●天使の声で囁く悪魔 食卓の上に並べられた夕食は、すっかり冷め切っていた。 「うそつき……今日は早く帰るって、言ったじゃない」 植田加苗(うえだ・かなえ)は恨めしげにダイニング・テーブルの上の料理を見やり、大きな溜め息をついてリビングへ戻った。 結婚して三年になる夫は、いつも仕事で忙しい。今日も、きっと急な会議が入ったとか、そんなところだろう。どうにも内気で、外で働くことが苦手な自分が、望みどおり専業主婦を続けていられるのは、夫が一生懸命に働いてくれているからだと、理解はしているけれど――。 「ねえ……『ニック』はどう思う?」 加苗はそう言って、ソファーの隣に座るクマのぬいぐるみに語りかける。 「いつも通り、お仕事なんだろうけど。電話くらい、してくれても良いのにね」 『ニック』と呼ばれたクマのぬいぐるみが、子供のような声で答えた。最初に彼の声を聞いた時は、加苗も随分驚いたものだったが……今は当たり前のように、その事実を受け止めている。ずっと家に閉じこもり気味で、一緒に遊びに行くような友人もいない彼女にとっては、このクマを始めとするぬいぐるみ達が唯一の心の支えだった。 「大丈夫、加苗ちゃんにはボクがいるよ。なにも心配いらない」 隣から精一杯の背伸びをして、クマのぬいぐるみが加苗の頭を撫でる。加苗はくすりと笑って「ありがとう」と答えてから、クマのぬいぐるみを見た。 「いつも私のそばにいてくれるのは『ニック』だけ……」 ぬいぐるみの黒くつぶらな瞳が、加苗を見つめ返す。しばらく見詰め合った後、クマのぬいぐるみは、諭すように口を開いた。 「だから、さ。あの人はもう、いらない人なんだよ。この家には、加苗ちゃんと、ボクたちさえいればいい」 ――そう、思わない? 心の奥に忍び込むような、ぬいぐるみの問い。 ややあって、加苗が熱に浮かされたような表情で口を開いた。 「そうね……」 ゆっくりと立ち上がり、加苗はキッチンへと向かう。 程なくして戻ってきた彼女の手には、包丁が握られていた。 ――殺してしまいましょう。 ●全て壊れてしまう前に 「急ぎの任務になります。ブリーフィングの後、皆様はすぐに現場へ向かって下さい」 『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024)は、集まったリベリスタ達に軽く一礼した後、すぐに任務の説明を始めた。 「今回の任務は三体のエリューション・ゴーレムの破壊、そして現場にいる一般人の女性の保護。女性は現在エリューション・ゴーレムに操られており、本人の意識はありません」 和泉は片手で端末を操作し、スクリーンに必要な情報を表示させていく。 「現場は住宅地にある一戸建て住宅。女性とその夫の二人暮らしですが、このままでは女性はエリューション・ゴーレムに言われるまま、仕事から帰宅した夫を刺し殺してしまいます」 猶予は夫が仕事から帰るまでの数時間。なるほど、確かに急ぎの仕事に間違いはなさそうだ。 「夫婦仲は悪くなかったようですが、女性は夫の仕事が忙しく、二人の時間が持てないことに不満を抱いていたようです。そこをエリューション・ゴーレムに付けこまれたのでしょう」 手元のファイルをめくり、和泉はスクリーンの表示を切り替えた。一転して、可愛らしいぬいぐるみが画面いっぱいに映し出される。 「エリューション・ゴーレムは合計で三体。元は女性が大事にしていたぬいぐるみで、クマがフェーズ2、ウサギとカエルがフェーズ1になります」 女性を操っているのはクマのぬいぐるみで、ウサギとカエルはクマの命令に従って動くらしい。一般人を人質に取られているも同然な上、個々の能力も見かけによらず低くはない。くれぐれも油断は禁物だろう。 「以上です。皆様には至急の対処を要請します」 説明を終え、和泉はリベリスタ達に向けて深く頭を下げた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:宮橋輝 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年01月27日(金)21:27 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●箱庭への侵入 明かりのついた家が並ぶ夜の住宅街は、不思議と静かに感じられた。 家族の笑い声も、テレビの音も、家の壁と、それを囲む塀に遮られて、道路までは届かない。団欒は、それぞれの家の中で完結していた。 まだ新築の匂いを残した一軒家のガレージに、アルトリア・ロード・バルトロメイ(BNE003425)が来客を装い車を停める。多少騒ぎになったとしても、客が来ていると思わせれば近所に怪しまれることはないだろう。 周囲を見渡し、『黒鋼』石黒 鋼児(BNE002630)が結界を張る。事前準備に費やせる時間は少なかったが、出来る限りのことはしておきたい。『銀騎士』ノエル・ファイニング(BNE003301)は、ここに来る途中で通行止めの赤いコーンを道路に置き、家主の帰宅を少しでも遅らせようと対策を施していた。 今回の敵は三体のぬいぐるみである。『Endsieg(勝利終了)』ツヴァイフロント・V・シュリーフェン(BNE000883)は、金髪のショートカットから猫の付け耳を覗かせ、首からベルを下げていた。『誰かの鐘のココロノ・ベル』――ヌイ・グルーミ王国のベルを拾った少女が魔法少女として悪しき人形達と戦うという、ドイツの深夜アニメキャラクターの扮装である、らしい。 可愛さには可愛さで対抗し、敵の注意を惹く――『剣を捨てし者』護堂 陽斗(BNE003398)もツヴァイフロントと同様の狙いで、可愛らしいネズミの兵隊のかぶりものを頭にかぶっていた。全身を覆うタイプの着ぐるみは調達する余裕がなく、かぶりものでせめてもの代用である。 「悲しい事件を起こさせない為に、できる努力は全て行います」 たとえ、自らのプライドを投げ打つことになるとしても――彼の決意は、固い。 『ナイトビジョン』秋月・瞳(BNE001876)が、マスターテレパスを発動させて『何者でもない』フィネ・ファインベル(BNE003302)と自らの意識を繋ぐ。別働隊として動くフィネとの連携を行いやすくするための工夫だ。 フィネが玄関のドアノブに触れた瞬間、かちりと音を立てて鍵が開く。リベリスタ達は素早く家の中に入り、それぞれ行動を開始した。『赤光の暴風』楠神 風斗(BNE001434)が、玄関の鍵とチェーンをかける。自らの気配を遮断したフィネが、音も立てずに階段から二階へと駆け上がると、残る七人のリベリスタは真っ直ぐリビングに向かった。 「悪しき人形、見つけたぞ。ココロノ・ベルがお前を裁く!」 ドアを開け放ったツヴァイフロントが、アニメキャラクターになりきって決め台詞を叫ぶ。続いて、ネズミの兵隊に扮した陽斗が声を重ねた。 「ぬいぐるみは家族を癒すのが仕事! 乱暴はやめるでチュー!」 ●ぬいぐるみのプライド 「何だい君らは。人の家に勝手に上がりこむなんて、いけない子たちだね」 リビングに飛び込んできたリベリスタ達を見て、クマのぬいぐるみは興味なさそうに口を開いた。その隣では、虚ろな目をした女性――植田加苗が、包丁を手に立っている。 クマが片腕を軽く動かすと、壁際のサイドボードに置かれていたウサギとカエルのぬいぐるみが飛び出し、クマと加苗を庇うようにリビングの中央に出る。誰より速く動いた陽斗が仲間達の背に小さな翼を与え、回避力を高めた。 前に出てきたカエルに接敵し、ノエルが雷に変換したオーラを纏う。己の身すら放電に巻き込みつつ、強烈な一撃がカエルへと炸裂した。 「――ぬいぐるみというはけ口があったのが、ある種の不幸でしょうね」 リビングの奥に立つ加苗を見て、ノエルがそう口にする。不満があるなら、それは相手にぶつけるべきだ。相手が忙しいというのは、伝える努力を放棄しているだけであって配慮ではないと、彼女は思う。 「人の弱った心につけこみ、弄ぶ……オレの嫌いなタイプだな」 加苗のそばにぴったりくっついているクマを睨み、風斗が眉根を寄せる。 「――今日の剣は、気持ちよく振れそうだっ!」 まずは壁を取り払うべく、彼はカエルに向けて輝くオーラの剣を振り下ろした。全身の反応速度を高めたツヴァイフロントが、手にした小麦粉の袋を破る。 「ヌイ・グルーミ法第一条。人形が所有者へ望みを要求した場合、死刑に処す」 小麦粉を撒いて視界を遮る狙いだったが、彼女が持っていた量だけでは仲間達の姿を覆い隠すには足りなかった。複数人を同時に魅了するクマの視線を警戒し、アルトリアがドアの傍で陽斗を庇える位置に立つ。その身に闇の衣を纏い、彼女は加苗とクマを同時に視界に収めた。 (心の拠り所がエリューション化か……) 言い換えれば、心の拠り所とは、それだけ依存心や執着が強いものということでもある。それを利用するクマを、許すことはできなかった。 「――恨まれるのは承知の上。必ず倒してみせよう」 後衛に敵を向かわせないため、鋼児がウサギをブロックする。全身を光り輝くオーラに包んで防御力を高めながら、彼は加苗に向けて口を開いた。 「なぁ、加苗サン。旦那サンに一度でいいからはっきりと寂しいって伝えた事あったか?」 彼の言葉は、意識を奪われた加苗に届くことはない。それでも、言わずにいられなかった。――言葉として口に出さなければ、想いは伝わらないものだから。 ピンク色のうさぎが、短い手を振り回して鋼児をぽこぽこ叩く。一見するとじゃれてるようにしか思えないが、身に響く打撃は本物だ。運を封じられる感覚に、鋼児が小さく舌打ちを漏らした。続いて、長く伸びたカエルの舌が風斗の腕に巻きつき、クマが目に見えない魔力の弾丸を前衛たちへと撃ち出す。着弾の衝撃に、手足が痺れた。 瞳が福音を響かせて前衛たちの傷を癒し、陽斗が神々しい光を放って全員の穢れを払う。回復に専念しながら、彼はクマの隙を窺っていた。 二階に辿り着いたフィネが、慎重に身を隠しながら吹き抜けから階下を覗き見る。 包丁を手に立つ加苗と、彼女が“ニック”と呼ぶクマのぬいぐるみを眺め、フィネはぬいぐるみの心中を思った。彼の行動は、本当に悪意のみによるものなのだろうか? 誰だって、好きな人には幸せに笑っていて欲しいと思う。ニックは、革醒で加苗に届く声を手に入れて、彼女も喜んでくれたけれど――それでも、何かが足りなくて。加苗の心には、いつも別の人がいて。悩んで、考えて、そうやって辿り着いたのが、加苗に夫を殺させ、彼女を独り占めにするという結論ではないだろうか。 (それが悲しい結末を齎す前に、止めてあげなきゃです) 決意を新たに、フィネは階下でぬいぐるみ達と戦う仲間の姿を見る。 (……どうして今回、敵も仲間もかわいいの?) そして彼女は、率直な感想を心の中で漏らした。 「あなた達は必ず全て潰してみせます……!」 電撃を纏い、ノエルが再度カエルに攻撃を仕掛ける。彼女は、目の前のカエルが邪魔をしてクマに突っ込めない、という状況を装いつつ、クマを強く睨みつけた。ウサギの前に立つ鋼児が、その場から蹴りを放ち、真空の刃でカエルを傷つける。 加苗を人質にさせないため、リベリスタ達が講じた策は二つ。一つは苦戦を装い、クマを油断させること。もう一つは、クマを挑発して判断力を失わせることだった。 「おい、そこのブタ。……なんだ、クマだったのか。不細工だなお前」 オーラを纏う剣でカエルに攻撃を浴びせつつ、風斗が辛辣な言葉をクマに投げかける。彼に続いて、瞳が口を開いた。 「どんなに見た目を取り繕っても、一皮剥けばイエダニの巣なんだろう?」 人に可愛がられるため生を受けたぬいぐるみにとって一番の屈辱は、自身の可愛さを否定されることだろう――リベリスタ達の読みは的中し、クマはさも不快そうに顔を歪めてみせる。 「くそっ、このカエルやウサギは可愛いから戦いにくい! あっちのクマは殴りやすそうなのに!」 風斗はさらに、他のぬいぐるみと比較することでクマを煽る。ツヴァイフロントが、高速の動きから残像を生み出し、カエルに攻撃を仕掛けた。 「ヌイ・グルーミ法第二条。人形が所有者を所有した場合、死刑に処す」 そう言って、クマにちらと視線を向けることは忘れない。わなわなと震えるクマが、もう我慢ならないといった様子で口を開いた。 「ボクが可愛くない、だって……? それじゃあ、その目でよぉく見てごらんよ!」 クマのつぶらな瞳が、強い輝きを帯びる。リベリスタ達が最も恐れていた魅了の視線――咄嗟に目を逸らした者や、手鏡で視線を反射しようと試みた者もいたが、神秘による能力は、そのような手段で防げるほど生易しいものではなかった。 次々と仲間達が我を失い、クマに心を奪われる中、アルトリアに庇われて魅了を逃れた陽斗が光を放つ。神聖なる輝きが仲間達へと降り注ぎ、彼らの心を瞬時に取り戻した。 本当の勝負は、まだまだこれからだ。陽斗は次なる一手のために、自らの集中力を研ぎ澄ませた。 ●独占欲の果てに ますます怒ったクマのぬいぐるみは、他の二体にも命じて攻撃の手を強めたが、リベリスタ達も負けてはいなかった。巧みに苦戦を装いつつ、それでも押し切られないようにギリギリのところで戦線を支えながら、ひたすらにタイミングを窺う。 そして――とうとうその瞬間が訪れた。アルトリアの黒いオーラが、その暗黒の衝動をもってカエルを飲み込み、仮初の命を喰らい尽くす。 「お前達に罪は無いが……許せ。エリューションになった己が身を恨むがいい」 ぽとり、とカエルが床に落ちた瞬間、陽斗の大きな声が響いた。 「――カエルはみな、下戸(ゲコ)!」 一歩間違えればキャラクター崩壊の危機になりかねない捨て身の駄洒落に、リビングの空気が凍る。怒りに我を忘れていたクマですら、口をぽかんと開けて一瞬固まった。 しかし――それは巧妙に考え抜かれた、クマの意表を突くための合図。二階から飛び降りたフィネが加苗の体を抱え、黒い翼を羽ばたかせて再び上昇しようとする。 はっとして顔を上げたクマの横っ面を、強い意志の込められた十字の光が撃ち抜いた。 「僕達が、加苗さんを守る!」 陽斗の声に合わせて、ウサギめがけて駆けた風斗が全身の力を“デュランダル”に込めて叩きつける。ただ一点に向けて解放されたエネルギーは、ウサギを易々と壁際まで弾き飛ばした。 守る者のいなくなったクマに、ノエルが迫る。 「――言ったでしょう? 潰して差し上げますと」 “信念”の名を冠した白銀の騎士槍が、主の力を一身に集めて唸りをあげた。クマの体が宙を舞い、加苗からさらに引き離される。 「ヌイ・グルーミ法第十四条。ココロノ・ベルは強制と義務を伴わない自身の意志に基づき悪事を犯した人形に該当の刑もしくは減刑を執行する権利を有する」 ツヴァイフロントが、流れるような口上とともに床を蹴り、続いて壁を蹴って跳んだ。壁から天井を介し、空中からクマに襲い掛かる。 「十四条捕捉。極刑には、あらゆる手段をとって良い!」 頭上から強襲を喰らったクマは、あえなく混乱に陥った。アルトリアが己の生命力を暗黒の瘴気と化し、ウサギもろともクマを包んで運を封じる。壁際に吹き飛ばされたウサギを追い、鋼児が燃え盛る拳でそれを打った。 クマとウサギが、魔力の弾丸と人参型のミサイルを撃ち返す。しかし、加苗は既にフィネの腕の中にあり、彼女に守られていた。そうなれば――リベリスタ達にもはや怖いものはない。瞳の響かせる福音が、陽斗の放つ神々しい光が、仲間達の背を支えた。 クマを追い詰めんとするノエルが全身に破壊の闘気を漲らせ、ウサギに向けて走る風斗が自らの肉体の枷を外し、己の生命力を攻撃力に変えていく。 「さあ、人形遊びの時間は終わりだ。ここからは断罪の時間と思え!!」 風斗の叫びとともに、彼が手にする“デュランダル”の刀身に刻まれた赤いラインが強い輝きを放った。 加苗を二階に上げたフィネがその手から包丁を取り上げ、彼女をロープで縛る。心を奪われた今の状態では、いっそ動きを完全に封じてしまった方が安全といえた。それらの作業を手早く済ますと、フィネは自らを集中領域に導きつつ、再び階下へと舞い降りた。 リビングのドアを背に立つアルトリアが、玄関の方を振り返って様子を窺う。加苗の夫がいつ帰ってくるかわからない。何があってもすぐ対応できるよう、注意はしておく必要があった。 鋼児の燃え盛る拳の前に、ウサギが力尽きて崩れ落ちる。短く息をついた後、彼は加苗のいる二階を見上げ、彼女の心中を思った。全ては想像に過ぎないが――加苗は、夫が一生懸命に働いてることを理解し、彼に迷惑をかけたくない一心で本音を封じ込めていたのではないだろうか。寂しい想いを直隠しにして、夫の疲れを癒そうと無理に頑張っていたのではないか。 それを悪いとは言わないが――。 「――けどよ、そんなんばっかだとやっぱし疲れちまうだろ」 そう呟き、鋼児は残るクマに視線を戻す。 「許さない、許さない、加苗ちゃんをボクから奪うヤツなんて許さない。加苗ちゃんはボクのだ――加苗ちゃん、どこにいるの!? ねえ、加苗ちゃん、加苗ちゃん……!!」 怒りと混乱に支配されるまま、クマは大声でわめき、魔力の弾丸を撃ちまくる。その姿を見て、陽斗は子供のようだ、と思った。無邪気で素直で――時にどこまでも残酷になれる、子供。 (邪悪な思念が宿らなければ、加苗さんの側にずっと居られただろうに……) だからこそ、こうなってしまったことが悲しい。 「君は沢山加苗さんに愛されたはずだ。加苗さんが好きなら、君も優しくしてあげて」 ――戦いが終ったら、加苗さんを静かに見守ってあげて。 陽斗はそう、クマに語りかけた。小さな子供を諭し、あやすように。フィネもまた、クマの姿を見て悲しげに眉を寄せる。 「寂しい思いばかりさせる旦那さんが、許せません、か?」 でも、それは加苗の世界にとって、ただ一つの要素でしかない。 “ニック”も、加苗の夫も、他のぬいぐるみ達も。皆揃って、彼女の世界を彩っている。どれか一つでも欠けたら、加苗は悲しむだろう。 「だから……元の、普通のぬいぐるみに戻りましょう?」 フィネの投げた道化のカードが、破滅の運命を予告する。激しい放電を伴うノエルの一撃が、そこに重なった。 「世界に害為すエリューションは塵に帰るといいですよ」 風斗の咆哮が、彼の喉を震わせる。全身のエネルギーを集めた渾身の一撃が、クマのぬいぐるみを一刀のもとに葬った。 ●伝え合う意味 瞳が、壁を透かし見て外の様子を窺う。幸い、まだ夫が帰ってくる気配はない。リベリスタ達は手早くリビングを片付け、加苗のロープを解く。 しかし、心身の自由を取り戻した加苗は、悪い夢を見たかのように呆然と座り込んでいた。操られていたとはいえ、自分が包丁を手に取り、最愛の夫を殺そうと口にしたことを覚えているのだ。震える両手で顔を覆う加苗を見かねて、風斗が声を投げかけた。 「貴女にとって、旦那さんは本当に『いらない人』なのか?」 びくりと体を震わせた加苗に、風斗はテーブルの上に放り出されていた彼女の携帯電話を差し出す。夫にメールを打つつもりでいたが、本人から伝えた方が良いだろう。アルトリアが、横から口を開いた。 「連絡するよう言うくらいは遠慮しないほうがいい。夫婦だろう?」 見知らぬ者達が家に上がりこんでいるという異常きわまりない状況ではあったが、今の加苗にはそれを受け止められる判断力は残されていなかった。ここは声をかけておいた方が良いと判断し、ツヴァイフロントも彼女に語りかける。 「君は人形では無い。分かるかね。この惨状を何時ものように心を抑え何も云わずいてもいいし、信じて貰えなくても有りの儘夫に説明して良いという事だ」 言われて初めて、加苗がリビングを見渡す。無惨に綿がはみ出したクマのぬいぐるみを見て、彼女は「……ニック」とその名を呼んだ。 「話したら応えてくれる相手は、ぬいぐるみだけではないのですよ。伝えるべきは伝えなさい。穏やかな貴女なら、穏やかに伝える方法も判るはずです」 ノエルの後に、鋼児が言葉を続ける。 「もう少しよ、旦那サンに甘えても良いと俺は思うぜ。夫婦ってお互いがお互いを支えあうもんなんじゃねぇかな」 ガキが生意気な事言っちまって悪ぃ、とバツが悪そうに言う鋼児を、加苗は黙って眺めていた。 「あの、このぬいぐるみ達は……僕達で供養させていただいて良いでしょうか」 ぬいぐるみ達を抱き上げ、加苗に問う陽斗に、加苗が首を横に振る。たとえ命尽きたとしても、一緒にいたい。そういうことなのだろう。 そろそろ、加苗の夫も帰るはずだ。これ以上の長居は無用とばかり、リベリスタ達は撤収を始める。アルトリアや鋼児は、できれば彼女の夫にも一言、妻をもう少し気遣ってやれと伝えたかったが――迂闊な接触を試みれば、かえって混乱を招くおそれもあった。ここは諦めるしかない。 どうか、この事件をきっかけに夫婦のあり方が変わっていって欲しいと、鋼児は祈らずにいられなかった。 (――家族が幸せそうじゃねぇと俺、イヤなんだよ) 後日、植田家の郵便受けに手芸教室のパンフレットが届いた。 それは、箱庭に閉じ篭っていた彼女が、少しでも外に出るきっかけを掴めるようにと――フィネが贈った、ささやかなプレゼントだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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