● 事の始まりは、単なる気まぐれであったのかもしれない。 握りしめたナイフが少女に力を与えたのだと言う。 家人が寝静まった隙に家を静かに抜けだして少女は繁華街の騒がしさに紛れる。 ソレが単なる非行であれば良かったのだろう。暗い路地裏へと見知らぬ男の手をとって少女は笑う。 さあさ、こっちよ。こっちにいらっしゃい。 少女にとっての非行が単なる遊びであったならどれ程良かったのだろうか。 「ねえ、私、日常に飽きちゃったの。イイコにしてるのって詰まらないもの」 握りしめた男の手に少女の指先がきつく絡みつく。振り向いた少女の唇がやけに赤く、艶めかしく見えた。 月の光さえも遮る路地裏で、彼女は微笑んでそのナイフをとん、と胸に一突き。 指先を濡らす赤い雫を満足そうに映した彼女の瞳には別の色が映っていた。 ● 「連続殺人犯。……と言っても昼は普通の女子高生として過ごしてるそうなんだけど」 資料を捲りながら『恋色エストント』月鍵・世恋(nBNE000234)は困った様に笑った。 「一つお願いしたい事があるの。お願いしたいのはアーティファクトの確保。 所有するフィクサードは波原亜美。16歳の高校生の女の子よ。若い子だけれどれっきとした殺人犯なの」 若い子、とフォーチュナ――世恋が口にすると何処か違和感を感じるが、16歳の少女と言えば未だ年若い部類に入るのだろう。 「彼女がたまたま手に入れたアーティファクトのナイフが彼女の殺戮衝動を大きくしてる。 日中は何とか衝動を抑えているのだけど、夜になるとこっそりと家を抜けだして街中で若い男を捕まえては殺しているみたい。若い男ばかりなのは趣味、かしらね」 首を傾げる世恋にリベリスタも苦笑を禁じ得ない。 亜美の襲われているという殺戮衝動は夜になると強まるのだと言う。その分彼女が日中は『普通の高校生』をしているのだが、今のところは不便は無い様だ。 「残念だけど、改心は出来なさそう。一寸した出来ごころが、日常を非日常に変える快楽を覚えちゃった。 ――殺人って麻薬みたいなものなのかしらね。彼女はフィクサードとしては半人前だけれど、アーティファクトの能力で力を得ているわ。仮初の実力、かしら。まあ……だから、貴方『達』を見たって実力の差を瞬時に理解も出来ないわ。一人でも何とかなると、想ってしまう」 戦闘になれた者はその実力差を瞬時に理解し、戦闘を行わない場合があると言う。 だが、アーティファクトで能力を底上げされた少女はその実力差も知らないままに攻勢に徹するだろう。 「殺してしまう、と言うのは選択肢のうちよ。二度と彼女に殺しをさせないという意味ではね。 言葉を掛ける事も悪いことじゃないと思う。けれど一度覚えた甘い蜜の味を忘れされる事は難しくなるわ」 その場で頷いたとしても、時期に繰り返すであろう行動。 彼女を救うも殺すも全てはリベリスタの選択次第なのだろう。 昼間の彼女は笑顔の愛らしい『学生』でしかない。夜、その日常を愛しく思いながらも人殺しを働くのだ。普通の日常から一寸だけでも離れる事が彼女にとっての『楽しい遊び』であるのだから。 彼女がもしも死んだ所で放置したとしても連続殺人犯――『彼女』の仕業となり街をにぎわせ、次第に闇に葬られる事になるだろう。 世界は単調だ。そして残酷なのだ。誰かの命を奪った代償を彼女に求めた所で、ソレは悪だと言えないのではないだろうか。 「悪い子にはお仕置きを。さあ、悪い夢は醒ましてしまいましょう?」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:椿しいな | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年04月05日(金)23:20 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● がやがやと賑わいを見せた繁華街のざわめきに隠される様に『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)は目的の少女を探した。手にした幻想纏い――悪魔の座を冠したタロットを握りしめ、仲間と連絡を取り合いながら進むその視線は彷徨い続ける。 鼓膜を擽り続ける多人数の声に煩わしさを感じるユーヌの隣で己の勘を頼りに行き先を指示する『告死の蝶』斬風 糾華(BNE000390)が迷う様に周辺を見回している。周囲を舞う蝶々は今は彼女の指先に止まり、燐光の様なホログラムは最小限に抑えられている。 「……どこかしらね」 彼女の呟きに首を傾げたのは懐中電灯を手にした『幸せの青い鳥』天風・亘(BNE001105)が首を傾げる。今は隠した翼が小さく彼の動きに合わせて揺れる。頭に叩き込んだ繁華街の地図を頼りに動く彼等の中で黒い瞳であちらこちらを見回した『普通の人』久坂 一海(BNE004321)は年若い少年少女達の探索を頼りに道端を見つめていた。 「……ふむ、アレは」 一言、ユーヌの漏らした声に反応した亘と糾華が視線を合わせる。幻想纏いを通して響く『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)の眼も何かを捉えたのだろう。 『――見えたか』 ジジ、と小さく掠れるその声に緩く笑顔を浮かべたユーヌは『普通』には似合わない狂気を薄らと形の良い唇に浮かべていた。 ざわめきの中でぐるりと周囲を見回した杏樹の瞳が捉えたのは大きな赤いリボンの少女だ。黒いセーラー服に長い黒髪。何処となく物語に出てくる風貌の少女が一人の男の手をとって路地裏へと入っていこうとしている。 「どこかなー……なんていってる暇はなさそうね。マイヒーロー」 小さく欠伸を噛み殺した『◆』×『★』ヘーベル・バックハウス(BNE004424)にとって夜は寝る時間だ。未だ年若く幼い少女の眠たげな瞳が開かれる。迷子に為らない様にと後ろから追いかける彼女に視線を遣りながら『攻勢ジェネラル』アンドレイ・ポポフキン(BNE004296)が大丈夫でゴザイますかと声を掛けた。 普段であれば彼の外見はしっかりと視線を集める筈だが、幻視を纏った『非日常』はきっちりとその姿を隠していた。 「さて、と。見つけちゃったね。行くとしようか」 唇から零れた牙。濁った灰色の瞳を隠す仮面は道化を想わせた。『続・人間失格』紅涙・いりす(BNE004136)の言葉に頷くリベリスタ達はゆっくりと少女の後ろを付けていく。鼓膜を擽る少女と男の声にいりすは「Wow」と悪戯っ子の様に零した。ヘーベルには聞かせられない様な睦言が少女の思い描く非日常であれば良かった。生温く一般的な逸脱であればよかった。 「全てを狂わせたのはナイフ、か。全く持って何の因果なんだろうな。空想で終わらせちゃくれないなんて」 呟かれる杏樹の言葉にアンドレイが溜め息を漏らす。一般人『だった』少女。子供の命を奪いたくない彼からしても胸が痛む事件は唯静かに幕を開ける。 「今回も頑張って、マイヒーロー!」 へらりと微笑むヘーベルの大きな紫の瞳は今日の『ヒーロー』――仲間達の『凄いこと』を期待している。眠気は少しだけお留守番、今日も活躍をちゃんと見届けなくちゃならないのだから。ハニワマロを抱きしめたヘーベルの言葉に頷く様に杏樹はそのかんばせに笑顔を浮かべた。 「ようこそ、此方側へ。遊びの時間は終わりだ」 ● 少女にとっての逸脱は果たして望んだものであったのか。その問いに答える事は糾華にとっては苦痛でしかないだろう。日常より抜けだしたい。飽き飽きした日常を手放さずに半端な覚悟で非日常に手を伸ばす波原亜美を許せるほど糾華は『大人』ではなかった。 「……半端な覚悟で踏み込むと、その身と心に刻まれるわよ」 長い黒髪を揺らした亜美の視線が糾華へと向けられる。二手から路地を挟撃することに成功していたリベリスタ達。一歩遅れて路地に訪れる糾華達A班の目の前では腰を抜かした男が存在していた。 「大丈夫ですか? 無事ですか? 助けに来ました」 速度を生かし、亘が真っ直ぐに飛び込んだ先で、男は信じられないものを見た様な顔で黒髪の少女とリベリスタを見比べている。怯える男の体を背負い上げ、危険域から抜けだそうとした所で亜美が動いた。 襲いかかろうとする『ヒトガタ』に愛情を孕みもしない瞳を向けたいりすがリッパーズエッジと無銘の太刀を持ちかえながら攻撃を繰り返す。同じ『ヒトガタ』であれど、質量と物量、己の能力を分け与える様に生み出したユーヌの影人は『ヒトガタ』の動向を真っ直ぐに見据えている。 「殺す事は楽しいか? 無抵抗な獲物では物足りないだろう? さて、テンポを上げて踊って貰おうか」 年頃の少女には思えないほどの無表情。淡々と言葉を吐きだすユーヌに瞬時に浮かべた怯えは亜美の『少女』らしさであろうか。彼女のナイフが宙を掻く。前衛に立っていた杏樹目掛けたソレは彼女にかわされ、瞬時ゼロ距離で魔銃バーニーが向けられる。彼女の肩口を通して、背後に布陣するヒトガタを狙いこんだソレが炎を落とし続けた。 「禁断の果実を齧ったものは通報される。其れが世界の因果なのでな? ――神様に祈っても遅い」 不良シスターの胸元で古びた十字架が揺れる。突然の『力ある者』の襲撃に、亜美の反応は一つ、遅れている。ヒトガタがステップを踏む様に動くソレはナイトクリークの使うものと酷似している。 避けながら、蝶々が宙を待った。投擲される蝶々の羽が周辺を惑わす様に鋭く切り裂いてく。広まる袖口から現れる蝶も『日常』の物とはやはり違う。 「退屈なのですってね。さあ、退屈な日々とはお別れを告げましょう。此処から先は貴女が焦がれた生と死の境」 広い袖口から蝶々がさらさらと溢れ出る。彼岸に誘う様に、導く様に揺れる翅は鮮やかな燐光を放ち闇を切り裂いた。 「――さあ、非日常を始めましょう」 非日常はアンドレイにとっては日常であるのかもしれなかった。断頭将軍が処刑を待ち望む様に宙を切り裂く。仲間達に与えた攻撃動作の効率化は確かに仲間達を的確に補佐し続ける。隠しきれないその姿形に亜美が驚いたように「何」と声を漏らす。 「Добрый вечер、犯罪者のお嬢さん」 聞きなれない異国の言葉。挨拶を返す事も出来ないままにナイフを握りしめた少女がアンドレイへと踏み込んだ。彼女のナイフを握りしめる手を狙う様に放たれる一海の気糸は彼女には届かない。 「遊び半分に人を殺されては困るんだがな」 「ヘーベルにとってアナタはヒーローに分類されないわね。真面目に生きるのが退屈で人を殺すのが楽しくなっちゃった人」 悪者の姿に視線を寄越しながらカンテラの炎が揺れる。テラテラと照らすその炎がヘーベルの瞳を反射した。埴輪の中で寝られる魔力がヘーベルの願いを顕現する様に癒しを与える。怯える男を庇うユーヌの影人と、運んだ亘を見つめながら怯えている彼を落ち着かせるように、なだめるように与えられる子守唄。 「おやすみなさい、お兄さん」 風邪を引かない様に、と付け加えた優しさは彼女の思い描く『ヒーロー』の理想形なのであろうか。 瞬時、動くヒトガタが破滅を笑う。だが、更にそれを覆い尽くす様な不吉がヒトガタへと襲い掛かる。ユーヌの小型護身用拳銃が吐き出した不吉がヒトガタを苛んでいく。笑いもしない彼女の瞳は一度だけ、楽しげに細められる。嗚呼、それは『喜』ではない、もっと歪んで澱んだ彼女お得意の皮肉だ。 「良かったじゃないか。更に酷い事になる前だぞ。死ぬにしても綺麗な死体だ」 「死ぬ――?」 「この世界は残念ながら弱肉強食。身の程知らずは唯の餌だ。常識を知れ、非常識め」 彼女の言葉に反応した亜美のナイフの切っ先が歪む。いりすを狙ったソレは、直ぐ様に避けられた。瞬時、背後に蠢くヒトガタを撃ち抜かれた事に彼女は振り向く。 蝶々と炎が同時に舞い踊る。杏樹と糾華の攻撃に亜美が唇を噛み締めた。 「小生達を倒してみれば良い。小生はソレでも良いさ。良いや、『そっち』の方が楽しいかもしれない」 零れる鰐の牙に亜美の背筋が凍る。いりすにとって人形を可愛らしいと思っても愛おしいとは思わない。玩具を遊んでいて、壊してしまう事はあっても壊そうと思って遊ぶ事は無い。それはある意味では『イイコ』の範囲だ。逸脱せず、不安定な感情を捨て去った。用法容量は正しくお使い下さいだなんてパッケージがあれば正しくソレが適応されそうな感情論。 切り刻む様に与えられる攻撃に、亜美の踵がアスファルトを滑る。滑り込んだその先で、真っ直ぐ縦に振るわれる斧。ヒトガタはそれを避けきれずに斧が真っ直ぐに突きつけられる。 「その制服の裏側に隠してるのは殺意でゴザイマスカ。宜しい。小生の軍服の裏側をお見せしマショウ」 「――何言って!?」 「これは戦争でゴザイマス。大胆不敵痛快素敵超常識的且つ超衝撃的に勝利シマショウ」 彼の言葉に亜美が悟ったのは紛れも無く『死』の危険だろう。勝利において手段を選ばないアンドレイ。彼等を支援し、回復を行い続ける幼いヘーベルが「ヒーローでない」と称した意味が此処に来てやっと亜美にも判るのだ。 彼等リベリスタにとっての己は犯罪者で、己は敵であり、己は『淘汰』される人間であるのだと。 「死にたくない、とでも今更思うのかしら」 一つ、糾華の漏らした声に亜美が破滅を告げる様に如何毛のカードを放った。 仲間達を補佐する様に動いていた一海は避けきれない攻撃に運命を燃やした。金も男も要らなかった。少しで良いから敵が欲しかった。その敵が強ければ己の血は滾るだろう。ブランドのパンツスーツが攻撃で血と泥に汚れても彼女は焦りを浮かべやしない。 「全く持って困ったもんだねぇ」 ブラックコードがきり、と鳴る。ヒーローの危機を癒し続けるヘーベルがその紫の瞳で『ヒーロー』達の活躍を逃すまいと周辺を見つめ続ける。その眸は一つの動きも逃さない様に真っ直ぐに戦場を見渡していた。 「亜美さん、貴女は人殺しなのですよ。感じるでしょう? 人殺しがどんな末路をたどるのか」 その身を以って感じる殺意に亜美の脚が震え続ける。普段ならば優しさを浮かべている亘であっても、今日ばかりはその蒼は澱む空を映す様に位光を灯していた。 「因果応報という言葉を知ってますか? 今まで一方的に奪う立場だから気付かなかったでしょうが」 「……っ、どういう」 「理不尽に命を奪う、それの裏返しは亜美さんには判らないでしょうか。自分の命が同じ様に扱われても良いとそう宣言したのだと自分たちは理解しました」 ぎらりと光ったAuraが光の飛沫をあげてヒトガタを切り裂いた、残った少女に対して亘はナイフを抜ける。怯えの色のある少女に向けられる視線は、どれも厳しいものばかりだ。 杏樹が手を差し伸べる。下ろした銃。真っ直ぐに拳が彼女の頬へと飛んだ。シスターはその想いの凡てを拳に乗せる。 見開いた瞳に、重ねられていく言葉に。少女の涙腺が次第に緩んでいく。アスファルトに零れていく涙の意味を糾華は知っていた。 「ねえ。これが貴女の憧れた非日常よ? もう戻れないわ」 それは喪い続けた少女の、未だ幼さを残す彼女の振り絞った言葉だった。手元にあるかけがえのない日常は直ぐに零れて行った。欲しいと無い物強請りはしなかった。非日常が優しくないのだと知っていた。 「君は今は『非日常』を手に入れた気になってるけど。きっと、それも、すぐに飽きてしまうよ」 いりすの言葉に坐りこんだ少女は何も言わない。路地の向こう、ざわめきが広がる世界と隔離された様な場所で、少女はぼんやりと手元から零れていくナイフを見つめていた。 時に、劇的な出会いと言う物が世界にはある。ヘーベルはそれを知っていた。いや、そうであればいいと願ったのだろうか。 「……マイヒーロー達の出会いはアナタをどう導くのかしら?」 ● 手にした紐。ぼんやりとした瞳を見詰めて杏樹は唇を噛み締める。日常に戻る事は当に不可能だと彼女も知っていた。 死なせない。殺した以上に行動で償えばいいのだから、喪う命は少ない方が良い。 口にした言葉を思い出す。 『お前が殺した以上に救う仕事をしてみないか』 その言葉に少女は、ぼんやりと見上げて震えた。蜜の味を忘れられないなら、非日常に憧れるならその憧れが何れ消えうせるまで面倒を見続けてやると告げた。 攻撃の手を緩めたリベリスタの中、へたり込んだ亜美を見下ろした糾華は真っ直ぐに見詰めていた。 『喪ってはもう、その手には掴めないのよ』 零された言葉に、亜美が流す涙は日常との別れだろうか。少女はただ、一寸した悪戯心のままに行動したのかもしれない。次第に肥大する想いは自身が負ける事無いと――世界を知らないことを明るみに出し続けている事も知らずに強まっていく。 私は、と零した言葉にいりすはじい、と見詰めた。 『小生は此処で小生らと突破すれば君は強くなると思う。強くなった君と恋をするのも楽しそうだ。 けれどその『次』が無いかもしれない。逃がさないよ。逃げるなら潰しておこうかしら』 小生が好きになった人は死んでしまうからね。零される言葉に非日常の真実を知った。頬を打つアンドレイの掌がじんわりと伝えた痛みに少女が泣き続ける。 『好きなだけ暴れても良い、королевна。何処までもお付き合い致しましょう。 ソレに手抜きも何も致しませぬ。倒れたりもしません。負けず嫌いな男はお嫌いでゴザイマスカ?』 『……大っ嫌いよ』 負けず嫌いな男も、優しい言葉も、全て。戻れないと知ってしまって、其処からどうやって救われるのか。 彼女にとっての日常はただ有り触れたものだった。家出を繰り返しても変える場所があるから救われていた。 救われることが無くアークへと誘われた掌をとる事は少女には躊躇いでしかなかった。 『小生を見て下サイ。逃げないで、逃げるな――逃がすか。これが非日常でゴザイマス』 ぼろぼろと零れていく涙に、掌がそっと頭を撫でつける。 『帰りたいの、戻りたいの……』 ふらつく足で立ち上がって、ナイフを手にした彼女にヘーベルの紫の瞳がじっと見据えている。彼女がヒーローで在るかどうか。見極めるべき今をヘーベルがじっと見据えていた。 『真っ当な道に戻らなくていいんです。だけど力の使い道を誤るな! 自分はこれ以上の行いを許しません。 平和に過ごす人を脅かすなら、自分は鬼にでもなる。傷つける事さえも厭わなくなるでしょう』 優しさを灯さぬ瞳が、蒼い炎を灯していた。愛しい人には見せた事のない残虐な面に亘自身も驚く部分はあったのではないだろうか。少女を想った言葉は、思ったよりも重たくのしかかる。 亜美、と名を呼んだ。杏樹は絶対に殺さないと決めていた。もしも、このまま彼女が逃げるならばユーヌはすぐにでも彼女を殺した事だろう。 『……畜生は躾ければ大人しくなるのだがな、果たしてお前はどうだろうか』 じ、と見据えるその眸の前。反省の意志を示すならば行動で示せとユーヌの黒い瞳が感情を灯さずにじっと見据えていた。 長い黒髪に隠された顔。未だ見えぬ表情を伺う様に、見透かす様にアンドレイが見詰めている。 気を喪った一般人に視線を遣りながら、泣き始め、怖い、嫌だと叫ぶ少女にユーヌが浮かべたのは一種の呆れだった。彼女が手を下す前に、杏樹が制止を示す。 傷を受け、ぼろぼろになった少女の手から零れたナイフを拾い上げた糾華がじ、と少女を見据えていた。 『貴女、どうしたいの?』 『――此処で殺してやることもできる。優しく差し出される手があるだけ幸運だと思え。その手さえも払うならば此処で気兼ねなく始末できる。それは楽で良いな』 少女の言葉に、亜美は声を発する事も出来ないままに唯、地面を掻いた。 爪がアスファルトを擦る。血が滴り、同時に涙がぽとぽとと落ちていく。その背に手を遣って、杏樹は優しくぽん、と肩を叩いた。 『世界は理不尽だ。神も理不尽だ。それでも私はお前の傍にいる』 だからおいで、と伸ばした指先を震える指先が掴んだ。 嗚呼、それからそれから。 その目に焼き付けた事すべてを思い出そうとしたヘーベルが目を擦る。思えばもう夜も深くなる。次第にざわめく繁華街も人通りが少なくなり、気を失った一般人男性の介抱も済んでいた。 「大丈夫でゴザイマスカ」 「ええ、大丈夫よ。さあ、帰りましょうか」 背を向けた糾華に続き、ユーヌは振り仰ぐ。杏樹の手を取った少女が望んだ非日常を――神秘の力で誰かを殺す事を忘れるまでは長い時間がかかるだろう。 亜美と名を呼んで、面倒をみると誓った。それは少女にとっての幸運だったのだ。 人生には電撃的な出会いがある。出会った時に、劇的な変化を齎す事もある。 ソレは神様には出来ない事で、人にしかできない事なのだと、杏樹は誰よりも知っていた。 もしも祈るならば彼女のこれからの行く先を願うだろう。 小さく噛み砕いた欠伸はもう耐えきれなくなった瞼の重みに合わせてより大きなものになる。擦る瞼に小さく笑ったアンドレイがヘーベルの頭をぽんと撫でる。 「明日も学校があるんだから、今日はこの辺でおやすみなさいしよう?」 伏せた瞼の裏に何も残らない。彼女にとっての非日常が何時か日常に変わります様にと祈る様に目を伏せた。 ほら、今日はお休みなさい。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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