●A-S-D 聞こえてきた旋律に、ただ瞠目した。 それは稚拙な響きであった。それは拙い調べであった。それは未熟な芸術であった。 けれど其処に織り込まれた失意と来たら、諦観と来たらどうだ。まるでダイヤの原石ではないか。 同じ唄を奏でたとして、果たして誰が彼女同様にその絶望を演じぬけるだろう。 運命の偶然を――世界の必然を、噛み締める。 これだ。これを手土産にしよう。 この小さな喜劇(オペレッタ)を――――彼らに、捧げよう。 ●回避 私、妻夫木琴乃は思う。 世界は私なんか嫌いなんだって。 『凄く良い話なのよ、一度真剣に考えてみない?』 厚化粧と香水の香りが鬱陶しいその音楽教師はさも自分の手柄の様にそう言った。 私は適当に言葉を濁していたと思うのだけれど、気付けば音楽室を跳び出していた。 動悸がする。上手く息が吸えない。頭はパニック寸前だ。 私は自分に自信が無い。自信が無い事になら自信がある。 顔もスタイルも並以下、笑い話の一つも出来ない。人当たりも良くないし友達も居ない。 大人っぽいと言われる事もあるけど、そんなのは精一杯のお世辞だ。 ただ世の中を斜に構えて見てるだけのどうしようもないガキ。それが私。 けれど、歌だけは少し、ほんの少し、小指の先位、人より得意だと思っていた。 カラオケとか、興味は有っても入ったことは無いし、流行りのポップスも分からない。 でも。 「あ、来た来た」 童顔で眼鏡の男が当たり前の様に私の横に並ぶ。帰り道が同じだからで、他意は無い。 大塚幸一、俗に言う1つ上の幼馴染。大凡私と正反対の性格の持ち主。 私は、彼が苦手だ。いや、苦手だった。私には社交性なんて物は無いから。 文学部とか接点のまるでない部活に属し、そこで一定の成果も挙げている。 密かにファンなんかも居るらしい。 そんな彼と理解し合える事何て私にはきっと何も無い。 でも。彼が。彼だけが。私の唄を、上手だって言ってくれたから。 「どうだった? シンデレラみたいに何か偉い先生に見込まれたとか聞いたけど」 「……知らない」 だからそれが認められて、一番喜んだのは彼だった。それはもう私以上に。 降って沸いた留学話。けれど私はそんな物に乗る心算は無い。 成功するとは思えないし、もしも成功しても私にとっては意味が無い。 それは、私の望む未来とはまるで関係の無い物で。 「知らないって……いや、だって」 「それより、話って?」 言葉を切る様に話を向ける。今日の面談が終わったら。そう言って呼ばれたのは昨日の事。 正直、何かを期待したりしてた訳じゃない。でも、まるで何も思わなかった訳じゃなかった。 だって、あんなに喜んでくれた、から。 「うーん、本当は琴乃の進路が決まってからにしようと思ってたんだけど」 まるで年上の様な事を言う。怪訝な眼差しの先、彼が手を振る。 その視線を追い掛けて向けた先。 そこには、如何にも文学少女然とした三つ編みの綺麗な女の子が居た。 「いや、一昨日告白されてさ」 だから私、妻夫木琴乃は思う。 世界はきっと、私なんか大嫌いなんだって。 『そう、故にかくも美しい。さあ抗いなさいお嬢さん、希望に逃げるのは終わりにしよう』 ――そこから先は、良く、覚えていない。 ●過革醒 アーク本部、ブリーフィングルーム内。 「大至急、現場に向かって下さい」 『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024)の口調が常に無く厳しい。 厄介な敵が出現した。それだけであれば、こうはなるまい。その上大至急と言うことは―― 「カレイドシステムがノーフェイスの出現を感知しました。 説明後、皆さんに全力で現地に向かって頂いたとしても時間的猶予は5分を切るでしょう」 その説明からしてギリギリだ。まるで計ったかの様に余裕が無い。 けれど、続く言葉は更に過酷である。 「敵、ノーフェイス。識別名『ローレライ』はつい30分程前に出現しました。 ですが、現在のフェーズは2です。そしてこの急革醒は現在も進行しています」 僅か30分で、フェーズが進行している。革醒現象の進展速度は個人差が有るとは言え――速い。 「現場に到着して凡そ3分33秒後、このノーフェイスはフェーズ3へ移行。 この時点で一端は落ち着くようですが……任務の達成難度は跳ね上がります」 3分33秒――即ち残された時間は213秒。大至急と言う語も頷ける。 差し出された資料には2人の男女の写真、そして記されたノーフェイスの持つ能力。 確認をする暇もあればこそ、それを手にリベリスタ達は踵を返す。 視線をざっと巡らせれば目を引いたのは――“唄による周囲の人間の魅了”と、 “唄っている間の被ダメージの消滅”の2項目。 踵を返しかけたリベリスタ達が足を止める。 最小限の説明から数秒の余分を使って尚、問わずにいられない。 「はい、そのノーフェイスは唄っている限り一切のダメージを被りません」 沈黙、更に3秒。時間が無い。幾人かのリベリスタ達がとりあえず部屋を出る。 、時間が無い。時間が無いのは分かるけれど――その背に降った声は果たして。 「どうにかして、彼女の唄を止めて下さい」 それは如何なる無理難題か。 ●追体験 気が付いたら、私の周囲で沢山の人達が殺し合っていた。 私は何をしてるんだろう。恐い筈なのに足は動かない。朗々と響く歌声は止む事は無い。 それを止めてはいけないと、誰かに聞いた気がした。 それを止めたら彼は何処かへ行ってしまうのだと、脳裏に囁かれた気がした。 だから、私は唄を止めない。唄うのを止めない。彼がそれを褒めてくれる限り。 そう言えば、彼は何処へ行ったのだろう。血溜りに倒れ伏す一組男女の姿なんか、私には見えない。 『へえ、凄いなあ。まるで人魚姫みたいだ』 童話に例えるのは、彼の癖の様な物で。そのメルヘンな響きに浮かんだのは嫌そうな苦笑い。 『そんな大した物じゃないよ、こんなの』 本当は嬉しかったのに、口を付いて出たのは可愛げも無い言葉。 自分に自信が無いのは生来の物としても、気持ちと言葉のずれについては性格が悪い所為に違いない。 だからきっと未練がましく、そんな些細な言葉を何時までも覚えてるんだ。 『そんな事ないよ、そうだ。それじゃあ琴乃が歌姫になったら僕が歌詞を書いてあげる』 そう言って笑った彼の笑顔を覚えている。今よりずっとずっと小さい頃の記憶。 まだ、私が世界に寄り添っていられた頃の。 まだ、私と彼が同じ方向を向いていられた頃の。 『いらないよ、そもそもそんなの、無理だって』 本当は、嬉しかった筈なのに。どうしてその時、私は頷いてしまわなかったのだろう。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月 蒼 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年11月26日(月)23:43 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●ローレライ 近く遠く、絶え無く響き渡るその旋律は誰の為か。 朗々と、切々と、紡がれる歌声は騒乱と狂乱に呑まれて、尚何処までも澄んでいた。 「――唄、か」 警官の姿を象った『合縁奇縁』結城 竜一(BNE000210)が射程を外れ文字通り“ただの唄”になった、 その蠱惑の調べに瞳を細める。留学話がでる程の歌。専門家等では無い竜一にも分かる。 上手いのだろう、確かに。其処に至るまで並ならぬ努力をしたのだろうと。 「これだけ上手いのにな……勿体ない」 忸怩たる思いが彼にもある。ネガティブな想像、後ろ向きな感情何て、誰にだって有る。 それの何が悪いのか。それの何がいけなかったのか―― 通行止めの標識を並べ、被害者が出ない様に務めつつも、胸に沸く問いに答えは無い。 視線を周囲に巡らせる。現場を観察する目などは無い。けれどどうにも拭えない違和感。 まるで、何かを見落としている様な気持ちの悪さが…… と。その思考を鳴ったクラクションの音が中断させる。 「結城! 悪い、遅れちまったぜ!」 窓から聞こえる声と共に走って来るのは『てるてる坊主』焦燥院 フツ(BNE001054)のトラックだ。 遅れた、と言っても僅かな物。しかし時間制限のあるこの場ではその10秒20秒が生死を別つ。 「フッさん、現場は?」 「酷いもんだ。後ろに無理矢理乗せては来たが救急車を呼んだ方が良いな」 傷癒術を使うにも時間が掛かるのだ。そして今はそれが何より惜しい。 重態とまで行く者は稀で有ろうが、脱臼や骨折している者なら山と居る。そしてそれは一箇所ではない. 「これだけ急速な革醒現象は普通じゃねえ。魔術……とは違うが、何かの神秘の気配もする」 外的要因が関わっている事を示唆するフツの言葉に、竜一が表情を厳しくする。 歌声は、未だ止まない。 間近で耳にしたならばその声は、正しく魔的と呼ぶに相応しい。 「確かに、音楽の解らん俺でも感じ入る……」 壁を、電柱を、屋根を足場に殴り合い諍い合う人々を一足飛びに跳び越えて、 最前線へと辿り着いた『誰が為の力』新城・拓真(BNE000644)が足を止める。 恐らくは、革醒最初期に被害を被った人々なのだろう。 中心でプリマドンナの様に歌を響かせる、『ローレライ』の周囲には身動きが取れず呻く人々が犇いている。 「だが、悲しい歌声だ」 その光景は酷く象徴的だ。彼女の歌声を多くの人々が求めている。 けれど、その誰一人として――唄う魔女の世界には含まれていない。 「このっ、邪魔しないで下さいっ!」 「人の生垣……思ったより、厄介ですねこれ……!」 『戦姫』戦場ヶ原・ブリュンヒルデ・舞姫(BNE000932)が。 『シャドーストライカー』レイチェル・ガーネット(BNE002439)が、全力で人を掻き分ける。 現場到着に際しレイチェルの放った不殺の閃光は確かに人々に死なない程度のダメージを与えた。 だが、彼らはとても交戦不可能な状態にまで痛めつけられているにも拘らず、 彼女らが其処を突っ切ろうとすると手を伸ばす、足を取る、引き摺り込もうとする。 呻くしか出来ない身で尚歌姫を守ろうとするその様は、歌の魔に憑かれた哀れな船人の如く。 「“奴”だったら……これを喜劇と愉悦し笑うのでしょうね」 顔を顰めた『大雪崩霧姫』鈴宮・慧架(BNE000666)が呟く。人の想いを、望みを“劇場”とする。 そのやり方は、まるで何処かで対した最悪の道化を連想させる。 「最悪ね。今や人魚姫を乗り越え、誘惑のセイレーンじゃないの」 サイレン、とも呼ばれる、似て非なる唄の魔女を声に載せたのは『骸』黄桜 魅零(BNE003845) 体中に圧し掛かる重圧、全身に力が入らない。 まるで女を“異物”とするかの様なその声を、けれど無理矢理掻い潜って前へ進む。 其処に、立ち塞がるのが仲間であり“男”であるのもまた、唄う魔性の共通項。であれこれは予定調和か。 慧架が宿す破邪の光は歌によって生み出される異常を消し去る。 けれど彼女もまた女性である以上、その動きは酷く鈍い。まともに動く事すらが容易では無いのだ。 速度を犠牲に相手の行動を待ちでもしない限りは―― 「俺がどれだけ傷付こうとも構わない」 『罪ト罰』安羅上・廻斗(BNE003739)の直刀が仲間へと向けられるのを誰も止められない。 「だが、此処は通さんよ」 魅了の神秘が事の是非を覆す。伝えたかった言葉があった。問わなくてはならない真意があった。 それでも響く歌声は残酷なまでに魅入られた者の自由を、意志を、蹂躙する。 立ち塞がった廻斗に、魅零はもう一度、最悪だと吐き捨てた。 ●セイレーン 「妻夫木琴乃、聞こえるか」 対峙出来る距離まで真っ先に辿り着けた唯一人。拓真が真っ直ぐに声を掛ける。 その体躯に周囲から倒れていた数名が這い寄るも、革醒者である彼にとって直接的障害ではない。。 魔性の歌姫は、その声に秘められた呪いを閉ざされてしまえば頑丈なだけのただの少女である。 倒れている内で意識の無い人間を手当たり次第にトラックへ載せて去り行くフツも、同様の事を悟っていた。 魅惑の調べを奪われた彼女は酷く無防備だ。彼や拓真にとって『ローレライ』は脅威たり得ない。 「俺は新城拓真……君の歌声を、止めに来た」 だが一方で。説得対象として考えたなら難敵である事に変わりは無い。 彼女はそもそも誰の話も聞く気が無い。自分の殻に閉じ篭っている。臆病の壁で世界を閉ざしている。 「理由は解るだろう……自分の周りで何が起こっているか、見えも、聞こえもする筈だ」 だから、届かない。どんな言葉も、思いも、途絶えぬ歌声に掻き消され―― 「貴女は!」 体を犠牲者である学生達に引っ張られながら、遥か遠くから慧架が叫ぶ。 浄化の光を撒きながら、諍い倒れては呻く人の海に呑まれぬ様声を上げる。 「しっかりと見て下さい! 自分が何をしているのかを、今どうなっているのかを! 貴女の声で“彼”がどうなったのかを!」 その単語に、ほんの少し。『ローレライ』の声が揺れる。 「彼を殺す事が、不幸が、悲しませる事が貴女が歌う理由だったの!?」 そんな筈は無い。そんな筈は無いのだ。彼女の歌を、彼は喜んでくれた。 その過去を引き摺っている。その記憶に縋っている。故に弱い。 確かに彼女は揺れていた。見つけられない“その人”に、見失ってしまった感情に。 しかし同時に彼女は現実を拒絶しているのだ、既に結論が出ている物を否定しても、やはり届かない。 或いは、その拒絶に風穴でも開いていればまた違ったろう。 けれど、世界は優しくなんか無かったから。 けれど、其処に辿り着くには相応の時間が必要だったから。 「もしかして、本当にまだ間に合うと思っているのですか?」 ――だから、その言葉は。誰よりも強く、鋭く『ローレライ』の。 運命を厭うた少女の心に突き刺さった。 「――――」 旋律が乱れる。呼吸の音が混じる。はっきりと。 手応えを感じたレイチェルが畳み掛ける。 障害物と化した一般人の何割かはフツのトラックに回収され、それによって通った視界。 天使の歌は“彼”も、それ以外の多くの人も倒れている為に見えない。 と言って一足に距離を詰められる程近くは無い。だから彼女に出来る事は言葉を武器とし届ける事だけ。 「どう取り繕っても、言い訳しても。貴女の歌では彼を繋ぎ止める事が出来なかった」 それが事実。冷然とした、或いはそれをも優しさと呼ぶべきか。 “妻夫木琴乃”が嫌った世界。『ローレライ』が疎んじた世界。 それは彼女にとても厳しく、とても辛く、とても不都合な物で、だからこそ。 レイチェルの言葉は、必要過剰に魔女の心を掻き乱す。 「“彼”に褒められて、彼が歌詞を書いてくれるという約束を信じて、歌姫を目指していたのでしょう」 万華鏡の示したその過去は、彼女にとって、とても大切な筈のその思い出が。 けれど今、現実と言う名の刃となって『ローレライ』の歌を蝕む。 「――~」 乱れる、音色。 「……駄目、見えない」 他方、言葉を掛ける事を優先したレイチェルに対し、舞姫は状況把握を最善とする。 駆け寄ったのは1組の男女。共に余り運動が得意では無いのか。ほぼ一撃で昏倒したと見られる2人。 その片方、“彼”へと仕掛けたのは読心の神秘リーディング。 だが、しかしだ。リーディングはあくまでその瞬間の思考を読む。 意識を失っている者に思考はなく、表層に出ていない記憶を読み取る事も出来ない。 「冗談じゃ、ない」 魅零が睨む。眼前に立つ廻斗から放たれた暗黒の魔力が彼女の体躯を掠めて傷付ける。 けれど彼女が怒っているのは決して、その歩みを妨げる仲間に対してではない。 誰がための喜劇。こんな舞台が、結末が、喜劇だ何て認めない。 絶望が救いだ何て、認めてやらない。 「感傷になど浸らない。憐れみの念も抱かない。終わったものは……戻らない」 「ええそうね、そうでしょうとも」 魔力を帯びた剣と深紅の大剣が交差し火花を散らす。 けれど魅零は悪足掻きがしたいのだ。終わり以外の救いなど、彼女には一つしか浮かばなかったのだ。 「検討違いなら恥ずかしい、真実は優しくないかもしれない。でも」 それでも人は、幾つもの奇蹟を紡いでここまで来た筈だ。 自分の正義を貫くためならどんな物だって切り捨てる。けれど。 「……全て無駄でしたね。貴女の歌に、意味なんてなかった。」 遠く聞こえたレイチェルの言葉に、 唄う魔女の歌が、止まった。 ●ロミオとジュリエット “だって私には、他に何も出来ない” “止めたら、終わってしまう” “終わってしまうのは嫌。嫌い、大嫌い、嫌い、嫌い、皆も私も――” 響いたのは、永遠とも言える程に連なった現実嫌悪。そしてそれ以上の、自己嫌悪。 世界を憎むとは、自分を憎むに等しいのだと。舞姫は良く知っている。 2度目のリーディング。その悲痛な声に唇を噛む。閉ざされた心。きっと外からの声は届かない。 「運命の理不尽に、身体も心も刻まれて、たくさん、失って……もう何もかも全部壊してしまいたくなる」 その気持ちが、分かる。失くした人の気持ちが、分からない筈が無い。 「けれど、大塚さんのいる世界まで、何もかも壊してしまっていいのですか?」 その問い掛けは、けれど。唇を戦慄かせるその歌姫には聞こえない。 「歌が……』 廻斗が正気を取り戻し、振り返る。けれど気配がおかしい。 革醒はまだ進んでいない。だが、『ローレライ』のその仕草はまるで。 (……逃げようとしている!?) 後退る、その動きに警鐘を響かせ駆け出したのは廻斗だけではない。 最も近くでそれを見ていた拓真が駆ける。良くない予感、まるで崩れる間近の積み木を見た様な。 肩を掴む、目線を合わせる。まるで常闇の様な眼差しに、続く言葉が出ない。 「君は、何を望んだ?」 それでも、問わずにいられない。 “だって、私には――もう、これしか残ってない” ぽろりと毀れた涙が、拓真にも、舞姫にも、レイチェルにも確かに見えた。 「彼女を止めないと、いけない」 慧架が声を上げる。今はチャンスだ。そうである事に間違いは無い。 「貴様は唄しか無いと思っているのか」 一時とは言え、歌に取り込まれていた廻斗には分かる。あの響きは本物だったと。 何かを捧げ、何かを注がなければ、大衆を魅了する歌など例え神秘であろうと奏でられる物か。 「唄っている間だけあの男が見ていてくれると信じ込んでいたのか」 けれどもしそうであるなら、それは袋小路でしかない。 「貴様は、唄ではない『言葉』でその本心を伝えたか?」 唄うだけでは、伝わらない物だってあるのにと。両手の剣を握り直し、問いながらも距離を詰める。 「唄を止めろ、言葉を紡げ、貴様自身を吐き出せ……絶望するならそれからにしろ!」 残り1分40秒。次に歌が始まれば恐らくはそこでチェックメイトだ。 誰もが理解している。理解しているのに、殺し切れない。ほんの僅かな可能性を。 “おいっす! どうだい、状況は!” 其処に幻想纏いより響いた声、そして道路を爆走してくるトラック。 フツの動きが奇しくもその場の火蓋を切る。『ローレライ』が呼吸を整える。 此処まで言葉を尽くしても、尚唄うのか。本当に、それ以外無いのか。 いいや、彼女は思考を停止しているだけだと、それは見ている誰にも既に伝わっていた。 「この期に及んでまだ歌に逃げるのですか?」 「逃げたまま、終わりにするつもりか」 貫いた気糸、放たれた漆黒の刃が『ローレライ』の体躯に突き刺さる。 けれど尚レイチェルの、廻斗の言葉に戻らぬ唄。苦しげに頭を振るその様に――拓真が手を振り上げた。 「これが本当に、君の望んだ結末か」 ぱん、と響いたのは2つの音。 頬に走る鈍い痛み。それで男は意識を取り戻した。 歌声が響いていたなら即呑まれていただろう、魅了されていただろう。 けれど偶々にそうではなかった。それは平手で打った魅零すら予期しなかった偶然だ。 「少年、起きなさい。貴方の真実が聞きたい」 彼は最初、何を問われたのか分からなかった。何が起きているのかすら分からなかった。 けれど、誰の事なのかは直ぐに分かった。 それはずっと心配で、放っておけなくて、大切な幼馴染の話。 「貴方の告白って恋人ができた報告だったの?」 「え、いや。……僕の作品にも、漸くファンが出来たって」 勘違い? いいや、それはきっと違う。彼女は恐れていた。恐がっていた。 そして何処かで予期していた。“彼”が自分から離れて行く事を。 「だったら、貴方にしか出来ない事がある」 ●人魚姫 それはきっとどこにでもいる、ありふれた2人の恋物語だった。 頬を抑えて立ち尽くす、人魚姫。彼女へ声を掛ける人は幾らも居た。 「今から、貴女を殺すわ」 それでも、彼女には歌しかなかった。 「唄うだけで、逃げ切れると思うなよ」 彼女には、唄う事しか出来なかった。 「大塚さんに聞かせたかったのは、そんな唄なんですか?」 唄うことでしか、応えられなかった。 「世界は、優しくなんてない……零れ落ちる物は幾らでもある」 唄うことでしか、伝えられらないと思っていた。 「最悪な現実しかないけどそれでも」 自信が無かった。勇気が無かった。強さが無かった――でもそんなのはきっと言い訳で。 「あなたに残された時間は、もうたった60秒しかない」 きっと、終わってしまうのが嫌だった。壊れてしまうのが、嫌だった。 「唄(そんなもの)より、彼に告げるべき言葉があるでしょう!」 押し出された、事情も分からぬ王子様。血に塗れた制服じゃ、ドレスと言うには到底足りない。 「現実から、目の前から、目を背けたって何も変わらないの!」 だけど、ローレライはもう唄えない。伝えたい言葉が、出来てしまったから。 「始まってもいない恋を、自分だけで勝手に終わらせるな!」 妻夫木琴乃はもう詠わない。たった一人の為だけにしか。 「……琴乃、僕は」 「……何て顔してるのよ、馬鹿」 困惑した様な、泣きそうな、何かを伝えたがってる様な、その顔を焼き付ける。 私はきっと死ぬんだろう。私の唄は、ここで終わるんだろう。 だけど最後まで、この鈍感に踊らされるのは我慢出来ないから。 うるさい観客に乗せられるのも癪だから。 それにやっぱり、私の性格はあんまり良くないみたいだから。 「ごめんね」 言葉にしてしまえば、たった20音と少し。 それだけ伝えるのに、どれだけかかってしまったのだろう。 「ありがとう」 30秒でも十分過ぎる。時間なんて全然問題無い。 それなのに、随分遠回りしてしまったけど。 「忘れないでよ、私の――」 人魚姫はまるで泡が爆ぜる様に。幕が下りる様に。 けれど最期の最後まで花咲く様に笑っていた。 ●A-S-D 「ああ……そうか、お疲れさん」 幻想纏いを通し、聞こえてくるのは悔しげな声と引き攣る様な音。 誰かが泣いているのだろうと理解し、竜一が対話を切る。 世界に、運命に。見離されたノーフェイス。そのどうしようも無さに、呼気を吐く。 ままならない。どうしようもない。分かっていても、割り切りきれない。 「……ん?」 視線の先、赤信号を一人の女子高生が待っていた。 何故其処に目線を取られたのか。今丁度そんな人間像を頭に浮かべていた為か。 いや……服にこびり付いた赤。綺麗な黒髪の三つ編みの女生徒がマントの様な物を羽織ろうとしている。 視線が止まる。おかしい。何かが明らかにおかしい。 車が通り過ぎる。次の瞬間、其処に居たのは白髪に髭を蓄えた老紳士。 見間違いでは無い。見間違いでは――――絶対に、無い。 瞬きの刹那、信号が変わる。歩み行くマントの老紳士。その異物に誰も気付かない。 竜一はただ、それを見つめ湧き上がった疑問を自らに投げる。 発端は誤解と擦れ違い。真実は誤りで誤りは真実だった。 けれどそもそも、文芸部何て物に所属している誰かが、 親しい異性に公衆の面前で“告白”何て言葉を軽々と使うだろうか? 外的要因によって生み出された悲劇なら――その原因、この演目で不審なキャストは誰だ。 誰からも明確な答は無い。けれど胸のざわめきは竜一に、其処から離れる事を許さない。 歌声はもう響かない。遠く聞こえるサイレンの音。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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