● 神秘に満ちたこの世界は、いとも気紛れに人を拒み、奪い去っていく。 『どうしようもない男』奥地 数史(nBNE000224)は、それを嫌というほど知っていた。 読み返したばかりの報告書をデスクに置き、深く溜息をつく。 万華鏡を通して“視た”のは、先日に担当したエリューション事件の関係者だった。 アークのリベリスタに命を救われた“彼”は、時を同じくして最愛の娘を亡くし。 絶望の淵に沈んだまま、再び危機に瀕しようとしている。 先の事件で、リベリスタは“彼”を死なせないことを最優先に動いた。 決して、その判断は間違っていなかったと思う。 命を繋いだことを本人がどう受け止めるかは、また別の話になってしまうが――。 いずれにせよ、“彼”を納得させるのは状況的に極めて難しかっただろう。 似たような経緯で“家族”を喪った数史には、他人事ではなかった。 フォーチュナとして革醒を果たしていなければ、今も立ち直れずにいたかもしれない。 自分にも出来ることがあると――そう信じたからこそ、一歩を踏み出せたのだから。 のろのろと立ち上がり、ブリーフィングルームへと向かう。 背の翼が、今日はやけに重く感じた。 ● 「今回の任務は、アザーバイドの撃破。……それと、現場に居合わせた一般人の保護だ」 ブリーフィングルームに集まったリベリスタを前に、数史はそう言って話を切り出した。 「アザーバイドの識別名は『雨虎』。字面の通り虎に似た形で、水を操る力を持っている。 それを活かして分身を次々に増やしていくのが厄介だな」 数史によると、『雨虎』の餌は知的生物の『悲しみ』だという。 「奴は、心に悲しみを抱いている者の前に現れ、“見えない刻印”を打つ。 刻印を通して獲物の感情を生命力ごと喰らい、数分かけて死に至らしめるんだ。 犠牲者を救うには、その前に『雨虎』を倒すより他にない」 そして――現場の公園には、既に“見えない刻印”を打たれた一般人の姿がある。 「名前は『梁川敦郎(やながわ・あつろう)』、年齢は30代半ば。 真砂(まさご)という娘がいたが、彼女は先日ノーフェイス化し、この公園で命を落としている。 ……事の対応にあたったのはアークのリベリスタで、それを依頼したのは俺だ」 水を打ったように、ブリーフィングルームに沈黙が落ちる。 愛娘を喪った父親の悲しみと絶望。それは、想像するに余りあった。 押し殺した表情と声で、数史は説明を続ける。 「何もしなければ、彼は一分半かそこらで死を迎えてしまうだろう。 もっとも、タイムリミットを延ばす方法が無いわけじゃないが」 そこまで言った後、彼は口を噤んだ。 リベリスタの一人に先を促され、意を決したように告げる。 「……仕組みを考えれば簡単なことだ。彼の悲しみを、さらに煽ってやればいい。 そうすれば、ほんの少しだけ猶予は増える。 全て喰い尽くされない限り、命は取られないわけだから」 ただし、実行した場合は敦郎の絶望がさらに深くなるのは言うまでもない。 最悪、傷ついた心に止めを刺してしまう可能性すらある。 これはあくまでも最後の手段とするべきだろう――と、数史は苦い声で付け加えた。 「梁川敦郎を救ったとしても、彼には恨まれるかもしれない。 どうしても嫌な役割を押し付けることになるから、気が進まないなら断ってくれ」 黒髪黒翼のフォーチュナは、そう言って目を伏せる。 すまない、という囁きが、彼の唇から漏れた。 ● 降りしきる雨の中、梁川敦郎はただ立ち尽くしていた。 目の前には、ぼんやりと光る白い虎の姿。 常識からいってこの世の存在ではないことは明らかだが、今の彼にとってはどうでも良かった。 この公園を訪れたのは、何度目だろう。 娘が生きていた頃、休日の午後をここで過ごすのが二人の約束だった。 草の上に座って花冠を編んでいた娘は、もう居ない。 今は骨となって小さな壷に収まり、祭壇の上で墓に入る日を待っている。 かつて、自分は妻の虐待から娘を守れなかった。 妻と別れてからは、娘が負った心の傷を癒そうと必死だった。 そのために、一生を費やす覚悟だったのに――。 あの日、自分は娘を死なせてしまった。また、守ることが出来なかった。 娘を手にかけた者たちは、怨んでくれと、殴るも蹴るも好きにしろと、口々に言ったけれど。 そうするには、彼らの瞳は優しすぎて。 憎もうとしても憎み切れずに、やがて深い悲しみだけが残った。 もういっそ、白い虎に全て喰われてしまえばいい。 悲しみも、この身体も、何もかも。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:宮橋輝 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 2人 |
■シナリオ終了日時 2013年07月31日(水)22:33 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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■サポート参加者 2人■ | |||||
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● 夏だというのに、冷たい雨だった。 濡れた衣服が、肌に纏わりつく。体はずしりと重かったが、胸中はやけに穏やかだった。 前方に立つ白い虎を見て、不意に直感する。 ――ああ、お前が貪っているのか。俺のこころと、いのちを。 朦朧とした意識に浮かぶ、安堵と諦観。 全てを受け入れた男が瞼を閉じるのと時を同じくして、少女の声が彼の耳に届いた。 「來來氷雨!」 アザーバイド『雨虎』と、その分身を残らず射程に収めた『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)が、戦場に氷の雨を降らせる。 すかさず距離を詰めにかかった『蒼き炎』葛木 猛(BNE002455)が、追い抜きざまに男――梁川敦郎を一瞥した。 (ある程度、予想はついてたがな……) 猛と『ファッジコラージュ』館伝・永遠(BNE003920)、『無銘』熾竜 伊吹(BNE004197)、そして『さぽーたーみならい』テテロ ミミミルノ(BNE004222)の四人は、先日、敦郎が一人娘を喪った事件の対応にあたっている。再び彼と関わることになったのは、果たして皮肉なのかどうか。 『雨虎』に肉迫し、両の拳に蒼き雷を纏う猛。疾風の速力で繰り出された武舞が、周囲の分身もろともアザーバイドを穿った。 漆黒の鷹と白銀の鷲、愛用する二挺の大型拳銃を構え、『アウィスラパクス』天城・櫻霞(BNE000469)が闇色のコートを風に靡かせる。左右で色の異なる双眸が、敦郎を冷ややかに見据えていた。 ノーフェイス化した娘をアークのリベリスタに討たれ、さりとて復讐に走ることも出来ず。挙句、拾った命を自ら投げ捨てようとする愚か者――。 「さて、この状況で死を望むのか、それとも生きることを願うのか」 独りごちた櫻霞の前方で、伊吹が分身の一体を抑えに回る。 彼は誇りを胸に運命を引き寄せると、立ち尽くす敦郎に向かって肩越しに声をかけた。 「――今はそなたの感傷に構っている暇はない。戦闘の邪魔になるので退避してもらいたい」 うっすら目を開けた敦郎が、虚ろな瞳で彼を見返す。その両足は、地に縫い止められたかのように動かない。構わず、櫻霞は敵に視線を移した。 「では掃除を始めようか」 極限の集中で動体視力を強化する彼の傍らで、『ODD EYE LOVERS』二階堂 櫻子(BNE000438)が聖句を口ずさむ。大気中を漂う魔力(マナ)がその声に応え、彼女の力を高めた。 宙を舞う分身たちが、矢の如くリベリスタ達に襲い掛かる。刹那、『雨虎』の胴から幾本もの水の蔦が伸びた。 櫻子と敵の間に立って射線を遮った永遠が四肢を絡め取られ、動きを封じられる。 上空に放ったファミリアーの梟と五感を共有して戦場を俯瞰する『生還者』酒呑 雷慈慟(BNE002371)が、己と『刹那の刻』浅葱 琥珀(BNE004276)を阻む分身を睨んだ。 「今は……何も言うまい。早期撃滅を貫徹する」 味方を巻き込まぬよう立ち位置を調整し、思考の奔流で分身たちを弾き飛ばす。『てるてる坊主』焦燥院 フツ(BNE001054)が緋色の魔槍で天を指すと、凍てつく雨が再び地面を叩いた。 ● 「すきかってにはさせない、ですっ!」 気合を込めて杖を振るったミミミルノが、仲間達に翼の加護を与える。待機していた琥珀が地を蹴り、『雨虎』との間合いを詰めた。 魔力のダイスを生み出し、くるりと回転させる。しかし、『雨虎』を狙う筈の爆花は傍らに居た分身の一体を呑み込んだ。 「――!」 しまった、と琥珀が臍を噛む。近接射程に複数の敵が存在する場合、一体を無作為に選ぶこの技では狙いが外れる可能性があることを失念していた。 だが、迷っている暇は無い。邪魔な分身ごと『雨虎』を薙ぎ払うべく、猛が宙に身を躍らせる。 「今回は時間制限付きなんでな……もたついている余裕はねぇ、一気に決めさせて貰うぜ!」 虚空を貫く蹴撃が敵を一直線に斬り裂いた瞬間、雷音が白い翼を羽ばたかせた。 氷の雨で敵全体に攻撃を加えつつ、異界の言葉で『雨虎』に呼びかける。 『君が欲しい悲しみはボクも持っているのだ。だから、ボクに印を刻むといい』 気を惹くためだけの嘘ではない。小さな胸いっぱいに詰まった喪失の悲しみ――辛い記憶であると同時に、かけがえのないものでもある“それ”を囮に、雷音は敦郎の命を繋ごうとしていた。 しかし、『雨虎』はまともに取り合おうとしない。そういえば、“悲しみを喰らう”能力は革醒した存在に効かぬのではなかったか。 つまるところ、敦郎を救うには彼が死ぬ前に『雨虎』を倒すしかないのだ。 サングラスのレンズ越しに敵の姿を捉え、伊吹が“乾坤圏”を投じる。白き宝具が『雨虎』と分身たちの頭部を強かに打った瞬間、櫻霞が両手に構えた拳銃のトリガーを同時に絞った。 全ての敵に分け隔てなく弾丸の嵐を浴びせ、分身の半数を消滅に追いやる。 流石に多いな、と呟きを漏らした後、櫻霞は事も無げに続けた。 「まあ、何体居ようが関係ない。――さっさと殲滅して終わらせる、何時も通りだ」 ざぁ……と、雨足が強くなる。『雨虎』の生み出した雨がリベリスタの力を削いでいく中、残る分身たちが反撃に移った。 味方の被害状況を見て取った櫻子が、厳かに詠唱を響かせる。 「痛みを癒し、その枷を外しましょう……」 大いなる神の息吹がリベリスタを包んだ時、フツが自らの呪力を空に放った。 「……あっちもこっちも、降らせてばっかりだな」 天を覆った灰色の雲を見て、ふと、そんな言葉が口をつく。 直後、身体の自由を取り戻した永遠が暗黒の瘴気を撃ち出した。 その攻撃で敦郎の間近に居た分身が力尽き、水風船の如く弾ける。 彼がゆっくりと視線を巡らせると、そこに永遠の姿があった。 「御機嫌よう、二度目ですね。 覚えていただけましたでしょうか? 永遠のトワです」 「………」 頑なに沈黙を守り続ける敦郎の前方で、分身が新たに三体、『雨虎』の周りに姿を現す。 その身を迅雷と化した猛が、果敢に敵陣へと切り込んだ。 「何匹来ようが、生憎と俺らの敵じゃねえ……!」 逆巻く風を思わせる連撃で、『雨虎』と分身の体力を次々に削る。 立ち尽くす敦郎が視界の隅に映ったが、猛は彼に声をかけるつもりはなかった。 世界を守るためと大義名分を振りかざしたところで、敦郎の娘を殺めたという事実は消えない。 どんなに言葉を飾ろうと罪は罪、自分達は彼に糾弾されても仕方ない立場なのだと理解している。 梟の目で戦況を見据える雷慈慟もまた、胸中に苦いものを感じずにはいられなかった。 運命(フェイト)を得られぬ存在に対し、この世界はどこまでも冷淡である。掌を返したように無関心を貫く様は、いっそ非情とすら思える程だ。 そして、事情や状況を問わねば、それは日々に何件も発生し続けている。 無論、当事者にとっては、天秤にかけられるようなことではないのだろうが―― 「……だがそれでも、崩界は食い止めねばならない」 決然と言い放ち、『雨虎』を挟んで仲間達の反対側に回る。 彼は慎重に距離を測ると、思考を一息に炸裂させた。分身たちが四方に散った隙を逃さず、琥珀が『雨虎』に接近する。爆炎とともに弾けた魔力のダイスが、致命の呪いを白き虎に刻んだ。 「家族を殺され一人残された者。……なるほど、境遇はよく似ているな」 二つの銃口から吐き出される弾丸で獲物を引き裂きつつ、櫻霞が敦郎を睨む。 「俺は、復讐をする為に血反吐を吐きながら生きて来た。 どちらにもなりきれない中途半端なアンタは、此処で命を投げ捨てるという」 娘のもとに逝くことを望むなら、今すぐにでも俺が狩ってやるさ――。 苛烈な櫻霞の言葉を聞き、何人かが思わず彼の方を見る。だが、隣に立つ櫻子は揺るぎもせず、恋人の代わりにゆるりと首を横に振った。 「選択は二つ、生きるか死ぬかだ。――さあ、どちらを選ぶ?」 敦郎は黙ったまま、ただ雨の中に佇んでいる。 ● 新たに生み出された分身たちが、リベリスタの顔面に覆い被さる。 畳み掛けるようにして、『雨虎』が水で編んだ蔦を扇状に伸ばした。 「大丈夫か!?」 間一髪で直撃を免れたフツが、仲間達を気遣う。 運良く射線を遮られたミミミルノが聖神の息吹で皆を回復する中、永遠が兎の懐中時計を握り締めた。 自らの痛みを呪いに変えて放ちながら、大きな瞳で『雨虎』を見詰める。 もし叶うならば、この胸にある悲しみこそを吸い尽くしてほしいのに――。 “鷹”と“鷲”で敵を追い立てる櫻霞の傍らで、櫻子が弓を構えた。 「――援護致しますわ」 放たれた矢が、魔弾となって『雨虎』を貫く。 薄氷の刃を手にした琥珀の瞳に、抜け殻の如く憔悴した敦郎の姿が映った。 「背負うには悲しすぎる運命だな……」 青年の呟きを聞き、伊吹は改めて思う。自分がしているのは、所詮、悪足掻きに過ぎないのだと。 たった一人の少女を助命すること叶わず、残された父親の悲しみをどうにかしてやることも出来ずに。 結局は誰も救えず、何も変えられない。 「滑稽だな」 自嘲を舌にのせ、伊吹は僅かに目を細める。 それでも。だからこそ。――決して、敦郎を死なせはしない。 二つで対をなす円環が宙に白い軌跡を描き、端から敵を薙ぎ払っていく。 伊吹の後に続いた琥珀が、刃を閃かせて水の魔物とその眷属を斬り裂いた。 まだ道が残されているのなら、全力で生かす。敦郎には生きて、希望を見つけて欲しいから。 こんなところで、アザーバイドに貪らせるわけにはいかない。 アタッカーの火力を結集して、リベリスタは『雨虎』とその分身たちに攻撃を続ける。 冷たい雨が、全員をしとどに濡らしていた。 「時間は無いんだ。我々の都合にも付き合って貰う」 “黒の書(ネームレス・カルト)”を携え、雷慈慟が周囲の仲間達と意識をリンクさせる。 たとえタイムリミットが迫っていようとも、敦郎の悲しみを煽るべきではないと彼は考えていた。 持てる手数を最大限に活かすべく、増幅した自らの異能を皆に分け与える。 消耗した活力を取り戻したミミミルノが、一帯に癒しの息吹を呼び起こした。 「みなさんファイトですっ!!」 その声援を背に、雷音が呪符を取り出す。 大切な人を喪うことの辛さを、彼女はよく知っていた。 目の前で呆気なく失われていった命は、どんなに歯噛みしても取り戻せはしない。 「――だけど、ボクは絶望はしない。それは死に至る病だからだ」 戦いの中、自分のために散っていった人がいる。 彼女に報いるためにも、繋がれたこの生を無駄にしてはいけないと思う。だから。 「梁川も、絶望させない」 決然と口にして、呪符から手を放す。 飛び立った鳥がたちまち群れをなし、鋭い嘴で『雨虎』を一斉に啄んだ。 ――オオオオ……ッ!! 煩げに首を振り、『雨虎』が吼える。 宙に渦を巻いた水が瞬く間に集束し、一本の巨大な槍と化した。 強烈な一撃が、永遠の華奢な身体を貫く。半身を血で染め上げ、彼女は囁いた。 「……世界は理不尽ですね」 気紛れな運命は、簡単にそっぽを向くけれど。それでも、この世界が好きだった。 微笑んでくれない運命(ドラマ)の代わりに、大嫌いな運命(フェイト)を燃やす。 櫻子の癒しを背に受けて、永遠は再び“痛み”を紡いだ。 「この暗闇で抱き締めましょう――だいすき」 呪いを孕んだ漆黒の槍が、『雨虎』の胴を穿つ。数瞬の後、櫻霞が二挺拳銃の連射で分身たちを全滅に追いやった。 邪魔者が居なくなったところで、フツが白き虎に迫る。 繰り出された“魔槍深緋”の穂先が脇腹を抉り、突撃の勢いで異界の獣を吹き飛ばした。 迷わず踏み込んだ猛が、全身を凍てつかせた『雨虎』の懐へと潜り込む。 「悪いが、お前ら以上の化け物とは何度もやりあってるんでな……!」 少年の横顔を照らすのは、激しく火花を散らす蒼き霹靂。 雷纏う疾風の拳が、悲しみを喰らいしアザーバイドを真っ向から砕いた。 ● ――白い虎が消えた時、頭の中にかかっていた靄が晴れた。 直後、押し寄せる感情のうねり。戻ってきた悲しみを胸に抱いて、敦郎は自らの鼓動を聞く。 目の前に立った兎耳の少女が、控えめに微笑った。 「思い出していただけましたか」 「……ああ」 頷きを返し、敦郎は永遠と、周りのリベリスタとを交互に見る。 娘を手にかけた者たち、そして彼らと同じ集団に属するであろう者たちの顔を。 敦郎の無事を確認した後、猛は黙って踵を返す。 これ以上、自分に何が出来る訳でもないし、敦郎にかける言葉も持たない。 謝罪するのは簡単だ。大を救うために小を犠牲にしたに過ぎないと、正論を説くことも。 でも、猛はそれで敦郎に許しを請うような真似だけはしたくなかったのだ。 「……ったく、ままならねぇぜ」 誰にともなく呟き、独り公園を出ていく。その背を見送った敦郎に、櫻霞が声をかけた。 「先の問いを覚えているか? 答えを聞こう」 苦しみながら生きるか、ここで娘と共に眠るか。 「貴方は、選ばなければならない……」 後を継いだ櫻子が、静かに言葉を重ねる。 恋人が敦郎に銃口を向けたとしても、止めるつもりはなかった。 「……」 逡巡を込め、敦郎が拳を握る。死の誘惑は、今の彼にとってあまりにも甘美だ。 揺れ動く男に、永遠はそっと語りかける。 「唐突ですが、娘さんの為に生きて下さいませんか」 「今更、何を――」 「聞いて下さい。目を逸らさないで」 「……」 「僕は、幼い頃に父を奪われました。 その時、父が『生きろ』と僕に言ったのです。だから……生きねばと、そう思いました」 大きな青い瞳が、真っ直ぐ敦郎を見上げていた。 「真砂様はあの時、敦郎様を庇っておられた。 それは、貴方に生きて欲しいと言ったと同じことではないですか?」 敦郎が娘を守ろうとしたのと同様に、真砂もまた、自らの力を駆使して父を守ろうとした。 その事実こそ、娘が最期に手向けた“言葉”ではなかろうかと、雷慈慟が述べる。 「――忘れるべきでは無い」 状況や対象は違えど、彼もまた“喪失”を知る者だった。短く告げた一言は、重い。 どうか生きて下さいと、永遠が敦郎に懇願した。 「真砂様を殺した僕を怨んでも良い、僕を殺す為に生きても良い。 僕が、父を奪った人を殺したいように。貴方が、娘を奪った僕を殺すのは道理に敵う」 自らの白い手をじっと見詰めて、櫻子が囁く。 「生きるも死ぬも貴方の自由。 でも……復讐を選べば、成し遂げるまで全てが終われなくなってしまう」 敦郎にとって、自分達が“ただの人殺し”であることは承知していた。 たとえ罵られようと、受け止める覚悟は出来ている。 「願わくば、貴方はそうならないで欲しい。 ソレが茨道だと、私と櫻霞様はよく知っているから……」 続いて敦郎に歩み寄ったのは、伊吹だった。 「……そなたに謝罪したかったのだ。 恨んでくれて構わんと言ったが、あれは卑怯だったな。すまなかった」 自分は敦郎に恨んで欲しかった。下手に理解を示されるより、その方が気が楽だからだ。 そんなものは、免罪符にもなりはしないのに。 「だから、そなたを救うなどと言うのはおこがましいな。 誰も救えないという絶望から救われたいのは……俺の方だ」 敦郎が、驚いたように顔を上げる。 「身勝手な願いだが、そなたに生きて欲しいのだ。そなたが娘の幸せを願ったように」 真摯に紡がれた言葉を聞き、敦郎は僅かに口元を歪めた。 「……本当に、勝手な話だ。残酷だと知りながら、それでも俺に生きろと言う」 虚ろだった瞳に、強い光が宿る。 「俺はあんたらを憎まない。許しもしない。 運命とやらに拒まれて死んだ娘の思い出を抱いて、世界の片隅であんたらの行いを問い続ける」 ――選択はなされた。 リベリスタに背を向け、敦郎は歩き始める。 雷音が、初めて彼に呼びかけた。 「悲しみも、自分を構成する一つだと思うのだ。それを乗り越えた時、見えてくるものもあると思う。 だから、絶望しないでほしい。貴方は、娘さんにとって希望だったのだろうから」 振り向かず去っていく敦郎に、櫻霞が声を投げかける。 「生きる意味が無いなら作れ、俺のようにな」 そう簡単な話じゃないのは確かだがね――と、彼は最後に付け加えた。 敦郎の姿が見えなくなった後、雷音は携帯電話を取り出して父にメールを送る。 『雨虎』が悲しみを喰うのは、ある種の優しさかもしれない。 けれど――それはきっと、失ってはいけないものなのだ。 一方、フツは公園を出た敦郎を追う。 「……まだ何か?」 立ち止まった敦郎に、フツは身に纏った袈裟を示した。 「ご覧のとおり、オレは坊主だ。少し、話を聞いておくれ」 己の心を神秘の仮面で覆って、説法を始める。 「娘さんは、ちゃんと成仏してるよ。 お前さんは、オレ達の仲間を恨まなかった。それが娘さんの魂を救ったって言ったら、信じるかい」 「そんな馬鹿な」 一笑に付されても、彼は構わず続けた。 死してから暫く、魂はこの世に残る。 父親が“自分のため”怨みを募らせる――そんな姿を見れば、彼女は成仏出来なかっただろう。 最悪の場合は、再び化け物となって討たれ、二度目の死を迎えていたかもしれない。 「覚えておいてくれ。お前さんは、確かに娘さんを救ったんだ」 それだけを告げて、フツは身を翻した。 敦郎はしばし立ち尽くしていたが、ふと、雲間から月が覗いていることに気付く。 ――雨は、いつの間にか止んでいた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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