● 「そう、分かったわ。……烏めが向かいますと伝えておいて」 鈴の声。伝令に来た鬼に微笑んで、彼女は静かに、その身を柔らかな椅子に沈める。 久々に目覚めた世。人も、世界も、随分と色を変えていた。 例えば、この着物もそうだ。振袖、と言うらしいこれ。随分と可憐で身軽になったものだ。 「……綺麗よね、動くとほら、蝶々みたい」 ふわり、立ち上がる。 まるで新しい服を買って貰ったばかりの少女の様に。くるりと回る彼女を、騎士は陶酔の眼差しで見詰める。 「ええ、貴女様が着ている事で、尚更に」 直立不動。血を啜る太刀を佩いた彼は、即答し主を見詰める。 悲願だった。必ず、必ず目を覚まさせて、今度こそ護り抜く。その為に、自分は生きているのだから。 揺らがぬ彼の決意に気付いているのか、居ないのか。 機嫌良さげに着物を眺めていた彼女が不意にぴたり、と、動きを止める。 「――ねぇ、蕾」 わたし、おなかがすいたわ。お気に入りのあのこがいい。 食事の要求。生きる者であるならばある種当然のそれを耳にして、彼は素早く何処かに向かい、戻ってくる。 連れて来たのは、鬼。人間に近い彼や彼女の背丈を軽々と超えるそれはしかし、酷く怯えた顔で彼女の前に跪いた。 「か、烏ヶ御前の一部にして頂ける事、光栄に、思い……っ」 ぶちり、と。 最後まで言い終える前に。紅の唇が大きく開いて、鬼の喉元を噛み千切る。 溢れる鮮血の一滴すら無駄にしないと言いたげに、再度唇が寄せられる。 飲み干し、食い千切り、咀嚼する。 微かに聞こえる、咀嚼音は、暫くの間止まなかった。 「あら、振袖が汚れちゃったわ。……蕾、新しいものはある?」 再び。可憐な声が響く。 部屋には2人だけ。居た筈の大鬼は既に、骨のひとかけすら残って居ない。 「ええ、此方に。……お着替えが終わりましたら、参りますか?」 温羅様の命がありましたし。着替えを差し出しながら、彼は囁く。 そうね、と頷いた彼女は、血に濡れ色を濃くした唇を、すうっと笑みのかたちに歪めた。 相手取るのはあの覚醒者たち。 彼らは強いのだろうか。壊れないだろうか。私を好むのだろうか。嫌うのだろうか。考えただけで胸の内に熱が揺らめく。 憎悪と恋慕は同じ色。 殺してやりたい程の憎悪を彼らが傾けてくれるなら。それは至上の幸福だ。 其処まで想ってふと。彼女はその紅の瞳を微かに翳らせる。 「……こいくい、ね」 縁だとしたら、何と言う皮肉だろうか。 食べてしまいたい程あいしている。 それに応えてくれるような相手なんてもう、見つかる筈も無いと言うのに。 ● 「鬼の件、進展があったわよ。……手が空いているなら話聞いて」 眠たげな表情を、硬い無表情に変えて。 『導唄』月隠・響希(nBNE000225)はブリーフィングルームのモニター前で、口を開いていた。 「知ってる人も居るだろうけど、鬼の親玉が復活したわ。名前は温羅。正直相当一大事。 合わせて、あの鬼ノ城自然公園に本物の『鬼ノ城』まで出てきちゃった。 お偉いさん方が如何するか話し合ってるけど、今すぐ叩けばいいか、って言われたらそう言うもんでも無いの。寧ろ危ない。 でもね、多分向こうも今、力を蓄えてるから……リスクに怯えて手を出さない、って言うのは更に状況を悪くする。これはもう、間違いない。 あんた達が封印を沢山守ったお陰で温羅は不完全な復活しか出来なかったみたいだけど、それでももうかなり厳しいのよ。 四天王、とか言う奴らも居るしね。……全くこう、ちょっとはこっちの都合も考えて欲しいもんね」 つらつら、資料を確認する事も無く話すのは、相当に読み込んで来たからだろうか。 一気に引き締まるリベリスタの顔を確認する。硬かったフォーチュナの表情が、少しだけ緩んだ。 「まぁ、そんな状況だから、イヴちゃんとあの魔女……アシュレイだっけ? まぁ、その辺中心に、フォーチュナで対策を練ったのよ。 広範囲の未来、過去を見通す魔女の『21、The World』と、精密な予知が可能なイヴちゃんの『万華鏡』。 両方合わせれば相当のもんよね。……お陰で、温羅に唯一対抗出来るかも知れないものを嗅ぎ付けた」 その名を、『逆棘の矢』。彼の『吉備津彦』の『執念』とも言うべきそれ。 鬼達の強大な気配に混じりこの世界に出現したこのアーティファクトは、温羅と共に封印されていた。 そして。 何時の世か、彼が目覚めた時に。今度こそ彼を討つ為に、と残されていたのだ。 「矢は五本。……『矢喰の岩』、『吉備津神社』、『楯築神社』、『鯉喰神社』、『血吸川』にそれぞれ存在する。 伝承で桃太郎様が射掛けた矢は、恐らく温羅に特攻をもってるんだよね。五本揃えられれば、あの親玉を討つ助けになるかもしれない。 ……でも当然、不完全なあいつだって、本能的に自分を狩る為の存在、そして『吉備津彦』の気配に気付いてるのよ。 だからまぁ、矢を奪取しようと鬼達が動き出したのを、あたしらが観測した。……所謂争奪戦だね。 まぁ、こっちとしても多くの戦力割きたいんだけど、残念ながらそれは無理なんだ」 崩界影響で蔓延るエリューションの数々。 そして、深度を増す主流七派の危険な計画。 それらに対抗し続けるアークから割ける戦力は限られている。小数でも、やるしかない。 そう告げて、彼女の長い爪がモニターを操作する。表示されるのは、大きくは無い神社の鳥居。 「……『鯉喰神社』。あたしが感知したのは此処での争奪戦。此処には、四天王の『烏ヶ御前』が来るみたいよ。 因みに、リベリスタよりも先に神社についている。本来ならもう、奪われた矢を取り戻す、って形になるんじゃないの、って感じなんだけど……」 彼女はリベリスタを待っているのだ。矢には手も触れずに。 そう告げてフォーチュナが、理解出来ないと言いたげに肩を竦める。 「理由は不明。さっき言った通り、あんたらの事待ち受けてるのは間違いないから、気になるなら本人に聞いてみたら? ……それで。御前様は、異空間を展開してあんたらを待ってる。因みに、鳥居潜ったら其処は異空間だから。 異空間内は何にもなさそう。……厄介な事に、鳥居の方に戻る事は出来るんだけど、御前が異空間を解除しないと先には進めないんだよね。 だからまぁ、矢を手に入れる為には交戦必須。あ、御前殺しても異空間解除されないから。出口も無くなって、崩壊する空間と一緒にさようなら」 気をつけてよね。す、と資料に視線が落ちる。 どう言う事だ、と尋ねる声には、あたしにも良くは分からないよ、と答えてから。 フォーチュナは続きを語り始めた。 「……異空間内に居るのは、烏ヶ御前と彼女の側近、蕾――この間封印を壊しに来たリーダー、って言えば分かる人も居るんじゃない? 後、一定時間が経つと定期的に御前の袖口を通って現れる大鬼達。戦闘開始時で既に5体いる。 ……で。彼女が異空間を解除してくれる条件、なんだけど……まず、自分の側近、蕾が戦えなくなった場合。彼女は殺される前に道を開けてくれる。 そして、もう一個。彼女が道を開けてくれる条件、がある。それは」 彼女にリベリスタに矢を譲ってもいい、と思わせる何かがある事。 漠然としている。それだけに何とも言い難い表情を浮かべるフォーチュナは、溜息と共に話を続けた。 「あたしが感知した訳じゃあない。これは、……なんか、残ってる情報によれば、彼女は『そう言う』女なのよ。 人も鬼も好んでる。あたしらの事も好んでる。だから、見極めたいのかもしれないわね。その辺はよくわからない。 続いて、敵情報。まず御前。目覚めた彼女の魔力は、覚醒者にも常時影響を与える。……誘惑、とでも言えばいいのかな。 それに負けると混乱が付与される。既に混乱だった場合は魅了される。 加えて、紅の瞳で射抜かれると呪殺、呪い、虚弱が付与される。後衛型っぽいね。あ、でも、近接でも攻撃はしてくるわよ。 霧みたいなヴェール被ってるんだけど、それで切り裂かれる。安易に近寄らないようにね。 で、……彼女の奥義、とも言うべき技なんだけど……これは詳細が分からない。ただ、敵対する者全てに攻撃が可能で、長い詠唱が必要みたいね。 次、騎士様。こっちはやっぱり支援も出来る前衛剣士。前回使ってた空蝉の他に、ブレイクフィアーの強化版と、ブレイク、連撃付きの斬撃。 で、持ってる剣。……『花染』って言うみたい。血を啜る。失血付与、そして、持主の傷を癒す」 強敵ね。そう、フォーチュナは呟く。 大鬼に関しては大した事は無い。情報は此方を見る様に、と資料を並べて。 彼女は静かに、椅子に腰を下ろした。 「……無事を祈ってる。あんたらが、アーティファクトと一緒に戻ってくるの待ってるから」 気をつけて行くのよ。そう呟く声は酷く、硬かった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年03月24日(土)00:13 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● ――今度こそ、絶対に勝つ。倒れたりなどしない。 全身に、魔力を巡らせて。鳥居を潜った『Gloria』霧島 俊介(BNE000082) は、目の前に佇む鬼へと、声を張り上げた。 「よ! また会ったな! 会えて嬉しくはないんだぜ」 自分達は決して、強くは無いかもしれない。鬼から見たら豆粒同然だろう。そう、俊介は思っていた。 蘇るのは、あの日の記憶。けれど。自分達だって、意地があるのだ。 認めさせてやる。その為に、自分は再戦を望んだ。今回こそ、負けない。 その為に己の役目を果たさんと位置を取る彼の姿に、鬼の騎士は微かに目を細めた。 「ほう、折れては居なかったのか。――お前に興味が沸いた、癒し手」 見事仲間を支え切って見せろ。その言葉が、開戦の合図だった。 ゆらり、漂うのは、甘い香り。リベリスタの目が前方へと向く。微笑むのは、彼の鬼姫。 くらくらと、目が回る。濃密なそれに、意識が段々と、混濁していく。 凡そ、半数。半数が、開始と同時にその香りに溺れ、飲み込まれていた。虚ろな瞳が幾つも、彷徨う。 このまま同士討ちし倒れても可笑しくは無い状況。しかし、意識を保っているリベリスタは平静を失わない。 何故なら。 「……私達を試そう、という事でしょうか」 ならば、と。静かに瞼を降ろした『シスター』カルナ・ラレンティーナ(BNE000562)の唇が、力ある言葉を紡ぎだす。 しゃらり、煌めく銀十字は、信仰とその心の強さの証。 決して惑う事の無い彼女が呼び寄せた神の息吹は、甘き誘惑を打ち払うに十分だった。 まぁ、と。紅の唇が動いたのが見える。此方を試そう、とする様子のある相手。鬼にも色々居るものだ。 もっとも。人に害為す存在なのであれば相容れないのだが。 そう、武器を握り直すカルナの目の前で、騎士がその手を空へ掲げる。 ゆらり、拡散するのは視覚を惑わす白い罠。それを目の端に捉えながら。 『人間失格』紅涙・りりす(BNE001018)は一直線に駆け出していた。 人でなしの国は、人の世よりも、なお住みにくかろう――とは言った物だが。すぅ、と光の欠けた瞳が細まる。 こんな子らが居るのなら、人でなしの国も、悪くは無い。 対峙するのは、紅の騎士。軽やかな足取りで踏み込んで、流れる様に刃を振るう。 ぱっ、と。散るのは紅。肩口を裂いた一撃に、騎士の表情が微かに変わった。 「ねぇ君は、その鋼の様な忠誠心の下に、どんな獣を飼い殺す? そして、あのお姫様の」 ――無垢な少女の様な瞳の奥には、何がある? 其れが見たい。見せて欲しい。そう嗤う獰猛な獣。命短し恋せよ乙女。さぁヤろうと続いた言葉に、騎士は漸く口を開いた。 「……全てはあの方の為。その為に必要無いものを、私は晒すつもりは無い。だが、」 それでも見たいのならば、引き摺り出せ。微かに口角が上がる。それを、見届けて。 りりすは満足げに、ナイフを染めた血を払った。 しなやかな脚が、地面を蹴る。 既に展開を終えた布陣。最前線より少し下がった位置で。 『エア肉食系』レイライン・エレアニック(BNE002137)の鉄槌が唸りを上げていた。 目で追う事など叶わない。己の影さえ置き去りにした動きで切り裂くのは、群がる大鬼達。 飛び散る鮮血すら一滴も浴びない彼女は、静かに思考を巡らせる。 人も鬼も共に好く。それならば、共存も叶うのではないか。そう、思わないでもない。 しかし。今はそれを考える時ではない事も、レイラインは理解している。 為すべき事がある。今全力を傾けるべきはそこだ。 「悪いが……矢を渡してもらうぞよ!」 その横では、冷静に状況を見極める『Dr.Tricks』オーウェン・ロザイク(BNE000638)が静かに、片目を伏せていた。 「一刀の恨み、晴らさせてもらおう!」 そんな言葉と共に素早く組み上げられるのは、幾重もの呪印。 御前は庇われる事を望んでいない。 戦況を見極める事でそれに気付いたオーウェンの封術は、確かに御前の身体を捕らえていた。 「あら。……捕まっちゃった?」 貴方みたいな素敵な人になら悪くないわね。くすくす、聞こえるのは笑い声。 あくまで、余裕に満ちた態度を崩さぬ相手。真意は読み取れない。 「……貴様覚えておけ、一刀と言わず、次こそ刀の錆としてくれる!」 分析を深めようとする彼へと飛ぶ怒号。紅の瞳を燃え立たせる騎士を目の端で捕らえて、オーウェンは小さく嘆息する。 「その鬼道、邪魔だてしよう、何度でも」 厳かに。そう告げるのは『祈りに応じるもの』アラストール・ロード・ナイトオブライエン(BNE000024)。 己の体内を巡る力を、防御のみに特化させて。目に見えぬ鉄壁の鎧を纏う黒衣の騎士は、硬く剣を握り直す。 鬼の愛、とは喰らう事だと言う。 だが幾ら愛そうと恋おうと、害を為すなら災いは災い。 それが、人々を襲う災禍であるのならば尚の事。 「――全力を持って斬り払おう」 その言葉が秘める決意は、纏う鎧より強固だった。 ● 幻惑と癒しが拮抗する。 要である癒し手を護り戦うリベリスタ達にとって、頑強さと力のみに特化した大鬼は中々に邪魔な存在であった。 単純な薙ぎ払い。殴る蹴る。しかし、それを5体もの鬼が行っている、となれば話は別だった。 リベリスタの視界を塞ぐ靄も、状況を悪くする原因の一つであった。受けたものと与えたものが釣り合わない、消耗戦。 じわじわと、体力が削られる。そんな中。 戦線の中央。 突破を目指していた『悪夢と歩む者』ランディ・益母(BNE001403) の斧が大鬼を薙ぎ払う。 呻きを上げて、倒れ伏す鬼。漸く、道が見え始めていた。しかし、まだ抜けるには至らない。 「……人の戦士よ、再びその浅薄さを晒そうと言うのか?」 これだけ敵が居る中での、正面突破。正直愚考と言われても可笑しくはない。 けれど。彼は何の考えも無く、そこに飛び込んでいる訳ではなかった。 「ああ、お前の言う通り確かに浅薄だったよ俺ァ」 だがそれは、あの時の話だ。そう、言外に含める。あの日、負けたのは。己が血に酔った所為だ。 だからこそ、今回は。冷静な頭で。そう前を見据える彼の傍らから。 「ランディ、あのお姫様にいいたいことあるんでしょ?」 ルカはランディに借りがあるの。手伝うわ。 そんな言葉と共に、『シュレディンガーの羊』ルカルカ・アンダーテイカー(BNE002495) が残像伴う一撃を大鬼へ見舞う。 翻弄された敵を抑える事で道を開け、彼女は静かに、その瞳を奥へと向ける。 靄の向こう。霞んで見える、女鬼。 ――鬼もこいをするのか、と、思った。 こいをくらって花が咲く。刹那に裂いて咲き乱れ。 こいにおちて、世界におちて。そうして此処で、不条理を撒き散らす。 愛と逢い。そうして、哀。彼女の物語は、そんなものだろうか。 真直ぐに鬼姫の下へと向かっていく背を見送りながら。ルカルカは再び、目の前の鬼へとその瞳を向け直した。 誘惑の香りは消えない。漸く2体まで減った鬼が再び、現れる。 光を失った目が、揺らぐ。 『レッドキャップ』マリー・ゴールド(BNE002518)が、味方へと攻撃を仕掛ける前に。 布陣の中央、何時でも全体のフォローに回る事が可能な位置から、『抗いし騎士』レナーテ・イーゲル・廻間(BNE001523)は対魔の煌めきを放つ。 光が誘惑だけでなく、かかる靄さえ切り裂いていく。これで、少しは有利になるだろうか。 しかし本当に、吉備津彦さん様々とでも言えばいいのだろうか。何と言う執念だ、と微かに溜息が漏れる。 だからこそ、それを無駄にする訳にはいかない。状況に応じて己の役割を選ぶレナーテは静かに、その胸に誓う。 必ず、矢を持ってアークに戻るのだ、と。 「ああ、やっと動けるわ。……ねぇ、翡翠のお嬢さん。少しだけ」 大人しくしていてくれない? レナーテと同じく。騎士が放っていた閃光によってオーウェンの封術から抜け出した御前が、その紅の瞳をカルナへと向ける。 込められるのは、呪い。しかしその視線が癒し手を射抜く前に、飛び込む影があった。 「その戯言には付き合えまい、姫君よ」 その身を挺して、アラストールは呪いの瞳を受け止める。ばちり、痺れが走ったような感覚。一気に削り取られる体力。 視線に込められた呪詛が、内側から身体を蝕んで。その華奢な身体が傾ぎかける。しかし。 躊躇い無く。己の運命を、燃やして。騎士は確りと地面を踏み締める。役目は果たす。 持ち直したアラストールに、鬼姫は微かに苛立ちを交えた表情を浮かべていた。 「お前が騎士だな?」 霧も回復も知った事ではない。それを上回るだけの攻撃を仕掛けるだけ。 そんな不敵な呟きと共に叩き込まれる掌打が注ぎ込むのは、破壊の闘気。 見えぬのなら、感じるしかない。目ではない。肌で、心で、その動きを読み取って。 見事当てた一撃は、少なからず深い痛手を騎士の身体に刻み込んだ様だった。表情を歪め、鮮血交じりの唾を吐き捨てる。 「……そう、明鏡止水、と言ったか」 なるほど、霧では水を揺らす事は叶わない。そう、一人呟くマリーに騎士もまた、不敵な笑みを浮かべる。 「霧では叶わぬとしても、……太刀ならば、その水面さえ切り裂けよう」 りりすとマリー。2人のタイプの異なる前衛を相手取りながら。騎士は心底愉快と言いたげに笑いを漏らした。 「……あら、紅い貴方。私に用事?」 戦場の端。額へと振り下ろされた手を、その手で受け止めて。 御前は甘やかに微笑んでみせていた。その瞳に宿るいろは何か。読み取ることは出来ない。 「ケジメだ、──頬に口付けされちまったからな」 お陰で恋人はお冠だ、全くどうしてくれるのか。 そんな言葉の裏に隠すのは、あの日の犠牲への想い。 あれは自分の所為だった。そのケジメも共につける為に、自分は此処にいる。けれど。 その後に蘇るのは彼女の姿。共に行く事は叶わなくとも、一言言ってやりたい。そう、眉を寄せていた。 そう、苦笑混じりに肩を竦める彼を、紅の瞳は真っ直ぐに見詰める。 「そう。……それは、悪いことをしてしまったかしら」 此方に向かわんとする騎士を、鬼を、制して。 笑みを崩さぬ彼女は、静かに首を傾ける。最後まで聞こう。そう言わんばかりの様子に、ランディは言葉を繋ぐ。 「アンタは人間も鬼も好きだと聞いた。……俺もそうだ」 敵を助けたいと思った事もある。強い者を己の糧としようとした事もある。 何時だって憎いのは敵ではなかった。憎かったのはそう、自分自身。 其処まで告げて、ランディはほんの僅かだけ、その表情を緩める。 目の前の女鬼。その容貌は、自分の恋人に似ては居ない。けれど、微かに似た色を感じていた。 「……俺の女も食べる事が大好きでな。食べる時、嬉しそうに笑う」 それを見るのが大好きだ。それを見る為に、彼女の為にと美味しい物を作るのが生き甲斐だ。 そんな彼女と、共に居る。当たり前の様な、しかし何より尊い其れ。 「それが、戦う以外で何より大切な事だ。……別に、アンタと重ねて見てる訳じゃねぇけどな」 言いたい事はそれだけだ。そう、彼は告げる。 黙って耳を傾けていた御前は幾度か、瞬きをして。 微笑を失くした唇でゆっくりと、言葉を紡ぐ。 「そう。貴方、しあわせなのね。……綺麗ないろでとっても気に入ったのに、残念」 続けられた言葉と共に。纏う純白のヴェールがゆらりと動く。 反射的に構えるも、それは間に合わない。次の瞬間には鋭利な刃と化した白が、音も無くその喉元を掻き切っていた。 紅いあかい、華が散る。致命傷とも言える一撃。運命の寵愛が軽減しようと、その傷は深過ぎた。 崩れ落ち、血に濡れた喉を押さえるランディの、目の前で。 紅の瞳を暗く染めた姫君はゆっくりと、歪な微笑を浮かべ直していた。 「……貴方は私を好きかしら。分からないわ。でもね、私、私が一番じゃないなんて許せないの」 貴方は貴方の恋人を、大事にね。其処まで告げて。 温度の欠けた紅はそれきり、興味を失った様にぼんやりと、戦場だけを眺めていた。 ランディが倒れ伏す様を見ながら。道を開く為に、と中央に孤立したルカルカもまた、窮地に立たされていた。 塵も積もれば山となる。単調で読み易い攻撃であろうと、連続したそれは、間違い無く脅威だったのだ。 飛んでくる金棒の一本をかわした彼女の胴を、次の金棒が容赦なく薙ぎ払う。 限界を超え、途切れる意識。鮮血が、口端を伝い落ちる。 それでも。彼女はそのまま倒れ伏す事を良しとはしなかった。運命が燃え滾る。魂が奮立つ。 二本の脚で確りと地を踏み締めた彼女は、戦場の奥に立つ姿を見詰める。 こいをする、鬼。何処か様子の可笑しい御前が、望む事とはなんだろうか。 「貴女を、殺したいわ、烏ヶ御前」 ぽつり、と。漏れた言葉は心から。何が望みかは知らない。けれど。 全てがおちてくる墓場の様なこのせかいをまもる、墓守である自分にとって。 せかいを、仲間を傷つける彼女は間違いなく、敵なのだ。 「――殺してみせて、お嬢さん。……私の望みはずっと唯一つ」 まるで言葉遊び。様子の変わった彼女の本意は未だ、見えなかった。 ● どれくらいの時が流れただろうか。戦況は未だ、拮抗し続けていた。 場を支える癒し手。湧き出る大鬼を殲滅し続ける者と、騎士に当たる人間を分けたのも功を奏していた。 しかし、それでも。押し切るには一歩足りない。 残り4体。素早く敵の数を数えたレイラインが、軽やかに敵の真っ只中へと滑り込む。 「一網打尽にしてやるわい!」 そんな言葉が鬼の耳に届く頃には、その姿は消えている。 演武と呼ぶに相応しい動きで切り裂かれた鬼がまた2体、その身を地面に横たえた。 それでも侵攻を続けようとする鬼には、オーウェンが己の思考を物理的な圧力へと変換し叩きつける。 それに続くのは、ルカルカ。数が減った事を確認し、澱み無き連打で鬼の数を削り切った。 しかし、息つく間も無く。新たな鬼がその場へと送り込まれてくる。加えて漂う、幻惑の香。 誘われたのは、ルカルカとりりす。傷を癒す事も兼ね、カルナが放った息吹はしかし、幻惑を解くには至らない。 「……削り合いは趣味ではない。そろそろ、片をつけよう」 前衛2人を相手取り戦っていた騎士が、疲弊の色を覗かせ、そう呟く。 神速。構える間も無く袈裟懸けに流れた太刀が切り裂いたのは、マリーの身体。 鮮血が迸る。何とか耐え凌ぐ彼女を待っていたのは、返しの太刀。 運命は騎士に微笑んだのだろう。鋭く二度動いて見せた騎士の目の前で、マリーの膝が折れる。 否、折れようとした。銀の獅子を掲げる武器を握る手に、力が入る。 彼女もまた運命に愛された者。どれだけ疲弊しようと、彼女はその運命を削る事を厭わない。 「まだ、終わるものか……っ」 立ち上がる。その瞳は折れていない。血を啜り傷を癒したのであろう騎士の顔に漸く、僅かな焦りが浮かぶ。 「……我が眷属よ、早々に片を付けろ!」 声を張る。その言葉に応じる様に、大鬼達の怒涛の侵攻が行われ始めた。 狙われるのは惑い、攻撃対象を定められていない2人の隙間。全力を以って振るわれた金棒を抑えようとも、次の鬼が其処を潜り抜ける。 目指すは後衛。忌々しき癒し手。 前衛を突破した鬼が、それでも行く手を阻むレナーテを、アラストールを嬲らんと金棒を振り翳す。 連続した攻撃に遂に、アラストールの膝が折れた。ぐらり、と。倒れ込む身体。 血だまりに沈んだ騎士の身体は、再び立ち上がる力を残していない。此の侭では突破される。レナーテの眉が寄る。 「……わらわが身体をはるぞよ。皆はその間に立て直すのじゃ!」 残像と共に。レナーテの目の前の鬼を切り倒したのはレイライン。 全体を支える為に。躊躇い無く己を壁とする事を是とする姿に、微かな安堵が広がる。 傷の深いレナーテや、前衛に立つ仲間の為に、と、福音を響き渡らせるのは俊介。 叶うなら自分も、あの日の雪辱を直接果たしたい。ふとすれば踏み出しそうになる足は、意志で押さえる。 何故なら。自分が今するべき事は、この場を支え続ける事なのだから。 危機を脱した戦線。混乱の危険を避けようと、レナーテが魔を打ち払う光を放つ。 運命の女神は、リベリスタに微笑んでいるのだろう。幻惑の香は再び打ち破られる。 此の侭、押し切れるのでは。そう読んだオーウェンは再び、静かに片目を伏せる。 見極める対象は騎士。押し切れるか否か。読み取れた答えに、微かな笑みが浮かぶ。 「深手は負わせている……いけるだろう!」 押し切れる。その判断に、リベリスタの表情が変わる。 己の状況を読み取られたのだ、と気付いた騎士は苛立ちを顕にオーウェンを見遣った。 「……嗚呼、貴様はやはり厄介だ。あの時、確かに殺しておくべきだった!」 幻惑の香り。しかし、惑うリベリスタは既に居ない。それを興味深げに眺める御前の目の前で。 衣擦れの音さえ立てず。オーウェンの目の前に立った騎士は、その太刀を振り上げる。 吸い続けた鮮血が、刃から滴り落ちる。大上段から振り下ろされた一撃は、運命を容易く削り取った。 地には伏せない。踏み止まるオーウェンにしかし、騎士は攻撃の手を緩める様子を見せない。 「悪いが、……この太刀は一度では止まらない」 連撃。癒しを受けていない彼に、再び同じ刃が、振り下ろされる。 膝が、落ちる。その侭力無く血の海に沈んだオーウェンを、騎士は荒い息と共に見下ろしていた。 「貴様の様な人間は初めてだ。……覚えておこう、人の軍師」 そんな、戦場の只中で。 混乱から覚め、騎士の下に向かわんとしていたりりすはふと、視線を感じて其方を見遣った。 黒い髪。紅の瞳。あれから一切戦闘に参加していない鬼姫が、此方を見ている。 何の用だろうか。少しだけ考えて、りりすは思い付く侭に口を開いて見せた。 「お姫様ともヤりたいけどね。……割り込みは良くない。恋はフェアでないと」 だから手を出しはしないよ。そう嗤う鮫に、御前は興味を示した様に瞳を細めた。 「あら、そんな事言わずに遊んで頂戴な。……貴方素敵だわ。逸脱してる。どの枠にも収まる事の出来ない、半端者」 私と同じにおいがするわね。そう微笑みながら、彼女は此方へと歩み寄る。 いろの違う紅が、重なった。 「……誰も殺させないよ、お姫様。僕は「僕」だけを見て欲しい。僕は欲張りだから。他を見るなんて事許せない」 死ぬ事は怖くない。殺されるのも構わないから。そう告げるりりすに、女は今日初めて、そのかんばせに驚きの色を浮かべた。 同じね。そう、唇が小さく動く。 「違うよ。僕はお姫様とは違う。僕が好きになったヤツは大抵死ぬんだ」 手には何も残らない。そう、結局何にもだ。 なら初めから作らなければいいと言われれば、其処までなのかもしれないけれど。 そう首を振るりりすに、女は一瞬だけ苦しげな非常を浮かべる。 「だから。だから一緒なのよ。貴方は私と同じ。……恋に永遠は無いわ、貴方なら分かるでしょう?」 ねぇ。その言葉はまるで懇願。彼女が何を言わんとしているかは、自分には分からない。 返事のないりりすへと言葉を探す様に目を伏せて。けれど何も言わず開かれた瞳は、陶酔の煌めきを灯していた。 「……嗚呼、貴方。貴方なら、私と居ても、……いいわ、認めてあげる」 耐えて見せて。そう、呟く声と共に、凄まじい魔力が練り上げられる。 唱える言葉は、こいのまじない。 みんなみんな私のものにならないのなら。 紅の華を咲かせてきえてしまえばいい。 詠唱が聞こえる。身構える仲間の中で。りりすは一人、目の前の姫君を見詰める。 ただ、一つだけ、理解出来る事がある。永遠は無い。分かっている。分かっているのだ。けれど、それでも自分は。 「――結構、簡単に人を好きになってしまうのだけど」 りりすは知らない。呟いたその想いこそが、姫の心を惹き付けるのだと言う事を。 呟きが溶ける。練り上げられた魔力が、拡散した。 ● 放たれたのは、四天王と呼ばれし女の全力。 例えるなら、全身を外から中から食い散らかされる様な。凄まじい激痛と共に、飛び散った鮮血が花弁の様に舞い上がった。 全力の防御に徹して居ようとも、無事では済まない。 ルカルカが、マリーが、血の海に沈む。続いて倒れ込んだ俊介はしかし、紅に染まる手で必死に地面を掻いた。 「くそがあ……っ、やられてたまっか……!」 運命が燃える。折れない瞳のいろは、血のあかよりも焔の紅。 己の嫌う色の海から立ち上がって。彼は皆を奮い立たせんと、声を張り上げる。 「皆、終わるにはまだ早い! そうだろ!?」 満身創痍。それでも、自分の役目は。仲間を支え続ける事なのだから。倒れない。絶対に、負けない。 隣では耐え切ったレイラインが、痛む体を支え前を見据えていた。 「まだじゃ、まだ終わらんぞよ!」 御前が何を此方に望んでいるのかは知らない。 けれど、力試しをしたいというのならば何度だって見せてやろう。 「見よ、これが、人間の力じゃぁ!!」 その声達を、耳にしながら。 「っ……やらせはしない! この程度で!」 文字通り。レナーテもまた、血を吐く様な叫びを上げる。 防御に徹して、あれだけの被害を生んだ攻撃。 その身を以って癒し手を護らんとした彼女の傷の深さは、言うまでも無かった。 ぼたぼた。カルナを庇った身体から、鮮血が流れ落ちる。 手放しかけた意識は、運命を削って引きずり戻していた。脅威は去って居ない。 全員が防御に徹した今、敵が戦線を潜り抜ける事は容易い。 リベリスタを認めたからこそ。騎士もまたその手を緩めるつもりなど無かった。駆け込み目指す先は、皆を奮い立たせんとする俊介。 無傷のカルナをも狙える状況で。騎士が彼を狙ったのは恐らく、騎士なりの賞賛。 「貴様を……貴様等を侮った非礼、深く詫びよう。……だが、これで終わりだ!」 振り上げられた剣。立ち上がったばかりの癒し手を血の海に沈めんとする、全力の一太刀。 身体は悲鳴を上げている。 それでも。 庇い護る事が、騎士の役目。 何があっても護り切る。矢を、持って帰る。 そう誓ったレナーテの覚悟に、応える様に。 運命は、その手を差し出していた。 但し。 捩じ曲げるのではなく。彼女自身の手で、活路を開ける様に。 再び、身体が動く。罅割れたヘッドフォンが、地に落ちた事さえ気にかからない。 心身共に限界。それでも、今持てる全力で。 「駄目でしたーなんて、カッコつかない、じゃない……っ」 彼女は護る為の盾で、その太刀を弾き飛ばした。 騎士が、そして誰より、全力を振るった御前が、目の前の光景に言葉を失っていた。 もし、彼らが全力で護る事に徹していなかったとしたら。 恐らく、今此処に立っていたのは鬼だけだっただろう。しかし、彼らは耐えた。耐え切ったのだ。 「私が支えます、必ずや皆様を外へ……!」 仲間を生かして帰す事こそが癒し手の本分。 願うような想いで、言葉を紡いで。神の力を借り受けたカルナの癒しが、場を満たす。 もう既に、半数が倒れ伏している。それでも、耐え切ったリベリスタの瞳に諦めの色はなかった。 誰もが己の武器を構え、前を見据え、対抗しようとする。 どれだけの窮地にも抗い続ける姿勢。不屈の精神。それを目の当たりにして。 御前は静かに、その手を掲げた。途端に消える大鬼。唐突な行動に、誰もが呆然とした。 「……道を開けるわ。私とこの子の事、見逃してくれる?」 紡がれたのは、停戦の要求。リベリスタが頷く前に食って掛かったのは他ならぬ騎士だった。 「御前! ……私は未だ戦えます……!」 「もう満足したの。……それに貴方、それ以上やったら死ぬわよ」 リベリスタの度重なる攻撃は、確かに騎士に深手を与えていた。 幾らその刀で癒そうと癒え切らない傷を証明するように。良く見れば、彼の足元は赤黒い水溜りが出来ている。 戦闘行動を行わないのなら、それを呑まない筈が無い。要求を受諾するリベリスタに、女は有難う、と微笑んだ。 「貴方達の覚悟を見たわ。素敵ね。……矢は奥よ。役に立ちますように」 「あ、待った! そういや姫サマの本名何?」 去る前に、と。気になっていたのだろう、俊介が尋ねる。 無礼な、と太刀を抜き掛ける騎士を目で制して。女は甘く微笑み首を傾げて見せた。 「……櫻、ゆすらうめ、と、言うの」 貴方のお名前も、今度は聞けるかしら。そう微笑んでから。彼女は静かに、その瞳をりりすへと向ける。 絡む、視線。少しだけ迷う様に紅が彷徨って。 「――私、貴方が好きだわ。貴方なら私からきっと離れない。壊れない。置いて死んだりしない。ねぇ」 貴方も私を好きになって。 懇願。甘く響く声に僅かに乗るのは、羨望だろうか。 それに、りりすは答えない。ただ静かに此方を見返す瞳に、櫻は寂しげに考えておいて、と囁いた。 「それじゃあ行くわ。……次会う時は敵かしら。また会えるといいのだけれど」 とりあえずはさようならね。そんな言葉と共に、2人の鬼の姿が掻き消える。同時に、開かれる神社への道。 本殿にひっそりと安置されていた矢。未来を切り開く希望であるそれを手にするのは、レナーテだ。 己の覚悟で運命を切り開いた彼女だからこそ、矢を扱うに相応しい。 文字通り、全力を賭して。 リベリスタはその手に、勝利と希望を掴み取った。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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