●死なない女 深夜……波のない穏やかな浜辺に不規則な水音が響く。沖合から岸辺へと戻る女の姿が淡い月光に映し出されていた。凪いだ海に女の周りだけ微風が吹き渡る。 「どうして……どうしてなの? 私だけ……また……」 女は泣いていたのかもしれない。可憐な白いワンピース姿で美しく装っているが、その全身は少しも水に濡れていなかった。はためく服の裾もなびく茶色の紙も春風にそよぐように軽やかだ。頬を飾る涙も風に吹かれかき消されてしまう。手首と小指に巻かれた赤い糸は途切れた切れ端が揺れていた。若い娘なら似合うし、悲哀を感じるのかもしれない装いも、もう若くはない女が着ているとどうにもちぐはぐな感じがしてならない。 「どうして私は愛する人と死ぬ事が出来ないの?」 女は膝をつき両手で顔を覆って泣く。寄せる波も浜に敷き詰められた柔らかな砂も、女を触れる事はない。ただ優しい大気の流れだけが女の全身を慈しむかのように抱きしめていた。 ●死にたがる女 アーク本部、ブリーフィングルームで『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)は峰岸由里香(38歳)が起こした事件の数々を提示していた。 「崖の上から海に飛び込んで一緒に死にたがる物騒な女。今までに10人の男女を溺死させているけど、由里香は無事……だって海の中でも呼吸が出来るから」 イヴはこともなげに言う。大気のエリューション・エレメントが由里香を守り、着水のショックや呼吸を助けている。反面、一緒に入水させられた相手は冷たく突き放し見殺しにしている。 「大気に愛されている……それが由里香の正体。でも、本人は何も知らない。死ねなかった罪悪感が再び死を求め、でも1人は怖くて道連れを欲しがる……勝手よね」 無表情無抑揚でイブは言う。由里香は決して見苦しい外見をしているわけではない。むしろ寂しい美貌を持っている。けれど病んだ心には正常な判断力はない。自分についても、他の全ての出来事に対しても身勝手で『可哀想な自分』に浸りきっている。 「今は新聞にも載らない小さな事件だけど放置すると、地域とか街ごと道連れにされるかもしれない……ハーメルンの笛吹みたいに」 だからここで食い止めなければならない。遠くない未来で、多くの者達の命が由里香の死出の道連れという名の生け贄にされようとしているのだ。 「これ以上事件が起こらない事が大事。エリューション・エレメントを抹消してもいいし、消えるのが由里香だけでも良い。そうじゃない別の方法でも構わない」 方法は任せるから結果を出して欲しい……と、イヴは言った。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:深紅蒼 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 4人 |
■シナリオ終了日時 2011年05月14日(土)21:51 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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■サポート参加者 4人■ | |||||
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●狭間の断崖 峰岸由里香が死に臨む時はいつも断崖絶壁から海への入水であった。最初は場所にも拘ったが、6度目からはどうでもよくなった。髪型もメイクも普段通り、通勤服で断崖へと向かう岩場に現れた。ただ、待ち合わせの時間には随分と遅れてしまった。ここに行かなくてならなかったのに、どうしてか足を向ける気にならなかったのだ。案の定、相手の男はいない。 「……怒って帰っちゃったかな?」 由里香は寂しそうに笑った。 それより少し前、実は由里香とここで落ち合うと約束をした『用兵有き自身要らず』酒呑 雷慈慟(BNE002371)は既に到着していた。 「各人、胸に規すモノを期待する。以上だ」 場所と時間を簡潔に告げる。 「……心中と言うかもはや殺人だな。命を何だと思ってやがるっ!!」 湧き起こる激しい怒りを心の内だけに抑えて置く事が出来ず『血に目覚めた者』陽渡・守夜(BNE001348)は叫ぶ。アーク本部で事件の概要を聞いた時は、インターネット上で自殺志願者を装って由里香を誘い出す作戦を提案する程度の冷静さを保っていた守夜だが、今はフラッシュバックの様にあの時感じた怒りがこみ上げてくる。 「俺に言わせりゃ峰岸は性質の悪い殺人鬼だぜ。死んだ10人に同情もねーが、巻き込まれなければ生きてた奴も居ただろうにな」 由里香の存在はムカツクがこの手で殺してやるほど優しくもないし、殺人狂でもない……と、『不退転火薬庫』宮部乃宮 火車(BNE001845)は自分で自分を見定めている。今も怒り心頭といった様子だが、冷静に『強結界』を展開している。 「全くだぜ。気にいらねぇ……人生にコンテニューなんてないんだぜ」 崖の近くに立つ『イケメンヴァンパイア』御厨・夏栖斗(BNE000004)は不愉快そうな表情を隠さない。 「死にたい者を翻意させるほどの熱い思いがこもった言葉……伝わるとは思えないが、僅かでも望みがあるというのなら……それに賭けてみるのもいいだろう」 投げやりでもなく固執するでもなく『星守』神音・武雷(BNE002221)がつぶやく。由里香が最初に死のうとしたのは失恋だった。死んだのは10年つきあってあっさりと別れた元カレに似た男。 「対象に私達がここにいると察知されてしまう事のメリットはデメリットを上回りません……皆さん、隠れる努力はして下さい」 夜とはいえ原初の闇というわけではない。光に反射するような物を持たず松林に身を隠した雪白 桐(BNE000185)は隠れていない者達に平坦な口調で言う。今、この岸壁周囲に12人のリベリスタ達がいることを由里香に知られ、エリューション・エレメントが出現する前に帰られたのではこれまでの下準備がふいになる。 「これは失礼しました。気配を消す事を過信していたのかもしれませんね」 月明かりを避けるように『宵闇に紛れる狩人』仁科 孝平(BNE000933)は岩陰へと音もなく後退する。 「でもさ、あの女は身勝手だよね。そういうのってわたし、許せないって思っちゃうよ」 木々の影に身を潜め、うなだれた『臆病ワンコ』金原・文(BNE000833)の視界には松の根と砂混じりの土、そして自分の靴が見える。誰だって生きるのが辛いと思う時がある。それでも乗り越えて生きてきた者からすれば、繰り返す由里香の行為は不快を通り越して明確な怒りとなる。 「まさか、用がある癖に強結界に阻まれてるんじゃねぇだろうな……あの女」 ハッとしたように火車が言った。無関係の者達を排除するつもりで由里香自身まで現れなかったとしたら、リベリスタ達は無駄足を踏んだことになる。由里香の心がどれほど弱いとしても笑えない事態には違いない。 「……しっ」 「来ましたね」 桐の目が、続いて孝平が女の姿を捉える。由里香だった。自殺慣れした女は晴れの装いさえせず、緊張感もなく断崖へと歩み寄っていく。冴えない顔色と不幸そうな表情、貧相な身体ではあったが、標準よりはかなり美しい。 ● 「先に始めさせていただきますよ」 途切れていた気配鮮明になり、孝平の反応速度が格段に上昇する。 「この、弱虫……っ! あなたなんて、大っ嫌い……!」 心の奥に焼き付いて消えない哀しい思い出……痛みを知る文には由里香が許せない。現実から目を背け傷つくことから逃げるだけならまだしも、他人を巻き込み死なせている。怒りが心から溢れ文の全身から気糸が放たれる。由里香の身体に無数の糸が絡みついて縛り上げる。あちこちから重ねた布地と一緒に手応えさえなく皮膚を裂き肉に食い込むかと思われた瞬間、激しい気流の渦が由里香を包み気糸が断ち切られた。 「きゃああっ……」 ごく浅くだが全身を切り裂かれた由里香の身体が上空へと浮き上がる。驚く由里香の悲鳴が渦の向こうから頼りなく聞こえてきた。愛おしい由里香の危機に、一瞬で大気のエリューション・エレメントが出現していた。 「わあああっ」 飛んでいた『ライアーディーヴァ』襲 ティト(BNE001913)は安定した高度を保つ事が出来ず、ごく低空での飛行に切り替えざるを得ない。 「風には風で対抗するぜ!」 凄まじい速さで仕掛ける高速の蹴り技がもう一つ、鋭い風の刃を作る。それが渦巻く風の一部を切り裂いた。 「視える……戦場の全てが視える」 後方にさがっている雷慈慟は一時的に脳の伝達処理を飛躍的に向上させ、雑念を捨て戦闘行動に特化した状態を維持する。緑の瞳には戦場となった断崖の地形、出現したエリューション・エレメントによる気流の乱れなどの情報が刻々とインプットされていく。 「痛いか? 苦しいのか? なんとか言え!」 火車の腕が燃え上がる。炎は火車を損なう事はなく力となって拳に宿り敵を撃つ。渦巻く風が燃え中心部へと燃え広がるが、由里香までは到達しない。その間も木々の間から滑り出る様に出現した桐の全身に破壊的な闘気を溢れる。 「強い者と弱い者がが同じ目線に立つなんて絶対に無理だって思わない?」 誰も彼もが前を向いて歩き続けられるわけではない。意味深長な表情の『人間失格』紅涙・りりす(BNE001018)へと桐が放った答えはぐーぱんちだ。 「鬼ぃさぁん?!」 「で、なにか?」 涼しげな表情で答える桐。その時、エリューション・エレメントが起こす風が爆発的に激しくなった。真空の刃が幾つも生まれ、不気味な唸りをあげて四方へと飛んでいく。 「っああぁ」 「ってぇ」 「っつー」 文と夏栖斗、そして火車の皮膚が切り裂かれていく。 「聞いてくれんね、あんたにもわしらにも大事な話があるけん」 武雷は待機しつつ風に支えられてわずかに空中に浮く由里香へと大きな声で呼びかける。血にまみれた由里香はおろおろとするばかりでとても武雷の言葉に耳を貸す状況ではなさそうだ。 「お前はとっとと消えやがれっ!」 守夜は繰り出す拳に凍てつく冷気をまとわせ、風の渦巻きのようにしか見えないエリューション・エレメントを殴りつける。風の一部が凍り付きそこだけ大気が動かなくなる。だが、それも気流の中心にいる由里香には届かない。大気のエリューション・エレメントは守護天使の様に由里香の身体を完璧に守っている。だが、その心には関心はないらしい。ここで待機していた武雷が動く。全身の膂力を爆発させて放った重い一撃は風を押しつぶすように剣で打ち据える。 「何故人は過ちを繰り返すのか。駄目だとわかっていならが……」 誰の心の中にもどうしようもない駄目な部分はある。だが……と、後方にいた『誰が為の力』新城・拓真(BNE000644)は全身に闘気をみなぎらせ、攻撃力をアップさせ、同じく退き気味の位置に立つ『水底乃蒼石』汐崎・沙希(BNE001579)の活性化された癒しの力の源が体中に満ちあふれてゆく。更にりりすは幻影でエリューション・エレメントを翻弄しつつ鋭い攻撃を加えてゆく。 「ららら~」 歌詞のない歌の詠唱でティトは清らかなる存在へと訴え、癒しの微風が最もダメージを受けた文へと吹き、受けた傷が全快する。 「戦いながら由里香さんを説得するのは難しいと思います。退避していただくのが一番ではないですか?」 仲間を気遣いながらも翻弄するように繰り出される孝平のレイピア。その幻影が放つ攻撃は回避しづらい上に防ぎ難い。 「こわいって思う? 死にたくないって感じる?」 由里香を見上げて叫ぶ文の足下には僅かな明かりに影が揺れる。それが伸び上がり人の形を取るあいだも、夏栖斗はゴウゴウと唸りをあげる大気の渦へトンファーを手に飛び込んだ。 「なあ、知ってるか? 生きるって痛いし辛いことなんだよ! 誰だって同じだけど、それでも……それが生きてるってことなんだ甘えるな」 大気の渦、それは力の奔流だ。夏栖斗は根本に流れる力そのものを奪って傷つくいた自分の糧とする。 「邪魔な風を消す。始末はそれからだ」 後方から雷慈慟は極めて精密にエリューション・エレメントの中心ながら由里香には逸れる部位へと狙いを定め、狙った通りに渦の中心を撃ち抜いていく。その途端、明らかに渦まく大気の流れが強く荒々しく変化した。 「燃え尽きやがれ、風野郎!」 再度火車が炎をまとって燃える拳を大気のエリューション・エレメントへと叩きつける。敵の風に斬られた傷はあるけれど、さしたる怪我ではない。火車の動きは変わらない。 後方からグレートソードを抜きはなった途端、桐の手元から由里香へと向かって真空の刃が生じる。だが、それも守護者である大気の渦が自分自身と相殺してゆく。 「死にたいならそこで守られていないで出て来て下さい。死に方はどうあれ結果は同じじじゃないですか?」 感情のこもらない声で平然と桐が言う。ようやく由里香は自分が殺伐した戦場にいるのだと薄々気がつき始めていた。 「なにを? 一体貴方達はさっきから……これは一体どうなって……あっ」 「雷慈慟、危ない」 髪や服の裾を優しく揺らしていた由里香の周囲の風がドンドン力を増していた。何気なく視ていた敵の様子が変化していたのを武雷は察知し、警告を発する。エリューション・エレメントが放つ風の力は、由里香を守る事よりも雷慈慟だけを狙って風を集中させていく。巨大で鋭い見えざる刃が幾重にも重なり雷慈慟を斬りつけていく。腕も肩も横腹も腿や足先まで、一瞬で滅多斬りにされた雷慈慟はさすがにたまらず膝を突く。全身から流れる鮮血は夜闇に沈む断崖を赤黒く濡らし広がる。 「あんたもわかっとる筈とね。自殺は何回やってもうまくいかなかは、こうしてあんたを守っとるモンばあるからとよ」 強まる風に負けないようにと武雷は声を張る。今や強風にあおられながらも由里香は武雷の声に耳を傾けている。 「これ以上好き勝手をさせるものか!」 倒れた火車を庇う様に前に出た武雷と並び、守夜の凍える拳が再度エリューション・エレメントを撃つ。だが、敵全体を凍らせるには至らない。 拓真とりりすの攻撃が炸裂する中、沙希とティトは大怪我を負った火車へと全力で治癒の風を喚ぶ。 (火車さん、癒しは引き受けるけれど、無理はしないで) 沙希の声がスッと火車の心の中に浮かんでくる。 吹き荒れる風は押し寄せる波さえも押し戻し、木々は軋みをあげながら反っていく。分厚い風の防御に阻まれたリベリスタ達の攻撃はなかなかエリューション・エレメントに致命傷を与える事が出来ず、丁々発止とやり合う戦闘は思いがけなく長引いていく。 「この風だけは消し去ってみせます」 孝平の得物がエリューション・エレメントの気流のない中心点を狙って放たれ、文の全身から放たれた気糸が今度こそ完全に敵をがんじがらめに締め上げる。 「今だよ、みんな!」 チャンスを作った文の声がうなる風にも負けずに響き渡った。 「もういい加減にしろよ!」 エリューション・エレメントの気流は乱れ、もはや愛しい由里香を上空に留め置く事も出来ない。そこへ突進した夏栖斗が風のバリヤーを突き抜けて強く由里香の肩を掴んだ。 「何を……」 「生きるのから逃げんなよ! 誰かを巻き込もうとすんなよ。死ぬ事は謝罪じゃない。死なせた命の重さを背負って生き続ける事だ!」 魂の奥底から振り絞るような声。その声は本当に由里香には届いたのか。それとも届かないのか。 「あと少しだ。あともう少しで敵は倒せる。各員、力を振り絞れぇ!」 エリューション・エレメントの猛攻をほぼ1人で受け続ける雷慈慟が叫ぶ。武雷に庇われ、沙希やティトから惜しみなく治癒を施されているが、今も相当なダメージを負っているはずだ。 「どけ!」 「ああっ」 火車が夏栖斗を押しのけ由里香の殴りつけた。充分に力を抑えた一発だが、口の中が切れて血がにじむ。 「死にたいなら死ぬ努力を今、全力でして一人で勝手に死ね。一人が怖いならなら、今ココでオレがお前を殺してやる」 風に抗い強引に火車は由里香の襟元を掴んで締める。 「選べよ お前の決意を!」 「それとも、この風と一緒に死にますか?」 桐はオーラを雷気に変えて激しく放ち、捨て身の覚悟で体当たりをしエリューション・エレメントへと電撃を見舞い、静かすぎる口調で由里香に迫る。 もはやエリューション・エレメントは身体であり力である大気の流れ……風を制御出来なかった。荒れ狂う風はリベリスタ達だけではなく、由里香をも傷つけていく。 「危なか!」 武雷が由里香を抱きしめ背で庇う。だが、それが最期のあがきであった。フッと風が止む。風の音も止まり辺りには波が岩に砕ける音が規則的に響いてくる。 「……終わったんだな」 守夜はため息混じりにつぶやいた。 「わたし、帰るね」 素っ気なく言って文が背を向けた。由里香に関わる気はさらさらない。 「生きる気になりましたか? それともまだ死を選びますか?」 「さぁ選べよ お前の決意を!」 桐と火車は武雷の腕に抱かれていた由里香に迫るが返事はない。 「 死ぬくらいならオレの子を産まないか?」 「それは無理」 雷慈慟への返事は驚くほど素早い。 「死ぬんでもいい。だけどもう誰も巻き込むな」 「1人で全てを終わらせて下さい」 夏栖斗と孝平の声は果てしなく冷たい。 「もし、あんたがその気になりさえすれば……わしらと一緒に来るとよかよ。それが1番だとわしは思っとね」 武雷は優しい笑顔を浮かべると由里香を立ち上がらせる。 「きっと今度は幸せになれると信じて、やり直してみるんだな」 守夜も由里香を励ます。 「……ありがとう」 由里香の頬を暖かい涙が伝って落ちた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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