● 「だめだ、だめだ、もうだめだ。あれもこれもそれもどれもあいつらになんか渡すものか」 粉々に叩き壊すハードディスク。 ぶちまけてやる飲み掛けのコーヒー。 ねじ込む燃えさしの吸殻、灰皿一杯。 強力シュレッダーにディスクを放り込み、消火用の斧みたいなので、記憶媒体の上を耕して回る。 アークなんかに読み取らせてたまるか。 機械も物もみんな死ね。 サイレントメモリーも電子の妖精も出来ないことを確認しながら、どかどかどかどか壊して壊して壊して、破滅の足音が聞こえてもまだ続けていた成果を片っ端から壊して回る。 「ざまみろ。おれのけんきゅうはおれだけのものだ。おれとしあんさまだけのものだ。ほかのやつがはいるよちなんかないんだ。だれにもみせてやるもんか」 紫杏様にも渡さない。 紫杏様は、きっと俺の名前も知らないだろう。 きっと、あの方はご自分で俺のやってた研究の結果を出すだろう。 そのとき、「あら、どこかで見たことがあるような気もしますわね」と、ちらっとでも思ってくれればそれでいい。 いや、思い出してくれなくてもいいのだ。 ここで、俺が朝も昼も夜も研究にまみれていた理由と一緒に研究成果も皆壊すのだ。 俺の研究に染み出したこの哀れな片恋を、アークのリベリスタなんかに誰が読ませてやるものか。 「――残るは、俺の脳みそだけだな。死んだらなるたけ速く成仏しよう。交霊されたら困るしな」 嫌がらせに、そこの回廊ふさいでやろう。 そうすれば、ほんのちょっとでも、時間稼ぎになればそれでいい。 好きなことばかりを追求できた、割と、いい、一生だった。 ● 「お姫様のお城を見つけたよ。お城というよりは城砦って感じだけど」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)がモニターに映し出した『お城』は、荒野に建っていた。 全く跡際考えずに乱立した建物が、縦横無尽に走る連絡通路でかろうじて一つの建物の様相をなしている。 この無秩序さは、何かに似ている。 キマイラだ。 「紫杏の側近にして腹心『兇姫の懐刀』スタンリー・マツダの保護に成功したのは、みんなの耳にも入ってると思う」 一族をキマイラにされ、自身も狂気的な方法でキマイラにされかけたスタンリーの脱走は、紫杏にとっては『ありえないこと』だった。 おそらく彼女は、スタンリーが彼女に対して並々ならない復讐心と憎悪を抱いている事実を許容できないのではなかろうか。 「彼の状況はまだ予断の許さないものだけど、彼の精神を不完全とはいえ治療した事で、紫杏の研究所の位置を特定することができた」 リベリスタの一人が手を上げる。 「それが、罠ってことは? そもそもスタンリーの件がわかったのだって、正体不明のタレコミだろ?」 紫杏の背後には、「倫敦の蜘蛛の巣」がいる。 罠を疑うのは、当然のことだ。 「――様々な情報を伝え切った上で、スタンリーはアークに懇願した。『必ず奴等を潰してくれ』と。彼の言葉に嘘はないのは明白」 それに、と、イヴは言葉を継ぐ。 「三ッ池公園を攻め入るのに総火力を用いた所為で、紫杏派の戦力は、ほぼ枯渇状態」 その理由のうちの何割かは、『倫敦の蜘蛛の巣』が大迎撃戦の戦火に紛れ、紫杏派フィクサードを暗殺していた理由もある。 「倫敦の蜘蛛の巣」の企みが透けて見える。 だが。 「この事態。紫杏派には寝耳に水。叩いて潰すなら、今。という判断」 ● 「みんなの担当は、ここ」 回廊だった。 「ここ、中央への主要連結部の一つ。ここに、キマイラ五体とフィクサードが一人陣取ってる。この回廊の先が研究部。逃げ支度の時間稼ぎには最適の場所」 フルメタルプレートアーマー。 大きかった。身長、3メートル強。異世界に行った者ならバイデンを想起する巨躯。 「迎撃システム。近衛兵兼バリケード。玉砕型」 イヴは無表情だ。 「この鎧の中の一体に、フィクサードが入っている。このフィクサードが生きていて、キマイラが破壊されていない限り、キマイラは皆に対して防戦を選択する」 「このキマイラに、生体維持機能なんてない。鎧の中はゲル状の不定形。その中に人間が入っていて、そんなに長く生きていられる訳がない」 すぐ溺死する。そして、即座に分解・吸収。 交霊術対策。と、イヴは言う。 「制御者の死に伴い、キマイラは鎧の外にゲル状部分を放出する。回廊を満たすには十分の量。完全に硬化するまでにはそれなりの時間がかかるだろうけど、巻き込まれたら、こっちも無事ではすまない」 すぐ硬化させる技術も出来るだろうに、デストラップではないところが汚い。 ゲルの中に巻き込まれても、救出の可能性があるというならば、そこに人員と時間を割かざるをえない。 「だから、フィクサードが死ぬ前に、他のキマイラを全て倒す。もしくは、ゲルの放出装置を速やかに壊すこと」 その、フィクサードにキマイラ操作をやめさせることは出来ないのかと、リベリスタの一人が尋ねた。 「スタンリーからの情報によると、キマイラを制御できるのは『テレジアの子供達』と呼ばれるアーティファクトのお陰。それの『マザー版』が紫杏の持つ『独裁テレジア』。だけど『子供達』は研究員の体内にある超極小AFなので外部破壊や摘出はほぼ不可能」 だから、止めるとするならば、本人の意志のみだ。 「あいては、もう死ぬ覚悟を決めている」 キマイラの中に自分でもぐりこむおぞましさを考えれば、正気の沙汰とは思えない。 「この短時間での説得は、きわめて難しい。みんなの安全を考えれば禁止としたい」 イヴは無表情だ。 「相手には、もう後がない。油断しないで」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田奈アガサ | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年01月25日(金)23:24 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 突入。 電源は落とされている。蓄熱式の非常灯で足元は暗い。 空調が切れてからだいぶたつのだろう、よどんだ空気。 無機質な研究所に、滓のように染み付いている雑多な気配。 歴戦のリベリスタにはわかるかもしれない。 もう崩壊するしかない、命運すべてが抜け落ちた、滅びの気配が。 ここは、世界から切り離されて、打ち捨てられた気配がする。 世界から愛されていない気配がする。 「スタンリー・マツダ。貴方の覚悟は見届けたわ。貴方は償いという義務を果たした」 『ピンクの害獣』ウーニャ・タランテラ(BNE000010)は、別ルートでの突入を果たす為に先刻見送った男の背中を思い出していた。 狂気の沼に陥っていた彼を正気の縁に何とか引きずり上げた。 最後まで「人間」として扱う。それが、ウーニャのスタンリーへの宣告だ。 (次は私が約束を果たす番ね。貴方の復讐は誰にも邪魔させない) この回廊開放の責務、スタンリーの為に果たそうではないか。 「倫敦の蜘蛛達の動向も気になるけど、今はどうしようもないね。まずは目先の任務をきっちりこなさないと」 四条・理央(BNE000319)は、小さく息をつく。 この戦いが遠く離れた倫敦の「教授」の掌の上の出来事だということが透けて見えて居心地が悪いのだ。「例え誰かの意図の上だとしても、やらなければ始まらないのがリベリスタの辛い所ね」 『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)は、わかる。と、理央に相槌を打つ。 「踊っている感が否めないが、舞台の上に立つものがいないと場面が進まない、か。やれやれ……」 『燻る灰』御津代 鉅(BNE001657)も、自然とくわえ煙草のフィルターにつく歯形が常より深くなる。 こと、紫杏に絡み付いている糸の気配は事が進むほどに緻密に編まれているのが感じられるのだが、端緒もつかめない。 「蟲愛づる姫君の城に侍るのは、情念と粘液がたっぷりの近衛兵と来たか」 平安文学を引き合いに出したロシア人は、手の中に手榴弾を練り上げ始める。 「狂犬にして忠犬といった相手だな。感服する」 鉅は投げナイフを片手に、サングラスをかけなおす。 「自分の命すらチップにして思うがまま好き勝手してる所とか、本当にフィクサードらしいわ」 「覚悟といえばある種の美談、自暴自棄ならただの馬鹿。忠誠でも恋でもどちらにせよ、盲目ね」 『薄明』東雲 未明(BNE000340)は、そう言って、無骨な刃を構える。 「見果てぬ夢と共に溺死するのは結構だが――」 「敬意は払わんし、思うようにさせもしない。悪いな、そういうのは面倒なんだ」 「思い通りにさせてやるのも業腹な手合いだな」 リベリスタにも、都合というものがあるのだ。 「せいぜい邪魔をしてやるとしよう!」 ● ぐじゅぶんっ! ゴム長靴に大量に水が入って、それでも無理矢理歩くとこういう音がするのだ。 粘性のある液体が金属製の鎧の中に満たされ、撹拌されている。 二体、二体、一体。 居並ぶ動く鎧は、強靭な防護陣だ。 「――同志諸君! まずは機先を制すとしよう!」 ベルカの手から放たれる閃光弾。 辺りを真っ白に染める味方も巻き込みかねない激しい光に、鉅の口から笑いが漏れる。 (行動順を遅らせて状況を見て動くようにして、正解か) 床といわず壁といわず伝う雷撃は方陣のごとく、閉じ込められれば己のふがいなさに涙を流すことになる光の檻。 巻き込まれる二体を盾に、残り三体が防御を固める。 彼らはリベリスタを倒そうとは思っていない。 ここで粘るのが仕事なのだ。後、ほんの一分ほど。 リビング・アーマーの内の一体の中、猛毒の粘液に身を浸しているフィクサード。 識別名「名もなき研究員」 その死を合図に、中の粘液がぶちまけられる仕組み。 なぜ始めから粘液をぶちまけていないのか。 「止められる可能性があるなら」、そこに人員が裂かれるのだ。 だから、ギリギリの餌。クリアが難しい案件には相応の実力者が派遣される。 そして、確かにここに八人のリベリスタがやってきた。 成否はともかく、ここで消耗する以上、研究等への攻勢はその分確実に減る。 そんな罠を仕掛けたフィクサードは、まだどこにいるのかはわからない。 (前衛に男はいない) シェリーは、陣形を見てそう判断する。 (ウォールの運用法を見ても狡猾な男だ。自分が捕縛される可能性も懸念している) いや、懸念しているのではない、徹底的に拒絶している。 (ならば一列目へ牽制と二列目の足止めだ) 魔方陣から逆巻きながら飛んで行く炎は、見境なく爆裂する。 背面から炎に飲まれる一列目。 駆け込んで来る未明が、床を蹴る。 重たい衝撃音と火花が薄暗い廊下に飛び散る。 「お邪魔してるわよ。お待たせしちゃったかしら?」 動く鎧は答えない。 垣間見える格子の中身。 ボコボコと泡が蠢く粘液の塊あるいは、単細胞生物の集合体、ボルボックス。生物の教科書科学の教科書モル定数のところに載っているゾルゲルゾルゲルコロイド現象ぷかぷか浮かぶ巨大な油胞。 こんなものの中に自分から好んで入るなんて気が知れない。 「決死の足止めとは、随分惚れこんでるじゃない」 (何がそんなに良いかなんて、いちいち聞くのは野暮でしょうね) 未明とて、惚気ろと言われればやぶさかではない相手はいるのだ。 決死、必死。 よく使う形容詞。 今、一人のフィクサードが自分のことをまともに認識していない女の為に、決死の覚悟で必死の道を全うしようとしている。 (前衛の陰になると射線が通らない可能性もあるかとおもったけど、キマイラが巨体でよかったわ、複数に通るなら――) 彩歌の全身から溢れる気糸を、論理演算機甲χ式「オルガノン Ver2.0」・複数照準補正「Mode-A」がサポートする。 鎧の隙間から細胞結合の甘いところを片っ端から壊死させていく。 「割と良い人生の最期の一片に、アークにしてやられたという過失を残してから死にんさいな」 (其処までの決意で自爆テロしてるのに、今更説得して生かそうなんて逆に失礼よね) 千歳は、ただ生きながらえるということに、それほど価値を見出していない。 「ずっと葬送曲。死にたがりの貴方に贈る葬送の音色――受け取りなさいよね!!」 自らを傷つけながらも世界を守る私、最高。 そんな千歳の基本理念を満たしてくれる呪文が、流れる血潮を黒鎖に変えて、粘液より先に黒鎖で満たす。 「ちぃは、名無しさんの事好きになれそう。でも物事には順序ってのがあるから、先に依頼の成功を優先させてもらうの」 背後の鎧の前に立ちふさがる二体の鎧。 猛毒に冒され変色する粘液が、リノリウムの床に滴り落ちる。 パリパリと音を立てる雷の檻の気配。 西洋魔道か東方陰陽か、戦況を見定めていた理央は状況から答を出す。 (BSの蓄積量的に、こっちの方がダメージ総量が大きくなりそう――) 手にした細身の杖が先導するは、星座二十八宿。 仮初に星辰をゆがめ、その懐から幸福を掠め取り、隙間に不吉と不運を流し込む。 もう立ってそこにいるだけで、やること為すこと、なにからなにまで、しくじってしまいそうだ。 抱えた禍の数だけ鎧はゆがみ、穴が開く。 ウーニャから立ち上る赤黒い気。 本物の赤い月を見たものも息を呑む、最高のイミテーション。 禁忌の月の御伽噺。 呪いの力が前衛二体を巻き込んで。 星にも月にも嫌われた鎧に、大きなヒビを入れる。 「よぉし、割れたな。やれやれ、ようやく俺の出番だ」 指に挟んだ、道化のカード。 視線は、粘液の中を動く細胞核だ。 「さっさと数を減らしていく。溺死したくもないしな」 両手一杯禍を抱えた鎧の中に、吸い込まれていく破滅のカード。 びしゃりと粘性を失った鎧の中身からあふれ出る水分が床をぬらしていく。 がらんがらんと鎧が落ちて音を立てた。 まずは、一体。 ● 福音が、鎧にとりついた凶事を取り払い、ぶくぶく膨れ上がって硬化した粘体が鎧のひびや穴をふさぐ。 (やっぱり――) 鵜の目鷹の目。 リベリスタの大方の予想通り、最後尾に陣取った鎧から、詠唱がなされていた。 その前を固める二体の鎧。 倒すことは出来る。 だが、残り一分足らずの――フィクサードが完全に死んでしまう前に、五体の鎧のゲル・コアを破壊しつくせるか、五分だ。 そして、最後尾にいた鎧が、じりりじりりと後退する。 回廊の中に入り込まなければ、攻撃は届かない。 (胎内に回帰する願望かしら。怯えているの?) ウーニャは、床を蹴り、壁を蹴る。 壁の向こう側を踏み込むように、最後尾の鎧目掛けて駆け出す。 その眼前に突き出されるハルバート。 見開かれた目玉を貫こうとする研ぎ澄まされた槍の穂先。 僅かに直撃を免れる。それもフェイント。自分を餌にする戦闘指揮。 全く無防備な腹を突く石突、背骨を割り砕かんほどの衝撃。 すでに無害化されているとはいえ、一体目の粘液だまりまで吹き飛ばされたウーニャは、汚れた桃色の髪をさばきながら奥に鎮座する鎧をねめつける。 (あなたはお姫様の忠義な騎士なんかじゃない。まるでママのおなかから出てこない大きな『赤ちゃん』ね。 ずっと居心地のいい殻の中に閉じこもって、怖いママに認めて欲しかった?) 恋まで支給してくれる、ずっと好きなことだけやらせてくれる、なんて楽しくて、ろくでもない箱庭。 この箱庭が終わってしまうと言うなら、何もかも放り出してしまってもいいだろう。 だって、もう紫杏は、ここには戻ってこないんだから。 もう、紫杏には会えないのだから。 「攻めるわよ」 応の声しかない。 攻めることに特化したチームだ。 戦闘官僚のベルカ自身が、攻撃指針の表明以外を想定していない時点で、このタイムリミットがかかった事態への覚悟がわかろうというものだ。 リベリスタは攻めた。 鎧たちは守った。 ブレイク技を駆使するリベリスタ相手に、底上げは無駄と完全防御体制、あるいは互いをかばい合う鎧は、見る間にボロボロになっていたがそれを楽しんでいるようにも見えた。 リベリスタの方も、底上げしている時間が惜しかった。 回廊が、仮初の赤い夜闇に染まり、符と札と魔法陣と手榴弾と気糸が飛び交い、足元は黒鎖の沼で埋め尽くされる。 その中に飛び込んだ未明が、鎧に力任せに刃をのめらせ、寄り仲間がまとめて攻撃しやすい場所に鎧を吹き飛ばす。 「中身入り、そっちに行ったわよ!」 今まで吹き飛ばしていた鎧と、明らかに重さが違った。 ちょうど成人男性一体分。 黒い光が鎧の中の死にかけを麻痺させ、更に陰陽の技が別の術式で縛り上げる。 はがれかけた鎧を引き剥がし、中からかろうじて人型をとどめている「名もなき研究員」を引きずり出す。 (交霊術を恐れるって事は紫杏への忠誠に隙があるかもしれない。まだ生きることに未練があるのかも。 それを引き出せれば――) ウーニャは、生かせるものは生かしたかった。 「お願い、生きてほしいの。もうあんな女のために誰も死ぬ必要なんてない――」 死ぬな。という声に、おいこら。と、咳き込みながら応える声。 「人が死んじまいたい位惚れてる女を、『あんな女』言うな」 すでにぐずぐずに溶け始めている、乱暴に扱ったらそれだけで崩れてしまいそうな体で、にごった声と一緒に毒でにごった血が滴り落ちる。。 「死なんか選ばなくてもまだ生まれ変われるから。いえ、あなたはまだ生まれてもいない。一緒に外に出よう」 ウーニャは呼びかける。 まだしゃべれるなら、生かせる。生かしたい。 「あんた、わりといい奴な。リベリスタだから、当たり前か」 もう、顔の判別も出来ない。年もわからない。ずる落ちる皮、筋肉、形を失っている骨。 「でもさ。頼むから、俺の割といい感じだった人生、全否定しないでくれよ」 俺の人生、無駄だったみたいじゃねーかよ。 死の気配がする。 「俺が、今すぐ死にたいのは、俺が考えてることを誰にも知られたくないからだ。そこを守るの必死になって、機密吸い出されたら、死んでも死に切れねえ。死んだら人間それまでよ。だ。死人は秘密をまともに隠しておけねんだよ。俺は知ってんだ。交霊術使いだからな。死人は、自分の生きてる間のことみんな話したくて仕方ないんだよ。忘れられたらほんとに死んじまうから」 死人は自分の欲望を自制したりできない。生きていないから。 「俺にとって俺の頭の中にある研究結果は、ミンナ紫杏様へのラブレターだから、恥ずかしくって遺していけねえんだよ」 無理に笑うな、体が崩れる。 癒しの符をかざす。 表面が癒える。すぐ崩れる。 笑うな。笑いながら死ぬな。 こんな死に方に満足して死んでくれるな。 「教えといてやる。世の中には、全く報われなくても惚れた女のためなら、笑って家財全部うっぱらって貢いだり、腹に巻いたダイナマイトに火をつける類の思い込みの激しい馬鹿がいるんだよ。んで、俺はその馬鹿の一人なんだ」 勉強だけはできる馬鹿な。六道、そんな奴ばっかし。 ぐずぐずと目に見えて溶けていく。 死ぬ。もう死ぬ。このままウーニャがどれだけ符を使おうと、この男が死ぬのは確定事項だ。 「――一つ聞いていい? あなたの名前を教えて」 ウーニャの問いかけに、研究員が首を横に振ると、緩んだ肉が剥離する。 「言いなさいよ。言わなきゃ、誰にも覚えてもらえないでしょうに」 未明は、溶けかけた研究員の「本当の本当」をつかめないでいる。 「――大事な名前ってのは、惚れてる相手にだけ教えるもんだ。平安時代とかはな」 俺、古風なんだよ。だから、内緒。 「名前が無いなら、つけたるわ。『研究馬鹿』 これぞ六道って名前でしょ?」 千歳が言う。墓の中まで持っていく記憶のタグにするのだ。 (だって、フィクサードが死にたいって言ってて死なせてあげるなんて、彼の一人勝ちみたいで嫌だもーん) 肉体は死なせてやっても、存在は死なせてやらない。 「そんなんがいいわ。じゃ、死ぬな。落ちる先は地獄だけどな」 そう言って、自分の名前ごと全部を葬った研究員は、粘液の中に溶けていった。 それよりも数瞬早く、理央はもはや消えかけている仮初の翼を全員の背に現出させ直す。 「自分の命すらチップにして――」 ぞぶん! 鎧の間接連結部が、粘液の負荷に耐え切れずに決壊する。 溢れる粘液が、研究員の亡骸を飲み込んでしまう。 死体がなければ、交霊術は出来ない。 だから、わざわざ溶かされたのだ。 床に広がり、ボコボコと異臭と蒸気と熱を放出しながら、もつれるように増殖、細胞分裂を繰り返している。 キマイラ。生き物なのだ。見る間にかさが増していく。 「思うがまま好き勝手してる所とか本当にフィクサードらしいわね!」 彩歌は、研究員を見ていなかった。 見ていたのは、まだ壊しきっていなかった鎧の内から転げ落ちてくる球体――ゲル・コア。 転げて落ちるその一瞬のために研ぎ澄まされ、計算されつくした軌跡を寸分たがわずなぞらせるのは奇跡ではなく、プロアデプトには至極当然のこと。 足元に押し寄せ、床を嘗め尽くす粘液をやりすごす自己姿勢制御力は、計算の単純化に大いに役立っている。 ごとんごとんと、床に落ちた金属球が、大波に飲まれる小船のように、粘液から粘性の壁の中に固着していく。 「このぉっ!」 皮膚から、呼気から吸収される猛毒。 骨の奥をフォークでこすりたてるような悪寒と痛みが襲ってくる。 土踏まずからくるぶし足首と徐々にせり上がってくる粘体。 食いしん坊の子供が考えそうな空想――「ゼリーの中に入って、内側から食べてってみたい」――これからの生涯、絶対にそんな夢見ない。 「ここの完全封鎖だけは、阻止よ!」 粘つく脚。ひどい渇き。 脚が前に進まない。 足を止めて、術式を紡いでいる内にかさがどんどん上がってくる。 「飛べ! なるべく壁に触らないように!」 粘体は、天井からも降ってくる。生臭い。 これは生物でもあるのだ。 背中につけられた仮初の翼がどれほど心を支えることか。 「こっちもうちのお姫様に頼まれてるし、負けては帰られないのよ!」 粘体の中につきこむ刃。 嘔吐感。悪寒。 全ての核を破壊し尽くすしかない。 早く。 硬化する前に。 早く――! ● 別働隊からすぐに合流するとの連絡が入った。 理央が、念のために持ってきていた凶事払いの光で払ってくれたおかげで、毒の気配は遠のいていた。 それでも、気持ちが悪かった。 コアを全て壊し、回廊の粘液が無害化されているのはわかっているが、気持ちが悪かった。 「兇姫が知らない事をちぃは知ってる」 肩で息をしながら、千歳が呟いた。 「彼が居た存在をね」 (一度目はあげるけど二度目のはあげないんだから、墓までこの記憶、覚えておいてあげる) ぐしょぬれの回廊。 転がる鎧の残骸。 砕けて割れた、五つの核。 後続の部隊が、走り抜けていく。 それに手を上げ、武運を祈りながら、もうリベリスタの記憶の中にしかいない研究員のことを考えていた。 「……自分の命も大事に出来ないから、人に優しくできないのね。誰だって、いきたいと願うのに」 彩歌が呟く。 それでも。 君のためなら、死んでもいい。 恋とは、時としてそういうものだ。 (己の恋に殉じるか) 中身と見た目が一致しない魔女の唇が動く。 「……笑止」 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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