● 数えるのも嫌になる程昔から、望んでいた事だった。 泣いても叫んでもそれこそ首を掻き切ろうとこの身は朽ちずこの命は終わらない。 目が覚めれば荒れ野原。幾度も幾度も繰り返して、気付かぬ内に地位を得、力を得た。 己を呪った。運命を呪った。夢を見ることも出来ないのに何故生きていなければならないのか。 そうしてまた恋をした。けれど。 私の望みは結局一度だって、叶わなかった。 だから、きっと。 私の望むものは御伽噺に過ぎないのだと、片を付けた筈だったのに。 はっと、目を開いた。 桜が、舞っている。 隙間から零れるのは、冴え冴えとしたつきあかり。 ずるずる、幹へと座り込めば、筋を描く深いあか。 溜息を一つ。此処も時期に見つかるだろう。けれどもう、逃げ続ける気力も体力も、女には残っていなかった。 ──もう貴女様しかいないのです。 声が、聞こえる。 ──我らを喰らってでも、鬼道の再興を! そんなのは嫌だと、首を振った。 ──何故です! さぁ、さぁお早く! でなければ、 貴方達を、ひとを、喰らうことも。 此処で貴方達に殺されることも。 嫌だ、ともう一度、首を振る。 絶望と失意の瞳が此方を見ていた。けれどそれでも、揺らがない。 「みんなみんな失ったのよ。……貴方達は、最後に残った想いまで、私に捨てろと言うの?」 幸せになると誓ったのだ。 今度こそ。 私は私を見失わない。彼らの元で私の望みを叶えるのだ。だから。 逃げなくては、ならなかった。 それは鬼達にとって、裏切りに等しかった。 切られ、嬲られ、逃げ出せば追われ、それでも女は、足を止めなかった。 逢う事が出来たら何を聞こうか。名前さえ知らない者も居た事に苦笑して、女は深く、息をついた。 逢わなくてはならない。 この身は削がれ、四天王と呼ぶには余りに多くを失ってしまったけれど。 それでも私は、もう一度逢わなくてはならないのだ。 ふらふらと、立ち上がる。 遠くに聞こえる、怒号と足音。 そろそろ、覚悟を決めねばならなかった。 今度こそ。 今度こそ、私は望んだものをこの手に収める。 ──其処に、永遠はなくとも。 ● 「揃った? ……じゃ、今日の『運命』って奴ね」 何時も通りの挨拶。『導唄』月隠・響希(nBNE000225)はひらひら、手を振りリベリスタに着席を促した。 「ついこの前の鬼道との決戦は勿論、分かるわよね。今回あんたらに頼むのは、その残党の掃討。 場所は、鳥取県烏ヶ山山中。……名前で分かるわよね、此処に居る残党はあの『烏ヶ御前』だから」 彼女のかつての居城が、この辺りにあったのだと告げて。 フォーチュナは大雑把な地図を差し出した。 「倒すべき相手はあの女だけじゃないわよ。元々の配下に加えて、鬼ノ城崩壊に合わせて、御前を担ぎ上げようとした一部鬼も居る。 ……でもなんか、まぁ、……うーん、仲間割れしてるんだよね、奴ら。 鬼が鬼ごっこ、何てギャグ言うつもり無いけど。御前が残りの鬼達に追われてるのよ。 御前も御前で、その気になれば掃討出来る筈なのにただ逃げるだけって状況。因みに、あんたらが行く頃には満身創痍かな、多分」 本来ならば祭り上げられる立場であろう四天王が、逃げ回っている。 一体如何言う事だ、とざわめくブリーフィングルームに、あたしが知りたいと首を振って。 フォーチュナは注目を集める様に手を叩いた。 「其処は置いといて。とりあえず先に戦力関係話すわよ。 まず、戦闘は開けた広場で行えると思う。御前はそこで、配下を待ち受けてる。 ……下手な事しないで真直ぐ走れば、配下より先に御前のところに辿り着けるんじゃないかな。ま、先に行かせて同士討ち狙いも出来るわね。 配下は全部で30。……魔術鬼2体を含んで、ね。連中も無傷じゃない、かなり消耗してる。倒すのは比較的容易だと思う。 で、肝心の御前。基本スペックは変わらないけど……まず『幻妖』が使えなくなってる。加えて、生き物を喰らう事も出来ない……と言うか、躊躇ってる。 かなり消耗してるから、倒せない相手じゃなくなってるわよ。後、何よりの変化は……悪鬼として覚醒する事も、今回は無い。 理由は知らないわ。消耗が酷すぎるからかもしれないし、あの女の心持が変わったからかもしれない。真相はあの女しか分からないんじゃないかしらね」 あたしが視たものは以上。 そう、言葉を切ったフォーチュナは立ち上がりかけて、ふと、目の前のリベリスタへと視線を傾けた。 「――予測だけど。……多分あの女鬼は、あんたらに逢いたいんじゃないかしらね。 特にほら。……りりすサンにランディサン、あんたらにしか殺されるつもりは無いって、あの時言ってたんでしょ。 あたしが伝えられるのは、『運命』だけ。……結末を決めるのはあんたらだから。後は、宜しくね」 言葉と共に、資料がデスクに放り出された。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年05月04日(金)00:25 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 月明かりも透けぬ森の中を。 リベリスタは只管に、駆け抜けんとしていた。 揺れる懐中電灯の明かりを見詰めて。 『エア肉食系』レイライン・エレアニック(BNE002137)はふと、視線を下げた。 駆け抜けた先。そこで待つのは、もう幾度も見えた女鬼。 敵だ。倒さねばならない相手だ。知っている。頭は理解している。けれど。 ――種族や、時の流れの違いなんて、そんなものが無かったら。 ちくり、ちくりと。胸を過ぎるそれが、痛みを発するのだ。 首を振った。今はただ、走る事に集中せねばならないのだから。 一団の、最後尾。重装備で固めた『超守る空飛ぶ不沈艦』姫宮・心(BNE002595)は、張り詰めた仲間の後姿を見据え、思案していた。 烏ヶ御前。自分自身は深い縁を持たない相手だが、此処にいる者は殆どが彼女と縁を結んだ者達だ。 ならば。自分がすべき事は唯一つ。 護る事。仲間を、そして、仲間と御前が紡ぐ、結末を。 全てを護ると決めた少女は静かに、拳を握り締める。 「どうぞみなさん、悔いのなきよう。御武運を!!」 告げた言葉に応える様に、走り抜ける速度が上がる。 少しでも、早く。その想いは全員に、共通していた。 草木を掻き分ける音が、近付いてくる。 足音は幾つだろうか。もう、逃げる訳には行かない。覚悟を決めなければ、ならないのだ。 願いを捨てない為に。自分の望むモノを、今度こそ掴む、為に。 白雪色の紗を握る手に、力が篭もる。 目を伏せた。深く息を吸い込んで。女鬼はたった一人、戦いを始める為まじないを唱え始めた。 否。唱えようとした。 「――櫻さん!」 響いたのは、少し高い少女の声。 聞き覚えのあるそれに続く様に、鬼にしては軽すぎる足音が、駆け込んでくる。 見覚えのある、幾つもの顔。 声を張り上げた『禍を斬る剣の道』絢堂・霧香(BNE000618)が、未だ無事な女の姿に安堵の表情を浮かべるのを確認して。 「な、んで……貴方達が、此処に」 信じられない。そう言いたげに瞳を見開いた女へ、駆け寄るのは『嗜虐の殺戮天使』ティアリア・フォン・シュッツヒェン(BNE003064)。 「ふふっ、細かいことは後よ。今は」 生き残りなさい。囁きと共に齎されるのは、脅威を弾く癒しの鎧。 癒えていく傷口を抑える女鬼が言葉を見つける前に、リベリスタ達は続々と己の位置取りを確認していく。 「……のう、櫻」 何故この様な事をしたのか、真意を問いたいのだ、と告げて。 レイラインは、女鬼の目の前へと立つ。 何度か戦った事があるとは言え、レイラインは既に、女を敵としては見られなかった。 「恋をする者同士として。……聞かせてはくれんかのぅ?」 投げ掛けられた問いから、少しだけ間を空けて。 女は今にも泣き出しそうに、微笑んだ。 「貴方達に逢いたかったの。……終わりを見るなら、貴方達が良かった。だから、今如何していいか分からない位、幸せよ」 けれど。戦わせる訳には行かないとその場を離れようとする彼女の、後方から。 迫り来る足音が、聞こえ始めていた。 始めに響いたのは、怒号だった。 「御前様っ……貴様らも居たのか! 人間に組する四天など要らぬわ、諸共葬ってくれよう!」 問答無用。消耗していようとその獰猛さを隠さぬ鬼達が、即座に戦闘開始を告げる。 「嘘吐きになってしまったけど。来たよ。僕も追いかける方が性にあってる」 僅かに、交わる視線。それを振り切る様に前を向いて、『人間失格』紅涙・りりす(BNE001018)が前へ進み出る。 深呼吸、一つ。かちり、体内で響くギアチェンジの音。 何時も。何時でも。何時だって。 思い知らされて生きてきた。願いは叶わない。想いは、届かない。 そう、何時だって。 共にある事は叶わない。ならば、敵として眼前に立ちたいと望んだ。 言葉ではなく刃を。肯定ではなく否定を。愛ではなく憎悪を。 相反する、けれど紙一重のそれを抱え込んで戦ってきた。否。生きてきたのだ。 なのに、求められた。求めてしまった。 知っている。思い知っている。永遠なんてない。共にある事は、叶わない。 だけど、だから。 だから一度くらいは。今度だけは。惚れた女の願いくらいは、叶えてみせよう。 「――さあ、失恋をしようか」 その横を駆け抜けたのはレイライン。 速さの余り実体さえ残した幻影と共に振り抜いた刃が、大鬼の胴を、腕を深く切り裂いてゆく。 彼女の反対側では、同じく駆け出していた霧香が、軽やかに踏み込む。 幾重にも重なる蒼銀の影。瞬きさえ許さぬ神速の斬撃が、鮮血を飛び散らせた。 「ゆすらうめ! 言いにくいな! 俺、霧島俊介!!」 宜しくとは言えない。けれど、あの日名乗らなかったから。 白金の太刀を引き抜いた『Gloria』霧島 俊介(BNE000082)は、後ろを振り向き微かな笑みを浮かべる。 少しだけ重い、けれど確りと手に吸い付くこれは、騎士から託された祈り。 幾度も剣を交えた彼から託されたそれを、確りと握り直す。 「……なぁ、聞こえるか?」 自分の恋人を。仲間を。そして今は、今にも泣きそうな、お前のお姫様を。 必ず護り通す、と囁いた声に返事をする筈の相手はもう、居ない。 けれど。 手に馴染む太刀が、何よりの答えなのだと分かっているから。 「いくぞ! 花染!!」 これが初陣。その、存在意義に恥じない様に。託された想いを、護れる様に。 身の内に揺らめく魔力を巡らせて。 本当なら、此処で命を賭してでも姫を護りたかったであろう騎士の代わりに、俊介は確りと、女の前に位置取った。 ● 数は力。 それを実証する様に、前衛の間を割り雪崩れ込んで来る大鬼達が目指すのは、自身の主であった女。 「こんな、こんな事を許して恥ずかしくないのか!」 仮にも四天であった者が。そう、怨嗟の篭もった叫びを上げる大鬼が、金棒を振り下ろさんとする。 「命短し恋せよ乙女。恋路を邪魔するなら、まず私を倒さなきゃな」 響いたのは金属と金属のぶつかる高い音。 はためく剣十字。抑えに回った『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)は、冷ややかに鬼を睨み上げる。 鬼は好まないけれど、恋する乙女ならば話は別。 応援せずにはいられない、そう目を細めた彼女は、その侭返しとばかりに光の弾丸を射線一杯にばら撒く。 「待ってろ。邪魔虫を片付けてくるからよ」 振り上げられた大斧が巻き起こすのは、並の敵ならば致命傷になりかねない鎌鼬にも似た烈風。 目の前の敵を薙ぎ払って。『悪夢と歩む者』ランディ・益母(BNE001403)は軽々とその斧を背負い上げた。 「忌々しい人間が! 貴様らの所為で、御前様は……っ」 怨嗟の篭もった視線は、軽々と受け流す。 心は決まっていた。これが、最後だ。ならば、こんな羽虫の言葉になど耳を貸す必要はない。 「逃げる女に縋って自棄んなって、これが鬼か?」 嘲り交じりに投げられた言葉に、激昂した様に金棒が振り回される。 それを受けても尚全く揺らがず立つランディの後方では、『抗いし騎士』レナーテ・イーゲル・廻間(BNE001523)が己が役目を果たさんとしていた。 「敵だった人を庇うってのも変な感じだけど……! そう簡単にはやらせないわよ!」 鉄壁の盾。差し出されたそれが攻撃を受け止め、流す様に僅かに傾けられる。 「貴女、逆棘の……」 襲い来る筈の攻撃に備えていたのだろう、己を庇う背を呆然と見据える女鬼に僅かに視線を向けて。 レナーテはそっと、溜息を漏らした。 御前、否、櫻。ともすれば鬼と言う事を忘れてしまいそうになる相手。 此処で、きっちりと終わらせなければならない。けれど、胸を過ぎる複雑な何かに、その柳眉は微かに寄せられた。 それが何か、答えは知らない。けれどせめて。 心の整理くらいは、出来るだけの時間を与えてやる為に。 運命に抗う騎士は、確りと盾を構え直した。 拮抗、否、僅かに押されている戦況を誰より把握していたのは、後方から支援を行う『境界の戦女医』氷河・凛子(BNE003330)だった。 呼び寄せるのは、遥か高位存在が癒しの一端。 戦場に吹き抜けた風が髪を揺らす。アーク随一の回復性能を持つ俊介に、前衛すら容易くこなしてみせるティアリア。 そして、冷静に状況を見据え判断を下す凛子。優れた癒し手が揃っているからこそ、戦線の維持が可能なのだ。 しかし。数に押される、と言う事は、癒し手も容赦なく狙いに入ると言う事に他ならない。 レナーテと心が全力で庇いに入ってはいるものの、攻撃は少なからず、此方にも及んでいた。 けれど、まだ膝を折る訳には行かない。額から滴る紅を拭い取って。凛子は、前を見る。 恋をした鬼。叶わないと知りながらも求める彼女。 己に足りないものを持ち、己が持つものを持たない彼女と、言葉をかわす為に。 「……ただ、歩み寄ります」 戦闘音は、止まない。 ● 「――許してとは、言わないわ」 血の匂いに満ち始めた戦場の只中で。不意に耳を掠めたのは、女の呟き。 直後、リベリスタによる攻撃で幾重もの呪いを受けた魔術鬼が、声も出せずに地に倒れ伏した。 背後に感じる桁違いの魔力に振り向いた杏樹と交わった紅の視線が淡く、揺らぐ。 紅玉の微笑。容易く、心どころか命ごと奪い取りかねない視線を、配下へと向けて。 女鬼は静かに、吐息を漏らした。 戦いたくない。殺したくない。 自分の身勝手な願いの為に、愛し子達の命を無為に摘み取りたくはない。 そう思った。思っている。だから逃げた。けれど、それ以上に。 良心の呵責。罪悪感。そんなものから逃げたかった。 けれどそれも、此処まで。迷いを振り切ったように揺らがぬ瞳が、ほんの少しの痛みを飲み込む様に微かに微笑む。 「貴方達が願いを叶えてくれようとしているんだもの。私が黙って護られているなんて、狡いでしょう?」 戦況を変える手伝いをしよう。 そう言わんばかりに、女は後衛の間に並び、かつての配下を見据えた。 「悪いが櫻はお主等と話したくないらしいのでのう……彼女の元へ行きたくばわらわを倒してからにせい!」 魔術鬼の片方が倒れ、大鬼もその数を半分程度に減らした状況で。 レイラインは敵の気を引く様に声を張り上げていた。 同時に、全身を速度のみを追い求めるカタチに、最適化して。 彼女は不敵に笑って見せる。 強固な防御など無くても問題ない。 振り回される金棒も、恐るべき魔術でさえも。その軽やかな足取りを捉える事は叶わない。 そもそも。当たらなければ、どんな攻撃も脅威にはなり得ないのだから。 翻弄された鬼が、怒りの声を上げる間も無く。 鬼の只中に飛び込んだ霧香が産み出した幻影が、幾重にも敵を切りつけてゆく。 その視線が微かに捉えたのは、戦線に加わった女鬼。 敵だった。けれど、今は倒したいという気持ちが薄くなっている。 それどころか。彼女に願いが、想いがあるなら、それを満たしてやりたいとすら思っていた。 だから。 「……あたしだって恋してる。彼女の気持ちは邪魔させない!」 その為に振るう刃に、迷いは無い。また2、3体の鬼が崩れ落ちる戦場の後方では、未だ癒し手への危険が去っていなかった。 後衛への大鬼達の割り込みの脅威は、その攻撃力だけではなかった。 振り抜かれた一撃に、庇いに入っていた心の身体が容赦なく跳ね飛ばされる。 ノックバック。庇う事に徹する騎士達にとって最も厄介なそれに、即座に態勢を立て直した心が眉を寄せる。 これでは、庇えない。数こそ減ったが、未だ此方の人数よりは多い敵を確認して、心は即座に判断を下した。 ふわり、浮き上がる身体。一気に集まる視線を感じながら、心は声を張り上げる。 「さぁこっちですよ! 倒せるものなら倒してください!」 半ば挑発。血の昇った鬼には効果覿面だったのだろう。途端に殺到する鬼の攻撃に、満足げな笑みが浮かぶ。 仲間が出来るだけ長く立っていられるように。それが、自分の行動原理だ。 だからこの程度、何時もの事。防ぎ切れなかった攻撃に、意識が途切れる。 倒れるのか。否、倒れる訳には行かない。 「……っ、姫宮心! 境界最終防衛機構が一員! それ以上進むなら、まず私を乗り越えていただこおーーー!」 世界を護る為ならば、自分の身すら犠牲にしよう。 誓いが頭を過ぎる。運命が燃える音がする。 崩れ落ちる事無く確りと地を踏み締めた少女は、再びその盾を構え直した。 「鬼共落ち着けよ、お前らのお姫様は何もお前らを裏切ってる訳じゃあねーんだよ!」 厳然たる閃光で、戦場を焼き払って。俊介は怒鳴る。 隣に立つ女鬼。願いを叶えたいだけの彼女の事を理解しろと投げ掛けた言葉はしかし、怒り狂う鬼には届かない。 「ふざけるな! 貴様らに組した時点で万死に値するわ!」 「……有難う、俊介」 届かない言葉に歯噛みする彼に声をかける女の表情は、決して明るくない。 酷く苦しげなその様子に、俊介は言葉を探す様に視線を落とし、ゆっくりと、口を開いた。 「騎士の代わりになれるかわからんけど、俺達が居る」 最後の恋、叶うと良いな。 そう笑う彼を、見詰めて。女はほんの少し、寂しそうに。けれど嬉しそうに表情を緩める。 あの子が託した理由、分かる気がするわ。 その囁きもすぐに、戦場に溶け消えていく。 ● どれくらい刃を交えただろうか。気付けば戦いの趨勢はリベリスタに傾き切っていた。 幾ら数で圧倒されていたとは言え、驚異的な癒しの術と、優れた範囲攻撃術を生かした戦法が功を奏したのだろう。 残る魔術鬼と、大鬼を杏樹の放った星屑の弾丸が撃ち抜く。 また減る、大鬼。残りは2体。それを見て取ったランディが巻き起こした烈風が遂に、鬼達の息の根を完全に止めた。 しん、と。月明かりだけが照らす空き地に、沈黙が落ちる。 「改めて……ごきげんよう、櫻。お友達になりに来たわ」 沈黙を破ったのは、ティアリアだった。 リベリスタの真意を量りかねていたのだろう。言葉に含まれる友好的な色に、女の瞳が不思議そうに瞬く。 「お友達に? ……とても、嬉しいけれど……貴方達にとって、私は敵でしょう?」 決戦で彼らを窮地に追い込んだ事は、未だ記憶に新しい。 幾ら自分がリベリスタに興味を傾けようと、それは許される行いではない筈だ。そう、首を傾げる女に。 「自分でも意外なのだけど……わたくし、貴女が好きみたい。その生き様、とても愛おしいわ」 他に理由は必要? そう、傾げ返された首に、思わず笑う。 恨みが無い訳ではない。情けをかけて助けてやろうとも言わない。 ただ、自分に逢いに来た。それを理解すれば、女は静かに、手近な木の下へと腰を下ろす。 「……そうね、なら先ずは、話をしましょう? 私、貴方達の事を知りたいの」 名前はなぁに? リベリスタ、と言うの? そんな、他愛なく繰り返される質問を終えれば、女はリベリスタ達からの問いを求める。 自分の知り得る事なら、何だって答えよう。そう笑う女へ。 「恋を追いかけて幸せだったかしら?」 相手は鬼。倒さねばならない。けれど、その前に聞いておきたい。 そう告げて、レナーテは問いを投げた。 「あら、如何して? ……私の想いを語るのは容易いけれど、私は貴女の事も知りたいわ」 思うところがあるんでしょう。そう続いた言葉に、相談に近いのだ、と頷く。 「最近思うのよね……恋をして失うのは怖いわ。 反対に、何かしらの原因で自分が死んで相手に失わせるような事もしたくない」 けれど、戦場に身を置いている以上、その危険は常に付き纏う。 ならば逃げれば良い、と言われても、それを許せるかと言われれば否だった。 「……となると恋は諦めた方がいいんじゃないかとも思ったりしてね」 答えが欲しい訳ではない。参考程度に、聞かせて欲しいと続ければ、女はそっと、視線を落とす。 「一言で言うなら、幸せだったわ。……後悔なんて一つもない」 失う事を嘆いた。共に居られぬ事を恨んだ。 けれど、得なければ良かったなどと思った事なんて、一度だってなかった。 そう囁いて。女は真直ぐに、レナーテを見詰める。 「人は死ぬわ。鬼だって、私だって何時かは死ぬの。失う日は必ず来てしまう。 それが遅かったか早かったかの差はあるけれど。……なら、それを考えるのは詮無い事だと、思ったのよ」 だから何度だって愛した。そう告げた紅の瞳が、柔らかに細められる。 話し疲れたのだろうか、小さく吐息を漏らして。女は、その瞳を空へと向ける。 「ただ、そうね。ひとつ助言をするなら。──恋、何て言うのは、馬鹿にならなきゃ出来ないのよ。失うことを、失わせることを考えたら私たちは大切なものを一つも作れない。 互いに傷を負わない選択はある意味では正しいけれど、それはとても、寂しい事じゃないかしら」 貴女は、どっちを選ぶのかしらね。 視線が、レナーテに戻る。何かを見通す様に目を細めて。それ以上の言葉は紡がれなかった。 「貴女が焦れた想いが知りたくて……」 そう、声をかけたのは凛子。 こいのはなしね、そう微笑む女に頷いて、凛子は己が想いを吐露していく。 「貴女は私には無い。欲する気持ちである恋があるのですね。私は与える気持ちの愛ならわかります。 多分、貴女に足りないのは愛する気持ち与える気持ちではないかと……」 そうすれば、その想いは成就する。それが、恋愛なのではないか。 凛子の言葉をゆっくりと噛み締める様に目を伏せた女は、緩やかにその瞼を上げ、首を傾ける。 「……歳を重ねれば重ねただけ、恋は薄れて、愛が強くなるわ。私も、それは知っているの。 でも、私はずっと、恋をし続けたかった。……家族でないのなら、恋が出来なきゃ愛する事は出来ないでしょう」 恋で終わり続けていた理由など、あえて口にしなくとも伝わるだろう。 出来れば振り返りたくは無いのだろう過去を思い、微かに曇った表情を見詰めていた霧香も、そっと、声をかける。 「烏ヶ御前……ううん。櫻、さん。あたしは、絢堂霧香」 ぎこちない自己紹介。霧香、と繰り返された名前に頷いて、少女はぴん、と姿勢を正す。 「櫻さんを最初見た時はね、化け物だ、って思った。でも今は違う。わかる。同じなんだ。 息をして心を持って、恋をする、恋に生きる女」 自分も恋をしているから、分かるのだ、と。続けられた言葉に、女の瞳が優しく細められる。 「貴女はとても素直で、……優しい子ね。ねぇ、どんな人なの?」 すきなひと、教えて頂戴。ほんの少し、楽しげな色を含む声に、表情を緩めて。 霧香は、心に焼き付いた面差しを、思い浮かべる。 真直ぐで、強くて、でも凄く危うくて。目を離せないひとなのだ、と告げれば、女は嗚呼、と吐息を漏らした。 「……あの日に、同じ様な事を言っている男の子が居たわ。素敵ね、……恋が叶いますように」 まるで、妹を見る様に。優しさを含んだ視線を真直ぐ受け止めて。 霧香は、伝えたかった言葉を続ける。 「あたしは、同じ恋する女として、貴女を見るよ。櫻さんの願い、想い、恋心……それを応援したい」 それが例え、どんな結末を迎えるものだったとしても。 迷い無く告げられた言葉に、女は僅かに、言葉に詰まって。 有難う、と何とか、微笑んで見せた。 ● 沈黙が、落ちる。 話は終えた。女の願いが何処にあるのかも、もうリベリスタには分かっている。 後は、最後を見届けるだけ。分かっている、分かっているけれど、その終わりのはじまりを告げられないリベリスタに。 女はそっと微笑んで、前へと進み出た。 「殺し合いましょう。四天が一人としてではなく、櫻として。憎悪と情愛を交えましょう。……見たいものはきっと、その先だわ」 向かい合う。何時かの戦場でそうした様に。傷ついた身体の事など一切感じさせない立ち姿で。 此方を見据えた彼女の前に、立つのはランディ。 「……俺は『お前』を殺す」 あの時見た、甘ったれた心ではなく。女自身を殺そう。 諦め切った瞳が気に入らなかった。虚しさしかないそれに苛立った。 けれど。今の女の瞳にその影は無い。良い目を、していた。 「誰の為でも無く 自分の為に全力で生きてる今のお前は美しい」 花と同じだ。そう真直ぐに告げる彼に、女は笑う。 作った様なそれではなく、心の底から。 「有難う。……貴方の言葉は、何時も耳に痛かった。私は、自分の傷ばかり眺めていたのね」 どうせ何も手に入らないのだと諦め続けていた女は、もう何処にも居ない。 それを理解しているランディは、静かに斧を握り直す。 「俺の名は益母、不条理を憎み、砕きたいと願う名だ」 今こそ全身全霊を以って。その生き様を永久に心へ刻もう。この関わりを誇りとしよう。 そう宣言した彼の言葉に、女は微かに目を細めて。 静かに、まじないを唱え始めた。 それは、合図。始まった幕引きに、リベリスタは各々、素早く動き出していた。 生きていて欲しい。それは、切実な願いだ。 けれど。彼女がそれを望まないなら。 出来る限り願いを叶えよう。そう、心に決めたレイラインが素早く身構えれば、レナーテが、心が、庇う為に癒し手の傍に立つ。 「それがお前の幸せなら、櫻。望むままに」 己の動体視力を限界まで高めた杏樹が、愛銃を握り直す。 鬼だろうと、人だろうと、真直ぐな者は好きだった。 だからこそ、全力を傾けると決めた。今この瞬間に、自分の全てを注ぐ。 悔いなど、残らぬ様に。 仲間が武器を構える。攻撃に、備える。 恐らく、勝負は長くない。それを誰もが理解しているからこそ。全員が、全力で己が武器を振るわんとしていた。 「……あいしてもてにはいらないなら、すべてくらってしまえばいい、なんて。酷いお話よね」 御伽噺にもならないわ。そんな囁きと共に。 練り上げられた魔力が、戦場一帯に拡散した。 鮮血が、烏ヶの地を染め上げていく。 幾らその身を削がれようと、一度は四天が一角として敵対した相手。 全身全霊の一撃は、リベリスタの身体を一気に限界ぎりぎりまで追い込む。 けれど。既にその『全力』に、今まで程の威力は無かった。 俊介の齎す福音が、即座に体勢を立て直す事に成功する。 「恋も良いけど、愛されていたのをわかってくれ。……少なくとも一人、俺は知ってる」 白金の刃が煌めく。妹もそうだ、と付け足した彼の紅い瞳に返るのは、僅かな罪悪感を含んだ肯定だった。 「……そうね。失ってから気付く、だなんて安っぽい言葉かもしれないけど。居なくなるまで、私はそんな事にも目を向けていなかったの」 どうしようもないわよね。そう、苦笑を浮かべ、踏み込もうとした膝が、かくりと抜ける。 ふらつく足元。決戦だけでなく、長時間逃げ続けたその身体は既に、限界を超えていた。 後一歩。見え始めた結末、けれどティアリアはそれに堪え切れず首を振った。 「諦めないで。わたくしは、貴女に生きて欲しい。奇跡を、願って……!」 それは、切なる願い。 運命は優しくない。愛された者として、それは何より良く、分かっているつもりだった。 けれど、それでも願わずにはいられない。 華奢な手が、傷つき血に濡れた手を取る。そして、祈る様に、握り締めた。 奇跡を。彼女が、此処で共に生きられる、未来を。 運命ごと捻じ曲げる事が叶わない今。それしか出来ないティアリアに驚きの表情を浮かべた女は、ゆっくりと、震えた吐息を漏らした。 「そうね。……そう、ね。貴女達と生きる事が叶うなら、そうしたい。そうしたいのよ。本当に、叶うなら。でもね」 運命がそんなに優しくないって事、もう嫌って程知っているのよ。 声と同じ位、手も震えている。ティアリアを手ごと、一度だけ抱き締めて。 その手は解ける。ふらふら、立ち上がった視線の先には。 あの日と同じ様に、血に濡れた斧を携えた男が、立っていた。 奥義は、確りと受け止めた。 全身を苛む苦痛は甘んじて受ける。最初に負けたあの日の様に。 けれど。今回は、膝を折らない。今回こそ、この大斧で。 「――約束を果たそう、櫻」 ランディの墓堀りが巻き起こす烈風が、鮮血を巻き上げる。 煽られて舞い落ちるのは、遅咲いた八重桜の花。 女の膝が、崩れかける。 こいのおわり。それを齎すべき者は、既に駆け出していた。 誰かに殺してもらわなくては、死ねない。そんなところまで似ていた。 その誰かは、誰でもいい訳ではないところも。 彼女の「誰か」は、自分でないかもしれないけれど。 それでも、この役目を譲るつもりなんて欠片もなかった。 「――君が愛おしいよ、櫻」 だから、少しくらいは自惚れさせろ。 吐息さえ交わりそうな距離で。握り締めたナイフが、女の胸へと吸い込まれる。 その侭一瞬だけ重ねられた唇はしかし、名残惜しむ間も無く即座に離れる。 恋は叶えるモノではなく、奪うモノだからな。囁く様な声が、唇を擽る。 女は僅かに、目を見開いて。けれど直に、しあわせそうに笑みを浮かべた。 震える腕が伸ばされる。まるで愛をかわす様に。りりすの身体を掻き抱いて。 「ええ、りりす。――私もう、死んでもいいわ」 奇跡に等しかった。夢の様なこいだった。 夢は何時か醒めてしまう。花が散る様に、其処に永遠は存在しない。 けれど。 それでも構わない位に。余りある程に。 しあわせ、だったのだ。 紅の瞳が、細まる。白いかんばせを、透明な涙が転がり落ちていく。 なまえをよんで、と、唇が動く。もう、声も出ない。けれど、不思議と怖くは無かった。 ゆすらうめ。名を呼ぶ声が聞こえる。それだけでもう、何も要らないと思えた。 紅の瞳が、緩やかに閉じて行く。身体から、力が抜け落ちて。 自然と、笑みが浮かぶ。音も無く、いとおしい相手の腕の中に倒れこんで。 ぷつり、と。意識は途切れた。 ● 3度、戦場に沈黙が落ちる。 どれ程、経ったのだろうか。 もう目を開く事の無い女の身体を抱き締めた侭動かなかったりりすがそっと、その遺骸を地へと横たえた。 「……好きよ、櫻」 傍らに屈み込んだティアリアが、血で汚れていた頬を拭ってやる。 願いは、叶ったのだろうか。酷く苦しげにレイラインが瞳を逸らせば、俊介もそっと、吐息を漏らした。 凛子が、丁寧にその身を横たえ直してやる。ナイフを抜いても、もう血は流れ出さなかった。 「あたしは……忘れない。あたしの心に、刻み込むよ」 恋に生きた一人の女性も、忠義を貫いた騎士も。絶対に忘れないと誓って。 霧香はそっと、少しだけ解れた、けれど滑らかな黒檀の髪を、己が懐に納める。 その傍らでは、約束を果たす為に、ランディが女の髪が持つ記憶を辿らんと目を伏せた。 恋と愛。美しくも醜いそれらに彩られた、鮮やかで、けれど暗い、朧げな記憶。 けれど、最期に。 雪の様に舞い散る花弁と、月明かりの下で。 得る事の出来た幸福が一番色鮮やかに、その脳裏に広がった。 「恋愛は、恋して愛するもの。気持ちは伝たえられた?」 もう居ない彼女へと。そして、その傍らで女を見つめる、りりすへと。 投げ掛けられた問いに、答えは返らない。 けれど、女の表情を見れば。答えなど、分かり切った事に思えた。 自分の気持ちを、彼女はきちんと理解する事が出来たのだろうか。 一歩下がった位置で仲間を見詰めるレナーテは、眠りについた女の顔を見詰める。 恐らくは、出来たのだろう。彼女は願いを叶え、その生涯を終えたのだ。 その隣で、心は深々と、頭を下げていた。 詳しい事は知らない。自分は何かを言える立場ではない。 ならばせめて、御前に、そして、仲間に。 想いを込めて、礼をしようと、思った。 気付けば、空は明るくなり始めていた。 はらはら、舞い落ちる八重桜が、朝日に透けて白く光る。 まるで弔う様に。降り積もる花弁に、戦場の跡が、そして、女鬼だったものが、埋もれ消えていく。 言葉をかわす者は、もう居なかった。静かに、足音がその場を離れていく。 こいのおわり。 幕を引いた舞台に残ったのは、御伽噺を手に入れた女の、しあわせそうな笑みだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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