●ブルースカイ 自動ドアが小さな音を立てて開く。 必要もないセキュリティはその部屋を堅く、堅く守っていた。誰一人の侵入者もない、よしんば侵入したとしても意味は無い――そんな部屋。 天を突き、眼窩を威圧するように見下ろす摩天楼の最上階にはたった一人の男が居た。 「黒覇様」 呼びかけに面を上げた男は、一つ嘆息してサインを走らせていた書類から目を切ると、細い銀縁の眼鏡の奥に光る抜き身の刃のような視線を現れた部下の顔に向けた。 彼の名は逆凪黒覇。概ね改めての説明が必要ない程度には『売れた』名前の持ち主である。 埃一つ無く、皺一つも無いスーツと整髪料で一分の乱れもなく撫で付けられた黒い髪からは些か神経質な印象が否めないが、端正な顔立ちと冷静で知的な雰囲気、人の上に立つ者特有の一種のカリスマ性は見る者が見れば一目で分かる本物と断じる事が出来るだろう。 「私の時間は貴重で限りある。いい報告を聞けるのだろうな、崎田」 掛けていた眼鏡を黒檀の机の上に置き、黒覇は黒服の部下――崎田の瞳を覗き込んだ。有無を言わせぬ調子の声は素晴らしく通る美声である。威圧的ではあるが穏やかなそのものといった口調で投げかけられた言葉に体格良く、此方は『堅気の人間には見えない』崎田は内心寒くなる思いであった。 黒覇は滅多な事では冷静さを崩さない。彼は上等な身なりに身を包んだ若手実業家の風情であるが、それは正解であると共に限りない不正解でもある。彼は確かに『会社』を運営している。彼が代表取締役会長を務める『逆凪カンパニー』は赫々たる利益を挙げ成長を遂げている優良企業である。『逆凪カンパニー』は多数の関連企業から成る連合体だが、『会長・逆凪黒覇』等、真実彼を語る上では然して重要では無い一側面に過ぎないのだ。 彼は――日本に於ける『秘されたイリーガル』の全てに顔を出すとも言われる『逆凪派』の総帥はこの国の神秘裏社会を七つに分かつ『主流七派(トラスト)』の内でも最大の実力と発言力を持つ、この国の事実上の王だった――否、少なくとも自身等はそう確信していると言った方が正しいが。 「良い報告と言えるかどうかは……御采配によると思われますが」 「前置きはいい。続けたまえ」 「は。黒覇様が御指示されていた『例の件』に続報が……」 崎田は仕事の中断を余儀なくされた黒覇の様子に細心の注意を払いながら報告を述べる。彼の主人は酷い気まぐれでは無かった。理不尽な怒りをぶつける方でもない。しかし彼は――必ずと言っていい程に――黒覇の前に立たされる度に最高級のプレッシャーを受け取る事を禁じ得ないのだ。 つまる所、逆凪黒覇は『彼が理性的かつ理知的である程度出来た上司である事を確信している相手にすら本能的な恐怖を与えてしまう』程の別格なのである。直属の部下として彼に仕える崎田とてひとかどのフィクサードなのだが、それも桁違いの前には関係の無い現実であった。 「……逆凪のフォーチュナ戦力を注ぎ込んだ甲斐があり『彼』の動向が掴めました」 「ほう」 「『彼』はとあるアーティファクトを欲している模様。 『それ』の情報を何処から掴んだのかは不明ですが――」 「結構。『彼』ならばその程度の芸当も不思議では無い」 黒覇は不明瞭な崎田の報告に却って楽しそうな声を上げた。 「……は。しかし、この話には先がありまして」 「先?」 「例のアークも『彼』とアーティファクトの情報を掴んでいる模様です。 それから……裏野部の連中もこの件には『仕掛けて』来る見込みとなっております」 「成る程、では対決になるな。まぁ『彼』の事だ。裏野部の溝鼠等何人居ようと問題にはすまいが――アークは少し気にかかる。戦力も、……それ以外の面も含めてね。私は戦略的な不確定要素を余り好かない」 崎田は主人の言わんとする所を明敏に察して頷いた。一礼した彼はそれ以上の何かを言わず、踵を返して会長室を辞す。 黒覇は男女を問わず『使える』人間を非常に好む。部下の行き届いた有能さに目を細めた彼は革張りの椅子を僅かに軋ませ、鼻を鳴らした。 「さて、私は……だから君を諦めきれないのだ。友人よ」 脳裏に浮かんだ『彼』に呼びかけるように黒覇は一言、呟いた。 ●蛇の頭は蛇が喰らう 「そーゆー訳で最高にハッピーなお仕事の時間ですじゃん!」 全く挙動の定まらぬミス・アンハッピー、壊れたスピーカーのような『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア(nBNE001000)が今日も今日とて頭の茹りそうなテンションでモノを言う。 「どんな嫌な話を持ってきた。不幸の宅配便め」 慣れたリベリスタはいちいち構えば付け上がる彼女をどう扱うべきか知っていた。「すんすん」と小さな声で泣き真似を見せた魔女は最初から何も無かったかのように一瞬後には『今日の本題』を切り出すのだ。 「或るアーティファクトを持つフィクサードの組織が別のフィクサードに襲われます。フィクサード同士の抗争はどーでもいいんでしょうが問題はこのアーティファクトが強力な力を持っている点です」 アシュレイの説明にリベリスタは一つ頷いた。アーティファクトの魔力は時に甚大で、それが危険なフィクサードに渡った場合、半端なフィクサード等より余程大きな問題になる事はままある。 「どんな代物だ?」 「『贖罪の鎖』。悔恨し、懺悔する事がある人間に作用する拷問具です。 装着した人間に罪の意識がある程に鎖は使用者を苦しめます。場合によっては地獄の激痛を与え、いっそ死にたくなるような苦しみを与えるでしょう。しかしですね、この鎖は同時に『それに耐え得るだけの力』も同時に与えるのですよ。何せ拷問具ですから簡単に狂い死にさせたら意味が無い。 この件には時同じく裏野部の皆様が動き出してるみたいですね。又、これにカウンターしてか逆凪の出兵も観測されています」 「……裏野部に逆凪……」 国内フィクサード主流七派に名を連ねる二大組織はアークの宿敵でもある。しかしリベリスタが引っ掛かったのはその点では無い。 「今、お前」 「はい?」 「『裏野部と逆凪の前にあるフィクサードを持ち出した』な?」 鋭敏なるリベリスタはアシュレイが序列を間違える人間では無い事を知っていた。そして彼女がとびきり意地悪く情報をわざと伏せてから出す人間である事もその付き合いから嫌と言う程知っている。 「……うーん、鋭いですね。流石……と言わざるを得ません」 苦笑交じりのアシュレイにリベリスタは同じ表情で応えた。 「はい。その通り。仰らんとする通りです。 どーでもいい弱小組織の皆様は置いといて。今回の話は三つ巴。四つ巴じゃないんですね。『或るフィクサード』、裏野部、逆凪、アーク。数は四つに見えますが、厳密には違う。何故なら、逆凪の部隊はこの『或るフィクサード』を援護する為に出される部隊なのですよ!」 猛烈に嫌な予感がリベリスタの背筋を舐め上げた。 主流七派でもその頂点に位置する逆凪。彼等に『そんな事』をさせる『個人のフィクサード』等、そう存在するものでは無い。逆凪の友。失踪した影。リベリスタの純粋敵。それは…… 「まぁ、皆様も知っている名前です。私なら絶対に御免な相手ですね!」 気付けばアシュレイはとびきりの笑顔を浮かべていた。 「パスクァーレ・アルベルジェッティ」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年07月15日(日)00:22 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●一節 人生とは己が為の墓穴を掘り続ける事に違いない。 ふと気付いた時、深く掘ったその穴の底から見上げれば外に出る手段等無いのだから。 ――――『黒い太陽』ウィルモフ・ペリーシュ ●嵐の前の…… 此の世には決して知ってはいけない闇がある。 どれだけ人類が進歩しようともこの世界を――地球を我が物顔で闊歩しようとも。人々の中で『夜』が持つ価値が普遍的なものでなくなったとしてもである。人間は生来暗闇を恐れるものだ。輝く光に舗装された道を歩みたがる生き物なのだ。暗闇は深い。常に根深い。どれ程に光が溢れる世界にも――否、光が満ちる世界だからこそ。そこに一片残る影は、闇は。その存在を一際際立たせるのだろう。 闇は光の隙を縫い、するりと運命に滑り込む。それは時に不幸で、時に破滅でさえもある。 ――されど、果たして。人間は唯それに翻弄されるばかりの生き物では無い。 光と闇の狭間に身を置き、人が畏れ――多くの人が預かり知らぬ世界の歪と戦い続ける者達が居る。 この世界の裏側から光ある場所を侵食せんと差し込む影に抗う者達が居る。 在ってはならぬ『神秘』を。常識の外の住人を、事象を密やかに排除し続ける者達が居る。 彼等こそ、リベリスタ―― 「全く、いちいち人遣いが荒いと言うものよ――」 『誰が』とは言わず呆れたような『陰陽狂』宵咲 瑠琵(BNE000129)はじめ、その数は十人。 何れも歴戦を勝ち抜き、時に敗れ傷付き。この不出来な世界の理不尽なる要求にノーを突きつけてきた者達である。 「――ふ。だが望む所だ。そうだろう?」 「興味が無い訳では無かったから、の」 工事途中で半ば打ち捨てられた状態の不完全なマンションを遠目に軽口を叩いた『神速』司馬 鷲祐(BNE000288)に瑠琵は少し曖昧な返事を返した。 「俺はこの時を望んでいたぞ。まさに、焦がれる程に。この場所に今立つ事が出来る己に感謝したくなる程に」 鷲祐のメンタリティに敗退も後退も無いのは何時もの事と言えばそれまでだが、そんな彼の言葉には『何時も以上の』熱が篭っていた。 彼等が今日ここに在るのは『救いの箱舟』が一つの任務をもたらしたからである。国内主流七派と呼ばれるリベリスタ達の仇敵――フィクサードが危険な力を求めてアーティファクトを争奪する運命をこの程、神の目(カレイド・システム)が感知したのだ。『逆凪』と『裏野部』の争いには更に一部のリベリスタ達にとっては因縁深いある名前も関わってくると言う。 「そうだな。一年経ったか。彼と戦場で顔を会わせるのはこれで二度目。思う所が無い訳では無い」 凛々しいその面立ちを一層引き締めて『誰が為の力』新城・拓真(BNE000644)が言う。 「……しかし、小さな迷いすら許されない相手なんだろうな。戦場に立った以上、元よりその心算も無いが――」 「正直、俺は我螺苦咤等に興味は無い。俺の為すべきは、俺の目は唯一点を向いている」 「奇遇ですよね」 即ちその名前こそが拓真に言い知れぬプレッシャーを感じさせ、鷲祐を大いに滾らせ、体温の低そうな瞳で相槌を打つ『デストロイド・メイド』モニカ・アウステルハム・大御堂(BNE001150)をここに呼び寄せた理由であった。 天下の『逆凪』や『裏野部』を差し置いて、リベリスタ達にこれだけの警戒をさせる『個人』等決して多くは無い。 (……貴方も、何処からか同じ世界を見ていますか?) メイド服を着込んだ少女の片目の――片目の代わりのスコープが無機質にやがて戦場となる一枚の風景を映していた。 パスクァーレ・アルベルジェッティ。イタリア出身。年齢四十六。男性。職業神父。元・リベリスタ。 かつてエリューションと化した最愛の娘を討ち果たす事が出来なかった者。リベリスタより踏み外した者。 そして、今はそのリベリスタを何よりも憎む『ほぼ』博愛主義者である。 「我ながら場違いな気もしますが、たまには良いのかも知れません。これも『運命』の思し召しという事で」 「頼りにしている」 少女のような小柄な体躯で取り回すには余りにも禍々しい九七式自動砲を軽々と持ち上げたモニカに鷲祐が言葉を添えた。 彼は彼女と馬が合う。仲が良い。「どうも」と程々に気の無い返事を返した彼女が人形さえ思わせるような見た目よりは随分と人間性豊かな事を知っているし、『メイド』を自認する彼女が独特の拘りで『表舞台』や『目立つ事』を嫌う事も知っている。 されど――かの神父をより深く道より逸脱させ、怪物に育ててしまったのは拓真であり、鷲祐であり、このモニカでもあるのだった。 「……」 軽く撫でた九十七式の銃身が火を噴いたその先に失われた神父の左腕がある。 悪気も、悼む心算も、ましてや戦闘の結果に同情等する筈も無いがそれはそれとして状況を『加速』させた結果は結果である。 やはり見た目よりは随分と『直感的』であるモニカは深い愛憎を表裏一体、鏡のように併せ持つ彼への興味を隠していない。 「周りが敵だらけ、程度なら経験はあるが、それぞれが強力すぎる相手ばかりとはな……」 「神父もだが……個人的に興味深いのは黒服か。その技の冴え、是非見せて貰いたい所だ」 差し迫る『その時間』を脳裏に描き、『燻る灰』御津代 鉅(BNE001657)は小さく嘆息し、一方で『ピンポイント』廬原 碧衣(BNE002820)は何処か楽しげに呟いた。 各々の感じるものと感想はバラバラながら、リベリスタが神秘に在りながら神秘に逸脱仕切れなかった存在である事は同じである。 呪いをある種、体良く言ったかのような『運命の寵愛』を抱く彼等は今日も今日とて約束された波乱に身を置く事を強いられた。否、敢えてそれを望み新たに生まれ得る不幸を防ぐ事を望んだ彼等はそれを疎んではいない。厳密に言うならば『強いられている』という表現は彼等の精神に根ざすものでは無い。 「こうなってしまった以上はな。今更どうにもなるまい」 「……仕方ない、足掻いてみるか。ここを怯えて、さらに強力になられるのは厳しいし、な」 碧衣の言葉に苦笑交じりの鉅が応えた。 アーティファクトを巡る三つ巴はアークと裏野部、そしてパスクァーレと逆凪の(パスクァーレ自身はそう認識していないかも知れないが)連合軍という混迷の様相を呈している。良くもこれだけ集まるという――それは『引き合う運命の強制力』である。運命の寵愛を持つリベリスタ達は奇妙な程に神秘に触れる事が多い。上位世界からの影響力たる神秘がこのボトム・チャンネルを侵すウィルスだとするならば、彼等は抗体としての役割を期待される存在なのだろう。元々は毒でありながら、母体を生かす為に使われる『ワクチン』は擦り切れるまで寵愛という名の呪いを背負うのだ。尤もその主義信条は別にして今日相手にするフィクサード『自体は』リベリスタと何ら変わらず世界の市民権を持つ存在には違いあるまいが。 「作戦は打ち合わせの通りに。確実にシビアな展開にはなるでしょうが」 ユーキ・R・ブランド(BNE003416)の端正な顔に緊張の色が浮かぶ。 190センチにも及ぶ長身の彼女はアップで纏めたロングポニーを少し煩そうに指で払った。 生温い風が吹いている。七月の爽やかさとも、真夏の酷薄な熱さとも違う風が。彼女にある種の『予感』を運んでくるのだ。 「一つの油断が命取りに。危険な作戦になりますが、やってやれない事は無い」 「――何れにせよ、簡単な話にはならないでしょうね……」 ユーキの言葉に頷く『騎士の末裔』ユーディス・エーレンフェルト(BNE003247)の青い瞳に憐憫にも共感にも似た感情の炎が揺らめいた。 (例えばもし、私が深い絶望を目の当たりにしたとして。その淵に突き落とされたとして。 想いを共有出来る人も無く、支え見守ってくれる人も無ければ? 狂おしいまでにその怒りを燃やし続けなければならなかったなら? 親と子と、私の場合は彼とは逆の立場ですが……或いは、彼は私のもう一つの――) 可能性。 無数に枝分かれする運命の分岐点はその訪れを多くの場合誰にも悟らせない。 『今の』彼女は逸脱をしないまでも……と考えたが『そうなった時』の自分がどんな選択を選ぶかを彼女とて言い切る事は出来ない。 現実問題として多くのリベリスタの中でも穏やかで人格者であった『であろう』パスクァーレ・アルベルジェッティはその姿を、魂を別のモノへと変えてしまった。運命を得られなかったアリーチェ・アルベルジェッティを殺したリベリスタに――少なくともリベリスタの在り様を考えた時の――罪は無い。無論、最愛の娘を守らんとリベリスタをかなぐり捨てた父親(パスクァーレ)を断罪する事も不可能だろう。誰かが悪いと云う訳ではなく、強いて言うならば彼が生涯を賭けて愛した神(うんめい)の悪戯によって――全ての歯車は壊れてしまったのだ。 打倒するべき敵である『逆凪(フィクサード)』はアリーチェを認め、本来仲間である筈だった『リベリスタ』はそれを許せなかった。 構造上、どうしようもない不具合は彼を転向させるに十分な衝撃を持っていたという事だ。 (しかし、どうなのだかな) とは言え、明敏な瑠琵はそこにある矛盾点を見逃しては居ない。 冷たい表情で『アリーチェ・アルベルジェッティを守り切れなかった』逆凪の思惑をせせら笑っていた。 「各勢力にアプローチかけながら、スキを作って鎖をうばう、って感じか。それにしても――」 一呼吸。 「――いらいらする。何だかとても、いらいらするわ」 吐き捨てるように『ならず』曳馬野・涼子(BNE003471)が言った。 彼女は自身の感情の行き着く先を知らない。厳密に理解していない。しかし、現状の自身が苛立っている事だけは確実に分かっていた。 彼に出会ったら自分はどうしてやりたいのかを考えた。世界に完全に背を向けた『弱虫』をどうしてやるべきか考えて――辞めた。 (知ったことか……知ったことか。ぶっ飛ばしてまわるだけの話だ。この血を流して、この拳で――) 不定形にも似た不安定な想いが堂々巡り。 リベリスタがリベリスタである以上、常に遭遇し得る『筋書き通りの悲劇』は明日自身に訪れないとも限らぬ話。でも、それでも。 「頃合、じゃな」 瑠琵の言葉に面々は頷いた。 感傷以上に守らねばならぬ世界がそこに在る。 両足で踏みしめるその場所が、大切な誰かの居場所が狂気に塗れた運命の海に浮かぶ小さな笹船(リベリスタ)を引き止めている。 動き出すリベリスタ達。 「愛故に人は苦しまねばならぬ……か。全くもって未知の世界」 ふと呟いた『K2』小雪・綺沙羅(BNE003284)の顔には少し醒めた表情が乗っていた。 嵐の前のほんの一時。吹けば飛ぶような奇妙なまでの静けさに少女の言葉が孤独にたゆたう。 「教科書を読めば載っているの? 研究したら分かるのかしら。 どんなに気まぐれな結末でもね。どんなに手酷い仕打ちをしてもね。少なくとも生まれてこの方、キサを愛してくれたのは運命だけ――」 ●想定外 フィクサード集団『ヴェノム』の有するアーティファクト『贖罪の鎖』を巡る攻防は彼等の本拠地である建設途中のマンションで始まっていた。おさらいするならばそれぞれの戦力はまず鎖を有する『ヴェノム』自身。これを狙う『裏野部』、パスクァーレと旧友である彼を援護する為に動き出した『逆凪』と、危険なアーティファクトの回収任務に撃って出た『アーク』の四つに分かれている。 この内事実上問題外となるのは当のヴェノムである。小規模なフィクサード集団である彼等の戦力は主流七派やアークに対抗し得るものではなく、過分なアーティファクトを手に入れてしまったのはある種の不運であるとさえ言えるだろう。 果たしてヴェノムのアジトの中は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。 「派手にやっておるのぅ」 「――邪魔させて貰うぞ」 建設中のマンションの壁を駆け上がり、奇襲めいて戦場の最中に突入したのは瑠琵と拓真である。 綺沙羅や瑠琵の感情探査で戦闘という状況を察したパーティは二人が予定通りに戦闘を避けヴェノムの本丸へ介入し、残る面々が同時に後背から戦闘を仕掛けるという予定通りの奇襲である。とは言え、万事が予定の内に進んだ訳では無い。ヴェノムの拠点の中は三高平市内の建物が一定の対神秘耐性を持つのと同じように――涼子の千里眼をもってしても探り切る事は出来なかったのである。 (これは見事にやられておるのぅ) 状況は瞬時に理解。瑠琵の視線の先にはコンクリートの上に転がる死体がある。 溜息を一つ吐いた彼女は然したる感慨も無く『まだ立っている何名か』に声を掛けた。 「そこの、此処から逃げ出す事もままならぬなら手を貸せ」 「出やがったな、邪魔者め」 「……お前等はッ!?」 拓真と瑠琵に対する二者それぞれの反応は『アークを良く知っているかどうか』による差異なのだろう。 押している方は先刻承知とばかりに悪態を吐き、押されている方――つまりヴェノムは驚きをもって闖入者の存在を受け止めている。 「リベリスタ、新城拓真。最悪の厄ネタを教えてやる。 お前達の鎖を狙って七派が二つ、そして『神父』パスクァーレが動いている」 目前に迫ったフィクサードの刃を二式天舞が跳ね上げる。声を上げたヴェノムの首領らしき人物を振り向く事もせずに拓真は言った。 「裏野部に鎖を渡せ。そうすれば、アークはお前達に手は出さん」 「俺っちに?」 裏野部はアークの敵である。そして、少なくともアークがここにやって来たという事は『鎖』の争奪戦に参加する意思があるという事は簡単に理解出来る。その前提がある上での拓真の一言は疑問の声を上げたフィクサード――耳に鼻に目立つ銀色のピアスをつけた優男には疑問に感じられたらしい。そしてその反応で少なくとも今この場でヴェノムと交戦している事が裏野部である事を瑠琵と拓真は確認する。 「そうなると――」 「――お主が裏野部の美杉二郎、じゃな」 名指しされた『バタフライナイフ』が瑠琵を見て口元を歪めた。 しかしこの状況はアークにとって良いものとは言い難かった。裏野部と逆凪の内、パーティが特に危険視するのは逆凪の方である。鎖を手に入れるという主体的な目的意識は『別の任務』を帯びる逆凪よりも裏野部の方が強いだろうが、リベリスタ達にとっての鬼門は無論そこにある。正攻法で正面対決に及んだとして見立てでは裏野部、逆凪単体ならばリベリスタ達にも十分勝利の目は見込めるが、逆凪に『友軍として』パスクァーレが加わればそれは到底不可能となるからだ。鎖を早い段階で手にするのは敵を増やすばかりで得策ではない。リベリスタ側はやがて参戦するであろう逆凪の迎撃に神経を取られている以上、かなりやり難い部分がある。 「くそ、何がどうなってやがる!?」 事態の激変についていけないヴェノムの首領が声を上げるが――誰も彼を構う暇は無い。 (このタイト・ロープ……そう甘くはないようだ) 拓真は内心で臍を噛んだ。 『賢者の石』の事件でも証明されている通りパスクァーレ神父は慎重な男である。彼は極めて強力な戦闘能力の持ち主であるが、それを過信する事は無い。彼が何らかの方法で裏野部と逆凪、そしてアークの動きを察知したとするならば――丁度アークがそうしようと考えていた通り、隙を突いて勝利を掠め取る事を考える可能性も十分である。逆凪は優先順位を『鎖』より『神父』に置いている以上は早い段階でヴェノムに仕掛ける理由は無いのだ。必然的に『鎖』を何よりも奪いたい裏野部は動き、アークは『始まった戦いが裏野部のものか逆凪のものかを読み切れず、動かざるを得なくなった』。最終的に動かざるを得なくなるのは神父も同じだが、逆凪は気楽な神父待ちといった所なのだろう。 「お前等、一体何を企んでる?」 「さあな。答える義理は無いだろう?」 「まったくだ。ま、何でも構いやしねぇけどよ。お前等も俺達の敵には変わりねぇ」 手にした大振りのナイフをぺろりと舐めて二郎が言う。 裏野部らしいと言えば裏野部らしいと言えるが、まるでその様は血に酔っているかのようだ。 元より大して頭の回らない粗野な男は粗野であるが故に余りにも張り詰めたこの状況を何処まで理解しているのか定かではない。 「――神速とはそれこそ、俺の全てを廻らす!」 「――――!」 ニヤニヤと笑う次郎の表情が迸る蒼い稲妻に一変した。 求道者という意味では他に比肩するものの少ない鷲祐が階下より駆け上がり、フロアに跳ねるように飛び出したのだ。後背よりまさに敵陣を切り裂いた鷲祐は文字通りヴェノムにとってこの場で一番危険な人間が誰かを嗅ぎ当て、神速の斬撃を繰り出したのである。 「――チッ、何考えてるか知らねーが!」 抜群の反射速度で咄嗟にコンクリートに転がり、鷲祐の打ち込みを何とか切り抜けた二郎は憎々し気に悪態を吐く。 リベリスタのプランでは一旦鎖を裏野部に預け、逆凪や神父との潰し合いを狙うというモノだったが――三つ巴の一角が姿を見せない現状、裏野部がアークを目標に定めた以上、交戦も致し方ない所であろう。 「相手が変わったけど――やる事は一緒だしね」 流石に鷲祐には及ばないものの、彼が切り裂いた空気を逃さず動き出したのは碧衣である。 『あの』黄泉ヶ辻京介にも危険人物と看做された彼女の強みは奇襲めいたこの先制攻撃でこそ発揮される部分である。超頭脳演算が究極の閃きを見せる。まだ見ぬ逆凪の動きに意識を向けつつも、彼女が放った白い閃光は場の状況を一気にリベリスタ達の側に寄せる威力を持っていた。 「一気に――」 「――分かっている」 姿勢を低く、ステップを踏んだ碧衣の横を鉅が駆け抜けた。 鮮烈な閃光に体制を乱したままの手近な裏野部を影を従えた彼が猛襲する。 (逆凪の『仕掛け』は読めませんが――ここは状況を加速するしかない) ユーディスの抜き放った剣が白い光を帯びていた。 長い時間を掛け、裏野部とアークが消耗し合えばそれは神父と逆凪に利する状況にしか成り得まい。 今、パーティに出来る事は『神父と逆凪を動かざるを得ない状況にいぶり出す事である』。 「ホントに厄介ね――」 戦場に綺沙羅の氷雨が降り注ぐ。 「――でも、あんたみたいなの使うとか裏野部は人材不足だね」 「ブチ殺してそのお喋りな首を花瓶の代わりに飾ってやんよ!」 綺沙羅の挑発に二郎が吠えた。 仲間の支援で態勢を取り戻した裏野部派とアークは済し崩し的な戦闘状態に突入せざるを得なかった。 リベリスタが、フィクサードが入り乱れ『予想とは違う三つ巴』を展開する。 「御存知ですかね? 私は皆さんを『散らす』のが一番得意なのですよ」 「何とか、食い止める……!」 重いモニカの砲撃支援を従えて、前に出た涼子の得物が耳を裂く銃声を泣き喚かせた。 その全身より抱く漆黒を開放し武具としたユーキも混戦に参加するが―― (……問題は、あくまで逆凪ですからね) ――狂い始めた計算がいよいよ彼女は気に掛かる。怒号を上げる二郎が鷲祐ごと周りのヴェノムを切り裂いた。 せめても彼等に『鎖(ジョーカー)』を引かせ、そしてこの戦場からの離脱を防ぐ事が重要だった。 それには―― 「……正念場ですね」 ――呟く彼女の言葉を聞く者は彼女以外には無い。 ●三度目の嵐 ヴェノムの首領が血の線を引いて崩れ落ちる。 「けぇッ、甘く見やがって……!」 呼吸を荒げた二郎がその右手に『贖罪の鎖』を掴んでいる。 それはアークの想定した通りの状況であり、又同時に誤算でもあった。 「逆凪が来た――!」 声を上げたのは涼子。 偶然か、それとも図ってのものか。タイミング悪く――裏野部が鎖を手に入れた瞬間こそ、逆凪が食らいついたタイミングとなっていた。 パーティの面々は咄嗟に前方と後方で背中合わせになるように両面となった敵の気配に対抗する。 「ハッハ。日頃の行いが良けりゃこんな事も起きるんだな!」 「笑わせる……!」 拓真が打ちかかってきた裏野部の一撃をいなし声を上げる。 「させるか――」 「――お前等、援護しろ!」 二郎の動きを阻みかけた『しつこい』鷲祐を裏野部のフィクサードが阻まんと纏わり付いた。 ほぼ互角と言える戦闘はこの瞬間、少しだけ裏野部側に味方したのだろう。二郎は大きく跳び退がり、コンクリートの壁を背に声を張った。 「次は全員殺してやるぜ。全員だ――」 野卑た視線に獣欲にも似た高まりを滾らせる彼は『魅力的な獲物』に対して「今ではない次」口にした。それは彼にとってはその精神力を極限まで振り絞る必要のある重労働だった。彼からすれば有り得ない程に冷静で賢明な判断だった。 リベリスタ達の戦いはまず何よりも自分が大切なその男に『そういう』判断をさせるだけのものがあった。 ……しかし、人間は得てして――『慣れない事をしたその時にこそ』落とし穴に嵌るものである。 「――全員、殺し――て……?」 音も無く。コンクリートの壁から、その前に立つ二郎の腹から細く長い鋼が生えていた。 そこにあるモノをまさに一直線に貫いたその剣は赤い魔力を纏い、怖気立つような魔性を匂わせている。 決して近付いてはいけない何か。禍々しい死の臭いが漂っていた。 「困るのですよ」 ピンセットで留められた虫のように――ガクガクと身を震わせ、手足をバタバタと動かす二郎の有様に構う事は無い。 壁越しにも――穏やかで理知的な男性の声は怖気立つ程に良く通る。 「困るのですよ、彼等を殺す殺すと喚かれては。それは貴方の仕事ではない。それは他ならぬ私の役目なのだから」 凍りついたような時間に場の誰もが言葉も無い。 裏野部は現れた。逆凪は現れた。ヴェノムは滅びアークは今ここに在る。 ――足りないキャストは一人だけ。 「さしずめ、前門の虎、後門の狼。状況は最悪ですか?」 「いや、まだだろう」 ユーキの呟きにすげなく碧衣が応えた。 「『これから』だ」 彼女の言葉と二郎の体が、そしてコンクリートの壁が『バラバラ』になったのはほぼ同時だった。 「一気に行け――!」 フロアに現れた逆凪――黒服の崎田と元より彼を食い止めるべく意識を張っていた鉅が相対したのは同時だった。 ガラガラと建物の残骸が落下して音を立てた。まるでバターか何かのように人も壁も切り裂けば、人が通れる程の穴が開いている。 「成る程、これが例の鎖ですか」 髪の毛を丁寧に後ろに撫で付けた黒いカソックの神父は人懐こさを感じさせる優しげな丸眼鏡はそのままに唯静謐とそこに浮いていた。 爪先からそっとマンションの中に降り立ったパスクァーレは転がった二郎の右腕と――それが掴む黒い鎖を拾い上げ「ふむ」と頷く。 「待ち侘びたぞ、この時ッ!」 その刃で目前の敵を打ち倒した鷲祐が万感の思いを込めて敵を視る。 厳かとも言える面立ちで、凪のような静謐さを乱す事無く男は順にリベリスタ達の顔を見た。 「ご無沙汰しています、ミスタ・崎田」 それから――目の合った崎田に小さく会釈する。 「こちらこそ。神父も余りお変わりは無いようで……話は、後が良いですね?」 「勿論」 頷く崎田。 「随分とタイミングがいいのね。それも神の御加護?」 「いいえ、唯の聞き耳ですよ。壁が視線を阻んだとしても、零れる音に蓋を出来るものではない」 「成る程、結構簡単なからくりね」 合点がいったと綺沙羅が笑った。この建物は完全防音等されてはいない。 逆凪の方のからくりも似たようなものだろう。 「人間しか斬らない剣では無かったのか?」 「正確には『憎しみしか斬れない剣(なまくら)』です」 鷲祐の声に応えたパスクァーレの言葉が意味する所は極めて重大な事実を意味している。 彼の思惑が何処にあるのかは知れなかったが――奇妙な程の静けさを湛えた彼の微笑は『在りし日』を思わせるもの。 「お久し振りですね、お嬢さん(シニョリーナ)」 「一年振りの再会ですね。お変わりなく安心……と言いたかったのに…… 私が仕留め損ねた所為でえらい事になっていますね。勘弁して下さいよ」 自身が撃ち抜いた左腕を確認し、そこから生える赤い光を帯びた剣を確認し、モニカは珍しく複雑な顔でそう言った。 裏野部のフィクサードが絶叫する。 三つ巴の第二幕は――第一幕とは比べ物にならぬ底抜けの異常な闇を抱いていた。 ●ウロボロス 「リベリスタとして自ら手を下す事も出来ず。父親として愛する我が子を守る事も出来ず―― 敬虔な信徒であるが故に自害する事も出来ず。自虐と罪を重ねるだけの人生かぇ? つまらんのぅ!」 饒舌に皮肉を並べた瑠琵の影人をパスクァーレの切っ先が切り裂いた。 「所詮、この世は胡蝶の夢よ。お主もちったぁ羽を伸ばして楽しんだら如何じゃ? お主が幾ら待ち望んでも――どれだけそれを望んでも、神は罰など与えはせぬ!」 かくて、多くのリベリスタ達が本能的に知っていた『本番』とも言うべき戦いは始まった。 二郎という核を失った裏野部のフィクサードは或る者は逃げにかかり、或る者は戦いに乱入し鎖を奪った闖入者を狙い……総じてはアークの利の側に動く事となった。しかしてそれを足した所で冷静な戦闘指揮の下、組織的な戦闘を展開する逆凪の支援には及ぶべくも無い。 「流石にやるな」 高い士気と精強な錬度は流石の碧衣にも舌を巻かせるものだ。 (退けるか? この状況――!) 拓真のブレイドラインが連続で轟音を吐き出し、逆凪の陣営を次々と叩く。 神父が鎖を手に入れた以上、彼からそれを奪還する目が薄い以上は――最早戦況は『損切り』の段階にある。 彼がリベリスタを簡単に逃がす心算は無いのは明白でそれはこれまでの戦いからも知れている事実である。ましてや逆凪と神父の両方を当てにしなければならないこの状況は決して歓迎出来る事態では有り得ない。 「今度こそ、予定通りだな」 相手が変わろうとも碧衣の持つ鬼札の威力は変わらない。 現れた新手に彼女の放つ神気が洗礼の如く突き刺さる。 「厄介な……! 『ピンポイント』!」 神父と知っていた崎田こそ彼女の一撃をまともに貰う事を免れたが部下達の混乱は小さくは無い。 万全な態勢で攻めに回る事を許された時、彼女の性能は最大限に発揮される。後が無い状況ならばそれは尚更の事だ。 「付き合って貰うぞ、逆凪! いや、退いて貰おうか」 「退いて貰わないと困るのよ」 「神父の意向に沿うのが上の命令でね」 ダンシングリッパーで敵陣に切り込んだ鉅、存分に暴れ大蛇を繰り出す涼子を逆凪が迎撃する。 「……アルベルジェッティ神父。これ以上、罪を重ねるのですか?」 神気を帯びる光の剣を上段より打ち下ろす。赤い魔剣と一撃を噛み合わせたユーディスは心底から――問い掛けた。 「その姿を見れば『彼女』は悲しむと――私には分かるのです。私も、貴方と同じ、私の両親も――」 不器用で拙いその言葉は不明瞭に意味を紡ぐ。ユーディスの何も知らない神父は恐らくは彼女の言った意味を正確には理解出来なかっただろう。しかし彼は激するではなく静かに彼女に言葉を向けた。 「親の愛と子の愛は似ているようでいて――同じものではないのですよ、シニョリーナ。 子は親の気持ち等知れないし、親は子の気持ちを理解出来ません。 交わらぬ認識を舞台(ここ)で分かり合おうというのは――余りにも出来過ぎの戯曲だとは思いませんか?」 神父の剛剣が技量に劣るユーディスの刃を跳ね上げた。 同時に踏み込んで放たれた赤い斬撃の軌跡に少女の顔は厳しく歪む。 ぽたり、ぽたりと血が滴り、青く運命が燃え上がる。守りを得手とする彼女が容易く『致命傷』を負った事実は彼の切れ味がかつてよりも更に鋭く深く進化している事を誰しもに確信させた。 「アンタなんて、アンタなんて弱虫だわ。そんなの罪じゃない、そんなの人間なら当たり前じゃないの!」 涼子の苛立ちは隠せないものになっていた。大声で吐き出さざるを得ないものになっていた。 戦場の空気を濡れた感情で揺らしたその吐露に神父は。 「何度でも繰り返しましょう。心優しく、美しいシニョリーナ達。 私は私の過ちと弱さを認めましょう。いや、最初から一つとて、否定してはいないのです。 人間の心とは『知っている過ちを素直に認め、正しい道に立ち返る事を可能とする程』簡単ではないのです」 かつて黒神父はその復讐を罪と呼んだ。復讐を望むのは娘(アリーチェ)ではなく、無論神でも運命でも無く自身であると。歪んだエゴを余す事無く肯定する彼はその愛深き故に『逸脱』を悪とも看做していない。その強さ故に止まる事は無く、弱さ故に止まる事は出来ないのだ。 迫る黒衣の影。食い止めるには倒す他は無い事を誰あろうモニカは知っていた。 そうするしか手段が無い事を知りながら、そうしない結論は少なくとも彼女のルールに有り得ない。 「憎しみの火で先を照らさねば愛さえ見失うその状態。私はアリだと思いますよ。 リベリスタとしては兎も角――モニカ・アウステルハム・大御堂個人としては――愛と憎しみは表裏一体、溶け合ってこそ真の愛憎ということで!」 大きく立ち位置をずらしたモニカが神父に向き直る。 元より彼女は自分達の『想い』なる不定形が、『運命』なる不審が少なくとも目の前の彼を上回らなければ子の局面を崩せ無い事を確信めいて――識っていた。 「自惚れて貰って構いませんよ。私が貴方に興味を持った事は――これで中々レアですからね」 単発では止められない。自慢の砲撃が火を噴いた所で簡単に止まる相手では無い。 小さな胸の奥から突き上げる衝動にも似た感覚を押し殺す事は無く、腰を落とした彼女は運命にも届けと渾身の弾幕をお見舞いした。 ――攻撃効率の問題ではありません。 1$の様な単発では絶対に止められない。 然しただの弾幕では駄目です。役者が全然足りません。 この世でただひとりを愛するが如く。ただひとりの為に向ける弾幕を。 すべての引金。 すべての照準。 すべての砲火。 今ここに束ねよ、我が渾身のハニーコムガトリング! 「――食らえこの愛!」 リベリスタを逃がさぬと立ち回る逆凪を撃つよりも彼女は目前の神父を撃つ事を選んでいた。 元よりどちらか一方を片付け、血路を切り開かんというならば――柄にも合わず命を賭けるとするならば。選ぶ理由こそ至上である。 果たして、吠えた彼女の九十七式はその期待に応え、お代わりまでもを吐き出した。 「リ・ロード!」 弾幕に弾幕が重なった。文字通り破壊の嵐となって黒衣の神父を襲った弾幕は大半をその剣の煌きに斬り飛ばされながらも幾らかは神父の体に突き刺さった。 そしてもう一人。 この戦いに狂おしい程の情念を燃やす一人の男がここに居た。 「――パスクァーレ・アルベルジェッティッ!」 『獰猛な蜥蜴』のように全速を以って神父を強襲したのは言わずと知れた鷲祐である。 言葉を交わすより『速く』刃を交わせば、高鳴る剣戟は魂を容易に揺さぶった。 生と死の境界。刃の味を体と心で知る瞬間。切っ先が触れる瞬間、命の奥できっと誰もが何かに瞬く。 「諦めの逡巡は永遠に許されない。だからこそ、永久に誓う。 ――愛は極限だ。そうだろう? パスクァーレ・アルベルジェッティッ!」 「愛が極限だと云うならば、憎悪に果てが無い理由には十分でしょう。違いますか、ミスタ・司馬――」 最遅のモニカと最速の鷲祐が織り成す連携は乾坤一擲の一打を彼に放たせた。 しかし、視界の中に佇む闇は細く鋭い蒼光さえブラックホールの如く飲み干すばかり。 身体を傾がせた神父が鷲祐の一閃を紙一重避けた。返す刀で繰り出された一撃が突き刺さり、大量の血を迸らせ『宙より堕ちた』彼はコンクリートの床に叩きつけられ動かなくなる。 「あんたね、暴れるのもいいけど……偶には墓参りでも行けば? どんな風になっても――あんたは父親なんだから」 そう言う綺沙羅のその表情が彼女らしからぬ感情を湛えているように見えたのは気のせいだっただろうか? 戦いが続く程に余力は失せていく。 逆上した裏野部のフィクサードが次々と首を飛ばされ、その身体を解体されている。 昂揚の中にも冷静さを併せ持つリベリスタ達こそ彼等程の目にはあっていないが――紙一重なのは誰の目にも明らかだった。 積極的な攻勢に出ず、リベリスタ達の動きを縛る崎田の指揮は否が応無く彼等の心に焦りの色を点している。 「娘を喪った時、何をしていたのじゃ? 逆凪は」 息を上がらせながら瑠琵が言った。 「――連中、最後の最後でリベリスタを見逃してなかったかぇ?」 神父はアリーチェと自身を匿った逆凪を友としている。しかし、瑠琵はその状況の不自然さに気付いていた。極東の空白地帯と呼ばれた日本において『最強』と目される逆凪が本気で彼等を保護したとしたならば果たしてアリーチェは死んだだろうか? 「何故、貴方は私にそれを問い掛けますか?」 しかし、予想外に神父の受け答えは静かなものだった。 「仮に彼等が本気で私と――アリーチェを保護しなかったとして。貴方は何故今この場で私にそれを告げるのでしょうか?」 静かな言葉に少しずつ熱と狂気が篭っていく。 「――要するに優先順位の問題だとは思いませんか? 彼等には裏がある。フィクサードは残念ながら善意だけでは動かない。そんな事は私も百も承知だ。だが、それでも私には彼等が必要で、彼等の存在が私の最後の何週間かを――最後の安らぎを助けてくれたのは事実だった。心から私の為を想い、私の身を心を案じてくれた友人達は残念ながら私の望みを何一つも許してはくれなかった……」 黒いカソックがぞわりと揺れた。左腕の代わりにぶら下がる赤い十字剣がぬらりと輝く。 「優先順位の問題だとは思いませんか? 私のこの身を今焦がす、私の炎は単に貴方達を焼き尽くせば消えるものでは無いのですよ。 貴方達が全て滅んだならば、私はリベリスタの存在を肯定するフィクサードを憎むでしょう。あの子を守り切れなかった逆凪にもその目が向くのは明らかだ。フィクサードが滅んだならば、人だ。人でこの世界だ。この世界が果てたならば別の世界。 分かりますか、私という黒い蛇は自らの尾を喰らい、それでも私は自分を害する事だけは出来ない。そこには終わりも始まりも無い」 凄絶な笑みを浮かべた神父は右手で丸眼鏡を外し、そのまま握り潰した。 「私は、墓穴を掘り続ける――ウロボロスだ」 膨れ上がった殺気に誰とも無く息を呑んだ。 「……逆凪は神父と組む心算ですか? この期に及んで、今の彼を見ても尚……」 逆凪のフィクサードと対峙する崎田と、激しくやり合いながらユーキが問い掛けた。 「……」 「上の意向を汲みつつも、正確な提言を加えるのも『サラリーマン』の仕事の内と思いますがね」 彼女のスケフィントンの枷がこの時、崎田を囚えたのは偶然では無かっただろう。 「それでも、アンタは彼を引き込みたいの? 操縦出来るとでも?」 瞬時に視界から消えた涼子の一撃が首を逸らした崎田の喉元を掠めたのは偶然では無かっただろう。 自信家の逆凪黒覇がどんな顔をするのかは知れないが――少なくとも神父の狂気は、より深化した彼の狂気は崎田の解し得るものではなく、彼に御し切れるものでも有り得ない。『逸脱』した彼を理解し得るのは同じ『逸脱者』だけである。 見る間に悪くなる逆凪陣営の動きはリベリスタに活路を見出させた。 「さて、どうする? リスクを負ってでも俺達番犬の始末をつけるか。それとも?」 鉅の揺さぶりに崎田が小さく呻き声を上げた。 計算高く冷静で頭のいい崎田の『組織の為の判断』がリベリスタ達の命脈だった。 崎田があくまでアークとの交戦を続けるとするならば『今は』友軍足り得る神父はリベリスタ達を殺すだろう。 否、必ず敗れるか殺されるかどうかは別にして不利は明らかである。 しかし、その次は、その先は――? 自分が健在な限り、この先にリベリスタを飲み干したとするならば。 ウロボロスの蛇はフィクサードを、逆凪をも捉えると他ならぬ神父は明言したのだ。 誰か悲鳴が又響く。 煙る血の向こうに佇む黒衣の死神は止まる事の無い――的さえあやふやな復讐装置に違いない。 (よくよく、思うのですが。運命を歪めるというのは、普段から無茶しがちな人の特権のようで、はは。 ……いい加減にしろ。堅気の人間は博打打ちが横で死ぬのを指咥えて見ていろとでも言うのか。 どうせ誰かの命を奪うなら、一緒に私の運命も持って行け。元々が出鱈目な奇跡なのだ。それぐらいの掟破りがあっても構わないだろう――?) そんな神父を振り返り、強い、凛とした視線を向けたユーキが覚悟を決める。 崎田が退かぬというならば、自身が退かせてやるまで。百に一程の確率でも座して死ぬよりは幾分か分も良い話だろうと。 しかし、彼女の悲壮な――怒りにも似た決意は結果として実を結ぶ事は無かった。 「……撤退する!」 有能であるが故に裏を読み、危うきに拠らない。現場の判断を行う事が出来る――崎田の性質は鉅の読み通りだった。 『会社の能吏』たる崎田はリベリスタ達の言を受け入れたのだ。 リベリスタが壊滅した後等という遠い――『有り得ない』可能性を彼が肯定したその理由はまさに久方振りに目の当たりにした神父自身を見ての――知っての結論だったのだろう。彼は考えてしまったのだ。その『有り得ない』結論の先を。議論するだけ馬鹿馬鹿しい確率の実現性を。 波のように引いていく逆凪と継戦を望む者は無い。後はこの死地を、死神から逃れるばかり。 「分のいい話とは言えないが」 剣を携えた拓真がゆらりと神父の先を塞ぐ。 「その位の方が『スッキリ』するわよ。とても、むしゃくしゃした気分だし」 腹の底で煮える言葉に出来ない感情を隠さない涼子がそんな風に嘯いた。 リベリスタ達が還れるかは今、まだ立っている何人かに掛かっている。それは拓真の言った通り分のいいギャンブルでは無かったが―― 「あら。安心してもいいんじゃないの?」 綺沙羅は少し場違いに僅かばかり冗句めいて微笑んだ。 「キサってね、運命には愛されてるから――」 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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