●八ツ目の姫君 日付が変わり、宵も深まり刻限は妖しき者達の舞台へとその身を窶す。 多くの人々が眠りの帳へと身を預け、月さえも沈みかけて夜空に傾くその頃に、暗い路地をぞろりと蠢く『物』が居た。 美しい娘だった。恐らくは、誰が見てもそう思ったことだろう。 建物の合間から僅かに降り注ぐ月光が、金襴緞子の艶やかな着物を夜さりに鮮やかに映し出す。 白くほっそりとした形の良い腕が、さながら花魁が格子から差し出す誘いのように、星明りの中でぼうやりと浮かび上がった。 星のない夜空を刳り貫いたように黒々とした瞳が愁いを帯びて寂しげに瞬き、美しい指先でそっと――胸元に抱きかかえたされこうべの髪を梳る。 「どうして……」 紅に塗られた唇から零れ出た声は哀しげで、涙に暮れたように濡れていた。 丸みを帯びながらも尖る爪先で、幾度も髑髏の髪を梳りながらそっと瞳を伏せる。 「どうして叶わないのかしら……」 他の人々には――この世界の人間達には、いとも安易に叶えられているというのに。 自分の掌からは支えきれないというように、細やかな願いは零れ落ちる。 堪えかねたように眉を顰めて俯く白い項を、やはり闇の色をした髪がさらり、さらりと撫でていく。 「わたくしは、ただ」 ――愛されたいだけなのに。 掠れ溢れた切ない囁きは、けれど――きっと、叶うことはない。 美しい娘だった。 夜が更け、月の傾く狭い路地裏に、艶やかな金襴緞子の着物が映える。 華やいだ着物と透き通るような肌の上に、新月の夜から刳り貫いてきたような髪と瞳を艶やかに零し――その稚ささえ感じさせる足先に、声なき骸を踏み敷いて。 細い、人が幾人も横には並べぬほどに細い路地には、まるで夜露か真珠でも散らしたかのように、細かな輝きが犇いていた。 それらは地面から、壁から、そこかしこから――広がり絡み合う、巨大な『蜘蛛の巣』を彩る宝玉だった。 金糸銀糸の織り込まれた錦の着物の裾から、ぞろりとした蟲の足が幾つも覗いては、すぐさまその下へと再び身を隠す。 娘のなだらかな額から、艶めく髪がひと房、はらりと頬に零れ落ちた。――その、下。 なだらかな……『なだらかであるべき』額には六つの黒い宝石が、列を成して星明りにそっと輝く。 紛れもなく、蜘蛛の目だった。 ●団円亡き予見 路地裏に息を潜め、男を狩る――言葉通りに獲物として、その毒でもって屠るフィクサードの対処をして欲しい。 簡潔に纏めるなら、それが『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)によって告げられた、リベリスタ達への依頼だった。 モニターに映し出される愁いを帯びた表情も、涙を鏤めたような蜘蛛の巣も、寂寥を誘う光景ではなく刈り取り駆除すべき害虫としての姿にしか映されない。 ましてや、既に幾人もの人間を死の床に眠らせてきたフィクサードだ。今更その罪過をなかったものとすることは、叶うものでも許されることでもなかった。 「……彼女――『八ツ目の姫君』には、リベリスタに抵抗する意思はないらしいわ。きっと武器を向けられても、ね」 モニターから視線を外したイヴが、リベリスタ達を眺めながら静かに言葉を紡ぐ。 「だけど、彼女を護る『夜蜘蛛』達はそうはいかないらしいの。『姫君』に武器を向けた時点で、敵と見做して襲い掛かってくる」 「護る?」 リベリスタの疑問に、イヴが頷く。 「アーティファクト『壺毒』。フェーズの低いエリューションを従える力があるみたいね。そして、これが肝心の『夜蜘蛛』」 淡々とした声での説明に併せてモニターの画面が切り替わり、イヴが『夜蜘蛛』と呼んだエリューションが映し出される。 そこにあるのは鮮やかな縞を描く八本の足と蟲の体躯――つまり、一般的に目にする蜘蛛を巨大化したような姿だ。 「『姫君』と違って、こっちはただの大きな蜘蛛と見て問題ない。ただし大きさに見合うだけの強靭な顎を持っているようだから、そこだけは注意して」 ともすれば人の頭さえ食い千切ろうかという顎を示したイヴが、改めて集うリベリスタ達を視界に捕らえた。 「彼女達は夜明け前に姿を消すから、それまでが勝負になる」 歳に不似合いな静けさに満ちた双眸を、イヴはそっと瞬かせる。 お願いね、と――いつもの言葉を紡ぐ代わりに、小さな唇は「気を付けて」と短く警告を発しただけだった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:猫弥七 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年09月18日(水)22:24 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 展開された強結界が、日常と非日常を切り分ける。 「後は出て来てくれるのを待つだけ、と」 「それほど心配はいらないだろうけどね」 結界を張り終えた『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha” フツ(BNE001054)の言葉に、二重に強結界を張り巡らせた『ディフェンシブハーフ』エルヴィン・ガーネット(BNE002792)が軽く頷いた。 時を同じくして、大通りの一角に小さく火が点る。 「人生ってのはままならないもんだ。それが他人の事なら尚更だわな」 念を入れた人払いの為に工事案内の掲示板を設置した『足らずの』晦 烏(BNE002858)が燻らせた煙草の煙は、遮るもののない夜の空へと漂い泳ぐ。 「死んで花実が咲くものか、沈む瀬あれば浮かぶ瀬ありだな」 「……結果がどうあれ俺は俺のやるべきことを成すだけだ」 静かに呟いた『アウィスラパクス』天城・櫻霞(BNE000469)の言葉もまた、今は闇夜に溶けるばかりだ。 「そもそも相手にされてねーのか、愛してくれた男を殺しちまうのか。どっちにしろ、今のままじゃ上手くいかねーだろうね」 『道化師』斎藤・和人(BNE004070)の言葉は、緩やかな物腰をそのまま映し出したかのように穏やかだ。 「ボヤいてるだけで事態が良い方向に変わるほど、現実は甘かねーですよ?」 「全くですね。愛されたい愛されたいで自分が愛さなければ愛されるわけないじゃない」 それくらい簡単なことも解らないなんて女として失格だわ、と。 双眸を眇めるようにして言い放ち、『ヴァルプルギスナハト』海依音・レヒニッツ・神裂(BNE004230)が肩に落ちかかる髪を背に払った。 なんということのない会話の形式を保ちながら、視線の先は一点。 黒々と闇を宿したような路地を捉えて放さず、また同様に、闇に潜む者達も彼女らから目を放さない。 互いに確かめ合うように、探り合いの沈黙が場に横たわり――やがて、ぞろりと。 電灯か、星明りか。いずれにせよ僅かな光を照らし返した着物の柄が、路地から浮かび上がるように沸いた。 墨色の髪を流した娘がされこうべを腕に抱いたまま、そっと小首を傾げてリベリスタ達を一瞥する背後に、いりすの猟犬としての嗅覚が隠れ潜む存在を拾い上げる。 「されこうべと愛を語るなんてぞっとしないわね」 『八ツ目の姫君』――フィクサードの抱く頭蓋を見て、海依音は微かに口許を歪めた。 一方で海依音によって向けられた黒塗りの杖に反応を示したのは、娘に付き従う蜘蛛の方だ。にわかにざわめき、娘の影からぞろぞろとその姿を現す。 エリューションと娘のそれぞれの位置を把握し、リベリスタ達が大通りへと徐々に後退する。 その行動に気付いた様子のフィクサードはしかし、静かに頷いて自ずから従うように歩を進めた。それに合わせて蜘蛛達もまた、同様に大通りへとその身を晒す。 「その骸はあなたの大切だった人なの? それとも愛してくれなかったヒトだったものなの?」 海依音の言葉を受けて、『姫君』は静かに瞬いた。 「両方――かしら」 それが『八ツ目の姫君』の名を冠すフィクサードの第一声であり――同時に、戦闘の火蓋が落とされた合図だった。 ● 「蜘蛛のお姫様、ッスか……何人も手にかけたフィクサード、って話らしいッスけど」 魔弓を構える『一般的な二十歳男性』門倉・鳴未(BNE004188)が、八ツ目の姫君にちらりと視線を送って浅く眉間に皺を刻む。 「……この人が本当にそんな人なのか?」 「姿形に振り回されては、取れる首も取れますまい」 返したのは他ならぬ『姫君』自身だった。 忠告の素振りではなく、ただ気怠げな様子で言葉を紡いだだけだ。 「違いない」 単に洩れただけとも取れる呟きを零した『Type:Fafnir』紅涙・いりす(BNE004136)が夜蜘蛛の足下に飛び込み様、アル・シャンパーニュを放つ。ぐらついた大蜘蛛へと更なる追撃を試みながら、灰色の瞳を滑らせて蜘蛛の娘を視界に捕らえた。 「何となく似てるかしら」 黒の瞳がゆるりと瞬く様を見返して、いりすは再び焦点を夜蜘蛛に据えた。振り上げられた蜘蛛の鎌を的確に受け止めた血色の刃が、彼女の掌中で鈍く輝く。 「その人は、愛した者を、食い殺さずにはいられない人だったけど。そうして生きる事に、倦怠感を孕みながらも、その人の愛したいと愛されたいという想いは、尽きる事のない『熱』を放っていた」 「…………」 「もっとも。それは小生のモノではなかったけれど」 蜘蛛の娘はやはり、答えない。答えないまま真意を探るようにいりすを見る。けれどいりすは、蜘蛛の娘に視線を返そうとはしない。 そんな遣り取りに対し、口を挟んだのがエルヴィンだ。 「ちょっと君に提案があるんだけどさ。……俺達と一緒に来てみる気はないかい?」 「――リベリスタと、共に?」 そこで初めて娘の声が揺れた。違わず嫌悪の響きを宿した返答に、エルヴィンは表情を緩める。 「ふむ、リベリスタは嫌いかい? 個人的にはそんな枠組みなんて些細なものだと思うんだけどね」 語りかける前方へと飛び込み、漆黒に塗り潰された杖を横薙ぎに払って蜘蛛の一撃をいなした海依音が、薄く笑った。 「空虚、空っぽのお姫様――付き従うのはアーティファクトで縛られた蜘蛛だけ。なんて悲しいのかしら」 夜に溶ける修道服の裾が翻り、ヴェールが風を受けて舞う。踏み込まれるステップはさながら踊りの一幕も刻むかのように軽やかだ。 「愛してくれなかった誰かさんは癇癪をおこして殺してしまうの? だから、あなたの願いはかなわないのよ」 全身から放たれた閃光が、過つことなく夜蜘蛛の身に降り注ぐ。 「わたくしが愛さなかったとどうして言えて……? 物に頼ろうと従ってくれるあの子達とて愛しいもの」 「愛しいと言いながら助ける意思はないのでしょう?」 身じろぎ一つしないままにその身を避けて落ちるジャッジメントレイの間で、蜘蛛の娘はされこうべだけを強く抱く。 「さぁさ。月下のダンスパーティは始まったばかりよ」 答える言葉を持たないフィクサードへと、哀れみとも侮蔑とも嫌悪ともつかない、或いはそれら全てを複雑に混ぜ合わせた微笑を向けて、海依音は再び蜘蛛の前へと立ち塞がる。 「武器を向けられても抵抗せず、生存にすら興味が無い。――命を掛けるに値する理由を持ち合わせていないか、道中でそれを失くして絶望したか」 月の女神の加護を受け、僅かな燐光すら放つ拳銃を構えた櫻霞が呟く。 「これでは生きながら死んでいるようなものだ。……命を狩っていながら、生きる意志がない、随分な矛盾じゃないか」 「おじさん思うにあれだ、生きるに諦めても意味は無いと思うぜ?」 視界に捉える蜘蛛を目掛け立て続けに銃声を響かせながら、攻撃の手を休めないまま烏の口振りには幾許かの余裕が宿る。 「過去に縛られるだけではなくて、未来を、そして今を見据えても良いんじゃないかねぇ」 「今……?」 銃口が火を噴く傍らで、音もなく燻る煙草の灯火だけが妙に静かに闇夜に浮かぶ。 八つ足の巨体が仰け反った。穿たれた銃口から体液を迸らせ、悲鳴か否か、打ち鳴らされた牙の間から耳障りな音が大通りに響く。 「――悔やむのも嘆くのも、そりゃ自由じゃあるがね」 地を這い響く異形の悲鳴を、最後。一撃の下に打ち沈め、烏はやはり静かに告げた。 それと同時にやはり娘を避けるようにして地を這う炎が渦を描くように燃え上がり、四神が一、朱雀の名を冠す業炎が蜘蛛の巨躯を貪った。 街灯の外に然したる光源のない大通りが、一瞬にして朱に橙にと鮮やかな炎の鳥に照らし出される。 「お前さん、これまでに多くの人間を殺してきたらしいな」 「……そう、ね……」 全身を嘗める炎に足掻く塊と化した蜘蛛を見詰めたまま、娘の答えに覇気はない。 「それが今は、全然戦う気がない。蜘蛛は自動的に攻撃してきているだけ。……一体、どういう心境の変化なんだい」 「わたくしは何も変わらない……愛されたいだけ」 呟き紡ぐ娘に対し、杖で攻撃を受け止め薙ぎ交わしながら海依音は笑う。 「そればかりね。――ワタシ、貴方みたいな女は大嫌いだわ」 娘の双眸が細められ、異国の聖職者の姿を見つめた。意思を持った指先が僅かに動きかけ、けれど結局はされこうべを抱き締めるだけに留まる。 女同士の感情の火花とでも言うべきだろうか。それらに挟まれる形となって苦笑したフツが、改めて口を開く。 「お前さんが話そうと話すまいと、オレ達はお前さんをアークに誘うつもりでいたんだ。もう、一般人を殺すつもりはないんだろ」 「――……それは」 返って来た沈黙は答えを迷っているようでもあり、蜘蛛の一撃を払い除けながらフツの視線が娘に向かう。 緋色の長槍が振り上げられた鎌の一撃を滑らすように受け流し、開かれた顎を交わす合間に窺い知れたのは、ただ娘がされこうべを撫でる指の動きだけだ。 一方、確実に数を減らす夜蜘蛛の一体が、別の蜘蛛を相手取る海依音へと狙いを定めて顎を振り上げた瞬間、視界そのものを封じるように鮮烈な光を帯びた改造銃の一撃が放たれる。 「中身はどうあれレディは大事にしなきゃね!」 「あら嬉しい。――でも、中身はどうあれってどういう意味かしら」 「おっと、こいつは失言」 惚けた口振りで笑った和人が改めて蜘蛛へと狙いを合わせる。 「罪を犯しているなら、それは償わなきゃいけないだろう。でも、それはそれだ」 エルヴィンが呟く傍ら、紡ぎ上げた詠唱がその力を傷を慰む癒しの息吹と変じて、リベリスタ達の頬を撫で髪を揺らす。 「それを手放してくれれば楽なんだがな……」 いりすの放つアル・シャンパーニュを追撃するように銃声が響く。 金色の翼をその身に刻んだ銃を掲げ、ぼやくように呟いた櫻霞の視線が、されこうべを抱く指先に向かった。 「そのアーティファクトを渡すつもりはありますか?」 攻撃の合間に鋭く問うた海依音へと、娘は今一度視線を向けようとはしなかった。考え込むように指に嵌った指輪をただ、見詰める。 「その儚さが偽りのものなら。欺く為の仮面なら、話は早いんスけどね」 銃声は響き、火花は舞い上がる。炎が踊り、杖や刃はその光を受けて一個の生物のように不可思議に揺らめく。 「甘いのかも知れないけど……事実はともかく、聞いたような極悪人にはとても見えない」 「そう思うことは自由じゃないかしら」 鳴未の言葉に到って平静に返しながら、いりすの握るジャックナイフは血の色に染まったかのような刃の色を、敵と目す怪異への一撃を与えるごとに色濃く変えていく。 「此方に来ようと、自ら死を選ぼうと、その選択は外野に強要されるものではない」 揺らがせもせず銃を構えた櫻霞の、金色と紫の双眸がモノクルの奥で僅かに眇められ。 「何より――目的を果たす、それ以上のことに興味は無い」 崩れ落ち、悶え、焼け焦げる匂いを周囲に漂わせる蜘蛛の群れへと向けられた――光を宿し纏う銃弾の猛襲が、闇夜に静寂を呼び戻す最後の鍵となった。 ● 「そうそう。俺はエルヴィン、君の名前は?」 気軽さを装って向けられた言葉に娘は答えようとはしなかったが、エルヴィンは尚も口を開く。 「別に仲間やリベリスタになれとか言う訳じゃないよ。三高平に来て、あの街に触れてみたらどうかって事」 夜明けを前にした夜に相応しい静寂を取り戻した大通りで、言葉を向けられている蜘蛛の娘はしかし、男の方を見上げる代わりに身動きも、その生命の維持さえも止めてただの塊と化した夜蜘蛛を撫でていた。 破界器に操られていたとはいえ付き従う蜘蛛を失い、それでも尚落ち着きのある態度はマイナスイオンによってもたらされたものか、それともそれが元々の性格なのか。 反応の乏しいフィクサードに対し、エルヴィンは言葉を紡ぎ続ける。 「三高平は、覚醒者の街なんだ。俺らは見た目は普通だけど、俺の妹とか猫耳と尻尾が生えてるし。他にも、顔が動物だったり、翼が生えてたり、もう完全にロボットだったり――そんな変わったヤツらが、普通の人間と一緒に暮らしてる」 陽気さを保った口調で語りかけながら、娘の反応を探る。 「……もし君が、ひとりの人間としての、ごく普通の生活を望んでいたなら。この街に、君を受け入れてもらえる可能性に、もう一度賭けてみないかい?」 「――ひとりの、人間」 ただ繰り返したに過ぎない短い言葉を、しかし確かに紡いだ娘へと、エルヴィンが強く頷いた。 「幸せになってみたいと願う気持ちが、少しでも残ってるなら。勇気を出してみないかい?」 「ま、取りあえずさ。今までのやり方じゃダメな訳じゃん?」 エルヴィンに続くようにして、和人もまた緩やかな調子を保ったまま口を開く。 「本当に愛されたいんならそこから動かなきゃ。アークでならそこら辺のヒントも手に入れられると思うけど? どう?」 答えるべき言葉を捜すように、娘はエルヴィンを、和人を見上げた。 「贖罪などと偉そうな事をおじさん言う気は無いさ」 煙がくゆる。 煙草に点された火が紫煙を吸い込む間僅かに色を強め、吐き出された息は白く濁って天へと昇る。 「人にそういう事を言えるほど、ご立派にゃ生きちゃいないんでね。ただ、生きていればな、何か見えてくるものがある……一つ騙されたと思ってな、どうだい?」 指先に挟んだ煙草を軽く振るような仕草でもって、表情の窺えない被り物の下で烏もまた、告げる。 無言で瞬く娘の手元をじっと見下ろした鳴未が、今ひとつの目的へと指を指した。 「お姫さん、その指輪は誰からの贈り物ッスか?」 「指輪……?」 「それを外そうとする気は起きなかったんスか? それが無ければ、もう少しあんたの望みは叶えやすいだろうに」 それ、という言葉が破界器を差していることに気付いて、娘がされこうべを抱いたまま手を持ち上げる。 「ともすれば、その指輪は外せないのか、あんたを閉じ込める檻なのか……考え過ぎッスかね」 「……檻に囚われない『ひと』等というものは、この世に存在するのかしら……」 質問への答えでもなく単に零れ落ちた呟きのように、蜘蛛の娘は小さく首を傾けた。 答えを求めている口振りではなかったが、感情を読み辛い双眸で見上げられて思わず鳴未は目を瞬かせる。 一方そうした会話が為される後ろで、いりすは無言のままに佇んでいた。 「紅涙は話すことはないのか?」 「小生は知りたいだけだし。彼女の想いが何処にあるのか。小生を、その気にさせるだけのモノがあるのか」 フツの言葉にやはり静かな、揺らがぬ口調で答えたいりすが、しかし僅かに目を伏せた。尤も、と呟く声音に、巧妙に隠された僅かな感情が滲む。 「『その気』になったら、小生は食い殺さずにはいられないが」 愛しいものを。美しいものを。尊いものを。 「物騒だな」 連ねられる言葉の羅列と、対してその意味するところの殺伐とした組み合わせに、フツは僅かに苦笑を食む。 「まぁ、新たな人生を歩むというなら、それもいいんじゃないかしら。人は選ぶ権利がある」 平坦に、平然と、当然のこととして紡がれた言葉だったが、それは。 「生きている者ならば。死んだ者には、それすら許されないけれど」 一つの厳然たる事実の前にしか許されない、選択肢の一つに過ぎない。 と、指に嵌るアーティファクトを無言で見詰めていた『八ツ目の姫君』が、声もなく静かに顔を上げた。 リベリスタ一人一人の顔を順繰りに見詰め、やがてその一点で微かに眉を顰める。 「お前はわたくしを嫌いと言ったけれど……わたくしもお前は嫌い」 海依音を睨み、娘はつんとそっぽを向いた。 「あら、奇遇ですね」 対して不敵に笑った海依音へと、娘は今一度、異教の衣に身を纏う少女の姿に視線を戻す。 「ええ、嫌いよ。……正しさは、強き者には慈悲でしょう。けれど」 そこから先、娘は小さく嘆息して言葉を呑んだ。伏せた視線の先に何を見るのか、「だからリベリスタは嫌い」、とだけ囁きが路地に落ちる。 しかしすぐにまた首をもたげると、指から引き抜いたアーティファクトを空に向かって放り投げた。放物線を描いた指輪は狙いをあたわず、エルヴィンが反射的に開いた手の中へと落ちるのを確認して娘は薄く微笑む。 「エルヴィン――雲居です。九重の、雲居」 それが先ほど己の発した問いへの答えだと気付いて、エルヴィンは軽く瞬いた。 男が開きかけた唇が声を発するより早く、娘はエルヴィンから視線を外してリベリスタ達の前に僅かに首を垂れる素振りを見せる。ただ形式に則っただけの挨拶か、それとも何かを意味するものかはそれぞれに推し量るより他にない。 「わたくしは“そちら側”には参りません。ですが……」 紡がれた想いに直接答えようとはせず、かといって敵意を見せることもなく、娘は顔を上げた。 「えにしが結ばれることあらば、またいずれお目にかかる機会もありましょう。……嗚呼、でも」 移ろった視線が、笑みを湛えたままの海依音を捉える。 まるでその笑みに挑むように、或いは微笑み返すかのように娘は僅かに瞳を伏せた。 「そうはならないことを祈った方が……良き者もおりましょうが……――」 ぞろり、地を引き摺って着物は路地の奥へと飲み込まれる。 無防備に背を晒したフィクサードは、さりとてその背に刃を向けられることもなく、やがて未だ夜明けを迎えぬ闇へと姿を没した。 ――それが、この夜の顛末だった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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