●Ragnarøk 煌々とサーチライトが焚かれた三高平市。 楽団の死者たちが街を覆わんとするこの終わりなき夜にあって、市街地の中央に聳えるセンタービルと三高平駅の一帯は、かろうじてまだ敵の侵入を許してはいなかった。 バリケードを張り、迎撃態勢を整えつつあるセンタービル。その入り口から飛び出してきた数人の男女が、鼓膜を圧した爆発音に緊張の色を深めた。 「爆発が近い……! 僕達も防衛ラインの加勢に向かうよ。伊織君、君はどうする?」 「私は、逃げ遅れた市民の方がいないか、もう一回りチェックしてみます。この状況では、人数確認も満足に出来ていないでしょうから」 どうやらチームリーダーらしい青年が問いかけたのは、葉山・伊織――先の京橋OBPの音叉儀式を巡る戦いに巻き込まれ、そして生き延びたリベリスタである。 「確認が済んだら、どこかのチームに合流しますね。私なんかじゃ、大した役にも立たないですけど」 「そんなことはないよ。けど、確認は必要だね。よろしく頼む……また、生きて会おう!」 OBPツインタワーで保護されたのを契機にアークに加入した伊織にとって、同期の彼らはアークで初めて出来た友人だった。だからこそ知っている。大した経験を持たない彼らにとって、前線に向かうということは命を投げ打つということと同義だ。 そして、そんなことは彼ら自身が一番良く判っているのだ。判っていて尚、生きて会おうと言わずにはいられなかったリーダーを、彼女は眩しげな視線で受け止めた。 「……はい、また会いましょう。また、この場所で」 駆け去っていく一団を見送る伊織。微笑すら浮かべ仲間達を見送る彼女は、しかし、彼らの姿が三鷹平駅の建屋の向こうに消えた瞬間、その表情を酷く皮肉げに歪ませる。 「――もっとも、生きて会うことはないだろうがね」 いつの間にか、彼女の手にはごつごつと岩めいた印象を与える楽器が握られていた。長大なそれを軽々と取り回し唇を当てる。軽く息を吹き込めば、はっきりとしたよく伸びる音が、ビルの谷間を駆け抜けた。 「さあ、時は来た。我らが指揮者殿の下に馳せ参じよ、死せる勇者達よ!」 瞬間。 彼女の周囲に現われたのは、視界を埋め尽くす『人影』。 エプロンやスーツを身に纏った明らかな一般人の、あるいは物々しく武装したリベリスタやフィクサードの。 ただ一つ共通しているのは、そのどれもが死臭を放ち、糸で吊られたように時に不自然な動きを見せているということである。 加えて、その中にはちらほらと、霊体――むしろ怨霊らしき存在がぼやけた姿を見せていた。もし、三ッ池公園や大阪OBPで楽団と戦ったリベリスタがここに居たならば、それがかつて三ッ池公園で散ったフィクサードの成れの果てだと気づいたかもしれない。 その数、総数でおおよそ五百。ケイオスや他の幹部には劣る数ではあったが、彼女は――いや、『彼』はその戦闘力に絶対の自信を持っていた。 モーゼス・“インスティゲーター”・マカライネン。 もはや擬態を隠そうとしない彼がショートマントをばさりと翻せば、ポニーテールの快活そうな女の姿は掻き消えて、燕尾服に身を包んだ壮年の男が現われる。 「存外に指揮者殿も梃子摺っている様子。しかし、それも時間の問題だろう。組曲の結末は変わるまい」 傍らには二人の少女。白い肌と黒いドレスの少女人形。 「だが、波間に漂う箱舟を沈め、ジャック・ザ・リッパーを手中に収めるのは、誰でもない、この私だ!」 ボブカットとロングヘアー、その姿は先の戦いと変わりがない。先と違うのは、ロングヘアーの少女の方が少し背が高くなったこと。黒い瞳に僅かに藍の輝きが混じっていること。その手にはピッコロではなく日本刀が握られていること。 そして、その美しい髪に、淡い桃色の桜が季節外れの花を咲かせていること――。 「シアー君、パレット君、陽動ご苦労! さあ、私の愛すべき不死者達よ――木管の演奏を始めようではないか!」 三高平市攻防戦、『混沌組曲・急』の最終局面。 扇動者(Instigator)の号令の下、死者の群は進軍を開始する。 美しき少女人形を、その先頭に押し立てて。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:HARD | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年03月16日(土)23:18 |
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●センタービル前/1 ごくり、と。 誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。 街を埋め尽くす爆音と悲鳴と呻き声。そして、断続的に続く木管の音色。その中にあって、あるリベリスタが喉を鳴らした、ただそれだけの音が、奇妙なほどクリアな響きで彼らの耳に届いていた。 いや。 それは余りにも当然のことなのだ。 過敏に張り詰めた緊張。恐怖と裏腹の使命感。 三高平市、三高平センタービル。極東に漕ぎ出した箱舟、アークが本拠地。 この聖域に等しい場所が敵の直接攻撃を受けるなど、未だかつて彼らが経験したことはなかったのだから――。 「な、何だよ、あの音色は!」 おそらくは本部詰めの職員だろうか。そのうろたえぶりを見れば、彼が荒事の経験に乏しいことくらいは誰にでも判る。 そして、そんな人材でさえ総動員しなければならない、ここは絶対死守の最終防衛線なのだということも。 「! き、来たぞ!」 裏返った声で叫ぶ若いリベリスタ。指差す先に向けられた視線が捉えたのは、三高平駅の方角から歩いてくる、人影の『群』。 ぞわり。 ぞわり、と。 リベリスタ達が雑談交じりに三高平の不落の防御を讃えるとき、その脳裏に思い描くのは、例えばジャック・ザ・リッパーのような戦士に率いられた強力なフィクサードの軍隊であり、あるいは記録映像で観た世界樹エクスィスのような、怪獣じみたアザーバイドだ。 だが現実に、初めてアークが侵攻を許した敵は『死体の群』。それは『死』そのもののイメージとなって、汚泥が堆積し浸潤していくかのように、駅前広場と彼らの心とを埋め尽くしていく。 じわり、じわりと迫る死の壁。即席のバリケードに身を隠し、声を押し殺すリベリスタ。その恐怖が限界に達しようとする、まさにその時。 「――恐れるな」 低い、しかし有無を言わさぬ迫力を纏った声が、周囲を圧した。びり、と感じるほどの闘気。一歩を踏み出したのは、無骨なるメイスと盾とを両手に構えた男、義弘だ。 「ここまでは許した。だが、ここから先に進みたければ、それなりの通行料を払っていってもらう」 ――お前達に課せられた呪縛、まとめて置いていってもらおうか。 右手の槌を、ぐ、と死体の群に向ける。それは死してなお操られる者達への追悼であり、はるか向こうに潜む敵将への怒りであり、そして、仲間を――気をつけてね、と囁いた女を護るという覚悟であった。 「俺は盾だ。俺達は、アークの盾だ」 歩みを止めず、指呼の間に距離を詰める死者達。慌しく迎え撃たんとするリベリスタ。 そして。 「ただ奴等の眼前へ、突き進め!」 義弘の咆哮を合図に、両軍が激突する。たちまち鳴り響く、鉄と炎と怒号と悲鳴の戦場音楽。だが、騒音と戦意とが殺到する彼らの耳朶を、再び一つの音が洗い流す。 清らかな旋律に隠れて届いたのは、柔らかな声に強き意志を湛えた誓い。 数多の地より 集いし剣よ 束ねて掲げ 誓うは一つ 我等この地の守護者なり―― 「そうね、あたしは守護者。だから、負けられない」 琥珀とサファイアとをサーチライトに輝かせ、祥子は前を向く。そっと呟いた誓詞が、癒しの歌声以上にリベリスタ達を奮い立たせていたことに、彼女は気づいていなかったけれど。 蜂蜜色の瞳が映すのは、精悍なる戦士の背中。 「――気をつけてね、ひろくん」 そう、繰り返す。 「あらあら、こんな中心部まで攻められちゃってまぁ……」 街を歩けば注目を集めるに違いないスタイルと美貌をバリケードの中に押し込めて、静瑠は愛銃のスコープを覗き込む。大きく映し出された死者の群、リベリスタの制服も混じるそれはグロテスク以上に悪趣味で。 「アークが落ちたらお仕事なくなっちゃうからねぇ」 偽悪的に呟いてみせる。それは本心の何分の一か。時村に一応の恩義を感じている静瑠は、彼女の居場所を護るべく引鉄を引く。 「それに、お友達を助けに行くんでしょ? 手伝ってあげるから、ちゃんとお迎えしてあげるのよ」 迸る光弾の雨。もちろん、その一撃で沈めるには、革醒者の死体はタフに過ぎた。はらわたを零しながら、あるいは皮一枚で腕をぶら下げながら、ふらふらと近づいてくる群。けれど、射手は彼女一人ではない。 「タフな相手だな。肉体の限界まで使えると、こうも違うか」 黒ずくめの装束に奇妙なる仮面。何もかも失ったザインは、だがそれ故に護る者、守護者となった。そして、その出自故に、彼は死者への冒涜を許さない。 「通さんぞ、死人ども。 そして……お前達をそんな姿に貶めた奴は、私達が倒す」 異形の騎士は鋭い爪を掲げ、高らかに宣する。届かないと知っていた。それでも、口にせずには居られなかったのだ。じわり溢れ出る、暗黒の瘴気。 「安心して眠れ!」 漆黒の奔流が死者達を飲み込み、押し流す。次々と加えられる迎撃。その勢いを決定的なものにすべく、バリケードの狭間から幾人もの前衛が出撃し、死体どもと剣を交え始めた。 「殺されようと砕かれようと――俺はヤツらを認めない」 先陣を切って斬り込んだのは、赤い髪を靡かせたカルラ。魔力を帯びて強化された手甲で不死者の顎を砕き、退く隙を与えずにボディへともう一撃を叩き込む。 「……上手いこと立ち回って、生き残ってやらねーとな」 もとより高速機動を旨とする軽戦士の彼ではあったが、ここまでの動きはそう成し得るものではない。全身を心地よく締め付ける大御堂重工の技術の結晶が、囮役を務める彼の能力を後押しする。 「前に出ることが、即無謀な突撃じゃねーんだぜ」 「やるじゃないか、君」 その後ろから降り注いだカーボンの矢が、カルラに群がらんとする死者へと降り注ぐ。後方には巨大なボウガンを構えた少女の姿――真。だが、その声色は僅かに少年のトーンを残していた。 「死なないように気をつけよう。六花も依子君も、判ったね?」 「ひっ、……っ!」 魔導書を抱きしめた依子が、真の傍らで肩を震わせる。責め苛む恐怖とプレッシャーが、涙目で前方を凝視する彼女の目の隈を、普段よりも濃く染めていた。 「心配すんな、よりよりー。アタイに任せろ!」 ふん、と胸(があるべき部分)を張るのは、その依子よりも更に小柄な、あるいは幼い少女。その名は六花、勝気な意思を満面に湛えた真の妹は、ゾンビはこえーけどがんばるのだー、と気勢を上げる。 「ためてためてためてー、ぶっとべゾンビー!」 瞬間。 掲げた右手に描かれたオリジナルのタトゥー。出鱈目なデザインに気合で神秘を引き寄せた魔術刻印から、四方に稲光が迸る。巻き上がる突風。めくれたスカートから覗いたのはいわゆる一つのしまパンだった。 「……本当に変わらない子。また一緒とか、何か縁でも繋がってるのかしらねぇ」 派手な雷撃とその十倍ほど高いテンションを前に、小首を傾げる真名。艶やかな黒髪と抜けるような白い肌は戦場に似合わぬ美しさで――けれど、どこか歪んだ赤い瞳がその印象を捻じ曲げる。 「まあ、いいわ。他の連中を巻き込んだのは正解」 四人小隊のうち前衛は自分一人。孤立すれば波に呑み込まれる運命であることは明らかなだったから、期せずしての共闘は実のところ必須条件だったのだ。 「そうよ、来なさい?」 けだるげに告げ、ふふ、と笑う。その時、背後から死体を飲み込むように殺到する光の奔流。振り向くまでも無い。きっと背後では、依子が顔色を青褪めさせたり紅潮させたりしながら、印を結び神気を放出しているのだろう。 「これ以上、死んだりしたら、駄目なんだから」 その声を背に聞きながら、真名は一息に『敵』への距離を詰める。躊躇いなく突き入れた、手の甲を覆う爪。嵌め込まれた紅玉が妖しく輝けば、彼女の身体へと流れ込む神秘の脈動。 「……無様ね」 同じ色をした彼女の瞳は、しかしもう、歪な光を宿してはいなかった。 ●センタービル前/2 「焦らず、慌てず、突出しない。死にたくないなら守って下さいねー?」 バリケードの内側で台の上に立ち、守備に就くリベリスタ達に指示を飛ばす桜。赤いリボンに結わえられた腰までのツインテールが、ぴょこんと跳ねて踊る。 自己判断で動けるエース、あるいは連携の取れた小隊と違い、センタービルや近隣の建物から集まってきた面々は経験も所属もてんでばらばら。指揮を執るとまでは行かずとも、チーム別に編成するだけでその戦力は大きく上がるのだ。 「桜ちゃん達の役割は防衛です。粘り強く戦いましょう!」 スリットが大きく入ったドレスの裾から覗く太股には、何本かの投げナイフとピンクのケータイ。それが眩しくて、冬彦はそっと目を逸らす。 「無理すんじゃねぇぞ。これ以上誰にも死んでほしくない。それがオレの知らない奴でも、だ」 だが彼の思考を埋めるのは、次々と雪崩込んでくる戦場のデータ。見掛けに寄らぬ戦闘官僚は、編成に手一杯の桜を助けるべく、経験の浅い守備隊達に攻撃に守備にと動作を共有していく。 「こんなめちゃくちゃやってくれてさ、死ねるかよ……死なせるかよ!」 「はい、その通りです!」 応えたのはシェラ。避けられない被害を少しでも軽減すべく、倒れたリベリスタを回収する彼女は、厳しい中でも明るい声を忘れない。 「みんな、頑張ってアークを守りきりましょう!」 「そうや、いくで! クライマックスステージ、開幕ってなぁ!」 ギターを掻き鳴らす珠緒。普段の緩い雰囲気はどこかに消え果てて、気合の入ったシャウトが溢れる。 音楽と命のやり取りと、それは真剣になるべきもの二つ。声も枯れよと歌う力強いメロディが戦場を駆け抜け、上位存在すら動かして戦士達に癒しの息吹を齎した。 「バスケ部の先生も言ってた! 諦めたら試合終了やって! うちの歌、一人でも多くに届かせたる!」 この戦いにおいて、珠緒の言葉は一面の真理を衝いていた。押し寄せる死者、一体一体はそこまで強烈な相手ではない。だが、倒しても倒しても無限に沸いてくる、原価ゼロの兵士――終わりの見えぬ戦いは、身体以上に心を穿つのだ。 「もう喉が潰れてもええわ! 気持ちでは絶対負けへんで!」 「ここで頑張ればボーナスが出るぜ! 気張れよ!」 だが、リベリスタ達の戦意は高まるばかり。珠緒のコールに美峰が破魔矢を掲げ唱和するように、彼女らは実戦慣れしていないリベリスタ達の士気を高揚させるべく務めていた。 ――心が折れれば、戦いは負ける。その事実をよく知るが故に。 「さ、私もほどほどに頑張るとしようかね。稼ぎ時だし」 金の為に戦うと公言する美峰の言動は、逆に士気を落としかねないものではあったが――周囲の者は彼女が戦う理由を知っていた。そして知られていると知ってか否か、美峰は渾身の力を振り絞り、影人形を生み出していくのだ。 「ちくしょう……情けねえ。しばらく戦場から離れてたツケだな」 手にしたスタッフに寄りかかるようにして、荒い息を吐く真理亜。涼やかなる風を喚ぶ詠唱を続けることは、決して彼には楽なことではなかった。今しばらくは続けられるだろう。だが、その先は。 「これからはもうちょい真面目に働くとすっかな……っと、そんなことは後回しだ」 けれど、彼は躊躇わない。癒し手が大量に配備され、その全力を振り絞っているからこそ、未だ脱落者を出さずに済んでいるのだから。 「最後の最後まで歌い続けてやる。オラ、お前ら! 一人も死ぬんじゃねえぞ!」 だが。 彼らの健気が動揺に変わるのに、そう時間はかからなかった。 「あれは……!」 歴戦の剣士である孝平が、『それ』を目にして絶句した。 「……っ!」 戦いの中にあってすら茫洋として感情を出さないエリスが、大きく目を見開いて息を呑んだ。 そう、『それ』は、楽団と戦うのならば当然予想されたこと。死者の壁のはるか向こう、まるで指揮官のようにその姿を見せたのは。 「……大和……!」 ぎり、と歯軋りをする優希。彼らが見たのは、モーゼスによって操られかつての仲間を襲いアークを陥とさんとする、三輪 大和――その死体だった。 「抑えろ、優希」 だが、一直線に飛び出しそうになった彼の肩を霧也が掴む。無策に敵の只中に飛び込んだとて、戦果を挙げられるわけがないのだから。 「敵の正体が判った。モーゼス・マカライネンだ! 敵の流れから見て、奴は三高平駅の中にいる!」 柄ではない、と感じながらも霧也は声を張り上げる。このまま耐え凌ぐだけではいつか押し込まれてしまう、ということは、彼にも良く判っていた。 「二手に分かれよう。ここで敵を食い止め、俺達の仲間を取り戻す組と、敵の群れを掻き分けてモーゼスの首を狙う組だ!」 応、とリベリスタ達の鬨の声。桜たち後方支援の編成を待つまでもなく、彼らは自然と二つに分かれていた。一歩後ろに下がり突撃態勢を整えるのは、モーゼスへと突き進む決死隊と、それを途中まで護衛する者達。 「仲間の遺骸が敵に利用されるなんて、流石に冷静で居られないですね」 特にそれが自分の見知った人であるのなら――。この場に留まることを選んだ孝平が、蛮刀をぶん、と素振りする。争いを好まぬ優しい気性の彼も、今は堅い決意にその身を委ねていた。 「力無き僕の手が届くかどうか判りませんが……!」 全身のギアを限界まで開放し、踏み出した右足を蹴って低い姿勢のままに跳ぶ。一閃。まともに胴を薙いだ斬撃は手ごたえ十分だったが、不死の兵士達は簡単には沈むまい。二の太刀、三の太刀。流れるような連撃を繰り出す孝平。 「タフやねぇ、ほんと」 声がした。孝平が意識を向けるより早く、滑り込んできたオレンジの髪が死体の背後から短刀を振り抜き、その首を一刀の下に落とす。 「あんた達の呪いは確かに凄まじいけど、呪い遣いはこっちにもおるってこと、忘れんで欲しいっちゃんね」 小娘のようで奇妙に年齢を感じさせない鈴が、守り刀を振って汚れを落とす。工具の指が握るそれを取り巻くものは二つ、漆黒の瘴気と清冽なる刀気。 「あたしが解き放ってあげる。あんたの命を蝕む、蜂の毒をね」 そうして、また気配を断ち一撃を狙わんとする彼女を、いずこからか飛来した火球が襲う。鈴だけではない。孝平を、そして動く死体すら巻き込んで、紅蓮の柱は渦を捲き聳え立った。 「エリスが……回復するよ。……ただ……皆が……立ち続けていられるように」 だが、焼け爛れた肌はすぐに冷えた風に優しく撫でられ、その傷を癒していく。その息吹を齎したエリスは、凛とした意思をその全身に満たしていた。アンテナのような前髪が、普段以上にぴんと跳ねている。 「もう二度と……仲間が……死んだ後に……操られることが……ないように」 それは悔しさ。それは怒り。リベリスタ達の戦意は、なによりもその点で衰えることはなかったのだ。 激戦。それでも、モーゼスの操る不死者は守備に就くリベリスタよりもはるかに多く、センタービル入口に押し寄せる波は途切れることがない。 「はじめましてこんばんは、私罪姫さん」 バリケードに取り付いた死体。凄まじい膂力で手をかけ引き倒そうとするそれに、虚ろな声がかけられる。和布のドレスに身を包んだ、人形のように美しい少女。けれど、その印象は奇妙に『からっぽ』で――。 「死体は嫌いなの、愛が無いのよ? だから……」 ぎゅん、と振るわれた得物が、バリケードの木材ごと死体の手を粉砕する。皆壊れて下さいな、と微かに微笑んだ罪姫。回り続ける二本のチェーンソーが、がちがちと歯を鳴らす。 「私が殺(アイ)した全ての為に、死んだ人に殺されてはあげない。絶対に」 「あ、あうあうあうあう、ゾンビも怖いけどこの人も怖いですよー!」 その始終を目撃した線の細い少年――真人は震えを隠せない。何せ弱気・泣き虫・怖がりと三拍子揃っているのである。 けれど、少年はもう、怖がって震えているだけの存在ではない。 「や、やっぱり、怖いです。けど、それで何かを守れるなら……」 全身を巡るマナを汲み上げ、祈りに乗せて解き放つ。柔らかなる祝福は彼の周囲に降り注ぎ、積み重なった傷の痛みを消し去った。 「怖いのは私も同じよ。けれど、三高平の……アークの危機に、ほんの少しでも役に立てるのであれば、この手に十字を取らない理由は無いわ」 同じく戦傷者の支援に当たる水奈は、年齢の分だけ平静を保っていた。もちろん、三ッ池公園の赤き夜以来いかに経験を積んで来たと言っても、ごく平凡な家庭に育った彼女にとって、この状況はやはり大いなる重圧を与えていたのだが。 「そこの人達、いったん下がって体制を整えて!」 彼女は戦いから目を逸らさず、成すべき役割を果たすのだ。 「なら、そこは私が埋めるわよ。構わないかしら?」 返事も聞く前にリベリスタ達のサポートに入ったのはラケシア。水奈とは逆に、父親の背を見続け使命感を膨らませて育った彼女は、この極東の地での大舞台に胸を滾らせていた。 「足手まといにはならないように頑張りましょうか。自分達の運命くらい、自分で切り開いてみせるわ」 ウェーブのかかった豪奢な髪にローズのコサージュ。そして、爛と強気に輝く瞳。磨いた防御の技を瞬時に共有する彼女は、戦いの女神もかくやとその姿を見せ付ける。 「私は別に、死者とかそんなのはどうでもいいんですけどね。……しかしまあ」 メイド服姿のベルベットは、小型のキャノンに飽きたかのように開いた手をかざす。たちまち前方に乱れ飛ぶのは、幾本もの細い細い気の糸。 「アークそのものが危険に曝されているのなら、話は別です」 痛みを知らず、迷いを知らず、動きを妨げられることもない。感傷に浸るつもりもないと言い切った人間兵器は大御堂の技術の助けを借りて、縦横に戦場を切り裂く気糸で使者の群れを穿ち抜く。 「死という華が最期に咲くからこそ、殺愛は素敵だというのに」 腕を飛ばされ腹を爆ぜさせても迫る死者達。あまり綺麗なものでは無いわね、と溜息をついた刻の矢が――いや、ボウガンを触媒に放たれた瘴気が、乱れ飛ぶ糸を潜り抜けてモーゼスの兵士達へと突き刺さる。 過去なんてものに意味はない、と言い捨てたのはベルベットと同じ。ただ、刻は彼女とは違い、醜悪な中に残った美しいものを求めて戦うのだ。 「さあ、貴方が生きた最期の証を私に魅せて?」 露出の高い衣装に身を包み、ふふ、と笑んで見せる刻。彼女らの奮闘は、押し寄せる波を押し返さんとさえしていた。そして。 「――今です、突破の準備を!」 ベアトリクスが叫ぶ。それはさながらモーセが海を割るように。後衛火力の集中砲火が、駅舎方面の『死の壁』に穴を開けていた。そう、それは、楔を打ち込むに絶好の亀裂で。 「私に出来る事は少ない。それでも、この場所を守る一人になることは出来ます!」 男装の戦装束も凛として、ベアトリクスは二本の槍を供に飛び込んだ。告死の呪いを帯びた穂先が、すかさず穴を埋めようと向かってきた死体を串刺しに貫く。 「私も、ハルトマンの人間です!」 彼女が稼いだ二十秒。それだけの時間維持された亀裂が、戦局を大きく変えていた。 ●Memory ~ 2月3日の節分に/EX 「一人で撒くより、誰かと撒くほうが楽しいものだな」 笑顔で大和にそう返して。 「鬼を打ち払い、邪気を寄せ付けぬよう。三輪がこの一年、無病息災であるように」 優希が大和に豆をまき、大和も優希に豆を向ける。 一投一投に込める大和の想いは、ただ一つだけ。 (目の前で微笑む優しい人が、今年一年も無病息災、大禍なく過ごせますように) ●駅前広場/1 センタービルのバリケードから駅舎まで、直線距離にして二百メートルも満たない。だが、死者と怨霊とに満ち溢れたそこは、いまやリベリスタ達には千里よりも遠い距離となっていた。 「覚悟は決まった。義桜葛葉──推して参る!」 対モーゼス突入部隊を包むように布陣した突破部隊。その先頭を走る葛葉が、ぐん、と加速する。戦場を切り裂く白と青。 「死者は居るべき場所へ帰るが良い──邪魔をするならば、容赦はせん!」 望まずして殺され、あるいは安息の眠りを妨げられ、操られる者達。彼らを解放するには、完膚なきまでに倒すか、使役者モーゼスを叩くかの二つに一つなのだ。ぶん、と叩き付けられた両の手甲が、ふらふらと歩く骸を微塵に還す。 「倒れるまで叩き伏せるまで……! 護堂殿、打ち漏らしの対処は頼む!」 「義桜さん! 心得ました!」 前を征く精悍な背にかけられる陽斗の声。物腰穏やかなこの青年は、決して荒事に向いているとは言い難い性格をしていたが――リベリスタの一人として、戦う決意を固めていた。 曰く、『攻撃は最大の防御』だと。 「決して外しはしない。僕の使命は、この銃で皆を守ることなのだから!」 封印を解いた二丁の魔銃。つるべ撃ちに放った光弾は流星の尾を引いて、葛葉の周囲に降り注いだ。 「あらん可愛いコ達。三高平のダブルステイシーが援護するわぁん」 「片っ端から叩きますよ。肉盾です!」 ステイシーとステイシィ、二人の過激な女達がそれに続く。再殺し放題とは大盤振る舞いじゃねいですか、と嘯くステイシィが、小手と一体化したチェーンソーを唸らせる。 「今日は死ぬには良い日ですよ、死ねない皆さん! さあ、ステイシィさんと殺し愛ましょう!」 「女装コスプレジジイとかジャックもドン引きよぉん。滅びよ、乙女の敵ぃっ!」 二人が休まず撃ち続けるのは、意外にもイメージにそぐわない十字の光、悪しきものの精神を灼かずにはおかない正義の鉄槌だ。彼女らが一つまた一つと敵を射抜くたび、苛烈な攻撃が二人を襲う。 「欠けも欠けさせもしない自分達でぇ、どんと受け止めるわぁん!」 だが、ステイシーの言葉通り、その悉くを彼女らは耐え抜いた。不沈艦に例えられる二人が、突破部隊の正面に堅固なる盾を構える。 「――灰になれ。肉の一片も残らず燃え尽きろ!」 そんな二人の鼻先を掠めるように、飛来した火球が大きく爆ぜて火柱を打ち立てる。チェックのスカートを爆風に翻し、薄い胸を張るのはなずなだ。 「ちょっとぉん、おっきなお胸に嫉妬するのは見苦しいわよぉん?」 「誰がするか! しないぞ! そんなには……」 ステイシーの茶々にひとしきり吼えてから、なずなはふと真顔に戻る。火柱の中でなお蠢く死体に眉を潜め、死体を傷付ける趣味は無いが、と呟き、すう、と息を吸って。 「だが、人の死を弄ぶような連中などに負けていられるか! 空気すら赤く染め上げて動くもの全てを灰にしてやる!」 戦場に響き渡る大音声で呼ばわった。その啖呵にくすっと笑い、黒翼のフランシスカは翼を広げ、低く宙に舞う。 「いいね、やるじゃん――おーい、あんにゃろの首取りは任せた!」 手には巨大すぎる黒き鉈。かつてあるバイデンが愛用していたそれを、今彼女は渾身の力で持って使いこなさんとしている。 「んでもって。ここの死体達は再び地に還してやる! 死者は死者の地に還れ!」 ぶん、と振り抜けば、放たれた瘴気だけでも幾人の死者が吹き飛ばされる。なるほど、数の暴力とはいうものの、個体の力はバリケードに殺到する先鋒とは比べ物にならぬらしい。 「わたしは風車、黒き風車。その風をもって力の標とならん――!」 「こんな大軍……ホントになんとかなるんスか?」 たかが二百メートル、されど二百メートル。満ち満ちるアンデッドを前に、ビルと駅舎とを隔てる距離が果て居なく遠くに感じられて、鳴未は恐怖交じりの疑問符を吐く。 「……いや、分かってるッス。何とかしなきゃいけないんスよね」 だが、周囲の者達が何かを言うよりも早く、彼はオリーブグレーの髪をがりがりと掻いて続けた。ビビッてられるか、と口の中だけで言い聞かせ、印を描きマナを汲み上げる。 「光あれ! 穢れし命を焼き清め給え!」 カッ、と視界を白い光が染めた。それは望んだ『敵』を祓う神気の灼光。そこに、焔渦巻くエネルギー弾が着弾し、炎風を重ねる。 「打撃戦の方が好みなんだけど……まあ、いいわ」 選り好みしてる余裕なんてないしね、とさざみは肩を竦めた。編まれたモスグリーンの美しい髪が腰の高さに踊り、色彩を合わせた衣装と共に橙に染まる。 「色々思う所のある人も多いみたいだし、ま、頑張んなさい」 積層型多重魔方陣を周囲に展開しながら、一人ごちるさざみ。道は拓いてあげるから――冷たく突き放したようにも聞こえるその言葉が、どれほど皆の背中を押したのか、彼女自身は知らないけれど。 「死者の冒涜、か……。やれやれ、こんなのさ」 細い糸目を更に細く眇めながら、蓮はぐ、と六角の金剛杖を握り締めた。見逃せる訳無いじゃない、一度は仏門に在った者が。そう呟いて、彼はぐるり棍を回転させる。 「そう。そんな糸に釣られっ放しなのは、きっと辛いでしょうから」 そんな彼の背後には、輝かんばかりの銀糸の髪。瀟洒な衣装と、それに似合わぬ二連装の殲滅砲。『殲滅砲台』という物騒な渾名を奉られた少女クリスティーナは、深く集中し精緻に組み立てた術式に最後のワードを加える。 「貴方達は、所詮人形に過ぎないのに」 構えた得物。砲口から吐き出された業火が、死人の群の只中に打ち込まれ、爆ぜる。 「私は世界の敵を灼き尽くす者。――この炎からは、逃げられない」 「……っ、相変わらず派手な火葬だね」 彼女に群がる敵兵――エプロンの主婦や作務衣の隠居――を杖で殴りつけ、一瞬のうちに氷漬けにする蓮。一度ぶちかませば格好の的になるのは予想済み。それでも、炎の威力を目の前で見たならば、彼が守りに就く意味は十分だった。 「救世を説くほど恥知らずではないけれどね」 小さく経を詠む。この乱戦の中でも。それくらいは許されると信じて。 「死体だらけの戦場なんて、リアルじゃほんと気持ち悪いな」 戦場を俯瞰しようと務めた琥珀だからこそ、ホラー映画の十倍グロテスクなこの状況にはいい加減辟易としていた。視線の向こうで車が動く死者を跳ね飛ばしているのはある意味痛快ではあるが、しかし『顔が見える敵』であるがために、その後味は良くはない。 「とっととお帰り願うとするぜ、三高平市クリーン計画!」 魔道書から飛び出したのは、魔力で出来た小さなカード。宙をふわりと舞ってぼんやりとした怨霊に貼り付けば、溶けた魔力が神秘の力によって護られた結界を散らした。 「ブッヒヒィ! あっしの見込んだ通り、いいケツしてやがるぜ……っとぉ!」 大型4WDを駆り突進とドリフトを繰り返し、アンデッドの真っ只中で暴れ回るオーク。バックミラーにはホットパンツに包まれたプルリアの肢体。口笛一つ、彼は思い切りハンドルをきって車体を滑らせる。 「しっかり捕まってろよおめーら……落ちても男は助けてやらねーからなぁ!」 「うわっ、ブタジマさーん! 助けて! 落とさないでー! 金は払……えないけど待ってー!」 無茶を言う豚に涙目になりながら、振り落とされまいと必死に掴まる翔護。それでも役目を果たすべく、彼は健気に会い自由を伸ばす。小学生の机のように彫られた名前が如何に滑稽であっても、必死に握る銃把は彼の相棒に違いなかった。 「キャ、キャッシュからの、パニッシュ☆」 決めポーズは忘れずに。散弾のように放たれた銃弾が、一般人死体に混じって現われたバトルジャケット姿――おそらくはリベリスタの成れの果て――へと降り注ぐ。重装甲を誇るそれは、もちろん銃弾の一発や二発では消し去るには及ばないが――。 「いやはや楽しいね! ほーら、ぼさっとしてると頭が飛ぶぜぇ!」 その頭部を、車の荷台から放たれた一条の光の軌跡が貫く。しなやかな肢体と傷だらけの肌を大胆に露にしたルヴィアが、得物を片手にニヤリと唇を歪めていた。 「あっはっはっは! 随分とまぁ大所帯の多いこと。さあオレと遊ぼうぜご一行様!」 オークのハンドル捌きは乱暴ぎりぎりの大胆さ。落ち着いて一つのターゲットを追い続けられるほどおとなしくはなかったから、白狼の尾の傭兵は、猟犬の耳と目と直感で次なる得物を探す。 「面舵いっぱい! あっちの方が敵が多いのだ」 「うるせぇ馬鹿! 男は載せねぇつってンだろ! とっとと落ちて囮になりな!」 船頭よろしく運転席の『上』に陣取った陸駆が機嫌よく指示を下す。口では罵詈雑言の限りを尽くす豚も、なんだかんだと言いながら従うあたり子供には甘い。 「天才の拓く道こそが王道、覇道だ。それ、りっくんれいざー!」 それでも振るう凶器は馬鹿に出来るものではない。陸駆が指差した先、戦場の一角に突如無数の不可視の刃が現われ、死の壁を突き崩す。 「そのまま真っ直ぐ進むのだ!」 「ケヒッ!? 旦那、柄にもないっすよ!」 いくらオレ達のホームがやべぇからって、と零すコボルト。助手席から身を乗り出して周囲を見回す彼は、げっ、と唸って頭を引っ込め、ハンドルを握るオークに縋り付いた。 「旦那、その道はヤバイっス! あっちならまだ薄い……!」 「ブヒヒィ、ここで株を上げて牝の一匹でも引っかけりゃいいンだよ!」 意に介さず敵群に突っ込む運転手に頭を抱えたコボルトは、しかし何かを吹っ切ったように犬歯を剥き出して笑ってみせる。 「ああもう! 仕方ねえなぁ……。オレだって好きっすよ、この街は!」 「ギャ、ギャー(そんなことより新鮮な耳欲しいですし。この際コボルトさんでもいいですし)」 そんなハードボイルドな会話をしている傍らでは、リザードマンが車体の側面にぺたりと貼り付いてチェーンソーを振り回し、近づくゾンビを肉塊に変えていく。その様はトカゲというよりむしろヤモリの名がふさわしくあったのだが。 「ギャギャー!(キャッホー、楽しくなって来ましたしぃ!)」 ギャーギャー鳴いているだけなのに、何故かびんびん伝わるのはお約束である。一方荷台からは、プルリアが放送禁止限界の台詞をここぞとばかりに叫んでいた。 「Yes! Oh Yes! まるでゾンビ映画ね! Oh Yeah!! コスプレビッチはスパンキングよ! オークと一緒なんてまるでエロ同人みたい! オーイェスカモン! Foooh! そのままイッちゃって! YEAAAAAAAH! イケてるわね、オーク! 痺れちゃう! オゥイェェエス! メガネボーイもナイス指揮よ! 小さいのにCOOLでオネーサン、ビリビリ来たわ! イェスイェス! カモォン……! ワタシのライフルで、スゴォイのブチ込んでア・ゲ・ル☆」 以上ノーカットでお送りしました。 「………………思わぬいい足が見つかったわー。よーっし、お姉ちゃん行っちゃうよー!」 怒涛の如く垂れ流されるアメリカンなアレやソレに頭を抱えながらも、気を取り直したメリュジーヌはライフルの引鉄に指をかける。パン、とサイレンサーを通した軽い音。旋条の回転が加わった銃弾が、狙い過たず学生服の少年の胸に大穴を明けた。 「んふふ、これだけ頼もしい豚車は人類史上初ね。お姉ちゃんもやれることするよ。強くはないけどさ」 ――皆で出来れば、このヤな夜も明けるって。 「さー、豚さんアクセル踏んじゃって! おーもいっきり、こじ開けちゃえー!」 「ブヒヒ……エロスにスリルにバイオレンス、イカしてるぜぇ!」 密集する死体の壁に突っ込み、跳ね飛ばしながらのUターンドリフト。タイミングを合わせて荷台から射掛けた銃弾と光線が、大半が一般人とはいえ、殆ど一瞬で群を蒸発させる。 「……生きて帰ってくるンだぜ、お前ら」 ポツリ呟いたオークの視線の先。突破部隊が開いた駅舎への道を、無傷の決死隊、モーゼス・マカライネンを討つ為の刃が駆け抜けていた。 ●三高平駅/1 「ぶっ潰したっから突っ込むぞォッラァ!」 死の壁、腐敗の大河を突破した突入部隊、その数二十九人。広場に接続する両脇のスロープを無視して最短距離の階段を駆け上がる彼ら。 その先頭を征くのは、両の拳に縛炎を纏いし青年――火車である。 「燻ってる奴等が居るって? んじゃ拓いてやらぁ!」 左手には『鬼』、そして右拳には『暴』の――いや、『爆』の一字。轟、と燃え盛る拳を振り抜けば、全てを灼く業火が彼の前方を嘗め尽くした。 「連中を焚き付ける、火の道をなぁ!」 「モーゼスを倒す為に、道を切り開く!」 無数の悪意が滅びよとばかりに押し寄せる。戦友と肩を並べ迎え撃つのは、紅蓮の拳を振るう悠里。第二の熱波が、駅舎にひしめく怨霊を呑み込んだ。 「散っていった皆が守ってくれた僕達がここにいる! 未来に繋いでいく想いだけは、絶対に穢させない!」 左手に『勇気』を、右手に『仲間』を、そして胸には発条時計の暖かさを。敵将モーゼスまでの露払い、そう心を決めた彼の前には、さしもの三ッ池公園の怨霊も一歩を退いた。 「ビフレスト(虹の橋)を渡るよ! 皆、勝とう!」 「勝とう? 違ぇぞ悠里」 にぃ、と笑む火車。ああ、こういうのも悪かねぇ。 「こう言うんだ――勝つ!」 「生を、そして死を冒涜し、奪う――この様な行いをどうして赦せましょうか」 先を征く二人の背を追うカルナの表情は、今日に限っては普段のたおやかな微笑を忘れ、より深く険しさを刻んでいた。 死と敵意とが満ちる煉獄。十字の杖を握る手が、ほんの少し、震えて。 「この場を、そして私達の大切な仲間をこれ以上奪わせたりは致しません」 それでも、彼女は凛とした姿勢を崩さない。祈りに答えて吹き込んだ涼風が、早速怨霊から加えられた苛烈な攻撃の傷を洗い流す。 「皆様を、そして悠里を必ず護り抜いてみせましょう……! ふと指先で撫でたのは、小さく翠玉が光るリング。無意識に触れた感触に安堵するかのように、カルナは小さく頷いた。 「はい、なんとしてもここで食い止めましょう、カルナさん」 そんな彼女に迫る敵の手。ぼう、とヒトガタを取った霊体がカルナへと伸ばす光の剣を、割って入った要の盾が受け止める。 「ここが抜かれてしまえば、大きな被害が出てしまうのですから」 アークに、この国に、ひいては世界にまで。それは必ず防がなければならない、実現させてはならない未来。今度こそ護ってみせます――そう決意する黒衣の少女が振るう剣が、次なる攻め手を縫い止めた。 そして、『護る者』がもう一人。 「死者を蘇らせる、こいつは俺の天敵とも言える存在だ」 大盾で亡霊の放った光の矢をいなすゲルト。青い瞳が激し震えているのは、彼が十字を信仰の中心に抱く信徒だからだ。 「死者の眠りを妨げるその行いは、断じて許す事の出来ない暴挙だ!」 敬虔というには程遠い彼であっても、怒りを呼び覚まさざるを得ない光景が目の前に展開されている。ならばこそ、彼はその身を盾にして、ヴァルハラへと至る道を築くのだ。 「俺がいる限り、ウェスティアには傷一つ付けさせんぞ!」 鋼鉄の砦が護るのは、リベリスタの誇る最高火力の一人。黒き翼を広げたウェスティアは、黒き魔道書を広げ、その表紙に描かれた魔法陣と身に刻んだ刻印とを共鳴させる。 「もうこれ以上大切な人を奪われるのは、ごめんなんだよ」 彼女が体現するは炎と雷。黒き濁流と煉獄の炎とを出し惜しみなく死人の只中に齎したウェスティアが呪文を唱えるたび、宙に溢れ出したルーンの文字が小さく弾けて光の粒に変わる。 「だから、モーゼスさんへの道、こじ開けて見せる!」 次の瞬間。 彼女らの視界に写る全てのものが、純白に染まった。 それは余りにも眩い光。マグネシウムの化学反応にも似た雷竜の暴威が駅舎内コンコースの中央を薙ぎ払い、怨嗟の死霊をプラズマの大鍋に沈めたのだ。 「……! いいですねえ、稲妻で焼き払うのも」 呼応して動いたのは、咄嗟に腕で目を庇っていた黎子。彼ら火葬は嫌いだそうですし、火を熾すのもよさそうですが――そう続けながら怨霊の只中に飛び込んだ彼女は、赤黒二翼の大鎌をぶん、と振り抜いた。 扱いに癖のある異形の得物も、多数の敵に囲まれた今ならば、遮二無二振り回すだけで良い。彼女の行く手を阻むもの全てを、形も残らぬほど微塵に切り刻む。 「自分を傷つける事もなく死を汚す者――そこにいるお前」 彼女の視線の先、何重にも護られた先には、黒衣の少女を従えて聖戦の角笛を吹くマントの男。すなわち、モーゼス・“インスティゲーター”・マカライネンの姿があった。 「お前とは賭けをする価値もありません。不死を騙る者に一度の死では生温い」 胸に燻る熾火が、不運と悪運とを抱く死神を熱に浮かす。ああ、あと少し。僅か百メートルにも満たぬその距離をゼロにするため、苛烈なる抵抗を撥ね退けて彼女らは前へ前へと進むのだ。 「――五十と二回殺します」 地を這うような唸り声と、耳を劈く爆音。そして、軽やかにけれど物悲しく響く、ピッコロの音色。 「……っ! これはまた、また厄介な相手ですね」 それは孤独にして寄る辺無き死者達の為の、凶つ祝福の旋律。その音色に力を増した三ッ池公園の怨霊が放った衝撃波は、万葉の顔面を強打し眼鏡を吹き飛ばした。 「ですが、負けては居られないのですよ……桐君を死なせない為にもね」 死に最も近い同胞を気遣いつつ、杖で強かに殴りつける万葉。どくん、と得物を通して流れ込む生気を自らの血肉に変えながら、彼は背後の気配に向けて声を張り上げた。 「注意をそらしますから音羽君は下がってください、危険です」 「ハッ! 相手の方が多いのに、安全な位置なんてないだろう」 ニヤリと唇を歪めた音羽が何事かを呟けば、周囲に展開した立体魔方陣が俄かに青白い輝きを増した。術手袋の右手を正面に突き出せば、広げた掌から迸る雷撃。 「死者ってのは大人しく寝てるもんだ。無理やり起こして操って働かせるなってんだよ!」 「まったくじゃな。偽りの不死など許さぬ。大人しく滅びるが良い!」 素早く九字の印を切り、四方に陰陽の力宿る札を撒く瑠琵。手にした銃の引鉄を、天に向かって引けば、一瞬にして戦場の空気が『重さ』を増した。 彼女の頭上に顕現する、亀に似た『何か』。 それこそは玄武。それこそは、水を司る四神が一。 「大将首さえ落とせばそれでおしまい。皆の者、進軍せよ!」 竜脈を通り招かれし神の化身が、彼女の求めに応じて水流のブレスを吐き、怨霊どもを押し潰す。 ここまで次々と大技を放ってきた瑠琵は、既に肩で息をするほど消耗していた。彼女を突き動かすのは、仲間の借りを返さねばならぬという思い。或いは、戦って散った宵咲の同族への手向け。そして、何より。 「お主等の演奏は、退屈で退屈で死にそうじゃ」 「……強い敵をあっちに送れば、ミッチーも喜びそうっすね。けど、無茶はするもんじゃないっすよ」 瑠琵の肩に当てられた手。そこからじわりと熱が伝われば、悲鳴を上げる身体と精神が息を吹き返していく。一族の長に力を分け与えた刹姫は、ふう、と一息ついて銀の瞳をヒトガタの群に向けた。 「にしても大所帯っすね。コレが楽団っすか」 バリケード前から広場を突破し、駅舎まで突き進んできた彼女らだからこそ判る。敵は、余りにも多い。情報では、千体規模の集団がここ以外にも複数出現しているというのだから、消耗戦の余地が無いことは自明だった。 「まぁ、あたいはあたいが出来る事に力を尽くすだけっす」 宵咲の一族を主力とした小隊は、駅舎の最奥で神代の角笛を吹くモーゼスへと一直線に突き進んでいた。もちろん、目的は彼の首一つ。その先頭では、真紅の羽織を翻すいりすが、その衣装よりもさらに紅い刃を振るっていた。 「『敵』と呼ぶにはヤり方がつまらんよ。君には興味など何一つ無い」 敵を切り裂き自らをも傷つける魔性の刃。だがそんな代償など気にも留めず、可憐で凶暴な殺人鬼は血煙に舞う。 「ま、鬼ぃぱんの『道』を作ってやらにゃならんからな。小生が君に言う事があるとすれば、ただ一つ。――その笛よこせ」 押し寄せる死霊。それらは一撃で消し飛ばせる外の死体ほどやわではない。全力をもって掻き分けていくような戦い方を続ける彼女らは、例外なく傷ついていた。 「傷つかず勝てる相手ではありませんからね。ですが、気持ちを落ち着けてください!」 そんな彼女らを支える凛子。戦女医の名にふさわしく最前線に身を置く彼女が小さく祈りを囁けば、仲間達の傷がたちどころに癒される。 軍医にして保健医の顔も持つ彼女。凛と立つ白衣。神秘の力を借りることは医術とは呼び難い面もあろうが――。 「ここは生と死の境界線。ならば、希望の光を灯してみせましょう」 同時に敬虔な信仰者である彼女たればこそ、あらゆる力をもってこの命ある限り戦場を支え続ける、その決意は揺るがない。 「バックアップはお任せください。皆さん、ダメージは気にせず進んでくださいですー」 凛子の補助に回っていたアゼルが清浄なる光を放ち、纏わりつく瘴気を祓う。 彼らに刹姫を加えた支援チームの働きは、まさに特筆すべきものだろう。後衛の支援を受けにくい最前線であるに関わらず、彼女ら『危険を顧みないバックアップ』を抱えているからこそ、この集団は激戦の中でまだ一人の脱落者をも出してはいなかった。 そして、刃はついに敵の喉元へと届く。この場で唯一人の楽団員。燕尾服にマントを纏ったコールアングレの奏者へと。 「その汚らしい髭面で、人形遊びどころか女装癖まで持ち合わせていただなんて」 ――大した御趣味ね? “インスティゲーター”。 意外にもその台詞に嘲笑の色は無く、代わりに冷たく凍りつくような怒りがあった。抜けるように白い肌をクラシカルな衣装と黒い日傘に隠した氷璃は、人形のように整った口元で親指の先を噛み千切る。 「人々の命を奪い、死者の魂を誑かす扇動者。貴方達に奪われたものを返して貰うわ」 流れ出る血を媒介に、黒き奔流が溢れ出る。周囲の怨霊ごと呑み込まんと迫る血鎖。だがモーゼスが岩めいた楽器を一吹きすれば、眼前に現われた死体が盾となって濁流を塞き止めた。 「そしてこれ以上、何一つ奪わせはしない」 だが氷璃は動じない。彼女は一人で戦っているのではないのだ。一の矢が防がれたとて、二の矢三の矢が控えている。そう、例えば――。 「『アイツ』と一緒なんて嫌なんだけどさぁ」 鎖に繋がれた赤黒二対の双剣が、戦場を縦横に飛び回る。魔力制御により弾丸の如き動きでそれらを操るのは、宵咲の一族たる灯璃。だが、そのオレンジの炎眼は、どこか戸惑いに似た何かを映していた。 「美散に免じて今回だけは我慢してあげる。……でも、美散の為に戦う訳じゃないよ」 戦いに身を置くからこそ、いつか戦場に散ることもあろう。しかし若すぎる彼の死は、彼女を強く揺さぶった。長い時間を生きたとて、その辛さは変わるまい。 それでも。 「灯璃の前でフィクサードが生きてるんだよ。あなたが死ぬ理由はそれだけで十分」 この身体に宿る半身が、失った名を求めて疼く。アークを守る為でも、一般人を守る為でもなく。復讐の鬼は、自らの心の赴くままにその得物を振るう。 実のところ、真っ先に突っ込んだ彼らは高い攻撃力と容易に斃れない手厚い支援を誇るが故に、後続と切り離されつつあった。 三ッ池公園の怨霊は、比較的少ないと言えども突入部隊の倍を擁し、またそう簡単に倒せる相手でもない。一旦は勢いに負けて道を譲ったそれらが、彼らの後背を断とうと動き出す。 「死者は死者に。一足早く桜には散っていたきますよ」 だが、彼らの攻撃はそれ以上に苛烈だ。凛子すら攻撃に加わるほどの猛攻。そしてついに、刃が肉を食い破る時が来る。 (光さんもりりすさんも、美散さんも先に逝った) 近しい者達を幾度も見送った。散るべきときがあるのだ、と考えたこともあった。そういう意味では、この戦いはふさわしい場なのかもしれない。アークを護る最終防衛ラインの決戦は。 けれど、桐は思うのだ。生きて、そしてモーゼスを倒す、と。 「皆が私を護るという――裏切って特攻なんて出来ませんね」 死者を操る事でしか力を成せない相手に、生きて力を合わせ立ち向かう。 先に逝った皆に何時か、世界が平和に近づいた事を伝える為にも――。 「さて、斬り合いましょうか。大阪以来ですね、モーゼス・マカライネン!」 「はて、あの場に君も居たのかね。木っ端リベリスタなど覚えてはおらんよ」 いけ好かない態度で憎まれ口を叩くモーゼス。だが、この時『扇動者』は自らの身を護る術を持たなかった。どうやら死体の盾は連続して喚ぶことはできないらしい。周囲の怨霊も、いりすが運命を削りながら引き付けてくれている。 「従える人数が多くとも、一人ぼっちの貴方に負けはしない!」 一直線に斬り込んだ。振りかぶるは幾つもの戦いを共に駆け抜けた愛剣。平べったいフォルムのそれを、渾身の力を込めて振り下ろす。 「もらった――!」 衝撃。 ざく、と身体を断つ手応え。 だが、桐の表情は敵を討ち取った歓喜のそれではなかった。代わりに彼があらわにしたのは、驚愕と、そして無念。 「そ、んな――」 彼が斬ったのは、モーゼスを庇って飛び込んできた少女人形。 胴を両断され、左腕を飛ばされて崩れ落ちる『彼女』。硝子玉のように生気の無い瞳が、地に落ちるその時まで桐の白い髪を映していた。 そして。 「やれやれ、キャロル君は死んでからも優秀な楽団員だったのに。派手に『壊して』くれたものだ」 黒々とした怨念の弾丸が、彼に食らいつき瘴気を流し込む。同時に、モーゼスが新たに喚んだ死兵の一群が、リベリスタとの間に壁を築いていた。 ●駅前広場/2 センタービルと三高平駅を繋ぐ駅前広場。溢れかえった『動く死体』はかなりの数を減じているものの、依然として迎え撃つリベリスタの数倍の数を保っていた。個々の能力では駅舎の怨霊やビル前の革醒者に劣るといえど、これだけの差があっては全体では押され気味だ。 加えて、突入部隊が駅舎での戦いを始めたことで、『広場の敵戦力をビル方面にも駅舎にも向かわせない』ことが、彼らのミッションとなったことが、困難な戦況に拍車をかけていた。 「流石に、この大群全てを一人で完璧にコントロールしてるたぁ思えねえ」 「……どういうこと……?」 ジェット団を名乗る少年達も、流石に疲れの色を隠せない。肩で息をする正太郎の呟きに、背中合わせの遠子が問いかける。彼が何を言いたいのか問わずともうすうすは判っていたが、それによって齎される危険が年長者として彼女を迷わせていた。 「見え見えな陽動でも引っかかる目はあるってことだろ。透!」 「ああ、折角の見せ場だからな。俺達の力を見せてやろうぜ」 ジェット団初の共同ミッションだぜ、と遠子にウィンクを投げる透。彼女が明らかにほっとしているのは、前のめりな仲間達の中でも比較的冷静な彼が、お墨付きを与えたからだろうか。 「流石、灼熱のレッドこと正太郎様! 素晴らしいアイデアですわ!」 高らかに四人目は、場違いなほどお嬢様然とした氷花。もっとも、手にした大斧と無闇に熱血した口調は、見かけのしとやかさを完全に打ち消している。 「アーク・ザ・ルーキー! ジェット団の活躍をとくと見よ! ですわ!」 「おう、任せとけ! オレはゲーセンじゃチャンピオンだぜ!」 喧嘩っ早くて無鉄砲。氷花の煽りにテンションを上げ、思わず飛び出す正太郎。市役所方面に駆け出したかと思うと、周囲の死者を薙ぎ払うかのように勢いよく拳を振り回す。 「正太郎、一人で突っ走り過ぎんなよ」 その動きに巻き込まれ、思わず動きを止めたスーツ姿の男の死体を、並んで走る透が渾身の力で殴りつける。手甲の表面に稲妻が走るほどの闘気を込めた一撃は、哀れな一般人の遺体を跡形も無く消し飛ばすほどだ。 「死んだヤツの事を気に掛けてる程余裕は無いんだ。手加減無しでぶっ飛ばしてやるぜ!」 「その通り! 麗しのアイスブルーであるこの有栖川 氷花が、頭から叩き割ってあげますわ!」 軽々と身体ほどもある大戦斧を振り回す氷花が、唐竹割りの要領で亡者を両断する。なかなかグロテスクな光景ではあるのだが、戦いの熱気と、何より憧れていた『仲間』の存在に心躍らせる彼女には、大した問題ではなかった。 「遠子、死に損ないの掃除は任せるぜ!」 「もう……みんな、無理しないでね……」 あっけらかんと叫ぶ正太郎に、しょうがないなぁ、といった笑みを見せる遠子。全身から放った不可視の気の糸が、暴れる拳に殴り飛ばされた死兵を精密に射抜いていく。 「じりじりと下がりながら引っ張って……。私達だけでひきつけられるのは、そんなに長くないからね……!」 彼女の言葉通り、ジェット団の面々が稼いだ時間は僅かに数分。しかし、多数の敵をひきつけることによって、戦線にかかる圧力を散らした功績は、十分に誇るべきものだと言えるだろう。 「いくらなんでも、数が多すぎるだろ!」 突く。 刺す。 斬る。 両の手にはブンディ・ダガー。別名をジャマダハルとも呼ばれる特徴的な剣を握り、死者の観衆の中で和希は剣の舞を披露する。 「確実に減らしてるはずなのに、全然そんな気がしねぇな」 「それに、やっぱり不味いわね。血も肉も最低だわ」 白い修道服を所々朱に染めて、吐き捨てる彩音。ヴァンパイアの二人は腐肉すらエネルギーに変えて奮戦を続けていたが、湧き出る死者の数は半端ではないのだ。 「でも、負けてやらねぇよ。やっちゃるぜ!」 「アークって、あなたたちが思っているよりも、ずっと怖い組織なの。ふふふ……」 気合を入れて駆け出した和希を追って、敵の只中に彩音もまた身を躍らせる。大きく開いたスリットからのぞく艶かしい脚が、稲妻を纏って死者を薙ぎ倒した。 「悪趣味極まりないですわね、アークの仲間の亡骸を操って戦場に立たせるなんて」 流石に決戦、コスプレは封印して導師の正装を着込んだナターリャは、余りにも凄絶な戦場に唇を噛んだ。ああ、それでも止まることは許されないのだから。 「できる範囲でお手伝いして差し上げますわ。皆様を支えます」 華奢な肩を震わせ、それでも目の光は何処までも強気に。主に祈る天使は聖なる恩寵を手繰り寄せ、仲間に癒しの息吹を齎して。 「こういうときに、単体攻撃に特化した身は辛いですね」 ナターリャの守護により一息をついた佐里が、被弾し火花を散らすバトルスーツを見やり苦い笑みを零す。高威力の攻撃を旨とする彼女にとって、確かに亡者の群れは得意な相手とは言いがたかった。だが、それでもやれることはある。 「絶望なんてしない。そんな事はできない……!」 紅く染まった剣を向ける先は、戦場に現われた三ッ池公園の亡霊。比較的脆い死体の多いこのエリアにおいては明らかな格上の敵に、周囲のリベリスタから一斉に攻撃が集まる。 まだスーツの推進機構は動く。拳に広げた翼と掌に握り締めた炎は、まだ消えてはいない。 「刻印します!」 意識の外から潜り込むように飛び込んで、紅剣を一閃する佐里。さらにその動きすら囮として、翔子が逆手に握ったダガーを『叩きつける』。 「守りたいよ。友達も仲間も。帰るべき家も、家族の笑顔も!」 怖くないわけがない。けれど、立ち向かうべき敵だから。剥き出しにした背中は不退転の証。爆発しそうな心臓はそのままに――! 「止まらないよ! 守るんだ! そして生きるんだ!」 裁きの鉄槌と化した細いナイフが、怨霊の過半を吹き飛ばす。カタチなきヒトガタが、わずかに揺らめく濃淡が、苦悶を写すかのように歪んだ。 「ふむ、戦いも大詰めというべきでしょうか」 広場のそこかしこで爆炎と稲妻が巻き起こるたび、右目のモノクルを光らせて。背に仮初の翼を広げたジョンは、人知を超えた高速演算で乱戦の中に最適射線を割り出して見せる。 「微力ながら、私も力を尽くしましょう――この一戦に勝利するために」 不可視の気糸が全身から放たれ、怨霊を救うかのように集ってきた死体へと突き刺さった。だがそれだけでは終わらない。動きを鈍らせた死体の一体へ、手にしたボウガンを向けるジョン。 「アークの存亡、ひいては日本の安寧にかかる戦いですからね」 狙いもつけずに無造作に放った矢が、ターゲットの頭蓋に突き刺さり、割り砕く。 「……! おぞましいほどの死臭ですね。この姿は忍びない……!」 ライコウが握るは気に満ち満ちた日本刀。すれ違いざまに一閃し、頭部を失った死体を両断する。こと死霊術士との戦いに限っては首を取って終わりではないということを、彼らはよく知っていた。 そこに悪意は無く、そこに志はない。 あるのは、ただ与えられた命令を遂行しようとする、意思ではない何か――。 「人は人のまま死ぬべきです。 死にながら動かすなど、人間を冒涜しないでもらいたい!」 クラシカルな軍服に重ねた黒のマント。式神の小鬼を引き連れて、神斬りの陰陽師は戦場を往く。 「私はこの街が好きよ。この街の人たちも好き」 援軍を封じられ悶える怨霊に、目にも留まらぬほどの速さで迫る必殺の意思。残像を残し幻影を振りまいて懐へと潜り込んだ沙霧は、革紐を巻きつけたに過ぎない拳をぐいと突き入れる。 「私は、命を守る理由があるわ。あなた達は、あなたはどうなの、モーゼス!」 それは裂帛の気合。命を軽んじる敵手に向けた怒りが拳を包む闘気へと変わり、死して尚戦いへと駆り立てられる死霊を抉る。 「この街に踏み入らないでちょうだい。私達の街を汚さないでちょうだい!」 四散。 肉体一つを武器とし、速度一つを磨いた少女の一撃が、『閉じない穴』の影響を受けた怨念の化身を吹き散らした。 長い長い戦いは続く。 倒して、倒して、倒し尽くして――いつしかリベリスタたちは、迫るプレッシャーが僅かに軽くなったことに気づくのだ。 「此処は退けぬ! 退かぬ! 今、この時、この場所こそが、戦の分水嶺である!」 広場を照らすサーチライトの中、カインが放った『漆黒の光』が一直線に死者の壁を突く破り、黒い黒い風穴を開ける。 彼らも疲弊していた。少なからぬ脱落者も発生している。それでも士気は高かった。彼らのホームを護る戦いである、というだけではない。 ここを耐え切れば勝てる。その希望が、彼らを衝き動かしていたのだ。 「死を冒涜するような輩に、我は負けるわけなど行かぬのだ!」 そして、仲間を鼓舞し、一歩も引かぬ気概を見せる――黒太子カインの戦意と高らかな名乗りは、さらにリベリスタを沸き立たせるに十分だった。 「我は、カイン・ブラッドストーン! 全ての者の規範となるべく、我が率先して矢面に立とう!」 「がんばるわよー、おー!」 右手には白金のロリコン(正式名:ロンリーコンダクター)、左手には黒銀のショタコン(正式名:ショータイムコントラクト)。瞑が握る二刀は、その双眸のように対照的で、けれどその双眸のように強い輝きを保っていた。 「……津布理はテンションが高いというかなんというか」 少しくらいバチが当たっても良い気がする、とぼやいた凍は、紅い大斧を手に彼女の後を追う。 「後ろは任せたよ、シノ、後鳥羽」 「わかったのだぞ!」 二人の後ろには、凍の式神シノと、二枚の盾を構えた咲逢子。極端に戦闘力の低い彼女が、最終防衛線とはいえこんな前線に投入されたことには理由がある。 「右手前方は今から斎藤殿がぶちかますそうだ! 左手に抜けるといいのだぞ!」 情報伝達と索敵に優れた咲逢子は、この広い戦場で情報管制の役割を担っていた。ことに、広範囲の火力で一気に焼き尽くす戦術を術士達が採り始めてからは、誤爆回避の側面が強くなっている。 「オーケー。そこの人達! ついて来て!」 周囲で孤戦する守備隊の生き残りに声をかけ、ナビの通りに左前方の群れへと突貫する凍。猫の描かれた大戦斧が紅い旋風を巻き起こせば、影の従者と黒のオーラ、二つの殺意がその後を疾って死者へと食らいつく。 「この華麗で美しいうちが、ゾンビちゃん達をあの世に送り返してあげるわ!」 ハイテンションな言動と変態的なネーミングを誇る中二病の瞑も、その実力は大したものだ。最高速までギアを引き上げ、死兵の群れを駆け抜ける。閃光の如き斬撃。ダメージを負っていた様子の二体の死者が、十を数える間に切り刻まれた腐肉へと変わっていた。「安らかな死者の眠りを妨げ弄ぶなど、息をするのも許しがたい」 慇懃にして熱を持たぬ物言いを好むロマネ。だが、今夜ばかりはその声色に僅かながらの怒りが含まれていることを、彼女自身も否定は出来なかった。 彼女は墓堀。死者に最後の安息を与える者。 ならばこそ、楽団の所業は、まさに彼女とは相容れぬものだ。 「……死者を愚弄する行いも、今日限りにして差し上げましょう」 振り下ろされた錆剣を百合と四剣があしらわれたシャベルの刃で受け止め、寂びた蔓薔薇の柄に念を込める。たちまちにして四方に放たれた気が、死者達を圧倒する。 からり、と欠けた腕輪が鳴る。神も無い。仏も無い。それは、哀れなる不死者に再び死の安寧を与えるための、彼女なりの作法であった。 そして、銃声と共に、動きを鈍らせた死者たちが『燃え爆ぜる』。天より降り注いだ炎の銃弾が、次々とそれらを炎に包んでいった。 「数は力だと申します。ならば、解決には鉄と血をもって当たるしかないでしょうね」 後方から立射の姿勢をとっていた星龍。『千分の一』の名銃は、魔炎の銃弾であってもその精度を損なわない。 「私の持てる力全てで戦いましょう。雷神の劫火を空より降し、敵を撃つのみ」 戦いが終わればスキットルを傾け死者を悼みたくもなろう。だが、まだ早い。戦いの終結には今しばらくの時間が必要だと――彼は知っていた。 ●Memory ~ 氷霧のヴェールを潜って/EX 「貴方が居てくれることで、私はとても救われている。……そのこと、どうか覚えていてくださいね」 優しい声。嬉しそうに手の中の硝子細工を見つめる横顔に、自分がしてやれることは多くは無くて。だから、せめて。 「……幸せで、いて欲しい」 そんな願いをかける事くらいは、許されて欲しかった。 ●センタービル前/3 「うち、あんまスプラッタとかホラー好きじゃないんだよねー」 ゾンビ映画みたい、などと嘯いていたのも最初だけ。終わりなく続く死者との戦いに、はぜりは辟易とした様子を隠せない。 「死体にモテたって嬉しくないしねぇ。ノーセンキュー!」 彫刻刀のような短刀にはびっしりと描かれた符術の呪。手にしたそれをぶんと振り切れば、吹きすさぶ烈風が周囲の死者を圧倒する。 「にひひ、せっかく面白おかしく暮らせる街なんだし、これでも『平和な日常』ってヤツが好きなんでね!」 「まったくだが……それにしてもやりにくいもんだ」 どんな形であれ、同僚と命を賭けて戦うというのは精神にくるものがある。私もここで慣れておかなければいけないか、と呟く碧衣。それは、もっと酷いであろう『次』を予測する、極めて不吉で、そして精度の高い予測だった。 「お前も毎度毎度、酷い前線にばかり居るのだな」 「アークに酷くない決戦があったのか」 さらりと言ってのけた霧也に、そうだな、と苦笑を向け――彼女は幾分か数を減じた革醒者の死兵の向こう、自分の色違いのような服装の少女人形を眺めやる。 「まったく、この業界はどいつもこいつも良い趣味をしていて参るな……」 周囲のリベリスタと『リンクを通した』碧衣が、あと一押しの気力と共にクリアな戦術思考を共有する。それは、経験の少ない本部詰めの守備隊にとって、生命線とも言えるものだった。 「……一番きつい戦場に行ったのね。本当に馬鹿なんだから」 ショーゼットの双子の姉は、モーゼスへの突撃部隊に身を寄せていた。あの日、大阪から帰ってきた彼女は相当に憔悴していたから、危険でも何でも目標が出来たことは良いことなのかもしれない。それでも。 「生きてこそ価値があるのよ。だから、無事に顔を見せなさいよね」 青紫のレースに包んだ掌から打ち出された火球が、死体の只中で破裂する。馬鹿って思いっきり罵ってあげるから――素直でない言い方で姉の無事を祈るショーゼット。 だが、そんな彼女を目掛け、翼持つ死兵が上空から襲い掛かる。 「ひっ……!?」 「おっと、そうは行かぬでござる」 ガッ、という鈍い音。急降下する刃の切っ先を、幸成の手甲が受け止め逸らす。墨染の忍装束に身を包んだ彼は、既にサングラスを外し、スイッチを切り替えていた。 「なに、忍びにとって耐え忍ぶのはお手の物に御座るよ」 目を丸くするショーゼットに短く告げて、幸成は全身に巡らせた気の流れを収束させる。普段はふざけて騒いではいても、ここ一番となれば、この男は強い。 「焔殿のため、ご遺体を奪還する隙を作って差し上げたい所に御座るが……」 ぎちり、と宙吊りになった死体を締め上げた。動きの止まったそれを狙い、秋火が小太刀二刀を大きく構えて。 「たまにはボクも本気を出さないとな。さぁ、行くぜ!」 ぐん、と加速する。まだまだ修行中の身なれど、意外なほどの速度を叩き出す秋火。ポニーテールを靡かせて、勝気な少女は残像すら残る繊細な剣を振るう。 「はっはぁー! 喜連川の名を刻みおけ!」 「戦の場では油断大敵に御座るよ!」 確かな手応え。決してこの場を退かぬと決め、幸成と体を入れ替え背を合わせた秋火は死体の群れをねめつけた。 「よくわかんねーな。俺ガキだし。……けどよ」 単眼をすう、と細めるユーニア。行く手をさえぎらんと身を躍らせてきたフィクサードらしき死体へと、躊躇いなく手にした『棘』を突き入れた。死者を覆う負の生命力が、ず、と得物を辿って導かれていく。 「返してもらうぜ、俺達の大事なもんを。これ以上奪われないようにな」 それでも動きを止めない革醒者の骸は、腐肉を抉られながらも、小柄な少年を上から押さえ込もうとする。ちっ、と舌打ちをして取っ組み合うユーニア。 「行け! あの人を止められるのは焔さんだけだろう!」 「――頼む」 心中ありがたく思いながら、簡素な礼を投げて優希は駆け抜ける。 思えば多くのリベリスタが、彼のために道を拓こうと身体を張っていた。 応えなければならないと思う。 けれど、申し訳ないとも彼は思うのだ。 なぜなら、なぜなら――。 「俺は戦うだけだ。全ては、行動で示すしかないのだからな」 そんな思考を遮ったのは、仮面にその顔を隠したエルヴィンの少しくぐもった声だ。左手の銃を牽制代わりに撃ち込んで、怯んだところに本命のナイフ。死せる戦士の懐に踏み込んだ彼は、右手の刃で幾度も斬り付ける。 「救いと過去、希望と明日への橋となる!」 「ヒュウ、魅せてくれるねぇ」 口笛がエルヴィンを囃す。甲冑に身を包んだツァインが、いつの間にか彼の隣で剣を振るっていた。 「俺も負けてらんねぇな。さぁ、ミタカダイラ・ガード・ナイツのお仕事の時間だッ!」 守護騎士の名にふさわしい頑健たる盾。棍棒を振り回す死者の攻撃を盾でいなし、彼は断罪の剣を振り下ろす。負ければ後はなく、故に退く事は許されない。なるほど、この場はまさに、彼にふさわしい戦場だった。 「この三高平で俺達が気張らん訳には――ん、お前……」 次々と彼の傍らを駆け抜けるリベリスタ。その中ですれ違った一人の少女。一瞬の邂逅故に、ツァインは強い既視感を覚えていた。 だが、それも怒涛の戦塵の中に忘れ去られる程度のものに過ぎない。 「すまない、頼む!」 いつしか、繰り出されたアークの切っ先は、最後部のドレス姿の少女へと辿りついていた。 かつて大和であった者。『少女人形』ヤマト。 もはやあの柔和な笑みはなく、蝋のように白い肌と硝子玉の瞳だけが、かつての仲間を見据えていた。手には流麗なる一振りの刀。見覚えのあるその得物が、飛び掛ったリベリスタをばさりと斬り下ろす。 ああ、その表情が悲しみに歪むことすらもうないのだと、鮮血の供儀が雄弁に語るのだ。ポニーテールを解いた長い髪が、血を浴びてぬめと光る。 「死者をぼうとくするなど、主は赦しません」 淡々とした口調がどこか中性的な印象を与える少年――ロズベールが、十字架を模した槌を高々と掲げた。だが、湧き出す光は罪深き暗黒の業。罪深い魂を救う為、異端の罪を背負うという皮肉な天命。夜闇の閃光が大和に降り注ぐ。 「どうか、心やすらかに主の下へ召されてください」 そして主よ、罪にそまり、罪をおかすことをお赦しください――。そう呟いた少年に続き、二人の男が死せる少女へと殺到する。 「ここを抜かれぬ限り箱舟は沈みません。そして俺達は、決してやられっぱなしでは居ませんよ」 「随分と好き勝手やってくれたみてぇだが、これ以上冒涜するのは許さねぇ!」 乱れ飛ぶは極限まで細く尖らせたオーラ。同じ姿形、同じ顔をした二人の青年――山田中 修一・修二兄弟が、気の糸で彼女を絡め取った。 「こんな時に燃やさずして何のための運命でしょうか」 「熱いな、あんた。気持ちだけで勝てる戦いじゃないが、全力で戦えるよう手を貸すぜ」 修一の右手と修二の左手。そこだけは大きく違う機械の掌が眩く輝き、螺旋に絡み合う不可視の気糸に淡い光を乗せる。 「大和……! 必ず、取り戻す!」 「優希を一人で行かせるな! 援護するぞ!」 遮二無二突貫する優希。援護すべく猛攻をかける翔太達。だが、大和の周囲で巻き起こった混戦は、彼らの勢いを削いでいた。周囲から集まってきた死者達が、リベリスタを阻むべく立ちふさがる。 そして。 「――― ― ―― ――――」 彼らは聴いた。よく知っている声が、最初はぎこちなく、そしてすぐに滑らかに奏で始めたメロディを。 それは奇妙なる旋律。優美であって優美ではなく、勇壮であって勇壮でない。伸びやかに展開したかと思えば、時折音が欠けてリズムが崩れる。 「大和……?」 怪訝な顔をするリベリスタ達。だが、すぐにそれは驚愕へと変わった。 彼らの肌に突如浮かんだ痣が、まるで猛毒を流し込まれたように変色の領域を広げ、青黒い死者の肌へと変えていく。たちまちのうちに全身を駆け巡る激痛が、彼らの体力を急速に削いでいく。 「ぐっ……! おかしい、こいつら傷が治ってやがる……!?」 そして変化は死者の側にも起こっていた。ばっくりと開いた傷口は塞がり、千切れかけた腕さえ再びしっかりと胴に固定される。血色すら蘇ったかと錯覚するほどに『生き生きとした』死者の群れは、生者を食らいつくさんと殺到するのだ。 少女人形が奏でたのは有為転変の象徴。生は死を呼び、死は生につながる。生と死との境界線を揺らがせるメロディは、まるで走馬灯の光像のように捉えどころのない幻惑を見せて。 「もう、持たない……よ……!」 突出した勢いは、ひとたび守勢に回れば脆さへと変わる。退かねばならないのか。『仲間』を目の前にして、諦めがリベリスタ達を覆う。 けれど。 「負けないわ。この翼は、傷ついた誰かを包む為にあるのよ」 清浄なる強い風が戦場で渦を成し、満ち満ちた瘴気を吹き祓う。その中心に立つ白翼の乙女――祈。彼女のの髪に飾られた蒼薔薇のコサージュが、風に巻き上げられてはためいている。 「日常を、何よりも失われたものを取り戻す為に」 何よりもその凛とした姿は、清らかなる涼風以上に朽ちようとしていた彼女らの戦意を支え、再び『敵』へと向かう気力を与えたのだ。 「――さぁ、今を足掻きましょう?」 「あぁ、めんどくせぇけどよ……俺は生き残るために戦い続けるぜ!」 翔太の幅広剣がトップギアを超える速度を叩き出す。横薙ぎに一閃、チィン、と高い音が響き――。 「誰も死なせはしねぇ。もう、誰も」 それは、彼の瞬速の剣が『時』すらその刃に懸けた音。次の瞬間、横一文字の『傷』から四方に広がるように氷の結晶が広がっていき、氷刃となって血嵐の中に周囲を包み込む。 「一刻でも、一瞬でも良いんだ! てめぇら全員、凍り付いていやがれ!」 「大和! 戻ってくるのじゃ!」 頬に血の筋が走るのにもかまわず、その中を突っ切って大和に迫るレイライン。 無力だった。何も出来なかった。あの大阪の戦いの記憶は、今も鮮明に蘇る。『彼女』がいつまでも思い悩むことを喜ぶとは思わない。もっと力があれば――それがただのエゴだということくらい、判っている。 それでも、だ。 「納得なんぞできん! じゃが、大和、お主は奴らから返してもらうぞよ!」 加速する。加速する。両の手に握る双鉄扇が、歌うが如くに風を裂く。一直線に向かう先に見えるのは、ただ一人の姿。 「今のわらわに出来るのは、それだけじゃ!」 だが、左右から新手が踊り込む。あるものは槍を、あるものは鉄槌を構え、痛みを感じぬ身体を使い捨ての盾として。 それは生者なればこそ健気な姿。だが、これは違う。これは、自分が傷つかない安全圏から死体という『モノ』を盾にする、おぞましい障害物に過ぎない。それが、レイラインには酷く勘に障るのだ。 「二人の邪魔はさせんぞよ、わらわが相手じゃ!」 「やれ、レイライン!」 扇を振り切れば、きゅい、と風が啼いた。次の瞬間、氷の嵐が彼女を中心に吹き荒れ、大和ごと、そして翔太すらも巻き込んで死体どもを氷漬けにする。 「さあ、往くのじゃ、優希!」 「ああ、殴り愛ってやつをしてやるさ」 ずっと見ていてくれたことにも気づかず。 自分の気持ちすら判らずに。 今この場で、初めて本当の意味で向かい合えた。 「俺は、伝えるためにここに来たんだ。伝えられなかった言葉を、大和に」 その名の通り紅く燃え盛る髪。しかし、やはり紅い瞳が宿すのは、ただ焔の熱だけではない。それは優希という少年の本質を司るもの。狂おしいほどの熱情と何処までも透き通った冷徹さ、相反する二つが写りこんでいた。 仲間が拓いてくれた道を駆け抜ける。機械の腕は、すでに赤熱して煙すら上がっていた。 もう幸せにすることは叶わない。 ならば、せめて一刻も早く悪夢を終わらせよう。 それが大和の望みだろうから。 「俺は、大和の事が――好きだった」 過去形の告白に万感の想いを込めて。 零距離。唇すら触れんばかりの距離まで間合いを詰めた優希は、言えなかった言葉を告げる。そして次の瞬間、その機械の腕が似合わぬドレスを掴み、砕けんばかりに彼女を地面に叩きつけていた。 「大和――」 彼女の全身の骨が砕ける音を、彼は聞いた。だから、これで終わりだと、そう思った。 だが――死霊術士の流儀は、彼らの想像よりももう一段悪辣で。 「――なっ」 優希の腹から、血に汚れた刃が生えていた。 それは大和の愛刀。蛇神に捧げられた守り刀。『操られた』彼女が、軋む身体を省みることなく動かし、彼を貫いたのだ。 「優希さん……ッ!」 斃れこむ少年。そして、駆けて来る少女。 記憶はここにある。 でも、どうか迎えに行ってあげて。 きっと、待ってるから――。 少女の名は瑞樹。未だ革醒して間もない彼女は、しかし何かに導かれるようにリベリスタとしての実力を伸ばしていた。 ごく平凡に暮らしていた彼女にある日突然与えられたのは、蛇の因子と『彼女』の断片的な記憶。 「邪魔を……するなッ!」 進路に割り込もうとした死体を見留め、一喝する。感情など持たぬ木偶のはずのそれが、気圧されたかのように動きを止め、彼女に道を譲った。 「――貴女の守りたかったもの、壊させないよ」 骨を砕かれた上に優希に覆い被さられ、満足に動けない大和。それでも少年を振り払い、奇妙に捻じ曲がった関節で立ち上がろうと試みる彼女の胸に、瑞樹のナイフが突き刺さり、大きく引き裂いた。 それが、本当の終わり。もがいていた大和がゆっくりと動きを止め、物言わぬ遺体へと還っていく。 「――さあ、日常へ帰ろう――」 手放してしまいそうな意識を意志の力で必死に繋ぎとめ、優希は愛しき少女を抱きしめる。 ようやく後ろに回した掌が触れたもの。それは、いつか彼が贈った桜の簪だった。 ●三高平駅/2 少年と少女が再会したのと同じ頃、モーゼスとの戦いも、また結末へと加速していた。 「このモーゼスという男……他の楽団員と違う」 黒々とした雑霊の弾丸を解き放ち、死者の魂を使役してリベリスタへとけしかける。そのような戦いを繰り広げるモーゼスに、リセリアは底知れぬ何かを感じていた。 話に聞くケイオスやバレットとは違う、それはもっと人間臭い感情。 「野心とでもいうのか、そういう強い意志」 それは正鵠を射た推察であった。彼女は知らぬことではあるが、モーゼスの目的はケイオスよりも早くジャック・ザ・リッパーの骨を手に入れ、もってケイオスらバロックナイツに比肩する力を手に入れることなのだから。 「此処で討ち漏らせば、いずれ大きな災いの素となりましょう。だから、生かしておく訳には――いきません」 次々と閃く蒼銀の剣光。そのことごとくは彼の喚んだ死者の盾に阻まれたが、決して無駄な攻撃ではない。 「ここで貴方を討ち取ります――私達が」 「そういうこと!」 盾を剥がれたモーゼスに迫る焔。鮮烈なる怒りは真っ直ぐな激情となり、鋼よりも強い乙女の拳となって不埒なる輩を打ち砕くのだ。 「私の願いは、優希から大事な人を奪ったアンタをこの手でぶん殴る――ソレだけよ」 劫火を纏いし鉄拳が、死霊術士の顎を強かに打ち抜いた。骨を砕いたかにも思えたその一撃は、意識を刈り取るに十分なクリティカル・ヒット。 「コレがあの人の受けた痛み、貴方にはきっと分からない痛みよ。骨の髄まで味わいなさい?」 会心の一撃に誇らしげな少女。だが、首をあらぬ方向に捻ったモーゼスは、その姿勢のままくく、と笑う。 「やれやれ、躾の悪いお嬢さんだ」 「――!」 手の内で渦巻く悪霊の塊。ぐしゃりと握り潰せば、弾けた小塊が零距離で彼女を直撃し、一撃の下に昏倒させる。だが、運命をすり減らし立ち上がる焔は、身を焦がす戦意を失ってはいなかった。 「まだやれる……!」 「君の相手は彼らだよ、リベリスタ」 モーゼスの呼び声に応じ、彼を護るように布陣する三ッ池公園の怨霊達。ぼんやりとしたヒトガタは、尽きせぬ魂の力を汲み上げて象られた優秀な戦士だ。 彼が次々と召喚する死体どもと違い、簡単に焼き払えるほど脆くはない。突破しようとすれば、いたずらに時間を浪費することは目に見えていた。 ならば。 「そのクソみてえな音楽もここまでだ!」 彼が連れていた少女人形にも似た小柄で可憐な金髪少女が、乱暴な口調で強気に言い放つ。その少女、雅はただ単に汚い罵声を浴びせたわけではない。クェーサー仕込みの挑発術を織り交ぜて、狙うは唯一つ――。 「下手糞な演奏家気取りはもうたくさんだ。ここで殺しておいてやるからじっとしてな!」 「……口の減らないお嬢さんだ。やってしまえ!」 モーゼスの声に怒りが閃けば、周囲の怨霊が一斉に雅のほうを向いた。ぞく、と彼女の背を冷たいものが走る。 倒さない、というのは一つの慧眼だろう。そのためには、『牽きつけて剥がす』のが最も効果的だ。だが、牽きつけた本人がどうなるか、それは考えるまでもなく明らかで――。 「必死で頑張ったヤツを労ってすらやれねえ音楽なんざ、クソ喰らえってんだよ!」 だが、雅は怯まない。その指に撫子が可憐な花を咲かせていたから、彼女は退かないと決めていた。そして、何よりも。 「馬鹿野郎。やるならやれって先に言えよ」 彼女の視界の大部分を、見慣れた袈裟の背が埋める。この広い背中の持ち主はフツ。アークで最も徳の高い男。彼ら頼もしい仲間が、必ず護ってくれると知っていた。 「南無――ここには、あんまりにも多くの死がありすぎるな」 この身に満ちるは衆生の想い。 この身が願うは衆生の救い。 この身が纏うは衆生の誓い。深緋の槍を頭上で振り回し、戦場に招くは少女の呼び声。 「全部片付いたら、改めて、皆の話を聞かせてもらうから。いくらでも付き合う。だからスマン。もう少しだけ、待っててくれ」 その祈りは黄泉の魂にまで届いたか。降り注ぐ神秘の氷雨が、亡霊どもを凍らせその霊気を削いでいく。 「ワタシも精一杯戦うデスよ!」 鮮やかなチャイナのスリットからピンクのタイツをすらりと伸ばし、シュエシアがしなやかにその身を躍らせる。サーカスじみた身軽な動きは演舞の素養が齎したか、襲い掛かる怨霊の手とひらりと避けて、彼女は指に嵌めたサックを思い切り突き入れる。 役者不足なのも、力のなさも判っている。けれど。 「けれどここで動かなかったら、きっと後悔する! だから全力で頑張らせてもらうデス!」 亡者の『背面』に突き入れた指先。かちり、シュエシアが隠した引鉄を引けば、指先に仕込んだ銃弾が零距離から撃ち込まれ、爆ぜた。 「長いこと、前線に出て無かったけど――でもボクだってアークなんだ」 胸元から周囲を照らすランタンのともし火。香雅李の身体に埋め込まれたそれは、煉獄の炎か、それとも導きの灯か。 どちらでも良い、と彼女は思う。ささやかでも皆の力になれるのならば、地獄の業火でも構わない。そうすれば、いつか、『この姿になった過ち』も赦される日が来るだろうから――。 「少しは役に立ってみせよう!」 掲げた魔道書から迸る火球が、三ッ池公園の怨霊とモーゼスが喚んだ死体との只中に突き刺さり、火柱となって巻き上がる。駅舎を塗りつぶす炎の赤。宙を舞う純白の天使もまた、その身を炎の色に染めていた。 「誰も死なせはしないの。もう誰も失いたくないの!」 アリステアの引き裂くような叫びを、誰もが痛ましく聞いていた。皆で一緒に帰る。それだけのために戦いに身を投じる心優しい少女。 けれど、その祈りは届かない。その願いは叶わない。 大和も、仙台の皆も、もう戻らない。 「お願い。皆でアークに帰ろうね――!」 炎と瘴気とを捲きながら戦場を吹き抜ける強い風が、リベリスタ達の身に刻まれた苦痛と呪詛とを散らしていく。眼下にその姿を晒すモーゼス・マカライネンは、あの大阪の戦いと変わらない。 変わったのは自分だ。黒杖を握り、人を傷つける力を得た自分。それでも、支えることこそ自分の役割だと信じ、彼女は祈り続ける。 敵将へと続く道。胸に抱く思いはそれぞれにあれど、この憎むべき死霊術士を討つ、その一点においてリベリスタ達の意気は高かった。 だが。 「ふむ、聖戦というには興の乗らぬ戦いだが――この好機に指揮者殿の楽譜のまま、というのも勿体無いというものか」 唇の端から血を流すモーゼス。しかし、リベリスタ達の『手応え』に比べ、彼はそれほどのダメージを負ったようにも見えなかった。 手には『ヘイムダルの角笛』。 未だ余裕を残した死霊術士は、ごつごつと岩めいたコールアングレを高らかに鳴らし、ラグナロクの始まりを告げる。 「くっ、なんだ突然……!」 突然、翔太に迫る怨霊の動きが機敏さを増した。防御用マントを突き抜けた衝撃波は、先ほどまで飛び交っていたそれよりも、明らかに『痛い』。 「チッ、死んだ奴の抜け殻に頼らねぇと戦えねぇのかド貧弱!」 一度は炎の拳が消し飛ばしたヒトガタが、再び容を成していく。仕留めたはずの獲物を前に、火車は苛立ちを隠せない罵声を浴びせた。 「ははは、さあ、私の愛すべき不死者達よ――木管の演奏を、聖戦を始めようではないか!」 「馬鹿ね、あなた」 哄笑するモーゼス。だが、愉快げに歪んだその顔を、細く縒られた気糸が貫いた。 「守りたい人と場所が増えたのよ。 逃げ場なんてとうに無くて、譲れないからここにいる」 グリーンのLEDが光る論理演算機甲。彩歌の狙い済ました一射が、モーゼスの注意を惹き付ける。 怖くはなかった。光ファイバーの神経と高速演算機能を備えた脳髄は、彼が好んで用いる怨念塊の弾丸も、恐怖を齎す死せる者達の絶叫をも耐え抜くだろうから。 「あなたはどうなの、モーゼス。どこまでも死体を操ることに拘り、自分で血と泥に塗れようとしない裸の王様は――!」 それはモーゼス・マカライネンという男の本質を衝いていた。この男は本質的に、死霊術士で『しかない』のだ。 どれほど潜入を重ねても、所詮は安全圏を確保した上でのことだ。彼の奥義も、結局のところは死体の強化。つまりは、自分が危険に晒されている、という状況など考えもしていなかったのだ。 もっとも、死霊術士としては、それは当然の有りようだろう。例えば、勝手にライバルと目していたバレット・バレンティーノのように、危険に踏み込むことを良しとするメンタリティなどあるはずもないのだから――。 「約束があって、まだ止まれなくて。なら、望む未来を引き寄せてみせる!」 「ええ、私達はリベリスタだからね」 大剣に備えた銃口。異形の銃剣を構え、やや離れたところから狙いを定めていたティセラが、引鉄に指をかけた。 (トゥリア……許して) もしかしたら、こうしてモーゼスを狙うことは、この場の最善手ではないのかもしれない。リベリスタとしての使命を果たすためには、この胸に生まれた感情は邪魔なだけなのかもしれない。 (私は今だけ使命を忘れ、私だけのために戦う……!) それでも、友に胸中で詫びて――彼女は指を引いた。 「平気で誰かの生きた証を踏み躙る! あんた達の存在そのものが気に入らないのよ!」 「その罪、その『悪』、ここで終いとさせていただきます」 モーゼスの肩に血の華が咲いた。流れたのはリベリスタと同じ、いや全ての人間と同じ赤い血。のけぞった彼を追撃するように、白銀の騎士が突進する。 「我が身の不始末は、我が手で購いましょう」 ノエルもまた、あの音叉儀式に居合わせた一人。仲間が散った。数千の命が消えた。何百万を護ったといえど、それを慰めになど出来るものか。 只管に敵を、世界の敵を打ち滅ぼすべし。我が身(つらぬくもの)はその為に在り――。 退き口など考えもしなかった。銀の穂先を押し立てて、彼我の距離を零にまで詰める。死体の盾も今はない。このランスで『正義』を貫く! 「己が旋律を、鎮魂歌とするが良い!」 「……残念だが、そうはならないようだ」 半ばまでを突き入れた白銀の槍。ごぼりと吐いたどす黒い血。ついに討ち取った。そう誰もが思った。だが、誰もが忘れていたのだ。 ――自らを不死の如く成す、死霊術士の秘儀を――。 「は! 残念でならないよ、極東の諸君! 君達の健気な努力が実を結ぶことはないと、そう教えてあげなければならないのは!」 「――ううん、誰も死なせない。全力を賭けて、自分に出来る戦いをするよ」 はっ、と顔を上げれば、上空から見下ろす白翼の天使。 「私は、皆を傷つける人が――」 以前のアリステアであれば、決して握ることはなかったであろう魔杖。それは、ただ誰かを傷つけることだけに特化したアーティファクトだ。 けれど、この戦いだけは。 この戦いだけは、ただ仲間を癒すこと、それだけに務めようとしていた。 けれど――。 「――貴方たちが大嫌いだよ!」 全身から放った閃光は、まつろわぬものを灼き尽くす断罪の光。モーゼスと周囲の亡霊を包んだそれは、僅かの間、視界を純白に染めて。 ぱきん、と。 何かが割れたような、軽い音がした。 「なん、だと……!」 そこには、驚愕のあまりに余裕をかなぐり捨てた死霊術士の姿。そしてリベリスタは気づく。彼らネクロマンサーの高い不死性も、また自己強化の一つに過ぎないと。 ならば。裁きの光が全ての護りをかき消した、今ならば。 「優希達も戦ってる。なら、アタシ達も戦い抜いてみせる」 ぼんやりとした赤光が、陽菜の手の中にある弓の姿をおぼろげに映し出していた。魔力の矢が放つ光だけが人の目に映る、それは不可視の神器。遠目には見ることも適わないその弓を、彼女はゆっくりと引く。 ――アタシが邪魔しなければ、二人はもっと早く一緒になれたのかな。 二人を応援したいと思った。けれど、そう思い切れもしなかった。手を伸ばせば自分にも手に入るんじゃないか。そんな甘い夢を捨てられない自分が居た。 きっと、アタシは悔やみ続けるのだろう。大和がいなくなったあの時から、ずっと。 けど、だけど。 「アタシにはやることがある――」 この一瞬だけを陽菜は待っていた。研ぎ澄ました精神を一点に収束させる。狙いは十分。番えた魔力の矢を、一杯に引いた弦から解き放つ。 「――せめて、あの角笛だけはアタシが破壊しなきゃいけない!」 宙を切り裂いた彼女の意思が、真っ直ぐに飛んでモーゼスの右手の甲へと突き刺さる。それは最高のコンセントレーションと人知を超えた幸運が叶えた、人の身の奇跡。 「ぐぁあぁっ!」 楽器を取り落とすには至らずとも、奏者は血相を変えて右手を庇う。不死のトリックが暴かれた今、彼の心中には余裕も冷静さも残ってはいなかった。 「く、死人ども! 私を護れ! 盾となれ!」 「やらせねぇよ」 叫ぶモーゼスへと迫る、赤き戦鬼。常に戦場の最前線にあり、退くことを知らずその戦斧を振るい続ける男――ランディが。 「俺達のダチは全ての力を尽くして戦った。俺はそれに感謝だけを示す」 ヤツは全ての力を出し切り、最悪を少しだけマシにした。 ……ありがとう、そしてじゃあな。 「今度こそあの時の叫びを守ろう。モーゼス! 生きて帰らせて貰うぞ!」 「くぅっ、ジャックの骨だ、アレさえあれば!」 届かぬと知って、ランディは得物を振りかぶる。大斧の刃に宿りしは、彼の全身から根こそぎに集められた闘気。滾る熱情に冷えた思考を併せ持つ、戦闘狂の全てがこの一撃にあった。 「――消えて、無くなれ!」 「私が! この私が、こんな地の果てで!」 ぶん、と斜めに振り抜いた。巨大なエネルギー球が唸りを上げて飛び、駅舎のタイルを巻き上げてモーゼスへと迫り――。 「い、嫌だ、嫌だぁぁぁぁぁっ!」 炸裂する。振動。爆風。そしてホワイトアウト。 全てが収まり、リベリスタが視界を取り戻したとき、そこにはモーゼスの姿も、残った怨霊もなく――ただ、召喚された幾許かの死体と彼のマント、そして『角笛』だけが転がっていた。 かくして第三防衛ラインの攻防は終わる。 それは終わらぬ夜の夜明け、三高平攻防戦が決着の、ほんの少しだけ前のことだった――。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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