● あの方が『奈落』と名乗るずっと前から、私はあの方のお傍で戦ってきた。 最初は、命を救い、育ててくれた恩に報いるためだったけれど。 そのうち、あの方のために戦えるということが、私にとって心の支えとなっていった。 私は、あの方の目に“娘”あるいは“部下”としてしか映っていなかったのだろう。 あの方が愛したのは、生涯で奥様一人だけ。 忌まわしい事件で彼女を喪ってからも、それは変わらなかった。 ただ、糾未様(彼女はご自分のことを『糾未』と呼ぶように言ったし、あの方も生前はそう呼ばれていたので、それに倣おうとしているが、未だに慣れない)には、若き日の奥様を重ねていた節がある。 私も一時期だけ、髪を伸ばしたことがあった。あの方の奥様のように。糾未様のように。 けれど、白い髪を黒く染めたところで、私はお二方にはなれなかった。当たり前のことだ。 あの方はそんな私に何も仰らなかったし、私も『戦いの邪魔になるから』とすぐに切ってしまった。 我ながら、滑稽だと思う。 でも。アークのリベリスタに倒される前に、あの方は私の名を呼んだ。 ――退け、カヤ。 私には分かる。あの方は、私の身を案じて下さったのだ。 ご自分の死に際して、私を巻き込むことを良しとしなかった。 世界を憎み、女子供だろうと躊躇いなく手にかけ、血と闇に染まった道を歩もうとも。 あの方の奥底には、そういったある種の『甘さ』が残っていた。 ご本人は、最期までそれを認めようとしなかったけれど。 だから――私が歩む道は、あの方の願いからも外れているのだろう。 そうと知っていてなお、私はこれしか選べなかった。 糾未様のもとで、あの方が成し遂げられなかったことを果たす。 それだけが、今の私の全てだった。 「申し訳ありません、……様」 もはや私しか知る者のなくなったあの方の名を、そっと口にする。 「私は、カヤは……初めて、貴方様の言いつけに背きます」 貴方様の代わりに、糾未様の剣としてアークと戦います――。 ● 「――『地図にない村』の話は聞いたことがあるだろうか」 集まったリベリスタ達を前に、『どうしようもない男』奥地 数史 (nBNE000224) は開口一番にそう言った。 「少し前に、陽立さんと望月が『あらゆる記録と人の記憶から抹消された村』を視た。 調査の結果、そこは主流七派『黄泉ヶ辻』首領の妹、『黄泉ヶ辻糾未』の拠点と判明している」 兄の狂気に手を届かせるために数々の『遊び』を行い、悪名高き『ウィルモフ・ペリーシュ』のアーティファクト『憧憬瑕疵<こえなしローレライ>』を目覚めさせた女――。 「この村は、糾未が連れているアザーバイド『禍ツ妃』に存在を喰われたってわけだ。 元から住んでいた人間ですら、村の名前はおろか、そこが“村であること”すら認識できない。 こんなことを容易く行える『禍ツ妃』がどんなに危険かっていうのは、言わなくても解るだろう」 概念そのものを喰らい、世界を壊すモノ。当然、アークとして見過ごすことは出来ない。 糾未の居場所が割れた今のタイミングで、速やかに手を打つ必要がある。 「だが、糾未を討つのは簡単じゃあない。そこで、かの『塔の魔女』が打開策をくれた。 端的に言うと、アーティファクトを弱体化させる儀式だな」 糾未を中心に三角形の陣を敷き、各ポイントで術式を組み上げ、互いに結びつける。 これが完全に成功すれば、『憧憬瑕疵<こえなしローレライ>』の能力は著しく低下するという。 「ただし、3点の全てで儀式陣を発動させ、かつ、一定の時間それを維持しなきゃならない。 一つでも欠けたら効果は激減するし、儀式が完成する前に糾未に逃げられたらアウトだ」 3つの地点における儀式陣の構築は、先行するリベリスタ達が行う手筈となっている。 その後、主力を4チームに分け、糾未の足止めと儀式陣の防衛に当てる方針だ。 「糾未については月隠が対応してくれている。 で、3つの儀式陣が月鍵と名古屋さん、俺のとこで1つずつだな」 つまり、ここに集まったメンバー達の任務は『儀式陣の防衛』となる。 当然、敵は儀式陣を破壊するべく全力で攻撃を仕掛けてくる筈だ。 危険度の高い任務であることは、念を押すまでもない。 「おまけに、現場は『禍ツ妃』の能力で万華鏡の予知が阻害されている。 一応、ある程度の戦力は掴むことは出来たが、情報としては不充分だ。 非常に申し訳ないが、そこも考慮に入れて作戦を立ててほしい」 悔しげに表情を歪めた後、数史は説明を続ける。 「敵は『ヘブンズドール』『ハッピードール』と呼ばれるノーフェイスが合わせて7体、 加えて黄泉ヶ辻のフィクサードが5名。 指揮を執っているのは『久奈木カヤ(ひさなぎ・かや)』という名のクロスイージスだな」 彼女は、一連の事件で糾未の手足となり動いていたフィクサード『奈落』の忠実なる配下だ。先日、山梨県甲斐市でアークが糾未一派と戦った際は、奈落の指揮下でリベリスタと刃を交えている。 この一戦で奈落が討たれた後は、彼の役割をカヤが引き継いだようだ。 「経歴を調べた限りでは、奈落が黄泉ヶ辻フィクサードになる前からの古い付き合いらしい。 カヤにとって、奈落は大恩ある育ての親であり、淡い想いを寄せる相手でもあった」 すると、彼女の目的はアークに対する復讐なのだろうか。 リベリスタの問いに、数史は首を横に振る。 「少なくとも、憎しみに衝き動かされているといった様子はない。 彼女は『奈落の代理として、彼が行う筈だった任務を完璧に遂行する』という一点に執着している。 それが自分の存在意義であり、生きる理由とでもいうようにな」 愛する者を喪った悲しみを、届かなかった想いを、全て胸の中に封じて。 己の価値観を一切差し挟むことなく、命じられるままに戦い、必要とあらば非道も行う。 でも、それは“狂気”ではなく、まして“逸脱”などではあり得ない。 糾未や奈落と同じ――あるいはそれ以上に『黄泉ヶ辻になりきれない』女、久奈木カヤ。 「ただ、カヤの実力は本物だ。 奈落の代役を務めようという気持ちがそうさせたのか、以前よりも腕を上げている。 加えて、アーティファクトで力を高めてきてるんで、倒すのはかなり骨だろう」 カヤが所持するアーティファクトは『御使いの防人』。 ドール達を使役する『カオマニー』と同期したそれは、あらゆる状態異常を無効化するばかりでなく、戦場に存在するドールの数に応じて所有者の防御能力と自己治癒力を高める。 「よって、カヤを真っ先に倒して『カオマニー』を奪取する、という方針は勧められない。 ドール達を『カオマニー』で操られるのは、敵にとって最も避けたい事態だからな。 それだけはさせないように対策を練っている、と考えるべきだ」 今回の作戦目標は、敵の全滅ではなく儀式陣の防衛である。 猛攻を耐え抜きつつ、効率的に敵の戦力を削いでいくのが最善か。 「残り4人のフィクサードについては、種族やジョブなど詳しい構成は判明していない。 実力こそカヤより劣るが、雑魚と侮れないレベルなのは確かだ。くれぐれも油断はしないでくれ」 一通り説明を終えた後、数史は顔を上げてリベリスタ達を見た。 「――儀式陣を守り抜いた上で生還するのが、今回の作戦目標になる。 どうか、誰も欠けることなく、ここに戻ってきてくれ」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:宮橋輝 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年05月16日(木)22:49 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● ただ、奇妙な感覚があった。 目に映っているのは、文字として表すならば『夕暮れ時の、少し寂れた村』なのだろう。その筈だ。 しかし――自分を含めて、この場に居る誰もが“ここが村であることを認識出来ない”。 こうして走っていても、やけに足元が覚束ない気がする。 街多米 生佐目(BNE004013)は頭を横に振り、正体の知れない不安を意識から追い出した。 漆黒の影が、眼前を横切っていく。ひらひらと宙を舞う、無数の蝶。それこそが、村を“どこだか分からない場所”に仕立てた元凶だった。 アザーバイド『禍ツ妃』。記憶を、概念を、存在を、どこまでも貪欲に喰らうもの。 それは同時に、黄泉ヶ辻糾未が持つアーティファクトでもある。所有者に破滅を齎す、悪名高きペリーシュ・シリーズの一つ――『憧憬瑕疵<こえなしローレライ>』。 今回の任務は、その能力を弱体化させるための儀式を完成させること。3つの儀式陣のうち1つを守り抜くのが、ここにいる10人の使命だった。 視界が開けた先に、目指す広場が見える。 地に描かれた儀式陣と、それを構築し終えた先行班――そして、彼らのもとに向かう敵の姿も。 己の力を高めておく余裕は無い。『生還者』酒呑 ”L” 雷慈慟(BNE002371)はファミリアーの梟を放すと、敵軍の指揮官と思われる女に視線を巡らせた。 肩で切り揃えられた白雪色の髪に、紅玉の瞳。確かに、見覚えがある顔だった。 久奈木カヤ。かつて自分達が討った『奈落』の部下であった女。 彼女にとって、奈落は育ての親であり、淡い想いを寄せる相手だったと聞いている。 今は亡き主の代役を務めるべく、糾未の陣営に身を置いているようだが―― 「この御婦人もまた、その情念を愛する者へと転嫁し妄執を晴らすか」 思わず独りごちた雷慈慟の声には、微かに苦い響きが含まれていた。 神秘がもたらした悲劇で妻を亡くし、罪無き幼子を、世界を憎み続けた奈落。 彼に変節を促したのは、薄氷の決意でも、まして狂気でもなかった。 「……其方もそうか?」 奈落を喪ってなお、付き従うかのようにその影を追い続けるカヤ。彼女も、また。 リベリスタ達は広場に足を踏み入れると、全速力で敵と儀式陣の間に割り込んだ。 現在の距離は、約20メートル。ざっと敵の配置を見て、『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)と『蒼銀』リセリア・フォルン(BNE002511)が囁き声を交わす。 「カヤは俺が抑える」 「では、ヘブンズは私が」 短いやり取りの後、リセリアは軽やかに地を蹴った。瞬く間に距離を詰め、巨大なノーフェイス『ヘブンズドール』の前に立ち塞がる。 意識を浸食せんと流れ込む、強烈な幸福感。ヘブンズドールの『感染』を逃れたリセリアが僅かに柳眉を顰めた時、敵陣中央に駆けた快がカヤをブロックした。 2人のクロスイージスが向かい合い、黒と赤の双眸が互いの姿を映す。刹那、ヘブンズドールが翼の形に変じた両腕を羽ばたかせた。 襲い来る衝撃波を、リセリアは咄嗟に重心を落として耐える。俊敏な彼女でなければ、その身を吹き飛ばされていただろう。 「――さぁ、仕事の時間だ」 彼我の中間地点に進んだ『終極粉砕機構』富永・喜平(BNE000939)が、ただ一つ露になった左目で敵陣を睨む。 その手から投じられた神秘の閃光弾が、轟音とともに戦場を白く染めた。 ● 恐るべき命中精度を誇る喜平の閃光魔術は、範囲内に居た対象を敵味方の別なく巻き込んだ。 前線に立っていた『ドール』の大半と、ヘブンズドールの抑えに回っていたリセリアが、視界を灼かれて力を奪われる。 アーティファクト『御使いの防人』の助けを借りて状態異常の嵐を逃れたカヤが、すかさず“神々の運命(ラグナロク)”を宣誓した。 心身を強力に賦活する神の加護が敵軍を包んだのを見て、『リング・ア・ベル』ベルカ・ヤーコヴレヴナ・パブロヴァ(BNE003829)が口を開く。 「やはりそう来たか……!」 だが、腕利きのクロスイージスが相手と判っている以上、ラグナロクの対策は折り込み済みだ。 距離を詰めつつ、改めて敵の陣形を確認する。 先頭に『ヘブンズドール』、やや後方に指揮官たるカヤ。彼女の両側に6体の『ハッピードール』が3体ずつ展開しており、4人のフィクサードがその後に続く。彼らのジョブ構成は不明だが、装備から判断すると射撃手か術士である可能性が高い。今のところ、7体のドールとカヤが前衛と考えて良いだろう。 ベルカの手を離れた閃光弾が、宙に放物線を描く。敵陣の後背を突く形で炸裂したそれは、フィクサードたちの戦闘能力を的確に封じてのけた。 敵のブロックに加わるべく、雷慈慟が前線に駆ける。『ヴァルプルギスナハト』海依音・レヒニッツ・神裂(BNE004230)が、幸福と狂気を孕んだ人形(ドール)たちを眺めやった。 「では派手に参りましょうか! いい年して人形遊びに興じるなんて黄泉ヶ辻のお姫様も可愛らしい」 あえて挑発するように笑い、眩い審判の光を放つ。儀式陣構築の任を果たした先行班が少しでも撤退しやすいよう、敵の気を惹いておくに越したことはない。 6体のハッピードールが、一斉に攻撃を開始する。不可視の衝撃が、『禍を斬る緋き剣』衣通姫・霧音(BNE004298)の着物の裾を掠めた。 慌てることなく立ち位置を調整し、動体視力を極限まで強化する。 「さあ、殺し合いを始めましょう――」 そう告げた霧音の双眸が敵の姿をコマ送りに映した時、『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)の全身から煌くオーラの糸が伸びた。 両手を覆う「オルガノン」と、防具の各所に仕込まれた9つの補助演算機構を用いて気糸を統制し、ドールたちを目掛けて光の軌跡を奔らせる。それを辿るが如く前進した生佐目が、敵陣の中央に極小のディメンションホールを開いた。次元の隙間から未知なる病原体が溢れ出し、ノーフェイスと革醒者たちに黒死の苦しみをもたらす。 速やかに撤退を開始する先行班を横目に見て、『勇者を目指す少女』真雁 光(BNE002532)が詠唱を響かせた。巻き起こった癒しの息吹がリベリスタを覆い、傷と塞ぐとともに状態異常を消し去る。 「攻撃は皆さんにお任せします!」 自分の役割は、回復に徹して仲間を守ること。敵を倒すばかりが勇者の務めではないと、光は充分に理解していた。 後退する先行班の背を見送り、快がラグナロクを発動する。“神々の黄昏”とも訳される終末の日――神々と巨人が争ったヴィーグリーズには及ばずとも、アークと黄泉ヶ辻の激突は死闘を予想させた。 「まずはハッピーを叩く!」 仲間の指揮を執るベルカが、凍てつく視線でハッピードールの1体を射抜く。カヤはそれを見て取ると、ドールたちを含む全員に待機を命じた。 行動するタイミングを揃えることで、状態異常からの回復と攻撃を効率良く行うつもりだろうか。 「どちらかと言えば守る戦いの方が得意そうだけれど…… 引き継いだ役割からすると、仕事は選べないわよね」 戦いぶりからカヤをそう評して、彩歌は再びオーラの糸を放つ。敵の頭部を狙い撃つ彼女に続き、前衛に躍り出た喜平が打撃系散弾銃「SUICIDAL/echo」を構えた。 「人形は頭を潰すに限るね」 至近距離から発射された散弾がドールたちのこめかみに喰らいつき、肉と骨を穿つ。“黒の書(ネームレス・カルト)”を携えて敵陣の左翼に迫った雷慈慟が、思考の奔流を爆発させて2体のハッピードールを後方に追いやった。 彼の近くに陣取り、海依音は再び裁きの光を呼ぶ。とうに信仰を失った彼女だが、その身に宿る聖痕は伊達ではない。鮮烈なる輝きは、敵方の加護を残らず砕く。2人のレイザータクトが操る閃光魔術と併せれば、ラグナロクの恩恵は何度でも問題なく消し去ることが出来るだろう。 僅かに後退して距離を置いた霧音が、鞘に納めた“妖刀・櫻嵐”の柄に手をかける。通常であれば刀が届く間合いではないが、彼女にとってはこれで充分。 霧音が刀を抜いた瞬間、20メートル以上も離れたハッピードールの胸が深々と斬り裂かれる。神の加護と闇を統べる領主(クエスタークラス)の力をもって自らを癒し続ける生佐目が、桃色の瞳で敵を見据えた。 「確実に処理していきましょうか」 生命力を代償にして異界の穴を生み出し、ハッピードールを中心に死病をばら撒く。その直後、待機していた敵が動き出した。 邪を滅する光で自軍の状態異常を退け、カヤが叫ぶ。 「――撃て!」 満面に幸福な笑みを湛えたヘブンズドールが、その力を解き放った。脳髄を直に揺さぶる呪いの衝撃が、霧音を除く全員に叩きつけられる。半数がショックに陥ったところに、ハッピードールとフィクサードが追撃を見舞った。 猛攻を耐え凌ぎながら、ベルカはかつて軍旗だった“четыре”を強く握り締める。それは、彼女がナイトメア・ダウンに遭遇した際、旗手を務めていた仲間が最期まで手放さなかった遺品だった。今はもう、旗竿を除けば真紅のボロ布しか残されていないけれど。 「『死守』という響きの、何と甘美な事か。――だが、決死と必死は違うのだ!」 自分に言い聞かせるようにして、ベルカが高らかに声を上げる。後衛に立つ光が、彼女に答えた。 「儀式を成功させましょう。そして、誰一人欠けず無事帰還しましょう。 ボク達なら出来るはずです……!!」 聖なる神の息吹で仲間達を包み、全員の背中を支える。ずば抜けた回避力ゆえに傷が比較的浅かったリセリアが、後列のフィクサードを見て口を開いた。 「ホーリーメイガスとマグメイガスが1人ずつ。残る2人はスターサジタリーですか」 それぞれが用いる技を観察すれば、ジョブを判別するのはそう難しいことではない。癒し手たるホーリーメイガスの顔を記憶に留めつつ、彼女は鋭く地を蹴った。 身体能力のギアを上げたことで、反応速度はさらに向上している。しなやかな肢体を宙に舞わせると、リセリアは最も傷が深いハッピードールの頭上に跳んだ。 魔力を帯びた“セインディール”の刃が、虚空に蒼銀の軌跡を刻む。空中から振り下ろされた斬撃に身を裂かれ、ハッピードールが狂った絶叫を響かせた。 ● 待機戦術を駆使するカヤは、4人のフィクサードを僅かに後退させると、混乱に陥っていないドールに前進を命じてプレッシャーをかけ始めた。 カヤはひとまず、足を止めての撃ち合いでこちらの戦力を削ごうとしているように見える。ドールたちの動きが誘いであることは明らかだが、雷慈慟としては乗らざるを得ない。前衛の数では敵が勝る以上、下手に隙を見せれば強行突破に切り替えてくる可能性は否定できないからだ。 物理的な圧力を伴う思念波でドールを吹き飛ばし、行く手を阻む。それでも彼らはしぶとく舞い戻り、前衛を務めるリベリスタたちに喰らいついていった。 『敵と味方を区別できない』領域攻撃スキルを主軸とする生佐目にとって、この状況は些かやり難い。ハッピードールを最優先目標とする以上、黒死病の効果範囲に仲間を含まないのはまず不可能だ。 それでも、彼女は『より多くの敵に傷を与える』ことを優先した。殆どの状態異常を無効化する絶対者であり、かつ高い防御力を誇る快はともかく、他のメンバーには決して無視できないダメージである。必要なら自分ごと巻き込めと仲間に伝えていた快も、思わず苦い表情を浮かべた。 「……まぁ、やることは変わらない」 巨大かつ頑強な愛銃を構えた喜平が、目標を含む複数の敵を射線上に捉える。放たれた散弾の後を追うようにして、彩歌が気糸を伸ばした。 行動するタイミングをずらして癒しを封じる手も考えていたが、敵側のホーリーメイガスが聖神の息吹を扱えるとなると、そこに拘っても大きな効果は期待できない。頭数を減らせる時に、きっちり減らしておくべきだ。 気糸で額を貫かれたハッピードールが、力尽きてくずおれる。小刻みに痙攣するノーフェイスの最期を見届けることなく、彼女は次のターゲットに視線を移した。 加熱する戦いの中、神の光で状態異常の解除に徹する快がカヤに語りかける。 「カヤ。なぜお前は、奈落の最後の願いに背いてまで戦う?」 彼の遺志を継ぐためか。それとも、存在意義の証明か。 思い詰めたような赤い瞳で、彼女は問いに答えた。 「途絶えてしまったあの方の道――その先を、見届けるためです」 絶対零度の眼力でハッピードールを撃ち抜いたベルカが、鋭い視線を送る。 「主が遺した任務を引き継ぐ、か」 自分もまた、死地において『生かされた』者だ。 互いの境遇に重なるところはあれど、それは必ずしもカヤに対する親近感には繋がらない。 「私もアークへの恩義を果たすべく戦うが、それは私自身が前に進む為のものだからだ。 ――貴様はどうだ、『黄泉ヶ辻』!!」 吠えるベルカに向けて、カヤは静かに言葉を紡ぐ。 「私もそうです、と申し上げたいところですが…… おそらく、貴女と私の選んだ道は違うのでしょうね」 その一言には、微かな自嘲の響きが含まれていた。ドールたちを押し留めつつ、雷慈慟が「カヤ御婦人よ聞け」と声を重ねる。 「解っている筈だ。彼が何を言いたかったか。何を託したかったか」 先の戦いで奈落に手を下したのは、他ならぬ自分達だ。仇の説得など聞く耳持たないかもしれないが、これだけは伝えておきたい。 今は亡き彼女の養父は、道を誤る前はフリーのリベリスタであったという。 加えて、雷慈慟から見た奈落は決して理屈が通じぬ男ではなかったし、本心を偽るほどの器用さも持ち合わせていなかった。親ならぬ身であっても、その胸の裡は容易に想像できる。 「君がすべき事は、彼の違えた目的の成就では無い。何故――彼が『退け』と命じたか」 一拍を置いて、雷慈慟は続けた。 「それは――女性は子を成し、ソレを司るモノだからだ」 刹那、カヤの双眸が大きく見開かれる。畳み掛けるように、快は熱弁を振るった。 「奈落はお前に生きろと言った。そこには確かに愛が在ったんじゃないか? 欲したものを既に手に入れているのに、どうして戦う必要がある?」 「親が望んでいる事は、家庭を持ち、子を成し、幸福に満ちた娘の姿だ」 快と雷慈慟の言葉を聞き、武器を握るカヤの手に力が篭る。やり取りを見守っていた彩歌の心に、一つの疑問が浮かんだ。 (確かに、親が子の行く先を全部決めようなんていうのはおこがましいけれど。 この場合はどうなのかしら――) 少女にしか見えぬ彩歌も、既に半世紀以上の時を生きている。 子を持つ親として、気持ちは理解できなくもないのだが。しかし、問題は別のところにあるのだ。 彩歌の危惧を裏付けるが如く、カヤの奥歯がぎり、と鳴る。 「……ええ、存じておりましたとも。 あの方は非道に手を染めてもなお、私を最期まで愛して下さいました。“娘”としてね」 激情を押し殺した彼女の表情は、どこまでも冷ややかだった。 快も、雷慈慟も。2人は、心にも無い美辞麗句を並べ立てたわけでは決してない。 カヤが奈落の轍を踏むことを案じ、ここで引き返すよう諭した。その真意は、彼女にも伝わっていた筈だ。 だが、数多の死線を越えてきた歴戦の勇士たちも、女心の機微を読むことにかけては未だ熟練の域とは言い難い。だから、彼らは気付けなかった。カヤが奈落を父として敬愛する一方で、いつまで経っても“親子”の枠を越えられぬことを呪っていた――その事実に。 娘として愛されても、女として愛されなかった。恋愛の対象ですらなかった。 それこそが、カヤの心を長年苛んできた痛みの正体。 ゆえに、彼女には2人の言葉が受け入れられない。真心から出たものだと、知っていても。 理性は彼らが正論を語っていると認めても、感情がそれを拒絶する。 恋とは、愛とは、理屈では量れないのだ。 「いい女でいるのって、難しいですね。男はいつも勝手ばかりですもの」 溜め息まじりに、海依音が小声で呟く。 あそこに立っているのは、男の妄執の残滓でしかない哀れな女だ。 置いて行かれる気持ちを知らない男のエゴは、これからも彼女を蝕み続けるのだろう。 そして、もう一人―― 戦場を舞う漆黒の蝶たちに視線を移し、海依音は聖なる閃光を放つ。 アザーバイドであり、同時にアーティファクトでもある蝶の群れは、何度灼き払っても数が減ったようには見えない。 海依音は目を僅かに細め、『禍ツ妃』を統べる『血濡れの薊』に思いを馳せる。 「薊の花言葉は『ふれないで』。触れて欲しいのに裏腹な哀れな女――」 彼女の一言は、生佐目の耳にも届いた。 そして、思い出す。かつて刃を交えた、篁理得という少女が語った言葉を。 『薊の花ってね、葉に深い切れ込みがある物が多いのよ。知ってる? おねーさん。 棘が多くって触るととても痛いの。赤紫色の花を咲かして、その存在を知らしめようとするわ』 自分と似た色の目を細めて笑った彼女の顔を、彼女ははっきりと覚えている。 そう。だからこそ、付けられた花言葉は―― 『――皮肉だよね! 本当は人に見て欲しくて堪らないのに!』 あの少女は今、何を思って戦っているのだろう。『樂落奏者』仇野縁破のもとで。 誰もが言葉を失った戦場で、光が決然と口を開く。 「敵にどんな思いがあるとしても、ボクはそれを止めなければいけません。 ボクは、ボクの正義を貫くために、これ以上、被害を出させるわけにはいかないのです」 ひたすら仲間の回復に専念する幼い勇者に、霧音は黙したまま頷きを返した。 カヤが抱えた想いも、奈落が冥府に持ち去った想いも、詳しくは知らない。 だが、アークに矛先を向けるというなら、その一員として受けて立つだけだ。今の自分は、禍を斬る剣なのだから。 空間を越え敵を断つ居合の秘技を操り、ハッピードールに傷を穿っていく。ヘブンズドールを抑えながら攻撃に加わるリセリアが、凛と声を響かせた。 「……再び黄泉ヶ辻の儀式場に立った理由は問いません」 切れ長の目は、迷いなく目標へと向けられている。しかし、告げられた言葉は、カヤに宛てたものだった。 「如何なる想いであれ――この場で、その役を担う以上は全力で排除するのみです」 宙で身を翻し、僅かに反りのある細身の愛剣を閃かせる。死角から強襲するリセリアの斬撃が敵を捉えた後も、カヤは沈黙を保ったままだった。 「あの女の意思や願いに興味は無いが、叩き潰す理由は、今眼前に広がる光景だけで十分に足りる」 存在を喰われた村。我が物顔で飛び回る、漆黒の蝶の群れ。 黄泉ヶ辻糾未と、その一派の『遊び』とやらで失われたものは、どれほどの数に届くのか。今更、数える気にもなれない。 喜平が両腕に構えるは「SUICIDAL/echo」。永劫に特異を知らぬ、無数の一。 奇抜な格好とは裏腹に、彼の戦う理由はシンプルだ。『やれるからやる』、それだけ。 打ち据え、撃ち当て、討ち破る――全ての果てに墓標となる巨銃から吐き出された散弾が、狂気に染まった人形の頭を西瓜の如く砕いた。 ● 戦いは激化の一途を辿っていた。 リベリスタ達は数を減らすべくハッピードールに火力を集中していたが、敵の回復スキルがこれを阻む。ホーリーメイガスの聖神の息吹、カヤの聖骸凱歌。状態異常をも消し去る癒しの力に対しては、致命の呪いも効果が薄い。 そして、敵の攻撃は苛烈だ。強化されたノーフェイスであるドールたちは勿論、後方から全体攻撃をばら撒く黄泉ヶ辻フィクサードも決して侮れない。 これらの要因から、リベリスタ側のダメージは予想以上に積み重なり――ハッピードール4体を撃破した時点で、喜平と生佐目、彩歌の3名が運命を削られていた。 「こんな所で穴を開けさせるわけにも、 他の人たちへの負担をかけるわけにもいかないわね……」 後退した彩歌が、サングラスのレンズ越しに距離を測る。もともと敵前衛から20メートルの位置を保っていた彼女はフィクサードの全体攻撃を免れていたが、耐久力に欠ける身にとってはドールたちの射撃だけでも厳しい。よって、アウトレンジからの単体狙撃に切り替えることにしたのだった。ハッピードールの長射程攻撃は防げないが、残り2体なら何とか耐えられる筈。いくら脳に衝撃を叩き込まれようと、自分が混乱に陥ることは決してない。 「Mode-S」にチェンジした「オルガノン」が、機械化した神経系とリンクして狙うべきポイントを瞬時に演算する。貫通力を高められた極細の気糸は、味方を傷つけることなく2体のドールを一直線に射抜いた。 体勢を立て直した喜平が、「SUICIDAL/echo」を振り回すように構える。血に濡れたスーツの袖から、銀のバングルが覗いた。紫紺の石が嵌ったそれは、彼を想う少女の願い。どうか、その魂が彼方に旅立つことがないように。明日もまた、会えるように。 喜平は一瞬、カヤに銃口を向けたが、即座に見切りをつけてハッピードールに狙いを戻した。どさくさに紛れて『御使いの防人』の破壊に成功すれば楽になるのは間違いないが、視認ができない以上はどうにもならない。 脅威の早撃ちで敵を穿つ喜平に、海依音が神の愛を届ける。それは大いなる存在がもたらす、偉大なる奇跡。 「神を呪っているワタシがアガペーだなんて皮肉じゃないですか」 真紅の修道女服に身を包んだ彼女は、そう言って黒く塗られた“白翼天杖(ナイチンゲール・エスプレッソ)”を掲げる。 彼女が『癒さない』という己の矜持を曲げたのは、ごく簡単な理由だ。 目の前で誰かの命が失われる、その事態を避けるため。 何だかんだでワタシも甘い女ですね――。 そんな呟きを呑み込んで、海依音は声を張り上げる。 「ワタシが回復したんですから、倒れることなんて許しませんから!」 審判の光を操る彼女が回復に転じた間隙を縫って、カヤが再びラグナロクを発動した。 同時に、閃光魔術を容易に使わせないため後衛のフィクサードを前線に押し上げる。 直後、降り注いだ火矢を浴びて光が膝を折った。回復を最優先と定めている以上、味方の前衛にそれが届く距離をキープする必要がある。よって、彼女もまた他の仲間と同様に敵の猛攻に耐えていたのだった。 運命を燃やして立ち上がり、勇者を目指す少女は曇りなき瞳を前方に向ける。 「誰一人欠けずに帰るのです、絶対に守ってみせます」 詠唱とともに呼び起こされた癒しの息吹が、自身を含むリベリスタ達の傷を塞いだ。 絶え間なく押し寄せる歪んだ幸福感に抗いながら、リセリアが“セインディール”で蒼銀の三日月を描く。たとえ1体であっても、ドールを混乱に陥れる彼女の存在は大きい。カヤの待機命令を無視して暴れようとする人形を、ベルカがすかさず氷の視線で封じた。 体内に共生するナノマシンが形成するバリアと、『守護神』の二つ名に恥じぬ防御技能で敵の攻撃を凌ぎ続ける快が、重い口調でカヤに語りかける。 「……お前は黄泉ヶ辻糾未の剣なんかじゃない。まるで、行き場をなくした感情に泣く子供だ」 自軍の指揮と回復に徹するカヤは、固く口を噤んだまま答えない。それでも、赤い瞳に浮かんだ哀しみの色を、快は決して見逃さなかった。 言葉よりも、目で真情を語る――そんなところは、奈落にそっくりだと思う。 彼女にとってはこの上ない皮肉であろうから、流石に口に出したりはしないが。 「結局の所、誰しも自分の流儀を急には変えられないのよね」 硝子の双眸に戦場を映して、彩歌が嘆息まじりに呟く。 自分は、カヤの養父と戦場で出会ったことはない。だから、全ては想像でしかないけれど。 「奈落の底に縛り付けていたのは、一体『どっち』だったのかしら」 死者であれば、まだ救いがあったかもしれない。でも、仮に生者だとするなら。 それは、あまりにも残酷だ――。 煌くオーラの糸が、敵陣を真っ直ぐに貫く。間髪をいれず、生佐目が異界の疫病を呼び寄せて5体目を沈めた。 少し前にヘブンズドールの凍てつく衝撃を浴び、神々の加護は既に失っている。意識の同調により仲間の活力を補う雷慈慟の存在がなければ、とうにガス欠に陥っていただろう。技の反動と、味方を巻き込んだ際に受けた反射のダメージが地味に痛いが、ここで挫けるわけにもいかない。 刃渡り三尺三寸三分の刀を構え直し、生佐目はカヤに視線を向ける。 『強いですね』 念話で語りかけると、彼女はこちらを見た。 少しでも冷静さを失わせるべく、あえて辛辣な言葉を紡ぐ。 『――ですが所詮、貴方は奈落という方に遠く及ばない。そのチャチな力は、敬愛する彼を貶めている』 「未熟は承知しております。何が仰りたいのですか」 予想に反して答えが返ってきたが、淡々とした口調は心の動きを感じさせない。 挑発が失敗したことを悟りながらも、生佐目はもう一言を重ねた。 『逃げ出すなら今のうちということです。そうなるのも時間の問題でしょうが』 「ご忠告痛み入ります」 無感動に告げて、素っ気なく顔を背けるカヤ。霧音はその一部始終を紅と蒼の瞳で見詰めていたが、声をかけることはしなかった。 ここに来て、カヤに語る言葉は持たない。いずれにしても、彼女はそう簡単に戦いを止めないだろう。ならば、今は己の役割を果たすのみ。 「私は刃として、道を切り開きましょう――」 黄昏の色に染まった広場に、緋桜が舞う。少女が妖刀を抜き放つと、白銀の風が巻き起こった。 宙を駆け抜ける不可視の刃が、ただ1体残ったハッピードールの脇腹を半ば近くまで断つ。 “ARM-バインダー”――合わせて22枚の金属板で構成された防御システムを駆使して敵の反撃に耐えながら、雷慈慟が空の一点を見上げた。あちらの戦況が順調であれば、そろそろだろうか。 「絶対に勝利を掴み取ってみせますよ。この作戦は失敗するわけにはいかないのです」 全員を癒し続ける光が、戦士の手袋に覆われた拳を握り締めた時――蒼い信号弾が上がった。 「――来たぞ!」 味方を鼓舞すべく、雷慈慟が叫ぶ。 それは、3つの儀式陣のうち1つを担当するチームのメンバーが打ち上げたもの。 リベリスタの到着前に破壊された儀式陣が、再び構築を完了したという合図だった。 ● 儀式が完成するまで、僅か80秒を残すのみ。 無論、『もう1つの儀式陣が無事であり、かつ、糾未の足止めが保たれているなら』という前提の話だが、それを疑う者は1人としていない。リベリスタ達は、同じ空のもとで戦う仲間を信じている。 リセリアはひときわ高く跳躍すると、紫水晶の瞳で眼下を見据えた。 「――終わりにしましょう、今度こそ」 蒼みがかった銀色のポニーテールが、夕陽を受けて輝く。流星の如く飛来した彼女の一撃を浴びて、最後のハッピードールが地に沈んだ。 信号弾で異変を察した黄泉ヶ辻もまた、全力で攻勢に出る。6体のハッピードールを悉く失っても、ヘブンズドールと5人のフィクサードは今も健在だ。 微笑みを湛えたヘブンズドールが、氷の衝撃で光を撃ち倒す。癒し手の片翼をもがれたリベリスタは、瞬く間に苦境に立たされることになった。 フィクサードの全体攻撃に晒され、喜平が、生佐目が、相次いで力尽きる。運命を代償に意識を繋いだベルカが、“четыре”の旗竿を地について己の身を支えた。 「生還も任務のうちだ。這ってでも帰るぞ……!」 胸に『獅子心』を宿す『戦闘官僚』の青い瞳は、未だ輝きを失ってはいない。 再び神々の運命(ラグナロク)を引き寄せた快の声が、全員の鼓膜を震わせた。 「ここが正念場だ、何としても耐え抜く!」 『憧憬瑕疵<こえなしローレライ>』の弱体化儀式が完全に効果を発揮するには、3つの儀式陣が全て揃っている必要がある。敵の突破を許せば、糾未一派との決着は遠のくばかりだろう。 快の脳裏に、先日の戦いで守れなかった子供たちの姿がよぎる。彼らの死に報いるためにも、貪欲に手を伸ばし続けようと決めた。 ――これ以上、何も奪わせはしない。仲間の命も、誰かの夢も。 理想(ユメ)を抱いて、アークの守護神はなおも戦場に立つ。 彼の遥か後方で、彩歌が霧音に己の気力を分け与えた。 「保険のつもりだったけれど、備えはしておくものね」 射程外から敵を狙い撃つ2人には、前衛たちの支援も届かない。踏み込むべきかどうか悩んでいた霧音にとって、彩歌のインスタントチャージは非常に有難かった。 「ありがとう、助かるわ」 力を取り戻した霧音が、礼を述べると同時に抜刀する。狙いは、敵のホーリーメイガス。空を斬る一撃に続いて、ベルカが絶対零度の眼力で止めを刺した。 勢いに乗ったリベリスタ達は、当初の予定通りヘブンズドールに攻撃を仕掛ける。対する黄泉ヶ辻は敵の生命線を断つべく、海依音に火力を集中した。 「ワタシ情と執念は深いんですよ」 真紅の修道女服を自らの血に染め、『神』を呪う克肖女は艶然と笑う。彼女が己の運命を捧げたのを見て、雷慈慟がすかさずフォローに回った。 残り時間は、あと30秒と少し。『プロフェッサー』の称号を持つ彼の頭脳はますます冴え渡り、冷静に、正確に戦況を計算する。 敵が単体の射撃スキルを用いたのは、既に全体攻撃を連発する余力が無いからだ。海依音が戦場にある限り、こちらが総崩れになる可能性は限りなく低い。 「くっ……!」 刻々と時間を過ぎていく中、カヤの白い面に焦りの色が浮かぶ。 その直後、ヘブンズドールが眼前のリセリアを弾き飛ばした。ずば抜けた敏捷さで強敵を抑え続けてきた彼女も、衝撃波の直撃を浴びてとうとう運命を燃やす。 闇に閉ざされかけた意識を引き戻し、リセリアはヘブンズドールに再び立ち向かう。深く傷つきながらも、彼女のスピードは衰える気配すらなかった。“セインディール”の刀身が閃き、淀みなき音速の連撃がヘブンズドールを刻む。 巨体のノーフェイスが動きを封じられた瞬間を、霧音は見逃さなかった。 「趣味の悪い『人形』は、此処で断ち斬ってみせるわ」 禍を斬る剣が、天国に焦がれる哀れな人形を捉える。翼の腕ごと胴を両断されたヘブンズドールが断末魔の笑声を響かせて地面に崩れ落ちるのと、雷慈慟が「よし」と声を上げたのは殆ど同時だった。 信号弾が上がってから、80秒後。 「――我々の、勝利だ」 3分半に渡る死闘は、儀式の完成とともに決着した。 ● この場における敗北を悟ったカヤは、すぐさま残る部下に撤退を命じた。 儀式の発動前に破壊が叶わなかった以上、ここに留まってリベリスタと戦い続ける意味は無い。 糾未が待つ学校に戻ろうと踵を返した彼女に、快が語りかける。 「お前は気付いている筈だ。奈落から、生きるっていう選択を託された事に」 「死せる主は何を思って貴様を生かしたのか、分からぬでもあるまい?」 ベルカが声を重ねると、カヤは背を向けたまま答えた。 「誤解してらっしゃるようですが、私は死ぬために戦っているのではありません。 己の任を果たせるのは、命ある者だけです。……違いますか」 おもむろに歩み出た雷慈慟が、僅かに苦い表情を浮かべて口を開く。 「経験上理解を示さないではないが、結果から言わせて貰う。 全て、己の弱さの現われだ」 かつて、互いに認め合う仲間を喪った――『生還者』たる彼の言葉は、重い。 「ソレを否定などできないが、虚偽を抱えたまま本懐など果たせない」 「……」 沈黙の後、カヤは部下を伴って駆け出した。 痛いところを突かれて返答に詰まったのかもしれないし、これ以上、言葉を交わす時間が惜しかったのかもしれない。あるいは、その両方か。 「ワタシ、あなたみたいなヒロイズムに酔った甘ったれた女は嫌いです」 遠ざかる背中に、海依音が痛烈な一言を叩き付ける。 「……結構です。私と貴女がたは、相容れないものでしょうから」 振り向くことなく、そう言い残して。カヤは、広場から走り去った。 退くというなら、あえて追う必要もない。糾未と合流と果たすにしても、辿り着く頃には既に決着が付いているだろう。それに、余力に乏しいのはリベリスタ達も同じだ。 無言で敵を見送った彩歌の傍らで、霧音が刀を納める。 儀式は成功した。糾未のアーティファクト『憧憬瑕疵<こえなしローレライ>』は、大幅にその力を減じている筈だ。 しかし、『禍ツ妃』は今もなお舞い踊っている。リセリアの胸に、一抹の不安がよぎった。 もしかしたら、これで終わりではないのかもしれない。 だとすると、この先には果たして何が待っているのだろうか――? ● 思わぬところで時間を浪費してしまった。 唇を噛み、カヤは糾未の待つ学校へと急ぐ。リベリスタが彼女の撃破順を最後に設定していたこともあり、深刻な傷は負っていない。範囲攻撃で受けたダメージも、『御使いの防人』がその殆どを癒してくれた。 あの儀式がいかに強力な効果を発揮しようと、『憧憬瑕疵<こえなしローレライ>』を目覚めさせた糾未がみすみす討たれるとは考えにくい。まだ、全てが終わったわけではない筈だ。 逸る気持ちを抑えて、学校に走る。建物はすぐ近くにあるのに、辿り着くまでがやけに遅い。 糾未が居る筈の屋上に目を向けた時、そこから落ちる人影が見えた。 「――糾未様ッ!!」 受け止めるには距離がありすぎる。全力で地を蹴ったカヤの前方で、銀髪の少女が糾未を両腕で受け止めた。『樂落奏者』仇野縁破――黄泉ヶ辻糾未の親愛なる友人は、己の身で彼女を守ったのだ。 友人の名を呼び、頬に手を当てる縁破の表情を見て、主が生きていることを確信する。 駆け寄ったカヤが、良かった、と大きく息を吐いた時。彼女の安堵を嘲笑うかのように、落とし穴が口を開けた。 「『……御機嫌よう! 貴女達のお姫様はとってもおいしかったわ!』」 何が起こったのか、カヤには理解できない。正確には、理解したくなかった。 「糾未……様」 忍び寄る現実を拒絶するように、主の名を口にする。 呆然とする彼女の前で、縁破の小柄な体がぐらりと揺らいだ。 気を失った少女を咄嗟に受け止めつつも、視線は糾未から動かせない。 想い人が亡き妻を重ね、剣を預けた糾未を、嫌いにはなれなかった。 彼女の役に立ちたいという思いも、確かにあった。 でも。黄泉ヶ辻糾未は、もう何処にも居ないのだ。その存在ごと、喰われてしまったから。 けたたましく笑う女の声を、カヤはただ、黙って聞く。 それだけが、今の彼女に出来る全てだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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