● 「お姉さま、これ、食用みたいね!」 「……、褒めてるの?」 きらきらと。己の爪を見つめて瞳を輝かせる妹分の声に、『導唄』月隠・響希(nBNE000225)は何とも言えない顔を上げた。 とろり、と爪の先から流れるチョコレイト。ベースは淡いピンクで、時々添える紅いハート。両手分、丁寧に仕上げられたそれを満足げに見つめる彼女の横で、響希は別の手を真剣な顔で見つめていた。 「んー……断頭台サン、手綺麗ね……」 「あはは、ありがとうございます」 そう言えば、お誕生日もおめでとう。そんな雑談を交えながら、ベースのブラウンが乾いた事を確認して。細い筆先が綴る白い英字。薬指には、とろりと流れる白。飾りに幾つかスタッズを乗せて。 非常に可愛らしい、ショコラ色のネイル。満足いく仕上がりに頷いて、少し待ってね、と握っていた手を離した。 そう言えばバレンタインだし。実験台にと2人を捕まえた響希は頬杖をついてその指先を眺める。うん、悪くない。実に甘そうだ。 「……チョコレート、ねぇ」 ぽつり、と呟いた声。チョコレートよ! と喜ぶ声と、何時も通りに愛をもらえるって嬉しいですよね! と笑う顔。そうね、と返事をして、ちらりと手元の時計を見た。 2月14日、午前11時。 まだまだ長い1日を、どう過ごそうか。ぽたり、と垂れたマニキュアはやはり綺麗なショコラ色で。貸して、と再度取った手に丁寧にトップコートを重ねてから、漸く重い腰を上げた。 「ご協力ありがとね。……はいどーぞ」 差し出されるのは、ラッピングだけは非常に評価できるチョコレート(中身は知らない)。ハッピーバレンタイン、なんて笑って。一年で一番甘い一日は始まったのだった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:VERY EASY | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年02月24日(日)23:27 |
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● 暖房を入れたばかりの部屋は未だ少しだけ寒かった。可愛らしいパジャマの袖は確り捲って、真独楽は真剣そのものの表情で鍋を見詰めていた。 大好きな人に、自分の最初のチョコを誰より早く貰って欲しくて。おはよう、と一緒に渡せるものを一生懸命考えたのだ。ケーキやチョコは朝には向かないだろう。それなら。 「……よしっ、そろそろかな?」 甘くて身体も温まる、ホットチョコレート。これなら朝にもぴったりだろうから。大きさの違うカップを隣合わせる。ぐっすり眠っているであろう大好きな父の為に。甘い茶色を流し込んで、ハートのマシュマロをそっと添えた。 遠くで目覚ましの音が聞こえた。カップを持って、真独楽は父の部屋へと急ぐ。小さくノックして開いた扉の向こう、眠たげな姿に表情を緩める。ふわり、と昇る甘い湯気を差し出して。 「えへへ。パパ、大スキ!」 おはようの代わりに、伝えたかった胸いっぱいの愛情は届いただろうか。外の空気は冷たくて、けれど亘は逸る気持ちを抑え切れず外を駆け回っていた。贈り物も、セッティングもばっちり。後は愛しのお嬢様を捕まえるだけ。 約束を交わしてはくれない彼女を探すのは簡単ではない。けれど、大変かと問われるとそうでは無かった。それさえ幸福。一目見たい。早く会いたい。会えただけで嬉しい。恋する心は逸るのだ。早く早く、と。 けれど、勿論友人にも会いたくて亘が訪れたのはマンションの一室。インターホンを鳴らせば、珍しく用意を整えた響希が顔を出した。 「御機嫌よう響希さん、急な訪問で申し訳ないのですが……」 ハッピーバレンタイン。そう添えて包みを渡せば、ちょっと待ってて、と中に戻った彼女が手渡すお返し。笑みを交わして亘はそっと今日は、と告げた。 「男の子にとってそわそわな日です……響希さんも頑張ってくださいね」 「……努力するわ」 貴方も彼女と会えます様に。そんな言葉に見送られながら少年は再びお嬢様探しの旅に戻る。 未だ午前11時。ベルカにとっての決戦の時――要するにお値打ちチョコである――は未だ遠かった。個人的2月最大のイベントはSETUBUNらしいが、バレンタインもまた見逃せない。偵察はばっちり。目当ての高級チョコはまだまだ残っている。 ――これならいける。あのチョコもこのチョコも全部今夜にはこの胃袋の中に。逸る気持ちを抑えながら、ふと。思い出したのは響希の事。折角だしチョコレートを贈ろうか。 「こう言うのは何と言うのだろう、友でも無いし義理でも無いし……」 師弟チョコ、は流石に語呂が悪すぎる。考えながら、その足は棚の間を進む。誰かに渡すものだ。決戦までの時間潰しに、最高の一品を選んでおこう。 非リアだろうとモテなかろうと、チョコレートは欲しいものらしい。そんな希望を叶えてくれそう、と言う事で。鳴未が捕まえたのは響希だった。 「あ、こんちわッス、月隠センセ!」 「……やっぱりそれ止めない?」 徹底した先生呼びは敬意と鳴未なりの親しみの表れなのだが。どうも不服そうな表情に少し笑って、義理でいいからチョコをくれ、と手を差し出した。目の前の赤銅が驚いた様に瞬く。持っていないならもういっそ買いに行こう。 そんな提案と共に、近くの店に入れば甘い香りと可愛らしいディスプレイ。興味深げに眺める響希を横目に鳴未も可愛らしい箱に触れた。其処に込める想いは様々。僅かに悩んでから、一つ選ぶ。 「コレどうぞ! 俺も世話になってるッスから」 これからも宜しく、なんて言葉を添えれば、完全に先を越された響希が気恥ずかしげに笑って包みを受け取る。ちょっと待ってね、と鞄を開けて、差し出されたのは可愛らしい小袋。買ったものじゃないわよ、言葉を添えて面白そうに目を細めた。 「義理かどうかは自分で考えなさいね?」 それじゃあまた、と。楽しげにひらりと手が振られた。 ● 忙しないアーク本部の中で探していた姿を認めて、那雪は深く息を吐いた。それでも落ち着かない心臓に少しだけ首を捻りながら、此方を向いた銀月に手を振った。 「……お仕事中? お邪魔、かしら……?」 大丈夫そうなら気分転換でも。そんな誘いに帰るのは笑顔の承諾。何故だか恥ずかしい気がして、人気の少ない場所で立ち止まった。丁寧に包まれたチョコレートをそっと差し出す。 「いつもありがとうの気持ちをこめて……今年は、抹茶のチョコなの」 「有難う御座います。今年も美味しく頂きますね」 嬉しそうに受け取る表情は何時も通りで。沢山貰ったのか、と浮かんだ問いが唇から零れ落ちた。驚いた様に銀月が瞬く。有難い事に幾つか、と返る言葉に覚えるのは、もやもやとした分からない感情。 何故だろう。考えても答えは出なかった。感情は那雪にとってあまりに難しい。白い手がそっと、髪を撫でる。戻りましょう、と言う言葉を聞きながら、気持ちはどうしても晴れなかった。 「いつもいつもお仕事お疲れ様です。これ、つまらないものかもしれないけど受け取ってくださいね♪」 仕事で疲れたアーク職員に配られるチョコレート。可憐な17歳ツインテール美少女に扮したエーデルワイスは笑顔で次々と職員を捌く。アイドルの握手会を思い出したのは私だけだろうか。 バレンタイン。お菓子業界の陰謀とも、リア充の祭典とも言えるこの日に肩身の狭いDTや非リアに救済を。一見優しい行いは実はかなり非道だったりする。だって、プレゼントはカカオ99%。 「ビタースイート……ほろ苦すぎて、涙が出ちゃうかな?」 食べた後の反応が見られないのが残念だと17歳美少女はくすくす笑った。 「こんにちは、響希さん。あ、世恋ちゃん見かけなかった?」 この真冬にクーラーボックス。何だか違和感を覚える姿の悠里が響希に問えば、本部内に居る筈だけど、と返る声。どうしたの、と言う問いには先日のお礼だ、と答えて。開かれるボックス。 ハッピーバレンタイン> Σ<●> 「ナマモノだから早めに渡したいんだけど……出なおした方がいいかな……?」 いやだからなんで喋るんだよ。魚類だわ、と呟いちゃうのは妹分の影響だろうか。ぽかんと鱧を見つめる予見者に言伝を頼んで出直そうと歩き出した悠里は思い出した様に足を止める。 これどうぞ、とポケットから取り出すのはチョコレート。漸く魚類の衝撃から立ち直った響希がお返しと包みをポケットに突っ込めば、悠里は楽しげに笑って首を傾げる。 「時間取っちゃってごめんね。王子様とのお出かけには間に合いそう?」 「っ……ご心配なく、夜だから!」 一気に染まる頬に楽しげに笑えば、後で覚えておきなさいと恨めし気な声。またね、と手を振って出ていく彼もどうせ今日はリア充なのだ。設楽滅びろ。 「お疲れ様。バレンタインおめでとう……いつも思うけど変な言葉よねコレ。まあそれはともかく――」 「――ハッピーバレンタイン、でいいんだっけ? これは、俺から」 ふわりと香ったのは華やかな薔薇。遥か西洋の風習に則って、快が用意したのはダズンブーケ。来月のお返しとは別にこっそり用意した12本のそれは、それぞれが大事な意味を持つ。永遠、真実、幸福、愛情。どれか一つ、大事なものを選ぶのが習慣だと言うけれど。 「レナーテ、君にだったら、俺は全部を誓えるよ」 気恥ずかしげに笑う瞳はけれど何処までも真剣で。レナーテは気恥ずかしげにありがとう、と表情を緩めた。余りに真っ直ぐなそれに照れを覚えてしまうけれど、素直に嬉しかった。そっと、差し出すチョコレート。 「……これからもどうぞよろしくね」 バレンタインの贈り物は親愛の証だ。笑みを交し合って。誓われた言葉が、此の侭途切れない様にと願わずにはいられない。 「狩生君、今時間大丈夫?」 近頃の忙しさは相当のものだから。仕事報告を終えたエレオノーラがデスクに座る見慣れた姿に声をかければ、青年は問題無いと表情を緩めた。差し出すチョコレートの包みは、もふもふ大好きな誰かが選んだものだったりする。 「口に合うかどうかは分からないけど。あ、緑のは辛いから気をつけてね」 「有難う御座います。……今年も美味しく頂きますね」 何時もの感謝の気持ちを込めて贈るそれ。去年は渡したのに今年は無しなんて事はしないと告げれば、安心しましたと笑う声。3月にお返しを。紡がれた言葉が叶うかどうかは分からない。きっと来月も忙しいだろうから、時間がある時に紅茶でも。 まあ勿論他に吃驚させてくれるなら期待するけれど。少しだけ悪戯っぽく笑うエレオノーラに、楽しみにしていてください、と青年は笑う。手の中の包みをそっと撫でた。 「……昔これを作ってくれた人が、甘くて辛いなんて人生みたいですね、だって」 「そうですね、……私の人生は今甘い気がしますが、貴方は?」 今度教えてくださいねと、微笑む表情は初めよりずっと穏やかに見えた。その隣を通り過ぎる夜色ドレス。目当ては司令。携えたチョコを渡す前に、仕事を終えたらしい響希を氷璃は捕まえる。 世恋達や響希自身の指先を彩る色はとても素敵で。自分の手にもお願い出来ないか。それを二つ返事で了承した彼女と向かい合い。そうっと重ねられるブラウン。 「悪足掻きよ。折角のSaint-Valentinだもの、ね」 「氷璃サンなら自分で出来そうなのに。……あ、ちょっと待ってね」 入念にケアしているだけあって美しい爪に、今度は金のラインとハートを添える。アートの方に自信は無かったのだと告げれば、意外そうに瞬く瞳。得手不得手と言うものは、誰にでもあるものなのだ。 だから、爪に関しては貴女も女子力高いわよ? なんて言ってやれば気恥ずかしげに笑う顔。ずっとやってるから、と細められた目はどこか遠くを見る様で。其の儘他愛なく、やり取りを重ねる。本当に、他愛の無い。 「……私は何時も通り振舞えているかしら?」 出来た、と離れる手。不意に零れた言葉に赤銅が心配そうに細められる。何でもないわ、と目的の場所に向かおうとする氷璃の手を、もう一度そっと掴む手。 「あの、……何時でもやるから、なんかあったらまた来てね」 頑張って来て、と。離された手は少しだけ心配のいろを含んでいた気がした。 ● 楽しみにしていたバレンタイン当日。顔に出そうになる期待を仕舞いこみながら、ロアンは旭と共に冬薔薇が咲き誇る公園へとやって来ていた。まるで氷細工。そっと白い息をついた旭は見とれる様に目を細める。 「わ、あ……きれい」 「……薔薇は薔薇でも、こういうのはどうだろう?」 渡したいものが、と告げて。ロアンが差し出したのは可愛いものが大好きな可愛い人の為の特別なブラウニー。料理男子の本気は砂糖菓子の薔薇にも表れているようだ。驚いた顔が、少しだけ中を覗いてすぐに嬉しそうな笑みに変わる。 渡す事ばかり考えていたから驚きは大きくて。けれど胸を満たすのは喜びばかり。そうっと抱え込んで、微笑んだ。この可愛い可愛い薔薇が、きっと此処で一番綺麗だ。 「あ、あのね、ロアンさん」 有難う、と告げてから。ぎこちなく名前を呼んだ。心臓の音が外に聞こえてしまいそうで。緊張で少しだけ苦しくて。がんばれ、と自分に言い聞かせる。その気持ちは平静を装うロアンだって変らない。 本当は直ぐにでも抱き締めてしまいたいくらいだけれど。彼女が決意を固めるのを待ちたいから。たっぷり3秒。そっと、レースと茶リボンが飾る赤い箱を差し出した。 「わたしも、これ……が、がんばって作って、みたの」 中身は彼の好みに沿ったガトーショコラと、メッセージカード。これを見た彼はどんな顔をするのだろうか、なんて考えて、恥ずかしさに頬が染まった。手作り。その響きに嬉しそうに笑うロアンが開けちゃ駄目かな、と問えば慌てて首を振った。 「はずかしーから帰ってからあけてね……?」 「……分かった、戻ってから開けるね」 そっと髪を撫でる。甘い薔薇の香りに混じって、チョコレートの香りを少しだけ感じた。 「器用よね、貴方」 逆チョコなんて言って渡されたトリュフを転がしながら。夏栖斗とこじりは帰路についていた。そう言えば。昼休みは何処に行っていたのか。その問いに明らかに驚いた夏栖斗に、呼び出されたんでしょうと続く言葉。 「誰もいなかったよ……ちょっとだけ期待してたんだけど!」 いや勿論こじり一筋なのだけれど。慌てて弁解する彼を面白そうに眺めながら。呼び出しの言葉まで暗唱してやってからにやりと笑った。指差す、彼の鞄。 「下駄箱に入っていたチョコの包装、解いてみなさいな」 「どうしてそこまで知ってるの?! 怖い!」 恐る恐るチョコを開けた。こじりは中身を知っている。溶かして固め直した板チョコの上に、ホワイトチョコではずれの文字。それを見た夏栖斗の顔が驚いた様に上がった。 「こじりかよ! 名前かいてなかったじゃん!」 いやあの浮気なんてしないからほんとこじりさんが一番です。慌てる彼の反応を十分に楽しんでから、こじりはそっと指先を絡める。 「今日だけは特別ね」 「ありがとう、でもさ、味ハズレじゃないよ! LOVEスパイスきいてる!」 何時も通りの下校は、けれどいつもよりずっと甘い気がした。 我が家とも言うべきモーテルの一室。ノリの利いたスーツを着込んで愛しの彼女を待ち構える喜平の心の準備は万端だった。何が起こっても大丈夫。後はクールに決めるだけ――なのだけど。 そんな決意はプレインフェザーを迎え入れた時点で脆くも崩れ去る。少しだけ緊張した面持ちで彼女が持ってきたのはチョコたっぷりの手作りケーキ。 「あんた、甘いモン好きじゃん。で、バレンタインだし……良かったら」 「有難う……」 丁寧に優しく。机に置いたケーキと、喜びを噛み締めるような言葉。沈黙は一瞬で。其の儘勢いよく抱き締めて柔らかなグレーの髪を撫で梳いた。ふわり、と羽根の様に軽い身体を抱き上げて、喜びに任せてくるくる回る。 「36年目にして遂にだぁ! フェザーはかるいしやわらかいなぁ、一生抱き締めていたいよ!!」 本当に嬉しそうな声に、少しだけ笑って抱き付き返す。二人きりだし、こうして居るとまるで彼を独り占めしているみたいで悪くない。普段、上手く言えない事も言えそうだった。 「……大好き」 だからもっと強く捕まえてて。紡がれた声に応える様に強くなった腕の力に身を預けた。ケーキは全部あげてしまっても良いかもしれない。甘いのはそんなに好きじゃないし、それに。真っ直ぐに視線を合わせる。 そっと、唇を重ねた。チョコより甘いこれで丁度良いから。抱き締め合う身体は離れない。 真ん中には手作りチョコケーキ。喜んで貰えるだろうか何て思いながら辜月はそっとそれを切り分けお茶の用意を整えていた。シェリーを見遣れば何処か落ち着かなさげな表情。少しだけ首を捻ってから皿を渡した。 一口。食べる姿を見るだけで緊張した。どうですか、と小さく問えば、目の前の表情が蕩けたそれに塗り替えられる。 「うむ、とっても美味じゃ雪待」 その言葉に辜月の表情も嬉しそうに緩む。それを見遣りながら。シェリーが差し出したのは市販のチョコ。可愛らしいラッピングの其れに真っ赤に染まる頬と、大事そうに抱き締める姿を見詰めながらゆっくり立ち上がった。 気持ちが籠っていればいい、と彼は言っていたから。この日の為に練習した歌を添えよう。少しでも、気持ちを込められるように。 「……おぬしに歌を贈ろう」 「ぇ、ぇと……その、ありがとうございます」 少しだけ緊張しながらも。響く歌声は素晴らしいもので。この日の為に修行の時間さえ削ったそれに込めるのは感謝と、この先も共にあれる様にと言う願い。最後の音まで完璧に歌い切れば、我に返った様に拍手が響いた。 「素敵な歌声です、心に響いて来て……」 本当に嬉しい、とチョコを口にする彼に少しだけ表情を緩めて。冷めた紅茶を入れ直したら、後はのんびりと過ごすのも良いだろう。 ● 部屋に漂うチョコの香り。これが自分に贈られるものだと知りながらも、竜一の心が落ち着かないのは非リア精神だからなのだろうか。貰えなかったら、なんて考えながらも彼は大人しく待ち続ける。 ……否。どうもじっとしているのは落ち着かないらしい。そわそわと落ち着かない彼の前で。台所から戻ってきたユーヌは緩やかに首を傾げる。 「待て、とか言ったほうが良かったか?」 皿一杯の一口チョコパイと紅茶を、そっと机に置く。どうやら貰えるらしい。そう安堵した竜一の前に差し出されるフォーク。あーん、という言葉に合わせて口を開けば、直前で引き戻されるそれ。 しゅん、と下がった眉に悪戯な笑みを浮かべて。フォークはユーヌの唇へと向かう。 「それともこっちの方がいいか? 私を食べて、では無いが」 ひとつ。くわえられたそれに思わず高鳴る胸の音。そうっと肩を掴んで。パイごと唇を重ねた。広がる甘さと、柔らかな熱に満たされるのはお腹だけでは無くて。 「……有難う、ユーヌたん!」 これからも宜しく。ずっと一緒に居たい。大好き。伝えたい言葉は多くて。それを込める様に抱き寄せた。ちゅっちゅ、と唇を重ねればがっつかなくてもと笑う声。皿の中のチョコは、あっと言う間に無くなりそうだった。 「櫻霞様、一緒にお茶の時間にしましょう♪」 「タイミングが良いな、一段落着いた所だ……」 今日はバレンタインなのだと楽しげに告げる櫻子のワンピースは可愛らしい桜色。そんな彼女を眺めながら3月の事も考えないと、なんて思考を巡らせる櫻霞の前に広がるのは、可愛らしく飾られたローズショコラとハートのクッキー。 湯気を立てる紅茶の香りもとても良く。並んで座れば、擦り寄る櫻子の頭。随分と上手くなった、と告げれば嬉しそうに笑う彼女の前で一つずつ、チョコもクッキーも口にする。 「……お口に合いますにゃ?」 「お前の作ったものだ、口に合わない訳がないだろう」 抱え上げて膝に乗せて。甘える頭を撫でてやる最中。ふと、耳元に寄る唇に首を傾げる。愛してますわ、と囁く声は酷く甘くて優しくて。照れた様に笑う顔に、少しだけ苦笑を漏らした。 そっと、耳元に唇を寄せ返す。悪戯好きな黒猫にお返しだ。一度しか言わない、と囁いて。 「――俺もお前を愛している」 「ん……櫻霞様がそう言ってくれるから幸せです……」 頬は少しだけ熱いけれど。嬉しそうに笑って、もう一度身を寄せた。もっとたくさん食べてくださいねと囁く声に応える様に、櫻霞の手は髪を撫でる。 バレンタイン。どうしてこうもそわそわするのだろうか。同じ部屋に2人だけ。男らしく覚悟を決めた虎鐵は、勢い良く、用意しておいたそれを雷音へと差し出した。 「雷音! これを受け取るでござる!!」 愛たっぷりの其れはクランチチョコシュー。世界一大好きな彼女の為に全てを込めたのだ、と告げれば、手作りのウイスキーボンボンを差し出した雷音がぷいとその顔を背ける。 「いちばんすきとは面映いのだ……というより恥ずかしい馬鹿者!」 一口。口に合うだろうかと言う言葉に素直に感想は言えなくて。悪くない、とだけ告げてから、黙々とそれを口に運ぶ。きっと心配させているのだろう。自分が、笑顔で居られないから。 このシュークリームの様に優しい彼は何時だって自分を案じているのだ。分かっている。だから、笑わなくてはいけないのに。空元気でも良いからと言葉を探しても、出て来るのは。 「心配しなくていい、ボクは元気だ」 こんな、虚勢ばかり。そんな彼女を見守る虎鐵は少しだけ、物憂げにその視線を下げた。自罰的になる彼女に自分がしてやれる事は多くは無い。これで癒されてくれるとも思えない。けれど、これしか出来ないから。 精一杯の、愛を伝えようと思った。この小さな手を取った日に誓ったのだ。この温度を守り通してみせると。何に変えても守ると決めたものはその身体だけでは無く心もだ。 せめて、少しでもその心が安らかであればいいと、願う。齧ったチョコレートは、少しだけ苦かった。 ● 遊園地はカップルで賑わっていた。約束通り顔を出した狩生にいつも以上に可愛らしい、とからかわれたりもしたけれど。よもぎは初めて二人で遊ぶこの時を満喫していた。 「狩生くんは何か乗りたいアトラクションはあるかい?」 「いえ、……君は?」 挙げるとすればお化け屋敷なのだけれど。此処のお化け屋敷は非常にリアルらしい。若干彷徨う視線と、訓練してから、と言う言葉に青年は小さく笑い声を立てた。怖い訳では無い、なんて言いながら、向かうのは観覧車。 話を人に聞かれたくないなら、きっと遊園地では最も相応しい場所だろう。共に乗り込んで、緩やかに高くなる景色を眺めながら。そっと、差し出すのはチョコレート。 「……これ、どうぞ。アールグレイチョコなんだ」 「有難う御座います。大事に頂きますね」 初めて作ったからおかしな所があるかもしれないけれど。そんな言葉に貰えるだけで十分だと微笑んだ青年と、視線を合わせる。僅かに落ちる沈黙を破ったのはやはりよもぎで。狩生くん、と小さく名を呼んだ。隠した自分の事を、今伝えたくて。 「私はね、……きみの」 少しだけ近付いて、逆だよ、と囁いた。銀月が緩やかに瞬いて。青年は薄く笑みを浮かべる。 「――何時も『可愛らしい』と言っていたでしょう?」 地上に降りた観覧車から降りて。手を貸した狩生は目を細める。今後とも宜しくお願いしますね、と笑う顔は何時も通りだった。 「まだまだ行くぞ、ついてくるがいい!」 「言われなくても勝負はコレからよ!」 負けられない戦いがここにある。偶然にも名前に同じ字を持つ焔と優希はあらゆる絶叫系を目指し遊園地を駆け回っていた。勝てばチョコゲットらしいがバレンタイン全く関係なくないでしょうか。 ――焔の名を冠する者よ。これを機に勝負してくれる! ――望むところよ、先代焔。其の勝負、受けて立つわ! そんな格好いいやり取りもあったらしいですしなんか乙女にあるまじき光景何て見せられない! なんて焔ちゃんの言葉も聞こえますが、如何考えてもカップルだらけの此処で駆け回った時点でアウトの気がします。 それはさておき今日一日で制覇する勢いでアトラクションを梯子する中、優希は楽しげにその目を細める。思えば遊園地なんて革醒前は程遠かったもので。 「……楽しいものだな」 「楽しんでくれてるなら、私も嬉しいけれど」 まるで兄と妹の様に。持つ力も身に纏う色も似通う相手は互いに近しく感じて。最後の一つから降りれば、ほぼ同時にチョコを突き出し合った。視線が交わる。楽しい時間は何時だって、あっと言う間だ。 「俺に追いつきたくば、まずは生き延びろ。世界の行く末は、拳で掴む。期待しているぞ、ほむ子」 「生きて、夢も、未来も。私の拳で掴んで魅せる。ソレが私の望むリベリスタの道だから」 任せろ、と。突き出された拳を合わせた。それは誓いだ。またこうして勝負が出来る様に。生きて、生き延びねばならないのだから。 「リコル、リコル! 次はあの乗り物に乗ってみましょう!」 「お嬢様、そんなにお急ぎにならなくてもアトラクションは逃げては参りませんよ?」 リコルの優しい声にもミリィの足は止まらない。離れていた時を埋める様に己の手を引いて遊びまわる背を眺めながらリコルはそっと息をついた。どれ程立派になろうとミリィはまだ11歳。 戦いの後の姿は見ていて辛かった。だから、今日は少しでも彼女の気が晴れる様にとことん付き合おう。そんなリコルの気持ちを知ってか知らずか、ミリィが乗り込んだのは夕日に照らされる観覧車。 「リコル、日頃の感謝の気持ちとして受け取って貰えますか……?」 先日。お姉さまと呼ぶ桃色の予見者と共に作ったチョコレートをそっと差し出す。不安げな表情は、すぐに相手の手へと渡ったチョコによって安堵の色に塗り替えられた。 「わたくしの為に作って下さったのでございますか? 嬉しゅうございます!」 実は自分も、と差し出すチョコレート。宜しければ受け取って欲しい。そんな言葉に笑顔で頷いて、共に景色を眺めた。気付けばもう頂上で。美しい光景に目を細めたミリィの唇が、微かに震える。 「リコルは……リコルは、私を置いて、何処かに行ったりしませんよね……?」 「ええ。お嬢様が望んで下さる限り、リコルはお嬢様のお側におります」 零れ落ちる不安は痛い程分かる。だからこそ。リコルは即座に言葉を返すのだ。彼女の笑顔の為に。志の為に。盾となり剣となり何時までも傍に居よう。彼女が、望んでくれるのなら。 緩やかにゴンドラは降りていく。それ以上、言葉は続かなかった。 ● 終業のチャイムが聞こえた。時刻はぴったり午後5時。即座に退勤して、義衛郎は急ぎ足で外に出た。市内はやはり恋人同士で混雑しているけれど。彼にとっては道は一つではない。軽やかに街灯を上り電線を駆け抜け。 研鑽された技術がなせる短縮技術らしい。無事センタービル前で時計を確認。これなら余裕だと、喫茶店に腰を落ち着けた。珈琲を一杯、楽しむ最中に見えるのは待ち合わせた嶺の姿。 勿論彼女も定時上がりである。ミス定時のあだ名は伊達ではない。合流して、2人で向かうのはオイスターバー。ワイングラスを合わせて、新鮮な生牡蠣を堪能する。 「うんっ、やはり生牡蠣には白ワインですねっ」 「あとは……牡蠣のパスタ食べたい」 ピッツァもパスタも楽しんで。お次はデザート、とメニューを眺める義衛郎の肩を、とんとん、と。叩いた嶺が差し出したのはマグノリアのカードを添えた可愛らしいLady Marmalade。 「ちょっと張り切って作ってみました。家でゆっくり食べてくださいね」 チョコ作りの苦労など一緒に店を出る義衛郎の嬉しそうな顔で帳消しだ。機嫌良さげな彼が此方を振り向く。夜風は酔った肌には心地良かった。ふわり、と地面を離れる足。 「チョコ、ありがとうねえ」 「きゃっ! 皆見てますよぉ!」 酔っ払いだしそんなの気にならない。お姫様抱っこのままくるくると回って見せる義衛郎に驚いた嶺も笑い出す。一年に一度だ、少しは羽目を外してもきっと許されるだろうから。 「ハッピーバレンタイン、三千さん」 作ったのは何時もの笑顔。楽しい筈の時間の中でも、ミュゼーヌの心はどうしても沈んだままだった。父母の眠る故郷は護れず友を失い。疲れ切った心はもう限界で、けれど、彼に心配をかけたくは無くて。 何とか笑顔で差し出した手作りのチョコを受け取る前に。三千はそうっとその顔を覗き込んだ。 「……泣いてたんですか?」 「っ……何の、事かしら」 強がっても分かってしまう。赤くなった目元の理由。失ったものが多すぎた彼女はそれでも、今日の為に、自分の為に無理をしてくれていたのだ。それが痛い程に分かって、三千はそっと手を伸ばす 弱く脆い姿なんて見られたくない。そう頑なに虚勢を張ろうとする細い身体を確りと、抱き締める。 「今は、今だけは……無理をしないでいいんです。ミュゼーヌさんのためにも」 「……私。わた、し……」 優しい言葉。誰にも見せない様にしていた涙が転がり落ちる。せめて、今日だけは。堪え切れなくなった嗚咽が漏れた。背を撫でてくれる腕に縋る。こうしないと、心は今にも折れてしまいそうだった。 失った傷は深い。彼女の涙が止まるまで。三千は優しく、その背を撫で続けた。 「私に出来ることある? ないならサボるわ!」 「これは此方で宜しいでしょうか……」 BGMは緩やかなクラシック。お洒落なフレンチコースなんて予約にお応えする為にAus der neuen Weltでは準備が進められていた。メイド服姿の蜜帆とシエルがテーブルを整えれば、店主である寿々貴が最後の練習とばかりに料理を仕上げる。 「よしばっちりだ、盛り上げていこー!」 練習分は賄いに回せばばっちり。整った店内を抜け出して、シエルが向かうのは今日の主役の一人、舞姫の下だった。纏うのは真っ赤なドレス。其の儘でも十分に美しいから、と最低限の化粧を施した。 唇に朱をさすだけでも十分だ、なんて思いながら、物思いに沈んだ。依頼を共にする度にその優しさに癒され、戦姫の舞いに魅せられた。こうして共に居るなんて、出逢いとはわからないものだ。そんな彼女の前で少しだけ不安げな舞姫は鏡を見詰めて眉を寄せる。 「え、えと、シエルさん、わたし変じゃないかな? だいじょぶ?」 「うん、よくお似合いでございます」 生まれて初めてのリア充だ。お小遣いピンチだからプレゼントは肩叩き券だけどきっと大丈夫。微笑むシエルに頷いて、外に出た。ダーググレイのスーツに、真っ赤な薔薇の花束。もう一人の主役伊吹は、見違えた姿にサングラス越しの瞳を僅かに細める。 親子ほど歳の離れた自分に付き合って貰うのは恐縮だけれど。喜んでくれているなら悪くはない。差し出した花束と引き換える様に、途切れた右腕を軽く組んでやった。 「少女といっても女だな、変わるものだ。……元々素材は悪くないしな、二十年前なら口説いていたところだ」 何が食べたい、と尋ねればトリュフにフォアグラにキャビアなんて答える初々しい可愛らしさと、目の前の少し大人びた美しさはアンバランスでけれどそれさえ愛らしい。並んで店に入れば、既に整えられた食卓が出迎えてくれた。 うひゃー、なんて思わず素に戻りそうな程のスペシャルメニューに何とかレディの品格を保ちながら、舞姫は蜜帆を手招きする。 「そこな、メイドや。飲み物を持ってきて頂けるかしら、うふーん?」 何だか間違ったレディの気もするがとりあえず置いておこう。運ばれてきたグラスを合わせて、やっぱりもう限界、と悪戯に笑った。みんなで食べよう、と言えば即座に用意される料理達。 なれない事をやっていた蜜帆の機嫌もこの料理達の前では急上昇。ルンルン気分で口に運んで、思い出した様に舞姫へとチョコを差し出した。 「作るの失敗したから、店売りのだけどどうぞ」 喜んでくれるだろうか、なんて懸念はすぐに拭われる。嬉しそうな顔に安堵して、運ばれたデザートのショコラに舌鼓を打った。最後は記念写真、と寿々貴がカメラを取り出せば、思い思いにカメラを見つめる視線。 「すずきさんも限界まで決めてみようか……」 今日は特別な日だし、キリッ☆ どんな記念の一枚が出来たのかは、彼女達だけが知っている。 ● 寒い外から戻ればもう夕方。暖房のスイッチを入れて、あひるは自分の部屋に招いたフツを振り返った。 「お茶、用意するから……座って待っててね」 ぱたぱたと台所に駆けて行けば、取り出すのは彼から貰ったペアカップ。チョコにピッタリなカモミールを注いで部屋に戻れば、何処か落ち着かなさげに部屋を見回すフツと目が合って。 見慣れた筈の彼女の家も、バレンタインとなれば話は別。落ち着かない様子を見られたのはどうも恥ずかしくて咳払いを一つ。 「外で過ごすのもいいが、こうして2人だけで過ごすのもやっぱいいな」 落ち着かないと思っているのはお互い様だ。フツが家に来る度に2人きりの空間に緊張しているのは、彼にも伝わっているのだろうか。安心した様に微笑んで、テレビをつけた。少しだけ照れてしまうけど、こうして一緒に居るのは何時だって楽しい。 のんびり過ごす最中。あひるの手が、用意しておいたマカロンへと伸びる。そっと差し出して、視線を合わせた。 「いつもありがと。これからも、あひるの側に居てね。大好きよ!」 「ありがとな。これ、すげえな……」 店に出したっておかしくない。そっと、あひるの手を握って笑った。早速食べてもいいか、と尋ねれば笑顔で頷く目の前の顔。その笑顔みたいに可愛いそれが、あーん、と差し出される。一口でパクリ。広がる甘さは程良く、口どけも優しくて。 「ウム、ウマイ! 最高だ」 「お口に合えば、幸いです。えへへ……」 もっとあるよ、と声は弾む。暗くなり始めた外は寒いだろうけど。二人寄添う部屋は何処より暖かい気がした。 「ちょっと待ってね、できるまで見ちゃダメよ」 ランディの家に持参したのは手作りのチョコケーキ。彼好みのややビターで芳醇な味わいのチョコを探し当てる為、ニニギアは今日まで沢山の試食を重ねて来たのだ。 だからこそ、このケーキは仕上げまで完璧にしたい。程良く溶けたホワイトチョコレートで綴るのは、気持ちを一杯込めただいすきの四文字。これで完成と微笑んで。 「みてみて。いつもありがと、大好きよ」 「照れくせぇな、でもこういうのは好きだぜ」 綺麗に仕上げられたそれの裏に隠された苦労と真心を噛み締めながら。ランディは膝に抱えた彼女と共にチョコレートを味わう。本当に美味しかった。味は勿論だけれど、こんなにも頑張ってくれたその心が何よりの喜びに変わるのだ。 思う事は沢山あって、けれど今は彼女の事だけを。そんなランディの目の前で、ニニギアは少し悪戯な笑みを浮かべる。頬には、指についてしまったチョコレート。その意図を察した様に、ランディは小さく笑って頬に唇を寄せた。 じゃあ次は、と唇に乗るそれ。甘い甘いチョコレート味のくちづけを、そっと交わして。ランディはそっとその髪を撫でてやる。 「甘いな……ニニ、この日に男の家に来るって意味は解るか?」 ぱちり、と驚いた様に瞬く瞳さえ愛おしい。とびきり甘い時間の続きは彼らだけが知っている。 荷物を抱えて急ぎ足。学校帰りの木蓮が立ち寄ったのは、バレンタインの装飾鮮やかな店。帰宅部の彼女を逸らせるのは今日と言う日の特別さで。本当なら手作りをあげたかったけれど、忙しない状況はそれを許してはくれなかった。 だから、せめて美味しいチョコレートを贈りたい。そんな彼女が選ぶチョコレートを、大好きな恋人はまだ知らない。 「ふふー、昨日結構気にしてたからな、喜んでくれるといいが……」 うろうろ。迷う様に歩き回って、ふと目が留まったのはボンボンチョコレートのアソート。酒が好きな彼にはぴったりだろう、可愛い袋に入れて貰えば、自然と心が弾んだ。早く帰ろう。また急ぎ足に出ていく彼女の様子をまだ知らない龍治は、酷く落ち着かなさげに愛銃を握っていた。 普段通りのスコア、特に調子は悪くない。けれど、どうしても心が落ち着かないのは、やはり今日と言う日のせい。昨日それとなく探りを入れた結果、何らかのプレゼントは用意されているらしい。手作りは無理だ、とも言っていた。 ならばどんなものを。浮き立ちそうになる気持ちを抑え込んでもう一度。照準を合わせて引金を引く。甘いものが得意ではない。それを彼女はよく知っている筈だ。嗚呼、余計に答えは分からない。 「……ええい、集中出来ん」 こんな日は、とっとと帰るに限る。手早く片づけを済ませて、外に出た。既に暗くなった空を見上げて。嗚呼、彼女は何をくれるのだろうか、なんて考えてしまうのはきっと、自分だけでは無いはずだった。 ● 「いらっしゃい、である」 「……こたつがあるんだけど」 元々綺麗な部屋もばっちり片付けてしまうのが男心。準備万端のオーウェンの家にやって来た未明は見慣れた、けれど予想外過ぎる家具に驚きを隠せない。気を取り直して食事の用意を手伝おうとすれば、下拵えまで。 客人に料理はさせられない。そんな彼の言葉に従いテーブルの用意だけを済ませて、漸く炬燵に足を入れた。入ってしまうと動けなくなる魔性の其れはやはり暖かくて。程なくして机に並ぶのはシンプルながら美しく盛り付けられた3品。 前菜は薄切り鶏肉のサラダ、牛リブステーキにはオレンジソースをかけて、中華風酸辛スープが添えられる。出来る男と言うのはこういう事を言うのかもしれない。頂きますと手を合わせて、口に運んだ。 「改めて向かい合って食べると、気恥ずかしいわね」 美味しいのに味が良く分からなくて。何時も通りと言い聞かせて見ても、何処かぎこちなくなってしまう。笑って誤魔化した未明が、オーウェンの差し出すスプーンで更に照れてしまうのはもう少し後の話である。 食後のデザートは未明から。主役と言うべきチョコとラズベリーのシャルロット。甘酸っぱいそれに珈琲も添えて、未明はそっと包装された箱を差し出す。 「ベルトポーチよ。使うかどうかは、好きにしていいから」 「……大好きだ。ミメイ」 抱き寄せてそっと、唇を重ねた。デザートは甘くて、けれどそれより重ねた唇が、普段は告げない言葉が甘い。幸せだと、未明は思う。こうして過ごして、何かを贈れる事が。それを言葉にするのは苦手で素っ気なくなってしまうけれど。 きっと彼には伝わっているだろうから。甘い甘い香りの中で、寄添った影は離れない。 「……ふふ、2人ともはしゃいでたね」 きっと綾兎がいたから、嬉しくて仕方なかったのだろう。眠りについてしまった子供達にそっと毛布をかけてやって。微笑みながら髪を撫でて来る遥紀の言葉に、綾兎は気恥ずかしげに視線を逸らした。 「俺も楽しかったし……来年も一緒に過ごせるといいね……って」 恥ずかしいしこんなこと言わせないでよね、なんて。素直じゃない台詞も可愛らしくて。子供達の為にと用意したガトーショコラとムースとはまた別に。作って置いたトリュフをそっと差し出した。 自分も用意した、と机に乗るのはフォンダんショコラ。料理上手な2人らしく見事な出来栄えの其れを一つ摘まんで。遥紀は悪戯な笑みを浮かべた。 「折角だから口移しで食べるかい、なんてな」 「……口移しはだめだけど、あーんでなら食べてあげなくもないけど?」 催促するように開かれた口に、一粒。其の儘ついでに確りと抱き寄せて、遥紀はその細い身体を楽しむ様に笑みを漏らした。折れてしまいそうなのはそっちの方だ、と言う声に抱き心地が良い事はよく知っているけれど、なんて意地悪を囁いてやれば綾兎の視線が此方を向いて。 「……あんまりそういう恥ずかしいこというなら、俺が逆転しちゃうよ?」 耳元に寄る唇から、囁かれる言葉。くすくすと笑って、楽しみだ、と囁き返した。差し出された細い指と、チョコレートを舐め取って。耳元に唇を寄せ返す。 「俺は泣かせる方が好きなんだけど、ね」 やれるのならやってみると良い、なんて。甘い声に含まれた余裕は中々に崩れそうになかった。 昨日今日、2人で楽しんだ時間はあっという間だった。お洒落なショットバーに腰を落ち着けて。祥子と義弘は軽く、グラスを合わせた。チョコレートカクテルとモルツの生。並んだグラスを眺めながら、話は弾む。 意外と手先が器用な義弘に驚いた事。また、一緒に作ろうね、なんて笑えば少し気恥ずかしかったと笑う顔。ふわり、酔い始めた頭は、じっと此方を見つめる義弘の瞳に恥ずかしさとときめきを覚える。嗚呼、此の侭キスしてくれないか、なんて思って、でも言葉には出来なかった。 少しだけ細められた瞳は、暗い照明の中でも映える深い黄金色。美しいそれを纏う祥子自身が輝いている様に義弘には見えて、そっと息をついた。 「……ああ、俺はこの瞳に惚れたのかもな」 そのまま、寄添った。初めて会った時から、強くて格好良い人だと思った、なんて。前も言った事があっただろうか。そんな言葉を呟いて、小さく笑う。視線を、確りと合わせた。 「好きだぞ、祥子。これからもよろしくな?」 「ひろさん大好きよ、あなたの隣があたしの大事な居場所なの」 だから、勝手に居なくなったりしたら駄目だからね、と。囁く声は優しくて、少しだけ不安げで。其れさえ抱え込む様に、そっと肩を抱いた。 甘い茶色がグラスの中で揺れていた。広いソファに2人、艶やかに爪先を染めた暗紅を興味深げに眺めるミカサの目の前で響希は微かにその視線を上げた。 「指、長いから似合う」 楽しげに指を絡める姿の後ろ、緑のリボンをかけた箱を見遣った。あの人と一緒に作ったそれを渡すタイミングは良く分からなくて。首を傾げる赤銅と視線を合わせた。 「……チョコレートって、いつ渡す物なの」 いっそ聞いてしまおう。そんな言葉には渡したい時と不思議そうな声が返って。空いた手を伸ばして、丁寧に包まれたそれを差し出した。好きだよ、なんて囁きは未だ馴染まないけれど。様子を伺う様に視線を合わせれば嬉しそうに笑う顔。 機嫌良さげながらも何処か落ち着かない彼女にくれないの、と尋ねてみれば分かり易く肩が跳ねて。ぎこちなく、鞄から取り出される小さな箱。 「不味かったら食べなくていいから、その、」 「――君が作った物だから俺は嬉しい」 視線を交えて告げれば、馬鹿ね、と気恥ずかしげに微笑む顔。甘くて辛いトリュフと、甘過ぎないブラウニー。中身を眺めて未だ痛む身体をソファに預けた。来年は楽しみにしてて、と軽い調子で言葉をかければ、包みを置いた響希がそうっとミカサの背に手を回す。 一緒に居られればいいわと。囁く声は知っているのだろう。先の約束に何の保証も無い事を。けれどだからこそ、今夜位は怖い夢より甘い現実とミカサは思うのだ。そっと、額に唇を寄せた。 甘える様に首元に寄った頭を撫でて。一緒に寝ようか、と囁けば、小さく頷く気配。もう少しこのまま、と、零れた声は酷く小さかった。 ● 少しだけ、意地悪をしようと思ったのだ。自惚れでなければ今日はリリが腕鍛の為に色々してくれる日だけれど。折角だ、想い出づくりも兼ねて。行先を告げぬままに、彼は外へと出ていた。 記憶は少し曖昧で。けれど、そこで起きた事は忘れもしない。今日も静かにその姿を保つ硝子張りの植物園は開かれていて。そっと、ベンチに腰掛けた。此処は、始まりの場所だったのだ。 初めて愛を告げた場所。此処から始まって、幾度も幾度も言葉を重ねた。だから、今日は此処で待つのだ。一言、幸福の泪の元で待つ、とだけメールを入れて。 日付変更は近かった。けれど、不安はない。足音が聞こえた。少し弾んだ呼吸音と、落ちかかる華奢な影。 「ギリギリになってしまいました、すみません。……何度でもお伝えします、大好きです」 初めて作ったチョコクッキー。頑張ったけれど精密作業は難しくて。少し不恰好なそれを抱えたリリは、今日一日一生懸命彼を探し続けたのだ。何処にもいなくて、夜は更けていく。此の侭会えないのか、なんて不安になった時に。 入っていたメールに気付いたのだ。忘れもしないあの場所。初めての暖かな気持ちを貰った場所。幸せの泪は降らないけれど。代わりに、溢れんばかりの愛を贈ろう。 冬の星が零れそうだと、思った。展望台からは溢れる夜景の光も見えて。糾華はそっと、寄添い合うリンシードの手を握り直す。未だ寒いけれど、分け合う体温は温かくて。安堵にも似た感情が胸を過る。 渡したいものがあった。そう告げて、大事に仕舞いこんだ小箱を取り出す。 「はい、チョコレート。昨日のものね。貴女の為の特別品」 「私からも……チョコです。あまり、慣れていませんから……少し形は悪いかもしれませんが」 お姉様専用の愛だと、少し照れたように告げる。つられた様にはにかんだ糾華は、ほわりと胸に灯る優しい熱にその瞳を細めて好きよ、と囁いた。そんな彼女を確りと見つめて。リンシードはそっと、息をついた。 生きる意味、楽しさ、沢山のものを、彼女から貰った。彼女のお陰で強くなった。だから、今度は自分が、お返しをする番なのだ。出来る事は少ないけれど。 「何があっても、私はお姉様の味方です……ずっと一緒ですよ、お姉様」 死が二人を別つまで。否、死すら乗り越えてみせよう。そう囁いて。そうっと、重ねられる唇。甘くて、くらり、と感じるのは陶酔。目の前で花咲く様に笑う顔を見詰めた。 出会いよりずっと弱くなった自分が居て。ずっと強くなった彼女が居る。それが悪い事だとは、糾華は思わなかった。甘い甘い小箱に託したメッセージ。何時までも共に、と願う気持ちを、星は叶えてくれるだろうか。 14日ももう終わり。特別な日も、エナーシアにとっては何時も通りの日常に過ぎなかった。否、いつも以上に仕事で過ぎ去ったと言うべきだろう。イベント事は、彼女の様な何でも屋にとってかきいれ時であるのだから。 動いていたペンが止まる。毎年の事の筈のそれに覚えるのは一抹の寂寥感。人様の恋路に関わったりしたせいだろうか。ほんとにほんのちょっとだけ、何もないのが、寂しかった。 恋愛感情。一度も抱いた事が無いそれをエナーシアは知らない。世界は遠くて、実感は乏しかった。だからこそ、彼女は世界を素晴らしいと言い続け、あらゆる物事に手を伸ばす。 世界を、少しでも近づける為に。巡る思考にそっと、息を吐き出した。ペンを置いて、背筋を伸ばす。気付けばもう、日付が変わる直前。 「――願わくば、」 来年の今日は、こんな事を考えている暇もないような乱痴気騒ぎありますように。立ち上がって、ぱちん、と灯りを消す。 夜は更けていく。それぞれの甘くもほろ苦くもあるかもしれない一日を包む様に。そんな市内の、何処かで。開かれたままの液晶画面。 ――幸せなバレンタインをありがとうございます。ボクは幸せな人間だとおもいます。 素直に言えなかった言葉がひとつ。大事な誰かの下に届いていた。一年に一度だけの、甘い甘い愛を伝え合う日は、こうして静かに幕を閉じた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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