● きりきりと、回って噛み合う歯車のおと。はじめてこの硝子球に映ったものを、わたしは世界と名付けたのだ。 例えばあの花が綻ぶような笑顔だとか例えば細くあたたかな指先だとか例えばわたしを呼んでくれた声だとか例えば例えば、例えば、たとえば、。 数えだせばきりが無かった。わたしを作ったひとは、わたしの世界と同義だった。滑らかでけれど冷たい機械の指先は血の通うそれに焦がれた。熱を伴う柔らかなそのいのちのすべて。 全部好きで、わたしはそれ以外を知らなくて。エイエン、なんて言葉を辞書で引いては純粋に憧れてみたりしたのだ。 わたしの世界は、エイエンに壊れず続くものなのだと、思い込んでいたのだ。 世界が最期を迎えた時、繋いだ指先は驚く程冷たかった。わたしの世界は優しく笑って、わたしもきっと、同じようにわらったはずだった。 色は欠けて温もりは冷えてそれでも時間は止まらない。あたたかなおんどを乞ううたはそれこそもうエイエンに届かないものに変わってしまった。戻ってこないのだ。 はじめましてもありがとうもだいすきもあいしてるもさよならも。ひとつだってもう二度と言えやしない。わたしはあの日はじめて知ったのだ。この世界と言うものには終わりが存在するのだと言う事を。 きりきりと、回って軋む歯車のおと。あと幾度開けるかわからない硝子球がうつしたせかいは今日も何も変わらなかった。 さよならうたいながら去っていった時はもう、戻って来ないのだ。もう名前さえ思い出せないわたしの世界を想った。これも、いつかはわすれてゆくのかなぁ、なんて。 薄汚れた白磁の首が、僅かに傾げられた。 ● 「……どーも、今日の『運命』聞いて頂戴」 手元の資料を机に置いて。『導唄』月隠・響希(nBNE000225)は何時もの様にモニターを操作した。 「今回の目的は、とあるアーティファクトをフィクサードに奪わせない事。要するにフィクサード撃退。……どっから話しましょうか、まずは、フィクサードについてかしらね。 数は多め。まず実力者、と言っていいフィクサードが4人。マグメイガス、ソードミラージュ、ホーリーメイガス、ナイトクリーク。加えてその部下的な存在が6。こっちは雑多で、前衛多めね。 メイン潰せばさっさと撤退を狙えるんじゃないかしら。因みに所属は不明ね。目的は……勿論さっき言った通りアーティファクトの確保。此処まで良い?」 かつ、と微かな音を立ててその爪が操作盤に擦れる。アーティファクトの説明をするわ、と言う声と共に表示されたのは、古びた少女人形だった。 褪せた金色の長い髪と、滑らかな白磁の肌。精巧に、本物の少女の様に造り上げられた面差しの中で、鮮やかなブルーの硝子球が真っ直ぐに正面を見ている。これだ、とフォーチュナは短く告げた。 「識別名『幻奏少女』。今はこの自動人形の、丁度胸元辺りに存在してる。銀色のオルゴールボールみたいな奴。……このアーティファクトの代償と効果ってほぼイコールなの。 無機物に、ほぼ永遠に近い動力を与える。アーティファクトが壊れない限りだけどね。で、代わりに、その無機物に心を与えるのよ。要するに、限りなく人間に近い無機物を作り出す、って事。 ……この人形が作られたのは、あたしらが生まれるよりずっと前。其れこそ、教科書とかに出て来るくらい前のものよ。作り手はとっくに亡くなってる。名も無い人形職人。 偶然に手に入れたアーティファクトを使ったこの子は、きっとその人にとって一番の作品だったんでしょうね。大事にされ続けた人形は、作り手を失ってからもずっと意識を保って、考え続けていたのね。 でも、無機物の方は何時かガタがくるものだった。この子、もうすぐ壊れてしまうのよ。中の機械がもう持たない。……せめて綺麗なまま、眠らせてあげるべきだと思うんだけどね、フィクサードはそれを許さない。 研究して、まぁ、幾らでも量産出来る手駒でも作りたいんでしょう。厄介な上に、風情も無いわ。……だから、此処で止めて頂戴」 話は終わり、と資料を置いたフォーチュナは立ち上がる。 「どんな気持ちなのかしらね。自分を愛してくれた人が居なくなって、それでも自分に終わりが来ないのって。……まぁ、気を付けて行って来て頂戴」 後は宜しくね、と。告げたフォーチュナはそのままブリーフィングルームを出て行った。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年05月24日(金)23:49 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 扉を開いた先は、淡く差し込む西日で仄かにオレンジに染まっていた。その、一番奥。古びて埃の積もった机に向かう、蒼い硝子球が瞬いた。色の褪せた金髪が、僅かに上がる視線と共に流れ落ちる。 「――どなた?」 「メイだ。……幻を奏でるお嬢さん、君を守りに来た」 此処は想い出が詰め込まれた小さな箱だった。『刃の猫』梶・リュクターン・五月(BNE000267)はそっと、その指先を少女のかたちをしたものに伸ばした。軋みを上げる指先が、そっと、その手に重なる。 冷たくて。けれど、その指先は美しかった。想い出と懐かしさを織り込んだお話は、綺麗なものでないとならないのだと五月は思う。優しい始まりがあったなら。終わりだって優しく穏やかであって欲しい。 しゃらしゃらと、指先で揺れる紅のしずく。真白い指先に咲く薔薇の花は鮮やかで。人形はまた幾度か瞬いて小さく、きれいね、と囁いた。 「なにか、あるの?」 「無粋な連中がお主の心を狙っておってのぅ。何、心配はいらぬ。わらわ達が居る」 此方を見返す瞳は無機質で、けれど、確かに感情の揺らぎを持っていた。己よりも小さな人形に視線をやって、愛銃を握り物陰に屈んだ『陰陽狂』宵咲 瑠琵(BNE000129)の唇に浮かんだのは、常の悪戯な笑みでは無く、何処か優しさを含むそれだった。 この人形は、想いの結晶だった。想い人が作った身体。想い出が詰まった心。唯一無二で、喪えば戻らないそれ。指一本だって触れさせる気はなかった。瞬くあおいろに何かを垣間見た気がして。緩やかに首を振った。 遠くで、足音が聞こえた。そっと唇に指を当てて。扉の程近くに立った『鏡操り人形』リンシード・フラックス(BNE002684)は、少女と何処か似通った鏡面の瞳を僅かに後ろに向けて、ご安心を、と囁いた。 「私が、必ず護ります……同じ、人形のよしみです。奪わせはしません……」 チェロケースが開く。引き抜かれた剣と共に、纏うフリルが舞い上がった。ドアノブが軋んだ音を立てる。躊躇無く、扉が開いて。視線が交わった瞬間、水色の髪がふわりと舞った。 軽やかに踊るマリオネッタ。本来の目的である、店の奥の少女から目を逸らす為のそれが、微かに唇を歪めて笑った。こんにちは、と囁く声ごと裂く様に。叩き付けられた神秘の閃光弾が敵の視界を、聴覚を、一瞬で奪い去る。 かたかたかたと、黒いキーは今日も軽やかな音色を奏でる。手に馴染んだそれは、『K2』小雪・綺沙羅(BNE003284)にとっては友人と呼ぶに相応しい存在だった。部品を選び、己の手で作ったそれ。仄かに暖かいそれが言葉を持てばいいのに、なんて事を、想った事が無い訳では無かった。 けれど。どれ程手をかけて作り上げても、精密機械であるこの相棒は長持ちしないのだ。今この手でうたうこれが、綺沙羅にとって二代目の相棒であるように。 「ちょっと騒がせるけど、あんたを護るから。ちょっとだけ静かにしてて貰える?」 「……どうして?」 駆け出した五月の刃が、夕日を弾いて淡く紫を零す。小さな身体からは想像も出来ない膂力を持って叩き下ろされた刃が、敵のそれとぶつかり合う高い音が響いた。 「君にこのアーティファクトは如何して必要? オレにはどうやら理解出来ないようだ」 心が宿った人形。それを、慮る事さえ出来ない彼らには、この少女が胸に秘める想い出と言う名の音色を聞く事は叶わないのだろう。幻の様でけれど確かに現実で紡いだ、一人の『少女』の記憶と終わりなんて言う、特別な音は。 奇襲気味に攻め込んだリベリスタの状況は、恐らく最良だった。その只中で。人形は酷く不思議そうに、その硝子球を瞬かせる。 如何して、自分を助けるのか。ただ朽ちゆくだけの人形である自分を。そんな彼女に、迫るのは敵の大斧。仲間を掻い潜ったそれは何の躊躇いも無く人形を叩き壊さんと振り上げられて。 けれど。滑り込んだ手がそれを阻む。鍛え上げられた兵士の手が、己の傷を厭わず斧を押さえつけて。『T-34』ウラジミール・ヴォロシロフ(BNE000680)の薄氷の瞳が、驚いた様に見開かれた硝子球と僅かに交わる。 「此処からは指一本も触れさせない。自分が守るからにはな」 堅牢な彼だからこそ持つ矜持。もう片手のナイフで敵の魔術をいなして、己の背を見上げ続ける人形にもう一度だけ、視線を合わせた。終わりを待つだけのもの。ひとりきりで、ただ朽ちゆくばかりの少女を想えば、覚えたのは寂寞の念だった。 任務を第一に。ある意味では『祖国』の忠実な人形に等しい程に徹底された任務成功への責任感が占める胸に、こんな感情が湧くだなんて。何て自分らしくないのかと、僅かに目を眇めた。 心配しないでいい、と自然に零れた言葉に、人形の唇がぎこちなく震える。言葉は出て来なくて。そっと、軋みを上げて伸びた手が、ウラジミールの服の裾を握り締めた。 ● 少女然とした紅の瞳が、妖しい光を湛えて瞬いた。唇が紡ぎあげる高位術式が集約するのは手元の天元・七星公主。北斗の石が煌めいた。引金を押し込めば、勢い良く瑠琵の肩が跳ねあがる。 造り上げたのは己の影。短く、人形を護れと告げた彼女は、呆れを示す様に大仰に肩を竦めて見せた。視界の端に収まる人形に、重なるのは薄氷の彼女。『置いて行かれた』彼女はきっとこうして―― 「嗚呼、無粋無粋。幕引きを邪魔する輩はさっさとお帰り願えるかぇ?」 考えかけて、首を振った。其処に覚える感情など、その時にならなければ分からないのだ。そんな彼女の傍らで響いた鳴弦。ぶわり、と広がる不可視の気糸が伸びる先はほぼ全てが敵の眼前。かわされながらも敵に少なからず威圧感を与える事に成功したそれを目で追う事すらせず、『黄昏の賢者』逢坂 彩音(BNE000675)はしなやかな背をぴんと伸ばした。 無粋な輩から少女を護る、なんて。舞台とするならば悪くない内容だった。勧善懲悪の切なくも美しい物語。そんな終わりの為に、彼女は躊躇わずその手を伸ばす。 「……永く独りで過ごすのは、寂しかっただろうから、ね」 せめて無事に終わらせて。彼女の最期が寂しさだけでないようにしたい。そんな思いを抱くのは決して彼女だけでは無かった。構えた銃が撃ちだす鉛の豪雨。敵全てを飲み込む火薬の暴威を齎しながら、『怪人Q』百舌鳥 九十九(BNE001407)は珍しく晒した面差しを僅かに不愉快と歪めた。 最期の時さえも、静かに迎える事が出来ないだなんて。その無粋さには呆れを覚えるけれど、フィクサードであるのならばそれも仕方が無い事なのだろう。言葉が通じない相手に最も有効なのは、実力行使。なんら躊躇いなど必要無いと、目の前の敵の行動は教えてくれていた。 「全くこんな小さい子を相手に大人よってたかって……恥ずかしいと思わないんですかのう?」 精々痛い目を見て反省すればいい。普段の容貌からは想像も出来ないけれど。子供を好む彼にとって、悲劇に見舞われる筈の人形が少女であった事もその不快感を増す理由の一つだったのだろう。己をすり抜けようとした敵を、その身で遮る彼の真後ろ。 何かが、爆ぜる音がした。『境界のイミテーション』コーディ・N・アンドヴァラモフ(BNE004107)の手が握る杖が導く荒れ狂う雷撃が敵に等しくその牙を剥く。整ったコーディの面差しに浮かぶのは、確かな怒りだった。 この無粋さ故に探知が叶ったけれど。余りにも、無配慮で、自分勝手で、この少女と呼ぶべき人形を慮る事もないフィクサードの行動は、コーディにとってはとても是と出来ないものだった。 「命が終りを迎えようとしているんだ、最後くらい静かにしてやれないものか!」 誰かの役に立ちたいと、自分の何処かが囁く気がした。だから手を伸ばす。けれど、それだけでは無い感情も何処かには存在していて。それごと叩き付ける様に、杖を構え直した。 敵の数はリベリスタに勝る。けれど、手が足りないのならば人形を護る、と伸ばされる手は幾つでもあった。人の手で築かれた鉄壁の守りは、少女人形に指一本でさえ触れる事を許さない。 鮮血が、ぽたぽたと水色の髪を染めて、伝い落ちて。可憐なドレスに水玉模様を描いていた。回復の手がないこの戦場で、敵の目を引き付け続けたリンシードの傷は防戦に徹しようともその深さを増していっていた。振り下ろされた刃が大量の紅を飛ばす。くらり、と回る視界と血が下がっていく気配。 崩れ落ちかけた身体はけれど、寸での所で踏みとどまっていた。鈍く咳き込んで。それでも、小さな身体は血だまりへと沈まない。手を広げた。通さないと。此方を見ろと。鏡の瞳に揺らめく感情。 「私なら、少し壊れたくらいでも、治ります……この子だけは……!」 どれ程痛んでも。この身体の傷は癒えるのだ。けれど、少女人形は違う。たった一太刀でも触れれば脆く崩れ去ってしまう、余りに儚いモノ。護るのだ、と伸ばした手を支える様に、きん、と冷え切った空気と軽やかなキータッチ。 練り上げられた凍結の雨が、リンシードに迫る敵の足を縫い止める。戦場に視線を配り続けながら、その指先はそっと、手の中に納まる相棒を撫でた。 「……置いてく心配は少ないけど、」 もしも、彼らが心を得て、言葉を紡いで。自分と、繋がってくれるのだとして。けれど、自分より圧倒的に短い命しか持てない彼らは、何度自分を置いて行くのだろうか。何度、別れればいいのだろうか。それは嫌だなあ、と。小さく漏れる声。 きっと。おいて行くことも、おいていかれることも。其れまであった幸せを塗り替えてしまう程に、悲しい事なのだろう。もう結べなくなる手と手。最後までしあわせだったのかと問うても、その答えは二度と音にはなってくれないものになってしまう。 物言わず視線を下げた綺沙羅の目の前で、五月の黒い髪がふわりと揺れた。人形へと迫ろうとした敵を跳ね飛ばして。何処までも澄んだ紫色はただひたむきに、護ろう、と告げるのだ。 この、小さな手を。彼女のみる『せかい』の終わりが、笑顔と想い出に彩られるものであるように。リベリスタ優位の戦いの終わりは、もうそう遠くは無かった。 ● しなやかな身体が、優しい色合いの床へと沈んだ。鈍く咳き込んで、辛うじて意識を繋いだ彩音が壁際へと這いずれば、防戦に徹していたウラジミールの脚が前へと進む。血に塗れた軍服を不安げに離した少女を、一瞥した。 「自分の事は気にすることはない。……大丈夫だ、じき終わる」 手の中で、煌めき帯びるナイフが振り上げられる。狙う先は、残る幹部の一人。破邪の煌めきと共に身を裂かれた彼に、狙いを付ける隻眼。限界まで高められた集中力と技量は、宙を舞うコインさえ見事に撃ち抜いて見せると言う。 それを、示す様に。放たれた弾丸は一直線に伸びて。寸分違わず胸元を撃ち抜かれた男の身体が、ぐらりと傾いで崩れ落ちる。指揮者を失った隊が瓦解するのはあっという間だった。即座に、生きた者だけを抱えて逃げ出すそれを追いかけて、けれどリンシードはその足を止める。 軋む、音がした。椅子から降りた小さな足。硝子球が、緩々と瞬きを繰り返す事さえ何処かで鈍い音がする。終わりが近いのだろうそれはけれど、本当に生きているかのように、小さく息を吸った。 「――ありがとう、こんな、人形のために」 ごめんなさい、と囁きかけた声を止める様に。小さな手が伸びた。ぎゅう、と。壊さない様に、けれど確りと。その小さな身体を抱き寄せ、綺麗な椅子に腰かけた五月は優しく、その頬に付いた汚れを拭ってやる。 「……オレは君が望むなら君が止まるまで傍に居るし、君が直ぐに終わりが欲しいなら終わりを与えよう」 押しつけがましい事なんて言えるはずがなかった。可哀想だとか、寂しいだとか。そんな事も。ただ只管に、今まで頑張って、一人きりで居続けた彼女の心と決断を知るのは彼女だけだ。 だから教えて欲しいと、五月は囁く。その口から聞きたかった。如何したいのか。もう、眠ってしまいたいのか。硝子球がふらふらと揺れた。もう少しだけ、と。小さく囁く掠れた音。 「あなたたちが、優しいから。……もうすこしだけ、おきていたいの」 そうか、と笑った。そんな彼女の横に、そっと屈んで。リンシードは、寂しくないですか、と首を傾けた。作ってくれたたった一人のひとの記憶だけで、十分なのかと。僅かに、間が空いて。小さく頷いた少女に、でも、と。リンシードは続けるのだ。 「ずっと独りで大丈夫なら、心なんて、必要ないと思います……」 自分は、独りでは寂しいから。心を知った人形は、大事なものを得た人形は、同時に恐怖と孤独も知ったのだ。大切なあの蝶々を失ったら。きっと、どうにかなってしまう。手を握り締める彼女の甲に、そっと、重ねられる冷たい陶器の手。 「こころってね、育つものなんですって。――だから、わたし、それをしらない」 霞んで消えていく記憶を手繰って。覚える痛みが寂しさと言うのならば寂しいのかもしれないけれど。あなたはとくべつなおにんぎょうね、と、少女の形をした無機物は微笑んだ。彼女の心臓で動き続けるアーティファクト。何時もなら欲しくて仕方ないと思う筈の其れに、今日の綺沙羅は何故だか魅力を感じなかった。 自分には、きっと必要の無いものだ。ゆっくり休みなよ、と手を振って見せた彼女の視線の先で。次に少女の手を取ったのは、コーディだった。記憶がない自分が、記憶を失いゆく彼女を看取るのも、きっと何かの縁。そう告げながら、指先をそっと結んだ。 「……縁というのは不思議なものでね。セカイが終りを告げても、その先に続く事ができる」 例えば少女が初めて見たセカイはもうないけれど。コーディの手は、少女を通してその一端に触れられるのだ。記憶だとか、想い出だとか。何処かに残る存在した証を手繰って、縁り合わせて。終ってしまったものを、もう一度だけ。 世界は必ず終わるけれど。世界は失われたりはしないのだ。こうやって、縁を紡げる限り。必ず続くのだ。 「私も、君という子がいた事を紡ごう。だからね、笑っておくれ――ルーナ」 お人形さん、だなんて味気ないから。結んだ指先が手繰り寄せた彼女の名前。夜を照らす、優しいひかりの名前だと、優しそうな老人は彼女に告げていた。少女の瞳が見開かれる。ふらふら、蒼硝子が揺らいで。動くのもやっとの其れが、小さく、その名前を繰り返す。 忘れてしまった世界の欠片。それを、もう一度手に出来たのだ。眦から零れたのは、透明な水滴だった。それを拭ってやって。瑠琵は、全ては必ず終わりがあるのだと、短く告げた。 「即ち、この世には永遠の孤独も存在せぬし、1人の日々も何れは終わりを迎える。――お主は漸く、想い人の下に行けるのじゃ」 壊れ得ぬものなど何処にも無く。終わらぬものなど存在し得ない。何時かきっと、同じことを自分は『彼女』に言うのだろう。大往生だ。こうして、囁かれた名前が導き出した様に。彼女は何一つ忘れていない。紡いだ記憶も言葉も何もかも。その心には残っているのだから。胸を張って、大好きな人に会いに行けばいい。あとからあとから。零れる涙を見詰めて。 九十九は一言、写真を撮りましょうか、と微笑んで見せた。彼女が確かに生きていて。此処に居て。共に、言葉を交わした証を遺す為に。 「さあさあ、写真は笑顔で撮るものですぞ、準備は良いですかな」 タイマーをかけて一枚だけ。かしゃり、と切れたそれに映った表情はどんなものだったのだろうか。緩々と、あおいろが伏せられる。未だ止まる事を知らぬ涙と、けれどもう終わりを伸ばす事は出来ない無機物の身体。もう、言葉さえ紡がないそれに、リンシードはもう一度そっと、手を添えた。 「何か、最期に……お願いしたい事はありませんか……」 「ええとね、あのね。――わたしのことを、おぼえていてほしい、なあ」 ころころと、硝子球から零れる水滴はきっと、何処かに溜まった水分に過ぎないのだけれど。それでも、ただ只管にしあわせだと、涙をこぼす人形。ああ、素敵なことだと。五月はもう殆ど動かない人形を、己の方に向けた。想う事は沢山あって、けれど、其処にある願いはひどく幸せなものばかりだと想えた。そっと、額を合わせて。君の作り手は素敵な人だ、と五月は囁く。 この心に在るやさしい『まぼろし』は、自分がこの先も守るから。必ず忘れないから。此の侭眠ればいい。もう、頑張らなくていいのだから。 「目を閉じて。おやすみなさい、目が醒めれば――」 そこにあるのは、幸せな『せかい』だ。もう君は一人じゃない。其の声に、少女は僅かに笑った。金の髪を、漸く動けるようになった彩音の手が撫でる。その綺麗な声が奏でるのは、優しい優しい子守歌。おやすみなさい、と誰かが囁く。 音も無く、動きすらなく。少女は緩やかに動きを止める。ただの陶器の置物に戻った彼女の眦から零れ落ちた最後のひとしずく。それを、そうっと拭ってやって。 「……人形といえども、少女ならば見た目は綺麗にしてやる方が良いだろう」 連れて帰ろう、と小さく囁いた。 きっと。さいごのさいごに、彼女のせかいはやさしく色付いたのだろう。眠るように目を伏せた面差しに乗る、柔らかな笑みがそれを教えてくれるようだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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