●“偶発的遭遇” 神奈川県横浜市―― 今昔、開国の異国情緒漂う港町は日本でも有数の大都市である。 特別な発展を遂げたこの街は昔から外国人の出入りが多く、その為幾らかの紆余曲折を経て外国人を葬る為の墓地が作られるに到ったのである。 「ふむ……成る程。何処と無くこの墓土の香りには『懐かしさ』を感じなくは無い」 そんな外国人墓地にケイオス・コンダクター・カントーリオが足を踏み入れたのはある夜の出来事だった。 物寂しい墓地には人気が無い。時刻柄当然であるし、そうでなくても当然である。今、日本は彼の書いた『混沌組曲』なる楽譜(スコア)に翻弄され、混乱の只中にある。死者が蘇り生者を襲う等という『悪趣味な』映画か小説の中でしかお目にかかれないような事件が頻発すれば、墓地から人が遠のくのは当然と言えば当然の事実であった。 ケイオスがこの場所を選んだのはある種の拘りから来る理由である。 「allegro ma non troppo。しかし、そろそろ頃合でしょう」 一軍の指揮官たるものが軽々に己が存在を誇示するのは情緒の無い馬鹿者がやる事だ――指揮者はそう考えている。性急過ぎるリズムは最高の曲のその調べを余りにも簡単に台無しにしてしまう。故にallegro ma non troppo(速く、しかしあまり速すぎないように)。さりとて観客を『飽きさせぬ』ようにしようと言うならば抑え付けるだけでは芸が無いのも事実である。 「従って――a piacere.con molt espressione」 『自由に、多くの表情を内報して生み出される楽曲』は人の耳に、記憶に鮮やかに焼き付いて残り続ける事だろう。『混沌』なる恐怖が六十余年の時を経て再演されている以上――公演は前回以上でなくては嘘なのだ。故にケイオスは些か自己主張の強すぎる――例えばバレットをはじめとするような――弾き手も許容する。彼等のcapriccioめいた性質も指揮の内であらば味になるのだから。彫像めいたその顔に神経質そうな細い眉を乗せた燕尾服のケイオスはその実、芸術的感性には弾力めいた余裕を持っている。持論を譲る心算は一ミリたりとも存在し得ないが、彼が自身に無い感性さえ否定せぬのは『大指揮者』たる所以であると言えるだろう。 「月も己を恥じ、姿を隠す夜。『演ずる』には良い日を選んだもの――」 冷たい外気に全身を浸し、何処か陶然と目を閉じたケイオスはその美声をもって闇に宣誓し、夜を傲然と震わせた。 まるで暗闇の世界は我が物であると言わんばかりの彼は、指揮棒を持った右手、左手。両手を左右に広げ、さっと頭上に振り上げる。幾度と無く繰り返されたその動作は何処までも澱み無く、それ自体が魅了する動作のように美しい。荘厳なるオーケストラを手足のように扱う指揮者は、同時に死を最も上手く汚す者に違いなく。唯、それだけの動作で広々とした外国人墓地のあちこちから『熟睡していた者が目覚めた』気配が広がった。千を大きく越える死者達が有り得ざる目覚め『二度目の生』に呪い歌を奏でている。 「嗚呼、何と素晴らしい……この肌に触れる無念が、溢れんばかりの情念ばかりが。何時だってこの私を新たな『創造』へと駆り立てる……」 『混沌組曲』は序より破へ。崩壊の序曲は崩壊へと姿を変える。 全てはこれから始まるのだ。この夜が明けぬ内に麗しい港町には死者が溢れ帰る事だろう。あの『公園』を制してやるのも悪くは無い。シアーは伏し目がちのまま自分の演奏に頷くだろう。本物の演奏をモーゼスに知らしめてやるのも悪くは無い。ケイオス・“コンダクター”・カントーリオの名には又一つ勲章がぶら下がり、やがて箱舟は暗い海の底に沈み逝く…… ――してはいけない事をしたな、死霊術士(ネクロマンサー)。 ……甘美なるケイオスの『空想』を破ったのは酷く低く抑えた調子ながら、彼のそれよりさえ良く通る一人の男のバリトンだった。 「――――」 うっとりと目を閉じていたケイオスが声の方――闇の彼方に視線をやればそこには黒衣を纏った一人の神父が居た。長い銀色の髪を後ろで一つに縛っている。青い目には濁った水底のような深さと昏さが同居している。その最大の特徴を言うならば彼の左手は肘半ば程から剣にとって代わられている――その部分になるだろうが。 「――奇妙な事を言いますね、聖職者」 「奇妙な事だと?」 「貴方からは酷く死が匂い立っているのに。それこそ『並の死人に勝る程に貴方は生きながら死んでいる』ようにも見えるのに。許し難いですか? 『生を汚す者』には『死を汚す者』が」 「私は、貴様と問答をする心算は無いのだよ」 彼我は百メートル程。一歩ずつ近付きながら話しても距離はまだ遠い。蠢く白骨共が『偶然に出会ってしまった二人』をまだ静かに見つめている。 「貴様は私にとって明確なる敵なのだ。最早、貴様に語るべき言葉は無い。唯、私は貴様を断罪する剣となる。分かるか、死霊術士。『死を汚す者』が最後に手にするのは『汚す事も叶わぬ程の死』ばかりであると知れ!」 爆発的に膨れ上がった黒いオーラは夜の闇より尚深い。 「……ふむ……」 ケイオスをして感嘆せしめる程のその殺気の強さは極東の島国と侮るバロックナイツの認識を改めさせるものになるやも知れぬ。 「問答無用という訳ですか。演奏にはトラブルがつきものだが……」 ケイオスは黒いカソックの神父の剣幕にその眉を少し動かした。彼が自分にとっての敵なのは明らかだ。しかし何故――それは信仰によるものなのか、その他の事情なのか…… 「……まぁ、構いません。『混沌組曲』の転調にこれはこれで相応しい」 黒い雲が風に流れる。 雲間から顔を出した蒼褪めた月が剣呑なる墓地を見下ろしていた。 ケイオスのすぐ近くには一つの小さな墓石がある。 “Alice Albergetti 1992-2005” ●“偶発的好機” 「――ま、見ての通りの状況です」 『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア(nBNE001000)は予想外の展開に無言のままのリベリスタに肩を竦めてそう言った。 「『楽団』による『混沌組曲』が第二段階を迎えて日本中が大混乱している……まではご存知の通りです。各地でご当地リベリスタや『裏野部』、『黄泉ヶ辻』を除くフィクサードの多くが事実上の友軍になっているのもご存知の通りです。しかし、これはそのパターンとは少し違いますねぇ」 「……まぁ、な」 苦笑を浮かべてそう答えたリベリスタはアークの報告書の中にモニターの『神父』の情報が記載されている事を知っていた。彼の名はパスクァーレ・アルベルジェッティ。元は篤実なリベリスタでありながら、不幸な革醒事件を切っ掛けにリベリスタと人間に深い憎悪を抱いた人物である。一時はフィクサードの――『逆凪』のコントロール下にあったとも目されていたが、憎悪を増し力をつけ始めた彼は現状では『制御不可能の怪物』であると見做されている。 「パスクァーレ様の行動論理は私怨です」 「……だろうな」 「この『恐るべき偶然』の事を人間は必然と呼ぶのかも知れません。 ケイオス様が自身の『演奏』の始めに選んだ場所には――彼の娘さんが眠っていました。そして、ケイオス様が演奏に選んだ夜は彼女の命日でした。全くカミサマの与え給うた偶然のままに二人は出会ってしまった。違う場所なら。いいえ、ほんの少しでも時間がずれていれば、起こり得なかった事なのに。あはは! 私は一般的な『カミサマ』は信じてませんけどね!」 アシュレイの口にした冗談のような本当はまさに事実は小説より奇なり……といった風。『共にアークの強敵たる存在』がぶつかったのは悪い話では無いのだが…… 「パスクァーレ様が勝てば大金星で万々歳。しかし、流石に相手はケイオス様。多勢に無勢では勝ち目が薄いでしょうし、負けた時は大変な事になりますからね。アークとしてはこれを放置してはおけない、と。いや、厳密に言えば話はもう少し違うのです」 「どういう意味だ?」 「いいですか? 例えば末端の楽団員を倒したとしてもケイオス様はその死体を戦力に転用出来る。謂わば『楽団』とは彼の手足な訳です。ケイオス様を倒さない限り勝利は絶対に有り得ない。逆に言えば――」 アシュレイはリベリスタの目を真っ直ぐ見て言葉を続けた。 「――ケイオス様さえ倒せば、『私達』は勝てる。本来ならばケイオス様の魔術隠蔽は完璧です。死霊術士という職業柄『つまり本丸の自分さえ叩かれなければ無敵』だからですね。ですが、彼にとっては予想外な人物が今回の現場には居合わせてしまった。パスクァーレ神父との対決が起きる結果、ケイオス様の居場所が掴めたのはチャンスです。加えて神父が『ああいう状態』である以上はケイオス様に優先してアークのリベリスタを攻撃するという事は無いでしょう。まぁ、纏めて攻撃される可能性もありますけど」 アシュレイの言葉にリベリスタはもう一度苦笑いを浮かべた。 つまり魔女はこう言っているのだ。『偶発的に発生したこの好機にパスクァーレ神父を利用してケイオスを叩け』と。成る程、本丸を落としてこの終わらない悪夢に終止符を打たんとするのは理に叶っている。しかし断続的に続く『混沌組曲』の影響でアークが即座に動かせる精鋭の数は少ない。最大の問題はその相手がバロックナイツだという事である。 「倒せるにせよ、無理にせよですよ」 アシュレイはリベリスタが言わんとする辺りを察したのか言う。 「少なくとも使徒は使徒同士も知らない力の隠し玉を有している可能性が高い。彼との戦いは避けては通れない以上、これは必要なリスクです。ケイオス様は慎重な方ですからね。状況次第では今回の『演奏』自体を軌道修正するでしょうし。つまる所、倒せれば最上。横浜の襲撃計画を阻止、威力偵察の成功でも上々。襲撃計画が止まらず、パスクァーレ神父や皆さんの死体を奪われれば最悪って事です」 淡々と語る魔女の言葉に冗句が混ざらない事が任務の意味を告げている。 何とも言えぬ寒気がリベリスタの背筋を舐め上げていた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年02月12日(火)00:25 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●墓土が冷たく薫るI 夜の墓地の風情をケイオス・“コンダクター”・カントーリオはこよなく愛している。 勿論、麗らかな昼下がりに馴染んだソファに座って気の効いた執事に用意して貰う極上のアール・グレイも嫌いではない。 勿論、華やかにして荘厳なる欧州大劇場の舞台の上で万雷の拍手を浴びる気分も最高だ。 しかし、彼が本当に安らぐのは。何よりも好むのは――死に満ち森閑としたその空気に身を委ねる事だった。 人間は何処から来て何処へ行くのか。死は全ての終わりなのか、それとも始まりなのか。 恐らくは世界中の哲学者が数千年ぽっちの人類史の中で答えを得る事も無く――無為に繰り返した問いである。『死を最も上手く汚す者』と呼ばれたケイオスなる魔術師もその彼等と同じく『つまらない命題』に想いを馳せる事もあった。意味が無い事は知れている。しかし、意味が無いからこそ意味がある。 「聖職者――貴方の答えは一体何処にあるのでしょうね?」 「良く回る舌を切り落とせ、死霊術士――!」 穏やかに問い掛けるケイオスに対して雷鳴の如き声を張る聖職者――パスクァーレ・アルベルジェッティの抱く殺気はまさに格別のものであった。彼を十重二十重に囲むのはケイオスが『起床を命じた』白骨の軍勢である。その一つ一つの戦力は決して大き過ぎるものではない。黒衣を纏った神父の――自身と同化した断罪の剣はいともあっさりと飛び掛かって来たそれを破壊している。数体に及ぶそれが纏めて彼を襲撃しようとも彼の盾は攻撃を弾き、彼の袖から伸びた黒い鎖はそんな敵を容赦なく叩きのめしている。 絶対的な個はまるで死に満ちたこの世界に燦然と輝く聖域(サンクチュアリ)のようである。 燃え上がるような男の怒りは這い寄る死をこれまで全く寄せ付けては居ない。 「――貴様は、殺す。総ゆる苦痛を刻み、二度と蘇らぬよう――そう、汚れた死ばかりをくれてやる――」 本来は饒舌なるパスクァーレが辛うじてそれだけを口にした。 グラグラと煮え立つその言葉を彼を知る誰かが聞いたならば竦み上がるかも知れない。 どれ程に狂おうと、どれ程に『逸脱』しようと、取り返しがつかない男であろうとも――彼はこんな風に喋る男では無い。年輪を刻んだその顔立ちを今夜程の憤怒に染めた事は長い人生の内で恐らく幾度も無いだろう。彼の周りに転がる数十体分の白骨はケイオスの軽んじた死であり、パスクァーレの憤怒の痕である。 しかしそれでも。圧倒的な破壊力と、全身を突き刺すような黒い憎悪を向けられながらもケイオスは殆ど意に介した風も無かった。 「その時をゆっくりお待ちしていますよ。ああ、そうそう。出来れば夜が明けぬその内に――」 象牙を切り出して作った意匠のタクトが闇に白い軌跡を描く。 指揮者の意向を受けた白骨の兵達はその動き方を変え、先程よりも素早く――効率的に。まるでリベリスタやフィクサードが連携をするような風情で暴風のような黒神父に挑みかかっていた。否、厳密に言えば『一つの意志で完全に制御されたその動きはリベリスタやフィクサードの比ではなく、規律の取れた完全』である。死者達は自身が捨て駒になる事を全く厭わない。 「――おのれ――」 例えばパスクァーレ・アガペーの放つ光が一面の死者を薙ぎ払ったとしても。 前に出た死者は元より『そういう役割』だっただけの話なのである。一瞬だけ開いた道を新手が埋める。大技の後に僅かに生じた隙間に無遠慮な死者の骨の手が次々と滑り込む。黒いカソックに刻まれた爪痕は黒神父にとっての重傷ではない。身を翻し、防御姿勢を取った彼を簡単に傷付けられる程の力は元より死者には存在していない。しかして。 「……おのれ、死霊術士!」 ギリ、と音がする程に奥歯を噛み締めたパスクァーレの表情が状況を物語っていた。 僅かな距離はまるで千里の道のようだった。刃さえ届けば『断罪』を夜に与えられるものを。 そう思う程に遠く、埋められない距離はまさに死霊術士(ネクロマンサー)が望む最高峰の戦いである。 たかだか数十ならば蹴散らせば済む。しかしてそれが千を越えるなら―― 「冗長な演目は観客を飽きさせるものですよ、聖職者。 何なら私が貴方の曲を書きましょうか。恐らくその悲劇はこれから何十年と人々の口の端に上るでしょう。『混沌組曲』のその一端としてね!」 ――墓土の香りは、叶わなかった望みの香りに良く似ている。 「ご存知ですか。人は『悲劇』を好むのですよ。そう、胸を打つ――実に冷たい『悲劇』をね」 ●第一楽章 「……まさか俺が使う事になるとはな」 『神速』司馬 鷲祐(BNE000288)の独白は本人も意図しない思わず漏れたものだった。 夜を行くリベリスタ十人の背中には小さな羽。言葉通り翼の加護をもたらした鷲祐は本来は凡そ――他人の支援を受け持つような性格でも能力の持ち主でもない。 「フッ、分からないものだ」 自分の持つ能力に絶対の自信を持ち、『贅肉』をつける事を基本的には嫌う鷲祐である。そんな彼に支援の決断をさせ、どんな手段をもっても状況を打開したいと打ち込ませる――事件は決して多くないだろう。否、恐らくは最初からたった一つしか有り得ない。 『本当は静かな筈の』横浜外国人墓地はまさに今慌しい『音楽』に満ちていた。 自身の手勢を『指揮』する事で『混沌組曲』なる一大事件を日本全国で引き起こしたケイオスは曲が『序』から『破』に移り変わるに合わせて自身も演奏に参加する事を選んだのである。事件の発端はその彼が『死を汚す現場』にこの墓地を選んだ事だった。天の配剤、運命の悪戯、或る意味最悪の鉢合わせはまるで『決められていたシナリオ』のように澱み無く一つの状況を作り上げたのである。 「死体、死体、死体だな。成る程、これならば『奴』もさぞ業腹極まりない所だろう」 「本当にちょっと――胸が悪くなる感じだね……」 鷲祐の言葉に苦笑い交じりの『いつも元気な』ウェスティア・ウォルカニス(BNE000360)が相槌を打った。 「許せないって言えばいいのかな。……でも、言う必要も無いかも知れない」 墓地の上を滑るように飛ぶリベリスタ達はたった一つの目的を胸にその現場へと急いでいた。 「ケイオスの奴と漸くご対面か」 『蒼き炎』葛木 猛(BNE002455)の一言はまさに今夜の『肝』である。 彼以下十人のリベリスタ達の狙いは『混沌組曲』を仕切る指揮者を急襲し、あわよくば一気に打倒するという途方も無い奇手であった。 アシュレイをして究極と称するケイオスの隠蔽魔術はこれまで万華鏡の探査さえも掻い潜りゲリラ的に日本に混乱を与えていた。元より迎撃を主体とするリベリスタの活動は『事後対処』めいている事も多いが、ケイオスに限ってはこれまで本人の位置さえも特定が叶わなかった事情があった。 「臭うんだ、奴が居る。俺には分かる」 鷲祐の嗅覚は猟犬の如く研ぎ澄まされていた。 ケイオスが動き出した今夜――位置が割れたのは鷲祐がこの事件に並々ならぬ情熱を燃やす『最大の理由』の方にある。 「死は絶対だ。黄泉返らせるなんて神の領域への冒涜だ。 神を葬る者の名を知らしめてやる。死者を穢す者が福音等と――笑わせる」 「沢山の家族が眠るお墓を戦場に選ぶなんて許せないです。誰かの愛する家族が眠るこの場所――」 憤慨する『ジーニアス』神葬 陸駆(BNE004022)の一方で、『ぴゅあわんこ』悠木 そあら(BNE000020)の瞳が揺れた。 大切な人を亡くした事があるのは彼女も同じだ。もしその――二度と話す事も出来ない、頭を撫でてくれる事もない。 そんな誰かが墓土の下から引きずり出されたなら? 安らかな眠りを侵されて望まぬ現世に戻されたなら? 「……っ……」 「正直彼の気持ちは――想像は出来ても実感は出来ない。 けれど、誰にも譲れない大切な物はある。それを踏み躙られたなら、決して許せる筈も無いのでしょう」 唇を噛んだそあらを労わるように口にした『祈りに応じるもの』アラストール・ロード・ナイトオブライエン(BNE000024)の声色は僅かに憐憫の色を帯びていた。 この外国人墓地には“Alice Albergetti 1992-2005”と刻まれた墓碑がある。それはあのパスクァーレ・アルベルジェッティの一人娘アリーチェのものである。復讐を望みとし、復讐のみに生きる彼とアークの因縁は浅くない。幾度かの邂逅で相見えた彼は『敵』である。リベリスタの唱えた秩序に完全に絶望し、その破壊を求める彼は『パブリック・エネミー』そのものだ。しかしてリベリスタならば――リベリスタであるからこそ分かる彼の痛みは恐らくはこの先誰にも付き纏い得る絶望の影であった。愛する誰かが『許されぬ何か』に変わった時、迷い無く刃を振り下ろせる者が何人居るだろう。居てもそれは、誰もが皆全てでは無い。 誰にも別れはある。死は彼岸と此岸を分かつ流れである。もう交わらぬ道を行く愛する者の幸せを疑わねばならぬ程の不幸があろうか? ケイオスの『演奏』は死を汚す。聖職者であり、父親でもあるあの神父がどれ程の怒りを湛えているか――愚問である。 「だが、アシュレイも言ってたが、こりゃ好機だ。出来る限りの全力振り絞って……この先、楽になる様に頑張るしかねーな」 猛の言葉にリベリスタ達は頷いた。 『偶然』はケイオスにこの墓地を選ばせ、パスクァーレとの遭遇を用意した。ケイオスの位置が万華鏡に看破されたのはパスクァーレという巨大な存在感との激突が故である。死を汚すケイオスに或いは神が与え給うた『罰』は彼の完璧なスコアを僅かに崩したのだ。 「如何な卓越した魔術の使い手であっても、所詮は人の行う事……か」 ぽつりと零した『星の銀輪』風宮 悠月(BNE001450)の言葉は同じ魔術師が故に何処か皮肉めいていた。 今夜の状況は『完璧なる魔術が存在し得ない』という『元より当然の結論』を世界が証明して見せた格好である。 しかし探求者、求道者たるもの、その結論を認めては商売が出来ないのは確かなのである―― 「……分からないものだな。運命は時にこんな状況さえ用意して見せる。 余りに出来過ぎている――全くシナリオだ。これを幸運とするか不運とするべきか――それはオレにも分からないが」 「時と場所、全ての『必然』がこの機会を演出した事は確かな事実なのでしょうね」 『闇狩人』四門 零二(BNE001044)に応えた悠月は「誰がその筋書きを用意したのかはさて置いて」と言葉を結んだ。 リベリスタ達が遭遇する運命は往々にして作為を疑う程に悪意的である。 一行が眼窩に見下ろす風景は蠢く白骨死体に満ちていた。空を滑る彼等に死体達が――それを統べる者が気付いているのかいないのかは定かでは無い。しかして地上の踏破を諦め、空から攻める事を選んだリベリスタ達の判断はまずは正解だったと言えるだろう。死体個々の実力は当然精鋭たる部隊に劣るが、まともに相手にすれば磨り潰されるのは火を見るよりも明らかだからだ。 急がねばならない。行く手にはケイオスが居る。 急がねばなるまい。そこではパスクァーレが戦っている。 敵と敵。交わらぬ二者。だが、敵の敵は――時に味方にも成り得るという事だ。 リベリスタが如何に言葉を尽くしても復讐鬼が耳を貸すかどうかは分からない。だが、同じ『パブリック・エネミー』でもどちらを理解出来るか――どちらがより確実に排除しなければならない存在かは言うに及ばない部分である。なればこそ、リベリスタ達はこの好機を生かさねばならないのだった。敵である神父を利用し、最大の敵ケイオスを屠る。神父の何処にもリベリスタに味方している気が無かったとしてもである。状況を利用してケイオスを討ち取れば――『混沌組曲』は終わるのだから。 「こういうの何だ――ああ、『桶狭間の戦い』みたいな」 「ああ! 信長が何か敵をやっつけたやつ!」 「そうそう。奇襲で敵首魁を討ち果たし――大勝利ってなれば最高さね」 相槌を打った外国人のウェスティアに飄々と応えた今夜も食えない『足らずの』晦 烏(BNE002858)が暗闇に紫煙を燻らせた。 「おじさんも武者震いする感じだねぇ。さて、飛び込むとしますか。災禍の大渦の中心へと――」 言葉とは裏腹に惑わぬ彼は前を見据えてそう言った。 これより来る戦いが只事で済まぬものになる事をこの場の誰もが知っていた。 (……ああ、本当に……この先に敵が居る) 『紅炎の瞳』飛鳥 零児(BNE003014)は複雑に絡み合う感情を端正なマスクに隠せず浮かべ、この場に赴く前にアシュレイと最後に交わした言葉を思い出した。 彼女を疑った事もある。今も疑いが消えたとは言い難い。 彼女はあくまでフィクサードで、自分の為に世界を侵せる裏切りの魔女である事は変わりあるまい。 しかし――バロックナイツを倒すという意志と能力は信頼するべきだ、信頼に値するものだ。 罪滅ぼしではないが、零児は彼女に言葉を告げた。 ――此方を手伝ってくれとは言わない。だが、俺に何か手伝える事は無いか? ほんの一瞬だけ目を瞑れば零児の瞼の裏にきょとんとした顔をしたアシュレイの無防備な顔が浮かび上がった。 ――あはは。零児様、とってもイケメン。じゃーそうですねー。お願いしちゃいましょうか。 「出来る事なら何でも」と伝えれば戻ってきた台詞は予想外のものであった。 ――そうですね、横浜と言えば中華ですから。シウマイとか肉まんとか買って来て下さいね。いっぱい。絶対ですよ! 彼女の言葉は素直ではない。戻って来い、とそう言わない捻くれ者は『魔女の役割』を忠実に果たし。 それを察しながら「何だそれ」と呆れた顔で返した零児も又、彼女の言葉の意味を十分汲んだ。 墓地の冷たい空気が頬を撫でる。風を切るように飛べば彼方に遠く――騒乱の中心が見えてくる。 零児は詮無い思考を切り上げ、全ての意識を目前に迫る楽曲の打倒に切り替えた。 何が出来るかでは無い。こんな時求めるのは常に何をするかの方である。 「さて――一つやってやるか――」 運命の歯車が軋んだ音を立てて回り始めた。 ●第二楽章 パーティの目的はケイオスにより引き起こされる横浜襲撃の阻止である。 最良をケイオスの撃破に置き、副目的に彼の能力を探る偵察も含んでいる。強行で危険な作戦だが『見過ごす事の出来ない強行の阻止』は当然の事『そもケイオスと接触出来る好機』が殆ど無い事を考えれば踏み込むしか無いと考えた本部の判断は正しいと言えるだろう。 果たして選抜された精鋭達は死の支配する領域――その中心地付近に遂に降り立たんとしていた。 「行くのです!」 そあらの手にしたライトが揺れた。 暗闇に浮かび上がったのは『本物のホラー』を思わせる死者の群れ。 ケイオスが君臨する死の中央、付近を着地地点と定めたパーティにざわざわと死体が騒がしさを増した。流石に彼等の接近には気付いていたのだろう。周辺から次々と兵力が増員を見せつつあった。 「道を拓くから――」 「――うむ。この天才に任せておけ」 一声を発したウェスティアの魔術詠唱は節と節を見事に融和させ、高等に組み上げたまさに高速詠唱である。 黒い表紙に多様な魔方陣が描かれた書は他ならぬ彼女自身が書き足した彼女の為の魔術書だ。世界が竦む程に存在感を発揮する黒き魔術の秘奥、その一端を『葬操曲』と呼ぶならば――迸った少女の血、黒い鎖は今夜に何より似合う『調べ』となる。 一方で地上に向けて降下しながら陸駆の操る斬殺空間もこんな現場には無類の強さを発揮するものとなる。生憎と血肉を持たぬ白骨達が相手では戦場を赤く染める『華』の方は足りないが、無数の刃は不可視のままに範囲一体に存在する白骨達をそれぞれ滅茶苦茶に叩き斬る。 「後方は私が」 「一気に行くのです!」 悠月の黒い瞳が更に集まらんとする動きを見せた死者達を静かに見据えた。ルーナ・クレスケンスを引き絞り詠唱と共に魔術なる一矢を放つ。暴れ狂う雷術は敵陣の機先を制し甚大な威力を発揮した。一方のそあらは声を張り、暗闇を照らす慈悲で薙ぐ。彼女の優しさと純粋な怒りを反映したかのような白波はこの時大きな威力を発揮して死者達を一気に激しく飲み込んだ。 「おお、やっぱアークは別嬪さん達が強いねぇ!」 かんらと笑った烏がこの勢いに続いて乗った。 「……ま、ちょっくらおじさんもお邪魔しますよっと」 更に烏の二四式・改が吐き出した雨あられのような暴力の弾幕は驚異的な精度と威力を併せ持ち、宙に白い骨の破片を撒き散らす。 しぶとい死者共はこれ等弾幕の集積にもまだ動きを見せている。馬鹿馬鹿しい程の耐久力は『楽団』が見せてきたお得意のお家芸。 (皆のお墓なのです。それを……ケイオスが……!) 墓地を舞台にした制圧に心優しい――少女のように可憐なそあらの眉が僅かに動いた。しかして『そうする他無い』のならば惑えないのがリベリスタであった。死者の眠るこの場所を解放し――優しく穏やかな夜に戻そうとするならば可及的速やかに取り除かねばなるまい。ケイオスを。 後衛が拓いた道を行くのは前衛だ。 直接空襲よりケイオスを襲撃する……というプランも無い訳では無かったが流石に無理が過ぎる。 死者に溢れた戦場を飛び越えてケイオスに直接肉薄する事は敵陣の最中に飲み込まれる事に等しい。 生存確率を考えた時、連携の届かぬ範囲に戦力を放り込む事は――ぞっとする結論以外を導くまい。 「勝負の時間だ」 着地した零二が次々と集り始めた死者達の注意を一気に自分に引き付けた。 敵の進行(コード)を乱すのはミッションを成立させる基本中の基本である。 先頭を行く鷲祐の邪魔をしかけた死者の幾らかが零二に流れる。予想より俊敏な動きで次々と飛び掛かって来た死者達を抜群の身のこなしで捌く彼は一帯の状況を素早く目で確認し一人ごちた。 「成る程、『死』を掻き分け進めという事か」 「いけ! 司馬鷲祐! 貴様の神速みせてやれ!」 「フッ――言われるまでも無い!」 爪先から余りにも軽やかに地上に降りた鷲祐は背後から掛けられた声に振り向く事も無く姿勢を一気に前傾に傾けた。 可及的速やかにパスクァーレを救援し、ケイオスに痛撃を加える事。パーティの狙いは電撃戦である。死者を操る楽団――それもその主――と正面から持久戦を行う事の愚かさをリベリスタ達は戦いの中から知っていた。不確定要素(イレギュラー)だらけの戦場がどう転ぶかは読めないが、何よりもまずスピード。信条決してブレる事の無い鷲祐にとっては迷う余地も無い話である。 「――パスクァーレ・アルベルジェッティ!」 死体に重度に囲まれ、戦いを続けるパスクァーレが鷲祐の声に僅かな反応を見せた。 「良く会うな。相変わらず――元気そうじゃないか?」 揺らめく怒りの炎を肌で感じながらも鷲祐の調子はあくまで気安い。 パスクァーレが怒りと憎悪を攻撃力に変えてまさに暴風のような破壊力を発揮する事を鷲祐は知っていた。しかして、その状態の彼が平時に比べて酷く脆く不安を孕む存在である事も等しく知っていた。故に彼は死者を薙ぎ、獰猛な目線を指揮者に送る『宿敵』を僅かでも引き戻そうと考えたのだった。 「どうした? パスクァーレ・アルベルジェッティ!」 「……今日は雪のように可憐なあのシニョリーナは一緒では無いのですね」 「フッ、アイツは置いてきた――俺の足にはついてこれん!」 鷲祐の脳裏に口をへの字に曲げる『友人』の顔が浮かぶ。 戦いの最中に翻る冗句はそれでも――多少なりとも『パスクァーレらしさ』を取り戻していた。 ……この時のリベリスタ達の存在は煮沸する鍋に垂らされた『八十度のお湯』のようなものである。 「これまでの事を考えれば手を貸せなんて言えない……でもあの人が許せないのは私たちも同じ。 この場だけはお互いに足を引っ張り合うのは止めにしない? この場所で決着なんてのはごめんだから!」 ウェスティアの必死の言葉にパスクァーレは返答をしなかったが…… その左手の魔剣を振り抜き、黒鎖を放射状に放った彼はリベリスタではなく目前の死者を破壊した。 リベリスタも十分に敵愾心を煽る存在ではあるが、この場のケイオスに比べれば生温い。 結果的にケイオス以外に僅かに意識を向けた事でパスクァーレは僅かに我を取り戻した……という訳だ。 だが、神父は当然ながら平静からは程遠い。同盟等と呼ぶには不安定過ぎて冗談にもならない関係である。 「その顔、臭い、手口の下衆さ……全て覚えたぞ!」 「――È quieto!」 鷲祐の声をケイオスの声がピシャリと遮るも―― 「先ずは、一撃ィ!」 「――指揮者、その騒音、此処で終わらせて貰う」 ――鷲祐に加えて猛、アラストールが戦陣に飛び込めば状況は加速するばかりである。 猛の繰り出した弐式鉄山が間合いさえ掴んでケイオスを狙う。それを妨害した死体が強かに墓石に叩き付けられ砕け散る。アラストールの手にした剣は神聖な輝きに白く染まり、破邪の威力をもって汚れた死を粉砕した。 だが、自身の周囲を多数の死者で固めるケイオスに簡単に肉薄する事は叶わない。 さりとて、十重二十重にパスクァーレを囲んだ兵力の相当数は当然出現したリベリスタ達に振り分けられつつある。 パーティが倒すであろう死者も含めればケイオス陣営が手薄になったのは確か。戦いはこれから始まるに等しい。 (アリーチェは――) 戦場を見回し、状況を確認した零児は『彼女』の姿が無い事を確認して少なからず安堵した。 もし、この時点でアリーチェ・アルベルジェッティが望まぬ起床をさせられていたならばパスクァーレ・アルベルジェッティはこの程度の狂乱では済まなかっただろうと判断した。優しい男なのである。 「……」 彼はどうしてか――『少女』を必ず救わねばならない、そんな使命感を強く感じていた。 一方、『演奏』に『招かれざる客』を受けたケイオスは幾らか芝居がかった調子で嘆き、深い溜息を吐き出した。 「全く――芸術の何たるやを理解しない。この国の人間は悉くこうですか」 尤も――呆れたように言うケイオスにとってパーティが本当に『招かれざる客』だったのかと言えばそれは違う。 より正確に表現するならば『招待した覚えは無いが、折角なのでどうぞお部屋へ。お茶もケーキもありますよ』。 一流の死霊術士であり、魔術師である彼は敵の接近に気付かぬ程の間抜けでは無い。又、大芸術家たるケイオスの操作は『たかだか空を飛んで移動した程度の敵』を素通しするようなものでは無い。故に。 「逃げ場の無い『死』と『責め苦』のコンサートへようこそ――」 ケイオス・“コンダクター”・カントーリオはリベリスタ達を呑み込んだだけだ。 引き返せない彼の領域の腹の中に。彼は目を覆いたくなる程の『悲劇』が大好きだから。 ●第三楽章 たかが死んでる位で意味がある? ――――『黒い太陽』ウィルモフ・ペリーシュ 「こんな人気のない場所で演奏か? 死者としか語り合えないなど――コミュ障にも程がある」 「Agitato.al tempo di marcia」 唾棄するかのように呟いた陸駆に構う事は無い。 ケイオスは指揮棒(タクト)を手に『情熱的な死者の行進』に陶酔しているかのよう。 戦況は――奮闘し、死を掻き分けるリベリスタ達を嘲り笑うが如しである。 「……これが、ケイオス……!」 消耗を隠せない悠月は、冷たい汗に濡れ額に張り付く髪を払う事も忘れ、臍を噛んでいた。 『楽団員』との度重なる戦いからパーティは死霊術士とどう戦うかの手段をある程度は手に入れていた。彼等の厄介さは本体もさる事ながら周りを取り巻く死体達の方にある。非常にしぶとく頑健で粘り強く数を頼みに圧殺を狙うその戦術は時に『地味』ながらもとてつもなく恐ろしいものであると言える。しかして幾らしぶとかろうが粘り強かろうが死兵は消耗品である。多少の例外はあれど、武器であり防具であるそれ等を失えば『楽団員』は敗れるか、逃れるかの状況を選ばざるを得ないのが実情であると言えるだろう。 だが、悠月の見た戦場の光景はこれまでのものとは完全に一線を画していた。ケイオスの兵隊は『そんなに強くは無い』。超一流の死霊術士の看板からすれば然程のものでもない。数こそ圧倒的だが、個々の力は一般の『楽団員』と同等かそれ以下。 故に内にパスクァーレ、外にリベリスタ達を配する猛攻は確かに死者達の数を減じさせていたのである。それなのに。 「成る程、確かに言うだけの事はある」 「死体を潰し切る事は至難。加えてこの芸当か――」 盾で攻撃を弾いたアラストールが呟き、身のこなしで自身に集る死者を翻弄する零二が零した。 パーティは百を超える死者を破壊した筈だ。しかし、ケイオスの死兵は当初よりその数を減じていない。 「おおおおおおおッ!」 零児の得物――破壊的な鉄塊が裂帛の気合に唸りを上げ、雪崩のような連続攻撃で白骨の一体を完全に破壊した。 「くっ……!」 当の零児が小さく呻く。彼の手で――砕かれた筈の白骨が足元で急速に修復されていく。 彷徨える死者を永久の眠りに返したと思っても――『死を最も上手く汚す者』は頓着しない。整髪料で撫で付けられた銀色の髪を僅かに振り乱し、全身全霊で『指揮』をするケイオスはこの墓地全体を自身の『王国』へと変えていた。『王国』に死の概念は無い。その王が健在であるならば――倒しても全ての死者は再生するのだ。粉々に破壊しても、塵の一粒からさえも。寄り集まり、復元し、再び立ち上がり――王に忠誠を尽くす兵と成る。 「……『アレ』だなぁ」 「うむ、ずばりアーティファクトなのだ!」 弾幕を張り、死者共を纏めて叩く烏の呟きに陸駆が答えた。 つぶさに敵の様子を確認する烏はケイオスの手にした白い指揮棒(タクト)に『あたり』をつけていた。あのジャック・ザ・リッパーが『倫敦の鮮血乙女<ミスト・ルージュ>』を有し、アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアが『24、The World』を有しているのと同じように……ケイオス・“コンダクター”・カントーリオにも何かがあるのは当然だった。 「……でも、このままでは所謂一つのピンチというヤツなのでは無いか!」 「ああ……」 陸駆の言葉に頷いた烏は火の消えた煙草を吐き出して苦笑いを浮かべる。 「……まだまだっ!」 悠月のインスタントチャージが支援の要であるそあらの気力を大きく戻すが…… ケイオスは自身周辺のガードを厳しく固めている。『王国』を突き崩すヒントが『王自身』にあるのは明白だが、チェックをかけるのさえ簡単な仕事では無い。死兵の質はそれ程でなくとも戦いが長引く程に余力は薄れる。『まだ』やれても『この先』は果たしてどうか。 加えて言うならば無数の敵に戦場は囲まれているのだ。パーティはケイオスの腹の中に呑まれているに等しい。 (それだけでは無い……) 戦闘の最中であっても零二の明瞭な頭脳はその回転を止めてはいない。 (……己に万一があれば、この組曲は崩壊するというのに。 指揮者が自身の演奏を考えた理由は? 『万が一』を無くすような何かが、きっと、『ある』。一体……) 戦いは続く。ケイオスが『コンサート』と称した一夜の悪夢は終わりを感じさせずに続いていく。 「皆さん、頑張って下さいです――!」 必死に神秘の力を紡ぎ傷付く――パスクァーレも含めた――仲間達を支援するそあらが激励の声を張る。 ――余計な事だと思わないで下さいです―― パスクァーレを救援した時そあらは彼にそう言葉を投げた。 彼女とて拗れに拗れた関係が――復讐が為に復讐を重ねる彼が己が望みを置くものとは思っていない。 「私がほだされるとでも?」とそう問うた彼に彼女は小さく頭を振った。 痛みばかりのこの世界。そんな救いは何処にも無いと知っている。 だが――それでも、そあらが神父を癒そうとする理由は単純に『この場で死なれて楽団の駒にされても困る』からだけでは無かった。 両親を亡くした彼女には彼の気持ちが良く――『敢えて言うならば』良く分かる。ナイトメア・ダウンを越えた人間の多くが抱える痛みを彼女は殊更に口に出そうとは思わなかった。彼が痛ましいのと同じようにその痛みが世界中の何処にもある事を知っていたからだ。 (今は敵味方関係なく、娘さんが……家族が眠るこの場所を守る為にも協力出来ると思いませんか、パスクァーレ神父……) 故に彼女は祈る。静謐と祈る。全てを分かり合い、許し合う事が甘く望んだ幻だと知っていても。 それでも――ホーリーメイガスの全ての力をここに絞り、暗闇と死にあくまで対抗して見せた。 「中々、しぶとい」 「そりゃどーも!」 挑発めいたケイオスに嘯いてみせたのは肩で息をする猛であった。 「あったまってきたぜ。寒いから風邪引いちまうかと思った」 肩で息をしながらも少年の戦意は軒昂なままであった。 鋭い呼気と共に地面を激しく蹴り上げる。 魔力鉄甲に包まれた両手両脚は――加速から幾度と無い修練と実戦で磨き上げられた見事な武闘を展開した。 「ほう……」 暗闇に次々と瞬く雷華は美しく儚くケイオスの目を喜ばせたのは皮肉だが―― パーティとて元より座して死ぬ心算は無いのである。ケイオスの戦力が『無限』であると言うならば持久の判断は何処までも愚かである。余力が残る内に乾坤一擲の勝負を仕掛け、これを撃滅せしめる。 唯一残された勝ち筋を指揮者が理解していない筈も無かろうが―― 「やるしか……ねぇからな!」 ――気合を入れた直情径行なる少年は少なくともこんな時、躊躇うような男では無い。 (彼に攻撃が通じるのか、仮に倒せても本当に死ぬのか。隠し持つであろう切り札、せめてもう一枚は切らせねば――!) 悠月の決意はパーティが共有する覚悟であった。 死んでも、何てそんな言葉を使える相手では無い。死ぬ事が唯の死に留まらない事は知れていた。 生きて帰らなければならない。死の酷く臭うこの、墓場から―― 「この程度で寝てはいられない」 「同感――」 運命の華が青く燃える。零児が、猛が敵を前にあくまで不敵に立ち上がる。 「――仕掛けるッ!」 鷲祐の声にパーティは動き出した。 彼等が想定していたのはパスクァーレを利用したケイオスの撃破。 彼その動きを阻まれるならば、全力でこの障壁を破壊するのが最後の手段であった。 「道を――開けるのだ!」 幾度目か放たれた大技――陸駆の不可視の刃が空間ごとケイオス周辺の死兵達を切断し、そあらの神気が夜を灼く。 ケイオス本人への攻撃は彼を守る死兵が阻み、これも不発。 駆け出した猛は強く吠え、パスクァーレを執拗に攻め立てる死兵達を強かに叩く。 纏わりつく敵の一体を強引に奪い、彼が何かを言う前に声を張る。 「神父よぉ、俺も誰かの死を冒涜する様な輩は大っ嫌いでね。利用すると思って――あのでこっぱちに良いの喰らわせてくれや!」 続いた零二のアッパーユアハートは神父の周囲からここで敵を遠ざけた。 「……」 遂に成った『合流』に無言の神父が動き出す。 憤怒と復讐の化身である彼の心は分からない。 リベリスタ達と連携をする心算があるのか、それとも別の何かを考えているのか――しかしそれも含めて博打を打たねば活路は無い。 怨嗟を上げる死兵がウェスティアの前を塞ぐ。しかし彼女の前に広がる射線は彼女が制圧するべきものだ。 「薙ぎ払え――銀の弾丸ッ!」 高位魔方陣より放たれた必殺性を帯びた『魔術師の弾丸(シルバーバレット)』はまさに素晴らしい威力で死者を棒のように薙ぎ倒し、漸く一歩。その身に迫る敵を感じたケイオスを一歩ばかり後退させるに成功した。 「Cantabile "Ark"」 彼の僅かな反応はパーティの攻勢を受けてのもの。 「箱舟の奏でる歌で――その混沌を凌駕しよう!」 力強い宣誓は凛と邪気を払うかのように響き渡る。 駆けるパスクァーレにアラストールは並びかけた。 「今宵その死霊の指揮者こそが我等が敵。故に」 アラストールは神父より一歩前に出て、進路を邪魔する死者を縦に真っ直ぐ絶ち斬った。 悠月の雷撃が今一度鮮烈に迸る。まさに全力を尽くしての総攻撃は全て『風穴』を開ける為の布石だった。 「これでどうだよ、スカヴェンジャー(腐肉漁りのパスタ野郎)!」 珍しく毒吐いた烏から伸びた気糸――『罠の巣箱』が奇跡的にケイオスの動きを縫い止めた。 烏の技量とパーティの執念は『王国』を統べる者に確かな楔を打っていた。 「――断罪の時間だ、死霊術士――!」 「――――」 指揮棒(タクト)を振り上げたケイオスが跳んだ黒衣の神父を見上げた。 月を背に降下する彼を見て鷲祐は何時かのシーンを思い出した。禍は空から降ってくる―― ――果たして。 パスクァーレ・アガペーが横に閃き、ケイオスの首が宙を舞う。 必殺と呼べるその一撃を放ったパスクァーレの表情は一瞬緩み、それから―― ●墓土が冷たく薫るII ――信じられないものを見たかのように完全に動きを凍り付かせていた。 “Alice Albergetti 1992-2005” 決して汚されてはいけない『死』から小さな骨が這い出ていた。 宙を舞ったケイオスの首は笑っている。 「――故に『悲劇』は劇的な程美しい……」 残された体から噴き出た黒い『血』が触手のように伸びて宙に浮かんだ首を元の位置に引き戻した。 絶句するパーティが何かの反応を見せるよりも早く、手にした指揮棒(タクト)で彼を指し示したケイオスは無数の怨霊の弾丸を呆然と目を見開いたパスクァーレに叩き込んだ。吹き飛ばされる彼は墓石を薙ぎ倒し背中から地面に叩きつけられた。蠢く死者共がこれを幸いと完全に態勢を失った彼を一気に飲み込まんと攻め立てた。 「私を前に怒る人間は二種類居る。倫理か、私情か。 彼の怒りは余りにも強く、炎のようだった。狂信的に神を信じる目からは程遠く。言葉からは――イタリア訛りが随所に窺えた。 難しい判断ではありませんでしたよ。『時系列の合いそうな同郷の墓石』を――私の傍から探すのは!」 ケイオスは自身の身に起きた余りにも有り得ない手品の種を明かす事は無く饒舌に語り笑っていた。 「但し、今のは私の譜面(スコア)の外だ。こんなにも衣装が汚れて……これで公演を行えというのは余りに酷というものだ」 例え本丸に到達しようとも勝ち目は一つも無いと言下に告げ、嗜虐的な冗句を楽しんでいる。 これがバロックナイツ。分かってはいたのだ。あのジャックに――会った時から。 「やはり……!」 痛恨の声を漏らしたのは零二。 何かがあるとは思っていた。その推測がほぼ最悪の形で当たったのは――今夜の不運だ。 「『持つべきモノは友人』ですか。ふふ、諸君等を見ていればそれもあながち悪くないようにも思えますね」 ケイオスの全身を気付けば骨のようなオーラが、死を体現したかのような不気味なオーラが包んでいた。 血走った目を見開き唇を歪め、冷静を崩さなかった端正なマスクが魔人には似合いの化け物じみたものに変わっている。 「途中で席を立つ事は許さない」 ケイオスは愉悦を隠せない。 「ぜったいにゆるさない」 隠さないのではなく、隠せない。 彼は一歩を踏み出した。リベリスタ達は構えを取るが――どうするか。 一瞬の逡巡の間に動いた男が一人居た。そうしなければならないと思っていた男だった。 「アリーチェ!」 狂乱の場に気配を可能なだけ殺し。弾かれたように駆け出した零児は小さな少女の人骨を横合いから攫うように抱きしめた。 暴れる『彼女』の爪が、歯が。零児の肉体を傷付ける。 「……っ、く……!」 痛みに呼吸を乱した零児はそれでも『彼女』を離さない。 彼にとってせめても――この戦場から掬い取るべきは『彼女』であった。半ば、そう決めていた。 零児の動きはこの時余りにも素早かった。『悲劇』を攫われたケイオスは溜息を吐き、退屈そうに呟く。 「一体、それに何の意味があると言うのですか――」 それは呆れた苦笑い。アリーチェを『保護』せんとする零児が『彼女』を離さないとするならばそれは守る事も出来ない隙となる。 「――Addio」 悪魔の指揮棒(タクト)が今度は零児を指し示す。 反射的に『それ』を察し飛び出したリベリスタ達が悉く、復元した死兵達に阻まれた。 絶叫も、肉薄も、その全てが及ばない。 「絶対に、渡さない。『彼女』は――」 ――俺が守る―― 「零児さんっ!」 悲鳴を上げたのは誰だっただろう。 零児の体中に穿たれた穴から熱い鮮血が噴き出した。 スローモーションのように崩れ落ちる零児の伸ばした手がアリーチェを掠めて届かない。 「何の意味があるのだか。ああ、残りの諸君は――彼と遊んで貰う事にしましょうか」 「――有り得ない」 一度は斬られた首をコキコキと鳴らし調子を確かめるようにしながら呟くケイオスを制したのは低いバリトンだった。 「ほう?」 ケイオスが視線をやったその先には眼鏡は割れ、カソックは破れ。血と泥に塗れ、幽鬼の如く揺らめくパスクァーレの姿があった。 「逆鱗に触れたな」 鷲祐の言は単に神父を指してのものでは無い。 鷲祐自身の中に言葉に出来ない程に燃える想いは恐らくは――黒神父と同じものであった筈だ。 「貴方達に礼を言おうとは思わない。 貴方達と別の機会、別の場所で出会ったならば――私は躊躇無く斬り捨てる事でしょう。 貴方達は敵で、許されざる復讐の対象だ。全ては余計なお世話だった。私はそんな貴方達に否応無き殺意さえ禁じ得ない」 ――お人よしばかりだった。言葉を尽くしたウェスティアも、想いを滲ませたそあらも、この――零児も。 「――しかし、彼の死を冒涜する事はこのパスクァーレ・アルベルジェッティが許さない!」 吠えたパスクァーレは次の瞬間に敵陣の最中に斬り込んだ。 『誰よりも速い』鷲祐は彼のせんとする事をやはり誰よりも速く察知した。 「忘れるな――俺は常に、貴様を阻む」 驚異的な反応速度で零児を担いだ鷲祐はそんな言葉を彼に投げる。 パスクァーレ・アルベルジェッティを阻むのはケイオス如きでは有り得ない。この俺だと。 「さよなら」ではなく「またな」。 「アルベルジェッティ神父……」 呟く悠月に「とっとと退け」とばかりに答えない男の刃の切れ味は一段と猛烈なものになっていた。 リベリスタの為等では無い。彼は彼が認めた飛鳥零児という男の為に、娘の為に剣を振るう。 撤退戦が始まった。 「こんな、こんなの……!」 陸駆は目を擦り、自分が『天才』でいなければならない事を思い出す。 「こんな敵――僕が全部――」 「――祈りこそが我が存在」 アラストールは白剣を振るい続ける。 「さおりんが待ってるから皆で生きて帰るのです――!」 そあらは死力を尽くし、これ以上誰も欠けない事だけを強く望んだ。 長い夜は明けぬ。誰もが逃れたいと願い、決して逃れられない死はあくまで執拗にリベリスタ達を追うだろう。 だが、決して諦めず。未来を切り開き続けるのがリベリスタならば―― ――横浜外国人墓地よりアークに帰還したのは『十人』。 ケイオスの横浜襲撃計画は遅延し、被害は限定的なものとなった。 パスクァーレ・アルベルジェッティの消息は現在不明であるという。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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