●人間賛歌I 人間を人間足らしめる最大の要因は理性であり、知性である。 人間は短くも長いその歴史の中で他の知的生命体の及ばぬ――少なくとも銀河辺境の青い星の常識の中では例外の――高度な社会性を作り上げ、この世界を我が物顔で治めているのだ。 人間を人間足らしめるのは理性であり、知性である。 人間は人間であるが為に――『人間らしい』自分を求め続けるだろう。『人間という特別』に生まれついた誰もが、『それ以外』に成り下がる事を良しとはしない。 「あ゛ぁ、あ……」 口を突いて出た獣じみた悪声と生臭い息に『彼』の頭は酷く痛む。 『彼』はもう間近に迫る眩闇に自分が抗し得ない事は知っていた。しかし、意識の淵に僅かにこびりついた『人間性』を放棄する事が最良の手段と知っていても安易にそれをする気にはなれない。そうする踏ん切りはつきはしない。それは彼が人間として長い時間を過ごし、その意味を知るからに他なるまい。誰かと触れ合った日々は、暖かい交流は、人としての幸福は、振り返ってもそれを再び手にする事叶わぬ『彼』にとって呪われた鎖に違いない。諦め、振り切れば楽になれるのに。それを許さない、世界の悪意。 胡乱と撹拌された無茶苦茶な思考の中に光は差さない。 眩暈にも似た、吐き気にも似た、熱病にも似た――兎に角総ゆる病をごったに煮詰めたかのような居心地の悪さは『彼』を一秒毎に苛んでいる。 「……そが、クソがぁ……ッ……!」 辛うじて吐き出す事に成功した『悪態(いみのあることば)』に『彼』は僅かに安堵した。まだ、辛うじて自分は『人間らしい』。 されど、その心には再度の責め苦。 波が引き、再び寄せるように『彼』に降りかかる災禍の拷問は止みはしない。 切れ切れの理性を縫い止めるのは間違いの無い無駄な努力。 既に失われた運命は川を流れる木っ端に遡る事を許さず、人間なる存在の領分は元よりそれを可能とはしていない。 捨ててしまえば楽になる。 人間で無ければ、苦しむ事も無かろうに。『たかだか人間である事』に拘らなければどんなに楽に終われる事だろうか? 「おあああああああ……!」 何度目かの、絶叫。 人気の無い冬の山。見渡す限りの冬枯れの木立を揺らすように『彼』は吠えた。全く、人間の声とは思えないそれだった―― ●人間賛歌II 「はい、そんな訳でお仕事でっす」 『塔の魔女』アシュレイ・ヘーゼル・ブラックモア(nBNE001000)はブリーフィングに集まったリベリスタにそんな言葉を切り出した。 「今回のお仕事はノーフェイスの討伐。フェーズは3、かなり強力な個体ですね。 ええと、データによれば彼は一度アークと交戦の記録がありますね。 ノーフェイス識別名『八巻脩平』。皆さんが直接ご存知かは知りませんが、元はアークのリベリスタだったようで――」 アシュレイの言葉にリベリスタは少し苦く頷いた。 元々アークのリベリスタとして対神秘任務に従事していた八巻脩平は戦いの中で運命を失い――ノーフェイスへと成り果てた。そうはならず死ねればまだ良かったのかも知れないが……『不幸な事に』永らえてしまった彼は死と滅びの運命を否定し、アークの追撃をかわして何処かへと姿を消していた。その消息が知れたのは実に半年振りの事となる。 「……進んでしまったのか」 「ええ。見ての通りです」 頷いたアシュレイが端末を操作するとモニターの映像は遠い『彼』の姿をクローズアップして映し出した。 サイズを二倍近くにも肥大化させた彼の纏っていた『洋服らしきもの』は既にボロボロに破れている。覗く肌は緑色と肌色にマーブルし、何処か奇妙にぬめっている。髪は抜け落ち、目は異常に落ち窪み、洞の奥には爛々と輝く赤い光が点っていた。耳まで裂けた口からは奇妙な肉鞭がぞろぞろと這い出し、全身からも伸びた同じ触手が無様に汚れた液体を滴らせながら膨らんだ頭を垂れていた。 「……まぁ、フェーズ3って感じですね。取り返しはつきません」 アシュレイの嘆息にリベリスタは苦笑いを返した。 他人の運命を刈り取る仕事の中で――自らの運命を失った脩平の現在は、ある種リベリスタに加えられた悪罵のようなものである。 脩平の零落は決してリベリスタにとっての他人事では無い。彼のおぞましい現在は彼等にとって何れ訪れるかも知れない未来ですら、ある―― 「仕留めてやるべきなんだろうな。誰にとっても」 「そうある事を望みますねぇ。私としてもそれをお勧めしたいと思いますよ」 アシュレイは少し含んだ調子で言った。視線を向けて意思を問い質すようにしたリベリスタに彼女は言葉を続ける。 「この方、どうもまだ微妙に『人間』なようでして。 強靱な意志の為せる業でしょうか。それとも執着が、人間の業がそうさせるのでしょうか。完全には染まり切っていない。どうしたって取り返しのつかない手遅れでありながら、まだ幾らか元の人物の人間性を保持したままなんですね。記憶もあれば、思考力もある、低下しているとは言え、或いは理性だってそこにある」 八巻脩平はリベリスタの正義を、己の過去を否定して逃走した。 破滅的運命を理解しながら、滅びを否定した――生き永らえる事を選んだ彼は執着のままに最後の時間にしがみついているのだ。それが最大の苦痛と、最大の責め苦を生み落とす事を理解しながらも。『それを自分では辞められない』。 「日本の言葉に『武士の情け』ってのがあったと思います。 丁度こんな状況って……そんなのに当て嵌まったりしませんか?」 鏡を見た彼は何を思うのだろう。 水面に映るおぞましき化け物を彼は何者とするのだろうか? リベリスタは胸の奥に蟠った吐き気を大きな息と一緒に吐き出した。 ――眩闇は哀れな運命を歓待するだろう。せめて、彼に赦しを、光を。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年02月10日(金)23:50 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●眩々 人の歩みとは幾多の不遇なより歪な『最良』を選ばんとする事それそのものである。 始めから存在しない幻想福音(こたえ)を暗闇に求める続けるその様は、神なるペテン師の嘲笑を甘んじて聞くようでは無いか? ――――『疾く暴く獣』ディーテリヒ・ハインツ・フォン・ティーレマン ●ロス・タイムI 「さても、不具合ばかりの目につく世の中じゃ」 『陰陽狂』宵咲 瑠琵(BNE000129)の美貌がその見た目にそぐわない年輪を感じさせる溜息を吐き出した。 此の世の不出来を何処の誰が侮蔑したとしても、嘲りと悪意に塗れたこの世界が万人に優しく在る事等無い。 どのように生まれ落ちたかで――人生(せい)はこの上なく不平等極まりない癖に、おかしな所では公平を気取りたがるものだ。神の前の平等等というおためごかしを父の敬虔な信徒ならぬ多くが信じられなくなる程度には世の中に格差が溢れている割には、持てる者も持たざる者も、金持ちも貧乏人も、善人も極悪人も。望まぬ運命の切っ先をその喉に突きつけられる事はあるものだ。 「人が人である為には、人に人と認めて貰わねばならぬ。何せこの世界の支配者どもは異端を極端に嫌うからのぅ。 全く、さしものわらわも辟易ものじゃ。この身に血が通えば、多少はモノ思う事はある故な」 冬の山林の中に異常な存在感を見せる目前の――『怪物』に視線を投げながら瑠琵は言った。可憐な花弁のような幼気な唇を僅かに綻ばせた『少女』から漏れる感情は、それへの侮蔑にも、自嘲の笑みにも、嗜虐にも、憐憫にさえ思える複雑な色合いを織り成していた。 「人のなりの革醒者とて、同じ事。ましてや――最早、人の形すらしておらぬ者を誰も人とは認めはすまい」 言葉は残酷にして……余りに決定的な事実の通達である。 「こんにちは、八巻さん。貴方を助けに来たの。余計なお世話かな? でも……ここで止めないと、いけないから……あんまり暴れないで欲しいの」 『なのなのお嬢様なの』ルーメリア・ブラン・リュミエール(BNE001611)以下、十人のリベリスタ達に下された今日の任務は、ノーフェイス・フェーズ3識別名『八巻脩平』の撃破――至極単純なものだった。 気を使うべき一般人も居ない。回収するべきアーティファクトも無い。その背後に何らかの黒幕の思惑が存在している訳でもない――リベリスタの為すべきは徹頭徹尾分かり易く、化け物に身をやつしてもこの世と生にしがみつく哀れな元・人間の始末をつける事のみである。 唯、そこに何らかの特別な意味を見出そうとするならば―― 「これが運命を使い切った者の成れの果てか? 命をかけて戦い続けた返礼がこれか?」 「……ケリは付けるわ。今度こそ」 ――それは「私もいずれはこうなるのか?」その言葉は喉の奥に飲み込んだ『ナイトビジョン』秋月・瞳(BNE001876)の声色と、唇を噛み、喉の奥から声を絞り出すようにして呟いた『抗いし騎士』レナーテ・イーゲル・廻間(BNE001523)こそが物語る、と言えるだろうか。 (……それでも私には抗い続けるしか道はないんだ。あの人から受け継いだこの命と運命を守る為に) 「でも、これ以上、永らえさせないのも……後輩の責任だと思ってるから」 瞳は内心で自分に言い聞かせ、一方のレナーテは届かない事を覚悟で『怪物』に静かに語りかけた。 ……咆哮を上げ、山間の静けさを引き裂いた八巻脩平は元アークのリベリスタである。 プロト・アークからアークの任務に参加し、多くの戦いを経験し、多くの戦果を上げた彼は繰り返した激戦の果てに――不幸にもフェイトを喪失し、ノーフェイスへと成り果てた。元々仲間だったリベリスタ達に今度は『問答無用に狩られる立場になった』彼は、唯死ぬよりも深い暗闇の先に自らの正義の意味を見失った。『同様に何の迷いもなく誰かを処断してきた過去』を決定的に懐疑してしまった。あくまで此岸にしがみつき続ける事を選んだ彼は対処にやって来たアークの部隊と幾度と無く交戦を繰り返し、撃退し、遁走し――果て、今に到るという訳だった。 写真で見た脩平の顔立ちは整っていた。社交的でそれなりに人に囲まれ、良く笑っていたという。 「最悪ね」 ……荒涼とした風の中佇む今の彼のいでたちは全く何処を見ても人間らしさを留めては居ない。或いは完全に喪失しようとしている。 人間性の溢れたかつてを知ろうとする程に居た堪れない現実(いま)は少なからず少女の心を寒くした。 「……最悪の気分」 『ソリッドガール』アンナ・クロストン(BNE001816)の表情が何時に無く、硬く厳しい。 「月並みな言葉に迎合する趣味は無いけど――確かに神様なんてものが居るのだとしたら、大した薄情か悪趣味だわね」 「ああ……」 背筋を這い登る寒気は身体を芯から冷やそうとするような山の冷気の仕業では無い――アンナの言葉に短く応えた『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)は膝が僅かに震えたのを自覚した。 (リベリスタにとって――とても他人事と言える話じゃない) それは幾らかの『不運な可能性』の先に自らが引き当て得る、知りたくも無い未来予想図に他ならない。 (彼が迎えた今日は、僕の迎える明日なのかも知れない。明日、僕が運命を失くさない保証なんて――何処にも無いんだから) 橙色の両目が見つめる常識の世界は不安定極まりない朧である。 ほんの薄紙一枚を隔てたその先に蔓延る神秘達は常識の世界の当たり前の平和を侵さんとその牙を磨いている。悪意の有無、その意図に関わらず侵略が起きれば燎原の火の如く。多くの命が失われ、多くの運命が惑うだろう。故にリベリスタは戦うのだ。妥協無く、時に情さえ無く。子供の命乞いする母親を薙ぎ倒し、死にたくないと嘆く善人の魂すらも磨り潰し。悠里も、化け物と成り果てた脩平もそれは同じだった。 故に彼は考えるのだ。守るべき世界が、感情を犠牲にしても守り続けてきた世界が自らと決別した時、自分が何を思うのかを――共に在りたいと望む友人と、家族と、恋人と――自分が決定的に『違えて』しまったなら。それはどれ程の恐怖で、絶望なのだろうかと。 ――か、ハッ―― ……酷く苦しそうな息が漏れる。 人為らざるその身が吐き出す呼気は人間のそれに数倍し、ノイズのように空気を揺らした。 ――しょう、懲りも無く……まだ、うろつくのか。リベリスタ―― 細い理性をより合わせるように繋いで人間の言葉を紡ぐ脩平は自身に対して布陣を展開したリベリスタの意図を正確に察していた。 当然と言うべきか彼も繰り返した出来事なのである。『此の世を侵すノーフェイスは例外なく駆逐されなければならない』。 「当然だ」 洞のように落ち窪んだ両目の奥より血走った赤い眼を光らせる脩平に短く答えたのは『紅炎の瞳』飛鳥 零児(BNE003014)だった。 「俺は自分の意思でアークにいる。偶然拾い直したこの命を、意味あるものにするために。 あんたは何で戦ってた? 何を護りたかったんだ? 漠然と、言われたから戦ってたのか? 今のあんたじゃきっと何も護れない。そうなる前に何を守りたかったのだと――しても」 どれ程の同情を向けたとしても、どれ程の嫌悪を向けたとしても――意味が無い事を青年は知っていた。 運命の喪失は世界との決別である。事これに及べばリベリスタに出来る事は少なく、彼がそれを簡単に受け入れない事も又知れていた。 なればこそ、彼は言葉を飾らない。元より交わらぬ線と線が交わる時間があるとするならば、それは。お人よしなリベリスタが『救い』と称し、脩平自身が『綺麗事』と唾棄する決着の瞬間ばかりであろう。 「既に……体は……人では……無くなっていても……心は……人で……あり続けよう……としている……」 エリス・トワイニング(BNE002382)の言葉に何処とない苦味が混ざっていた。 「ただ……我武者羅に生き続けることを……選んだ……結末。 自分が…選んだ……しがみ付いた……生の……終端が……それなのね。 エリスには……今も……どれが……正しいのか……難しい。 それでも……どうしても……知りたいの。 貴方は……今も……『人間』……なのか? 貴方は……今…その手に……何を……掴んで……いるのか?」 ――ンゲンか、どうかが重要か? 俺は、人間だろうと、そうでなかろうと……俺は八巻、脩平だ――! 苦鳴そのもののような声。 血を吐くような声は彼がそうしている間にも苛まれる痛みの質を物語る。 唯、精神に寄る問題を超え。崩壊は進んでいるのだろう、この瞬間さえも、容赦無く。 「決着をつけよう、八巻」 白銀の刀身に赤いラインが輝いた。 大振りの剣をその両手で携えて、『赤光の暴風』楠神 風斗(BNE001434)の静かな言葉に闘志が燃えた。 是非も無い戦いの時間。存在意義(レゾンテートル)を互いに問う争いらしき争いは、そう長くの猶予をこの戦場に赦さない。 「以前はそう、守るべきものは向こう側にしかないと思っていた。今は、違うから。世界は、きっと繋がっているから――」 暗いグラスの向こうの青い両目が世界を視る。 『レーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)の言葉は宣誓。宣誓で、布告。 「――貴方を、倒す」 ●誇りか? 悔いか? 「先輩、覚えてるか判らないけど――おせっかいがまた来たわよ」 不敵なレナーテの笑みは果たして彼女の心情を正しく表したものだっただろうか? かくてノーフェイス八巻脩平とリベリスタ達の戦いは始まった。 脩平自身もその性能を良く知る『万華鏡』の力は大きい。フェーズ3を獲得し、絶大とも言える能力を備えた自分に対しても憶さず、『予めある程度の答えを知っているかのように』有効な形に戦力を展開させたパーティに彼は小さく零した。 ――相変わ、らず。テキにし、て初めて分かる…… 人間離れしたその顔立ちが形作る苦笑は苦笑と判別するのも難しかったが、奇妙に人間めいている。 「さあ、行こう――!」 素早い動作で脩平に向けて間合いを詰めたのは悠里、そして彼に応えて動き出した前衛達。 動き出したパーティの何れもがまずは悪い足場に頓着していない。小さく頷いた瞳の与えた翼の加護は低空を滑るように飛ぶリベリスタ達の動きを良く助けている。 脩平の特に強力な攻撃レンジは近接である。彼の巨体を万全に阻むには少なくとも三人がかりで食い止める必要があるという前提を元にパーティは戦力を振り分けた。即ちフロントに立ち積極的に彼を食い止める悠里、レナーテ、零児等を前衛に、危急の際は前に立つ事も出来る風斗、式符・影人を従えた瑠琵を中衛交代要員に配し、残る彩歌、ルーメリア、アンナ、瞳、エリス等が後衛より火力と支援を展開するという構えである。 (まずは、敵を探る――!) 敵への憐憫も、不遇な運命への恐れもいざ戦いが始まれば既に彼方。金剛を身に纏った悠里は握り締めた拳に、白く輝くガントレットに凍て付く氷気の渦を纏う。一直線に飛び込んで叩きつけんとするは、猛る巨体。永劫飢える枯渇の姫をも縫い止めた彼の武技は一流のもの。 おおおおおお……! されど、敵の反応は飛び込もうとした彼にも増して尚鋭い。 まずはオーソドックスな布陣は脩平からしても想定の内だったのだろうか。向かってくる前衛達を彼は先刻承知で迎え撃つ。 リベリスタが万全の型を整えるより早く攻撃を仕掛けかかるよりも圧倒的に早く。先手を撃った脩平はその全身からぬめる麻痺毒を湛えた無数の肉鞭をリベリスタ達へと解き放つ。 「……このっ……!」 銀のガントレットがすんでで肉鞭を弾き上げる。しかし威力の余波は少なからず悠里の姿勢を崩しかかる。 「流石に、簡単にはやらせないか――!」 「そんなものよ、今日の相手は」 彼が咄嗟に視線を配れば周りの状況は大差無い。一撃を食った零児が動き奪われ地面に降り立ちほぞを噛み、両の盾で受け流したレナーテが鈍重な痛みに眉を顰める。疾風怒涛のように展開される攻撃は唯の一度では終わらない。 「来るわよ、波状が!」 再び脩平の全身より伸びた肉鞭が次々と前に出た前衛達に叩き付けられる。 精度よりも鋭さに要点をおいた攻撃は成る程、堅牢なレナーテさえ貫く殺傷力を持っていた。 「食い止める――!」 乱れた態勢を押して肉薄した悠里が拳の氷気を叩きつける。 厚いゴム――タイヤを殴ったかのような手応え。彼の技量は確かに脩平を捉えていた。氷気が張り付き彼の動きを阻害する。 「……今、治す……」 動きの速さを生かして早晩痛み、動きを阻まれた前衛達のフォローを果たすのはエリスである。 彼女の詠唱はこの世界に希薄に存在する『神聖』への呼び掛けである。 少なからぬダメージを負った三人の前衛を賦活した彼女は地面の上でびちびちとのたうつ『彼』の触手に視線をやり、睫を伏せる。 更にはアンナが動き出した。邪気を払う光は、動きを縫い止められた零児を邪魔させじと解き放つ。 胸の奥から湧き上がる『何か』――正しく呼び名の無い理由と感情――に柳眉を吊り上げて、彼女は叫んだ。 「化け物の『フリ』しても無駄よ八巻脩平! 会話する理性ぐらい残ってるでしょうが!」 ――は、今更、何を話、す……!? 「エリューションに飲まれたら相手がノーフェイスかすら関係無い、周りを巻き込み続けるだけの化け物になる! アンタの嫌いなリベリスタ以下の存在に成り果てるのよ! それでいいのか!」 アンナは一層声を張る。 「……アンタ、後悔してるって言ったわね。 もう少し、今まで殺してきた人達に構ってやればよかったって。気にしてやれば良かったって。 そうよね。人間誰だって死にたくない。 どうしようも無くても頭捻って後の事考えて。そこまでやるのがリベリスタ。 アンタの後悔は正しいのよ。その後悔はここに居る人間が伝えて行く。だからアンタは……」 鼻の奥がツンとした。言葉が鼻声になる。凛とした少女は居住まいを崩さず、感情を露に怒鳴った。 「ふざけるな。無駄じゃないから死ねとか。楽になれとか。結局、結局それしかないじゃない! ……くそ……くそぉっ! 神秘もエリューションも大ッ嫌いだ! 好き放題に人間を振り回してっ――」 レンズの奥の瞳が一杯に涙を溜めていた。頬を大粒の涙が伝い落ちた。 「泣いてるわよ、文句あるか!」 「あんたには、戦いに参加せず、平和に暮らす選択肢もあった筈だ」 声と共に白銀の刃が軌跡を描く。宙空に赤いラインを引いた風斗の刃は不可視の真空刃と化して脩平の巨体へ突き刺さった。 「だが、あんたはそうしなかった。それは何故だ? あんたが戦っていた動機の中には、あんたが今恋焦がれ、手放したくないと思っているものを護ろうという気持ちは、無かったか?」 大きく息を吸う。未熟な少年は未熟が故に、彼に言う。 「確かにこの世は残酷だ。だが、それでもこの世界にオレは価値を見出している。 だからオレは、それを護るためにこうして戦っている。あんたにもあったんじゃないのか? そういうものが――」 ……今は眩闇に身を落としていたとしても、かつての彼は己の正義を持っていた。 風斗の言葉は『リベリスタにとっては』当然の事。彼の言葉は全くもって、正しすぎる青さに満ちていた。 ――だから、どうした? 過去の俺が誰かを助けたかったとして、何かを守りたかったとして。それがどうした? しかして。彼が悪罵するのは過去の己。己の過去。即ちそれはリベリスタ。 リベリスタの理屈をモノを言ったとて、聞く耳持たぬと決めた彼には届くまい。決して。 ――綺麗事を並べてくれとお願いしたか? 理屈を並べて惨めな化け物を見下ろし、綺麗な御自分を肯定するのは楽しいか。 過去の俺が守りたかった何かを肯定し、今の俺が守りたいこの俺自身を否定するのか。青臭いペテン師め! 言葉は恐らく誰よりも先に脩平の人間性自体を、誇り自体を傷付ける。 彼の呪いはリベリスタに向いているようで、まず己自身に向いている――それは事実。 リベリスタの必死の呼びかけが皮肉に八巻脩平の『人間性』を補強していた。 思考する苦痛、人間である事に苦痛に苛まれていた彼に幾らかの力が戻っている。 幾ばくか人間らしさを取り戻した声――明瞭な言葉は彼の状態を何より如実にパーティに告げていた。 「貴方はどうしてそんなに生に執着するの……? 人間だから? それともただの生存本能? 人間として生きたいのであれば……もうこの辺で終わりにしない、かな……これ以上がんばっても、貴方はもうすぐ人として死んでしまうの!」 ルーメリアの言葉が悲痛に響く。 少女の言葉は何処までも少女にとっての本音で、優しさで、全く嘘偽りの無い真実の想いに違いなかった。 だが、のたうち苦しみ、既に助からないと誰もが理解しながらも、それでも生きたい――そう願う姿はある意味で何よりも人間らしい。人生(せい)の斜陽を迎え、今まさに闇に落ちていく一人の男には――彼女の口にする『美しいもの』が解し得ない。 「ルメも死ぬのは怖い。まだやりたい事だってあるし、十一年しか生きてないし…… でも、いざとなったら……覚悟はできてるの。誰かの心に残り続ければ、それは生き続けてるんじゃないかなぁ……って!」 必死の訴えかけが諦念に染まった凪の心に波紋を生む。 ――たかだが十一年の生、それもたっぷり先の残った人生。 楽しいだろうなぁ、希望に満ちてるよな? なら、俺の姿をしっかり見とけ! 空気を震わせるのは怒号、慟哭。 「誰にも知られずに消えるのが怖いんだったらルメが覚えてる! 貴方にも、きっと仲間がいる。貴方の事、心配してたイヴちゃんや一緒に戦ったアークの仲間だって、きっと覚えてるの! 獣として生き延びるか、ここでルメ達に助けて貰うか! 選んでよ、『八巻脩平』さん!」 パーティの縋るのは誇り。 人間としての誇り。リベリスタとしての誇り。脩平の誇り。 しかし、それはある意味で最も頼りがいの無い細い細い糸だった。 彼は過去の自分と決別している。運命を憎み、綺麗事を呪い、『唯人間である事を肯定している』。 果たして――単純極まる設問である。『普通の人間が尊厳のある死を容易く受け入れる可能性』が如何程あるか。 ましてや彼は正義の果てに望まぬ運命を架せられたのである。自身が守ったこの世界で、生存権を主張する『唯の生物』に他ならないのだ。 ――ハ、ハ! 『助けて貰う』ね。『助けてくれ』なんて、俺が言ったか? 唯構うなという望みさえ叶えない。人間様の、リベリスタの上から目線で化け物を哀れんでいるのだけの、お前達に――昔の俺に何が分かる? ああ、いいさ。選べと言うなら選んでやる。動物が生きたいと願うのは当たり前だ。 無様な俺は、果ての果てまで生き延びる――誰が、死んでやるもんかよ! 「喪失への恐怖、生存欲求、生き物として当然だな。 だが、俺はそれを人間らしさだとは思わない。 人間は欲求を抑えられるし、それが人間らしさであり理性だろ? 理性じゃあんたは――死ぬべきだとわかってたはずだ。あんたは自ら死を受け入れることでしか人間に戻れない」 ――それが説得の心算ならそれこそ悪い冗談だな? 零児の言葉を『不器用に』鼻で笑う。『誰よりも人間らしい』脩平は彼等の想いを理解しながら、理解しているからこそ中途半端な言葉を選ばない。 彼は自身に向けられた――彼の言葉を敢えて借りるならば――『青臭いペテン』がその実、彼等の優しさから生み出されている事を知っている。 ……だからこそ、赦し難い。だからこそ、承服し難い。深淵を覗き込み、身も心も醜悪な化け物になってしまった――それを受け入れられない自分が恨めしい。さりとて、二律相反の中心の天秤はそれでも生存欲求に傾いている。原初の、業。 「そうね、世界を、私達を、憎めばいい。それは人間としての貴方でしょう」 溜息に似た吐息を吐き出し、彩歌は呟いた。 「人間は、一人で戦い続けられる程、強くないもの。逃げ続ける事が出来る程、強くはないもの」 論理演算機甲が鮮やかに吐く光の鋼線がバラバラと拡散し、収束する。見事な狙いで巨体を貫いたそれに脩平の本能が憎悪の声を上げていた。 「でもね、今。どんな時より悪意をもって。どんな仕事よりも辛辣に。私は貴方に告げましょう。 崩界を防ぐだけならどんなリベリスタでもしているわ。今この場にいる私達にしかできない事があるとすれば。それは――貴方を救う事だけよ。 どれ程の傲慢と謗られようと、どれ程貴方が私達を憎もうとね。私達は、間違いなく。貴方を救う為にここに来た――!」 彩歌の声が空気を切り裂く。 鋭き刃より、意志の篭った矢より、溢れん魔力の織り成す魔術より『獣』を抉る。 (今一度思う。私は、何も失ってなどいなかったのだ――!) おおおおおおおお……! 咆哮は憎悪か、それとも絶望か。 対象さえ知れぬ想いの迸りは人間の言葉の形を成す事は無かった。否、より厳密に言えば脩平はそれさえ望まなかったのだろう。 戦いは続く。あくまで続く。縦横に脩平の肉鞭が伸び、絶望が物理的重圧と化してリベリスタ達を叩きのめす。 対抗するのはルーメリアであり、アンナであり、瞳であり、エリスだった。 「簡単に折れる訳にはいかないのだ」 瞳は歯を食い縛り、敵を見据える。 スコープ越しに視る世界は気のせいか暗く、暴れ回るそれは名乗る通りの怪物にしか見えなかったけれど。 (お前は確かにバケモノだろう。だが程度の差はあれ私も十分バケモノだ。 バケモノである事と人間であることは矛盾しないと私は思う。 たとえ、姿形が異形であろうと心が人であり続けようとしている限り、それは人間だろう。単なる私の願望かも知れんがな――) 矜持がある。信じる何かがある限りは。 「先輩、まだ『後悔している』のかしら? だったらずっとしてるといいわ。それが出来るのは『人間』だけよ!」 火力足る零児を庇う格好で盾を構えたレナーテが肉薄した脩平に言葉を向けた。 「でもね先輩、やっぱり過去は否定しては駄目 でないと、先輩は……運命を失ってまで何かを守ろうとした『八巻脩平』は本当にタダの化け物に成り下がる!」 ――化け物結構! 生憎と力が有り余っているんでな、殺せるモンなら殺してみな! 「……っ!」 レナーテが息を呑む。極僅か――感情的な綻びを見せた彼女に代わるように剣を携えた零児が前に出た。 彼女に守られた零児は爆砕の戦気を身に纏い、十分な集中を重ねてそこに立っていた。 「ここからは八巻脩平の撃破じゃない。相手は唯のフェーズ3――ノーフェイスとそう思え!」 せめて伝われと無念の滲む零児の宣言は絶対的な意味を持っていた。 彼が両手で握り締めたバスタードソードには全てを破壊せんとする絶対的な鬼気と威力が込められている。 鈍重とも言える巨体に一撃を振りかぶった彼は裂帛の気合と共にその一撃を振り下ろす。 まさに閃光(フラッシュ)と呼ぶに相応しい鮮烈な斬撃は『万物に生と死を占う果断の一撃(Dead or Alive)』。 「これでもか、ノーフェイス!」 右肩口より胴までを切り裂かれた脩平は絶叫するが、声の通りこれを倒すにはまだ遠い。 「この、……! ……化物! お前はもう、人間じゃない!」 悠里の言葉から血が飛沫く。澱み無く全てを告げるに彼は余りに未熟過ぎ、彼は余りに優し過ぎた。 戦気を帯びた迅雷の武踏が巨体を翻弄する。次々と急所を打ち据える。 お返しと幾度も叩きのめされた彼の意識が白く途切れかかる。 (運命を燃やす戦い。今、この瞬間にも僕も化物になるかも知れない。それを何度想像したか分からない――) 崩れかけた膝がすんでで力を取り戻す。彼の足は強く地面と土を噛んだ。 (それでも僕は守りたいものがあるから。失いたくないものがあるから。だから両手を握り、立ち上がる――!) 一声は余りに鮮烈。 「負けたくないんだ! 弱い自分に……!」 されど全く恐るべき体力、恐るべき敵。 死力を尽くす戦いは、手厚い支援はパーティ側も同じ事。長期戦は余力をやがて減じさせていく。 「全ては、遅いの……?」 敵を『視た』エリスの言葉が虚しく響く。 彼の能力は低下していない。圧倒的な破壊力と耐久性、継戦能力を誇る彼にパーティは否が応なく押されていた。 「……無理、なの……?」 人間の肯定、ないしは否定。 パーティの『想い』は『戦闘行動』程に機能する事は無かった。 どれ程、互いの理解を望もうと――尊重を望もうとすれ違う『人間同士』のやり取りの例に漏れず。 元は同じ形をしていた筈なのに、パーティと脩平はこんなに遠い。 魂の色も、形も、運命も。分かり合うには余りにも道を違え過ぎてしまったのか―― 息を呑むような時間。苛烈な攻撃を応酬し、戦闘を繰り広げながらも――場はそれ以上に罪と罰を積み上げる両者の言葉に慄いた。 されど、パーティは諦めない。少なくとも瑠琵はその雰囲気も華やかに、目の前の敵に高笑う。 「全く、頭の痛くなる程度には――正論じゃ! 話し合って解決する類の主張でもあるまい。 無貌狩りこそ我が宵咲の本分、やるべき事は元より早く、唯一つ……」 口の端を奇妙に歪めて童女にしか見えない老女は云った。 「リベリスタ『八巻脩平』の総てを肯定し、罪を赦す。 ノーフェイス『八巻脩平』の総てを肯定し、その罪を赦そう。 さりとて……ノーフェイス『八巻脩平』がリベリスタ『八巻脩平』の正義を否定する事は赦さぬ。 リベリスタの罪はリベリスタのもの――お主のものではない。 有体に言えば虫唾が走る。わらわの罪はわらわのもの。誰にもやらぬ、誰にも渡さぬ」 瑠琵の天元・七星公主が獣を撃つ。 彼女の影達が陰陽狂のその奥義を織り成した。 黒い式符は宙を舞い、不吉な羽を場に散らす。 「退け、『ノーフェイス』! お主の罪は世界を侵す存在そのもの――その身を以て償え!」 ●ロス・タイムII 「……こんな姿になってまで『人間』だなんて、あるわけ無いものね」 それを口にしたレナーテに去来した想いはどんなものだったのだろう? 「今のあんたは『世界の破壊者』なんだ。存在しているだけで世界を、あんたの大切なものも含めて破壊してしまう!」 声も枯れよと風斗が叫ぶ。喉よりも先に何かが裂けそうになる程、望まぬ言葉を彼は叫んだ。 「その姿、その声、今のお前の思考は――本当に人間らしいと言えるのか!」 愚直に。 愚直に。 只管、愚直に。 デュランダルを振るうデュランダルは届かぬ言葉を繰り返した。 彼だけではない。誰しもが不具合な程に旺盛に燃える八巻脩平の生を消し止めんと死力を尽くした。 「これで――!」 悠里の一撃が肉を抉った。 「せめて――ここで……」 「……クッ……!」 想いは言葉だけでは無かった。瑠琵は、ルーメリアは、零児は、危険を承知で運命の歪曲を天に願った。 ……しかし、安直な救い等起こらない。『神なる者』は大多数のケースと同じように今日の運命を見殺した。 「こんな運命なんてクソっくらえだ! いつか……いつか必ず……!」 いつか、必ず。 最後まで口にしなかったアンナの中を焦がすような決意は本物。 「まだ保ちなさいよ私……!」 噛み付くように自己を鼓舞する――何時に無く感情的に自己を叱咤するレナーテの決意は本物。 しかし、この世の出来は余りに悪い。 正しき望みを望みと叶えぬ悪意ばかりが目に付いた―― 暴れ狂う暴威の嵐に次々とリベリスタが薙ぎ倒された。機転を利かせた瑠琵の影人がこれを幾らかは食い止めるも。 ついぞ答えを得る事は無かったエリスの肩が揺れていた。 それは戦いがどんな局面を迎えたかを余りに如実に告げている。 「お前は、自分をどう思う?」 瞳は問う。果たしてそれが彼の肯定になるのか否定になるのか、彼女の中に答えは無かった。 マスターテレパスは彼に彼の姿を見せる。水面を覗けば分かる余りに手酷い深淵は脩平の口元に奇妙な形の笑みを作り出すのだ。 ――出来れば構うな、リベリスタ。次は、生きる死ぬに、なる―― 林の奥に無貌の男は踊り出した。 誇りも何も捨て去っても、捨て去ったとしても。 目前のリベリスタを倒そうという気が無かったのは――彼の『一滴の良心』と呼ぶべきなのだろうか? それとも諸々を捨てても獣性に身を委ねる事が出来かねる『無様な未練』とするべきなのか。 「――答えは無いな」 瞳の言葉がやがて静けさを取り戻した森に虚しく響く―― |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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