● ふと、懐かしい香りがした。 白い湯気がたゆたう温泉と、空にぽっかりと浮かぶ月。 それは、確かに見覚えがある景色だった。 『――あなた』 隣で不安げな表情を浮かべる妻に、心配要らない、と伝える。 周囲に視線を巡らせると、やはり“穴”があった。 我々の世界とこの世界とを繋ぐ、次元の裂け目。 今日はあちらでも霧が出ていたから、気付かずに通り抜けてしまったのだろう。 つまり、ここは過去にも何度か訪れた――ワタシが初めて温泉というものを知った、あの世界だ。 『ぱぱー、あれが“おんせん”?』 幼い息子が、温泉を指して問う。 そうとも、と笑って答えた後、ワタシはふと思案に暮れた。 この世界において、我々は“異物”であると聞いている。 ワタシは例外的に『無害な』存在らしいが、妻子はそうはいかない。 長居をすれば、きっとこの世界に迷惑をかけてしまう。 ただ、ほんの一時だけでも、妻と子に温泉を楽しませてやりたいという思いもあった。 ワタシたち一家は、この素晴らしい自然の恵みを求めて各地を旅しているのだが、未だその目的は果たされていない。 いくつかの手がかりは得ているので、いつか必ず見つかるとワタシは信じているが―― せっかくこの地を訪れたのだから、本物の温泉を是非とも体験してもらいたいと思うのだ。 雲を掴むような夢に共感し、ともに歩んでくれる最愛の家族に。 この世界で出会った“ひと”たちの顔が、次々と脳裏に浮かぶ。 あの“ひと”たちに迷惑はかけられない。でも、この機を逃せば、次はいつになるか。 ワタシが迷っていると、幾つもの足音が聞こえてきた。 闇に目を凝らせば、四つ足の生き物に乗った五つの騎影が近付いてくる。 「こんばんは、良い夜ですね」 声をかけるも、彼らがスピードを緩める気配はない。ワタシの背で、妻と子が思わず身を竦ませる。 『ヒャッハー! ミナゴロシダー!!』 どこか剣呑な雄叫びが、我々の耳朶を打った。 ● 「山で暴れるE・ビーストの群れがいるんで、ちょっと倒してきてもらえるかな」 アーク本部のブリーフィングルーム。招集に応じたリベリスタ達を前に、『どうしようもない男』奥地 数史(nBNE000224)は開口一番にそう言った。 「E・ビーストは全部で十体。猿と猪が五体ずつで、猿が猪の背に跨ってる。 まあ、馬みたいな感覚で乗り回しているんだろうな」 猿のうち一体が群れのボスで、一回り大きな体格をしているので見分けるのは簡単だという。 無論、能力的にも他の猿より格段に強い。 「こいつら、群れで山賊みたいな悪事を働いてるっつーか…… 山の中を走り回っては、適当な獲物を見つけて弄り殺すっていうことを繰り返してるわけ。 で、ちょうどそこに迷い込んだ善性アザーバイドの一家が襲われかけてるっていう」 このままではE・ビーストたちに殺されてしまうので、できれば助けてやって欲しいと数史は言った。 「アザーバイドだが、以前にも何度かこっちの世界に来てるんだよな。 黒い毛皮の犬みたいなやつで、『犬さん』って呼ばれてる。 温泉好きで、どういうわけかいつも温泉の近くに現れるんだが――まあ、今回もその例に漏れなかったようで」 その『犬さん』、どうやら一人(?)ではないらしい。 妻子を連れて温泉を探す旅をしていたところ、ディメンションホールを抜けてこの世界に出てしまったようだ。 「……『犬さん』はフェイトを得ているが、妻子はそうじゃないからな。 崩界を招くことを嫌ってすぐ帰ろうとしたものの、温泉を前にして後ろ髪を引かれたんだろう。 でもって、温泉に浸かっていくかどうか悩んでるうち、E・ビーストに遭遇した、と」 『犬さん』たちは至って友好的な性質で、前述の通りこの世界に対する害意は皆無である。 E・ビーストたちを倒して彼らを救出した暁には、暫し温泉を堪能させてやるくらいは問題ない筈だ。 ついでに、リベリスタ達も温泉に浸かって戦いの疲れを癒すという手もある。『犬さん』たちが帰った後、ディメンションホールを塞ぐことさえ忘れなければ、ある程度は自由に楽しんで大丈夫なようだ。 「ま、説明はこんなとこかな。現場は山の中だし、夜だから装備とかはきっちり整えていってくれ。 ――どうか、気をつけてな」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:宮橋輝 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 2人 |
■シナリオ終了日時 2013年08月25日(日)22:49 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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■サポート参加者 2人■ | |||||
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● 地を揺るがせ、五つの騎影が迫る。 それを認めた『犬さん』は、まず怯える妻子を自らの後ろに下がらせた。 逼迫した状況にそぐわぬ暢気な声で、「困りましたねえ」と呟く。 温泉を諦めて元の世界に引き返せば済む話だが、先方のスピードを考えるとそれも難しい。 幼い子供を庇いつつでは、きっと“穴”の手前で追いつかれてしまうだろう。 しかし、異界の客人たちは未だ運命に見放されてはいなかった。 凶暴なE・ビーストを駆逐して一家を救うべく、『アーク』のリベリスタが駆けつけていたのだから。 「……温泉好きの犬さん一家とか、最高に良いな」 むくむくもこもこな『犬さん』たちの後姿を見て、『やる気のない男』上沢 翔太(BNE000943)が微かに目元を和ませる。これは助けなくてはなるまい――と、『リング・ア・ベル』ベルカ・ヤーコヴレヴナ・パブロヴァ(BNE003829)が相槌を打った。 後方からの足音に気付いて振り返った『犬さん』に向けて、『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)が声を張り上げる。 「はいお久しぶりです! 早速ですが奥さんと子供さん連れて下がって!」 返答を待つことなく、うさぎは先行する二人と共に一家の脇を駆け抜けた。 『犬さん』たちとE・ビーストの間に壁を作る前衛に続き、『ソリッドガール』アンナ・クロストン(BNE001816)が動く。 彼女は一家を背にして立つと、おでk……失礼、全身から光を発して戦場を照らした。 非常用のカンテラを腰に括った衣通姫・霧音(BNE004298)が、白い湯気を漂わせる温泉を一瞥する。 「温泉、か。山奥にあると秘湯って感じがするわね」 先日に負った左目の傷は、未だ癒えていない。事情が許せば、のんびり湯治といきたいところだが――今は、その前にやることがある。 「――無粋な猿には退場して貰うぞ!」 “幻想纏い”から装備をダウンロードした『Brave Hero』祭雅・疾風(BNE001656)が、“変身”とともに叫んだ。 ● 進路に立ち塞がった人間達を見て、猿のE・ビーストが猛る。 『ヒキコロセ! ヒャッハー!!』 棍棒を振り回して力を高めた五頭の猿が乗騎の腹を蹴ると、猪たちは鼻息荒くリベリスタに突進した。 前衛が敵を残らず食い止めたのを認めて、『メイガス』ウェスティア・ウォルカニス(BNE000360)が背の翼を羽ばたかせる。 「大丈夫、ここは任せて!」 『犬さん』一家の横に並んだ彼女は、彼らに声をかけると同時に詠唱を響かせた。 術者の血を媒介に生み出された黒き鎖が、空中からE・ビーストたちを襲う。『さぽーたーみならい』テテロ ミミミルノ(BNE004222)が全員に翼の加護をもたらす中、キンバレイ・ハルゼー(BNE004455)がポツリと呟いた。 「ひゃっはー! とか消毒だー! とか死亡フラグですよね……きちんとフラグ成就させてあげないと」 いかにも世紀末っぽい鳴き声の猿たちを眺めやり、周囲にたゆたうマナを体内に取り込み始める。 避難勧告を受けた『犬さん』たちが後退するのを見届けた後、翔太は前に視線を戻した。 「万が一にも、犬さん達に突っ込ませるわけにはいかないからな」 群れのボスと思しき一頭に狙いを定め、素早く地を蹴る。その姿が掻き消えた瞬間、翔太は既にボス猿へと斬りかかっていた。 「――いいぞ、その位置だ!」 右隣の一騎を抑えに回りつつ、ベルカが閃光弾を投じる。 E・ビーストの後方で弾けた音と光が、血気に逸る獣たちの体勢を崩し、さらに動きを封じた。 何よりも優先すべきは、一家の無事である。犬のハーフムーンとして深化を果たした身として、もはや“同胞”とも言える『犬さん』たちの危機を見過ごすことは出来ない。 随所に照明を仕込んだ“着るプラネタリウム”――懐中電灯ならぬ懐外電灯を纏ったうさぎが、引き締まった肢体を宙に舞わせる。 うさぎは素早くベルカの反対側に翔けると、猿たちに張り合うが如く大きな声を上げた。 「ヒャッハー! 害獣駆除だー!!」 キョトンと目を見開いたいつもの無表情で言われると、微妙に怖いわけだが。 ボスの両脇を固めるもう一騎をブロックしつつ、ヘッドレスタンブリンにも似た“11人の鬼”を閃かせる。肌を裂き肉を抉る涙滴型の刃が、赤い血の雨を降らせた。 いつにも増して冴え渡るうさぎの動きを見て、アンナが独りごちる。 「後方支援は望むところ。……さ、いつもどおり行きましょうか」 前線で戦う友人が『犬さん』と旧交を温められるよう、ここは一肌脱ぐとしよう。 戦場全体を視界に収め、敵の出方を伺う。仮に猿が乗騎を乗り捨てて攻めてくるなら、後衛の自分達もブロックに回らねばならない。 「まずは野蛮な獣退治と行きましょう」 腰に帯びた“妖刀・櫻嵐”を抜き放ち、霧音が敵を睨む。 連中を排除しないことには、おちおち温泉でゆっくり過ごすことも出来やしない――。 「……私達も、彼らもね」 味方を巻き込まぬよう、前方のみに的を絞って戦鬼の烈風を巻き起こす。低空飛行で射線を確保するウェスティアが、再び呪いの鎖を奔らせた。 本来ならば速射性に欠ける術だが、高速詠唱を得手とする彼女はこれを難なく連発してのける。黒の濁流に呑まれたE・ビーストに鎖が絡みつき、その四肢を次々に縛り上げていった。 猪が残らず捕らえられたことを確認して、疾風が全身に“気”を廻らせる。剛と柔を併せ持つ金剛の構えを取った彼の視線の先で、『Radical Heart』蘭・羽音(BNE001477)が跳んだ。 白頭鷲の尾羽を揺らし、ボス猿に肉迫する。その手の中で、“ラディカル・エンジン”が低く唸った。 「犬さん達の為にも、頑張らなくちゃ」 裂帛の気合とともに闘気を爆発させ、渾身の一撃を巨体に叩き込む。 麻痺と呪縛の波状攻撃で敵が浮き足立っている隙に、キンバレイが聖句を口ずさんだ。 「戦術というめんどくさい事はおにーさんおねーさんに任せて、きんばれいは回復するのですよー!」 高位存在がもたらした大いなる癒しの息吹がリベリスタ達を包み、傷をたちまち塞いでいく。ここまで待機していたアンナが、すかさず攻撃に転じた。 デザインと神秘道具としての性能を兼ね備えた眼鏡“リュネット”のレンズを光らせ、魔力を解き放つ。 「食べる為でもないのに嫌な暴れ方しよってからにこの世紀末系ナマモノ! 容赦なしだっ!」 眩い輝きを秘めた裁きの閃光が、全ての敵を烈しく灼いた。 ● 元は軍旗であった“четыре”を掲げて、ベルカは最前線で指揮を執る。 体の自由を取り戻したE・ビーストの一部を閃光弾で再び封じつつ、彼女は青い目を細めた。 「この突進力、調子付かせると危険だな。しかし……」 横に視線を走らせ、ボス猿の抑えを担当する翔太を見やる。メンバー中でも最高の回避力を誇る彼は、豪腕から繰り出される棍棒の一撃を悉く受け流していた。 牙を剥く猪を緑色の長布でいなしつつ、うさぎが答える。 「あまり賢くなさげなのが救いですかね」 逆に言えば、彼らのメンタリティはあくまでも獣の域を出ないということだ。今は戦意旺盛でも、追い詰められた時に逃走を選ぶ可能性はゼロではないかもしれない。 うっかり取り逃がして楽しい苦しい山狩りタイム、温泉はお預け――などという事態は、何としても避けたいところである。 「ばっちりたすけて、ミミミルノたちもゆっくりおんせんにはいるのですっ!」 三つ編みにしたツインテールを揺らしながら、ミミミルノが前衛たちに癒しを運ぶ。状態異常で絶えず動きを封じられ続けるE・ビーストたちが、彼女らの回復力を超えてリベリスタにダメージを与えるのは至難の業だった。 「異世界よりの来訪者と温泉とか、ちょっと凄い体験だよね……?」 普段着と公言して憚らないゴスロリドレスの裾を靡かせ、ウェスティアが声を弾ませる。 滅多に無い機会を幻にしないためにも、ここは奮起せねばなるまい。真っ先に屠るべきは、この群れを統率するボスだ。 手書きのメモが雑然と記された魔道書のページに、華奢な指が触れる。反動を顧みることなく、彼女は全力で血の黒鎖を放った。 雁字搦めに縛られたボス猿に向かって、疾風が翔ける。 強化外骨格弐式[撃龍]――青き龍をその身に纏った青年は、間合いを越えて敵の眼前へと迫った。 「抗う力さえもない人々を護る為に、この力はあるんだ……!」 ダマスカス鋼のブレードが唸り、丸太ほどもある棍棒を斬り飛ばす。次いで繰り出された掌底が、ボス猿の鳩尾を捉えた。 断末魔の絶叫を響かせ、巨体が地に叩き付けられる。 ボスが斃れたのを目の当たりにして、残りの猿たちは一斉に色めき立った。 リベリスタ達は続いて、彼らの乗騎である猪を潰しにかかる。翔太がまず一頭の足を払ったところに、虚空を裂く霧音の斬撃が鋭く追撃を浴びせた。 猿たちは口々に喚き散らすばかりで、今のところ逃げを打つような気配は見られない。 いずれにせよ、考える暇など与えはしないが――。 ブロックを死守して戦線を維持するうさぎが、空中で軽やかにステップを踏む。鮮血に彩られた刃の輪舞が地に描くは、不吉に咲く無数の紅花。 濁流となり押し寄せたウェスティアの黒鎖が葬送の旋律を奏で、数頭の猪と猿一頭に止めを刺す。 横倒しになった猪の死骸を見て、キンバレイのお腹がくぅと音を立てた。 「あの猪……鍋にして貰うこと出来ませんかねー?」 はらぺ娘(こ)だからといって、E・ビーストを食うのはちょっと止めた方がいいと思います。 現状では回復は不要と判断し、攻勢に出るキンバレイ。彼女が展開した魔方陣から小さな矢を放った直後、アンナの裁きの光(ジャッジメントレイ)が残る猪を焼き尽くした。 肩越しに振り返ったうさぎが、アンナを称賛する。 「……にしても、デコ本当頼りになりますね」 「誰 が デ コ か」 デコ呼ばわりにアンナが眉を寄せるも、うさぎは普段通りのポーカーフェイス(無表情)。 「えっ? ごめん、言ってる意味が分からない」 まあ、こんなやり取りが飛び出すのも戦況に余裕が出てきた証だろう。 「これより、残敵の掃討に移る!」 効率動作の共有で全員の攻撃力を引き上げ、ベルカが高らかに宣言する。 ボスと乗騎を悉く失った猿たちは、烏合の衆に過ぎない。百戦錬磨のリベリスタにとって、もはや敵ではなかった。 顔の下半分を覆うマフラーを靡かせ、疾風が切り込む。 「悪いけど、犬(ワンコ)は好きなんだ」 “VDアームブレード”に迅雷を纏い、その名に恥じぬ速力で猿を斬り裂く彼に続き、霧音がただ一つ露になった蒼の右目で獣たちを見据えた。 「当然、自分達が獲物になる覚悟は出来ているわよね?」 返答など、端から求めていない。間合いも、硬度も問わぬ居合の秘技を操り、猿の首を一息に刎ねる。 人体を切断するために調整されたチェーンソーを駆る羽音が、もう一頭を仕留めた。 「――これで最後だな」 ただ一頭残されて立ち尽くす猿に、翔太が視線を送る。 刹那、最高速に達した彼の剣が乱暴者の猿を斬り伏せていた。 ● E・ビーストの全滅を見届け、ウェスティアが「終わったー!」と歓声を上げる。 平和を乱す猿と猪は滅び、『犬さん』一家は無事に難を逃れた。これで、心置きなく温泉を楽しめるというものである。 「むしろ、こっちが今回のメインといっても過言では……」 思わず本音を口にしかけてしまい、慌てて誤魔化すウェスティア。 「あ、いえ、嘘です。お仕事大事です」 ――いいのよ。自分に正直になっていいのよ。 一方、うさぎは『犬さん』一家に歩み寄る。 「やあやあ、ご無沙汰しております。うさぎさん。 また危ないところを助けていただいて、何とお礼したら良いやら……」 むくむくの顔いっぱいに恐縮さを湛えて頭を下げる『犬さん』の後ろでは、彼の妻子が初めて見る異界の住人に目を丸くしていた。 「初めまして、犬束うさぎと申します」 言葉が通じないのを承知で、軽くご挨拶。 『犬さん』が通訳してくれたこともあり、妻子もすぐに相好を崩した。 例によって、名前はボトム・チャンネルの言語で発音不可能な系統のアレだったので、とりあえず『奥さん』と『ジュニア』という呼称が採用されたわけだが。 打ち解けた頃合を見て、一家を温泉に誘う。もはや、そこは決定事項に近い。 「短時間寛ぐ位なら、崩界にさほど影響無いと思うし」 “変身”を解いて口添えする疾風の顔には『ワンコ可愛い(もふもふしたい)』と書いてある。 「遠慮せず、楽しんでって下さいな」 「一緒に温泉を満喫しようぜ」 うさぎと翔太が『犬さん』たちを促すと、彼は満面の笑みを浮かべた。 「それでは、お言葉に甘えて」 温泉を前に盛り上がる一家を横目に、リベリスタ達もそれぞれ着替え始める。 ……と、その前に翔太が気付いた。 「そういや、ここって着替え場所あるのか?」 一応、適当な茂みなどは存在するようだが、今回のメンバーには女性も多く含まれるということで、大きめの布などを用いて即席の更衣テントを設置する翔太。 口では面倒臭いとか言う割に、よく気が付く男である。偉い。 「温泉~!」 薄手の白いスクール水着に身を包んだキンバレイが、大きめのバスタオルを手に温泉に駆け寄る。 傍らには、いつの間にか着替えを済ませていたらしいうさぎの姿。怪盗の変身能力で、女性の外見になっている。こんな時、このスキルは非常に便利だ。 「や、とても良いお湯ですよ」 一足先に楽しんでいた『犬さん』たちを眺めて、うさぎが思わず呟く。 「もふもふ一家ですね、素晴らしい。……素晴らしい」 大事なことなので二度言いました。 そんな訳で、お待ちかねの温泉タイムである。 空を見上げれば、ぽっかり浮かぶ月と満天の星たち。 湯の熱が、肌を通して心身にじっくりと沁み渡っていくようだ。 「ここのところ、此処の所激しい戦いの連続だったものね。 時には心身を休める事も大切だわ――」 そう言って目を閉じる霧音に、羽音が微笑んで頷きを返す。 今日は山道を歩いてきたことだし、帰るまで暫くゆっくりしていくとしよう。 アンナもまた、温泉に身を委ねながら大きく息を吐いた。 「はぁー……火力支援までやるようになってからこう、妙な疲れが……」 一握りのエースに頼りがちなアークの構成上、常に人手不足と言えばそうなのだが。 溜まりに溜まった疲労を湯に溶かしこむように、アンナは身体を解していく。 のんびりまったりゾーンの隣では、『ジュニア』が初めての温泉に大はしゃぎ。 「よーし犬さんジュニアよ、肩まで浸かれよー」 『犬さん』一家に負けず劣らずもっふりふっさりな犬ハーフムーン・ベルカと一緒に、大きな声で百までを数える。キンバレイが水面に浮かべたアヒルを見て、『ジュニア』が目を輝かせた。 「おとーさんが小さいころ買ってくれたのです!」 いいなぁと羨ましそうな『ジュニア』の頭を、疾風が撫でる。 玩具などなくとも、ヒーローは子供を決して退屈させはしない。 やがて『ジュニア』が遊び疲れた頃、ウェスティアが両腕をそっと伸ばした。 ぬいぐるみのような小さな体を抱っこしつつ、灰色の毛皮を疾風と代わる代わるもふってみたり。 横から眺めていた『奥さん』が、息子の面倒を見てくれるリベリスタ達に小さく頭を下げる。 「やっぱり温泉ってさ、広いからこそ開放感があって疲れも癒されるんだよなぁ……」 心地良い賑やかさの中、翔太はしみじみと言って湯に身を沈めた。 そういえば――と、ベルカが『犬さん』を振り返る。 「ご一家は、温泉を求めて旅をされているのか」 『犬さん』がにこやかに頷くと、疾風が「異世界でも温泉は人気あるのかなあ」と素朴な疑問を口にした。 どうも、彼らのチャンネルでは“温泉”という概念そのものが存在しないらしい。 ベルカは少しでも温泉探しの参考になれば、と火山を目印にすることを勧めたが、今のところそういった“火を噴く山”は見つかっていないようだ。 「ありがとうございます。諦めずに、じっくり探してみますよ」 ボトム・チャンネルにおいても火山に由来しない温泉は存在するし、階層が違えばそのあたりの法則が異なっている可能性もある。 「いつか必ず見つかると、ワタシは信じているんです」 確信を込めた『犬さん』の言葉を聞きつつ、霧音がふと尋ねた。 「犬さんとしては、この温泉はどうなのかしら?」 対する『犬さん』は、彼女の目を真っ直ぐに見て。 「最高ですよ」 と、笑った。 存分に堪能した後、一同は温泉から上がる。 いち早く着替えを済ませたキンバレイがすっきりした表情を見せる傍らで、ウェスティアが持参のクーラーボックスからコーヒー牛乳を取り出した。 「お風呂上りには、もちろんこれだよね!」 皆にも配って、その甘さを暫し楽しむ。飲み終えたら、いよいよお別れの時間だ。 「いぬさん、げんきでまたねっ! です」 Dホールの前で、ミミミルノが『犬さん』一家に手を振る。 「また遊びに来たら、一緒に入りたいとこだよ」 翔太の言葉に、『犬さん』は「ご迷惑でなければ、是非」と答えた。 「それでは皆さん、ごきげんよう――」 「また、ね」 “穴”の向こう側に消えていく彼らを見送った後、アンナがこれを塞ぐ。 静寂を取り戻した山に、そっと虫の声が響いた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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