● 『君の肉体が鋼になる! この夏、君の体を大改造!』 「鋼の体、超なりたい!」 大学三年生の夏休み。 彼は非常に純朴だった。 彼が購読している新聞の折り込み広告。 それは小さく、カラーでもなく、さして目新しいことが書いてある訳ではないけれど、とても心惹かれるものだった。 「モニター募集:鋼の肉体プログラムに無料でご招待」 条件に彼は幸い一致し、プログラム日程に参加できる程度に暇でもあった。 施術後アンケート、効果が顕著ならばそのままその企業に精気就職の道も用意されている。 この就職氷河期になかなか好条件じゃないか? 選に漏れたとしても、見た目がいい方が面接とかで役に立つだろう。 一つ、参加してみよう。 彼は気がつかなかった。 その広告に目を止めたのは、数ある読者の中でも彼とごく僅かな人間だけだということを。 ● 「放置すると、この青年は改造されて、フィクサードにされてしまう」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は、件のチラシという紙をリベリスタの前に広げて見せた。 「別働隊に、特定地域のゴミステーションに張り込みしてもらって入手した」 リベリスタの一人がおずおずと手を上げる。 「どっかのスーパーの安売りチラシに見えるんだけど」 別のリベリスタが、何を言ってるんだ? と、怪訝そうな顔をした。 「そう。これはある一定の条件を満たした人間にしか正確な中身を認識させない術式が印刷に紛れ込ませてある」 「サブリミナル?」 「そういう要素も含まれているけど、私達の領域のもの」 イヴは、背後のさりげない地模様に紛れ込ませた魔法陣をモニターに映し出した。 「分析の結果、この件を「楽団」関連の案件と認定する」 アークが稼動してから、しばらく定期的に発生していた小さな案件。 子供向けの菓子や玩具に潜んだ、ごく弱いエリューション。 万華鏡でなければ見つけられないほどのささやかな悪意。 ジャックが世間の連続殺人鬼予備軍に呼びかけたのに誤作動を起こして暴れた『魔女』=『ハッグ』によって、潜在的にエリューションの影響下にある女性が多数いることが発覚する。 そして、機会と用途に応じての人攫い集団『楽団』。 肉の壁にされる子供のアンデッド集団『パレード』 契約書に従い、家族を生贄にして、非道に手を染める魔女集団『ハッグ』 その契約書の化身にして使い魔『グルマルキン』 リベリスタ達は、幾度となく、そのたくらみを阻止してきた。 この春に、「楽団」を壊滅させたアークのリベリスタにとって、この「ささやかな悪意」に触れるのは、久しぶりのことだった。 「楽団」は、彼らの実行部隊に過ぎない。 アークの目の届かないところで、「ささやかな悪意」の根源、契約魔術師カスパールと錬金術師メアリがうごめいている。 「連中、性懲りもなく「楽団」を再組織しようとしてるみたい。確実にこのイベントに参加しようとしている青年は一人」 写真が映し出される。 おおらかそうな逆三角形。 いかつい外見と人懐っこさが融合されている。 「某工科大三年、有場平太君。純朴。一直線。一度なつくと、どこまでも系。変なサークルとかに気をつけてと注意喚起が必要なタイプ」 イヴは手書きで「人がよすぎる」とキャプションをつける。 「被暗示効果が高いとも言える。このままいくと彼は『楽団』の新しい「チューバ吹き』に、この夏大改造されてしまう」 だから、ホントは早々に確保したいところなんだけど。と、イヴはしぶい顔をした。 「そろそろ本格的に連中の尻尾をつかみたい。だから、彼の安全を最優先にして、ギリギリまで連中を泳がせる」 そして、奴らの拠点の一つを潰せれば恩の字だ。 「出来れば、首魁のメアリとカスパールの尻尾もつかみたいんだけど……」 リベリスタの一人が手を上げた。 「で、この該当条件ってなんなんだ?」 「機械大好きで、サイボーグとかにあこがれがあって、改造されちゃってもいいかもって潜在意識があって、楽器経験者で、ガタイがよくて、熟女に弱くて、子供に優しい男」 そりゃあ、ピンポイントだ。 ● 赤い風船、白い風船。 午後のお茶も、テーブルを囲むのは二人きりになってしまった。 いや、最初に戻ったというべきだろう。 「――御希望通りに術式を組んだんだけれど、この辺は意味があるの?」 カスパールは、嗜好性の限定術式を指でなぞる。 「あら、ハッグと仲がいいに越したことはないし、パレードも以下同文でしょ? 即戦力になって欲しいから鍛えられている方がいいかと思って。それに心も大事よ。そうなりたいと思ってるのにくっつけた方がなじみもいいわ」 経験上そうなのよ。と、メアリは言う。 「なるほど。改めて聞くと合理的だね」 まるで君の改造みたいだ。と、カスパールはメアリに言った。 「君の施術は、即興なのに綿密だものね。君以外の誰にも理解できないって言うのが惜しいよ」 メアリは、うふふと微笑んだ。 「あたしにも、どうしてそうなるか分からないんだもの。でも、そうすれば動くのよ。それは分かるの」 「君は、魔法使いというより、芸術家だね」 「自分でもそう思うわ」 薫り高いお茶。 レースのカーテン。 控えるハッグたち。 そのそばには、使い魔である黒猫・グルマルキンがそれぞれの足元や肩に寄り添っている。 「ちょうど、こういうのの……セールスレディをしていたハッグがいるから、迎えに行ってもらうわ。それと、念のため、二、三人別についって行ってもらうのがいいかしら?」 「そうだね。一人じゃ大変だ。パレードも少し連れて行くようにしよう。契約書にサインしてもらって、自分の足で来てくれるのが一番いいんだけどね」 「誠意を持って接したいものね」 「どうしてもって時は、一服もらせてもらうとしよう」 「そうね。そして、もちろん契約書は――」 「「二通以上!」」 微笑を交わすカスパールとメアリ。 赤い風船、白い風船。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田奈アガサ | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年08月27日(月)23:05 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 赤い風船、白い風船。 新しい仲間が欲しいの。 優しくって、気のいい、楽器の上手な男の人がいいね。 ああ、この人? よさそうな人じゃない。 仲良くできるといいんだけど。 僕らのことを好きになってくれるといいんだけど。 赤い風船、白い風船。 それは、新たな『楽団』へのお誘い。 ● 暑い。 『てるてる坊主』焦燥院 フツ(BNE001054)は大きく息をつく。 晴天だ。 雲ひとつない、突き抜けた晴天だ。 カツラの色を黒にしたせいで、日光が頭に集中している気がする。 何でカツラ製品のCMが通気性としつこいのかよくわかった。 ラジコン飛行機に符を貼り付けたフツは、式神を空に放つ。 「これから行くファミレスの屋根の上で待機しておけ。戦闘になった場合、敵は逃亡する可能性があるから追跡してくれ」 それいけと、空に飛行機を放つ。 空の青に吸い込まれる気体。 太陽を背にして飛んでいく。 ● 「ささやかな悪意は大きな流れを呼び、不幸は連鎖する」 関連依頼の報告書まで読み終えた『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)は、未来を断言する。 自明の理だ。 「楽団の再結成は阻止しなくてはいけない」 少女でも、わかることだ。 「平太は絶対に守ってみせる」 外で待機する六人は、少し離れたところに止められた送迎車の中で最終打ち合わせだ。。 「私は裏口に回るね」 『猟奇的な妹』結城・ハマリエル・虎美(BNE002216)は、そう言って、店の裏手を指差す。 「うん、俺もそれがいいと思う。皆裏口に来ない?」 『花縡の導鴉』宇賀神・遥紀(BNE003750)と、皆を見回した。 「うむぅ。そういえば、誰がどこをという打ち合わせはしていなかったのだ」 雷音はどうしたものかと難しい顔をする。 「あたしは、表の方の。あそこの影にいる」 『ならず』曳馬野・涼子(BNE003471)が指差したのは、隣のカフェのテラス席だった。 ファミレスの入り口とは目と鼻の先だが、ファミレスの中からは見えない。 涼子本人は千里眼があるから、何の問題もない。 「平太の連れ出しがバレた時点で敵が暴れるかもしれないから、突入方法を選ばなければ1手で阻止できる場所がいい」 涼子は、千里眼で状況を中継するのが当初の役目だ。 「わたしも店外の目立たないところにいるとしましょう」 『戦姫』戦場ヶ原・ブリュンヒルデ・舞姫(BNE000932)には、人間盗聴器の役目もある。裏口では厨房の音がノイジィだ。 「では、舞姫と一緒にいたほうが手間は省けような」 『鋼鉄魔女』ゼルマ・フォン・ハルトマン(BNE002425)は、心密かに憤慨している。 (相変わらずちょろちょろと鬱陶しい奴らじゃのぅ。確か、メアリにカスパール、じゃったか? 妾をつまらぬ仕事に狩り出しおって。それだけで万死に値するわ) だが、ゼルマはこの仕事を人に譲る気はなかった。 正統な魔女として。 ゼルマは、仕方がないと呟いた。 ● 『むしろぴよこが本体?』アウラール・オーバル(BNE001406)は、この連中の産物にはかなり詳しい。 昼下がりのファミリーレストラン。 オフィス街近くの店舗には、ドリンクバー目当ての中高生が入ってくる様子はない。 ドリンクバーの機械への動線を外れた四人席に、緊張した面持ちの青年、有場平太と、愛想のよさそうな外国人アウラールが並んで座り、その向かいに会社の担当者『鈴木さん』が座っている。 鈴木さんは柔らかなクリーム入りのスーツを着て、おっとりとした優しそうな女性だ。 とても自分の家族の肉入りシチューを胃の腑に収めた人には見えない。 「今でも十分立派なガタイですぞー! うらやましい、でもそれじゃモニターは無理ですかな?」 「いやー! オレなんかまだまだですよぉ!」 アウラールはきわどい台詞をはいても、外国人補正か持ち前の愛嬌か、なぜかいやみに聞こえない。 とはいえ、一応牽制台詞をほめ言葉と思ってテレまくる平太も、今時なかなか見ないタイプだ。 「日本語はどちらで?」 鈴木さんは、手元でさらさらと何かを書きながら、アウラールに聞く。 「親切な方に教えていただきましたぞ! 何かおかしいですかな?」 「なんかじいちゃんみたい……ですね!」 事前にきちんと演技指導の打ち合わせもするべきだったかもしれない。 アウラールはどこまでも胡散臭く、浮世離れしていた。 まるで、世間ずれしていない、それでも生活が保障されている環境にいるみたいに。 「故国の母親が日本は不景気だから心配してまして……」 「それは、大変ですねぇ~。お国、どちらですか~?」 と、鈴木さん。 「そっか~、留学生も大変なんだなぁ~」 平太が感心したように言う。 鈴木さんはどこまでもにこやかだった。 ● (ふん。…陰険なやり口よな。効率を求めるが故の悪意でなく、好み故の歪みちうのは気にいらんの) 『必要悪』ヤマ・ヤガ(BNE003943)は、いつもの着物ではなく、年相応の洋服を身にまとっている。 (ヤマの仕事かと言えばちと違うが、偶にはヤガの気分で動くのも悪くなかろ。さ、殺るか) 物騒なことを考えながら、一人で店内に入ってきたヤマを見て、ウェイトレスは膝を曲げた。 「お嬢ちゃん、一人? 大人の人は?」 ヤマは、子供らしい表情を崩さないまま、うぬぅと唸った。 ヤマ・ヤガ、80歳。 ここは三高平ではない。 子供に許される行動は、質・範囲ともに制限される。 「あ、後から来る……っ!」 子供だけで入店というのは、さすがに目立つ。 「ここで、待ってるように、言われたのだ、けど……」 お金ならある。と、お財布を出そうとするヤマをウェイトレスが押し留めた。 「じゃ、いい子で待っていようね。いらっしゃいませ。困ったことがあったら教えてね?」 ウェイトレスさんは、窓から外がよく見える席に案内してくれた。 そこから、すぐ近くにいるはずの舞姫と涼子は見えない。 うまく隠れているようだった。 ● (計略により利益を得る‥実に結構。寧ろ賞賛すべきである。だが…‥それなら更なる計略によって潰されても文句は言えぬな?) 『Dr.Tricks』オーウェン・ロザイク(BNE000638)にとっては、久しぶりの相手――気配になる。 「――」 出迎えたウェイトレスののどが、オーウェンの姿を見て、小さく動いた。 残暑厳しい折に、外国人とはいえ、帽子にロングコートは怪しさ大爆発だ。 「いらっしゃいませ、お一人ですか?」 先ほどの女の子の待ち合わせの相手……ではないだろう。 怪しすぎる。 「お好きなお席にどうぞ~」 きちんとマニュアルどおりの対応ができたのに、厨房の中から音のない拍手が送られた。 空いている店内。 オーウェンの選んだ席からは、ママ友の集いのような三人組が斜め前に見え、 ボックス席二つ挟んだ前方に、アウラールの紫頭がぴょこぴょこ動くのが見える。 目には入らないが、隣のボックスには、所在なげにメロンソーダをすすっているヤマ。 見えない位置に、フツが陣取っている。 囲碁の陣地取りのように、布陣されていった。 ● 『ならず』曳馬野・涼子(BNE003471)は、「楽団」のラッパ吹き掃討戦に参加した一人だ。 幸せになんだから、邪魔をするなと叫んでいた馬鹿な男。 だから、という訳ではないが。 こいつらが、むしゃくしゃする相手なのは間違いないから。 「――気に入らない」 それだけで、銃を取るには十分な理由だった。 頭のどこかを集中させる。 そうすると、表向き和やかに話している三人の姿が見えてきた。 「……それで、弊社は心身のケアをトータルで考えた独自のプログラムで、短期間、しかしながら無理のない肉体改造をしようって言うのがコンセプトなのね。モニターさんとして、今回新開発のプログラムを体験してもらって、経過をブログで更新してもらいます。パンツ一丁の写真とかネットに上げるのに抵抗とかないかな――」 なんだかそれっぽい確認作業が続いている。 アウラールは全てにイエスと応えながら、横の平太を盗み見る。 今のところ、彼の目はトレーニングマシーンの写真に釘付けだ。 「うわ~、最新式ですね~」 目をキラキラさせている。 ニコニコ応じる鈴木さんが持っているファイルに、おそらく挟まっている契約書。 サインした時点で、平太は魔法使いの僕となる。 「詳しいんですね、有場さん」 にっこり笑いかける熟女の微笑み、百万ドル。 脇で見ているアウラールにも分かるほど、平太は一気に赤面した。 「――あ、すいません。お手洗い行ってきます!」 「どうぞ」 平太が立ち上がって、トイレに向かう。 コーヒーをすすっていたオーウェンがチロリと視線を動かした。 フツの姿は席にない。 不自然ではないくらいの間を置いて、席を立った。 (なんか、今日のお客様、皆、お手洗い、近い?) フロア係は、冷房の設定温度を、よりエコな方向に動かした。 ● 舞姫には、なじみの相手だ。 いいように使われていた雇われフィクサードの腹が蛙のように膨らんで破裂したときも、ちょっと道を踏み外したバンドマンが闇の中に堕ちていくのも見ていた。 もっとも、舞姫がこの一連の事件に関わる最大のモチベーションは、この連中が市場にばら撒こうとしたアイスの始末でおなか冷やして、人としての尊厳を脅かされたことが大きいのではないかと思われるが、追求するのは恐ろしい。 そんな舞姫は、店の外。 耳に店内の音を集めていた。 『ねね、おねーさん、このにゃんこさわっちゃだめー?』 『あの、ごめんなさいね。おばちゃんたち、大事なお仕事の話しているからね』 『えーぶーぶーけちー』 ヤマはかなり駄々をこねている。 別人格を表層にしているようだ。 『ねーねーさっき話してたけどこのかみなにー?』 『あ、あ、お仕事の大事な紙だから、触らないで……』 『退屈になってきたの。おねーちゃんとお魚さん見にいこっか。向こうにね、お魚さんの水槽があるんだよ~』 『ああーん。だっこしないで~』 ほどなく、「ヤマは、ウェイトレスにソフトクリーム作ってもらってる。やんわり手をつかまれてる」と、涼子から連絡が入った。 トイレの中では、フツとオーウェンの仕事が始まるところだろう。 不意に耳に入ってくる会話。 『急がなきゃ』 『あたし、トイレ行くわ。タク、行くよ』 『じゃ、あたしはここキープね』 『とすると、あたしがキッチンか。色々切るから。表の自動ドアから出るなら、割って出てね』 (機械止める気ですね) 膝の上に載せたAFで涼子に、『ハッグが動く。内部情報くれ』とメールを入れる。 そのまま、入り口の自動ドアに向かって駆け出した。 『無茶言ってるよ、この人』 『ママ、ミイちゃんも一緒?』 パレードの声。 うまく偽装されているが、声の奥に濁点の気配がする。 『うん、ミイちゃんも一緒。がんばろうね。帰り、お菓子買って帰ろうか』 『見えた。鈴木さん、始めてOKって』 『それじゃ、行こう。3、2、1』 聞こえてくる会話は、内容が剣呑なのに、のんびりムードだった。 全員が席をたった。と、すぐ涼子から送り返されてくる。 突入と全員にメールを送る。 中に入った連中からは、返事がなかった。 (間に合え……っ!!) 舞姫は、正面、自動ドアのマットを踏んだ。 ● フツは、ドリンクバーからコップを失敬して来ていた。 手洗いの鏡越し、水を汲みながら、 (グルマルキンは、ついてきていないな) 確認のうえ、無防備な平太の顔面目掛けて、コップの水をぶっ掛けた。 はとが豆鉄砲食らったような、平太の顔。 衝撃、状況把握に支障。 それに乗じて、フツの思念波が平太のそれに同調し、侵食し、ここ小一時間の出来事を改竄する。 抵抗はほとんどなかった。 (オレが面接官の1人だよ。鈴木さんの隣に座ってただろ?) 「――そうですね」 この先の人生心配になる程度に、暗示にかかりやすい。 フツは、馴れ馴れしく背中を叩きながら、定評のあるいい笑顔で言った。 こういうとき、高校生と誰も思わない、落ち着いた物腰が威力を発する。 平太には年上に見えていることだろう。 「いやァ、面接の結果は残念だったね。あ、僕は君のこと買ってるんだよ。でもサ、あの鈴木サンがダメって言ってサ……ゴメンネ!」 キミの様子が気になったから、見に来たんだよ。と、フツは付け加えた。 「ああ、いくら落ち込んでるからって、ヤケになって体を濡らすのはよくない」 改竄された記憶。 濡れているのは、落ち着くために自分で叩きつけるように顔を洗ったからで、それがちょっと行き過ぎてびちゃびちゃになってしまったのだ。(映像混入) 決して、@@@@@@@されたからではない。(記憶消去終了・思考停止スイッチ設定完了) 「とりあえず店の外まで僕のシャツを羽織っていくといい。この帽子は記念品ってことで!」 と言いながら、シャツを羽織らせ、帽子をかぶらせようとして――。 オーウェンは、ドアの外に立っていた。 誰か来たとき追い返すため。 しかし、来たのは申し訳なさそうなフロア係だった。 後ろに、ハッグとパレード。 魔女と死体の親子連れ。 「お急ぎですか? よろしければ、お子さんを先にしていただきたいのですが……」 ここで否と言えるか。 「いや……。中が立て込んでいるようなので……」 そういうのが精一杯。 フツとオーウェンは無関係という建前なのだから。 それ以上は、オーウェンの意志の力をもってしても、無理だった。 フロア係の瞳が、オーウェンを困った状況に巻き込まれてしまったお客様と認識した。 かっこいい人も大変だ。 どんどんドア叩いて、トイレ使いたいんだけど! って、喚くことも出来ない。 サービス業、困った状況対応スキル始動! 「すいませぇん。開けてもよろしいですか? お手洗いを使いたいというお子さんがいるのですが……」 何も知らないフロア係が、控えめにノックしながら中に声を掛ける。 「お手洗い、お使いでしょうか?」 トイレに入り浸り、かといって使っている気配のない男性客。 携帯を使っているのだろうな。と、思っているようだ。 「あ、トイレ使ってないっす。すいません。俺、水かぶっちゃって」 人のいい平太は即答する。 「申し訳ございません」 フロア係は、にっこりオーウェンを見上げた。 お待たせしてすいません。 我慢できないという子供の後に、どうぞこころゆくまでお使いくださいと、善意の笑顔だ。 眩し過ぎる。 「すいませぇん。ほら、タク、いっといで」 ドアの向こうから、「母親」の声がする。 その子、トイレ使わないだろう。死んでるんだから。 止めたい。しかしここで止めたら。 ハッグが見ている。 オーウェンが何かしたら、即座にフロア係に襲いかかろうとしている。 互いの間合い。牽制しあう。 眇められる片目。戦闘演算が頭の中で回り始める。 入ってくる子供。 ドアの隙間からちらりと見える、フロア係の明るい色のユニフォーム。 子供の背を押す白い腕。 彼女の息子――なのだろう。面差しが似ている。ただ、もう死んでいるだけだ――が、小便器にではなく、平太に向かって突進してきた。 突き出された爪と、大きく開かれた口から死人の気配がする。 パレード。 肉の壁が主な運用方法ではあるが、攻撃手としても馬鹿にはできない。 一般人なら、余計だ。 「え? は? トイレ、あっち……」 フツは、とっさに平太の前に立ちふさがった。 Tシャツが引き千切れ、伸びた爪がフツの腹の皮を抉り取っていく。 (このガキっ) 抉られたところから湧き上がる黒い熱が喉元までこみ上げてくる。 「そこの有場平太! 足手まといになるから、こっちに来い! そこの店員、お前もだ!」 「そんな、面接官さんが……」 致命的に人がいい。 困った人を放っておけないのだ。 フツの白目が赤く充血し始めたのを見て、オーウェンは平太を早急に外に出すべく、最適の台詞をひねり出した。 「~~~走れ! これも、就職試験だ! そっちのお前もぐずぐずするな!」 善意のフロア係と平太を、目の前のハッグから守らなければならない。 不審に思われるのを承知で着てきたロングコートの影、気糸がハッグ――タクママ目掛けて襲い掛かった。 ● 「アウラールさん」 本名を呼ばれたことに気がついて、反応が半瞬遅れた。 「変装もなさらずいらっしゃるとは思いませんでした。示威行為とは。アークの皆さん、私達のことなど、洟にもかけないでいてくださって構いませんのに」 鈴木さんは、少し困ったような顔をした。 「私どもは、気の合った者同士でのんびり生きていければそれでいいんですけれど……」 アウラールの目つきが鋭くなる。 「あんたたち、そんなかわいいもんじゃないだろ」 子供をターゲットにばら撒かれる、エリューション入り菓子やおもちゃ。 ちょっとした加減で死を呼び、革醒を促す危険なブービートラップを、アウラールは千の数を越えて処分してきたのだ。 爆発するもの。動き出して危害を加えるもの。もっているだけで革醒を促すおもちゃ。 リベリスタだから、それにも耐えられた。 だが、粉々に砕けた備品。穴の開いた天井。こげた臭い。 威力はしゃれにならない。普通の人間なら、死んでいる。 生きていたとしても、恩寵を得られなければ、ノーフェイスとして狩られる。 恩寵を得たら、もう日常には戻れない。 エリューションは、異分子だ。 「人生には、笑いや潤いが必要です」 叩きつけられるアウラールの拳がコップをなぎ倒して、机の上のパンフレットを濡らす。 「あれを笑いや潤いにするような奴らは、許しちゃおけない」 アークの中でも有数のクロスイージスに成長したアウラールが、「簡単な仕事」に従事し続けている理由の一端だ。 「私どもも、皆さんに制圧される訳には行きません。悲しんでくださる方々がいますし」 鈴木さんのかばんの中から、ぴょこんと黒猫が顔を出した。 「ごめんあそばせ」 猫の口から、魔力の奔流。 身体中から染み出す血液。 青黒く変色する肌。 「……悪いけど、こっちは守るのが専門なんだ」 しかし、アウラールの底力が、麻痺を、不吉を跳ね除ける。 「おまえら、そこに釘付けにしててやるから、そう思え」 ● 虎美は、「ささやかな悪意」にとっては疫病神だ。 つい先日もばら撒かれた風船を片付けたところだ。 (ちょっと大人しくしてたかと思えば…ほんと胸糞の悪い連中) のどの奥に粘ついたものがこみ上げる。 (白川の二の舞は防いで見せるよ) 白川……虎美の目の前で「楽団」の優しい悪に飲み込まれ、自ら染まって虎美達が引導を渡したノーフェイス。 (出来れば次に繋がる……攻めに転じれるだけの情報も欲しい所だね) これ以上の「ささやかな悪意」はいらない。 虎美は、ずっと店の中を透視していた。 もう頭には店の全ての構造が入っている。 裏口には鍵がかかっていて、容易に開かない。 二丁拳銃の弾丸をたんまりお見舞いして、力ずくでぶちあける。 投資を発動させたままの、二重写しになる視界の向こうで、ハッグの一人が立ち上がり、トイレにでも向かうように歩いてくる。 バックヤードに向かっている。 「お客様、そちらは厨房になりますので……」 ヤマの相手をしていたウェイトレスのやんわりとした制止に振り向く。 手に握っているナイフ。 (殺人鬼……!!) このところ、頻発しているそんな事件。 ウェイトレスの目が大きく見開かれる。 吹き出る鮮血。 ヤマは床を蹴った。 集中する暇などない。 殺人者暦六十有余年。 ヤマの目にも留まらぬ微細な糸が、ハッグの急所をえぐりたてた。 虎美は中に転がり込みついでに、火災報知機を叩き割る。 遥紀は中に駆け込み様、人払いの結界を展開する。 雷音は、「逃げろ!」と叫んだ。 彼女の周囲にすでに幻の剣が浮かんでいる。 血にまみれたウェイトレスに、反射的に指が癒しの符をつかみ出す。 間に合え。間に合え。間に合ってくれ。 ヤマが、鳴り響く警報とともに叫ぶ。 「おねーちゃん、しっかりしろ! 非常事態じゃ!」 必死に走って、ウェイトレスに符を貼り付ける。 死なないで。 ● 「こいつらを外へっ!」 邪魔で仕方ない! と、舞姫の方に平太とフロア係を突き飛ばしたオーウェンは、背後から襲い掛かるタクママに計算され尽くされた連続蹴りを放つ。 瞑られた片目がのけぞるタクママを確認する。 混乱しているのか、繰り出した蹴りがオーウェンではなく、柱に打ち付けられ、ハタクママはしたたか自分の足を痛めることになった。 それもオーウェンが放った攻撃のなせる技だ。 そうしなければ頭から水槽につっこむことになっただろう。 肩で息をする様子は、悪夢を見ている顔だ。 「何が起きてるんっすか!?」 無理やり頭を低くさせられたまま、突き飛ばされた平太は涙目だ。 さっきまで近くの席でおしゃべりしていた普通の子供と熟女達が何で暴れ始めたのか分からない。 平太は、モニター試験不合格で心に痛手を負っているうえの、パニック映画さながらの状態にココロがへし折れそうになっていた。 ナイーヴなのだ。 「貴様らの命の危機じゃ。四の五の言わずにこちらへ来い」 舞姫は店内で、ハッグ二人とパレードとグルマルキンに囲まれているアウラールの元に急行した。 見かねて、ゼルマが手を差し伸べる。 見た目は20代前半だが、中身は古希過ぎ。 あいまって、かもし出される熟女オーラ。 平太の目に涙が浮かんだ。 「たすけて……」 「そうしてやる」 「中の、他の従業員が心配なんですが!」 フロア係が、ゼルマの雰囲気に気おされながらも言った。 「みなまとめてたすけてやると言っておるのじゃ。まずは自分のことを何とかせい! 妾に手間を取らせるでない!」 平太とフロア係はおとなしくゼルマの言に従い、店の外に転がり出て行った。 ● 広めの洗面所。 子供に黒い鴉がまとわりつき、その髪を引き抜き、目を抉る。 凄惨な情景だが、怒りに撒かれたフツの攻撃は止まらない。 遥紀の放っている天上の癒しも、トイレのドアに阻まれて、フツの元には届かない。 これはこの世のことならず。 そう言って目をつぶることは、リベリスタである以上許されない。 エリューションは、異分子だ。 この子の死んだ体に、まだ魂は宿っているのだろうか。 魂なき体が、生前の記録のままに動き、話し、正邪を脅かし、世界を壊す。 もしも、「ささやかな悪意」に関わらなければ、フツは生きているタクに笑いかけることもできたかもしれないのに。 現実は、互いに怒りに任せて殺しあうことになる。 死者の怒りとはどのようなものか。 湧き上がる怒りが、赤い衝動が、フツを攻撃に駆り立てる。 駆り立てていた。 お前さえいなければ。 殺しあう。 パレード・タクが動かなくなるまで。 そして、やがて覚める怒り。 明晰になる頭。 自分の呼んだ鴉で、二目と見られぬ姿になっている死にぞこないの子供。 皆、それぞれの場所で、戦っている。 こうなったら、タクを倒すのは、フツの役目だった。 「なんか言ってくれ」 タクは無言で何も言わずにフツに向かって爪を振るう。 「なんだっていいんだ、恨み言だって構わねえ。オレがお前を殺すんだから」 末期の言葉くらい覚えていたいじゃないか。 ● 「伏せて! あんたたち死にたくなかったら、とっとと伏せろ!」 涼子はいつも、つまらなそうな顔をしている。 そうでなければ、今にも泣くのを我慢しているように見える。 店に駆け込んできたとき、かぶっていた帽子は飛んでいってしまった。 意匠も磨り減るほど手荒い使い方をされている単発銃が火を吹く。 少しだけ、時間が止まっている。 撃ったと思ったとたんに、指が動いて、もう一発弾丸が飛ぶ。 最初の弾丸は、ハッグ――ショウ君ママのこめかみに当たった。 間髪いれずに発射したもう一発も首筋に命中する。 「來來氷雨! 全てを凍らせろ!」 視界を確保するため、翼を閃かせた雷音が叫ぶ。 氷の粒が、雷音の敵意に反応して、ハッグとパレード、グルマルキンだけを恐ろしい正確さで氷漬けにする。 厨房の中に入り込んで、電気系統を遮断しようとしていたハッグ――ショウ君ママは、息絶えた。 「うわわあああああっ、ママァ!」 身体中から凍傷で肌を糜爛させた、パレード・ショウが叫ぶ。 「ショウ君、ママは!? ショウ君のママは!?」 パレード・ミイが声を上げる。 「やだでちゃっだ! 刺だれデ、撃ダれデ、凍らさデちゃっダ。仇、ドるご!」 回らなくなって言う黒列。黒ずんでいく肌。鼻をうつ死臭。 それまで普通の子供に見えていたショウ君が、「ママ」の死によってどんどん死体に変わっていく。 雷音は、反射的に目を背けた。 陰陽の術使いの雷音は、少女ながら思い当たる節がある。 母親の命が、偽りの生を支えていたのだ。 しかし、それは外法中の外法だ。 嗚咽が。 ショウ君ママに切り裂かれたウェイトレスの嗚咽が店内に満ちる。 「逃げてくれ、頼む。なんだか分からなくていいから、早く逃げてよ!」 裏口は、遥紀によって確保されていた。 パレードを蹴り飛ばし、あらん限りの銃弾を無言で打ち込む虎美。 遥紀は動けないでいるウェイトレスを抱えると、裏口に走った。 精一杯の詠唱に、ウェイトレスの傷はふさがるが、人に傷つけられた恐慌状態が癒える訳ではない。 新米パパの遥紀の「子供」 死んだ子供「パレード」 実験体として弄ばれた子供「過去の自分」 崩れていく子供の姿に様々な姿が投影される。 目の前で「人」が死ぬ恐怖が癒える訳ではない。 天地を癒す高次存在でも、心の傷は治せない。 でも、死ぬよりははるかにいいから。 だから、今は逃げて。 生き延びて。 ● 四種の魔力を束ねた魔弾を受けること、数回。 テーブル越しに殴りつけられ。 それでもアウラールは、まだ鈴木さんとグルマルキンをその場に射止めていた。 だが、いつの間にか四角に設けられた罠が、アウラールを絡めとった。 麻痺を祓ってくれる遥紀が戻ってくるまでの僅かな時間。 それは時として、致命的な時間になりうる。 「これでもう動けないでしょう。ごきげんよう。私、これにて失礼させていただきます」 鈴木さんは、テーブルをひょいっと持ち上げると、造作もなく窓に向けて叩きつけた。 外の歩道に向けて吹っ飛ぶ窓ガラス。 そこから出て行こうとする鈴木さん。 肩からかばんをかけ、黒猫がマスコットのように隙間から顔を突き出している。 「有場さん逃がしちゃうなんて、困るじゃありませんか。契約前なのに。今からならまだ追いつけると思うんですよね」 帰宅経路は計算できますし。 革醒者のいない別働班では、フィクサードを止めることは出来ない。 絶対に逃がさない……っ。 僅かに震える指が上がるが、麻痺した体はまともに戦闘はできない。 ふと、鈴木さんの間合いに小さなものが飛び込んだ。 眉を寄せ、ぎりりと歯を食いしばった、涼子。 ガラスの割れる音を聞きつけ、千里眼で見通し、ここまで一気に走りこんできたのだ。 「あんたの周り、誰もいないね……」 小さな声は、風に千切れて飛んでいく。 手の中に入りきらない銃を取り回して、グリップをメリケンサック代わりに。 銃器の専門家じゃない『ならず』だから、こんな使い方だって平気でするのだ。 「なら、使う」 なりふり構わず。 涼子は鈴木さんの髪をつかみ、腹を蹴り、顔に拳をめり込ませて、こめかみに銃底をねじこみ。 見境なく。跳ね飛ぶ血も気にすることなく。 そうやって目の前の対象に向かう涼子は、どこかむずがる子供のようだった。 銃を撃ってもよかった。 でも、街中で銃撃ったら目立ちそうだったし、今更かもしれないけど、殴ったらおんなじかもしれないけど、でもなんと言うか。 「むしゃくしゃしてたから……」 でも、殴ったからって、むしゃくしゃがどっかに行く訳ではない。 「でかした、ヒクマノ。一人は確保するとしよう」 ゼルマは、肩で息をする涼子のフォローに回った。 ● 「頑丈なのね。なら、必ず殺してあげる」 ミイちゃんママのラケットケースの中から、斧が出て来た。 あれなら、人間の首など一撃で切断できるだろう。 口の中が変な味がする。 毒を払いたいのは山々だが、アウラールの麻痺した体では、よけるのが精一杯だ。 「それでテニスでもするつもりですか、ボールが一刀両断ですよ!? 全然ママっぽくないですね。そもそも拳だの爪だのに毒つきだなんて、野蛮かつ姑息です!」 そう叫んで、アラサーママのハートを抉りたてる、十代の舞姫の武器は、一点物の匠の技が集結された小脇差である。 セーラー服に刀は、洗練されててカッコイイ。斧より何倍もカッコイイ。 「簡単な仕事」で、アイスキャンディー食べて、おなか痛くしてたけどなぁ。と、アウラールの麻痺した脳みそに余計な思い出が投影される。 びきびきびきと、ミイちゃんママのこめかみに青筋が浮かぶ。 パレード・ミイちゃんの片頬も引きつる。 「殺す。お前はごろす……」 しかし、パレードの動きでは、舞姫にまともに指をかすらせることは出来ない。 「先に、あんたを叩き割ってやるわよ!」 ミイちゃんママの斧が、狭い通路の中でコンパクトに振られ、舞姫の金色の髪を宙に散らした。 ふふんと、舞姫は笑う。 「冥土の土産に、アークきっての美少女剣士たる私の姿を網膜に焼き付けていきなさい。今、至高の技を、ト・キ・ハ・ナ・ツ!」 金色の飛沫が舞う。 剣技の美しさというものはない。 美しい剣技がある。 飛び、跳ね、回るという人の動きが、舞踏として人の心を射ち、時として忘我、恍惚の域に誘う。 それは、動きの美しさによって、見るものの心を釘つけにし、永遠にそれが続くことを願い、ああ、それによって自分が死ぬからと行って何の障害になろうか、いっそ死ぬまで見ていたいとさえ思えるほどの――! だから。 ミイちゃんママは幸せなのだ。 最期に、ありえないほど美しいものを見て死んだのだから。 ミイちゃんが、また汚い死体に戻るのを見なくてすんだのだから。 舞姫によって二度目の死を迎えるところを見なくてすんだのだから。 ● オーウェンによって狂わされた、タクママが息絶えた頃。 肩で息をしながら、フツがトイレから出て来た。 「悪い……」 持ち場につけなかったことをわびるフツに、一同はお疲れ様の声を掛ける。 リベリスタ達は、裏口から脱出し、「ささやかな悪意」の端緒をつかもうとしている。 「さあ、妾は、このために来たのじゃ。諸々探らせてもらうぞ」 ゼルマは、探求者としての顔を見せる。 「ボクは少女だが、見なくてはならないものを見据える覚悟は出来ている」 雷音は大きく息を吸って、吐いた。 店内にいたグルマルキンは、ヤマが気糸で皆貫き通してしまった。 残っているのは、鈴木さんのグルマルキン。 ママ友ハッグの荷物の中から見つかった契約書。 鈴木さん所有の契約書は、かばんの中じゃなくて彼女の懐に入っていた。 「やあ」 尋問するため、生かしておいた鈴木さんの口から、落ち着いた少年の声が漏れ出す。 「君達がこれを聞くって事は、残念ながら今回のスカウトは失敗しちゃったってことだね。ひどいなぁ。せっかく幸せに暮らせるようになった親子を三組もやっつけちゃうなんて!」 けたたましく笑う、鈴木さん。 もう先ほどまでアウラールにニコニコとわわ絵見かけていた女の面影はない。 足をじたばたさせ、ひゅうひゅうとのどが鳴るまで笑い続ける。 その息の下から、鈴木さんの笑など別次元だといわんばかりの少年の声。 「僕達とキミ達は、同じ次元に住んではいるけど、住める世界が違うんだから、相互不可侵でやって生きたいと思うんだけどなぁ。ま、ともあれ。君たちが僕たちのささやかな遊びの邪魔をするというなら、僕達はそれも含めて遊ぼうと思うんだ。今回はキミたちの勝ちだから、僕たちにつながる手がかりをちょっとだけ用意してあげたよ。せいぜいがんばって、僕たちのところに来るといい。あんまり遅いと、僕たちは別の遊びを始めるからね? それじゃ、健闘を祈るね。なお、このハッグは、自動的に死亡する! ――爆発はしないから、安心してね?」 耳をつんざく、けたたましい笑い声。 鈴木さんは、ワラって、ワラって、ワラって、ワラって。 喉から血が出て溢れ返って、異変に気がついたリベリスタが押さえつけても笑い続けて、どんなに異常回復詠唱を続けても、どれだけ回復詠唱を続けても、肺が血で一杯になって溺れて死ぬまで、ワラって、死んだ。 ● 契約書の内容と、それに内包された魔術の形式は、ゼルマに言わせれば「つばを吐いたら、こちらが穢れる」様な、えげつないものだった。 一度契約したら、契約書の破棄か、術者が死ぬまで有効。 死体となっても、契約書がある限り、術者の支配から免れ得ない。 判明した時点で、雷音の氷雨で弱りきっていたグルマルキンは、早急に倒された。 ハッグとパレードはアークへの持ち込みは中止され、早々に荼毘にふされることが決まった。 「前回は、アジトの洋館の外観がおおよそ判明した。後は、場所を突き止める事が必要じゃ」 フラッシュバック。 前回と同じルートでここまでたどる。 洋館。 どこにあるのか分からない。 鐘の音。 捩れた鉄塔。 坂が、ずっと坂が。 ねじくれた足。 うち捨てられた。 転がる木馬。白い木馬黒い木馬。 腕。 二本。 黒いベルベット。上等のレース。 部屋の隅に積み重ねられた。 赤い風船、白い風船。 だめだ。このルートは以前にも飲み込まれた。 別のルート、別のキーワード。 見つからない。 呑まれる。 流される。 赤い月、赤い月、赤い月。 体を引き裂かれる痛み。 えげつない、浮遊感。 吐き気。 心拍数の異常な上昇。 体温は異常に下がっていく。 『ちゃんと、順路どおりにおいでよ。一足飛びにラストダンジョンなんて、そんなのつまらないじゃないか。僕らは退屈してるんだ。おもちゃを取り上げるなら、君たちがおもちゃになってよ』 強制終了。 ホワイトノイズ。 ● げっそりとやつれたゼルマの体調を気遣いながら、リベリスタ達の調査は続く。 鈴木さんの所持品から、ファミレスから程近いオフィスビルの一室の鍵が出て来た。 リベリスタ達は注意深く、中に入る。 殺風景な部屋。 一台のファックス複合機と、電話とノートパソコンを置いてある机が隅っこに寄せられている。 級に虎美が窓際によって、閉められていたブラインドを開けて、下を見下ろした。 「ここ……、この間のビジョンだ」 アウラールが、ぼそりと呟く虎美を見る。 「え? あれ、あまりの辛さに幻覚見てたんじゃなかったの?」 風船割のときに、うめくように、機械が、ファミレスがとぶつぶつ言い続ける虎美の背中に、アウラールは戦慄を覚えたりしたものだが。 「違う! まじめにやるって言ったでしょ!」 虎美は常にまじめだ。 フツが南無阿弥陀仏と言うように、お兄ちゃん愛してるアハハウフフと言うだけだ。 経を唱えるように、兄への愛を唱えているだけだ。 ちょっと、帰依している対象が血縁近すぎ、かつ今後の展望が不毛、かつ方向性が猟奇なだけだ。 何か手がかりをと思って、風船から読み取ったものの記憶。 「この間、見た。あのファミレス。ここからそこ見たのとそっくり同じだ」 「……ってことは」 「ここが拠点の一つってのは、間違いない。少なくとも風船はここを通過したってことなんだから」 アークの別働班がすばやく動き出した。不動産の動き、登記の手続き。 その場にあるものを片端から梱包して、運び出していく。 リベリスタとは別の情報戦もまた、彼らの役割の一つだ。 「すいません、どなたか……。魔法の罠が仕込まれているかもしれませんので……」 「僕が行こう。念入りに調査する」 雷音は、意識を集中させる。 しなくてはならない。 携帯には、送信を待つばかりの短いメール。 大切な人にだけ宛てられた、等身大の雷音の素直な心。 「人さらいは許せません。ささやかであっても悪意は悪意です」 『第一問はクリアー。ちゃんと調べれば、次のキーワードが見つかるよ。がんばってね。くじけず、ちゃんと、調べてね』 脳内に響く男の子の声。 とたんに。 こみ上げてくる灼熱感。 めまい。 眼窩と眼球から血が噴き出しそうだ。 一気に上がる脳圧。 フラッシュバック。 独りになった瞬間が。 両親を殺された瞬間が。 フラッシュバック。 そこだけが。 延々と。 現実には訪れた救いのシーンまで再生されることなく、何度も何度も。 手が、無意識に携帯を探す。 滑らかな液晶画面。 触れられるはずもないのに。 そこに、書かれた宛先の名。 惑わされるな。 繰り返されているのは、もう起こって終わったことだ。 ボクは、この名前を知っている。 ボクには、あのとき助けが来たのだ。 今度はボクが助ける番だ。 ボクは、誰かを守りたくてここに来たのだ。 先ほど、傷の痛みと心の痛みで泣き叫んでいたウェイトレスの姿を思い出す。 出来る限り、泣く人が減るように。 雷音は、資料を調べ続けた。 キーワードを見つけたとたん、雷音は意識を手放した。 ● 「気に入らないよ。気に入らない」 涼子の苛立った声に、リベリスタは振り返る。 「本当にヤな奴は、いつだって出てこない!」 振り絞るように、叩きつけるように。 涼子は、叫ばず、唸る。 それでも、涼子の涙は落ちては来ない。 せき止めているつかえがある。 ならば、引きずり出してやろう。 そいつらの襟首つかんで、顔を合わせて。 「お前らは、本当にいやな奴だ!」 と、面と向かって、噛み付いてやろう。 そのための、キーワード。 「もう一つの風船」 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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