●祭の後 ごく普通のその少女は、ごく普通に学校に通い、ごく普通の青春を謳歌し、 ごく普通の恋をし、ごく普通の日常を送っていました。 不安も不満もあれど、誰を傷付けるでも誰を苛むでもない、それは平穏と言って良い日々の筈でした。 けれど、彼女は少しだけ人と違う経験をし、そしてその少女はもう居ません。 ごく普通のその女性は、ごく普通に学校に通い、ごく普通の青春を謳歌し、 ごく普通の恋をし、ごく普通に結婚をし、ごく普通に子供を生み一家三人幸せに暮らしていました。 悩みも煩悶もあれど、誰を殺めるでも誰を苦しめるでもない、それは安穏と言って良い日々の筈でした。 けれど彼女は少しだけ人と違う経験をし、そしてその女性はもう居ません。 彼女らの知人達は突然行方を眩ませたその人の面影を追いながら、けれど決して見つけ出す事は適いません。 より親しい人々は更に色々な物を失って或いはその残影を引き摺りながら、けれど再会する事は適いません。 時間と共にそれらは風化し、磨耗し、そしていずれ忘れ去られていく事でしょう。 それは恐らく仕方の無い事なのです。それはきっとどうしようもない事なのです。 紡がれる筈だった未来はほつりと途切れ、けれど世界は残酷に無常に時を刻み続ける。 何処にでもある。誰にでも有り得る。当たり前の悲劇。 何故なら彼女達は――――死んでしまったのですから。 「おしまい」 「ふム、何ガだイ?」 蝋燭だけを灯した仄暗いリビングの中央。テーブルの上にはスコーンとクリーム。それにカモミールティー。 呟きに反応した奇妙な男の問い掛けを丸きり無視し、灰色髪の女は優雅とすら言える仕草でカップを傾ける。 「と言ウか、君今日ハ留守じゃ無カッたのカイ?」 「もう少ししたら出ようと思っていた所です。お構いなく」 男の名を曲芸師。女の名を人形遣い。 異なる組織に属し異なる研究を行う異端二人は、けれど視線を合わす事も無く。 まるでお互いに独り言を口にするかの様な仕草で彼我の意図を明示する。 「そウかイ。さっサト出掛けタラ?」 「貴方こそあの棺の部屋で愛しい女神様を懸想でもしてたら如何です?」 「ハ、ハ、ハ、殺すヨ?」 「それは此方の台詞です」 何故同じ拠点を用いているのか。と言う疑問が沸く程に喧々とした声音で互いを疎み合う。 それでも尚彼らが互いを潰し合わないで済んでいるのは単に、その力量が拮抗しているからに他ならない。 一度踏み越えればいずれかが果てるまで殺り合うしか無い。だからこその歪な均衡。 今にも倒れつつある斜塔の様な共生関係は、けれど未だ継続し続けている。 「まあ、良いです。私も貴方とじゃれている程暇では無いので」 「そレは此方ノ台詞だネ」 踵を返す曲芸師に、果たして何をしに来たのやら。と一瞥を向け。 灰色髪の女はそんな思考すらも瞬く程の間に忘却の狭間へと押しやる。 実の所暇では無いと言うのは実の所言葉通りだ。昨今『六道』で研究されている技術。 何かの役に立つかと一口噛ませて貰ったそれは思いの他厄介な狂犬であり―― 「さて、あのお姫様にどう申し開きしましょうか」 最低限、観察してレポートでも仕上げれば『六道の兇姫』は誤魔化せるだろうけれど。 そもそもそれをする手間が惜しい。興味が無い物には徹底して興味が無い性質だ。 まあ、いっそこれも件の『聖櫃』を観察する為だと思えば…… 「実験体だからってあんな物を使ったのは失敗でしたか。全く、処理にまで手間取らせてくれるんですから」 廃棄処分の消耗品を組み上げて作った滑稽なオブジェが、まさか脱走を喫するとは。 それが鎖を引き千切った庭先を窓越しに眺め、困窮極まる女へと部屋の外から声が降る。 「そウ言えバ、アレは君にシテはナカなか面白イ作品だっタノにネ」 何がも何も知っていて聞いていたのか。そのいらっとくる声音にティーカップを投げ付けると、 『人形遣い』ティエラ・オイレンシュピーゲルは気だるげに、大きく溜息を吐いた。 ●後の祭 どうして、こんな場所に居るのだろう。 最初に抱いた疑問はそんな物で。周囲をぐるりと見回せば周囲は見るからに路地裏。狭く暗い都市の裏側。 視界は低く、まるで四つん這いでもしているよう。何故自分が此処に居るかも分からない。 記憶が断片化されている様な気持ちの悪さ。吐瀉物とアルコールの饐えた匂いが鼻をつく。 「ぅ……何よこれ」 視線を隣に向ければ両目を閉じて頭を垂れる女性が2人。どちらも自分より10も上では無いだろう。 パーマがかった濃い栗色の髪が頬にかかる。どう見ても自分より年上であろうに、視線の位置はほぼ同じ。 それを奇妙に想ったか、彼女は漸く自身の下へと視線を巡らせる。 其処に有ったのは地面である。彼女の頭部は地上30cm程の地点に固定されていた。 では胴体は。当然の様に存在しない。頭部だけ、である。 「……え」 呆然と漏れた声。現状を全く解し得ないままにもう一度現状を見る。 頭部は地上30cm程の地点。では手は。脚は。右を向けば肘の部分で奇妙に折れ曲がった手が見えた。 その向こうには同様に折れ曲がったシルエット。それはきっと脚だった物だろう。 形状を一言で言うなれば、それは三つの頭を持つ蜘蛛である。 手も、足も、少女の意志とは関係無くぺたりぺたりと動いてみせる。 「…………え」 胴体は、何人もの人間の骨と皮膚と血肉を繋ぎ合わせた様に不恰好に膨れている。 まるで小学生の図画工作だ。襤褸布を繋ぎ合わせた様な胴体からはみ出した8つの手脚。 そこに、その部分だけは綺麗に整えられた少女と、女性と、見知らぬ女の頭部が付け加えられている。 「な、え、あ、え、え、あ、ああ、あああ」 言葉にならない。何も考えられない。混乱し混濁した意識は恐慌を来たす寸前だ。 だが、意識が白熱し現実を否定し、彼女の世界が狂気へ追い込まれそうになったその瞬間―― 何かのスイッチでも入ったかのように、冷や水を浴びせられた様な衝撃が意識を現実へ追い戻す。 「………………え」 今度こそ、彼女の声は明確に震えていた。こんな事態、気が狂って当たり前だ。 目を醒ましたら出来損ないの蜘蛛になっていた。醜悪で、歪で、吐き気を催す理解不能の状況下。 けれど、彼女の精神が均衡を乱した瞬間、何かの不思議な力によって意識が正常に戻される。 気を失う事が出来ない。狂う事すら許されない。ただ絶望的な今を見続けるしかない。 「い――や――」 口元が戦慄く。その路地裏へ、近付く人影に目が留まる。 誰だろう、いや、誰であっても駄目だ。こんな姿を見つかったら駄目だ。 なのに、彼女の8本の手足は彼女の意志を受け付けない。 まるで獲物を見つけた様な俊敏さでその人影へ近付き、まるで猛獣か何かの様に襲い掛かる。 八肢の2つで腕を抑え残り6つでその人物。アルバイトだろう、バンダナをした男を完全に捕獲する。 「ひっ」 悲鳴を上げそうになったのは、男が先か、少女が先か。 彼女の人間だった顔の皮膚から血管の様な管が無数にとび出し男の動脈に突き刺さる。 「いいぃぃぃ―――――――ッ!!?」 けれどとび出した管は少女の肌をも内側から破っているのだ。激痛に声も出ない。 痛覚がそのままで有る事がむしろ滑稽だ。こんな痛みを味わう位ならいっそ殺してくれと心から想う。 だが、管は呼吸器の様に蠕動すると男の体内から急激に血液を吸い上げる。 恐怖に慄く男が血を吸い尽くされミイラになるまで僅か10秒少々。 「いや……」 その10秒で、まるで50も齢を取ったかの様に焦燥した少女の皮膚の内側に管が戻って行く。 そしてあれほど痛かった筈なのに、彼女の皮膚は瞬く間に自然治癒し元の普通の人の姿を取り戻す。 けれど、それに一体どれ程の意味が有るだろう。 「い―――――――――やぁ――――――――っ!!」 繰り返し、繰り返す。狂人になり果てる事も叶わない痛みと傷みの無限地獄。 それが、拷問でないなら何だと言うのだろう。 ●後夜祭 「エリューション・キマイラ。」 ブリーフィングルーム内。表示されたモニターに映されているのは三面八手の蜘蛛である。 人間を解体して繋ぎ合わせたそれを果たして、蜘蛛と呼ぶ事が許されるのであれば。 「生産性に重点を置いて作られた個体みたい。安定はしてるけどそれほど強くない」 淡々と言葉を紡ぐ『リンクカレイド』真白イヴ(nBNE000001)の表情は、けれど。 言葉に比して余りに無感情である。冷静と言うのでは無い。まるで感情を強いて殺しているかの様に。 手は強く握り締められ、解かれる事は無い。それが何か、彼女は知っていて説明しない。 「識別名『アラクネ』。蜘蛛のノーフェイスが混ぜられてるみたい。 放っておけば世間に悪影響を齎すのは確定。こうなっちゃったら元には戻らない」 事実を、ただあるがままに。 今起きている出来事を、出来る限り客観的に伝える。 それが、彼女の仕事で。フォーチュナに求められる適性で有ると言うなら。 「……素体は、以前“人形遣いが”殺したって報告のあった女の子に酷似してる」 万華鏡の申し子とすら呼ばれる彼女がそれをただ一言漏らしたのは、褒められた事では無いのだろう。 けれど、それがアークなのだから。 「この子を、きちんと殺してあげて」 イヴは、最後まで内面を表に出さないままで、けれどはっきりとそう告げる。 どうかこの災厄の――最悪の祭に。あるべき結末を。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月 蒼 | ||||
■難易度:EASY | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年06月22日(金)00:04 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●Puppet テナント募集、の文字すら雨風に晒され廃れた古いビル。 部屋は広くない。どう見積っても入口から30m四方は有るまい。 その3階、と言う微妙な高さ。恐らくは飛行による航空索敵を警戒しての事だろう。 据えられた鏡を背に、その灰色髪の女は薄く、嫣然と、微笑んで告げた。 「如何でした? 罪も無い少女の悲鳴の味は」 瞳を細めながら静かに、けれど確かに響く力有る言葉。 憎悪と嫌悪に声すら出ない8人に、女は両手を差し出す。あたかもオペラを詠う歌姫の様に。 「ようこそ、此方側へ」 罪悪の色などまるで無く、いや。歓喜の色すら感じ取れない。 声に応じるて向けられる銃口。女の左右には7人のフィクサード達。 何れも精鋭と呼べる腕前だろう、だがリベリスタ達にとってそんな事はまるで関係が無い。 それは“人”ではなかった。少なくとも、その場の誰もそれを“人”であると感じていなかった。 決して見過ごして良い存在では、なかった。 「――ドール……マスタァ……ッ!!」 因縁深き男の迸る様な怒りに、女はただ――笑みを浮かべるだけ。 ●Arakhne 「いや、いやっ、いやぁ――」 聞こえるのは枯れた声。けれど枯れてすら分かる悲痛な叫び。 声など上げても無駄だと分かっていて、それでも上げずにはいられない。 何故なら他に出来る事など無いのだから。四肢ならぬ八肢は彼女の意志を受け入れない。 「殺すなら一思いに。そんな情けも無い相手か……『人形遣い』」 路地に近付けば、か細いその声が耳に入る。確かな人間の、それも正気を保った人間の、声。 『終極粉砕機構』富永・喜平(BNE000939)の呟きには、苦さと恐れ、そして憎悪が混在する。 その感情を、果たして何と称すべきだろう。 「許せない……許せない……!」 悲しい。悔しい。人の命を、意志を、尊厳を蹂躙する者を『大食淑女』ニニギア・ドオレ(BNE001291)は 心の底から嫌悪する。彼女の愛する“しあわせ”を踏み躙るそれを放置など出来ない。 「……っ」 奥歯を割れる程に噛み締める。口内に血の味が滲む。 今『アラクネ』と呼ばれている物。その少女と対した日の事を忘れた事はない。 これからも忘れる事はないと思う。『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)が拳を握る。 因縁、と言えば因縁だろう。だがそれ以上に執念であり執着だ。 許容出来ない人間が居る。彼らを見守っている。それを思うだけで脳が赤熱する様な気すらする。 「興味ないな」 けれど、勿論誰もがそうで有る訳ではない。何処か淡々と告げたのは、 『Beautiful World』ユーニア・ヘイスティングズ(BNE003499) 彼にとっては何時もの仕事だ。相手が何であれ、対象がどうであれ関係が無い。 「どうせ殺すしかないんだ」 殺すべくを殺す。それだけのこと。右目の眼帯を指先で整え、声の聞こえた路地へ向かう。 「……殺すコトが救いになるなら、やるよぅ」 ユーニアの言に、非情な事実を噛み締める様に。 『蜥蜴の嫁』アナスタシア・カシミィル(BNE000102)が唇を噛む。 本当は。そう、本当は。殴ってやりたい相手なら別に居る。 それでも、今求められ、出来る事はこんな事しかない。強く握った拳が鈍く疼いた。 曲がり角。此処から先は蜘蛛の巣だ。アナスタシア、喜平、悠里の3人が分かれ、残る5人が互いを見合う。 小間。踏み出したのは僅かに半歩。それが地獄との境界線。 暗闇に浮かんだ目は合計で6つ。 人間を繋ぎ合わせて作られた歪な蜘蛛が、壁に張り付き此方を見ていた。 「ひっ」 切れた悲鳴。肌にまとわり付く様な緊迫感が張り詰め 「泣いて喚いて、運命を恨め」 そんな蜘蛛の背後よりころりと、路地裏へ放り込まれたのは点火された照明弾。 継続的に光を放つそれが路地の全貌を明らかにする。 ポリエチレンの青いゴミ箱に、立てかけられた資材らしき木の棒が幾つか。 そしてミイラの様に干乾びた犠牲者の遺体が2つ。 「っ、え、あ、」 蜘蛛が頭を巡らせる。前方5、後方3。だが其処に付いた少女の顔は引き攣るばかりだ。 事態がまるで把握出来ていない。混乱、狂乱、けれどその眼は不自然な程に理知の光を宿す。 「酷い……」 聞いていた通りだ。『さくらふぶき』桜田 京子(BNE003066)が苦い声を漏らす。 掛ける言葉も見当たらない。様々な修羅場を見てきた京子にして、そんな想いを抱く光景。 放り込まれた何でもない少女の心境たるや、想像を絶する。 「感傷に浸ってる暇は、ない」 強く、言い切れないのは年頃も有ってか。『悼みの雨』斬原 龍雨(BNE003879)が刃の篭手を手に踏み込む。 一歩。目が合った。恐怖に戦慄き目を涙で腫らした少女。年頃は、自分と同じくらいか。 思わず共感しそうになったその感情を押さえ込む。今、やるべきは哀れむ事ではない。 「この手で……全てを終わらせる」 蹴撃より放たれるかまいたち。その風の刃がアラクネの腕を切り裂き―― 「いぃ――っ! 痛いっ、痛いっ! 痛い――っ!」 上げられた声をBGMに。誰も望まず、何者も求めないままに、リベリスタ達は各々の武器を取る。 「……そうだ。君達を、殺しにきた」 ●Heartrending 鮮血色の粘液が宙に撒き散らされる。 それを掻い潜ったアナスタシアの手が壁を足場に跳びはねる蜘蛛の脚の一つを掴む。 「あたしの手で良いなら、いっぱい汚してあげる」 声と共に腰に捻りを加え、全力で大地へと叩き付ける。漏れ出た空気で一瞬途切れる悲鳴。 自由にならない身体なのであれば、何故痛覚だけを繋げると言う真似をしたのか。 理由に想像が付くだけに、アナスタシアの表情も思わず歪む。 「っ……」 悔しい。苦しい。そして、悲しい。ニニギアの瞳が自然と下がる。彼女の癒しは神の息吹。 蜘蛛の巣で封じられた『戦場に咲く一輪の黒百合』紅先 由良(BNE003827)が動きの自由を取り戻す。 「縁も所縁も有りませんが」 血を吸う対象としては余りに不適当。由良からすれば余り興味のそそられる相手では無い。 けれど、這い回る動きの醜さと痛みに苦しむ少女のアンバランスは何処か憐憫を誘う。 放った黒色の閃光が蜘蛛の脚の一本を撃ち抜くも、何処か興が乗らない。まるで、弱い物苛めみたいで。 「いいか、これは全部悪い夢だ」 間近に迫ったアラクネに、ユーニアが告げる。当然、この場に欺瞞は通らない。 聞き齧るだけでの人物像でも、『人形遣い』とやらの悪趣味がそんな中途半端である筈も無い。 彼女は感じているだろう、圧倒的なまでの現実を。 この悪夢の全てが“不運”と言う一言で片付けられつつある事を。 痛みと苦しみで千々に乱れる思考を無理矢理繋ぎ合わせられ、逃げ場など残されていないだろう。 だからこそ、言わずにいられなかった。 「すぐに全部終わる……俺達が終わらせてやるから」 どうせ殺すのだ。だからこんな物は感傷だ。そう、感傷だけれど。 蜘蛛の体躯を蝕む暗黒が、少女の悲鳴を奏でる。それを達観して眺めるには、彼の心は未だ若過ぎる。 「ぐっ……ぅ……」 それは、悠里とて同じだ。集中を研ぎ澄ませるその間。彼は必然少女の表情を間の当たりにする。 痛いと、やめてと、恐怖と不条理に悲痛な声を上げるその顔を見つめ続ける事になる。 自分の痛みなら、耐えられる。けれど、これは何だ。 こんな声を聞かない為に、こんな悲劇を起こさない為に、戦って来たのでは無いのかと。 ――待ってて、すぐ楽にしてあげるから。 大気を裂く銃声。その苦しみを、ホンの少しでも分かるとは思えない。 もし、あんな姿になったら。京子は一瞬それを考え、考えるのを止めた。 答えなど出る筈が無い想像の遥か外の話。でもきっと、平常で何ていられない。 「目を背けては、いけない」 京子の最も親しい先輩は、何時も不器用なほど真っ直ぐに、ままならぬ悲劇を見つめていた。 だから、それに倣う。視線を逸らさず、己に違わず、痛みも苦しみも噛み締めトリガーを引く。 「ああ」 龍雨が呼気を溢す。ニニギアの圧倒的なまでの癒し。その存在感は非常に大きい。 けれどそれを加味しても尚、アラクネは決して脅威的な存在ではなかった。 最も大きな点がその動きの単純さである。壁を足場に右へ左へ飛び跳ねる。 これ程の身の軽さを持ちながらも、その攻撃は酷く直線的だ。 「本当に、何も分かっていないんだな」 戦いに慣れない龍雨でも、これなら良く見れば当てられる。感傷の入り込む余地が生まれてしまう。 死んでも死にきれないだろうと、思えてしまって。唇を噛む。 「言い訳はしないよ」 淡々と、仕事に徹する声音。喜平に至っては目で追える所の話ではない。 彼は蜘蛛の動きを読み、速度で上回り、間近で散弾銃を構えてみせる。 一対一でも行けるのでは無いかと感じられる程の力量差。 光芒を残し放たれた散弾は他者を魅了する程の軌跡を描きアラクネの体躯に突き刺さる。 「あ――」 アラクネもまた例外では無い。その華麗とすら言える一撃に目を奪われた少女は、瞬く間我を忘れた。 一瞬。だが十分だ。それを、待っていたのだから。 「ごめんね。さようなら。」 悠里の蹴りが真空の刃を伴い放たれる。狙い違わず吸い込まれる様に、その切っ先は少女の首元へ。 けれど、アラクネは三つ首である。首はあらゆる部位の内で最も狙い難い。 ぽーんと、冗談の様に三つの首の一つが飛ぶ。だが、まだだ。まだ動く。 それを狙ったのが、悠里一人で、有ったならば。 「せめて、普通に生きてた頃の良かった思い出だけ持って逝けよ」 一足で距離を詰めたユーニアが痛む王の名を持つ刃を振るい、 「すまない」 龍雨が少女の首を切り落とす。間近で体に返り血を被る。その体温は紛れも無く人間のそれ。 鮮血は温かく、絶息する間際。交わった眼差しは同年代の女の子の物で。 「最後まで人間だったよね……」 ニニギアの呟きが、静かに。 「化け物なんかじゃ、なかったよね……」 ただ静かに、動きを止めたアラクネを――犠牲になっただけの、少女を悼む。 「……とても頑張ったね、お休みなさい」 幕を引く、京子の声に思いがけず瞳が落ちる。やるせない。残った後味は鉄の様な苦味だけだ。 「……っ」 だからもう、限界だった。 「こんな戦い、見ていて一体どんな気持ちなの! ドールマスタ――ッ!」 穏やかで知られるニニギアが、激昂の声を上げる。 であればきらりと、応じる様に直ぐ近くのビルの窓が不自然に光ったのを。 彼らが見落とす筈も、無かった。 ●Non effective Communication そして人形劇は幕を閉じる。 「初めて殴った日のコト、その感触、この間の悔しさ、全部まだ覚えてるよぅ」 「私も忘れていませんよ。あの子は良い剥製になりそうだったのですけどね」 ユーニアが周囲を見回す。件の女を含め計8人。総数は同じ。状況の不利は言うまでも無い。 「ああ、あんたが。一度顔を拝んでみたくてさ。人形みたいって言ったら怒るか?」 「いいえ、お褒めに預かり光栄です」 くすりと、漏れた呼気に怖気が走る。纏った濃い死の香り。 悪女と言うなら『塔の魔女』が先ず頭に浮かぶが、それに近しくも遠い異物の気配。 「はじめまして、紅先由良と申します。お噂はかねがね」 「こちらこそ、綺麗な虹彩の両の瞳。素敵ですね」 膝を軽く折り一礼を送った由良に、灰色髪の女が視線を向ける。 ぞわりと、背筋を這うのは刃物の様に冷たい何か。 大型の爬虫類に値踏みされている様な感覚を憶え、思いがけず一歩退く。 「それ、私にくれません?」 歓談の様な流れに紛れ、じりじり詰めていたリベリスタ達が警戒を最上位まで引き上げる。 『ドールマスター』ティエラは極めつけの“ルール違反”である。 その一手は戦いの常識を覆し、決定的と言える程の戦況悪化を対する者に押し付ける。 「――見え――っ」 だが、アナスタシアはそれを知っている。ニニギアはそれを見てきている。 悠里はそれをその身に受けすらしたのだ。その積み重ねは、その経験は、決して無駄にはならない。 特に、明らかに格上の存在と対する場合に、情報とは、即ち力と同義。 「――――た!」 一瞬の判断で側方へ跳んだ悠里の頬の横をうっすらと見える気糸が通り過ぎる。 放った後も多少の修正が効くのか、差し出すような手から放たれた奔流の様な気糸の螺旋。 最初の対峙では知覚すら出来なかったそれを、幸運の後押しも受け辛くもかわす。 「あら」 それに対し、ティエラは小さく瞬いたか。自身の奥義が破られた事による驚きにしては弱い。 いや、当然か。それは破ったと言うには余りに―― 「くっ」 「えっ」 「……!?」 悠里同様に、人形操りの気糸をかわし得たのは京子だけである。 アナスタシアが、ユーニアが、龍雨が、己の意志とは全く無関係に動き出す。 出会い頭の気糸を警戒し、距離を取っていた喜平。後方に退避していた由良とニニギアへは、 そもそも気糸が向けられすらしなかった物の3人が掴まってしまえば同じ事である。 「まあ、何だか今一つ彩りに欠けますね」 そんな声が響くが速いか、ユーニアが真後ろに控えたニニギアへ跳び掛かり、 アナスタシアが慌てて視線をティエラへと向ける。ただ操られて終わりに何て、させはしない。 (……やっぱり) 透視。彼女の瞳に宿った神秘は通常の物品を透過する。 それを用いた眼差しが人形遣いの体躯を辿るも、しかし見えない。透過の魔眼を通さない。 逆説、彼女の纏う衣類は何らかの特殊な素材であると言う事になる。 何をそれほどまでに隠しているのか。答えを見つける前にアナスタシアの意志を無視して振るわれる拳。 「くっそっっっ!」 今まで。積極的に誰かを殺そうと思った事は無い。 けれど、駄目だと。そう確信した。叶うなら守る側の人間でありたいと。 そう思い続けて来た悠里が、殺さなくてはならないと感じた存在。人形遣いが其処に居る。 だが、彼の進路をアナスタシアが遮る。 他の2人もそうだ。彼らは的確にティエラへの射線を塞ぐ様に配置されている。 「なん、だ、これっ!」 「これが、人形遣い……!」 龍雨の一撃を京子が避け、返礼する様に“運命喰い”を気糸へと向ける。 「やるって言うなら、こっちだって!」 だがしかし、必中を喫した精密射撃は気糸を透過する。当たらない。打ち抜けない。 「ふふ、面白き、事も無き世を面白く」 淡く微笑むティエラはその混乱を眺めるだけ。傷一つ無く、指を手繰る度に人形と化した3人が動く。 「――……許さないんだからっ!」 けれど。その声は何処か。ユーニアの持つ鋭い針に身を貫かれたニニギアが猛る。 のんびりとした彼女が心底から憤っていた。絶対に、このままでは終わらせない。 全力を込めた声音が静謐な息吹を伴い吹き荒れる。癒しの声を、癒しの力に。 彼女の戦いは何時だって、誰かを傷付ける者に抗う戦いだ。だから―― 「……ん? あれ」 3人の内唯一人。ユーニアが奇妙な声を上げる。両手の動きを確かめ、瞬く。 動く。自分の意志で。彼に接続されていた気糸が、気付けば聖光に溶かされ消えていた。 「状態異常、だったのか……?」 その問いに、答えられる者は居ない。けれど、けれど、けれど。 「ヤバいな」 空気が変わった。それを総身で受け取り喜平が周囲を見回す。 今までは、余興だった。デモンストレーションだった。だが、何かを踏んだのだ。 だから状況が変わった。薄く笑む人形遣いの瞳が、ニニギアへ向く。 「戯れが、過ぎましたか」 指が鳴らされる。次の瞬間、吹き荒れたのは弾丸の雨。 蜂の巣を突いた様な、と言う表現がしっくり来る銃弾の騒音に混じり詰めて来る二挺拳銃の男が2人。 「……退きましょう」 京子の提案に、悠里が頷く。操られたアナスタシアの攻撃を捌くのに手一杯とは言え、 後方へ下がるだけなら障害は無い。だが問題は―― 「良いんですか?」 人形遣いが指を振る。アナスタシアと龍雨の動きが止まる。彼女らは操られたままだ。 暗に言っているのだ、逃げれば彼女らがどうなるか、と。 脳裏に、アラクネと呼ばれた少女の顔が、浮かぶ。 「……本気でやりあえばそちらも無事では済みませんよ」 「帰られるお客様に、お土産も無しでは寂しいでしょう?」 それは汚泥で出来た沼である。憎悪と言う名の湿地に底など有る筈も無い。 龍雨を羽交い絞めにしたユーニアの体躯に無数の銃弾が突き刺さり、それを京子と 己の攻撃で血塗れになった悠里がアナスタシアを抑え込む。 ニニギアがこれを必死に癒すも、彼女を射抜くは人形遣いの針の穴貫くピンポイント。 「少しでも何か……せめて、一矢……!」 「お前はっ! 絶対に! 殺してやる――!」 龍雨と悠里の怒りの声はけれど、未だ届かない。 足掻く者と下がる者。せめて一撃と望む者の混在は迅速な撤収を妨げる。 それ故に、半ば混戦の体を為した撤退戦はけれど為る。 「命が、惜しくは無いのですか?」 「よくわかんねーな。俺ガキだし」 殿を務めていた少年による必死の抵抗。それに間を取られ人形遣いらは廃ビルの入口で足を止める。 退いて行くその姿に薄く瞳を細めながら。女は笑う、人でないかの様に。人でなしの様に。 「……面白い子だこと」 ――人形で、あるかの様に。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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