● この世界には月が三つある。 三つ目の月が地平線から現れた頃。 はるか先にある緑の森も今は闇に沈んでいる。 森から吹いてくる風は柔らかく、深々と吸い込めば渇いた喉も癒されるようだ。 その森を守るための拠点作りも着々と進んでいる。 物見櫓も日々高さと強度を増し、拠点のあちこちで作業をし、哨戒する仲間が、篝火の下に見て取れる。 日々、小競り合いはあるけれど。 ずっとこんな日々が続くような。 はかない幻想は、小さな、しかし、切実な叫びが叩き潰した。 闇に沈んだ荒野。 動く光点。 警戒中の仲間だ。 物見櫓からは見えた。 仲間が必死の形相で拠点に急いでくるのを。 その口が。 『敵襲だ』と動いているのを。 地平線が、砂塵でけぶっていた。 ● 砂塵は近づいて来ない。 だが、動きが静まることはない。 怒りしか知らない種族が、戦闘への期待と興奮で踏み鳴らす足が乾いた大地を沸き立たせる。 鬨の声が、大地を震わせる振動が、今までの小競り合いとは比べ物にならぬ規模だとリベリスタに伝えている。 そこには純然たる統制がある。 今にも襲い掛からんとしている凶暴な衝動を束ねている意思がある。 この場所ごとリベリスタを蹂躙するつもりなのだ。 バイデンたちと言葉を交わすことは、技を駆使する者達がいれば可能だろう。 だが、戦闘に特別な興味を示し、リベリスタという強敵との戦いに心を躍らせる彼らに話が通じるとは到底思えない。 交渉など、そもそも概念にあるのだろうか? ここが陥落すれば、フュリエが危機に晒されるのは言うまでもなく、リンクチャンネルからボトム・チャンネルにこの戦闘種族がなだれ込むのだ。 そんなことはさせない。 そのために築いた橋頭堡だ。 ここで、全てを終わらせなくてはならない。 押し寄せるバイデンをこの場で押しとどめ、押し返さなければ。 ふと、鬼の城攻防戦が頭に浮かんだ。 あの時、鬼達は城の中からこんな気持ちでリベリスタを見ていたのだろうか。 ● 「奇襲だ。とにかく、奴らを削る」 その場にいたリベリスタ達は、急ごしらえでチームを組み、バイデンに対応することになった。 「やつらは、まっすぐこちらに向かっているから、それを迂回して、後方からかく乱する。狙いは、歩きの連中だ。数を減らす。戦えない程度に怪我をさせることにしよう。そうすればそいつの面倒を見るのにもう一人削れる。連中が仲間を見捨てなければの話だけど」 ひょっとしたら、倒れた仲間を見捨てるか踏み越えるかして前進してくるかもしれない。 そのときは倒れた奴が、進軍を阻む障害物になるだろう。 「だとすると、かなり危険だぞ。迂回する訳だから結構な時間かかるし、発見されれば当然タコ殴りだろうし。後背につくってことは橋頭堡から距離があるから、援軍は見込めない。動けなくなった奴がいたら、見捨てることになる――かもしれない」 そうなったら、最悪、異世界の荒野に屍をさらすことになる。 その場にいる者達は、互いの眼を見交わした。 覚悟の上だ。 遊び半分で次元を超えてこの場に来た訳じゃない。 バイデンの命はいらない。 それより、利き腕一本、脚一本もぎ取ってやる。 戦士働きできないようにしてやる。 橋頭堡を守る仲間のために。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田奈アガサ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年07月25日(水)23:17 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● (深追いはせず、あくまで撹乱を目的に……か) 『蜥蜴の嫁』アナスタシア・カシミィル(BNE000102)は、オレンジの髪が目立たないよう、頭から黒布をかぶっている。 少し先で闇が騒いでいる。 集中は難しい。 不安や緊張が、バイデンたちの姿を現実以上に強大、もしくは脆弱に書き換えてしまう。 手元には炭と油。 ユーキ・R・ブランド(BNE003416)から、装備の光る部分に塗れと回ってきたものだ。 塗った所から輝きは消え、より夜闇に混じる。 リベリスタたちはバイデンとすれ違うようにしてその最後尾を目指していた。 つけっぱなしのAFから次々状況報告がこぼれ聞こえる。 外には聞こえないように音量を絞り、息もつめる。 身を低くし、その様子を観察していた『やる気のない男』上沢 翔太(BNE000943)は、闇の中、目を凝らす。 (どんな装備してんだ。遠距離可能か、最悪、早めに気づければ良い) 見た目には弓や銃を持っているようには見えない。 だが、翔太自身もソードエアリアルという人間ブーメランになれる。 装備だけで判断するのは危険といえた。 人間そのものが飛んでくることはなくても、剣風が飛んでくるのは十分考えられた。 特別に用立てた発煙筒を取り出し、煙幕をはる。 ちょうど翔太と反対側で『神牙』司馬 鷲祐(BNE000288)が動き出す手はずになっている。 闇夜に分厚い白煙が漂う。 斥候が二人連れ立って向かってくる。 彼らは知らない。 この白い領域が、翔太の気合の具現であることを。 白い煙の中に翔太の影が動く。 バイデンがその中に剣をつきこむ。 手応えはない。そこにあるのは白い煙だけ。 本体は、煙の上。 残像を残して、少年は空を舞う。 幅広の剣がバイデンの腕を斬り飛ばし、少年は煙の中に消える。 残るバイデンが煙の中につっこんでいこうとする。 横合いから、冷気。 「その目、貰うねぃ?」 頭から黒い布をかぶったフュリエみたいな生き物が、駆け込んできてバイデンの顔目掛けて拳を叩き込む。 バイデンのまぶたに切り裂かれるような痛み。 ビシビシと氷が彼の目を犯す。 痛みと戦えなくなるという本能的恐怖が、若いバイデンを追い詰める。 絶叫が辺りに響いた。 ● 混乱の中、赤い影の蹴りが空を切り裂いた。 (バイデンの好きにはさせん。狩られる前に狩らせてもらう!) 『紅蓮の意思』焔 優希(BNE002561)から放たれた風の刃がバイデンの足を裂く。 全力で優希目掛けて走ってくるバイデンの後方から、別のバイデンが得物を構え、優希目掛けて何かが飛んでくる。 攻撃できるなら、相手からも攻撃される。 自分たちだけが攻撃し放題ということはない。 煙幕の中に身を隠しながらも、無傷ではいられない。 バトルスーツを砂で汚し、枝やら枯れ草やらでカムフラージュした『いつも元気な』ウェスティア・ウォルカニス(BNE000360) の腕から滴る鮮血が、詠唱に従って見る間に黒味を帯びる。 (あっちで踏ん張ってる仲間の為にも頑張るよ!) 死出の旅路を彩る曲が、バイデンに向けて叩きつけられる。 攻撃に支障をきたさないギリギリの低空飛行。 巻き込めるだけ巻き込むため、姿が確認されることもいとわず懐中電灯で地上を照らし、通るだけ全ての射線を確保し、見える限りのバイデンを餌食と見定める。 黒鎖に絡め取られたバイデンの赤い肌が月明かりの下でも分かるほど見る間に黒ずみ、毛穴から血が染み出す。 こみ上げてくる死への恐怖に、手足や心がすくんで動かなくなる。 怨嗟の叫びが地を満たし、バイデンの血が荒野を染める。 強敵と遭遇し、それを討ち取る喜びはバイデンにとって何にも変えがたい享楽だ。 「更なる恐ろしさをくれてあげましょう」 闇の中から立ち上がる死神。 ユーキが、頭から黒布をかぶったまま、地面から身を起こした 己が命を闇に変え、神秘の器とした剣に宿して振りかざす。 夜だ。 戦士を矮小な一生命体にまで落とす闇だ。 「恐れおののいて、地面に突っ伏して震えていなさい」 月の光も飲み込む黒が、バイデンを更なる不運に叩き落す。 ウェスティアは、ちらりと優希の隠れる煙幕を見た。 (このままじゃ、追いつかれる。みんなと違う方向に全力で移動しなくちゃ……) 血気に逸ったバイデンを橋頭堡から遠ざける。 倒すのが目的じゃない。かく乱だ。 急に湧き上がる右の脇腹への灼熱感。 悲鳴を上げないように奥歯をかみ締めるのが精一杯だ。 ぼたぼたと、ウェスティアの赤い血が荒野に滴り落ちる。 装甲と一緒に肉をえぐられた。 恐怖にひゅうっと喉が鳴る。 『業務連絡です。皆さん。三つ数えたら、目を閉じてください」 聞き覚えのある、落ち着いた声がAFから漏れる。 「範囲からは外れますが、まぶしいですよ。はい、3、2、1』 何をする気か聞き返す間もなく、暗闇に閃光がほとばしる。 その閃光でも消えない暗黒のドームが一瞬浮かび上がる。 『静かなる鉄腕』鬼ヶ島 正道(BNE000681)の神秘の閃光弾だ。 色々心配りはしてくれるのだが、運用が割と大雑把だ。 「いや、お待たせして申し訳ない。あれこれ仕掛けておりましたら援護が遅れまして」 さらにAFから、くぐもった声が響く。 「すいませんが、回復よりは呪縛を優先しますので……」 『子煩悩パパ』高木・京一(BNE003179)は、感情を仮面の下に押さえ込んでいた。 かざした魔術杖からあふれ出る呪印がバイデンを縛って地面に転がす。 「大丈夫、まだいける」 えぐられた傷は痛むが、まだ致命傷という訳ではない。 ウェスティアとユーキは、移動を開始した。 更なる不運と不幸をバイデン達にばら撒く『災難の女神』になる為に。 ● 翔太と鷲祐の仕事は、混乱の種をまくことだ。 混乱したバイデンは仲間を斬りつけ、別のバイデンに切り捨てられる。 剣を振り回し、互いを傷つけあうバイデンに、青い肉食トカゲはささやく。 「伴え。反乱分子」 移動しながら斬りつけてくる青い奴に斬りつけられたものは皆狂う。 そんな鷲祐も無傷ではない。 鷲祐がいると思しき空間に弾幕のように石が投げ込まれるのだから。 バイデンが膂力に任せて投げてくるそれは、まともに当たれば肉をえぐり骨を砕く。 (近づいてくるなら、陣から引きずり出してソニックエッジといくところだがな) バイデンは、リベリスタ達に引きずられるようにして、いびつにカタチをゆがめていた。 鷲祐が行動範囲としていた部分は、鷲祐の標的にされることを恐れ、巨獣の側に引いていた。 そこからずれて、楔のように敵につっこんでいた翔太とアナスタシアはヒット&アウェイを繰り返しつつ、優希とウェスティアとユーキ、さらにやや離れたところに陣取る正道と京一との距離を密にしていったこともあり、それに釣られてバイデンは、勾玉形から水滴形へ陣の形を変えていた。 「さすがに、無傷とはいかないねぃ」 アナスタシアは、独特の呼吸法で体の傷をふさぐ。 翔太も満身創痍だ。 同じ技を何度も食らってくれるほどバイデンも甘くない。 パターンを読まれれば、自分達を囮にして煙幕から飛び出してきた翔太の軌跡を追って攻撃してくる。 離脱第一で戦っていなければ、すでに昏倒していてもおかしくなかった。 また、二人とも一度に捌ける人数は一人。 数を稼げる訳ではない。 互いの距離が近くなることによって、連携は密になる。 ただし、それはバイデンにとってもそこに攻撃を集中させればいいというだけのこと。 優希は獅子奮迅の雷神をも呼び込む戦闘舞踏。 ごく薄い鉄黒色の戦闘服を翻し、手足から放電させながら、バイデンの只中で踊る。 バイデン達はまるで雷の洗礼を浴びるのを望むかのように優希に殺到する。 優希が息切れせぬよう、露払いとばかりに正道がバイデンの体を突く。 どうすれば優希の眼前に急所をがら空きにしたバイデンを放り出せるか計算するのは、正道にはお手の物だ。 ウェスティアに向かって投げられる手斧を正道が代わりに受ける。 徐々に、京一の福音召喚詠唱の数が増えていく。 ● 鷲祐は危険な単独行動を買って出る傾向がある。 かつて単身でエリューション討伐をしていた頃の名残かもしれない。 案件を完全で自分で抱え込み、連携から漏れてしまうのだ。 鷲祐は、撤退タイミングを「仲間が一人倒れた時点」か「バイデンの陣が整ったら」とし、その判断を自分に任せて欲しいと言い、何を以て「バイデンの陣が整った」と判断するのかを仲間に告げていなかった。 皆と『仲間が四人倒れるまでは、戦場にとどまる』と定めたにも関わらず。 全員が互いの消耗に気を使い、バイデンを長時間引きずりまわすなら、戦闘不能者を極力抑えて、かく乱の目標は果たせただろう。 しかし、鷲祐が設定した撤収タイミングは「奇襲などが済んでより3T後」という あまりにも短い時間だった。 全員がなりふり構わず悪鬼羅刹のごとく自らの命を天秤にかけ、恩寵をすり潰したとしても、屈強な戦士であるバイデン相手に、それは楽観的すぎる判断だった。 十分な成果を果たさず、この地を離れれば、余力を十分残したバイデンがリベリスタを追撃してくる。 まして、他の仲間は鷲祐がそんなことを考えていることなど知らないのだ。 何より、中途半端な攻撃で制御不能となった巨獣が暴れだしたら、悠長にバイデンをかく乱している場合ではなくなる。 その可能性に気がつかなかった訳ではない。 しかし、巨獣を暴走させられることによって発生するメリットを前にして、デメリットについて、リベリスタ達は考えることを放棄していた。 鷲祐は、集中した上で巨獣に挑みかかろうとしていた。 しかし、バイデンも、動かず孤立した鷲祐を野放しにしておく訳がない。 鷲祐は、挑みかかってくるバイデンに、音速の刃を閃かせる。 傷を負い、身を痺れさせたバイデンが立ち尽くす。 だが、それも一人。 後から後から突貫してくるバイデンの回避するより他はない。 状況は、鷲祐を追い詰めていく。 彼は、彼の理想とする陣形を事前に仲間に告げていなかった。 だから、誰もが自分の務めを全うすることに没頭していた。 結果、事態は鷲祐の望むようには動かない。 この場の主導権は依然数に勝るバイデンにあり、空間を占有する巨獣にあった。 皆でするべき仕事を、彼は一人で抱えすぎていた。 誰もが、彼に委任しすぎていた。 AFに、「奴らの形を『乱させるな!』 団子にしてやれ」と、鷲祐から連絡が入る。 しかし、どうすればそうなるのか、それぞれに考える余裕はなかったし、相談することも出来ない。 口は詠唱する為にあり、意識は目の前のバイデンにおかなければ攻撃をよけることもままならない。 なぜそうする必要があるかも共有されていなかった。 鷲祐は、自ら孤立していた。 隔絶された存在になっていた。 ● 鷲祐は、バイデンにとって巨獣とは「騎獣」、乗るものなのだという概念に欠けていた。 巨獣は、巨獣のみで進軍している訳ではない。 周囲はもちろん、その背にも手綱を持ったバイデンがいるのだ。 これから橋頭堡に攻め入るのに必要な貴重な戦力だ。 一撃でしとめられる訳もなく、また黙ってそれを許すバイデンでもない。 闇の中から現われ、巨獣に踊りかかり瞬時に飛び退る神速の鷲祐の攻撃箇所に、バイデンが割り込む。 巨獣乗りの一人。 口元には、笑み。 目には覚悟の色が浮かんでいるのが、鷲祐には見て取れた。 鷲祐が切り裂けたのは、若いバイデン。 巨獣には、毛ほどの傷もつかなかった。 もう一人の騎手が巨獣を駆る。 リベリスタの狙いが巨獣と考え、急ぎ本隊と合流することにしたのだ。 複数の目が鷲祐の動きを追い、その着地予想地点にバイデンが殺到する。 いかに速度に優れていたとしても、通過する点を読まれて、制圧されれば動いていないも同然だ。 速度は強力な武器だ。 だが、万能ではない。 容赦ない追撃が、彼の肉体を蹂躙する。 バイデンの口が三日月のように吊り上がる。 喉が震えている。 笑っているのだ。 巨獣を狙おうという鷲祐を戦士と認め、それを倒す喜ぶを感じているのだ。 歓喜の斬撃、歓喜の殴打。 恩寵さえも消し飛ぶ。 沈んでいく。 バイデンの赤の中に。 鷲祐の青が沈んでいく。 ● 鷲祐に向けてバイデンが殺到するのを瞳に映したウェスティアの喉から、声にならない悲鳴が上がった。 このままいけば、鷲祐は死ぬ。 AFから聞こえるノイズと、戦闘音。 京一がAFから4WDを取り出す。 車をバイデンにつぶされないように、正道が車をかばった。 優希が駆け出した。 「回収できるか!?」 翔太がたずねる。 「わからん! 斬風脚で道を切り開く。走るぞ!」 アナスタシアは、奥歯を噛み締めた。 (全行動において、もし何かあった場合は自己責任) 覚悟はしていた。 もっとも近しい間柄であるからこそ、鷲祐をたすけてとは言えなかった。 「翔太君のが傷深いよ、先に逃げて。 殿はあたしが代わるよぅ」 それが約束だった。 「みんなばらばらに逃げるって言ってたじゃない。鷲祐のためにみんなが危険な目に遭ったらだめだよぅ」 優希は叫ぶ。 「アナスタシア! 俺は、翔太は死なせはしない」 翔太も当たり前だと返す。 「俺だって、優希を死なせるつもりはない」 「コンビは一方が欠けてはならんのだ!」 「必ず生きるぞ」 だから。 「「あんた達二人だって、そうだろう!?」」 人生を共に行くと決めたんだろう。 「俺自身の力を信じるためにも、勝利条件を目指すために全力を尽くす」 まだ、これが全力じゃねえ! そう言って、『やる気のない男』は走り出した。 アナスタシアは、彼女の最愛の人救出のためにバイデンを掻き分けていく二人組のために、せめて目くらましの照明弾を打ち上げた。 「あたしも、こいつら蹴散らすから。蹴散らすからぁ……!」 ユーキは、逃走を図る。 自分を追撃してくることで、救出が少しでも楽になるなら本望だ。 放たれる常闇がバイデンを飲み込む。 それをかいくぐってきたバイデンは、黒い霧に巻かれる。 そして折りたたまれる。 厚くて寒くて痺れて痛い黒い箱。 ユーキは走る。 闇は彼女であり、彼女が闇だった。 仲間のため、そうあろうとしていた。 運命よ、どうか。 私達が仲間を救い出すまで、しばし目をくらませていて下さい。 (死者を出したくないなんてのは、甘いって判ってる) ウェスティアは、願う。 詠唱呪文はいつにも増して早く正確に。 バイデンの陣の円周の反対側にいる鷲祐に、並みの方法では助けの手など届かない。 (でも仲間を見捨てる戦い方なんてアークで覚えた心算はない) みんなで生き残る。 (だから私は奇跡を願うよ) 彼の命の代わりに、彼女は自らの恩寵を「何か」に差し出す。 少女よ。 呼び起こすだけの真情を吐露せよ。 見合う代償を払え。 呼び寄せる運の強さを見せ付けよ。 「仲間を殺そうとする奴は――私が全部殺してやる……!」 共に戦場を駆けた戦友の命を救うため。 彼女が選んだ奇蹟は、殲滅。 ウェスティアが流した血が、荒野を沸き立たせる。 そして一気にはじけた。 奇蹟を見よ。 その真摯で純粋な殺意の具現を見よ。 荒れ狂う大蛇のごとく、黒い鎖がバイデンを蹂躙する。 黒鎖によるチェーンソー。 地面を目にも留まらぬ這いずる無数の黒鎖が、赤い肌の蛮族を赤黒い肉塊に変えていく。 見る間に血肉は荒野を赤い沼に返る。 それでも黒鎖はその上に浮かび上がり、殺戮は止まらない。 むせ返る血臭。 正気の情景ではない。 そこにバイデンの渇望する闘争はなかった。 リベリスタには一切危害を加えない。 それどころか、黒鎖は鷲祐を守るために彼を包み込む。 道は鷲祐目掛けて一直線に開かれた。 それでも、バイデンは戦士だった。 腕一本でも得物を振るう。 口が動けば、噛み付いてくる。 優希も翔太も無傷などではいられなかった。 それでも倒れることは、恩寵を使ってでも己に許さない。 ウェスティアが起こした奇蹟を無駄にしない。 何もかも、奇蹟におんぶに抱っこなんて真っ平だ。 いち早く到着した翔太は、下半身をすりつぶされても、鷲祐に攻撃をしようとしているバイデンの手指を切り裂いて、黒鎖ごと鷲祐を担ぎ上げる。 「受け取れ、優希!」 担いで移動する時間が惜しいと、鷲祐をより癒し手に近い優希目掛けて投げ飛ばす。 「心得た!」 生やされていた仮初の翼を酷使して、空中で鷲祐を回収した優希は駆けつける4WDの後部座席に鷲祐を寝かせた。 京一と正道が、鷲祐の傷を癒し、魔力を注入する。 「――生きてます。何とか生きてますよ」 二人の詠唱の邪魔にならないように、優希が回線開きっぱなしのAFに話しかける。 アナスタシアの頬を、音もなく涙が滴り落ちる。 「――かえろう」 ウェスティアが言った。 ひどく寒い。 今目の前で展開した地獄は彼女が望んだことだ。 ウェスティアが殺したのだ。 それでも、世界はウェスティアを拒んでいない。 世界は、まだ彼女を愛している。 荒野は、赤い。 黒鎖が消えた後。 残ったのは、真っ赤な死のぬかるみだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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