● ごく不幸な偶然だった。 たまたま波に乗りはぐれたのだ。 取り残された山の中、祀るから、どうか何もしてくれるなと人と契を交わした。 人は寝床を作り、乾かぬよう埋め、わずらわしくないよう石室をこしらえ、よく眠りを守った。 森に住む生き物の精気、石室に捧げられる供物。 そんなものが、しとしとと流れ込んできていた。 腹が完全に満たされることはなかったがつらいとも思わなかった。 まどろみの中、満腹よりは腹が減らない程度の方がありがたい。 だが、目が覚めてしまった。 目が覚めたら、腹が減った。 食い物を呼んだ。 来なかった。 何度呼んでも来なかった。 人はよく変わる。換わるから仕方がない。 そして、石室が壊された。 だが、石室が壊れてからどのくらいたったのだろう。 人の気配もなく、人跡果て、信仰から切り離されたこの土地で、飢えるばかり飢えるばかり餓え餓え飢え餓え飢え餓え飢餓起臥飢餓飢餓帰が機が気が起臥。 帰りたいのだ、幾星霜夢見た場所に帰りたい。もうこれが最後の機会。 これ以上は保てない。何をヨスガにせよと言うのか。 これが最後。たらふく食って力を溜めて元いた場所に帰る。 もう、ここにいる理由もない。かえるかえるかえるかえるかえる。 ●イカタコ決戦 「雪が溶けた」 春が来た。 「『空飛ぶ海産物』、そろそろ片をつける」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は、モニターに、紫の煙幕の中白と赤と青の閃光が乱舞する映像を呼び出した。 「今までにない大群」 更に、破壊された石室の跡も生々しい集落・壇示。 地面に開いた穴は鱗が射出した跡だ。 「本時間を以って、壇示の神秘存在を、「大山童」と呼称する。集落の古老から由縁を聞き出せた」 モニターに、ベッドに寝かされている老人。 『――元々は海におわした神様だそうで――』 訛りがひどく、発音も不明瞭でよく聞き取れない。テロップがたよりだ。 『昔はもっと海が近かったから、大波に乗って小さな神様が山まで来て、また波に乗って帰っていた。波に乗りはぐれた神様を祀った』 『神様は、よく森の恵みを集めてくれた。山では貴重な塩もくれた。温泉も黒い石も出してくれた。神様のおかげで壇示は飢えることはなかった』 『だが、時代は変わる。他の集落との繋がりも出来る。学校も出来る。気がついた。俺たちの先祖はとんでもないことをしていたのではなかろうか』 『時折迷いこんで来る旅人は、神様の石室に泊まらせることになっていた。 村に恵みをもたらして、翌朝にはいなくなっていた。そんな昔話がたくさん残っていた』 『若いもんがどんどんよその人を連れてくる。時々人が消える。恐ろしかった。身内が帰って来ないと宿に誰かが来るたびおそろしかった』 『何も見てねえ、何も聞いてねえ。だが、山のほうでなんか光るたび、ムラが終わる気がしてならなんだ』 老人は語り、最後にはしとしとと涙を流した。 彼が神秘存在の何を知っている訳ではない。 漠然と不安を感じていただけだ。 「河童が山にいついた状態を『山童』という。それの大きいのが埋まっていると推測する」 イヴは、モニターを切った。 ● 「すでに集落から人が去っている。天狗の鼻岩から、奇岩石室に至る直線に各チームを分散。各個撃破して、完全にエネルギー源を断った上で、土の下で寝てる大山童を叩く」 イヴは無表情。 「諸々の状況、事情聴取、集めた資料からの総合判断で、大山童は最後の力を振り絞って、最期の賭けに出ていると判断した」 モニターに出てくる相撲文字三文字。 「正念場」 「E・ビースト。フェイズ1。形状はイカ。空からミサイルみたいに落ちてくる。更にタコ。こっちは吸盤を弾幕のようにして攻撃してくる。そして、クラゲ。こっちはシールド、更にウミウシ、毒霧煙幕」 昨年九月から十一月にかけて、集落・壇示に眠る神秘存在討伐に向けて、水面下で着々と準備は進められていた。 「――皆にも手伝ってもらった、迎撃陣地構築」 小学生の卒業式のコールっぽいノリだが、こちらは十一月中旬にリベリスタによって射撃攻撃に特化された銃座が出来上がっている。 「これにより、八人しか乗れなくなっていた天狗の鼻岩が、十二人乗っても大丈夫になった」 画面に呼び出される、新・天狗の鼻岩陣地。 岩壁にはワイヤーをかける為のフック。あと岩壁には一人か二人分の緊急避難用の穴。 金具を、断崖絶壁に打ち込んで階段にする。これで大岩への行き来が楽に。 敵の攻撃から身を隠せるよう、岩の縁に盾状の防壁。 外側に向かってせり上がるような作り。柵だと吹き飛ばされて乗り越えてしまうかもなので、ブロックで囲ってある。 滑らないように、表面はざらざらに仕上げ、照準がつけやすいように三角法の目盛りが記入され、射撃に特化した仕様になっている。 天狗の鼻には、ここで戦ってきたのべ数十人のリベリスタの血と汗と涙とフェイトがしみこんでいる。 ちなみに、とあるデュランダルの寝姿が念写されているのは、とあるスターサジタリーの執念の産物だ。 イヴは、別の画像を呼び出した。 「放置すると、集落・壇示に降り注ぎ、住人全員帰らぬ人になる……のは、前回まで。現在集落・壇示の人達には、火山性ガスの噴出ということで、ひとまず別の土地に集団移転してもらっている。彼らがふるさとに帰れるかどうかは、みんなの双肩にかかっている」 モニターに、二文字が映し出される。 『迎撃』 「出来る人を選んだつもり。問題ないよね?」 イヴの言葉にミーティングルームが一瞬水をうったように静かになった。 「ミサイルイカは、耐久性に欠ける。攻撃が当たれば爆散する。だから、地上に到達する前に全部撃ち落として欲しい。ただし、ちゃんと殺さないと爆散しないのが、前回までの報告で明らか。そのまま慣性の法則で突っ込んでいっちゃうからね」 不殺は意味ないよ、とイヴが念を押す。 積み重ねられたノウハウが、リベリスタ達を支えている。 映像が地域断面図に変わる。 「集落――壇示は盆地にある。この山のこのポイントからイカの通過コースまで20メートル未満。今回のみんなの仕事は、この下で戦うことになる人のための取捨選択」 イヴは、更にモニターに情報を出す。 「イカ・タコ・クラゲ・ウミウシの総数は、約1000」 今までの倍だ。 「1ターンに12から16匹射程に入る。飛来時間は約12分間。全部はどう考えても無理。どれを通すか、委細はチームに任せる」 イヴは、それから。と付け加えた。 「ウミウシの毒霧は放出場所に残るタイプなのが、前回の戦闘で報告されている。複数重なると視認に著しい影響が出る。残念ながら変温動物の海産物を熱探知で索敵するには非常に曖昧」 なかなかどうして、悪条件だ。 「相手が対応してくるなら、こちらも対応する。イカタコクラゲウミウシを花火にしてきて」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田奈アガサ | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年04月06日(土)22:33 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 集落・壇示の天狗の鼻岩。 過去様々な作戦があったが、その中でも選りすぐりの難所である。 フライエンジェが気流に巻かれてきりもみ墜落する断崖絶壁に突き出た奇岩。 すでに今回も二名のリベリスタが崖を降りる途中で気絶して、使い物にならなくなった。 春の森でも灼熱の砂漠でもない、足の爪先からしびれあがる冷たい岩と寒風の世界。 フュリエにとって快適とは言いがたい劣悪環境も、使命感に燃える二人には関係ないようだった。 「空から来る海産物……報告書は読んだけど、シュールだけど強敵なんだねっ。これでしくじったら後のみんなに迷惑がかかっちゃうっ。絶対にやりぬくよっ!」 『アメジスト・ワーク』エフェメラ・ノイン(BNE004345)は、拳を握り締めた。 弓には自信がある。 ねえねえと、服の裾を引っ張られる。 見やればうきうきした年下の同胞がはるか虚空を指差していた。 「いかもたこもくらげもうみうしも、うみの生き物図鑑に載っていたけど、ボトムの空にはうみがあるのかな?」 『金雀枝』ヘンリエッタ・マリア(BNE004330)は、エフェメラにたずねた。 「うみ」は三高平にもある。ちょっと高台に行けば広い広いそれを見ることが出来る。 しかし、それは空にはないはずだ。 リベリスタ達は、このアーク立ち上げ直後からの神秘事象にすっかり慣れきってしまっている。 それの何がおかしいのかをヘンリエッタに伝えることを忘れていたのだ。 ヘンリエッタにとって「E・ビーストが飛んでくるから」神秘なのであり、「イカタコクラゲウミウシは空を飛ばない」という大前提がすっぽ抜けている。 「うみの男というのは日々そんなものと戦っているんだね……すごいな。オレもここで、漁師のこころを得よう」 「男」というか「漢」に憧れ、日々そうなろうと努力邁進しているヘンリエッタに、フュリエは皆「女の子」なんだよと諭す勇者が現れるのはいつの日か。 ま、それはともかく、熱く激しく間違っている。 海の男が命を張るのは船の上だ。少なくとも断崖絶壁につきだした岩の上ではない。 海の男が握るのは竿か網、いいとこ百歩譲って銛だ。 エフェメラとてそんなに詳しくはないが、少なくとも間違っていることだけはわかった。 「ヘンリエッタヘンリエッタヘンリエッタ」 エフェメラは、この年若い同胞にイカタコクラゲウミウシは空を飛んだりしないものだというところから説明する羽目になった。 「降りやすくなってるのにね~」 「ロープで降りろと言われないだけマシなのに」 「まだ意識があればバンジーで下まで放り出してやったのに」 「これ、蜂須賀紐。ちょっとやそっとでは切れないから、命綱の代わりにカラビナにかけといてくれ」 杏樹が差し出す色違い折紐をあれがかわいい、これもかわいいと選ぶ余裕があるのは、ここにくるのは二度三度下手すると片手の指では足りないというものもいる。 アークの劣悪戦闘環境の中でも五指に入る所に嬉々として来るのは、過去にここで戦い抜いた猛者がほとんどだ。 「やれやれ、面倒くさかったこいつらともこれでお別れか」 『ピンポイント』廬原 碧衣(BNE002820)は、新たに作られた足場を降りていく。 「呼んでた正体が河童だったとはな」 『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)が呟く。 想像していた鯨による射出ではなかったようだ。 事態はそれほどメルヘンではなかった。 「今度こそ終わるといいわね」 『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)は過去数度の修羅場を思い出して、力なく笑う。 「最低限前回のよりも多く倒さないといけない。気分的にも、後続の班のためにも」 『弓引く者』桐月院・七海(BNE001250)は、はるか眼下で待機中の別チームに思いを馳せる。 「黒幕とも関わりたかったけど、やはりこちらに立つ方がらしいかな」 穏やかで柔和な印象だが、前回、「黒幕ぶっ飛ばしてやりてぇ」 と毒づいていたことを知っている面々は苦笑を漏らす。 「んじゃま、盛大に花火を連発するとしますか」 『さすらいの遊び人』ブレス・ダブルクロス(BNE003169)が、にやりと笑った。 ● 「さーて、やってきたわ! 海産物処理の時間よ。出し惜しみなし、私たちの全力を見せてやろうじゃないの」 明日は本気出すの『高等部教員』ソラ・ヴァイスハイト(BNE000329)の「明日」がついに来た。本気だ。 「出席を取ります。呼ばれたら、返事!」 魔方陣入り出席簿には、本日の特別引率参加者リストが挟まっている。 脱落者の名前の上に墨が入っているのが怖い。 「A班、私。彩歌。ブレス。ヘンリエッタ。七海!」 皆手短に応答を返す。 「B班、杏樹、ウェスティア、虎美、碧衣、エフェメラ!」 次々と手が挙がる。 「最重要課題は戦力の維持。いくら雁首揃えても行動不能になったら意味ないわ」 いきなり講義が始まった。 「HPとEPを常に潤沢な状態で保つことが重要。私はそこを目標に動きましょう。裏方、縁の下の力持ちって重要なポジションよね」 今日のそらせんは一味違う。 ここでしくじると他チーム、ひいては自分の教え子に危機が及ぶとお考えか。 「つまり、何が言いたいかというと――」 下に水着着用したいつもの白衣の袖がびしっと捲り上げられる。 「私、頑張って応援という名の回復するから、みんなは海産物の実処理を頑張ってね!」 うん、やっぱりいつものそらせんだった! というか、そうしてもらわなければもたない。 前回は、彩歌の無限機関はすっからかんになり、碧衣と七海は自転車操業。 戦闘終了後、全員足腰立たなくなって、断崖を登ることが出来ずに別働班に回収してもらう羽目になったのだ。 あの屈辱と恐怖のハンモック状態を忘れない。 「最終確認」 杏樹は、全員の顔を見回す。 「とにかく、クラゲは全部落とす」 メイン食料になるイカとガドリングを持ったタコを守るクラゲは、接近戦で戦う他チームにとっては脅威だ。 「それと視界をふさぐウミウシも90%、90匹。タコは80%、160匹。イカは50%、300匹」 全体の6割5分。 今までの撃墜数より多いが、やって出来ない数字ではない。 出来ない数ではないが、今まで以上に奮戦しなければ。 「目標は決めるけど……」 『メイガス』ウェスティア・ウォルカニス(BNE000360)はにっこり笑う。 「全部倒しちゃっていいんでしょ……?」 大胆不敵な物言いに、しばしの空白。 「スコア稼ぎの機会を逃すなんてシューターにあるまじきだよ!」 魔法戦での撃墜王の主張。 うんうん。と、『狂気的な妹』結城・ハマリエル・虎美(BNE002216)はうなずく。 「ついに来た最終決戦。負けるわけにはいかないね。お兄ちゃんが見てる!」 今回は虎美だけが見ている幻ではない。岩には、虎美の兄が彼女の愛そのままに念写されて、完全に指定席。というか、そこでふく射姿勢をとれと言われたらバツゲームな位置と化している。 足元の兄の像を撫でながら、虎美はうっとりと呟く。 「お兄ちゃんを傷つけない、敵は殲滅する。両方やらなくちゃいけないのが辛い所だね」 碧衣もやる気満々だ。 「設定目標数を越しても、粘れるだけ粘って可能な限りの撃墜を行い続けるよ。個人目標は……当然全撃墜だな」 エフェメラもこくこくと頷いた。 「一匹たりとも逃さない、とは言わないけど。出来る限り逃がしはしないよっ! 後に続く人たちに迷惑がかかるのもそうだけど……ここにこれだけのメンバーがいるんだから、絶対に遅れはとらないよっ!」 杏樹は、その言に笑顔を以って応えた。 「持てる経験と技術をぶつけて、捉えられる限りを捉えて空の藻屑に変えてやる。足りなければ気合と意地。陣地も頼もしいメンバーもいる」 視界の隅に、最初の光点。 「あとは、ありったけの弾薬を叩きこむだけだ」 こういう連中を称して、こう呼ぶ。 射撃系戦闘民族。 ● 「ウミウシ1、イカ5、クラゲ3、タコ4」 ブレスが目を凝らす。闇を見通す鷹の目は色と形状をきちんと把握していた。 「ウミウシの後ろでイカがばらけて、クラゲの後ろにクラゲがいて、その中にタコがいる!」 暗視ゴーグルでは色までは識別できない。 そのかわりに、ヘンリエッタは形を覚えてきていた。 (できるだけ行動パターンや落下傾向も読み取るようにしなくちゃ) 「タコ、最後!?」 「そう!」 前回討伐に参加していた六人が罵倒交じりの悲鳴を上げた! 「――いきなり、タコ入りクラゲ!」 空飛ぶ海産物は、学習している。 ウミウシでリベリスタの視界をふさぎ、イカで斜線をさえぎり、クラゲを重ねて攻撃手段のあるタコを温存し、残ったタコでリベリスタを攻撃しようという、非常に好戦的な陣形だ。 前回この陣形にリベリスタは大いに苦しめられた。 「先にこっちを飛ばす気だ」 「上等」 「貫通範囲に目標を複数捕らえやすいクラゲの方が優先度高いかな」 そして、それを撃ち落とす射手たちも学習している。 自分たちが撃ち逃した標的を思い出しては歯がみし、ああすればこうしていればと寝床で悶え、二度と同じ失敗はしないと誓い続けて、こうして生を繋いでいる。 彩歌の手指を包む演算機甲のモードはアサルト。 更にそれを補助するバトルスーツ「エンネアデス」が、常より径の大きな気糸の同時射出の精度を上げる。 神秘をまとう攻撃の仲では超遠距離。 ウミウシを一匹。イカを一匹、クラゲを一匹。突き抜ける気糸が串刺しにして爆散させる。 「学習能力の高さが裏目に出たわね」 彩歌の唇に笑みが上る。 ブレスの精密な狙い撃ちによってイカとの感激をすり抜け、クラゲが白い光と化す。 「まだいっぱいいるね!? シシィ!」 陽炎のような薄い羽根を持つヘンリエッタのフィアキィ・シシィは、すばやく体を旋回させる。 飛び散る鱗粉は大きさを増し数を増して真っ赤に燃え盛る炎の玉となり、雨あられとイカとタコに降り注ぐ。 続けざまに爆散するイカの白が四発、タコの赤三発。 「やった!」 ぱっとヘンリエッタの顔が明るくなる。 「頭上げちゃだめ!」 「え?」 タコから射出された吸盤が炎弾とすれ違うようにして陣地を襲う。 全身に走る灼熱感。 防壁の影にいても三次元的曲射された吸盤弾幕からはできるだけ急所をずらすのが精々だ。 「まだ序の口のチュートリアル! しっかりしなさい!」 ソラが、叱咤する。 風切り音と一緒に鼓膜を打つ癒しの福音が、穿たれた皮膚を再生する。 「まだまだ来るわよ!」 「び、びっくりした……。あんなの飛んでくるんだ。うみの男は命がけだね」 まともに食らった割りにまだヘンリエッタが倒れていないのは、ウェスティアも福音請願してくれたからだ。 「ヘンリエッタ、違う」 エフェメラはそう呟くのが精一杯だった。 次の光点が近づいてきていたから。 ● 「ウミウシ1、イカ5、クラゲ3、タコ5! さっきと布陣はほぼ同じだけど、速度に緩急ついてるよ! 視界確保に留意!」 B半の観測種を買って出た虎美は、いきなり後半仕様の布陣に、とにかく気がついたことを全て口にする。 (そうだねお兄ちゃんここが正念場だよねわたしがんばるよ今日の晩御飯は戦勝記念で海鮮しゃぶしゃぶなんてどうかなもちろん軌道予測も忘れてないよ) 腹の下に兄の寝姿。脳内兄も絶好調。 二丁拳銃から放たれる流星弾。 ウミウシが四散して紫の煙幕に。その前に見切っていたイカとクラゲを爆散させる。 「目視できなくても当たるんだよね。利点は大いに活用するよ」 ウェスティアは呪文を紡ぎ、臨界に達した雷を虚空に解き放つ。 圧縮された雷は、四方八方に暴れ狂う竜と化し、イカ、クラゲを巻き込んで盛大な花火と化す。 しかし、タコは三匹健在。 その全てが足を振り上げ、固い吸盤をリベリスタに向けて射出する。 真新しいコンクリートブロックに線状痕。 ビツビツと食い込んでいる吸盤。 神秘によらない構造物がどこまでもってくれるかわからないが、今ダメージを抑えてくれているのは紛れもない事実だ。 三角法で測量、刻まれた目盛りは大いに杏樹をたすけた。 耳をつんざく女の悲鳴のような風切り音はひっきりない。 その響きの音量、変化。耳だけではなく体全体で音を感じる集音装置と化した杏樹の射撃を支える。 「バーニー、行くぞ」 杏樹が囁く。 答えはないが、手の中で跳ねる鋼の意志を感じるような気がする。 黒兎の銘を持つ銃から撃ち出される火弾。吹き上がる豪炎。 文句なく、殲滅コースだ。今のところは。 「あれっ、ボクすることないっ!? 撃ち漏らしを打ち抜こうと思ってたんだけどなっ。えっと、それじゃウェスティアさんに!」 エフェメラのフィアキィの「キィ」が振り撒く光の粉がウェスティアを守る防壁になる。 「ヘンリエッタと手分けして、みんなに配るからねっ!」 心強い後方支援だ。 「次来るよ!」 息つく暇もない。リベリスタの目は紫色の毒霧で見えづらくなってきた星空に注がれた。 ● 「私が残っている限りは、EP不足になんてさせはしない」 碧衣の意識が他九人とリンクする。 同調する意識の中で、全員の共通項を検索、強調、連帯感から作戦に対するモチベーションを底上げし、体内で沸き立たせた魔力を増幅変換して分配。 (2手番+α分のEPを全員が持っている状況を常に構築し続けるよ) 見た目には何も起こっていない。 けれど、チームの誰もが流れ込んでくる魔力を感じている。 派手に花火を上げ続ける為に、大事な縁の下の力持ちだ。 「こころもとなくなったらEP回復要請を念の為出すつもりでいたけど、EP回復手段が無茶苦茶多いこの面子なら、EP枯渇はまずありえねーか」 ブレスが指先まで満タンに溢れる魔力の気配に感嘆の声を上げた。 「途中脱落者なんて出してなるものですか。たかが海産物にやられるわけにはいかないわ!」 ほぼノンストップの福音誓願。 流れ来るウミウシの毒霧の気配に目もかすむ。 それでも、50分――いや、いかなぐうたら教師であろうときちんと教科書全部終わらせたのだ。前年度も。そんな三高平学園大学付属高校の七不思議。 とにかく、しゃべりっぱなしの教職をなめるな。このくらいの連続詠唱でどうこうなる喉は持っていない。 それでも、景気よく流れてくるタコのガドリングは確実にリベリスタを消耗させる。 痛みは人の気力をそぎ、手足を竦ませるものだ。 ヒューマンエラー。 長丁場では、それが一番恐ろしい。 目の前で点滅する赤。白。紫。 一番最後まで残るのは紫。いつまでたっても消え養い忌々しさ。おまけに毒まで含んでいるのだ。 影響を受けない彩歌以外は、喉元までこみ上げてくる不快さをかみ殺しながらの戦闘になる。 体力は逐次回復されているが、常に体力が削れていくという状況は、精神衛生上よいものではない。 「え? あれ?」 単調なリズム。いつの間にか体がルーティンを刻むように同じテンポで呪文を唱え、同じ店舗で引き金を引くようになる。 場への対応、最適化。即応力は戦場では大事なことだ。その分他のことに気がさけるようになる。 しかし、それを相手に読まれたら、隙になる。 ウミウシは通常巡航速度だった。 次の瞬間には撃墜され、紫の澱みになる。 さっきまではその次の瞬間イカの白いとんがりがそれを突き破って姿を現していた。 それから二拍後半透明のクラゲ。 ここでトリガーをひくと全弾クリーンヒットする絶好機。 タイミングがずらされる。 不審に思った刹那、今までにない高速で突っ込んでくる海産物。 流れる照準。それでも追いすがるように追う呪文と弾丸。 今までもなかった訳ではない。いきなり速度を変える。いきなり編成を変える。しかし、いきなりとまって加速する。は、初めてだ。 待機していた者も次々気糸を撃ち、それでも大外を回っていった何体かは取り逃がす。 「――撃ち漏らし、イカ三匹」 杏樹は極力感情を抑えて、通過していった海産物の数を数え上げで、AFに配信する。 できるだけ早く情報を出すことが後続チームの援けになると信じて。 そもそも全部撃つのは物理的に無理なのだ。 意気込みが崩されたことで、モチベーションが下がって本末転倒だ。 「立て直そう」 集中し続けることは難しい。 この季節の山間部は雪が溶けたというだけで、まだ春の温かみとは一切無縁だ。 足を一歩滑らせたら、命綱一本で宙ぶらりんになる恐ろしさは革醒者でも一般人でも代わらない。この高さから落ちたら、どうあがいても死ぬ。 目を凝らす。 速度を口の中でカウントしながら計る。 密集するウミウシ。その中の半透明。更に中に抱えたイカ――。 なりふり構わぬ陣形。 ウミウシを撃ったら、視界が通らなくなる。 神秘射撃を成り立たせるのは、術者の「視る」という行為を基点とする。 見えないものを攻撃するなら、魔術の及ぶ威力域を有象無象の区別なく叩き潰すより他はない。 それでもかばわれている中のイカには及ばない。 とにかくクラゲだけは全て落とす。単体狙いの殺傷力の高い気糸や急所狙いが半透明の生きた防壁を花火に変える。 その隙に流れていく白い光点。 魔力は無尽蔵ではない。 生み出すためには、ある程度まとまった魔力と手番が必要なのだ。 手番の不足は、休息と集中の機会を奪い、ぴりぴりとした緊張状態は更にリベリスタを散漫にする悪循環。 気力で支えきるという根性論は、この場では何の役にも立たない。 海産物はもろい。当たれば墜ちるのだ。 だから、当たらないということが屈辱にさえ感じる。 撃ち損じたイカを落とす待機組の射撃に、ありがたいのと申し訳ないのと使わせてしまった魔力の残存量と降り注いでくるタコのガドリングと。 急激に追い詰められる。 通すのが前提なのに、通すことによって溢れる罪悪感。 だから気を張る。それから逃れる為に、全てを落とすと心に誓い直す。 恐ろしく消耗するのだ。張り巡らされた防壁は弾除けの意味もさることながら、集中力を失った者が足を滑らせて落下しないようにつけられた。 ガチガチとなる歯の根が止まらない。それでも誰も笑わない。みんな似たようなものだ。 早く終われ早く終われ早く終われ。 それだけを繰り返しながら、詠唱し、引き金を引く。 「帰ったら花見だ! 魚介類鱈腹食ってやる!」 七海の叫びに、ブレスが応と返す。 「派手に遊ぶ為にもお仕事っと」 幾度となく仲間ををかばった強襲型戦闘服の背中は、タコのガドリングを食らってぼろぼろだ。 (どうか誰も欠けないように) ヘンリエッタは、シシィに頼む。 振りこぼれる鱗粉が仲間を守る者として定着するのを見てほっと短く息をつく。 キィが天狗の鼻岩のリベリスタに癒しの力を振りまかんと飛び回る。 冷えた腹の底にともる温かみ。 まだ戦える。 少しずつ、少しずつ、ソラとエフェメラの回復だけでは足りず、ウェスティアも回復に回らなければならない局面が増える。 タコが来ないターンは安心だ。クラゲとウミウシさえ撃てば束の間体制を整えられる。 まだ続く。まだまだ続く。 誰かが倒れ、その穴を埋め、いつの間にか今がどちらの班がメインの攻撃フェイズなのかも曖昧になって来る。 海産物も、牛歩に出る個体と即効に出る個体が交じり合い、攻撃範囲に二群が交じり合う始末だ。 (自分が辛い時は、相手も辛い時だってよく言うし) 彩歌は唇を噛み締める。 糸を繰る手の先が冷気で感覚が鈍るがここからが本番だ。 「もうだめだ」と「まだいける」の間を何度も言ったり来たりしながら、リベリスタは、弓のつるを引き、呪文を唱え、気糸をくり、引き金を引き続けた。 ● 「碧衣さん、魔力足りてる?」 「足りてる」 「足りなくなる前にすぐ言うのよ!?」 「わかってます」 魔力供給の要の碧衣の魔力切れだけが恐ろしかった。 他の魔力付与能力保持者は、何はなくとも葵への供給を第一義に考えていた。 手番節約と供給量、どれをとっても安定する。 「足りてる?」 「大丈夫です!」 花火の数を数え続ける。通した数を数え続ける。 一時退避の為に、絶壁をえぐって作られた緊急避難所の中からヘンリエッタが這い出て来る。 「……大丈夫。まだ行けるよ」 射撃手が直接攻撃にさらされる事態はあまりない。 動かないことがよい狙撃手の条件である以上、一度食らえば致命の一撃となりやすいのは覚悟の上だ。 放たれる一条の矢が流れていこうとしたクラゲの動きを惑わせる。 「ナイスアシストぉ!」 ブレスの機関銃が掃射すると絶えられなくなったクラゲが爆散する。 「クラゲだけは」 「ウミウシも」 「クラゲとウミウシだけは」 「絶対通さないっ!」 「多少のクラゲくらいはぶち抜いてみせる!」 七海の弓の名は告別。放たれた矢は無数の火矢と化して夜空を枝垂れ菊の様に橙に彩る。 今日を限りに海産物とは縁を切る! 攻撃、治癒しても次の瞬間また襲ってくる痛みに深々と息を吸い込むことも出来ない。 浅い呼吸はお互い様。撃つ間だけ、平静が保てればそれでいい。 「お兄ちゃんの声がする……負けるな、頑張れって言ってくれてる――ウミウシ1、クラゲ2、中にタコ3、イカが8。先行優先、後ろはスルーで」 虎美の唇が、公私混同しないで動く。 脳内のお兄ちゃんだけではない。今崖下で待機しているリベリスタ全てが、鼻岩の上で奮戦しているチームの健闘と武運を祈っている。 「そうだね、私頑張るよお兄ちゃん!」 それでも、虎美の至高は、ゆるぎなくお兄ちゃんだ。 がちんと脳内快楽神経から噴き出すエンドルフィン。 幸せが人間を強くする。 ● あれほど聞こえていた風を切る音がしない。 ごうごうと逆巻く音はするが、耳をつんざく女の悲鳴のようなものは聞こえない。 時計を見る。 攻撃終了予想時間を幾分過ぎている。 「終わり?」 「多分……」 「誤差にしてはちょっとイカが少ない……」 大体30匹分少ない。誤差と考えるにはちと首を捻らざるをえない。 そのとき、杏樹の耳がぴくと震えた。 「超高速で突っ込んでくる。超高密度」 虎美とブレスの見解が一致する。 「色、白。イカと確定! かばいあってるよ! 足からめあってるもん!」 覚えた色の違いはもう焼くには立たないが、ヘンリエッタは自分で見つけた動きの違いを叫ぶ。 「ああ、これでほぼ計算が合うわね」 「残った魔力全部使おう」 「ここは全部落としてやろうねっ!」 これが本当に本当の、最後の最後は全部イカ。 固まってくる白い大きな大きなイカの群れを残さず打ち落とし、今度こそ本当に静寂が戻った。 ● 「イカサシ」 ソラが呟く。 今回はたかってくる教え子はいない。 割り勘だ。断固としてお勘定は割り勘だ。 「タコワサ」 七海が応じる。 たらふく食うのだ。後はてんぷらとかもいい。桜煮だって季節的にもありだ。 「中華クラゲ?」 虎美が首をかしげた。 できれば夕飯までには帰りたい。お兄ちゃんに今日の戦いについて滔々と語ってあげなくてはならない。 「ウミウシは食べられるらしいってテレビで見たけど……」 「このへんのお店じゃ無理」 狭い岩場に折り重なるように寝そべったリベリスタ達の声はがらがらだ。 張られたタイルの上に流れた血がたまっているが、天狗の鼻岩にこれ以上リベリスタの血を吸わせることもないだろう。 「――ていうか、そもそも動けない」 足がなえている。 「今この断崖絶壁自力で登るとか、何の拷問ですかみたいな」 「足痺れてるし」 (普段さっぱり仕事しない神様、今日の狩りの結果に感謝します) 杏樹は、AFに目を落とす。 AFに表示されているカウントは、当初の目標にギリギリ届いていた。 少なくとも、下の仲間はクラゲに苦しむことはない。 「うみの男って大変なんだね。でも、少しは近づけた気がするよ」 「ヘンリエッタヘンリエッタヘンリエッタっ」 エフェメラの「そらにうみはない」という説明の制度に今後のヘンリエッタのボトム・チャンネル生活がかかっている。 その容姿を見ながら、彩歌は指先をかろうじて動かす。 体の中身をそっくり気糸に変えるほどの量を撃った気がする。 途中で、自分が糸巻きになった気さえした。 「この腕に掻き抱けるだけの願いしか持たないから、もう流れ星はいいかな」 彩歌は、もう腕の中に大事なものをかき抱けているのだ。 もはや星に願いをたくさなくてもいい。 いわんや、生臭い海産物には。 杏樹は、いと高きところにおわす方に祈る。 神様。敬虔なあなたの娘はあなた以外に祈ったりはいたしません。 空から降る海産物。 もう二度とごめんだけど、この上で戦って培ったものを忘れない。 願わくば、寒さと安心から来る極度の空腹に震えるリベリスタのため、この場所からすくい上げてくれる別働班が一刻も早く到着せんことを。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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