● 公演の終わりは近しくも遠かった。 神秘の界に居住まう者には届かぬ名のない『混沌組曲』。幾百の時を経て指揮者の倒るる時を迎えた其は、なれども一部の奏で手により、その形骸足る音色を調べ続けている。 それは一つの妄執であり、矜恃であり、或いは忠誠の証と呼ぶに相応しきもの。 で、あるならば。 それらの何一つをして有さぬ者は、果たして嘗ての指揮者の意志に従うべきなのだろうか? ● 「おじさん、食べるもの、有りますか?」 ――三月下旬。都心部では気温の上昇が著しいこの季節に於いても、夜間の冷え込みは未だ身に堪えるものがある。 急拵えのダンボールハウスで廃棄された弁当を貪る俺に、一人の少女が話しかけてきた。 「……」 ひょこんと、狭苦しい紙の扉(と呼んで良い物か)から見えた姿は、酷く、醜いものであった。 襤褸と大差ない、元は上等だったのだろう摩り切れたドレスの形骸。その布地から見える素肌は殆どが火傷で爛れており、辛うじで見られる白の短髪も、末端が黒く焦げており、燃えて千切れたのだろうと容易に想像がつく。 ……普通の人間が見れば、化け物とでも呼んだだろうか。 「おじさん?」 きょとんとした顔で、首を傾げて。 それを――如何なる容姿で有ろうとも、僅かばかり可愛らしいなどと考えた俺は、その声で我に返る。 返答はしない。元より同輩の間でも会話は余り好まず、殆ど一人で生きているような俺に、言葉を出すほどの能は疾うに無くなっていた。 代わりに、幾らかの握り飯と、紙パックの緑茶を一つ、少女に投げて渡す。 少女はそれを受け取りながら「ありがとう!」とけらけら笑い、『家』の外に座り込んで、受け取った握り飯をその場で食べ始めた。 「……」 十を過ぎて幾許もしないその身が、どんな経緯で此処に流れ着いたかなど、一介のホームレス風情には解ろう筈もないけれど。 それでも、気付いたときには、目の前で粗末な食事をぱくつく彼女を、無意識に目で追っていた。 畜生、等と毒づく自分を、そうして更に嫌になる。 自分から捨てた人付き合い。ずっとずっと一人で生きてきたこの身が、今更餓鬼一人で人恋しさを覚えるなどと、虫が良いにも程がある。 けれど。 「…………」 眼前の少女は、相も変わらぬ笑顔の侭だ。 時々、所作を行う度に、布地と、その下に隠れた火傷が擦れるのが痛いのだろう。微かに声を上げて、なるべく大きな動作を取らないようにする姿が、どうにも痛々しく映る。 だから――ああ、畜生。 「……き、み」 掠れた言葉に、少女が振り返った。 此方を覗く少女に対して、俺は自分が居る場所――『家』の中を指差して、質問代わりに軽く首を傾げて見せた。 「良いの?」 ぱちくりと目をしばたかせる少女に、俺は軽く頷いた。 そうして、彼女は先ほどのような笑顔を見せて、感謝の言葉を述べてくる。 それに幾らか、胸元の熱を覚えながら、ああ、近くの薬局は何処だったかなどと、俺は考えを巡らせていた。 ● 「エリューションの討伐をお願い」 ブリーフィングルームにて。リベリスタ達が集まると同時、『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は何時も通り、唐突な言葉を以て彼らに語りかける。 時期的には春の陽気が降り始めている昨今、少女が浮かべる表情は、何処か、雨期を思わせるような湿気ったものではあったけれど。 「敵は?」 「死体」 「……おい」 流石に焦燥めいたものを表情に出すリベリスタに対して、イヴはふるふると首を振るって、彼らの懸念を否定する。 「今回の敵は『楽団』じゃない。……大本を辿れば、或いは彼らなのかも知れないけれど」 「……? どういう事だ」 「今回の敵は、彼ら『楽団』が元々操っていた死体が、自然にエリューション属性を得たものということ。 ……正直、今までこんな事態に成らなかった方が不思議なくらいだけど」 消沈の息を零すイヴの表情は――無理もないが――どうにも解けない複雑な感情をそのまま見せている。 此度、『楽団』によって操られた現地の死者は数千から万に及ぶ。 その中で革醒し、エリューション属性を得たものは此度の幾体かのみというのは、組織の一員としては喜ぶべきであろうが、彼女本心においてはそれすらも心を痛めるものと相違ない。 「……ごめん、説明を続ける。 対象はフェーズ2のE・アンデッド三体。そしてそれに因る被害者……フェーズ1のアンデッドが五体ね」 「意外に多いな」 「だけじゃない。彼らはその能力が主にポテンシャルの方に向けられているため、無策で挑めば死に至らずとも、それに限りなく近い傷を負うのは必至。 だからといって、数は少なくとも有している技にも注意を払わなくていい、なんてこともないから」 「……それ相手にこの人数は少なくないか?」 何時になく語調を強めるリベリスタ達は、其れに辟易めいた言葉を小さく問う。 基本的にフェーズ2というのは単体に於いてもリベリスタ六名から十名が総員で掛かる相手である。彼らとてバロックナイツの二名を打倒しうる程に成長を重ねては有れど、さりとて慢心に至るほど自惚れてはいない。 けれど、イヴは重ねて、その言葉に否定の首振を返した。 「確かに、普通ならもう少しの増員を図るけど、今回は不要」 「何でだ?」 「……増援、っていうのかな。 みんなの到着時、既に其処で闘っている革醒者が居るから」 ――『リベリスタ』ではなく、『革醒者』。 わざわざアクセントを付けて語られたそれに対して、リベリスタ達は問うことはせず、目線のみで先を促した。 「……元はフィクサードだったらしいんだけどね。良くは解らないけど、何か深刻なダメージと共に記憶を失っているみたいなの。 今現在の『彼女』は、少なくとも私たちと同じ倫理観の元に闘っている。そう言う意味では、共闘は可能だと思う」 「スペックは?」 「………………」 「……?」 問うた当然の質問に、イヴは顔を酷く歪めた。 憎しみと、憐憫と、それらが入り交じった困惑の面持ち。 リベリスタが、其れに何かを言うより早く、イヴはゆっくりと、言葉を織り成していく。 「……フィジカル面は、アークの精鋭を幾人か相手取れるレベル。 有する主なスキルは、死霊を弾丸としてばら撒く複数攻撃、不死者を振る舞う自己賦活能力の二つと、未来視では確認できた」 「……っ」 ――それ、は。 誰かが言いかけたコトバ。 そして、誰もが言えなかったコトバ。 リベリスタは、イヴは、沈黙に満ちた空間を、怯えながらも、破壊する。 「「――――――『楽団』」」 ● 人並みの一生が欲しかったワケじゃない。 静かな家とか、温もりのある家族とか、華やかな生涯とか。 そんなものより、唯一つ、侵されざる生活が、欲しかっただけだった。 「おじさん、大丈夫?」 傍らの少女は、自らを抱え、息を荒げる俺の姿に怪訝な声を返していた。 被覆材とステロイドをべたべたと張られ、それを包帯で強引に覆った少女は、今では多少見られる姿になっていた。 ああ、古着でも買う金まで残ってればな、なんて思いながら、俺は追いすがる化け物に襟首を捕まれた。 延々と走り続けた身は、大した抵抗も成らぬ侭に引きずり倒される。 一緒に、腕から転げ落ちた少女へ「逃げろ」と口を開くより先、怨、と、化け物の声がほのかに聞こえてきた。 見えた顔には覚えがあった。同じホームレス仲間の、最近入ってきた奴だと覚えがある。 深い傷はなく、首の三分の二ほどを抉られた歯形が一つだけ。血色を除けば生気は未だみずみずしく、それ故に眼前のヒトガタがどうにも化け物としての生々しさを呈していた。 引き倒された身を掴む腕は、凡そ人には出せない万力。 首を囚われ、呼吸を絶やされた俺は、死に対する諦観よりも、理不尽な終わりに対する怒りが、何よりも前に出ていた。 「はな、れろ……!」 底まで落ちたこの人生、唯暗澹と終わる中、漸く見つけた尊いもの一つさえ、世界は叶えてくれないのか。 涙さえ零れる怒りを、或いは、掬ったのは。 「……そっか」 何処か、達観したような、少女のコトバ。 たん、という足音と共に、軽く膝を曲げた程度の足先が、俺を掴む化け物の身を吹っ飛ばした。 呼吸が楽になったという事実より、目の前の彼女の姿に、俺はただただ驚愕を禁じ得ず。 だから、トン、と。 額を小突かれ、意識を失うそれ自体にすら、俺は気付くのが遅かった。 「おじさん、ありがとう。そろそろ行くね」 意識の暗転は、思うより緩やかだった。 それが彼女の手加減だったのか、俺の抵抗が故かは、解らなかったけれど。 眩む意識の中、せめて一言をと願う俺は、僅か。 「何処、へ?」 問うた言葉に、少女は笑う。 視界は暗く、感覚もあやふやだけど、きっと笑っているのだろう。 だって、ほら。 ――見つけたい音が有るの! 最後の最後、聞こえた声は、今までのどれよりも、楽しげなそれだったから。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田辺正彦 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年04月15日(月)23:17 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 空は、薄墨で塗りつぶされたようだった。 夜間の森林公園。一部をホームレス達が占拠しているという彼の地に於いて、心許ない道の中を疾駆する八つの影。 「……彼女は」 風切りの音だけが響く道中、何かを呟きかけた『Trapezohedron』 蘭堂・かるた(BNE001675)が、けれども「いえ」と、言葉を止める。 ――発しかけた言葉の真意は、誰にでも解っていた。 此度の戦場、本能の侭に無軌道な暴力を振るい続ける死者達の群れに対して、単身で立ち向かう『彼女』の存在。 「件の少女はひょっとしたら……と思うのは、虫のいい話でしょうか?」 苦笑を交えて、語ったのは『残念な』 山田・珍粘(BNE002078)。 凡そ二度の邂逅を果たし、その果てに死したと思われていた『楽団』の少女、”オーケストラオルゴール”コーデリア。 未来映像に映っていた姿は、包帯と被覆材に塗れたそれで、当人と判別するには余りにも材料が足りなかった。 ならば、もし会えたのなら。否、会えたとして。 リベリスタたちは、彼女に何をすることが出来る? (……考えるまでもない) 身に絡み付く夜霞を鉄甲で振り払いつつ、『眼鏡っ虎』 岩月 虎吾郎(BNE000686)が、口中で言葉を紡ぐ。 他者の為に力を振るえる人間に、何故悪意が在ろうものか。 決して、誰一人、其れが嘗ての敵であったとしても、死なせない。 幾重にも年月を重ねた重厚な精神は、故に一つ所に拵えた意志を胸に決めている。 「随分と数奇な運命に導かれたものだな……」 けれど、逆に惑いを秘め続ける者も、居る。 それは、『百叢薙を志す者』 桃村 雪佳(BNE004233)。 双つの紺瞳を眇めた表情は、深海のような穏やかな灰暗さを湛えて、視線の先――年端もいかぬ少女が闘っているであろう戦場を、見ていた。 『楽団』。 生者を殺め、死者を操り、世に恐怖と混沌と血の雨を濁々と降り注がせる悪意の集団。 その技術を有していると確認された彼女もまた、彼の構成員であった可能性は、極めて高いと言える。 けれど、 「何も覚えていない者を裁いた所で、それが裁きになるだろうか」 子供の戯言と笑われるだろうか。 愚者の妄言と嘲られるだろうか。 思考から不安は抜けきれない。だからこそ、雪佳は泥のような愚考へ敢えて没入し、その後に全てを振り払う。 ――考えが甘いという事くらいは、承知の上さ。 或いは、その決意が固まると同時。 示し合わせたかのようなタイミングで、森林に埋め尽くされた闇を照らすように、微かな広間が木々の間から除く。 その、僅か先。 幾体かの死人に囲まれていた『彼女』は、突然の闖入者達を前に、一瞬だけきょとんとした顔になって。 「……初めまして、だよね?」 けろりとした笑顔で、そう言葉を告げた。 ● 「楽団の生き残りは多数いるが、これは特殊なケースだな」 『閃刃斬魔』 蜂須賀 朔(BNE004313)が、淡々とした口調の侭に歩を進めた。 手にする『葬刀魔喰』は、嘗ての担い手と同じくして、魔に属するモノと相対した喜びを鍔鳴りの音で声高に上げた。 「成る程、記憶を失っている今は良いだろう。 だが記憶が戻った時、高い確率で敵対する事になる」 ――其が禍として芽吹くよりも、早く。 ブリーフィングルームでは拒まれたコトバは、あくまでその胸中に留めた。 最先の速度(トップスピード)を得た朔の一歩は、ある種日本武術に於ける縮地にも似た挙動を容易とする。 産声を上げた死者に豪断が振るわれれば、取り囲まれていた少女はそうして空いた『穴』から即座に交代する。 と、 「怪我は?」 とん、と。 退いた身を抱き留めるように、仮面の男が小さく問うた。 「たくさん!」 『あるかも知れなかった可能性』 エルヴィン・シュレディンガー(BNE003922)の声に対して、少女の側は自分の包帯を自慢するかのように見せつけた。 ともすれば死すら有り得た状況に於いて、それでも明るく在る彼女は、演技か、真実か。彼には解らなかったけれど。 (……俺は、信じたい) 眼前の少女の、何が何なのかも解らない。 名前、素性、明るい性格の裏表に、記憶の有無。 その一つすら嘘であれば、自分達の信頼は、たちまち崩れ去ってしまう、それほど儚い可能性だのに。 過去の罪は払拭されるのか、それを、皆に許して貰えるのか。 彼女と自分達は、共に歩むことが出来るのか。 細雪にも似たひとつぶの夢を、それでも握りしめる彼の眼に、迷いは一切もない。 ……突如として湧いた敵に、死者の側は猛り狂った。 元より本能しか無い身にありながらも、次いで放たれる攻勢は明らかにそれまで少女一人を狙っていた時よりも苛烈な其れだった。 故、 「やっと、会えた」 その無秩序な攻勢であればあるほどに、生まれる隙も大きく、多い。 『ルーンジェイド』 言乃葉・遠子(BNE001069)が、何処か熱を込めた安堵を吐きつつ、幾千の気糸の群れを以て敵の陣を穿つ。 四肢を、胴を、頭部を穿つ。元が損傷の少ない死体であったからこそ、そうして生み出だされる傷と、零れる血肉は凄惨と言って余りあるもの。 けれど、遠子は目を逸らさない。 「あの男の人を護ろうとしているんだよね……?」 直ぐ傍にいる、良く知って知らない彼女を前に、遠子は優しい笑顔を浮かべ、白の髪をくしゃりと撫でた。 ――私は何度でも、同じ事を願うよ。 瞼を閉じて呼び起こされるのは、あの時の風景の焼き直しだ。 焼けこげた死者の群れと、爆炎の中、一人沈み、死んでいった、彼女の唯一の笑顔。 それはもう、届かないものなのかも知れないけれど。 「私達にも、手伝わせてね」 ならば、せめて今守れるものだけは、この手に収めたい。 最期に自分達を愛してくれた彼女に、胸を張ることが、出来るように。 「とこは楽団のこと、よく知らないけど」 訥、と呟きながら、繊手を以て影を束ねたのは『二重の姉妹』 八咫羽 とこ(BNE000306)。 自己の写し身を姉と呼ぶそのあどけなさに反し、撃ち放つ黒死の魔弾は、気糸の拘束は、敵に対して呵責無き攻勢を与え続けている。 「もしとこ達の力になってくれるのなら、それはいいことかなって思うの」 ……何気なく発した言葉に、当の少女が微か、困ったような笑顔を浮かべたのは、何故だろうか。 「何はともあれ、状況が状況じゃ」 地を穿たんとばかりに踏み込んだ脚を起点に、収束された雷撃が虎吾郎の周辺に在る死者を焦色に染め上げていく。 「自己紹介は後でするから、同じ目的同士共闘させて貰えんかのう」 「ん……、うん」 虎吾郎の言葉にもまた、精彩のない返答を零しながら、それでも少女は頷く。 戦闘開始時より懸念していたとおり、自分達の側には回復の主力足る存在が欠如している。 ならば、自然とその行動は短期決戦に特化することも道理。 「幾らあなたが強くても、『一人』では勝てません」 何時か、何処かで発したコトバ。 そして、あの時言えなかった、言葉。 ――ですので、この場だけでも、共に戦いましょう。 可能性の無かった過去。 可能性を持った現在。 だからこそ、漸く言えた言葉に、かるたは自分でも覚えず、緩やかな笑みを浮かべていた。 限界を超え、軋む身体にすら、幾許の痛痒も覚えない。 あの時のココロの痛みは、今のこの場の痛みよりも、遙か、遙かに、痛かったのだから。 「勝手な話ですけど、あの時彼女に出来なかった分。全力で守らさせて貰いますね」 殴られ、斬られ、貫かれ、灼かれ。 見る間に無惨な姿となる死者とて、けれど当然、敵に嬲られるばかりではない。 近づき、殴る。喰らう、或いは自身の血肉を放つ。 理性がないとて、その目標が散発となる理由にはならない。彼らは今現在に於いて最も『食い出』となる可能性が在る対象――後方に退いた少女の側へ肉迫せんと身を前へ傾ける。 それを、誰よりも強く対処したのは珍粘だった。 魔弓より放つ暗黒は最早その数を覚えられず。幾度となく弦を引いた指は皮を破き、血を流しながら、それでも。 (今回は、あんな結末になんてさせませんよ) 意志は決意となる。 決意は覚悟となり、覚悟は行動となり、行動は自らが望みうる未来を強く強く手繰り寄せる。 それは、或る意味で以て、寵愛に頼らぬ運命の歪曲すら体現し得ていた。 「例え貴様等が、どれほどの強者であろうと……」 語る、雪佳の利き腕に、強靱な顎が食らい付いた。 食い千切られ、血肉が肌より滴って、其れをどうしたと、彼は反の手で剣を握る。 「彼女を殺しはさせん。その為に、俺は此処に来た!」 自己の目標、桃眼の彼女ですら掴みきれなかった未来を、彼は今度こそ放さないと、声高に叫び、叫ぶ。 「違うな。『俺達』だ」 それを継ぐように、前に出たエルヴィン。 少女の側へ、ひいてはそれを庇う珍粘の側へ、投擲攻撃を続けるフェーズ2に対して、剛毅の短剣を振り下ろすことで、その射程外へとはじき飛ばす。 (信頼しろとは言わない。唯、信用して欲しい) ヒトの心がどれほどに複雑なのか、数多の神秘と、其に関わる人々を見て、接してきた彼だからこそ、その答えはわかりすぎるほどに解ってしまう。 だから。だから、こそだ。 「その証は――行動を以て立てるしかないだろう?」 答え無き問いと共に、刹那、音速すら超えた極致の剣閃が、フェーズ1の一体を頽れさせる。 基礎能力に特化した個体の集合と言え、短期間の内に此処までリソースを注ぎ込まれれば、遠くない内の瓦解は必至である。 元より無かった回復が故に、傾いだ身も幾らかありながら、それでもリベリスタ達は奮闘を絶やさなかった。 「我流居合術、蜂須賀 朔。推して参る」 幾らか枯渇した気力を賦活するため、死者の身体に深々と刀を突き立てた朔が、そうして刀身を起点に『死者』の『生』を喰らう。 癒される傷、持ち直す気力。それでも未だ、足らぬ、足らぬと。 剣は止まない。二次行動。『吸われた』敵に向け、瀟洒なる剣閃を更に叩き込むことで、停止した死者を前に。 「……遂行すべきは『正義』である」 細めた瞳は、眼前の敵のみに向けられたものではない。 ぺースは遅まきながらも、敵は確実にその数を減らしてきている。 範囲、複数を主軸とした高威力攻撃に加え、強個体、或いは戦場のキーパーソンとなりうる死者へのノックバックや、拘束。尽きかけたリソースもインスタントチャージが保たせ続け、更に。 「うん、行こっか」 襤褸を纏う少女が、自己の掌に束ねた怨霊を前に、けらりと笑った。 千々に舞う霊の群れは、刹那だけ空に向かった後、雨霰の如く死者達だけを的確に穿ち続ける。 魂を失した身を、突如として侵入りこんだ『中身』に縛られれば、その先は。 「あの時は、出来なかった」 双腕に抱きしめたグリモワールが、虚空に浮いては頁を捲る。 「今は――だから」 白磁の如き指先が踊れば、印された文字は光輝を帯びて、己が主の敵への魔力を緻密に、繊細に織り込んだ。 「だから、もう一度だけ。やり直したいの」 ごめんね、と。 元は無辜の一般人に、遠子が告げたのは、万感の一言。 白の気糸が常闇に踊る。 残る幾体かの死者は、其れに貫かれる事で、静かに、その動きを停止した。 ● 「……一段落、かのう?」 虎吾郎が呟いたのは、戦闘が終了して幾らかが経った後のことだ。 殲滅した元アンデッド達の処理(と供養)、先に少女と共に逃げていたホームレスの男性に異常がないかの検査。それらを別動班の面々と共に行う内に、気付けば時間は深夜から明け方に近づき始めていた。 黒の帳は濃紺へ色彩を変え始めたその中で、少女はリベリスタ達の話を聞いていた。 一先ずは事情の説明より休養が大事だと語る珍粘と雪佳に対して、けれど少女はその言葉を拒否したのだ。 「わたしは、貴方達を『信頼』してはいないよ?」 エルヴィンがあの時言いかけた言葉を、そのままに言って。 そうして、現在。 遠子とかるた、朔の三人による自身の素性を聞かされた少女は、軽い相槌を打ち続け、自分からは何も言おうとしなかった。 「あなたの過去がどうであれ、一緒に歩いてくれるならアークは歓迎すると思うの」 一通りを話し終えた後に、先ず口火を切ったのはとこ。 「正確に過去を認識した上で、ご自身の意志でアークへ迎えられるのであれば、大いに歓迎します」 かるたも同様に、少女を気遣う姿勢を崩さぬ侭、少女の未来を提案する。 けれど。 「……やだ」 少女は、笑いながらそう言った。 瞠目するリベリスタ達を前に、少女はくすくすと、童子らしい悪戯っ気を孕みながら、悪意在る言葉を告げ続ける。 「だって、死んでる人を操る力なんてあるんでしょ? 私。 すごいよ、それだったらさっきの人たちみたいに沢山人を殺せば、全部私の言うとおりに出来るってことなんだよ! 一緒に遊んでくれる、きれいなお友達も幾らだって作れる。それなら私、これから沢山沢山人を殺して……」 「所詮はフィクサード上がりか」 言葉が続いたのは、其れまでだった。 薙いだ一閃。朔が躊躇無く振るった刀は、慈悲の一片もなく、少女を―― 「……否、それは、早計じゃのう」 ――少女を庇う、虎吾郎の背を、切り裂いた。 幾らかの態勢は整えていたと言え、戦闘後に碌なサポートもされなかった身だ。 即座に傾いだ身を、それでも堪えて、無骨な腕が少女を撫でた。 「人を騙して殺して貰うなど、お主にはまるで似合わん」 精彩の欠いた顔色で、それでも虎吾郎は真摯に言葉を投げかける。 少女は――その言葉を受けて、ニセモノの笑顔を、ぐ、と崩して。 「……じゃあ、素直に、殺してって言ったら、そうしてくれるの?」 「っ、どうして!?」 言葉を荒げたのは、遠子だった。 「辛いことも、苦しいことも、全部終わって、今の貴方は自由なのに。 その力で誰かを助けることも出来る。温かい人とも触れ合える。何だって、出来るのに……!」 「そうやって、少しずつ、今まで私が殺した人たちを、覚えたまま?」 悔しそうな声で言う遠子に、少女はほろ苦い笑みを浮かべて答えた。 「……出来ないよ。何十人を、何百人を殺してきたけど、今は何も覚えてないから、これからは普通に生きていきます、なんて」 ――アークは様々な人種の坩堝だ。 嘗て虐殺を行ったフィクサードが迎え入れられる事もある彼の地であれば、或いはこの少女もまた、リベリスタとして生きる事も可能かも知れない。 けれど、リベリスタ達は最も肝要足る部分を忘れていた。 『人並みの倫理観』を持つこの少女の意志と、選択の権利を。 「君が、これから先を生きる中で、それを償うという考えは、無いのか?」 「其れを決めるのは誰? わたし? それともお兄さん達? まさか、今までわたしが殺した人みんなに直接聞く方法があるの? 何十人も何百人も殺したみんなに、『これだけ償ったよ』なんて言うの? そんな自分勝手、わたしは、絶対嫌だよ」 問うたエルヴィンも、その返答に苦しげな歎息を吐かざるを得なかった。 「お兄さんたちは、優しいね。 優しくて、優しくて、優しくて、ただ、それだけ」 手にするオルゴールの外箱を見つめながら、少女は淡々と言葉を投げかけた。 「お砂糖だけのお菓子なんて、私には甘すぎて、一口も食べられないや」 「……それでも」 言葉を告げたのは、珍粘だ。 相対する表情は苦渋。自らのそれが過ちだと、そう理解しながらも。 「ええ、何度でも言いましょう。これは私の自分勝手なんです。 何時か、貴方が自分で生きることを許してくれるまで、わたしは、諦めません」 「……」 伸ばし、抱きすくめる腕を、少女は、拒まない。 如何なる手段を以てしても、殺しなどしない。そう言った珍粘に――否、この場、ほぼ全てのリベリスタの思いに、少女は。 「……見つけたい音、有ったのに、なあ」 諦めたような声で、そう、零した。 その後の顛末を語ろう。 結果として、少女はリベリスタ達の提案を受け入れ、三高平に居を移すこととなる。 けれど。 少女はその日から、生きることを放棄した。 呼吸や睡眠などの不随意を除いて、自らの意志で動くことを、一分足りとて行わなかったのだ。 当初は少女の社会復帰に努めたアーク職員も、年月と共にそれが不可能だと理解した後は、彼女を植物状態の患者と同様に扱うことを決定した。 ヒトとして生きることよりも、モノとして朽ちていくことその生で、彼女が殺した者達が許そうなどと言うことも無いだろうけど。 それでも、彼女には、その死に方しか選ぶことが出来なかったのだ。 ――真白の病室、少女のカタチをした只のモノは、今日も一人、虚空を見つめ続けていた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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