● ニンゲンの匂いが、鼻をつく。 獣の鼻を潰すため、燻しの煙を入れたあの頃のような、いやな匂い。 何処を歩いても、どう動いても。 その匂いが漂う度に、人の世と呼ばれた今を思い出す。 思い出して、しまう。 「ハナ」 その気鬱を払うように、声が聞こえた。 笑顔を浮かべ、やってくる兄様に、私もちらりと笑みを見せる。 「兄様」 「着替えは終わったのか」 「うん」 目覚めた後、適当に奪った肌着は既に捨てた。今の私は小袖と褶を着て、髪もきちんと下げ髪に整えている。 兄様も同じだった。「面倒だから」と型を崩してはいるけど、かつてと同様、直垂と長袴のみを着た姿を見ていると、何だか眠る前に戻った気がして、少しだけ、笑顔が浮かんでしまう。 ――けど。 「もうすぐ、だな」 「……うん」 ぽつりと。 そう零された、少しだけ硬い言葉に、その思いもなりを潜める。 兄様と、私。二人が言葉を継ぐんだ空間で、遠く遠く、聞こえてくるのは、彼らの悲鳴。 ――嫌だ嫌だ助けてくれ身体が溶ける崩れる溺れてしまうお願いだどうか誰か誰か誰か誰か――! 今、私たちの直ぐ後ろで聞こえるのは、恐らくニンゲンにとって凄惨な光景、なのだろう。 全体にびっしりと錆が浮いた巨大な釜。其処に血を注ぎ、四肢を断つか、或いは砕いたニンゲンの身体を入れ、火にかけて喰らうのは数十の小鬼達。 哄笑と共にニンゲンであった者を喰らう小鬼達は、腹を満たしていくと共に、掌程度の小さな身体を急速に大きく成長させていく。 「……」 ――その様を。 快くは思わない。けれど、悲しくも、辛くも思いはしなかった。 かつて、彼らの同族が私と兄様に味わわせた地獄、その延長線上の行為。それだけのこと。 因果応報。ううん、少し手ぬるいくらい。 一刻も経たぬ内に、彼らはその苦しみから解放されるのだから。 なのに。 「……ハナ」 その声に、ほんの少しだけ、身が強張った。 何も思いはしないと。そう胸中で語っていた自分の手に、汗がじっとりと浮かんでいることに、気付かされたから。 「怖いか」 「ううん」 「苦しいか」 「ううん」 「なら……迷っているか」 兄様が、私の心を、少しずつ、抉っていく。 ひとときの眠り。幾星霜の眠り。その果てに再び見えた、いとしいひと。 せめて、その前では、虚飾でも笑顔を繕っていようと。そう、思っていたのに。 「……わからないよ」 そう、言ってしまう。 あの時。戦いの最中にありながら、真白のおにぎりを貰ったことを、紅い腕で抱きしめられたことを。 ニンゲンを見て、聞いて。その臭いを嗅ぐだけでも、思い出してしまう。 「……ハナ」 ――俯いた私の頭を、とん、と、兄様は撫でてくれた。 おだやかなほほえみ。 私にしか見せない、見せる人がいない、暖かくて、寂しい、笑顔を。 「逃げるか?」 「……っ」 唐突に掛けられた言葉は、私にとって、重く、苦しく。 それでも、ひとつの、救いのようで。 「お前に触れたヒトの元でも、誰もいないところでも、何処でも、好きなように言ってみろ」 「……私は」 「お前の笑顔のためになら、俺は、何でもしてやるから」 くいと引き寄せられた身体が、兄様のお腹に、ぽすんと落ちた。 ――暖かかった。 ため息を零すほど。涙が零れるほど。 唯一人の家族の言葉。それを受けて、私は懐からそれを取り出す。 干涸らび、埃と塵に塗れた、かちかちのおむすびを。 「――――――兄様」 そうして、返した、答えは。 ● 「……既に皆さん、知っての通り」 言葉と共に始まった、『運命オペレーター』天原・和泉(nBNE000024)の言葉に、自然とリベリスタ達も身が強張る。 当然と言えば、当然だ。 前回の鬼道との戦闘による、大勝とは言えぬ結果、封印された鬼達の半数以上が覚醒し、尚かつ、鬼の王である温羅までもが復活してしまった現状。 先行きは明るくなど無く、それでも決戦を挑まざるを得なくなったリベリスタ達には、相当の覚悟が求められている。 その決意を――恐らくは表情か、目の色から読み取ったのだろうか。 和泉は静か、こくりと頷き、彼らに解説を続ける。 「前回、『万華鏡』とアシュレイ・ヘーゼル・ブラックモアさんの協力により、私たちアークは温羅に対して有効なアーティファクト『逆棘の矢』を入手しました。 私たちはこれに対して、ひとまずの有効手段を手に入れたとは言えますが……」 「それに油断している状況じゃない、だろ?」 言葉を継いだリベリスタに、和泉がぐっと呻くような声を漏らす。 普段柔和な少女がこれ程までに緊迫し、尚かつ焦りを抱く表情は珍しく、故に事態が何処まで逼迫しているかを物語っていた。 「……はい。鬼道の進撃は、私たちの予想を上回っています。 彼らは前回の進撃から少しの間も経たぬ内に、新たな……それも、以前以上の大規模な進撃を企てています」 ――予想はしていたものの、空気は重い。 「……で、俺たちの役目か」 沈黙を、振り払いたかったのだろう。 リベリスタの一人が発した言葉に、和泉も直ぐさま言葉を返す。 「はい。鬼道への対処は未だ万全ではないものの、こうなる以上此方から打って出るほか有りません。 作戦目標は鬼道の本拠地、鬼ノ城。並びに首魁である温羅の撃破。特に本拠地である鬼ノ城は堅固な守備力を持つでしょうが、私たちはそれを貫く必要があります」 言うと共に、和泉はルーム内に存在する中で一番大きなモニターを起動し、其処に鬼ノ城周辺の地図を展開させた。 「皆さんが主要とする制圧目標は、温羅も含めて合計で五つ。 まず最初は復活した鬼道『鳥ヶ御前』。城外に展開された部隊を無くさない限り、私たちに有利な後方拠点を配置することが出来ません。 次に、城門には『風鳴童子』と、彼の率いる鬼達。真っ向切っての攻城戦です。地の利は確実に相手の側にあるため、何らかの策がない限り易々と突破は出来ないでしょう。 更に、三つ目。御庭には『鬼角』と、精鋭の近衛部隊が。此処に来ると雑兵の質も段違いになってきますが、『鬼角』の大術は温羅に対する結界の役目を担っております。上手くすり抜けるよりも、温羅を強化する『鬼角』を倒すため、多少の損害は覚悟してでも挑むべきでしょう。 そして、温羅の居る本丸の前。その下部に居るのが彼の『禍鬼』です。狡猾なあの鬼が何らかの考えをしていることは想像に難くないですが、それを突破せねば温羅を叩くことは出来ません」 「……キツイな」 「はい」 ため息混じりの言葉にも、和泉は真剣に頷いた。 「ですが、希望もあります。 温羅、『鳥ヶ御前』を除く三体の鬼道は、それぞれが一本ずつ、以前回収し損ねた『逆棘の矢』を所持しています。 四体の鬼道と温羅、並びにその配下達を打ち破るのにはかなりの消耗を強いられるでしょうが、それらを手にして五本全ての矢が揃えば……」 少ない勝機も、ある程度は広がる。 当然、それでも可能性の話だ。温羅に至るまで消耗は可能な限り防ぐべきだろうが――それでも、光明の便りが一つでもあるのは、僅かばかりにしろ有難い。 「……解った。それで、俺たちの相手は?」 「はい。皆さんには、此方の対処に当たっていただきます」 そう言って、和泉が地図を拡大した場所は、城外の更に下に当たる。 「……遠いな?」 「ええ、孤立……とまでは行きませんが、鬼道の本拠地からはかなり離れた位置にあるのは確かです。 ですが、其処にこそ私たちが恐れるべきものの一つが置かれて居るんです」 と、同時に――モニターの一部に、小さな写真が写される。 古く、錆だらけの釜だった。小さな市民公園などにある寂れたオブジェすら感じさせるそれに、しかし、和泉は真剣な表情を崩さない。 「ご存じですか? 現在彼ら、『鬼』の主……温羅伝説の一端に在る、『鬼の釜』の話を。 かつて、温羅は西国から都へ送る貢物や婦女子を略奪したり、気に入らない者などを、この釜で煮て食べたとされています。 現在、この『釜』はかつて温羅が拠点としていたとされる鬼ノ城付近に、観光名物として置かれているのですが……」 一旦、沈黙。 表情を苦み走らせたリベリスタ達が、小さく、一言だけ、和泉に問うた。 「……まさか?」 「はい。これはあくまでその模造品ですが、それでも長い年月を経た人間の認識によって、『鬼の釜』に酷似した属性を保持していました。 そして、此度その伝説の大本が封印から解き放たれた事で……これは、アーティファクトとして革醒してしまったんです」 「……」 予想を超えた説明に、流石のリベリスタ達も頭痛を抑えきれない。 「『鬼の釜』は確かに温羅の所有物でもありますが、その反面、煮詰められてきた人間の憎悪や悲哀、憤怒などが染みついた物品でもあります。 そうした呪いの物品は、使い方次第によって、彼の禍鬼など、悪の感情を主とする存在には非常に強い力をもたらします。例えば――史実通りの使い方で『食事』を取る、など」 「それは……!」 怒りも顕わにした――せざるを得なかったリベリスタに、和泉は「解っている」と言わんばかりに、こくりと頷いた。 「先にも言ったとおり、この『釜』はあくまで伝説を元とした偽物のアーティファクトです。本物の、温羅の所有物ではなく、故に効果も半分程度、いいえ、それ以下しかないかも知れない。 けれど、それ故に『主の所有物でないもの』を使うことに躊躇う鬼は少ないでしょう。事実、彼らは今現在、力の為にこれを使い、捉えた人を喰らっています。それをこれ以上許すわけにはいきません」 断言した和泉は、次に資料を纏めたファイルをリベリスタ達に配布する。 「敵は、実力のない小鬼達が数十体。それに、かつて貴方達と相見えた、半人半鬼の兄妹二人。 子鬼達は基本的に戦闘には参加せず、釜で煮た人間を喰らい続けることで力を蓄え、それが終わった後は他の鬼達の強化のために、この釜を持ち帰ろうとします。 そして、それを妨害する者達の対処役が、彼の兄妹二人。物理戦闘を得意とする妹と、負の感情を基点に置いた神秘攻撃を主とする兄。彼らの実力は過去の資料にも有ります」 「……あいつらは」 リベリスタの一人が、ぽつり、呟いた。 人であることを赦されなかった被害者。感情に任せた無軌道な暴走を復讐とした加害者。 かつて、その対処に当たったリベリスタ達の叫びを受け、尚、今も其処にいると言うことは。 ――届かなかった、のだろうか。 問おうとしたそのリベリスタより、前に。 「……彼らは、選びましたよ」 和泉は、小さく、答えた。 寂しく、けれど暖かい、微笑みと共に。 ● 「……ニンゲンを、殺そう?」 「……。良いのか」 短く、聞き返した言葉に、ハナは小さく頷いた。 俺の身体に額を当てて、その顔を見せない妹が、どんな表情を浮かべているのかは、解らない。 解らない、けれど。 「兄様、ニンゲンは優しくなったよ」 訥々と呟く、その声に。 「兄様、でも、ニンゲンは、愚かになったよ」 この矮躯が、どんな感情を秘めているかなど。 「ねえ……兄様」 聞くも愚か、なのだろう。 仄かな暖かみ。赤い足が震えていた。 それを、そうと抱きしめながらも、思う。 ――人に憎まれ、鬼に疎まれ。 ――そうして、半鬼に慰められ。 目の前の、小さな子供の、小さな繊手にかかえたものは、微かな自由と、縋るべきものだけ。 それでも、嘗ての地獄より幸福な今ならば、それ以上を望んでは、いけなかったのだ。 『混じり物が、鬼として認めて貰える訳がない。人間を滅ぼす程度じゃ駄目だ。鬼もだよ。キミたち二人以外の全てを滅ぼさなきゃ』 「……そうだな」 ほんの少し前、怨敵に掛けられた言葉に、今更、言葉を返す。 諦念を交えた苦笑を浮かべ、俺はくしゃりと、ハナの柔らかな髪を撫でた。 ――そう。正しさも、優しさも、禍しきも、辣しきも、 皆が、皆が、俺たちにはとどかぬもの。 人にとって、鬼にとって、間違いを数多く犯し、 それらを全て、正せる者も、許せる者も、居るはずはないのだから。 ……嗚呼、と。小さく声に出して、思う。 気付いてしまった。 終わって、しまった。 だから、俺たちの往く先は、きっと、此処が。 「……兄様」 ばきりと、音を立てて、ハナの手に握られた未練が、砕けて散る。 「戦おう。ニンゲンを、滅ぼすために」 ――其処は、怨嗟と慟哭の終着点。 人を捨て、鬼を諦め、唯のがらんどうと成った二人は、待ち続ける。 やがて来たる、終わりの時を。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:田辺正彦 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年04月09日(月)23:52 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 10人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
● 時期的には春。降り注ぐ日差しが暖かになってきた今日に於いても、やはり夜中に吹く風は未だ優しくはない。 微かに浮かぶ雲に外れて、星月の光が、きらり、きらりと。 「花見でもするなら、良い夜だったろうにな」 訥、と呟く『燻る灰』御津代 鉅(BNE001657)が、サングラス越しの目を僅かに眇めた。 視界に収まるのは、風情の欠片もない『宴会』の風景。 饗されるのは悲鳴と汚濁の食物、喰らうのは醜く矮小な異形達。 そして――その傍らには、和装姿の、少女と、青年。 「……来たかよ。『吉備津彦』」 吐いた言葉は、過日のそれと変わりなく。 角と牙、片眼に鬼の異貌を顕わにするマジリが、嫌悪も隠さずリベリスタを見ていた。 「一応聞くが……退く気は?」 「無い」 誰よりも早く、『神速疾駆』司馬 鷲祐(BNE000288)が答えを返す。 他の面々を伺うまでもない。目の前の光景――歪んだ饗宴に興じる小鬼達の姿は、悪食を自称する彼をして不快に顔を歪ませるほど。 未だ、血の汁の中に沈み続ける『食材』から漏れ聞こえる声を、これ以上続けさせぬ為に、彼は銀鋼の籠手に無骨なナイフを出だす。 「今更、人を喰らうに倫理がどうのと言う気はないが……その『釜』が使われ続けるのは頂けないのでな」 「それに、君達の行いで、この世界は歪むんだ。僕達はその行為を看過できない」 『Dr.Tricks』オーウェン・ロザイク(BNE000638)が、『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)が、現実と理想、各々の思いを口にする。 考えに差異が有ろうと、覚悟の程は何方も同じ。決意を秘めた碧眼と朱眼が、唯それだけで小鬼達を震わせる。 だが。 「……きれいなコトバだね」 佇む悠里に声をするのは、裳より赤足を覗かせる幼げな少女。 ハナ。そう呼ばれた半鬼の彼女は、凍えるような冷えた声音で、リベリスタ達に言葉をやった。 「知らないヒトを守って英雄気取り? ヒトの敵を倒し続けることが正義? その裏で地獄を見た私たちの思いなんて、貴方達には解らないんだろうね」 「……人間が綺麗なだけの生き物じゃないなんてリベリスタなら誰だって知っている。それでも僕達はこの世界を守る為に戦っているんだ!」 「そうだろうね。汚くても同族の世界は守って、私たちのような『違うモノ』は、どれほど綺麗でも排斥するのが貴方達なんだから!」 激昂をそのままに叩きつけられた悠里の背が、僅か、竦む。 本来、彼は臆病な人間だった。共に立つ仲間達を、その双手に描く『勇気』と『生死の境界線』に懸けて護るという一事こそが、彼をこの戦場に押しとどめている。 震え始めたその片手を――しかし、傍らに寄った『シスター』カルナ・ラレンティーナ(BNE000562)の両手がそうと包み込んで。 「私たちが人らしく振舞えているのは、先達の方々の、そしてアークのお陰なのでしょうね。 お二方には似たような恩恵を得られる場が無かった。きっとそれだけの違いしかないのでしょう」 寄る辺のない少女。無慈悲な世界の濁流に呑み込まれる定めにあった少女。 或る意味、最もこの兄妹に近しい彼女が、それでも彼らと対立する道を選んだのは――唯一つ、差し伸べる手があったという一事に過ぎない。 哀れむような、憂うような瞳に、ハナが視線をそらした。 「自慢? それとも同情?」 「いいえ。ただ、出来れば……」 と、カルナが言葉を紡ぎかけ――止める。 取るべき手は闇に沈み、救いの言葉は沼に溺れた。 仮定の言葉など、今更何の意味があろうものか。 ――『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)が、小さく舌を打つ。ああ、また神様を殴る理由が出来てしまったと。 只の被害者。無軌道な加害者。選んでしまった二人に向けられるものは、自らの繊手でなく、無慈悲な星乙女の重弩だけ。 できるのは、せめて二人の先行きに光があることを祈ることのみ。赦さず、赦しも請わず、唯彼らの想いを受け止めるべく、傷だらけの信徒は十字の幻想纏いを握り込んだ。 「とえにはたえに 因果の帳はゆるゆると 人の咎と鬼の罪」 それを見て――『シュレディンガーの羊』ルカルカ・アンダーテイカー(BNE002495)が静かに呟く。 羊が戯る言葉遊び。韻を踏み、月夜に桃色の髪をなびかせ、彼女は謳う。半鬼に謳う。 「かさなる想いは果敢なくて まじる血のいろ 紅の雫 はんぶんだから、どちらにも属せない 出した答えは破滅の一路 ならば、ルカは果敢なく、墓無く散らせてあげましょう 今日もせかいはひとみしり」 「……歌の読み合いに興味は無いな」 ――淡々と詠まれたそれを、しかし、マジリはただの無貌を以て返す。 「もう、良いだろう。今更……今更だ。 道は選び終えた。別ってるんだよ、俺達と、お前達は」 片腕に黒呪の印を滲ませたマジリの声は、最早胡乱な者を見る目でリベリスタ達に言った。 口をつぐむ者、嘆息し、武器を構える者。その殆どが諦念を抱きうる中で、唯、一人。 「……どうでも良いんです」 ハッピーエンドはあり得ない。もし『シャドーストライカー』レイチェル・ガーネット(BNE002439)の瞳に、希望を、救いを見出ださんとする光が無かったのなら。 口中で呟く程度の、些細な声音。 或いは誰に聞かせる気も無かったのか。凶兆の弓に番えた矢羽を、浮かせた指でしと撫でて、しかし。 「鬼も人も正すも許すも、そんな事どうでもいいんです。 ただ、彼女と同じ、兄をもつ妹として――」 ――このまま終わるなんて、許さない。 ● 誰が、どうと言うまでもなく、戦いは何の前触れもなく端を発した。 初動は最速の蜥蜴。その後を追うように、次速の羊が続く。 「っ!? 速……」 「遅いッ!」 がちがちがちん! と体内のギアを引き上げれば、鷲祐の視界に映るモノが相対的に遅く映った。 対し、強化を捨てて一挙に鬼の釜の側へと接近したルカルカが、それに群がり、食事を続ける小鬼達に向けてナイフを振るう、が―― 「……あら、意外にしぶといのね」 幾多もの小鬼達に向けて放った刃は、その殆ど全てが傷を与えることに成功してはいたが……やはり、そこは仮にもアザーバイドを名乗るに足るか、戦力と加算できずとも、たかが一撃で全てを沈めるには至らない。 当然、リベリスタも其処で攻勢を止める気はない。 杏樹が、オーウェンが、未だ数を損なわぬ小鬼を滅さんと得物を構える、前に。 「それ以上、させて――」 「……!」 とりわけ速度に偏重した二人が過ぎれば、次いで動いたのはマジリの側だった。 本来は彼らの抑えとして機能するはずのルカルカも、それが一人では動きを止めるには些か無理がある。 状態異常と常時回復、その境界線となる10mギリギリのラインまで移動した後に、マジリが素早く印を切り、 「――堪るかァ!」 同時、彼の足下を中心に沸き立つ黒の波濤。 泥濘の檻と名付けられたそれらは、瞬く間にリベリスタ達を巻き込み――その位置を大きく後退させた。 優れた身のこなしと高精度の神秘攻撃。フォーチュナにそうとまで言わしめた実力は流石と言うべきか。 元より一定の距離を保っていたリベリスタらが、自身の手番より早く位置を動かされたのは誤算と言うほか無い。結果としてその大半が戦闘移動後の自己強化か、全力移動で漸く次手での射程圏内に敵を収めるに足るのみと至った。 「貴方達は喰う者とそれを庇う者の半数に分かれて! 庇う者が倒れたら喰う者の半数をまた庇うように繰り返すの!」 その隙にも、敵の行動は次々と続く。 小鬼達に指令を飛ばしたハナが鬼の釜へと近寄れば、それを守るように防御態勢を取った。 「く、釜を……」 「……弱い者を、脆いモノを狙う。貴方達のやり方は、とうの昔に読んでたよ」 接敵した悠里に立ちふさがる、半鬼の少女。 しかし、それとてたかが一人の壁に過ぎない。 他の面々に追いつき、肉迫した『自称・雷音の夫』鬼蔭 虎鐵(BNE000034)が大上段より黒太刀を振り下ろせば、受け止めたハナが弾かれると共に、その壁も即座に崩される。 「拙者達にも為さねば成らぬ事がある。すまぬが、死んでもらうでござるよ」 「……何で、謝るの?」 「それは……」 言いかけて、口ごもった。 相対する少女。年頃からすれば彼の愛娘と同じか、やや下か。 彼女と歩んだ道のりの違いを、それを救えぬ自らの弱さを悔いて、などと。今この場に於いては一介の戦士が、言えようものか。 「……どうでも良いんだよ。そんな事はよ」 代わり、言葉を返したのは『BlackBlackFist』付喪 モノマ(BNE001658)。 猛獣のように獰猛に笑うバトルマニアが声を出せば、浮かぶ想いは曲がりもせず、汚れもしない、純粋なエゴイズムのみ。 「あんたが何者だろうが何があったとか知らねぇよ。ただ、後悔すんなよ? 俺は生きる事に手を抜かねぇし、てめぇも手を抜くな。俺は負けるにしろ勝つにしろ戦った相手にケチつけられたくない質でな……!」 先のマジリの攻撃により、こびりついた泥を払いながら、モノマは笑みを崩さない。 「……良く解ってるじゃねえか、ニンゲン!」 それに応えるように、マジリが叫びを上げた。 一手を崩した上での欲は出さず、大人しく後方へ下がる彼を追うように、レイチェルの清廉な光が戦場を覆った。 神気閃光。不殺の慈悲にして神の束縛を示した技法が、鬼道に苦悶の声を上げさせる。 「……っ、態、勢を……」 「させん」 呟いた言葉を、即座に切り落としたのは鉅。 光に眩んだハナの横を過ぎ去れば、見えたのは死を恐れ、逸って食事を続ける小鬼達の姿。 「決死の大攻勢をかけようという時に、後ろでのんびり食事をとられているというのも気に入らん」 ――叩き潰すぞ。 言うが早いか。双手に手挟んだスローイングダガーが音もなく唸りを上げれば、食事の小鬼を庇っていた者はその全てが血煙に消える。 数十と群がる小鬼達、その半数近くが消された事で、半鬼の兄妹が焦りを顕わにする。 ――だが、それは逆を言えば、『未だ』半数近くを意味していた。 ● 遅まきながら、それぞれの立ち位置と行動を整理する。 リベリスタの側は十名。後衛に攻撃手である杏樹とレイチェル。そして回復役であるカルナに、それを庇う為のモノマ。 前衛には兄妹のブロックに鷲祐、悠里、ルカルカと、交代要員に虎鐵。小鬼の掃討を重視するオーウェンに、釜の破壊と小鬼の双方を担当する鉅と言う構成だ。 対し、鬼道の側は僅か半鬼の二名。食事に懸かる小鬼を除けば、釜を庇う側と、状態異常での行動阻害に回る側、そのスイッチの繰り返し。 最も、釜への守りに入ろうとする半鬼達はブロック班によって思うとおりの行動が取れる機会は少なく、結果として形勢はリベリスタの側に傾いている。 ――だが。 「う、ああああぁぁぁぁっ!!」 思いを言葉に、両足に込めて叫ぶハナの身に、夜闇を照らす紫電が宿る。 同時に、電光石火の蹴撃。 壱式迅雷のそれに酷似した技を放たれる事で、前衛に立っていた何名かが膝を着く、が。 「回復を――!」 誰とも無い言葉を聞き終えるまでもなく、カルナの祈りが清らな神の息吹を戦場に靡かせ、弱る仲間を賦活した。 元々半鬼の側は手数に優れても居らず、その役目上積極的な攻手に回ることも出来ない。結果として一度に受けた傷は、ほぼ全てがカルナの回復によって癒しきれる程度のレベルでしかなかったのだ。 しかし、同時にリベリスタ達にとっても、釜の守備と小鬼の損耗を減らす兄妹の指示は厄介なものとなっている。 何より―― 「若干、控えに過ぎたか……!」 忌々しげに吐いたオーウェンが、片目を閉じて思考を加速させれば、実体化したOと1のマトリクスが戦場にバラ撒かれた。 一つ一つが微細に過ぎぬ数字に触れた小鬼が叩き飛ばされるものの、精々が直径2m程度の釜を中心とした混戦状態。味方に当てず範囲攻撃を撃つには些か狭すぎる隙間であり、その為に命中させられる敵の数は多くない。 反し、数十に及ぶ小鬼が皆一点に向かって食事をし続ける様は、正しく『釜をも埋め尽くす』レベルである。意図せずとも構築された鬼の釜までの壁を砕かない限り、其処に攻撃を当てることは不可能であった。 焦るオーウェンが、透過能力を介して地中から潜行しようと試しもしたが……連携した動きもなく、集中の隙を生じさせてしまうそれは、捉えた兄妹の手によって幾度も封殺される結果となっている。 せめて、今の攻勢だけでも止めるわけにはいかないと、悠里が声を上げて彼らの注意を引く。 「君たちのした事は許される事じゃない!」 「……だから何だって言うんだ!?」 「でも、僕達だってそうなんだ。世界のためっていう言い訳をして何人も罪のない人たちを殺してきた!」 救いたくても救えなかった。彼がそう想う人は余りにも多い。それが歴戦の過程に積まれざるを得ないものである以上、どうしても。 けれど、だから、同じ。 犯した罪の重さも、懸けた想いの激しさも、皆が、皆が。 ならば、解り合える。そう願いたいと、彼は言う。 ――だが。 「……そうじゃ、無いだろ……!!」 応えた彼らの兄は、何故か、泣いているかのような声で。 「『何かの為』に戦えたんだろ! 『何かの所為』で戦えたんだろ!? 俺たちにそんな上等なモノはなかった! 何時だって、自分の、自分たちの憎しみで戦うしかなかった! 理由なんて、無かったんだよ!」 「……っ、それは、」 「たくさんだ! 人殺し同士だの、異形同士だの! 同じ部分を必死に見つけては仲間気取りで言葉を垂れ流して!」 吐露した想いをそのままに。 半鬼の青年が悠里の襟を掴んで、本当に涙を零しながら、叫ぶ。叫ぶ。 「人に在ったら鬼と呼ばれて、鬼に在ったら人だ人だと……」 浮いた片手が怨手と化せば、彼はそれを悠里の胸元に叩きつける。 「『敵』としてすら、俺たちはこの世に居ることを許されないのかよ……!」 「――――――ぐ」 脳を喘ぐ女達の歌声に満たされて、悠里の意識が闇に落ちた。 「ゆう、り――!」 「落ち着け! フェイトで直ぐに復帰する!」 狼狽したカルナに、杏樹の声が覇気を与えた。そう言う彼女自身、膠着しかかった戦況に幾許かの焦燥を抱いていながら。 アストライアが天に矢を放つ。星の光を連れて地へと返ってきたそれが、釜を覆う小鬼達を焼き貫くが――強化し続けた鬼は最早この程度では倒れない。 「代わるでござる! カルナは悠里の回復を頼むでござるよ!」 釜への攻手に回っていた虎鐵がインターセプトに回ると同時、連なり断つ気剣の一閃がハナを薙いだ。 「か……!」 其処で、目に見えて苦悶を上げたハナに、鷲祐がちらと呟く。 「釜に気が行き過ぎたか? 大分消耗したようだが」 「っ、気遣いなんていらない。人に付いた半獣風情が!」 「そうか」 返す言葉が、何処かもの悲しい。 憎しみだけを瞳に宿らせた少女に、鷲祐は心の中で、何かを、諦めた。 「……己の在り方を定めたのなら――掛ける情けは一片もないッ!」 答えを朗々と声に載せて。 それまで耐え忍ぶことだけを続けた鷲祐が遂に動いた、その瞬間には―― 「……ぁ」 正しく音速の刃が、幼子の喉を切り裂いていた。 ● 「――――――!!」 命を削いだ少女の身体が、其処で、ぐらりと傾いだ。 リベリスタが、其処に視線をやるよりも、 半鬼の青年が、それに叫びを返すよりも、 「……あ、は」 漏れ聞こえたのは、そんな、小さな笑い声。 「ねえ……半獣、解るでしょう?」 「……?」 「優しさなんて、もう要らない。唯認められたいだけ、必要とされたいだけの私たちを……」 だしん、と。 倒れるより早く、地に足を支えとして叩きつけたハナが。 「……彼の鬼達は、許してくれた――!」 鷲祐が技を放つ直前に、『癒術を飛ばした』小鬼達へ眼を向け、叫んだ。 そのまま、迎撃。大地すら砕く剛掌が鷲祐の気脈を喰らい、その強引に運命を消費させた。 「……兄様!」 「ああ。退却だ!」 言うと共に、生き残った小鬼の幾体かが哄笑を上げて『鬼の釜』を持ち上げる。 気付いたリベリスタの幾名かが、それを追うべく踏み込もうとするが、 「させると、思ってんじゃ、ねえ……!」 荒いだ呼吸を吐きながらも、マジリが再び黒波を湧き立たせた。 巻き込んだのはリベリスタだけではない。釜を運ぶ小鬼達諸共に戦場を襲った泥は、小鬼と釜、そしてリベリスタの何名かを正反対の方向へと吹き飛ばした。 尚且つ。 「……ああ。全く、厄介な」 軽く、声を零した鉅が、僅かに忌々しそうに首を振った。 態勢を整え直した彼が再度視線をやれば――釜と鉅達の間には、半鬼の二人と、成熟した小鬼が四体、立ち塞がっていたから。 「お前らの半数は一手、俺たちと残る一体を庇え。其処の金髪が複数を吹き飛ばす。まともに食らえば壁を崩される」 「戦況を観るのが上手いな?」 「禍鬼様の後塵も拝せないけどな。この程度」 オーウェンの皮肉に、歪んだ謙遜を以て返す。 安堵を浮かべた鬼道に反し、リベリスタ達は苦々しげな表情を隠せなかった。 解っている。想定以上の数を潰せなかった上、釜までの距離も開いてしまった。 今から追うことは不可能に近い――が、ならば。 「一つだけ、聞かせて欲しい」 「……。何だ」 「お前達は何者だ」 せめて、残った者の首だけでも。 ナイフを構え直し、気息を整える鷲祐に、マジリは一瞬虚を突かれ――そして、力なく、笑った。 「何でもない」 「何?」 「忘れたのか? その答えを俺たちから奪ったのは、お前らだ」 瞼を閉じた鬼の瞳を、マジリは薄く撫でて言った。 ハナも、その答えに一時、悲しそうな顔をして……けれど、拒むことはなく、目を伏せる。 「……そうね。それが、あなた達」 ルカルカが、僅か、嘲るように言葉を返した。 「選ばなかった。恐れて逃げた。そうして唯のがらんどうにしか、ならなかった」 「……」 「そんな中途半端なのに、簡単にルカたちは滅ぼされないわ」 はためいた外套の内に、ひそやかな銀光が覗く。 握ったナイフも、羽織ったマントも、既に敵と味方の血で汚れ。それでも尚、意志は折れない。 ルカルカの言葉に、二人は何も返さない。 リベリスタ達も、言葉を重ねない。それが違わないことも、それに応える意味がないことも、皆が皆、解っていたから。 だから、残った言葉は何もなく。 「――――――、」 風音に紛れて、聞こえた気がした声を、戦場の音がかき消した。 ● 戦いの展開は、此処に至って一度仕切り直されたと言っていい。 一時は瀕死にまで体力を削られた半鬼の二人であったが、それも残った小鬼達の一体が回復能力を備え、尚かつ彼ら二人によって発生する能力、稲の神の加護はその傷を急速に癒していく。 対し、リベリスタの側は体力面に於ける消耗こそ少ないものの――最短で鬼の釜を破壊するため、技法を放つ気力を一挙に注ぎ込んだが故の消耗は一部のリベリスタにとって大きな足かせになる。 特に、その傾向が顕著なのは鉅だが、彼はそれを見越していたが如く、一息に前衛から後退する。 「退がるぞ……モノマ」 「応よ!」 代わり、カルナを守る立ち位置からマジリ達に向かい飛び出すモノマが、戦闘狂故の猛獣じみた笑いを浮かべて叫んだ。 「鬼だの人だの混血だの俺にゃ関係ねぇ話だな。俺が望む事をする為に生きてんだ」 振りかぶった右の拳を、その手首に落とした手刀でどうにかかわすマジリ。 しかし、それがブラフであることに気付いたときは遅かった。 「邪魔なら戦う、利害が一致するなら力を合わせる。それが人だろうが何だろうが変わらねぇ。 そうやって生きてくって決めたんだよ、他の誰でもねぇ――この俺がなっ!」 空いた左手が半鬼の水月に叩き込まれれば、彼の口腔からは並々ならぬ量の血が吐き出された。 覇界闘士が技巧の一つ、土砕掌。 神経を介して練り上げた氣が、マジリの中で暴れ狂う。その痛みは彼の心すら砕きそうなものだが、受けた本人は何故か笑っていた。 「……ああ、アンタは、良いな」 深々と打ち込まれた掌をそのままに、訥々と吐いた言葉は只の戯れ言のように。 「想いより、情けより、唯こうしているだけで……」 揺らいだモノマに続いて、再度前に出た悠里を、ハナが遮った。 「絶対に諦めない! 諦めた君たち相手に諦めるもんか!」 「……否定はしない。肯定もしない。もう貴方達の言葉は、私たちなんかに届かない――!」 摩り切れた叫び声を吐く少女の脇を、虎鐵が、オーウェンがすり抜けた。 「此方も守勢は終わりでござる。ここからは……!」 「ああ。俺達の時間だ」 限界を廃した虎鐵の身体が、急挙動に追いつききれず自壊する。 それをものとも思わずに発したメガクラッシュが、交差させたハナの双手をずたずたに食い千切った。 「二人のやったことを許すつもりもない。人の罪を忘れてもらうとも思わない。 人は変わらない。今も昔も汚いし、身勝手な生き物だ」 今、この時のように。と呟いた杏樹が、未だ妨害に回る小鬼達をスターライトシュートで撃ち抜く。 「だからこれも身勝手な話。私が人間じゃなければ、友達になれたのか?」 「……仮定の話なんて」 「そうだな。意味はない。けれど一度は夢見たはずだ。お前たちだって」 「……」 言葉の合間にも、互いの削り合いは続く。 「動きを縛ります! この隙に……!」 レイチェルの神気閃光が再び場を満たせば、全身を光に焼かれた鬼道が膝を着いている。 受けた攻撃は深度に応じて適度な回復を飛ばし、兄妹に対しては抑えと攻手の使いどころを分けているも、癒手である小鬼が全体に光を散らせば、それに気勢を得た残りの小鬼達も奮い立つ。 それとて些少と言えばそうなのだが――当初より釜破壊後の狙いを兄妹のみに定めていた者が大半である以上、小鬼達が受けるダメージの総量は多くない。 結果として。 「む……!」 前衛に接近していたオーウェンが、小鬼と半鬼の兄妹、その殆どから攻撃を受けることとなる。 長引く戦いの中で、既に鬼道らは悟っていた。彼らの継戦能力の限界を、それに補給を与えるのが誰なのかを。 元より体力が高くはなく、尚且つ前衛に出ていたオーウェンが、それによって加速度的に傷を増やしていくのは必至。 「潰すぞ」 「好きにし給え。無論、そう易々とはやらせんが……ああ、それと」 叩きつけられた怨念を、致命打のみは避け、オーウェンは何でもないことのように言葉を囁く。 「お前さんが死んでくれるのならば、妹は見逃してやってもいいが?」 「……それくらいなら、私も一緒に死ぬ」 返した言葉は、当然、ハナのもの。 「ヒトの言葉に縋った生なんて要らない。私たちは、私たちの力で生きていく意味を、価値を見いだしたかったんだから」 「……だ、そうだ」 「成程」 言葉と共に、全身の膂力を一点に集めた拳が、オーウェンの胸骨を打ち砕く。 即座に運命を消費して立ち直る軍師を、未だ生き残った小鬼達が群がり、喰らっていった。 ● 「福音を――!!」 カルナが声高に叫び、祈りを捧げることで、オーウェンの傷が癒えるも、それはあくまで命を繋げるだけのもの。 オーウェンの戦闘不可能を確認したマジリは、それと同時にハナとの距離を取り始めた。 「っ……!」 稲の神の加護が、反転してリベリスタに襲い来る。 元より残量が高くなかった気力を、体力を、じりじりと削られる感覚が焦燥を呼び始めた。 「厄介、だな」 「だが、此方にも出来ることが増えた」 言うが早いか。鉅の言葉に返した鷲祐がハナに近づき、静かに言う。 「お前達の答えは受け取った」 「……そう」 微かに躊躇ったハナに構わず、鷲祐は構えたナイフに少女の顔を映し出す。 「故に、俺も受け止め、返そう。この神速の牙と――意志で!」 重ねた集中と、それに併せたソニックエッジ。 それまでの只高威力だった攻撃とは違い、今放たれた刃は斬りつけると同時、ハナの神経を一時的に麻痺させる。 「妹の動きは奪ったでござる。後は……」 「俺を倒して、連携を崩す、か?」 ハ、と鼻で笑ったマジリが、それと同時に罵声を放つヒトガタを幾つも生み出した。 「上等だ、どっちが潰れるのが先か、試してやるよ……!」 「ぬ……!」 ヒトガタの群れが、近距離にいた者を次々と巻き込んでいく。 思考を怒りに塗りつぶされた者が、それと同時に次々とマジリに襲いかかるが……その範囲からはずれた者、或いは攻撃を完全には受けなかった者が、僅かに胡乱げな眼を向けた。 既にリベリスタらが優先的な攻撃対象とする鬼の釜は最早無い。であるならば魅了の術技を以て自分への攻撃を少しでも遠ざける方が良いに決まっている。 それでいて攻撃を自分に集中させる理由は―― (……嗚呼) 相対するルカルカが、その攻撃をいなしながら理解する。 答えは、先ほどオーウェンが発した『降伏勧告』。ハナが即座に切って捨てた、あの呼びかけ。 自らの意志でそれに従わざる事を余儀なくされたのだとしたら、残り、取る手段は、『偶然妹より先に倒される』事だけ。 恐らく、彼は解っていた。オーウェンを倒した後の彼らの状態を見て、否、それより更に前、小鬼たちが鬼の釜を持ち去ったときに。 最早この戦いに於いて、只戦って勝ち残ることは出来ないのだと。 そして、『選んでしまった』妹の前で、その意に添わぬ事もまた、出来ないのだと。 「ここを死地にするなら、それで構わない。生きる道もあるなら、それに縋るのもヒト、ね」 届かないと知って、それでも尚、ルカルカは、一抹の祈りをマジリに向けた。 「こんどこそ、選びなさい、あなたの道はどこ?」 「……俺は」 疾ったナイフが、彼の肩口を抉った。 予想より軽い手応え、ああ、浅かったかとルカルカが思うと同時に。 「ニンゲンへの復讐。それだけが俺の居場所だ」 「……そう」 言って、彼女の身が泥濘に飲み込まれた。 吹き飛んだ身を即座に立て直し、折れかけた身体を運命の消費で立て直す。未だ倒れない。墓守は。 「……っ、兄様の援護に回って!」 叫ぶハナも、小鬼達に指令を飛ばすと同時、虎鐵に双掌を叩きつけた。 がふ、と吐いた血が地に墜ちるよりも早く、次いで飛来した雷がその身体を焼いた。 混戦した状況。ブロックに回る小鬼達の対処に悠里達が追われれば、その隙にマジリが複数体を巻き込む攻撃を叩き込む。 時間経過と共に減少する体力と気力にカルナの回復が止まるが、それまでにリベリスタが残る力を総動員させた攻勢も凄まじいものであった。 一体、また一体と小鬼達が潰される中、稲の神の怒りが悠里を、鷲祐を喰らった。 消費した運命によって癒された虎鐵も、或いは次の攻撃でと、そう思った頃に。 「……或いは、馴れ合えたかも、なんてな」 「?」 「そう思えるのは、アンタくらいのもんだよ」 小鬼達の壁を取り払われたマジリが、モノマと、ルカルカと相対する。 ハナと違い、自らの傷を癒す手段も持たないマジリは既に虫の息だった。反する二人も活力を奪われ続けはしたが、あと数十秒を保つ程度には未だ余裕がある。 「一応、聞くけどさ」 「何だよ」 「お前、生きてることは――辛くないのか?」 ただ、一度だけ。 本心からの問いを零した半鬼に、モノマは笑って言葉を返す。 「最初に言ったぜ。俺は生きる事に手を抜かねぇし、てめぇも手を抜くなってな」 「……ああ、そうだな」 それが、最後の言葉。 疾駆したモノマを吹き飛ばすべく、双手が虚空に印を切る――より早く、 「させないのよ。……おやすみなさい」 一方の手をルカルカのナイフで突き刺し、もう片方を彼女の手が掴む。 動作の機を失した彼に土砕掌が打ち込まれれば…… 「……ハナ」 半鬼の兄は、それだけを言って、事切れた。 残したものは、何もなかった。憎しみと恨みだけを重ね、無軌道に生き続けてきた只の餓鬼は、その骸だけを地に晒す。 「……兄様」 その言葉と共に、ハナの手が動きを止める。 それを好機と捉え、リベリスタ達は彼女に武器を振りかぶるが―― 「……待ってください!」 それを、制した者が居た。 騒乱の戦場のただ中で、それより尚大きな声を響かせたレイチェルは、武器を幻想纏いにしまい込んで、ハナに手を差し伸べた。 「……降伏してくれませんか?」 「……なに、を」 「貴方を只、迎え入れることは出来ません。当然、自由に誇りに復讐に、色々奪っていきます。諦めたり、捨ててもらいます」 でも。そう言って、彼女はハナに言葉を続ける。 忘と、それを聞いていたハナは、やがて時と共に、涙を零して、小さく、笑う。 差し伸べられた手を、じっと見て、彼女は。 「……ばか」 自らの胸を、貫いた。 ● 残った少女、半鬼の少女。 慟哭の涙が止むこともなく、苦悶の流血が止むこともなく、しかし、それを力に変える命もまた、その身には疾うになく。 横たわった身体に、近づいたレイチェルが、そっと手を触れた。 「何で……」 黒猫の少女は、涙を零さない。 けれど、震えた声だけは、隠すこともなく。 ――一緒にいても良い、と。 レイチェルが、あの後続けた言葉。 認められたのは、唯一つ。それが、何よりも望む一つだと知って、その上で。 なのに、彼女はそれを拒んだ。 「……いなかった」 少女は、眩んだ瞳を静かに閉じていく。 閉ざされつつある視界の中で、僅かに映ったレイチェルの獣の耳を――ハナは、やわやわと撫でる。 「うらさまは、みとめてくれた。にいさまは、ゆるしてくれた。けど、けれど、でも」 「……」 「……わたしたちを、わたしたちの、したことを、おこってくれるひとは、どこにも」 枯れ果てた涙に代わって、半鬼の少女の瞼には、頭から流れた血が伝った。 「いいの。よかったんだ。わたしたちにたいせつなものは、ここになくて。だから、わたしたちは、きっと」 ――生きていては、いけなかった。 ――だから、殺して欲しかった。 「……ねえ、あっちにいけば、わたしは、にいさまは、しあわせになれる、かな?」 ……その言葉に、答える者はない。 答える事が出来なかったのか、しなかったのか。それはきっと、人によって違ったけれど。 「ねえ、もう、いないの? みんな、みんな――」 「――にいさま」 最後に呟いた言葉と共に、少女の手が力なく落ちた。 リベリスタ達の作戦結果は、鬼の釜の破壊に失敗、鬼道の強力な個体を二体撃破という結果で締めくくられる。 其処に、如何なる思いが交錯したのかなど、知られることもないまま。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|