● ケイオス・“コンダクター”・カントーリオの作曲指揮による混沌組曲事件は過日大きな転調を迎えた。 日本全国各地に少なからぬ被害を撒き散らした彼等はその戦力を増大した。アークのリベリスタの複数も犠牲になったこの激戦はしかし、彼等の健闘の甲斐もあり『楽団』とケイオスにとっては些か不満足なものとなったのである。 アークと七派、それ以外の日本の異能者をも巻き込んだ戦いは複数の楽団員を撃破するに到った。日本側が蒙った被害の量は比べ物になるものではないが、中核戦力の少ない『楽団』は消耗を嫌い新たな転調に舵を切ろうとしていたのだ。 『良く知る』その顔が悼みの『生』に慟哭した。動乱の三高平市を舞台にアークの心臓を守る戦いが始まろうとしている。 ● 「アシュレイが、ケイオスは次は三高平に来るって言ってる」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は、無表情だ。 いくらなんでも急な話だ。 どうやら、ケイオスの楽譜はスロー・スロー・クイックらしい。 「直接殴りこみ。さすがマフィアのお国柄」 多分冗談だろう。ケイオスが聞いたら、額に青筋が立ちそうだ。 「アシュレイが、ケイオスの手を三高平の直接制圧と読んだ理由は複数」 モニターに映し出される模式図。 「一つ。『楽団』の構成員の問題。『楽団』は何れも一流のフィクサードにより構成された実戦部隊だけど、『予備役』的な戦力を加えて最大数千にも及ぶアークの構成戦力に比べれば極少数」 少数のネクロマンサーが多数のリベリスタに勝つには、それを圧倒して余りあるリベリスタのアンデッドが欲しいのだ。 「みんなのしぶとさは、それ系映画のアンデッド並み」 ほめられているのだろうか。そういうことにしておこう。 「実際にそれを肌で知ったケイオス側が戦力のトレードめいた持久戦を嫌うのは確実。一つの死体と一 人のネクロマンサーの交換じゃ割が合わない」 隣のモニターに、別の模式図。 「二つ。彼女が横浜で見たケイオスには、ある『干渉力』が働いていた事。わかりやすくいうと、チート状態」 イヴは手書きで、くびちょんぱケイオスを書いた。二頭身だ。 「首を刎ねられても笑っていた――死を超越したケイオスはその身に有り難くない存在を飼っていたと言う」 宙を舞う首。あふれた血が、その首をキャッチして引き寄せる。 この世のありようとは思えないおぞましさだ。 「アシュレイはこの『何か』を、ソロモン七十二柱が一『ビフロンス』と推測した」 二頭身キースからケイオスに向けて矢印が書かれる。「ビフロンス」とキャプション。 召喚系黒魔術を齧ったものなら誰でも最初に触れる有名どころだ。 ソロモンの名で、幾人かの眉が跳ね上がる。 「ケイオスと特に親しい間柄にあるバロックナイツ第五位『魔神王』キース・ソロモンの助力を高い可能性で疑ってる。『持つべきモノは友人』 と、言っていたという報告がある。アシュレイの言うところによると、ケイオス、神秘界隈の友達、そんなにいないらしいし」 控えめな表現だ。友達いないと言ったらいいのに。 「――伝承には『死体を入れ替える』とされるビフロンスの能力をアシュレイは空間転移の一種と読んだ。ケイオスの能力と最も合致する魔神の力を借りれば、『軍勢』を三高平市に直接送り込む事も可能という話」 餞別にそんな『魔王』をひょいと渡せるキースも恐ろしいが、渡されたものを使いこなすケイオスも恐ろしい。 「第三の理由は、ジャック・ザ・リッパーの骨がアーク地下本部に保管されているから」 リベリスタ達は露骨に眉をひそめた。 そんな話は聞いていない。 「保安上の問題。厄介な媒介になりそうなものは、目の届く所に保管しておくに限る」 この件についてはいい? と目顔で問うイヴに、リベリスタは了承を示した。 「ケイオスは、表の世界でも名声を浴びている」 ケイオスの巻頭ロング・インタビューが乗っている雑誌は本屋に並んでいるし、公演のCMが普通にTVで流れている。 「そういう、芸術家らしい喝采願望を持ったケイオスは、自身の『公演』を劇的なものにする事に余念が無い」 曲の最高潮。 美しい独奏。まさしく歴史に残る贅沢な『演奏』 指揮するのがバロックナイツなら、奏でられるのもバロックナイツ。 『ジャック・ザ・リッパー』は、ケイオスにとっては稀代の名器と言ったところか。 「モーゼス・“インディゲーター”・マカライネンが三ツ池公園を襲撃した際、ジャックの残留思念を呼び出す事さえ出来なかった理由は、彼の『格』の問題であると共に、より強く此の世の拠り辺となる『骨』が別所に封印されていた事に起因する。その辺の神秘に関する講釈は、アシュレイに聞いて」 より存在を感じさせるものに、残留思念は宿るのだ。 「ケイオスが地下本部を暴き、ジャックの骨を手に入れたらば大敗は勿論の事、手のつけられない事態になる」 ケイオスに操られた骨は、もはや生前のジャックが持っていた死角はなくなるばかりか、指揮者殿によって振るチューンされるだろう。 「――この、絶対にここをケイオスから守らなければならない状況に際して、アシュレイは二つ提案してきた」 モニターに、三高平市地図が表示される。 なんとなく、リベリスタの目線が自分達に関わりが深い辺りをさまよう。 「一つ目は三高平市に大規模な結界を張り、ケイオス側の空間転移の座標を『外周部』まで後退させるというもの。これで、いきなりセンタービル玄関まで来ましたという事態は避けられる」 こちらに抵抗するだけの時間と空間が用意されるという訳だ。 「蹂躙されたくなければ、必死に守る。文字通り、明日が懸かってる」 今回は、自分たちの生活基盤も一緒に守らなくてはならない。 「二つ目は『雲霞の如き死者の軍勢の何処かに存在するケイオスを捉える為に、万華鏡とアークのフォーチュナの力を貸してもらいたい』と言ってきた」 ざわめくリベリスタを、イヴは制した。 「数が多い上に、倒しても起き上がって来るケイオスの戦力は、事実上無限。それを破る為にはケイオス自身を倒す事が必須」 ケイオスが操る死体は、アークのリベリスタ並のしぶとさということだ。 「だけど、ケイオスは慎重。自身の隠蔽魔術の精度も含め、簡単にそれをさせる相手では無い。『塔の魔女』 も金棒が欲しくなる程度に」 とはいえ。と、イヴは、いい点に目を向ける。と言った。 「メリットがないわけではない。地の利は圧倒的にこちらにある」 そもそも、対神秘存在対策として設計された、人工都市だ。 容易に侵攻させるような構造ではない。 「防衛能力の高い三高平市での決戦は大変なリスクを伴うと共に千載一遇のチャンスと考えて欲しい。非戦闘員の保護等は考えなくていい。楽団にだけ集中して」 ポジティブシンキング。 この街には、覚悟が決まった者しかいない。 「それから、敵軍の中には良く見知った顔もある。それどころか前面に押し出してくることすらすると思う」 イヴは、無表情だ。 「死せる彼らの手にかかることは、生前の彼らが一番望んでいないこと。彼らの手で死なないで」 イヴは、無表情だ。 「三高平市をケイオスの最期の地にする。混沌組曲はここで最終楽章を迎え、二度と再演させない。楽団員を一人残らず、地獄の釜の中に叩き込んできて」 ――箱舟の航海に今、過去最大の嵐が到達しようとしていた。 ● 「みんなの担当は、ここ」 中央区と商業地区の境目だ。 モニターに映し出される、孔雀石色の瞳の女学生。 『楽団員・「一人上手」バルベッテ・ベルベッタ』 第一、第二防衛線を越えてきたのだ。 「ちゃっかり入り込んできた」 まさにそんな表現がぴったりだ。 「アトリエ・ステラの辺りから、センタービルに向けて進軍予定。この道を死体で埋め尽くすつもりでいる」 既視感を覚えるリベリスタもいた。 ブロンズ像「水浴の女」の周囲に密集する死体の波。 「仙台が攻略できなかったのが、よっぽど悔しかったらしい。彼女は雪辱戦を望んでいる」 今度のゴールは、センタービルだ。 「あっちがその気なら、受けて立つ。ただし、数が多いから、三チームで当たる。右翼、左翼、皆は中堅チーム。一番当たりがきついところ」 イヴは無表情だ。 「各チーム間の情報伝達、作戦のすり合わせについては、持ち場に行くまでに済ませられる。みんなのチームが一番錬度が高いから、主導権はみんなに」 三高平総力戦。戦える人間は皆戦場へ。 「『一人上手』バルベッテ・ベルベッタの特徴は、死体をとことんまで操作し続けられるところにある。分解しても、分解したところが襲ってくる」 地面に切り落とした手首が足首をつかみ、はみ出た腸が首を絞める。 切り落とした指が耳孔に入り込んで脳みそをえぐり、抉り出された目玉は喉に飛び込んで気管をふさぐ。 「だから、彼女の『死体』は、恐ろしいほど効率がいい。それから――」 モニターの中で孔雀石色の瞳が瞬いた。 チャクラムのような硬凛がリベリスタを切り裂く戦闘映像。 「霊魂を円状の刃に変えて射出してくる技を使うのが確認された。無力感に襲われるし、出血を伴う」 死体を操るだけではないということだ。 「それと、今まで獲得した手駒、六道の研究員の死体、仙台にリベリスタ組織『ハバキ』の死体も使う」 仙台のリベリスタ集団・「ハバキ」 攻性組織の名に恥じず、仙台市内への死体の浸透を食い止めた。 今度は、その刃が自分たちに向けられる。 「下手を打てば、死ぬ。覚悟を決めて」 ● 「別に時差ぼけではないわね、バルベッテ」 「もちろん、ホームシックでもないわ、ベルベッタ」 「ということは、やっぱりあの人達がおかしいのよね?」 「そういうことよ。だって、するっと集まったじゃない」 「欲しかったわ、アークのリベリスタの死体。ねえ、バルベッテ」 「欲しかったわ、凄まじくしぶとい死体。ねえ、ベルベッタ」 「「たっぷりと補給することにしましょう」」 「何千人もいるのよ」 「一割くらい貰ってもいいわよね」 「早い者勝ちよね」 「じゃ、急いで前の方に行きましょう」 「アークの地下には、他にはどんな骨があるのかしら」 「楽しそうなのがあるといいわね!」 おしゃべりに興じている女学生は、一人きりだ。 今日は、臙脂色のダッフルコートと白い毛皮の襟巻きに鼻先をうずめるようにしている。 孔雀石色の瞳。 一つの唇から、二種類の声色。 革醒者、100人余り。巻き添え一般人100人。 仙台からの帰途、行きがけの駄賃とばかりに、地方の革醒者集団を襲って歩いたのだ。 「一人上手」バルベッテ・ベルベッタは、死体調達が得意。 一音で殺し、一音で支配する。 「ここ、どこ?」 「商業地区ってとこみたい。そっちが中央区」 「センタービルってあれよね」 観光マップを手に、ランドマークを指差し確認だ。 「電車でこられれば良かったのにね。バレット様の真似したかったのに」 「ねえ、バルベッテ、この間の雪辱をしましょうよ。ここからセンタービルまでまっすぐだわ」 「そうね、ベルベッタ。押し勝ったら、私達の勝ちね」 「センタービルに一番乗りしてやりましょうよ」 「素敵ね、バルベッテ」 「素敵でしょ、ベルベッタ」 「ファンファーレは高らかに」 「楽器の中でもっとも高らかなのは」 「「コルネット。細断コロラトゥーラが最高よ!」」 さあ、箱舟の徒よ。 「楽団」が来たぞ。ここまで来たぞ。 鳴り響く天使の喇叭は、やがて来たる指揮者殿のためのファンファーレ。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田奈アガサ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年03月14日(木)23:36 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 本日、三高平市商業地区は、もぬけの殻だ。 定休日でもないのに、どの店もお休み。 それでも、一人の少女が明かりのついていない店内を丁寧に覗き込んで歩いていく。 「カフェがたくさん、お洋服屋さんもたくさん」 「かわいいお店がいっぱいね、バルベッテ」 「あのブラウスかわいいわ。これからの季節にぴったりよ」 「こっちのお店のお帽子も気になるわ。ケイオス様にお似合いよ、きっと」 「あのなんだかよく分からないもの、バレット様はお好きそう」 「いっそ、来日してからすぐにここで観光すればよかったわね。ベルベッタ」 「お店の人と仲良くなったりして?」 「わざわざお店に会員登録したりして」 「その上で、今日こうして来たら、一体どんなに楽しかったかしら」 「きっとびっくりするわ」 「絶望するわ」 「最高ね」 「ああ、残念ね。この次はそういう風にしましょう?」 「東京辺りで」 負けるなんてこれっぽっちも思っていやしない。 臙脂色のコートに、白い毛皮の襟巻き。 孔雀石色の瞳をくるくる動かす、快活で人懐こい女学生のような楽団員「一人上手」バルベッテ・ベルベッタ。 小さなコルネットを片手にウィンドウ・ショッピング真っ最中に見える彼女の周囲を歩くのは、死体だ。 時折軽く吹かれる高く澄んだ音が、200余りの死体を一見買い物客のように偽装している。そんな必要はないのに。ただのお遊びとして。 仙台を攻略できなかったバルベッテ・ベルベッタの憤怒の産物。 楽団本拠に、冷凍車にぎゅうぎゅう死体を詰め込んで戻ってきたバルベッテ・ベルベッタに、誰も何も言わなかった。 「そのときはアークのリベリスタも一緒よ」 「きっと、たくさん働いてくれるわ」 「お友達になってくれるといいわね」 「まずは、アーク本部よ」 「きっと、ケイオス様のお目当て以外にも、いっぱい色々死体があるわ」 「早い者勝ちよね」 バーゲンセールに向かうティーンエイジャーの顔が、ネクロマンサーのそれになった。 「「バルベッテもベルベッタもとてもかよわいの」」 楽団員の隠避魔法。 前衛でも後衛でもない。主役は死体だ。 楽団員に殺されるのではない。死体に殺されるのだ。 卑怯でもなんでもないスタイルの問題。 オペラでは、楽団はボックスの中に身を潜ませるのだ。聞こえるのは、音だけでいい。 「「怖い怖い狼さんがいるわ。そっと隠れていきましょうね」」 鞭声粛々、夜河を渡る。 だっけ? と、滞在三ヶ月超の自称・短期留学生は首をかしげた。 実際に横切るのは道路だが。 「準備万端みたいよ。色々ふよふよしていて怖いわ」 「うふふ。ちょっと遅れていくのがお客の礼儀よね。そう、小曲一曲分おさらいして行くのがいいと思わない?」 「「時間通りに幕を開けたらつまらないわ。ちょっともったいぶりましょう!」」 ● 信号は沈黙している。 眠りについたような三高平市内。 三十人の男女が、二百余りの死体と対峙しようとしている。 「一人上手だぁ? なめるなよ、俺だって伊達にぼっちな人生送ってねえんだよ! どっちが本当に一人上手か教えてやるぜ! その可愛らしい身体になァ! ヒャッハー!」 『合縁奇縁』結城 竜一(BNE000210)の言霊は、この場に『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086) が並び立っていなければもう少し説得力があったかもしれない。 『うるせー、りあじゅー』 『ユーヌちゃんの顔みて言ってみろ-』 と、左翼隊の方からくすくす笑いと野次が飛んで来る。 すでに考え付く限りの意見交換は済ませた。 待ち受けるリベリスタ達は、エリアが切り替わる境目。片側二車線の道路一杯に直線の陣を敷いている。 ぎりぎりだ。ここを突破されたら、中央地区。センタービルまで目と鼻の先だ。 道路の向こうから、まだ誰も現れない。 だが、すぐ近くにいるのは、わかっている。 死体に気配はないが、甘ったるく鉄錆臭い血の臭いがする。 じりじりとした緊張感の中の軽口は、不安を吹き飛ばすには効果的だ。 死体を待ち受けると言うことは、相手のペースにあわせると言うことなのだから。 前進もしなければ後退もしない、この場でとどまり屍を焼き払うと決めた。 今から、ここに火の雨と氷の雨が降るのだ。 「――皆はどうして戦ってる?」 『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)の笑顔は、この期に及んでもどこか柔らかい。 「僕は守りたい人がいる。愛する恋人と、大切な家族と友達がいる。僕達の後ろにあるのはそれだ」 センタービルには、非戦闘員が彼らを信じて待っている。 戦闘可能な者は、みなそれぞれの戦場で戦っている。 「だからここを譲るな! 決して通すな! 僕達が、境界線だ!」 鬨の声。 その声の中に、『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)も加わっていた。 (ここを三高平を守るためにここにいる) およそ出したことのない咆哮が、少女の口から溢れる。 (イタリアに向かった父と、どこかで無茶をしている兄と。大切なものが沢山ありすぎる) それを失くす痛みを知っている。 (ああ、ボクも随分と我儘になってきたものだ) その我儘を今は自分に赦そう。 (三高平に死が歩み寄って来る。春も近いというのに身震いしてしまう) 手の中の高位魔道書は付与された属性の元、ひんやりと雷音の指先を冷やす。 今から雷音が撒き散らす氷の雨は、春を呼ぶための死出への手向け。 死人の肌さえ凍てつかせる雨で、歩み寄る死を止める。 心の内より具現せよ、刃の陣。戦闘指揮権は雷音の手の中にある。 「終わったらウチで奢りだ。死ぬなよ!」 『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)は、最前列中央で、まずは景気づけと、ヴァルハラの美酒のごとき加護を振りまく。 『新田酒店の在庫、空にしてやる』、『守護神、自腹? 経費で落ちないよ、多分』、『お酒飲めない』など、両翼から飛んでくる声は、よく聞けば震えている。 軽口を叩いていないと恐慌状態に陥りそうな緊張状態が続いている。 「ベるベッテ達のせいで牛タン食べ損ねた、麦とろごはんっ! 盛岡冷麺だって食べようと思ってたのに、許さんっ!」 食い物の恨みは恐ろしいのだ。「とら」は執念深いのだと、『箱庭のクローバー』月杜・とら(BNE002285)は、ことさら明るく能天気な発言を繰り返す。 幸せな少女であることが、第一義なのだから。 「こんどこそ……悪い夢はお終いにしよう」 『尽きせぬ想い』アリステア・ショーゼット(BNE000313)は、前を見据える。 千里眼を持ってしても未だ見えないコルネット奏者。 肌を突き刺す寒さの北の街で相対した孔雀石色の瞳を思い出す。 (わたし、あなた達の事大嫌いなの。普段人を嫌うことなんてダメだって思ってるけれど、あなた達とは分かり合えないって、この前思ったから) 迎えに行くと約束した人は、今、バルベッテ・ベルベッタの尖兵にされている。 (人を「道具」のように扱うなんて許せない。身体も命も心も。あなた達が勝手に使っていいものなんて、何ひとつない!) 今度こそ、約束を守る。 (腹はくくった。立ち塞がる。ここで絶対に食い止める。死力を尽くして奴を地獄に連れて行く) 『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)は、犯罪者の親玉に名を連ねたことの告解を済ませてきていた。 (ハバキには謝らないといけないな。全て、ここで灰に還す) そのために、魔弾の射手として戦場に立つ。 「全ての子羊と狩人に安息と安寧を。Armen」 (神父様。貴方の背中を追ってここまで来ました。私の手は届きますか?) アリアドネ、いと気高く清らかな娘。その名を冠した銃弾を駆する娘よ。 答えは、いつでもその手の銃がもたらしてくれる。 踏みとどまって戦おうとする生者の声を、思いの丈をあざ笑うように、天使の喇叭が、空気を裁断する。 ネクロマンサーを飲み込んだまま、着の身着の一般人を前面に押し立てて、死体の海が来る。 「気をつけろ。わらわら出てきたぞ。全くどこから入り込んできたんだか」 低空飛行し、視界を広く取っているユーヌが一同に警告する。 その背後に、口を開かぬ寡黙なユーヌが二人。 この二人の式神にまで悪魔の舌が宿っていないことを祈りたい。 『やわらかクロスイージス』内薙・智夫(BNE001581)の体が不自然な震え方をした。 (あはは、死ぬかもしんないって思うと、何か震えが止まらないね) 「拙……」 ウぐっと不自然に言葉が詰まる。 脱走王の出番はない。 怖いが、逃げることは、他でもない智夫が許さない。 (助けて、ミラクルナイチンゲール……!) より強く、粘り強く戦うためのお題目。 「……バルベッテ・ベルベッタが来れば、何度でも防ぐのがミラクルナイチンゲールの努めです」 顔を上げ、前を見据える。そういう存在になると、自分で決めたのだ。 「これ以上の死者の冒涜は許しません、ここで決着です!」 『鉄壁の艶乙女』大石・きなこ(BNE001812)は地面を踏みしめる。 快と悠里の間に、小さなきなこが立っている。 激戦区だ。おそらく、最も当たりが強いん場所。 「耐久力に定評のあるきなこさんですよ~」 よろしくお願いします。と、ふにゃんと笑みを浮かべる笑顔は愛嬌たっぷりで、その芯の強さが強調される。 仙台戦、後衛への死体の浸透を押し戻したのはきなこだ。 「後衛陣に回復スキル持ちの方が多いので壁役をメインでがんばります」 「まずは、緩やかに、和らいで。ひたひたと。向こうがじれるほどにゆっくりと」 「シアー様の得意分野じゃない? 海から来るんでしょ?」 「海ってどっち?」 「あっちの方よ」 コルネット奏者のひとつの口から、二つの声色。 ガールズトークは止まらない。 「――そろそろ、向こうのテンションも一段落かしら?」 「こっちにつっこんでこられないのね」 「道幅が広いもの。足止めの役には立たないわ」 「かけた付与も一段落。頭数に不自由なんてかわいそうね」 「出来るだけイライラしてくれると嬉しいんだけど」 「それじゃ掛け直しの暇も与えないように間断なく」 「「コルネット奏者、バルベッテ・ベルベッタの独奏をお楽しみ下さいませ」」 聞いておられるか、親愛なる指揮者殿。コンサートマスター殿、楽団員各位。 あなた方のコルネット奏者は、あなた方が楽しんでおられるなら、それで充分。 「「喜びを」」 鳴り響く、天使の喇叭。 「そのファンファーレ、君達のフィナーレにさせてもらう」 リベリスタは待ち構えている。 「来い」 ● 死体に心はない。死体は考えない。死体は生きていたその人ではない。 それでも、設楽悠里という男は語りかけずにはいられない。 「――貴方達の体が敵に使われないよう一片も残さずに灰にします」 右翼前。 仲間を巻き込まないようにと一人陣から離れた男の表情は、いっそ静謐だ。 のしかかってくるようにかかって来る死体は、顔をかきむしり、喉笛にかみつき、耳を引きちぎり、目玉をえぐりだそうと突き出された指が眼鏡のレンズに腐れ汁を擦り付ける。 快のかけた加護で深手にはならないが、充分痛い。 (死体が動くって聞いた時は怖いと感じると思ってたけど――) いくら場数を踏んでも、お化けが怖いのは治らない。 だけど、ここにいるのは、お化けではない。 怖いとは、思わない。 (大勢の人が殺されてしまった事に対する悲しみの方が、よっぽど――) 殺されてしまった人達が悠里に手を伸ばす。 違う。殺された人の体を使って、バルベッテ・ベルベッタがリベリスタを磨り潰そうとしている。 わらしべ長者のような女だ。 最初は女子高生、それから六道のフィクサード、仙台で戦闘に慣れたリベリスタを手に入れ、それを使って200体有余の死体を掌中に収めている。 (これ以上悲劇は広げさせない!) 市内全域で戦う仲間よ、僕に勇気を示させてくれ。 「この炎が貴方達の魂を天に導いてくれますように」 悠里を中心にして盛大な炎が死体を灰に帰す。 魔力をごっそり吸い上げていく赤い炎の壁。 バルベッテ・ベルベッタの死体操作術の真髄、大量物量による強襲と、暗殺めいた小部位による奇襲の合わせ技を一切無駄にする地獄模様。 一方、左翼前。 「希望の守護神、新田快に、未来の守護者、設楽悠里だ!アークの二大巨頭に勝てるとでも思っているのか、お嬢さん!」 封印された右手を持つ二刀流フリークス・結城竜一も捨てたものではないが、本人は自分の名声については無頓着だ。 「思考はシンプルに。やるべき事を全力でやるだけだ」 ある意味、吹っ切れっぷりではこの場にいる誰よりも吹っ切れているように見える。 いや、ユーヌには負ける。 「死体をミンチにしてやるぜ」 そうあれかし。まさしくそうなった。 一本の拳と一本の刀が作る剣風が、触れる肉と骨の全てを切り刻む。 びちゃびちゃと音を立てて降り積もる、溶けない赤い雪。 これからこの道を通るたびにきっとこのことを思い出す。そんな赤だった。 「今のうちかな」 ユーヌが符を駆使して捏造した蛇と亀に仮初の玄武が宿る。 周囲を浸す強烈な水気に活動的な死体は限界まで膨れ上がって、肉で出来た水風船となる。 「來來氷雨!」 雷音が呼んだ氷の雨が、水風船を叩き割る。 アスファルトに出来る冷凍ミンチ。 顔を見合わせる二人。 「効率、悪いな」 「思ったより巻き込めない」 少しでも多く巻き込んで攻撃。 ユーヌも雷音もそれを念頭に技を繰っている。しかし、死体の出足が思いのほか遅い。 だらだらと間を空けて、のたのたと歩いてくるかと思うと走り出す死体。 無視は出来ない数。 (ハバキと六道の死体が多い場所を狙いたいというのに) 身体中の体液を抜かれ、十二月の皮をまとった骸骨のごとき六道の死体。 剣を手に、仙台を守って死んだ、二月の黒いソックスをはいたハバキの死体。 一般人の死体の中では目立つ革醒者の死体。 人垣に埋もれて見えない。 温存しているのだ。 空間に対して攻撃を解き放つ大技は、密集する敵に対して非常に効果的だが、逆の場合はロスが大きい。 勝ちはしても投げたチップの額から見たら、赤字だ。 エース級最前線の攻撃の畳み掛けであるにもかかわらず、一般人の死体が十数体。 未だ陣に到達する死体はない。しかし、徒労感が大きい。 「ミキサーね」 「そっちは、オーブンよ。更にフリーズドライと来たわ。冷凍ラグーソースを作りたい訳じゃないのに」 「では、避けていきましょう」 「大外回りでね」 「後は、覚悟って言うのを見せてもらいましょうよ」 「ジャポネーゼの覚悟はすごいらしいわよ」 「「楽しみね」」 ● リベリスタは、たったの30人だ。 バルベッテ・ベルベッタの死体が面なら、線程度でしかない。 味方でも、そういう戦いする者はいる。 重力を無視し、誰よりも早く、ありえないところから攻撃してくる者。 地面を蹴り、電柱を蹴る、ビルの壁を蹴り、空の向こうから降ってくる者。 左翼から悲鳴が上がる。 血がこびりついて固まった黒いソックス。 死体の上に張り付いた狂乱の笑い面。 それも、バルベッテ・ベルベッタの単なる遊びの一環でしかない。 左翼最底辺後衛に飛び込んで来る、死んでいる空気の精霊。 柔らかく死体の海を受け止め、苛烈な嵐と炎で焼く算段の拠点守備の陣は非常に強固だった。 攻めあがれば、せっかくの死体の数というアドバンテージが失われることを嫌ったバルベッテ・ベルベッタは畳み掛けることにした。 炎を飛び越え、嵐を飛び越え、音速襲撃、音速離脱。 血花が咲いた。 陣の最奥で、恩寵が消し飛ぶ気配がする。 「このぉ!」 杏樹の手の中で黒兎が跳ねて、見渡す限りの死体に向けて火弾を撒き散らす。 仙台で見た顔だ。たすけられなかった顔だ。 黒ソックスに着弾する前に、小学生くらいの子供が立ちふさがり、あっという間に炎に包まれる。 「大丈夫! まだ大丈夫!」 「下がって下さい!」 互いをかばい合い、ダメージを分散させる。 しかし、一撃が大きい。 加護も回復も、生死のこちら側に踏みとどまってこそ意味がある。 一気に彼岸に飛ばされては、戻ってくるには恩寵を散らさなくてはならない。 恩寵は無限ではない。 腕からこぼれる恩寵が尽きたら、仲間に狩られることに変わりはない。 「かわいいシスターさんがいるわよ、またまた」 「あの子がいるとおちおち前に出られないじゃないの」 「じゃあ、あの子をあそこに縛りましょう。倒せても倒せなくても構わないわ」 範囲攻撃に見境はない。 自分で範囲を調整することも出来ず、相手を選ぶことも出来ない凶暴な技だ。 半歩ずれる、まだ巻き込む、更に半歩。 仲間を巻き込みたくないという中堅チームの優しさが、陣に空白地帯を生み出す。 10メートルや、5メートル。 すぐそこにいる背中が、かばう身にはとてつもなく遠い。 快の前に現れる死体は全力疾走だ。 嵐と炎と氷の雨と裁きの光ををかいくぐり、満身創痍の壊れた死体がフレイルのように自分の千切れかけた腕を振り回しながら快の前に現れ、これでも食らえと千切れた死体をつかんで殴りかかって来る。 炎の海をこしらえる杏樹に渾身の力で投げつけられる、千切れた死体。 仙台でバルベッテ・ベルベッタの頭蓋を割ったシスターは、そこに立っているだけで狙ってくださいと言わんばかりだ。 至近距離射撃。鼻先でばら撒かれる炎の花。 火の粉と硝煙の臭いが、香煙の代わり。 辺りに鳴り響く福音に混ぜられる、コルネットの不協和音。 智夫が探す感情、生きている人間から溢れる感情。自分の周囲に30人分。 杏樹が探す呼吸音。死体は呼吸しない。息継ぎは、奏者特有の呼吸だ。 アリステアが探す死体の固まり、人垣からのぞく臙脂色。 バルベッテ・ベルベッタはどこにいる!? 「いませ~ん」 「必殺怖い怖い」 死体の進行を双方向から攻撃する陣形は外縁部の円滑な移動が鍵になる。 右翼左翼各チームは、雷音の戦闘指揮に従い健闘した。 しかし、想定されていた方向からではなく、大外からの三次元攻撃に対応しきるには無理があった。 外側ほど移動範囲が広くなる。移動しながらの攻撃は命中率が悪く、有効打は出ない。 中堅の苛烈な攻撃を偶々かいくぐれた幸運な死体は、左翼で猛威を振るう。 死体の波は、大波小波。 「いやだああああぁっ!?」 転倒したリベリスタの足を、半ば千切れた上半身が追いすがる。 その上半身を別の死体が引っ張る。 引きずっていく。後方に。かきむしられる、噛み付かれる。回復役のリベリスタの視線をさえぎるように、人攫いが来る。 死体がリベリスタを連れて行く。死体の海へ引きずり込んでいく。 杏樹の炎の銃弾が死体に食い込み、めらめら燃やす。 反対側で上がる悲鳴。 アリステアが放つ、裁きの光。一撃で消し飛ぶ死体。 悲鳴。千切れた腕が、腕だけでリベリスタの首を締め上げる。 「死にタグ……ない……」 恩寵はすでに消し飛んでいる。 竜一は知っている。竜一はわかっている。 一番最初にそうしたのは、竜一だ。 だがあの時はまだ恩寵を使ってなかった技量も違うまだ体力はあった今ここまで強力になり増幅されている竜一の嵐をまともに浴びて死体の下にいるあいつは無事でいられるのか早くしないと死体に喰われて新しい死体になるぞあいつの職業はなんだったっけためらっていい時間はあるのか――。 「ぐずぐずするな」 竜一の目の前、ユーヌが死体の中に駆け込んでいく。 「考えはシンプルに、だろ?」 リベリスタの前に立ちはだかるユーヌ。 噛み潰されるユーヌ。手を千切られ、足を裂かれ、はらわたをつかみ出され。 「早く」 今のうちに。まだ生きてているうちに。 「後衛の指示に従うと言ってただろうが」 ユーヌは合理主義者だ。 ためらわず、情を介さず、普通に考えて一番の方法をとる。 「こんちくしょおおおおおおっ!!」 竜一が死体を切り刻む嵐の中。 リベリスタをかばうユーヌが無数の破片になって消えていく。 リベリスタは、別のユーヌが担いできて後方に蹴り飛ばす。 「泣くな。たかが影人だろうが」 「本物」が正論をぶちまける。壊れたから急いで新しいのを作らなくてはならない。 左翼のリベリスタが生きている安堵と、目に焼きついた情景で、竜一のストレス性の涙が止まらない。 「俺にユーヌたんの格好したもの斬れとか、あんまりだ!」 「それが一番合理的だ。ミンチが増えると面倒だ。影人なら紙ですむ」 玄武が非効率的である以上、とっさの手駒に使える影人を増やした方がいい。 一秒でも時間を稼げれば、回復の手が届く可能性が高い。 「というか、竜一以外に斬らせてなるものか」 世にも希な妙なる調べが辺りに響いた。 まるでここが天国のようではないか? 仙台戦の経験者の目が大きく見開かれる。 刹那の出来事だった。 紙のように装甲を切り裂く、霊魂で作られたチャクラム。 竜一も、ユーヌも、そこにいた左翼のリベリスタも、皆まとめて切り裂かれる。 血が吹きだす。無力感が強制的に体の底に刻まれる。 バルベッテ・ベルベッタは抜け目がない。 智夫は十二月の三ツ池公園を忘れない。 バルベッテ・ベルベッタは、人が希望を見出した直後に踏み潰すのが大好きなのだ。 あの時もそうだった。 六道の研究員をギリギリ助け出し、後は戦闘区域から離脱するだけとほっと息をついたとたんに、四人殺した。 だから、近くにいる。少なくとも射撃が届く距離にいる。 (被害が酷い部分を襲える位置にいる筈――!) 高揚した感情を、明らかに色の違う感情を。 この事態を、リベリスタの顔に宿った驚愕と落胆を心の底から楽しんでいる楽団員の心の波をつかんで位置を特定し――。 「見つけましたぁ!!」 とっさに投げるジャベリン。 死体の海の中、そんなところに? と、目を見張るほど一般人の死体の中に紛れ込んでいた臙脂色のコート。 代わりに受けた死体の壊れように、楽団員はきゃああと悲鳴を上げる。 「信じられない! これ、呪いかかってる!」 必殺、ブレイク。 闘将の号を許される戦闘経験が、魔法杖代わりの智夫のジャベリンを、リンデンの葉の痕を貫く槍。アキレスのかかとをうがつ矢に鍛えていた。 「いや! 大嫌い!」 ざららと死体の波が寄って、再びバルベッテ・ベルベッタを覆い隠す。 「誰が逃がすか!」 その隠れた死体ごと燃え尽きろと、杏樹の銃弾があらん限りに叩き込まれる。 胸が悪くなるたんぱく質が焦げる匂い。 「この街を好きにはさせない!!」 雷音がバルベッテ・ベルベッタの行く末を真っ黒に塗りつぶそうとするが、それも死体に肩代わりさせる。 「怖いわ、アークのリベリスタ」 「泣き出してしまいそう」 死体の海に再びもぐる。 この死体を片付けないことには、楽団員を殺すことは出来ないけれど。 「つかんだ。感情の糸、もう逃がしませんよ」 投槍を手の中に呼び戻し、ミラクルナイチンゲールはバルベッテ・ベルベッタの特異な感情の動きのパターンをつかんだ。 ● 痛みはやまない。 一瞬炎で全てを焼き尽くす間だけやみ、またすぐ次のが来る。 孤独だ。 10メートルに自分だけだ。 それが自分で決めたこと。 仲間は焼かない。 「そろそろじゃない?」 「ええ。あの金髪のお兄さんから戴きましょう」 体と心をダイヤモンドにすべく整えていた気に乱れが生じる。 合わせてヴァルハラの戦士のごとく体内で高揚していた気配も消える。 そこを狙う死体駆け込む死体手に手に武器を持った革醒者の死体。 右翼から、悠里には当たらないように制御された苛烈な銃弾と黒い鎖と炎が死体を破壊する。 だが、磨り潰しきれない死体が進む。 更に手厚い回復が送り続けられる。 右翼リベリスタは、悠里のサポートと右端の警戒に徹底している。 それでも、自分の器以上のものは受け止め切れない。 右翼を建物の壁を足がかりにして攻めてくる革醒者に向けて、とらの「食い物の恨み」が赤い月に姿を変える。 「がんがん行くよ~、どっかん☆」 それでも死体を壊しきるには至らない。 革醒者の死体はそもそも頑強だ。 右翼に侵入するハバキの死体。 アリステアの喉から絞り出すような声が漏れる。 あの日、仙台で治しそびれた人。 回復詠唱の範囲にほんの少し届かなかった人。 アリステアは、後で迎えに行くからと約束し、それは彼の死によって果たされなかった。 「……ごめんなさい……」 助けられなかった過去についての謝罪か、今これからすることについての謝罪はアリステア本人にもよく分かっていなかった。 目も眩む閃光がアリステアの聖痕から溢れてアリステアの目に映る全ての敵を焼き払う。 その人の死体も、靴下と同じ色の炭になった。 「――頑張ろうね!」 アリステアは叫ぶ。 「一緒に。待ってる人のところに帰ろうね!」 今度こそ、今度こそ、約束を守りたい。 悲鳴が上がる。 悠里の白い制服が赤に染まる。 死体が悠里にたかる。炎に巻かれているのに焼ききれていない。 革醒者の死体は、一撃では落としきれない。 「視線、通りません! このままじゃ癒せないっ!」 悲鳴のような報告が上がる。 「設楽さん、下がって。お願い!」 悠里の炎に巻かれたら、右翼、左翼メンバーではひとたまりもない。 しかし、その炎を吹き上げなければ、悠里が死ぬ。 誰も悠里を援けにいけない。 誰にも死んで欲しくない。 雷音は祈る。 (……運命の神様、ボクたちに力をください。たった一縷の希望です。沢山の大切な人を守る力を。大好きなこの街を守る力を) しかし、応えはない。 運命の女神は気まぐれだ。彼女の心を揺さぶる情念失くして、運命に介入するなど人の身には許されない。 人事を尽くして運命に抗え。捻じ曲げるのではなく、抗うのだ。 ラグナロクが切れている。悠里が食われかけている。 視線が通らなければ悠里にラグナロクは通らない。 どちらを優先する? 中堅チームはまだしも、ラグナロクなしでは右翼左翼が瓦解するかもしれない。 だが、悠里が死体になったら最悪だ。 あの炎が、こちらに向けられたら、全滅する。 「快、悠里のとこに行け。ここは任せろ」 「新田さん、ここは杏樹さんと私がいますから!」 きなこと杏樹の声が快の背中を押す。 「君達、うちの棚、空にしていい!」 「未成年です!」 「これでも聖職者だよ」 「――ソフトドリンクとおつまみは、全部君らのもんだ!」 快は駆け出す。すぐそこ、十数メートル先の炎の円蓋の中に悠里がいる。 きなこと杏樹は前を向き直り、引き金を引き、つかみかかって来る死体の前に立ち続ける。 死体が一撃で倒れない。 炎をまとったまま眼前まで迫る。 後ろからの止めを信じてとにかく撃ち続けるしかない。 鼻先に不意に訪れる冷気。 真っ白に凍てつき崩れ落ちる死体に刺さる銀の糸のような氷に雷音の気配がする。 「――冬になると、きなこと一緒になる」 杏樹がぼそりと呟く。 二月の仙台。 去年の冬もこうして並んで、三ツ池公園で黒い魔犬に向き合った。 「あはは、そうですね。物騒なのばっかりで一緒になりますね」 「――何で、ここ志願したの」 きなこは、ことさらそういうことを口にしない。 黙々と自分の勤めを果たそうとする。 「私、耐えるの快感なので……」 冗談めかせて小声で呟く。 「飛び切りきつそうなとこを選んだってことにしといて下さい!」 それ以上は聞けなかった。 きなこも回復詠唱せざるを得ないほど、死体がリベリスタをさいなんだので。 焼いても焼いても次が来る。 度を過ぎると、人間笑いがこみ上げてくるのだ。 もう前もよく見えない。眼鏡を拭く余裕もない。いや、拭いてもまともに見えるかはなはだ疑問だ。 恩寵は、はじけ飛んでいる。 じりじりと削られていく体力と、死体をぶつけられるたびに鈍る体の感覚。 残された魔力の残量は少ない。 死体に噛み付いて吸い上げたとして、その分でこのえぐりたてるような連携攻撃を凌げるだろうか。 コチコチと懐中時計の音がやけに耳の奥に響く。 何度か通った、どこでもそうなりうる場所の気配がする。 振り下ろされる死体の剣を、気配ごと弾き飛ばすものがあった。 『守護神の左腕』 煤に汚れた盾と持ち主が悠里の視界を広げる。 「――何で、君ここにいるの」 悠里は、ぼんやりとそんなことを聞いた。 どう考えても持ち場から離れている。 「――俺は強欲になるって決めたんだ」 (此処を守れずして、友を守れずして、何が守護神か) 快は、悠里にたかる死体を体を張って悠里から振りほどく。 見る間に傷だらけにかわる確かな絆で結ばれた友の鎧には死と隣り合わせの理想の銘がついている。 誰も彼もが快に押し付け、快が受け入れた理想が、快を死地に追いやりながら死ぬことを許さない。 「みんなも守るし、もちろん、お前も守るんだよ!」 こんな所で、死なれてたまるか。 「俺をなめるな。お前の火にやられたりしないから、さっさとこいつらを灰にしろ! 後ろでお前の傷を治したくてたまらない連中が今か今かと待ってるんだ!」 数秒後、後衛のリベリスタ達は、灰となった死体の向こうに見える、ぎりぎりのところで踏みとどまった悠里と、身中に炎を残しこそしなかったが威力そのもので焼け焦げた快のために、こぞって回復誓願を唱えた。 「悠里。お前は、打ち上げ、飲んだ分、金払え」 ● アリステアは、背後を振り返る。 右翼、左翼の半数が戦闘不能となっていた。 人数が減るたび、穴が増える。一人ひとりの負担が大きくなる。悪循環だ。 ユーヌの姿をした式神が前線に立つが、革醒者の死体の前ではまさしく紙のバリケードだ。 一撃必殺の大砲で、それゆえ魔力タンクは小さめのユーヌに、せっせと智夫ととらが魔力を供給する。 「満タンチャージっ☆ って訳には行かないけど、これでよろしく!」 とらがテヘペロっと舌を出す。 訓練されたリベリスタは、極限環境でのストレスの逃がし方には長けている。 「――上から死体が来ます! 対応お願いします!」 ユーヌの魔氷拳が氷の女王の指先なら、智夫のそれはミラクルナイチンゲールスノーホワイトフェザータッチと言うところか。威力もないが、ちゃっかり当たって、きっちり凍らせる。 どさりと自由落下してくる死体に止めを刺す智夫も息が上がっている。 (味方が半分戦闘不能になったら、撤退を提案しよう) 仲間を生かすことを第一義としたアリステアの勇気ある決断だ。 (死んであいつらの仲間入りは嫌) それによって発生する、戦力の減少、敵戦力の増強、なによりどれだけのリベリスタが心を痛めるか。 臆病者と言われても構わない。 死んだら終わりだ。死んでいい人なんかいない。 ここで死んだら、私の死体がみんなを殺すのに使われる。 それだけはいやだ。どうしても避けなくてはならなかった。 大事な人達の玉の緒をより太くする為に、高位存在を召喚し終えた雷音は目元をこする。 少女は涙もろいものだが、泣いている場合ではない。 目の前が開けてきた。みんなで決めた転進基準に達しようとしている。 悠里を獲るために、バルベッテ・ベルベッタはかなりの革醒者の死体をつぎ込んだ。 中堅・左翼からの援護を防ぐため、そちらにもかなりの死体を投入し、必勝の構えだったのだが、それを竜一が職人の様相で斬り飛ばし続けたのだ。 後方の指示に従い、位置取りを変え、ピットインしていたのも竜一がそれほどの手傷を負っていない一因になっていた。 結果的には、悠里を囮に死体を減らしたことになる。 バルベッテ・ベルベッタは、引き際がいい。 今までの戦場でも損得勘定しながら戦っていた。 「今度はこちらが攻めるぞ。今ので向こうはずいぶん死体を減らしているからな」 (背中にあるセンタービルには絶対に向かわせない。室長や博士、フォーチュナの皆に手は出させない 頼もしい仲間もいる、怖くない) 「皆、前に出るぞ! 死体を倒しながら、バルベッテ・ベルベッタを探してくれ。見つけたら全力で掃討。センタービルに行かせたりなんかしないぞ!」 戦闘不能者の元にユーヌの影人を残し、リベリスタは前に進む。 死体の海に進み出すアルゴノーツ。 ● 「そろそろ勘定が合わなくなってきたわ。バルベッテ」 「赤字覚悟の出血大サービスのつもりなのにね。ベルベッタ」 「閉店セールではないわ」 「祝勝会に死体で参加は真っ平ね」 「「おいしいものが食べられなくなっちゃうじゃないの」」 バルベッテ・ベルベッタは、死体の使い方に長けている。 彼女は、リベリスタを撹乱するためだけに死体に呼吸をさせるのだから。 死体をしゃべらせることに比べれば児戯だ。 ついでに死体の服に携帯カイロを詰め込んでみたりもする。 ネクロマンサーの戦闘経験。ほとんどいたずらの域だ。 智夫は、一度つかんだバルベッテ・バルベッテの珍妙極まりない感情の糸の端を放さなかった。 導きの鳥のように指を指す先、死体の塊の中を移動しながら逃げている。 竜一は、目に付いた死体の塊につっこんでいっては竜巻きを起こす。 周辺のビルの壁に赤いスパッタリング。 「ハズレ! 次! どこだ、外国美少女!」 死体が立ちはだかるのではなく、追いすがる。竜一の腰にぶら下がる若い女、ただし上半身のみ。 ユーヌは無言で、小さな銃で無造作に女を撃つ。 仕込んだ神秘がありえない炸裂を呼び、死体はあらぬ方向に飛んでいく。 「今度は、あっちの塊!」 アリステアがAFから、バルベッテ・ベルベッタが隠れていそうな死人が団子状になっている所を千里眼で探し出して叫ぶ。 杏樹の火弾群が空を切り裂き、その一団を丸焦げの火柱に変える。 「やったか?」 「俺はかわいい女の子を愛でるために生涯を捧げた男。一度みたかわいい女の子は忘れない。だから断言する。いなかった!」 「その性癖もまれに役に立つな。行け、追い立てろ」 「でも、愛してるのはユーヌたんだけだよ!」 「わかってるから」 竜一は、真面目にしなくてはいけない時ほど不真面目を装う。 ● リベリスタの数が減る。仙台戦と反対だ。戦闘を続行できないものから膝を折り、邪魔にならない後方に引き上げる。 バルベッテ・ベルベッタに引きずり回されている。 「右翼と左翼で決めてたんです。攻めあがるときは、中堅のみんなをかばおうって」 「俺らじゃ倒せないから、つうか、お前らに死なれたら俺らもアウトだから」 「絶対死ぬなよ、迷惑だから!」 魔力を吸い上げるための死体も少なくなり、そもそも悠長にそんなことをしていてはバルベッテ・ベルベッタは逃げる。 ラグナロクで供給される魔力は、ほぼ自転車操業で吹っ飛んで赤字。 チャージしてくれる智夫ととらが、魔力を同調によって水増しして供給している。 無駄撃ちは出来ない状況だった。 悠里はそれでも炎の中にいた。 誰も近くに寄れない孤独な戦いだ。 それでも炎が晴れたときには仲間がいるから、死体の冷たい血をすすってでも前に進まなければならないときがある。 「かわいそうとか、楽団は人でなしとか言いながら、そういうことはするのね」 「涙と一緒にすするのよ、きっと。背に腹は変えられないわ」 「搾取ね、バルベッテ」 「搾取だわ、ベルベッタ」 死体の影から声がする。 「ごきげんよう。いい感じによれよれになってくれているから、遅刻した分、小曲を一くさり」 「聞いて、まだ生きていられたら、あなた達、おうちに帰っても構わないわよ?」 「死んだら、お友達になりましょうね」 細断コロラトゥーラ。 天使の喇叭。 一音で殺し、一音で支配する。 高らかに鳴り響く旋律は、空気を切り裂き、飛び散る欠片は光の結晶が降るようだ。 こんなに美しい音色なのに、美しいと思うものは一緒なのに、どうしてこんなにまで相容れられないんだろう――!? ああ、魂さえ開け放ち、独占するためなら、全てを排除したくなるほど鮮烈な――。 「やめてえええええええええ!!」 アリステアが絶叫する。 効果範囲の中に、まだ右翼、左翼チームのリベリスタが残っていた。 終末戦争のための加護を受けたとしても、心を奮い立たせるまでの刹那に起こる事象はとめられない。 互いに互いを傷つけあうリベリスタのために、アリステアは最後の回復誓願をする。 「撤退しよう! みんなが死んじゃう!」 アリステアは叫んだ。 それまで気丈に戦い続けた少女の叫びに、勝利を確信して笑うバルベッテ・ベルベッタ。 高らかに鳴る、指揮者殿に捧げる凱旋曲。 ● (此れを倒せずして――何が守護神か) 撤退を促すアリステアへの快の答えは、帰ってこられない戦いに赴く戦士のための加護。 「わたし、まだちょっとだけ余裕あるんです。皆さんが楽団員を倒すのに必要なくらいの傷は治してあげられます」 きなこの回復詠唱が、満身創痍のリベリスタに最後のチャンスを与える。 バルベッテ・ベルベッタの誤算。あるいは臆病が招いた悲劇。 すぐは接敵されない距離をとっていたことが仇になった。 ハリネズミのジレンマ。 雷音との手から放たれた符が、入念に仮初の星辰をずらし、楽団員のろくでもない未来を勝手に占い、決定付ける。 ユーヌの玄武がこれ幸いとバルベッテ・ベルベッタとその壁にのみ、空気の中で溺れ死ねとあらん限りの水気を送る。 ずっしりと体の中でよどむ重たい水が、バルベッテ・ベルベッタの動きを、何より繊細にして俊敏な指を鈍らせる。 「音楽よりパントマイムの才能がありそうだな、コメディエンヌ? お前も、二度ネタ三度ネタ、そろそろ落ち目か。悪いことは言わない。ここで死んでいけ」 「ここから先は通さない。僕の大事な人達を決して殺させない」 ぼちゃぼちゃと音を立てて転がる水風船。 「ぶよぶよ☆」 とらの作り出す赤い月が、体を蝕む凶事を数え上げて、その数呪う。 「今回は車の送迎なしか。タイヤとエンジンから火を噴かせて、棺おけにしてやろうと思ってたのに」 超遠距離から杏樹の放った精密な銃弾が、『細断コロラトゥーラ』のピストンボタンを撃ち砕き、バルベッテ・ベルベッタの心も壊す。 「誰も僕に近づくな!」 駆け込んだ悠里の炎蓋が、最後の死体の塊を燃やす。 バルベッテ・ベルベッタは、まだ死なない。 焼け焦げた肌の下、孔雀石色の瞳は死んでいない。 「勝つのよ、こんな所で死なないわ。ねえ、バルベッテ」 「逃げるのよ、こんな所で死にたくないわ。ねえ、ベルベッタ」 「こいつらを全部倒して、ケイオス様に合流するのよ」 「ここは逃げて、バレット様に合流するのよ」 「私の言うことを聞きなさいよ、バルベッテ」 「私の方が正しいでしょう、ベルベッタ」 「――アリステアさん、後一手だけ。そしたら、みんなで逃げよう?」 泣きじゃくるアリステアに、智夫はそっと話しかけた。 ミラクルナイチンゲールで止めをさしたらいけない気がする。 だから、智夫なのだ。 「もう、ばか! みんな、ばか! 私、もう、癒してあげられないのに! 絶対、絶対、みんなで生きて帰れなかったら許さないんだからぁ!」 だから、アリステアが唱えるのは魔法の矢。 「『一人上手』! 私はあなたが大嫌い! あなたのせいでこれ以上誰か死んだら、許さない!」 帰る。みんなで帰る。 人を、傷つけてでも! その矢の後を、智夫の投槍が追う。 必殺の槍。それを避けようとしたバルベッテ・ベルベッタが大きくバランスを崩した。 守りの死体を失い、アーティファクトを壊され、脳内会議の収拾もつかない。 最後の抵抗のエンジェルリングも、快が体を張って弾き飛ばす。 竜一は、かつてこう言った。 『俺は、このゲスい思考とクズい判断力をもって歴戦と呼ばれているのさ!』 罠は、始めから張られていた。 ずっと同じ技をバカみたいに使い続けてきたのだ。 秋の駐車場でも、『一人上手』は、その技を見ていない。 ずっと、バルベッテ・ベルベッタが消耗し、仲間が壁を取り去ってくれるのを、目を凝らしながら待っていたのだ。 「――切り札ってのは、ここぞ、という時に使うもんだろう?」 悪魔の舌を持つ少女の彼氏は、どこかが悪魔でなくては釣り合いが取れない。 なけなしの体力を炸薬にし、耳を劈く悪魔のような奇声を上げて、臙脂色のコートに刀と剣が叩き込まれる。 外国美少女、生死を問うぞ。 楽団員『一人上手』バルベッテ・ベルベッタ、おまえの生死を問うぞ! 「――秋に、この人を連れて帰ってればよかった。ねえ、バルベッテ」 「――そうしたら、いいお友達になれたし、ここでこんな目に合わされることはなかったのにね、ベルベッタ」 聞いておられるか、親愛なる指揮者殿。コンサートマスター殿、楽団員各位。 あなた方のコルネット奏者は、あなた方が楽しんでおられるなら、それで充分。 「一人上手」は、末期の息で細断コロラトゥーラに口付ける。 たどたどしい音だったけれど、それはまさしく天使を呼ぶ喇叭。 「「バルベッテもベルベッタも、『楽団』に忠誠なの」」 最期まで。 ● 本部に緊急入電。 第二次防衛ライン、商業地区・防御成功。 ただし重傷を含む負傷者、多数。 死者、なし。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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