● その音色をなんと喩えようか。 陳腐と言えば少女は唇を尖らせる。幼稚と言えば少女は頬を膨らませる。 フュリ・アペレースは『木管パート』の少女であった。浅黒い頬に掛かる銀髪。黒いゴシックロリィタのドレスは『休日のお出かけ』を楽しむ様にしか見受けられない。 「あたし、暇は毒だわ。だから、忙しいの、そうよね、そうよね?」 「でもフュリ嬢。潮騒よりも君の音色は騒がしいから『暇』なんてしないでしょ」 フュリの背後で首を傾げた少年はクラリネットを指で操りながら周辺を見回した。 ケイオス・“コンダクター”・カントーリオ――彼等の大指揮者が望んだ演奏はアークに居る『塔の魔女』の思惑通りである事が彼等の居場所からはっきりと見て取れた。 静岡県三高平市。人気――否、生気のない商業地区で楽しげにウィンドウショッピングを楽しむフュリの手にはリコーダー。そして、リコーダーを握り締めない左手は色白の少女と繋がれている。 「『あかいろ』ちゃんは三高平に居たのよね? ねえ、楽しいお店を聞かせて頂戴」 死人に口無し。けれど、フュリ・アペレースはモーゼス・“インスティゲーター”・マカライネンが一度は有能だと口にした事のある木管奏者であった。握りしめる物が『幼稚』で『陳腐』であれど、技能だけは卓越していたのだ。 「『そうね、じゃああっちにいってみましょう』」 「わあ、ほら、ハリューチェちゃん、『あかいろ』ちゃんが呼んでるわ!」 行きましょう、と黒羽の少女の手を引くフュリの背中をハリューチェは困った様に見つめるしかない。 進むたびに、ぐちゃり、と抉れる音が。血の臭いが鼻につく。呻き声と叫び声が『音色』の様にハリューチェの鼓膜を揺さぶった。彼の周りを歩む人々は『生きて』いない。全てがフュリの遊び道具なのだから。 ぐちゃ、ぐちゅ。叫び声が、劈く様な痛みの声が、恐怖を湛えるにんげんのこえが。 少女は怯まない――楽しげに奏でるのみ。 少女は迷わない――その先に行けば『更に楽しく遊べる』のだから。 フュリ・アペレースは『ひとりぼっち』。だからこそ『玩具』の手を引いてお人形遊びをするのだろう。 一人ぼっちで、二人ぼっち。結局残るのは一人だけなのに。 少女が連れる死体の影が重なり合って揺れる。フュリが手を引いた『紅玉魔女』桐生 千歳(BNE000090)の色違いの瞳は生気も無く『死』を灯して要るだけだった。 ● 慌ててブリーフィングルームに滑り込んだ『恋色エストント』月鍵・世恋(nBNE000234)の表情を視る前から緊急事態である事はリベリスタ達には判っていた。 「ご存じの通り、『楽団』が攻め込んできたわ。アシュレイさんの言っていた通り、ってことね」 横浜外人墓地でケイオスの戦っている様子を見つめていたアシュレイが口にした未来――ケイオスの次の狙いは三高平市の制圧である――はある意味では混乱を加速させるには容易かったのだろう。 「アシュレイさんが三高平直接制圧と口にした事には理由があったの。 第一に『楽団』の構成員の問題よ。確かにあちらは強いけれど、こちらの戦力と比べれば構成員の数は圧倒的に此方が優位よ。運命は誰にも平等ではないのよ。 第二にケイオスにある干渉力――首を刎ねられても笑っていたの? 私はリアルタイムで確認していないけれどそう聞き及んでいるわ。まるで『お化け』ね。普通の人間ってそれだと生きてられないでしょ?」 問題です、と茶化す様にいう世恋にリベリスタは先を促した。そうしてる間にも時間は刻一刻と過ぎて行くのだから。 「アシュレイさん曰く――ソロモン七十二柱が一『ビフロンス』ではないかしら。ケイオスの親愛なるご友人に一人、『そういうの』を従えてる人がいるわよね?」 「……キース・ソロモン」 「ご名答。『魔神王』キース・ソロモンの助力の可能性があるわ。ビフロンスには伝承では『死体を入れ替える』事ができると言うの。空間転移の可能性があるとアシュレイさんは見ているのよ」 厄介な事ね、と唇を尖らしたフォーチュナの指先は資料を捲くる。聞き及んだ情報でも莫大なものなのだろう。緊急事態である以上伝える情報選びにも世恋は迷っている暇が無かった。 「その能力があれば此方に――三高平に攻め込む事ができる。おわかりかしら? まあ、此処まで言えば第三の理由は言わずもがなね。アーク地下本部には『あの』ジャック・ザ・リッパーの骨が保管されているわ。厄介な芸術家様はその厄介な喝采願望を満たすために『公演』を劇的なものにしたいそうよ」 三ッ池公園に攻め込んだ『木管パート』のモーゼスがジャックの残留思念を呼びだす事が出来なかった事は『格』の違いでしかなかった。更には『骨』という此の世の拠り辺があれば大敗よりも更なる『悪夢』を見れる事だろう。 瞬いたフォーチュナは『塔の魔女』の提案を振り返る。彼女の提案は二つだ。一つ目は三高平市に結界を張りケイオスの空間転移座標を『外周部』へとずらすこと。二つ目は何処かに存在するケイオスを捉える為に万華鏡と彼女らフォーチュナの力を貸すというものだった。 「……正に危険な航海なのだけど、一つ、荒れ狂う海に出て頂きたい訳なのよ。 皆にお相手して頂きたいのは市内の商業地区で『暢気なウィンドウショッピング』をしているリコーダー奏者よ。名前はフュリ・アペレース。モーゼスの率いていた『木管パート』の一人ね」 幾度もアークとの戦闘を行っていた少女の名前に聞き覚えがあるリベリスタが顔をあげる。 「暢気なウィンドウショッピング、と称すには血生臭いかしら。今、何人かのリベリスタが迎撃にあたっているわ。三高平市民として彼女の進軍を喰い止めてくれているの」 市役所で私もあった事ある子よ、と予見者は付けくわえる。迎撃を行っている面々はフュリの連れる100人程の死体の人数を――フュリは怨霊を呼びだす事にも長けている為にそれよりも更に増えているだろう――相手にしているのだろう。彼等とて死んだら『フュリ』の玩具となる。それは判り切った結果だ。直ぐにでも自分達も増援として向かうべきだろう、とフォーチュナは告げた。 「彼女、攻めてくると共に『少女らしい事』がしたいんですって。まるでお人形遊びね。街でお店屋さんごっことかして見せているのかしら」 皮肉を言う様に、顰め面で言う世恋。『暢気なウィンドウショッピング』と称した理由は其処だろう。 「――後、一つ。桐生 千歳さんのお知り合いっているかしら」 周囲を見回して、フォーチュナは震える声で紡ぐ。自身がいってらっしゃいと送り出したリベリスタのうちの一人だからであろうか。彷徨った桃色の瞳は一度伏せられてからリベリスタへと向けられた。 「フュリが連れて『遊んでいる』わ。彼女は死体であるから、感情も残っていない。ただ、其の体の操作に長けたフュリは『お人形遊び』をするように彼女の声帯で語りかけてくるでしょうね」 『こんにちは』でも、笑い声でも。死者の言葉と言うのは残された者にとっては救いであり呪詛である。 フュリ・アペレースには死を尊ぶ感情は無い。彼女にとって死は常に隣り合わせにあり、死は『友人』であったのだから。痛みを感じても、死んだとしても、誰かが自身を愛してくれると甘い余韻に浸れるほどに『死』は彼女にとって『恐怖』とは別の位置づけであったのだから。 「……私がお願いしたいのは、フュリの進軍を止める事。それから、千歳さんの死体を奪還する機会だから、それも、出来るならば」 一言一言、絞り出す様に紡いだ後、世恋は祈る様に目を伏せた。 「――どうぞ、ご武運を」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:椿しいな | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年03月11日(月)23:32 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● その音色を何と喩えようか。 陳腐と称すには余りにも過激であって、幼稚と称すには余りにも大人びていた。 『紅玉魔女』桐生 千歳(BNE000090)の手を握りしめて楽団員の少女は、フュリ・アペレースは見慣れない街の景色に微笑んだ。しん、と静まり返った三高平の商業地区で『ウィンドウショッピング』の真似ごとをする少女は死者の列を連れて歩きまわっている。 彼女は『ひとりぼっち』だった。 ――それは彼女自身の境遇だった。 彼女はそれ故に玩具を探す様に『死体』を操った。彼女の操る死体は玩具であって、友達だった。 口もきけない、言葉を発するにも『自分の思う事』しか言わない友達。フュリ・アペレースは喧嘩をした事も無かったし、唯の一回も友達と普通に『遊ぶ』事はなかった。 人生においてフュリが居場所だと思えたのは楽団の『木管パート』だけだったのだ。 モーゼス・“インスティゲーター”・マカライネンの誘いで襲った三ッ池公園で奏でた五重奏の狂想曲で彼女は初めての想いに歓喜した。同じ公園で六道紫杏が行った攻撃の際に遊びにと現れた時、アークのリベリスタの存在をしっかりと認識した。そして――彼女らの指揮者が仰いだ『破』は同じ『木管パート』のゼベディ・ゲールングルフの喪失を知った。 「だから、あたしはね。あたし、『あかいろ』ちゃんとお友達だと思ってるわ」 「『そうね、仲良くしようよ』」 「うん、そうね、仲良くしましょう」 ――作りものの、紛い物。お友達ごっこは始まった瞬間に、終わったのだろうか。 「ちぃ! 俺だっ!」 呼び声が、聞えた。 ● 『貴方が生かすなら、私が殺す――!』 そう言った声は自分の『妹』にしては冷たく感じた。其れが彼女と『破邪の魔術師』霧島 俊介(BNE000082)の違いであったのだろうか。相容れないものでもあったのだろう。 妹が死んだと聞かされた時の俊介は「そっか」と言葉を零す事しかできなかった。唯の一度も泣かなかったと云えば嘘だった。感情が昂らないと云うのも嘘だった。 「ちぃ……久しぶり。少し見ない間に、痩せた、かな?」 零した言葉が、空洞の様に何も映さなくなった千歳の瞳を真っ直ぐに見据えていた。ただ、其れは直ぐに死体の群に隠される。俊介は『彼女』を迎えに来たのだった。 彼にとって失った『モノ』は多かった。楽団が彼に与えた衝撃だって大きかった。絶望の味を知ったとも言えようか。 「大丈夫か、霧島」 かけられた声に落ち着いてる、と微かに声を返す。サングラスの中で伏せられた『無銘』熾竜 伊吹(BNE004197)の瞳は己の胸の中にある優しい同僚の――息子の様な彼と同じ黒羽の少女を探していたのは確かだろう。一度はその攻撃を与える為にその前に立ちはだかった事のある男は、長い髪を揺らす少女の名を小さく呼んだ。 「フュリ・アペレース」 「――御機嫌よう、『箱舟』のお兄さま、お姉さま」 声は死体の群の中から静かに聞えた。ただ、その声だけが響く様に。静まり返った商業地区の何処からか、激戦の物音がする。市内が激動する音がする。ケイオス・“コンダクター”・カントーリオの望む楽譜(スコア)をなぞる音がする。 死者の群の中、その姿をハッキリと表したクラリネット奏者は、未だ隠れるように『死体』と手を握り合うリコーダー奏者に視線を遣ってから、笑う。 少年の顔に見覚えがあった『灼熱ビーチサイドバニーマニア』如月・達哉(BNE001662)が期待を含めた眼差しで彼を見つめる。やっと、だった。やっと見つけたと思ったのだ。 「よう。下品で気持ち悪いリサイタルはここでフィナーレとさせて貰うぞ」 彼の言葉に、120もの死体の群の中から少女の高い声が「だあれ」と響く。甘く、そして何処か柔らかなその声はフュリ・アペレースのものだった。 「正月ン時は仕事が忙しくてね、お前らと会うのは二回目かな」 彼女からの視認は通らない。耳を澄ませ、その声を聞いて小さく首を傾げる。無論、ハリューチェは達哉の存在を覚えていた。あの潮騒の響く場所で、出会った男だ。 「――ハリューチェちゃん、お友達?」 「アペレースも会ったことあるんじゃないのか。ほら、あの、公園の……」 フュリの言葉に相槌を打つ様子等、普通の少年少女に違いない。達哉の口にした『下品なリサイタル』という言葉がフュリの癇に障ったのだろうか。知らないわ、と唇を尖らした少女にクラリネット奏者は呆れ顔を浮かべて達哉を見遣る。 「その後、どう? 僕らの『指揮者』を止めるって言っていたよね」 さあ、とサングラスの奥で細めた瞳。ハリューチェが握りしめたクラリネットの音を掻き消そうとしたショルダーキーボードの音色を少年は覚えていた。あの潮騒の聞こえる墓地で出逢ったのは達哉だけではない。 「……リベンジ、だね……」 ふわりと夜色の髪が揺れた。鮮やかな金の瞳を伏せて、『無軌道の戦鬼(ゼログラヴィティ』星川・天乃(BNE000016)はあの日、死体に呑まれた事を想いだして、瞬きを一度、何処か想いを噛み締める様に行った。リベンジと、其れに合わさる『仲間の奪還』。 一度、俊介の目の前に現れた色違いの瞳。彼と同じ赤い髪。優しげな微笑を浮かべて居ながらも眼は空洞の様に何も映さないその姿は、アークで同じ仲間だった少女――その死体だった。 天乃にとっての闘争は欲求の果てであった。その為にアークに居ると云っても過言ではないのだから。だが、この現場にいると聞いた少女は天乃とは同じ事件を追い掛けた仲間だった。 共に駆けた空の色を今も覚えている。金の瞳が閉ざされる。見据えた死体の群に、常人の物より研ぎ澄まされた五感を持って死地へと望む。 「……まだ、道半ばで、散ったのは二人目。想いを継ぐ、とは言わない。ただ、私は戦い、楽しむのみ」 嗚呼、奪還何て言葉がなくったってなんと『楽しそう』だろうか。一度、墓地で出逢った少年の顔を見て天乃はにんまりと笑った。 楽しそう。その言葉は『陰陽狂』宵咲 瑠琵(BNE000129)にとってその行動の一番の概念であった。彼女にとっての目的は常に己の欲を満たす事。その為ならば手段は選ばない。それが宵咲の当主だ。 「ふむ、そうかそうか――」 一つ、言葉にして天元・七星公主に添えた指先が引き金を撫でる。血色の鮮やかな瞳が細められ、一族の長たる表情が浮かべられる。普段の我儘な幼子の姿が隠される。長い、紫の髪。改造された和風のゴシックロリィタの裾が持ち上がり口元へと宛がわれた。 「遊びに来たのか。フュリ。待っておったぞ。歓迎してやろうではないか」 彼女にとってのフュリは嫌悪する部類では無かったのだろう。死者も生者も亡者も凡て彼女にとっては余興の一つ。余裕を浮かべたソレは遊びを楽しむ可愛らしい幼女の顔では無い。80余りの長い月日を過ごしてきた宵咲の女の顔であった。 「じゃが、悪い子にはお仕置きじゃよ? 思う存分可愛がってやろうではないか。フュリ。 前はお主と沢山遊んで遣れんかったのぅ。遊びの続きをしようかぇ?」 ● へらりと浮かべた笑み。直死の大鎌を構えた『偽りの天使』兎登 都斗(BNE001673)はゲームを楽しむ様に周囲を見回して、増援のリベリスタの姿を探した。120もの死体の軍勢を相手にする増援リベリスタは散り散りに存在している。彼等と固まって動くのは確かに指示統一には簡易的であろうが、そうそう容易くも無いだろう。 全体指揮を任されている『戦奏者』ミリィ・トムソン(BNE003772)はアンサングを握りしめて散り散り存在してるリベリスタへと声をかける。広がる彼等を集めるのにも一苦労だ。だが、リベリスタ達の合流で、顔見知りが増えたことに動作を変えたフュリの様子から先にこの場での戦闘を展開していたリベリスタ達はミリィや都斗の存在に気付いている。 「皆さん、こちらへ。共に動きましょう!」 死体が壁にもなるだろう。戦場としては商業地区。何時もなら障害物に思えない電灯だって今は邪魔で堪らない。 ミリィの声に応じて集まろうとする彼等に安堵しながら、彼女は目線を真っ直ぐに前へと向ける。見据えた先、彼女が思うのはフュリの事だろう。ぎゅ、と握りしめた指揮棒が、彼女の演奏を止める様にす、と掲げられる。 「任務開始。さあ、戦場を奏でましょう――」 その声に合わせて動き出す『続・人間失格』紅涙・いりす(BNE004136)。耳を澄ませ、合流するリベリスタ達の居場所を次々に特定していく。だが、その位置はまだ遠い。視線を揺れ動かし、無銘の太刀を握りしめたまま、幻想纏いを通して響くミリィの指示をしっかりとその耳は捉える。 「やれやれ、小生もしぶと過ぎるのかな」 それはフュリにだってそうだ。公園で出逢った時に、楽しげに笑ってた。彼女に向けて言いたいことだって沢山あった。けれど、それ以上にいりすは彼女に期待している所があるのだ。 いりすにとっての愛は何物にも劣らない。愛は常に『言葉』として定義され続けるものだ。昔、何処か、心の奥底で鮫が望んでいた「愛して欲しい」の言葉を体現する様に行動していた。其れが何処かに残っているのかもしれない。 だが、その意思を鰐は誰のものかは分からない。何処か、その身で疼く物があるというだけ。 広がる闇を身に纏い『黄泉比良坂』逢坂 黄泉路(BNE003449)の握りしめた斬射刃弓「輪廻」がきり、と音を立てる。陣形の中衛位置。彼の隣でレイピアを握りしめたアルトリア・ロード・バルトロメイ(BNE003425)の茶色の瞳もすぅ、と細められた。 「闇よ! 来たりて、我が身の盾となれ!」 前へと歩み出る彼女の盾に死者の拳がぶつかる。受け流しながらも二重に闇を纏う彼女の隣、とん、と地面を蹴り宙を舞いながら天乃は死者の上空を往く。 その先、存在しているのは死者に分断されていた増援部隊だ。位置が分からなくても、音や匂いがあればそれで場所を特定できる。唯、相手が死体である以上異臭に鼻を曲げない事はなかったのだが。 散り散りであれど或る程度は固まって行動できていたリベリスタにとっても『ゼログラヴィティ』が戦場に登場するのは随分と心強いものだろう。 「力、を貸して」 その一言が、どれほどの力になったであろうか。天乃という少女は戦いを楽しむものだ。戦闘狂にとって、もしかすると彼等は邪魔ものである可能性がある。 ぐ、と足に力を入れて、彼女が狙おうとするのはフュリとハリューチェだ。背を向けて、合流したリベリスタ達に向けて、一瞥される金色に含まれるのは明確な戦意。 「死にたくなければ、死に物狂い、で戦うといい。 哀れな人形、になりたくなければ、引き際を見誤らない、で。それじゃ、楽しい楽しい、闘争の宴の始まり」 それが、ぞわりと背筋に走らせた恐怖は酷いものだろう。周辺の魔力を取り込みながら終焉世界の嵌った指先をじっと見つめる。一対の指輪はその指先でも均衡を取るには至らない。不安定な力がその体を苛み続ける。俊介の眼は千歳を見つめているのだろう。死体たちの遥か後方。フュリと手を繋いでいた妹に。 居ないと割り切っている。けれど、その体が何処に居たって必ず迎えに行くと決めていた。 「奏でれば奏でる程、孤独である事を知らしめてやる、お前の楽しいをぶち壊してやるよ!」 「『一人じゃないよ? だって、ちぃが居るんだもの』」 言葉を紡ぐ。それが意地の悪い遊びであることを俊介の心は痛いほどに理解していた。死んだと報告書を読んだ時に、零れた言葉の意味を理解できなかった。 たった三文字だった。「そっか」と零したその言葉は何にも変えられないほどの大きな絶望だった。ぎり、と唇を噛み締める。死に物狂いになってでも千歳の体を奪い返したいと、殺したい程に絶望しても、生かしたがりは『殺す事』なんてしたくなくて。 「寂しがりよの」 瑠琵の零した言葉。陣営は増援の合流を待ちながらも死体への牽制を怠らない。千歳を見つめる俊介とその操り手を見つめる瑠琵。死体に阻まれていても物言わぬ彼等の中、戦闘の音色だけしか響かないその中で、少女の奏でる音色は美しいままだ。 クラリネットの音色と、リコーダーの音色。管楽器が奏でる二重奏は死体たちを操ってリベリスタを襲わせる。伏せられていたハリューチェの眼が、達哉へと向けられて、笑った。 暗闇が真っ直ぐに死体を巻き込み続ける。増援リベリスタとの合流を果たしたミリィが仲間達へと施す効率動作。振るわれるミリィの指揮棒に合わせて達哉が奏でる演奏。彼の目の前にいる死体に絡みつく気糸。だが、達哉が期待した行き手を遮る者を薙ぎ払う力は其処にはない。 増援との間にあった壁を壊す様に直死の大鎌を振るう都斗のぼんやりとした視線は何処か楽しそうに笑みを浮かべる。遊びは常に楽しくなければならない。楽しくないゲームなんて暇つぶしにもならないだろう。 「前回は痛み分け……いや、一人取られたから勝ったって感じはしないよね。 今回は最後の最後まで遊びつくそうじゃないか、フュリくん。楽しもうよ」 「あたしは楽しいわ。だって、だって、Allegro con brio――楽しいんですもの! ケイオスさまの楽譜をなぞるだけなんてナンセンス。嗚呼、けど、これなら『遊びがい』があるわっ」 ハリューチェに「Presto ma non troppo――」と告げたフュリの目は鮮やかな輝きをもっている。彼女が輝きを持つのは彼女のソロ・パート。ハリューチェとの二重奏とて演奏としては上出来でも、少女は自らが連れる死体に最高のショウ・タイムを与えたいのだろう。 「小生は、君の言う処の『モーゼス様』や『ケイオス様』なんぞより、君に期待してるんだぜ?」 「そのご期待に応えてあげる。あたしは遊びたいの。遊んで下さる?」 くすり、と笑ったフュリの言葉に答える様にいりすのリッパーズエッジが振るわれる。吸った血を活力に変えると云われる呪われたナイフ。血に濡れた様に赤い刀身が死体の肉体を喰らう様に闇を産み出していく。フュリに届かせようとする前に、彼女が操る死体が彼女の体を庇い続けた。 ふわりと揺れるスカートのレェス。響くフュリの『久遠の音』。立ち上がる怨霊達はどれも実体を持ち、攻撃を与えてくる。驚異的な数の増え方に都斗や伊吹のノックBにより開いた穴は直ぐにふさがれてしまう。 「殿、よろしく頼むよ? その代わり、回復は頑張るから、ね?」 頷く増援達の中で、都斗が歌い続ける。歌って回復を施さなければ増援リベリスタの余力も少ないのだろう。攻め立てる怨霊の中で、癒し手として常に仲間達に気を配っている俊介とて、早く妹の元へ向かいたいと急く気持ちを抑えるのみ。 たん、と跳ね上がる。仲間達に気を配りながら――しかし密集した陣形では巻き込む可能性も否めない――天乃がステップを踏む。切り刻む様に、忍びとしての術を使って、天乃は一歩一歩死体を斬り刻み続ける。 「巻き込まれない様に、気をつけて、ね。……一応、だけど」 「ああ、お前ら、共に戦えるのは嬉しいが無理はするなよ、戦友」 相槌を返し都斗の癒しのサポートを受けながら、殿うとして行動する伊吹のサングラスの向こうで瞳が揺らぐ。防御に専念し持ちこたえて欲しいと彼が掛けた声がどれほど仲間達を励ました事であろうか。 紡ぐ言葉が、伊吹の本音か、けれど、其れさえも悟られぬ様に言葉ははっきりと、そして強くなった。 「俺に――これ以上味方を手にかけさせないでくれ」 投げられた白い腕輪がひゅん、と音を立てて死体を薙ぎ払って行った。 ● 増加する死体の中を進むリベリスタ達の消耗は激しい。俊介が癒しを呼び込むごとに、彼の消費も大きかった。逸れる者が居ない様にと留意した伊吹の気遣いにより一丸となって向かっていたとしても死体の中を進むという行為は中衛、後衛であれど危険であることには違いあるまい。 全員がその場を進む。革醒者の死体が降らす雷が身を裂くような痛みを与えても黄泉路は怯む事が無い。どの様な痛みも、経験も己の糧とする。其れこそが技への執着であり、探究の学徒である彼だ。 「絶対に、負けられないな。……負けてばかりというのは性に合わん」 ハリューチェもフュリもどちらも完全たる勝利を行えていない。俊介の妹――千歳の事を想うと黄泉路の脚は止まる事を知らなかった。真っ直ぐに弾かれる弓が生み出した暗闇が死体たちを包み込む。タフなソレの中でもフュリが生み出し続ける怨霊は弱い。 彼女が生み出す怨霊の位置を彼等はしっかりと把握してはいなかった。だが、黄泉路の超直観はそれが何処にいるかを――生み出されるタイミングなどからラーニングという『敵を理解する素質』もあってか――把握する事が適っていた。 フュリの生み出す怨霊は死体と比べて仮初の実体を得ていた。それ故に弱くもあり、彼女が精密操作を複数に行えたとしても、生み出す其れが近くにいる以上『彼女の近く』は攻撃が甘い事も確かであった。 「例え非力なこの身であろうと、最大限にこの力を使わせて貰う……!」 盾を手に息を吸い、何よりも真っ直ぐに暗闇を放ち続ける。俊介や達哉を守るアルトリアの傷は深かった。闇を盾にし、ラージシールドで受け流す。其れでもうけきれない傷が彼女の膚を傷つけ続けた。 「くっ……」 分かっていた、目の前の亡者もかつては意思を持ち活動していた生ける者であったことを。 知っていた、彼等がその意思で動いている事ではないと云う事を。 「貴公らに手をかける事が此処まで心を揺さぶるとは――赦せ、貴公らの無念は我らが果たそう」 余裕を持っては居られないと分かっていた。前衛で仲間をかばい続けるアルトリアであるからこそ分かっていたのかもしれない。ハリューチェもフュリもどちらも敵である事は解る。彼等が『悪事』を働いていることをしっかりと理解している。 生への冒涜。其れこそが赦しがたいことであるのだ。死体を操り死を冒涜する。 それが彼女を突き動かすものだったのだろう、レイピアを握りしめる指先に力が篭る。何に変えても、全てを救いきる。其れこそが、彼女の――アルトリアの騎士道だ。 「一気に、行くよ」 だん、と地面を踏みしめた。天乃は死を恐れる事はなかった。死に物狂いで戦えと告げた。その通り、彼女だって死に物狂いの闘争を行っていた。魔力鉄甲が唸りをあげる。 死者を人形の様に縛り上げ、彼女の金の瞳に浮かんだ恍惚は闘争への思いであろうか。 ――笑って逝ければ良い。其れが闘争の果てなら良い。 「ヴィ兄や、ルカルカは怒る、かな」 ジャックにいい土産話ができるではないか。戦いの果て、無謀を極めた果てならば。短いスカートが揺れる。軽やかな動きに合わせて長い黒髪が揺れた。 彼女の体を補佐する様に回復を行い続ける俊介が攻勢に出る事は少ない。ただ、仲間達は彼を前に向かわせてやりたいと思っていた。彼の手が妹に届く様に。そう、願っていたのだ。 願い事は、常に果たされないものだと瑠琵は知っていた。それが彼女の過ごしてきた長きに由来する者だとしても。 彼女は純朴だった。良くも悪くも遣り切りたいと思った事があるのだ。高度な符術が玄武を呼び出す。圧倒的な水気は災いを押し潰して往く。 「フュリ、孤独が嫌いなのじゃろう? わらわの下へと来るが良い。生死を問わず、お主の友となってやろう」 その言葉が、果たされるかどうか、瑠琵は解らない。けれど、この世界について彼女は深く知っていた。 それは、長きを得た彼女ならではの見解なのだろう。 彼女に奪われる続ける事を恐れてしまったミリィにとっては、きっと瑠琵の『諦め』も瑠琵の『心象』も分からない。この世に希望を持っているのは若さゆえの誇りであり、過ちなのであろうか。 手を伸ばす、ミリィは諦めたくないとその鮮やかな瞳に――月の様に輝く瞳に決意を乗せて真っ直ぐに見詰めるのみ。彼女の指先が、タクトを握りしめたほっそりとした白が、浅黒い少女の膚を掴もうと伸びあがる。短い手では届かないかもしれない。唯の感傷だったのかもしれない。公園で出逢った時、少女は笑っていたのだ。あの時、怖いと感じなかった訳ではない。 もう何かを失いたくない一心で動いただけだったのだから。 けれど――もう一度、逢いたいと思った。 『私は、誰も喪いたくないの――ッ!』 妹を喪った兄が、友を亡くすかもしれない恐怖が、ただ彼女を奮い立たせるだけ。逢いたいと思ったのはどうしてであろうか。彼女が『奏でる』ものだったからだろうか。分かり合えるかもしれないと、そう思ったからであろうか。いや、それよりももっと個人的で、もっと我儘な理由でしかなかった。 褐色の肌を包む黒いドレスのレェスが揺れる。ゴシックロリィタのドレスの裾が広がる。頭にちらついた恐怖が、希望に変わっていく。死に物狂いでもがいてもがいて、手に入れる物があればと少女は思ったのだ。アンサングが指揮する音色が幸福に満ち溢れていないと少女は知っていても。 「わたしは――私は、貴方の手を、取ってみたかったんです」 祈る様に呟いて、傷だらけになっても願った。小さな少女の掌を見つめて、一言だけ。 ――あなたは、わたしだから―― 一人ぼっちだった。ミリィもそして『フュリ・アペレース』も。奪う事をフュリは厭わなかった。彼女が唯、奪うだけなら良かった。その先を――一人ぼっちで居る事を辞めたいと望んでいると知ってしまったから。彼女を『奪う者』だとは思えなくなってしまったのだ。 一緒だとそう思ってしまったのだ。ミリィの中でのフュリ・アペレースは鏡合わせだった。望む事を諦めるか否か。己の欲が満たされるか否か。手を伸ばした先で、少女が泣いている気がしたのだ。 (――彼女はもう戻れないの?) 戻れない場所に居ても、それでも私は、掴みとりたかった。彼女との未来を。 彼女の言葉に合わさって、瑠琵ははあ、と息を吐く。符術を産み出す様に引き金を引いた天元・七星公主。生み出した玄武が呑みこむ様に災いを払い続ける。 「お主の様な友を持つのもまた一興」 ――所詮、この世は胡蝶の夢よ。 遊びの続きであれど、夢は夢。儚き世に諦めきれぬのは『娯楽』への欲であろうか。 希望を見出す少女の傍で、面白きを求め続ける女は鮮やかな朱の唇に笑みを乗せた。 ● 死者の軍勢を進むうちに、周辺を囲まれていた増援のリベリスタ達は癒しを受けて居た。息を吸い込んだアッパーユアハート。だが、フュリを庇うのは『彼女が精密操作』を行う死体だった。その効果を与えられず周辺の死体を呼び寄せるのみとなる。 死体の攻撃に耐えきれずにいりすの運命が燃える。恍惚世界ニルヴァーナに包まれた肢体は増える傷に痛みを訴え始める。 「――生憎とさ、小生は意味触りのいい言葉を吐くだけの『玩具』にはなってやれないんだ」 友達とは何だと澱んだ瞳は考える。何が友達であるか。友とは常に対等でなければならない。だからこそ、フュリが楽しみ遊ぶ『玩具』にはなってやれなかった。 彼女は喧嘩した事が無い、何故かなんて彼女は甘やかされて育ってきたからだ。彼女は喧嘩するまでも無く自身が都合のいい言葉を吐いてくれる『玩具』と共に居るからである。 その技量は『木管パート』の少女であるからして、高い。殺すつもりで掛からなければ勝てない可能性だってあった。殺さないと云う事は、少女の余力を残す事。彼女は彼女として能力が高いのだ。 楽器を狙うソレを庇うように飛び出すのは怨霊では無かった、千歳と云う名前の少女。 「ちぃ――っ!」 死体の群の中、背後から押し寄せるソレに、増え続ける前方の怨霊に、苛まれながらも都斗は癒しを謳う。庇う千歳の姿に俊介が目を見開いた。 仲間達の術を使うすべを支援する達哉は千歳からの攻撃を警戒して行動している。彼の目は他の仲間達とは違う。ハリューチェへと向けられていた。 あの潮騒の聞える街、静かにクラリネットを吹いていた、望まぬ死からの解放をと宗教染みた言葉を残す彼の演奏は確かに達哉の心を捉えていたのだろう。 「ハリューチェ、その腕がありながら何故楽団にくみする? 死と破壊をまき散らすより創造の方がよほど難しくやりがいがある。破壊は一瞬だが創造は永遠だ。認めたくないがお前の才能は本物だよ」 演奏をするハリューチェの手が止まる。死体を動かす彼がクラリネットのマウスピースから口を離して緩やかに笑った。才能を認めると達哉が口にする事は珍しい事なのであろうか。 だが、ハリューチェはその才能を認められたくてここにいる訳ではないのだ。 「望まぬ死から新たな創造を。僕が作っているのはこの死体たちの新しい未来だよ。 其処に奏でて、其処に楽譜があるからこそ、僕は此処にいる。ケイオス様の演奏に!」 その言葉は或る意味達哉への拒絶であったのかもしれない。ショルダーキーボードを鳴らし続ける彼の音色を掻き消そうと鳴り響くリコーダーとクラリネット。 リコーダーの音色の操られて、リベリスタの目の前に姿を表せた千歳が「『やっほー?』」と可愛らしく笑って見せた。 ちぃ、と俊介は小さく名前を呼ぶ。惚れっぽいから、千歳が千歳らしく死んだのだと、俊介は分かっていた。少女にとって『一目惚れ』は簡単な――そう、彼女にとって当たり前な事項であった。 「俺はさ、分かってんだよ……。あいつが自分が好きになった奴の事を想って死んだのだってさ。 ちぃがもう『居ないんだ』って事も、はっきりと、分かってる」 「『ちぃは此処にいるよ?』」 酷いなあ、と笑う声は生前の物。震える声帯。紡がれる言葉は背後でリコーダーを吹き続ける少女の物。彼女が幼いから、彼女が『ひとりぼっち』だからといっても、彼女の行う行為は残虐非道その物だ。 手に入れた死体でのお人形遊び。寂しくて自分の為であっても、リベリスタ達は彼女の幼さ故の行為だと信じていたのだ。 世界は悪意に満ち溢れていると云う。そんな中でもこの『極東の空白地帯』たる日本で発足したアークはその悪意を全く感じさせない種の人間も多く存在していたのだ。死体を弄んでも、人を殺し尽くしても、『寂しい幼子』であればまだ救われる。そう信じる事が或る意味では綺麗事だとしても――。 「フュリ、寂しいなら俺が傍にいるよ、だからっ、だからもう止めてくれ! だから、諦めて堪るか! こっちに来い――!! フュリ・アペレース!!」 頭管部から唇を離し、運指を止めたフュリが緩やかに笑う。 フュリ・アペレースにとっての『殺し』は悪ではない。 フュリ・アペレースにとっての『死体』は尊いものではない。 「――貴方が死んで傍にいてくれればいいじゃない?」 物言わぬ、喧嘩などせぬ。痛み等与えぬ友人になれば、それで十全。 霊魂の弾丸がリベリスタ達を襲う。濁流の様な死体の群が彼らを取り囲む。フュリを目指して進んだ先、周囲を囲まれ尽くした彼等は癒しの手を尽くしても、危機を回避するにはまだ足りない。 「……楽しい、闘争の宴、は終わらない」 気まぐれな運命(ドラマ)を手にして、燃え上る闘志が、痛みを与え続ける体を援護する。届かぬ攻撃は死体を攻撃する様に切り裂き続ける。 天乃の攻撃は、気まぐれな運命で続けられていた。だがしかし、傷を負う増援リベリスタ達が膝を折る事が多くなってくる。後方を死体に囲まれている以上、彼等の身を逃がす事が難しい事を伊吹は嫌になるほど分かっていた。 「仲間が持ってかれて悲しむ人がいるんだ。だから、誰も殺させはしないよ……!」 カッコつけさせて貰うよ、と笑った都斗の運命も削られる。多数に囲まれる彼等にとって、撤退方法が無いのは余りにも酷なことであった。何にせよ、回復役である都斗は背後のリベリスタ達を失う事はしたくない。 総勢で30人であるリベリスタの中でも、やはり命を喪うものだって少なからずいたのだ。 短い手で届かないかもしれない。けれど、癒しを謳うのみ。歌う都斗を支援する達哉とて、危険は承知の上だ。彼を守るアルトリアの傷も深い。 「騎士の誇りにかけて貴様等を倒す! この身を挺してさえも私は守るのだ――!」 増援リベリスタの死が、彼女の運命を揺さぶる。だがしかし、其れでさえも奇蹟には手が届かない。唇を噛み締めて、彼女は只管に護り続けた。いりすを庇う彼女の体力の限界に俊介の癒しは的確に送られる。 だが、数の暴力は――数の中に飛び込んだ彼等にとって、近接での攻勢が少ない彼等にとっては無謀であったのかもしれない。倒れたアルトリアを背後に隠し、黄泉路の暗闇がフュリを狙って放たれる。 彼女の生み出す怨霊の数の増加は早くとも、その耐久力は低かった。次々と倒される其れに、彼女の目の前が開かれる。 「感情豊かに、楽しそうに、死者を笑顔で送る行為自体は間違いじゃない。だが、あんたらが行ってるのは死者を作ってこの世に縛る、摂理に外れた外法だ。 判るか――! 縛った鎖を解き放ち、死者を黄泉へと送ってやるよ!」 其れこそは『黄泉路』という名を得た死神だった。斬射刃弓「輪廻」ががしゃん、と音を立てる。変わった其れが暗闇を持って、近接距離に迫った死体を巻き込んでいく。傷を得て、運命を支払ったとしても、黄泉路への案内は欠かさずに行う。 彼は、誰よりも優しいのだろうか。そして、誰よりも探究心が強い。 それこそが黄泉路という青年だった。千歳へと視線を送り、彼女との想い出を掘り起こす。彼女が奪われた時に彼はその戦場に立っていた。親しかった訳ではない。だが、死神は黄泉へと送る事を厭いはしない。 「――あんたとは何度か任務をこなしていたんだな。あんたも黄泉路へと返さないとな……!」 その言葉の通り、彼女の周囲を薙ぎ払う様に放たれる暗闇に、重ねられるように鮮やかな光を放ったミリィはアンサングを振るい続ける。 「フュリ、貴女に会いに来たのです。一人遊びを、止める為に来ました」 一点突破の流れの中、彼女が掛けた声に、指揮者さんと笑ったフュリは霊魂の弾丸を繰り出した。周囲の怨霊の群も真っ直ぐにリベリスタ達へと襲い来る。 頼りない側面に配置されている増援のリベリスタ達が膝をつく。全力防御の指示を出し、回復を行う都斗達の支援を受けようと、周囲の死体から真っ直ぐに殴りかかられてはその体力の尽きも早くなってしまう。 ちぃ、と伸ばす指先に伊吹は視線を向けるのみ。あの中に千歳の魂が無い事を伊吹はよく知っていた。其れは己の胸の中にある記憶でもよくわかる。 人は二度死ぬ。その言葉の通りだ。千歳への絆は俊介の中にあるのだから。彼が真っ直ぐに放つ早撃ちが狙ったコン・センティメント。 ひゅ、と息を呑んだフュリの演奏が乱れる。怯えの表情を浮かべたフュリの脚がじり、と下がる。援護する様に誰からも狙われずに居たハリューチェが演奏を続け続ける。 「楽団よ、箱舟の子は返してもらうぞ」 痛ましい程に幼い少女。外見が幼くあれど、その精神はそれよりももっと子供なのであろうか。駄々をこねる様に、怯える様に激しくなる演奏に、伊吹は再度繰り返し続ける。 庇い手を薙ぎ払い、その開いた隙間に達哉の気糸が放たれる。楽器を握るフュリの指先が傷ついた。演奏を行えなくなる事に怯えてか、彼女は目を見開く。鮮やかな髪が揺れ、黒いロリィタドレスの裾が広がった。 前へと滑りこむ千歳が「『やめてよ』」と言葉にした所へと、地面をけり上げた天乃が真っ直ぐに飛び込んだ。彼女が前へと出るならば、彼女を倒すのみ。 「何をしゃべろうが、関係ない。囀るな……死体は、黙ってれば、いい」 踊る様に、ハリューチェへと視線を向けて唇を歪めた天乃。死の刻印を刻みつけ己の体力を大事にする彼女であれど運命を削り込んだ後であった。 長引く戦闘に疲弊を隠せないリベリスタ。同時に楽団員とて死を恐れずに、逃げる事さえも考えずに戦闘を行っていたのだ。 五分五分のソレに、近くまで来た俊介がぎゅ、と拳を固める。後衛にいる以上フュリを殴りつける事が出来ない。 教えてやりたいのだ。知らないであろう痛みを。家族を奪われる悲しみを、命を弄ばれる悔しさを。 「『ねえ? ちぃと遊んでよ』」 ――あんな風に、遊ばれる妹を見る辛さという物を! 恐怖を知れば、絶望を知ればその手を止めてくれるのではないかと思う。死体の軍勢を動かすのを辞めてくれるのではないかと思う。周辺を囲まれた今でも、解りあれば、きっと『投降』の余地があるのではないか。 幼いからこそ、子供だから、無知なだけなのだと、そう思っている。 「救う事を、俺は諦めない。フュリ、だから――!」 「ねえ、あたしはね、怖くないの。あたしは死んだって『誰か』が操ってくれるからそれでいいの。 ハリューチェちゃんが、モーゼスさまが、シアーさまが、バレットさまが、それから、ケイオスさまが。 皆、皆よ。鴉お姉さまも、エリオちゃんやエルモちゃんも――ゼベディちゃんは死んじゃった――皆があたしを操ってくれる。それって駄目なの? ソレの何処が『怖い』の? 何処が冒涜なの?」 ソレが常識なのであれば覆らないのかもしれない。彼女等は死者を操る事が能力なのだから、彼女らにとってその常識を揺さぶっても意味がないのだ。 気色悪い能力であれど、彼女らにとっては当たり前なのだ。傍にいるから寂しくないよというならば、彼女にとっては死んでも大丈夫と言ってもらえてるのだとも感じられた。 一人ぼっちであれば、傍に居てくれる自分全てを分かってくれる人がいなければならない。 フュリを手に入れる事を目的とした瑠琵とて、仲間を守ろうとするのだから、フュリにとっては絶望を感じられずには居られないのだろう。 「あたしは、怖くなんて無いわ、ねえ? 『あかいろちゃん』だって、そうでしょ?」 「『うん、そうだね』」 「あたしのこと好き?」 「『うん、ちぃは好きだよ?』」 ほら、と口に出した言葉に、俊介が放つ呪言が浄化の炎を産み出した。痛い、と子供の様に叫ぶフュリが生み出す霊魂の弾丸。殺す事もせずに、死者への対応も余りに杜撰であったリベリスタ達にとって狙い続けたフュリの手から楽器が離れた事は目的達成であったのかもしれない。 だが、彼女はそれだけでは終わらない。霊魂の弾丸を産み出して、ハリューチェの演奏を聴きながらリベリスタを徹底的にいたぶり始める。壊れたリコーダーに絶望した様な視線を向けて、リベリスタ達を憎悪の籠った眼差しで見つめ続ける。 意識を手放したアルトリアや都斗に視線を送り、庇う様に存在する増援リベリスタ達の体力を見つめながら達哉が奇跡を求めて手を伸ばす。キーボードを奏で続けたとしても、其れには届かずに、彼は唇をかみしめた。 どん、とその身に打ちこまれた傷が彼の意識を奪う。ハリューチェと呼ぶ黄泉路が傷だらけの体のままで暗闇を放つ。巻き込み続けるソレに、革醒者の死体が与える傷が、彼の体を苛んだ。 「駄目です、そろそろ――!」 司令官として立っていたミリィが告げるのは撤退勧告だ。仲間達の傷は深い。これ以上の攻防は『殺さない』と考え続けているリベリスタにとっては厳しい物があるだろう。庇い手のない俊介とて、攻撃を喰らってしまっては回復を行う余裕もなくなってしまう。 ミリィは最後までフュリを見つめていた。その手を取って見たかった。いりすもだ。彼女の前に全力で立ち続ける。 「スピランテ? 燃え尽きるにゃ、まだ早い。甘い余韻に浸れるほど、死は甘くないよ。 そして、この世に君が言う『誰か』なんてヤツはいないんだ。操ってくれる? 死んだら分かんないのに?」 「それでも――此処に居れば死さえも恐ろしくないの!」 あたしは、とつむぐかのじょのまえで繰り出した暗闇が彼女を包み込む。 視界を覆う様な黒い瘴気に傷だらけの体を引き摺って、一番陣の中でも死体が薄い外へと伊吹は乾坤圏を振り翳した。 「愛を求めるのは人の常だが即物的なものに拘るのは幼い故か――!」 弾く様に、怨霊を吹き飛ばし、傷を癒す俊介の背を見送った。 誰も殺す事が無い様に、そう願った彼等は楽団員の少年少女らの命を取る事も無かった。それは甘さだ。伊吹とてよく分かっている。 「生きている者が優先だ……。霧島、行くぞ」 「ああ……ちぃ――! 俺は、お前の事を絶対」 迎えに行くよ、と紡ぐ前にフュリ・アペレースは傷だらけの体で緩やかに笑った。怪我は酷くも殺さないと決めていた彼等の甘さが仇になったのか。霊魂の弾丸が追う様に弾きだされる。 「あたし、『優しさ』に甘えるほどお子様じゃないのよ? Addio。それから、Buona notte!」 零された言葉に、死者が伊吹に襲い来る。彼に飛びかかる前に増援であったリベリスタがその場に立ち、行って下さいと声を掛けた。 最後まで残ると云う意思の中で、誰も死なないでほしいと叫ぶミリィの声に、撤退を余儀なくされて、その場を立ち去る様に、走る。 その場から立ち去りながら、いりすはふと、空を見上げて、独り言のように小さく零した。 「――今夜は、月が綺麗ですね」 少女は、月に溶けやしない。その愛の言葉も届きやしない。 「ねえ、あかいろちゃん、お兄さんが居たのね。とても羨ましいなあ」 「『でも、お友達でしょう? フュリ』」 「ええ、お友達。――飽きちゃった」 ぱ、と握りしめた手を離して。 少女は残った援軍のリベリスタを死体の群に呑みこんで、小さく笑ったのみだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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