● それは何時だって、水の様なものだった。 掬っても掬っても隙間から流れ落ちてこの手に残るのは水滴に似た残滓だけ。 けれどそれでも、掬わずには居られない。 そんな、ものだった。 そう、何時だって。 それは止め処なく零れていく。そういうものだ。仕方無い。分かっている。 どれだけ掬ってもどれだけ閉じ込めてもどれだけ、恋い、ねがっても。 私が私である限り。 この手に何かが残る事など無いのだと、諦めてしまえたらどれだけ楽だったか。 はじめて人をあいしたのは、気の遠くなるほど昔のはなし。 鬼とひとのこいに、永遠なんてものは存在しなかった。 ひとが駄目なら鬼を愛した。けれど、違ったのは過程のみ。結果は何時だって同じ。 気付けば失い、埋めるように次を見つけ。 恋い、愛し、必死に堪え様と気付けば喰らい尽くして。 何度も何度も繰り返し。恋いねがい、願う程に、患うこころ。 それでも、恋わずには居られない。 恋い患い。諦められず癒える事の無いそれは、気付けばカタチを変えていた。 「……御前、如何致しましたか」 かかる声に、沈みかけていた意識がゆっくりと浮上する。 優しいまどろみ。囁く様に己の歪みを囁くそれを振り払って。 御前と呼ばれる女は静かに、その紅の瞳を側近へと向けた。 真直ぐな瞳。己に忠誠を誓う彼を、女は女なりに深く、愛していた。 けれど。 その愛が、彼が己に向けるものと違う事も、女は理解している。 ならば何故。彼は此処に留まるのか。望みを叶えず飼い殺す主を見限る事をしないのか。 「なんでもないわ。……ねえ、蕾。貴方はどうして此処に居るの?」 漏れたのは、純粋な問い。 控えていた騎士は、唐突なそれに幾度か瞬きした後ゆっくりと、口を開く。 「……私は貴女の騎士。忠誠を誓う主の傍に居るだけです」 「そう。……それで、しあわせ?」 「これ以上の幸福などある筈がありません」 迷い無い返事に、一瞬、言葉に詰まる。 そう、と再び一言だけ返して。女は静かに、その長い睫を伏せた。 愛のかたち。恋のかたち。 歪んだ自分には正しいものなど分からない。 けれど。 今度こそ、手に入れたいと願うものが出来てしまったから。 女は言う。ずるいと知りながら、己に忠誠を誓う男へと。 「……いきましょう。ねえ蕾、貴方は」 何があっても、私と共に来てくれるんでしょう? 答えは聞かなくとも、決まっていた。 ● 「揃った、……なんて聞く必要ないわよね。『運命』って奴、聞いて頂戴」 資料を広げて。 『導唄』月隠・響希(nBNE000225)は酷く真剣な表情で、話を始めていた。 「この前の『逆棘の矢』争奪戦、知っての通り完全な勝利にはならなかったわ。皆全力を尽くしてくれたけど、ね。 ……鬼にとっても相当大事な物っぽいわね、これ。だから向こうも本気になってたんでしょう。 まぁ何れにせよ、アークは矢を2本、確保出来た。悪くない結果だと思うわ。向こうも中々に焦ってるんじゃないかしら。 けど、まぁ、状況は待ってくれないのよね。――鬼道は近い内に再び、大規模な進撃で人間社会に大きな仇を為す。『万華鏡』がそう言ってる」 当然、あの暴挙を、そしてそれ以上の暴挙を繰り返させる訳には行かない。 揺らぎの無い瞳で、フォーチュナは続ける。 「……まぁ知っちゃった以上、あたしらも腹括らなきゃいけない。王様への対策は万全じゃない、状況も混沌としてる。でも、やらなきゃいけない。 だからアークは、決戦に踏み切る事にしたわ。……作戦目標は鬼の本拠地『鬼ノ城』の制圧及び王、『温羅』の撃破。 あのばかでかい城を落とすのは勿論大変でしょうね。簡単な戦いになるはずも無い。でも、あんたらにやってもらうほか無いから」 私はあんた達を送り出す。 そう告げて、フォーチュナは長い爪で、モニター上に示された戦略図を示した。 「これを見て。……あんたらが城を攻略する上で、相手取らなきゃいけない勢力は4つ。まず、『烏ヶ御前』。遊撃と迎撃メイン。 彼女のエリアを制圧できれば、城外の安全が確保できる。……援護効率面で有利な状況を作りやすくなると思う。 次、城門。此処には『風鳴童子』が居る。……地の利は向こうにあるから、相当な抵抗があると思う。しかも、突破しても安心できない。 次は『鬼角』が待ち受けてる。俗に言う精鋭近衛部隊ね。この2つ落とせれば、本丸への攻撃効率が上がる。敵の強化も解除されるわ。 で。……本丸下部で待ってるのは、あの『禍鬼』ね。何考えてるかは不明だけど、手強い敵よ。全力尽くして欲しい。 あ、それと。……『風鳴童子』、『鬼角』、『禍鬼』は矢も持ってる。奴等倒せれば矢も手に入ると思うけど……此処に居るあんたらに、それは関係ないわね」 じゃあ本題。行くわよ。 その言葉と共にモニターの画像が変わる。恐らくは敵の配置図と思われるそれを開いて、フォーチュナは口を開き直す。 「あんたらには、御前様を突破してもらわなきゃならない。 ……大雑把な配置。一番奥に御前。その少し前に、『騎士』と、彼が指揮する魔術を操る鬼の隊。 最前線には、この前の矢奪取の時にも居た大鬼と、『鉄』と呼ばれる鬼が指揮する、鉄壁の守護鬼の隊がある。御前に攻撃を仕掛けるには当然、この3つの隊を突破しなきゃいけない」 横から迂回は不可能なのか。そう、尋ねる声が上がる。 やっぱりそう思うわよね、溜息混じりに応えたフォーチュナは、軽く首を振って見せた。 「それは無理。……御前の異空間能力っぽくて、迂回すると進んでも進んでも同じ道しか歩けなくなる。戻れなくなったら困るから止めて。 でも、騎士の率いる魔術鬼を倒し切ると、その異空間は解除されるみたい。能力の増幅してるんだろうね。 あ、だから、騎士の『空蝉』も強化されてる。一応、参考にして。 ……敵の数とか、細かい事については用意した資料参照でお願いしたいんだけど……御前が全盛期の力を取り戻したみたいだから。そっちについてだけは話しておくわ」 資料の該当ページを開いて欲しい。 そう指示をしてから、既に何度も読み込んだのであろうそれを握り締めたフォーチュナは深く、溜息を漏らした。 「……まず、御前の魔術・常時発動能力の範囲。彼女を中心とした凡そ40m以内全てに効果を及ぼすみたい。 だから要するに、視線に入って居なかろうと、その範囲内に居れば対象。で、瞳による呪いだけは、普通の遠距離攻撃。 加えて、彼女は生きたものを喰らう事でその傷を癒す事が出来る。……最悪仲間を喰って傷を癒すでしょうね。注意して欲しい。 で、最後に。……彼女は、瀕死の重傷を負うと、その本性を表に出すの」 恋をする鬼。憎悪と情愛。相反する、しかし何より近いそれを抱え込む女は、その身に悪鬼を飼っている。 般若。怒り狂い、言葉も何も届かないそんな化け物だと、フォーチュナは告げた。 「強烈な物理攻撃に加えて、通常時に使える奥義を、詠唱なしで使ってくる。人も鬼も見境無く殺すでしょうね。 喰らって喰らって喰らい尽くせば、元に戻るみたい。……因みに、必殺で倒す事が出来れば、彼女は姿を変える事は無いわ」 これくらいかしら。そう告げてフォーチュナは静かに、モニターの電源を落とす。 「……あの女が何考えてるかは、わからないわ。どう転ぶかもわからない。あたしがあんたらに頼むのは、全力を尽くして勝って来る事だけ。 ただ勝つんじゃない。……ちゃんと勝ったって言う報告をしに、戻ってきて頂戴」 それじゃあ、後宜しく。そう告げて去っていく彼女は一度も、振り向かなかった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:HARD | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年04月14日(土)22:37 |
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● 戦場を満たすのは、白い霧と甘いにおい。 目の前に立つのは、堅牢な盾持つ守護鬼と、血気盛んな大鬼達。 最前線に駆け込んだ者達の何人かが、くらくらと。その意識を混濁させていく。 それらを目の当たりにしても、リベリスタは怯まない。引かない。 武器を、友を、恋人を、そして、己を何より強く信じて。 決戦は、始められようとしていた。 「僕の名前は紅涙りりす。僕は櫻と恋がしたい」 空気を切り裂いたのは、大音声の名乗り上げ。 この程度を乗り越えられねば、彼女の前に立つ資格はない。 握り締めたのはナイフ。暗いあかが、奥に待つ御前を見詰める。 未だ、その表情も、声も、聞こえない。 けれど。きっと、彼女は今日もまた、楽しげにリベリスタを迎えんとしているのだろう。 ならば。 ――さぁ、恋しに往こう。 その声の少し後ろ。既に惑う仲間の姿を確認して、カルナが呼び寄せるのは聖なる神の息吹。 再び。女鬼の幻惑を打ち払う生命線とも言うべき位置に立った翡翠の天使の瞳に、迷いは無い。 大切な仲間を、誰一人失う事などない様に。 必ずや、此処に勝利を齎す事が出来る様に。 彼女は、祈る。 「……全員で、必ず生きて戻るのです」 『奇跡』を起こした彼女は、知っている。 それが運命の悪戯などではなく。 自らの意志と強さで、掴み取るべきものなのだと。 カルナとは丁度、反対側。 出来る限り早く。防御を犠牲に得たスピードで、朱子はカルナと同じ様に破邪の煌めきを放ち、味方の意識を引き摺り戻していた。 心を惑わす術など一瞬で解除する。 自分がする事は唯一つ。 それだけでいい。それ以外に必要ない。ただそれだけに、全てを賭ける。 それに。自分の前では、愛しい人が、何時もの様に格好つけて戦っているから。 「負けられない、私の魂の火で……皆の行く先を照らす」 あの背を惑わせていいのは、私だけだ。 「来たのね。……待ちわびたのよ。逢いたかった。嗚呼、しあわせだわ」 漏れるのは、陶酔の吐息。リベリスタをその紅の瞳で眺めながら。 御前と呼ばれし女は、静かに魔力を練り上げる。 紡ぎ出されるまじない。リベリスタを侮る事などしない。端から全力を以って望もうとする彼女の気配に気付いたのはレイライン。 御前、否、櫻と戦う為に、此処に来た。 名を明かされた場に居た者として、全力を尽くすと胸に誓う彼女の感覚は鋭敏に、一度受けたまじないを感じ取る。 「皆気をつけるのじゃ! ――来るぞ!」 彼女の警告と同時に、氷璃もまた、周囲の仲間へと警告を発する。 強烈な一撃。それに備えんする者は決して、多くない。上げた警告の声すら、即座に剣戟と怒号の中に溶け消えてゆく。 金属化した右半身が、淡く煌めく。 全力を込めて振るった釘バットから漏れた気が、漆黒の鬼の盾を削り取る。 返しとばかりに飛んでくる重量級の一撃を耐え凌いで、鋼児はその鋭い眼光で対峙する鬼を睨み上げた。 「……名乗れ、人間」 例えるなら地鳴りの様な。鳴り響くがなり声に負けじと、声を張る。 「鋼児だ、鉄。俺はお前に興味がある」 歳相応の真直さ。そして、不器用さを持つ少年の、端的な言葉。 名も、スタンスも似通った、恐らくは自分より上手の相手。 どんな戦いをするのか。その想いは、戦場では間違っているのかもしれない。 「けどよ、俺はバカで力のねぇクソガキなんだ」 目上の相手には敬意を持って学びたいと、思ってしまう。そう告げた彼に、大鬼は笑う。 「ならば見よ。目を閉じるな。之が我の戦いだ!」 がなり声。振り被ったバットが、盾ではなく漆黒の身体を掠める。直後に振るわれた盾が、差し出した右腕ごと身体を弾き飛ばす。 骨が折れた嫌な音。一気に競り上がる血の味と激痛に、迷わず運命を差し出した。 折れた歯を血ごと吐き出す。バットを構え直して、深呼吸を一つ。 学び取る。強くなる為に。必要な事はすべて。 けれど、同時に。此処で負けるつもりも更々無かった。 鋼は刃金。護る堅さと、折れぬ強さを持ったもの。 だから。 鉄なんかに、負ける筈など元より無いのだ。 ● 「──舐められたものね」 低い、呟き。 直後炸裂したのは、必殺とも言うべき女のまじない。 危険を知らせ続けた声も、間に合わない。その身を余す事なく貪り喰らうそれが拡散した後。 前線で立って居る者の数は、目に見えて激減していた。 無傷なのは護られていた者のみ。 桜が、省一が、そして、アゼルが己の血の海へと沈む。 運命を燃やして立ち上がる者、辛うじて持ち応えた者。 その中で、誰より早くこのまじないの発動に気付いていたレイラインは、倒れる事無く立っていた。 額から滴る血が、視界をあかく染める。 それでもこの程度ならば未だ、倒れるに値しない。驚異的な身のこなしを持った彼女が防御に徹したからこそ。 ほぼ完璧にその一撃を、かわしたのだ。 「一度耐えれた技……再び耐え切れぬ道理はないわ!」 満足か、未だ遠い女鬼へと、声を張り上げる。 声は返らない。けれど。 心底嬉しそうに、女が微笑んだ気配がした気がした。 凄まじい一撃は、無論、最前線の生命線とも言うべきカルナと朱子にも、牙を剥いていた。 否、剥く筈だった。 「……私の命がある限りは、絶対にやらせはしない」 「姫君、数多の者との殺し愛、満足出来そうか?」 ぼたぼたと。 肌を、地面を、溢れ出す血液が濡らしていく。 ――まさに、最高の『盾』。 これで幾度目か。 護る為に戦場に立つ。傷の一つさえ負わせないと固く誓ったが故だろうか。 その身を投げ出し癒し手を護ったレナーテとアラストールはしかし、膝をつく事無く、その場に立っていた。 感謝の気持ちは、無い訳ではない。盾を握り直したレナーテは、たった今戦場を一気に掻きまわした女を見つめる。 けれど、だからこそ。あの日手にする事の出来た矢を使う為に、此処は突破せねばならないのだ。 立っているのがやっとの傷に、微かに熱を帯びた呼吸が漏れる。 これまで3度、相対した。 けれど、アラストールには理解出来なかった。恋愛感情も、御前、と言う女の事も。 そういう意味では、御前と自分の相性は最悪なのだろう。 ――愛なら判るが、恋など到底、判りやしないのだから。 「ヤバイヤバイ! 旦那方マジやべーっスよ!」 前線の、端の方。コボルトが、直死嗅ぎが伝える死の予感に騒ぎ声を上げる。 右に行けば金棒。左に行けば煉獄の炎か鎌鼬。うっかり前に出てしまえば、待っているのは女鬼が唱える致死のまじない。 「俺ら完全に場違いじゃないっスか! 冗談じゃねぇっスヨ!」 コボルトの言葉に銃を撃つ手を止めたオークも、 「よし、ずらかるぞお前ら! 最低限仕事はしたンだ。これ以上命は張れねぇやな!」 全面的に賛同の意を示す。これ以上粘ってもリスクが増すばかりなのは明白だ。 「ギャギャ?」 一人、リザードマンだけはそんな仲間達の言葉に不思議そうに首を傾げるが、……直後、彼等の傍らに凄まじい熱量が爆発する。 「やべえ!」 「くそったれ! 絶対に生きて帰ってやる!!」 「ギャーギャー!!」 逃げ行く彼等が無事に戦場を離れ得たのは、恐らくは鬼達も彼らを人間と認識し辛かったというのも無関係ではないだろう。 ● 守護の名を冠すだけの実力を持った鬼達を突破する為に。 最前線に布陣したのは、【切り込み班】。そして、それを援護する【前衛班】だった。 肉を切り、骨まで断つ。 手には二振りの肉切り包丁。こびり付いた肉片を、刃と刃を擦って殺ぎ落として。 行方は、高らかに笑う。 切り込み。仲間を先へと通す為だけに己が技を駆使する彼女は、心底愉快げにその口角を吊り上げる。 「片っ端から大鬼ぶったぎって痛みを与えればいいのデショウ? 捨石、最高デスね!」 飛んで来た金棒は、斧の如きその刃で弾き返す。 嗚呼楽しい。別に、目立つ必要なんて一つもない。 捨石でも構わない。美味しい所など全てくれてやる。 だが、その代わり。 「ああ、恋も病も関係なく。種族も問わず、血と傷のみで語り合え」 ――都市伝説が鬼を刻みにきた。 再び響く、笑い声。直後、大鬼の首は胴体から離れていた。 その代わり。 相手の只中に畏怖を振りまくのは、自分だ。 突貫部隊が、強敵に専念出来る様に。 出来得る限り早く、万全の状態で戦場へと送り届ける為に。 最前線の真ん中で、武器を振るうのはセルマと彩歌。 「邪魔をするなとは云いません! 打と意地を以って押し通る!!」 強化をしている時間も惜しい。兎に角進んで進んで、目の前の鬼全てを打ち倒す。 裂帛の気合と共に振り抜かれた祭事の為の枯れ木が、鬼の盾を弾き飛ばす。 攻撃後の隙を狙ってくる敵共には、彩歌が弱点を狙い撃つ正確無比なそれで対応する。 「……何を考えてるのかはよく知らないけど、こちらも退けないし」 傷は深い。敵は、まだ両手以上。 けれど、怯む必要なんて全く無い。 ――邪魔な壁は、全てぶち破って進めばいいのだから。 若草色が、駆け抜ける。 己の頬を伝う鮮血すら置き去りに。花風纏う少女が、目の前の鬼を一閃する。 呻く、大鬼。けれど、花の刃は止まらない。 再び振り抜かれた刃が、あかい花を散らした。 「――ここが【境界線】」 その後ろから飛び込むのは、鮮やかな紅。 全力を以って振り抜かれたハルバードが、目の前の敵を容赦無く薙ぎ払う。 「――大切な人達を護る為」 背中合わせ。纏うは揃いの白き制服。 鮮血に塗れたそれは、全力の証。 既に運命は差し出した。次、立ち上がる事が出来る保障は全く無い。 けれど。引くつもりなど更々無かった。 一人は、待っている筈の彼女の為に。一人は、共に来た彼の為に。 「「【白の双子】が【境界線】を護る! 皆で迎える朝を諦めない!」」 声を、張り上げた。 血が滾る。息つく暇も無い連戦、何と心地好いことか。 弾む呼吸も伝い落ちる汗も全てが、迷子の楽しさを増徴させる。 その脚が産み出した鎌鼬が鬼の片腕を飛ばす。 後ろから飛んで来た金棒をかわして、けれど続いた攻撃に跳ね飛ばされた身体が地面に叩きつけられれば即座に運命を燃え滾らせた。 死んでなどやる訳が無い。こんなに楽しいのに、誰がこんな所で倒れてやるものか。 大煙管を担ぎ上げる。痛みだって悪くは無い。思わず、愉悦が漏れ出す。 「くくく、殺せるかこの四辻迷子を。今日のわしはこの上なく調子に乗っておるからな、油断も隙も無尽蔵じゃぞ!」 もっと強いのが来い、もっと恐ろしい者が来い! 滾る思いをそのままに。揺らめく煙の様な姿が再び、戦線へと消えていく。 そして。そんな彼らの磨耗していく精神力を、支える為に。 「敵一団は屈強だ。だが貴君等の能力はソレを凌駕する! 見せてやれ!」 剣戟を切り裂いて。響き渡るのは激励の言の葉。 状況はネガティブ。しかし、やれる事がある内に諦めるという事は雷慈慟の選択肢には無い。 その身を挺して敵の進撃を防ぎ。 戦況を見極め。手薄な所を、迫る危険を伝達する。 切り開くだけではなく、支える為に前線に立つ彼は、己が技を振るうだけの精神力を持ち合わせない者へと、その心意気を、力を分け与える。 「此処が正念場だ!貴君等の本領、とくと見せてやれ!」 戦いの趨勢は未だ、見えない。 ● ほぼ中衛。 敵の攻撃を上手く避けられるような位置取りに気をつけながら。真人は、カルナの精神力の回復に尽力していた。 自分にはこれしか出来ない。だからこそ、其処に全力を尽くす。 そう決めてきた筈なのに、膝の震えは収まらない。気を抜けば逃げ出してしまいたくなる自分を、必死に叱責して。 「……戦いは怖いです。けど、それで何かを守れるなら」 大丈夫。此処で、戦う事は出来る。 覚悟を決めて。前を見た少年の震えは、気付けば収まっていた。 「よ~しよしよし……良いぜ? 格好つけさせてくれよぉ!」 燃え盛る拳を、盾など気にせず叩き込む。 前衛左側。後ろに敵を通さない様に、と構える火車はふと、後ろから感じる視線に表情を緩めた。 背中は任せている。今回の生命線とも言うべき自分の恋人。 最前線に立つ彼は、既に手酷い傷を受けている。現に今叩き込まれた一撃で、ほぼ意識は持っていかれていた。 隣で、夜見が倒れ伏す。あっと言う間に鮮血に塗れていく彼の上に、本来なら火車も倒れるはずだった。 けれど。 彼女の視線が。魂の煌めきが。火車に、倒れる事を許さない。 好きな女。いいや、自分の女の目の前で。 「……っ! 格好悪ぃ所見せられねぇだろガッだぁらぁあ!」 がん、と地を踏み締める。運命が燃える。己が意識を掴み直して。火車は、攻撃の手を休めない。 「さぁ皆、りりすの為に血染めのヴァージンロードを用意するのじゃ♪」 楽しげに笑って。精密な術式を即座に練り上げ呼び出すのは、漆黒の式。 簡単な指示を飛ばした瑠琵は、自分達と共に極力体力を削らぬよう走る鮫を見遣って、更に笑みを深めた。 一番のお気に入り。愛らしくて堪らない。 少しくらい歪んでいる方が魅力的だ、と感じる自分の心を擽る様に。りりすは悉く、愛を伝えてはそれを失う。 そんなりりすに告白した物好きが居る、と聞いた。だから自分は今、この戦場に立っている。 瑠琵が、影人を生み出し指揮する傍らで。 刹姫もまた、【獄兎】の一員として尽力せんとしていた。 高度な術式故に、大きく精神力を磨耗させる技を連発する瑠琵の意識と、己を同化させて。 未だ余裕のある己の力を分け与えた彼女は、箱舟に所属する自身の一族が揃い踏みである事実に笑みを浮かべた。 目的は鬼退治より、人の恋路を応援しつつ見届ける事。 そんな、頼もしい仲間と共に。恋の成就を願うりりすは、進んでいく。 開始と同時に駆け出していた六花が転び、戦線に置いていかれる脇をすり抜けて。 「全く……図体だけでかくて脳筋とか、勘弁してよね」 漏れたのは、心底嫌そうな溜息。 言葉すら置き去りに。幻影帯びる一撃を守護鬼へと見舞った綾兎に続く様に、よもぎが澱み無き斬撃を同じ守護鬼へと叩き込む。 ばちり、動きを止めた鬼を確認し、そっと息を漏らす。 恋に影響された鬼というものが、この先にはいるらしい。 手合わせは叶わないだろう。それでも、一目見ておきたい。 そんなよもぎの隣に立つ事となった綾兎もまた、僅かな思案に沈む。 恋なんてもの、良くは分からない。 だから、自分に出来るのは、此処で共に眠らせてやる事だけ。 そうだろう、と胸の内に問いかける。答えは、戻ってこなかった。 守護鬼を倒さねば、突破が出来ない。 だがそれだけでは不十分。大鬼も処理しなくては、危険は去ってはくれない。 呼び寄せた紅蓮の焔を叩きつけて、リリィは前線へと、呟く。 「上手くやりなさいよ。絶対に、誰も欠けることなく」 全員で戻るのだから。その声が、届かなくとも。 その心は、共にある事を証明するかのように、最前線に立つ有紗が声をあげる。 「恋の病はお医者様でも治らない。ならば死してそれを終わりにしよう、そして血路は私が開こう!」 敵は多数。火力も多数。だけどこちらは、それを上回る覚悟が多数。 ならば、自分が尽力すべき事は露払い。後顧の憂いを出来得る限り全て絶つ事。 勝つ為に。皆を通す為に。そして、皆で戻る為に。 倒れない。邪魔をする者は逃がしはしない。 「邪魔な鬼達は排除する。必ずね」 直後、全力を以って振るわれた一撃が、鬼の盾を叩き割った。 ● 対して。 戦線を支え、補助し、時には攻勢に転ずる。 大規模戦闘においては特に重要と言える位置を請け負うのは【中衛班】と【後衛班】。 彼らが、そして前衛にも混じっている癒し手達が、戦場を満たす霧と、幻惑を打ち払おうとし続けるお陰で。 極稀に、霧は晴れ、再び満ちる事を繰り返していた。 鼬ごっこに過ぎない、と言い切ってしまえば其処までだ。しかし、霧を満たし直す、と言う事は即ち、騎士の手を煩わせているに等しい。 小さな積み重ねでも、後になれば大きな結果に繋がる。良くも悪くも、大規模戦闘とはそういうものなのだから。 戦闘が激化すればするだけ、敵味方問わず傷を負う者は増えていく。 戦線が進めば其れだけ多くのリベリスタが、御前の領域へと足を踏み入れてしまう。 突破の為、守護鬼を削っていくリベリスタの中にも、御前のまじないに、鬼達の猛攻に、耐え切れず倒れ伏していく者が増え始めていた。 「がう! う、ぐ……っ」 酷い空腹状態を埋める様に。大鬼に喰らい付きその血を啜っていたマクが、叩き込まれた金棒に意識を飛ばし倒れ伏す。 これで、二度目。運命の加護は見込めない。 ぴくりとも動かない彼女が、足元など気にする事もしない大鬼に踏み潰されかけたその瞬間。 素早く、その身を引き摺り寄せたのは文月。 「まあ、最低限やる事はしっかりしておこうか」 無茶をするつもりはなかったのだが。それでも、すべき事を果たさんとしていた彼女は既に、己の運命を一度燃やしている。 張り付く髪が鬱陶しい。それでも、動ける内は出来る事をすると決めた文月が行うのは、怪我人の搬送。 乱戦の中では、倒れた者はその命を容易く奪われかねない。 それを未然に防ぐ彼女や、瑠琵が呼び寄せていた影人の行動のお陰で、重傷者はそれ以上の怪我を免れていた。 「親愛なる戦友(トモ)に、揺ぎ無き加護を……」 ゆらゆら、広がるのは仲間を護る見えぬ盾。 少々穴の開き始めた前衛を埋める様に、少しだけ前に出て。 咲夜は、仲間を支えつつ、遠き女鬼を思う。 恋情。強い想いが強さに繋がるとは何とまぁ、不思議な事か。 けれど、それと同時に。 其処まで強い想いを抱く事が出来る事へ、ほんの少しの羨ましさも、その心は覚えていた。 小さく、苦笑が漏れる。思考は後だ。今は、戦線に集中する。 絶対に誰一人欠けずに皆で、帰れるように尽力する。 それは、戦線を支え続ける者達の総意だった。 「――あなたにだけは、譲れません」 呪いも、魅了も、混乱も。麻痺すらこの身には届かない。 仲間に降りかかる脅威を打ち払い続ける夢乃は真直ぐに、ただ真直ぐに前を見据える。 混濁した仲間から、また違う仲間を庇って負った傷は浅くはなかった。 飛びかけた意識は迷いなく、己の運命を対価に引き戻して。恋に恋する彼女は拳を握る。 霧の向こう。霞んで、その姿は見えないけれど。 恋とか愛とか。信じた先が、ああなのだと言うのだろうか。 もし、そうなのだとしても。 「見つけられずに走るあたしには、あなたが終着点だなんて、認めることはできないんですよッ!!」 夢乃は叫ぶ。夢見る先の答えは、自分の手で掴むのだから。 惚れっぽい、と言うのも病気だ。 夢乃の少し後ろ。居合いの技と吸血を頼りに単独で戦っていた真名が、剣を振るった直後の隙を突く様に。 戦場のほぼ中央に立つ魔術鬼が放った業炎が、一気に辺りを焼き払った。 巻き込まれ、崩れ落ちたのは真名だけではない。 暗黒で敵を払い、一撃必殺になりうる痛みの呪詛を狙っていた知世が。 出来る限り中衛の方まで出て、回復を行い続けていた依子が。 その身体を、炎と共に地へと沈める。立ち上がる事の叶わぬ彼女達の身体は即座に、仲間によって戦場の端へと運び出されていく。 既に、人物の特定すら厳しい程離れた最前線へと。 白き花の舞うボウガンで怒涛の連撃を見舞うスケキヨは、思いを馳せる。 「大事な子を失うのも、大事な子が泣くのも、ボクは嫌なんだ」 彼女の、彼の、そして、仲間達の手助けになれるよう。 全力の支援を続ける彼の横では、文音が直感を生かし仲間へと警告を行っていた。 「皆さん生きて帰りましょうねー投げ捨てちゃだめですからねー」 その傍らでは遠子が、正確無比な攻撃を拡散させ、多くの鬼の弱点をついていく。 「愛だの恋だの、望んでも手に入れるのは難しいのに、いつでも人を縛る」 ぼそり、と。呟いたのはシメオン。 それでも、鬼というものは変わらないのか。先の戦場で、愛の下に死んだ一人の鬼を思い返す彼は、それを哂うつもりはなかった。 自分の求めるものは、他にあるから。 その唇から、柔らかな笑みが絶える事は無い。 呼び寄せたのは破邪の煌めき。御前だけでなく、魔術によってかけられた焔の呪いを解く少年の瞳は、随分と先を見ているようだった。 ● 【前衛班】【中衛班】【後衛班】による全力の押さえと殲滅により、鬼の最前線を突破した面々は、それぞれの目的地へと走っていた。 りりすの恋を遂げさせる為に。 突貫部隊と共に走る【獄兎】の一人、氷璃はふと、足を止めた。 目の前に立つのは、未だ剣すら抜かない、忠義の騎士。 立ち止まった氷璃へとそのあかい視線が、向く。 「……お兄さんが言っていたわ、貴方の戦いぶりを教えてくれと」 最後の最後まで。 忠義ではなく、抱いていたのは哀れみと感謝、そして微かな憎しみ。 もう手の掛からなくなってしまった弟に、ほんの少しの寂しさを覚えながらも。 その力を彼らの為に振るい続け、散っていった、一人の徒花。 彼の死に様を目の当たりにした彼女は、託された言葉を告げる。そうすべきだと、思った。 「――貴様が死んだら、私が首を持って会いに行こう。それで十分だ」 沈黙は僅か。即座に返された言葉にいろはない。 けれど、再び走り出した氷璃は確かに見ていた。 その紅の瞳が、深い悲しみを湛えていたのを。 戦場の最奥。目の前には、女鬼。 未だ傷一つ負っていない彼女に対して、リベリスタ達は明らかな消耗を見せていた。 既に殆どの者は此処に辿り着くまでに運命を削り取られている。 それでも、戦わねばならない。武器を構えようとするリベリスタはしかし、唐突に前に出た少女の姿に、動きを止める。 無機質に。けれどきらきらと、煌めくオレンジの瞳が宿すのは、異界に寄り添う異能。 恋と聞けばじっとはしていられない。 恋患いの鬼の姫君にどうしても逢いたかったトビオは、彼女を目の前にして、その姿を感じ取る。 折角の、逢瀬。言葉も交わせず殺し合いに雪崩れ込むのは少しだけ、無粋だと思った。 此方を見つめるトビオの瞳に何かを感じ取ったのか、御前は柔らかに微笑んで見せた。 「気になっている人を連れてきましたよ、……それと」 最期まで貴女を想い続け護った鬼の事を、伝えに来た。 攻撃の気配が無い事に気付いて。言葉と共に、桐が差し出したのは一振りの日本刀。 ぼろぼろに刃毀れした刀身。握り締められ血に塗れた柄。 それは、証。 いとしい、いとしいと月にないた。 一人の鬼の、生き様の。 幾度かの瞬き。そうして、酷く寂しげに微笑んだ女は、そっとその刀を受取った。 「絲ね。――有難う。褒めてあげなくちゃ、いけないわ」 御前様、御前様と。 自分の後ろをついて歩き、しあわせそうに笑う空色を、女は良く覚えている。 頑張ったわね、と漏れた声は、何処に向けたものだったのか。 瞼を、落とす。感傷は数瞬。 次に目を開いた時。女鬼の瞳には既に、迷う色は残っていなかった。 「来たよ。僕は君が愛おしい」 視線が交わる。音も無く踏み込み空気を裂いた刃が、御前の頬を赤く染める。 「逢いたかったわ、……りりすと言うのね、さあ」 見せて頂戴。私に、その全てを。 詠唱ではなく、己が纏う武器とも言うべきそれを振るって。 女鬼は笑う。無邪気に、恋に落ちた乙女の様に。 「君は誰にも渡さないよ。邪魔もさせない」 ナイフについた血を払って。 鮫は、真直ぐにその瞳を見詰める。 女の妹に言った。証明して見せると。姉の想い人は、彼女が命を賭けるに足る存在だったと。 そして、その姉。愛しくて堪らない目の前の女にも、見せて遣らなくてはならない。 「……何処にも行かない。離れない。君の言葉を、嘘にはしない」 だからこそ殺し合おう。その侭で居ればいい。先なんて考えない。 惚れた女の全部、受け止めてやれないで何が愛しいだ。 ● 「あの時の借り……今此処で返させて貰うよ!」 魔術鬼の只中。指示を飛ばしていたのであろう騎士へと、真っ先にその刃を振り下ろしたのは霧香。 彼女の太刀を鞘で受け止めて。騎士はすらりと、鮮血の太刀を抜いて見せた。 「借りか。……貴様とは剣を交えなかったな、ならば」 此処で全力で相手をしよう。言葉と共に振りあげられた太刀から、鮮血が滲み出す。 全体重を乗せた一撃が、防ごうとした刀を弾いて叩き込まれる。 ぐらつく身体。連撃にこそ至らなかったものの、一撃の重さに表情が歪む。 このままでは次は無い。しかし即座に、光の鎧がその傷を癒す。 「ふふ、久しぶりね、蕾」 聞こえるのは笑い声。自身と同じ配色を持つ癒し手、ティアリアを視認し、騎士はゆっくり目を細めた。 御前よりも騎士が気に入った。そう告げながら前線に立つ彼女は、甘く囁く。 「献身的なまでの忠誠心、素敵よ。壊したいくらい。……お相手お願いできるかしら?」 「幾らでも。……この身が朽ちようとも、私は戦い続けると決めている」 壊せるものなら壊してみろ。 そう嗤う騎士の、背後。 気配を殺した状態で仲間に紛れていたオーウェンが、片目を伏せ、脚甲を纏ったその脚を振り抜かんとしていた。 状況を読みきった最善手。完全に隙を突いた一撃は本来なら、確実に決まるもの。 「今までの『お役目』は、最早ない。これで全力を出してお前さんを叩けると言う物だ……!」 しかし。 「……影に乗じようと、この程度の人数では見切るのは容易いな」 きん、と響く高い音。打ち込まれた脚は、完全に太刀に受け止められている。 状況を立て直さねば。素早く地に足をつけた彼が、味方の集団へと姿を消そうとした、その時。 「さぁ、……戦いはこれから、でしょう?」 炸裂するのは、幾度目かのまじない。 抑えの部隊に居た白山が、真琴が、狙撃を行い敵を殲滅していた真が、地面に倒れ伏す。 傷ついた仲間達へと、後衛に位置取った京一が、癒しの福音を呼び寄せる。 「回復しますよ、頑張りましょう!」 世の中は平穏無事であるのが一番だ。 だからこそ、自分は此処に立ち、仲間を支える。 そんな彼の回復が届かなかった場所では、透真斗が福音を呼び寄せ仲間を癒していた。 「少しでも、皆様の力になれりゃいいんですけど……」 支援に徹するその力は、確実に仲間を支えている。 彼ら癒し手は、支える事しか出来ないのではない。 支える事が、出来るのだから。 御前のまじないの被害は、寧ろ、【突貫部隊】【切り込み隊】の方が深刻であった。 オーウェンが、力無く倒れ伏す。 御前へと向かっていた一団でも、凍が、万葉がその身を地へと横たえる。 否。落ちかけた膝を、支えて。運命を削った凍は、再び前を見据えて立ち上がる。 脇役でも構わない。それでもまだ、足を止める訳にはいかないのだから。 倒れなかった仲間達も、決して無事ではない。 戦地において、突貫を行う者達を護るのは、ホーリーメイガス。 ならば、自分はそれを護る者になろう。 差し出したのは己が身。幾ら頑強なキャプテンであろうと、女のまじないはその身を深く傷つけていた。 しかし、彼は膝を折っては居ない。 護るのだ。仲間を。そして、愛すべき地球を。 人に恋し、鬼に恋し、血に恋する。恋とは素晴らしい感情ではある。 しかし。目の前の女鬼は、地球を愛しては居ない。ならば。 「恋するならばただ壊す恋をするべきではない。……ワタシは地球を愛さぬ者によって倒れはしない!」 地球の如く慈しみ、抱擁する恋を、御前は知るべきだ。 そう、はっきりと告げる、満身創痍のキャプテンの傷を癒さんと。 「癒しよ、あれ」 小夜香が呼び寄せるのは神とも言うべき高位存在の癒し。 こうなった責任が、無い訳ではないから。 吹き荒れる優しい風で周囲の仲間を癒す小夜香は心に誓う。此処で止めてみせる、と。 ● 「……妹に会ったよ、御前」 仲間と共に、御前に相対して。 一番初めにアンジェリカの口をついて出たのはその、一言だった。 黒い髪。紅い瞳。そして、思い焦がれる相手に全てを、その命さえも捧げたいと願う心。 哀しい程似ていた鬼の少女と争い、その最期を見届けた彼女は目を逸らさず、己が身を削る一撃を御前へと振り下ろす。 激戦で消耗した身体が、悲鳴を上げる。でも、まだ聞いていない。きつく唇を噛む彼女を見返して。 切り裂かれた肩を抑えながら、女はそう、と呟く。 「私の所為ね。……同じものを見て、ずっと隣に在り続けてくれると思っていたの。でもそれは」 私の独りよがりだったのね。 紅い瞳に浮かぶのは、痛みと深い哀しみ。 もっと、言葉を交わせば。もっと愛せば、もっと、もっと見ていてやれば、あの子を追い詰める事はなかったのだろうか。 自分を慕い、自分を目指し、自分と同じものを見ようとしたあの子は。 何を、想って逝ってしまったのだろうか。 押し黙る彼女へと、御龍の雷撃を帯びた月龍丸が振り下ろされる。 ばちり、走る電流。それに微かに表情を歪めながらも、紅の眼光は御龍を確りと捕らえていた。 込めるのは、半ば八つ当たりにも似た呪詛。 辿りつく前に運命を燃やしていた彼女に、殺しの呪いは容赦なく牙を剥いた。 崩れ落ちる身体。小夜香が素早く自らの方へと引き戻すのを確認しながら。 アンジェリカは、言葉を続ける。 「ねぇ、愛する事を知った事、後悔してる?」 愛を知らなかった頃に戻りたいのか。自分の愛に報いて欲しいのか。 愛も心すらもなかった自分は、今教えられ得る事の出来たそれらを、手放したいとは思わない。 痛くても苦しくても、辛くても。冷たかったあそこには戻らない。戻りたくない。 そう、真直ぐに投げ掛けられる言葉。 「……、いいえ。幸福だったと思っている。……ううん、幸福よ」 何かを想った。愛した。それは悪くはなかったのだと女鬼は囁いた。 ただ、失う事の辛さが、先にばかり立って。けれど、愛を知らないなんて。愛せないなんて、そんな事は望んではいないと。 其処まで告げてから。ねぇ、と、女は続ける。 「あの子、立派だった?」 返るのは、肯定。立派だった。最期まで己を貫いて。貴女を想って逝ったのだと、頷く。 女鬼は微かに、唇を震わせて。 「――そう」 ぽたり、と。白いかんばせを涙が、伝い落ちた。 その姿を目に映しながら。 それでも、躊躇う事無く宗一は、己の剣を振り上げる。 恋。鬼も恋くらいするだろう。それを、否定するつもりなど無い。寧ろ、尊いものだ。 けれど。その恋患いに、何時までも付き合い続けることは出来なかった。 「ここで終わらせてもらうぜ」 吐き出した呼気は裂帛の気合。破壊的なオーラを纏った一撃が、御前へと振り下ろされる。 寸での所でかわすも、その傷は深い。まじないを続ける女鬼が初めて、その表情を微かに歪めていた。 その横合いから。 投げ付けられたのは文が己が命を削って産み出した死の爆弾。 「わたしは…まだ、恋って分からない…だけど、大事なものはある!」 大事なものを守る為に。自分は戦う。そう、気丈に宣言した彼女の攻撃が炸裂する。 女鬼の額が割れて、鮮血がぱたぱた、滴り落ちた。 「……貴方達は恋をしないの? 私は何を投げ打ってもいいくらいに、誰か一人に恋焦がれてしまうのだけど」 尋ねる言葉に、宗一は微かに笑う。 頭に浮かぶのは、戦場を駆け抜ける美しいいろ。 真直ぐ過ぎるほど真直ぐな背を思う。姿は、見えないけれど。 「俺にも……思う人がいる。鈍感な俺をずっと振り向かせようと頑張ってくれた子が、な」 だから、此処で死ぬ訳には行かない。 悲鳴を上げる身体を感じながらも、突貫部隊は全力を尽くしていた。 ● 例えるならば、まさに銀の一閃。 音も無く、しかし全力で踏み切った霧香の澱み無い太刀が、騎士の脇腹を抉る。 玉鋼を濡らすのは、人と同じ紅い色。 「この剣に賭けて……今度こそ、勝って見せる!」 「志は立派だ、だが」 未だ負けてやる訳には行かないな。 惜しげも無く。今日幾度目かも分からない紅滴る太刀が、霧香へと振り下ろされる。 続け様。2回に渡る斬撃と共にふわり、広がるのは蒼銀。 夥しい血液と共に、髪紐が地へと落ちたように、その身体も本当なら、その場へと崩れ落ちる筈だった。 がりがり、と。運命を削り取る音が、頭の中に響き渡る。 未だだ。未だ膝を折るわけには行かない。剣士として、彼に負けたまま終わる訳には行かないのだから。 「わたくしも、借りを返しに来たのよ」 抑えに回る手は緩めぬまま。立ち上がった霧香の傷を癒したティアリアが微笑めば、騎士の顔にも愉悦が浮かぶ。 「……女と言うのは、人でも鬼でも恐ろしいものだな」 荒い呼吸。ティアリアに霧香、そして美散と俊介を相手取る騎士には既に、限界が見え始めている。 「望むだけで求めない。それで忠犬の心算か?」 煌めきと共にその脚を切り裂いた美散が、言葉を投げ掛ける。 敵が恋しい。 確かな意志と贅力を持ち、己の前に立ち塞がる敵を求めて続けている。 だからこそ、当主の命に従って。気兼ねなく己が『恋する』敵を見つけ、戦いを望んだ。 紅玉の騎士。己が忠義に生きる者。刃を交わす。そして、出来るなら。その心も、見たい。 「そうだ、それが私の、……俺の『恋』だ! 櫻様が笑えばいい。俺は、」 恋したものを失って泣く姿を見ないで済むのなら、自分の恋慕など幾らでも殺して見せよう。 張り上げる声。初めて感情を顕にした男を目の当たりにして。 俊介は、競り上がる何かを堪える様に、目を伏せた。 これで、3度目。 罪の無い人間を虐殺し尽くした騎士を、許す訳には行かない。 けれど、姫への忠実な思いは、分からないでもなかった。 自分も、彼女の為なら平気で人を殺すだろう。そう、俊介が告げれば、騎士の瞳が此方を向く。 「……恋人の傍にいられんのが、何より幸せだよ」 似ている。傍に居る事が、何よりも幸せで。 相手の為にならなんだって出来てしまう。 けれど。決定的な違いが、両者には存在するのだ。 ふ、と。俊介の瞳が騎士を外れ、逆侵攻を抑える部隊の方へと流れる。 息が、苦しい。 呼吸を繰り返す度喉は焼けるようで。 それでも走って、この重いチェーンソーを振るう度に、間接が、心臓が、悲鳴を上げる。 けれど。羽音はその手を、休めるつもりなど欠片も無かった。 「信じてるから、ね……邪魔な奴は、あたしが……」 意識も既に、朦朧としていた。 繰り返す言葉は、戦場に着く前からその胸に固く誓った事。 彼の為に。全力を尽くすのだ。その為なら、この身が、自分を愛す運命が、燃え尽きてしまったって構わない。 既に何度目かも分からない。振るったチェーンソーで鬼の脚を切り飛ばした時。 ふ、と。視線を感じた、気がした。 視線が、交わる。 距離は遠い。だから、そんなの有り得ない筈だった。声だって、この喧騒の中では到底聞こえる訳も無い。 けれど、俊介には確かに、彼女をすぐ隣に感じていた。 ――この世界の為なら。 俊介がいる世界の為なら、何だってできるよ―― 羽音の唇の動きすら読めない距離で、その言葉だけははっきりと届く。 ぐ、と、拳に力が篭もる。 例え、言葉を交わす事が出来ないほど遠くても。 想い合い、通じ合うその絆の深さは、何も知らない騎士の目にも明らかだった。 それが、違い。騎士の想い人はそれこそ、十数えれば届く程近くに居るのに。 思いは通わない。望むものは返らず、差し出すのは忠義のみ。 これは、勝てない、と。男は、諦めた様に目を伏せる。 重なった攻撃は、既に致命的。次の攻撃を避けるだけの力はもう、残っていなかった。 似ている。けれど決定的に異なる、騎士。 自分を見ているようで苦しい。似ているからこそ負けたくない。負けられない。 「これで、最後だ騎士サマよお!」 この一撃に、全力を込めて。 放たれた魔力の矢が、深々と騎士の腹部を貫いた。 一方で。 御前との戦闘は、激戦を極めていた。 少しでも気を抜けば、その瞳に、振るう薄絹に、命を奪われかねない。 ある種極限の状態で、しかし。黄泉路は酷く高揚した気分を隠さず、その長弓を二振りの刀へと変えていた。 「まだまだ力量不足ではあるが、逢坂黄泉路、全力で行かせてもらう」 鬼退治とは、これまた何と侍らしい事か。 噂に聞くだけであった合戦。それを見るだけでなく、こうして参戦する事が叶うなんて。 しかし、未だ己は力不足。それを重々己で承知する彼は、その高揚を分析へと傾ける。 その傍らでは、福松が不可視の殺意を以ってその頭を打ち抜かんとしていた。 愛も、恋も、未だ子供の自分には良く分からない。それはきっと、尊いものなのだろう。 だが、例えそうだとしても。それでも鬼の存在を認める訳にはいかないのだ。 「必ず殺すと書くから必殺なんだ。安心しろ、痛みは一瞬だ」 放たれた攻撃は、こめかみを掠め鮮血を散らす。 「嗚呼、素敵ね。殺意が、憎悪が、そうして愛が交じり合うの。……ほらもっとよ、何処まで、いけるのかしら……!」 響くのは酷く無邪気な笑い声。 それを、耳にしながら。 「お前さんには綺麗なまんまで居て欲しいからな」 憎悪に飲まれる事が無い様に。全てを尽くすと決めた暖簾が、福松と同じ不可視の殺意を放つ。 形有ればいつか無くなる。形無いなら忘れなければ。 そう割り切る事が出来れば、きっとずっと楽だったのだろう。 けれど、彼女はそれが出来なかった。無くなる事に怯えて、忘れ行く事に怯えた彼女には。 「だから俺は、俺達は、お前さんを必ず沈めてやる」 さァもうおやすみ、櫻嬢。 その言葉に、御前は答えない。代わりとばかりに、その紅の視線が福松を捉え、その膝を折らせる。 ● 明奈の膝が、力を失い崩れ落ちる。 仲間の被害を少しでも減らさんと前に立ち続けた彼女はその分、誰よりも多くの攻撃を受けていた。 見た目以上にタフであっても、集中攻撃には耐え切れない。 涼乃の傷癒術も、運命の加護が無ければ応急処置にもならない。 倒れた明奈の事などお構い無しに。踏み越え、更に大鬼達は侵攻せんとする。 だが。その歩みに合わせる様にして、カウンター気味に突き刺さったのはエリエリのアデプトアクション。 憎しみなのか愛情なのか、その両方なのか。 理解は出来ない。けれど、分かり合える目はなかったのだろうか。 会心の手応えに、思わずその口許に笑みを浮かべながら。エリエリは、思い、けれどそれを即座に、振り払った。 「……鬼と人が分かり合えるのは、お伽話でもめったに無いことですけど」 呟いた言葉の直後。不意に横合いから振り下ろされた金棒に、エリエリの華奢な身体が地に叩きつけられる。 此処に立つ者は殆ど既に、その運命を一度差し出していた。 けれど、例え幾人が倒れようと。此処を敵に譲るわけには行かない。 もし、此処を敵に突破されてしまえば。 先に、もっと過酷な御前との戦いに進んだ仲間達の背後を、大鬼達が突く事となってしまうから。 絶対に、譲れない。 そんなリベリスタの覚悟を嘲笑うように。姿を見せたのは、違う箇所から此方に来た大鬼の小集団。 リベリスタが此処を譲れない様に、鬼達にとっても此処は絶対に抜けねばならぬ場所なのだ。 「大物は諦めるとして、小物の数で満足するとしましょうか」 「あんたを倒せば、その恋を知る事が出来るですか?」 先手必勝とばかりに。道化が笑い、闇が走る。 ほぼ同時に放たれたリゼットと刻の攻撃に、1体の鬼がその身を伏せる。 だが、まだ足りない。 共感できる部分も、無い訳ではない。けれど。 「倒すべき敵なのは変わらない。微力ながら全力を賭そう」 涼乃の手より放たれた符が、鴉に変じて鬼の目を抉る。 倒れた前衛達に代わって前に出たリゼットが、太い腕を掻い潜り鬼の喉笛に牙を突き立てる。 苦痛に身を捩る鬼に出来た一瞬の、けれども致命的な隙。 それを、刻は見逃さない。 ずぶり、と。心の臓へとレイピアの刃を刺し込んだ。 鬼の逆侵攻を防ぎ続ける者は、彼女達の他にも勿論存在する。 「ちょっと、何するのよこの脳筋!」 振るわれた金棒を、全力で防御に徹して防ぐのは多美。 鋼児と共に鉄を落とした彼女は、今全力で侵攻を防いでいた。 露払いでも構わない。己の全力を賭けて、此処は必ず防いで見せるのだから。 そんな彼女を援護する様に。少し下がった位置から、複数の弱点を正確に狙い撃った那雪は、本日幾度目かも知れぬ頭痛に表情を歪めた。 常の倍以上の集中力を要求される戦場で。何時終わるとも知れない戦いを繰り返し続ける事に、身体は悲鳴を上げている。 それでも、その動きが止まる事はなかった。 恋を、追い求めた。その気持ちは、自分には良く分からないけれど。 「……誰一人、かけることなく、駆け抜けてみせる……の」 元より、引くと言う選択肢は存在しないのだから。 高らかに。時折苦しげに引き攣るのは、ずっと笑い続けているからだろうか。 酷く楽しげに笑いながら、エーデルワイスは無数の敵を同時に狙撃し続けていた。 「アハハハハッハはは、穿て、死ね、朽ち果てろー」 まさにトリガーハッピー。撃ち続ける事を楽しみながらも、戦線を乱す事はしない彼女の横では、リオが同じく、複数の光弾をばら撒いていた。 深い霧。そして、色濃い死のにおい。 争いを好まぬ彼女の身体が、震える。既に一度倒れてしまった。怖い。でも、逃げない。 前に出る勇気はなくとも。此処から、全力の援護をする事は出来るのだから。 「恋に狂う……キサには理解できないけど、熱狂するものは人それぞれだね」 趣向の違いか。そんな言葉と共に放たれるのは、絶対零度の凍て付く雨。 敵の多いところを確りと狙った一撃を決めた綺沙羅が、己の傷に小さく溜息を漏らす。 そろそろ回復のし時だろうか。そう思案する彼女とは反対側で。 アルバートは只管に、弱っている鬼の弱点を狙い撃っていた。 後ろに通すつもりはない。手が空けば、多くのリベリスタが手を出していない魔術鬼の行動を制限せんと気糸を飛ばす。 派手さは無い。地道で、ただひたすらに凄惨で苦しい、血と泥に塗れた戦い。 この戦果は恐らく記録に残らないだろう。何匹の鬼を倒したか、数える余裕すら既に失われている。 けれど、誰かがやらなければならない。 先は見えなくとも。積み重ねた小さな勝利の遥か先に、目指す勝利があると信じて。 ● 「癒し手、──否」 俊介と、言ったか。 満身創痍。魔力の矢によって穿たれた腹部の傷を、押さえる事もせずに。騎士は俊介を見据える。 紅に揺らめくのは、僅かな羨望。 震える手が太刀を収める。その様子を目を背ける事無く見詰める癒し手に。 騎士は初めて、微かな笑みを浮かべた。 「胸を張れ。そして、護り抜け。貴様が、手を握り続けられる事を、」 俺は願ってやる。 自分では叶えられなかった願い。其れを託す様に、鞘に収めた太刀が、俊介へと放られる。 餞別だ。それだけ告げた騎士はゆっくりと、倒れ伏す。 ──最期まで共には在れぬ私を、どうかお許し下さい。 意識が、混濁していく。 目が自然に閉じた。頭の奥。聞こえる筈の無い声が、名前を呼ぶ。 ――堪忍な、蕾。 「……これでおあいこだ、兄さん」 地獄で逢おう。 恋ではなく、忠義を選び続けた騎士は静かに、その命を終えた。 「――嗚呼、」 逝ったのね。 己を殺さんとするリベリスタを相手取りながら。女鬼は一人、呟く。 御前の、奥義ともいうべきまじない。 以前仲間が経験した戦いを踏まえ、その脅威は等しく共有していた。 防御を以って凌ごうとした者。その手間すら惜しみ、一歩でも御前へと近付こうと足掻いた者。 どちらも目指す先は同じだが、しかし。辿り着き、最終的に御前と刃を交える事が出来たのは、ごく僅か。 そのごく僅かの者でさえ、堅実に前を目指した糾華、そして、黄泉路以外はその身体を地に沈める事となっていた。 【獄兎】の面々も、それは同じだった。瑠琵の影人が何とか攻撃を防いだものの、鼬ごっことなった結果、音羽はその身を地に沈めている。 劣勢。荒い呼吸の下、武器を構えるリベリスタの前で。女鬼はそっと、目を伏せる。 尽くし続け、そうして死んでいった彼。 最期に何を想っただろうか。恨んでいるだろうか。分からない。けれど。 今、それを悔いる暇は、彼女には無かった。まじないを続ける。何度目かも知れないそれが、振るわれんとしていた。 恋をしに往くと、言っていた。 ならばその道を開こうと、凛子は言ったのだ。 「恋患は万病の素なれば、その処方箋を与えましょう」 感じるのは、まじないの気配。けれど今、此処で防御に徹する訳には行かない。 目の前。ただただ貪欲に刃を交え、愛を交わす事を望む友人の為に。 自分は、絶対に癒しの力を振るわねばならないのだから。 魔力が拡散する。覚悟を決め、ぐっと目を閉じる。 「守りたい人を守れなくて、何が男ッスかね……!」 聞こえた声は、耳に馴染んだあの子のもの。 その動きは何時もと同じ。まるで舞い踊る様に地を踏み鳴らしたリルは、その身を躊躇い無く凛子の前へと差し出す。 決めていた。必ず、彼女を護るのだと。 だから迷わない。惑わされることも無い。だって、このひとの前で、格好悪い所なんて見せられない。 未だ幼い少年はしかし、一人前の男気を以って、まじないを防ぎ切ってみせた。 ふらり、その身体が、傾ぐ。 「っ……あなたがやらずに誰がやるのですか!」 倒れこんだリルを、咄嗟に支えて。 凛子は叫ぶ。呼び寄せたのは癒しの風。りりすにはまだするべき事があるから。 ならば、今此処で自分が出来る事は、彼女を癒し支える事だけだ。 吹き抜けた微風が、傷を癒した事を確認してから。 「……ありがとうございます、リルさん」 そっと、己が手中で意識を失った少年に、囁いた。 ● 約束を、交わした。 殺しにいく、と。必ず、その命を終わらせようと。 その約束を果たす為に、ルカルカは、再び、女の前へと立っていた。 「……ゆすらうめ。いい名前、綺麗ね」 戀をもとめて彷徨って。いとし、いとしというこころ。 それを抱えて生き続けるあなたを慕うものも多いのに、其処に戀はみつからなかったのかしら? そう、囁く言葉に、女はそっと首を振った。 「私は馬鹿なおんなだから、追われるより追っていたいの。それに」 この子達は皆、私の愛しい子達よ。 恋だけではない。きちんと愛も知っている女にとっては、配下は子供に等しい存在。 常とは違う、慈しみと、ほんの少しの罪悪感に染まる瞳を見ながら。 ルカルカは、躊躇わずに光の飛沫を散らす一撃を、その身に叩き込んだ。 「ねぇ。『あなただけを殺したい』――それはある意味、恋にちかいのじゃないかしら?」 殺したら、永遠。貴女の墓は自分が守ろう。 そう告げる、しかし既に己を蝕む傷が深い少女へと。 女は躊躇い無く、その薄絹を振るい、その身体を地へと伏せさせる。 「るか、と言うのかしら。……出来るなら、私だけじゃなくて」 私の大事な子達の事も一緒にお願いね。 落ちた呟きは、重い。 大事な物を失い、失う事に恐怖する。 空っぽに怯え、その心を見せない為に、見ない為に欲しがり続ける。 それは、歪みではない。 「ただ臆病で弱っちいだけ。……お前は何処にでもいる普通の女だ」 たった一人。斧で敵を薙ぎ払い、切り伏せ、駆け抜けてきたランディは一言、女へと告げた。 また逢えたわね。そう微笑んでみせた女鬼が微かに、その表情を固くする。 「……貴方は何時も、面白い事を言うわね」 続きを教えて。飛んで来た福松の必殺の技をその紗で払い、女は真直ぐに、ランディを見詰める。 最初からずっと。興味を持ち続けている相手。 何処かに仕舞ったものを引きずり出す様な言葉を放つ彼への興味は今だって、尽きては居ない。 「求めてすら居ない、お前は終らせたいんだ」 自分を卑怯と嘲り、止められない。 一番になりたい? 望んでいるのはそれではない。 お前はずっと、過去と自分しか見ちゃいないのだから。 言い募る言葉に、御前の瞳が揺れる。怯える心。埋めようとして埋められないそれを見透かされた、気がした。 「……止められないなら止めてやる」 掲げるのは墓堀りの名を冠す大斧。 鈍く光るそれを見詰め、女鬼は静かに、笑った。 「……そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないわ。私には分からない。だから」 貴方にだって、この心の有り様等到底分かるはずもないじゃない。 己と見詰め合う等と言う事は遥か昔に忘れてしまった。 嗤う女はしかし、酷く苦しげに、その目を細める。 「でも、きっと間違っては居ないんだわ。私は、欠けたものを見たくないの。……埋められないだなんて」 気付きたくないのよ。だからこそ、諦めない。今度こそ、私はしあわせを逃さない。 答えはもう持っているのだろう。泣きそうに微笑んだ女を見つめて。 ランディは、強く望む。 力を。膝を抱えて泣くこの女を、ひっ叩く事が出来るだけの。 運命は回らない。けれど、そんな事がなくても。 この手には既に、それだけの力があった。 「殺してやるとも、その甘ったれた心と止まった時間をな!」 「君がどれだけ愛しいか、想い知らせてやる……っ」 動いていたりりすが、そのナイフを。ランディが、大斧を。 振り被る。もう、限界も近い。 振り下ろされる気配を感じながら。女は静かに、瞳を伏せようとした。 ● さながら自身のまじないの様に。 目の前でりりすが、ランディが、全身を切り裂かれ崩れ落ちる。 息が、詰まった。目に映ったのは、ランディに吹き飛ばされたはずの己の配下。 恐らくは、主人の危険を防がんとしたのだろう。けれどそれは、女鬼にも想定外。 大鬼、守護鬼を抑える者は十分に居た。 しかし。魔術鬼だけは、抑える者がほぼ、存在しないに等しかったのだ。故に唱え続けられるのは大規模魔術。 射程の長いそれは、抑えの班にも甚大な被害を出し続けていた。 烈風の名残で飛んだ、未だ生温い鮮血が、頬を伝い落ちていく。 「どうして? どうしてなの、駄目よ、どうして貴方達が其処で」 其処で、倒れてしまうの? 力無く、その膝が落ちる。烈風の煽りを喰ったリベリスタ達は、ある種異様な光景に一様に、動きを止めていた。 華奢な手が伸びる。最初に、ランディの手を取って。 次に、血塗れたりりすの身体を引き寄せ、掻き抱く。 「駄目よ、嫌よ、私の最後は貴方達って決めたの。決めていたのよ」 お願いだから目を覚まして。 倒れないで。立ち上がって。その腕の中でその瞳に映ったまま、私の事を終わらせて頂戴。 その言葉に答える様に。りりすは微かに、その瞳を開く。 死ぬのも殺されるのも怖くないけれど、今は。 死ねない理由がある。止まれない理由がある。けれどこの身体は動いてはくれなくて、ならばせめて、伝えたかった。 「――僕だけをみて、櫻」 僕だけをみて。何処にも行かない。離れない。 君の言葉を嘘にしない。だから。 「君も、……僕の傍に、いてくれ」 其処に永遠は無くとも。囁いた言葉と共に、鉄錆の味が競り上がる。 咳き込むその身体を抱きしめた女は、静かに、手を差し出す。 絡めたのは、小指。遠い昔。人間がしていた、約束の証。 所詮は拙く脆い口約束。けれど、そうせずにはいられなかった。 りりすの意識が途切れる。するり、落ちた腕を取り直す事はしない。 はたはた、落ちるのは透明な涙。 止められないなら、止めてくれると言った。 この身の全てを、受け止めてくれると言った。 この力を幾度振るっても耐え抜いて、倒れても立ち上がって、諦める事無く此方を見る数多の瞳に。 女は確かに魅せられていた。殺し合い。思いを、力をぶつける彼らは、自分から見れば随分と脆弱だ。 けれど、強かった。だから、この中でなら。この、2人になら。 全力を尽くして殺されるのも悪くは無いと、思っていたのに。 紅の瞳がゆらりと動く。目が合ったリベリスタの背筋に、冷たいものが走った。 「覚醒者は素敵ね。もうね、全部美しくて。全部愛おしくて。でも全部、憎らしいわ」 だから、殺されてなんてやらない。 騎士を失って。妹を失って。 終わる機会を失った女鬼は、再び静かに、まじないを唱える。 今までと同じ技。然し、込められた想いが、場を支配する気迫が、段違いのそれ。 守護鬼は消えた。しかし、幾ら尽力したとは言え未だ何体かの大鬼が。そして、魔術鬼が残っている。 ――打たれれば、次は無い。 もう殆どの者が運命の加護を使い果たしたこの状況で。 それは即ち、敗北を意味していた。 ● 癒し手が、せめてもと己の精神力全てを振り絞るように仲間を癒す。 血と泥で汚れた白い髪を構う事無く。 糾華が、己が身を削って告死の爆弾を植え付ける。 恋は病気。独占と寛容と孤独と依存と。 時には己の足元さえ崩してしまう程に突き刺さるそれ。 「ねえ、いい恋できたかしら?」 炸裂したそれはしかし、御前の命を奪うには至らない。 黄泉路やアルバートの見立て通りなら、あと少し。本当に、あと少しの筈なのだ。なのに届かない。間に合わない。 しかし、迂闊な攻撃を仕掛ける事も出来ない。 本来ならば完全な止めを刺すはずであった【突貫部隊】の必殺の技を持つ者は既に、糾華を覗くその全てが倒れている。 万策尽きた。奇跡を願う者も居る。けれど、縋るだけでは運命は応えない。 きつく歯噛みする、リベリスタの只中で。 耐え凌ぎ、最後まで残った一人となっていた氷璃は一人、静かに吐息を漏らす。 女の恋患いは、随分と悪酔いが過ぎている。けれど。何れは。 自分も彼女のようになるのだろうか。 想うのは、今も司令としてその頭脳を生かし続けているであろう一人の男。 自分と彼の間には、永遠なんてものは存在しない。 そもそも、流れている時間から違い過ぎて。けれど『今』は、彼以外の誰かなんて到底、考えられなかった。 難儀なものね。呟く声に、紅の瞳が此方を向く。 銀と、黒。紅と蒼。覚醒者と、鬼。こんなにも違い過ぎると言うのに。 「――この厄介な不治の病は罹る者を選ばないらしいわ」 女鬼が笑う。嬉しそうに。寂しそうに。 貴女も一緒ね。それだけ呟いて、その瞳が、己が抱きしめる者を。そして、手を取った者を見詰める。 「――追いかけて来て。必ず。必ずよ」 その言葉は、誰に向けた者だったのだろうか。 直後。 目を灼く様な閃光と共に、立っているリベリスタの身体を、まじないが幾重にも食い破った。 視界は白から、暗転。 ――四半刻後。 人の居なくなった戦場で、女鬼は一人呟く。 「待っているから。お願いよ」 既に、リベリスタの姿は無い。劣勢を察し、撤退を完了させたその場を見渡してから。 生き残ったほんの僅かの配下を連れて。御前と呼ばれた女は静かに、その姿を消した。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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