●兵共が夢の跡 「嗚呼――」 両の眼を閉じる。都心よりやや外れた裏寂れたショットバー。 安い酒を安く出す。それだけが売りの汚れた店舗へ一歩足を踏み入れると、 吐瀉物と汗の饐えた様な香りが鼻を突く。こんな場所に集まる人間は大きく2つに分かれる。 1つは人生と言う名の大きな賭けに敗れ、落ちぶれたきった敗け犬であり、 もう1つは人並と言う名の当たり前から逸脱し、道を外れきった落伍者である。 「――全く、面倒だ」 その扉を潜る。店へ踏み込んだ男は、けれどそのどちらでもあり、どちらでもない。 ふわりと中身の無い袖が宙を揺れる。眼が醒めてより5日。傷は癒えたが失くした物は戻って来ない。 そう、失くした物は、無くした物は、亡くした物は、戻っては、来ない。 「……!……、……!?」 店の奥。たった一つのテーブル席に5人の男達が項垂れている。 言葉は無い、覇気も無い、正に生ける屍だ。酒を喰らっては胃液と共に吐き出す。 幽鬼の様な風体。そんな人間を、男はこの数日で何人も見て来た。 「なあ、あんた」 薄笑いが浮かぶ。こんなもんだ。ああ、成し遂げられなかった伝説。 そんな曖昧な、良く分かりもしない物に賭けた人間の末路など何処まで行ってもこんなもんだ。 有り金全てをベットしたんだ。負ければ何も残らない。命有っての物種等と言った所で、 現実問題、命だけが残ったって仕方が無い。此方の世界では、人の命は水よりも安い。 「……あ?」 項垂れていた男、その一人が濁った瞳を向ける。恐らく連日連夜自棄酒に身を浸していたのだろう。 正気を失っているのか、焦点が上手く結べていない。 その金は何処から手に入れたあぶく銭か、如何にも先の無い身であれば無理無茶無謀も恐くはあるまい。 無様を知れど今更退く道等はない。一方通行のチキンレースだ。ブレーキはとうに壊れて久しい。 失笑交じりにカウンターに飾られた花瓶へ目線を向ける。水は確り入っている様だ。 好都合。掴んでぶちまける。男の顔に冷えた水と飾られていた薄桃色のスターチスが叩き付けられる。 「て――」 目を白黒とさせた男よりも、他の3人の方が反応が早い。 意気も覇気も力も無くとも、一銭にもならないプライドだけは棄て切れないか。 こんな馬鹿共を焚きつけなくては悪友の尻も拭えないとは、自分もほとほと落ちるに落ちたもんだ。 これでは、ツレに愛想を尽かされるのも頷ける。 「てめぇ、何しやがる!」 頬に飛び散った水滴を拭うと気色ばって席を立つ。何だ、まだまだ元気じゃねえか。 イントネーションの狂った声音に、牙を剥いて笑い掛ける。嗚呼、ったく本当に…… 「うるせぇよ負け犬共。少しでも悔しいってんなら、その丸めた尻尾伸ばして立ち上がんな」 すっと抜き放った短剣と、低く構えたその仕草。冷たく冴え切った眼光に、 水をかけられた男が外の3人を抑える様に手を翳す。元『剣林』である彼は見知っていた、その風体を。 ボサボサに伸ばしたざんばら髪。草臥れたスーツに身を包んだ30前後の男――それは確か。 「あんた……まさか……」 嗚呼――本当に、全く心底、面倒だ。 ●赤い月夜のその先に 日本を統べるフィクサードの七大派閥。『逆凪』、『剣林』、『三尋木』、『恐山』、 『黄泉ヶ辻』、『裏野部』、『六道』つい先日まで、これらの他に『後宮』派。 そう呼ばれていた勢力が存在した。元『剣林』幹部、後宮シンヤ率いる彼らの殆どは、 ジャック・ザ・リッパーと言う名の夢に魅せられた。その夢を現実とする為戦い、敗れた。 後宮シンヤはこの最終決戦で戦死。象徴と旗印を同時に失った『後宮』は自然と空中分解して行ったが、 しかし一方で彼らは多大な負債を背負い込む事となる。後宮シンヤは元『剣林』である。 面子に泥を塗られた『剣林』からの怨恨因縁も去る事ながら、 一度親組織を裏切った人間と言うのはこの世界ではどうしても肩身が狭くなる。 その上『後宮』は七大派閥の殆どと一度ならず事を構えているのだ。その悪評たるや枚挙に暇が無い。 歪んだ赤い月夜の果て、かつて『後宮』と呼ばれていた組織は既にない。 だが、その組織を構成していたフィクサード達。 その少なくない生き残り達はと言えば、正に人生の袋小路に追い込まれていた。 国内でフィクサードとして生きる道は既に断たれている。 と言って真っ当に生きる事が今更出来るだろうか、答えは否である。 後ろ暗い人間には後ろ暗い事情が付き纏う。裏の人間は、今更表には戻れない。 故に――赤い月夜が残した傷跡は、閉じぬ大穴に留まらない。 「――年末も御忙しい所、御呼び立てして申し訳ありません。 ですが、このまま放置しておく訳には余りに危うい状況が発生しました。対処は急を擁します」 周囲を見回しそう告げたのは『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024) 操作されたモニターには、駅前に集まる服装も様々、年齢も様々な男達の姿が映し出される。 「後宮派の残党を集めているフィクサードの存在が確認されました。 集められたフィクサードは年齢、練度もバラバラに計24名」 ――24。かつてバロックナイトにて伝説の一端を見て来たリベリスタ達からしてみれば、 その数は決して多過ぎると言う事は無いだろう。 例えどれ程集まろうと、後宮シンヤは愚かその側近、精鋭すら居ない烏合の衆。 アークにとっての脅威であるとは言い難い。 しかし、それに1チームで対処するとなれば話は全く別である。 数は力、奇しくもこれをアークは証明している。 「皆さんも御存知の通り、件の大穴の影響で現状アークの余力はその殆どが 三ツ池公園の閉鎖とその対応に割かれている状態です。 また、『後宮』の残党と言っても精鋭の殆どは先の決戦で戦死しています。 残されたフィクサードの内で最も練度に優れる者でも皆さんよりは格下に当たるでしょう」 相応の犠牲の上に、それだけの物をアークは積み上げて来た。その事実を誇っても良い筈だ。 対する24名は数こそ多い物の、強敵ではない。和泉の語り口にはそんな雰囲気が滲む。 であれば、正に今の内か。これ以上残党が膨れ上がる前に、災いの種を詰む。 「――ただ。」 けれど、和泉が此処で言葉を濁らせる。そう、彼女は何と言ったか。危うい状況。 それは正攻法でどうにかなる事態では無いと言う事だ。その要因が、未だ語られていない。 「あの決戦を生き抜いた精鋭が1名、これらの残党を纏めています」 モニターの表示が切り替わる。映し出された男は、草臥れたスーツでぶらりぶらりと歩いていた。 やる気がある様には到底見えない。眠たそうな両目は薄く細められている。 その上、良く見れば風に揺られる左手の袖には中身が無い。隻腕、である。 「『双頭犬』紬 一葉」 その名前が、アークで語られるのは4度目である。1度目は賢者の石の争奪戦にて。 2度目は三ツ池公園の突破行にて。3度目は後宮シンヤとの決戦にて。 同じ個人の名がこれ程幾度も上げられる事は、これまで幾つもの事件を解決に導いてきた アークにおいてすら極めて珍しい。そして、その事実は同時に彼の人物の脅威の度合いを示す。 双頭犬は周到かつ狡猾である。隙を見せれば流れ全てを持って行くだけの資質と能力を備えている。 「先の決戦にて片腕を失った様ですね。現在の双頭犬は万全とは言い難い状態です。 ですが、彼がこのフィクサードが残党達の核である事に変わりはありません」 つまり、手段は2つに1つだ。『双頭犬』を狩るか、彼が与えた牙を手折るか。 「24名の内、半分も討伐すればこの集団は瓦解するでしょう。 或いは、核を討つ事が叶えば降伏勧告すら意味を持つかもしれません」 伝説は未完に終わったのだ。彼らを突き動かすのは醒めた夢への未練である。 その様な血色の悪夢は晴らさなくてはならない。それが、終止符を打った者の責務だろう。 「どうか、決着を付けて来て下さい」 和泉が告げる。長い長い戦いを経て、今も尚終われずに居る端役達に幕引きをと。 踵を返すリベリスタ達の背を見送りながら、そうして彼女は閉まり行く扉に小さく言葉を投げ掛ける。 『双頭犬』を直接知る者であれば気を置かずにはいられぬ事項を、あくまで補足する様に。 「尚、『双頭犬の番』御社響は昨日の後宮シンヤ戦にて戦死が確認されています。 援軍等を警戒する必要はありません。どうぞ御武運を」 ぱたりと、扉が閉じる。片腕を失くした双頭の犬。それはまさしく文字通りか。 であるなら、引けまい。幕を引けずに居るのは後宮の残党ばかりでは無い。 そう、彼らを取り纏める男こそが―― ●閉幕間近のカーテンコール 「なあ、シンヤよ。お前はいつも先に行っちまうな」 夜空には亀裂の様な弦の月。見上げた男が語り掛ける。 眼を閉じれば、其処には悪友の影が在る。男は決して賢しい方ではない。 多少武才に優れはしても、例え幾多の修羅場を潜りはしても、怠惰で面倒くさがりな気質は生来の物だ。 その天性は武門に長じれば成じただろう。けれど男はそれを良しとしなかった。 悪友に『剣林』へと誘われるまで、男にはやりたい事もやるべき事も有りはしなかった。 「年功序列ってもんをよ、もう少し考えて欲しいんだがなあ」 だからこそ、乗った。何もかもがどうでも良いと、あらゆる事に全力を尽くす事の無かった男が、 人生で始めて一人の男に賭けた。気紛れだ。ただ何と無く。そんな所でも男は事を深く考えず決めた。 それでも後悔した事は無い。見届ける事。それが怠惰な男にとっての密かな目的になっただけの事。 それからは男の人生に於いて有り得ないほどの急流であり激動の日々だった。 何人も殺し、何人もの人生を終わらせた。穏健派と言われた男ですらそうだ。 果たして、彼の悪友はどれ程の血を被ったろうか。 その望みが曲がり、歪んで行ったのは、その道程が余りに死と血に塗れていた為か。 男は、けれどそれでも良かった。自らに夢を見れぬ双頭犬は、だからこそ夢を嘯く男にそれを託した。 例え彼の生が何処かで終わっても、見果てぬ夢を抱いたままで逝けるなら、それは存外悪くないと。 「一人格好付けて、後始末は何時も俺じゃねえか」 なのに、どうしてこうなったのか。いや、これまで全ての選択を悪友に委ねて来たその報いか。 彼は見届け、尚生き延びてしまった。彼を愛し、護ろうとした女を犠牲にしてまで。 紡いだその命、ただで使って良い筈は無い。良い筈は無いのだ、本来ならば。 それなのに彼には他の手段が見つからない。血の伝説の終わりに、更なる血を流す選択しか浮かばない。 男は賢しい方では無い。けれど決して凡愚では無い。 理解出来ていた、既に盤面は覆らない。状況は決定的だ。悪友の夢は、敗れ、破れた。 終わった物に託すも何も無い。コールド負けが決まっているのに消化試合をする必要が有るのか。 無いだろう。無いのだろう、恐らくは。 そしてそれに固執する事は、彼を生かす為に犠牲になった女を、部下を、蔑ろにする行為だと。 分かっている。分かっていた。分かっているのに――なのに。 「――響」 双頭犬は駅へと降り立つ。最終列車がホームを去る。夜中の街頭に集まった男達は24人。 彼らは一人残らず、夢から離れられなかった者達だ。醒める事無き伝説に未だ固執する馬鹿共だ。 「こんな面倒臭い事をしたら、死んじまうかもな」 やっぱお前が居ないと駄目みたいだぜ、と自嘲する様に男は笑う。 片腕を失くし片腕を亡くし、けれど双頭犬は月を臨む。夢の果てに赤い月夜を臨む。 せめて夜空を赤く染められないならば、天に白き月を仰がず。地に紅き鮮血の夜を。 「今より此処は双頭犬の狩猟場だ」 視界に納めるは真夜中の公園――三高平市中央地区、三高平公園。 三ツ池公園とは行かぬまでもそれなりの広さを持ち、何より一般人が巻き込まれ難い。 細かい対応はアークの方が勝手にするだろう。自分の我侭に見知らぬ他人を巻き込む事は無い。 「存分に殺し、存分に喰らえ。指示は3つ」 残された片手に、短剣を抜く。この場には指揮に優れたパートナーは居ない。 経験もまばらな残党達に、かつての部下ほどの連携は望めない。 何より、一葉からして本調子では無い。運命の祝福すら尽きかけている。 敵のお膝元では退路も期待出来ないだろう。万が一この場で勝利を得ようと命運は尽きたに等しい。 ならばこうして戦うのは何の為か。敢えて敵中に死地を求めるのは何の為か。 「唯の一人も此処より逃がすな。血線を引いて死戦を遂げろ」 答えなど、ずっと前から決まっている。 彼らは一人残らず、一人の男に夢を見た。伝説を夢見るただの男のその先に。 それは、世界最強でも、世界最悪でも、ましてや歪夜の使徒等と言う訳の分からない相手では無く。 「あらゆる手を使い――生きて、死ね」 にやりと、集まった誰もが笑った。童の様に、子供っぽい笑みを浮かべた。 全く、馬鹿は死ななきゃ治らないと言うのは意外と、迷信ばかりでも無いのかもしれない。 面倒だと。何時もの口癖も声にならない。双頭犬は、生涯で始めて己の為に戦うのだ。 今尚続く夢の幕引き。この晴れ舞台、無様は晒せまい。 「来いよ、アーク。カーテンコールだ」 それは遂げられなかった一人の男へと捧ぐ、レクイエム。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月 蒼 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年01月16日(月)23:19 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●「1st Answer」 どうして、と女は問うた。 どうしてだろうな、と男は笑った。 ●ある男の災難 「まさか、三高平の公園に出てくるとは思わなかったでござる……」 公園正門を抜けた大柄な男。『自称・雷音の夫』鬼蔭 虎鐵(BNE000034)が低く呻く。 それはそうであろう。三高平市内でも彼の公園は中央に程近い。 こんな場所までフィクサードの集団が侵攻して来る等滅多に有る話では無い。 「ジャックに関わる一連の事件の後始末のひとつと言ったところでしょうか」 『鉄壁の艶乙女』大石・きなこ(BNE001812)が周囲を見回しながら呼気を溢す。 生ける都市伝説、ジャック・ザ・リッパーとの戦いに一つの区切りが付いたのが遂数週間前。 その発端であった早朝のテレビ番組での虐殺事件を思えば、後始末までが無駄に挑発的なのも、 半ば必然とすら思える。彼ら――旧『後宮』は“伝説”に賭けた者の集合体である。 命知らずである事など言うまでも無いが、それ以上にジャック・ザ・リッパーや後宮シンヤに対し ある種の憧憬や羨望を向ける人間が多くを占める。彼らのやり方を真似るのもむべなるかな。 リスク度外視で態々敵陣の喉元に刃を突きつける等、劇場型殺人鬼が如何にも好みそうな手法では無いか。 「馬鹿は……死ななきゃ……治らない……と言うけれど……」 ジャック・ザ・リッパーは死んだ。後宮シンヤもまた死んだ。 だが、彼らの遺した物は未だ死に絶えては居ない。今も残された側の者の中で脈々と息づいている。 それを、悪い事だと断じる事は、出来ない。エリス・トワイニング(BNE002382)もまた、 周囲に目線を絶え間なく巡らせながら物思いに沈む。馬鹿は決して嫌いでは無い。 利口であれば、確かに先行きが見えるだろうし困難を回避する事も適うだろう。 けれどそれでは成し遂げられない事も少なくない。得てして運命を引き寄せるのは、そんな馬鹿である。 そう、嫌いでは無いからこそ―― 「死ななければ、か。同意する……最も、俺は死んでも治る心算はないが」 『誰が為の力』新城・拓真(BNE000644)にも共感する所は少なくない。 恐らくは、そう。恐らくは彼とて己が望みを断たれたとして、では仕方無いと納得などするまい。 泥臭く足掻くだろう、力を尽くし藻掻くだろう、そうなるだろう事に何ら疑問はない、 それが彼の根源であり、それが彼の生き方である以上は、それを今更覆せる物ではない。 「でも、死ぬために戦うなんて馬鹿っすよね……」 人の事を言えた義理では無いっすけど、と『新米倉庫管理人』ジェスター・ラスール(BNE000355)は、 自嘲する様にその言葉を舌に載せる。死ぬために戦う。死が近ければ近いほどに生を実感する。 その感覚が分からないとは、余人はともかく彼にだけは言えない。ジェスターは戦闘狂の類である。 戦う事と生きる事がイコールで結ばれる様な人種が生死を問う等と言うのはナンセンスだ。 確かに、死ぬ為に生きるなど馬鹿な事だろう。けれど、その馬鹿を好んでする事を否定は、出来ない。 「全く不器用な話だ。……が――」 其処まで言葉を紡ぎ、けれどその表情は決して不快そうだとは言い難い。 『来幸新則』司馬 鷲祐(BNE000288)とて、自身を器用な人間であるとは任じていない。 さもありなん。彼の速度に対するストイックなまでに一貫した姿勢を指し、器用だとは先ず言うまい。 彼とてそれを承知している。でなければ、ジャック・ザ・リッパーをすら凌駕し得る速さを 会得するなど到底不可能な話である。そしてまた、その様な自身の不器用さを鷲祐は決して疎んでいない、 「……いや、存外悪くない」 側面を直走り周囲を逐次警戒しつつも、漏れた声は意外な程に緊張の色が無い。 どんな戦場であれ、どんな敵であれ、やるべき事が定まっているからこその余裕か。 対峙するだろう因縁の敵を前に、手にしたナイフを握り締める。 「とは言え一筋縄ではいきそうにありません。気を引き締めて――」 「ストップ」 仲間達を鼓舞しようときなこが上げた声に『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)が割り込む。 闇を見通す目にはけれど未だ何も映ってはいない。問題は鋭敏極まるその聴覚。 集音装置を持つ彼女の知覚世界は他の仲間たちより一回り広い。 さらさらと、風に揺れる芝生に混じる衣擦れの音と僅かな足音。それは徐々に徐々に離れて行き…… 「……そろそろ潜んでいるか、どうもいきなり仕掛けてくる気は無さそうだ。 足音が遠ざかっていく。2人……かな」 耳を澄ませば聞こえる2対の足音。無理をすれば攻められなくも無いだろうが、 彼らは先ず『双頭犬』から仕留めると言う方向で意見を統一している。深追いは禁物である。 「逃げる……?」 怪訝そうな声を上げた『初代大雪崩落』鈴宮・慧架(BNE000666)が一人、首を傾げる。 眼前には未だ、ただただ静かな公園の風景のみが広がっている。 「――正面出口から湖方面へ、人数は10名」 「――両翼にビーストハーフを配置、逆三角形の陣にて進行中」 「――懐中電灯を用いて索敵中。光線を確認の上位置を把握されたし」 「――――了解。健闘を祈る」 「……来たか」 白い吐息を溢しながら隻腕の男が草臥れたスーツを揺らす。 片手には愛用のナイフ。視線の先は遮るもの等何も無い、公園中央の大広場。 凍えた体躯を解しながら、毒によって失った片腕を抑える。 命が残っただけでもめっけ物だと、馴染みの闇医者は溜息と共にそう言った。 その点に関して異論は無い。が、流石に真冬の寒気は未だ癒え得ぬ傷跡に酷く沁みた。 「おいおい、そんなで大丈夫かよ『双頭犬』」 裏寂れたショットバーから合流した男が、その仕草を見て取りあたかも心配するような声を上げる。 それが形だけである事などようよう承知の上で、けれど一葉はひらりと残った片手を振る。 「この俺が、こんなとこでくたばる様な上品なタマに見えるかよ」 「はっ――違ぇねえ」 くぐもった声で笑う。男の瞳は淀んだ酒場の最奥で腐っていた時より遥かに強く輝いている。 いや、それは恐らく自分もまた。どいつもこいつも、馬鹿ばかりだ。 折角拾った命を溝に捨てる様な真似を見れば、親は泣くだろう。けれど、他に道等無かった。 夢に生きた以上は夢に殉ずる。そんな、自分で測ったとしても愚か極まりない選択肢しか、 一葉にも、そして眼前の男にも、出来なかった。 だからこそ、今彼らは確かに、自らの生を自ら選んでいると言う実感を感じている。 「――配置に付け。パーティはもうすぐだ」 「はいよ」 彼同様に、気配を殺せる者が24名も居て男一人だけであったのは、不運と言えば不運だった。 しかし逆にこうとも言える。0でなかっただけマシであると。アークの強さは他ならん。 3度対峙した『双頭犬』が一番良く知っている。であれば、こそ。 唯の一人として無駄死にさせる訳には行かなかった。既に常に彼の影に寄り添っていた、 頼れる指揮者は居ないのだ。彼が手綱を引かねばならない。柄でも無いと分かっていて、尚。 一葉の戦術は、響と呼ばれた女のそれには到底至らない。だが、長年連れ添ってきたのだ。 一発芸程度の見様見真似位は、成し遂げて見せる。 「早く来い」 白い吐息を溢しながら隻腕の男が草臥れたスーツを揺らす。 「俺は、此処に居るぞ」 ●「2nd Answer」 貴方がそれを望むなら、と女は嘘を吐いた。 お前がそれを望むなら、と男は嘘を吐いた。 ●夢鶫 「……またか、逃げられた」 3度。杏樹が溢したその声に、その前を行く少女が如何にも嫌そうな声を上げる。 「――何か、仕掛けてきてるね」 『フェアリーライト』レイチェル・ウィン・スノウフィールド(BNE002411)と『双頭犬』との戦いは、 “薄氷の上の敗北”と言える程に危うい物であった。 偶さかの偶然が重なり彼女は九死に一生を得たが、例え死んでいたとしても何らおかしくは無かった。 それを自覚すればこそ、何かをされている。と言う実感は何処か薄ら寒い物を伝えてくる。 言うなれば、嫌な予感。相手はどう考えてもアークのリベリスタ達より場数を踏んでいる。 無駄な事はしないだろう。遭遇しては逃げて行く敵兵にも、恐らくは何かの意味がある。 「まあ、それもそろそろ終わりみたいだよ。ほら」 『鷹の眼光』ウルザ・イース(BNE002218)が先を促す。其処には柵で囲まれた空間。 遠目にも分かる。中央広場の看板。その向こう側には大勢の人の気配。 熱気、そして、殺気。真冬の夜の公園にこれ程そぐわぬ物も無いだろう。 「此処が正念場でござるな……」 「うん。借りを返したい、って言うよりは……決着を、つけたい」 レイチェルが魔力を光の翼に代え、虎鐵の膂力が己の限界を超える。 エリスが自身の魔力を小さな体躯に巡らせるのと、きなこが結界を張り巡らせるのは殆ど同時か。 「一筋縄ではいきそうにありませんね、気を引き締めていきましょう」 「ん……思う存分……戦うしか……ない」 拓真が両手に二本の剣を携えると、ジェスターの手元には鈍く輝くLesathの刃。 「行こうか、皆」 「さて、もうひと仕事っすね」 杏樹の手元には巨大な弓アストライアが現界し、その威容で持って音も無く周囲を圧する。 鷲祐が腰を落と身体のギアをトップへと切り替えれば、慧架の体躯に気が張り巡らされる。 「醒めない夢はないし、明けない夜もない」 「私はただ、私なりのやり方で」 「――マッハで駆け抜けるのみだ。俺は大食いなんでな」 当然の如く。雷光の如く。神速のビーストハーフが先陣を切る。 「ファーストフードに時間はかけられんっ!」 「――――来たかアーク、来たかリベリスタ、主賓のご到着だ! さあパーティを始めようぜっ!」 応じて上がる鬨の声。逃げもしない、隠れもしない、号砲を上げる者等他には居ない。 10名を優に超えるその陣営の最奥より跳びだす影。『双頭犬』紬一葉は――此処に在る。 交錯する蒼い蜥蜴と黒い犬。 声に応じ雪崩れ込む、年齢もばらばら、風体もばらばらなフィクサード達。 数が数、量が量である。例えリベリスタ達であっても、自由な行動等望むべくも無い。 「本気で行かせてもらうでござる!」 初太刀一閃。 振り抜かれた虎鐵の鬼影兼久が対した鎧姿の男に受け止められる。 クロスイージス、それもハイディフェンサーを活性化したタイプか。 頑強な手応えを、虎鐵の一撃はされど尚圧する。 「残念だったでござるな……受けれど防げぬが拙者の太刀の本懐でござるよ!」 鎧に奔った斬撃の跡に、対した男が血を拭いながら痛快に笑む。 その位でなくては、面白くないとでも言わんとするかの様に。返礼に放たれる長槍が虎鐵の脇を穿つ。 「人生の隘路なんてどこにでもある。どん詰まりにはまるのは悪党だけの特権じゃない」 視界には入り乱れる敵味方。その内敵と見切った対象を正確にロックする。 ウルザのイーグルアイは広い戦場のほぼ全てを視界に納めているが、しかし一点の想定外。 一葉を含め14名も居る敵が一気に雪崩れ込んできた為に前衛が前衛の意義を為していない。 今も正に、後衛への突貫を果たしたクリミナルスタァがフィンガーバレットを片手に迫っている。 傷付かぬ者など居ない。護り続けられる者も、護られ続けられる者も居ない。 それは、社会であれ、世界であれ、同じ事だ。 「他人を巻き込まないと負け戦にさえ出向けないのかい?」 掻き消える様な独特のステップから放たれる首筋を狙った曲芸の様な斬撃。 会心を果たすその一撃がウルザの体から鮮血と言う名の命を奪う。けれど退かない。退ける筈も無い。 生きたくても生きられない人たちが、掃いて捨てるほど居るのに。 死ぬ為に武器を取り、だからと言って唯一人で死ぬ覚悟も気概も無い。そんな者に負けられない。 「なら――いいだろ。望みどおりぶちのめしてやる」 手を掲げる。白い羽を赤く染め、出血と流血の惨事に身を浸しながら光を手繰る。 「その安いプライドごとさ。あなたは敗れ去りたいんだろう、オルトロス!」 爆ぜる。光が迸る。不殺を冠する神気の閃光は貫いた者の動きを等しく奪う。 人の身である以上、神威の枷からは何人たりと逃れられない。 「あなた達にも譲れない理由があるのでしょう」 両の拳に炎を宿し、慧架が踏み込む。業炎一掌。浮き上がった覇界闘士の体躯を炎が包む。 「けれど、シンヤさんは死にましたが貴方達は生きています」 敵の数は多い。錬度に関しては比べるべくも無い物の、 一度に大凡倍する敵を相手にすると言うのはやはり生半可な負担では無い。 ジャック・ザ・リッパーや後宮シンヤが果たしてどれ程の逸脱を果たしていたか、 実際に自身が多勢に対してみれば良く分かる。人の身で在りながら圧倒的なまでの暴力。 其処に夢を見た者が居た。彼女とて戦う身である以上、その気持ちが全く分からない訳では無い。 防御を穿つ土砕掌。打ち抜かれた衝撃に体躯が痺れる。臓腑から抜けた大気が中空を白く染める。 「生きて」 倒れそうになった身体を強く、強く、地面を踏みしめ大地へ縫い止める。 後方より放たれた十字の光。きなこのブレイクフィアーが体の痺れを癒していく。 倒れられない、理由があるのはお互い様だ。彼らの夢を摘んだ慧架達には、摘んだ側の責任がある。 「生きて、生き抜いて、彼を倒した私たちの行く末を見て下さい!」 届かずとも叫ぶ。叫ばずにはいられない。ただ死に行かんとする者達の不退転の決意。 それに敬意を覚えればこそ、彼女は“止める”為に拳を振るう。 「ああ言ってるっすよ」 残影を伴って放たれたジェスターの一撃を受け止めたクロスイージスに、問い掛ける。 「ここで死ぬ必要、あるんすか?」 命懸けで戦う。その姿勢は彼のスタイルとも近しい。 ジェスター自身死にたい訳では無くとも、共感出来ない訳ではない。けれど尚、問い掛ける。 見果てぬ夢を追い続ける事が、ナンセンスだと思うほど冷めては居ない。 けれどそれは何処までも、既に終わった出来事だ。過ぎ去った伝説の残滓に過ぎない。 終わらせた側の彼がそれを口にする事は傲慢だろうか。だが、彼らだから言える事でもある。 「他に選択肢はなかったんすか」 告げた瞬間、偶々だろう。自身の動きを抑止するべく立ち塞がった男と視線が合う。 問われて、浮かんだのは苦い笑みだ。嗚呼、そうかと。どうしようもなく分かる。 分かってしまう。そんな問いは既に、幾度も、幾十度も、幾百度も、自分自身に投げた後なのだろう。 それを今更に問われ、未練が無い筈が無い。生きているのだ。死にたい筈がある訳もない。 立ち位置が変われば、逆の立場だったかもしれない。フィクサードもまた人間だ。 そんな当たり前が、やるせない。 視覚を惑わす多角斬撃。虎の牙で以って対する騎士を切り刻みながら、毀れた声には虚しさが滲む。 死地。命のやりとり。悪戦苦闘。戦いは大の好物だった筈なのに、どうしてだろう。 何故だか余り心が沸き立たない。苦渋を噛み締め、睨み付ける。まだまだ、敵は居る。 「やっぱ、馬鹿っすよ」 ジェスターの呟きは、何処か遠く、真冬の刺す様な大気に融け――消えた。 ●『Inter Mission』 此処が俺の死に場所かね、と男は嘯いた 貴方だけは死なせない、と女は嘘を吐かなかった。 ●終端のレクイエム 「突っ込んでくる奴は片っ端から受けろ! 隊列なんざ保たなくて良い、癒し手を優先して狙って行け!」 叫んだ声は果たしてどの程度届いたか。乱戦と化した中央広場では敵味方が入り交じり、 指示等殆ど有名無実の産物と化している。時折放たれる閃光と流星の如き矢の嵐が 確実に兵の数を削っているも、現時点、未だリベリスタ達よりフィクサードの方が数が多い。 だがそれも、いつまでもつか。仕込みはしてある。だが予想以上に攻め手の練度が高い。 このままであれば、瓦解する。それが目に見えて分かる。 適うなら、自身が血路を拓かねばならないタイミング。だが、それには―― 「余所見とは余裕だな、双頭犬」 「冗談、こちとら手一杯の目一杯だよったく、縁が無けりゃ良いと思ってたんだがな!」 神速の一撃が一葉の体躯を確実に穿つ。痺れた体躯を無理矢理動かす。 精度を徹底的に研ぎ澄ませて来る鷲祐の攻撃を、されど致命打より外すのは一葉の技量と 反応速度の賜物だろう。お返しとばかりに放たれるのは光速の刺突、アル・シャンパーニュ。 一撃、二撃、更にもう一撃。双頭の魔犬(オルトロス)の異名通りに重ねられた連撃を、 けれど鷲祐もまた良くかわす。2度のクリーンヒットにより戦陣を押し込まれた物の、 即座に我を取り戻すその精神力は決して、きなこの十字の加護の所為ばかりではない。 「あの女は死んだそうだな」 告げた言葉を何処か緩い笑みと共に受け止める。流石にそれで動揺が誘えるほど温くは無いか。 けれど、一葉は手を止める。あたかも先を促す様に。鷲祐は攻撃の度に幾度も集中を重ねている。 この場に置いて追撃する利は一つも無い。 「牙を失い尚牙を振るうか」 「それしか、俺にはねえからな。それと、間違えんじゃねえよ」 目付きが変わる。纏う空気もまた。双頭の魔犬がその牙を逆手に構え直す。 「俺の牙はまだ失われちゃいねえ――アイツ以外に、俺の牙が手折れるかよ」 来る、と悟る。それは彼にとって良く見知った感覚。人の知覚速度の一歩先。 トップスピードに乗った鷲祐の反射神経が全力で筋肉を動かす。避け得るか――否。 「……悪いが、俺も捕食者なんでな」 「面白いじゃねえか。だったら――どっちが喰われるか白黒つけようぜ」 放たれた剣閃は一条。けれど、対するは紬一葉。『双頭犬』は例え番が居なくとも双頭である。 ナイフとナイフが交差し、鷲祐が一撃を受ける。跳ね上げられる片手、突き出される連撃。 防御用マントが翻りその衝撃を僅か受け止める。貫かれ吹き上がる――血飛沫。 「――今だ」 そして彼らは飛び出していく。1人、2人、4人、8――否。11人。 リベリスタ達の進路を先行して辿り、それを逐一報告しあっていた遊撃班11名。 彼らは待っていた。リベリスタ達と彼らの仲間達が不可分に成る程の乱戦が形成されるのを。 じっと、息を潜め待っていた。集中に集中を重ね、チャンスを待ち構えていた。 「総員――一斉射!!」 リベリスタ達の後背を覆う様に、重ねられた集中から放たれる9発の遠距離攻撃による掃討爆撃。 「――――!」 敵の狙いを悟り、此処で漸く彼らは理解する。何故、園内に兵を分散させる等と言う ただ戦力を拡散させるだけの悪手を双頭犬は取ったのか。 攻めに出れば各個撃破の良い的である。守りに入ったとしても後衛だけを散開させる理由が無い。 であれば、答えは一つである。彼は最初から攻めさせる気も守らせる気も無かった。 後衛達に下されていた指示は唯一つ。機が来るまで逃げ回ること。 此処で初めて、散開させる事に意味が生まれる。敵が何処から突入して来るか分からない以上、 リスクは分散させる必要がある。例え1組が追い回され各個撃破されたとしても、 後衛だけを先に徹底的に除去しておく。等と言う手段を用いられない限り、何組かは残る。 そして、今回リベリスタ達は遊撃班へ殆ど注意を向けて来なかった。 双頭犬の存在はそれだけ大きかったと言うべきか。二重の意味で――彼らは後衛を取り逃がした。 その結果が、此処に在る。 マグメイガスが魔術を紡ぎ、スターサジタリーがライフルより流星の散弾を解き放った。 インヤンマスター達が手に手に符を構え、ホーリーメイガスが喉よ枯れろと唄を紡いだ。 此処に地獄が幕を開ける。それは一度演奏を始めたら止まる事の無い戦場のオーケストラ。 ただ終わり行くだけの鎮魂歌。終端の、レクイエム。 前衛も後衛も有りはしない。癒し手も護り手も攻め手も問わず誰も彼もが巻き込まれた。 「正念場だ、全員……耐え抜け……!」 拓真が大きく息を吐いて叫ぶ。だが、集中を重ねたその火線は余りに過剰。 電撃の嵐が、炎の渦が、蜂の巣の弾幕と散弾が。声も、命も、想いも等しく掻き消していく。 「……やった……のか?」 全てが吹き抜けた後、立っている者は誰も居ない。満身創痍のフィクサードらを除いては。 一瞬、歓喜に声が弾む。後宮シンヤの夢を追い掛け続けた彼らにとって、 この場での勝利はそれこそ命を捧げるに値する戦果である。明々、思いがけず拳を握る。 「いいや」 だが、冷え切った声がその喜びに水を挿す。さもあらん。彼の牙を、それも二条受け切った上で、 その上更に包囲網からの射線に晒された。並の革醒者であれば3度は殺せる痛撃を与えた筈だ。 なのに―― 「まだだ」 その男は、立っていた。 「……悪いが、俺はまだ闘える」 爛々と輝く銀の瞳。体躯を血に塗れさせ、その青い髪すらが赤黒く彩られている。 運命の祝福を消費したとして、とても立てる手傷では無い――その、筈だ。 「お前の想いを、誰にも広げさせはしない……ここで、獲物にさせて貰う」 それも、1人ではない。いや、1人ではない“どころでは無い” 「まだ、まだだ。こんな所で……死ねるか……!」 「倒れる訳には……いかないのでござるよ!!」 「止めて、みせる……だから――」 続いた言葉に、一葉の頬が痙攣した様に震えたか。拓真、虎鐵、それに、 合点が行く。これが、後宮シンヤを殺した者達か。 「これでも、耐久力には自信があるんです……!」 「……これで……終わりだなんて……思ってもらったら……困る……」 「死人に殉じる何て……そんなプライドを保つだけに、死んでなんてやれないね……!」 血塗れで、立ち上がる。誰も彼もが。命を、魂を、削って、振り絞って、立ち上がる。 誰一人として、倒れたままでなど居ない。足掻く。諦め悪くも――いいや。勝利する心算で立ち上がる。 「死にたがりは嫌いだ。足掻いて、生きる方が性に合ってる」 「皆、あと一息だよ。ここで決着を付けよう!」 きなこが瀬戸際で跳びだした為、視界から外れた杏樹がアストライアを構え 同様に、咄嗟に庇われた為に無傷のレイチェルが聖神の息吹で仲間達を癒す。 会心の策。最大火力による奇襲から、リベリスタ達が立て直しにかかる。 その様を見て、それと敵対しているのだと知って、血の気が引かぬ者が居るだろうか。 「……化物か」 「そりゃ、お互い様っすよ」 全身を赤でペイントし、自身を妨げていたクロスイージスを葬り一歩。 踏み出したジェスターが獰猛に笑む。遠目に気の所為かと思えば、そんな訳も無い。 己の肩腕を奪い、引いては響の死の一端を担った虎のビーストハーフ。 思えば、随分とあちこちに因縁を積み上げてしまった物だ。面倒事は大の苦手の、この自分が。 此処で、清算して置かなくてはならないのだろう。アークが、こんな物であると理解した以上。 そんな機会はもう二度とない。実感として、これ以上も無く把握する。自分は此処で死ぬ。 「ったく……」 なのに何故、今、自分は笑っているのか。いいや、いっそ愉快だ。面白い。 面倒がりながら生きてきた。一生懸命な人間を嘲笑って。手を抜いて時を刻んで来た。 その結果これだと言うなら、上等過ぎる。こんな面白い奴らと敵対する事は、もう二度と無いだろう。 「全く、心底面倒な奴らだな、お前ら」 血で髪を書き上げる。遊撃班が再度の集中を開始する。 「此方が削り切るか、そちらが先か──」 拓真の手から双剣が閃き、対したデュランダルを吹き飛ばす。 その間隙を、アストライアから放たれた鏃が抜ける。一条、二条、三条、無数。 「カーテンコールを望むなら全力で戦おう」 杏樹のスターライトシュートが遊撃班の後衛を一人また一人と射抜いていく。 ウルザが続いて閃光を放ち、翻り放たれる魔術の雷撃を、魔炎を、エリスの唄が癒して掻き消す。 「本気で行かせてもらうでござる!」 「手は抜きません。ここで、決める!」 踏み込み一つ、残された最後のクロスイージスを、 虎鐵のオーララッシュと共に、放たれた慧架の重い重い一撃が叩き伏せる。 この時点で、前衛の半数が命の火を消されている。 残り半数もその身は既に矢と光に焼かれボロボロである。だが、しかし、けれど。 それでも、数の利と言うのは時に非常なまでの現実を突き付ける。 予定通り一葉へ向かった拓真と慧架、これを引き付ける双頭犬。 この過程を経た事で自由になった2人のクリミナルスタァが、遊撃班を掃討しにかかっていた 杏樹へと殺到する。元より後衛に踏み込んでいたデュランダルを含め、一対三。 運命を削ったエリスを、きなこが庇う現状では必然的にそれ以外の後衛の負担が跳ね上がる。 そして例え熟練の前衛が3人揃ったとは言え、一葉に攻撃を確実に当てて行くには集中が必要不可欠。 こればかりは仕方が無い。仕方が無い事ではあれ――けれど、そうして稼がれた時間は 遊撃班からの射撃と合間って一つの結果を導き出す。 「――っく」 渾身のナイアガラバックスタブが、元より護りに欠ける杏樹の体力を著しく削り取る。 其処に叩き込まれるマグメイガスの電撃の鎖。 「全ての子羊と……狩人に……」 十字を切り、膝を付く。運命は彼女を救わない。ゆっくりと倒れ伏すシスター姿の女。 彼女の祈りは、けれど―― ●「3rd Answer」 どうして、と男は問うた。 どうしてでしょうね、と女は笑った。 ●双頭の魔犬(オルトロス) 流れは決定付けられた。 「問答は無用。修羅と成り果てるというのなら……!」 「これ以上、あなたの夢に誰も巻き込ませはしない!」 叩き込まれた裂帛の一撃。ハードブレイクが一葉の回避能力を削り取る。 続く一撃は強引な踏み込みと共に。引き摺り倒し地に打ち倒す。慧架の十八番、大雪崩落。 「お前の想いも意志も、全てをッ!――奪い尽くすッ!」 続けて放たれる鷲祐の音速の刃が、地に倒れた双頭犬に突き刺さる。 避けられない。避けられる、理由も――無い。腹部を射抜いたナイフは、普通に考えれば致命傷。 それでも尚急所を外す反応の良さを、老獪さと呼ぶべきか、要領の良さと呼ぶべきかは難しい。 いずれにせよ、全身を切り刻まれ、腹部を貫かれ、地に縫いとめられ尚、男は生きていた。 毀れるのは荒い吐息。 「……12人」 失血にふらつきながら、追い付いて来たジェスターの言葉に周囲を見れば、 確かに。その大半は前衛でありながら、紬一葉でフィクサード12人。 気付けば半数の撃退に成功していた。当然、その代価は少なくない。だが、これで一つの決着は付いた。 「半分が死んだっすよ。皆、ここで死ぬ必要あるっすか?」 今一度。ジェスターが問う。その問いに、誰一人答えられはしない。 リーダーであり旗印であった一葉が倒れた事で、上がり続けた戦意が突然ふつりと途切れてしまった。 訪れた凪の時間。沈黙の中男は続けて呼び掛ける。 「……夢がないなら、シンヤより良い夢見せてやるっす」 じり、と。気配に感情が滲む。死にたい訳では無い。けれど、生きる術が無い。目的が、無い。 その結果としてこんな所まで来てしまった者達にとって、その言葉の持つ意味は重い。 新しい夢を抱いて生きてみてはどうか。直ぐに決める事は出来なくとも。 何処か迷う様な沈黙に、後を押すかの如く拓真が続く。 「淡い夢は幕を閉じた。武器を捨てろ、無抵抗の者に危害は加えない」 停滞、沈黙、迷走。漏れた声は、けれど――地に縫い止められた、男から。 「……はっ」 笑っていた。くぐもる様な、濁った様な声。逆流した血を吐き出し、その上で、尚。 「ははっ、はははっ……アイツより、良い夢か……」 じり、っと大地を掴む片手。喉を鳴らす。血を吐き出す。誰が見ても一目で分かる、死相。 「……そりゃ良い、それで良い。お前達は、それで良いんだ……」 身を起こす。土気色の体躯に、爛と瞳が輝く。赤く――燃える。背の側で犬の尻尾がぶれた様に見えた。 尾が霞む。蜃気楼の様に体の境界線が曖昧になる。その異様。その異質。 誰も彼もが一瞬で理解した。男は削ったのだ。削って、立ち上がった。何の為に? 答えなど、決まっている。いいや ――本当は、 。 「――――馬鹿、が……!」 祝福を喪った者。唯在るだけで世界を壊し行く物。人は――それをこう称す。 エリューション・ノーフェイスと。 「だが、だがなあ。それじゃ、足りねえよ」 其は既に人では無い。其は既に紬一葉ですらない。その存在は無貌(ノーフェイス)。 であるならば、こうと呼ぶしかあるまい。片手にナイフを携え、死人の様な肌の色。 かつてない程痛快に笑んだ男はその一閃で決定付けられた流れを覆す。 「俺を殺れるのは――あいつらだけだ!」 双頭の魔犬は吼え猛る。拓真を、慧架を、鷲祐をも巻き込んで。鮮烈なまでの黒い旋風。 形無きスーツの袖が風と共に迸る。一撃、二撃、続く、1人、2人、3――惨劇。 血色の大気、運命を削って立っていた3人が揃って地に倒れる。そんな瞬きの、刹那。 「――ひっ」 誰かから、悲鳴が漏れた。その恐怖は伝播する。フィクサード達とて人間である。 人として死ぬ事と、人では無い何かに変ずる事を同一線上で考える事等出来ない。 ノーフェイス『双頭の魔犬』は、彼らの旗印であったそれではない。 事実としてどうであれ、リベリスタ達の説得で半ば亀裂の入っていた心は、この瞬間完全に、折れた。 フィクサード達が我先にと逃げていく。本来であれば、リベリスタ達はこれを止めるべきだろう。 だが、出来ない。既に4人が倒れている戦場で、残り6人の内前衛は2人。 その誰もが一度運命を削っている。欠片の余裕も有りはしない。 「やろうぜ、アーク」 手招きする双頭の魔犬。ジェスターがジャマダハルを、虎鐵が太刀を、 そしてきなこがバイブルを握り立ち塞がる。 背後ではウルザが今にも付きそうな魔力を手繰り、レイチェルが最後の聖神の息吹を解き放つ。 唯一人、エリスだけが十全な状況を保っている。 「――カーテンコールだ」 突貫。その動きは鷲祐の動きを散々見て来たリベリスタ達にしても非常識と言う域である。 踏み込んだ一撃を虎鐵が受け、一瞬目を離した瞬間その位置から更に突っ込んで来ている。 前衛後衛、等と言う位置取りが殆ど意味を持たない。 フェイトを削った為に補填された魔力を消費し、今一度放たれる光の如き鮮烈な連撃。 「それがあなたの、最後に残った牙って訳か」 受けたウルザは、回避に救われたか、ギリギリ――けれど踏み止まる。 彼は怒っていた。決して許す事は出来ないと、心の底から怒りに燃えていた。 生きたくても、生きられなかった者。そんな人間が居た。そんな人間を想って、想い続けて。 死にたがりの臆病者。そんな人種を看過する事は、出来ない。他の誰が良いと言ったとしても。 彼にだけは、出来ない。そんな欺瞞を、臆病なプライドを、許しはしない。 「ならその牙、ここでオレがへし折ってやるよ!」 「世間知らずの餓鬼が抜かせ! やれるもんなら、やってみろ――!」 叩き付けられる神気閃光。その一撃を身に受け、双頭の魔犬は立つ。 だが、それにより稼いだ時間は極めて大きな意味を持つ。 多勢に無勢に苦しめられたリベリスタ達が、立場を変えてその優を示す。 「拙者にも、譲れぬ夢がある。おぬしの在り方分からなくも無いでござるよ」 大上段。振り上げたるは太刀、鬼影兼久。 「だが、相容れぬなら討たねばならんでござる」 叩き付けられた一撃は死色の体躯に斬撃の線を引き―― 「俺がやれる事なんか、これ位しかないみたいっすからね」 その上をジェスターのLesathが辿る。だが、浅い。どれも決定打には至らない。 「もう、良い加減に……終わって下さいっ!」 「……どうしてここまでやるのか……あたしにはわかんないよ」 続いたきなことレイチェルのマジックアローをも間一髪かわし、双頭の魔犬は更に一歩足を踏み出す。 「ああ――」 血に塗れ、切れ味の大半を失ったナイフが振るわれる。 「俺にだって、もうわかんねえよ」 ●「Last Answer」 本当は、ずっと前から分かっていた。 俺はただ、あいつらと一緒に歩いていたかっただけなんだ、何てこと。 全く、本当に、心底――救いがねえ、馬鹿だよなあ ●伝説の終わりに 1人倒れ。2人倒れ、3人倒れ。そして――決定的に。 決定的にどうしようもない瞬間は、嫌が応にも訪れる。この戦いに、退路は無い。 勝つか、負けるか。いずれかにしか答えが無い以上は、壊滅=全滅である。 そんな事は、リベリスタ達とて覚悟して来ていた筈だ。 それ故に、彼らは誰一人退くと言う選択肢を持って来なかった。その至極必然的な結末として。 男は一人立っていた。対峙する男も、また一人。 「――どういうことだ……」 当たりが悪いと、それは体感的な物でしかなかったが、そう感じ始めたのはいつからか。 「……何がっすかね」 『双頭の魔犬』の能力は、明らかに男を凌駕している筈だった。 6対1が5対1になり、4対1になった時点で半ばこの場での決着は付いていたとすら言って良い。 だが、其処からだ。おかしくなったのは。 男の愛用するナイフは、対峙する虎のビーストハーフを掠めもしない。 尋常ならざる速度での確実を喫した筈の一撃は、まるで世界がそれを認めぬと断じてでも居る様に 男の残像へと振るわれる。そして幻影を携え揮われる、ジェスターのジャマダハルを避けられない。 先が読めているかの様なその一撃は、右へ避けようと、左へ避けようと、予定調和の様に痛打を為す。 優位に立っていた筈だ。夢の終わりに、一つ大きな仇花を咲かせる。 自らの命を、運命を、全身全霊を賭して挑んだ大博打に、自分は勝った筈ではなかったか。 「――どういう……ことだ……!」 踏み込む。更に一撃。当たらない。冗談の様に。悪夢の様に。或いは――運命の様に。 曲線を描いたジャマダハルが、男の残された腕を切り裂く。瞬く。何が起きているのか、理解出来ない。 「理由なんか、きっとないんすよ」 爛々と、金の瞳が眼前の敵を射抜く。手にした刃は手の延長だ。 燃え盛る運命の恩寵は、今まさに彼の体躯を巡っている。負ける気がしない? いいや、それは違う。勝つ事など、出来なかった。 説得出来たなら、良かった。言葉が届いたなら、良かった。 手を取り合うことが出来たなら、良かった。 けれど、死地に赴く事を良しとしてしまった自分には、やはり生き急ぎを引き戻すのは荷に勝ち過ぎた。 行き着く所まで行き着いてしまった男に、出来る事なんか、こんなことしか無くて。 抱いた思いは、悔しさだろうか。 感じたのは、憐憫だろうか、或いは、共感だろうか。 一つの年の終わり。ごーん、ごーんと鐘が鳴る。 遠く、近く、けれどやはり――遠く。100と8つの鐘が鳴る。 それはあたかも、誰かの魂を送り出す様に。それは物語の終わりを告げる様に。 「今の俺には、勝てねっすよ」 焼け落ちる祝福、燃え盛る加護。其れは歪曲する運命の黙示録。 一方通行の最高速は、世界の承認の元絶対を為す。約束された結末を、覆す術等既に無い。 「これが……」 幾度も、幾度も、踏み込んでは揮う刃、その一閃たりと掠めすらしない。 その度に、双頭の魔犬の体躯には傷が増えていく。脚を薙がれ、腕を裂かれ、身体を穿たれ。 そして。そして―― 「これが、代償だってのか……」 運命の祝福を失った、無貌なる者に奇蹟は決して訪れない。 紡いだ夢の最果てに、打たれたのは違える事の出来無い終止符。毒を携える虎の一閃が、幕を引く。 「――――」 ごーん、ごーんと鐘が鳴る。 虎が問う。静かに、静かに。双頭の魔犬の亡骸を見下ろし告げる。其処に、意味は無かったとしても。 「あんたの夢は、死ぬことだったんすかね」 年の終わり。伝説の終わり。一つの鎮魂歌の、その最果て。 一つの夢が、溶けて、消えた。 ●『Ripper's Edge - Ever Dream -』 何だ、お前ら此処に居たのか。 おいおい、「私」はどうしたよ。あの胡散臭い口調マジで止めたのか? ああ、まあ良いさ。その方がお前らしいってんならその通りだ。 あ? そう堅いこと言うんじゃねえよ。だからこんなとこまで付き合ってやってんだろうが。 鬼だろうが閻魔だろうが、知った事じゃねえ。 俺が居て、アイツが居て、エリカが居て、お前が居るんだ。負ける訳がねえだろうが。 夢の続きを、始めようや。 ――なあ、シンヤよ。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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