●潮時 「ふむ……」 密やかに隠匿された『隠れ家』でフィクサード、蝋崎白亜は深い思案をめぐらせていた。 貴族的な装いをする彼の端正な顔を沈思黙考に沈めている理由は此処暫くは一つである。『極東の空白地帯』と呼ばれた日本にアークなる組織が存在感を示してから幾ばくかの時間が経つ。かのアークは大方の予想では最初の頃こそ幾ばくもなく『撃沈』すると見られていたがフィクサード主流七派が差し向けた『相模の蝮』を打ち破り、かのバロックナイツの『ジャック・ザ・リッパー』を陥落せしめ、古代のアザーバイド『温羅』までもを打ち破ったとなればこれはもうフロックと切り捨てるのも無理があるという話である。 「……この国は私の『趣味』を満たすには中々良い場所だったのですが……」 この暫く白亜が活動を停止する事を余儀なくされていたのは偏にかのアークを警戒してのものである。超高性能を誇る神の目『万華鏡』は神秘事件の殆どを見逃さないという。彼等の『勝率』を考えた時の単純な数学である。アークのエージェントが攻め入ってきた場合、必ず負けるとは言い難いものの望まぬ結果を強いられる可能性は決して低くは無い。白亜は自分の力に自信を持っていたがそれを過信して討ち取られたフィクサードも少なくない事を知っていた。 「……ふむ、やはりそろそろ潮時か」 再び呟いた白面の美男子は自室に並ぶ美しい少女の蝋人形を見渡して手元の羽ペンを手に取った。わざとらしい拘りを見せる彼は羊皮紙にすらすらとペンを走らせて、赤い蝋で厳重な封印を施した。 手紙の宛先はあのアークである…… ●アークへの手紙 「そーゆー訳でお仕事です。最近の流行ですかね。フィクサードからのお手紙ですよ!」 「……嫌な流行もあったもんだな」 「あはは。そう言わない! 皆さんの実力が認められたからですよ! 特に今回は!」 『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア(nBNE001000)は少しうんざりしたような反応を見せたリベリスタにテンション高くそんな風に告げてくる。 「どういう意味だ?」 「どういう意味も何も、今回の仕事はフィクサードからの交渉に対応するものという事ですよ」 「……交渉?」 「交渉です。こちら、お手紙。差出人は『蝋公子』蝋崎白亜。名前は体を表すって感じですね。この方、美しい女性を蝋人形に変える事がライフワークの所謂悪趣味な変態の方です。良く居るタイプですね!」 「……あっけらかんと言うなよ。それでどうした」 「この方、アークのこの所の活動にかなり警戒を強めていたようで、どうも日本を見限ったみたいですね。アークとの争いを避け、海外への脱出を考えているみたいです」 「それで?」 「ここからが仕事ですね。交換条件を持ち出してきました。曰く今まで蝋人形に変えた『コレクション』を返却すると。彼のアーティファクトは生命を保存したまま生物を蝋人形に変えられるみたいですね。その代わりにアークは彼に金を支払えと。ざっとその数は百以上……交換条件は三億円」 「……」 余りに身勝手な要求に絶句するリベリスタ。 「一体ざっと三百万は彼としてはかなり『負けた』心算みたいですけどね。 彼はその気になればこの蝋人形を何時でも破壊する事が出来る。お互いの良識を信じ、フェアなトレードをしようとはあちらの言い分ですが。まぁ、難しい所ですね。お金を払ってきちんと『人形』を取り戻すのが最低条件。これについては沙織様が話を承認しています。最上は白亜様を出し抜いて人形だけを取り返し、彼を捕縛か殺害する事。最悪はお金だけ持ち逃げされる事です。方法を選ぶのは現場判断に任せるとの事ですから、皆さんにかかる責任は重大です」 「成る程、ね」 アシュレイの言葉に合点のいったリベリスタは頷いた。 交渉を受けるのは不愉快だが、人質を万全に取り返すのは強攻策では難しい。相手を信じるのは一つの手段だが、約束が守られる保証は無い。 戦闘のみに拠らぬ、これは難題であった。 「ああ、そうそう。一つだけ付け加えておくならば。 白亜様は小組織の主ですから、二十人程度の部下を連れています。こちらの部下の皆様はそう強くは無いですが、御本人は別物ですよ。 状況はちょっと具体的には読めませんが呼び出しは夜の埠頭です。当然、向こうは完全な準備を済ませているでしょうから、油断はせず気をつけて下さいね」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 4人 |
■シナリオ終了日時 2012年05月26日(土)00:01 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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■サポート参加者 4人■ | |||||
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●ゲイムI 「戦争ってのも、政治の一つだって言ったのは誰だったっけ――」 夜の埠頭に『正義のジャーナリスト(自称)』リスキー・ブラウン(BNE000746)の燻らせた紫煙が靡いた。 暗色のスーツにネクタイ、黒い革靴。彼こそ細い黒縁の眼鏡の似合う伊達男。 「――交渉するなら綺麗なおねーさん相手が最高。 男と腹の探り合いなんて、ね。まぁ美しい少女達を救うお仕事だ。精々、頑張るとするさ」 「シェークスピアでも少女を救う話は書く」 十余名のリベリスタ達の『敵』は軽快な声で彼の言葉を肯定する。 ぞっとする位に美しい男である。長めの黒髪を後ろで編むような形にしている。目は青色。見事な切れ長。鼻筋は高く通り、唇は薄く赤い。蝋のような蒼白の面にコントラストを思わせる程度には。 「諸君と会えた事を光栄に思いますよ、リベリスタ」 芝居がかった台詞を吐くこの男は『蝋公子』蝋崎白亜という。背後に部下を従える彼はフィクサードで厄介な悪党には違い無いのだが、今夜リベリスタ達が下された任務は毛色が違い、彼との対決では無かった。 「こちらこそ、この良き日を歓迎するぜ。ミスタ蝋崎」 食えないという意味では全く等しい『足らずの』晦 烏(BNE002858)である。 「手塩にかけた至高の逸品、美の蒐集物を手放すのは断腸たる思いとは理解するがね。それ故にお互いの信頼は大切だ」 烏の言葉に白亜は含み笑った。友好的な口調とは裏腹に彼我の間に張り詰める強い緊張感が仮初の時間の真実の意味を告げてはいたが、簡単に尻尾を出すような無様な役者は今夜に居ない。 アークとの対決を避け、海外に脱出すると告げてきた彼は自身が長年の犯罪歴の中で蓄えてきた『コレクション』の返却を申し出た。つまる所それは生物を蝋人形に変える彼の『キャンドル・ムード』の犠牲になった少女達である。彼はその引渡しの代価として合計三億円もの大金をアークに要求してきたのである! (ちょっぴり緊張するですが、あたしはさおりんの専属秘書なのです。 これ位でビビったりしないのです!) 愛らしい顔立ちに緊張感をピリピリと匂わせる『ぴゅあわんこ』悠木 そあら(BNE000020)は一億円のトランクをぎゅっと抱いている。 (失敗する訳にはいきません……から……) 同じく一億円のトランクを大切に大切に保持するのはスペード・オジェ・ルダノワ(BNE003654)である。 手にしたトランクは確かに重いが、百名以上の少女達の命に比べれば――重要な事では無い。アークの下した任務はあくまで人質の奪還なのである。 「やれやれ、沙織室長も人が悪い」 大仰に溜息を吐き出した『ピンポイント』廬原 碧衣(BNE002820)は台詞の後半を胸の内に飲み込んだ。 (『全てを救い、その上であの変態を必ず殺せ』 ――命令してくれれば私達は必ずそれを為してみせるんだがな) 嘯く彼女はそれでも状況を間違えてはいない。最優先は蝋人形──犠牲者の救出、それを強く理解しているのだが。 (どうか……) 潮の香りが鼻をつく。スペードの小さな胸が動悸に弾む。 (ボクも昔は人形みたいな物だったけど、人間を蝋人形に変えて楽しむなんて悪趣味極まるね。 そんな奴と取引するなんて癪だけど今は蝋人形を無事奪還する事が先決、落ち着かないとね……) 『愛を求める少女』アンジェリカ・ミスティオラ(BNE000759)の感情の見えにくい『人形のような』美貌に珍しい苛立ちが浮く。 「言っておくけど取引中には、疑われるような事はしないでね……」 「……油断のならない奴ッスからね」 念を押すアンジェリカと『宿曜師』九曜 計都(BNE003026)はほぼ同じ結論で敵陣営を油断無く見据えている。 「身の証を立てる必要はあるかしら?」 ここで『鉄火打』不知火 有紗(BNE003805)が不敵に笑った。 長身の女の風貌は格別の威風を感じさせながらそこに在る。 蝋崎自身がしたためた手紙を片手に持つ彼女に彼は笑いかけた。 「いいや、結構」 「へぇ?」 「私は諸君等を知っている。卵が先か鶏が先かの理屈になりますがね――」 目を細めた彼は有紗から視線を外すと面々に次々と視線を送る。 「エリス・トワイニング、アンジェリカ・ミスティオラ、廬原 碧衣、それから風宮 悠月……」 運搬用の車の傍で待機するエリス・トワイニング(BNE002382)も含め、それぞれの顔と名前を一致させる白亜の口元には笑みが浮かんでいる。 「今回は……まず……人命優先。無事に……交渉が……完了することを……祈る」 「私もです。ああ、『星の銀輪』、それから『ネメシスの熾火』よ。そんなに凝視をしてもこの夜に見通せる闇等ありはしませんよ」 「……そのようですね」 「……気安くそんな風に呼ばないで」 暗視を備える瞳に警戒の光を点すエリスに応えた白亜が笑い、特別に名指しされた『星の銀輪』風宮 悠月(BNE001450)が幽かな苦笑を浮かべ、『ネメシスの熾火』高原 恵梨香(BNE000234)は憮然とした調子で押し黙る。 一つ、人質たる蝋人形の位置と数の把握。 二つ、蝋崎側人員の配置と数の把握に、装備と役割の推測。 三つ、船内等に人質が隠されていないかの調査――二人に掛かる作戦の比重は小さくは無い。 敵を知れば百戦危うからず――敵も味方も同じ事。 多くの現場でその異能、千里眼を発揮する二人は少々名前が売れ過ぎていた。人質や敵配置を探ろうと試みても、三高平市と同じようにその魔眼を遮断する処置を施されれば即座に打つ手は無い。少なくとも目の前の男の視線を気にするならば。 コンテナに囲まれた埠頭は人質を隠すのに実に適している。蝋崎の船の中の様子を知る事が出来れば取り得る手段は増えるのだが…… (……流石、と言うべきなのでしょうね) 悠月は小さく臍を噛み、現状の認識を修正する。 神の目を備える箱舟は驕る敵の隙を突き、鮮やかに作戦を展開する事で殆どの場合、優位と勝利を収めてきた。 しかし、箱舟自体が『恐れられる立場』になったならばそれは望めまい。 「私は諸君等を決して軽く見ては居ません。密談の方も――お静かに」 口元に一本の指を立て、悪戯っぽく白亜が言う。 ジャミング。白亜の陣営には多くの部下が居るのだ。リベリスタ達が異能を発揮するのと同じように『待ち構えていた』彼はそれなりの準備をしてきたという事。 「……五分ッスね」 彼が対策を取るのと同じように万一にも騙されまいと幻想殺しのその浄眼を光らせるのは計都である。 「クルーザーまで持ち出してくる事を考えると、逃がす気は無い……という事でしょうか?」 試すような言葉は埠頭に乗りつけた『リベリスタ見習い』高橋 禅次郎(BNE003527)に対してのものであった。 (ったく、いい性格してやがるな) デッキから埠頭を見下ろした禅次郎は頭をかいて内心で呟いた。 白亜の言葉は冗句めいてはいたが、同時に牽制球であるのは間違いない。敵を知る彼と同じく、パソコンで予め情報を整理し確認し――『ついで』に電子の妖精で見事ハッキングを果たした彼は蝋崎の組織についてのある程度の情報を握っていたが『クリティカル』な部分がネットワーク上に存在しなかったのはやはり彼のこの異常に慎重な性格を表す部分と言えるだろう。 「俺から言いたいのは一つだ。お互いが満足出来るWINWINな結果になる事を望む」 白亜の言葉をここは上手くかわした禅次郎である。この言葉に無粋に突っ込む事をせず白亜は「私もです」と穏やかに笑った。 計都の幻想殺しは白亜が幻影を纏わない事を保証していたが念には念を入れるべきである。 「貴方が『本物』であるかどうか――確認させて貰いたいのはこちらも同じよ」 有紗は博徒である。一流の博徒は決して運否天賦に全てを委ねるような事はしない。グランドギャンブラーはその意味を知るが故に冷静だ。その判断はシビアで同時に論理的で、妥当なものであった。白亜はこの要求に気を悪くした風も無く、却って機嫌良く頷いた。 「では、御覧じろ。我が力の一端を――」 白亜の言葉と共に部下の一人が抱えていた猫を離す。彼が指を鳴らせば駆け出した猫は硬直し、見事に蝋人形へと変わり果てた。 「!」 黒猫を大事に連れ歩く計都の表情がハッキリと怒る。さて置き―― 「これで十分でしょう? お嬢さん」 「不知火、有紗よ」 有紗は白亜の馴れ馴れしい呼び名を訂正した。 「やれやれ、随分とそれらしくなってきたじゃないか。 こういうことしてるとさ、ちょっと前までの事を思い出すんだけど――まあ、今回は精々揉め事にならない様に用心棒、させて貰おうかな」 本格的な取引の始まりを前に『ロシアでの生活』を思い出し、『кулак』仁義・宵子(BNE003094)が小さな苦笑いを浮かべた。 「どうせなら、一発殴り合ってみたかったんだけどね」 「遠慮したいから今夜があるのですよ」 宵子の軽口に白亜が応えた。 「セイギノミカタってのは不自由なもんだよな」 「全く」 「不義理より不自由を選んじゃったってだけだけど」 白亜は深い水底の笑みを見せる。 「さて、『フェアな』取引といきましょうか」 警戒は緩めず、『ピンクの害獣』ウーニャ・タランテラ(BNE000010)は軽妙に獰猛に言葉を投げた。 「言っておくけど、決めたルールは守りなさい? 人質一人殺したらあんた達十人殺す。海外なら安全なんて思わない事ね――」 ●ゲイムII 「『一応』確認しておくけどな」 「これ戻せる? 元に戻せないんじゃ、価値はちょと低くなるんだけどねぇ」 同じ懸念を持っていた烏とリスキーに対する彼の答えは「私が脱出後、解決する事を約束しましょう」というものだった。 「信じろと?」 「取引とはお互いを信用してするものですよ」 「成る程、道理だ。代わりに条件の変更はなしだぜ?」 軽く釘を刺す烏の言葉に悪びれない白亜である。 リベリスタ達はこの話を当然疑ってかかったが、状況上彼等に与えられた任務は蝋人形を奪還する事のみである。又、白亜自身が口にした「手を離れた人形を私が頑なに人形のままに置く理由は無いでしょう」という言葉に一定の信を置き、暫定的にこれを了承するに到った。 「博打はルールあって始めて成り立つもの。私にとって約束は守るべきものよ」 一方で白亜は有紗が提案した三分割による人質と身代金のトレードを呑んだ。 有紗の言う所による、一つ目は先に金を渡し、二つ目は同時に取引し、三つ目は先に人形を渡す……というものである。 「リーディングを使ってくれても構わない」と提案した有紗の提案を「私は覗かれるのは御免です。気分としてね」と断った白亜は後日の解除という切り札を持っていた為、彼女の提案を問題とは看做さなかったのである。 一つ目のトランクが緊張顔のそあらから手渡された。 白亜が指を鳴らすと付近のコンテナの扉が開く。中には美しくドレスアップされた少女の人形達―― 「……偽物ではないみたいだね……」 アンジェリカの中に少女の恐怖の記憶が流れ込めば彼女の眉は大いに顰められた。 『サイレントメモリー』での探知が可能になっているという『現実』が白亜の持つ魔性の破界器のその威力を示している。 少女個人の好悪で言えば白亜は最低だが、取引相手であるのは変えられない事実である。 (つまらない間違いを起こしてくれるなよ、『蝋公子』――) アクセス・ファンタズムに眠るグリモアールを引き出すには刹那の時があれば十分だ。それを白亜では無かろうが、無手同士から『抜き撃ち』の有利があるのは確かである。『事件』が起きぬ事を望みながらも一分の油断さえ無くその全身に集中を漲らせる碧衣の視線の先で二つ目のトランクが計都の手から渡された。 人形も新たなコンテナからリベリスタ側に引き渡される。 (……今の所は……) 『いざ』という時の支援体制を万全に整えるエリスもその『万が一』を警戒する一人である。 「実際の所――蝋人形を持ったまま逃亡も可能だったんじゃないのかい?」 粛々と進む取引を横目で眺めるリスキーの言葉が白亜をくすぐる。 「今回はずいぶん負けてくれたようだけど、何でかな」 「簡単な事ですよ、ミスタ・リスキー」 互いの関係を間違いそうになる程に白亜の口調は友好的なものだった。 「日本を離れると決めたのに、歴史を次の舞台に持ち越すのは無様だ。 それに何より諸君等を一目見たかったという気持ちもありましたがね」 リスクとリターンの天秤は常に白亜の心を揺らしているのだろう。悠月の冷たい視線は度し難い『蝋公子』の誠意が本物かどうかを見抜かんと一挙手一投足に注がれていた。 「そりゃ随分と買われたモンだな」 横合いから声を掛けたのは烏。 「そんなに買うならいっその事、更生してアークの傘下に入ったらどうだよ?」 三つ目のトランクよりも先に引き渡されるのは人形である。船から白亜の部下達が人形の入ったガラスケースを次々と運び出してくる。 「まぁ、新天地は大変だと思うが、何かあれば連絡してくれ。日本の組織であれば斡旋くらいなら出来ると思うしな」 クルーザーから降りた禅次郎が部下に声を掛ける様子を眺めながら白亜は小さな笑いを零した。 「ははは。どうも、なかなかどうして……色々な手段をお取りになる」 「再起計画の目処も無い海外逃亡よりは現実的だと思うがね。 どの道、万華鏡からは逃げ切れないだろうしな」 「生憎と出来ない相談ですね、ミスタ。それは趣味ではないし何より……」 「何より?」 白亜は言葉を切り、その視線を目の前に向けていた。 人形の取引が概ね終わり、今度は最後のトランクの番である。歯の根を小さく鳴らしながら――『蝋公子』の前にスペードが立っている。 「あ、あの……」 声は怖がりな彼女の全力を、勇気を振り絞る事で何とか通る音になる。 「どうかしましたか、ミス」 「これっ、お金です……!」 トランクを差し出した少女は頭を下げるようにして視線を地面に落とした。 不思議そうな顔をした白亜が反応を見せるよりも先に彼女の切なる声が夜を揺らした。 「彼女達を……元に戻してあげて下さい……」 交渉事と考えるならば彼女の直情な『お願い』は上手いやり方だとは言えない。蝋崎白亜は名うての悪者で猟奇趣味の持ち主である。嗜虐的に少女を踏み躙る事は彼のリビドーを満たす事は分かり切っている。 だが交渉の打算を越えて彼女は懇願していた。 「蝋人形として生きながらえるより。 儚くも、精一杯に咲き誇る命こそ、美しいのではないでしょうか……?」 拙い言葉で届くか分からない必死の言葉を場に連ねる。頭を深く下げたまま。胸の中でぐるぐると回る恐怖を堪え、面を上げた彼女は微笑んだ。 「蝋人形になった彼女たちの姿は、美しいけれど。 人に戻れた時の笑顔は、その何倍にも輝くのでしょう。 私が人質(にんぎょう)になっても構いませんから――」 トランクを受け取った白亜はこの申し出に目を丸くした。烏は顔を抑えるようにして「あちゃあ」とここばかりは分かり易い反応をした。 されど正義感と義務感を爆発させた彼女ばかりを責める訳にはいくまい。今夜の交渉に信は無く、約束が守られる保証等無いのだから―― 「……ふふ」 しかして、トランクを受け取った白亜の反応は予想外のものだった。 「その必要はありませんよ、ミス。信用してくれて構わない。 私は約束を守ります。この『蝋公子』のプライドに賭けてね。 結んだ契約を簡単に破綻させる三下の真似事等、私の美学(ルール)は許さない」 マントを翻すようにした白亜は三つ目のトランクを手にすると悠然と船に向かう。禅次郎と烏は咄嗟に目を見合わせた。烏が人質に潜り込んで二人で細工するという考えもあったのだが――藪を突いて蛇を出すのも上手くない。 「では、アークの諸君。楽しい夜でした。 『願わくば、もう二度と会わない事』を期待していますよ」 部下と共に船に乗り込んだ白亜は芝居っ気たっぷりに恭しく片手を広げ、片手を胸に当てて一礼をする。 「そうそう、ミスタ。私がアークに参加しない理由、この日本を見限った理由をもう一つ。麗しい少女に免じてサービスしましょうか」 そして最後に思い出したように烏に向けて言葉を投げる。 「――混沌の大芸術家(マエストロ・ケイオス)がいよいよ来日の機会を伺っているらしい。私は箱舟の征く次なる嵐に期待していますからね――」 残された言葉はあくまで不吉。 「……マエストロ……」 ぽつりと呟いたのはエリスである。 「唯の親切心ではないな。呪いの一言まで残して行くとは」 「あんな悪趣味な奴、二度と会いたくないね……」 碧衣の声に白亜の『芸術』は終ぞ理解出来なかったアンジェリカが苦虫を噛み潰したような顔をする。 リスキーは肩を竦め、悠月はその意味に柳眉を曇らせた。 しかし、リベリスタ達は取り戻した『全ての人形』と共に今は出航する船を見送る他は無い。 「やれやれ……」 大きな溜息を吐いた宵子は疲労感を隠す事無く煙草の煙を燻らせる。 「まあ、なんてのかな。悪も善も、結局はより良く生きるのに必死なのさ。 どっちが良くてどっちが悪いとかじゃなくてね。ただそれだけなんだろうね」 全てはゲイム。 果たして後日、猫とアークに集まった人形達は人生を取り戻す事となる。 あの蝋崎白亜の『約束』通りに―― |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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