● 僕が覚えているのは、彼女の手――白くて細い、その指先だけだ。 あの頃、あまりに内気すぎた僕は、クラスの中でもまるで目立たない存在だった。 活発な彼女に密かに憧れていたけれど、話しかけるどころか、まともに顔を見ることすらできなくて。 だから、僕は気がつけば彼女の手ばかり見詰めていた。 すらりと伸びた、白くて綺麗な指先。 授業のノートを取る時、あるいはプリントを手渡す時に。 くるくると可愛らしく動くそれは、彼女と同じ光を放っているように見えた。 いつも俯いてばかりいた僕を、彼女はずっと、陰気な奴だと思っていたんだろう。 中学校を卒業する直前、勇気を振り絞って告白した僕を、彼女はあっさり拒絶した。 僕が大好きだった、綺麗な白い手を苛立たしげに振って。 顔の近くを飛ぶうるさい羽虫に対してそうするように、僕を追い払った。 酷いじゃないか。 断るにしても、もっと他にやりようはあっただろうに。 失恋の傷は、高校に進学してからも癒えなかった。 教室で、あるいは街角で、彼女に似た白い手を見るたび、体が竦んだ。 また、あの手に拒まれ、追い払われるのではと、恐怖を感じた。 次第に追い詰められていった僕は、ある時、素晴らしい解決方法を思いついた。 彼女の手が僕を拒む前に、消してしまえばいい――。 ● スコップを携えた男が、少女の屍を担いで歩いていた。 真夜中の林は、果てしなく暗い。明かりは腰に括った懐中電灯一つきりだったが、何度も訪れた場所に向かうのに不都合はなかった。 男が殺害した少女の数は、これで二十一人になる。 林に連れ込んで殺すこともあれば、別の場所で殺して林に運ぶこともあった。 今回は、後者のケースにあたる。 いずれの場合も、少女達の屍はこの林の中に埋められることになっていた。 殺された少女達に、男との面識はない。 全員が白く美しい手の持ち主であり、それだけを理由に男に目をつけられたのだ。 「……君がいけないんだよ。僕を、あんな風に拒むから」 だから。僕はずっと、君を殺し続けているんだ。 白くて綺麗な手をした、あの頃の君を――。 視線を宙に彷徨わせつつ、誰にともなく男は呟く。 罪を罪と思う心は、とうに失われていた。 「さあ、着いたよ。君はここで眠るんだ」 そう言って少女の屍をどさりと下ろした直後、彼は異変に気付いた。 地面がぼこぼこと波打ち、土の中から白いものが宙に浮かび上がる。 それは――かつて殺したはずの、少女の手だった。 いくつもの手が闇の中を舞い、白い指先をひらひらと踊らせる。 「ああ、大変だ。君が、まだこんなに――」 憑かれたように白い手の群れを見詰める男の背後で、少女の屍が音もなく起き上がった。 男は、それに気付かない。 虚ろに目を見開いた少女の屍が、男の首にゆっくり両手を伸ばしていく。 ● 「皆にお願いしたいのは、E・フォースの群れとE・アンデッド一体の撃破だ。 現場には一般人が一人いるが、救出するのは簡単じゃあない。 ……あえて言うと、今回に限っては放っておくという選択肢もある」 ブリーフィングルームでリベリスタ達に依頼の説明を始めた『どうしようもない男』奥地 数史(nBNE000224)は、彼にしては珍しいことを口にした。 100%不可能であるならともかく、救えるかもしれない命を見捨てても良いとはどういうことか。 「E・フォースとE・アンデッドは合計で二十一体だが、“彼女ら”は全員、殺人事件の犠牲者だ。 残された思念が革醒したか、遺体が革醒したか、という違いはあるがな。 そして――現場にいる一般人の男が、“彼女ら”を殺した犯人だ」 男は、十四歳から十六歳くらいの少女から白く美しい手を持つ者を選んで殺し、人が立ち入らない林の中に埋めていたらしい。 E・フォースは、一人目から二十人目の犠牲者の思念。 E・アンデッドは、殺されたばかりの二十一人目の犠牲者。 現場は、男が犠牲者達を埋めていた林の中――そういうことか。 「男は二十一人目の少女を担いで林に入り、 そこで少女達の“手”の形をした二十体のE・フォースに遭遇した。 二十一人目の少女も増殖性革醒現象でE・アンデッドになり、 自分達をこんな目に遭わせた男を、全員で殺そうといているわけだ」 男の前方にはE・フォースの群れが立ち塞がり、男の背後からはE・アンデッドが彼の首に手をかけている。 たとえ男をE・フォースの攻撃から庇ったとしても、それだけではE・アンデッドが男の首をへし折ることは避けられない。もし助けようとするなら、相応の対策を考えなければならないだろう。 そこまでして男の命を救うかどうかは、また別の問題になるが――。 ブリーフィングルームに、しばし沈黙が落ちる。 一人のリベリスタが、ふと、「どうして“手”なのか」と問いを放った。 男が執着するものは少女達の“手”であり、彼女らの思念であるE・フォースもその形をしている。 戦いそのものには関係ないだろうが、少々気になるところだ。 「――男が“手”に執着する理由か? 詳しいところは分からんし、あまり分かりたくもないが…… どうも、失恋の傷が原因みたいだな。 振られた彼女について最も印象に残っていたのが“手”だったらしい」 その結果、無関係の少女達が二十一人も命を落としたとなると、やりきれない話である。 「繰り返すが、今回の任務はE・フォースとE・アンデッドの撃破だ。 男をどうするかは、皆の判断に任せる」 数史は手の中のファイルを閉じると、どうか気をつけて行ってきてくれ――と言った。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:宮橋輝 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年08月04日(土)22:41 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 深い闇が、林の奥にわだかまっていた。 先頭を走る『マッハにゃーにゃーにゃー!』加奈氏・さりあ(BNE001388)の耳に、風が木々を揺らす音が届く。夜目が利き、優れた聴覚を持つ彼女にとって、真夜中の林も昼間のそれと変わらない。にも拘らず、肌にざわざわと纏わりつくこの不快感は何なのだろう。 「二十人以上を殺めた男性、ですか」 ぽつりと、『戦士』水無瀬・佳恋(BNE003740)が呟く。自前の照明を持たない彼女は、小鳥遊・茉莉(BNE002647)から借り受けた懐中電灯を腰に括っていた。 「色々と思わざるを得ないですね」 顔を覆う仮面の下から、『子煩悩パパ』高木・京一(BNE003179)が答える。 今回の救出対象は、二十一人もの少女を手にかけた殺人犯の男。 犠牲になった少女達のなれの果て――二十体のE・フォースと、一体のE・アンデッドが、彼を殺そうとしているのだ。 「ヘタなエリューションよりタチが悪いようにも思えますが、 革醒したわけでもない一般人である以上、私達が裁くわけにもいきません」 佳恋の言葉に、茉莉が頷く。 「心情的には自業自得と言ってもおかしくない人ですが、かといって見捨てる訳にいきませんね」 銀狼の耳を風にそよがせる『獣の唄』双海 唯々(BNE002186)が、そこに言葉を重ねた。 「ソイツが一般人なら、殺人犯だろうが何だろうが助けるだけですよ。 命に価値とか付けれるような器用な人間じゃねーですし?」 目の前に助けられる人間がいて、そして助ける力があるのなら。多少の無茶をしてでも助けるだけだ、と言う彼女の傍らで、『下策士』門真 螢衣(BNE001036)は一人沈黙を保っていた。 螢衣の考えは、皆とは少し違う。 任務はあくまでもエリューションの殲滅だ。男の救出に手を割けば、それだけ難易度は上がるだろう。 少女達を惨殺した殺人鬼を、リベリスタを危険に晒してまで救う必要が果たしてあるのか――螢衣の答えは「否」だ。 だが、全体の方針として決まったことに、この場で異を唱えるつもりはない。 己の役割を、忠実に果たすつもりでいる。 「助けるのは、それがリベリスタとしての本義という事もありますが…… 何よりも、表の世界で今を生きる人の為です」 『ミックス』ユウ・バスタード(BNE003137)が、おもむろに口を開いた。 「私達アークが何故神秘の理不尽と戦うのかといえば、つまりはそういう事です。 少なくとも私はそう思っています」 自分に言い聞かせるようにして、ユウは言葉を続ける。 かつて捨て駒として扱われ、リベリスタの理性と良心に救われた彼女だからこそ、その想いは強い。 全力で駆けるリベリスタ達の前方に、懐中電灯の光が見えた。 呆然と立ち尽くす男の周囲に、白い手が舞っている。 あれこそが、無残に命を奪われた死者の想念。 「自分達を殺した相手へ、復讐を……したいのでしょうね」 沈痛な面持ちで、『騎士の末裔』ユーディス・エーレンフェルト(BNE003247)が呟く。 そうとわかっていても、彼女らに復讐を遂げさせてやるわけにはいかなかった。 仲間と足並みを揃え、ユーディスはあらゆる攻撃を跳ね返す防御のオーラを纏う。 戦いに赴く全員に十字の加護を与えた『不屈』神谷 要(BNE002861)が、赤い瞳に強い意志を込めて男を見た。 「救ってみせます、全力で。なぜなら私達はアークのリベリスタなのですから」 ラケシア・プリムローズ(BNE003965)が頷き、防御動作の共有で仲間達の守りを固める。 「神秘による被害を『一般人』に及ぼすわけにはいかないわね。 正直な気持ちはさておき、ね」 きっと、それがリベリスタとしてあるべき姿なのだろうから――。 男の背後で起き上がった少女の屍が、彼の首に両手を伸ばす。 十人のリベリスタが、そこに雪崩れ込んだ。 ● 「真っ直ぐ突撃するにゃ!」 素早く地を蹴ったさりあが、京一がもたらした小さな翼を羽ばたかせる。 身体能力のギアを上げて反応速度を高めた彼女は、瞬く間に屍との距離を詰めると、男の首にかかった腕を引き剥がしにかかった。 手首を掴んだ両腕に力を込めるも、屍の手はなかなか男の首から離れない。ユウが、煌くオーラの糸を伸ばしてその手を狙い撃った。 虚ろな瞳を怒りに燃やし、屍が耳障りな叫び声を上げる。 ユウを睨む屍が男の首から手を放した瞬間、唯々が男と屍の間に割り込んだ。 「あんた等の怒りは尤もかもしれねーですが、イーちゃん死者より生者に価値を見出すヤツですし?」 足元から伸びた意思ある影を従え、彼女は男の守りにつく。 「まっ、狼に噛まれたと思って諦めるがイイですよ、うむ」 怒り狂う屍と、周囲に浮かぶ白い手の群れを眺めて、狼の因子を宿す少女は不敵に言った。 ユーディスの剣が鮮烈に輝き、破邪の力をもって屍を斬り裂く。螢衣が、占術で不吉の影を呼び起こした。 「占うまでもなく、既にあなたは悪い星のもとで破滅しています。 死者は早く成仏してください」 黒い影が、動く屍と化した少女を覆い尽くす。 男の安全を確保するために、最も近い敵から倒すという狙いもあるが――殺人事件の犠牲になった少女の遺体が、戦いでさらに傷ついていくのを見るのは忍びなかった。 自前の翼でふわりと浮き上がった茉莉が、詠唱により増幅された魔力を解き放つ。 血を媒介に生み出された黒鎖の濁流が、逃げ遅れた白い手たちを捕らえた。 鎖を逃れた白い手が、群れをなして攻撃に転じる。その多くは、男を庇う唯々に集中した。 実体を持たぬ指が防具を突き抜けて肌を刺し、掌に浮かんだ目玉が身も凍る視線を送る。追い撃ちとばかりに囁かれた呪いが、全身を内側から蝕んでいった。 京一が、邪を滅する神の光を輝かせて状態異常を払う。佳恋がそこに駆け込み、唯々と男を守るように立った。 殺人者を救い、犠牲者を滅する理不尽を嘆いても始まらない。少なくとも、自分は全力で戦うのみだ。 ――そう、感情よりもまずは任務を。 「私はアークのリベリスタ。崩界を防ぎ、エリューションから一般人を守る防人のようなもの」 白鳥の羽を思わせる巨大な長剣に全身の力を込め、羽ばたくように一閃させる。 炸裂した闘気が、白い手を木の葉の如く吹き飛ばした。 「………!」 唯々たちの反対側に回った要が、精神を打ち据える挑発の言葉を白い手の群れに投げかける。 敵の数は多く、しかもブロックが効かない。男を安全に逃がすためには、まず彼女らの注意をこちらに惹きつける必要があった。 白い手の約三分の一が怒りに染まり、要のいる方へ向きを変える。なおも男に迫る敵を目掛けて、ラケシアが神秘の閃光弾を投じた。 おぞましい絶叫を上げて、屍が両腕を突き出す。彼女の怒りはユウに向けられていたが、さりあが行く手を阻んでおり、目標への接近を許さない。 さりあは首筋に伸びた手を軽快なステップで避けると、猫そのものの動きで鉤爪を振るった。 「ねこぱんちにゃ!」 鋭くしなやかな爪が、少女の屍に二度目の死をもたらす。 懐中電灯のスイッチを入れた唯々が、男の腕を強く引いた。 「イイ歳した野郎がいつまでも現実から視線逸らしてんじゃねーよ」 白い手に魅入られたように立ち尽くす男の、明らかに常軌を逸した様子を見て、彼女は僅かに眉を寄せる。変に暴れられるよりは、まだこの方が楽かもしれないが。 「さっさと送り届けてくるですから、その間誰もくたばんじゃねーですよ?」 唯々は仲間達にそう告げると、男を庇いつつ後退を始めた。 追いすがろうとする白い手の前に、ユーディスが立ち塞がる。 「こんな男を殺しても、死者の憎悪は晴れる事無く……穢れて、より強く渦巻いてゆくだけ」 死せる少女達のそんな姿は、見たくなかった。 御免なさいと心の中で詫びて、彼女は一点の曇りもない剣を向ける。 「貴方達を――止めます」 自らの身で少女達の無念を受け止めようとするかのように、ユーディスは破邪の剣を振るった。 唯々に引き摺られるまま後方に下がる男と、彼を追う少女達の白い手を交互に見て。 ユウは、愛用の改造小銃“Missionary&Doggy”を両手で構える。 男が掘った穴に埋められたはずの少女。死してなお彷徨い出る少女。 (そんな歌ありましたかね――) 天に銃口を向け、引金を絞る。 「可哀想な殺人鬼さん。呼べばきっと答えてくれますよ」 彼女が囁くと同時に、燃え盛る火矢が戦場に降り注いだ。 炎が林を赤く照らす中、茉莉の黒鎖が奔る。要に引き寄せられた白い手の半数が、その鎖に絡め取られた。 動きを封じられておらず、また怒りに我を忘れてもいない残りの手が、男を逃がそうとする唯々に殺到する。死の指先に貫かれて大量の血を失った唯々の体が、ぐらりと傾いだ。遠のきかけた意識を、自らの運命を代償に繋ぐ。近くにいた京一が、咄嗟に彼女を庇った。 「門真さん、双海さんの回復をお願いします」 駆け寄った螢衣が、癒しの符で唯々の体力を取り戻す。 「やはり、この数が相手では回復が間に合いませんか……厳しいですね」 螢衣が僅かに眉を顰めた直後、佳恋が「白鳥乃羽々」に闘気を集中させた。 力強い白鳥の羽ばたきが、白い手を霧散させる。 荒ぶる少女達の魂を真っ直ぐに見て、要が口を開いた。 「貴方達の無念はもっともです……」 唯々と男のもとに向かう敵を、一体でも減らさねばならない。 戦場全体を視界に収め、彼女は毅然と言葉を続ける。 「ですが、その様な男の為にその手を汚させるのは私には我慢がなりません」 再び放たれた挑発が、怒り狂う敵の数を増やした。ラケシアが、閃光弾を投じて援護を行う。 これで、男を逃がすまでの時間は稼ぐことができるだろう。 「ここからが、本当の勝負かしらね」 ウェーブのかかった金の髪を揺らし、ラケシアは小さく呟いた。 ● 何かを捜し求めるように細い指を動かしながら、白い手の群れが宙を駆ける。 怒りで狙いを逸らし、麻痺や呪縛で動きを封じようとも、そう長い間はもたない。どうしても、何割かは自由に動ける個体が残ってしまう。 実体を持たぬ彼女らには前衛も後衛も関係なく、おまけに対神秘防御をものともしない。 運悪く、数体の攻撃を立て続けに受けてしまった茉莉が、空中で体勢を崩す。 そのまま地に落ちるかと思われた時、彼女は運命を燃やして背の翼を再び羽ばたかせた。 序盤から敵の注意を惹き、攻撃の多くを引き受けてきた要のダメージも、次第に深刻になりつつある。 だが、白い手たちが男をまだ諦めていない以上、ここで退くわけにはいかなかった。 とにかく、敵の数を減らさなくては――。 男を追う動きを見せた白い手に、さりあが鉤爪を繰り出す。 「救える命は誰でも救いたいのにゃ!」 獲物を決して逃さぬ猫の爪が、音速を纏って敵を引き裂いた。 「あの男を、貴方達に殺させる訳にはいきません」 ユーディスもまた、輝く剣で白い手を両断する。 「迷える死者の想念。貴方達は――此処で討ち晴らす」 残る敵を見据え、彼女は凛と声を響かせた。 癒しの福音で仲間達の傷を塞ぐ京一が、右手だけの姿でこの世に舞い戻った少女たちを仮面越しに眺める。 任務中は一切の感情を仮面に封じる彼も、家庭に戻れば一男一女の父親だ。 男が起こした事件に自分の娘が巻き込まれていたらと考えると背筋が凍るし、犠牲になった少女達や遺族が男に殺意を抱くのは自然なことだと思う。 (――ですが、守れる命は守りたいのです) それが、京一の誓いであるから。 リベリスタ達は癒し手たちに背を支えられ、互いに連携して戦線を維持する。 そこに、男の保護を終えた唯々が戻ってきた。 「狼が蜘蛛手使うってーのはどうかと思うですが……さぁ、初陣っすよ!」 その名の通り、蜘蛛の手を模ったナイフ――“蜘蛛手”を閃かせ、白い手の群れに飛び込む。 重ねられた八枚の刃が理不尽な動きで白い手を次々に切り刻み、二体を同時に屠った。 回復で危機を脱した茉莉が、夜の闇に詠唱を響かせる。 彼女の血を喰らった黒き鎖が濁流となり、白い手たちを一息に呑み込んだ。 「各個撃破にゃ!」 足音も立てずに木々の間を跳ね回るさりあが、長い尻尾を揺らして猫パンチを見舞う。 眼前の白い手が霧散した後、そのすぐ後ろにいたもう一体が彼女を襲った。 細い指が首筋に潜り込み、さりあの血を奪い尽くす。 倒れた彼女に一瞬目を奪われたラケシアの視界に、別の白い手が見えた。 手の甲に可憐な唇がぷくりと浮かび上がり、禍々しい呪詛の囁きを投げかける。 ラケシアは自らの運命を差し出し、全身を激しく蝕む呪いに耐え抜いた。 ユウが、天に向かって小銃を撃つ。動体視力を極限まで高めた彼女の瞳には、戦場に存在する全ての敵の動きがコマ送りの如く映っていた。 矢の形をした炎の雨が、傷ついた白い手たちを過たずに捉えて燃やし尽くす。全身の闘気を込めた「白鳥乃羽々」の一撃で、佳恋がさらに一体を沈めた。 ラケシアが、癒しを秘めた天使の歌声を響かせる。まだ傷が治りきらぬ彼女を、要が庇った。 敵の攻撃は相変わらず激しいが、その数は既に半分を切っている。 流石に諦めたのか、男を追おうとする個体も殆どいなくなった。 癒し手が倒されない限り、流れが傾くことはないはずだ。 リベリスタ達はお互いを支え合い、一瞬たりとも気を抜くことなく戦い続ける。 敵の数が五を切った時、ここまで癒し手に専念していた螢衣が、初めて式を打った。 「我が符より、一つ出て抉れ鴉」 呪符から生み出された鴉の式神が、鋭い嘴で白い手を食い破る。 背の翼で低空を舞う茉莉が、残る敵を射線上に捉えた。 「――これで終わりです」 生き物のようにうねる血の鎖が、白い手に何本も絡みつく。 黒き濁流が去った後、そこには何も残っていなかった。 ● 戦いが終わり、真夜中の林に墓場の如き静けさが戻る。 物言わぬ少女の屍と、それ以前に殺された少女達が埋められているはずの地面を順に眺め、要が目を伏せた。 本当に護りたかったのは、あのような男ではなく、被害者である彼女達だ。 その白い手を汚さずに逝けたことだけが、唯一の救いだろうか。 「……ここに眠る全ての命が、正しい輪廻の循環に戻りますように……」 螢衣が、東洋の様式で弔いの儀式を執り行う。 ユーディスは目を閉じ、少女達の魂の安息を祈った。 そういえば、あの男はどうしているだろう。 一目見ただけでも、彼は明らかに狂気の狭間を彷徨っているように思えた。 生き延びたところで、どうなるものでもないだろうが……。 リベリスタ達は唯々の案内で男を退避させた場所に赴いたが、そこに彼の姿はなかった。 正気を失ったまま、どこかに逃げ去ったのだろうか。 「できれば、警察に突き出したかったのですが」 偽らざる本音を漏らす佳恋の隣で、ユウが黙って眉を寄せる。 男を司法の手に委ねることで、救いを得られる人がいると信じていた。 死んだ少女達が浮かばれるかどうかは分からないが、彼女らの遺族や友人にとって、“生きた犯人”の存在は間違いなく一つの決着になるだろうから。 ただ、それだけだったのに―― あの男はまだ、全てから目を逸らして逃げることを選ぶのか。 「まあ、ヤツのやっちまった事は変わらねーですし?」 唯々が、そう言って林の奥に視線を走らせる。どこに逃げようと、犯した罪は消えない。 彼女の言葉に頷いた京一が、警察への通報を提案した。 「少女達の遺体がこの林に埋められているのは事実です。 警察にそれを告げれば、一連の殺人について捜査してくれるでしょう」 捕まったとしても、男が正気を失っているとなれば罪に問われない可能性もある。 しかし、それは今考えても仕方がないことだった。 ラケシアも、京一の提案に賛成の意を示す。 自分達が知る限りの情報をリークすれば、何かしら状況は動くはずだ。 「本当なら、この手で罰したいところなのだけれどね……」 そう言って、ラケシアは小さく溜め息をつく。 ――男の消息は、その後も杳として知れなかった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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