● あの時――私は、ただ死にたくない一心だった。 貧困にあえぎ、わずかな貯えも底をついて。 文字通り路頭に迷った私は、スラムの片隅で死を迎えようとしていた。 いつから食べ物を口にできていなかったのか、もう覚えていない。 水すらも、もう二日くらい飲んでいなかった気がする。 腐肉に群がる小さな獣や虫たちが、やけに煩かった。 私が死ぬのを、今か今かと待ち構えていたのだろう。 逆に捕まえて食べてやりたいくらいだったが、生憎、私に狩りの技術はなかった。 ちっぽけな獣や虫たちも殺せないほど、私は非力だったのだ。 薄れゆく意識の中で、私の指先が地面を掻いた。 実際は、ただ触れるくらいの力でしかなかったのだろうが―― それだけが、死に瀕した私の精一杯の抵抗だった。 ――死にたくない。 “あの方”が現れたのは、その直後だった。 神の使いとも悪魔の化身とも噂される、伝説の存在。 ――お前の願い、かなえてやろうよ。 “あの方”との契約は、重罪であると知っていた。 だが、あの時の私は、他に生き延びる術を持たなかったのだ。 ――大丈夫、お前は死なないよ。ずうっと、食べるに困ることもない。 そう言って微笑んだ“あの方”は、神の使いに思えた。あの時は。 “あの方”は、言葉を違えることなく、私の願いをかなえた。 私は命を取り留め、食べ物を得るのに苦労することもなくなった。 そして。私は世界から追放され、穴に捨てられた。 私の意思に関係なく周りの生き物を食い尽くす、死なない化け物になって――。 ● 「今回の任務はアザーバイドの撃破だ。 ディメンションホールは閉じているので、送還は考えず速やかに倒してくれ」 『どうしようもない男』奥地 数史(nBNE000224)は、ブリーフィングルームに集まったリベリスタ達にそう告げると、すぐに詳しい説明に移った。 「アザーバイドの名前は『ファルジェーン』。 元は人間の女性だったらしいが、下半身が芋虫のようになっていて、そこから無数の触手が生えている」 何の因果でこんなことになったか、詳しくは分からない。 あちらの世界で強い力を持った存在が、彼女に何らかの干渉を行ったことは推測できるが――と言って、数史は説明を続ける。 「触手は『ファルジェーン』とは別の自我を持っていて、彼女の意思とは無関係に生き物を襲って食う。 そして、食った生き物の数だけ、さらに強力に進化する、と」 幸いと言うべきか、『ファルジェーン』が現れたのは人のいない山中だ。 とはいえ、既に山に住んでいた獣などが食われているし、このまま放っておけばいずれ市街地に下りてくるだろう。そうなる前に、彼女を滅ぼさねばならない。 「『ファルジェーン』には強力な自己再生能力がある。 倒すには、とにかく攻撃の手を止めないことだ。長く間を空けると、たちまち全回復されてキリがなくなる」 もちろん、まったく回復を交えずに倒せるほど易しい相手ではない。 状態異常で動きを封じられたり、戦闘不能に陥って攻撃の手が足りなくなっては本末転倒なので、そこはバランスを考えて作戦を組む必要があるだろう。 敵は一体だけとはいえ、この人数のリベリスタと互角以上に戦える力を持つ。 くれぐれも油断しないでくれ、と念を押した後、数史は声を落とした。 「……今の彼女は、生き物を無差別に食い尽くす自分を嘆き、死を望んでいる。 皆の手で、どうか幕を引いてやってほしい……頼まれて、くれるか」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:宮橋輝 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年07月18日(水)22:31 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 足音が聞こえる。獣ではなく、人間だ。 何人だろう。随分と多い。ざわりと、触手たちが一斉に蠢く。 ファルジェーンは堪らず、大声で叫んだ。 「いけない、逃げて――!」 だが、既に遅い。『ハッピーエンド』鴉魔・終(BNE002283)が、神速をもって彼女との距離を瞬く間に詰める。 終は自らを集中領域に導くと、ファルジェーンに笑いかけた。 「こんにちは☆ おねーさんの苦しみを終わらせに来たよ☆」 思いがけぬ言葉に驚き、ファルジェーンが目を見開く。 色の白い、痩せた女の体。その腰から下は、触手に覆われた巨大な芋虫に変じていた。 彼女を元の体に戻すことはできないが、この悲劇に幕を引くことはできる。 リベリスタ達は、そのために来たのだ。 終の後に続いた『影なる刃』黒部 幸成(BNE002032)の足元から、意思を持つ変幻自在の影が伸びる。その後方で『大食淑女』ニニギア・ドオレ(BNE001291)を守るように立った『おとなこども』石動 麻衣(BNE003692)が周囲の魔力を取り込み始めると同時に、『バトルアジテーター』朱鴉・詩人(BNE003814)が防御の効率動作を共有して全員の守りを固めた。 「ああ、駄目……っ」 ファルジェーンが切なげに喘ぎ、僅かに身をよじる。直後、無数の触手がリベリスタ達を襲った。鋭い触手が長く伸びて肌を貫き、大口を開けた触手が前衛たちに喰らいつく。首筋を狙って飛来した触手を、『閃拳』義桜 葛葉(BNE003637)は鉤爪で弾いた。 「成程、相手をするは厄介そうだ。だが……」 臆することなく、固く拳を握ってファルジェーンに駆ける。 「……それだけだ。義桜葛葉、推して参る!」 白と青を基調としたコートの裾をはためかせ、彼は敵の前に立った。 「お願い、逃げて……」 触手で傷を負った前衛たちを見て、ファルジェーンがすすり泣く。ニニギアは自らの力を高めながら、人としての生を捻じ曲げられてしまった彼女の表情をじっと見つめた。 ニニギアと共に回復の一翼を担う『花縡の導鴉』宇賀神・遥紀(BNE003750)の盾となり、脳の伝達速度を向上させた『名無し』氏名 姓(BNE002967)の胸に、一つの確信が生まれる。 怪物となった身を嘆き、己の死を願う――それ以上に。 ファルジェーンは、誰も殺したくないのだと。 (――力持つ存在による干渉、ですか。 どこの世界にもあるのですね、そう言う理不尽が。嫌だ嫌だ) 動体視力を大幅に強化した『ミックス』ユウ・バスタード(BNE003137)の瞳が、半人半妖のアザーバイドを映す。人間の女に巨大な芋虫、そして触手。その姿は、美しく秩序立ったものを『混ぜる』ことが好きなユウをして、「悪趣味」と言わしめる醜悪さを秘めていた。 「君には、そんなキモイのは似合わねえよ」 前に出た『合縁奇縁』結城 竜一(BNE000210)が、強い口調でファルジェーンに語りかける。 顔を上げた彼女に、彼は両手の二刀を構えてみせた。 「全部、この俺が切り取ってやる。君がこの世界で人を殺す前に。 君が、人で無くなる前に。君が、死を嘆く美しい心を無くす前に!」 だから――君も、あがいてくれ。もう一度。 「君の抵抗が! 人を! 俺たちを、救うんだ!」 ● まずは力を高め、体勢を整えた後に一斉攻撃を仕掛ける――それが、リベリスタ達の作戦だった。 強力な自己再生能力を有するファルジェーンに対して散発的な攻撃は効果が薄いし、彼女をいたずらに苦しめるのは避けたい。 皆が集中を高めていく中、戦場全体に視野を広げた詩人がファルジェーンを一瞥して口を開く。 「何処の世界でも、似たような事を考える輩はいるもんですにゃー」 研究者として興味深くはあるが、まずはあの芋虫部分を黙らせなければなるまい。 ファルジェーンの全身から生み出された幻の霧が、彼女の周囲を覆い尽くす。 白い霧に隠れて、触手たちがリベリスタ達を絡め取ろうと動いた。 熱源の動きでそれを察知した幸成が、自らの影を囮に攻撃をかわす。 「逐一相手にしていてはキリが御座らん」 ここで触手の数本を切り払ったところで、すぐに再生されてしまうだろう。 今は、攻撃に備えて自らの集中を高めるのみ。 体内の魔力を循環させる遥紀が、拘束された仲間を聖神の息吹で解き放つ。彼の心中には、ファルジェーンをこのような姿にした“何者か”に対する、強い怒りが満ちていた。 「……外道が」 死に瀕した者の「生きたい」という願いに付け込み、悪意に歪めた形でそれを叶えて。 今はどこかで、悲嘆に暮れる彼女を嘲笑っているのか――。 葛葉もまた、元凶たる“何者か”の存在を思う。 (いずれ、この拳を向ける事になる相手かもしれん) だが、今はファルジェーンを助けるのが先だ。それが、死という名の救いでしかなくとも。 破壊の気を込めた拳が、触手の隙間を縫って巨大な芋虫を打つ。 あらゆる装甲を穿つ一撃が、ファルジェーンの巨体を内側から大きく揺るがせた。 すかさず、終がナイフの刃を閃かせる。音速で繰り出される淀みなき連続攻撃が、二度に渡って芋虫を深く抉った。 「回復の暇など、与えてやるつもりは御座らんよ」 のたうつ触手の群れを眺めやり、幸成がその中心にオーラの爆弾を埋め込む。使い手をも巻き込んで炸裂した爆風と衝撃が、芋虫の胴に大きな穴を穿った。 激しい苦痛に晒され、ファルジェーンが眉を寄せる。彼女はそれでも触手たちを抑え込もうと抵抗を試みたが、既に己の意思から離れた異形の肉体を御することはできなかった。 ぱっくりと口を開いた触手が前衛たちに牙を立て、次々に生命力を啜る。 負ったばかりの傷が早くも癒えていく様を目の当たりにして、麻衣が呟いた。 「改めて、色々と厄介な能力を持つ敵ですね」 二十メートルも伸びる尖った触手を間一髪でかわし、展開した魔方陣から魔力の矢を放つ。 普段は癒し手を担うことの多い麻衣だが、今回は可能な限り攻撃に専念するつもりでいた。 「キャッハッ、男の触手プレイなんぞ誰も望んじゃいねぇよ、ばぁか」 射程外に逃れていたため攻撃を逃れた詩人が、手前で引き返していく触手を見てせせら笑う。 彼は見るからに年季の入った解剖用メスを取り出すと、遥か前方のファルジェーン目掛けてそれを投擲した。魔弾と化した刃が、触手を切り裂いて芋虫の体表に突き立つ。 「せめて痛みが一瞬で終わるように、全力を出し切って行きますよ」 改造小銃“Missionary&Doggy”を構えたユウが、銃口を天に向けて引金を絞った。 射出された無数の火矢が、前も後ろも関係なくファルジェーンに降り注ぐ。炎の赤が、土砕掌を繰り出す葛葉の横顔を照らした。 一度攻撃を始めたからには、ファルジェーンを滅ぼすまで手を緩めるわけにはいかない。 彼女の心臓を狙い、姓が煌くオーラの糸を撃つ。 左胸を貫かれたファルジェーンがくぅ、と呻いたのを見て、竜一が苦い表情を浮かべた。 全身の闘気を爆発させ、裂帛の気合とともに二刀を振るう。破滅を秘めた一撃が、芋虫の巨体を大きく削った。 厳然たる意志の光で戦場を包む遥紀に続いて、ニニギアが魔力の矢を放つ。 無数の触手が蠢く、巨大な芋虫の体。正直言って怖い。恐ろしい。 でも、目を逸らすわけにはいかなかった。 人を殺めることを何よりも恐れる、ファルジェーンの表情を見てしまったから。 (できるだけ早く、恐怖を長引かせず、幕引きを――) ニニギアを衝き動かすのは、ただ一つの思い。 終が、音速の刃で触手を切り払い、芋虫の胴に刃を立てる。その傷口から白い霧が滲み、一帯を覆った。リベリスタ達の手足に触手が絡みつき、動きを封じていく。 それを見た詩人が、まだ霧が残る前方へと足を踏み出した。射程外に立ったままでは、前衛たちに支援が届かない。 「私は後ろでこそこそやってるのが性に合うのよ。前は頼むぜ先輩方」 邪を退ける光が霧を払い、動きを縛る触手を粉々に砕いた。 麻衣が放つ魔力の矢がファルジェーンを貫き、ユウの火矢が触手たちを焼き切る。 獲物を求めるようにのたうち、歯を鳴らす触手に向けて、姓がオーラの糸を繰り出した。 触手の顎を気糸で縫い止めつつ、ファルジェーンに問う。 「君をその姿に変えたのはどんな奴だった?」 ブルーグレイの大きな瞳が、姓をじっと見つめた。 「教えてくれ。君と同じ被害者は、もう出したくない」 真摯な声に促され、ファルジェーンは重々しく口を開いた。 「“あの方”は……とても美しい方。そして、誰よりも恐ろしい――」 ● 攻撃を優先する以上、どうしてもダメージは蓄積していく。 戦場を見渡し、全員の状態を把握した遥紀が、聖神の息吹で仲間達の傷を塞いだ。 リベリスタ達の絶え間ない攻撃に晒され、苦痛に呻くファルジェーンの姿を見て、彼は思わず視線を伏せる。彼女の痛みを和らげてやりたくても、それは叶わぬ願いだった。 (望まぬ歪みを強いられる人を……神聖術で癒す事も出来ないんだ、ね) 無意識に拳を握り締める遥紀の傍らで、ニニギアが魔方陣を展開する。皆の傷は完全に癒えたわけではないが、戦いに支障が出るほど酷くもない。我慢を強いるのは申し訳ないが、攻撃を続け、早く決着をつけることが、結果として仲間達を守ることに繋がる。 放たれた魔力の矢が、芋虫の体を貫いた。 蠢く触手が、まるで抗うように激しくうねる。幸成は触手の束を無造作に掴むと、素早く懐に潜り込んで死の爆弾を埋めた。 化け物に成り果ててまで生きたいと思わぬのは、人として当然のこと。 ならば、その願いを叶えてやるまで。 「せめて――人としての心を持ったまま、逝くがよう御座る」 爆風が、掴んだ触手の束を根元から吹き飛ばした。 再生が追いつかないことに危機を感じたのか、触手たちが一斉に口を開く。 ファルジェーンが、咄嗟に自分の腕を伸ばした。 「駄目……っ!!」 絡み付いた二本の触手が、華奢な白い腕を噛み砕く。 鮮血が飛沫を上げるとともに、残りの触手が前衛たちを襲った。 「……ごめん、なざい……っ」 激痛に顔を歪めながら、ファルジェーンが咽び泣く。 片腕を代償に差し出しても、たった二本の触手を止めることしかできなかった。 「大丈夫、大丈夫☆ このくらいへっちゃら☆」 だって男の子だもん――と、終がおどけてみせる。 その心が、少しでも痛まぬように。彼女の前で、苦しい顔は見せないと誓った。 ファルジェーンのささやかな抵抗を見届け、竜一が二刀を閃かせる。 執拗に喰らいつく触手を切り払うと、彼は腹の底から吼えた。 「これ以上、彼女を苦しめないためにも……俺は、倒れるわけにはいかねえんだよ!」 前衛たちの傷は浅くはないが、敵もまた確実に弱ってきている。 「回復はお任せします」 麻衣は後方の遥紀とニニギアにそう告げると、魔方陣を展開して魔力の矢を放った。 ここで攻撃を途切れさせては、敵に体勢を立て直す時間を与えることになる。それでは意味がない。 「なんつーかねー。後ろでアジテートしたいのに攻撃しなきゃならんのがめんどくせぇというか」 解剖用メスを構えた詩人が、素早く狙いを定めながら不満の声を上げる。 「やる事がわっかりやすいのはいいけどなぁ!」 投じられたメスが、魔弾となってファルジェーンを貫いた。 苦悶の表情を浮かべる彼女に、葛葉が拳を繰り出す。 それが、悲劇に幕を下ろすただ一つの方法であるなら――己は、無心で戦う鬼となるまで。 「我が全力を受けよ! この拳、何者にも止める事は出来ぬ!」 たゆまぬ鍛錬によって磨き上げられた拳がファルジェーンを捉え、体内に打ち込んだ破壊の気で全身を揺らす。彼女の口元から赤い血が溢れ、白い顎を汚した。 遥紀とともに仲間の傷を癒すニニギアが、悲痛な思いでファルジェーンを見る。 (……今の状況だってすごく辛いだろうけど、死ぬのだって本当は怖いし嫌だよね) 倒すより他に、方法は無いのだと分かってはいても。 こうなってしまう前に、彼女を救えなかったことが悔しい。 己の吐いた血に咳きこむファルジェーンを振り回すようにして、芋虫が大きく身をよじる。 形勢の不利を悟って逃げようにも、四人の前衛に張り付かれては後退もままならない。 何とかして退路を開かんと、触手を伸ばしてリベリスタ達を手当たり次第に貫く。 その中の一本が、姓の胸部を直撃した。 ファルジェーンの表情が凍りつく。言葉を失った彼女の耳に、くぐもった姓の声が届いた。 「……君が生きようと足掻いた事、私は責めないよ。 死を畏れ、抗い、生を繋ぐ……生き物って、そういうものなんだから」 自らの運命をもって全身を支え、姓はファルジェーンを真っ直ぐに見る。 「だからさ。自分の事、責めなくていいよ。 これ以上の後悔は、私達がさせない。君に殺しはさせない……」 ファルジェーンの瞳から、大粒の涙が零れた。 聖神の息吹を仲間達に届ける遥紀が、そっと口を開く。 「貴女がどんな世界に生きたのか、どんな人生を歩んで来たのか。それを、知りたいと思う」 考えようによっては、残酷な問いであるかもしれない。 けれど――この異界で誰にも知られずに逝くのは、あまりに淋しすぎるから。 「……裕福な人と、貧しい人に分かれていた世界」 宙に視線を彷徨わせながら、ファルジェーンが答える。 「私は後者で……飢えて倒れた時も、誰も見向きもしなかった。 目を見て話してくれたのは、あなた達と“あの方”だけ――」 彼女の言葉からは、“あの方”に対する憎しみは感じられなかった。 そこに、ユウが改造小銃を構える。考えるのは、後だ。 「銃から矢を射るのってどうかなーっていつも思ってましたけど、 今回に限っては良いかもしれませんね」 何もかも、全てを燃やし尽くしてあげられるから――。 炎の矢が降り注ぐ中、二刀を構えた竜一が己の闘気を高める。 「死にたくない。そんな事は当然だ」 差し伸べられた手を取り、必死に生きようとした彼女は間違っていない。 「――生きる事が、間違いであってたまるものか!」 竜一の叫びとともに、“生死を分かつ一撃”がファルジェーンを穿つ。 素早く手首を返し、もう一度。 「悪いのは、その、神だか悪魔だかだろうが! 命をもてあそぶような真似が、俺は大嫌いなんだ!」 許せるものか。“あの方”とやらも、彼女を討つしかない自分自身も――! 咆哮が地を揺るがした瞬間、蠢く触手もろとも、巨大な芋虫が爆ぜた。 ● 腰から下を吹き飛ばされ、ファルジェーンが地に崩れ落ちる。 背の翼を羽ばたかせたニニギアが、彼女の白い体を受け止めた。恐怖と孤独が僅かでも和らぐように、両腕で抱いてやる。 駆け寄った終が、ファルジェーンに和菓子を差し出した。 彼女は死にゆく自分に食べ物は不要と断ったが、手作りと聞いて一つだけを口にする。 「どう? 美味しい……?」 終の問いに、ファルジェーンは目を細めて頷いた。 彼女が飢えて死に瀕していた時、誰かがこうしていれば――この悲劇はなかっただろうか。 「どう葬ればいいですか。最期にそれだけは聞かせてもらいます」 詩人が、表情を引き締めてファルジェーンに問う。それは、彼なりのせめてもの慈悲だった。 偽善で結構。所詮、真なる善など、この世に存在しない。 「私を、人として扱ってくれるのね……ありがとう。 でも……たぶん、必要ない……」 哀しげに微笑った彼女の体がうっすらと光り、少しずつ崩壊を始める。 亡骸すらも、残らないというのか。 遥紀が、片方だけ残ったファルジェーンの手を取った。 「貴女は紛れも無く人間だ。命を喰らう事、望まぬ体を拒む意志を持った」 竜一が、大きく頷く。 彼女は片腕を差し出し、自らの運命に抵抗した。それで充分。 「ありがとう、ファルジェーン」 微笑みを残して、ファルジェーンがゆっくり目を閉じる。 遥紀は強く、彼女の手を握った。たとえ無様でも、最後まで笑顔で見送る。 覚えているから。貴女の名前を、声を、その痛みを、その記憶を。 全て此処に置いて、無窮の天上へ――。 ユウが、そっと彼女に囁いた。 「……悪い夢だったんです。その痛みも恐怖も、ぜんぶ」 だから、おやすみなさい。 ゴッドスピード――貴女の旅路が、今度こそ安らかなるものでありますように。 ファルジェーンの体が光となり、霧散して消える。 触手の残骸も、同様に塵すら残らなかった。 研究材料として持ち帰りたかったが、これではどうしようもない。詩人が、軽く舌打ちする。 リベリスタ達は相談の末、簡単な墓を作ることにした。 空の墓でも、何も無いよりはマシだろう。 せめて人として弔いたいというのが、皆の共通した意見だった。 「しかし、人間をこのような化け物に変質させるとは、一体如何なる技なのか……」 幸成の言葉に、姓が考えこむ。 他者に介入する異界の力、そして芋虫の体――。 どうしても、以前の報告書で目にした別のアザーバイドを連想せずにはいられない。 忌まわしき心臓喰らい、『ハートイーター』を。 「伝説とされるほどの存在が関わっているようでは御座るが、 今後も気を抜けぬやもしれぬな……」 息を吐く幸成に、麻衣が頷きを返す。 何者であれ、追い詰められた人間を掌の上で弄ぶような輩がいるのは間違いない。 葛葉は、無意識に己の拳を握り込んだ。 (相対した時は……覚悟をして貰おう) |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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