか――。 ● 気付けば、正午をとうに過ぎていた。 一日で最も気温が高い時間帯ということもあり、疲れの色が見え始めたメンバーも居る。 膝の上で寛いでいた黒猫が地面に降りた時、那雪はおもむろに立ち上がった。 「もうお昼、なの……。よければ……みんなで食べない……?」 彼女の誘いに応じて、いったん集合。 全員、水分の補給はマメに行っていたが、昼食はまだ誰も摂っていなかった。『還り火』たちとの触れ合いに夢中になるあまり、食べる暇がなかったとも言う。擦り切れるまで遊ぶ覚悟で犬たちとプロレスごっこに興じていた喜平など、汗だくの上に空腹でかなり消耗していた。 もっとも、弱り具合ではベルカが一番ヤバいことになっているわけだが。 「あづい……」 元よりシベリア生まれで暑いのが嫌いなことに加え、ほぼノンストップで駆け回っていたとなれば無理もあるまい。犬らしく舌を出してスポーツドリンクを喉に流し込んだ後、水のペットボトルを手に取って中身を頭から被る。彼女にタオルを放ったうさぎが、虫除けと制汗剤のスプレー缶を手渡した。 「どうぞ。どっちにしても、いい加減流れまくってる頃でしょうし」 ついでに、空いたペットボトルや使用済みの紙コップ等をゴミ袋に放り込んでいく。これも遊びの一環だと思ったのか、動物たちも手伝ってくれた。 集まったゴミ袋を隅に寄せた翔太が、「よし、そろそろ食べようぜ」と皆を促す。地面に大きめのレジャーシートを敷けば、ちょっとしたピクニック気分だ。 最初に、よく冷えたおしぼりを全員に配って。ニニギアは、大型の保冷バッグから取り出した大量のおにぎりを並べていく。そこに、アーサーや日鍼らが持参した料理が加わった。 まだまだ、先は長い。はらぺこで倒れてしまっては元も子もないし、これでも多すぎるということはないだろう。 「備えあれば憂いなしよね」 うんうんと頷いた後、ニニギアは顔を上げる。 「にんじんやリンゴ、煮干しも持ってきたけど、還り火たちも何か食べられるかしら……?」 聞けば、皆もそのあたりは準備していた様子。 「牧場ではどの子も喜んで食べてくれるが、どうだろうな」 あらゆる動物に対応できるよう、餌を一式揃えてきた伊吹が『還り火』たちを見やる。 「きっと気に入ってもらえるはず! もし食べれんくても、お供えする感じにすれば――」 日鍼がそう答えた時、永遠がリンゴを一切れ手に取った。 肩にちょこんと乗っていた火の玉状態の『還り火』に、それを与えてみる。 炎が微かに揺らいだ直後、しゃくしゃくとリンゴを齧る音が聞こえてきた。 「大丈夫そうで御座いますよ」 にこり微笑み、『還り火』をよしよしと撫でる。火の玉がどうやって食べているのかという疑問は、この際置いておくことにしよう。神秘ってすごい。 改めて、『還り火』たちを交えてご飯タイム開始。 しきりに餌をせがむライオンの口元に、アーサーが生の肉を運んでやる。 「順番だからな。お前たちも少し待っているといい」 狼や虎といった猛獣が大人しく姿勢を正して並んでいる様は、現実ではなかなか見られない光景だろう。 考えてみたら、百体以上を数える動物や火の玉に囲まれて食事というのも凄い話だ。 「まぁ、ご飯を一緒に食べられるっていうのも幸せだと思うしなぁ」 しみじみと呟きつつ、翔太はフェルテンに料理を勧める。 「夕方まで、また結界使ってもらうことになるからさ。今のうちにゆっくり腹ごしらえしといてくれよ」 その心遣いを受けて、フェルテンも「任せておいてください」と笑った。 「そういえば、伊吹君て牧場で働いとったんやねぇ」 兎たちの好物を与えつつ、日鍼が伊吹に声をかける。 伊吹が頷きを返すと、彼は野菜スティックを手に表情を綻ばせた。 「今度その仕事っぷりを覗きにいこかな? ――はい、あーん!」 満面の笑みで、当然のようにそれを差し出す。 対する伊吹は一瞬面食らったが、じっとこちらを見上げている兎を両手で抱き上げ。 自分の代わりにと、野菜スティックを食べてもらう。流石に、人前でこれはかなり気恥ずかしい。 さて、これだけの人数が集まれば、自然とおやつの類も充実するわけで。 那雪が持って来たクッキーやマドレーヌを幸せそうに頬張るニニギアの隣で、日鍼は「皆で摘も!」と手作りのたこ焼きを広げる。 ここまでの食事といい、これだけ作れるのは立派だと感心する伊吹の前に、今度はクーラーボックスが置かれた。 「アイスもあるで、好きなん取ってってな♪」 つくづく、やる事にそつがない。 お腹がいっぱいになったら、いよいよ後半戦である。 はぐれた『還り火』は居ないかと周囲を見渡す翔太の目に、ふと一頭の羊が留まった。 人が背に跨れそうなほど、立派な体格をした羊である。 「良かったら、少し乗せてもらえるか?」 駄目元で頼んでみると、羊は快く承諾してくれた。 ゆったりと羊の背に揺られながら、かつての愛犬を思い出す。子供の頃、きょうだいのように仲が良かった“彼女”は、よくこうやって自分を乗せてくれたものだった。 残念ながら、アークに身を寄せてから暫くして虹の橋を渡ってしまったらしいが――最期を看取ってやれなかったことが、今でも悔しい。 思わず目を伏せた時、羊が不意に足を止めた。 「どうした?」 顔を上げ、羊の顔を覗き込む。その視線を追うと、そこに大きな犬が立っていた。 「ゆうき……?」 親友と同じ名を持つ愛犬の名を呼び、羊の背から降りる。 見れば見る程、“彼女”によく似ていた。 万感の思いを込めて、その背に触れる。これだけは、声に出して伝えておきたい。 「……散歩とか、一緒にしてくれてありがとうな」 聞くところによると、“彼女”は亡くなる直前まで、近所の子供達の良き遊び相手であったようだ。 幼い頃の自分にとって、そうだったように。 「本当に、感謝してる」 “彼女”に届けと願いながら、翔太は犬を撫で続ける。 どこか、懐かしい匂いがした。 ニニギアの次なるお相手は、遠いアフリカの風を感じさせるヌー。 大きな体を正面からぎゅっと抱き締めると、ヌーは尖った角で彼女を突付き返してくる。 なかなか迫力のある外見から繰り出される悪気のない攻撃は、全然痛くなんかなくて。 こちらが怪我をしないよう加減してくれているのだと、ちゃんと伝わる。 変化に乏しい表情だけ見ていても、なかなか分からないことだけれど。 「……ありがとう、癒される」 しっかり視線を合わせて、お礼とともに親愛のハグ。 周囲を見渡せば、他の『還り火』たちも、それぞれ仲間との触れ合いを楽しんでいるようで。 限りある時間を精一杯生きる姿をいじらしく思うと同時に、少し切なくなる。 ――どうしたら、もっともっと、喜ばせてあげられるだろう? 考え込むニニギアの麦わら帽子を、ヌーの角がこつんと突付く。 彼女はごめんごめんと笑って、その頬を優しく撫でた。 「いっぱい、遊ぼう」 ほんの一日で終わってしまうのだとしても、心ゆくまで。 三時を過ぎた頃、ベルカは大人しめの犬たちを誘って木陰に。 少し、暑さも和らいできただろうか。頬を撫でる風が心地良い。 思い思いに寝そべる彼らを撫でているうち、ゆるゆると眠気が押し寄せる。 ふわあ、と一つ欠伸をして。彼女は、穏やかな夢に沈んだ。 程なくして、喜平も小休止。 前半に頑張りすぎたのが祟ったか、流石にちょっと疲れてきた。 犬用のジャーキーを一緒になって齧りながら、地面に身を投げ出す。 油断していると、体がぐずぐずでろでろに溶けてしまいそうだ。 ジャーキーのおかわりを欲しがる柴犬に残りをあげて、ペットボトルの水を飲み干す。 もうちょっと休んだら、また遊んでやろう。 一方で、まだまだ疲れ知らずのメンバーも居る。 アーサーがそうであり、うさぎもまた、その一人だ。 厳つい顔をこれ以上ない程に緩ませて動物たちと戯れるアーサーなどは、まさに『もふリスタの面目躍如』といったところだろう。 「……少し、休まなくても大丈夫なのか」 自分のことを思い切り棚に上げて、アーサーはうさぎに問う。 鳥たちを交えて鬼ごっこするべく翼の加護を用いつつ、うさぎは答えた。 「今のうちに、出来るだけ体感したいんです」 尾羽を追いかけ、今度は追われ。羽と指とを伸ばし、空中ですれ違って。 時には、飛ぶのに不慣れな動物たちをフォローしながら。 「直接触れる……これ以上ない、実感ですよね」 「そうだな」 うさぎの言葉に感じ入ったように、アーサーが頷く。 「良かったら、次は俺達も混ぜてもらえないか」 彼の申し出に、うさぎは勿論です、と返した。 「皆、皆、一緒に遊びましょう」 傾き始めた陽が、山の向こうに沈んでしまうまで。 どこか遠くから、鴉の鳴き声が聞こえてくる。 永遠が顔を上げると、西の空はいつの間にか紅に染まりつつあった。 そろそろ、時間が迫っているのか。 「……なんだか淋しいわね」 クールな黒猫に動物用のクッキーを食べさせながら、那雪が呟く。 半日をかけて、せっかく打ち解けることが出来たのに、もうお別れだなんて。 せめて、最後にこの腕で抱き締めてあげることは許されるだろうか。 「ダメ、かしら……?」 銀月の双眸を覗いて、静かに問いかける。 彼女が腕にそっと力を込めた時、虹色の光があふれた。 ● ニニギアの前には、大きな大きなお菓子の家。 これは『還り火』たちが見せる夢なのだと、すぐに気付いた。 ありがとう――と、感謝が口をついて出る。 目覚めた時、悲しい思いはしたくなかったから。 夢であることを純粋に楽しめるような、こんな内容の方が嬉しい。 一抱えほどもある銀のフォークをよっこいしょと持ち上げ、お菓子の家を見上げる。 土台は、ふかふかとしたスポンジケーキ。屋根には、たっぷりとクリームが塗られていて。 「かわいい。どこから食べようか迷っちゃうわ」 チョコレートの扉か、クッキーの窓か。 家の中がどうなっているのかも、ちょっと気になる。 暫し悩みつつ、マシュマロの翼を背中でぱたぱた。 「やっぱりドアかなっ」 意を決して、ニニギアはえいやっとフォークを突き出した。 さて、どんな味がするだろう? 重い瞼を開いてすぐ、『何でもない』右手が目に入った。 上体を起こし、今度は左手を見る。布団をめくると、そこには二本の脚が並んでいた。 「……普通の手足だ」 思わず呟いた喜平に、彼を起こしに来たらしい“妻”が怪訝な顔をする。 自分でも、何を言っているか分からない。寝ぼけていたのだろうか。 促されるままダイニングに向かい、妻が用意してくれた朝食を二人で食べる。 そういえば、今日は取引先との打ち合わせがあるのだった。 妻に見送られて、いつもより数分早く家を出る。 通勤ラッシュに辟易しながら会社に行き、慌しく仕事をこなして。 定時に退社できたのを幸いに、いそいそと帰路につく。今日も、やけに蒸し暑い。 帰ったらシャワーを浴びて、冷えたビールで一杯やりたい。 呑みすぎと怒られるかもしれないが、夕食後の皿洗いでひとつ許してもらおう。 妻も、何だかんだ言いつつ付き合ってくれるだろう――。 夕暮れ色の街並みを抜けて、うさぎは家路を辿る。 今日は、帰るのが少し遅くなってしまった。 母は、夕飯を焦がしていないだろうか。 父は、また叱られていないだろうか。 兄たちは、喧嘩しないで仲良くしているだろうか。 大おじは、もう酒瓶を空けた頃だろうか。 道は、真っ直ぐ前に伸びている。 幾度となく通ってきた、家までの一本道。 姉のお土産は、何だろう。 帰ったら、祖母は本を読んでくれるだろうか。 動物たちも、きっと待っているはず。 「……ああ、楽しみだな」 それは、決して家に辿りつくことのない“幸せな帰り道”。 一目見てしまえば、夢だと分かってしまうから。 温かな家族が待つことを信じて、ただ、走る――。 どこか、部屋の中に居るのだと感じた。 真っ暗で何も見えないけれど、ひどく窮屈で息苦しい。 何もすることがないから、やけに眠くて。 ぼんやりと夢と現を行ったり来たりしているうち、音もなく扉が開いた。 入口に、誰かが立っている。逆光で、顔はわからない。 その誰かが、那雪に恭しく手を差し伸べる。 すらりとした“彼”のシルエットには、どこか見覚えがあった。 「……あぁ、さっきの猫さん?」 “彼”の手を取り、ゆっくりと立ち上がる。 入口から差し込む光の眩しさに目を細めていると、“彼”は黙って那雪を促した。 掌から伝わる、確かな安心感。 那雪は頷きを返すと、“彼”に導かれるように部屋の外へと踏み出した。 皆がそれぞれ夢に誘われていく中、日鍼が目にしたのは現実と殆ど変わることのない光景。 ただ一つ異なるのは、自分が『人の顔を正しく認識出来ている』こと。 過去に起こったエリューション事件で頭に傷を負って以来、失われた筈のその機能を補ったものが何であるか――彼は気付いていた。 「夢やとしても、周りに居る人らの顔を教えてくれたんやね……」 今もそこに在る筈の『還り火』たちに向かって、「おおきにな」と囁く。 皆の顔を順に見た日鍼は、自分が“人間の顔”を忘れていなかったことに心からの安堵を覚えた。 最後、自分の隣に視線を巡らせ。思わず、うふふと笑みを零す。 「伊吹君はそんな顔しとったんやねぇ。男前やん」 まだ夢を見ているだろう彼を邪魔しないよう気を配りつつ、日鍼はその横顔を飽かずに眺めていた。 虹の橋の袂に、黒翼の青年が座っている。 様々な種類の動物たちが集ったそこは、争いのない世界だった。 糧を得るために殺すことも、飢えた獣に殺されることもない、ある種の理想郷。 ――あいつはもう、戦わなくて良いのだな。 そんなことを考えつつ、伊吹はもう一人の“息子”に歩み寄る。 足音を聞きつけてか、彼はゆっくりとこちらを振り返った。 許されるなら、戦わずに生きられたらと思えど。 過酷な現実においては甘い幻想に過ぎぬと、理解はしている。 牙を剥き、爪を立て、命を奪う。それが、『生きる』ということであろうから。 「……念のため尋ねるが、お前の待ち人は俺ではないよな」 その問いに、黒翼の青年は呆れたような表情を浮かべて。苦笑とともに、首を横に振った。 ならば良かった――と答え、彼の顔を見る。 どうやら、待ちぼうけを食わせる心配はなさそうだ。 一体、自分はどうしたのだろう。 嬉しいことがあった筈なのに、すぐには思い出せない。 程なくして、掌の中にある“もの”に気付く。 鈍色の戦斧に鷲がとまった、立派なメダル。 それは、アークに――ご主人様(マスター)に褒めて貰えた証だった。 メダルを手に、ベルカは大切な人のもとに走る。 「みてみて、ねえさま! こんないいモノもらっちゃったよ!」 すぐには語り尽くせぬ程に、伝えたいことがあった。 友達も沢山できたし、抱っこしてもらわなくても眠れる。 だから、だから。“ねえさま”も、きっと自分を褒めてくれる筈。 「……でも、さみしいな」 本音が、思わず口をついて出る。 「ねえさまたちも、いっしょにくればいいのに……」 彼女らの姿は、今も“あの時”のまま。十四年前、“家”が壊れてからずっと――。 夜の街を彩るのは、キラキラと輝くイルミネーション。 自分よりも大きな男の人と女の人に手を繋がれ、少年のアーサーは弾んだ足取りで歩く。 両側から代わる代わる語りかけてくる二人の声は聞こえず、顔もよく見えない。 それでも、アーサーが不安を感じることはなかった。 明るい音楽が流れる街には、眩い光が満ちている。今日は、楽しい楽しいクリスマスだ。 ご馳走を食べて、プレゼントを交換して、その後は――。 屈託のない笑みを、顔いっぱいに浮かべて。アーサーは、“家族”との時間を過ごしていた。 一年に一度の、特別な日に。これ以上ない程の幸せを、小さな胸に抱きながら。 父の手を取って、二人で遊園地のゲートをくぐる。 賑やかな場所は苦手なのか、雑踏の中で見る父は少し困り顔で。 そんな父を半ば引っ張るようにして、永遠は奥へ奥へと進んでいく。 我儘を言って連れて来てしまったけれど、どうしても思い出が欲しかったから。 ライトアップされたお城に、くるくる回るメリーゴーラウンド。 色とりどりの光が踊る中、共に寄り添って写真を撮る。 隣に立つ父が自分に笑いかけてくれるだけで、幸せだった。 夢だと判っていても、まだ醒めないで欲しかった。 現実でも、こうやって遊園地に行きたかった。 父が今も生きていたら、自分は此処に居なかっただろうけど。 手を繋いだまま、亡き父に語りかける。 「……ねぇ、父様。僕、好きな人がいるんです」 他愛のない話をして、笑ってくれる人。 傍に居ると、安心できる人。 「素敵でせう? ……それが、云いたかった」 優しく頭を撫でる父を見上げて、服の袖を掴む。 「僕は要らない子ではないですか? 此処に居てもいいですか?」 幸せになっても、良いですか――? ● 慌てた様子で、『還り火』たちが翔太の周りを旋回する。 ここに集まった人々の中で、彼だけは何の夢も願わなかったからだ。 困惑を悟ったのか、翔太はひらひらと手を振って。 「ああ、俺は良いよ。他の皆に使ってくれ」 と、事も無げに言った。 翔太にとっての幸福とは、『皆と笑いながら楽しく暮らす』こと。 それを目指す方法は知っているつもりだし、誰かに頼ることなく自分の力で実現したいと思う。 「応援なら嬉しいけどな」 そう告げる翔太を前に、数体の『還り火』が考え込むように炎を揺らめかせる。 ややあって、彼の肩に何か小さいものがぽとりと落ちた。 「……?」 虹色に輝く、小さな結晶。拾い上げると、ほのかに温かい。 これは何かと問おうとした瞬間、『還り火』たちは光の粒となって空に消えた。 ――もしかして、代わりのお礼だろうか。 『還り火』たちの律儀さに、思わず苦笑する翔太。 直後、夢から醒めたニニギアが大きな声を上げた。 「くぅぅ、もうちょっとで全部食べられたのに!」 あと少しでお菓子の家を完食というタイミングで、時間が来てしまったらしい。 鉄戦斧勲章を握り締めていたベルカが、はたと我に返った。 「そうか。これが、『夢』か。夢、なのだな……」 見たものを思い起こすうち、彼女の視界が歪む。 その隣で、那雪は自分の手をじっと見詰めていた。 昔のことなど、普段はあまり思い出さないのだけれど。 「ずっと……だれかに、連れ出してほしかったの、ね……」 掌に残る温もりを包み込むように、そっと手を握る。 顔を上げると、表情に乏しいうさぎの瞳からポロポロと涙が零れていた。 「……はは、情けないな」 溢れる雫を払っても、いったん堰を切ったそれは簡単には止まってくれない。 嬉しかった。幸せだった。それは、儚い夢であったけれど。 一人沈黙を保ったまま、アーサーが瞼を閉じる。 幼い自分と共に居た男女、あれはきっと父と母であったのだろう。 自信を持って言えないのが悲しいが、あの時の自分は、あんなにも幸せそうに笑っていたから。 一方、喜平は少し複雑な表情を浮かべていた。 ごく普通の人間として家庭を持ち、平穏な日常の中で緩やかに老いていく。 彼が見ていたのは、実にささやかな夢だ。 (……まぁ、無理な話なんだがな) 少なからぬ数を殺めてきた自分は、真っ当な死に方など望めないだろう。 それでも、もし許されるのなら。一度くらいは、あの娘と――。 甘い夢は過ぎ去り、リベリスタ達は再び“現実”に戻る。 しかし、まだ見ぬ未来に一歩を踏み出すのは、これからである筈だった。 「だいすき」 夢の終わりに告げた言葉を、永遠はもう一度繰り返す。 当たり前のように頷いてくれた、最愛の父に。 『父様。僕は――永遠は、幸せです』 願わくば。次にこの手を取るのが、父に似ているあのひとでありますように。 やがて、ベルカが溢れる涙を拭いながら口を開く。 「同志奥地の導く仕事は、どうも泣かされてしまう事が多いな……」 気遣わしげに皆の様子を伺っていたフェルテンを振り返ると、彼女は大きな声で言った。 「帰りましょう。明日も、任務が待っています!」 「ええ。お疲れ様でした」 二人のやり取りを聞きながら、アーサーは天を仰ぐ。 「再び生まれてくる時も、良き人と出会い、良き時間を過ごせますように」 旅立つ前、彼らが見せてくれた夢の礼にはならないかもしれないが――せめてもの祈りを込めて。 「……忘れへんよ。ずっとずっと覚えとく」 夢で見た皆の顔を記憶に刻み、日鍼が誰にともなく囁く。 飛び立つ鳥を眺めていた伊吹が、黙って踵を返した。 ――まだ、自分は生きられる。戦い続けることが出来る。 それは、“息子”との対話で得られた確信。 空から降りた紺碧の帳が、山を再び夜の色に染めていった。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|