● 赤い色が、鮮やかに散った。 無惨に引き裂かれた獣が、どさりと地に落ちる。 それを見下ろした男は、低い唸り声を上げていた。 男の頭と、破れた服から覗く四肢は、黄褐色に黒い縞模様が刻まれた虎そのもの。 鋭い牙と爪が、血の色に染まっている。 男は両手を目の前に翳し、それをじっくりと眺めた。 唸り声が止まり、山の中に沈黙が訪れる。 しばらくして、男は獣の傍らに屈み込んだ。 そこに広がる血だまりに、無言で手を浸す。 両手から鮮血を滴らせた虎頭の男は、早足で洞窟の中に消えていった。 ● 「――いま見てもらったのが今回のターゲット、虎の頭と四肢を持つノーフェイスだ」 正面モニターの電源を切った後、『どうしようもない男』奥地 数史(nBNE000224)は顔を上げてリベリスタ達を見た。 「元は五十代半ばの男で、ホームレスとして各地を転々としていたらしいな。 革醒した後、人目を避けるようにして山に入り、あの洞窟に篭ったのはハッキリしているが、 それ以外の詳しい経歴は一切わからない。戸籍もあるかどうか怪しいもんだ」 洞窟に移り住んでからというもの心身の変化が著しく、今は人としての理性はほとんど残っていない。近付けば、まず問答無用で攻撃を仕掛けてくるだろう。 だが――と、数史は言葉を続けた。 「彼には、今でも強く執着している『何か』があるらしい。 その執着に引っ張られて、数時間ほど理性を取り戻すことが稀にある」 ノーフェイスが執着する『何か』を言い当て、そこに訴えかければ、彼の攻撃の手を緩めることができるかもしれない。 しかし、それは難しいだろうと数史は言う。 男に関する情報が少ない上、『何か』を推測するとしても手がかりに乏しい。 たとえ空振りでも、それ自体によるデメリットは殆どないので、思いついた事があれば試しに言ってみるのも良いだろうが……そこだけに拘って戦闘がおろそかになっては本末転倒だ。 なので、あくまでも参考程度に留めてくれ――と、黒翼のフォーチュナは念を押す。 「戦いになれば、増殖性革醒現象でエリューション化した三体のE・ビーストが三体が加勢する。 厄介だが、ここにいる全員の力を合わせれば全滅させることは充分に可能なはずだ。 たとえ、ノーフェイスが万全の状態であっても、な」 ――どうか気をつけて行ってきてくれ、と数史はリベリスタ達に言った。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:宮橋輝 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 2人 |
■シナリオ終了日時 2012年06月15日(金)23:01 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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■サポート参加者 2人■ | |||||
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● 緩い傾斜が続く山中を、十人のリベリスタが慎重に進んでいた。 「虎になっちゃった中国の詩人のお話、ありましたよね」 小さく首を傾げながら、『ミックス』ユウ・バスタード(BNE003137)が話を振る。 確か、あれは『山月記』だったか。 己の才能に対する自信と不信、辛い現実とのせめぎ合いで発狂し、虎になった男の物語。 「人には変身願望があると聞きます」 そう言って、『下策士』門真 螢衣(BNE001036)は今回の撃破目標であるノーフェイスに思いを馳せた。 革醒して虎の姿になった男は、ただ独りで山に入り、洞窟に潜んでいるという。 彼は、望んで虎になったのだろうか。仮にそうであれば、何が彼をそこまで駆り立てたのか――。 フォーチュナは、ノーフェイスが『何か』に強い執着を残していると言ったが、螢衣には見当もつかない。 「ノーフェイスと化し、山野を彷徨うようになったのは可哀想ですね」 やや俯き加減に、『おとなこども』石動 麻衣(BNE003692)が口を開く。 運命に愛されなかった男の姿は、場合によっては自分達の姿であったかもしれない。 リベリスタとノーフェイス、それを分かつものは気紛れな運命(フェイト)の有無でしかないのだから。 「人に迷惑をかけないよう人里を離れたんだろうが、 そこで理性をなくしてしまうってのは皮肉なもんだ」 麻衣の言葉を受けて、雪白 音羽(BNE000194)がしみじみと言う。 革醒がノーフェイスの心身を大きく変容させたことは疑いようがない。 しかし、彼の狂気がさらに加速したのは、人との繋がりを絶ってしまったからではないだろうか。 心や理性というものは、人との触れ合いで育まれるものだと、音羽は思う。 じっと考えこんでいた『断魔剣』御堂・霧也(BNE003822)が、誰にともなく呟いた。 「最近になってよく思うよ、俺は。 ただ敵を斬るだけがリベリスタの仕事なのか……って、な」 もし仮に、ノーフェイスが自らの心を取り戻したなら――その時は。 人情噺に興味は無い、といった風情で、『√3』一条・玄弥(BNE003422)が周囲を注意深く見回す。目指す洞窟は、もうすぐそこのはずだ。リベリスタ達の接近を察知した敵は、問答無用で襲いかかってくるだろう。 『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)が全員に声をかけ、作戦の最終確認を行う。陣形を整えた十人のリベリスタが、洞窟に向けて駆けた。 「ふん……虎のビスハの拙者が本当の虎人の怖さを教えてやるでござるよ!」 白虎の尾を揺らして先陣を切った『自称・雷音の夫』鬼蔭 虎鐵(BNE000034)が、洞窟から姿を現した虎頭のノーフェイスを睨む。 続いて三体のE・ビーストが飛び出したのを見て、上着に仕込んだ照明を眩く輝かせたうさぎが叫んだ。 「こっちを見なさい畜生共!」 獣たちの四対の視線が、うさぎに集中する。 低い唸り声とともに、ノーフェイスが地面を強く踏みしめた。 ● 地を揺るがす衝撃とともに、虎頭のノーフェイスが両腕を振るう。 風を切って生じた真空の刃が、接近するリベリスタ達を迎え撃った。 肌を裂く不可視の刃を掻い潜り、虎鐵が狐のE・ビーストに接近する。 「さて、まずは一気にギアをかっとばすでござるよ!」 愛刀“鬼影兼久”を携えて肉体の枷を外す虎鐵の傍らに霧也が駆け込み、眼前の狐に向けて暗黒の瘴気を呼び起こした。 まずは、最も厄介な魅了の技を持つ狐を封じなければならない。 術式用手袋“アメノコヤネ”に覆われた両手で印を結び、螢衣が呪を唱える。 「……知らせばや成せばや何にとも成りにけり心の神を身を守るとは……」 展開された呪印で狐が金縛りに陥った直後、ノーフェイスの前に立ったうさぎが軽やかにステップを踏み、“11人の鬼”を振るった。涙滴型の刃が、近くにいた兎もろともに虎頭の男を切り刻む。漆黒の闇であつらえた無形の武具を身に纏った玄弥が、野犬の抑えに回った。 敵意を剥き出しにするノーフェイスを視界に映し、ユウが自らの動体視力を高める。 虎になった男の執着が何であれ、彼が討伐対象であることに変わりはない。あくまで、優先されるべきは攻撃であり、殲滅だ。 アルフォンソ・フェルナンテ(BNE003792)が、全員の戦闘効率を高めるべく攻撃動作を共有させる。後衛に立つ音羽が、荒れ狂う雷で全ての敵を貫いた。魔力増幅の魔方陣を描くのは後でもできる。仲間たちが力を高める間、敵の出鼻を挫くのが己の役割と彼は承知していた。 地を蹴って高く跳んだ兎が、うさぎを強襲する。うさぎが身を捻って直撃をかわすと同時に、野犬が大きな口を開けて玄弥に飛びかかった。 「獣臭いわ」 忌々しげに顔を歪め、彼は“金色夜叉”――守銭奴の象徴たる黄金の鉤爪を翳して鋭い牙をやり過ごす。 周囲の魔力を取り込んで自らの力を高める麻衣の少し前方で、『青い目のヤマトナデシコ』リサリサ・J・マルター(BNE002558)が輝くオーラの鎧をうさぎに与えた。 虎頭のノーフェイスが、獣の雄叫びを上げてうさぎを襲う。 全身を覆う光の鎧に攻撃を跳ね返されようと、まったく意に介していない。 鋭く尖った爪がうさぎの脇腹を抉り、牙が肩口に食い込む。 攻撃で生じた一瞬の隙を突き、うさぎがお返しとばかりに死の刻印を見舞った。 改造小銃“Missionary&Doggy”を構えたユウが、その銃口から魔力の弾丸を天に放つ。 降り注ぐ無数の火矢が、ノーフェイスと獣たちを瞬く間に炎に包んだ。 浮き足立つ獣たちを横目に見て、玄弥が含み笑いを漏らす。 「けっけっけっ」 湧き上がるように生じた暗黒の瘴気が、野犬と狐を狙い撃った。音羽が魔方陣を展開して自らの力を高めていく中、アルフォンソが防御の効率動作を共有させ、仲間達の守りを固める。 うさぎに駆け寄った螢衣が、厳かに真言を唱えた。 「おん・ころころせんだり・まとげいに・そわか」 決して浅くはないうさぎの傷が、たちどころに癒えていく。炎に巻かれ、文字通り飛び上がった兎が螢衣を狂ったように蹴りつけ、野犬が高く咆哮を響かせた。 すかさず、麻衣が神聖なる光を輝かせて状態異常を払う。その直後、ノーフェイスの気迫が衝撃を伴って空気を震わせ、鋭い爪で切り裂かれた空間から真空の刃が飛来した。 特注の盾を両手に掲げたリサリサが、麻衣の前に立って彼女を庇う。 「ワタシの力は護りの力、護ることがワタシの存在そのものです」 彼女の“全てを守る決意”――鉄壁の護りは、この程度の攻撃で崩れはしない。 ユウが燃え盛る火矢を敵に浴びせ、激しい炎で全身を焼き焦がす。刀工不明の黒き大太刀にオーラを纏わせ、虎鐵が狐に打ちかかった。 「そんじゃあーまずは一発斬りつつの――」 強烈な一撃を加え、素早く刃を返してさらに振り抜く。 「斬り返しでもう一撃でござる!」 見事に両断された狐の死骸が、鮮血の尾を引いて地にどさりと落ちた。 素早く飛び退り、残る敵を射線上に捉えた霧也が、己の生命力を糧に暗黒の瘴気を解き放つ。 渦を巻く瘴気が兎を覆い尽くし、それを跡形もなく呑み込んでいった。 ● 二体のE・ビーストを立て続けに屠ったリベリスタ達は、勢いに乗って攻撃を加えていく。 漆黒の闇を纏って野犬を翻弄する玄弥が、禍々しい赤に染めた金色の鉤爪を立て続けに振るった。 「――切る、切る、切る、切る!」 鉤爪が野犬の肉を抉り取り、貪欲に血を啜る。 周囲に漂う魔力をその身に取り込み続ける麻衣が、癒しの福音を奏でて全員の傷を癒した。 敵が半減し、戦況には少し余裕が出てきている。 頃合と判断した虎鐵は、巨体から鋭い爪を振りかざしてうさぎを襲うノーフェイスに揺さぶりをかけるべく、彼に言葉を投げかけた。 「拙者考えたのでござる。虎になったホームレス男性が思うものといえば――」 バター、マタタビ――虎から連想する単語を並べていくも、反応はない。 ホームレスの“我が家”たるダンボール、そして彼らが求めてやまないはずの金について呼びかけてみたが、虎頭のノーフェイスは変わらず獣の唸りを上げている。 「ぐあー! どれも外れなんてイライラでござー!!」 焦れた虎鐵は、手にしたダンボール箱を力任せに投げつけた。 ノーフェイスの猛攻を一手に引き受けるうさぎの様子を気にかけつつ、霧也が暗黒の瘴気で攻撃を続ける。 彼は、琥珀にも似たノーフェイスの瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。 「教えてくれ、アンタは何を成そうとしてたんだ……?」 人の世を捨て、心すらも失いつつある男が、今もなお執着し続けるものの正体。 その答えは、虎頭のノーフェイスが背にしている洞窟の中に眠っているのか――。 「……ひょっとしたらですけど、貴方が欲しいのはこれですか?」 防御に専念して先の攻撃を凌いだうさぎが、ノーフェイスの眼前に絵の具の箱を差し出した。 琥珀色の瞳が大きく見開かれ、彼の喉を震わせていた低い唸り声が止む。 「あ゛、う゛ぁ、おぉ……ッ」 歓喜とも、慟哭とも取れる声を上げ、虎頭のノーフェイスは絵の具に震える手を伸ばした。 直後、両手で自らの頭を掻き毟り、身を大きくよじらせて獣の絶叫を響かせる。 ノーフェイスが『絵を描くこと』に執着しているという、うさぎの推測はおそらく正しかったのだろう。 しかし――“獲物”を前にしている今は、芸術家の魂よりも殺戮を好む衝動が勝るのか。 「願わくは束の間でも思う様描いて欲しいん、ですが……難しいですかね」 小さく溜息をつき、うさぎは絵の具の箱を足元に置く。 できればノーフェイスの望みを叶えてやりたかったが、致し方ない。 素早く体勢を立て直して間合いを取るうさぎの傷を、螢衣が真言で癒す。音羽の雷撃が一帯を激しく駆け巡り、野犬に止めを刺した。 残るは、虎頭のノーフェイスただ一人。 地面に置かれた絵の具の箱が気になるのか、彼の動きは先に比べると明らかに鈍っていた。 戦場全体に視野を広げたアルフォンソが、敵を追尾する神秘の刃でノーフェイスを撃つ。額を傷つけられたノーフェイスは、赤い血をだらだらと流しながら闇雲に爪を振るった。 次々に襲い来る不可視の真空刃が、リベリスタ達に傷を刻む。鮮血が、あちこちで飛沫を上げた。 それを見たユウは、『どうしようもない』黒翼のフォーチュナが視た予知を思い出す。 血だまりに浸されて、真っ赤に染まったノーフェイスの両手――。 彼の執着が『絵を描くこと』だとするなら、それを呼び覚ましたのは“赤い血”ではないか、と。 かつて、己の力量では決して出せなかった鮮やかな“赤”。生命を育む、究極の色。 男は、それで『絵を描くこと』を思いついたのではないだろうか。 「今回の革醒に直接の関係は無いでしょうけど、さて――」 “Missionary&Doggy”を構え、ユウはノーフェイスに狙いを定める。 真空刃に切り裂かれた腕から流れる血を見せつけるようにして、霧也が問いかけた。 「アンタはコイツが欲しい殺人鬼か? それとも、誰にも知られず何かを作り出す芸術家か……?」 ノーフェイスは、ぐるぐると喉の奥で唸ったまま答えない。“金色夜叉”を黒い光に包んだ玄弥が、ゆるりと距離を詰めた。 「どないなゲイジュツをつくっとんねぇ?」 ――色に見せられ、赤に魅せられ、行き着く先は何がある? 虎となってもまだ己の芸術にしがみ付こうとするさまは、まさに『山月記』の詩人を思わせる。 「しやかて、どないに言いつくろってもやってることはただの殺しやぁ。 ケジメはしっかりつけさせてもらうでぇ」 告死の呪いを帯びた鉤爪が、ノーフェイスを深々と貫く。 斬馬刀を携えた霧也が、そこに突進した。魔具と化した巨大な刀が、鮮血を吸ってひときわ赤く輝く。 霧也はノーフェイスを倒すためここに来た。 たとえ正気に戻ったところで、攻撃の手を緩めることは決してない。 それでも――もし、男が心を取り戻し、人として何かを語るなら。 最期の頼みを、聞いてやりたい。 ● 「人里離れて、自然の中に沈んでどうだった? 忙しかった時は見えなかったものに気づいて創作意欲が湧いたんじゃないかね?」 周囲に魔方陣を展開する音羽が、虎頭の男に呼びかける。 そこから射出された魔力の弾丸がノーフェイスを穿つと同時に、彼は言葉を重ねた。 「上を見れば空が、夜空が、外を見れば日に、月に照らされ日々姿を変える景色、没頭できる環境だ。 できれば作ったものを見せてくれないかね?」 男の中で、人の心と獣の本能がせめぎあう。 喉から漏れる唸りは、思うに任せぬ自らの運命に対する嘆きの声か。 凛とノーフェイスを見据えた螢衣が、彼を占う。 「星の位置が極めてよくありません。 この場を切り抜けるのは絶望的です。大人しく諦めてください」 不吉な宣告とともに生み出された影が、虎頭のノーフェイスを包み込んだ。 無論、言われるままに諦めてくれるなどとは考えていないが――。 苦しげに身をよじるノーフェイスを見て、リサリサは思う。 (せめて、最後は意識の戻った状態にしてさしあげたい……) リサリサに護られる麻衣も同じ思いではあったが、それは果たして本人にとって幸せなのかどうか。 仮に意識を取り戻すことができたとしても、自分自身の境遇を認識することで更なる絶望を与えてしまうかもしれない。 (――それもまた、私のエゴなのでしょうか) 考えても、答えは出ない。 麻衣はただ、癒しの福音を響かせて仲間達を支える。 突如、ノーフェイスが狂ったような雄叫びを上げ、虎鐵に喰らいついた。 腕を翳して喉笛を庇った彼は、まったく揺らぐことなく眼前の敵を見据える。 「虎のノーフェイスなんかに負けられないでござるし……!」 虎鐵は力任せに腕を払うと、“鬼影兼久”を全力で振り抜いた。 黒き大太刀が一閃し、渾身の一撃をもってノーフェイスの巨体を吹き飛ばす。 獣であることを肯定し、僅かに残る人の心を打ち砕こうとするかのように、虎の頭が咆哮した。 それを聞き、うさぎは首を横に振る。 「いいえ。貴方は人間だ。執着する心があるのなら、未だ、人間だ」 岩肌に叩き付けられたノーフェイスに迫り、懐に潜り込む。 うさぎは躊躇いなく、死の刻印を彼に刻んだ。 「――そして私は、人殺しだ。貴方を、殺すのですから」 致命の呪いとともに、猛毒がノーフェイスの全身を駆け巡る。 ユウが“Missionary&Doggy”から光の弾丸を放ち、彼の心臓を貫いた。 穿たれた弾痕から、鮮やかな赤が溢れ出す。 「いい色、出ました?」 銃を下ろしたユウがそう問いかけた時、虎頭のノーフェイスは自ら作り出した血だまりに沈んだ。 ● 死に逝く虎頭の男に、音羽が歩み寄る。 「作品あればみていいかね? あんたの物を見てみたい」 彼が声をかけると、ノーフェイスは最期の力を振り絞るように顎で洞窟を示した。 何か言いたげに口を動かした後、そのまま事切れる。 どうやら、“作品”を鑑賞する許可は得られたようだ。 霧也は懐中電灯を携え、仲間達とともに洞窟に入る。 とうとう言葉で語られることのなかった男の想い。それが、この奥にあるはずだった。 狭い通路を抜け、少し開けた空間に出る。 闇を見通す虎鐵の目に、一面に描かれた赤い壁画が映った。 「成る程、これが――」 呟きを漏らす螢衣の隣で、ユウは男が遺した最期の“作品”に見入る。 鮮烈な赤で染め上げられた、血の壁画。 水墨画の如く、一色の濃淡で描かれた風景の中で、虎頭の男が天に吼えている。 絶望と苦悩、そして、虎となってもなお尽きぬ執念を込めて。 狂気に歪められ、途切れていく意識の中、男はこれを描いたのだ。 素人目に見ても、洗練された絵画とは言い難い。 芸術作品としての価値は、殆どないに等しいだろう。 だが――そこに塗り固められた感情だけは、鬼気迫るほどに伝わってきた。 その全てを、うさぎは心に焼き付ける。 彼を殺した自分達は、これを忘れてはならないのだと――そう思った。 「死体、埋めてやらないとな」 音羽の呟きに、麻衣が頷きを返す。 洞窟の隅に懐中電灯を向けると、ボロボロになったスケッチブックが落ちていた。麻衣は、それをそっと拾い上げる。 「もし彼に家族がいるのなら、せめてこれだけでも届けてあげたいですね」 名前も知らぬ男の、存在するかどうかもわからない家族を探すのは、困難を極めるだろうが――。 洞窟を出る時、玄弥はふと思い立ったように血の壁画を振り返った。 「どないなこといっても所詮はただの落書きや」 冷めた瞳で唾を吐いた後、戦いで負った傷から流れる血で何かを書き加える。 玄弥が去った後、そこには真新しい血文字で『此夕渓山対明月』と刻まれていた。 此の夕べ、渓山明月に対し―― かの物語で虎になった男が詠んだ、漢詩の一節である。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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