● 「ご入学おめでとうございます」 「ご卒業とご入学――格別に『剣林』入り、おめでとうございます」 『削り鏨』大屋緑、『辻蹴り』安藤ジュンは、馬鹿丁寧に剣林の下屋敷の控えの間で頭を下げあっている。 大屋緑、この春から高校生。 安藤ジュン、この春から大学生。 年は緑が三歳下だが、緑は六年剣林に名を連ねてまだ生きている。 それを考えると、ジュンは背筋に寒気を感じる。 かつて、相手の技量を全く読み取れなかったジュンは、アークと一悶着起こしている。 その経験と後の鍛錬が功を奏し、意識を集中することは必要だったが、相手の技量、行動を読み取ることが出来るようになり、晴れての剣林入りだ。 「私もようやく時間も自由になってきましたので、まずは肩ならしにいこうと思いまして。安藤さん、よろしかったらご一緒にいかがですか?」 剣林に入ったからには、やがて自分を追い抜いていくのが決定事項でなくてはならないジュンに、緑は格段に丁寧に話をする。笑顔から慈愛さえ感じられる。 今、緑の目には、ジュンは丹精込めて育てた花壇に芽吹いた若葉のように見えているのだ。 もし、ジュンが緑の期待に添わなかったりした途端に、昨年秋口の丁寧語のみの口調になり、脱落した途端に、プチっと雑草を抜くように処理されるのだ。 ジュンは、「安藤さん」どころか「これ」呼ばわりされていたのを思い出す。 三高平市のスポーツ洋品店で、これ着て下さいと、小豆ジャージを差し出された衝撃を忘れられない。 「聞いていただけてますか? 絶好の物件を占ってもらったのですが」 『肩慣らし』の道程について、説明していたらしい緑がこちらを凝視しているのに、ジュンは気がついた。 慌てて、きれいな字でしたためられた『肩慣らしのしおり』に目を落として、ジュンはうめく。 「えっと――大屋さん」 「緑で結構です」 「いや、先輩だし。緑さん?」 「はい」 「これが、肩慣らし?」 「もちろん。二人がかりですから、このくらいでないと」 すぐ終わってしまって、つまりません。 ● 「剣林の自称『剣林最弱』っていう人。みんなは知ってる?」 『擬音電波ローデント』小館・シモン・四門(nBNE000248)がモニターに出した写真。 お雛様のような白い顔。黒い三つ編みを頭に巻きつけた、白いシャツに細身のパンツ姿の少女に、何人かのリベリスタが、うげ。と言う。 『剣林最弱』大屋緑。 過去二度、アークと接触を持ったフィクサード。 幸い戦闘にはならなかったが、そうなったら非常に面倒な相手だ。 自他共に認める、『剣林』ラヴ。自分より無様な者が『剣林』を名乗ることを許さない。 新入りを試したり、『剣林』の名を汚したと判断した奴にヤキを入れに行く習性がある。 上層部は放置、というよりは、面白がっているのだろう。 緑もいなせないような輩は、剣林では必要ない。 緑自身がそう定義つけている。 それゆえ、自称は「最弱」だ。どれほど成長しようと、いつでも緑が「最弱」でなくてはならない。「剣林」は常に進歩しなくてはならない。 「第一関門」、「器用貧乏」、「十徳ナイフ」、「砥石」、「試金石」、「先任軍曹」、「ネメシス」、「懲罰係」 数々の異名を持つが、一番有名なのは、『削り鏨』 無様な者は、丁寧に痛めつけて『剣林』から放り出す。場合によっては、三途の川の向こうまで。 剣の林に生えてくる芽を見極め、剣とならぬと見るや容赦なく抜いて彼方に追いやる、厳然たる守人。 子供だから、妙に潔癖で融通が利かないし、大人の機微など読む気はない。 人は言う。 『あれが『最弱』なら、剣林は化け物しかいない」 然り。そうあれかし。 「この春から女子高生。進学祝いに、狩りにいこうぜ!」 四門は、びしっと親指を立てた。 「――ってことみたいだよ? 俺だったら丁重にお断りするけどね。『辻蹴り』っていうのが巻き添え食ってる。え、これ、男なの?」 モニターに出てくる安藤ジュンの写真は、高原のお嬢様のようだ。 立てた親指を引っ込めて、あらぬ方向に視線を泳がせつつ、口にくわえたスナック菓子を途切れさせることなく噛み砕く音がブリーフィングルームに響く。 「とある海岸で目星つけてきたアザーバイドをぼこる予定。アザーバイド自体は、すでにD・ホールは消失してるし、敵性・凶暴。討伐するしかないんだけど。してもらうこと事態には何の異存もないんだけど」 四門は、深々とため息をついた。 「――本人の趣味で、六時間耐久討伐」 「はい!?」 「ボコっては退却。引きずり回して、ボコっては退却。引きずり回して――を繰り返して、たっぷり楽しむつもりみたい」 それ、なんて苦行? 「引きずり回されたアザーバイドが運悪く集団下校中の小学生と鉢合わせ」 手負いの獣の前に、鴨がネギ背負って現れるのだ。 どうなるかは火を見るより明らか。 「それと、この二人、主に女の子の方が全く人目とか気にしない」 緑。 「大技使いたい放題、砂浜はえぐれ放題、回り壊れ放題、木は折れ放題、言うまでもなく剣林にはうちみたいに神秘の痕跡をきれいに掃除してくれる専門部隊なんていません。小学生の無事が確保できなかったら、次の日の新聞にでかでかと載ってしまいます」 やめて下さい。人心が乱れると世界が壊れる。 「――という訳で、小学生の無事の確保と神秘秘匿工作が今回のお仕事です。アザーバイドは剣林が倒してくれるからそっちは無理して考えなくていいです」 よろしくお願いします。と、四門は頭を下げる。 「とはいえ、この女の子、資料見たら『最弱』どこの騒ぎじゃないのな。こんなのとやらかした後アザーバイド狩って来いとは言えないので――」 視線を天井にさまよわせながら四門はスナック菓子を三本手に取った。 「一つ。『剣林最弱』に事情を話して、早めに切り上げてもらう。その場合はもちろん助太刀を申し出てね。二人で時間かけてようやく倒せるレベルのアザーバイドだから」 でも、これ、せっかくの緑の遠足を台無しにしてしまうので、説得大変そう。 「二つ。内緒でこっそりアザーバイドにダメージ食わせて、アザーバイドには早めに倒されてもらう」 でも、これ、ばれなきゃ最高だけど、ばれたらきっとすごく険悪な状態になる。多分、その分遊んでくださいとか言われる。肉体言語的意味で。 「三つ。小学生の方を、アザーバイド通過地点から遠ざける」 でも、これ、うまくやらないと誘拐犯と間違えられる。小学生は一人じゃないから、取りこぼしたら大惨事。近隣住人巻き込んだら、被害者倍増。神秘秘匿的に超まずい。集団失踪事件になりかねない。 「もちろん、色々得意不得意があるだろうから、方針はチーム内で相談してね」 これ、よかったらどうぞ。と、四門は、バックを逆さに振って、スナック菓子を机いっぱい広げた。 ところで、そのアザーバイド、どんなの? 海産物? とリベリスタが質問する。 「え?」 四門の表情がすっとなくなった。挙動がいきなり不審になる。 「こう、すごくでっかいぬいぐるみみたいで――」 はい。 「たてがみはえてて――」 はい。 「触手もついてて」 はい。 「ライオンみたいだけど、たんぽぽみたい? ――なにこれ」 自動書記のように、どこも未定ない四門の手がモニターを操作している。 映像が流れ始めたのに、四門本人は気がついていない。 かつて、動物形態で二度。植物形態で二度リベリスタの前に現れた、見た目はタンポポとぬいぐるみのライオンがくっついてる感じ。たてがみっぽい部分がタンポポの花びら。一部が種化して、ふわふわ。 動き回る様子もヨチヨチしている。時々、ぽてっと転んだりして。 めちゃくちゃかわいい――。 「ダンデライオンていうの、これ?」 独り言なのか、リベリスタに問いかけているのか、はたまた見えない何かに向けて問いかけているのかよく分からない口調。 モニターの中では、ぬいぐるみの背中のファスナーみたいに少しくぼんでいた部分が、がばっと開いた。 赤々とぬめる口腔。すごい勢いで突き出される大きな舌。 ファスナーのような小さな歯が何重にもうねって、サメの歯のようだ。 「あ、うん。これだ。うん、この背中に小学生が頭から放り込まれて、大きいよ、こんなに小さくないよ、やめて。食わないで、いやだ、うわあああああああっ!?」 四門、絶叫。 心当たりがあるリベリスタが舌打ちする。 ――あいつらの仲間か――! ● 「それでですね、大事なことがあります」 緑は、ジュンに言う。 「ああ、魅了されないようにってことだね」 緑は、ジュンの答えに、いえ。と首を横に振った。 「紫外線対策です。長丁場ですから、UVケアきちんとしてきて下さいね」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田奈アガサ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年05月23日(木)23:28 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● ローカル線を乗り継ぎ、海辺の町へ。 剣林の新米フィクサード「辻蹴り」安藤ジュンは、掌越しに太陽を仰ぎ見た。 目が眩みそうにいい天気だ。 「今日も、安藤さんはおかわいらしいですね。スカートでなくてよろしかったですか?」 昨年、高原のお嬢様的ワンピースのサンダル履きで三高平に行った際、帰りは小豆ジャージで帰宅することになった。 その懸念もあったし、ひらひらしすぎた服で遅れをとってはいけない。 ニコニコと、とても楽しそうにしている彼女は皮肉を言っている訳ではないようだ。 そういう彼女は、いつもの白シャツに黒パンツ。足元はカッターシューズ。 そして、ほっそりとした体躯にはやや不釣合いの本格的なリュックサックを背負っている。 「お弁当を沢山作ってまいりました。安藤さんも召し上がって下さいね」 師匠の話によると、緑の料理はすごく美味しいらしい。 それを楽しい春の野原で味わうことになるか、針の筵で味わうことになるかは、ジュンの実力にかかっている。 「今日は天気もよろしくて、風もほどほどでようございました。安藤さんの虚空を久し振りに見られると思うと昨晩はよく眠れませんでした。やはり虚空は基本ですから、それがきっちり決まっていると素敵だと思うんですよ。剣林で虚空といえばやはり――」 きゃっきゃと、剣林構成員の名前を挙げてはしゃぐ緑を見ると、この子は本当に剣林が好きなんだなぁと思う。 「――振り下ろすときの足の角度が素敵ですよね」 『削り鏨』というより、今、彼女――大屋緑は『試金石』なのだろう。 ここで、彼女の眼鏡にかなえば、この先の剣林はかなり生きやすくなる。 そんな打算的な考えも確かにあるのだが。 ごひいきチームのキャンプに日参、平日オープン戦デイゲームを見に行く野球好きみたいな顔をしている。 ドラフト入団・開幕一軍のジュンは、その期待を裏切らないように全力を尽くそうと思った。 駅前に止まったワゴン車からぞろぞろ降りてくる集団を見るまでは。 車のナンバープレート。地名表記は、『三高平』 ● 「肩慣らしに来た所をもうしわけないが、このあと戦いに小学生が巻き込まれるのだ」 勢い込んでまくし立てるのは、彼女が少女だからだ。 「みんなダンデライオンにくわれてしまう」 考えただけで血も凍る情景だ。 「君たちは神秘隠匿には興味ないとおもうが、君たちがフィクサードということも含めてお願いしたい」 真摯な瞳が二人の剣林に向けられた。 「都合のイイ事をいってるのはわかる。ボクは小学生を助けたいただの我儘だ。だから共闘させてください!」 『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)は、逸る心のままにぶちまけた。 「――っ、緑さん、どういうことかな?」 急に知らない女の子に話しかけられて、ジュンは緑に話を振る。 「この方々はアークの腕利きの方々です。存じ上げている方もいらっしゃいます」 ジュンは、思い切り眉をしかめた。そんな人達が何の用だ。 「アークは、びっくりするほど素晴らしいフォーチュナを沢山そろえておいでなのですよ。助けた方がフォーチュナになるという、情けは人のためならず現象が頻発しているのです」 しれっと、緑は言う。 リベリスタは、脳裏にそれぞれ馴染みのフォーチュナを思い浮かべて、なんとも言えない表情を浮かべた。 「その優秀なフォーチュナのどなたかが、私達の遠足によって、アークとしては看破できない事態が起こると予知されたのでしょう。こちらの皆さんは、介入にいらしたのです」 「介入って……」 ジュンがポロリとこぼした言葉に、 「こちらとしては、戦闘の意志はないんです」 かわいらしい女の子――否、三高平名誉女子という名のきっちり男子、『やわらかクロスイージス』内薙・智夫(BNE001581)が食いついた。 ジュンへの懐柔策として、スカートをはいてきたのだが、方向が間違っている。 ジュンはかわいい女の子が好きなのだ。 智夫は間違いなくかわいいが、第一前提のハードルを越えていない。 (この子、できる――っ!) エネミースキャンとは別次元の女装男子審美眼が智夫をライバル認定した。 「年端の行かない子供たちが喰い殺されるのも、気分が悪いものですから」 街多米 生佐目(BNE004013)は、良くも悪くも普通の感性を持ち合わせている。 だから、分かりますといった緑の言葉にちょっと表情を明るくした。 「無抵抗で死ぬしかない者を目にしなくてはならないことは、確かに気分が悪いことです」 明らかにニュアンスが違った。 良識より、弱き者への忌避感を先に感じる大屋緑は、間違いなくフィクサードだ。 根本的なところで感覚が共有できない。 同じ次元に生まれて共通の言葉をしゃべるからと言って、『世界』が共有できている訳ではない。 他人の目に『世界』がどう映っているかなど、垣間見ることは出来ても、それを自分のものとする術はない。 「お久しぶり。楽団は、お互い災難だったわね」 『ソリッドガール』アンナ・クロストン(BNE001816)は、共闘の記憶をにじませつつ声をかける。 「こんにちは、緑ちゃん。久しぶり! ママのところで会った以来だね」 『モラル・サレンダー』羽柴 壱也(BNE002639)は、八重歯全開で笑う。 「緑ちゃんたちが剣林に誇りがあるように、わたしたちもアークに誇りがある限り、犠牲が出るのは見過ごすわけにはいかない」 壱也がそういうのに、緑は頷いた。 「誇りは、考慮に値する事項です」 「……組織としての剣林に一般人を慮る義理は無いのは分かるわ。だから、これはお願いになるわね」 アンナは注意深く言った。 「皆さんの主張を受け入れただけで、事態がどうこうなるとも思えませんが? 私達が蹴り飛ばすか、羽柴さんが切り飛ばすかの違いだけと思われます」 交渉カードを出すのは慎重にしなくてはならない。多すぎても少なすぎてもいけない。 「こっちの子が便利なスキル持ってるから、被害に関しては大丈夫。二回戦目までは大物狩り、三戦目は対人戦って風に散歩コース変えてもらえないかな?」 対人戦――つまり、緑の計画の二回目の追い込みで決着をつけ、残りの時間は自分たちと一戦交えることで満足しろと言っているのだ。 「――よろしゅう御座います」 緑はにっこり微笑んだ。 (あの頑固者がこんなあっさり退くはずが――) 人となりを知っているアンナはいやな予感がする。 「追い込みルートを変更し、腰を上げる時間を少し早めるといたしましょう。その時間、その道路を迂回すれば小学生と鉢合わせする危険はないということでしょうから。道路が一本ということは、その小学生たちが今日に限ってルート変更することはないということですね?」 確かに、それで危機の回避率は上がる。 「面倒に巻き込まれるのはごめんですので、お知らせいただいたことは大変ありがたく、後ほど市役所止めで菓子等贈らせていただきますのでご笑納下さい」 緑は一気に話を畳みにかかっているが、それではまずい。 緑の案を通すということは、小学生が該当の道路を通過する際、まだダンデライオンは生きているということだ。 不確定要素が多い。しかし、相手はこちらの意を汲み、それなりの対処を申し出ている。 リベリスタ達は、自分たちの要求を緑とジュンが呑むか呑まないかだけを考えていた。 相手から妥協案が提示されたとき、どこまで自分たちが呑むかを考えてきてはいなかった。 「私、それはもう今日を楽しみにしてきましたし、今もやる気に満ち溢れております」 どうぞ、野暮は言って下さいますな。と、緑の非常に雄弁な目が語る。 「皆様のお手を煩わせるような真似はいたしませんので、どうぞ――」 とっとと、この場を去れと言っている。 「――小学生被害は出させない、守ってみせる。そして緑ちゃんの遠足も満足いくものにする」 壱也は、緑を前に言い放った。 「遠足、って言うにはちょっとおっかないけど、せっかくお弁当までつくってきてるんだもん。その心は汚させたくない。そこは分かってくれないかな」 余りにも場違いな単語群が、空気を和ませた。 「アザーバイドとも戦った上に、対人も勉強していかない? タイマンでも、集団でも、どっちでも! なんなら指名してくれてもいいよ」 「戦闘の邪魔をする無粋などは私としても本来避けたい。それで足りないなら、そちらから提示してもらって構わない」 『閃刃斬魔』蜂須賀 朔(BNE004313)は、懐の深いところをみせる。 「どういたしましょう。皆様ご高名でいらっしゃいますが、半分の方が、インヤンマスター、プロアデプト、ホーリーメイガス、なんとも親近感が湧くクロスイージス――」 殴り合いの面子が足りぬと言いたいらしい。 「――私タイマンには向いてないけど、ジュンさんの相手をする位ならできるつもりよ?」 『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)は言う。 「おや、おっしゃいますね。『レーテイア』」 ステージママの気配がする。 (噂の剣林のミナルディ……、舞台に上がるだけでも激しい競争を勝ち残らなければいけないのよね) 彩歌は、入賞経験はないが、優秀なドライバーを輩出することで有名だったF1チームを思い出していた。 「腕試し物足りないとご不満なら、宜しければ私達が相手をさせていただきたいと思います」 『大雪崩霧姫』鈴宮・慧架(BNE000666)が言い切った。 「あと出せるものは、かしが一つ。……お願い」 つまらないものですがと菓子折りを差し出しながら、アンナがそう言うと、ジュンは、あ。と、場違いに大きな声を出した。 「――あ、あの、緑さん?」 ジュンがおずおずと緑に話しかける。 「なんでしょう」 「ボクは、あの秋の件でアークの人にお詫びをしていないし、えっと、一緒に闘ってもらってもいいかななんて、思うんだけど――」 緑の目が半眼になるのに、ジュンは息を呑んだ。 「別に、二人じゃ不安とか言うんじゃないよ、絶対。誓う。ボクがアークの人より見劣りするようなら、この首刎ねてくれて構わない!」 面子は、ほぼジュンと同格かそれ以上だ。覚悟なく口に出来る言葉ではない。 「でもさ。僕らのお昼休み中に、僕らの獲物が人になんかしちゃうのはかっこ悪いよ。僕らが取り逃がしたみたいじゃないか」 「ですから、そうならないように、ルートと時間を変更しようかと」 「ア、アークのフォーチュナの精度は分かったけど、そんなピンポイントまで信用してもいいか、ボクは疑問だな! この人達来たところで予知の条件狂うんじゃないかな! 不安要素は根っこからばっさりがいいと思うな!」 ちら。と、ジュンは、アンナを見る。 アンナとしては、手にした菓子の意味でも、秋の貸しの意味でも、どちらでもよかった。 緑は、ふぅむ。と唸った。 ジュンの顔を見、リベリスタの顔を一通り見、首を捻り、もう一度、ふむ。と言った。 「アークの方は、おねだりがお上手ですね。よもや、こんな女の子ばかりの色仕掛けでくるとは思いませんでした。今後、安藤さんと一戦交えるときには、またかわいい女の子ばっかり来たりするんですね。アークの手口は知ってます」 それは都市伝説だ。と言い切れない。アークの依頼は、志願制である。 「よろしいですか。私、今日はどうしても――」 緑は、それはうっとりした目をした。 「安藤さんの虚空とか、虚ロ仇花とか見たいんです」 アイドルのコンサートで、押しメンのバク宙が見たい。と、ほぼ同義だ。 緑の欲望は、剣林に直結している。 「私は、楽しむために最大限の努力をいたします。アークの方の都合なんて知ったこっちゃありません」 わがままです。と、緑は、言い切った。 「ですので、そちらも全力でわがままを追求していただいて構いません」 何しろわがままですので。と、緑は更に言い重ねる。 「共闘はお約束できません。ですが、巻き込まれて当たり前の気持ちで突っ込んでくるなら、別にお止めはいたしません。アザーバイドは私達が召喚した訳ではありませんので、誰のものでもありませんから。もちろん、こちらに突っ込んでこられても構いません」 緑とジュンに攻撃を仕掛けてきても構わない。と、緑は唇を吊り上げた。 「――貫通技は、技を食う対象が複数ではじめて映えるものですよね」 うっとりと呟く緑は、自分に正直である。 「当然のことながら、双方に死傷者が出ましても当方は一切不問といたしますので、そのおつもりで」 アークで死人が出ても文句言うな。こっちも文句は言わない。と、笑う。 「――ということは――」 「第二ラウンドからですよ」 少々物騒だが、アザーバイドをアークも攻撃することについての了解は取れたということだ。 リベリスタは、今日の仕事の半分くらいをやり遂げた。 ● ――となる訳がなかった。 「お急ぎになって下さい。どこの誰がたまたま遭遇するかわからないんでしょう?」 駅から、田畑を突っ切る「リベリスタのジョギング」で、ほんの十分程度。 迂回路を通らなくてはならない車で移動より走った方が早いというのが、人間離れを感じさせて切ないところだ。 「パワーレベリングなら、影人を使ったらどうだ。手頃な鍛錬相手、自らの技量を映し出す鏡。準備に時間もいらないお手軽さ」 説得や怪獣に参加する気はまったくなかった『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)が、真顔で言う。 「当たり損ない一発で粉々になるような紙は、何の役にも立ちません」 緑は、真顔で返した。 「――周りを見る目ぐらいは持って欲しいものだが、言っても仕方ないか」 「ええ。そもそも私どものような弱い者が周りを気にしているようではいけませんから」 ただただ強さを追い求めることに没入することが肝要だと、『先任軍曹』 は、笑った。 「安藤さん、こちらが『普通の少女』さんですよ。怖いですね。四神を使役するレベルを普通だなんて」 自分の『最弱』を棚に上げて、緑は言う。 「これ、同種のデータ」 彩歌は、ダンデライオンの基本データを緑に渡した。 「何も考えずに戦うと、後で変なものが生えてくるわ」 「種で増えるんですか。なかなか興味深い生き物ですね」 「というか、本当に大変なのよ。あれ……」 声にならない。 「倒してくれるだけなら放置が安牌だったんだけど、後始末だけするにも状況が悪いし」 「なるほど、種で増えるんですか」 大事なことなので、緑は二度繰り返した。 夏には、さぞいい感じのプライベートビーチになるであろう入り江に、それは、おじゃんこ。ししていた。 「やっぱりあの姿か!」 呼吸を整えるより先に雷音が叫ぶ。神も仏もあったものではない。 肩口から生えた綿毛がなくなった後の茎に似た四本の触手が、まんまはどこだ。と、ゆよんゆよんと揺れている。めっさかわいい。 もふもふのおっきなお顔の周りには黄色い花びら上のたてがみ。一部がもっわもわの白い綿毛に変わっている。黄と白が程よく交じり合っている。めっさかわいい。 つぶらな瞳。口元は相対的に小さく、「がおー」とかわいらしい鳴き声をあげている。めっさかわいい。 ただ、背中から透明なものが垂れてきて、まっ黄色い毛皮が茶色く変色している。 「――よだれだ」 その現象を見たことがあるアンナが、地の底を這う低音で呟いた。 「綿毛が……たてがみが綿毛に……」 彩歌が声を絞り出した。そこから先が言葉にならない。 脳裏には、そびえたつ巨大タンポポ、根の先端に透けて見える動物形態の幼生。魅了された仲間の阿鼻叫喚、根っこを掘る縦穴にゲリラ豪雨の水が流れ込む恐怖。 それを共有している智夫は、意地でも脱走と口走れない。 「剣林最弱」になめられたら、自分達と戦うことをカードの一つにしているこの作戦は瓦解する。 キュピーンとダンデライオンの大きな目がうっきゅうるうんと見開かれる。かわいいとか言ってる場合ではない。 あの目は、まんまみつけた! と言っている目だ。 「ボクは陣地を張る! 慧架、よろしく頼むのだ!」 「了解です。3ターンの間護らせていただきます」 慧架の背中が頼もしい。 十重二十重の符を駆使し、雷音が恐るべき速さで印を結び、手刀を切り始める。 「ほら、安藤さん、ご覧下さい。あれがアークでも指折りのインヤンマスター『百の獣』ですよ。何してるんだかわかりませんけど、きっと何かする気ですよ。覚えておくといいと思います」 緑が、カラス飛ばすのとは訳が違いますねえ。などと言っている。 陣地形成は、アシュレイから伝授されたアークの専売特許のような技能だ。 凝視されるとやりにくいが、適当にごまかして発動してくれるような生半可な技ではない。 「こ、これは――っ!」 「おっきーっ! かわいー! こわかわいーっ!」 大屋緑は目をキラキラさせながら絶句し、安藤ジュンは素直に歓声を上げた。 初見のリベリスタが見たのは、背中がバックリ割れて触手で歩く、そもそも気色悪さと残虐性が先にたつ戦闘映像だけだった。 ダンデライオンを見知るリベリスタ達は、今まで散々期待を裏切られた失望感と後始末の大変さによる恨み骨髄でうっかり忘れていた。 ただちょこんとしているだけのダンデライオンは、身もだえするほどかわいらしいということを。 そして、この二人はかわいいものが大好きである。 ちょっと体高2メートルだが、そういうのは関係ないらしい。 「もう、後でフォーチュナさんにお土産買わなくては。話には聞いてましたけど、こんなにかわいいとは思ってなかったですよ、安藤さん!」 「ねー。やだ、かわいー。今日誘ってくれてありがとうございます、緑さん」 「いえいえ」 和気藹々と会話しつつ、ジュンのかわいいバッグから取り出され、手馴れた様子で装着される脚武装甲。 緑に至っては、どのへんが武装なのかさっぱりわからない。あるいは、それが緑の強みの一つかもしれない。 場の空気がびきりと音を立てた。 闘争の時間だ。と、剣林のフィクサードが声も出さずに場の空気を支配する。 空気が喜びに満ち溢れていた。 喜びだ。強敵にめぐり合い、それを己が力で蹂躙することが出来る喜びに満ち溢れている。 ただの金剛陣と縮地法だ。 だが、アークに、ここまで戦闘に対する喜びをあからさまにするリベリスタはいない。 善も悪もなく、ただひたすらに力を追い求めることだけを考えている。 「瞬殺するのはもったいないくらい――!!」 うっとりと、ジュンが呟いた。 剣林とは、力への渇望に取り付かれた者達の集まり。 嚆矢となるべく、宙に無挙動で躍り上がるジュン。 それをうっとりとした目で見ている緑。 スカートの下が確認できない程度の速さに磨きがかかり、足が動いているのかいないのか判断できない速さになっている。 蹴りによって割れた空気がダンデライオンの腹を貫き、かわいい黄色の毛皮に赤い水玉をこしらえる。 切なげに上げられる、がおおという悲鳴。 「あぁあ。いい具合に育って――っ!!」 母か。というツッコミをする暇もなかった。少なくとも剣林の初期育成係めいた存在なのは間違いない。 まんま、まんまと、でっかくても相対的に短い四肢がどしんと砂浜についた。 途端に肩から生えた触手の先のカギツメがそのあとを追い、ぐんとしなった。 びょンと、空中に持ち上げられるダンデライオン。その宙吊りの背中がばくぁっ!! と音を立てて開き、二重三重と重なるように生えるサメのような歯列と、毒々しいまでに赤く巨大な舌が突き出される。 「ひどい……。何べん見てもひどいのだ。前回は悲鳴を上げたが今回は大丈夫だ。多分、慣れた」 雷音がうめいた。このぐったり感はなんだろう。Mアタックされているかもしれない。研究班の今後の解析に期待する。 「――おや。おかしな感じがしますね」 緑が、雷音の術の完成――魔術師の陣地を完成させたことに気がついた。 「これで、多少の災害は防げるのだ」 雷音は声を張り上げる。『百の獣』は、自らを奮い立たせるのに長けている。 陣地作成は、アーク虎の子の秘儀だ。それでも、使わなければ、宝の持ち腐れだ。 「ボクは、小学生を護る為にここに来た。ならば、持てる技の全てを尽くすべきだ。ボクは無力な少女だが、ボクがやるべきことはわきまえているつもりだ」 緑は頷いた。 「恐ろしいことです。これほどの方がご自分を無力といつ刃を交えるかわからない相手に、おそらくは本心から言い放つとは」 こころなしか、嬉しそうに見える。 「我々も精進しなくては」 ● 剣林の二人は、ダンデライオンをさんざんからかいながら血を流させた。 (今後の参考になればいいのですが……) 生佐目は、二人の瞬間瞬間の動きを目で追った。覇界闘士の動きは専門ではないが、美しいと思う。 ダンデライオンが攻撃よりも回復に手番を費やすようになった頃、第一ラウンドは終了した。 あっけなく思えるほど短い時間だった。 手負いの獣は、うずくまって動かない。 回復に専念しているようだ。 「では、安藤さん。おやつにしましょうか」 「そうですね!」 ジュンは、たいそう晴れやかな顔をしている。 緑のリュックサックには、二人分にしても多すぎる「おやつ」と「お弁当」が用意されていた。 「よろしかったら、皆さんもいかがですか。この後に差し支えのない程度に」 「私、紅茶だけでなく、茶葉の物は殆ど淹れられますよ」 プロとしての意地もあってか、慧架が名乗りを上げた。 「改めまして、鈴宮慧架と申します。お見知りおきを、です」 「大屋緑と申します。どうぞよしなに」 (私は剣林自体は嫌いではないです、友達もいますしね) 首領の弟子を超えると豪語する友の顔を思い浮かべる。 手負いの獣を蹴り技での威嚇だけでその場に縛り付けつつ、お茶の時間が始まった。 ● それなりの交流と歓談があった。 第二ラウンドは、慧架によって入れられた緑茶と紅茶と中国茶の後。 「お弁当も楽しみですね。さて、そろそろ向こうも私達とまた遊んでくれるくらいは回復したようですね」 緑は、美味しくいただきましたと両手を合わせた。 「た、闘ってもいい?」 と言いつつ、ミリーは既に流水の構えの第一歩を踏み出している。ちなみにそこで静止していると意外と間抜けだ。流水は流水であるべきだった。 (勝手に人の獲物に手だしたらミリーだって怒るから、我慢) ミリーは空気が読める子である。うずうずしている様子に、緑はこっくりと頷いた。 「では、後は自己責任で」 歓声を上げて、ミリーは小回りを利かせて触手の裏に滑り込む。 「ハァイ、異界の闘士。楽しくやりましょ!」 物理も神秘も美味しいところはきっちりつかむ、それが女子力! 「気にして闘るの苦手だから、あんまりミリーに近付くと火傷するわよって言っとくのだわ」 火をつけたついでに凍らせもする背反二律の乙女心を表したような一撃が触手に消えない炎を植えつける。 「まあ、素晴らしい。やりますね、『フレアドライブ』 剣林にいらっしゃいません?」 言った瞬間、緑の周囲が炎にかすんだ。 地面に設置した茎に大穴が開き、その穴がちろちろと燃えている。 「え、えんわん?」 ミリーは、瞳を瞬かせる。 「業炎撃ですよ?」 緑はにっこり微笑んだ。 「最弱ですから」 (剣林は最強。故に自分如きは『剣林最弱』であるべきだ、か。面白い) 朔は、緑の――いってしまえば、子供の――小理屈に面白みを感じていた。 始めの一歩から最大戦速。 電磁の力で撃ち出される柄を目にも止まらぬ早さで掴む。 金色の飛沫を散らして刺突する朔の不吉な刀は、厄介な魔獣の傷口を凍てつかせる。 「なんて面白い装備でしょう。アークさんの開発能力も侮れませんねぇ」 緑は見ている。観ている。視ている。診ている。 全ては、剣林の最強を維持し、更なる高みに押し上げるため。 目の前で起こる全ての神秘を理解し飲み込み、剣林の肥やしにするために、如何なる回り道も厭わない。 餓狼のごとき我欲。 そのためなら、自分は最弱でいい。 否。回り道をしている自分に劣る者が「剣林」を名乗ることなど許さない。 ● 挑発の仕方は人によって様々だ。 「変に荒らされては面倒だ。汚いもの撒き散らさずに枯れ果てろ」 ユーヌの罵倒は、台詞はもとより、表情、口調、かもし出す雰囲気全てが言われた相手の臓腑をえぐる。 まさしく『貴様の心の柔らかいとこ、下から突き上げる(アッパーユアハート)』だ。 「がおお」 ダンデライオンの顔はかわらない。子憎たらしいほどのキュートさダダ漏れだ。 しかし、タワー・オブ・バベルで言動モニタリング中の雷音にはわかってしまった。 『お口に入れて、もっちゃもちゃ!』 そこから先は、R15的に思考ブロックされる余りにも豊か過ぎる捕食表現に、憔悴のみが募っていく。 「うん、思った通り外された感が半端ないな……」 ボクは世間知らずの少女だが、そのくらいはわかっていた。と涙ぐむ雷音たんに励ましのお便りを。 そんな雷音の目の前が真っ赤になった。 自分の血で出来た花だ。 安藤ジュンが、それは楽しそうに足を振り回している。 雷音の義兄も使える技だ。 それが自分に叩きつけられると、こんなに痛いとは思っていなかった。 一緒に戦ってもらって構わないと言っていた人が、さっきまで一緒にお茶を飲みお菓子をつまんでいた人の放った蹴りが、今自分の体から盛大な血柱を上げさせている。 「あ、ごめんなさい。あたっちゃった」 ジュンが、ぺこんと頭を下げる。緑はちらりと一瞥しただけだ。 安藤ジュンは、間違いなくバトルマニアだ。 一度戦い始めると、無駄口も聞かず、口から出るのはほぼ歓声のみ。 目の前の戦いに完全に没頭している。それが、強みだ。 子供があたり構わず水を跳ね散らかして遊ぶように、槍のような空気断層が松林を縦横無尽に飛び交う。 アークのリベリスタが、いや、緑が攻撃範囲にいようがいまいが一切気にしない、まさしく傍若無人の闘い方だ。 辺りに漂う血の臭い。急激に下がっていく体温。ダンデライオンが、まんま! と鳴いたのを、雷音本人が理解した。 「なんだ。さっき怒ったのはもう忘れたか。これだから胃袋と脳みそ直結なケダモノは」 言葉どころかそんな概念を理解するわけがないケダモノに、空気の振動だけで怒りがこみ上げさせる点において、ユーヌは天才だった。 今度は、ユーヌの方から盛大に血が吹き上がる。 カギツメ状のガクをつけた触手が、ユーヌの肩肉をえぐっていった。 触手は背中の口の中に赤い何かを落としいれた。 ダンデライオンの背中が不自然に波打つ。 「――ふん。すまんな、雷音。ダンデライオンには注意していたのだが……」 「二人ともしっかり! 鼻血は吹かせて上げられないけど!」 「念のため、僕も歌を重ねるねっ」 アンナと智夫は腹を決め、回復誓願詠唱に入る。 そして、以降、二人、更には雷音まで加わった三人は同じ呪文を延々と詠唱し続けることになる。 リベリスタ達は、そもそもそれぞれが直線状に並ばないように気をつけて布陣はしていた。 しかし、ダンデライオンとジュン、緑、更に言えば炎腕メインにがつがつ暴れているミリー、視界が極端に悪い松林で、全員の間合いから外れつつ、近接して巻き込まれずに戦うのは限りなく無理なことで、自然、前衛陣の傷は深い。 慧架は、こめかみ直撃の触手の一撃をくらいつつも、左の親指一本で全体重を支えきった。 強化三半規管を最大限に生かして転倒は免れているが、いかんせん踏ん張りが利かない。 脳みそが揺さぶられて、頭の奥がガンガンする。 ダンデライオンのたてがみがぶあっと膨らんだ。 事前に何がくるかわからないものかと凝視していたかいがあった。反射的に叫ぶ。 「花粉ですっ!」 振りまかれる黄色い誘惑。あれを浴びたら、背中がバックリ開くかわいい詐欺にあう。 間合いを外す為に後退し、蹴りを放つ。 引き裂かれた空気が、ダンデライオンの鼻の頭を割り裂いた。 べろりと皮がはじけるようにめくれ上がる。正視できない恐ろしさだ。 魔力供給役をになっているアンナと智夫は、回復に忙殺されている。 ユーヌと彩歌が、形成された陣地にダンデライオンを怒りで縛り上げるのに専念している以上、攻撃の手を緩めるわけには行かない。 緑が、「それではお昼にいたしましょうか」と言い出したら、事実上失敗だ。 「私は、勝てなくても……誰にも負けないつもりです」 その声に、頭から黄色い粉をたっぷり浴びたミリーが振り返る。 焼き払えるかどうか試してみたのだろう。種に関しては効果があった。たてがみの一部が焦げて消失している。綿毛の白と花びらの黄のまだらが、焼け焦げの黒とはなびらの黄のまだらに変化した。 「がおお」 ダンデライオンの黒い瞳が涙目になっている。 「あ」 アンナは思い出した。ダンデライオンはたてがみを傷つけられると、弱る。 ただ、それをすると種がばら撒かれるので、今の今まですっかり考慮に入れるのを忘れていた。 しかし、目覚しい弱体化に成功したミリーも、黄色い誘惑には抗えきれなかった。 目が、正気ではない。両の手から溢れている炎。 辺り一面立ち上る竜の形をした火柱が、見境なく暴れまわった。 ダンデライオンも巻き込まれたのは、せめてもの幸いだった。 直線状に並ばないことで飛んでくる蹴りから逃げようと障害物が多い場所で散開すれば、互いが互いをかばいあうことが難しくなる。 また、それにより視界が通らなくなる。すぐそこにいるのに、神秘は視認できなければ効力をなさない。 障害物の多いところで射線を切るということは、視界を切るに等しい。 誰かを癒せば、誰かが癒せない。 束の間怒りから開放されるダンデライオンは、捕食本能から傷ついた者を優先的に攻撃した。 結果、一度手傷を負えばダメージは短時間で累積し、恩寵は木っ端のように消し飛んでいく。 では、剣林の二人もそうなのかといえば。 緑のサポートが万全だった。緑はジュンと自分のことだけを気にすればよかった。 強烈な技の反動で傷ついているジュンを癒したかと思うと、恐ろしく小器用に技をいなして、受ける傷を最低限にとどめている。 そして、ユーヌの挑発が、剣林の二人が攻撃される機会を極端に減らしていた。 そして、回復陣は効果の対象に二人も組み込んでいた。 与える痛みは半分に。与えられる痛みは倍に。 リベリスタは、いつもどおりだった。 巻き込まれるのも当たり前とし、仲間としてその傷を癒し、時にはかばった。 ただ、剣林はそれに戦場で報いるという発想を全く持っていなかっただけの話だった。 ● 異国の破壊神の加護を身に宿した壱也が、赤い刃に雷を宿す。 「この手か、悪さした手は!」 叩きつけられる一撃は、ダンデライオンのユーヌの血で赤く染まった触手を切り飛ばす。 しかし、ダンデライオンの一般種の職種は二本。残りはあくまでおまけに過ぎない。 ダンデライオンは器用に二本で体重を支えると、残った一本が報復と壱也に襲い掛かる。 綿毛が飛んだ後のガクのようなのは鉤爪だ。 どてっぱらを貫通こそ免れはしたものの、ごっそりと脇腹の肉を持っていかれる。 迅速な回復詠唱のおかげではらわたをぶちまける事態にはならなかったが、次の機会に離脱できなければ、恩寵もろともおねんねになりそうだ。 いっそ、魅了でもされて意識を吹っ飛ばしてしまえれば楽かもしれないが、今、壱也はあらゆる不調をものともしない頑健な破壊神の権化だ。 「こんなとこで、こけてる訳には行かないよ。こいつを倒して、小学生は無事におうちに帰して、わがまま聞いてくれた緑ちゃんたちの遠足を楽しくするの。約束したんだから、きっちり果たすよ!」 鎧の留め金をきつく縛り上げて、壱也は大きく呼吸する。 「盆暮れの『祭典』からの生還者、なめんな!」 ならば、穴だらけにしてくれるとばかりに打ち出される綿毛つきの種。 綿毛というより剛毛が返し針のようにリベリスタの傷を深くする。 「――この痛みの片鱗、せめて味わいなさい! 文字通り、舌で!」 穿たれる生佐目の痛みは呪いに変えられ、まんま、まんま、と踊る舌をうがった。 発声用のかわいい方の口から、「がおおおおっ」と悲鳴が上がる。 「――ざまあみなさい」 生佐目は、強気に笑って見せた。 「アークの皆さんは、そろそろ息切れ気味のご様子ですね」 その原因の半分の半分が、そう言った。 ジュンが蹴り技を多用するのは、ひとえに緑が見たいと言ったからなのだ。 「さて、このかわいいライオンちゃんを倒すまでおもちになるかどうか――」 ジュンに魔力を譲渡しながら、緑は首をかしげる。 「微妙といったところですね。第三ラウンドも楽しみにしているのですが」 ● それは、朔の意地の一撃だった。 恩寵はとうの昔に代償とした。 「『閃刃斬魔』、推して参る!」 目を大きく見開いて、緑がうっとりと朔の太刀筋を凝視していた。 (大屋君と一対一でやるのを楽しみにしていたのだがな) 迸る金色の飛沫は、巨大な獣を屠る清めの散華か、あるいは、手向けの美酒か。 「美しいものですね、安藤さん。ソードミラージュの剣技は効果対象でなくても惚れ惚れいたします」 確とした美学に裏打ちされたものは美しい。 そして美は、運をも招く。 勝利の女神がアンコールを求めたかのように、朔の刺突は止まらない。 世界が満足し、余韻がゆっくりと引いていく頃。 ダンデライオンの巨体が、松林で横倒しになった。 剣技の美酒には、残念ながら芳香はない。 戦場の跡は、凄惨と相場が決まっている。 辺りは、血の臭いに満ち溢れ、松はあらぬ方向にへし折れている。 それも間もなく何事もないように元に戻る。いや、本来の空間では何も起こらなかったのだ。 太陽はいまだ中天。 小学生達が、手負いのE・ビーストに襲われる危険は去った。 「さて。それでは、お弁当を食べた後、私どもと一戦をと思っていたのですが――」 残念です。と、緑は嘆息しながらついた煤をハンカチでぬぐった。 傷は自分で癒したが、その衣服には盛大に焼け焦げた跡が残っている。 「どうやら、このまま病院に急がれた方がよろしいようですね。いえ、お仲間が助けに来るのを待たれた方がよろしいかと。最近物騒ですし」 重傷者がいなかったのは不幸中の幸い――とはいえ、既に前衛職はこれ以上武器を取るのは危険すぎる。 如何に回復が厚かろうと、受けたダメージが器を越えれば、生きてはいても戦い続けることは出来ない。 緑は、動きを止めたダンデライオンのミリーに焼き払われた綿毛をしげしげと見ると、肉に指をめり込ませ、焼け残った種のいくつかを、ポケットにしまった。 「それは――っ!!」 彩歌が声を上げる。まともに動かなくなった四肢がもどかしい。 「種から増えるんですよね。この生き物。ダンデライオンという名前でしたか、アークでは?」 ニコニコと笑っている。 「――幼生を死なないように保護しつつ、使い物になるまで育てるのは剣林的ではないんじゃない?」 牽制の一言だ。その点だけは信用できると思っていた彩歌は、どうにか思いとどまらせようと言葉を重ねた。 「使い物。『六道の兇姫』のような真似は流儀ではありませんが――」 年相応の無邪気な笑みを浮かべる。この子は、まだ15なのだ。 「猫とか犬を飼われたり、盆栽なさってる方もいらっしゃいますよ」 緑はやや照れた様子で言った。 「これは、ぷらいべぇとです。かわいかったものですから」 彩歌にとっての誤算は、大屋緑は、かわいい物好きな女子高生という俗な一面を持っているという視点だった。 かわいいから。何かあっても充分対処できるという自信もあるのだろう。精々、折にいれておかねばならない凶暴な犬でも買おうかな。くらいの重みしかないように見受けられた。 リュックサックを背負うと、まだ先頭の余韻でぽうっとしているジュンの袖を引いた。 「安藤さん、お弁当は別の場所でいただきましょう。高台にいい場所があるんですよ」 「あ、はい」 ほうと法悦のため息をつき、は。と、ジュンは声を上げる。 「色々巻き込んでしまって、ごめんなさい」 状況になのか、技になのか判別つきかねる口調だった。 「羽柴さん」 緑は、もはや立つこともおぼつかない壱也に微笑んだ。 「とても楽しかったので、皆さんと刃を交えられないのが残念でなりません」 そう言って、ぽんと両手を合わせた。 「戻りましたら、お見舞いに菓子等贈らせていただきますね。本当に今日は色々教えていただいたり、よくしていただいて、またぜひご一緒したいものです」 きちんと頭を下げて、談笑しつつもすたすたと歩いて去っていく二人。 「親衛隊」が任務終了後を急襲して来ないとも限らない。動けない仲間を残して追うことも出来ず。 たてがみをハゲにされたダンデライオンの死体とリベリスタが別働班に回収されたのは、その数分後のことだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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