● 夕方の河川敷を、手を繋いだ母娘が歩く。 西の空に沈もうとしている夕陽を指して、幼い少女が声を上げた。 「おかーさん、ゆうやけ!」 「きれいだねえ。明日も、きっと晴れるよ」 「あしたも、はれ?」 「そう。晴れたら、おじいちゃんが公園に連れていってくれるって」 「こうえんー!」 無邪気にはしゃぐ娘を見て、母親は表情を綻ばせる。 仕事に出ている日中は実家に娘を預けているため、二人で過ごすこの時間は何よりも貴重だった。 「次のお休みの日は、母さんといっしょにお出かけしようね」 「うん! わかな、おかーさんだいすき!」 「母さんも、若奈がだーい好き」 顔を見合わせ、母娘が笑う。 少しして、娘が小さく首を傾げた。 「きょうのばんごはん、なーに?」 「おじいちゃん家でいい子にしてたから、ハンバーグにしようか」 「はんばーぐ! やったー!」 母親と手を繋いだまま、少女は両手でバンザイをする。 ――母娘二人の、幸せな生活。 これからも穏やかな日々が続いていくことを、彼女たちはまったく疑っていなかった。 ● 椅子に座り、黙って考え込んでいた『どうしようもない男』奥地 数史(nBNE000224)は、ブリーフィングルームにリベリスタ達が揃ったのに気付いて席を立った。 束ねた資料を乱暴に掴み、こちらに向き直る。普段の彼をあまり知らない者であっても、その様子は異様に映っただろう。今にも溢れそうな激情を押し殺したかの如く、その面は何の表情も刻んでいない。 資料をリベリスタ達に手渡しながら、数史は重々しく口を開いた。 「――任務は、アザーバイド『ハートイーター』の撃破だ。その数は二体」 告げられた内容に、リベリスタの一人が目を見開く。 生き物の心臓を食らい、宿主の心臓に擬態する異界の寄生生物『ハートイーター』。過去、四度に渡り出現したそれは、いずれも神秘と無縁の一般人を宿主とし、例外なく死に至らしめてきた。 正確に言うと、彼らの命を奪ったのは『ハートイーター』ではない。 事件の解決にあたったリベリスタ達が、この忌まわしきアザーバイドを宿主ごと滅ぼしたのだ。 フェイトを持たず、元の世界に帰る術を持たないアザーバイドは殺すしかない。『ハートイーター』を宿主から切り離そうにも、本来の心臓は既に失われている。 つまり、『ハートイーター』に寄生された時点で、宿主の死は既に確定しているのだ。 だが――リベリスタを驚かせたのは、そのことではなかった。 「二体……?」 リベリスタの問いに、数史は頷きを返す。『ハートイーター』は宿主や自分が危険に晒された時、宿主の肉体と血液を操って身を守る性質があり、その際に何体かの分身を生み出す。この分身の数が増えたケースは過去にもあるが、その時も『ハートイーター』本体の数は常に一体きりだった。 「本体が二体に、それぞれが生み出す分身が二体ずつで四体。 敵の数は、本体と分身合わせて六体だ」 それは、『ハートイーター』に寄生された犠牲者が二人という事実を意味している。 数史の表情を窺う限り、この二人を救う手段はないと考えるべきだろう。今までの事例と照らし合わせても、『ハートイーター』が宿主に寄生する前に感知できたことは一度もない。 過去に手に入れた『ハートイーター』のサンプルを元に研究開発室が解析を進めてはいるものの、寄生を防ぐ方法と、犠牲者を救う方法はまだ見つかっていないのが現状だった。 静まり返ったブリーフィングルームで、黒髪黒翼のフォーチュナはさらに説明を続ける。 「宿主は、『野池保子(のいけ・やすこ)』という二十八歳の女性と、もう一人。 ……その娘の『野池若奈(のいけ・わかな)』、四歳の女の子だ」 痛いほどの静寂が、場を支配した。とうとう堪えきれなくなったのか、数史の表情がはっきりと歪む。 「父親は既に亡くなっているが、つつましく幸せに暮らしている、何の罪もない母娘だ。 皆には、この母娘もろとも、二体の『ハートイーター』を倒してもらわなきゃならない…… こんな馬鹿な話があるかよ……くそったれが!」 叩きつけるような悪罵とともに、数史の手の中で安物のボールペンが折れた。 大きく息を吸い込み、必死に気を静めて言葉を紡ぐ。 「野池親子と接触するには、夕方、河川敷で待ち伏せるのが最適だ。 現場の人払いはアークである程度行えるが、あまり長びくと綻びが出る可能性がある。 極力、短時間で決着をつけてほしい」 そこまで言い終えた後、数史は顔を上げてリベリスタ達を見る。 「……断ってもらっても構わない。それでも、誰かはやらないといけないんだ。 すまない。俺には、頼むことしかできない……」 深く頭を下げた数史の肩は、小刻みに震えていた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:宮橋輝 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 2人 |
■シナリオ終了日時 2012年10月22日(月)23:13 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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■サポート参加者 2人■ | |||||
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● 真っ直ぐ伸びた遊歩道の向こうから、手を繋いだ母娘が歩いてくる。 自分達を襲った悪意を知らず、この先に待ち受ける終焉を知らず。 ただ、日々が穏やかに流れゆくことを願う――野池保子と若奈の母娘。 二人を橋の下から眺めていた浅倉 貴志(BNE002656)が、微かに表情を翳らせる。 「『ハートイーター』の犠牲者が、また……」 心臓喰らいの寄生アザーバイド、忌まわしき血色の芋虫『ハートイーター』。 此度の生贄は、ささやかな幸せを享受するあの母娘だ。 「……お母さん、ですか」 眼鏡の位置を直しつつ、『親不知』秋月・仁身(BNE004092)が呟く。 彼は自らの母を知らない。そう呼ばれるべき存在が、かつてアークに『居た』ことを除いて。 だから、仲睦まじい母と子の姿を見ても特に感慨は無い筈なのに。心の底に重く漂う、この淀んだ気持ちは何なのか。 橋の下に広がる影に身を隠した『影なる刃』黒部 幸成(BNE002032)が、重々しく口を開く。 「この依頼を受けた時点で、とうに覚悟は出来て御座るな、皆の衆」 問いではない。確認であり、宣告だ。自分達は、これからあの母娘を手にかけるのだと。 ――まるで悪役ですね。 喉元まで出かかかった一言を、『意思を持つ記憶』ヘルマン・バルシュミーデ(BNE000166)が飲み込む。 まるで、という表現は相応しくない。神秘を知らぬあの母娘にとっては、自分達こそが悪役なのだ。震えの止まらない体に、心に、彼はその事実を刻む。 「……ひとごろし、はじめましょうか」 答える者は、誰もいない。重い沈黙の中で、リベリスタ達は己の力を高めていった。 笑い声を響かせながら近付いてくる野池母娘との距離を慎重に測りつつ、『鋼脚のマスケティア』ミュゼーヌ・三条寺(BNE000589)が強く拳を握り締める。掌に爪が食い込み、僅かに血が滲んだ。 (こんな事、乗り気な訳ないじゃない……) 怒りと嘆き、そして無力感。ともすれば千々に乱れてしまいそうな己の心を叱咤しつつ、彼女は母娘の前に立つ。 「……ご機嫌よう。貴女が野池さんね」 怪訝な表情で足を止めた保子が口を開くよりも早く、ヘルマンが声を重ねた。 「初めまして。突然ですが、これからあなたがたを殺します」 枷を外した彼の肉体に、悲しいほど凄絶な殺気が満ちる。 その瞬間、呆気にとられる母娘の全身から真っ赤な血が噴き出した。二人の心臓に潜む『ハートイーター』が、リベリスタの敵意を感じ取ったのだ。 四ヶ所に集まった血が、醜い芋虫の形を取る。速度に特化して身体能力のギアを上げた『終極粉砕機構』富永・喜平(BNE000939)が、母娘の間に体を割り込ませるようにして若奈に迫った。 体の自由を奪われて混乱する保子を一瞥し、覚悟と殺意のみを低い声で告げる。 「世界の為に……貴女も、貴女の娘も、此処で殺す」 彼は恐るべき頑強さを誇る愛銃を振りかざすと、若奈の幼い体にそれを叩きつけた。無造作なようでいて洗練された打撃の雨が、光の飛沫を散らす。 脳の伝達処理を向上させた『Dr.Tricks』オーウェン・ロザイク(BNE000638)が、四体出現した分身のうち一体をブロックした。 「不運はなく……必然があるのみ、と言うのが俺のモットーだが。 お前さんたちを襲ったこの事件は、不運と言う他ない」 表情を動かすことなく、彼は冷静に野池母娘を見やる。 「……故に、抵抗してもらって構わん。こちらも最凶の手を以って応じよう」 放たれた無数の気糸が、母娘二人の下肢と、眼前の分身を同時に貫いた。 「う、わああああああああああ!」 若奈が、甲高い泣き声を上げる。保子が、苦痛に顔を歪めながら娘の名を呼んだ。 橋の影から姿を現した幸成が、若奈の背後に立って退路を断つ。彼の足元から、意思を持つ変幻自在の影が伸びた。マスケット型の中折れ式リボルバーを構え、ミュゼーヌが引き金を立て続けに絞る。ライフル用のマグナム弾が、『ハートイーター』に体を乗っ取られた母娘と四体の分身を次々に抉った。 子供の泣く声に、耳を塞いでいる暇はない。この地獄を長引かせないためにも、攻撃の手は決して緩めないと決めていた。 前に出た貴志とヘルマンが、分身を一体ずつ抑えに回る。泣き叫ぶ若奈をモノクル越しに見たヘルマンは、その場から風を斬る蹴撃を放った。 「死にたくないでしょう。殺す気で来てくださって、かまいません」 切なる呟きをのせた真空の刃が、少女の幼い肌を裂く。飛沫を上げる血が、やけに鮮やかに映った。 ● リベリスタ達の攻撃を受け、母娘の肉体を支配する二体の『ハートイーター』が反撃に出る。 血で紡いだ魔力の網が広がるとともに、肌を刺す赤い霧が一帯を覆い尽くした。 網の拘束を逃れた『不屈』神谷 要(BNE002861)が、保子の前に駆ける。 (本当は状況を話したいのですが……) アークの人払いがいつまで機能するかわからない以上、無駄に時間をかけるわけにはいかない。仲間達の状態異常耐性を高めるべく、十字の加護を全員に与える。分身の一体が放った血潮の弾丸が、彼女の頬を掠めた。 フリーの分身をブロックした仁身が、魔力により強化された弓を構える。 「君とお母さんは人間じゃなくなっちゃんたんだ、可哀相だけど死んでもらうよ」 そう言うが早いが、彼は若奈の左胸を矢で貫いた。激痛に身をよじる少女を見て、彼は黒い目を細める。 「……お母さんとお揃いだなんて少し羨ましいな、こんな酷い事だとしてもね」 淡々とした言葉には、母を知らぬ少年の真情が込められていた。 「やめて! どうしてこんな、酷いこと……!!」 声を限りに、保子が叫ぶ。自分達に危害を加えようとしている者達の正体も、身体の自由がきかない理由も、彼女は何も知らない。わかっているのはただ一つ。このままでは、愛娘が確実に殺されてしまうということだけ。 「お前さんの体は既に自身のコントロール下にない。故に何らかの拍子でその自動防御が作動し……娘と死ぬまで殺しあうやもしれんぞ?」 オーラの糸を紡ぎながら、オーウェンが保子に語りかける。恐れの色を浮かべた瞳が、彼の青い瞳を見た。 「そうでなくとも他人の娘、母の命を奪うやもしれない。それでも望むか? 生きる事を」 おそらく、保子はオーウェンの話を半分も理解していないだろう。言葉が届いたとしても、それが持つ意味を考える余裕は、今の彼女にはあるまい。 「若奈は……娘だけは、見逃してちょうだい……私は、どうなっても構わないから」 すすり泣きとともに懇願する保子を見て、オーウェンはこれ以上の問答は無意味と悟る。 「――ならば話す言葉は非ず。力を以って、俺にとっての障害であるお前さんを排除しよう」 彼の全身から放たれた気糸が、母娘と分身たちに襲いかかった。 「回復……する」 仲間達の後方から戦場全体を視野に収めるエリス・トワイニング(BNE002382)が、周囲のマナを己の身に取り込みながら詠唱を響かせる。具現化した聖なる神の息吹が、リベリスタ達の傷を塞いだ。 癒しの軸を担う彼女を常に気にかけつつ、ヘルマンが斬風脚を繰り出す。くすんだ鈍色の脚甲に覆われた蹴り足が真空の刃を生み、眼前の分身を飛び越えて若奈の脇腹を抉った。 「本当に、戦いづらいこと……」 柳眉を顰めた『絹嵐天女』銀咲 嶺(BNE002104)が、煌く気糸で敵を次々に撃ち抜く。澄んだ銀の瞳が映すは、母の亡骸を抱いた十三年前の記憶か――。 今回、リベリスタ達は早期決着を目指して『ハートイーター』本体に攻撃を集中させていた。無論、複数の対象を狙えるメンバーは分身も巻き込んではいたが、射線に関係なく敵を捉えることが出来るのがミュゼーヌ一人ということもあり、分身の数減らしはどうしても遅れがちになる。 そのため、序盤の戦いにおいては六体の敵全てがリベリスタ達を攻撃し続けることになり、予想以上の損害を与える結果になった。 より多くの敵に対して射線を確保しようと動いていたのが仇となり、嶺が血潮の弾丸を立て続けに浴びて倒れる。その直後、分身の投じた真紅の網が仁身に絡みついた。 「悪いけどそんなんじゃあ止まれないんだ、続行させてもらうよ」 血色の網を難なく払いのけた仁身が、素早く弓を構え直す。麻痺や呪縛への耐性を持つ彼に、このようなものは効かない。 弓に矢をつがえ、仁身は保子に問いかけた。 「娘さんが死ぬ姿を見届けますか? それとも見るのは耐えられませんか?」 「お願いだから、もうやめて……若奈が、死んでしまうわ……っ!」 泣きながら娘の命乞いをする保子を見て、苛立ちが胸を支配する。どうして、腹が立つのだろう。 顔を合わせることもなく死んでしまった自分の母が、許せないから? 母と子の絆に、憧れているから? 二人揃って死んでいけるこの親子に、嫉妬しているから? それとも―― 溢れる思考を強引に断ち切り、仁身は矢の狙いを若奈に定める。 今はアークに飼われているのだから、余計なことは考えずに任務を遂行しよう。 そうだ。きっと、それが良い。 殺意を秘めた不可視の矢が、若奈のこめかみを射抜く。娘の悲鳴と母の絶叫が響く中、「SUICIDAL/echo」を構えた喜平が、身に纏ったロングコートの裾を大きく広げた。 言い訳はしない。許しも請わない。罵られようと怨まれようと、ただひたすらに受け止め、己に刻むのみ。 だが――それでも。 娘が傷つく姿を母の視界から隠す、そのくらいは。 光の飛沫を伴う乱打が、少女の命数を削る。 幸成が背後から攻撃を仕掛けようとした瞬間、若奈が怯えた瞳で彼を振り返った。 (自分の姿は、死神にでも見えるので御座ろうな……) 頬を伝う涙の痕。咳き込むような泣き声。 僅か四歳の少女が感じているだろう恐怖は、察するに余りあった。 非情なる忍の仮面で心を覆い、幸成はオーラの爆弾を若奈の背に埋める。至近距離で炸裂したそれは術者をも傷つけたが、彼は己の戒めとしてその痛みを受け入れた。 流れる水の構えから集中を研ぎ澄ませていた貴志が、満を持して神速の蹴りを放つ。空を切り裂く刃が若奈を捉え、彼女の首筋に新たな傷を刻んだ。 傷口から溢れる赤い血と、苦痛に歪む少女の顔を認めて、貴志は内心で苦い思いに駆られる。 異界の寄生生物に体を奪われているとはいえ、人としての意識を残す二人を攻撃するのは辛い。 「せめて――少しでも早く、その苦痛を終わらせましょう」 たとえ、罪悪感を紛らわせるための欺瞞に過ぎないのだとしても。自分達に出来ることは、それしかない。 ミュゼーヌが、サイレンサーを取り付けたリボルバーマスケットの銃口を若奈の心臓に向けた。 「……私は銃を手にしたその日から、この世界の守護者となる事を誓ったの」 ボトム・チャンネルを崩界に導く因子は、何であろうと排除しなければならない――それが、リベリスタたる自分の使命。 要が咄嗟に、保子の眼前に大盾を翳した。『その瞬間』を、彼女に見せないために。 「若奈ぁああああぁああ―――っ!!」 響き渡る、母の絶叫。胸を引き裂くような痛みに耐え、ミュゼーヌは引き金を絞る。 彼女らを救う方法がない以上、誰かが手を汚すしかないのだ。 ならば。悲嘆も、罵声も、呪詛も、全てをこの身に。 「この手は、既に血に染まっているのだから――」 呆気ないほど小さな銃声が、幼い少女に終わりをもたらす。 マグナム弾に心臓を貫かれた若奈の体が揺らぐと同時に、二体の分身が弾けて消滅した。 崩れ落ちた小さな体を、喜平が己のコートで受け止める。 彼は少女の亡骸を優しく包むと、両腕でそっと地面に横たえてやった。 ● 母と娘の絆ゆえか、保子は愛する我が子の死を明敏に察した。 「人殺し! あの子が何をしたっていうの! あ……ああっ、若奈ぁ……っ!!」 ヒステリックな悪罵と慟哭が、リベリスタ達の耳朶を打つ。宿主の激情に応えるかのように、『ハートイーター』が濃密な血色の霧を呼び起こした。 針の鋭さをもって全身を蝕む霧の前に、仁身が力尽きてその場に倒れる。あらゆる攻撃を跳ね返す防御のオーラに身を包んだ要が、破邪の一撃を浴びせながら口を開いた。 「……聞き入れては、いただけないかもしれませんが」 彼女は慎重に言葉を選びつつ、二人が『化け物』に乗っ取られている事実と、放っておけば実家の両親にも累が及ぶ可能性があることを告げる。 だが、それも狂乱する保子の耳には届かない。 「どうせ、私も殺すんでしょう!? 早く殺しなさいよっ!!」 分かっていた。到底受け入れられる内容ではないと、最初から分かりきっていた。 それでも、要は話さずにはいられなかったのだ。 (──伝える事で、免罪符を得ている心算なのですかね) 自嘲とともに、彼女は心の中で唇を噛む。伝えたところで、何も変わりはしないのに。 しつこく血潮の弾丸を撃ち続ける二体の分身を、オーウェンの気糸が一掃する。 これで、残る敵は手負いの『ハートイーター』一体のみだ。 瞬く間に保子との距離を詰めた幸成が、躊躇うことなくオーラの爆弾を急所に打ち込む。 この母親の命を絶ち、娘の後を追わせてやる。考えることは、それだけ。 爆風に身を削られようとも、幸成は決して揺らがない。半ばで倒れるわけには、いかなかった。 (介錯を務めるまでが、自分の成すべき忍務なれば――) 天使ラジエルの書を携え、癒しの息吹で全員の回復を担うエリスが、保子をじっと見つめる。 親子の情愛を知らぬ彼女にも、娘を喪った母の痛みは苦しいほどに伝わってきた。 「こんな理不尽、受け入れられる筈もないでしょう」 保子の左胸をマグナム弾で狙い撃つミュゼーヌが、自らに言い聞かせるように呟く。破壊の気を帯びた掌打を叩き込みながら、貴志が僅かに視線を伏せた。 「許してくださいとは言いません」 救うことなど出来ない。いくら言葉を飾ろうと、自分達の行為は殺人でしかない。 与えられるものなど、恐怖と苦痛以外には無いのだ。 保子の口から、ごぼりと音を立てて鮮血が溢れ出す。 彼女の命がもはや尽きかけているのは、誰の目にも明らかだった。 喜平が、心臓を目掛けて鋭い突きを繰り出す。 「……まぁ、今更な感傷だけどね」 せめて、最後くらいは元凶たる『ハートイーター』に一撃を食らわせてやりたい。 肉を抉る生々しい感触が、喜平の腕に伝わる。 こんな化け物でも、身を抉られたら少しは痛みを感じるだろうか――? 弱々しく震える保子の唇が、「ひとごろし」と声なき呟きを漏らす。 かつて、同じ言葉を口にした少女の顔を、ヘルマンは思い出していた。 一番最初に『ハートイーター』の犠牲になり、恐怖に顔を歪ませて死んでいった――自分が殺した、あの少女を。 重く濁る思考から、必死に己の心を拾い上げる。 迷うな。冷酷になれ。躊躇えば、それだけ苦しみを長引かせることになる。 血と涙で塗り固められた脚甲に全ての力を集めて、彼は渾身の蹴りを放った。真空の刃に切り裂かれた保子に向けて、要が真っ直ぐに剣を突き出す。 もう、こんな思いを他の誰にも味合わせたくないから――幕引きは、せめてこの手で。 鮮烈に輝いた剣の切先が、保子の心臓を過たずに貫いた。 ● 保子の倒れた場所に、赤い血の花が咲く。 息絶えた母娘の亡骸を見下ろした貴志が、深く溜め息をついた。 「また、二人も犠牲が……」 彼の呟きを聞き、要が沈痛な面持ちで剣を下ろす。疲労が、心身に重く圧し掛かってくるようだった。 いつまで、こんなことを繰り返さなくてはならないのか。 手遅れとはいえ、人の命を奪うに等しい行為に、心を慣れさせてしまうわけにはいかないのに――。 「その根源を叩かぬ限り、このような悲劇はありふれたものとして続くので御座ろうな……」 静かに拳を握り締める幸成の傍らで、母娘の亡骸を己の目と魂に焼き付けるミュゼーヌが声を絞り出す。 「ハート、イーター……いつか、いつか必ずッ! お前達を滅ぼしつくしてあげる……ッ!」 その未来を、希望を断ったのは、誰に強制されたわけでもない、自らの意思。 誰にも、その責任をなすりつけることなど出来ない。 「……天国で、わたくしのこと、何回殺したって構いません」 僅かに震える声で、ヘルマンが母娘に告げる。 もう絶対に泣かない。背負わなくちゃいけない。でも、心の揺れは消えない。 黙祷を捧げた後、オーウェンが死者の傍らに膝を突く。 「せめてお前さんたちの犠牲が無駄にならぬよう……次のために、役立てよう」 貴志は天を仰ぎ、『ハートイーター』の犠牲者が二度と出ないことを祈った。 きっと叶わぬ願いであることは、彼にも分かっていたが。 任務を完遂した以上、現場に長居は無用だ。 あとは、アークの後処理班が始末をつけてくれるだろう。 仲間達の後について歩き出しながら、喜平は面白くなさそうに流れる川を横目で見る。 珍しくもない悲劇。世界のために殺すだけの、毎度お馴染みの仕事。 自分達は、それを当たり前のこととして遂行しただけ――。 「嗚呼、にしてもだ……クソ溜まりで踊った方がまだ上等な気分になれそう」 全員が一様に押し黙る中、傷ついた身を引きずるように歩く仁身が、ぽつりと口を開く。 「お母さん、か」 その呟きは、彼以外の耳に届くことはなかった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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