●三ッ池公園仮設人体実験場 ――あっ、あっあっあっ、あっ―― 室内には、若い女の艶かしい声が響いていた。次いで、ぎちり、と革のベルトがこすれる音。時折、金属がぶつかる小さな音がそれに混じる。 もっとも、視覚情報を加えれば、聴覚に訴える感覚ほど平和な光景ではない。 その部屋は、多くの者にとってはあまり馴染みの無い類の部屋である。いわゆる実験室と思しき室内には、乱雑に置かれた資料と薬品類、何台もの端末、そして一際異彩を放つ、手術用のベッドが置かれていた。 「あはは、いい反応だ」 ベッドの傍らに立つのは、『ドク』と呼ばれている男。そしてそのベッドには、先ほどから聞こえる喘ぎの主である女が、何本ものベルトで拘束されている。 ――あっ、ああーっ、あっ―― ドクがくちゅり、と水音を立てさせるたび、女は一際高い声を出す。意味のある言葉は何一つ無い。ただひたすらに意味の無い呻きを垂れ流すだけなのだ。 また、ドクがくい、と右手を動かした。女の頭部に、注射器の針が飲み込まれていく。いや、正確には、頭蓋骨が取り外され、剥き出しになった女の脳に、だ。 「それじゃ、これはどうかな?」 親指を押し込んだ。細いシリンダーの液体が、ゆっくりと流し込まれていく。 途端。 ――あ、あああ、あ゛ーっ!―― 女が、びくん、と身体を跳ねさせた。ぎちぃ、とベルトが音を立てる。二度、三度。 聞くだけで精神を削るバンシーの絶叫はしばらく続き、そして突然糸が切れたように崩れ落ちた。 「うーん、駄目だったか。もうちょっとだと思うんだけどな」 クリップボードを取ってメモを残し、それから興味がなくなったかのように放り投げる。そう、興味がなくなったのだ。実験結果にも、実験体だったリベリスタにも。 「あーあ、この前捕まえかけたあの子なら、いい結果が出そうなんだけど」 その時、ドク、と声がかけられる。ドアの方に振り向けば、いい加減見飽きた軍服を着た青年士官が立っていた。リュッケ少尉、この研究所の警備責任者である。 「ドク、アークのリベリスタが公園内に侵入したようです。戦力分布からして、おそらくメインターゲットはアルトマイヤー少尉でしょう」 「僕自身はどうだっていいけどね、アルトマイヤー君も負けはしないだろうし」 そう言い放つドクの態度に、若い少尉は嫌悪の色を隠せない。だが、ドクはその反応を見て、むしろ面白がるように手を叩くのだ。 「冗談だよ。アルトマイヤー君の本部はすぐそこなんだ。目と鼻の先でドンパチやられてこっちの邪魔をされるのも鬱陶しい」 「それでは」 身を乗り出して問うリュッケに、お気に入りのおもちゃを見せびらかすような無邪気な顔で、ドクは頷いてみせるのだ。 「例のパワードスーツとサテライト、オオタの工場から届いていたから、テスト代わりに使ってみるといい」 できたら、サンプルをいくつか持って来てくれると嬉しいね、と付け加えながら。 ●丘の上の広場にて 「……俺でなくても、適任は居るだろうに」 アクセス・ファンタズムの無線機能が伝える声に、『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)は眉を顰めた。三ッ池公園、敵指揮官であるアルトマイヤー少尉の本隊を叩きに向かう途上のことである。 「誰か他に……切ったか」 舌打ちひとつ。義理堅い一面を見抜かれていると知っていて、それでも律儀に、彼は声を張り上げた。それは、三高平アーク本部からの緊急指令。 「敵本隊の近くの研究所から、有力な敵部隊がこちらに向かっているらしい。放っておけば横腹を突かれてしまうだろう」 遠目に見る『研究所』はもちろん堅固な要塞ではない。だが、『親衛隊』と大田重工の技術を用いていることを考えれば、仮設の建物であっても存外に強力な防御拠点である可能性は高い。 「研究所にもまだ戦力が残っているようだ。これらを、俺達の半数を割いて迎え撃つ!」 とにかく、アルトマイヤー隊とドクとの挟撃だけは避けなければならない、ということははっきりしていた。この期に及んでは、それだけわかっていれば十分。後は、迎撃のメンバーを振り分けるだけだ。 だがその時、再び霧也のアクセス・ファンタズムが鳴った。 『元気してますか、霧也様?』 緊迫した情勢も忘れて能天気に聞こえてくるのは、あの『塔の魔女』の声。 『思い出したんです、『ドク』のこと。ですから、お知らせしておこうと思いまして。はい』 三ッ池公園奪回戦。 この戦いは、陽動と言うほど悠長なものではない。 さあ、血を流せ。鋼鉄を食らえ。 衝突の時は、すぐそこに迫っている――。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:HARD | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年08月11日(日)00:38 |
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●親衛隊/1 「ロボットの兵士なら、もっと騒がしくやってくるものだと思っていたが」 ザッ、ザッ、と。 その軍勢が立てる足音、行軍の知らせが奇妙に抑えられたものであることに、彩音は意外そうに片眉を上げてみせた。科学というものは存外に進歩しているらしい――数多くのメタルフレームを見てきた身にしては常識的過ぎる感想を吐いて、彼女は手にした弓をゆっくりと、そして大きく引く。 「まあいいさ、逃げるつもりなんて無い――ハラワタが煮えくり返りそうな話だからね」 手にするは希望の輝き。因果すら歪めんとする意思が光の糸となって、既に極限まで精神を集中させた彼女の得物から放たれ、先頭を進んできた大型の鎧を射抜く。 それは鏑矢。戦いの始まりを告げる、輝ける一矢。 「鉄と血とを寄る辺とする輩よ。我らも鉄と血によって対抗せよと――否」 それは違う、とカインは判っていた。『親衛隊』。鋼鉄の咆哮と共に欧州にその名を轟かせた強者の群。だが、奴らは既に誤っている、と漆黒の銃士は断じるのだ。 「鉄と血を、手段ではなく、目的ですらなく、己そのものとした輩に見えるものがあろうはずもない! 対して、我らアークが見据えるべきは、未来への道程である!」 応、と周囲のリベリスタが声を上げた。無論、彼らがカインの檄の全てを『信じて』いたかは怪しいところだ。だが、それでも、今のリベリスタには信じるものが必要だった。 そして、心から誇りと矜持とを胸に抱いているのが、カインという男である。 「道を切り開いてみせよう! 正しき未来!正しき勝利のために!」 構えた銃から撃ち出されたのは、銃弾ではなく黒き瘴気。触れるもの全てを呪い蝕むそれは、黒き翼を広げて鋼鉄の兵士達に沿い襲いかかり――しかし、突然ぐにゃり、と捻じ曲げられる。 「――! 妨害できるのか」 紅い翼を広げ、ふわりと身体を浮かせたコーディが唇を噛む。見れば、援軍のリベリスタが放った気糸や弾丸も、大半がその狙いを見事に外していた。 「聞いてもらいたい! よく狙って撃つか、でなければ避けようのない爆発を起こすんだ!」 北欧のヴァルキリーめいた鎧に身を包む彼女は、しかし伝承に記された剣でも斧でもなく、魔力を紡ぐ依代である杖を掲げていた。 「ここが崩れれば、他で交戦している味方も危険に晒される。支えるぞ!」 一振りすれば、灼熱の火球が間近に迫る敵の戦列の内側に生まれ、轟音を立てて爆ぜる。流石に科学と神秘の融合した兵器と言うべきか、大小どちらの『動く鎧』にも動きを止める気配は見えないが――ダメージを与えていないわけが無い。 コーディの指示に従うように、リベリスタの側から次々と降り注ぐ攻撃。だが、当然ながら親衛隊もただ撃たれるだけではない。バルカン砲が甲高い音を立てて唸るたび、リベリスタの肉に無数の銃創が刻まれるのだ。 「大丈夫です。すぐに手当てします!」 集中する火線。その交点にいた不運なるリベリスタは、全身をくまなく襲う激痛の前に早くも脱落を余儀なくされた。だが、そこに駆け寄った少女、バックアップを自認したシェラが小さく祈りの文句を捧げれば、柔らかく吹いた清浄なる風が開いた傷を癒し、流れる血を止めていく。 「皆さん、決して挫けないで下さい!」 「ああ、挫けるもんか。アーク相手に、計画通り事が進むと思うなよ」 ぐ、と握り締めた右手と、真っ直ぐ敵を指差した左手。修二の機械化した左手の甲が淡く輝けば、不可視の糸が狙い違わず宙を翔け、従者を盾に下がっていた敵兵を捉えた。 「どんなに強力な兵器でも、簡単に通れるとは思わないことです」 その隣に立つのは瓜二つの青年。違うのは、漂う優しげな印象だけだ。――いや、違う。その青年、修一が修二と違うのは、もう一つ。 「ようやく見えた光明。ここで死力を尽くさねば、後などありません!必ず成功させますよ!」 出鼻からの烈しい攻撃に浮き足立つリベリスタ達を励ましつつ、びしりと突きつけた機械の指。淡く輝くそれが、右手であるということである。 「丘の上広場にも行かせねぇ。研究所にも退かせねえ。 大穴の向こうの世界にも仲間がいる。……悪いが、ここで倒れてもらうぜ!」 陽動作戦といえど、その攻勢は本気も本気。修二の啖呵が示す通り、強大な敵を前にして、彼らの士気は軒昂だった。 それは僥倖だった。この瞬間、恐怖に負けず正面から立ち向かう強さを得た事は、この上ない幸運だった。 何故ならば、杭を構え刃を振り上げた鋼鉄の戦士達は、今まさにリベリスタの戦列にその得物を振り下ろさんとしていたからだ。 「数はこちらの方が多い。なんとか食い止めますよ……!」 「数はこちらの方が僅かに多い、が……」 振り下ろされたブレードを鈍器の如きショットガンで受け止める喜平。金属がぶつかり合う音と衝撃には眉一つ動かさず、髪で隠れていない生身の左目でどろりとねめつける。得物を力ずくで押し返され、ギシ、と僅かな駆動音を立てるのは、小柄なサテライト・マシンだ。 (「……自己責任で放置していては、被害が出すぎるか」) 下手なフィクサード以上に危険な戦闘機械。人形と侮ればばっさりとやられかねない剣呑さに、つい舌打ちを一つ。 「富永がすぐ傍にいる。だから誰にも、何にも、負ける気しねえ。あんたもそうだろ?」 そうかけられた声が、肉弾戦の中でも続いていた彼の思考を断ち切った。黒革の表紙には白い髑髏。魔道書と言うには随分現代風にアレンジした本を手に、プレインフェザーは小さく笑ってみせる。 「きっと、じゃなくて 確信。今日も絶対、二人で生きて還れるって」 「余裕は無い…が、ソイツは世界平和と同じくらいの優先事項だな」 喜平もまた、ふ、と唇の端を上げた。悩む必要すらないのだ。要は、戦って戦って戦って、そして生き抜けば、それが全体を支えることにも繋がるのだから。 「あの日の黄昏を思い出せ、亡霊」 「時代錯誤なオバケ共、あたし達が教えてやるよ。オマエらの時代はとっくに終わってんだって!」 妨害を承知でプレインフェザーの放った無数の気糸が、それでも三体の兵士を射抜く。一体のサテライトが脚の関節を射抜かれ、姿勢を崩し――そして次の瞬間、巨大なエネルギー弾が命中し、爆ぜた。 「まったく、見せ付けてくれるのだ。いや羨ましいなんて思ってないがな。本当だぞ!」 そんな二人を後方から視界に入れていたなずなが、いつものように薄い胸を張りながら愚痴ともつかぬぼやきを漏らす。幸いだったのは、プレインフェザーがスレンダーな体つきをしていたことだろうか。でなければ誤射で味方に被害が出ていたかも知れない。 「気にしていないと言ってるだろう! ……私は全て灰になるまで燃やし尽くすだけだ。いつも通り、な」 その激情も一瞬のこと。テンションを上げ損ね、どこか押し殺したような表情で天の声にすら反駁してみせたなずなが、両手を振って複雑な印を描く。その手首にはまった紅い宝石が、残像を残して宙に紋を残した。 「この場に居る奴らは全員殺す。熱風が巻き上げ肉が焼け焦げる激痛の中、苦しんで苦しんで苦しんで死ね」 腕を突き上げる。瞬間、敵後方の一帯が青白い炎に包まれた。それは地獄より喚ばれし、生きとし生けるものを焼き尽くす炎。その容赦無い殺意は、決して常の彼女らしくはない。 「行かなくていいのかね?」 「……あっちは皆に任せる」 そっけなく応えたなずなに、そうかい、とだけ付喪は応えた。命のやり取りをするこの戦場で感傷的に過ぎると叱り飛ばすことも出来ようが、そこまで野暮ではない。 「全く、こんな年寄りを駆り出させるなんて、 親衛隊の連中には敬老精神ってもんがないようだね」 代わりに、こいつは派手にお仕置きしてやらないといけないねえ、と言い捨てて。黄金の騎士が魔道書を開き呪文をなぞれば、戦場に乱れ飛ぶ稲妻の嵐。大半はジャミングされて空しく地面を叩いたが、さりとてその全てが当たらなかったわけではない。 「あんた達は何がしたいのさ。唯、自分のプライドを守りたいだけに戦うのなら、そんなつまんないもんは、ドブに捨てて出直して来な!」 威勢よく言い切った付喪だが、生彩を欠いたことは否めない。がっぷり四つに組んで死闘を繰り広げるリベリスタ達のターゲットは、神秘攻撃への妨害装置を備えた支援機だ。存在が確実視されるそれを、だが彼らは撃破できないでいる。 「まあ随分と面倒な機能をつけた物だわね。それに当然、後ろに匿っている、と」 溜息をつくアンナ。これで心置きなく本業に戻れるってもんだわ、と苦笑交じりに呟いた彼女は、手に抱えた正十二面体を撫でるようにして祈りを籠める。 喚び覚ますは偉大なる存在の恩寵たる息吹。傷ついたリベリスタ達の傷をたちどころに癒してみせた辺り、本業というのも伊達ではない。 「でもこのままじゃ消耗戦ね。働ける、豚さん?」 「ブヒッヒィ! おう、それじゃお前さンら! 前線を維持してくンな!」 4WDを足にして走り回るオークは、この戦いでは主に負傷者の輸送や押されている箇所への遊撃を担っていた。パワードスーツを着込んだ親衛隊相手では、如何にアーク仕様と言えども普通の車では分が悪い。 「ゾンビの次は軍隊と来た! ここは日本だぜ? リアリティってモノを大事にして欲しいもンだな!」 だがこの時、あえてオークはそれをしてみせた。『見せ付けるように』親衛隊の目の前を蛇行する4WDを、いくつもの殺気が付け狙う。 「ギャーギャ!」 荷台に陣取ったリザードマンが喚きながらチェーンソーを振り回し、パイルバンカーで車体ごと貫かんと迫る敵歩兵を牽制する。ちなみに翻訳すると、マジこの豚野郎、前は新鮮な耳くれるとか言っておいてトンだ出鱈目でしたし! しかし今回は嘘じゃないって言われたので嬉しいですし! 殺りますし! ということらしい。なぜか伝わるこの世の不思議である。 「ギャーギャー!」 「さっき積ンだ雌の耳が欲しい? ブヒヒッ、お楽しみは最後だぜ!」 銃弾の直撃を避けるべく蛇行を繰り返す4WDは、『追いつけそうな』速度を絶妙に保っていた。小うるさいハエを潰さんと殺到する鋼鉄の鎧たち。動く前線。 そして、それは強固なる陣形に、僅かな間隙を齎した。 「さぁステイシィ、ショータイムよぉん!」 「はあい、ステイシーさん! 今夜は貴女と一緒にダブルステーシーですよう!」 全身に機械を埋め込んだ女と、全身に手術痕を残した女。ステイシーとステイシィ、二人の共通点は『イカレてる』ただその一点である。 「気を引ければ御の字と思っていたけど、これはチャンスよぉん」 「マッドサイエンティスト、古傷が疼くって言うかねい、ぶっ飛ばしたいですねい!」 真鍮の曼荼羅華とチェーンソー、二つの得物から迸るのは、彼女らには似合わぬ正義の光。目も眩む光線をまともに浴びた二体の歩兵が、従者を引き連れて彼女らへと向き直る。 「機械の服が先か、ステイシィさんの再生が先か……ひとつ勝負と行きましょー」 「随分被ってご立派な外見だけど、中身はどうかしらぁん?」 迎え討つ二人は、あえてじりじりと交代していた。もとより怒りに我を忘れた兵士達、衝動に任せて突きかかる彼らは、そんな二人の思惑にも気づかず――突出してしまったのだ。 「ヤレヤレ、面倒事を引き受けるなんて我ながらやってらんねーですけど。……超面倒と言わざるを得ねーですが、ヤルですよ」 「はい、唯々様、イーシェ様、どうぞよろしくお願い致します」 灰の耳をぴこりと動かした唯々に、永遠はふふ、と微笑んで。ふわりと舞うように敵中に――仲間達が作った突入口に身を躍らせた永遠の掌、握られた懐中時計から漏れ出た黒い霧が、バックパックを背負った装甲歩兵を取り囲む。 「この闇や痛みこそが僕の愛情。さあ、たんとお受けになって下さいまし」 闇の力の反動が永遠の身体を貫いた。だが、彼女は苦痛どころか、むしろ恍惚とした表情でその痛みを受け入れるのだ。 「こうして世界の敵と愛を育める、なんと幸せなので御座いましょうか!」 「流石にそのテンションに、イーちゃんは若干引き気味と言わざるを得ねーですが」 よく知っているとはいえ、若干どころではなく引いている唯々。一方、彼女らを追うように突撃を仕掛けたイーシェは、変わらないテンションで生きるよりいいッス、と嘯くのだ。 「よくねーですよ。敢えて言うです。その愛だけは本当にガチで勘弁な!」 「……要は昔のことをグチグチぶーたれた死に損ないの群れッスよね。扱いなんてよくて亡霊、悪くてゾンビじゃねーッスか」 本気で嫌がる唯々を鮮やかにスルーするイーシェ。全身鎧を着込めども、その体躯はパワードスーツから見れば大人と子供のよう。それでも少女騎士は臆することなく、鋼鉄の巨人の懐へと飛び込んで。 「ま、人生飽きる前にアタシが引導渡してやるッス!」 長剣を一閃。殆ど体当たりのような捨て身の一撃が、支援型パワードスーツの胸部装甲を捉える。妨害と機動力に特化した支援型の装甲の薄さ故か、ぴしり、と表面にひびが走り――真っ二つに割れて脱落する。 そして。 「敵をなぎ倒すくらいなら、わけもねぇッスね」 「獲物を狩る狼に、掻い潜れねーモノはねーですよ」 迫るは唯々。振るうは八本刃の奇剣。剥き出しになった生身に突き刺した刃、同時に押し付けたオーラの爆弾が、一帯をジャミングしていた兵士の内臓を食い破った。 戦線に開いた風穴を、突入部隊が駆け抜ける。 戦場の多くをカバーしていた支援機が落ち、広範囲攻撃が可能になったことで、数に勝るリベリスタは、敵陣を切り裂き研究所へと至る突入口を維持することに成功していた。 だが、親衛隊の攻勢もまた、その圧力を増していく。 「さて、そろそろいい気になるのも終わりにしてもらおうか」 夜闇から現われたのは、真紅に塗られたパワードスーツ。 「我がリュッケ隊が、数押しだけでどうにかなると思われたくはないのでね」 そして、これまでは温存されていたらしい兵士とサテライト、合計二十余りが、仲間の退路を守るリベリスタへと一斉に牙を剥いたのだ。 ●アーネンエルベの亡霊/1 「耐神秘装甲? そんなものが……!」 鋼鉄の兵士達を突破し、仮設研究所まで辿りついた二十九人の精鋭達。だが、予想通り『仮設』という名前からかけ離れた堅固な城塞が、彼らの行く手を阻んでいた。数メートルの壁上から射下ろす敵兵の数は知れているが、接近戦を挑めぬ以上、その排除には時間という最も貴重なリソースを求められるのだ。 ならば壁を破壊すれば良い、とばかりに撃ち込まれた砲撃は、だがしかし研究所の外壁を幾分か削り取ったのみである。『殲滅砲台』たる自らの実力を的確に認識しているクリスティーナは、これ以上は無駄よ、と一言告げた。彼女に崩せぬ壁ならば、他の誰にも崩せないことは明らかだったからだ。 「なら、あそこしかないよな、やっぱり」 壁に一箇所設けられた門を顎で差し、吹雪がニヤリと笑ってみせる。その門を守るのは、もともと大柄なパワードスーツを更に拡張した特別製。高さ四メートルにもならんとする巨人が、スコップを手に、砲塔を肩に備えてリベリスタ達を睥睨していた。 「まさしくゴリアテというやつですね」 「……石一つで倒れるような軟弱と一緒にしてもらっては困る。私はハインツ。この研究所の警備を任ぜられた者だ」 その名が孕む不吉なる伝承を知っていたのか――冷静な声色で返す敵手に、生佐目はくい、と細い眉を上げた。 「なるほど、意外や意外、単なる脳筋ではないらしい。けれど、仲間がその奥にいる方にご縁があるようでしてね――」 愛刀を握る手がじっとりと湿っているのは、夏の暑さのためだけではあるまい。アイツはやばい、と頭の中で警報が鳴り響いている。それでも、だ。 「――通して頂きますよ!」 彼女の刀は斬るよりも叩き割ることに特化した厚刀。だが、彼女は一刀の距離には入らず、代わりにその場で袈裟懸けに虚空を斬った。瞬間、全てを飲み込む漆黒の光が解き放たれ、ハインツを飲み込まんと夜闇を翔ける。 「引き篭もりに遠慮する必要なんて無い訳だし、当たり前よね」 左手で帽子を押さえながら、右腕一本で自分の身長よりも長いアームキャノンを振り回すクリスティーナ。ぴたりと砲口を構えた先は、もちろん巨大なる門番の心の臓。 「殲滅砲台を甘く見ると、怪我じゃ済まないわよ!」 煌、と輝きを放ったかと思えば、純白の光線が真っ直ぐに伸びて敵将を穿つ。無論、それは親衛隊と大田重工の技術の粋たるパワードスーツを破壊するには遥かに遠いのだが――。 「退いて貰おう、劣等共!」 「おっと、させないよ!」 我を忘れたかのように突進する巨漢。その軌道はまっしぐらにクリスティーナへと向かっていた。だが、割って入った人影が、目にも留まらぬ剣筋でハインツへと果敢に斬りかかった。 「ボク自身、こいつらとは大して関わりないけどね。……ただ気に入らないだけさ、こういう奴らが」 遅れて跳ねる黄金のポニーテイル。秋火の小太刀二刀流は、軽いといえども速度において比類なし。飛び交う双刃が、逃がすこと能わずとばかりに攻め立てる。 「大した力にもなれないと思うが、もう少し頑張ってみようか」 「いいや。お前さんは精一杯頑張ってると思うがね」 そこに突っ込んできたのは、トレードマークのテンガロンハットをどこかに飛ばした吹雪だ。スピードにスピードを重ね、さらに全体重をその速度に乗せて。自分自身を高速の刃と化して、彼はハインツの鎧に突き刺さる。 「あいつらをドクの所まで送り届ける。そのために、俺たちで道を作るぞ!」 「――舐めるな」 次の瞬間。 ぶん、と振り抜かれた鈍器、つまりはスコップの一撃が、吹雪の身体を芯で捉えた。僅かの間意識を飛ばした彼は、しかし気力一つで意識を繋ぎ、咄嗟に後ずさる。 だが、間断なく振るわれた次撃に見舞われた秋火は、身体を捻って衝撃を逃がすことに成功したものの、壁上からのバルカン掃射に追撃されて昏倒にまで追い込まれていた。 「この先にお前達の道などない。退け、さもなくばここに屍を晒すがいい!」 「いいえ、誰も貴方達には奪わせない」 大きく広げた純白の翼。神に仕える者の聖衣に身を包んだ葛葉から吹く柔らかで清らかな風が、城門攻めに疲弊した仲間達の傷と疲労とを消していく。 「私達は、日常を、何よりも失われたものを取り戻す為にここに居るのですから」 ――さぁ、今を足掻きましょう? そう微笑んですらみせる彼女は、まさに戦場に舞い降りた聖女の如く神々しい。 「そして私の翼は、力は、皆を癒し守る為にあるのだから!」 「吼えるな劣等共よ。総員、白兵戦用意!」 ハインツの号令に、パイルバンカーを装備した兵士達や剣を構えたロボットが門から現われ、また壁上から飛び降りる。肝心の砲撃機や支援機は未だ手の届かぬ場所、祖瀬を飛んで攻めるにしても危険に過ぎる位置であることに変わりは無かったが――。 「あの大戦で人類の科学が爆発的に発展したのは否定しないわ。けれど、もうそんな時代じゃない!」 肌も露なドレスで身を飾ったアリシアが、後れ毛をうるさそうにかき上げ、立射の姿勢で狙いを定めていた。驚くべきは、彼女の立ち位置が最前列と言ってもいい場所だったことである。危険を顧みず、身を隠さず。ただ、アリシアは一心に標的を狙う。 「私の命と引き換えに突破口を開けるのなら安いもの。親衛隊は滅びろ!」 放たれた幾条もの光矢は、その多くを狂わされ空しく地を穿った。だが、精神を研ぎ澄まし精密に狙いを定めた彼女の射の幾分かは、確実に敵を貫いていたのだ。 「わー優良種さんはすごいなー。うちなんかじゃちっとも敵わないなー」 棒読みでそう言ってのけたはぜりがダミーの煙管をぷかりと吹かせば、印を刻まれた彫刻刀が彼女の周囲をぶんぶんと飛び回る。それはまさに刃の嵐。肉を割き腱を断つ危険な鎧を身に纏ったまま、彼女は迫る敵兵の只中に飛び込んだ。 「だからさ、みーんなで寄って集って、あんたらロートル共をぶちのめしたげる!」 多くの小刀は厚い装甲に阻まれた。だがいくつかの刃は、装甲のジョイントを縫い、比較的柔らかい間接部に突き刺さって鋼鉄の兵士に一穴を穿つ。 「あのいけ好かないパツキン共、ぶん殴ってきなよ。にひひ、道はうちらが切り拓いたげるからさ!」 はぜりの声に、幾人かの者達――ドクと戦うその時のため、あえて消耗を抑えていた者達――は気づく。正義の光、不可視の気糸、そして式神の鴉。ありとあらゆる手練手管によって、ハインツ率いる守備の主力は門から突出してしまっていた。 「すまない」 「頼んだぜ、あの変態をぶちのめして来い!」 慌てて守りを固めようとする親衛隊をひらりと避け、数人のグループがいくつか、研究所内へと飲み込まれていく。その様を、羽音は迷うような目で見つめていた。 「……こじり」 「行けよ、はの」 その背を、どん、と強く叩く掌。傍らで戦っていた俊介が、いつになく真剣な面持ちで、しかし羽音とは目を合わさずに告げる。 「こじりちゃんとは、誕生日祝ったな。一緒にケーキ食ったりしたよな。他にも色々あったよな」 「俊介」 「いいから行け。それと、帰って来いよ、はの」 もう一度、背を叩く。ああ、それは一番の死地へと大切な人を送り出すことだと知っていて。それでも、それでも未だ大人になりきれぬ少年は、彼女の背中を押したのだ。 「……行ってきます、俊介。ありがとう」 仲間達の後を追って、研究所内に消えていく羽音。それを目で追った俊介は、その背を狙わんとするサテライトを認め、怒りを爆発させた。 「邪魔するなぁっ!」 一足飛びに迫り、心中を駆け巡る思考の奔流を解き放つ。物質界では巨大な圧力に変換されたそれらは、兵士達の間に強烈な爆発を巻き起こした。 (こんな時でも俺は手を汚したくない。それが罪かは知らんけど) 答えを出せない自分の代わりに、彼女が、信頼すべき仲間達が行ってくれるから――。そう思考の淵に沈もうとした俊介を、あっけらかんとした声が揺り戻す。 「ボクたちの帰り道が無いじゃないか、どうしてくれる!」 ボトムチャンネルで見繕った水兵服を着こなすメッシュ。その尖った耳は、大穴の先の世界、ラ・ル・カーナからの来訪者たる証である。 「アークが大変だというなら駆けつけぬ訳にはいかないが……いつもこんな殺し合いをするとは、まるでバイデンだな」 だが、そう言ってのける彼女もまた、純粋な闘志に満ち満ちているのだ。バイデンの精神を自らに重ね、怖れを知らぬ戦士となって――。 「早く終わらせるのだ、こんな馬鹿げた争いなんて!」 魔弓から放ったのは、鋼鉄の鏃ではなく魔力の光球。既に乱戦に陥っているがために、フィアキィを使った強力な攻撃を避けたメッシュだが、一体を狙ったその攻撃も、馬鹿に出来るものではない。 「そうだ、敵が怯むくらい浴びせてやれ! さあ、先へ行く者はもう居ないな?」 ハインツの砲撃を一度は直撃で受けながらも踏みとどまった義弘が、後ろは振り返らずに叫ぶ。 彼自身はこの奥へと進む気はなかった。もちろん、義弘の戦意が低いわけではない。むしろ逆だ。この『穴』の空いた公園で、好き勝手させるわけにはいかない――その確固たる矜持が、彼になすべきことを悟らせたということである。 「俺は盾。侠気の盾だ。そう名乗るだけの働きをさせてもらう」 義弘といえば盾の印象が強いリベリスタも多いだろう。だが、彼の得物たる鋼鉄の鎚もまた、無名ながら彼と共に戦い抜いてきた戦友である。そのメイスが、破邪の輝きを得て目も眩むほどの光を放つ。そして、渾身の一撃。 「ただ奴らの眼前へ、突き進め!」 「大丈夫よ、後ろはあたし達が守ってあげるから」 瞳に強い黄金色の光を宿し、祥子は仲間達に戦い抜くための加護を願う。幾度か繰り返したそれは、しかし普段は決して連打するようなものではない。疲弊のあまり大きく息をつく彼女は、それでも二枚の盾を構え、義弘の傍にぴたりと寄り添うのだ。 (――絶対に死なせない) 自らを仲間の盾と自負する彼だから、自分くらいは彼の盾であってもいい。いざとなれば身を捨てる覚悟を胸に、祥子は強大なる敵を迎え討つ。 「皆様! わたし達が抑えるのですぅ!」 一方、その近くでは、童話から飛び出てきたかのようなドレス姿のロッテが、棘茨を絡ませた大きな林檎と不可視の気糸とを得物にして奮闘していた。 率直なところ、もっと強くなるの、という彼女の決意とは裏腹に、ロッテは荒事が得意な方ではない。それでも、こんな危険領域に足を踏み入れた理由は――わたしの恨みの言葉も、ちゃんと伝えてくださいよね、と告げた、ただ一言で察することができるだろう。 「末代まで祟るのです! 地獄を彷徨えジャガイモ野郎!」 人形のような容姿からあらん限りの罵倒が飛び出ても、今はだれも咎めるまい。怒りのままに。散らされるのを承知で全身から放った無数の糸は、それでも少なくない数の敵を射抜いていた。 (わたし達の好きな人を奪った事……後悔させてやるのです) 結末は友と共に先に進んだDoc、彼女の使役するカラスが教えてくれるだろう。ちゃんと帰ってきてくださいね、と囁いて、またロッテは鋼鉄の戦場に身を躍らせるのだ。 「亡霊がいつまでも現世に留まってはなりません――が」 しかし貴方がたは些か非道に過ぎる、と。三白眼気味の隻眼で迫り来る敵を見据えたロマネは、蔓薔薇の這うシャベルをゆっくりと構えた。その身に纏ったモーニング・ドレスは、ロッテが着込んだものと同じドレスとは言えど、受ける印象は大きく違う。 「まともな弔いなど、望むべくも無いと知ればいい」 刃先には百合と四剣。ぐ、と突き入れるように伸べたその先から放たれた一本の糸が、大型のスーツの関節を射抜き、その動きを鈍らせる。ぎし、と鳴った音に動きを止める兵士。だが、敵陣に乱入した中で、それは大いなる隙でしかない。 「弱者の戦い方ってやつを教えてやらんとなぁ、おぃ」 その声は背後から。振り返る間もなく、スーツの繋ぎ目から鋭い痛みが走る。くけけっ、と含み笑う彼にどくんと流れ込む、親衛隊兵士の命の輝き。 「命あっての物種やからなぁ。卑怯や言われてもしゃーないよなぁ、おぃ」 背後からの一突き。そのやり口を快とは思わぬ者も多かろう。だが、彼らは戦争をしているのだ。戦争に卑怯も糞もない、と知る玄弥は、それ故に最も『安全』なやり方を身に着けている。 「やれやれ、面倒なことですね。しかし排除しておかないと、これからも忙しくなりそーです」 小路が口にするのはそれとはまた違う。いつもの寝癖頭を今日は盛大に爆発させて、起き抜けに戦争に来ましたと言わんばかりの主張である。 「さあ制圧するですよ。あたしは働きたくない」 身も蓋もない言い草だが、これで指示が的確だったりするから始末に負えない。手にした交通標識もその鈍器としての質量を活かす気はなく、ぶん、と振って真空の刃を生むばかり。その刃は精密なる操作を受け、ダメージを受けていた従卒の一機にとどめを刺して鉄屑に変える。 「ああしんど」 ふわぁ、と欠伸ひとつ。だが、どこか緊張感を欠いている彼女も、その周囲全てがのんきだとは限らない。殊に、猛る敵将が近くで砲門を赤熱させているのであれば。 「――舐めるな、と言ったはずだ」 門の守り手、ハインツ少尉。スコップの膂力に任せた戦いをする彼のスーツには、しかし砲兵と思しきキャノンが据えられている。そして今、その砲身は蓄えられた熱で真っ赤に滾っていた。 「総員、対熱波姿勢。Heil Sieg!」 少尉が低く叫び、その砲門をリベリスタへと向ける。一斉に離脱する親衛隊兵士達。次の瞬間、太陽が生まれたかとも思しき火球が吐き出され、そして轟、と爆ぜた。 「さあ、火の海に沈め劣等共!」 巻き込まれたリベリスタ達が次々と火の柱に変わる。精鋭なれば、一瞬で炭と灰と化すことこそなかったが――やはり脱落は避けられず、癒し手の祈りも届かず倒れる者が続出した。 「これもまた、アーネンエルベの亡霊のひとつか」 奇跡的に難を逃れた黄泉路が、左目一つで周囲を見回した。彼女に限らず、殆どの者にとって、先の大戦はもはや話に聞くだけの出来事である。 だが、親衛隊にとって大戦は終わっていないのだろう。一瞬にして一帯の景色すら変えた虐殺兵器を作り上げた彼らは、まさに今、殲滅戦争を生きている。 「ならば死神の座に恥じぬよう、亡霊共は全て冥府へ送るとしよう」 刃を備えた黒弓を、ぎり、と大きく引いた。番えた矢は慣れた木の軸と鉄の鏃。だが、それを漆黒の瘴気が包み、痛みを齎す呪矢に変える。 「その首、置いていってもらうぞ」 この一矢で倒すことはできずとも、力を合わせて積み重ねていくことはできる。故に、彼は自らの力ではなく仲間を信じ、弦を一杯に引いた手をそっと放した。 ●親衛隊/2 「かっこいいスーツじゃないか、でもちょっと重くはないかい?」 ロングヘアーの黒髪がふわりと靡く。だが、地を蹴ったよもぎの身体は、それとは対照的に直線を刻んでパワードスーツの兵士へと迫った。 左手の盾で自分に向けられようとする杭をいなしつつ、剣で斬りつけること二度・三度。 だが。 「――何だって!?」 一回り小柄なサテライトが、側面から斬りかかり、そのままよもぎと兵士との間に割って入った。お見通しかな、と彼女は眠たげな目を更に顰める。 パワードスーツ本体を破壊すれば、従属するサテライトは動きを止めて自爆する。そのルールに気がついたリベリスタ達は得意の集中攻撃を仕掛けたが、やすやすとそれが通用する親衛隊ではない。 「子機を盾に使うとはな。機械だからこそ出来ることか」 親衛隊の動きを注視しその狙いを見て取った幸蓮が、忌々しげに吐き捨てる。確かに合理的な動きであることに疑う余地はないのだが、とはいえすっきりとしないのは、彼女の持つ仲間意識と家族意識が不快感を訴えるからだろう。 (兄よ、家族よ。どうか無事で) 敵は一兵士までも悪辣に勝とうとする。研究所内部へと向かった『兄』の無事を祈りながら、彼女は浄化の光を放つ。右手に刻んだ花が、戦場に彩を与えていた。 「なら、全部叩き潰してやればいい!」 勇ましく吼えたのは、特撮ヒーローのようなスーツに身を包んだ男、陽渡・守夜その人である。アークリベリスタ勢の中にあっても目立つその衣装は、ある意味で共に戦う戦友を鼓舞する旗印でもあった。 「親衛隊の奴らに、情け無用っ!」 バルカン掃射を掻い潜ってサテライトの胸元に飛び込み、土をも砕く掌打を打ち込んだ。表面装甲の内側で、ギアがめきりと音を立てる。 「諦めるなよ。勝って、皆で生きて帰るんだ!」 「させるか、小僧!」 守夜の上げた声に応じてか、兵士がバルカンの銃口を向ける。次いで、ぱららら、という軽い音。咄嗟に逃げた彼も、降り注ぐ銃弾を完全に避ける事はできず、足に当ててしまい倒れ込む。 「……! 行って……」 アルシェイラがその杖で守夜を指せば、癒しの力を乗せた妖精フィアキィが傷口の周りを飛び回り、不自然なまでの速さで治癒させる。 (この人たちも、戦いを求めているの。でも彼らとは違う) ラ・ル・カーナからの来訪者は、戦いに秘められた激情に心を震わせていた。それが恐怖に転化しないのは、彼らが自分の為に戦っているのではないと知っているから。 「踏みつけたものを顧みすらしないのとは、絶対に違うの」 「ああ、そうさね! みんなアタシの大事な子供なんだ、こんな奴らと一緒にされちゃ困るってもんさ!」 あはははっ、と腹の底から笑ってみせる、おっかさんこと富江である。だが、ひとたび親衛隊を睨みつけたならば、その顔は鬼神へと変わるのだ。 「カトンボみたいなちゃちな攻撃で、このアタシにかかってくるのはどこのどいつだい?」 富江(とてもそうは見えないがホーリーメイガス)が振るうは冷凍マグロ。冷凍マグロなのである。思わず二度見してしまう三高平最強鈍器は、その見た目以上の質量をもって、襲い掛かるロボット兵士を頭から叩き潰した。 「負けやしないさ……富子が心から愛して、そして最後まで未来を信じた子達なんだから」 そう、戦場に在ってふと微笑んでみせる富江(くどいようだがホーリーメイガス)を目の当たりにして、世の中は広いな、と逸平は呟いた。 「まあ、俺もやれる所までぶっ放すぜ。ここでも本拠地でも戦ってる奴らがいるんだからな」 既に彼は一度、剣林弾雨の前に倒れ、しかし運命の力を引き換えに立ち上がっている。それでも決して、彼が背中を見せることはない。 「好き勝手にやるふざけた連中は、さっさと土に返ってもらうぜ!」 手にした銃の銃身を握り、その分厚い銃把でぶっ叩く。闘気を篭めてすら、それは一体を屠るに足る攻撃ではない。それでも、ダメージは着実に蓄積されていくから、彼らは諦めることなく立ち向かうのだ。 。 「さあ兵隊さん達、一緒に踊って下さいな――力尽きるまで」 囁き声が聞こえると同時に、鋼鉄の鎧に火花が散った。踊るというには速すぎるうさぎのステップ。一瞬遅れてふわりと泳いだ緑布だけが、舞のイメージを残している。 手にした刃は半円に並んだ十と一枚。並みのフィクサードならば一瞬にして血の海と化す神速の刃は、しかしパワードスーツの装甲を抜くには当たりが軽い。 「これでいいんですよ」 だが、『彼女』は余裕を見せていた。もとより極端なまでに高い継戦能力を誇る身である。何度でも斬りつければいい。ただそれだけでいい。 それは、遠からずその刃が生身の肉へと達することを知っている、ということなのだから。白目がちの眼は、今も変わらず飄々としたままだ。 「大将首やら武勲を上げるのは、人様に任せます」 遠くには赤い鎧に群がる味方が見える。だが、自分には『向いていない』相手だろうから、うさぎは唯、目の前の敵手に神経を注ぐのだ。 「私に向いてるのはもっと地道で泥臭い――」 僅かに上がった口角、それが表情に表れた感情の全て。見る者が見れば、うさぎが『微笑った』ことに驚くのかもしれないが。 「――こーゆーのですよ」 再度振るわれる右手。十一枚の刃を、今度こそ赤が彩る。 「さあ、忠勇なる親衛隊諸君! 今こそ諸君の忠誠心を見せるときだ!」 リュッケの号令に意気盛んなる兵士達。その数は半減していたものの、戦意は決して衰えていない。むしろ、リュッケの投入した予備戦力により、一部では押し返してすらいたのだ。 「……ワタシは悲しい」 怒涛のような攻勢を受け止める前衛達。その中で、宇宙服プロテクターに二枚の盾という異色の装備で臨むキャプテン・ガガーリンの姿があった。 「科学とは人と地球(テラ)を幸せにするためのものだ。だが、彼らは徒に地球を悲しませている」 透明のフードの向こうで、元宇宙飛行士は眉根を寄せかぶりを振る。そして告げるのだ、その誤った技術運用をワタシが叩く、と。 アストロノーツの誇り、コスモノーツの覚悟、そして大いなる地球に生きる命として。 「何故ならワタシは……キャプテン・ガガーリンだからだ!」 振り下ろされたサテライトのブレードを、彼はその盾で受け止める。だが、彼ほどに堅く戦列を支えた者はそう多くはない。多くのリベリスタ達、ことに援軍として参戦した者達は、強烈な攻撃にみるみる損耗し、後退していく。 「いつの戦いも、負けられぬ戦ではありますが……」 此度ほど、落としてはならぬ戦いもそうはない。三ッ池公園は確かに陽動。なれど、『閉じない穴』を奪われたままにすることの危険は皆が知っていた。あのような研究所を短期に建ててしまう技術と意思を持った敵が相手なら、なおさら。 故にリサリサは一心に祈りを捧げ、強大なる敵に対する仲間達を全力で支える。精神力を限界まで搾り出し、もはや倒れる寸前になろうとも、彼女は決して持てる力を注ぐことを止めはしない。 「私達の役目は決まっております……見せましょう、今こそアークの本気を」 後衛からのサポートがあってこそ前衛は攻撃に集中できる。リサリサをはじめとする癒し手の支援があるからこそ、斬り結び血を流す者達は痛みをものともせずに立ち向かうのだ。 そして、その考えに至った者は、彼女一人だけではない。 「前衛の士気を支えるは後衛の務め! 奏でようではないか、我が身精根尽き果てるまで!」 元は明るい色だった髪も今はグレーに染まる円熟。紳士然としてタクトを振るうセッツァーは、戦場音楽に自らの旋律を重ね、惨劇の丘に聖別の調べを響かせる。 「勝利の音色をこの声(うた)に乗せて――」 伸びのある彼のバリトンは沸き立つほどの凱歌となり、苛烈なる死闘にくじけそうなリベリスタ達の心を支えていた。ああ、それはどれほどまでに力強く、戦士達の背を支えていることだろう。 「――アーク一世一代のオーケストラが、今、開演するのだっ!」 「そうだ! 俺達は勝つ! 勝たなきゃいけないんだ!」 厚き支援を受け、猛る前衛達。真っ赤なバトルスーツを着込み、暑苦しく叫ぶ鉄平もその一人である。使い潰して構わない、とばかりに押し寄せるサテライトを、機械の拳が打ち据える。 「鋼鉄の拳で悪を討つッ! はあぁぁぁぁっ! ジャァァァスティィィィィィス! スマァーッシュ!」 突き入れた一撃に全身全霊の膂力を籠めて。余すところ無く叩きつけられた破壊の衝撃は、機械人形を対ショック機構もろとも粉砕する。 「此処は俺達に任せて先に行くんだ!」 「はいはーい、皆さんのお耳の恋人らじかる☆りりかでーっす! 今なら、このおにーさんと同じくらい赤いあんちくしょう、やれそうな気がしまーっす」 途切れがちな無線を聞き取っていたりりかが、ラジオ放送ばりのアナウンスで戦況を告げる。その声に何人かが目を向ければ、人壁の向こうでちらりと見える赤い鎧が随分とリベリスタ側に食い込んでいた。 このとき、リュッケ少尉は確かに突出していた。安い挑発に乗るほど彼は猪武者ではない。だが、戦いの興奮に身を置くならば、冷静な戦況把握からは遠ざかるのも道理。また、相対するリベリスタが、まずは随伴の兵士やサテライトを倒すことに務めたのも大きいだろう。 「きーりーやーくーんっ! あいつ倒しに行こう! あはっ!」 霧也にぶんぶんと手を振ってみせ、魅零は屈託無く笑う。だって魅零ちゃん一人で寂しいもんっ、と宣う彼女を一瞥した彼は――無論、指の先ほども信じてはいないのだが――ああ、と頷いた。 「このままでは泥沼だ。指揮官を倒せば、潮目が変わる」 「キャハハ、霧也クン話わかるー! それじゃ、道を開けてよね、親衛隊!」 抜き放った大太刀からじとりと漏れる瘴気。付近の支援型は既に撃破されていたのか、大きく広がる漆黒のオーラは最早捻じ曲げられることはない。 「さあ、強者よ! 君達と過ごす小さな時間、私の力の糧になれ!」 魅零の身体を走り抜けた痛みと引き換えに、暗黒の呪詛は鋼鉄の兵士達を飲み込んだ。崩れた敵の壁。その間隙を、リュッケを狙う者達が走る。 「なんか毎年、何回かこういうことやってるよね。今年も何人の人が死ぬかな」 矢の先頭を走るのは影時。両の手に握るは鋏とカッター、だか舞うように疾る彼女の周囲に閃く銀光は、着実に鋼の甲を穿ち削っていくのだ。 「超楽しそうな事件になったもんだ。血みどろに肉塊が飛ぶよ、楽しいね……!」 その数歩後ろに従っていた沙羅が、何かに気づいたようにぶん、と大鎌を振るう。その刃にかけられたのは、側面から影時にブレードを突き入れんとした機械兵。 「なんだかあんまり調子よくないみたいだね。大変そうだからボクが助けてあげようか」 「……悪いね沙羅クン、力になりたかったんだけど、命は惜しいよ」 率直なその言いように、沙羅はふ、と微笑んで。珍しく目を見て話せる女友達を失うわけにはいかないから、彼は守ることに意識を注ぐ。 「マジで今日だけだからね、ほんとは殺したいんだから!」 「はははっ、リベリスタ共も所詮はその程度か!」 果敢に迫るリベリスタをアサルトライフルの三点バーストで沈黙させ、リュッケは哄笑する。彼のパワードスーツを鮮やかに彩るのは、科学の粋を尽くした特殊塗料か、それともリベリスタ達の鮮血か。 「所詮は極東の劣等、彼方も此方も、同盟など結ぶ価値もないだろうに」 「うっせー難しい事を行っても無駄なのだー、ひーろーは無敵なのだー」 そこに喰らいつくリベリスタの一群。先攻を担ったのは六花率いる四人組である。 「率いる……? いつの間にかがっちり服の袖を掴んでいただけでしょ……ああ、この子ウザイ」 「こまけーことはいーのだー、さっさとぶっぱするのだー!」 ちびっこ六花がばばっと開いた手を掲げれば、四方に飛び散る稲妻の光条。ストレートな嫌味を盛大にスルーされた真名も、溜息一つ吐いて鉤爪をこじ入れた。エネルギーを乗せ甲に輝く紅玉はリュッケのペイントよりもなお紅く、しかし未だ鮮血を浴びるには至らない。 「ほら、依子も働きなさいな。そうすれば、私一人よりも楽が出来るでしょ」 「ひっ……は、はい」 魔道書を抱きしめ、涙目の依子である。怖いのは敵ではなく、真名の含み笑いだというのが始末に負えない。もっとも、真名の方は、これはこれで彼女を気に入っていたりもするのだが。 「がんばるのだーよりよりー」 「は、はいっ」 六花に励まされ、手を引かれてまた同じ返事。それでも今度はどこか嬉しげなのだから、依子にとってこの少女は大切な存在なのだろう。 「近くの皆さんも、良かったら一緒にどうぞ……」 こればかりは堂々と、柔らかな歌声を紡ぐ依子。祝福の音色は鳴り響き、周囲のリベリスタに大いなる加護が振舞われる。 「アタイ達三人はむてきなのだー」 「え、お、俺は……?」 妹にハブられ涙目の真である。華奢な身体に似合わぬ強弓をつるべ撃ちにする様は、意外に頼りがいのある姿なのだが――残念ながら、ヒエラルキーの底辺たる彼に、妹の視界に割り込む権限はない。 「ま、まあ、命は大事にな!」 「猿のように喚くなリベリスタ!」 そこに襲い掛かる、リュッケ直衛の兵士。太く鋭いパイルバンカーを真名に向け、串刺しにせんと大きく後ろに引いた。ぐん、と発射。だが、その杭が彼女を貫くことはなかった。 「ほら役に立つのだ」 「ぶべっ!」 何の事はない、妹に突き飛ばされた真が代わりに尊い犠牲となったというだけのことなのだが。 ともあれ、此処がチャンスとばかりに、リベリスタの攻撃が次々とリュッケに降り注ぐ。パイルバンカーで受け流し、厚い装甲で耐え――彼も未だ不沈艦のように奮闘するのだが、それを上回る集中攻撃の前にアーマーの損傷が目立っていた。 「随分悪趣味な玩具だな。機械の力で好き勝手か」 冷たく吐き捨てた那雪に、傍らの彼女の戦いぶりを知らぬリベリスタがぎょっとした視線を向ける。常に眠たげで柔らかな雰囲気を纏った彼女が、今は氷の殺気を纏い、一人の戦士として此処に立っていた。もっとも、彼女をそうさせたのは、決して戦いに臨む論理戦闘者の矜持だけではないのだろうが。 「己が役目を果たさせてもらおう。私の糸とそちらの屑鉄、どちらが上か――試すのも一興だ」 細い指を添えた水晶の刃。六花の紋が淡く輝けば、四方に散った実体を持たぬオーラの糸がジグザグの軌跡を描き、リュッケの腹を射て絡め取る。 「こ……の、カトンボのように!」 だがリュッケも一群を率いる指揮官だ。右手の杭を振り回し、迫るさざみに手痛い一撃を見舞い、握るアサルトライフルを那雪へと向ける。 「終わりだ、このリュッケ隊を舐めた報いを喰らえ」 だが、軽く跳ね上げるような音を立てる三斉射は、那雪には届かない。代わりにその身で銃弾を受け止めた暮葉が、血を吐きながら、それでも満足げに膝を突く。 ああ、確かに彼女は、未だ最前線で戦い抜くには力不足。だが、その覚悟は歴戦の精鋭にも引けを取らず、ぎりぎりの攻防が続くこの瞬間、次のチャンスへと繋ぐ役目を果たすのだ。 「……勝手を言いますが、勝って下さい。そうでなければ、この先……」 また、大きな戦いが起きてしまうから。そう言い掛けて、既に運命の後押しを得ていた彼女は意識を手放した。 そして。 「撃たれたから、穿たれたから。それで私達が止まるとでもいうのかしら」 鈍器の直撃を受けたさざみもまた、意志の力で痛みを押し殺し、今こそ正念場と立ち上がる。魔導師でありながら、自らを強化して肉弾戦を繰り広げるというスタイル。培われた身体能力が、咄嗟の受身を成功させていた。 「まだ腕が動く、脚が動く! なら――」 魔術紋様が刻まれた篭手に宿る四色の魔光。零距離で唱えたその全てを乗せて、魔拳士は拳をずん、と叩き込む。 「――なら、鉄屑にしてあげるわ」 既に限界まで疲労を起こしていたか、厚い装甲を誇るパワードスーツの腹部に大穴が開き、拳がめり込んでいた。会心の表情を見せるさざみ。そして、リュッケの体がゆっくりと崩れ落ち――小さな爆発を起こして自壊する。 「パワードスーツだって、鉄屑になれば意味なんてないわ。一気に片付けるわよ」 戦いは続く。だが、既に残敵の掃討にフェイズを移している事に、疑う余地はなかった。 ●アーネンエルベの亡霊/2 リュッケが倒れる少し前。 「ふむ、どうやら兵士は殆どが外に出ているようだな」 研究所構内に突入成功したリベリスタ、その数十三名。一丸となって構内をひた走る彼らだが、意外なことに殆ど守備の兵は姿を見せなかった。 「だが、アーネンエルベの駄犬共、短期間に働きすぎなのだ」 問題は、構内に密集する建築物。当然のようにE能力による探査を許さないそれらを虱潰しに探す間にも、貴重な時間はどんどん流れ落ちていく。天才にも有効な手は見つからないか、陸駆が苛立ちの声を漏らした。 だが、幾つめかに足を踏み入れた棟で羽音が漏らした一言が、自体を動かす。 「ここ、何か引きずった跡が、ある」 扉などない長い廊下、走り抜けるだけのその場所で、それでも彼女の眼は『それ』を捉えていた。顔を見合わせて頷きを交わし、息を飲み込んでそっと壁を押す。 「やっとここまで来たね。いや、よく見つけたって褒めるべきかな?」 「――!」 その声に、雷音が身体を強張らせた。淡く光が照らすその部屋には、四体のパワードスーツと、背に四本のアームを背負った、収まりの悪い蜂蜜色の髪の男。 「貴方がドクね? 随分酷いことをしていると聞いたわ」 有無を言わさず巨大なクロスボウを構えたサタナチア。シシラトカ、と呼び声一つ、氷の矢と化したフィアキィが鉄矢の代わりに撃ち込まれ、ドクを中心に凍気の嵐を呼ぶ。 「酷いこと? 僕はただ研究をしているだけさ。科学の発展に尊い犠牲は付きものだろう?」 「それが貴方の、人間の、好奇心というものなの?」 巻き込みはしたものの然程のダメージを受けた様子も無いその男、『鉄十字猟犬』のマッドサイエンティスト・ドクを睨みつけ、私にはわかりそうにもないわ、と呟く彼女。 「尊い犠牲……?」 ぎり、と音が響く。それは、壱也が堪えきれず鳴らした歯軋り。そんな言葉で。そんな軽い言葉で、私の大切な親友の生き様を片付けるな。 「……殺してやる……!」 幅広の蛮刀を手に駆け出した。にやついた笑みを唇に貼り付けた男。アイツだけは許さない。 「邪魔ぁっ!」 中身は研究者だろうか、鋭さを感じさせない動きをしながらも、パワードスーツが彼女の行く手を遮らんと壁を作る。だが、壱也の華奢な体からは信じられないほどの力任せの一撃は、超重量のパワードスーツをも吹き飛ばすのだ。 「壱也!」 「判ってるっ!」 そう、滾る気持ちに優劣なんてないけれど。ここで仇をとるのはわたしじゃない。ここから終わりと始まりを紡ぐんだから――! 「ほら、いってらっしゃい!」 「久方ぶりだな、今日の玩具は随分と酔狂ではないか」 雷音が緊張している事は、周囲の皆が気づくほど。自由を奪われ、そしてもっと大切なものを奪われた記憶が、はっきりと蘇る。 怖い。逃げてしまいたい。 けれど。 「やあ、君は見たことがあるね。サンプルとして丁度いいかな? もう一人の子の方が、弄りやすそうだったけれど」 「……生憎と、この命は救われたものだからな。君なんかの手に、落ちるわけにはいかない」 ばっ、と取り出したのは幾枚もの呪符。扇のように広げたそれを頭上に撒き散らせば、その全てが式神の鴉となってドクを飲み込んだ。 「科学と神秘の融合とは、天才の域を超え神の域だ」 陸駆の脳内で戦略演算が進むにつれて青白く輝く、護符を印刷した手袋。溢れ出る思考が拳に宿り、巨大なる圧力と化す。 「神を葬る者の名において断罪してやる!」 ぐ、と拳を突き入れれば、爆ぜた演算の奔流が彼を取り巻き、群がるスーツを纏めて弾き飛ばした。 「アーネンエルベ。懐かしくも忌々しい名前ね」 早くも乱戦になったこの戦場で、氷璃は一人殴り合いの場から距離を取っていた。つい、と日傘の先を前に向ければ、急速に冷やされた水蒸気が氷の刃をその先端に成す。 (あの狂気染みた実験の数々も、貴方達の所業の氷山の一角に過ぎないのでしょうね) 真実の可能性を否定しきれない以上、こんな男が私の父親かもしれない、というのは笑えない冗談である。だから、彼女は考えることを止め、ひたすらに意識を細く細く縒り合わせる。 そして、ぽっかりとドクまでの射線が開いた。 「Au revoir.私のお父様かも知れない人」 迷わずに氷の矢を放つ。たっぷりと呪詛を塗した鏃は狙い過たずドクの肩に突き刺さり、急速に身体を凍らせていった――が、肌の表面に広がった薄氷は、あっさりと割り砕かれる。 「呪いで命の熱を奪い取る? 酷い事するなぁ」 予想外の事態に驚愕を隠せない氷璃に向けられたドクの背のアームから、銃弾が吐き出される。奇しくも穿ったのは同じ右肩。だが、その後に肌を染めていくのは新式の死毒の色だ。苦痛のあまり蒼白となる氷璃。 「おっと、皆はこっちをサービス!」 助けに飛び込もうとした夏栖斗達を迎え撃つのはもう一本のアーム。ダクト直結のそれに備え付けられた銃から溢れてくるのは、対多人数の『耐性を持たせない』麻痺毒である。 銃弾に比べれば密度は低く、それ故に耐え抜くことが出来た者も居たが――数人のリベリスタが、身体を不自然に強張らせその場に倒れこんだ。 「今は耐えて。皆で力を合わせるの、前へ進むために……!」 大事な絵本を祈りの媒体に、あひるは天上の存在へと奇跡を祈った。齎されたのは瘴気を吹き飛ばす強く柔らかい風。 実のところ、あひるもまた、その心を強い怒りに支配されていた。雷音に危害を加えようとしたこと。こじりを奪ったこと。 ――やってきたこと全て、後悔させてあげる。 けれど、彼女は自分の立ち位置を正確に把握していた。あるいは、自分の出来ることを正確に把握していた。だから、彼女は支える側なのだ。癒し手として、仲間達が本懐を遂げるその時のために。 「先に進むため、ここで終わらせよう! 皆が居るから、負けないよ。大丈夫!」 「ああ、あいつだけは、絶対ぇに許せねぇ」 触れるもの全て斬らんが如くの殺気を放ち、虎鐵が押し進む。普段の温厚な顔、闘争を好む戦士の顔。二面の顔を持つ彼は、しかし今だけはそのどちらの表情でもなかった。 それは憤怒の化身。純粋なる殺意をただ一点へと向ける修羅。 「雷音に手を出そうとしたてめぇを、俺は絶対に殺さなければいけねぇ」 研究者だからこそ、今の彼が手を出してはいけない存在であることには気づかないのか。割って入ろうとするパワードスーツに、虎鐵は剣呑な目を向けて。 「――どけよドサンピン。今の俺は何時ものあんな甘ちゃんな俺じゃねぇぞ」 それは魔を斬る漆黒の刀。この場でも随一の膂力をもって、力任せに斬り抜いて――既に傷ついていたそれを屑鉄へと叩き落す。鋼鉄を斬って尚、橇が伸びもしないたりは、流石に銘刀というところだろうか。 「戦うのに一番必要なものは。力でも、知識でもない」 ギュイン、と音を立てて回転するチェーンソー。人を切断するための殺人兵器(ラディカル・エンジン)。それを大きく振りかざし、羽音は残る研究者へと迫る。 「……覚悟だよ。貴方達に、それはあるかしら?」 稲妻と化した闘気すら纏わせて振り下ろした、赤いボディと黒い牙。腕に逆流するエネルギーすら無視し、恐るべき速度で鋼鉄の鎧を削り取り、その下の肉すら断ち斬って。 「もう、貴方達の好きには、させない」 大切なもの全てを守るために。そう、言い切った。 パワードスーツを撃破し、いよいよドクを仕留めるべくリベリスタ達は殺到する。だが、一流のフィクサードたる顔を持つ彼は、碌に戦うことも出来なかったその他の研究者とは話が違った。 「あははっ、活きがいいっていうのは素晴らしいね。サンプルとして使えるかは別だけどさ!」 アームの先端から噴出したのは、筋肉を強張らせる神経毒。二本のノズルを同時に使い、ほぼ全ての前衛をガスの範囲に捉えたドクは、次々と倒れる戦士達に嘲りの笑いを投げかける。 「まあ待てよ、やられっ放しは真っ平だ」 だが、全ての者が動きを止めたわけではない。麻痺毒に耐え、ガスの中を突っ切った義衛郎が、二刀から生まれる幻惑の武技に速度を乗せて、凄まじい速さの斬撃を浴びせかける。 だが、鳴り響いたのは甲高い音。四本のアームのうちの二本で攻勢を防いだドクは、底の見えない水色の瞳で残念だったね、と嘲ってみせた。 「いいや、狗には狗の意地があるのさ――任務を果たして、この間の借りも返す」 「アークの狗は、必ずつがいで動くのですから」 遠くガスの及ばない背後から、涼やかな声が聞こえる。そして、鶴の羽糸を媒介にした切れることの無いオーラが、細く細く伸びてドクを射抜いた。 「やられてばっかりなんて、性に合いません」 白き衣を纏った嶺。喉元の黒薔薇が、かえって鮮烈な印象を残している。彼女らはまさしく二人で一つなればこそ、その連携に言葉は要らなかった。 そして義衛郎と入れ替わるように、黒衣の少女が大鎌を振り下ろす。アンジェリカ・ミスティオラ。少しずつ愛することを知り、歌う事の喜びを知った彼女は、しかし今は躊躇うことなく仇敵へと怒りをぶつけるのだ。 (――あの時、あの場にいたボクは報いなければいけない) 感情を捨てたわけではない。ドクへの怒り。力なき自分への怒り。むしろ情動に身を任せ、彼女は只管に切り刻むのだ。 防御なんて要らない。こんな奴の転生を、刃の女神に祈る必要もない。 「お前はこの世に存在していちゃいけない!」 幾度目かに振り下ろされた冥界の女王の大鎌が、ドクの肩に大きく食い込んだ。これまでの手傷とは違う大きなダメージに、流石の彼も表情を変える。 「くっ、痛いなぁ、まったく……!」 「こじりはもっと痛かったんだ!」 夏栖斗の叫び。おそらくこの場で最も明確に『復讐』を誓っていたのは彼であったに違いない。理性は、そんなことに身を灼くのは愚かな事だと言っている。失われたものはもう戻ってこないと言っている。 知ったことか。 「お前は僕がぶっ殺す! 妹に手出しもさせねぇ!」 焔這う棍を手に、彼は全身に気を張り巡らせる。今この時だけで良い。僕に、あの野郎を仕留める力をくれ――。 『貴方と言う子は、本当に少し目を離すと直ぐにヤンチャするのだから』 声が、聞こえた気がした。 敵を前にして、それでも構わず振り向く夏栖斗。だが、傍らに立っていたのは、見知らぬ少女だった。どこか頼りなげな彼女は、弓に矢を番え、大きく引き絞る。 「貴方は此処までよ。例えるなら、好奇心は猫をも殺す」 放たれた矢は、魔力も呪詛も闘気も帯びず、殊更に剛力というわけでもない。ごくごく平凡な一矢は、しかし目を奪うほどに美しく真っ直ぐに宙を翔け、すとん、とドクの胸に突き立った。 「実験体? リベリスタ? 何を勘違いしているの。貴方が相手取っているのは――」 牙無き、剣を持つ獣達よ。 その少女、しのぎがそう言い終わるや否や、矢を追いかけるように放たれた夏栖斗の一閃、達人クラスの武術家だけが体得できるという『虚空の一閃』が、ドクの胸に血の華を咲かせた。 『――さようなら。『私』はずっと、貴方の事、見ているからね』 「……うん、そっか」 それだけ言って、夏栖斗はドクへと向き直る。この男に止めを刺す、ただそれだけの為に、自分はこの場にいるのだから。 「さあ、これでおしまいだ。覚悟はいいか、ドク」 「――何を言っているんだい?」 次の瞬間。 ドクの背から延びた四本のアーム、その先端のノズルが一斉にガスを吐き出した。筋肉を硬直させる神経毒に、恐るべき速さで肌を蝕む神経毒。それは戦いの中でリベリスタが何度も浴びたものと同じ、『彼自身を除いては』耐性の存在を許さないドクの自信作。 違うのは、その濃度と範囲。残量など顧みることなく撒き散らされた二種の化学兵器は、混ざり合い、反応し、更なる猛毒となってこの広い部屋を満たすのだ。 ああ。 それはまるで、サンプルを『処分』するためのガス室のように。 「流石の僕も堪えたよ。せっかく来てくれたのに、捕まえる余裕もありゃしない」 言葉でひけらかす余裕とは裏腹に、ドクは荒い呼吸で肩を上下させていた。本物の左手は、血の滲む胸を押さえたままだ。 「僕は兵士じゃないんだ、荒事は勘弁しておくれよ」 「お前……っ」 何とか膝を突かずに保ったのは、義衛郎とアンジェリカ、そして陸駆。他の者は、強烈な神経毒に身を急速に蝕まれ、手を動かすことすらままならない。不幸だったのは、突入に成功したリベリスタに浄化の能力を持つ者が極端に少なかったということだろう。 「けどまあ、三人くらいなら、痺れが抜けるまえにやれるかな」 緊張が走る。 それはドクの最後通告。君達を殺すという、無邪気なカウントダウン。 倒れている者は、一秒でも早く身体よ動けとあがき。 立っている者は、一秒でも長く時間を稼げと覚悟を決めた。 だが、その時。 ――Pipipipipipi―― 「なんだい? 今いいところなんだけど――へぇ?」 電子音に気を取られたドクは、くくっ、と唇を曲げた。そして、堪え切れずに哄笑。 その時、アンジェリカの類稀なる聴力は、ドクの襟元についた無線機が彼に耳打ちする情報を、ほぼ正確に捉えていた。 曰く、アルトマイヤー隊はリベリスタを敗走させるも、アルトマイヤー少尉自身は負傷し撤収した、と。 「あはははっ、こんなことになるとはねぇ。アークの諸君、君達もなかなかやるね」 そして、あっさりと、見逃してあげるよ、と彼は告げる。 「ちょっと忙しくなってね。君達がアルトマイヤー君をやっつけたおかげで、ゆっくり相手する暇がなくなってしまったじゃないか」 それは強がりだ。わざわざ指摘するまでもなく、アルトマイヤー少尉の撤収は公園の防衛において致命的な損失。ドク自身も相応に傷ついている以上、どう装おうとも不利なのは親衛隊の側なのだから。 だが、『彼ら自身』にとってはどうか。確かに彼らが命を捨てて戦えば、あるいはドクを討つことも可能かもしれない。だがそれで――何人死ぬ? その引鉄は、誰にも引けなかった。ただそれだけのことだ。 立ち込める白い靄。ぐらり、と残る三人の視界が回転する。またも撒き散らされたガスが、彼らを見えない縄のように縛り上げていた。 奥の扉からドクが立ち去って数分後。 研究所全体を凄まじい振動が襲う中、ようやく麻痺の抜けた身体を引きずりながらも脱出を果たした彼らは、そこで信じられないものを目にすることになったのだ――。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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